Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Grand Final が終わって......

2008-02-28 | Aussie & Kiwi
試合が終わり選手達のウィニングランが始まる。選手が近づいたスタンドではサポーター達が大歓声を上げる。 そしてこれから行われる表彰式が正面で見られる反対側のスタンドに向かって通路を駈けていると帰途に着くMariners のサポーター達も。まず敗れた Mariners の選手達にメダルが贈られたが最初に呼ばれたのが Tony=Vidmar だった。そしてようやく Jets の選手達にメダルが授与され最後は優勝杯が手渡される。そしてスクリーンにその姿が映し出されスタンドに残っていた Jets サポーター達から大歓声が再び湧き上がる。
しばらくその光景を眺めていたら、一人の男性が声を懸けて来た。私が来ていた Celtic の Nakamura のレプリカ(と言ってもタイ製なんだけど)を見て声をけたらしい。彼も Celtic の(こちらは本物そうだった)レプリカを着ていた。彼は5カ月前に家族でScotland からオーストラリアに仕事の関係で引っ越してきたらしい。一緒に写真を撮ったり、Celtic の話を数分間したら彼の方から“ビールでも飲みに行かないか?”と誘われた。特に断る理由もないので “OK, why not “ と応えた。話をしたのがスタンドの最前列。ピッチは手に届きそうなところだ。すると目の前に Joe Marston が。試合前のセレモニーで今は Central Coast に住んでいる Marston がこの試合の特別ゲストとして招かれた事が紹介され、この試合のプログラムである 90 minutes にも紹介されていた。 Joe Marston と言えば 1954年に Preston North End の選手としてオーストラリア人で最初に FA Cup の決勝戦に出場した伝説の選手らしい。 当時の年齢は28歳。今年で82歳になるが実際は 90 minutes の写真より若く見え、足取りもしっかりとしていた。彼にサインをもらおうと声をかけようとするがMarstonの周りにいた人達と話をしていてこちらを向いてくれない。すると私の意向を察した Celtic のレプリカを着た彼がすぐ近くにいた警備員に”すまないが、日本から来た友人の為にあそこにいる Joe Marston にサインをもらってくれないか?“と頼んでくれ、その警備員が 90 minutes とサインペンを持って Marston の所へサインをもらいに行ってくれた。 Marston は喜んでサインをしてくれ、そしてサインを頼んだのは誰かと警備員に尋ねている様子。警備員は私の方を指さすとこちらに歩み寄ってくれた。 Celtic の彼が”この友人は日本から Grand Final の為にやって来てあなたを見つけました….” と説明してくれた。 Marston はサインをしてくれた 90 minutes を直接手渡してくれ握手までしてくれた。日本の試合では考えられない快挙だ。警備員とCeltic の彼に丁寧にお礼を言う。
“ よしビールを飲みに行こう “ とCeltic の彼が言ったので競技場の出口に向かうと、何と昨年 ACL の Sydney FC 戦の時にさいたまスタジアム2002 で会って、7月のアジアカップではバンコックで再会したオーストラリアのジャーナリストとまた出会った、と言うか出会う事も期待していたのだけど。彼は日本人の奥さんを貰った事は彼の同僚から聞いて知っていた。“日本女性との生活はどうだぃ?”と訊くと日本語で “まぁまぁ…” と答えた。彼はサッカーダイジェストにも寄稿する程のオーストラリアのジャーナリスト。掲揚すべきはアジアカップ後のオシムジャパンの展望について彼だけがオシム氏の健康状態を案じ、悲しいかなそれが現実となってしまった。そのサッカーダイジェストの記事を読んだこともあなただけがその事に気が付いていたと言う事も話した。日本には年に何度か来るらしい。”なんでここにいるんだ?“てなことを訊くので”今日は A-League の Grand Final. That’s all “ と答えた。そして”日本に来るならいくらでも連絡してくれ。日本にはJリーグ開幕前からサッカーを知っているジャーナリストは少ないし、オーストラリアサッカーやA-League に興味を持つプレス関係は皆無だ。私ならもっと面白い情報を提供できる。“と話した。
このやりとにには Celtic の彼が今度は驚き、まずそのジャーナリストが地元テレビ局のSBSの関係者で、私がそんな人と親しく話した事に、”何で彼とそんなに親しい? You はジャーナリストか?この試合を取材に来たのか?“と訊かれたが”オーストラリアには仕事で来ているだけ。Just Football always drives me crazy “ と答えると、“ me too “ と言って肩を組んできた。そして先日の Champions League の事や Nakamura, Mizuno の事そして Scotland の事を話しながらパブに向かった。 

パブは”行きつけの“ Sydney Football Stadium の近くにあるパブではなく、同じ通りにある数十メートル離れた所にあるパブであった。 何を飲む?と聞かれたので “ Guinness “ と答えると?” Guinness ??? “ と言われてしまった。そうか、彼は Scotland 人だった。”ビールならなんでもいいよ“と答え注文をしてもらった。中には既に両チームのサポーター達が多く集っていたが Mariners の方が多かった。 Mariners サポーターの一団に”お前達はどちらのサポーターだ?“と訊かれたので Celtic の彼が私の肩を組み “ We are Celtic !! “ と答えた。試合の事をいろいろ話したが私が” Tony Vidmar を観に来た“と言うと1人の女性が ” 今日が彼の最後の試合 “と教えてくれ、彼の引退試合になった事を初めて知った。 あぁ、あの失点に繋がったプレー、2度目の Grand Final も結果に恵まれなかった事が彼の脳裏に一生残るかもしれない。 やがてバグパイプを吹く人が店の奥から出て来た。あの独特の音が私は好きだ。ここは Scottish Bar とでもいうのか? そうしているうちに Jets サポーター達も入って来る。 “ We ! Are ! Champion !! We are champion !!! “ と叫んだりしているが別に紛争が起こる雰囲気も無い。 Jets サポーターの一人が”お前は日本人か?ウラワレッズは来年も Asia Champions League に出るのか?来年はウラワレッズと試合をするぞ。“ と声をかけて来る。昨年、 Sydney FC と試合をした事が広く REDS の名前を知らしめる事になっていた。そして奥の方に一人 Sydney FC のレプリカを着た男性がいたので声をかけた。昨年3月に REDS が来た時は彼もスタジアムに行ったらしい。あの応援をもう一度見たいと言っていた。
Australia や Scotland のサッカーの話など話題は尽きない。しかしやがて潮時と店を出ることにした。 Celtic の彼が”ユニフォームを交換しよう“と言ったがこちらはタイ製、あちらはどうやら本物なので悪い気がした。私が NAKAMURA のユニフォームを脱ぐと下に来ていた Asian Cup の Japan の青いTシャツを見て、”それも替えてくれ。“と言われたので脱いで上げることにした。NIKE製だったがそれでも値段のバランスは取れないんじゃないかな…と思っていたら同じテーブルにいた女性が NAKAMURA のユニフォームを欲しがったので Celtic の彼が彼女に上げた。あぁそっちに渡ったか。でもそれ本物じゃないしそろそろプリントが… と思うも彼女はよっぽど嬉しかったのかCeltic の彼と私に抱きついて来た。皆と握手を交わし、 Celtic の彼とも何度も握手と抱擁を交わしその場を離れた。 あぁ日本でも試合後にこう言う雰囲気を楽しめるところがないかな……. 

 

翌日の新聞を見ると試合の結果もそうだったが最もこれから話題になりそうなのは Mariners GK の Danny Vukovic の処遇。1年かそれ以上の出場停止処分が下る事は免れないと言った報道。そうなると来季のリーグ戦はおろか今夏行われる北京五輪の出場も危ぶまれる。結局翌々日の新聞で Vukovic は9ヶ月の出場停止で次に同じ様な事をすれば6か月停止処分が下されるとの決定がFFA から発表された。これは A-League の試合に限ってという事だが、五輪代表を含めた代表レベルでも適用される可能性が大いにあり、試合の翌日に五輪代表候補チームがメキシコ五輪チームとの試合の為にサンフランシスコに旅立ったが Vukovic の姿はそこにはなかった。昨年の五輪最終予選6試合フル出場を果たした Vukovic がいなくなる事はメダルを狙う Olyroos としても痛いと思われるのだが……. ただレッドカードが出された原因となった終了直前のプレーと Mark= Shield 主審の判定もこれからも論争は続くと思われる。テレビのリプレィを見ると James=Holland が肘でボールを押し出した様に見える。ここでPKが与えられるかどうかは試合を大きく決定付ける判定だっただけにその判定にも議論が向く事は必至だろう。

 

 

また Grand Final を勝利した Newcastle Jets の方も来季に向けての選手との契約更改がどれだけ進むか懸念されている。決勝ゴールを決めた Mark=Bridge は来季 Sydney FC への移籍が決まっており、DF の要 Andrew Durante は Wellington Phoenix への移籍が濃厚と言われている。また来シーズン開幕までではあるが Joel Griffiths, James Holland がアビスパ福岡に移籍。心配なのはこの二人が Jリーグを気にいって戻らなくなる事。 Griffiths は Socceroos はSocceroos との兼ね合いもあるけど。さらに Adam D’Apuzzo は Adelaide United へ移る事が確実視されている。そして Noel Spancer は新チーム Gold Coast Galaxy と契約が締結すると思われている。 そして JEF 千葉に移籍が決まった事で知られている Eddie Bosnar は当初 Jets が狙っていたとの事でもあった。折角優勝したのに選手が残らない、これもサラリーキャップ制度の弊害と Gary van Egmond 監督は頭を抱えているらしい。 このあたりが難しいところなのだろう。でももっと日本に来てくれないかなぁ…………

 

A-League Grand Final Newcastle Jets 戴冠

2008-02-26 | Aussie & Kiwi
後半は両軍メンバーチェンジがないまま試合が始まる。開始早々の48秒には Song がクロスを入れるが Vidmar がカット。そして Mariners が連続攻撃を見せる。47分には Kwasnik がこぼれ球に反応しシュートを放ち、49分、Kwasnik が今度は絶妙のクロスを左サイドから上げるとファーサイドのフリーの Aloisi がヘッドを放つがポストの僅かに右に外れる。決定的なシーンであったが、 Mariners サポーターからすればあれは決めて欲しかっただろう。そして目の前でこのヘッドを観た Jets サポーターはほっと胸を撫で下ろしたに違いない。立ち上がりの Mariners はHutchinson と Jedinak のボランチの二人が前に押し上げる形となり前線で数的優位が保たれる事となった。しかしここで先制ゴールを挙げたのは Jets だった。Mark Bridge が中央やや左で相手DFがコントロールしようとしたボールをかっさらいそのままドリブルで持ち込みミドルシュートを放つとそのまま GK Danny Vukovic を破ってMariners ゴールネットに突き刺さった。 スタンドの Jets サポーターは狂喜乱舞する。しばらくこの歓声はなり止まなかった。 

  

