Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

共産圏時代の名残 Leipzig ….

2011-05-29 | EURO Football
北欧のノルウェーから空路フランクフルトに渡りDeutsche Bahn 御自慢の ICE で陸路を約4時間。
旧東ドイツ(もう誰も云わないか?)の Leipzig 入りしたのは夜の8時を過ぎていた。歳のせいか?列車の中で新聞や雑誌を読みふけり目を疲れさせたせいかチェックインを終えて部屋に入った途端にそのまま眠ってしまった。そして目が醒めたのは午前3時だった。 まだ時差は取れていなかった…
空腹は我慢できるが喉が渇いてたまらない。たまらずホテルの外に出るが Convenience Store なんかは無い。ガソリンスタンドでもあればと思うがそれもない。 仕方が無いので徒歩数分しか離れていない中央駅に向かう。 
欧州の大都市の中央駅は24時間営業の“ショッピング街”となっているところが多く。ここ Leipzig もそうだ。
“ショッピング街”はまだ開店前だったが遠距離列車はもう発着しているのでそれらを利用する人の為にサンドイッチやコーヒーを販売しているスタンドが2,3有ったのでそこでコーラとミネラルウォーター1本ずつ買ってホテルに戻った……
そして再びベッドにもぐった…

Leipzig に来たのは5年振り。ワールドカップ観戦以来だった。あの時は1次リーグのイラン対アンゴラを観戦した。
ずいぶんとアンゴラのサポーター達が多く。試合のあった日の朝から太鼓や楽器を打ち鳴らし街中を歩きまわっていた。
そしてアンゴラの国旗を彩ったマフラーを配っていて私も1つもらった。
しかしドイツにはイラン系の移民も多く、スタジアムはイランサポーター達の歓声がやや多かった様に思えた。
試合は1対1の引分け。私の目当てであったイランの英雄アリ=ダエイは試合終盤何度かシュートチャンスはあったがゴールは割れなかった。 全盛時だったらどれか一つ入っていたんじゃないかなぁ…と思った。
試合後はスタジアムの前にある芝生の広場で世界各国のサポーター達が入り混じってサッカーの試合を行った。ワールドカップ観戦旅行のものすごく良い思い出の一つだった…..
あれから瞬く間に5年近くが過ぎて行った…..
あの大会で使われた競技場は12。そのうち旧東ドイツで開催された都市は Leipzig だけで、Bundesliga の1部チームのホームスタジアムでないのも Zentralstadion だけで大会後はスタジアムを後にしてホテルに戻る時、あの立派な競技場はこれからも有効に使われるのだろうか…と思った。

Mauerfall ( 東西統一 ) 前の東ドイツサッカーを調べてみると面白い。
私が知っていたのはモントリオール五輪でハンガリーを逆転で降し金メダルを勝ち取った事(この決勝戦は幸運にもテレビで見たなぁ…)と伝説化?している1974年ワールドカップ西ドイツ大会での1次リーグ最終戦で東ドイツが 1-0 で西ドイツを破った事。(この試合もDVDで見た。)あとは日本がボイコットしたモスクワ五輪の決勝戦でユーゴスラビアに 0-1 で敗れた事くらいだった。

