Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

旧友達との再会  第43回全国中学校サッカー大会    高槻九中 1-0 総社東中  19th August

2012-08-20 | 五輪 U-20, U-17
やっと見に来る事が出来たなぁ…..

我が母校、大阪府高槻市立第九中学校はサッカーの名門。 今年も3年連続で全国大会出場を決めてくれた。
今年の全国大会はてここ関東地方の茨城県で開催された。 ようやく九中サッカー部の全国大会での試合を見られる事が出来た。 前のブログで書いたけど私はサッカー経験者ではありません。 中学、高校時代は水泳部。そして大学に入って陸上競技を始めた。 中学のサッカー部は超が付く程の強さ。1学年上の先輩達が全国大会に出場した。同級生達も強かったけどさすがに2年連続は….と思っていたけどあれよあれよと勝ち進み遂に2年連続での全国大会出場を果たした。
ある3年の7月の試合だった。運動場でまたサッカー部が試合をしている。 まぁどうせ勝つんだろう?と思って見ていた。
圧倒的に試合内容で押しまくりながらなかなかゴールが決まらない。 終盤GKと1対1になるチャンスがあった。しかし、グランドに脚を取られてシュートをミスった。 おいおい、と思った。当時は土のグランドだったからなぁ~。そしてPK戦にまで縺れ揉んだ。
最初のうちの中学のキッカーが外してしまった。見ていた女の子や同級生達からは驚愕の悲鳴があがった。あいつが外したのか?
しかしGKが頑張って相手のPKを止めてこの試合は何とか勝った。 そして最初にPKを外した奴とGKが抱き合っていた。
なんだ、やっぱり勝ったんじゃないかぁ….と思った。 しかし、今から考えればもしGKが頑張って相手のPKを止めなかったら、彼らの全国大会は無かったのだった。 それは後になって思いだして解った…

当時私はサッカーが大嫌いだった。 理由は簡単、強いサッカー部を妬んでいたからにすぎない。 女の子達は強いサッカー部や練習試合で勝った事さえない野球部員にキャーキャー言っていた。 我が水泳部だった高槻大会総合2位の実績であったがサッカー部の栄光にはとても太刀打ちできない。 
中学を卒業してもいつの日かスポーツで成績を上げて女の子達にもてたいなぁ~っと思い、全国大会に出場するサッカー部はやっぱし過ごいんやなぁ~と常に思っていた。

高校に進学して続けた水泳はさっぱりだったけど大学で始めた陸上競技はあっという間に強くなりついに全国大会、日本インカレの出場権も手に入れた。 初めてインカレの出場権を得た時は中学校のサッカー部に追い付いたと思い嬉しかった。 そして自分は彼らが中学時代に全国大会に出場したのを見たからここまでこれたんだと思った。 今では妬んでいた彼らを本当に感謝している。

母校の試合の前に行われた試合を観戦した。 東北学院中学対鹿児島育英館中学。 共に私学同士の対戦だ。
中学生の試合を生観戦するのはほぼ初めてだ。 やっぱり中学生。高校生とは絶対的な体力、パワーの違いがある。 ボールの飛ぶスピード、距離が違う。そして遠くに蹴る時にはどうしても“せ~の”と反動のタイミングが入って来る。 
試合は東北学院が早々と先制するとすぐに育英館が追い付く。だけど同点ゴールはちょっとGKのミスっぽかった。
以降はどちらかと言え育英館がボールを繋ぐのだけどシュートに迄は持ち込めない。
そして東北学院が追加点を上げる。右サイドで得たFKを中央でヘッドで合わせて育英ゴールに叩きこんだ。
ヘッドも見事だったけど東北学院の14番のFKが素晴らしかった。



この14番の選手が他の選手よりも能力が頭一つ上回っていると思い、彼のプレーに注目をする事に。 実際にボールの繋がりが今一つの東北学院であるが14番にボールが入った時は何かが起こりそうだった。 
鹿児島育英館はこちらも右サイドの14番の選手が切れのあるドリブルを見せる。しかしボールは繋がるのだけどゴール前での正確性がやや欠けていてシュートに持ち込めない。  そうして追加点を上げるのは東北学院で更に2点を追加し 4-1 となった。 試合内容はそんなに変わらないのに。やっぱりサッカーは相手ゴールにシュートを決める数を競う競技と再確認してしまう。
後半、水飲みタイムを過ぎると鹿児島育英館の14番が中央に入って来る。 東北学院も疲れが出て来たのだろう、14番そして育英館FW陣を捕まえられない。 ここで頼りになったのが東北学院のCB背番号15番。 この15番体格も大きく今はあまり聞かれないストッパー的な役割をしPA内に侵入する選手を止めていた。  
試合終了時間が近づくが鹿児島育英館も何とかもう1ゴールを必死にボールを前に運ぼうとする。この炎天下、中学生をこんなに走らせて大丈夫かと思う。 しかし2点目は生まれず東北学院が 4-1 で勝利を納めた。 
両チームの選手とも丁寧に挨拶をし、御父兄方々からも温かい拍手が。
35年前同級生達が全国大会に出た時はどれだけの人が見に来たのかなぁ~と思った。 
敗れた鹿児島育英館の選手達も多くがそのまま付属の高校に進学し同じメンバーでサッカーを続けるのかなぁ….と思った。そういう意味では私学は良いかもしれない。 サッカーのスキルアップも同級生と続けられると言う事も。



母校の試合迄1時間以上あるのでとりあえず清涼飲料水の自動販売機を探す事に。 競技場には屋根が付いていないのでこんな炎天下試合を見るのも大変だけどこんな試合をする方も大変だなぁと改めて思った。

少しぶらついていると母校でコーチをしている同級生とほぼ30年振りで再会した。試合前の忙しい時間に立ち話をした。
最近は中学生とて私学がスポーツにも力を入れ出し、サッカーも例外ではないらしい。 元Jリーガーをコーチとして雇用したり、特に高校と併設されている中学は施設、設備も充実している。 
彼は“私立だけ別の大会を作って欲しいくらい。”と話していた。 今大会も出場32校中11校が私学。 全国優勝となるとずっと私学が続いている。 高槻九中はこれで全国大会が6度目であるがそれは大阪勢では最多出場とのこと。 母校の様に普通の公立中学が連続して大阪府、近畿地方様な学校の多い地区を勝ち抜くなんて本当に奇跡に近いらしい。それだけに頑張って少しでも長く大会に残って欲しいなぁと思う。
またJリーグが創設されて以来、各チームがジュニア・ユースチームを持つようになってから中体連とクラブチームとの差が広がり始め、今や全国中学校大会はこの年代の最高の大会とは言えなくなっているらしい。それは高校サッカーにもあてはまるらしい。

すると見憶えのある顔が数人、同級生達が高槻から観戦に来たのだった。 懐かしい彼らと色々話しが出来た。 当時の試合の話し何かをしていた。そこには私は入っていけない。改めてサッカー部員が羨ましく思った。 
1人は最近結婚したばかりで奥さんと一緒に来ていた。ずいぶん若々しい奥さんだなぁと羨ましく思った。 1人はまだ独身。こいつは高校でも大阪選抜に選ばれるくらいの選手で女の子には一番人気があったなぁ。 高校の時大阪選抜対京都選抜の親善試合を観に行ったんだぞ、お前が出ていたんだぞというと、そんな試合に出ていた事を憶えていなかった。 おいおいと思った。
1人は家族で柏に住んでいて今は単身赴任で仙台。敬虔な柏レイソルのサポーターらしく、“この前は仙台でレイソル戦行ったンやろ?よくぞ引き分けてくれたってレッズサポーターの息子が言っていたぞ。”と言ったら笑っていた。 昨年、さいたまスタジアムでレイソルが優勝を決めた試合は当然見に来たらしい。水泳部の友人の近況を知っていて驚かされた。 そして1人は今でも高槻在住。今でも中学の同級生達とはどこかでばったり出会うそうだ。高槻も変わったぞ…と言われた。もう何十年離れたかなぁ…..
そして1級上、2級上更に数年上の先輩も。でもサッカー部員で無い私はだれだか解らなかった。 4級上の先輩は今は引退したけど国際審判員も務められたらしい。
そして1級下ではJリーガーだったのも。今では彼も高槻九中でコーチをしているらしい。

そうこうしているといよいよ母校の試合時間が近づいてきた。 午後2時半キックオフであるが太陽が雲に隠れる事もありやや気温が下がったみたいだ。 出来れば良いコンディションでプレーさせてあげたいなと思う。
対戦相手は中国地方・岡山県代表の総社東中学校。前の試合と異なり公立中学同士の対戦だ。こちらが勝手に緊張をする中、キックオフの笛が鳴った。総社東のキックオフで始まった試合、全国大会とはいえ選手は中学生。メンタルな部分がかなり支配する。はやく緊張が解けないかと思う。しかし心配をよそに主導権を握るのは我らが高槻九中。
開始早々14番がヘッドを放ち、9番からボールを受けた11番がシュートを放つ。3分には14番が今度はシュートを撃つがここはGKがキャッチ。 サイドでボールを受けると後方の選手がサイドラインぎりぎりのところを掛け上がったり、ダイレクトパスを繋いだりまたボールを出し受けする選手だけでなく第3の選手の動きが多い。比べるのはよくないが前の試合よりはレベルが高そうだ。その後も 相手PA内に侵入するが大事に行こうとなかなかシュートを撃たず相手DFに身体を入れられてしまう。 
“OB達”からは、立ち上がりなのだからちょっとは強引に行けば…. との声が出る。 しかしシュートシーンも徐々に増えて来る。中には決定的なチャンスも。 
相手ボールになってもパスコースを切ったり中に入れささず外に外にと出させる。
“あの10番が前線に張られた方がこっちは脅威なんだけどなぁ” と同級生の1人が言った。
上背のある総社東中の10番はキックオフ前からどんな選手だ?と警戒していたが以外に中盤に居る事が多かった。 
主導権を握れない総社東ベンチは18分に早々と1人目の交替カードを切る。 
ここで出て来た18番はスピードあるドリブルを見せていた。それでも高槻九中は前半は最後までシュートを撃たす事はさせなかった。 20分にはカウンターから波状攻撃をしかけ11番がシュートを、22分にも11番がドリブルシュートを放つが決まらない。 前半終了間際には14番がシュートを撃つがGKがストップ。 攻勢が続くもあとはこちらがシュートをゴールにいれるだけなんだけどと思った。

 

