Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Scotland 名門復活なるか? Kiev で沈む

2006-10-31 | EURO Football
10月7日、Glasgow で強豪フランスを 1-0 で破り、3大会ぶりの欧州選手権本戦出場に期待を抱かせた Scotland だが次の戦いの地、ウクライナ共和国のキエフに向う前に冷水を浴びせらた様な事件が起こる。フランス戦試合終了後、選手達には20時間の自由時間が与えられ、その後にベースキャンプにしている East Kilbride に集合する様にと指示されていたのだが、フランス戦で途中出場したFWの Garry O’Connor がその集合場所に姿を現さなかったという規律違反の廉で遠征メンバーから外されてしまった。O’Connorはこれまで代表歴8回を数えている23歳の Locomotive Moscow の所属。憶測ではエジンバラの近くの Haddington にある自宅に同棲のLisa 嬢( Partner と地元紙には書かれていた ) と3歳の息子 Josh 君といたと言われている。O’Conner は9月の欧州選手権予選でもホームでフェロー諸島を降した試合には途中出場をしたが続くリトアニア遠征からは怪我の為に外れている。今年3月に Hibernian から160万ポンド(約3億5千万円)で Locomotive Moscow に移籍。11月には今季のロシアリーグも幕を閉じるが今年のサラリー約80万ポンド(1億7500万円)は彼をモスクワに留める事は不可能だろう、と見られている。Lisa と Josh は既にモスクワには住んでおらず、その理由はモスクワの生活に慣れない為と言われている。一ヶ月の半分以上は試合の遠征等でモスクワを空ける事になるその生活環境ではまだまだ“西側”の人間はモスクワには馴染めなかっただろう。 O’Conner の代表デビューは当時のヴェルティ=フォックツ監督の元2002年18歳の時だった。今回の件に就いては Smith 監督も相当のおかんむりらしく“もし誰かが Scotland の為にプレーをしたいのならそれは歓迎だ。それがデニス=ローやケニー=ダルグリッシュなら考えものだがゲームの中でさらに自分のすべき事を全うする若い選手の事を指している。”とコメント。そして“どうして彼が来なかったかを知りたい。”と繰り返したらしい。 O’Conner の代替の選手は連れて行かないとの事。それは“彼はコンスタントに(代表で)プレーをしていた分けでは無い”という Smith 監督のコメントが理由だろうか?ウクライナ遠征は20人の選手が帯同しフランス戦で警告を受け出場停止の Christian Daily に替わって Hibernian のフルバック Steven Whittaker が選ばれ、Aberdeen のセンターバックRussell Anderson は負傷の為遠征メンバーから外れた。そしてキエフには Scotland からのサポーター約 2,500 人が駆けつけるとの事であったが、それだけの人がキエフにサッカーのサポートに出掛け、そして Scotland の選手が Moscow のクラブチームに移籍するなんて隔世の思いだ。 Scotland をホームの国立オリンピックスポーツコンプレックスに迎えるウクライナ代表。前節はアウェーでワールドカップ王者のイタリアに 0-2 で破れただけにホームの Scotland 戦は是が非でも勝ちたい試合だっただろう。イタリア戦をインフルエンザで出場出来なかったエース、シェフチェンコはこの試合には万全の調子で臨むと自らインタビューで答えたがもう1人のFW選手 Olexiy Belik はイタリア戦に続き負傷で出場出来ず、他にも中盤の Anatoliy Tymoschuk と Andriy Husin の2人も怪我。DFの Volodymyr Yezersky は累積警告で出場不可。試合前の記者会見ではスーパーエースのシェフチェンコのコンディションに質問が集中していたが、これにはブロヒン監督も不快感を表わしていた。しかし、試合終了後に更なる怒りを露にしたのはこの試合の数日前に代表監督の契約を延長した Scotland のスミス監督の方だった。前半を 0-0 で折り返した後半の15分に Olexandr Kucher に代表初ゴールを喫した後、試合もロスタイムに入ろうかと言う時間帯 Scotland ゴール前でシェフチェンコが Scotland DF Steven Pressley に足をすくわれ転倒。スウェーデン人のHansson 主審は迷わずPKを与えその上 Pressley に Red Card を提示した。このPKをシェフチェンコは難なく決めてそのまま 2-0 で勝利を収めた。しかしこのシェフチェンコのプレーを TIMES 紙は the most flagrant dive ( 最も破廉恥なダイブ ) と表現。スミス監督は“主審はウクライナに施したのと異なる方法でスコットランドを罰した。私は土曜日の試合(フランス戦)でも感じたが、主審は英国のチームは攻撃的すぎると思っているかは知らないが、 Scotland はそうではない。 試合結果よりも警告に怒りを感じる。 Kenny Miller のシュートが(82分に)クロスバーを叩いた時はチャンスだった。そして最後に Stephen McManus を投入し同点機を求めたが、最後の退場で台無しになった。シェフチェンコは(問題のシーンで)ボールにすら触っていなかった。彼はワールドクラスの選手でクレバーだ。ワールドカップ予選でウクライナがホームゲームで負けなかった理由がわかる。対戦相手にとってここは難しい所だ。” Hansson 主審は Pressley を退場にしたのみでなく James McFadden, Darren Flecture にも警告を出し、この3選手は来年3月の Georgia 戦に出場出来なくなった。しかし、この次のアウェーのイタリア戦には出場可能なのが不幸中の幸いか?この試合の結果、 Scotland と France が勝点9で並ぶが直接対決の結果未だ Scotland が1位だ。3番手に勝点7のイタリア、ウクライナが勝点6で続くが試合数が1つ少ない。 昨年日本代表もシェフチェンコ、ボロニン抜きのウクライナ代表とここオリンピックスポーツコンプレックスで親善試合を行ったが、昔はここは(多分)ディナモスタジアムと呼ばれていたと思う。ディナモスタジアムから少し離れた所にインツーリストホテルが有り、昔そこに宿泊した事がある。そして早朝にジョギングでディナモスタジアムまで走った。幸運にもスタジアム内に続く入り口が開いていたのでトラックを数周走った。そして競技場内にあると言われていたモニュメントを探したが見付けられなかった。どこかにあるはずなのだけど。それは映画の様な話でナチス占領下のキエフで、ドイツ軍とディナモキエフの“親善試合”が行われたらしく、激戦の末にディナモがナチスを破り地元の人々を大いに沸かせたらしいが、試合終了後シャワー室から出て来たディナモの選手達をナチス・ドイツ軍は射殺してしまったらしい。そのモニュメントがここにあるらしいが、西側の人々は“これは共産党のプロパガンダだ。事実この試合を見たというウクライナ人を聞いたことが無い”と言われているらしい。 あれから60年以上。ソ連共産時代からペレストロイカそして連邦崩壊。当時は Scotland 独立運動の記事を Newsweek 誌で呼んだこともある。 時代は流れ多くの人がサッカー試合の為にウクライナにそしてウクライナから往来する様になった。 
欧州選手権予選は来年3月までお休みとなる。この組から抜け出すのはどこの国だろう? Scotland はかつての輝きを取り戻せるのだろうか….

UKRAINE (4-4-2): O Shovkovsky (Dynamo Kiev) — A Rusol (Dnipro), V Sviderskiy (Shakhtar Donetsk), A Nesmachny (Dynamo Kiev), A Kucher (Shakhtar Donetsk) — M Kalynychenko (Spartak Moscow;sub: A Vorobey, Shakhtar Donetsk, 76), O Gusev (Dynamo Kiev; sub: A Milevsky, Dynamov Kiev, 62), O Shelayev (Dnipro), A Tymoschuk (Shakhtar Donetsk) — A Voronin (Bayer Leverkusen; sub: B Shersun, Dnipro, 90), A Shevchenko (Chelsea). Substitutes not used: B Shust (Shakhtar Donetsk), O Rykun (Metalist Kharkiv), S Nazarenko (Dnipro), O Gay (Shakhtar Donetsk). Booked: Kucher.
SCOTLAND (4-1-4-1): C Gordon (Heart of Midlothian) — R Neilson (Heart of Midlothian; sub: S McManus, Celtic, 88), S Pressley (Heart of Midlothian), D Weir (Everton , G Alexander (Preston North End) — G Caldwell (Celtic) — D Fletcher (Manchester United), B Ferguson (Rangers), P Hartley (Heart of Midlothian), J McFadden (Everton; sub: K Boyd, Rangers, 73) — K Miller (Celtic). Substitutes not used: N Alexander (Cardiff City), L McCulloch (Wigan Athletic), G Teale (Wigan Athletic), S Severin (Aberdeen), S Brown (Hibernian). Booked: McFadden, Fletcher, Neilson. Sent off; Pressley.

Referee: M Hansson (Sweden).

名門 Scotland 復活なるか?

