Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

バスケットボールとのかかわり 世界バスケから

2006-08-24 | バスケ ハンド
バスケットボールとの関りは中学生の時に遡る。 バスケ部員の印象は“持久力がある”と言うことだった。 特に後にバスケ部の主将となったO君は中学1年のときに1500m 走を4分台で走った。しかもそのタイムは体育の授業での持久走の時間でのタイムトライアルでの記録だ。他にも持久走をすれば同学年で上位を占めるのはバスケ部でその中に野球部、サッカー部が1人、2人と顔を出す程度だった。当時私は水泳部員だった。室内プールなんて皆無に近い時代、冬場の練習は心肺機能を上げる為にひたすら走りこんでいた。そのせいか?中学2年の秋には私も持久走が早くなり、学年でもトップテンに顔を出すようになり、それがトップ5に入り、仕舞いには学年ナンバー2になった。こうなると負けず嫌いの私はO君のタイムを上回る事を目標にしたが、彼の記録には届かなかった。その後O君は地元の公立高校に進学しバスケを続け、大学は関西の名門、関西大学に進学しそこのバスケット部の主将を務めたらしい。私は大学では陸上競技を始め、種目は中距離走。ある時共通の友人からO君が“あいつは陸上を専門にしているからもう1500じゃ勝てないよ。”と言っていたと教えてもらい、本当に嬉しく思った事を思い出す。O君がバスケの世界でどれだけ名が通っていたかは判らない。高校時代は近畿大会まで行ったそうだ。残念ながらO君はバスケット選手としては身長が少し足らなかったかもしれない。私より少し低い170cmそこそこだったと思う。だが彼が陸上競技を専門にし、中距離走の練習を本格的に行えば、恐らく私よりも速くなっていただろう、と言う事は陸上選手としてもかなりのレベルだ。この私がインカレに出場したり実業団にまで行ったのだから。そして自分が陸上競技で頑張れたのも中学時代、飛びぬけた持久力を持っていたO君やバスケ部の連中を見たからだ。
また中学校時代の同学年の“マドンナ”もバスケ部だった。女の子の中では身長がすらりと高かったのを憶えている。私も幸運にも?3年の時に彼女と同じクラスになり、友人の多くが羨んだ。何度か彼女と話をした事があったが、今から考えれば彼女は完全に“大人”で私の精神年齢は子供であった。そして中学卒業後、高校や大学の友人に中学時代の卒業アルバムを見せると誰もが彼女を指差し“この娘がいちばん可愛いな”と言った。 

もう何年も前になるだろう、10年以上は経っていたか?社会人になり通勤で利用していた京浜東北線沿線にある看板が出ていた。“2001年ヤングメン 2006年男子バスケ世界選手権 埼玉で開催”と書かれていた。 私はこれは楽しみだと興奮したのを覚えている。直ぐに当時建設中(いやまだ着工前だったかな?)のさいたまアリーナで開催される事を調べあてた。 だが驚いた事に昔バスケをしていたと言う人に訊いてもその事を知る人は3人もいなかった。当時からバスケと言えばNBAで、NHK BSで NBA のゲームが放映されていた。そして日本代表に関する情報は専門誌以外では全く皆無に近い状態。それは1976年モントリオール五輪以降、男子はアジアの壁が28年間破れないと言う現状からか? 男子のサッカーがメキシゴ輪で銅メダルを勝ち取って以来次に五輪出場を果たしたのは28年後。その間の苦悩を私はよく憶えているが、日本のバスケファンも同じ思いをしている事だろう。 それでも1997年サウジアラビアで開催されたアジア選手権(Asia Basketball Championships ) ではグループリーグで韓国をそして準決勝ではサウジアラビアを破り、決勝では再び相対した韓国に敗れたものの 1983年香港大会以来の決勝進出で、1998年にアテネで開催された世界選手権に出場した。これは31年ぶりの快挙であった。私はこの大会を楽しみにしていたが知らない間に大会は始まり、知らない間に終わっていた。そして新聞の片隅に“日本31年ぶりの勝利”とセネガル戦での勝利が報道されていた。日本バスケット界のこんな快挙もマスコミは取り上げなかった、いや知らなかったのだ。 そして3年後の2001年さいたまアリーナで開催された22歳以下(ヤングメン)世界選手権。楽しみにしていた大会だがテレビ中継は全くされず。僅かにあるケーブルテレビで中継され、私は日本対韓国の試合を近所の上新電機で看ていた。試合は田臥勇太率いる日本が先行するが韓国もしつこく食い下がり終了直前に韓国が同点に追いついた。するとテレビ中継はそのまま“予定通り”終わり、日本代表の勝利を知ったのは翌日の朝刊であった。夜のスポーツニュースではこの大会自体すら報道しなかった。 
女子バスケは低迷する日本の球技界の中で結構頑張っているほうだ。1975年コロンビアで開催された世界選手権では当時ずば抜けた実力を兼ね備えていたソ連に次いで2位に入る快挙を。そして生井けい子が大会得点王に輝き、翌年のモントリオール五輪ではメダルが期待された。アメリカ、カナダを連覇し幸先の良いスタートを切ったが、エース生井が徹底的にマークされ続くブルガリア、チェコスロヴァキアそしてソ連に連敗5位に終わった。その後、世界選手権には出場を続けるものの、五輪出場の壁は厚く世間の関心から全く遠ざかっていたが、1996年のアトランタ五輪では大会出場枠が8カ国から12カ国に増えた事から、アジアでの出場枠が3に増やされた事も手伝い、アトランタ、アテネと出場権を得ている(シドニー大会はアジア枠は1。韓国が出場。)。
今のバスケットボール界を取り巻く環境を見ると、70年代から80年代末にかけての暗黒のサッカー界低迷の時代の様だ。それでも世界選手権や女子が五輪に出場している。なのに何故マスコミは8月19日から開催されている男子世界選手権を取り上げないのだろう? その最たる悪は日本バレーボール協会か?フジテレビか?同じ時期に何故グランドチャンピオン大会をぶつけてくるのか理解に苦しむ。しかも10月にはバレーボールは世界選手権があるんだろう?“グラチャン”で勝てば五輪に出場させてくれるのかい?? それとも球技はテレビ局の視聴率争いの代理戦争か??? 
TBSもこんな大きな大会の放映権を得たのに第三戦以降は深夜の中継録画だ。夏休み中とは言え、小学生、中学生のバスケ少年、少女達がこの大会をテレビで楽しめないなんて可愛そうだ。この大会はサッカーで言えばワールドカップに相当するのだ。日本バスケットボール界の将来の為に何とか“活用”できないものか?….. そんな環境を改善すべく、今大会日本代表には奮起してもらいたかったのだ…….. 続く


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