後半に入り高槻九中は選手を右サイドバックの選手を替えた。その3番が後半開始早々にサイドを上がりそこから波状攻撃を作る。しかしゴールは決まらない。 40分に掴んだCKのチャンスも決まらない。
“そろそろ決めないとちょっと嫌な展開になるでぇ。”後ろに座っていた同級生が漏らす。 
46分またもCKのチャンスを得る。 “ここは決まりそうな気がするなぁ~。”同級生の1人が呟く。 するとそのCKに飛び込んだ11番がヘッドが総社東ゴールネットに突き刺さり待望の先制点が決まった。 一斉に立ち上がり大歓声を送る。 なかなか決まらなかった11番のシュートがやっと決まった。 やったぁぁぁ~と云うよりも安心感の方が大きかった。



以降も高槻九中が主導権を握り続け総社東ゴールに迫る。 しかしGKが素晴らしくなかなか追加点が奪えない。 相手DF陣をかわしてフリーでシュートに持ち込むもGKがファインセーブを連発する。 
こんな時心配なのがカウンターから同点ゴールを決められてしまう事。 そしてPK戦に….まだ独身の同級生は2年の時からレギュラーで1級上の先輩に混じり全国大会に出場したけどその試合はPK戦で敗れたらしい。 相手は鹿児島県の桜島中学。そして対峙したのが帝京高校でも活躍し今はたまにサッカー解説もする川添だったらしい…



そう考えていいたらカウンター攻撃を受け最後は8番の選手にシュートを許す。その弾道は大きくクロスバーを越えたけど見ているこちらは一斉に胸をなでおろす。 “ヒヤっとするな~。”誰かが云った。 私もそう思った。

しかし結局総社東中が放ったシュートはこのシュート1本のみ。 1分あったロスタイムも過ぎ、我が母校高槻九中が見事に1回戦突破を果たした。  

試合終了後、敗れた総社東中学がスタンドに向かって丁寧に挨拶をするのを見てこちらも感動を覚える。
同級生達も“ 偉いなぁ。”と感心する。そしてこの試合一番ボルテージの高い拍手が送られた。 



旧友達とはまたいつか再会したいな…と言葉をかわして別れた。

そして自分が陸上競技であれだけやれた事を今になって良かったと思った。もしそうでなければ私は今でも彼らを妬んでいただろう。こういう場所には出て来なかっただろう。 やっぱり俺は小心者なんだなぁと思った。
でももっともっと練習すればよかったなぁ。そうすれば陸上で、もっと上に行けただろうなぁとも思った。

だけどやっぱりサッカー部員のあいつらは羨ましいなぁとまた思った。

翌日高槻九中は千葉県代表の中学に 0-1 で敗れたと友人から連絡があった。 あぁそうか、残念。 一昨年は準決勝、昨年は準々決勝まで進出した。 同級生達は1回戦で惜敗したけどその相手は千葉県代表だった。 千葉県代表は鬼門なのか?
だけどここまでこれた事は人生の糧になるぞ。 これからもがんばれよ。そして試合に出られなかった3年生、ベンチ入り出来なかった3年生、君たちこそ高校になっても続けろよ。 チャンスはまだまだあるぞ。 

そして高槻九中からサッカー部の活躍に刺激を受けて頑張る中学生が1人でも多く出て来る事を望む。35年前の俺の様に。

だけど俺みたいな半端な人間になるなよ…




サンガ首位戦線に。そして隔世の思い。  東京ヴェルディ 0-1 京都サンガ 12th August 2012

2012-08-13 | 京都サンガ J-League

蒸し暑かったこの日。吉田寿光主審の試合終了を告げるホイッスルが味の素スタジアムに鳴り響いた。

よ~~っし。ナイスゲェェェ~ッッッッム 。私はロンドン五輪男子サッカーで銅メダルを逃したというよりも韓国に敗れた悔しさを少し晴らす事が出来た。と思った。 しかし2位のベルディを破ってのこの勝利はサンガにとって大きな勝利。 これで第29節を終わって首位を行く甲府から勝ち点4差、勝ち点52で順位を6位から4位に上げた。同じ勝ち点52には他にベルディとベルマーレがいる。

昨シーズンは天皇杯決勝に進出するもJ 2League では7位に終わり2シーズン連続でJ2でプレーする事となってしまったのだ。
今シーズンは出だし好調で開幕戦から湘南、千葉と云った昇格候補チームを連覇する等一時は首位に立つも第12節の富山戦から19節の千葉戦迄7試合で3分4敗と急ブレーキがかかった。そして以降4連勝を続けているが対戦相手は熊本、愛媛、町田、鳥取と中位のチームが相手。自動昇格、首位戦線に残る為には上位を走る東京ベルディには絶対に勝ちたいところであった。

そして東京ベルディであるが…ベルディサポーターには失礼だけど、本当にどうしてしまったのだろう?と心配してしまう。
日本リーグ時代、1978年に1部リーグに昇格しいきなり4位に入り以降は日本リーグを牽引して来た。 80年代の後半、日本リーグでの読売クラブ対日産自動車戦はゴールデンカードで当時でも他の試合の2倍以上は観客が入っていた。(と言っても2,000人から多くても3,000人くらいだったかなぁ。) 
J League が発足する前年、日本リーグの最後シーズンの最後の試合、読売クラブ対日産自動車の試合は2万人近くの観客が国立競技場に集まったんじゃ無かったかな?今でも当時の読売対日産に試合を生観戦出来た事を幸福に思う。

1993年5月15日に待ちに待ったプロサッカーリーグ J-League が遂に始まった。開幕戦はベルディ対横浜マリノス。 この試合も現場観戦できると言う幸運に恵まれた。 その開幕戦こそ敗れたもののラモス、KAZU , 武田、北澤、柱谷哲二、ビスマルク、菊池新吉らのいたベルディは強かった。 他のチーム、そしてサポーター達からは常に標的になる程強かった。 

しかし栄光は長く続かなかった。 1997年にビスマルクが退団すると急速に弱くなった印象がある。そして推定3億5千万円の破格の移籍金で入団して来た前園は機能せず、シーズン末にはチームの呼称問題から渡辺恒雄御大と川渕チェアマンとの代理戦争の様な形で読売新聞社と読売ランドが経営から撤退しチームの財政事情が一転。チームの主力選手であった柱谷哲二やKAZUと云った高給取りを次々に手放さねばならなくなり優勝争いに絡めないチームとなってしまった。

2004年に天皇杯で優勝を飾ったが2005年には遂にJ2に陥落。 ラモスを監督に据えるなどしたがすぐにJ1昇格は2008年のシーズンまで待たねばならなかった。しかし3シーズンぶりに復帰した2008年のJ1は甘くなく、川崎にレンタルしていたフッキを復帰させたがわずか3カ月でFC Porto に移籍されてしまうなど戦力が整わず1シーズンでJ2に戻ってしまった。

そして再び陥落したJ2でも3シーズン連続で昇格争いに絡めなかった。 かつてはJリーグブームに乗って1試合平均 25,000 人以上の観客動員を誇った人気チームも今昨シーズンは 5,710 人/試合。 まぁJ1に復帰すれば1試合平均14,000 人程度は集められるチームなのだから早くJ1に復帰したいと言うところなのだろうか?

そしてこの日の京都戦も観客数は 4,824 人だった。 お盆休みで帰省する人も多かったと思うけどJ2とは言え昇格争いをするチーム同士の対戦なのでもっと入ると思ったんだけどなぁ~。

4連勝でベルディ戦に臨むサンガはFW 久保裕也が SBSカップ国際ユースサッカーの U-18 代表に召集されている為にこの遠征には帯同出来ず宮吉のワントップ。 ただ裕也はまだ今シーズン1ゴールしか決めていない。
ベンチにはスーパーサブ原一樹が控えるけどもっとスタメンで使って欲しんだけど。これまでスタメン起用は3度。ここ3試合は起用されていない。 大木監督はしばらくワントップを敷いているからなぁ…

CBには染谷とバャリッツァが。安藤淳は右SBだった。

前節富山を 1-0 で降したベルディはDFラインと中後、柴崎のボランチは同じメンバーだったけど前線をトップ下の和田以外の3人を替えて来た。これまで14得点で得点ランク2位の阿部拓馬が出場停止明けで帰って来た。ベルディ首脳陣としては前節富山戦から怪我で離脱した西紀寛が還ってくるまで何とか上位に踏みとどまりたいところだろう….
ホームのベルディが写真付きで紹介されるが右SBの森勇介が紹介されるとサンガサポーターからはブーイングが飛び左SBの中谷勇介が映し出されると拍手が沸き上がった。 

 




                                  GK 1 土肥 

       19 森勇介       21刀根        4 高橋       6 中谷  

                  8 中後              7 柴崎

       14 小池      22 和田       15飯尾  

                    9 阿部

                   13 宮吉 

        22 駒井     23 充孝        10 工藤  

          15 中山               4 秋本  

     16 福村   20 バヤリッツァ  3 染谷    8 安藤  

                   GK1 水谷

 

京都のキックオフで始まったゲームは開始早々はベルディが押してくる。 阿部のボールキープはなかなか取れない。 3分にはCKを与え最後はGK水谷がエリアの外に出てようやくクリアーする。 7分には阿部にボールが入りバヤリッツァがファールで止めてFKを与えるがそのFKは水谷がパンチで弾き出す。 立ち上がりのベルディは阿部が左右に動いてボールを受けると2列目の3人がどんどん押し上げて来きてはサンガDF陣が身体を張って何とか止めていた。 

ようやく13分、京都は宮吉がドリブルシュートを見せる。惜しくもポストの左に外れて行ったがその前にDFに当たったのかCKとなった。
しかしそのCKからカウンター攻撃に結び付けられ和田からの縦パスを受けた阿部がシュートに持ち込むがここは水谷がファインセーブでストップ。 何とか阿部は止められないものか….と不安になる。