Mark=Bridge は五輪代表候補選手でもあり将来の Socceroos 候補でもある。そしてボールを取られた Mariners のDF は何と Tony=Vidmar であった。彼も何とも言えない表情がスクリーンに映し出された。失点直後に Mariners はすぐに反撃に転じ、右サイドバックの Boogaard がドリブルで持ち込みグラウンダーの惜しいシュートを放ち68分には Owen がミドルを放つ。そして69分に Mckinna 監督は Kwasnik と Owen を下げてAndre Gumprecht と Tom Pondeljak を投入する。この二人は2年前の Grand Final ではスタメンで出場している。 Grumprecht は昨シーズンの殆どを怪我で棒にふっているだけにこの Grand Final 出場には喜びもひとしおであろう。 71分にはその Grumprecht がシュートを放つがGK Covic がブロック、72分にはシュートレンジで Aloisi にボールが渡ったがマークがきつくてシュートを撃てない。 Jets ベンチは72分に得点者の Mark Bridge を下げて James Holland を入れ中盤を厚くする。するとその75分に Mariners は Tony Vidmar を下げて長身FWの Matt Simon を投入する。拍手に送られてベンチに戻る Vidmar 失点につながるミスをどう思うのだろう…..すると Jets も中盤の Matt Thompson を下げて FW の Jason Hoffman を入れるがこれはむしろ Simon 対策であろう。 これで Mariners は Aloisi と Simon の2トップ2列目の右に Pondeljak, 左に Gumprecht を置く。 Jets としては Mariners が上がった裏を突いてチャンスを作りたいところ。78分には相手ゴール前に入った Adam Griffiths が体を反転させてシュートを放つが惜しくもポストの左に外れる。 Mariners サポーターとしてはひやりとした瞬間だっただろう。 82分には Ceccoli からおくられたロブを Aloisi がヘッドで落とし Jedinak がシュートを放つがGK 正面。そこに詰めた Simon に Jets の Adam Griffiths が迫り両者がエキサイトする。84分に右サイドをPondeljak, Gumprecht が崩し Gumprecht が中の Aloisi に入れるが Aloisiのヘッドはゴールを外れる。 87分、 Ceccoli のスルーを Aloisi がシュート体勢に入るが撃てなずにGKへ。 Aloisi は Durante にユニフォームを引っ張られたと必死の形相で抗議をするがPKは得られない。 88分に、今度は Jets がカウンターから右サイドを突破し、 Elrich から中の Song に繋ぎ Song は前半でも見せたヒールパスをHolland に送り Holland が放ったシュートはGKの正面に。 Mariners はもう前線の Aloisiと Simon を狙ってロングボールを放り込んでくる。89分には Ceccoli がロングボールを入れて Simon がヘッドを撃つがGK正面に。そこに詰めた Aloisi がキーパーチャージを取られる。その直後には Boogaard が Song を反則タックルで止めてイエローカードが出される。 Mariners はロングボールを入れるのは良いが、ハーフウェィラインの手前から送り込んで来るので正確性にやや欠ける。 Jets の前線もそこまでは出てこないのでもう少し中に入ってあげればと思う。90分を過ぎロスタイムは3分と表示される。 Mariners にもまだチャンスはありそうだった。そして個人的にはここで追い付いて延長戦にはいれば時間当たりのチケット代が安くなると Mariners の攻撃を楽しみにするのだが…. 92分、Durante が Hutchinson へのファールでFKが Mariners に与えられる。 Mariners はもうGKの Vukovic までPA内に上がって来る。そして中にボールが放り込まれる最後はゴールラインを割りコーナーに。GKの Vukovic はもちろんそのまま残る。そして入れられたCK にゴールマウスに犇めく両軍の選手達がボールにむらがるが、最後は大きく弾んでゴールラインを割ったが、ここで Mariners イレブンは激しく Mark=Shield 主審に詰め寄る。Jets の交替出場選手James Holland が最後に肘でボールを押し出した、PKだ、と激しく詰め寄り線審に確認を取るがPKは与えられず、GK Dannu Vukovic が Shield 主審の腕を叩いたとしてレッドカードが出された。Vukovic はそのまま一直線に出口に向かうが更に Aloisi にもイエローカードが出された。最後のボールの弾み方からして少なくとも頭か足に当たった弾みかたには見えなかったが…. 

 

そしてプレー再開後、タイムアップのホイッスルが吹かれた。時計の針はもう95分をさしていた。喜びが爆発する Jets 選手達とサポーター達。 Mariners のパワープレーをよく凌いだといったところだろう。 Mariners サポーターにとっては最後のプレーは語り継がれる事だろう…….. 

 

遠い南半球での国内リーグの決勝戦。 UEFA Champions League でもなければ Seire A, Liga de Espanola, Premiership でも Bundesliga でもない異国の国内リーグであるがサッカーはどこの国でも存在するそう言う私の理念を再確認する事が出来た。それがこの試合で得た最大の収穫かも知れない…………  


                                                                                        試合後に続く......

3年目の A-League Grand Final

2008-02-25 | Aussie & Kiwi

3年目の A-League は Newcastle Jets が Central Coast Mariners を 1-0 で破り初優勝を飾った。 Newcastle は3シーズン連続の Final Series 進出で今年初めて Grand Final へ駒を進め、見事に悲願を達成した。一方の Mariners は A-League 初年度以来のGrand Final 進出。その時はSydney FC に 0-1 で敗れ今回は是非ともタイトルを、との思いで臨んだ試合であったが願いは届かなかった。
Jets はレギュラーシーズンを2位で終えて首位で日程を終えた Central Coast Mariners と Major Semi-Final に臨んだ。1月27日に地元 EnergyAustralia Stadium で開催された 1st Leg では 29分にAdam Griffiths のゴールで先制し 84分には Joel Griffiths のPKで追加点を挙げ2-0 と快勝を納めた。この二人は双子の兄弟。 Joel は昨シーズン Newcastle Jets と契約をしたがその前は Leeds United でもプレーをした。 Adam は A-League が創設される前の 2002-03 に Newcastle Jets でプレーしていたが以降渡英し England League One の Oostend を皮切りに4つのクラブチームを渡り歩き今シーズンから Jets に戻って来た。



初戦を快勝した Jets であったが 2週間後の2月10日に行われた2nd Leg では Mariners の地元 Gosford で還り討ちにあう。37分に Adam Kwansik, 74分に Sasho Petrovski にゴールを決められゴール数で追い付かれ延長に入った 95分に再び Petrovski にゴールを割られると残りの25分で1点を返す力はもう残っていなかった。 Mariners は敗れた 1st Leg で臨んだスタメンをそのまま 2nd Leg でも起用。一方の Jets は ワールドカップ予選キャンプで招集された Joel Griffiths の負傷が懸念され何とかこの試合には間に合ったものの攻撃的MF Troy Hearfield が 1st Leg で負った負傷が完治せず 2nd Leg に出場出来なかった事が響いた。 これで Jets は2005-06 の Minor Semi Final に続いて Mariners で苦杯を喫する事となった。


 

しかし Jets にはまだチャンスは残されていた。 Minor Semi Final で Sydney FC を降した Queensland Roar を 1週間後の Preliminary Final で破れば Grand Final に進出する可能性が残されていた。 Preliminary Semi Final はレギュラーシーズンを上位で終えた Jets の本拠地 Newcastle で一発勝負で決められる。昨シーズンの Jets は Adelaide での Adelaide United 戦で PK 戦で敗れ Grand Final に進めなかった。昨シーズンの主力選手 Nick Carle, Paul Okon はチームを去ったが、 GK Ante Covic そして Joel Griffiths, Mark Bridgs, Andrew Durante といった悔しさを知っている選手は残っている。そしてこの試合も激しい試合となった。40分に Matt Thompson が先制ゴールを決めるとそのまま試合は進みロスタイムに。16,021人集まった観衆の7割近くを占めた地元の観衆はGrand Final 進出をほぼ手中にしたと思った92分に Adam D’Apuzzo が Simon Lynch をペナルティーエリア内で倒したプレーがファールを取られPKを与えられる。そのPKを Reinaldo に決められ試合は振り出しに。ほぼ手中にしていた勝利がお預けとなったが延長にはいった 104分に今度は交代出場の韓国人選手 Song Jin Hyung がPA内でRoar DF Sasa Ognenovski に倒されてPK を貰い、Joel Griffiths が決めて 2-1 と勝ち越し、更に6分後 には Tarek Elrich が追加点を決めて 3-1 と試合をほぼ決定付ける。この1分後、先のワールドカップ予選のカタール戦が代表引退試合となった Roar のDF選手Craig Moore が Mark Bridge に肘を入れて退場に。これで Roar は1人少なくなったが117分には Elrich が Roar MF Michael Zullo をPA内で倒したとされPKが与えられそれを再び Reinaldo が決め1点差に。残り3分間は激しい攻防が続いたがそのままタイムアップ。 Jets が悲願の Grand Final 出場権をようやく手に入れた。
試合後物議を醸したのは3つのPK 。どれも微妙な判定だけに両監督のコメントも対照的。敗れた Roar の Frank Farina 監督は “ 警官が常に私の発言を見張っているのでこれ以上何も言えない。“と言葉を残したのに対し Jets の Gray van Egmond 監督は “審判は常に私より良く見える位置で見ている。彼がPKといったら明らかにPKなんだ。”とコメントした。 Final Series 初登場の Queensland Roar であったが左サイドバックの韓国人選手 Seo Hyunk-Su が怪我で起用できなかった事が痛かった。 そして試合をほぼ決定付けた Tarek Elrich のゴールだが、この試合が A-League 戦30試合目の出場でそれまでゴールを決めた事がなかった。初ゴールがチームを Grand Final に導く貴重なゴールとなった。昨年 AFC U-20でオーストラリア U-20 のメンバーとして出場を果たしたが今は同僚となった Song Jin Hyung に2ゴールを決められ韓国に敗れている。そしてこの勝利で Newcastle Jets の 2009年の Asia Champions League 出場が決まった。 

 


快晴そして絶好の観戦日和の Grand Final

春一番の吹き荒れた関東地方から南半球のオーストラリアに。ここは夏の終わりとは言え日本の様に残暑が厳しく湿度も高くと言う訳ではないので非常に快適な絶好の観戦日和となった。日本は強風のあとまた気温が下がったらしいが。 Grand Final の会場となった Sydney Football Stadium には3万人以上の観衆が集まったが、サポータの数では 6対4で Newcastle のサポーターの方が多い様に見えた。ホテルでも Jets のユニフォームを着た人達を何人も見た。 Newcastle から Sydney までは電車でも自動車でも約1時間半以内。地理的な事では Mariners の地元 Gosford はNewcastle と Sydney の中間点にあるのでこちらからのサポーターが多いと思っていたのだけれど…. レギュラーシーズンを終え首位 Mariners 2位 Jets が決まった時点で A-League は Grand Final の開催地を Sydney Football Stadium に決めた。 Mariners の Bluetongue Stadium, Jets の EnergyAustralia Stadium 共に収容能力は30,000人にも至らず特に EnergyAustralia Stadium は17,000 人程度らしい。興行的な事と地理的な事を考えてもこの決定は妥当だったかもしれない。そしてこの観客数を見れば本当にここで開催されて良かったと思った。注目のスタメンだが Mariners は Jets との Major Semi Final 2試合とほぼ同じメンバー。ただ右の2列目には Tom Pondeljak ではなく Andre Gumprecht のスタメンを予想する新聞もあったがGreg Owen が起用された。Owen は昨シーズンまで Adelaide United に所属し Grand Final にも出場しているが前半終了時にベンチに下がった。 Mariners の Lawrie McKinna 監督は Owen のその経験にかけたか?それとも彼の右サイドアタッカーとしての攻撃力が決め手となったか? Pondeljak も2002年には一度代表入りした経験を持つ。そして2005-06 シーズンでの Sydney FC 戦でのゴールはチームの Goal of the year に輝き Preliminary Final の Adelaide United 戦では決勝ゴールを挙げてチームを Grand Final に導いた。その時に対していたのが Owen だった。
Jets は試合前から話題になっていた20歳の Song Jin Hyung をスタメンから起用。他は Roar 戦と同じメンバー。
フォーメーションを見てみてみると、 Mariners はGKが Danny Vukovic 右サイドに Nigel Boogaard 左サイドバックにはアビスパ福岡でプレーしシーズン終了後従来 Mariners のこのポジションを担っていた Dean Heffman が負傷で長期離脱を余儀なくされ急遽 Mariners と契約した Alvin Ceccoli 。 Ceccoli は2年振りの Grand Final 出場でその時もここ Sydney Football Stadium でSydney FC の一員としてプレーしている。 CBはAlex Wilkinson と Tony Vidmar 。Vidmar は長く Socceroos の中心選手であったがワールドカップ直前に不整脈が発覚し残念ながらドイツワールドカップメンバーから外れてしまった。そのうっ憤をここで晴らしたいところだろう。