2006-10-30 | EURO Football
ワールドカップの事をどれだけの人が憶えているだろう?たった4ヶ月ほど前に事が既に数年も前の出来事の様だ。最近のサッカーを取り巻く環境を観ればある程度のお金さえ払えば UEFA Champions League に始まり イングランド、スペイン、イタリー、オランダそしてドイツといったトップクラスのクラブチームの模様がライブで楽しめる。その上、ワールドカップの興奮が終われば今度は2年後に開催される欧州選手権の予選が始まった。のっけから話題を呼んだのはワールドカップ決勝戦のと同カード、フランス対イタリア戦が早々と実現した事。そして10月には欧州各地で試合が行われた。ヒディング新監督率いるロシアや最大の話題はEngland の低迷だろう。
私の注目は Group B の Scotland だ。 このグループは大変な激戦区。ワールドカップの優勝(イタリア)準優勝(フランス)そしてベスト8のウクライナが同居する。この3カ国と同じ組にされる事自体、 Scotland のランキングの位置の低迷振りがよく判る。私がワールドカップに興味を持ち始めた当時、英国4協会と言えば母国 England よりも Scotland が隆盛であった。1974,1978年大会と連続して欧州予選を突破出来なかった England を尻目に、 1974 年は欧州予選でチェコスロヴァキアを抑えて4大会振りの出場を決め、4年後も同じくチェコスロヴァキアを抑えて連続出場を決めた。この時のチェコスロヴァキアは欧州選手権の決勝戦で西ドイツをPK戦の末に破った欧州王者であった。 
この頃の原動力となったのは74年大会ではジャディーン(Rangers ) マグレイン ( Celtic ) ブレムナー ( Leeds United ) ホールトン( Manchester U ) ウィリー=モーガン( Manchester U ) そして当時 Celtic にいた若き日のケネス=ダルグリッシュにジョー=ジョーダン( Leeds United ) マーチン=バッカン ( Manchester U ) ベテラン、デニス=ローはManchester City にいた。メンバー22人中 England のクラブチームでプレーする選手は12名いたが次のアルゼンチン大会ではその傾向はさらに顕著になり、 Manchester United からマーティン=バッカン、ジョー=ジョーダン、ルー=マカリー。大会後欧州2連覇を果たしたノッティンガム・フォレストからはケネス=バーンズ、アーチー=ゲミル、ジョン=ロバートソン。 Manchester City からウィリアム=ドナキー、リチャード=ハートフォード。そしてケネス=ダルグリッシュがリバプールの中心選手で、主要な England のクラブチームの中心に Scotland の選手が並び、この大会の Scotland 代表チームは22人中14人が England で活躍する選手だった。 特にアーチー=ゲミルは1次リーグのオランダ戦では今でのワールドカップの名ゴール特集に出て来る高速ドリブルからオランダDF2人をかわしてゴールを決めると言う同国史上最高のゴールを決めた。しかし、ゲミルは大会翌年 Nottingham Forest がChampions Cup のタイトルを勝ち取るも決勝戦のメンバーからは外され翌シーズンには Birmingham City に移籍してしまう。この後ゲミルは大西洋を渡りアメリカの NASL でもプレーをした。 また Scotland 代表も1974年大会から5大会連続して本大会に進出するも1次リーグを勝ち抜くことは無かった。その5大会中1978年アルゼンチン大会1986年メキシコ大会を除く3大会にブラジルと同組になると言う不運もあった。そして最後にワールドカップの本大会に進んだ1998年フランス大会でもブラジルと同組になってしまう。
10月8日 Scotland の Hampden Park にフランスを迎え、欧州選手権予選の試合が行われた。17年前の 1989年3月にフランスをワールドカップ予選で迎えた時は 2-0 で Scotland は快勝を収め翌年の本大会進出を確実なものにした。当時フランス代表を率いていたミシェル=プラティニ監督は試合前にピッチに立った時、地元 Glasgow の警官にそこを退く様に言われた事を今だ根に持っているらしい。当時のフランスは低迷しておりワールドカップには2大会連続で予選落ちする最中であった。しかし、この試合を最後に Scotland は France に勝てず4連敗中で、その中には2000年3月の Glasgow での敗戦も含まれている。今は完全に立場は逆転している。フランスはこの欧州選手権予選でもイタリアを 3-1 で破るなど好調だ。 Scotland が来年オーストリアとスイスで開催される本大会に出場する為にはフランス相手にこの貴重なホームゲームは落とせない。 Walter Smith 監督の頼みの綱は9月6日、カウナスでのリトアニア共和国とのアウェーゲームで負傷した Everton 所属の McFadden の怪我の回復ぶりだ。10月初旬のリザーブリーグの Sheffield United 戦では70分間プレーをした。本来なら代役となりうる Celtic の Kelly Miller がSuspension で出場出来ないので McFadden の復調は一安心といったところだっただろう。 しかし、本当にスミス監督を喜ばせたのは中村俊輔の僚友 Gary Caldwell 。67分に貴重な得点を決め Scotland に開幕3連勝を齎した。 この Caldwell は2002年3月サンドニでフランスと対戦した当時ドイツ人ベルティ=フォックツが指揮する Scotland 代表に選ばれこの試合で代表デビューを果たした選手だ。試合はフランスが 5-0 で Scotland を粉砕している。フランスのワールドカップ、欧州選手権予選のアウェーでの敗戦は1992年9月、ソフィアでのブルガリア戦以来との事。この欧州選手権予選では Georgia戦、Italy 戦と立ち上がりの20分で2点を取っていたのだがこの試合ではそうは行かなかった。 試合はスコットランド特有の風と霧雨の止まない中で行われた。失点後もフランスはチャンスは有ったがアンリを中心とした攻撃陣は最後までゴールを割れなかった。 
これで Scotland は3連勝。続くアウェーでのウクライナ戦に最低でも引き分ければ、この予選を優位に進めることが出来たのだが……. 続く 
 
SCOTLAND ( 4-1-4-1): C Gordon (Heart of Midlothian) — C Dailly (West Ham United), S Pressley (Heart of Midlothian), D Weir (Everton), G Alexander (Preston North End) — G Caldwell (Celtic) — D Fletcher (Manchester United), B Ferguson (Rangers), P Hartley (Heart of Midlothian), L McCulloch (Wigan Athletic) — J McFadden (Everton).

Substitution : Teale (for McCulloch, 58min), O’Connor (for McFadden, 72)Not used Alexander, McManus, Neilson, Boyd, Severin
Booked McFadden, McCulloch, Dailly

FRANCE (4-4-2): G Coupet (Lyons) — W Sagnol (Bayern Munich), Boumsong (Juventus ) L Thuram (Barcelona), E Abidal (Lyons) — F Ribery (Marseilles), P Vieira (Inter Milan), C Makelele (Chelsea), F Malouda (Lyons) — Ttrezeguet ( Juventus ), T Henry (Arsenal).

Substitution : Saha (for Trezeguet, 62), Wiltord (for Ribery, 73)
Not used Landreau, Clerc, Escudé, Diarra, Squillaci
Referee: M Bussacca (Switzerland).

関塚監督 お願いです福岡とセレッソにも...

2006-10-29 | 京都サンガ J-League
後半に入り選手がピッチに出て来るがその前にNHKはフロンターレ関塚監督にインタビュー。前半、リードはするが押される時間が長かったのでは?両ボランチが抑えられて苦しかったのでは?の問に“予定通りの展開。押されているように見えても最後の決定機は作らせなかった。”と余裕と言うよりも自身を持って答えた。関塚監督は千葉県八千代高校の出身。高校時代は郡山インターハイでチームを準優勝に導き、冬の全国高校選手権大会ではチームをベスト4に導いた。後に早稲田大学を経て日本リーグ本田技研に入社し1年目で11得点を挙げて新人王に輝いた。だが1979年のワールドユース大会では最後の方でメンバーに入れず、日本代表で活躍する事は無かった。しかし、さすが早稲田と思わせるような理論的な話のしかたは指導者には最適であっただろう。それが今のフロンターレの快進撃を証明している。受験戦争激戦の当時、サッカーがいくら上手くてもそれだけでは早稲田には入学できなかった時代だった。 そして最近になって千葉県の宮本中学出身とわかった。わたしの母校高槻九中時代の同級生が全国大会に出場したときに対戦した中学だ。(もちろん私より年上の関塚氏は対戦していない。) 後半の立ち上がりはフロンターレが押す展開だ。50分、ペナルティーエリア付近でボールキープをする谷口に粘られ、大久保が思わず倒してしまう。そしてフロンターレ絶好の位置でFKを得る。そこにはマルゴン、マギヌンそして中村憲剛がボールを囲むが、中村が放ったシュートはクロスバーを直撃する。ほっと胸をなでおろす。その直後にはカウンターから左サイドから谷口に入れられ、処理をしようとした手島が転倒しはっと思わせられたがGK平井が掴む。ゴール前にサンガはラインをやや下げたのでフロンターレFW陣の侵入を許す時間が続く。だが53分から左サイドの渡辺の突破からフロンターレゴールの迫るシーンが見られる。ここは選手交替でFWの数を増やして… と思うと、ベンチ脇で田原が美濃部監督、松永コーチと話をしているところが映し出される。この日の美濃部監督は早い動きを見せようとするのか…と思うと、逆襲から抜け出したジュニーニョへのGK西村のチャージがファールに取られた上にイエローカードを提示される。サンガの選手が詰め寄る。美濃部監督もベンチから大声で抗議をすると、着席を促される。確かに西村はジュニーニョにぶつかって行ったが、その前にジュニーニョもあれだけ足を高く上げて突進しているので、この判定は??と思わせられた。それでなくてもこの日の柏原主審の判定は京都に辛い様に思えてならなかった。サンガは選手交替を試みると失点を喫してしまう試合が続いていた。この試合もか…と思うと、何とジュニーニョがPKを外してくれた。まだ幸運は残っている。田原と加藤が、小原と角田に替わって投入された。加藤は右サイド攻撃、そして田原は前線でポストに囮にそして自らのシュート力と期待できる。加藤は右サイドをよく疾走して好機を作るが、田原がゴールマウスの外側でボールを得ることが。もっと中に入ってそこから起点になって欲しいのだが。関塚監督は72分、マルコンに替えて井川を投入し、森を左サイドに移し井川を森のいた右サイドに入れる。これは加藤のマークと共に、加藤の背後を突くという方策だ。だが74分、京都はこの日最大の絶好のチャンスを迎える。パウリーニョが無人の左サイドを上がると後方からロングフィードがドンピシャのタイミングでパウリに送られる。遮るのはGK吉原のみ。その吉原もかわして無人のフロンターレゴールへ…..と思った直後、パウリのショートが揺らしたのはサイドネットだった。天を仰ぐパウリーニョ。この日等々力に駆けつけたサンガサポーターを含め、テレビを見ていた私を含めたサンガサポの何万人が同じ思いをしただろう。ひょっとするとシーズン後の結果を左右するシュートミスになるかも…泣き出しそうな気分だった。フロンターレはエースの我那覇が下がって黒津が投入され、守備固めに入る。まだ15分あるのだが。1997年ワールドカップ予選で呂比須を下げたあとに韓国が2点を取って逆転した。今度は同じ事を京都が…と思う。76分のパウリーニョの強烈がミドルは惜しくもGK吉原にセーブされる。その直後のCKのチャンスから加藤のアーリークロスから大久保が惜しいシュートを撃つ。80分にはワンツーから田原が抜け出てボレーを放つがやや勢いが無くGK吉原が難なくキャッチ。82分にはDF大久保が下がり美尾が入る。途中経過では福岡もセレッソもリードしている。引き分けどころか勝点3をとるしかなくなってきた。だが、85分中村憲剛にドリブルで持ち込まれ絶妙のスルーパスがマギヌンに通り、ゴール正面からとどめの2点目を入れられた。 呆然と見送るサンガイレブン、サポーター、そして俺。 残りのロスタイムを含めた約8分間、サンガFWも何度かゴール前に迫ったが得点を期待する気力は私は失せていた。そしてタイムアップ。フロンターレサポーターの声援と関塚監督の快心の表情。 いよいよサンガは崖淵に立たされた。試合終了後、田原を始め何人かのサンガ選手は正面観客席下に座り込んでしまっていた。フロンターレと言うよりも、この日勝利を収めたセレッソ、福岡との違いは何だろう?直接対決ではけっして負けていないのだが…. 残り5試合。頼みはこの日の対戦相手フロンターレが31節で福岡に最終戦でセレッソに勝ってくれる事を祈るか….. この際残り5試合、ジダンに特別にはいってもらうしかないか?サンガのスポンサーなら金はあるぞ…. ??