戦後間もない1949年から東ドイツでは DDR-Oberliga と云う全国リーグ戦が既に創設されてカップ戦 Pokal と並行して行われていた。 1963年に今の Die Bundesliga が全国リーグとして統一される前の事だ。DDR-Oberliga では東ベルリンをホームとする Berliner FC Dynamoが強く 1978/79 シーズンから10季連続で優勝しているがおそらく共産党の息が強く掛かっていたのだろう…そして当時の東ドイツでは Dynamo クラブは五輪メダリストを多く育成するクラブとして潤沢な予算と設備が備わっていたので選手達もここで競技をする事が1つのステータスで有ったと思われる。
他には統一後も Bundesliga に所属した Dynamo Dresden ( 現在は 3 Budesliga ) 1950年代は SC Wismut Karl-Marx Stad が強く1970年代半ばまでは 1FC Magdeburg が強かった。
1974年ワールドカップ西ドイツ大会。東ドイツが唯一ワールドカップに出場した大会の代表チームでは DFの中心は FC Carl Zeiss Jena に所属する Bransch, Weise, そして攻撃陣は 1FC Magdeburg でプレーする Hoffman , Sparwasser が FC Carl Zeiss Jena でプレーする Vogel とともに構成されていた。
FC Carl Zeiss Jena所属の選手は他にも MF でレギュラーだった Irmscher を含め22人のメンバーの中に7人の選手が含まれていた。そして Jürgen Sparwasser は1次リーグ西ドイツ戦で決勝ゴールを決めた選手。大会後しばらく東ドイツスポーツ界では英雄だったが1988年西ドイツに亡命をした。壁が崩れる1年前だった。
この頃東ドイツのクラブチームは欧州のカップ戦でも好成績を挙げていた。
1973-74 の European Cup Winners Cup では Magdeburg は決勝まで進出し Rotterdam で開催された決勝戦でも Gianni Rivera, Romeo Benetti そして K.H. Schnellinger らを擁した AC Milan を2-0 で破り優勝を収めている。
このシーズンの東ドイツ勢は欧州でもその存在を知らしめており UEFA Cup でも FC Locomotive Leipzig が決勝まで進出した。( Tottenham に 1-2, 0-2 で敗れる。)そしてChampions Cup でも Dynamo Dresden が Capello らを擁する Juvenrus Turin を破り2回戦で Bayern München と対戦する。München Olimpic Stadion で行われた 1st Leg では Hansen のOwn Goal で Dresden が先制するとホームのBayern München が連続ゴールで逆転すれば Dresden も2ゴールを連続で挙げて再逆転。そしてBayern München は 71分 Franz Roth のゴールで追い付き最後は80分 Gerhard Müller のゴールで再々逆転勝利を挙げた。
しかし Dresden は 2週間後のホームゲームでは自信を持って Bayern München を迎える。試合は連続失点で Bayern München に2点のリードを許すも3連続ゴールで試合をひっくり返す。このままいけばBayern München 相手に歴史的な勝利を収めるところであったがリードを奪った直後に Müller に同点ゴールを許し準々決勝進出はならなかったがこの死闘は長く東西両ドイツの Football ファンの間で語られる事になったらしい。

Lepizig にあるワールドカップでも使われた立派な競技場 Zentralstadion は中央駅から徒歩でも15分程度で到着できる。この競技場はワールドカップ時は FC Sachsen Leipzig と云うチームのホームだったが今はRB Leipzigのホームスタジアムとなっている。数年前から清涼飲料水で著名な Red Bull がこのチームのスポンサーになり競技場も“命名権”を駆使して Red Bull Areana と名付けられている。
ここは 1956年10万人収容の欧州最大の競技場としてスタートしたがすぐに警備上の理由から入場規制がかかったりしたらしい。ワールドカップ予選や欧州選手権予選等東ドイツ代表の熱戦が繰り広げられたらしい。私が憶えているのは(観戦したわけじゃないけど) 1979年11月21日に行われた欧州選手権予選。オランダ、ポーランドと云った当時の列強と同組 ( 他にスイス、アイスランド ) になり激戦を繰り広げグループ最終戦 Leipzig で行われたオランダ戦に臨んだ。
前半 Streich, Schnuphase の連続ゴールで主導権を握るが前半終了間際にオランダ Thijssen のゴールで1点差に詰めると後半 Kiest のゴールで追い付き最後は ワールドカップ1974, 78 年大会を経験する Rune van de Kerkhof の逆転ゴールが決まりオランダが逆転勝利を収め本大会進出を決めた。
当時の欧州選手権予選の経過を英字新聞や専門紙で追い掛けていた。 日本のマスコミが誰もサッカーを振り向かない時代だった…