ボランチには Mike Jedinak と John Hutchman 2列目の左には Adam Kwasnik そして右には Greg Owen が入り2トップはSasho Petrovski とワールドカップ、アジアカップの日本戦でゴールを決めた John Aloisi 。
一方の Newcastle Jets は GK Ante Kovic 。2006年のワールドカップでは第3 GKとして選出された。先日のカタール戦では Schwarzer の控えGKとしてベンチ入り。 DFは3バックで Andrew Durante が CB,右に Adam Griffiths 左が Jade North 。共に代表候補選手だ。その前には 右が Tarek Elrich 左が Adams D’Apuzzo 。この二人はボランチと言うよりも両サイド一杯に開き、相手攻撃時にはDFラインに入り5バックの様な形となる。前線は Joel Griffiths がワントップで右に Song Jin Hyuk 左に Matthew Tompson が入りその後ろに Mark Bridge が配置されこの4人でダイヤモンド型の布陣を敷いている。

大歓声の中 Jets のキックオフでいよいよ試合が始まったが開始5秒で Mariners のMile Jedinak が Joel Griffiths に激しいタックルをかけファール。そこに両チームの選手が集まり早速小競り合いが。そしてFK後今度は Joel Griffiths がGreg Owen に反則タックルを仕掛け、更にその後Durante が Aloisi を倒し立ち上がりは身体をぶつけ合うと言うよりも相手を倒し合う激しいプレーの連続。これが彼らの標準なのかもしれない。従ってワールドカップでの日本戦やアジアカップで相手選手が容易にひっくり返りその度にファールを取られる展開に我慢が出来ないのであろう。立ちあがりはお互いに中盤で潰し合い展開、従ってどうしても後方からのロングボールが多くなって来る。それでも14分に Jets 右サイドの Elrich がドリブルで突破しそのままシュートを放ち、GK Vukovic がファインセーブで抑えたあたりから Jets が中盤を制しだしボールを繋ぐようになる。17分には Bridge が中でボールをキープし右サイドを上がった D’Apuzzo に繋ぎ、そこから中に入った Thompson に渡りシュートを放つが僅かにクロスバーを越える。19分には Bridge がマークに付いた Wilkinson を背負いながらも粘り Song に送ると Song はヒールパスで中のThmpsonに渡しそのままダイレクトシュート。これは僅かにポストの右に外れる。20分にはまたも右サイドを崩し最後は Song が絶妙のセンタリングを中で待つ Griffiths に送るが最後は Vidmar が必死でクリアー。この立て続けの攻撃にゴール裏に陣取る Jets サポーターからは大歓声がおこる。26分にはまたも Song がドリブルで突破しセンタリングを入れるがこれも Vidmar がスライディングでカットする。



中盤をJets 攻撃陣と言うよりも Song の細かい動きやショートパスに翻弄されていた Mariners は2列目の左 Adam Kwasnik を30分過ぎから Song に密着させ劣勢を挽回しようとする。しばらくはそれが功を奏して Mariners がボールを試合し始めるが攻撃が相変わらず Aloisi, Perovski へのロングボール頼りなのでなかなかシュートに持ち込めない。26分には Petrovski がシュートを放つがこれはロングボールを Aloisi がElrich と競りながら頭で落とした所を拾って撃ったシュートで中盤を繋いだものでは無かった。30分にようやく左サイドを突破したKwansik が Song をかわしてミドルを放つがこれはサイドネットを直撃。このシュートが初めて中盤からビルドアップをして持ち込んだシュートと言えた。
30分を過ぎたあたりから Jets はフォーメーションを替えて来た。 Joel Griffiths が2列目に下がり Mark Bridge が真中のトップに立ち、左に D’Apuzzo, 右に Song が入り Elrich が高い位置にせり出し Song をフォローすると共に Kwansik の動きもマークする様になった。これで Song が動きやすくなり、再び Jets は前線でボールが回る様になった。前半ロスタイムに入った47分には左サイドに回った Song がボールをキープ中の Bridge にボールを通すが最後は Vidmar がコーナーへ何とか逃れた。前半は Jets が押し気味に進めるも何とか Mariners が無失点で切り抜けたと言った展開であった。                                                              後半 に続く….. 

 


快勝のスタート。このままワールドカップに続いてくれれば……

2008-02-10 | 夏季五輪
2月6日。雪の中のさいたまスタジアム2002 で我が日本代表はタイ代表を 4-1 で降しワールドカップへ向けての第一歩を踏み出した。 この日の入場者数は 35,130 人。日本で開催された ワールドカップ 予選では最低の入場者数と報道するマスコミもあったが、こう言うマスコミには二度とサッカーの取材をして貰いたくない。70年代からもワールドカップ予選は日本で開催されている事を知らない輩は排除すべきだ。

会社を出るのがやや遅れたので帰宅途中のさいたま高速鉄道の中でサッカー観戦に出かける人は見られなかった。そして帰宅したのはキックオフされた直後だった。この日の日本代表はFWが高原と大久保の2トップに山瀬がトップ下。その他のメンバーは右サイドバックにはこの日も若い内田が起用される等先日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦と同じ。 2004年のオマーン戦のスタメン経験者は高原と遠藤のみ。2005年の北朝鮮戦の経験者は先述の二人に川口を加えた3人。
一方のタイ代表、昨年のアジアカップメンバーが7人、最終予選に進めなかった前回のワールドカップ予選経験者4人を含んだスタメン。しかし累積警告で出場出来ない Datsakorn Thonglao と右サイドバックで Manchester City と契約した Suree Sukha,怪我で来日出来なかったKiatprawut Saiwaew の3人は Asian Cup メンバー。怪我で来日出来なかったDF Prat Samakrat と合わせて4人の中心選手を欠くメンバー。
この日のユニフォームの色、黄色はプミポン国王ファミリーを表す色で腕に巻いていた黒い喪章は国王の姉君が試合前日に亡くなった喪に服す意を示したもの。 Chanvit 監督としても負けは覚悟しても大量失点は避けたいと言うのが本音か?
午後6時半の当地の気温は3.6℃。最近は関東地方ではお目に掛れぬ寒さにタイイレブン、そしてわざわさタイからやって来た(数少ない)サポーター達にはどれだけ堪えただろう?午後7時20分キックオフ、主審はサウジアラビアのアルカムディ・カリム氏。ここでは中東の笛の心配はないであろう。相手も主審もそしてこのグループもクウェートとは関係ないし…..
試合開始から攻勢に出たのは日本。2分には左サイド遠藤からクロスが入るが高原に渡る前に DF Nataporn Phanrit に当たりCKへ、以降7分40秒まで合計4つのCKを得る。6分25秒にはCKの守備に入った FW Teerathop Winothai のヘッドのクリアが小さくそのまま中村憲剛がボレーで撃つ。CK になると阿部、中澤がエリア内に入って来るがタイのDF陣は CB の二人、Nataporn Phanrit が 182cm, Patiparn Phetpun が187cm, と結構長身なので容易にゴールは割れ無かった。 15分40秒には左サイドを駒野、山瀬、遠藤と繋いぎ最後は高原に大久保を経由して渡り Nathapong、Narongchao Vachiraban をかわして Nataporn が来る前にシュートを放つがポストの右に外れて行く。タイは右サイドバックの Suree Sukha がいないのでそこをよく突いている様に見えた。 
なかなか先制ゴールを挙げられない日本は21分、大久保のドリブル突破からファールを誘いゴール正面24mの位置でFKを得る。7人のタイ選手が壁を造るが遠藤の蹴った弾道にGK Kosin Hathairatthnakul は反応出来ずそのままゴールに吸い込まれるのを注視するだけだった。恐らく前の選手がブラインドになって見えなかったのだろう。

先制ゴールにほっとしたか岡田監督が小さくガッツポーズを取る。この先制点でこのまま波に乗って試合を支配するかと期待されたがその1分後タイが素晴らしいシュートで同点に追い付く。2列目右サイドの Sutee Suksomkit が中央からドリブルで突破を試みる。憲剛がマークに入るが粘って丁度DFラインとボランチの間にフリーでいたTeerathep Winothai に繋がれる。Teerathep はそのまま25mのミドルシュートを放ちGK川口を破ってゴールネットを揺らされた。

チャンスを作ったSutee は4年前 Atletico Madrid からスカウトされかけ、2004年のAsian Cup では日本から先制ゴールを奪った実績を持つ選手。この同点ゴールはボール支配率が4割に満たなかったタイにとっては大きなゴール。そのまま守りをもう一度固めて勝点を狙える様になった。タイの布陣は 4-1-2-1-2 。2列目の両サイド, 右サイド Sutee 左サイドの Suchao がボランチの Nirut Surasiang と並んでDFラインの前にもう一本のラインを形成しトップ下のNarapongchai Vachiraban がボールの展開により左右に動き守備にはいる。これでタイゴール前に入っても二人目、三人目の選手が次々に現れシュートをなかなか撃てない。42分には啓太、43分には山瀬が相次いでミドルシュートを放つが追加点には至らない。39分12秒にはまたも大久保のドリブルからFKを貰い遠藤が再び直接狙うが今度はクロスバーを大きく越えた。ロスタイムに入った46分にCKを得るが先に前半終了のホイッスルを吹かれ前半は 1-1 で終えた。シュート数を比較するとタイが1に対して日本は7。しかし枠内に飛んだシュートは2本のみ。スコアーを裏付ける数字だった。

後半にはいると降雪量は増えた。タイイレブンには早く試合を終えたいと思っただろう。立ちあがり2分には阿部がミドルを放ち、4分には憲剛が Sutee をかわしてシュートを放つが追加点は奪えない。 3年前の北朝鮮戦、4年前のオマーン戦を思い出し、早く2点目を….と思う54分。山瀬がで左サイドを上がり Apichate をかわして中に切れ込み後方から走り込んだ憲剛に送るが Narongchai がカット、そのままゴールラインに逃げた方が良かったのだがサイドに出そうとし、マークについた憲剛の足に当たりボールが中に入るとそこにいた大久保がそのままタイゴールに蹴りこんで追加点を奪う。山瀬のドリブル、憲剛のしつこいマークから生まれた貴重な追加点であった。

              

山瀬はかつてのホームスタディアムでのプレーで気合いが入っていたか?憲剛は同点ゴールのきっかけを作ってしまった事を帳消しにしたかったか?5年前の東アジア選手権ではここで疑惑のレッドカードを突きつけられた大久保はその悪夢を払拭出来たか??
追加点直後の55分33秒、遠藤のグラウンダーのセンタリングをそのままダイレクトで放った高原のシュートはGK Kosin にファインセーブで防がれ、その直後のCKからの大久保のヘッドはまたもGK Kosin がブロック、こぼれ球を詰め様とした高原が撃つ前に Natthapong がクリアー。高原はどうも得点に結びつかない。
3点目が先に入れば楽なんだけど….. と思った64分、 Narongchai が中澤へのチャージにこの日2枚目のイエローカードが出て退場。日本にとってはありがたい状況となりそうだったけど、出来ればDFの選手が消えてほしかったけど…..
しかし2点目を失ってからタイの選手は反則が目立ったが、10人になってから更に反則は多くなり結果的にそれが日本に有利に働く。66分、左サイドを上がった駒野へ Suchao がファールでFKを得る。そのFKを憲剛が入れると中に入った中澤が Nataporn に競り勝ちヘッドを決めて試合を決定づける3点目を挙げた。