愛するサンガ 残留の灯は残るか....

2006-10-29 | 京都サンガ J-League
東京都の立川駅と神奈川県川崎市の間を結ぶ約35.5km の鉄道JR南武線。起点の川崎駅から7つ目の駅、武蔵中原駅から徒歩15分のところにある等々力陸上競技場。今はどれだけ陸上競技の為に使われる事があるだろう?Jリーグ創設時は“ベルディ川崎”のホームグラウンドとして試合の度に超満員札止めであった。しかしベルディが東京に去った今、ここはフロンターレ川崎のホームグラウンドとして名が通っている。カズや北澤、武田、柱谷弟がここで満員の観衆を前にプレーしていた事が遠い昔の様だ。1998年から1年半ほど、この近くに住んでいたことがある。ここの東急東横線、そして東急田園都市線も走っており交通の便利はいい街であった。当時から駅前の商店街には“頑張れフロンターレ”のポスターや垂れ幕が貼られており“いつかベルディより人気が出るだろうな”と思っていた。しかし、ベルディを上回ったのは人気だけでなく実力もだという事は当時想像できなかった。1998年、あの歴史的なJリーグ史上初の“入れ替え戦”にアビスパに惜敗しJ1昇格は1年お預けとなったが、その試合結果より“何故アウェィの福岡でしか試合をさせて貰えないのだろう?”とそちらの方が気の毒に思った。そして8年が経ち今や優勝を争うチームになった。2000年は京都サンガと歩調を同じにJ2に降格し、以降4シーズンJ2で過ごす事になったがサンガが2度目に降格した2004年のシーズンは圧倒的な強さでJ2を制し5年ぶりにJ1に昇格。愛するサンガの昇格はされに1年待たねばならなかった。
10月28日の等々力競技場に我が愛する京都パープルサンガが遠征し首位争いをする川崎フロンターレと対戦した。2004年のJ2での戦い以降、両者の力関係は逆転し、方や優勝争いそして我がサンガは降格争いと対照的だ。だが1998年相手は異なりベルディ川崎との対戦とは言え当時首位を行くベルディを相手にサンガは堂々のサッカーを披露し勝利を収めた。この試合を私は競技場で観戦している。自身“等々力は縁起のいい場所”と勝手に決め付けていただけにこの試合は期待をしていた。サンガはDFの斉藤が累積警告で出場停止。3バックのDFラインは手島をセンターに左に児玉、右に大久保の3バックに中山、石井のボランチ。川崎の強力攻撃陣ジュニーニョ、我那覇そして2人を操る中村憲剛を阻止出来るか?2列目は右から角田、中払、渡辺。角田はここ数試合動きがよく、還ってきた中払も悪くはない。渡辺も攻守に頑張っているので期待は出来そうだった。2トップはパウリーニョに前節大分戦に続いて先発の小原は京都ユース出身。美濃部体性になり徐々に良くなってきた、特に連動性が出て来た攻撃陣、何とか2点以上を獲ってくれと期待する。
キックオフからサンガが優勢に試合を進めてくれる。相手のスペースを消し、パウリーニョが裏をとる動きをする。4分には中山の飛び出しからスルーを受けた小原が惜しいシュートを放ち、7分には中払が早いドリブルでペナルティーエリア内に侵入しそのままシュート。ここ数試合と言うよりも、美濃部イズムを浸透?させた動きを見せる。10分にはテレビの左隅に同時刻にヤマハスタジアムでスタートした試合で磐田が浦和を2-0でリードと紹介される。NHKのアナウンサーは“首位争いをする川崎にとってこの途中経過は….”と述べだすが、こちらは福岡、セレッソの途中経過を知りたいのだが…. 16分フロンターレは川崎は我那覇のポストプレーから左に流れたマギヌンがグラウンダーのセンタリングを入れるがそのまま右サイドの森に転がり、森がクロスを入れ、走り込んだマギヌンに頭で合わせられるが何とかコーナーに逃げる。相変わらずサンガDFは相手の早い展開にはマークがずれる。それでも22分には角田のロングフィードを受けた左サイドの渡辺がやや遠目から頭で直接狙い、24分には前線の5人が連動性を見せ最後はパウリーニョのロブに中山が反応しそれぞれ惜しいシーンを作る。中盤では森に渡辺がそして中村憲剛には兎に角近くにいる者がタイトなマークに着き自由にさせない。森勇介はかつて京都に在籍した選手。あぁいい選手だなぁ… 35分にはパウリーニョがやや左側でボールを受け、後ろの中払に戻すと中払は粘って中山に。中山はワンタッチでパウリーニョに返しパウリは再び上がってきた中払に戻すとそのまま右サイドの角田に。そしてペナルティーエリア近くに走り込んだ小原にボールが渡り小原はそのままDF寺田を背負ってシュート。惜しくもファーポストの左側に外れていったがそこにもパウリーニョが詰めており、素晴らしい連動性、そしてパスアンドゴーを見せたシーンであった。これはいいぞ、先制点の予感がするぞ。と期待をするも、その先制点は川崎に入ってしまった。38分手島のジュニーニョへのチャージがファールに取られ、そのFKを中村がゴールマウスに入れる。大久保がよく競ったがそのこぼれ球をそのまま我那覇に頭で押し込まれて先制点を喫した。我那覇はこれで16点目。播戸、中村寿人と並んで日本人FWのトップ(後に佐藤が1点を決めて17得点とした。) あれだけ主導権を握りいいサッカーをしていたのに、セットプレー1発で得点を許してしまった。それでも43分には小原が谷口に倒されゴール前のいい位置でFKを得た。しかし、パウリーニョが直接狙うも壁に当たってゴールに届かない。そして前半が終わった。控え室に戻る直前の美濃部監督は“後半は選手交替を含めて攻撃的に布陣を変えていく”とインタビューに応えた。つづく... 

川上憲伸 それでもセントラルのエースだ !!

2006-10-27 | プロ野球
4回を三者凡退に切って取った川上憲伸だが5回は先頭打者の稲田に2塁打を浴びるが打たれたのは得意のカットボール。中堅手英智は一旦前に出て慌てて後ろにさがったが追いつけず、それだけ打球が伸びるほど痛烈に打ち返されたのだろう。シリーズ無安打の稲田に長打を喫する事がこの日の川上の調子を物語っていたか? 続く鶴岡は容易に送りバントを決め、第2戦、山本昌から逆転打を放った金子を迎える。ここで金子は 2-1 からの4球目をヒッティングの構えからスクイズを。川上懸命のバックホームは及ばず、日本ハムは小技を織り混ぜて同点とした。 何とか川上がマウンドにいる間に再リードをしたい中日は直後の6回表、先頭打者の森野が外角シュートを左翼に打ち返して出塁すると、代打川相が“バントはこうするんですよ”とばかりにきっちり決めて森野を2塁に送る。かつてはジャイアンツに無くては成らない存在だった川相が紆余曲折を経てドラゴンズにやって来て3年目。彼も日本シリーズ初打席で有終の美を飾れたと見ていて胸が熱くなる。 しかしダルビッシュは谷繁、英智をスライダーで連続三振に討ち取る。ストレートが今一と見ると今度はスライダーで攻めるとは、これは捕手鶴岡のリードが冴えたか? 味方打線が連続三振に切って取られるのを目の当りにし、“ならばもう1点もやらん”とマウンドに登っただろうがもう肩にその力は宿っていなかったのだろう。先頭の田中賢にはストレートを打たれて出塁を許すともう、バッテリーは“決め球にストレート”の選択肢は捨てただろう。小笠原の打席の間に盗塁を決められ、小笠原はフォークで内野ゴロに抑えるが田中賢は三塁に進む。これでセギノールは“犠牲フライでも良い”楽になっただろう、しかも川上のストレートは失速してきていた。セギノールには内角球を続けるが全て唯一の頼みのカットボール。そしてついに1-2からの4球目のカットボールをライトスタンドに運ばれた。大歓声の札幌ドームの中でエース川上憲伸は何を思っていただろう?今シーズン、中4日は1回あったらしいがシーズン投球イニング数 215回は自己最多だったらしい。ジャイアンツの内海(194回) パウエル ( 187 1/3 ) 上原 ( 168 1/3 ) と比較すると立派な数字だがかつて“手抜き”と言われた江川卓でさえ240回は投げていた事を考えれば近年のエースたちに物足りなさを感じるのは私も歳を取った証拠か? しかしこのシリーズ合計12三振を奪って力投した川上憲伸を攻めるドラゴンズファンはいないだろう。試合後彼に与えられた“敢闘賞”は当然の選出だろう。彼こそセントラルのエースだ。上原来シーズンは頼むぞ??
それでもまだ2点差。中日の勝機は残っていたと思う。7回の日本ハムの攻撃を今季も50試合以上登板した(57試合登板)平井、そして久本の2人がかりで0点に抑えた後の8回表1死後ベテランの立浪がダルビッシュのストレートを打ち返しこの日、中日打線8本目となる安打を浴びせた。ここでヒルマン監督は岡島を昨日に引き続き投入。元ジャイアンツの岡島はこれでシリーズ3連投。スライダーで森野を併殺に打ち取り第3戦同様価値あるワンポイント(この場合は2ポイント)を全うした。 確かに森野はシーズン規定打席にも達して .280 を記録し、この日も2安打と当たっていたが左の岡島に対してバントで揺さぶって少なくとも立浪を2塁に送るという方策は取れなかったか?次は上田であった。かつて甲子園を沸かせた松商学園出身の上田佳範。昨シーズンオフ日本ハムを解雇され中日にテスト入団した彼はこのシリーズ古巣を相手に意気込みも違っただろう。結局無安打に終わったが、上田でなくても代打もいただろう。その次はバットの振れていた谷繁だった。ここで1点を返せばまだ同点に追いつくこともあったかもしれない。そうすれば8回裏に稲葉にとどめの1発を浴びずに済んだかもしれない。 しかし、全ては私の勝手な憶測。一番近くにいた指揮官の判断が正しかったのだろう。
ただこの日の残塁8は日本ハムのそれより2つ上回ってしまった。シリーズの戦い勝敗を表している気がする。
最後に今シーズンを最後にアメリカに帰ってしまう“優勝監督”のヒルマン監督の“シンンジラレナ~イ”をアジアシリーズでもう一度聞きたい。 そして来年はジャイアンツがこの舞台に…. 立てるかな? 