サンガは連敗中(と言ってもテレビで2試合ほど見ただけであるが)はボール繋ぎに固執するあまり片方のサイドに選手が集まり相手チームはボールを奪うと逆サイドに振りそこからカウンター攻撃を仕掛け得点チャンスを見出していた。 
この試合もそれが心配だったんだけど…..しかしヴェルディの阿部の動きの方がこちらには心配を増長させていた。
14分にはカウンター攻撃を受け最後は工藤が阿部をファールで止める。そしてイエローが出された。 23分にはバヤリッツァが相手の攻撃をファールで止めて嫌な位置でFKを与える。そのFKから繋がれ最後はGK水谷までかわされたがサンガDF陣は必死のカバーでゴールを割らせない。 そしてこの時間帯から阿部がサンガの右サイドをどんどん突いて来る様になった。そこにCBのバヤリッツァが釣り出され2列目真ん中の和田が前線にせり出して来る。 
29分には左サイドに流れた阿部が上げたクロスに和田が飛び込むが中山と福村が必死に身体を寄せ良い態勢でヘッドを撃たせなかった。 その後もなかなかシュートに持ち込めないサンガとは違いヴェルディがこちら側に、サンガゴール側に押し寄せて来るシーンが続く。
41分には中谷が左サイドを上がり入れたクロスに和田が飛び込むが福村が競ってなんとかCKに。 そのCKに再び和田にヘッドであわされたがここはシュートが外れてくれて胸をなでおろした。 そして前半終わりころになるとヴェルディはロングボールを多用してサンガの左サイド、福村の後ろにボールを入れて来た。 しかしここは福村、そしてバヤリッツァが身体を張って攻撃を凌いだ。3分あったロスタイムも過ぎ前半は両者無得点で終わった。 



高温多湿の中でも試合、選手の疲労度は、そしてどれだけスタミナが残っているのか…..それにしても荒れたピッチだなぁ~と思った。 ほぼ全日程を終了したロンドン五輪。 2020年東京五輪を再び誘致しているが実現すればここでサッカーは行われるのだろうか?と荒れたピッチを見ながら思った。 そうなったらサッカーの試合をどんどんハシゴしたいなぁと思ったけど日本人は世界でも屈指の五輪好きな民族なのでどんな試合でもチケット入手は厳しいだろうなぁ~、2002年のワールドカップの時の様にと思った。

後半何とか打開策は、と思うも48分カウンター攻撃から阿部にフリーで抜け出される。あぁやられた!!と思ったら福村が後方からタックルで阿部を倒してストップ。 あぁ、このプレーは….と思った通りに吉田主審は一発レッドを福村に出した。 あぁ~福村退場かぁ~。 彼がいてもあれだけピンチを招いていたのに、いなくなると….と気分が重くなった。しかもFKは非常にいやな位置。このFKはヴェルディがトリックプレーを使ったけどシュートは大きく外れてくれた。 

このプレーが終わるや否や、サンガベンチは宮吉を下げて酒井隆介を投入し左SBに入れる。そして中村充孝をややワントップ儀見に上げるが実質ゼロトップと言えた。 そして楽しみにしていた原一樹を見られる可能性はこれで激減したと思った。
1人少なくなったサンガ相手にベルディは小池と飯尾がワイドに開きボランチの柴崎と中後がどんどん上がって来る様になった。中盤に人数を掛けられサンガはボールが繋がらなくなってくる。 51分には和田から阿部に縦パスが入りシュート体勢に入られるがバヤリッツァが必死のクリアーでなんとかCKに逃れた。 
62分には中盤で工藤が接触プレーで倒れて起き上れない。ここで工藤がピッチから消えたらちょっとこの試合は….と思ったけど何とか戻って来てくれた。 しかしこの直後に我々が狂喜乱舞する。 中央で起き上ったばかりの工藤からボールを受けた充孝が狙いすまして放ったミドルが低い弾道でヴェルディゴールに向かって飛びGK土肥が右に倒れ込むもその下を掻い潜ってヴェルディゴールネットに突き刺さりサンガの先制ゴールとなった。 ゴール裏に陣取る我々の方に向かって飛んできた弾道は見事一言。 劣勢の中での素晴らしい先制ゴールであった。 

ビハインドを負うベルディベンチは 68分 中後に替って元日本代表、184cmの巻誠一郎が投入され阿部と2トップに。そして和田がボランチの位置に下がった。 74分には中谷が下がり梶川が。おそらく3バックにして中盤に入ったと思われた。 

しかしここから駒井のドリブルが冴え出し、対峙する小池を振り切るシーンが。77分には充孝が駒井とのパス交換から抜け出しシュートの持ち込むが梶川に倒される。しかしホイッスルは鳴らなかった。 PKだと思ったんだけどなぁ….

ピッチの上では選手達が給水するシーンがだんだんと増える。 相当な暑さだろうなぁ。やっぱしサッカーは冬にしないとなぁ….
こうなると運動量というよりもロングボール主体のゲームにどうしてもなるだろうぁと思った。

 

78分にはベルディMF小池が下がり19歳のFW南秀仁が入る。これで前線は3トップか?サンガベンチは79分に中山博貴が下がり内藤、83分に工藤が下がり倉貫が入るが共にMF陣をフレッシュにする交替。 これで中盤の運動量が相手より勝る様になり更に駒井のドリブルが冴える様になってきた。87分には相手DFを2人かわして素晴らしいドリブルシュートを放つも3人目のDFに当たってCKに。 終了直前にも駒井が粘って内藤のシュートを引き出すもGK土肥がストップ。   
ベルディは巻の長身を生かすべくロングボールをもっと多用するかと思われたけどそれほどでもなかった。

そして5分あったロスタイムも過ぎ、吉田主審のホイッスルが鳴り響いた。
立ち上がりから押されっぱなしで、しかも退場で一人失うも先制ゴールを決め後はしっかりと守り追加点のチャンスも作った…
会心のゲームとは言いにくいけど2位のヴェルディ相手に貴重な勝ち点3を上げる事が出来た試合だった。



ヴェルディのホームでの連勝記録は7でストップした。

 

そしてサンガは翌週の横浜FC戦でも 2-1の勝利を納め2位に浮上して来た。 この試合あの King Kazu がスタメンだった。

まだ今シーズンは10試合以上残っている。 しっかりと勝ち点を積み重ねJ1に復帰して欲しい。

それが切なるサポーターの願いだ……  しかしオリンピック終わって気が抜けてもうたわ…..

 


起来~、起来~、起来~、前進、前進、前進

2012-08-08 | 夏季五輪
このオリンピックも中国国歌を何度聴くのだろう?大会中日を過ぎて金メダル獲得数はトップを行く。
子供の時はいつもアメリカとソ連がメダル争いをしていたけど最後は State Amateur で構成されたソ連が金メダル数でアメリカを上回っていた記憶があった。 ヘルシンキ五輪からオリンピックに参加し始めたソ連はアメリカの40個に続く22個の金メダルを獲得し2位に入ると4年後のメルボルン五輪では37個の金メダルを勝ち取り32個のアメリカを抑えて1位に。 4年後のローマ五輪でもソ連の金メダル獲得数はアメリカの34個を9個上回る43個に。しかし続く東京 ( アメリカ36 ソ連 30 ) メキシコ五輪 ( アメリカ45 ソ連 29 ) ではアメリカがソ連を上回る。そして12年振りに欧州で開催されたミュンヘン五輪では東ドイツが台頭して来て事もありアメリカの金メダル数は 33 に激減、ソ連は50に伸ばした。欧州で開催される五輪ではソ連の強さが目立ったがそれは選手亡命の危機が薄いからか? 
だが4年後のモントリオール五輪では東ドイツが40個の金メダルを獲得しアメリカの34個を上回りソ連の49個に続く金メダル獲得数で2位に入った。 Korniel Enderが金メダル4つを勝ち取る等女子水泳で13種目中 らのいた東ドイツは11種目の金メダルを勝ち取り、アメリカの金メダルは最終日の 4 x 100m リレーのみとなった。この時は中学生で最後にアメリカチームが大喜びしているのを憶えている。



この優劣は12年後、東西両陣営が揃った1988年ソウル五輪でも続き36個のアメリカはソ連(55個)東ドイツ(37個)の後塵を拝した。 女子水泳種目で東ドイツのKristin Otto が個人で3つ、リレーで3つのあわせて6個の金メダルを獲得したのを始め14種目中10種目の金メダルが東ドイツ選手で占められたのを憶えている。 



そしてこの翌年誰もが想像しなかった共産圏の崩壊が起こり東ドイツはドイツに吸収され、ソ連は翌バルセロナ五輪こそ独立国家共同体と云う国体で出場しアメリカの37個の金メダルを上回る45個の金メダルを勝ち取ったが、次のアトランタ五輪からは旧ソ連邦は各共和国が独立し、アメリカが金メダル獲得数では首位を走っていた。 そして東ドイツを吸収したドイツはそれほど金メダル数を伸ばせず、むしろ旧東ドイツが前から噂されていた国家での薬物体制が明らかになった。
アメリカに対抗する国として中国が台頭して来たのはシドニー五輪からでこの時はアメリカ(40個)ロシア(32個)に次ぐ3番目となる28個の金メダルを獲得した。
4年後のアテネ五輪ではアメリカが中国が32個の金メダルを勝ち取り40個の金メダルを勝ち取ったアメリカに次いで遂に金メダル数で2番目に上がると前回、2008年、中国は地元開催の北京五輪でアメリカの36個に15個も差を付ける51個の金メダルを獲得する。 競技種目数の違いはあるが、東西両陣営が揃った五輪で1カ国で50個以上の金メダルを勝ち取ったのはソウル五輪のソ連以来であった。
そして今年のロンドン五輪。 大会12日目を終えた時点で金メダル数をみると首位は中国の34個。 次いでアメリカが30個獲得しており序盤なかなか金メダリストが生まれなかった地元英国が12個で3番目に付けている。 そして韓国が12個も金メダルを勝ち取り4番目に付けており、北朝鮮が既に4個の金メダルを獲得している。 ロシアが10個(しかし銀メダル18個、銅メダル20個)しか得ていない。連邦は崩壊したけどかつての勢いは….
日本は金メダルがまだ2個(柔道松本、体操内村)のみだが銀メダル13個、銅メダル14個も勝ち取っておりメダル数だけで言うと5番目である。 

Chinese Taipei, Hong Kong China….