現在ここをホームにする RB Leipzig は Regionalliga Nord にいる。Regionalliga は長谷部 ( Wolfsburg )
香川 ( Dortmund ) 内田 ( Schalke 04 ) 岡崎 ( Stuttgart ) らのいる Bundesliga Ⅰ, 鄭大世の所属する Bochum が Budesliga Ⅱ、更にBudesliga Ⅲがありその下に文字通り地方( Regional ) リーグが北部 ( Nord ) 西部 ( West ) 南部 ( Süd ) の3つの地域に分かれて存在している。行ってみればBayern München ら世間で知られるチームが所属するリーグを1部リーグとすると RB Leipzig がいるのは4部リーグと言う事だ。 
RB Leipzig の RB は Red Bull の略称かと思っていたが Rasen Ballsport の略称らしい。訊いてみたら会社名や商品名はチーム名には付けられないらしい。
RB Leizpig の前身はSSV Markranstädtと云う戦後間もなく設立された Leipzig のチームで 2009-10 に RB Leipzig となった。
Leipzig には他にも前身は1903年初代 Deutsche Meister に輝いた伝統のクラブチームVfb Leipzig ( 2年後も優勝を収めた ) というLoKomotive Leizpig と云うチームもあるがこちらは更に下の Oberliga Süd に属している。

この素晴らしい競技場の入場料金は€8.00 ワールドカップの時は€ 100.00 もチケット代がした。
ここは共産圏時代の多くの競技場がそうだったように掘り下げ式だった競技場をベースに再建築されたもので印象的なのは昔の木材製の長椅子が“モニュメント的に”残されている事だった。



対戦相手は何度か Bundesliga 1部にも所属し今は Budesliga Ⅱ部にいる Energie Cottbus の下部チーム Energie Cottbus Ⅱ。入場時に無料配布されていたパンフレットを見ると Regionalliga Nord では 10位であった。今シーズントップを走るのは Chemitzer FC で2位 Vfl Wolfsburg Ⅱ4勝点差 をつけていた。 RB Leipzig は間に Vfb Lübek を1チームはさみ首位 Chemitzer FC と13勝点差の4位につけていた。
しかし Regionalliga から 3 Liga に上がれるチームは各3地区の首位チームにみなのでシーズン残り5試合で RB Leipzig が首位に立てる可能性はほぼ無かった。それでも今シーズンから Regionalliga に上がれた事を考えれば上出来か? オーナーは10年で Budesliga の定着を目指しているらしい。 
両チームのメンバーを見ると20歳前後の若い選手が多く何人か30歳以上のベテラン選手もいる。ベテラン選手はチームとして、プロ選手としての骨格、見本とすべき契約をしているのだろう。でもこのご時世選手が中心選手に育つとすぐに上のチームに行ってしまいチームとしてはなかなか強化が進まないのかなぁ.. でも若い選手を育成してビッグクラブに“売って”行かないとクラブ経営は成り立たないのかなぁ...と思った。

観客はばらばら。それでもチームのグッズを販売するスタンドもあり子供達がボールや帽子そしてシャツ等を買ってもらっていた。そして熱心に声援を送るサポーター達も。





私の注目は RB Leipzig の FW Daniel Frahn 。この試合の前までシーズン14得点はリーグ2番目だった・
試合は序盤アウェーの Cottbun がやや押し気味。13分には右のクロスから FW Marc Zimmermann がボレーを放ち GK Sven Neuhaus の ファインセーブを引き出す。Zimmermann はまだ21歳だが一時トップチームにも登録されていたらしい。
GK Neuhaus は33歳のベテラン。Ⅱ部にいた Augsburg でプレーしていた。Leipzig は中盤でボールが繋がらず前線の FW Frahn そして190cm の長身 Stefan Kutschke に直接ボールを入れた時の方がチャンスに繋がりそうであった。
それでも Cottbus の 21歳のCB Robert Zickert が184cm 19歳のクロアチア人 DF Christian Bubalovic が 191cm と長身でなかなか空中戦でタフな守備をする。 Regionalliga とはいえさすが欧州CB はこのくらいの上背が当たり前か? Leipzig のCB 2人 34歳の Thomas Kläaener 22 歳 Fabian Franke らは共に187cmだった。
優勢に試合を進めていた Cottbun は19分にも右サイド Fernand Lenk からのロングフィードを GK Neuhaus がファンブルしたとろを Zimmerman がシュートを放つがクロスバーの左に僅かに外れた。
20分を過ぎるとやや劣勢だった Leopzig はペースを握り出す。2トップの Kutschke と Frahn がポジションを替えながらロングボールを受け2列目の3選手がそのこぼれ球を拾いにラインを上げる。特にブラジル人 MF 26歳の Thiago Rockenbach Da Silva がボールを持つとCottbus DF陣はなかなかボールを奪えない。Rockenbach は昨シーズンまでⅡ部の Fortuna Düsseldorf でプレーしていた。ここでもブラジル人選手は存在感があるなぁ...と思った。
35分クロスボールが Cottbus ゴール前に上がると Frahn が胸でトラップ。そして落としたところをKutschke がシュートを放ちそのまま Cottbus ゴールに突き刺さり、ホームチームの先制ゴールが生まれた。
Cottbus DF陣とすれば 194cm の Kustschke に注意が引かれたか....