新庄劇場 ここに完結

2006-10-27 | プロ野球
見慣れないと言うよりも初めて見た光景であった。昨夜の札幌ドームは最後の打者アレックスの外野への飛球を左翼手の森本が掴みゲームセット、歓喜の輪がマウンド上で作られるところまではお馴染みの光景であったが、続いて“慣例”となった優勝監督の胴上げは行なわれず感涙にむせぶ新庄の胴上げが始まった。続いて主砲の小笠原を始め何人かの功労選手の胴上げが続き、ようやくヒルマン監督の胴上げが始まった。 思えば最後に主役の座に着いたのは新庄だった。8回の最後の打席、まだ試合はおろか自分が討ち取られても自軍の攻撃が続くと言う状況で感涙にむせんだシーンは1987年の日本シリーズで優勝まであと1人となった時点で1塁手の清原が泣き出しシリーズの主役の座を奪ってしまったが、この日の新庄はその上を行っただろう。何年も経ってこの年の日本シリーズを述壊する時と言うよりもこのシーンを思い出したときに“あれは2006年の日本シリーズ最終戦だったなぁ”と思うことだろう。 ジャイアンツファンの私から見ても新庄は魅力的な選手だった。俊足、強肩、非常に“アスリート的”な選手だった。 衝撃的な“1軍デビュー”の年となった 1992年のシーズンは優勝した1985年以降低迷するタイガースをAクラスに押し上げる原動力の一つでもあった。しかし、それ以降は熱狂的なタイガースファンの期待に充分応えられた年はあっただろうか?ジャイアンツファンの私から見れば“頼もしい存在”ではあったが。だが私でさえ“ちょっと酷いな、可哀相だな”と思うシーンがあった。新庄自身“死んでも忘れられない”と語る1997年のオールスター戦だ。打率,220台と低迷するもののファン投票で選出され、当然試合にも出場するが待っていたのはセリーグ応援団からの辛らつな“応援ボイコット”おまけにペットボトルまで投げつけられた。テレビで観ていた私は“虎キチ達よ、そこまでするのか?何故かばってやらないんや?”と口に出した。
同年の夏に会社の先輩に甲子園球場の阪神対巨人に連れて行ってもらった事があった。座ったのは右翼側外野席、しかも前から3列目のタイガース応援団の陣取るところ。試合は桧山の逆転2ランでタイガースが勝利を収めた。殊勲の本塁打を放った目の前の右翼を守る桧山には終始大声援が送られたが、中堅を守る新庄へは厳しい野次が飛んだ。当時よく見せていた“ジャンピングキャッチ”をすれば、“格好つけんて落としたらどないすんねん?”と、バットを握っても凡退を繰り返す度に“どこ見てふっとるんじゃ?”と。結局ノーヒットに終わった。
1995年のシーズンオフに一度引退表明をした時、球団事務所に向かう彼に虎キチ達は“新庄!! 辞めるなんて言わんといてくれよ!! “ と声を送っていたのだが。 メジャーリーグ挑戦を決心したのもこういったいきさつが関与していると思う。 それだけに初めての日本シリーズで溌剌としたプレーを見せ最後は有終の美を飾ることが出来て本当に良かったと思った。

背水の陣で迎えた第五戦。先発マウンドの川上憲伸の心中はどうだっただろう?中日というよりも今やセントラルのエース、エース中の大エースとも言える川上はドラゴンズファンの期待を背負っての登板だっただろう。初回先頭打者の森本を三振に討ち取ったが続く田中賢、小笠原に連打された。打たれたのはいずれもストレート。4番のセギノールはストレートを詰まらせてセンターフライに討ち取るも続く稲葉は得意のカットボールを見送られて歩かせた。結局続く新庄をカーブで三振に切って取り無失点に抑えたが、ストレートを打たれるのは伸びが今一そして、得意のカットボールを見送られるのは切れがもう一つと苦しい立ち上がりだ。しかし、2回から4回までパーフェクトに抑えたのはさすがだった。気になったのは3回に田中賢に145kmのストレートを痛烈に打ち返された事。やはりストレートは一伸び欠けていたか? 一方、日本ハム先発のダルビッシュ。初回1死後井端にスラーダーをセンターに運ばれ出塁させるが続く福留をストレートで併殺に討ち取る。2回はウッズ、森野にストレートを弾き返され1死1,3塁のピンチを招くと今度はセカンドの田中賢(続く井上の打球)、サード稲田(谷繁の打球)がそれぞれ難しい内野ゴロを捌いて後続を断つ。3回は2死1,3塁で打席にウッズを迎え、三遊間に深いゴロを転がされるも遊撃手金子がファインプレーで好捕し福留を間一髪セカンドで封殺した。日本ハム内野陣の鉄壁の守りはこの日も健在だ。それでも4回に中日は先制点を挙げる。先頭の立浪がフォークを上手く打って出塁すると続く森野は送りバントを決める。3回にも荒木が送りバントを決めるなどこの試合の中日はようやくバントが決まるようになった。2死後谷繁、英智には共にストライクが入らず歩かせ満塁で不振の荒木を迎えた。カウント 2-1 からの4球目、打球は小笠原の右を襲う。一旦は小笠原が抑えるがファーストミットから打球がこぼれ荒木は執念のヘッドスライディングを見せ立浪をホームに迎え入れた。不振の荒木の執念を見たが、小笠原も落ち着いて処理をすればアウトに出来なかったか?しかしここからダルビッシュが力を見せる。尚も満塁のピンチに続く井上を力のあるタマでライトフライに討ち取り失点を1で留めた。 しかし、中日にとっては21イニング振りの得点。マウンドに向かう川上憲伸は荒木のヘッドスライディングに男意気を感じただろう。そしてドラゴンズファンは川上の更なる快投を期待しただろう。 つづく

ドラゴンズ 巻き返しなるか?

2006-10-26 | プロ野球
守備の差
第2戦日本ハムが逆転をした直後の7回裏1死1、2塁で代打立浪のうった打球はショートの金子がうまく捕り1塁走者を封殺し、失点を防いだがこの内野ゴロはバウンドが高くそして緩い難しい当たりで、内野安打になってもおかしくなかった。それを容易に処理した金子のプレーはその前の自らが放った逆転打と同じくらい貴重なプレーであった。そして第3戦8回表1死で打席に立った井端の打球は一塁線を襲うが小笠原の美技が長打を防いだ。本拠地に還り、セギノールがDHに戻った事からシーズン中同様に一塁を守る事になった小笠原のファインプレーであったが、小笠原がナゴヤドームで無安打に終わったのは慣れない3塁の守備に着いたのと無関係ではないだろう。 一方の中日、第2戦の7回表、稲葉の当たり損ねのゴロを捕手の谷繁が1塁に悪送球、第3戦は同じく谷繁が初回、田中賢のバントを2塁に送球して野選としてしまい、それぞれ失点に繋がった。未だシリーズ無失策の日本ハムとの星の差はここからも生じていると言えるだろう。

継投 監督采配
最近は投手分業制が確立しており完投をする投手が少なくなった。それだけに継投策は監督手腕の見せ所。しかし中日の継投は当たらない。第2戦は先発山本を引っ張り金子に逆転打を喫したのは仕方ないとしても、8回表から登板した3番手岡本がスギノールに駄目押しの2ランを浴びた。第3戦では2回以降好投を続けた朝倉の後を継いだ左腕小林が左打者の小笠原に初球をぶつけてしまい1球で降板。その後を受けた中里はセギノールを三振に切って取ったが続く稲葉に3ランを浴びた。第4戦は4回まで好投していた中田に替えて左腕の石井を投入したところ左打者の小笠原、稲葉に痛打され追加点を喫した。特に第3戦の8回裏、1死1,2塁のピンチに登板した中里はすばらしい速球でスギノールを三振に仕留めた後、何故か落合監督はマウンドにまで足を運んで間を取った。落合監督がどんなアドヴァイスを与えに行ったかは不明だが、そして結果論かもしれないが、中里のストレートを見ればそのまま稲葉を迎えた方が良かったのではないか?稲葉には初球カーブで入りそれをスタンドに運ばれている。ボールダマでも良いからストレートで入らなかったのはその前に一呼吸あったからではないか? 第2戦以降も中日の先発陣、山本昌、朝倉そして中田と相対した日本ハムの先発投手よりも出来は良かっただけに2番手投手以降の出来が悔やまれる。 一方日本ハムの投手リレーは見事の一言。特にセリーグ本塁打王のウッズ対策は万全であった。第2戦では2三振に切って取り、第3戦では初回1死1塁からそして6回は無死で2塁打の福留を背負って先発の武田がそれぞれ三振に討ち取った。第4戦は第1打席、2打席目と歩かしたが後続の立浪を抑えて失点を防いでいる。私的に目に着いたのは元ジャイアンツの岡島の好投。第3戦は福留を3球三振に討ち取りワンポイントリリーフを完璧に全うし、その裏の追加点が生まれ第4戦は7回表無死1,2塁のピンチに登板。前日に続き福留を三振に討ち取り後に立浪を歩かせ満塁としたが後続の森野を抑え、前日に続きマイケルに繋げる役目を果たした。ジャイアンツ時代はあんなにコントロールが良かったか?