オリンピックで選手達の紹介後に国籍も当然アナウンスされる。台湾や香港の選手はこういうときどう思うのだろう? 女子重量挙げ 53kg で銀メダルを勝ち取った淑浄許 Chun Kuo Hsing は表彰台に上がり国旗が掲揚されるときにどう思ったのだろう。“それは多くの人が思うことだ、たとえそれが容易でないにしても。事実我々は別の国である。 Chinese Taipei は地理的というよりもむしろ政治的な用語。我々は好きではないが受け入れねばならない。それはアスリートにとってはフェアーではない。 我々はそれを説明し、なぜこういう国名と国旗を使っているかを解って貰っている。そしてその国旗を見ているがそれはただ政治的なことだけだ。“ 彼女はそう語った。 
この記事は英国紙で見つけた。 日本の新聞でどこか報道したかな? テレビである中国人が台湾人も香港人もみな中国人。台湾も香港も中国の一部。といって台湾人を怒らせていた。 
1976年モントリオール五輪では台湾呼称問題で開会式の前日に台湾選手団が引き上げてしまった。
この五輪、中国は台湾(当時は中華民国と広く呼ばれていた)が参加をすることに抗議し早々と不参加を表明していたが、大会が開催される5年前には既に国際連合総会が中国の唯一の合法的代表は中華人民共和国であり蒋介石の代表である中華民国を即時追放するという内容の国連総会決議2758を採択したことにより、中華民国は国連脱退を宣言していた。
そして1970年にカナダは中国と国交を樹立したことをはじめとして、中華人民共和国は西側諸国との関係改善を続け、中華民国とこれらの国との国交断絶が相次いだ。
そしてモントリオール五輪で、開催国のカナダは、「R.O.C.=中華民国」の呼称とその国旗である青天白日満地紅旗を使う限り、台湾からの選手団を受け入れられないとの方針をとった。IOCは1969年に交わした取り決めに反するとして非難したが、カナダは態度を変えず、この問題によりモントリオール開催の中止も検討された。IOCが示した「台湾」という呼称を使い五輪旗を掲げる妥協案を台北の中華奧林匹克委員會(R.O.C.オリンピック委員会)は受け入れず、アメリカでカナダ入国を待っていた選手団を呼び戻した。 モントリオール五輪が開催される前年に蒋介石はこの世を去っていた

永遠に経済大国であるという幻想に酔っ払っている政府、役人そして大企業のえらいさんはいつになったら夢から覚めるのでしょう? がんばれ石原東京都知事!



他国の金メダルまで取るなよ….
大会序盤カザフスタンの女子重量挙げ選手が金メダルを連取した。 しかしこの金メダルも中国に帰属するものであると中国では報道されたらしい。

重量挙げ女子63キロ級で金メダルを獲得したマイア・マネザ(カザフスタン)。一方的に“中国出身”と主張され、当惑しているという(ロイター)
 【北京=川越一】ロンドン五輪の重量挙げ女子で金メダルを獲得した2人のカザフスタン選手について、国営新華社通信など中国メディアが「中国人」だと言い張り、物議を醸している。2人は中国メディアが主張する「国籍変更」を否定。他国の金メダルまで中国に関連付けようとする姿勢に、中国国内でも失笑が起きている。
 「中国人」とされているのは、53キロ級の金メダリスト、ズルフィア・チンシャンロ(19)と63キロ級を制したマイア・マネザ(26)。中国メディアは、2人とも中国語ができ、それぞれ「趙長玲(または趙常寧)」「姚麗」という“本名”を持っていると報じている。
 ロンドン五輪公式データでは、チンシャンロはカザフスタン最大の都市アルマトイ出身。清代に中央アジアに逃れた回族の末裔とされる東干族で、伝統的に中国語を話すことができるという。マネザは、彼女自身によると、キルギス生まれで両親とともに10年ほど中国で暮らした経験がある。
一方、中国メディアによれば、チンシャンロの出身地は湖南省の山村。マネザは遼寧省で生まれ育ち、後にコーチに従って湖南省に転籍したという。ともに、競技の普及計画によりカザフスタンに送り出されたというのが中国側が唱える説だ。マネザは「中国で重量挙げの練習をしたことはない」と反論している。
 中国メディアは、マネザに中国語での取材を拒絶され、英語で質問するよう要求されたことに憤慨。「祖国を裏切った」と批判し始めた。ただ、中国のインターネット上では「裏切り」という表現をいさめる声が多い。「汚職にまみれた指導者の下、どれだけの選手が埋没しているのか」などと逆に中国に批判の矛先が向かう結果を招いている。

53kg級でジャーク131kgの五輪記録で優勝したザフスタンの Zulfiya Chinshanlo はカザフ語ではЗүлфия Чиншанло; ロシア語ではЗульфия Чиншанло と表記されるらしく趙常寧 Zhao Changning という中国名も持っているらしい。
1993年7月25日にカザフスタンの首都アルマートィで生まれたとされているが中国メディアは湖南省永州市の生まれとしているらしい。 新華社通信は Chinshanlo は中国で育ちロシア語よりもカザフ語よりも中国語を流暢に話すと報道し、彼女は2008年に湖南スポーツ省の容認を受け 63kg 級で金メダルを勝ち取ったMaiya Maneza と共にカザフスタンに移民したとされている。

Zulfiya Chinshanlo は韓国・高陽で開催された2009年の世界選手権で 219kg ( ジャーク 129kg スナッチ90kg )の記録で中国Chen Xiao Ting の記録を 1kg上回って優勝。翌年、広州で開催されたアジア大会でも 219kg の記録を出しながら中国の Li Ping が230kg ( ジャーク127, スナッチ103:WR ) の世界記録を出して優勝を果たした。そして翌年、パリの世界選手権では今度は Chinshanlo がジャークで130kgの世界新記録を出して 227kg で優勝した。
ロンドン五輪ではジャーク131kg の五輪記録、トータル226kg で金メダル。2位は台湾の淑浄許に7kg差( 219kg : 96, 123 ) をつけてた。 中国からエントリーされたのは Chen Xiao Ting も Li Ping でも無くて周俊がエントリーされ記録無しに終わった。

国際重量挙げ連盟及びロンドン五輪の公式登録では彼女はカザフスタ国籍としているのであるが2009年の世界選手権、2010年のアジア大会で彼女は新疆で2年間中国語を勉強した経験から中国人記者やマスメディアに中国語で
インタビューに答えていたことがあったらしい。それが彼女の“出生”に枝葉が突き出した発端になったらしい。
そしてロンドン五輪で金メダルを勝ち取ってからは多くの中国メディアが彼女は中国湖南省永州で生まれ育った、大会の1週間ほどまえに湖南省スポーツ省役人で元重量挙げのナショナルチームのコーチであった 馬文輝Ma Wenhui 氏が語ったとされる2008年の始めにカザフスタン側の要望により選手を5年間に渡り移民させたと云々という話を引用し始めたらしく、 Chinshanlo はカザフ人のふりをして暮らしていると言われ始めたらしい。
そして Chinshanlo は“もし自分が中国人だったら、こういうチャンスはなかっただろう。”と語り中国側で増大するこの問題については“非常にプレッシャーがかかりどうしていいかわからない。”と困惑しているとの事であった。



Maneza は63kg 級で2010年アジア大会でも 241kg ( 135, 106 ) で 韓国Kim Soo Kyng 240kg ( 133, 107 ) 中国Chen Aichan 233kg ( 125, 108 ) らを抑えて優勝している。
彼女は世界選手権では滅法強く 2009年は246kg ( ジャーク 141 スナッチ 105 ), 2010年は248kg ( ジャーク 143 スナッチ 105 ) で連続優勝を果たした。2011年は248kg ( 139,109 ) を出すも、ロシアの Svetlana Tsarukayava 255kg ( 138,117 ) の後塵を拝したもののロンドン五輪では 245kg (135、110 ) の五輪記録でTsarukayava 237kg ( 125, 112 ) を破り見事金メダルを勝ち取った。 

国際重量挙げ連盟の公式記録では彼女は旧ソ連邦キルギスタン Tokmok で生まれ北京に長年住み2007年にカザフスタンに移民したことになっているが中国メディアは Maneza は元々中国籍を持っており姚麗という名前で遼寧省の阜新市の新蒙古族の自治区である富子村で生まれ育ったと報道されており、2002年遼寧省チームに入り2006年に湖南省チームに移ってからカザフスタンに移民したとも報道された。

しかし Maneza 自身はその報道を否定しており“私はキルギスタンで生まれた。中国では重量上げの練習など一切していない。両親と一緒に中国に10年ほど住んでいたが私のハートはカザフスタンにある。”と答えている。 

あれだけ金メダルを取り続けながらまだ他国の金メダルも取りたいのだろうか???

Zulfiya Chinshanloが出場した53kg級では上述したが中国人選手の選出において問題が発生しているらしい。Chen Xiao Ting でもなく Li Ping でもない周俊が選ばれた背景が見え隠れする。

中国五輪チーム内に“いじめ疑惑” 関係者は火消しに躍起
2012.8.1 06:52 [中国]
 【北京=川越一】ロンドン五輪の重量挙げ女子53キロ級で記録なしに終わった中国の17歳、周俊に対するメディアの心ないバッシングが、国民の批判を浴びている。チーム内での“いじめ”疑惑も浮上。関係者らが火消しに躍起になっている。
 周は7月29日の試合で、スナッチの試技3回すべてを失敗。ジャークの試技を行うことなく敗退した。重量挙げは中国のお家芸の一つだけに、一部の中国メディアは「恥辱」などと表現した。
 実は周の選出には出身の湖北省体育局の利益が絡んでいた。同局は、選考会で勝った同省の選手よりも周が金メダルを獲得する確率が高いと踏み、代表に押し込んだ。
 試合では自己ベストよりも軽い重量から始めるのが鉄則だが、コーチは練習で挙げているギリギリの95キロからのスタートを指示。最初の失敗で動揺すると、経験の浅い周は修正できなかった。
 背景が明らかになると、インターネット上で周への同情論が高まった。メディア側は慌てて謝罪文を掲載。選手村では相部屋だったベテランの王明娟を1人にさせるため、リビングルームで寝かされていたとの報道も流れた。
 国営新華社通信によると、関係者は「試合前日は1人で眠り、しっかり休ませるのが中国チームの伝統だ」と説明。周の試合前日には、王がリビングルームで就寝したなどと、“いじめ”を否定した。