             

あとは余分な警告を受けない事とリーグ戦と言う事を考えれば出来ればあと1点、2点を奪う事。 68分には山瀬を下げて巻を投入し高原と2トップに。そして大久保がトップ下に下がる。81分には高原が下がり播戸が入り、巻の1トップに播戸、大久保が2列目に控える布陣に。そして87分には大久保が下がり羽生が入る。攻撃陣を替えるのはまだ攻撃の手を緩めるなと言うベンチからのサインか? 羽生は Asian Cup のPK 戦の悪夢から脱却できたか??
タイも72分に得点者の Teerathep を下げて Asian Cup メンバーだった MF のPichitpong Cheuichiew を、77分にはエースストライカーの Sarayuth Chaikamdee を下げて Pipat Tonkanya を入れる。 Pipat は昨年 Asian Cup のオマーン戦で途中出場しながら2ゴールを挙げた。また大会前の中国とのテストマッチでは彼のゴールで勝利を収めている。2000年のレバノンで開催された Asian Cup 予選でも活躍し本大会にもメンバー入りしたが出場機会は無く、翌2004年の中国での Asian Cup ではメンバー入り出来なかった。 エースの Chaikamdee はこの試合はシュート1本に終わった。 83分には MF の Suchao が下がり SEA GAMES 得点王の Anon Sangsanoi を入れた。 Chanvit Phalajivin 監督も何とか1点を返したいと言ったところか? 
しかしロスタイムに日本は巻が遠藤のCKから頭で決めて4点目。しかしあれだけDFがいてフリーにするとは…….

               
日本は4点中3点がセットプレーと言われているがこう言う予選は試合結果が全て。確実に勝点と得点を稼いだ結果はよしとすべきだ。次はアウェーでのバーレーン戦。この試合にもしっかり勝ってほしい。 Jリーグが開幕し選手達の調子も上がってくるだろう。

一方のタイは雪の天候、そして主力4選手を欠いての条件下では致し方のない結果だったかもしれない。 4年前、チェンマイで12日間の合宿の後、北朝鮮にホームで 1-4 と完敗した時は当時の首相であったタクシン氏に “この日の選手達は国民を絶望させるもの。”と酷評されたが今回はどうだろう。

              

Manchester でキャンプを張ってまたタイに帰って日本に出直したのではちょっと効果は表れないか…….. またタクシン氏に資金を出してもらってキャンプを張るか??

タイには親しい人も多く、みな友好的だ。タイのサッカーにも非常に興味がある。しかし、個人的にはタイにはサッカーで絶対に負けてほしくない。それは1984年のロス五輪予選で完敗したからではなく、1976年バンコックで開催されたアジアユース大会で起こった事だ。
数年前に専門誌に掲載されたのを読んで知ったのだが、1次リーグで北朝鮮、タイと同組になった日本は2戦を先に終え2分けで最終戦の北朝鮮対タイ戦を待った。負けた方が1次リーグ落ち、引き分けた場合は3チームが同勝点で並びベスト8進出を決める為に大会規約で抽選をおこなう予定であったが、その最終戦の朝、突然規約は書き換えられ勝点、得失点で並んだ場合は再試合を行うと通達された。そして完全な出来レースとなった最終戦の北朝鮮対タイ戦は 1-1 で引き分け、再び総当たりのリーグ戦が行われる事になった。これは地元タイチームと当時注目を集めていた北朝鮮ユースチームに揃って準々決勝に進んでもらい集客を落としたくないと言う開催側のタイの魂胆であった。ここで日本チーム首脳陣は棄権を決定、タイを後にするつもりであった。しかし、タイ協会は“棄権するなら大会規約により飛行機代、宿泊代そして罰金(合わせて約750万円)を支払え”と通告してきた。 当時の日本サッカーは慢性的な赤字でそんな金は無かった。(いまならすぐに払えるかも?)
仕方なく選手団は忸怩たる思いでこの再リーグ戦に臨むことに。 その初戦、格上の北朝鮮相手に日本ユースは健闘。金田喜稔のゴールを守りきり勝利を収めるが続くタイ戦では精魂尽きはて 0-3 で完敗。最終戦の北朝鮮対タイ戦はまたも出来レースで北朝鮮とタイが台本通りに準々決勝に進出した。
ハンドボールで話題になった中東の笛を彷彿させる30年以上前の出来事だ。 あれから日本サッカーは目覚ましい進歩を遂げ、各年代でタイにも北朝鮮にも負けない力をつけた。 

           

今、日本サッカーにこれだけの実力がついたその背景には上述したような屈辱的な事を乗り越えて来た積み重ねを絶対に忘れてはならない。 
まぁそんな事を言っても若い人達には “ J リーグが始まるまでのサッカーなんてサッカーじゃないですよ。”と言われてしまいそうだけど……….. がんばれニッポン !!

カタールを一蹴 世論も一蹴出来たか…….

2008-02-09 | 夏季五輪

日本が降雪の中タイを破り幸先の良いスタートを切る前に既に南半球のオーストラリアでは Socceroos 達が初めて臨むワールドカップアジア地区予選を白星スタートで飾っていた。 この試合の勝利を誰よりも臨んでいたのは Pim Veerbel 監督であろうし、地元のサポーター達のいくらかは勝利こそ願っただろうがこう言う試合内容は望まなかったのでは無いか?

                              

2006年は日本を破り決勝トーナメントに進出。オーストラリア大陸に Soccer 人気を導くことに成功。しかし翌年の Asian Cup は優勝候補筆頭とされながらアジアの洗礼を受けた。欧州勢のモチベーションの問題、A-League メンバーを中心とした Olyroos 達の五輪予選突破から今年から始まったワールドカップ予選も A-League 主体で臨んではどうかとの世論が少なくは無かった。
1月23日、カタール戦に向けて39人の選手がリストアップされた。その中で A-League 勢は約半分の19名。そして2月5日、カタール戦前日ようやく選手を選出するがその数は21人。

Mark Bresciano (Palermo), Jacob Burns (Wisla Krakow, Poland), Tim Cahill (Everton), David Carney (Sheffield United), Jason Culina (PSV Eindhoven),
Brett Emerton (Blackburn), Brett Holman (NEC Nijmegen, Netherlands),
Josh Kennedy (Karlsruhe), Scott McDonald (Celtic), Lucas Neill (West Ham),
Mark Schwarzer (Middlesbrough), Michael Thwaite (Wisla Krakow), Luke Willnshire (FC Twente, Netherlands ) James Troisi (Newcastle), Carl Valeri (Grosseto, Italy), Danny Vukovic (Central Coast)John Aloisi (Central Coast), Ante Covic (Newcastle Jets ), Craig Moore (Queensland), Archie Thompson (Melbourne),
Nikolai Topor-Stanley (Perth)

本来は試合を前日に控えたここで18人に絞るべきであったが最終決定を迷っているのだろうか?どうやって最後の3人を振い落すのであろう?? 
Socceroos のアジアのワールドカップ予選は今回が初めて。およそ4年前、 Adelaide の Hindmarsh Stadium で開催されたニュージーランドとのワールドカップ予選には12,000の観客が集まった。試合は Bressiano のゴールで勝利を収めるがこの時のメンバーでこの21人に残っているのは Bressiano 以外では Bretto Emerton, John Aloisiの二人。そして2年前日本を破って決勝トーナメントに進出した Socceroos は人によれば今やスポーツ競技では最も人気のある代表チームと言われている。
2月2日、合宿中の代表候補は Melbourne Victory と練習試合を行う。欧州組はおらず A-League をベースにしたチーム。要するに A- League 組の最終テストの意味合いもあったのだろう。 Victory は今シーズンは5位に終わり今行われている Final Series には進めなかった。しかし結果は 1-1 。開始6分に Evan Berger に先制ゴールを許すとその後いくつものチャンスをゴールに結び付けられない。70分にようやく Thompson が決めて何とか敗戦は免れた。この日の Victory は 中心選手 Kevin Muscat, Rodrigo Vargas, Archie Thompson らは Socceroos に招集されており、Grant Brebner, Nick Ward は怪我、Carlos Hernandez はコスタリカ代表の試合の為 それぞれこの試合には出場しておらず半分以上レギュラーがいなかった。 
その Victory から1点しか奪えなかった事に A-League 勢に今回は見切りをつけられた原因となった。この試合結果を喜んだのは Victory のKevin Merrick 監督。3月12日から始まる Asia Champions League に向けて若手と15週間故障で戦列から離れていた Daniel Piorkowski の復調を特に喜んだ。試合後、” A-League のトップクラスの選手はカタール戦に向けて充分な得点能力を兼ね備えている。“と残したコメントがかえって慰めの意味ばかり目立つが…
この試合で 五輪代表候補のSydney FC の Mark=Milligan が鼻の骨を折り、Newcastle Jets のエース Joel Griffiths がふくらはぎを痛めた。そしてGK Ante Covic も怪我をした。彼ら3人は週末には Final Series の試合が控えていた。Covic, Milligan はFinal Series 迄には後に回復の目処が立ったらしいが、Griffiths は Mariners との Major Semi Final 出場も危ういらしい。 Milligan, Griffiths の二人は怪我がなければカタール戦へのベンチ入りも充分可能性があっただけに残念だ。

2月4日、Verbeek 監督は翌々日の試合にはエースの Harry Kewell を召集しない事を決めた。一昨年のワールドカップ終了後コンスタントに試合を出ていない既に29歳となった Kewell の招集を見送ったのは当然。それに怪我の回復ぶりから今ここで長時間移動とタイトなスケジュールを敢行する事は得策でないとチームドクターも示唆。しこれには本人も納得しているとか。 Mark Viduka とも今後の代表入りの可能性について話をしたらしいが Viduka の心中はいかに….. Asian Cup 終了後(前から??)代表からの引退を示唆していたDuke はいないがCeltic でブレーク中の Scott McDonald そして Bundesliga Karlsruhe の Josh Kennedy の2トップが予想される。 Kennedy の代表入りはワールドカップでの日本戦以来では無いか? また昨シーズンまで Sydney FC に所属し ACL では浦和 REDS とも戦った David Carney は Colchester 戦に出場し66分には同点ゴールを決めた。

5年前カタール五輪協会は国内の各クラブチームにUS$10万ずつ資金提供し当時元アルゼンチン代表のGabriel Batistuta らをリクルートした。 Batistuta の年棒は2年間で US$8万だったらしい。 1981年オーストラリアで開催されたワールドユース選手権(今の FIFA U-20 ) では準優勝を果たした。当時は背中だけでなくユニフォームの前側にも選手名をプリントしていたらしい。その当時の選手達は勿論カタール人選手ばかり。しかし人口85万人の産油国カタールでカタール国籍の人口は4分の1の20万人程度でその半分は女性だ。そこでスポーツ振興の為に特に地元開催の2006年アジア大会に向け原油の輸出で蓄えた豊富な資金を用いてスポーツ選手を誘致し始めた。 2月6日の試合には出場出来なかったがアジア大会、 Asian Cup でも中心選手であったSebastian Quintana がウルグアイからの移民選手と言う事は周知だが、他にもセネガルからGK Mohamed Saqr CB Abdullah Obaid Koni, パレスティナ人のMF Wesim Rizik Abdulmajed クウェートMFMF Talal Ali-Albloushi 、巨漢ストラーカーのSayed Ali Bechir はモーリシャスからの移民。昨年末にはブラジルからMarconi Amaral と Fabio Cesar を加えた。 2004年にカタール政府はUS$20億かけて首都のドーハ郊外に豪華なスポーツコンプレックスを建設、その中心となっているのは ASPIRE Football Academy 。そこにはアフリカ7カ国、40万人の12歳から14歳の少年達が親元を離れてトレーニングに励んでいる。彼らの夢はとにかく貧困からの脱出らしい。スポーツで名を馳せカタールに必要とされる選手になれば残した家族をこの豊かな国に呼び寄せる事が出来る.......
アジア大会ではアフリカから移民してきた陸上長距離選手もいた。同様の事は陸上競技でも行われていると思われる。