試合の流れ 好運不運
試合の流れは完全に日本ハムのもの。しかしそれは偶発的に生じたものでなく日本ハムベンチの采配が招いたもの。注目された金村の謹慎明け登板は第4戦になり第3戦の新人武田勝の先発はシリーズ直前に伝えれれたと言うが、もしこの登板が逆になっていたらどうなっただろう?3戦が終わってもし日本ハムの星勘定が悪ければ(1勝2敗、または3敗)第4戦は新人投手では荷が重過ぎる。ここでエースの金村をと考えたローテーションだっただろう。また第2戦の同じルーキー八木の好投も武田に刺激を与えただろう。一方の中日はやや幸運に見放されているか?第4戦の6回表二死満塁の好機井上の放った痛烈なライナーは数センチの差でファールとなり結局次の球を空振りしてしまい、三振に倒れたがこの時マウンド上のトーマスが投じたピッチはインコースの低めでその前に痛打されたところから沈んだ球。捕手中島の構えとは逆でもう数センチ高ければ確実に捉えられていた危ないコース。 数センチの差が明暗を大きく分けている。

ドラゴンズファンとしては文字通り“祈る気持ち”で今夜の川上憲伸の快刀乱麻を期待しているだろう。だが舞台は“新庄劇場”ダルビッシュが八木、武田勝の好投に刺激され従来の力を出されれば今夜札幌で“シンジラレナィ”を聞けるかもしれない。

北海道ファイターズ 王手

2006-10-26 | プロ野球
北海道ファイターズ3連勝で王手 !!

25日札幌ドームで行われた日本シリーズの第4戦、地元で連勝した日本ハムが 3-0 で中日を破り第2戦から3連勝でタイトルに王手をかけた。この日の中日打線は先発金村に始まりトーマス、建山、岡島そして Michael と日本ハムの繰り出す5投手の前に無得点。点が取れないのでは勝てない。26日の第5戦は恐らく中4日でエースの川上が出て来ると思われる。点が取れないのなら点をやるわけには行かないとばかりに、セントラル投手陣を代表する川上の完封を期待するしかないか?
我が愛するジャイアンツが日本シリーズに出なくなって久しい、そう、もう4年も経つ。小学生の時は毎年ジャイアンツがリーグ優勝をして日本シリーズも勝ち川上監督が胴上げされ、シーズンが終わるという事が“当たり前”と思っていた。1974年にジャイアンツの V10 が中日に阻止された時は本当にショックだった。その後22シーズンで11回ジャイアンツは日本シリーズに進出しているが、歳とともにジャイアンツなしの日本シリーズを容易に“受け入られる”様になってしまった。 そして最近ではジャイアンツ抜きのシリーズは第三者的な立場で楽しめるようになってしまった。 かつてはジャイアンツの V10 を阻止した中日、今回は6回目のシリーズで日本一となれば1954年以来の快挙となる。初戦はエース川上の好投で日本ハムを 4-2 で破ったが以降3連敗を喫し、52年振りの快挙も黄信号が灯り始めた。この3連敗の原因は何だろう?

バントが成功しない
日本シリーズの様な短期決戦では1点を確実にものにする戦術に重きを置かれる。日本ハムは今シーズンは送りバントの成功数155と前季の2倍近くになったらしく、それが優勝の要因のひとつとも言われている。中日のシーズン中の送りバント成功数は知らないが、落合が監督に就任してらい緻密な野球が随所に見られるようになったが私の中日の印象は“豪快に打ちまくる野球”。このシリーズを見ているとその“豪快な野球”の短所ばかりが目立つ。第2戦 2-1 と中日リードの5回裏無死1,2塁で打席に立った投手の山本昌のバントは日本ハム先発の八木の攻守もありセカンドランナーが封殺され、追加点の好機を逃し、逆転された直後の7回裏ヒットで出塁した先頭打者のアレックスを井上はバント失敗で送れなかった。一方の日本ハムは第2戦はシリーズタイ記録の4犠打を記録。特に2番の田中賢はバントを2つ決めセギノールの適時打(初回)と8回の駄目押しの2ラン本塁打を呼んだ。 第3戦も田中賢は初回と8回にもバントを決め得点に結び付けているばかりか、破れはしたが初戦も3回に送りバントを決めセギノールの適時打で森本を生還させている。シリーズでの通算犠打も6としシリーズ記録となったが、今季リーグ最多34儀打を記録したその実績をいかんなく発揮している。第3戦までの日本ハムの合計9犠打は1990年の西武以来のシーズンタイ記録。1990年の西武はジャイアンツを4タテしたシリーズだ。

1,2番の低打率
日本ハムは1番森本が4試合を通じて打率.467、6得点と好調でリードオフマンの役目を全うしており、2番田中賢も上述したとおりだ。中日は1番荒木、2番井端がさっぱりだ。第4戦こそ井端は2安打を放ったが第3戦まで共に11打数1安打ずつ。第4戦を終えて荒木が15打数1安打 .067 井端が16打数3安打 .187 特に荒木は第3戦の5回表、先頭打者の井上が内野安打で出塁しながら強攻策に出て併殺を喫し得点に結び付けられなかった。4回裏、日本ハムの攻撃では先頭のセギノールを歩かせたが続く稲葉を併殺に討ち取り後続を断った直後だっただけにここは確実に送る方策は取れなかったか? 
第4戦も1点のビハインドを追う5回表、先頭打者の井上が2塁打で出塁しながら、後続の荒木、井端が強攻策で倒れチャンスを生かせず、逆にピンチを切り抜けた日本ハムがその裏に追加点を挙げる事となった。 続く

Australia draw with Paraguay

2006-10-09 | Aussie & Kiwi
10月7日 Brisbane の Suncorp Stadium にSocceroos はパラグアイ代表をむかえ親善試合を行い、1-1 で引き分けた。0-0のまま進んだ試合は終了2分前に Marco Bresciano からのFKに Tony Popovic が頭で合わせて先制。そしてロスタイムに入る直前に Popovic そして同じく代表最後の試合となった Kalac が下がり、 Beauchampそして Schwarzer が投入された。この試合にはStan Lazaridis, Tony Vidmar らベテラン選手もスタメンで起用され、ベテラン Socceroo 達の代表最後の試合を飾るにふさわしい幕切れに見えた。しかし、ロスタイムも終わりかけた92分、パラグアイの途中出場選手 Cabanas (ワールドカップメンバー。しかし出場機会は無かった。)のクロスをパラグアイFW Cardozo と競ったBeauchamp が自軍ゴールに入れてしまい、そのままタイムアップ。勝利で飾る事は出来なかった。しかし、ベテラン選手達のこれまでの功績を称える拍手と大歓声が彼らの花道を飾った。またパラグアイも、代表出場数100以上を誇り、ワールドカップも3大会連続で出場したGamarraもこの試合で代表を引退すると報じられている。この試合のメンバー(オーストラリアだけですが。)等は以下の通り。

Match Details
Australia 1 (Tony Popovic 88’)
Paraguay 1 (Michael Beauchamp OG 92’+)
Australian line-up: GK: Zeljko Kalac ( Schwarzer 91’), Lucas Neill (capt), Tim Cahill, Tony Vidmar (Jade North 72’), Tony Popovic (Michael Beauchamp 91’), Brett Emerton, Josip Skoko (Jason Culina 60’), Stan Lazaridis (Archie Thompson 50’), Vince Grella, John Aloisi, Marco Bresciano (Mark Milligan 93’+)
Subs not used: Alex Brosque, Ante Covic (gk), Travis Dodd, Mile Sterjovski, Luke Wilkshire
Cautions: Cahill (55’), Culina (75’)
Referee: J. Kashihara (Japan)

日本の柏原さんが主審を務めたのですね。

この試合の4日前の10月3日、地元紙に Hiddink did me no favours と言う見出しが載った。代表GKの Schwarzer がHiddink 前監督の起用法に就いて批判していた。Socceroos には Schwarzer と AC Milan の控えGK Kalac がいるが、Hiddink の cat-and-mouse approach ( もてあそぶ様なアプローチ)によって勃発した正GK争いはワールドカップ前の焦点のひとつでもあったらしい。 そしてワールドカップの各試合前にSchwarzer と Kalac は常に tenterhooks に架けられたとの事。 Tentoerhook とはテントを張るフックでまぁ両天秤にかけられ続けたと言う事か?試合開始数時間前に起用を告げられていたらしい。 Schwarzer が言うにはGKの心理を考えれば24時間前には伝えるべきだと述べ、“Hiddink は man-management の skill に欠けている”ともコメントしている。前ドイツ代表監督、クリンスマン氏は大会前に早々とレーマンを正GKに起用すると発表していたが。 そしてグループリーグ最終戦のクロアチア戦では kalac が先発出場し、彼のミスで一時は 1-2 とリードを許した。これについては Schwarzer も同情的で“(AC Milan で控えGKの ) Spider ( Kalac のニックネーム)は18ヶ月間も実戦から離れているのでミスは仕方ない”と同情的。だからもっと早くスタメンを告げろと言うのは理に適っていると思う。もし、キューウェルの同点ゴールが生まれていなかったら、Hiddink の評価はどうなっていただろう?
また10月5日の Sydney Morning Herald 紙には Popovic のコメントも寄せられているが、こちらは Hiddink 前監督には好意的なコメントだ。2005年のコンフェデレーションズ杯ではドイツ戦で出場を果たした、翌年、ウルグアイとのプレーオフではHiddink 監督が4バックから3バックにシステムを変更しながらも右サイドバックで起用され、32年ぶり本大会出場に貢献したが、その前の3ヶ月間は怪我のため所属先のCrystal Palace でもほとんどプレー出来なかった。そして予選終了後もふくらはぎを痛め代表入りも危ぶまれた時期があったが、何とか怪我を克服しワールドカップメンバーにも選ばれ、本大会ではブラジル戦に出場した。怪我で最終予選、本大会前は所属先で満足にプレー出来なかったにも関わらず選んでくれたと、Hiddink 前監督には感謝をしている様だ。
大会後、カタールの Al Arabi に移籍をした Popovic は“アジアを甘く見るな”と言うコメントを残す。先日アジアカップ予選で遠征したクウェートがそうであった様に(中東では)午後8時半でもまだ高温が続く、アジアでの戦いは常にいいコンディションでの戦いばかりでは無い、と言う事を言いたい様だった。代表を去り行く彼の置き土産の1つだろう。