その2分後 Leipzig に追加点が生まれる。右SB Sebastian Albert のクロスを Fhahn がヘッドで合わせ今シーズンの15得点目を決めた。 Albert がクロスを上げる前にドリブルで突破して来たのは Rockenbach だった。 

後半開始早々にも Leipzig は GK Rene Renno が前に出たとことろを Kutschke がループ気味に Ranno の後ろに落としリードを3ゴール差に広げた。 186cm の GK Renno はかつて Bundesliga の Bochum に所属していた33歳のベテランGKだった。
ホームの Leipzig が3点差をつけたことでこの試合の興味が薄れつつあった。 Cottbus の攻撃は殆どが左サイドからばかりで 21歳の 左MF Nils Miatke にボールが収まった時にだけ何かが感じさせられるだけだった。しかし59分にはその左サイドの崩しから最後は22歳の MF Andy Hebler のヘッドが決まって Cottbus が1点を還した。今シーズン5ゴール目だった。Miatke はこの直後にも素晴らしいドリブルシュートを見せた。
67分 Cottbus はまたも Miatke がドリブルで上がりゴール前の Zimmermannに送ると Albert がストップするがそのタックルがファールに取られPKを献上してしまった。 そのPKは Zimmermann が蹴り一旦は GK Neuhaus が止めるが詰めた 21歳のオーストリア人 MF Markus Obernosterer が押し込み1点差に詰め寄った。


 
向こう正面の数少ない Cottbus サポーター達の歓声がここまで聞こえて来た。
リードを詰められた Leipzig ベンチは73分2トップの2人を一気に替えて 21歳の Carsten Kammlott と33歳のベテラン FW Nico Frommet を投入する。そして75分今度は Leipzig がPKを貰い追加点のチャンスを掴むが ベテラン GK Rennno がストップ。後方の Cottbus サポーター達が狂喜乱舞する様子が印象的だった。Frahn か Kutschke のどちらかが残っていれば...と思った。



そして今度は Cottbus ベンチがFW2人を下げて 19歳の MF Kai Reuer と 20歳の Severin Mihm を投入する。そして 長身CB Zickert をトップに入れ Reuer と2トップを組み Mihm は2列目右に入った。
そうすると追うものの有利が俄然 Cottbus が攻勢に出る。 投入直後に Reuer がカウンターからドリブルで左サイドを突破しクロスを上げ Zickert がフリーでヘッドを放つがゴール枠を外してしまった。
Leipzig は88分 27歳の Tom Geißlerに替って31歳ベテランの Daniel Rosin が投入される。 Leipzig はリードしているのだからボールキープの出来る Rockenbach に集めれば良いのにと思うが何故か “4点目”を目指して攻撃に転じようとする。裏を取られたら危ないのになぁ...と思うと90分スローインから Zickert がシュートを放つがポストの右に外れてしまった....
そして91分15秒。 試合終了のホイッスルが鳴った。ホームの Leizpig が何とか逃げ切った試合だった。

試合が終わってトラムの停留所に向かう。途中で思い出の広場が。ワールドカップの試合観戦後ここでサッカーをしたなぁ... この歳でサッカーの“国際試合”が出来るなんて...とものすごく良い思い出の詰まった芝生の広場だ...