2月6日、 Telster Stadium に集った観衆は50,969 人。そこに現れたスタメンは11人中 A-League のメンバーは Queensland Roar 1の Craig Moore のみ。その Moore とて今シーズンオーストラリアに帰郷した選手でワールドカップでは4試合全てスタメン出場。そしてこの試合が彼の代表引退試合との事。しかし 昨シーズンまでSydney FC でプレーしたDavid Carney はスタメンに。A-League 関係者は一矢報いたか.....
カタール唯一、 Boavista の FW Hussein Yasser はスタメン入りは果たさず、オーストラリアとは対照的。

試合は開始10分右サイドから Brett Emerton のクロスを 193cm の Kennedy が頭で合わせて先制。

                               

17分には Wilkshire のコーナーキックから今度は Cahill がヘッドで合わせて追加点。

                                                               

カタールが危惧する高さの不安をついてあっさりと主導権を握る。カタールはスタメンのうち9人が Asia Cup メンバーなのだがこの数字を見ると層の薄さを感じざるを得ない。その上肝心の Sebastian Quintana がいない....
33分には Aussie Striker と昨年の UEFA Champions League AC Milan 戦で言われた McDonald がボールをキープし走り込んだ Bresciano へのスルーが通り3点目が生まれた。 

                           

Asian Cup と異なり動きやすかった Melborne の天候は Socceroos 達にかなり優位に働いただろう。それに稀にしかお目にかかれない5万人以上のアウェーの環境も。更に Socceroos 達はカタールゴールに迫るが前半終了間際の Cahill のダイビングヘッドは GK Mohammed Saqr がファインセーブ。後半55分再び Cahill が Emerton からのクロスから放ったヘッドはポストを外れ、McDonald , Kennedy のヘッドは大きくクロスバーを越えた。結局後半は無得点。しかし試合序盤のチャンスを GK Mohammed Saqr に好セーブ連発で得点に結びつかなくても3点を取ったのは攻撃力はさすが欧州勢といったところか? 
昨年の Asian Cup での不振、移動時間の長さ、時差そして年々興隆を見せる A-League と言った背景から “ 欧州組でアジアを戦い抜けるか...“ といった”疑惑“を一掃する事が出来ただろう。
しかし、次の3月に開催される中国戦はアウェーで標高1890m の昆明。本当の戦いはこれから、と Veerbek 監督は手綱を締める。試合終了後 Scceroos には吉報が入る。ドーハで行われたイラク対中国の試合が1-1 で引き分けた。  

                           

オーストラリア、イラク、カタール、中国。 この中で確実に2カ国が落ちるのか.... 日本は恵まれたのか?それとも強くなったのか??

Australia 3 (Joshua Kennedy 10’, Tim Cahill 17’, Mark Bresciano 33’) Qatar 0

Australia : 1. Mark Schwarzer ( GK )  2. Lucas Neill, 3. Craig Moore (14. Brett Holman 77'), 4. Tim Cahill (17. Carl Valeri 66'), 5. Jason Culina, 7. Brett Emerton, 8. Luke Wilkshire, 9. Josh Kennedy (15. John Aloisi 70'), 10. Scott McDonald, 11. David Carney, 18. Mark Bresciano.

Qatar: 1. Mohammed Saqr (GK ) , 3. Marconi Amaral Junior, 4. Ibrahim Al Ghanim, 5. Majdi Abdullah Siddiq (17. Wasim Rizik Abdulmajed 46'), 6. Abdullah Obaid Koni, 8. Saad Sattam Al Shammari (c) (18. Mesaad Ali Alhamad 46'), 9. Ali Hassan Yahya, 13. Mustafa Mohammed Abdulla, 14. Khalfan Ibrahim, 15. Talal Ali Albloushi (10. Waleed Jassim Abdulla 78'), 16. Fabio Cesar


Chanvit Phalajivin の憂鬱

2008-02-06 | 夏季五輪

ハンドボールの五輪再予選の熱がまだ醒めないこの頃。
月日が経つのは早いものでサッカーではワールドカップ予選がいよいよ始まる。
2004年 さいたまスタジアム2002 で行われたZICO JAPAN のワールドカップ予選のデビュー戦、中村俊輔のPKは止められ引き分けも必至と思われたロスタイムに久保のゴールでオマーン相手に辛勝を納めてもう4年が経つ…… ワールドカップを追いかける度に年をとっているのか………

昨年11月16日、England の名門 Manchester City はバンコックで記者会見を開きSuree Sukha, Kiatprawut Saiwaew そして Teerasil Dangda のタイ代表3選手と入団契約を締結したと発表した。契約期間は2010年までの3シーズン。この記者会見にはエリクソン監督も来タイし、 “3選手は1カ月以上に及ぶキャンプに参加しクラブの入団テストに合格した。テストの審査基準は他の選手と同じで特別扱いは一切していない。” と説明。 さらに同クラブを8,160 万ポンド(約200億円)で買収し、筆頭株主となり2007年7月に会長に就任したタクシン前首相のビデオメッセージまで披露された。 約10分間のスピーチの中では City に所属する中国代表の孫継海の事にも言及し、“孫継海の活躍が中国での City のクラブ人気を高めている様に、タイの3選手にも同様の活躍を期待する。”と述べた。そして孫継海もこの記者会見に出席した。
           
 









この時期私は商用でバンコックを訪問していたが、街は約1ヶ月後に控えた下院総選挙運動が始まった時であった。そしてこの時期の地元選手の Premiership 入りの記者会見に地元の人々は  “総選挙を見越したデモンストレーションと言うよりもプロパガンダの一つ” と言う人も少なくなかった。それは1998年自ら結成し、今は解散させられた “タイ愛国党”の事実上後継政党と言われている“市民の力党”をバックアップする為の政治的意図と言われているが、 “今回のメッセージ内容は政治では無く、クラブの未来についてだ。 Manchester City を世界トップレベルのクラブにする事に加え、タイだけでなく世界各地でのサポーターの拡大を目指し、資金提供、投資を行っていく。” とコメント。そして Manchester City Club Academy の設立計画にも触れた。そして今シーズン終了後、Manchester City をタイに招き、タイ代表との親善試合を行う計画も明らかにした。エリクソン監督も“私がここへ来たのは契約の記者会見のみの為で、欧州では国際Aマッチデーであり Premiership の試合は無かい。タイの選挙とは関係は無い。”とざわざわコメントを残した
昨シーズン14位に終わった Manchester City 。今シーズンはタクシン会長の提供した 5000万ポンド(約1,114 億円 )に上る初期補強資金を下、チーム力を補強し、この記者会見まで8勝2分3敗で Arsenal, Manchester United に次いで3位につけていた。ただそれ以降は3勝6分3敗と勝点が伸びず現在は7位となっている。ただタイの3選手での Premiership デビューは来シーズン以降となる見通しになる、エリクソン監督もこれから彼らの定位置争いが始まると述べているらしい。この記者会見から数日後に今度はアピラック・バンコック都知事が Premiership の Everton が運営するサッカースクールを設立すると発表。この発表はタクシン会長のビデオスピーチに対抗するものと見られたが、 ”サッカースクール建設計画は以前から検討しており Manchester City の発表より前にアピラック都知事は渡英し関係者とサッカースクール開設に就いて協議していた。” と都庁関係者は述べているが誰がみてもタクシン派の市民の力党に対抗してアピラック知事の在籍する旧最大野党の民主党がサッカーファンを選挙に取り込もうとする意図があるのは一目了然であった。
タイ愛国党は2006年4月の総選挙で弱小政党を買収するなど政党法に違反したとして起訴され2007年5月30日憲法裁判所より解散命令を受けると共に党役員111人が政治活動を含む5年間の公民権停止処分となった。この旧タイ愛国党議員が結集した市民の力党に対し中央選挙管理委員会は顔写真を選挙ポスターに使用する事を認めないとする選挙活動基準を発表したがこれにはライバル政党からも
“憲法で保障されている基本的人権の侵害” と批判する声も上がった。
しかし選挙も蓋をあけると市民の力党が圧勝。下院第一政党となりさらに5政党と連立を組み480議席中316議席を占める事に。 そしてもう一つの関心は“亡命中”のタクシン前首相が帰国するかどうか。 ただ彼が帰国すると即逮捕、その罪状を合わせると最高26年間の服役の可能性もあるらしい………….
        

Thaksin Shinawatra


昨年7月東南アジア4カ国で開催された Asian Cup で、タイはベスト8入りを果たせなかった。イラクに引き分け、オマーンに快勝するも最後は雨の中のオーストラリア戦で力尽きた。その後2010年の ワールドカップ を目指して予選に入るが10月に行われた1次予選ではマカオを 7-1, 6-1 で一蹴し、11月のイエメンとの2次予選はアウェーで 1-1 であったがホームゲームを 1-0 で勝利し3次予選に駒を進めた。その後12月に地元で開催された SEA GAMES では対抗のベトナムが振るわなかった事も手伝い、決勝戦ではミャンマーを 2-0 で破り大会8連覇を飾った。しかしこの大会には U-23 で臨んでいる。フル代表の次の大会は昨年末に開催された King’s Cup であった.
SEA GAMES メンバーの中で今回のワールドカップ予選メンバーに選ばれたのは下記の選手達。

GK :Sivaluk Terdsungnern
DF :Prat Samakrat, Kiatprawut Saiwaew
MF : Thana Chanaboot
FW : Teerathep Winothai, Teerasil Dangda, Anon Sangsanoi Kiatprawut Saiwaew、

Teerathep Winothai, Teerasil Dangda の3選手は昨年の Asian Cup メンバーで出場も果たしている。 12月には地元にウズベキスタン、北朝鮮、イラクを迎えて第38回 King’s Cup を開催、3連勝で決勝に進み、決勝戦ではイラクを破り優勝を飾った。

12月22日 vs ウズベキスタン 3-2
GK : Kosin Hathairattanakul
DF : Apichate Puttan, Kiatprawut Saiwaew, Niweat Siriwong , Punnarat Klinsukon MF : Nirut Surasiang, Phichitpong Cheuichiew, Suchao Nutnum ,Narongchai Vachiraban  FW : Sarayuth Chaikamdee Pipop Onn-mo

Tawan Sripan, Datsakorn Thonglao ,Sutee Suksomkit. Tawan の主力3選手を欠きながらも開幕戦のウズベキスタン戦を 3-2 で勝利のスタート。

12月24日 vs イラク 2-1
GK : Kosin Hathairattanakul DF : Niweat Siriwong, Kiatprawut Saiwaew, Prat Samakrat, Nattaporn Phanrit Suree Sukha
MF : Phichitpong Cheuichiew, Narongchai Vachiraban Nirut Surasiang
FW : Sarayuth Chaikamdee , Anon Sangsanoi