去り行くベテラン選手達は過去、日本と結構対戦している。1994年、あのマラドーナが薬物使用の前科から法務省が入国ビザを発給しなかった為、来日をキャンセルしたアルゼンチン代表に替わってキリンカップの為に来日したメンバーには GK カラッチが途中出場をしており、トニー・ヴィドマーもスタメンで出場している。また同年9月、翌月から広島で開催されるアジア大会への強化試合としてオーストラリア代表が招待されカラッチ、ヴィドマーに並んでスタン・ラザリディスもスタメン起用されている。1996年には日本代表がオーストラリアに遠征しWollongong, Melbourne で計2試合行い、ポポヴィッチが2試合ともスタメン。そして Melbourne の試合ではケビン・マスカットが途中出場をしている。確か、メルボルンの試合はビデオを録っていたと思うなぁ。そして2001年、憶えている方も多いだろう。横浜国際総合で行われたFIFA コンフェデレーションズ杯。そのメンバーは下記の通り。
GK シュヴァルツァー、DF ケビン・マスカット、クレイグ・ムーア、トニー・ヴィドマー、トニー・ポポビッチ、MF ポール・オコン、スタン・ラザリディス、マルコ・ブレッシャーノ(60 マイル・ステリョフスキー)、スティーブ・コリカ、スコット・チッパーフィールド ( 60 ジョン・アロイージ ) FW デヴィット・ズドリリッチ( 70 アーチー・トンプソン )
殆どが2006年のワールドカップ代表メンバー。この試合は豪雨の中、中田英寿のFKで日本が勝った。この試合の日本代表メンバーで先のワールドカップに出場したのはGK川口, 中田浩二、小野、稲本、中田英の5名。
今から考えれば、彼らの方が対戦相手(日本)をよく知っていた、ということにならないかな???
11日にはシドニーでバーレーンとアジアカップ予選最終試合が行われる。 今度はどんなメンバーで来るのか?

第26節 サンガ順位を下げる...

2006-10-08 | 京都サンガ J-League
会社を出たのは午後7時少し前。外は土砂降り。“先週末の週間天気予報は当たったなぁ”と思いながら帰途に就く。途中何度かIモードで試合の途中経過を探る。あぁ、大宮が先に点を入れたか… ピッチコンディションはどうだろう?選手達の足元は大丈夫かな?と。最寄の駅に到着するが雨足は弱らない。風もある。こんな状態なら家内に迎えになんて頼めないのでタクシースタンドに。そこには5人ほどタクシーを待つ人達が。あぁ早く来ないかなぁ?しかし10分程度待ってもまだ来ない。雨足と風はさらに強くなる。タクシー会社にとって商売繁盛の天候だ。どれだけ待たねばならないのだろう。 しかし、1台来ると、立て続けにタクシーはやってくる。ほっと胸を撫で下ろして乗車。それでも時計を見ると20分は待ったことになる。タクシーに乗った、と自宅にメールを送ってIモードで途中経過を調べると、あぁ後半に入っているのに未だ 0-1のままだ。家に入ると玄関には子供の通学用の運動靴が新聞でくるまれている。“びしょ濡れで帰ってきたのよ。”と家内が開口一番に。“明日は気温が上がるらしい。”とも。部屋に入ってテレビを点け、テレ玉ことテレビ埼玉にチャンネルを合わせる。時間は後半10分台。オ~~~ットォォォォ。 1-1になっているではないか。しかも田原豊が映っている。確かスタメンには名前が無かったぞ?途中出場か?後に知ったが前半終了前に負傷したアンドレに替わって起用されたらしい。その田原がパウリーニョからボールを受けた所に大宮の久永と交錯しファールを取られるが、ホイッスルに気が付かなかった渡辺がこぼれ球を拾いシュートを放ってしまった。このプレーに主審は“ホイッスル後の遅延行為”と言うことで何とイエローをだす。出された渡辺も京都サポも“そりゃないやろぅ?”の表情。これ以降は大宮の時間が続く。57分には小林のCKに富田がフリーで頭で合わせるが外してくれた。60分に大宮、三浦監督は吉原に替えて前節まで3試合連続スタメンだった桜井を投入。この桜井は浦和レッズからベルディに渡り大宮でプレーをしている。ここ6試合勝利が無く4連敗中の大宮、三浦監督もこの試合は目先を替えたかったか?この桜井がリズムを変えて大宮が更にチャンスを掴み続ける。62分には藤本が左サイドを上がり中に入れたクロスが戻ったサンガの中山がかぶってしまい桜井に渡りフリーでシュートを撃たれるが最後は手島がコーナーに逃げる。小林大吾が上げたそのCKに再びフリーの桜井が頭で合わせるが外してくれた。サンガDF陣、すこしマークが甘いなぁ。65分には京都の石井が前線にロビングを入れて田原に渡るが競ってきた大宮DF土屋を倒してファール。久々に前線にボールが渡った。大宮は連動性を持った動きでボールを繋いでビルドアップしてくる。対するサンガはロングボールが多い、しかし斉藤、中山と言うミドルを撃てる選手がいるので何とか遠いレンジでも撃ってくれればともう。それにこの試合は石井が守備的MFに構えているので斉藤、中山は前に出て来られるはずだ。画面の上方に武蔵野線が強風と豪雨の為に運転を見合わせとニュース速報が出て来た。武蔵野線は元々東京湾岸と東芝や工場地帯である府中とを結ぶ貨物路線で高架の区間が多いの特に強風には弱い。雪には強いのだが。さいたまスタジアムオープンの為に開通した地下鉄路線、埼玉高速鉄道(この運賃がまた高いんだぁ。)を今は使っているが、もしこの路線が無ければ今頃私も、と思う。これもワールドカップ効果か?そう言えばテレビ画面の中を見ると雨が降っている様子は全く見当たらない。アナウンサーも“涼しい京都を熱くするプレーを…”と言っていた。どうやら豪雨は関西地方には無関係の様であった。68分に大宮は小林慶行に替わって斉藤雅人を投入しボランチを入れ替える。斉藤は埼玉、武南高校出身。武南サッカー部のグラウンドが自宅近所にあるので彼とはすれ違ったことはあるかもしれない? 70分、今度は京都、美濃部新監督が動く。林を呼んで、パウリーニョを下げるつもりだ。しかし、そのパウリーニョが渡辺のパスを受けてドリブルで粘り左サイドで倒されてFKを得る。すると美濃部監督は”パウリ、パウリ“と指示を出し、FKはパウリーニョに蹴らせる事を指示する。だが、蹴ったのは渡辺。その直接FKはゴール枠内に飛んだのだがGK江角の正面だった。そしてパウリが下がり林丈統が入るが、また大宮の時間が始まる。72分には右サイドを上がった久永からのクロスに小林大吾がバイシクルシュートを披露。73分には小林大吾が今度は桜井にロングフィードを送り、桜井はサンガゴール前の左サイドでキープし、最後は走りこんで来た斉藤雅人がシュートを放つがサンガDFに当たる。74分には小林大吾が右サイドで粘りサンガDF2人を振り切り逆サイドの桜井に、そして斉藤雅人に戻し、斉藤がクロスを入れるとそこには小林大吾がフリーで待ち構えていた。しかしゴール真正面からフリーで撃たれたボレーシュートはバーの上を越えてくれた。小林大吾はワールドカップ後にオシム代表監督に抜擢され、先のアジアカップ予選の中東遠征にも帯同したが、怪我でプレー出来なかった。Jリーグでも得点が無い試合が続いたがこの日は前半に14試合振りの得点を決めたとの事。京都戦以外で決めてくれよ、と思う。大宮の選手はパス&ゴー が徹底しており、サンガDF陣は後手後手を踏みピンチの連続。なんとかシュートミスに救われている。サンガは78分に角田が自陣からのFKをゴール前にほり込み林が頭で落としたところを田原が走り込んで撃つがバーの上に。そして80分にはまたもや後方からのFKが直接前線の林に渡りそのままシュートを撃つがGK正面に、とロングボール頼りだ。82分には中山に替わって俊足加藤大志が入りこれで3トップの布陣に。美濃部新監督のピッチの選手達への”1点取るんだ“の合図だ。その直後に大宮ゴール前の右サイドで加藤の後方から富田のタックルが入り加藤が倒れるがノーホィッスル。京都ベンチから、美濃部監督らが出て来て怒りをあらわに。それでもプレーが止まらず、大宮の選手がボールを出してプレーを止め、加藤は何とか起き上がる。どうも今日の松村和彦主審はサンガに厳しい笛を吹く。残り時間も少なくなり、パスも縦に縦にと、そして大きくなるが大宮の方がよくボールが繋がる。86分には左から冨田が前線中央の桜井に入れ、落としたところを小林大吾が撃つがゴールポスト右に外れて行く。そこに詰めて来た久永は僅かに追いつかなかった。89分にはロングフィードを富田が左サイドで受け、橋本に繋ぎクロスを入れられ桜井がフリーでヘッドを撃たれるが最後は角田が何とかコーナー逃げる。そのCKからの混戦でのこぼれ球を俊足加藤大吾が拾い一気にゴール前に迫るが大宮MF片岡がイエロー覚悟のファールで止める。これで片岡は累積4枚目で次節、磐田戦は出場停止だ。そして2分のロスタイムでも両者得点が入らず、ホイッスル。美濃部監督が首を振りながらベンチに戻った。巻き返しをはかる京都にとっては痛い引分であったが、試合内容は大宮が押していた様に見えた。大宮は最後まで連動性のある動きが途絶えず、また交替選手が効果的に良いリズムを与えていた。
それに何度大宮にフリーシュートを撃たれた事か???サンガも攻撃陣を増やして2点目を取りに行ったのだが….. 京都は久々に勝点を伸ばしたが….
翌、10月7日。福岡が鹿島破り、勝点を19とし、得失点差で京都を抜いて17位に。そしてセレッソは清水に引分、勝点18でまだ19位。しかし、サンガは自動降格圏内に落ち、その上得失点差 –29 なので勝点で上回らねばならない。 まだ8試合残っているが、これで全く予断が許されない状況になってしまった。次はアウェーでの新潟戦だ。美濃部新監督はチームをどう立て直してくれるだろうか….