この広場も共産圏時代の名残だ。 中央駅前は今巨大ショッピングモールの建設中だ。共産圏時代の匂いがどんどん薄くなっていくみたいだけどそれも時代の流れなのか....

いつの日かこの立派な Red Bull Stadion ( Leipzig Zentralstadion ) が Budesliga の試合で一杯になる日が来るだろう......



シーズン最終戦 勝利で飾れず 鹿島 2-1 Sydney FC 10.May

2011-05-16 | Football Asia
5月10日。午後5時少し前、サウジアラビア人のKhallil Alghamdi 主審の試合終了を告げるホイッスルが鳴った。向こう正面の鹿島サポーター達から一層の歓声が上がる。 でも本音はもっと点差を点けたてほしかっただろう…. 選手達と審判団が互いに握手を行い、鹿島の選手達がサポーター席に向かう。 Sydney の選手達はそのままベンチ裏に向かっていた。 私がマフラーを頭上で目一杯回す。すると1人の選手がこちらに気が付き、また Vitezslav Lavicka 監督も選手達にこちらの方を指さす。 そして選手達が拍手をしながらこちらに向かって来てくれた。嬉しかった。 水色のマフラーを頭上に掲げて選手達の労をねぎらった。
昨シーズン Grand Finalのタイトルを勝ち取り、今シーズンは多くが期待されながら開幕戦の Melbourne Victory を何とか引分け以降10試合4分6敗の後にようやく白星を上げシーズン9位に終わり、来シーズンに向けて ACL に臨んだ Sydney FC が7,800km 離れた東京で鹿島アントラーズ相手に逆転負けを喫したゲームでシーズンを終えた、とオーストラリア紙に述べられていた。 
日本のマスコミ、ジャーナリスト達に今年も A-League のチームが存在感を見せられなかった事が残念でならなかった……

ACL の組み合わせが発表となった時、4年振りに出場権を得た Sydney FC が鹿島と同じ組になり3月に鹿島スタジアムで試合がある事を知りものすごく喜んだ。 日本であの顔なじみの Sydney サポーター達にまた会える。4年前もオーストラリアドルが強くて日本のコカコーラの“安さ”に感激していたなぁ。今年もオーストラリアドルはまた強くなっている。何日滞在するのだろう。ACL 後にまた J-League の試合を見たいと言ってくれるかなぁ…どこに宿泊するのだろう?鹿島は遠いから都内に泊ったら試合後はどうやって帰るのだろう…車で送って上げようか?でも何人来るのかなぁ… 色々思いを巡らせいていた。

しかし3月11日に起こった東北太平洋震災、そして津波でそれらの思いも“流されて”しまった。 
一時は ACL どころかサッカーどころでは無かった…
被災を免れた東京、埼玉、神奈川地方でさえ計画停電やガソリン不足の小さなパニックが起こった。でもそんなの地震、津波に直接被災した地域の人達からすれば物の数にも入らない。
そして ACL の日程が組み直され Sydney 鹿島との“アウェー戦”は最終節の5月10日に変更となった。
Sydney FC 最後までもつかなぁ… 消化試合にならなければ良いなぁ….4年前の浦和戦もさいたまスタジアムで最終節だった。その時の様にエキサイトな試合になれば良いなぁ…と願った。

5月3日。商用先で Sydney FC が ACL 第5戦水原 Blue Wings に3-1 で破れ Round 16 進出の望みが断たれた事を知った。 開幕戦はホームで何とか引き分けられたがアウェーではやはり厳しかった様だ。
前節上海申花戦で勝利を上げた時は期待したんだけど…..