中国でも出身地により差別があるということは聴いてはいた。
しかし選手達の引退後はどうなのだろう? 1960年代~70年代に女子体操でメダルを独占し続けていいた旧ソ連の女子選手達の引退後は誰もがいい生活を送っていたのではないらしい。 
メキシコ五輪個人総合であのチェコスロヴァキアのベラ=チャフラフスカに次いで銀メダルとなったソ連のZinaida Voronina はアルコール中毒に悩まされ同じ体操選手だったご主人の Mikhail Voronin と32歳の時に離婚。その後工場で働いていたがある中は克服できずそれが原因で2001年に53歳で亡くなっている。 
ミュンヘン五輪で個人総合金メダルだった Tamara Lazakovich も引退後はアル中に陥り窃盗罪で逮捕されたりし長年刑務所に入り1992年11月、38歳で亡くなっている。 そして同時期、ミュンヘン五輪では平均台、床運動で金メダルを取り、段違い平行棒で脚が床についてしまうという失敗さえ無ければ個人総合も金メダルのはずで、モントリオール五輪でも団体金メダルのメンバーでミュンヘンの恋人と言われ大人気を誇った Olga Korbut は1991年にアメリカに亘った後に離婚を経験し再婚をするも2002年 US$19.35の万引きをしたとのことで逮捕され本人は否定するも最終的に US$600 の保釈金を払い釈放されたらしい。
そして彼女は現役時代コーチのセクハラに悩まされたことを1999年にプラウダに告白。「コーチの暴力を恐れ、抵抗することができなかった」と語り、セクハラ被害は数年間続いたという。他の女子選手も同様の被害を受け、刑事告発騒ぎまで起きたことを明らかにした
メキシコ五輪平均台で金メダルを勝ち取ったNatalya Kochinskaya は引退後も地元で体育教師をするなど堅実な人生をおくっているらしいが、ソ連邦崩壊後にある雑誌で“自分を含めた体操選手達の人生は厳しかった。 五輪が終わって引退後普通の学校生活に戻れない。他の女の子が読んだ本や見たことのある映画なんてまったく知らなかった。”そう語っていた。


1978年ストラスブールの世界選手権個人総合で優勝しモスクワ五輪でも金メダル候補だった Yelena Mukhina は五輪直前に首の骨を折る重傷を負い重度の身体障害を抱えた。その後懸命のリハビリを続け1984年には24歳で大学を卒業し、IOCから勲章を授与されるなどしたが2006年に亡くなった。その原因は明かされていない。もし彼女がモスクワ出身でなかったら負傷後こんなに立ち直れなかっただろう。



1970年代後半にコマネチの好敵手として活躍したNellie Vladimirovna Kim はモントリオール、モスクワ五輪で団体、個人合わせて
5個の金メダルを勝ち取った。彼女はその後順調な人生を歩み韓国や南アフリカの代表チームのコーチを歴任し国際体操連盟(FIG)・女子体操技術委員会長のポストに着いている。Nellie KimやKochinskaya 彼女の様な人生を旧ソ連邦の体操選手が引退後歩んでいるのは非常にまれなことなのであろう。
しかし Nelie Kim は名前から解るように父親は朝鮮系で母親はタタール人で生まれはタジキスタン。その後もしソ連邦が崩壊していなかったらその出自から今の様なポストに着くことは困難だっただろう。 



スポーツ選手は引退後が長い。だからその後の人生が…..この様に納得するのはオリンピックなんて夢のまた夢だった挫折者の負け惜しみなんだろうなぁ~ 






腹が立ったなぁ~ ドロー狙い批判に試合内容批判   Japan 2-0 Brazil 3rd August

2012-08-06 | 夏季五輪

この数日間腹が立って仕方が無かった。 バドミントンの無気力試合が女子サッカー1次リーグ最終戦のなでしこの試合にまで飛び火している。 ドロー狙いの何が悪いのだろう? テレビで見たバドミントンの試合は共に勝ちたくなくてわざとサーブを失敗したりシャトルをネットに当てたり。これは中国、韓国ペアー双方共に勝利を放棄した戦いぶりだった。

だけど日本対南アフリカの試合、少なくとも南アフリカは勝ちに来ていた。試合内容は全く異なるものだ。

メキシコ五輪でサッカー日本代表は引分け狙いの試合をした事がある。1次リーグ最終戦日本はスペインと引分けを“演じた”がこれは所属するグループBで2位通過をすれば準々決勝は地元メキシコとの対戦となり引き続きメキシコシティーに居座れるが首位通過となれば地元メキシコと対戦するばかりでなく数百キロ離れたブエブラ市に移動せねばならないという事からだった。首脳陣はもう一つのグループリーグの最終戦ブラジル対ナイジェリア試合経過を見ながら試合途中で引分け狙いの指示を送ったらしい。
同じ事は対戦相手のスペインも考えており後に釜本氏が“ボールを持ったら相手DFがみなドリブルコースを開けよるんや。”と語っていたの憶えている。 試合は引分け狙いの指示が徹底されず森孝滋や杉本隆一らのシュートがポストやバーを叩き日本ベンチはその度に肝を冷やし、長沼監督は“勝つなと思って見ていたのは生涯ただ一度だった。”と述壊していた。

その後日本が準々決勝でフランスを破り以降の戦いで銅メダルを勝ち取った事は誰もが知ることだ。

この試合の事を批判する人は誰もいない。それは批判されるものではないからだ。それともこういう歴史を知る人がすくないからか?

批判される過去の事象はワールドカップスペイン大会1次リーグのGroup 2 の最終戦だ。 このグループの初戦はアルジェリアが2年前の欧州選手権で優勝していた列強西ドイツを 2-1 で破る波乱の幕開け。 西ドイツは続くチリを 4-1 で降すもアルジェリアは第二戦のオーストリアに 0-2 で敗れたが最終戦チリ戦は 3-2 で勝利を納め、3戦終わって2勝1敗勝点6、得失点差±0 で1次リーグを終え、西ドイツはオーストリアとの最終戦に臨んだ。 この時点で西ドイツは勝点2得失点差 +2、オーストリアは2戦2勝勝点4、得失点差 +3 。最終戦は西ドイツが3点差以内で勝てば西ドイツ、オーストリア両国揃って2次リーグ進出となるところであった。試合は西ドイツの巨漢 Hrubesch が先制すると後はお互いボールを後ろで回し観客の大ブーイングの中シュート何て殆ど見られず、西ドイツ、オーストリア共に揃ってめでたく2次リーグに進出し初戦で西ドイツを破ったアルジェリアは惜しまれつつ1次リーグで大会を後にした。そして西ドイツは決勝まで進みイタリアに敗れた。
この試合は当時大問題となり英国専門誌には “残ったオーストリアと西ドイツは次のラウンドに進む為にはどうすればよいか正確に知っていた。 ”と表現された。両国ともドイツ語を母国語とする国であった。

この試合の反省から次のワールドカップを含めた多くの国際大会の1次リーグ最終戦は全て同時刻キックオフと決められた。

もし諸外国がなでしこの引分け狙いを批判するのであればその尻馬に乗るのではなく過去にこう言う事がありながら何の御咎めも無かった事を世界に発信し皮肉る事は今の日本人ジャーナリストには出来ないのだろうなぁ~。 と思った。

 最も難しい準々決勝戦 奇襲にでたか4バックのブラジル

北京五輪では当時地元ではメダルが期待されていた中国女子代表に完勝し競技場に静寂をそして私に痛快感を齎したなでしこジャパンの今回の対戦相手は2大会連続銀メダルを勝ち取っていたブラジルだった。
そのブラジルのスタメンフォーメーションは1次リーグとは異なるもの。それまで3バックで Cristiane, Malta の2トップに Farmiga をトップ下に置く布陣だったのが 4-3-3 の布陣。 まず攻撃的に、なでしこから先制ゴールを奪うというゲームプランか?それは五輪前のフランス戦を見ての作戦か?

                   GK 1 Andreia

    2 Fabiane     14 Bruna     5 Erika      12 Rosana

         13 Franceielle          16 Renata Costa

                     8 Formiga

        10 Marta       9 Thais       11 Cristiane

            17 大儀見          11 大野

      9川澄                            8 宮間

             6  阪口          10澤

    5 鮫島         4 熊谷      3 岩清水      2 近賀

                     GK 1 福元




英国戦からスタメンを2人替えて来た。英国戦では起用されなかった Fabiane が右SBでスタメンに起用され、3トップながらも Farmiga がCHFで起用された。そしてベテラン MF の Rosna はベンチスタートだった。
なでしこは GK 福元をはじめ7人の選手を入れ替えというよりもレギュラー選手に戻しこのブラジル戦に備えた。

3トップ全開のブラジルだったけど....

試合は37秒に大野が最初のシュートを放った後はブラジルが支配する展開。 Cristiane はドルブルだけではく上背もある。
3分20秒には澤が Malta を倒して正面でFKを与える Franceille が直接狙ったFKは壁の間を抜けるがGK福元の正面に。8分11秒、 Franceille が入れたCKに左SB Rosana が飛びこむがここはDFクリアーで再びコーナーに。
16分には左から Rosana が上げたクロスに Cristiane がヘッドで落として詰めた Renata Costa にフリーで撃たれるがクロスバーを超えてくれた。 19分には Farmiga の強烈なミドルが飛ぶが福元がパンチで防ぐ。この20分足らずでブラジルの放ったシュートは6本。 Malta がやや中盤に下がりボールをキープし Cristiane, Thais がPA内に侵入してくる。そして両SBが上がって来て何度もサイドチェンジを試みていた。
CK時には福元の前に上背のある Cristiane 、Tahis が遮る様に立つ。数本のCKの後にようやくフィンランド人のジョケラ主審がようやくファールを取ってくれた。



しかし20分少し前になると今度はなでしこが連続してシュートシーンを見せる。22分には澤のスルーパスが川澄に通り粘って大儀見に折り返し大儀見が放ったシュートはブラジルDFに当たり跳ね返りを大野がシュートに持ち込むがバーを越える。しかし見事な波状攻撃だった。23分24秒は左サイドからのパスを受けた宮間が Rosana をかわして放ったシュートはポストの右に僅かに外れる。 25分にはMalta のハンドで得たFKを宮間が絶妙の位置にピンポイントで入れて走り込んだ大儀見がヘッドですらすがシュートはクロスバーを越えて行く。これでシュート数が6対6で並んだ。
なでしこはワンタッチパスが多くブラジルDFが翻弄されるシーンが続くが、ブラジルはワンタッチパスが無くボールを受けるとドリブルに自身があるのが球離れが悪く、次第になでしこDF陣にボールを取られる様になって来た。
そして27分中盤左サイドでFKを得ると澤がすぐさま縦パスを送る。するとそこに走り込んだ大儀見がそのままドリブルでPA内に侵入し追いかける Erika, Franceielle がマークに入る前に放ったシュートがブラジルゴール右隅に決まり日本が先制ゴールを決めた。 この澤のプレーはまさにブラジルのお株を奪うプレーだった。そしてあれだけ攻めまくっていたのに失点を喫した事はブラジルにとってショックだったに違いなかった。