柱谷幸一”前”監督

2006-10-08 | 京都サンガ J-League
10月3日、あるサンガサポーターの方が開設するブログで知った、“柱谷監督解任”の報。 第25節、地元西京極で開催された浦和レッズとの試合で 1-5 と惨敗し梅本球団社長、稲盛名誉会長ら首脳陣はとうとうこういう決断を下した。伏線はあった。8月27日の横浜Fマリノス戦、岡田前監督辞任の後を受けて監督デビューとなった水沼新監督との“同期対決”を 0-4 と完敗した後にとうとう稲盛名誉会長が“重症だ、こりゃ.…”とのコメントが飛び出し、梅本社長も“長い間任すといっても、状況は変化するもの”と解任を否定しないコメントを。 翌日28日のスポーツニッポン紙には珍しくこの試合が1面を飾り“同期柱谷監督解任決定的”の見出しも躍った。第17節のガンバ大阪戦からその横浜戦まで4試合連続4失点。翌清水戦から失点は減ったが24節の千葉戦まで4試合で1得点と今度は得点が取れなくなってしまった。そして9月30日の浦和戦の5失点惨敗。よく考えればこの1ヶ月間首脳陣はよく“我慢”をしたとも言える。 同じ昇格組みの甲府が前節は優勝争いをするガンバから白星を挙げるなど活躍するなか、“J2覇者”の京都が何故出来ないのだろう?と言う思いを持つサンガサポーターも多い事だろう。
私が柱谷前監督の存在を知ったのはもう28年も前になる高校時代だった。当時京都高校サッカー界では最強だった京都商業のエースとして彼は君臨していた。柱谷氏は私の2学年上、サッカー部の友人に“京商の2つ上にものすごい選手がいる。”と教えてもらったのが彼であった。だが当時の全国高校サッカー選手権大会では京都府と滋賀県で代表枠が1校のみ割り当てられ私が高校に進学した頃は滋賀県勢の方が強く、柱谷氏が高校3年生の時は滋賀県の守山高校が全国大会へ出場を果たした。その前年度も滋賀県の水口高校が全国出場を果たし、昭和51年度に京都商業が京滋地区代表として全国出場を果たした。当時の柱谷は1年生で、自身全国出場されたかは知らない。その一方で同期の水沼貴史横浜監督は、同年度、1年生ながら浦和南高校の全国優勝メンバーに名を連ね、以降3年連続全国出場を果たしている。この水沼、柱谷の両者は昭和50年度の全国中学選手権大会で直接対決をしたらしい。準々決勝で埼玉県代表の本太中学がPK戦の末に京都府代表の双ヶ丘中学をとの事だが、本太中には水沼がおり、双ヶ丘中には柱谷の両選手がそれぞれ中心選手として活躍したらしい。そして本太中は優勝した。
私が高校2年生の時、日本でFIFA U-20 大会が開催された。当時はワールドユースサッカー大会とも言われ、大会ポスターに本宮ひろし氏の劇画が使われたりした。当時未だ2回目のこの大会は、初回はチュニジアで、そして翌第3回はオーストラリアで開催され、サッカー発展途上国のサッカー振興の目的もあり資金面のサポートをコカコーラが担っていた。従ってコカコーラ杯とも別称された。“メキシゴ輪”を知らない世代にとって初めて日本サッカーが世界の舞台に立つのを見た大会で、アルゼンチンのマラドーナ、ラモン=ディアスそしてパラグアイのロメロが話題となった。そのユース代表強化試合に柱谷、水沼の名前がよく上がっており、彼らは最終メンバーにも残り栄えあるこの大会に出場した。そして国立競技場で行われた初戦のスペイン戦には2人とも揃ってスタメン。柱谷は途中でベンチに下がったが水沼はフル出場。しかし試合はスペインに0-1と破れる。続くアルジェリア戦も0-0の引分。そして1次リーグの最後のメキシコ戦を迎えた。既に両チーム共に決勝トーナメント進出の可能性は消えていたが、国立競技場(日本の試合は全て国立で開催)には満員の観客が詰め掛けていた。クライマックスは後半16分、左からのセンタリングをゴール前に詰めていた柱谷がスルー、そこに水沼が走り込んでプッシュし日本が大会初得点を挙げた。今からこの得点が2人の間を駆け抜けたボールから生まれた事が今までのこの2人と言うよりも日本サッカーの流れを暗示していたのかもしれない。 この大会直後にユース代表の主将だった尾崎和寿夫はニューヨークコスモスとの試合に代表抜擢され、1982年のアジア大会では攻撃の中心選手となる。一方の柱谷も1981年、ポーランド戦でAマッチデビューを果たす、そして水沼貴史のAマッチデビューは1984年シンガポールで開催されたロス五輪予選まで待たねばならなかった。それは恐らく2人のプレーススタイルに違いが有ったからだろう。水沼は得点も取れるがゲームメークも出来る選手。そして柱谷は当時の典型的なストライカータイプ。永井良和、碓井博行といった70年代を風靡したストライカーが丁度世代交代の時期であった一方、木村和司、金田喜稔といった“攻撃的MF”型が既に代表に定着していたという事にも寄与するだろう。従って惨敗したロス五輪予選後に金田が代表引退を決めると、そこに水沼にお鉢が廻って来る。その効果は直ぐに現れ1984年10月ソウルで行われた日韓定期戦では決勝ゴールを水沼が決め日本が韓国で初めて韓国に勝った快挙に貢献した。そしてメキシコワールドカップ予選には水沼は木村和司と共にMFを形成し、柱谷は長身の原博美と前線を組むことになる。しかし、最後は韓国の軍門に降りワールドカップ出場はならなかった。そして柱谷も東京で行われた韓国戦には累積警告で出場できず、続くソウルでの最終戦では森監督は水沼よりもテクニックの高いジョージ与那城を起用した。 このワールドカップ予選後から柱谷は代表に呼ばれなくなる。森氏の後を受けた石井監督はDF重視の布陣を敷き、攻撃は原博美、松浦敏夫の”ツィンタワー“とブンデスリーガから戻ったベテラン奥寺の左サイドからのひらめきのみに掛かっていた。木村和司は守備に難点があるとして声がかからず、そして水沼も呼ばれなかった。しかし、1987年6月に行われたシンガポールとのソウル五輪予選の試合で召集された水沼は値千金の決勝ゴールを決め、以降攻撃の中心選手としてソウル五輪予選、そしてイタリアワールドカップ予選を戦うことになる。しかし、アジアの壁は厚く、世界の舞台は遠かった。1990年代に入るとブラジルから KAZU こと三浦知良が帰国し1993年のJリーグ発足へと流れる。降って沸いたようなJリーグブームの中にも柱谷、水沼は”ベテラン選手“としてプレーをし、特に柱谷はJ発足後は日産を離れ浦和レッズで開幕を迎え、後に柏レイソルにも在籍し、水沼と並んで”プロリーグの“得点シーンを何度か見せてくれた。
17年前ユース代表で我々に初めて世界との戦いを見せてくれたユース代表であった二人が今やチームを指揮する立場に。それだけに柱谷氏の監督解任の報は彼と同年代の人々が歩んだ道程を思い出させた。
そして今日、10月6日、西京極に大宮を迎えた。関東地方は朝から大雨だ、京都はどうだったのだろう…..

京都対浦和 いよいよ苦しく....