5月10日。試合当日、天気予報は大雨の予想。しかしまだ曇天のままだ。 試合が消化試合になり原発事故の“風評”もあって誰も地元 Sydney から来ていないだろうなぁ…. ならば俺がサポートするしかないと自己満足的な使命感から国立競技場に向かった。 
アウェーサポーター席に着くと Sydney FC のフラッグが手すりにくくりつけられているのが私の目に飛び込んで来た。 そして Sydney FC のユニフォームを着る男性が。 この方は名古屋在住の方で1月に渡豪されて Sydney FC vs Gold Coast Mariners 戦を観戦されたそうだ。 う~ん、こういう人がおられるとは。本当に心強く思った。 そしてこちら側は“予想通り” 観客はパラパラ。 対面の鹿島サポーター達の歓声が本当によく響いた。しかし彼らがいなければ試合は盛り上がらなかったと思う…..

Sydney FC のスタメンは GK 6試合全てスタメン出場のLiam Reddy 。昨シーズンは後半からポジションを獲得し18試合にスタメン出場。CB は 2009年 FIFA U-20 メンバーのJurrman Matthew と スイス代表3試合出場経験があり昨シーズンは “ A-League 屈指の CB “ と言われたStephan Keller 。共に190cm の長身選手達。 左 SB Scott Jamieson は2008年 Adelaide United のメンバーとして FIFA Club World Cup の出場経験がある。 右SB James Durante は 2007-8 Grand Final で優勝した New Castle Jets のメンバーで2008年シーズンから Wellington Phoenix に移籍し ACL の為に Sydney FC に Loan 移籍した選手。彼も186cmと長身。 中盤はダイヤモンド形の布陣を敷き “1ボランチ”のポジションに 北京五輪メンバーだった Stuart Musialik 。2005年 FIFA U-20 オランダ大会の1次リーグで日本戦にも出場している。
2列目右にはチームの重鎮北アイルランド人の Terence McFlynn 。チーム創設時からのメンバーで今は主将を任されている。左の Rhyan Grant は 2009年FIFA U-20 のメンバー。 そしてトップ下には Socceroos の Nick Carl 。2005年から2シーズン New Castle Jets に所属し以降 Genclerbirligi ( Turkey ) , Bristol City ( England ) と渡り歩くが出場機会に恵まれなかった。ようやく2009年にポジションを獲得し2009年6月 Melbourne で行われたワールドカップ予選の日本戦には久々に Socceroos に復帰した。2007年 Asian Cup の日本戦にも途中出場した経歴を持つがワールドカップは大会直前になってメンバーから漏れた。
2001年FIFA U-20 アルゼンチン大会のメンバーでもあり1次リーグの日本戦では82分から途中出場した経歴を持つ。(試合はオーストラリアが2-0 で勝利 ) 何かと日本戦に縁のある選手だが最も鹿島が警戒すべき選手だった。  FW は昨シーズン20試合出場で9ゴールの Bruno Constantino こと Cazarine 。ACL ではこれまで3ゴールを決めている。 そしてもう1人の FW David Williams は昨シーズン破綻した North Queensland Fury でプレーし ACL の為に Sydney FC に Loan 移籍して来た。 2005年FIFA U-20 のメンバーだったが日本戦での出場機会は無かった。 同年の FIFA U-17 ペルー大会のメンバーにも選ばれたが日程の影響で大会には出場しなかった。参考までに左SBの Scott Jamieson もこの大会に選出されていた。



           


4月13日シドニーでの試合で怪我の為に出場出来なかった Nick Carl James Durante らが前節の水原戦に続いて出場しそして前の鹿島戦では出場停止中だった McFlynn が戻ってきた。
前節スタメンだった注目の日本人選手森安洋文はベンチスタート。そして上海申花戦で殊勲の決勝ゴールを上げた Mark Bridge は臀部の負傷の為に日本遠征に帯同出来なかった。北京五輪メンバーでもあった Mark Bridge の離脱は本当に痛かったなぁ…..