そしてそれ以降なでしこの選手達はブラジル選手にボールが入るとすぐさま2人、3人と囲い込みが早くなりボールを繋がせない。 32分には late play で Cristiane が鮫島をファールで倒すなど焦燥感が募っていた。 ファールをする事により日本ボールとなりプレーが止まるのでそれはブラジル自身首を絞める事となった。 ブラジルは1次リーグではファールが37あり準々決勝進出8カ国ではワースト記録だったらしい。 
36分にはゴール前でブラジルがFKを得る。それを Malta が直接狙いクロスバーを大きく越えるがちょっと直接狙う距離ではないと思った。それだけ焦っていたのかもしれない。
前半30分以降にブラジルは4本のシュートを放ち前半だけで12本のシュートを放ったが(日本は7本)日本ゴールネットを揺らせなかった。 

後半に入り48分 Malta が阪口を倒して警告を受ける。まだ焦る時間じゃないのに、と思う。それとも無得点に終わった英国戦の流れを案じたのだろうか?それでもシュートを放つのはブラジルばかり。後半だけで Cristiane は6本もシュートを撃った。63分にはアーリークロスの中央からほぼフリーでヘッドを撃たれる。一瞬やられたと思ったが弾道はクロスバーを越えてくれた。岩清水が身体を入れて万全の態勢では撃たせなかった。 この試合、 Malta,  Cristiane をバイタルエリアでマークに付き思う様なボールコントロールをさせなかった。
そしてなでしこは大儀見を残してみな中盤に下がり守備を固める。 73分中盤で日本ボールになると大儀見が左サイドを上がりそこに一発のパスを入る。大儀見がサイドを上がり中央に走り込んだ大野に入れると落ち着いて Erika のマークをかわした大野がブラジルゴールに蹴り込み試合を決めるゴールを決めた。これが後半なでしこが撃った2本目のシュートだった。この試合大儀見そして大野の2トップが得点を決めたと言う事となった。

2点差を付けられたブラジルベンチは80分右SBの Rosana を下げて Ester を投入し85分には MF Renata Costa を下げて Graiella を入れて総攻撃を掛けるが中盤でボールを持ってもなでしこのマークが早いので前に運べなかった。Cristiane や Malta がボールを持っても直ぐに囲まれてしまいそれ以上何も出来なかった。
そしてタイムアップ。 なでしこが2大会連続で五輪準決勝進出を決めた。何よりも評価されるべきは4試合連続で無失点と云う事だろう。

翌日のブラジルの新聞から....

この敗戦は次回五輪のホスト国となるブラジルにとってはショックだった様だ。

Marta diz que eliminação da seleção brasileira de futebol foi injusta
ブラジルが負けるなんてアンフェアーだ。 Marta は語った

私からすればこの結果はアンフェアーだ。何故ならブラジルより日本の方が良いプレーをしていたからだ。日本戦は最高のパフォーマンスを見せた。しかしゴールを許したその二回だけ注意を怠った。 “
2016年のリオ・デジャネイロ五輪時には30歳になる Malta だが次回の五輪に就いては、“フィジカルがフィットしていてまだ体力があれば考えても良いが、後進を若い選手に譲らねばならない。




また昨年ワールドカップで優勝したここ数年の日本に就いて Cristiane は “長期プランにおけるチーム造りの結果今日の日本がある。何年もかけて試行錯誤の後に今やワールドカップ優勝を果たした。 この日の日本が行った様に、何故我々が出来なかったのだろう?我々には才能のある選手がいるが、それだけでは不十分だ。” と話しており、ブラジルには日本の様な強化プランが見られないと地元紙に語っていた。

          

Brasil é eliminado pelo Japão nas quartas de final
ブラジルは日本の準々決勝戦で敗れ五輪5大会目で初めて準決勝に進めなかった  O Globe

女子サッカーが五輪に採用されて以来初めてブラジルは準決勝に進出出来なかったと言う事が書かれていた。

Emocionada, Marta coloca em dúvida sua presença nos Jogos Olímpicos de 2016
Mata  2016年五輪には言及せず

Cardiff での日本戦に敗れた後に 2016年リオ大会の参加に就いては何も言わなかった。
“今回、我々は万全の準備を持ってここに来た。 しかし今は何かを替えなければならないだろう。そしてそれを続けねばならないだろう。4年後自分が五輪でプレーしているかは解らない。しかし五輪メンバーを夢見る少女達が多くいる。 ”この様に涙目で語った。

Mata や Barcello 監督のコメントばかりが日本では紹介されているが Cristiane の様なコメントもあったらしい。

4年後地元開催となるブラジル女子代表の強化はどうなるのだろう?そしてその時なでしこのメンバーは。なでしこは U-20 でもアジアのトップだから大丈夫だろう。しかし今は次の準決勝戦の事を考えよう。

 

次は聖地 Wembley だっ !!


なでしこ2大会連続 Semi Finalist への挑戦

2012-08-03 | 夏季五輪

もう20年以上前、J-Leageu がまだ存在していない時代。King KAZU があるスポーツ誌に掲載されていた彼のインタビュー記事の一節を今でも覚えている。

ブラジルから帰国する直前(1989年)前の年のオリンピック(ソウルオリンピック)があってブラジルは決勝戦でソ連に敗れたけど銀メダルを勝ち取った。だけどそんなことブラジル人は誰も憶えていないんです。だから20年以上も前にメキシコで日本が銅メダルを取ったことなんて誰も知らない。 ブラジルじゃ日本人がボールを蹴るだけで笑いが漏れてくる....
ブラジル人に日本のサッカーを憶えてもらう為には何度もワールドカップに出場しなければ憶えて貰えない....

そんな内容の行があった。 日本がアジア地区予選を勝ち抜いてワールドカップに出場したことが無いときだった。

ソウルオリンピックであのロマーリオを擁したブラジルは決勝戦に進出するも同年欧州選手権で活躍したミハイリチェンコ率いるソ連に 1-2 で敗れた。大会得点王になったロマーリオは五輪後 PSV Eindhoven に移籍した。

今でもブラジルでは“サッカーが下手な人間”の代名詞として“ジャポネーゼ”と呼ぶのだろうか? 

アトランタ五輪で“マイアミの奇跡”を演じた日本五輪代表チームのこと、そしてその試合の事を憶えている、または知っているブラジル人はいるのだろうか?
ワールドカップ2006で 日本は1次リーグ最終戦でブラジルに 1-4 で敗れた。その試合を知っている人はいるかなぁ....

ブラジル国内で女子サッカーの位置付けはどうなのだろう?男子ほど人気(というよりも生活の一部?)は無いだろうけど一般の人の感心はどの程度なのだろう? 逆にブラジルでサッカーをしている女性達こそ男子との待遇の違いを痛感し“女子サッカー振興”の義務感に燃えているのかもしれない。

2大会連続銀メダル。

90年代前半の世界の女子サッカーの勢力図は欧州諸国が中心でそこにアメリカが対抗しており後は中国が何とか中国が追いすがっていた。そしてアジアの勢力は中国と台湾が日本や北朝鮮よりも強かった。

記念すべき第一回 Women’s World Cup は中国の広州を中心に開催され、日本女子もアジア代表で出場しその初戦はブラジルだった。 その試合の様子は専門誌で報道されただけだった。J League 発足のたった2年前だったけどまだサッカー自体がまったく注目されていない時代だった。 
大会前の予想ではブラジルには何とか勝てそうだとのことだった。試合は開始4分に Elane に先制を許すも以降試合内容は日本が優勢だったらしい。しかし主審の不可解な判定などもあり日本はブラジルゴールを割ることが出来ずそのまま 0-1 で敗戦を喫した。以降日本は Sweden ( 0-8 ) USA ( 0-3 ) そしてブラジルも USA ( 0-5 ) Sweden ( 0-2 ) と共に連敗を喫し1次リーグで敗退した。

両国は4年後のワールドカップスウェーデン大会でも同じ組になりこの時は日本が Pretinha のゴールで先制されるも今は日テレベレーザの監督を務める野田朱美の連続ゴールで逆転勝を納めた。男子より先にワールドカップで勝利を挙げたのである。そしてこの試合に背番号7番を付けて出場していたのがわれらが澤穂希であった。 
この大会でもブラジルと日本は共に1次リーグで敗退し両国は同じ歩みを続けていた。 

しかし翌年の女子サッカーが初めてアトランタ五輪で正式採用されるとブラジルは1次リーグでは日本を破りノルウェー、ドイツと引分け準決勝に進出。準決勝では中国に逆転負けを喫し、銅メダル決定戦でもノルウェーに敗れたが一気に世界の列強に踊りでる。4年後のシドニー五輪でも1次リーグは突破した準決勝にアメリカに、3位決定戦ではドイツに敗れ2大会連続で4位に終わった。

そしてワールドカップ1999 アメリカ大会でブラジルは準決勝戦でアメリカに敗れたものの3位決定戦ではPK 戦の末にノルウェーを降し3位にはいる躍進を見せる。 日本は1次リーグで1分2敗で敗退していた。 
その4年後のワールドカップ2003アメリカ大会からはスカートを履いた Pele といわれる Marta がメジャー大会にデビューし大会では3ゴール(うち2ゴールはPK)を挙げチームもベスト8に進む。以降女子サッカーが五輪の正式種目に採用されたアテネ五輪では Cristiane がメジャー大会デビューを果たし大会4ゴールを挙げるなど大会得点王に輝く活躍で銀メダル。 ワールドカップ2007中国大会では Marta 7ゴール、Cristiane が6ゴールで決勝まで進出。残念ながらドイツに Prinz, Laudher のゴールを決められ 0-2 で敗れたがアテネ五輪に続く決勝進出となった。
こうなると次の目標は優勝、金メダルとなる。北京五輪でも Marta, Cristina は絶好調。特に準決勝のドイツ戦は Cristina が2ゴール、 Marta もゴールを決めて Prinz や Garefrekes, Bajramaj を擁した次の3位決定戦でなでしこを2-0 で破ったドイツを 4-0 で粉砕し前年のワールドカップ決勝戦のリベンジを果たし決勝に進出。

しかしアテネ五輪の再現となった決勝戦では4年前同様延長戦に縺れ込む死闘となり98分 Carli Lloyd にゴールを決められ再びアメリカの軍門に下った。 アメリカとは2011年のワールドカップ準々決勝戦でも対戦。ロスタイムに入った92分 Marta のゴールでブラジルが追いつき試合は3年前の決勝戦同様に延長戦に入る。PK戦かと思われた122分、アメリカが劇的な決勝ゴールを決めてブラジルはまたもやメジャー大会優勝を達成できなかった。その決勝ゴールを決めたのが Abby Wambach だった。 Wambach はアテネ五輪の決勝戦でも延長112分、決勝ゴールを決めてブラジルを沈めている。

ブラジルはこれでアテネ五輪決勝戦、北京五輪決勝戦そして昨年のワールドカップ準々決勝戦でアメリカにすべて延長戦まで縺れ込んで敗れている。

ロンドン五輪では、Marta, Cristiana が得点を決めているのでちょっと嫌な気がしていた。 

 

2連勝の後に Team GB に敗れる。

Brazil の出だしは好調だった。緒戦でカメルーンを 5-0 で粉砕し、第二戦は New Zealand Ferns の粘りにあうも Cristiana が86分にゴールを決めて2連勝スタート。最後の英国戦は敗れたがこれはトップ下の Formiga を起用しなかったことを割り引かねばならない。  Forminga は34歳の大ベテラン。これまで五輪、ワールドカップ5大会ずつ出場しておりワールドカップ 1995 , アトランタ五輪での日本戦に出場している。そして澤穂希も出場している。

予想スタメンは....