Sutee Sukha が怪我から復帰、FW Pipop Onn-mo をSEA GAMES 得点王の Anon Sangsanoi に替えて臨んだイラク戦、前半44分、 Sarayuth のクロスに合わせた Nattaporn Phanrit が先制ゴールを上げるがイラクはMouslim Mobarak Almas のゴールで追い付くも後半37分Mohammed Ahmed Abid Ali のオウンゴールが決勝点となり、タイは連勝をかざった。
12月26日には北朝鮮を 1-0 で破り、上位2カ国で争う決勝戦ではイラクを再び 1-0 で破り大会優勝を飾ったが、この大会では FW Chaikamdee の活躍が目立ち、 Asia Cup 後ベテランの Sripan, Therdsak そして Kiatisak が去った後のタイのエースとしての地位を築きあげようとしている。この Chaikamdee は2003年ベトナムで開催された SEA GAMES では延長戦に入った決勝のベトナム戦では試合を決定付けるVゴールを決め大会6連覇をもたらした。しかし昨年のAsian Cup では最後にメンバーから漏れただけにこの予選には巻き返しを誓っている。2次予選のイエメン戦では決勝ゴールも決めている。

1月10日には Manchester で2週間の強化合宿を慣行。帯同した選手は29人にも昇ったらしい。この合宿中には Manchester City のエリクソン監督も指導に入った日があったとか、これもタクシン効果か?最初の1週間はトレーニングに専念し、以降練習試合を慣行、 Manchester City の U-18 チームに4-3 と敗戦を喫するもリザーブチーム 3-1 そしてユースチーム 1-0 と連破。日が経つにつれて選手の守備能力がアップしていることに Chanvit 監督も手ごたえを感じるがやはりFWの決定力のアップは必要と感じたらしい。 Manchester の気候は常夏のタイから2月の真冬の東京での寒さ対策も兼ねていたのか?
その後更に2試合、Hyde United tomorrow と Manchester United との練習試合を組んだがその結果はどうだったのだろう?また Chanvit 監督は Manchester City が使っている"Games Breaker" と言う選手達を分析する約 20万バーツ(約60万円)のコンピューターを協会に購入するように依頼したらしい。これもタクシンに買ってもらったのか??
2月1日、Rajamangala Stadiumで韓国の全北現代モータースと試合を行い 2-0 で勝利を収めた。前半多くのチャンスを作りながらもなかなか先制できなかったがSutee Suksomkit が 25m のFKを直接決め先生すると69分にはSutee が送ったクロスをPhichitpong Cheuichiew が合わせて追加点を奪い試合を決めた。
Chanvit Phalajivin 監督は試合後“自身をもたらす試合内容、試合の殆どを支配し選手達は自信を持ってボールを扱っていた。”と満足のコメント。そして特に海外でプレーするSutee Suksomkit, Datsakorn Thonglao Nirut Surasiang のパフォーマンスが目を惹いたとの事であった。
その翌日2月2日代表チーム一行は日本に向けて出発。試合4日前に現地入りすることは異例との事。これまでは対戦チームが滞在費を負担してくれる2日前より早く現地入りすることはまれだったらしい。日本入りし怪我で出場が危ぶまれていた中心選手Jetsada Jitsawad Datsakorn Thonglao, Prat Samakrat そしてKiatprawut Saiwaew が回復に向かっていると言う吉報を耳にするが、翌2月3日よりタイ関係者が最も危惧していた寒波が関東一円を覆い2年ぶりの降雪に見舞われる。練習場の確保やら日本側の対応に Chanvit 監督は不満を隠さない。更に試合前日Datsakorn Thonglao と右サイドバックで Manchester City と契約した Suree Sukha の二人が累積警告で出場できない事が判明、“日本と異なり1次予選から参加している我々にとって不利だ。”と怒りを爆発させるがそんなこと試合前に解らなかったのかな?? その上 CB の Kiatprawut Saiwaew と Prat Samakrat が来日出来なかった。これには Chanvit 監督も選手構成に頭が痛いところ。こうなってくるとMFのSutee Suksomkit、Narongchai Vachiraban, の頑張りが頼り。Sutee は 2004年の Asian Cup の日本戦で先制ゴールを挙げている。そしてSarayuth Chaikamdee と組む2トップのもう一人のFWは22歳で Asian Cup にも出場したTeerathep Winothai または Manchester City と契約をした Teerasil Daengda そしてSEA GAMES の得点王 Anon Sangsanoi らの誰であろうか? しかし2月のさいたまで思う様に動けるのだろうか?
日本が留意するとすれば初戦の難しさ。4年前のオマーン、3年前の北朝鮮に苦戦した様に。タイとすればここで負けても大量失点さえしなければよしとしている。守備的な布陣を敷いて来ると思われるが彼らのカウンターとセットプレーは注意する必要がある。
試合開始まであと1時間半窓の外は雪が降ったり氷雨になったり。この天候は少なくともタイには有利にははたらかない。何度でも言わせて貰うが1984年シンガポールで開催されたロス五輪予選、日本は初戦のタイ戦でピヤポンに掻き回されて 2-5 で大敗し以降3連敗。敗因は日本協会のスカウティング不足や予選直前になってベテラン選手を入れたりと色々あるが、もう一つの大きな理由はシンガポールの蒸し暑さ。あの時は3月まで寒さが残り雪の降る日もあった。それから赤道直下のシンガポールに移動し気候の変化も少なくは無かったはずだ。予選のあった4月は東南アジアでは“地獄の4月”と言われている蒸し暑さだ。(私も数度体験した……) ワールドカップに向けての長い戦いが始まる。しかしまず目の前に試合を確実に勝って貰う事を祈るよ。
    
             

実力以上 いやこれが実力差……しかしこれからも...

2008-02-03 | バスケ ハンド
代々木体育館に出掛けたのは何年振りだろう?少なくとも結婚してからは…。 
ハンドボールの試合観戦も……。ほぼ20年ぶり、日本リーグの試合を観て以来かなぁ…. しかしそれには“言い訳”がある。ソウル五輪以降4回五輪予選が日本で開催されたが関東地区で開催された事は無かった様な…….
関東地区でメジャーな大会が開催されないからそのスポーツがメジャーで無いという判断をされるのなら関西出身の私としては少し腑に落ちないが…….. 

                       

1月29日。ハンドボールの北京五輪再予選の第一ラウンド。女子の日韓戦。もちろん仕事なんかすっ飛ばして代々木体育館に向かった。しかしゴール裏のアリーナ席に向かう途中で国歌が始まってしまい着席出来たのは試合開始数秒前だった。自分の遅刻グセには我ながら呆れてしまう…. やっと着席するも試合は始まってしまい落ち付く暇なく開始20秒呉成玉 右から洪延昊のパスを受けて中央から先制ゴールを決めた。あぁやっぱり韓国はちゃうわ、この日のメンバーはアテネ五輪メンバー8人を含んでいる。このチームを相手に..と思っているとこのシュートはサイドネットに入ったとの事でノーゴール。ほっと胸をなでおろすも。その後攻撃に転じた日本はゴール前で田中美音子がキャッチミスでシュートが撃てず、1分11秒ポストに入った呉成玉からボールを受けた金且妍のシュートで韓国が先制するがその直後東浜裕子が同点シュートを決める。女子は男子以上にチーム力に差があり、昨年カザフスタンのアルマトィで行われた五輪予選では日本が“歴史的な勝利”を挙げた事になっているがこれはカザフスタンを勝ち抜かせる為に、候補の韓国を追い落とす為に“中東の笛”が結果的に日本に優位に働いたもの。 この日のメンバーでもGKの呉令蘭を始め、金且妍、呉成玉、 李尚恩、文弼姫、明福姫、朴貞姫、そして禹仙姫 がアテネ五輪メンバー。そして6位に終わった昨年末フランスで開催された世界選手権のメンバーがほぼそのままこの試合に臨んでいる。また2006年12月ドーハでのアジア大会金メダルメンバーは9人含まれている。この時は予選リーグで日韓は対戦しエースの呉成玉抜きで 28-21 と日本を降している。
一方の日本は世界選手権19位。五輪には32年間8大会御無沙汰。2006年のアジア大会では禹仙姫、金且妍そして明福姫に4点ずつ決められている。日本は長身185cm の谷口尚代が4得点そして金城晶子が7得点と頑張ったが力の差は歴然だったらしい。この実力差を埋めるには戦術もさることながら、GKが奇跡的なセーブを連発する事、ミスをしないこと。そしてホームの大歓声に乗る事と思った。

同点に追い付き、何とかリードを奪いたいと思うが1分58秒、李尚恩がシュートを撃ちに強引に東浜、谷口の間に割って入ってファールを貰い 7m Throw を得る。これを明福姫が決めて韓国がリードを奪う。3分34秒にもエリア内ファールで7m Throw を献上し連続して明福姫に決められる。韓国はさらに得点を重ね、9分13秒に李尚恩に決められ時はもう 1-7 に点差が開いていた。この間日本もスペインでプレーする早船愛子のシュートがGK 呉令蘭に止められたり、水野恵子のシュートがサイドネットに行ったり、藤井柴諸のシュートがポストを叩くなど得点に結び付けられず、また攻撃時のミスから失点に結びつけられたり。1-4 とされた後の6分12秒にはエース呉成玉が退場になるなどの好機を生かせない。 1-6 とされた7分47秒にたまらずバウアー監督がタイムアウトを取るがその後の日本の速攻で最後は東浜がハンドリングミスをするなどリズムに乗れない。私の座席の左手に陣取る韓国からの大応援団は序盤からリードを広げる自国の攻勢に応援のボルテージは上がりっ放しだ。 
李尚恩がチーム7点目を決めた直後に日本のリスタートを邪魔して退場に。その後日本がようやく東浜のシュートが決まり、その後も主将の佐久川ひとみが右から左に流れて決めて3-7 とする。すると韓国のイムヨンジョル監督は4点リードしていながらこの早い時間にタイムアウトを取る。ここで何か感じたのだろうか?タイムアウト明け、呉成玉が右に流れて撃ったシュートが決まり、その後の安貞花の連続シュートも決まり3-10 と日本をまた突き放す。安貞花が得点を決める度に安貞桓が決めた様な錯覚におちいるけど….今韓国では安貞花と安貞桓のどちらの名が通っているのだろう….
日本は攻撃が中に中に入りそこを固められシュートを撃てない。そこで13分を過ぎると長身の谷口が右に流れてシュートを決め、14分27秒には田中がポストに入った東浜とのパス交換からシュートを決め15分54秒には谷口がまた右に流れて放ったシュートが決まり3連続得点。この間も韓国の攻撃をGK勝田洪延昊、呉成玉のシュートをファインセーブを防ぐなどリズムを作るが韓国のGK呉令蘭も谷口のシュートを防ぐなど目の前で繰り広げられるGKのファインプレーも堪能する。
前半の約半分が過ぎ、これからの巻き返しを…と期待するがここからまたも韓国の連続得点が始まる。16分42秒には左サイドから安貞花が決め、17分30秒には呉成玉が決める。ここで日本ベンチはミドル、ロングシュートも撃てる藤井、植垣暁恵を入れるが18分20秒の藤井のシュートはゴール枠を外れる。18分30秒には禹仙姫に決められ、この禹仙姫のシュートにチャージに入った坂元智子がファールを取られて退場に。19分9秒、藤井が明福姫へのチャージで 7m Throw。これを明福姫がそのまま決める。19分55秒、藤井のシュートが外れた後の韓国攻撃から洪延昊が決めて5連続得点で 6-15 と9点差がついた。
タイムアウトは既に使っているので何とか流れを止める術は無いかと思うが、20分20秒に右サイドに流れた谷口が決めて連続失点を5でやっと止めた。21分9秒には東浜のシュートを止めに入った洪延昊がエリア内ファールを取られて 7m Throw を貰う。ここで韓国はGKを呉令蘭から李姫に替えるが田中が 7m Throw を決める。するとGK がまた呉令蘭に戻る。このまま李姫が続けてゴールを守ってくれたら良かったんだけど…….. しかし、日本はその後連続得点が挙げられず前半は 12-18 、6点差で終わった。 25分過ぎから日本もようやく動きが良くなり攻守にわたって韓国と対等にやれるようになったが、韓国の様にもっとサイド攻撃を使えないものか…と思う。そして期待の早船愛子がなかなか得点を挙げられず26分11秒になって決めた1得点のみ。またシュート数も韓国31に対して日本は26。シュート数の半分も得点に出来なかった。

                     

ハーフタイム中に韓国応援席から歓声が上がる、どうやら”私達生涯最高の瞬間”に出演している韓国のモン・スリ、キム・ジュヨン両女優が韓国の報道陣のインタビューに答えている。それから一般のサポーター達と写真も撮っている。俺もあっちで観戦したら良かったかな……. チアガールもいるし…….