一方の鹿島は興梠が出場停止。 FW は大迫勇也とカルロンのスタメンが予想されていたらしいが大迫の1トップに小谷野がスタメンに起用され1.5列目に入った。 福岡戦ではスタメンでは無かった中田浩二と新井場がスタメンに入った。個人的には柴崎が投入されるか…と少し楽しみにしていた。

鹿島のキックオフで始まった試合。そして本当にキックオフとほぼ同時に遂に雨が降って来た。
しかし雨が降った方が Sydney に有利になるとも思った。
立ち上がりは Sydney が押す展開。50秒には Carl から Williams に渡り、1分41秒にも Carl から Cazarine に渡りシュートに持ち込む。 Cazarine のシュートは曽ケ端が脚でストップされたが惜しいチャンスだった。全体的に“得意の”ハイボールを競った後のこぼれ球を Sydney の選手はよく拾っていた。5分にはまたも Carl からフリーの Stuart にボールが渡ったがコントロール出来ずにシュートを撃てなかった。
しかし立ち上がりの攻勢もここまでで7分過ぎから鹿島にボールが廻り出す。 7分11秒には遠藤からボールを受けた小谷野が大迫にスルーパスを送りシュートを撃つが Sydney DF に当たりこぼれ球を拾った小笠原が遠藤とのパス交換から左サイドを抜け出し中に入れたところ再び大迫がシュートを撃つがGK Reddy の正面を突いた。ボールが廻しでは鹿島はアジアでも屈指のチームだ。9分21秒には青木からボールを受けた大迫が Jurman をかわして遠藤に繋いでシュートに持ち込むが外れる。14分13秒には小笠原のCKから西がヘッドを撃つが GK の正面に。15分11秒にも小谷野がDurante, Keller, Jurman をかわしてドリブル突破最後はスルーパスを送るが僅かに Jamieson がマークに付いた野沢には合わなかった。
15分53秒には良い位置でFKを得るがここは野沢の蹴った弾道はGK Reddy の正面に。17分23秒にも青木がミドルを放つがこれはポストの右に外れて行った。
ワンタッチでボールを回し、空いたスペースに選手が連動して入り込むところはさすが鹿島というよりも J-League だ。 20分頃には鹿島は大迫と野沢の2トップ気味となり2列目の小谷野、遠藤がどんどん上がって来る。青木、小笠原の押し上げも早い。 
22分23秒にはミスパスを拾った大迫が Jurman をかわしてゴール前にドリブルで上がり最後は小谷野に送るが小谷野のシュートもGK Reddy の正面に。 鹿島攻撃陣のシュートがGKの正面を突いてくれるので先制ゴールは喫さずに済んだが、日本の将来を担う大迫にはここで決めて欲しいシーン、というのもあった。
22分23秒、今度は大迫が Musialik に激しいチャージを受けてボールを失うがホイッスルは鳴らない。 こぼれ球を拾った Grant がドリブルであがり Williams にスルーパスを入れシュートに持ち込むが青木がブロックしてCKに。 CKには190cm のCB Jurman, Keller が上がって来る。 そのCK に Jurman が岩政、大迫と競りながら飛び込みヘッドで捉えると見事に鹿島ゴールネットに突き刺さった。 



鹿島サポーターの歓声がぴたりとやみ静寂が競技場を包んだ。そんな中私は “ナイスシューッッッッッッ !!! ” と叫ぶ。 そしてさっきの男性とハイタッチをかわす。
“これで面白くなりますね。”
“先制されたら終わってますから…”

劣勢の中よく決めてくれた先制ゴールだった。
それにしても岩政はアウェーの Sydney 戦でもよく Cazarine に競り負けていた。
代表のCBなのになぁ…と少し心配になった。そしてこのプレーで中田浩二が肩を負傷し替って伊野波が投入された。
あぁこれで高さで押しまくる事が少し難しくなるか…と思った。
鹿島は失点後左 SB の新井場の上がりが顕著になった。 Sydney は攻撃時には Carle が真ん中のトップに上がって来て Cazarine, Williams が左右に開く。シドニーでのゲームでは Cazarine の1トップだったが次の上海申花戦から Cazarine と Mark Bridge の2トップにして結果を出していた。
そして左 SB の Jamieson, ボランチの Musialk が中盤でボールを拾えるようになってきた。
前半の残り時間約20分、数度鹿島がチャンスを掴んだが何とか無失点に抑え前半は Sydney リードのまま何とか終える事が出来た……