          10 Malta               11 Cristina

                   8 Formiga

  12 Rosana                           6 Marine

            13 Francielle        7 Ester

    16 Renata Costa    5 Erika       14 Bruna

                  GK 1 Andreia


2トップの Malta と Cristina は強力だけど彼女達に良いボールを繋いだり一旦タメを創るベテラン Formiga がトップ下に入る。Marta 、Cristina は3回目の五輪出場となりこれまで通算得点は Marta が8。Cristina は12得点にもなる。

2列目左の Rosana は30歳のベテランMFで4回目の五輪。 1次リーグでは初戦のカメルーン戦、続くニュージーランド戦は“温存”された。 2列目左の Maurine、CBの Erika の2人は16歳の時にFIFA U-20 Vancouber 大会に出場し U-20 大会に3度出場した実績がある。北京五輪、ワールドカップ2011 にも出場している。 
GK Andreia 4回目の五輪となる35歳の大ベテラン。 その他DFの Bruna CB の Erika 以外は全て北京五輪を経験している。 

なでしこもそうだけどこの五輪を最後に代表を退く選手達もいるんだろうなぁ~と思った。

1次リーグ最終戦の英国戦で敗れた事によりブラジルは準々決勝は世界王者の日本と対戦する事となった。ブラジルの Correio Braziilense 紙は日本は昨年のワールドカップ決勝戦でフランスを破り今や五輪でも優勝候補であると表現されていた。決勝戦で対戦したのはアメリカなんだけど。

Jorge Barcellos 監督は選手達にイギリス戦の敗戦は日本戦のパフォーマンスに影響しない事を説いた。何故ならブラジルは金メダルを取れると信じているからだと語った。

 “我々はイギリス戦には敗れたがメダルの夢が敗れたわけではない。 我々は前回と同じ結果に辿りつくにはまだやらななければならない。だから我々は今度は勝利が必要だと知らねばならない。" と語った

我々は敗戦から学ばねばならない。特にせめながらもゴールを挙げられない試合をした時は。 それはイギリス戦でさえも起こった。日本の様なチームを相手にした時はそれがもっと深刻になる。しかし我々はこれまでよりもずっと良いサッカーをしていると感じている。我々は勝利を齎すだろう。  こう語ったのはエースの Marta だった。

O Estado de S. Paulo 紙には Baroellos監督は日本はブラジルや英国、アメリカの様に大変強いチームだ。日本とプレーするのは大変面白い、そして我々を難しくさせるからだ。 日本はワールドカップ王者であるが我々も自信を持っている。そして準決勝に進むみたく思っている。 

Martaは“試合は先制点が欲しい。そうすれば敗れる事はない。次の試合には全力を尽くす。”と語っていた。

 

女子サッカーでは少なくともブラジルで日本は一目置かれている様だ。

 

しかしなでしこ達が勝利を納めてくれる事を願う.....


スペイン戦の勝利の勢いをそのままに.....  Japan 1-0 Spain 25th July at Glasgow 

2012-08-03 | 夏季五輪
ECB 欧州中央銀行のイタリア人 MarioDraghi総裁は26日ロンドンでの講演で “欧州中央銀行はユーロを守る為、権限の範囲内であらゆる手段を講じる用意がある”と述べた。金融市場では ECB が国際の買い入れを再開するとの見方が広がり、スペイン等の国債が買われて金利が急低下しユーロ高になった… と27日の日本の各紙朝刊にはこう報道された。
スペインの10年物国債の利回りは 7.4% と云う“危険水準”を大きく上回る数字から 7.0% へと急低下。 イタリア国債も 6.6% から6.0% に下がった。 そして為替も@\94.93 / € から 96円台に“円安”が進行した。
日本の10年固定利付国債の利回りは何%なのだろう?1.00% を上回るのだろうか??

欧州経済の先行き不安が募る中、 Football の世界だけは欧州市場無くして語れない。今やワールドカップ出場国で欧州でプレーする選手が一人もいないのは北朝鮮を除いて考えられない。いや北朝鮮だって Park Kwan Ryong がスイスの FC Barsel でプレーする。そして鄭大成も。 
不思議に思うのはあれだけ ECB に資金援助を依頼している国のサッカークラブがどうやってサッカー選手の移籍金に数十億円単位の資金を出せるのだろう?? 

今回の五輪男子サッカー競技で話題になっているのは64年振りに結成された英国代表こと Team Great Britain とスペインがワールドカップ、 EURO に続いてメジャー大会3冠を達成できるか?そして王国ブラジルは史上初の金メダルを勝ち取れるか…であった。 優勝候補スペインの最初の対戦相手が日本だなんてキックオフの30分前までどれだけの Scotch を含めた英国人が知っていただろうか….

日本のキックオフで始まった試合は開始1分47秒にスペインPAにめがけて放り込まれた清武のミドルパスを永井がボレーでこの試合両軍最初のシュートに持ち込む。 GK De Gea が難なくキャッチするがなかなかやるじゃないか、と思うも以降は世界中がお手本にするであろうパスワークが冴えて果たして試合終了まで日本が何回ボールに触れるのだろうか?と思わせられる。
そして次にシュートを放ったのが Rodrigo だったがそれは中盤で細かいパスを繋いで日本DF陣をひきつけてからのシュート。あと何本撃たれるやら?と思うも結局前半スペインが放ったシュートはRodrigo のシュートと25分に Mata の放ったのと合わせた2本だけだった。ただし、Mata の右から中央に切れ込んでのドリブルシュートは最後は権田が左に飛んでファインセーブで防いだもの。さすが Chelsea と思いながらもひやりとしたシーンだった。
しかし日本DF陣は吉田麻也を中心に冷静にスペインのパスワークに対応するが1対1でも充分に対応しボールを奪う事もしばしば。おいおいスペインってこんなに下手だったか? それとも日本が上手いのか?と思った。
34分に右CKを扇原がファーサイドに入れそれまで何度もユニフォームの引っ張り合いをしていた Montoya のマークを振り切り大津が押し込んで日本が先制する。


 
しかしこの時点ではこのままのスコアーで試合が終わるとは世界中の誰もが思えなかっただろう。 41分には永井が中央からドリブルで突破しようと振り切られそうになった Inigo Martinez が抱き付いて永井を止めて一発退場。ガイガー主審がカードを出す前に、素早くボールを出してスペインゴールネットを揺らすと言った頭脳プレーを見せるもゴールは認められなかった。しかしこの退場でスペインが徐々に劣勢に立たされて来る。だけどまだまだこの時点ではスペインには余裕はあったのではないか?一人少なくなった方が試合が面白くなる。と考えたスペイン人もいるんじゃないかな??
だけどこの Martinez の退場はもともとスペインのバックパスを永井が掻っ攫おうとしたもの。そしてそのバックパスも日本MF陣のプレスが訊いていたいから。 スペインが一人少なくなった直後のFKは扇原が直接狙ったが惜しくも外れた。ここで代打中村俊輔とはいかないか?




後半に入ってまずこちらが驚かされる。 大津が怪我で下がってしまった。替わりに投入されたのが宇佐美でなく斎藤学だった。宇佐美のドリブルがどこまでスペインに通じるかとちょっと想像していたけど、ドリブルなら斎藤だって面白いと思った。
開始早々の47分にはロングフィードを受けた Foisco が吉田を抜いてシュート体勢に入ろうとするがすっ飛んできた徳永がマークに入りシュートを撃たせない。スペインようやく本領発揮か?と思わせられる。しかしここから再び攻勢に出るのは日本だった。50分には東が中央から素晴らしいミドルシュートをドリブルから放つがここも Manchester United のGK De Gea がファインセーブでストップ。 GK が De Gea でなければあと何点入っていただろう?
54分には酒井宏樹が右サイドから上げ永井が飛び込むがわずかに合わせられない。
スペインベンチはたまらずトップの Adrian Lopez に替わって Ander Herrera ( Athletic Bilbao ) を投入する。
しかしスペインにはボールがなかなか渡らない。前線の永井が高い位置からプレスをかけ、走り回って相手の出所を押さえる。 あんまり走らないでくれよ~、攻撃時にとっておいてくれよ~と思うと56,58分と連続で永井がシュートを撃つ。 58分のシュートは山口、東と繋がり裏に走りこんんだ永井に送られPA内左からフリーで放ったもの。 わずかにゴールポストの右に外れていった。
60分には斎藤が中盤でボールを奪い、右サイドの清武に繋げると清武は Dominguez, Javi Martinez を リブルで振り切り突破しシュートを放つがゴールの右に外れる。
63分スペインは2人目の交代選手 Oriol Romeu を Isco に替えて投入する。Romeu は UEFA U-21 2009、2011に出場する Chelsea 所属の選手。ここからしばらくスペインがボールを持つ時間が増えるがMF,DF陣がすばやいチェックで66分に Herrera がCKから撃った以外はシュートを撃たせない。このまま粘って…と思うと今度は酒井宏樹が脚を傷めてしまう。
一旦はピッチに戻ったけど自ら×印を出してピッチに下がった。替わって入ったのが佐藤高徳。左右も出来るSBがいるのは心強いけど本当は左で使いたかったなぁ~と思う。しかしけが人で交代枠を2人使ってしまうのはもったいないと思う。
そして何分頃からか斎藤と清武がポジションチェンジをしていた。これで相手の左サイドの攻撃を斎藤の縦へのドリブルで蓋が出来るようになった。 
71分スペインは最後の交代選手 Cristian Tello ( Barcelona ) を Koke に替わって投入する。 Tello は攻撃的選手。これで前線を増やしてきた。そしてショートパスからロング、ミドルの縦パスが増えてきた。72分、ちょっと嫌な位置でFKを与えるが直接狙った Mata のFKはゴールを大きく外れてくれた。 85分 Mata から絶妙の縦パスが入るが権田が飛び出してクリアー。86分日本ベンチは扇原を下げて山村を入れる。これで逃げ切り体勢か?と思うけどあとロスタイムを入れて何分あるのだろう? 87分永井が Romeu からボールを奪ってドリブルシュートに持ち込むがこの1対1のシュートは GK De Gea にセーブされてしまう。 あぁ絶好のチャンスだったのに。さすが De Gea だったけど….
そしてロスタイムが4分と表示される。 おいおいそんなにあったのかよ?と思う。 91分更に天を仰ぐシーンが。終盤から目立ちだした東がボールを奪い中央突破をはかる。“東!撃てっ!!”と叫ぶが左に走りこんだ山口に流す。 フリーの山口が走りこんで撃った弾道はクロスバーを越えてしまった。 “何しとんのやぁぁぁぁぁ~” これが入っていれば試合は終わっていたのに..と思う。スペインはCBの Alvaro Dominguez をトップに上げてパワープレーに出てくるが吉田もヘディングの強さを見せる。
そして49分を過ぎ最後は清武がスペイン陣内左サイドの深い位置でボールをキープしアメリカ人の Mark Geiger 主審のホイッスルが鳴り響き、日本がシドニー五輪以来の貴重な初戦勝利を飾った。
よ~しっっ !! ナイスゲーム !! と膝を叩いた。