後半に入って日本は何か現状を打開するだけの方策はあるのだろうか??開始21秒、田中が前半で見せた様なポストとのパス交換から後半最初の得点を決めて 13-18。その後両チームとも速い展開で攻撃に転じるが1分41秒早船のシュートは外れ、1分26秒洪延昊のパスを受けた金且妍のシュートはGK勝田がストップ。すると今後は呉令蘭が坂元のシュートをストップ。3分9秒にはまたも早船のシュートが今度は李尚恩がブロック。先に日本が後半2点目を入れてくれよと思うが4分22秒から安貞花が決めてまたも6点差。それでも5分4秒には田中が金且妍をかわして放ったシュートが決まる。だが5分41秒今度は金且妍を青戸あかねが倒して退場になり 7m Throw を与え、明福姫が決めるとそこから1人少ない日本は禹仙姫に連続得点を許し14-22 と8点差に広げられる。8分5秒にようやく植垣のシュートを止めた韓国DFがラインクロスを取られて7m Throw を貰い田中がこの日6点目を決めて連続失点を3で止めた。 7点差とは言え時間はまだ20分以上ある。ここは1点ずつ詰めてと思うも日本には連続得点が生まれない。攻守の切り替えが遅いのが原因なのだが、攻守の際に選手を一人ずつ入れ替えるのが原因。オフェンスに移る時はそのまま速攻を生かす事を優先させても良くなかったか? その中でも日本はGK勝田が10分24秒明福姫、14分52秒には李尚恩の 7m throw をストップする。

                     

攻撃では長身の谷口が連続得点を決める。18分56秒には早船が”らしさ”を見せて正面からシュートを決め19-26 とするがそこからまた韓国の連続得点が始まる。それも日本のミスから速攻を許しての失点。格上の相手にはミスは禁物なのだが….. 

                        

15分を過ぎると韓国ベンチは呉成玉をベンチに下げる余裕を。その呉成玉は21分39秒にベンチに下がった時には李尚恩と談笑する余裕も…….
22分00秒田中がこの日7点目を決め連続失点を止める。33歳ベテランの田中美音子の五輪挑戦はアトランタ大会から始まり4回目。これが最後の挑戦か。何とか晴れの舞台にと願うが…. 24分36秒、22歳のサウスポー藤井が決めて 21-31 とするが残りの5分は韓国の連続得点で試合を締められた。 もう最後は試合よりも韓国サポーターの方ばかり見ていた。

                                        

ワールドカップ日韓大会でよく耳にした”テ~ハミングッ!! “ “ オ~ピルスン ( 必勝 ) コレアッ !! “ のリズムに合わせてチアガールの娘達が器用に踊っている。韓国が得点を重ねるに連れてボルテージも上がり、彼女達の踊りも躍動感が上がって来る。そしてタイムアップ。彼女達を含めた韓国の大応援団から一際大きい大歓声が沸き起こる。悔しいなぁ……..こうなる事を予想していたけど負けるのは悔しいなぁ……..
おそらく韓国の選手達は勝って当たり前、嬉しいと言うよりも安堵している事だろう。

                       

日本は序盤から攻撃時のミスが少なくなかった。これは韓国のプレシャーがきつかったからだろう。守備に回っても特に試合開始直後は韓国の力強い攻撃に後手を踏む様だった。呉成玉4点、禹仙姫が7得点、そして安貞花6点、要注意選手達にやられている。

                     

日本は田中が7点、谷口が5点。しかし早船が2点と抑えられたのも痛かった。2年前のアジア大会の韓国戦でも早船は1点に抑えられた。 

                     


3月にルーマニアで開催される最終予選では昨年世界選手権 4位ルーマニア、9位クロアチアそして11位ポーランドが相手だ。この3カ国もアテネ五輪は出場出来なかっただけに最終予選での意気込みは想像できる。さらに厳しい予選となるがハンドボールも魅力的なスポーツだ。もっともっとスポットが当たるべきだ。昨年12月に世界選手権に出場しているのだがそのことを知っているマスコミ、”スポーツジャーナリスト”はどれだけいるのだろう?? 

原宿駅に向かう途中多くの韓国人が嬉しそうに試合を振り返っていた(と言っても私は韓国語を理解できないが…..)体育館を出たら雨が降っていた、雨の中翌日の男子の健闘を願った……….. ハンドボールをブームで終わらせたく……この再予選をきっかけに多くの人が立ち上がる事を願う。


無念の惜敗 でもこれから……..

2008-02-01 | バスケ ハンド

23分26秒韓国、金泰勲監督がたまらずタイムをとる。門山がこの日初得点を決め、これで4連続得点。6点あった点差が2点差に縮まり 21-23 となった。日本の酒巻監督は拍手で選手達を迎える。残り時間から考えても逆転のチャンスはまだまだあった。連続得点後のタイムアウトに流れを切られる気がしたが、ここは切り替えて新たに得点を積んでいこうと勝手に私はテレビに向かって呟いた。
タイムアウトが終わり,試合が再開される。日韓のサポーターの応援がすごい。そこに身を置けなかった事を非常に残念に思う。23分56秒に白元のシュートが決まり
3点差に。しかし直後にベテラン山口のシュートに対してのファールで 7m Throw が与えられ、末松が決めてまた2点差。24分55秒、日本ゴール前で日本DFが反則を取られ韓国ボールに。この判定に酒巻監督は少し不満顔。そこから鄭秀泳を経由して尹京信から左サイドの回った白元に渡り撃たれたシュートが決まり再び3点差。
時間は25分1秒、残り時間5分を切った。その直後の25分21秒、すかさず門山が決めて23-25 の2点差に。しかしその後の韓国の攻撃時、朴重奎のシュートを防ごうとしたディフェンスがラインクロスを取られ 7m Throw が韓国に。5年振りに代表に復帰したベテランGK四方に期待がかかったがこれは止められずまたも3点差に。
時計は26分17秒。時間が無くなっていく中早く攻めたい日本は26分46秒、エース宮崎が高い打点からのジャンプシュートを決め 24-26。その後の韓国の攻撃に対し日本はしつこいマークで尹京信にシュートを撃たせず攻撃に転ずる。ここで決まれば
1点差。しかしポストプレーに入ろうとした山口にボールが入らず、速攻に転じられ、鄭秀泳からボールを受けた白元に決められ 24-27に。白元はタイムアウトから再開後これで3得点目。この得点でほぼ試合が決まったかもしれない。28分15秒、宮崎が今度は右から撃つがGK姜一求に止められる。そして韓国ベンチでは勝利を確信したか金泰勲監督がガッツポーズを見せる。それでも満員の観客からのボルテージは上がる一方だ。29分05秒、白元が豊田を外して左サイドからこの試合9得点目を決め24-28。タイムアウト前に2点差まで詰めた点差は4点差に。29分36秒、古家が意地のシュートを決めて25-28 。しかしリスタートから韓国はゆっくりとボールを回し始める。韓国からのサポーター達はもう喜び始めている。主審がシュートを撃つ意思無しと判断し、日本ボールに。すぐに前に送るが届かずボールはそのままゴールラインを割ってしまう。そして時計の針が….30分00秒を指した…………

2008年の七草明けはハンドボールから始まったと言えるかもしれない。ワイドショーでも取り上げられるようになった中東の笛を因とした五輪再予選。個人的にはやっとハンドボールの五輪予選が関東地区で開催されると言う嬉しさもあった。残念ながらチケットは女子の試合しか入手出来なかったが、それでも試合はテレビで生中継されラジオででも。 この日は勿論仕事なんかすっ飛ばして自宅でテレビ観戦に専念した。しかしテレビの前に到着したのは午後7時18分。スローオフ寸前だった。満員の代々木体育館。観客数は 10,257 人。そこに居られなかったことを残念に思う。当日券も無理すれば買えたかな…..と思った。
日本のスタメンはエース宮崎大輔、怪我から復帰の190cm の富田恭介、主将の中川善雄、190cm の門山、そして富田賢治に GK は34歳ベテランの坪根敏宏。一方の韓国は尹京信の弟、尹京敏、金泰完、190cm の朴重奎は9月の五輪予選の日本戦では9得点、 大ベテラン37歳の趙致考、そして大同特殊鋼でプレーする李才佑と白元。注目の尹京信はベンチスタートだ。
大歓声の中、韓国のスローオフで始まった大一番。先制点をと思うも39秒、白元のシュートが決まり韓国が先制する。早く同点に、と思うが門山のシュートを韓国GK姜一求がストップ。すると日本GK坪根も鄭秀泳、李才佑のシュートを連続して止める。両GK 共に当たりの良い立ち上がり。でも少し時間が掛かりすぎるなぁと思った4分7秒、長身の富田が正面から決めて同点に。5分21秒には中川が金泰完をかわして正面やや右から決めて逆転。もう1点決めて2点差にして主導権をと思う。逆転された韓国はオフェンスファールを取られ日本ボールに。そこから繋いで門山が撃つがクロスバーを叩く。このシュートが決まっていれば試合展開はもう少し日本が優位な展開に変わったかもしれない。
韓国は6分30秒に李才佑、7分00秒に尹京敏の連続得点で 3-2 と逆転するが、3失点目は門山から宮崎へのパスがカットされてそのままシュートに持ち込まれたもの。やはりミスは避けたかった。そしてこの時間帯からお互いのGKがファインセーブを連発する。中川の倒れ込みシュートを姜一求が止めれば坪根が鄭秀泳のシュートをストップ。すると姜は末松の正面からの一撃を顔面で止め、バルセロナ五輪ベスト7メンバー趙致考のシュートを坪根がブロック。このGKのファインプレー合戦を止めたのは左に流れてシュートを放った宮崎。10分17秒、3-3 の同点に追いついた。

          