2006-10-02 | 京都サンガ J-League
この日の観客数 16,492人。前売り券は完売だったらしい。その功績の半分は観客席の半数近くを占めたレッズサポーター達だ。地元関西のレッズサポーターも居たと思うが関東からも多くのサポがここに遠征して来ただろうがここ西京極にもかかわらず、レッズサポーター達の歓声が目立つ。それは試合展開だけでないと思う。反対に自分が越谷の自宅でテレビを通じてしか京都を応援できないその立場に焦燥感を感じる。後半は先にサンガが得点をと願う中、センターサークル付近、ポンテが田中からボールを受けそのまま前線に素早くフィード。左サイドを駆け上がった山田がフリーでそのままドリブルシュートを決めて4点目を。開始僅か50秒だ。呆然と立ち尽くすサンガイレブン。そして私も思わず“うそやろぉ??”と声に出してしまう。しかし気を取り直して浦和ゴールを目指す。51分には三上がドリブルで左から右に切れ込んでシュートを。54分には中山がミドルを放つがGK山岸がファインセーブ。この三上、そして石井は元浦和レッズの選手。“浦和レッズと対戦する為に頑張ってきた”と言う2人だ。56分にブッフバルト監督は平川を下げて永井を入れ、田中と2トップに。これで田中の動きの幅を更に広げよう、もう1点取りに行こうというサインだろう。58分に京都はパウリーニョからのクロスを長身、田原豊がオーバーヘッドを試みるが、このプレーを主審は“危険なプレー”とファールに取る。田原のオーバーヘッドにむしろ後から闘莉王が突っ込んでいたったので田原のファールとは厳しい判定だ。前半も田原は後ろから当りに来た堀之内を振り払ったところをファールに取られた。今度は我慢できずに審判に激しい抗議を。そしてイエローを貰ってしまった。これで通算3枚目。63分には田原に替わって林が投入された。しかし、ここは田原を残して3トップに出てほしかったなぁ。でもそうすると中盤のバランスが崩れるか?だが63分には渡辺がドリブルで右サイドを上がり素早いクロスを入れ、林がシュート態勢に入るが惜しくもオフサイド。66分にはパウリーニョが右から中にドリブルで切れ込んでシュートに持ち込む。3点差をつけた浦和はラインを下げたのでシュードで持ち込める様になったのだが。70分に三都主が下がって相馬が登場した。7月にさいたまスタジアムで観戦したバイエルンミュンヘンとの試合では随分相馬が縦に動いていた。この日の三都主は自分でも仕事が出来なかったと思ったか、首を振りながらベンチに下がった。しかし、三都主は元々攻撃的な選手。もっと前で起用するべきと思うが。この時間帯は両チームとも中盤を飛ばして縦に出す展開が続くが、京都の方がセカンドボールを拾えていたのでやや優勢に見えたが容易にシュートを撃たさない辺りはさすが浦和DF陣であった。75分には三上を下げて美尾が投入され、同じ左サイドの2列目をより攻撃的にしようとしたのだと思う。しかし、本来はDF選手とは言え、この日の三上は攻守に効いていたので最後までプレーさせたかった。ラインを下げた浦和がやや攻め込まれる時間が続く中、81分には小野伸二がポンテに替わって登場する。ボールキープも出来てワンタッチで局面を替えられる選手が入ってきた。彼が日本代表のユニフォームを着て本調子ならこれほど頼もしい選手がいないのだけど。84分、浦和は止めをさす。相馬が左サイドをドリブルで疾走し、渡辺をかわしてシュート、それがゴール前に戻った手島の足に当たって京都ゴールにころがり遂に5点目。今日の手島は本当についていない。その直後のキックオフから中山に代わってFW松田が投入されたが、もっと早く入れろよ、とつぶやいてしまう。86分にはパウリーニョのスルーに松田が抜け出したが惜しくもオフサイド。降格争いも最後は得失点差になることもある。1点でも返して欲しいと願うが、以降は浦和が更に得点を取りに貪欲に出て来る。88分、闘莉王のロングフィードを田中が受けて右の小野に、登尾、石井を交わしてショートを撃たれるが何とか西村がブロック。ロスタイムが4分と示される。まだ得点のチャンスがあると思うも、90分には小野のパスを受けた鈴木啓太が右から切れ込んで、91分には鈴木が右から切れ込んで永井に繋がれ、そして94分には山岸のゴールキックに田中達也が走り込んで直接に、それぞれ危ないシュートを撃たれる。よく6点目が入らなかった事だった。 そしてタイムアップ。レッズサポーターの雄叫びがこだまする。私が学生時代に汗を流した(といっても、トラックの方だけど)ここ西京極陸上競技場に。ただ浦和にとっては闘莉王、坪井の負傷が気になるところだろう。特に坪井はいらついたパウリーニョに89分後方からの危険なタックルを受けての負傷で全治3週間、10月4日のガーナ戦は辞退を余儀なくされた。闘莉王もどうなるだろう?パウリーニョはこのプレーで3枚目の警告を受けた…..。試合前に京都、柱谷監督は“浦和はメンタルもフィジカルもそして財務もうちよりはずっと上だ。”とかつて在籍したチームとの差を表現。財務なら京都も負けてはいないのだけど。前半は今日のシステムが浦和相手にでも通用する事が証明された。ただ柱谷監督は”このシステムは浦和用”と言っていた。パウリーニョ、田原が次回も2トップに起用されるかはわからないが代わりに起用される選手はこの二人の様に強引に撃って出るという積極性をまず真似て欲しい。一方の浦和は、翌日にガンバが何と甲府に敗れて勝点で並んだ。シーズン優勝なるだろうか?来年はAFCに出場すると思うが、先の話だけどアジアのタイトルも視野に入れてほしいなぁ。同じ昇格組で昨季J2で3位だった甲府がここまで最も成績が良いなんて誰が想像しただろう?これから京都は大宮(H)新潟(A)大分(H)川崎(A)甲府(H)広島(A)磐田(H)G大阪(A)名古屋(H)と続くが、1試合ずつが正念場だ。本当に降格だけはしないでくれ、せつに、せつに思う週末であった…..

9.30 西京極 京都 vs 浦和 その1

2006-10-02 | EURO Football
早くも暦は10月を伝えた。今年も残すところあと3ヶ月。サッカーファンにとっては“ワールドカップイヤァー”の本年。欧州戦線はポストワールドカップシーズンが始まったばかりだが、日本ではJリーグ終盤戦。優勝争い、そして降格争いが試合毎に激化してくる。我が愛する京都パープルサンガは悲しいかな昇格1年目からJ1の洗礼を受け続けている。24節を終えて勝点18で16位。何とか自動降格圏内からは逃れているが、15位広島は勝点26。いよいよ入れ替え戦必至となって来た。これから毎試合、確実に勝点を重ねなければ降格が現実味を帯びてくる。9月30日は地元西京極に優勝争いをする浦和レッズを迎えた。24節を終えてガンバ大阪(勝点55)に次いで勝点52で2位。アウェーとはいえ下位に低迷する相手に “取りこぼし”を出来ない試合だった。 
この試合の京都はシステムを3-5-2に変更。最終ラインは左から登尾、手島、角田の3バック。左サイドバックの三上を2列目に上げて中山、渡辺と今季Jリーグ初スタメンの2人と2列目を構成。その後ろには石井、斉藤がボランチ的に配置し、2トップはパウリーニョと田原豊。田原は前節千葉戦に久々に途中交代ながら19分間出場。スタメンは4月22日の鹿島戦以来だ。GK西村はサンガ守護神平井が今季絶望と考えられるのでシーズン最後まで砦になってもらわねば。一方の浦和はワシントンが故障のためこの遠征に帯同せず田中達也の1トップにポンテ(右)山田(左)が2列目。その後ろに三都主(左)平川(右)、以上の5名が田中を頂点にピラミッドを形成。そして3バックは坪井、闘莉王、堀之内。スタメン7名が先日のオシムジャパンのメンバー。しかもベンチには小野伸二までいる。 どうすればこの浦和から勝点を挙げられるのだろう?開始早々平川が右から最初のシュートを放つ。4分にも堀之内のスルーから山田が折り返したところをGK西村が何とかキャッチ。7分には堀之内、山田と繋がれ鈴木啓太に撃たれ、浦和攻勢の幕開けだが、10分過ぎから京都もボールが繋がる様になる。渡辺の右からのクロス受けた田原がパウリーニョに繋いで惜しいシュートを演出する。11分にはパウリーニョから斉藤、そして左に送ったところに中山が走りこんでワントラップしてシュート。そのこぼれ球に田原とパウリーニョが迫るが惜しくもゴールを割れない。中山、そのまま撃っても良かったかな?4月にさいたまスタジアムで浦和と対決した時は一方的にやられて得点の予感がしなかったが、この日の京都の立ち上がりはサポーターに勇気を与えてくれた。しかし、先制は浦和が。13分、手島が処理をしようとしたボールはイレギュラーし手にあたりハンドを取られ、そのFKを三都主が直接狙うがGK西村がファインセーブでコーナーに逃げる。その三都主が入れたCKが右に流れるが、走りこんで来た闘莉王がワンバウンドしたところを頭で押し込んでゴールネットを揺らした。京都がいいリズムで攻めていたのだが、ここで先制点を奪うところとは流石に浦和であった。しかし、京都はすぐに追いつく。16分、斉藤からのロングフィードを田原が高い打点で落とし走りこんで来た中山がボレーで浦和ゴールに叩き込んだ。さっきの中山はワントラップを入れた為チャンスを逸したが、今度は見事にチャンスをものにしてくれた。そして田原もさすがのポストプレーであった。だが喜びも束の間、23分に三都主が左を上がりゴール前に入れたクロスを三上がヘッドでクリアーするがそのこぼれ球を拾った平川がペナルティーエリアの外からのサンガゴールに蹴り込んで追加点を上げた。先制点以来の好機を確実に得点に結びつけるところはさすがに今のJリーグを代表するチームだ。だが京都はまだ頑張りを見せる。前の対決で散々やられた三都主は渡辺が確実に抑える。最終ラインも大崩れはせず上下の動きは統制され、山田、平川が連続してオフサイドを取られる。ただセットプレーの時のラインが深すぎたて鈴木啓太にフリーでシュートを撃たせたり、攻撃参加した闘莉王を自由にしすぎて危ないヘッドを撃たれたりする。また闘莉王、三都主そして坪井が攻撃参加した時は鈴木啓太、長谷部がカバーに入っているのでカウンターが上手く繋がらない。しかし、その裏に大きく蹴り込んでもこの日は田原豊、パウリーニョと個人で何とかできる選手がいたので面白かったのだが。次の得点の可能性は京都が多かったと思う。だが39分にミスから3点目を失う。カウンターに転じた京都は左サイドから真中のパウリーニョにボールが出る。パウリーニョは一旦手島に預けて前線に走り出すが、預けられたそのボールを中山がトラップミスをして田中達也に奪われ、右のポンテに。そしてポンテは走りこんだ田中にナイスクロスを入れてドンピシャと頭で合わせて追加点を上げた。田中達也は10試合ぶりのゴールだったがそれは京都の本当に僅かなミスからだった。そして本当に手痛い3点目であった。43分には手島のトラップミスを山田が奪い、ポンテにつなぎショートを撃たれる。何とかGK西村が半身の態勢でコーナーに危うく逃げたが、格上相手にミスはいけない。前半終了直前に“3年ぶりに京都に帰ってきた”角田が意地のミドルを撃ってハーフタイムを迎えた。“良いサッカー”と言う観点では京都の方が良かったと思うが、スコアーは 1-3。しかし、後半に期待を抱かせる前半でもあった。 つづく