これで1次リーグ最終戦まで楽しめる…と思った。ワールドカップと同じだ~と幸せな気分になった。

翌日の朝刊各紙には“奇跡”という文字が躍っていた。たしかに優勝候補相手の勝利は金星だ。しかし試合内容は互角以上だったとおもう。ボール支配率は40%程だったけど。
アトランタ五輪でのブラジル戦の勝利。“マイアミの奇跡”と照らし合わせるマスメディアも多いけどあの時ほど押されてはいなかたし決定機はむしろ日本の方が多かった。 2001年マラガに遠征した当時の日本代表がスペイン代表と親善試合を行い  0-1 で惜敗したけどそのときよりはスペイン人に日本にもサッカーはあるのだと存在を見せられたと思う。



翌日のスペインの新聞から….
インターネット時代(この言葉も古いか?)の今日、電子版であるが世界各国の新聞を読み比べられる。そして翻訳ソフトさえ使えばかなり読むことが出来る。英語に訳せば。

Marca 紙から….

オリンピックで躓く
スペインチームは日本の一撃にやられた。 Luis Milla のチームは疑っていた日本にロンドン五輪の初戦で敗れてしまった。
Hampden Park で大津がゴールを決め Inigo Martinez が41分に退場となった。
スペインチームは日本に驚きを与えられ五輪初戦で敗戦を喫した。 Luis Milla のチームはゴール直前を含むポジションで
守備面であまりにも多くのミスを犯した。唯一の得点となった大津のゴールは Montoya のミスからだった。 41分に退場で Inigo Martinez を失ったスペインは後半はずっと10人でのプレーが強いられた…..

という行で始まった記事は日本のことを“大変威勢の良いチーム”と表現し、Luis Milla のチームはゲームを支配する為にボールをコントロールしたかったが関塚監督が送ったチームの相手のボールを持たせないというクリアーな考えで試合に臨んだ。スペインはDF陣の裏を取られない様に腐心させられた。

試合は開始早々は Juan Mata の様なチームを活性させる選手が中心となりスペインが主導権を握ると思われたが、よくプランを練った日本が Luis Milla のチームを悩ませ始め主導権を奪われ始めた。永井の示した度重なる脅威の後に得たCKから大津がマークに着いた Martin Montoyaに競り勝ち放ったシュートが決まり日本が先制した、
と書かれておりその後 Martinz の退場で状況は悪くなった、56分にようやく Milla 監督は動いて Adrian を下げて Ander Herrera をと投入するなどして捕まえられない日本に対応しようとしながらも決定機を作ったのは永井、清武にあわやのシュートを撃たれるなど日本で更なる改善を求めて Rojita Isco を下げて Oriol Romeu を投入したことや Koke に替わって終了10分前に Tello を投入したこと、そして Jordi Alba の絶好機が決まらなかったとも書かれていた。
そして初戦を終えてスペインは Group D の最下位スタートとなったと言う行で閉められていた。

Los campeones de Europa no pudieron con la velocidad nipona
欧州王者、スピードのある日本に対応出来ず
Mata, Javi Martinez そして Jordi Alba の3人は日本戦にスタメン出場し90分間プレーした。 Chelsea 所属のその選手はオリンピックのデビュー戦では最も鋭い動きをしていた。  Javi Martinez は守備面で慎重にプレーした。 Jordi は40分に警告を受けた。

その3選手はLuis Milla のチームをリードした。 彼らはスタメンで起用され最後までプレーしたが彼らの経験はスピードのある日本には通じなかった。Mataは最も精力的に動いたがデンジャラスゾーンではスペースを見つけられなかった。 関塚隆史監督のチームの組織されたDF陣はプレスと囲い込みをベースとしたシステムで Mata のいる中盤に対応し、Mata はボールを失い中盤でのプレーに終始した。スペインは正確性を失っていた。

この様な事が書かれていた。そして Javi Martinez は Koke と共にDF陣の守備を助ける事に終始させられ続けたこと、そして EURO2012 でセンセーショナルな活躍を見せた Jordi Alba には多くを期待過ぎていたと書かれていた。

Justa expulsión de Iñigo Martínez ただ Iñigo Martínez の退場が

CB でスタメン出場したInigo Martinez の物議を醸すプレーは Mark Geiger 主審がレッドカードを示した後にロッカールームへの道を示した。
スペインチームのディフェンダーは日本の永井謙介の素早い動きを止め切れずに GK De Gea と1対1になるのを防ぐために反則を使った。
Milla は次のホンジュラス戦に向けて Martinez を出場停止で欠く為にCBの変更を強いられている。

Martiznezの退場はあの時の Beckham の退場と同じくらい、いやそれ以上に痛かったか….



Milla: "Este equipo tiene crédito" Milla このチームは信頼がある

“私は試合後ロッカールームで肯定的に務めた。それはあと2試合チャンスがあるからだ。” Milla は語った。

Luis Milla 五輪チーム監督は敗戦となった日本戦の後で“日本は素晴らしいゲームを行った。目的に向かって我々はターゲットに向かって比較的に容易に行えて来た。前向きに。二つの改善すべき、本当に改善すべき要素がある。 控室では肯定的にと務めた。何故なら我々にはもう2試合あるからだ。 選手達は信頼がある。次の試合迄3日間ある。 あれこれする時間はないが、多くをメンタルや集中力の強化に裂かねばならない。何故ならこのレベルではもう少し詳細にそしてボールへのアクションを挙げねばならない。 我々はより強くコンパクトにならねばならない。”と答えて、五輪に就いてのプレッシャーはあるのかと云う問いに就いては“我々には当然それがあった。私はいま次のホンジュラス戦に就いて考えている”と答えた。


Milla 監督は他紙では選手達を予定通りに開会式に出席させる、それは人生でも一生の思い出となるからであると語っており、大会前に受けた El Pais 紙のインタビュー記事ではインタビュアーの“スペインは表彰台に立つ事を期待されているが..とお質問には、まだ始りもしないのにもう表彰台の話しをされる、それがプレレッシャーになると語り、選手達にプレッシャーを与えない様にというコメントも。
そして日本の勝利を祝うコメントも発していた。 
また大会直前に日本チームとの初戦についてはと訊かれたときは“大変難しくなるだろう。日本は早くて質の高い選手が多く、何人かは Budesliga でプレーしている。”と語っていた。 そして決勝戦がスペイン対ブラジルと予想されていることについても、“まだ大会は始まっていない。今は日本そしてホンジュラス、モロッコについて案じるだけでブラジルやイギリスそしてウルグアイに就いては何も考えられない。” と語っていた。 

そして期待はありがたいがそれが重荷にならないようにともインタビュアーに語っていた。
更にフル代表チームの成功との比較についても同様に語っていた。また Javi Martinez, Jordi Alba らに就いてはチームと核になることを期待しているが UEFA U-21 でプレーした選手もいるが欧州選手権を戦い終えたばかりだと案じていた。
また怪我で離脱した Thiago の穴埋めに就いては替わりに個人選手ということではなくあくまでもチームでカバーしていきたいとコメントしていた。



EL PAIS 紙にはUna soberana derrota de España en Glasgow ( 王朝スペイングラスゴーで敗れる )
という見出しが。
ここには日本戦の敗戦後はまだ、“ロンドン五輪で優勝候補である”という形容詞が使われていた。

この失望はスペインにとってたいへんなもので、この試合は Hampden Park において厳粛なステージで日本の様な小さな相手に行われた….と書かれており、Thiago , Munianin の離脱を嘆いていた。

スペイン戦の勝利の最大の要因はなんと言ってもスペイン国民を含めたほとんどの関係者が日本五輪チームを知らなくそれこそ“自分達のサッカーをすれば…” と思っていたからに違いない。
そしてこの時点ではスペインが次のホンジュラス戦も敗れてモロッコ戦も無得点引き分けに終わり大会を無得点で去るとは誰も想像しなかっただろう。

そして日本は明後日 Manchester Old Trafford でエジプト相手に準々決勝戦に臨む。
Sir Alex Ferguson 、香川を貸してくれないかなぁ….でも今の五輪チームには必要ないか? 


ESPAÑA, 0 - JAPÓN, 1
Japón: Gonda, Tokunaga, Yoshida, Suzuki, Sakai (Yamamura, m.85), Yamaguchi, Ogihara, Otsu (Saito, m.45), Higashi, Kiyotake, Nagai. No utilizados: Ando, Muramatsu, Sugimoto y Usami.
España: De Gea, Montoya, Domínguez, Íñigo Martínez, Jordi Alba, Javi Martínez, Koke (Tello, m. 80), Isco, Mata, Rodrigo, Adrián (Herrera, m. 56). No utilizados: Mariño, Botía, Azpilicueta y Muniain.
Gol: 0-1. M. 33. Otsu supera a Montoya y bate por bajo a De Gea.
Árbitro: Mark Gieger amonestó a Jordi Alba, Domínguez y Saito. Expulsó con roja directa a Iñigo Martínez.
Estadio: Hampden Park, unos 45.000 espectadores.