ようやく決めたエースの宮崎、この後、鄭秀泳に何か激しく怒鳴っている。宮崎がシュートを放った時後ろから手を出したのだ。このプレーで鄭秀泳は2分間の退場。これは逆転のチャンスと思うが10分40秒右から李才佑に決められ韓国がリードを奪い返す。するとここで韓国ベンチは尹京信を投入するが中川のシュートが止められ、韓国のオフェンスとなるがすぐにベンチに引っ込む。おそらく1人少ない時間帯に尹京信の体格を守備で生かしたかったか?日本は相手が一人少ないチャンスを生かせず12分18秒にはリードされたまま191cmの武田が退場になり今度は日本が一人少ない戦況に。12分44秒に李才佑に決められ 3-5 。この試合初めて2点差とされる。李才佑は前半、大いに日本を苦しめ、この時点で総得点5点中3点を決めた。日本はここから巻き返し13分19秒宮崎から末松にボールが通りそのまま末松のシュートが決まり1点差。ここで再び尹京信が投入され今度は世界レベルの攻撃力を生かそうとするも門山のしつこいマークでシュートを撃たせない。そして白元のシュートを止めると、シュート体勢に入った門山が尹京信、鄭秀泳に挟まれるようにして倒されエリア内ファールを貰い末松の 7m Throw で同点に追い付く。しかしこの後末松が退場になり日本が一人少ないピンチに。6-7 とされ、18分50秒、富田のキャッチミスを拾われ速攻に移った白元に決められ 6-8 に 19分7秒末松から受けた富田がポストからシュートを決めて1点差に戻すも、ここから鄭秀泳、7m Throw を白元に決められ連続失点で 7-10 と3点差に。23分25秒には日本も 7m Throw を貰う。ここで韓国ベンチはGKをアジア大会にも出場したスイス、オマールでプレーする韓景泰に替えるが末松が決めて8-10。韓はすぐにベンチに下がり以降姜一求がゴールを守り通す事に。 23分56秒に尹京信がほぼ正面から決める。このシュートの速い事速い事。しかし尹のシュートが脅威を示したのはこの1本のみ。この試合は結局2得点に終わった。尹京信は抑えたのだが….. 日本も豊田が決め食い下がるが連続得点が生まれない。一方の韓国は朴贊龍、李駄栄の連続得点で 9-13 と4点差をつけられここで酒巻監督はタイムアウトを取る。時計は25分24秒だ。
20分過ぎから韓国が守備体型を 6-0 に替えそれから日本は攻撃のリズムが悪くなる。韓国は強引に日本のDF陣の中に入って来る。24分40秒の朴贊龍の得点はその前に李才佑の強引なドリブルに日本DF3人が寄ってしまい朴贊龍がフリーになってしまった為。また宮崎もマークがきつくシュートに持ち込めない。守備ではGK坪根が相手GK姜一求同様ファインセーブを連発するが、攻撃への切り替えが遅く韓国に余裕で戻られてしまっている。
タイムアウト後、豊田、尹京信がそれぞれ決め、29分20秒に宮崎がこの日の2点目を決め 11-14 とする。そして前半終了間際の韓国のシュートを坪根が止めてそのまま前半を終えた。点差は3点つけられたが、前半終了間際に得点を挙げ最後に失点を防ぎ後半、期待できる終わり方でもあった。しかし出来ればリードしたまま前半を乗り切って欲しかった。
尹京信、趙致考と言った Bundesliga でプレーする二人は抑えた。だが尹京信はコンディションがいま一つなのか出場時間は短かった。問題は李才佑に4点、白元に3点と日本でプレーする選手を抑えられなかった事。彼らの方が相手の特徴をよく知っていたか?日本は末松が前半を終わって5得点と気を吐いたが宮崎はマークが厳しかったせいか2得点に終わった。前半のシュート数は韓国が24, 日本が18。そして退場者数が日本2に対して韓国1。その差が得点差に表れた。そして日韓両GKのファインプレーが目立った。 後半日本はどうやって3点差を埋めていくのだろう…..

    

日本の Throw Off で始まった後半、26秒、宮崎のシュートはGK姜一求がストップ。前半同様、後半も最初のシュートが止められる。そして白元が61秒に決めて 11-15 と4点差。これまた前半と同じ後半最初の得点が白元だった。しかしその直後に宮崎が巨漢、尹京信の横を破ってのシュート、富田は門山からのボールを受けてのシュートをそれぞれ連続で決めて 13-15と2点差に詰め寄る。だがここから韓国は3連続得点で 13-18 と引き離す。日本もこの約2分半の間、門山がサイドハンドシュート、宮崎が左サイドからシュートを撃つがGK 姜一求に止められじりじりと点差が開いていく。古家の退場も痛かった。6分36秒にようやく富田が連続失点を止めるシュートを決める。7分00秒鄭秀泳が富田へのチャージで退場になる。そして7分47秒宮崎のパスを受けた古家が決めて 15-18 と3点差に。まだあと1分以上日本は1人多いままプレーできる。この間に点差を詰められればと思うが韓国は遅攻で上手に時間を稼ぎ、8分4秒に22歳の鄭義京にワンバウンドするシュートを撃たれてまた4点差に。ここで日本ベンチは後半当りが止まってきたGK坪根に替わって四方を投入する。 8分36秒に朴贊龍が下川へのチャージで退場となる。今度こそこのチャンスを生かして欲しいと思う。9分6秒古家のシュートはポストを叩いたがそのこぼれ球を拾った山口が決めて 16-19 とする。その後の韓国の攻撃も白元のシュートをGK四方が止めたり、山口がDFで踏ん張るなど失点を許さない。山口は 1997年熊本で開催された世界選手権のメンバー。その時のメンバーでは岩本昌典と共とこの大一番のベンチ入りを果たした。この一人少ないチャンスも点差は飛躍的には縮まらず11分24秒白元に決められ 16-20 の4点差に。この白元のシュートは一度フェイントのジャンプを入れてから放った技ありのシュート。尹京信、趙致考の次に警戒せねばならない選手に要所で決められ得点差が縮められない。


11分50秒に中川が決めて 17-20 とするが、ここから韓国は3連続得点で日本を突き放す。12分22秒には鄭義京から鄭秀泳に繋いだスカイプレーで、12分54秒には鄭秀泳が連続ゴールを決め、15分34秒には李駄栄が決めてあっという間に6点差がついてしまい、酒巻監督はたまらずタイムアウトを取った。この間約3分間、日本も応戦はするがそれに立ちはだかったのがGK姜一求。中川、末松そして宮崎のシュートをことごとくスーパーセーブで防ぐ。

              
   
その後の宮崎のシュートがポストに当たるなど運も無かった。また山口のポストプレーも相手DFに読まれているみたいだった。 この連続失点の間でもベテランGK四方が尹京信の 7m Throw をストップするなど大観衆を沸かせたが流れを引き寄せることが出来ない。 6点差になった時点で 残り時間15分弱。北京への路がだんだん遠のいていく。後半から韓国はずっと 6-0 の守備体系を敷いている。そのせいか、後半はこの時間まで日本は6得点しか挙げられない。GKが好守を連発しているだけにもっと攻撃にリズムが出てもいいのだが速攻が見られない。残り時間と得点差を考えれば攻撃に時間は掛けたくない。満員の観衆の為にも今後のハンドボールの興隆の為にも最後の大切な15分弱となった。

タイムアウトの間、酒巻監督はどんなアドバイスを与えたのか、試合再開後の日本の動きが良くなった様な気がした。16分29秒にはエース宮崎が決めて5点差に。会場からは“ダイスケコール”が起こる。韓国が攻撃に転ずるが鄭秀泳のシュートをGK四方が顔面の右側面に当てて止める。少し痛んだか時計が止まるがここは四方の“技あり”の間の取り方かもしれなかった。会場からはサッカーの試合でよく歌われる “ Oh Vamos ニッポン “の応援歌が合唱される。後で聞いたがサッカー関係者から青色の応援グッズが差し入れされたとの事。 
18分を過ぎると韓国は攻撃に時間を掛ける様になる。18分41秒に世界選手権熊本大会メンバーだった198cmの岩本が撃つがGK姜一求が止める。しかし19分4秒に古家が決めて3点差。これはメンバーチェンジでコートに入ろうとした豊田がインターセプトを狙ってコートインしそこから生まれたチャンス。 
19分26秒下川が相手DFラインに割って入って撃ったシュートが決まって3点差。この試合初めての3連続得点に観衆から大歓声が沸きあがる。ここで韓国ベンチは試合を落ち着かせようとする意図かベテラン趙致考を投入。豊田のシュートが止められた後の22分49秒、門山が決めて 21-23。これで4連続得点。後半2分30秒に富田が決めて 13-15 として以来の2点差となった。それまで9mラインの外側を左右に回すパスばかりが目立ったが6点差を付けられて開き直ったように相手DFラインに向かっていく縦パスが顕著になり連続得点に結びついたか….
その後の韓国の攻撃をうまく止めたところ23分26秒韓国、金泰勲監督がタイムアウトを取った。大歓声に送られ日本の選手もベンチに戻っていく。頼むぞ、逆転できるぞ。いけるぞ。北京だぞ….テレビに向かってそう呟いた…

この試合での五輪権は獲得出来なかった。韓国選手団、そしてサポーター達の喜びが爆発する。これで対韓国戦は18年勝ち星なしの2引分を挟んで16連敗。 男女揃って韓国の軍門に降ったがこれが実力通りの結果だろう。男子は期待したが。 敗因は何だったのだろう? 
ここぞと言う時にGK姜一求に止められ、さぁこれからと言うときに白元に決められた印象が拭えない。

            

尹京信は2得点に終わったが、コンディションがあまり良くなかった様だ。と言うよりもこの試合, 彼は注意を引き付ける役目を担っていたか….1985年、東京での日韓戦の崔淳鍋の様に…….
日本はもっと速攻が出なかったか?そして韓国が時折見せたスカイプレーも見せて欲しかった。白元の他にも 5得点の鄭秀泳、4得点の李駄栄、李才佑。彼らを見ていると70年代から80年代日本を苦しめた韓国サッカー界を思い出す。エース格の車範根、崔淳鍋 (尹京信、趙致考 )よりも李栄武、許丁茂、李泰昊といった“うるさ型”の選手に痛い思いをさせられた記憶が蘇る。だけど日本も尹京信の様な大砲が欲しいなぁ。かつての“世界の” 蒲生晴明の様に。こういう選手がいてこそ宮崎、末松がさらに生きて来ると思う。ロス五輪で蒲生の現役時代のプレーをテレビででも見られたことは幸せなことなのかもしれない。最近の子供が王、長島、そして釜本を知らない様に。
涙に暮れる日本選手団。そこに観客席から“まだ終わってないよ。”と、声が掛かる。 5月には世界最終予選に一縷の望みを託す。対戦相手はロシア、クロアチアそしてアルジェリア。サッカーなら全勝する自信あるんだけどな。(関係ないか??)
昨年の世界選手権ではクロアチアが5位、ロシアが6位、そして予選ラウンドでは韓国がクロアチアに 23-41 で破れ、ロシアとは32-32で引き分けている。韓国はこの大会16位、日本は2006年のアジア選手権(バンコック)で5位に終わり出場できず。
アルジェリアとて Easy な相手ではないだろう。
アテネ五輪ではクロアチアが金メダル、銅メダルはロシアで韓国は8位だった。ここでも予選リーグで韓国はクロアチア、ロシアと同じ組に入りクロアチアに 26-29, ロシアに 35-32 と言う戦績を残している。最終予選は非常に厳しい戦いとなるが案外ロシアと韓国の試合を分析できれば少しは可能性が上るかも?? しかしもっと大切なことはこれからハンドボールをもっともっとメジャー化することだ。多くの人が忘れているかもしれない、サッカーではアジアの壁を破ってワールドカップ出場を決めたのも、五輪に28年ぶりに出場権を獲得したのもJリーグが発足してからでそれまではまだアジアの中でも位置付けはトップクラスではなかった。
この再予選でハンドの魅力が広く紹介された事だろう。 日本リーグもまだシーズン中だし2月17日からイラン、イスファハンで世界選手権予選を兼ねたアジア選手権が開催される。(でも日本は選手団を派遣できるかな….) 2年毎に開催されるアジア選手権そして世界選手権を追っていけば楽しめると思う。これまではテレビ中継はおろか新聞に結果さえ載らなかった大会だ。アジア選手権が日本で開催される時があればは東京でやって欲しいなぁ……….

30日の試合後私は2003年のFIFA U-20 の決勝トーナメント1回戦、日韓戦の試合のビデオをみた。この日の悔しさを紛らわすために…