Sydney のキックオフで始まった後半。雨脚は天気予報程強くはなっていなかった。観戦にはその方が良いけど
Sydney にはそうじゃない方が良かったか….前半から Sydney の控えの選手達がアップしていたが注目の森安はいつ出てくるのだろう…と思っていた。それから柴崎は…..
後半は両軍選手交替無いまま始まったが試合は鹿島が押す展開。 頼みの Carl にボールが入っても小笠原がさすがのタイミングでマークに入る。 
そして64分、左サイド新井場から伊野波に渡り上げられたクロスが逆サイドに渡りフェリペ=ガブリエルが Keller と競り合いながらも折り返すとそこに大迫がいてそのまま Sydney ゴールに押し込み同点とした。
ようやく大迫が決めたシーンだったがその前にフェリペ=ガブリエルが競りながらも折り返した時点で同点ゴールが決まった様なものだった。そしてフェリペは4分前に小谷野に替って投入されたばかりだった。
同点に追い付かれた Sydneyはその直後のキックオフ後のボールを繋いで鹿島ゴール前に迫り得たFK を Jamieson が中に入れ Jurman がヘッドで落とす。そこに Cazarine が走り込みオーバーヘッドで狙うがファールを取られた。


 
Sydney ベンチは同点ゴールを許した5分後森安がピッチサイドに現れる。誰と交替で投入されるのかと見ていると Nick Carl がベンチに下がって行った。森安の投入は嬉しかったが Carl が下がったのはちょっと残念に思った。やはり故障が完治していないのか…. Bridge がいればなぁ…と思った。



“森安 !! 頑張れよ !! “ 国立競技場で存在感を見せて欲しいと願い声を張り上げた。
74分34秒右サイド McFlynn からのクロスに Cazarine が走り込むが惜しくもオフサイド。 何とかトップの Cazarine 、Williams に良いボールが入らないか…と思いながらピッチを見つめた。
77分大迫がベンチに下がりカルロンが投入される。 この日の大迫は1ゴールを決めたが鹿島サポーターから見れば2ゴール以上は決めて欲しかったのではないかな…そしてこの時点で柴崎の投入が無くなった…
カルロン、フェリペの動きそして小笠原のパスがますます生きて来て Sydney はシュートにすら持ち込めなくなってきた。 そして相手の動きをファール以外では止められなくなってきた。
81分遠藤がPA付近で粘って最後は Musialik に倒されFKを与える。 ゴール正面のいやな位置だった。
小笠原と野沢がボールの後ろに立つ。そして野沢の蹴った低い弾道のシュートがGK Reddy の一杯に伸ばした手を掻い潜ってゴールネットに突き刺さり鹿島が遂にリードを奪った。
試合開始からずっと立ちっ放しで声援を送り続けていたがこの失点で私は座り込んでしまった。
鹿島サポーター達からは安堵の歓声が沸き上がる。 

Sydney は何とか同点ゴールをとボールを繋ぐがPA近くになると鹿島DFの網に簡単に引っ掛る。森安がボールを持つと2人3人と囲みこむ。 FW Cazarine, Williams もちょっとスタミナが切れて来たか….



87分 McFlynn が下がり FW Danning が投入される。 しかし相手ゴールに迫るのは鹿島の方ばかり。88分には Musialik からボールを奪った遠藤がドリブルで上がりファールで止められると FK から攻撃参加した CB岩政 に渡るが何とか Durante がクリアー。 ロスタイムが2分と表示される。 90分35秒、カウンターから Danning から Cazarine に繋がるがここは小笠原が“上手く”ファールで止める。 必死にボールを繋ぐがシュートに持ち込めない。

そして92分15秒、ホイッスルが鳴り響いた…….

まぁ予想通りの結果でしたね…前の試合よりは健闘したみたいですけど…名古屋から来られた彼と握手を交わす。 

気をつけて帰って下さい。 

雨は上がっていた。試合中も“豪雨”にはならなかった。

翌日既にACL 1次リーグ敗退が決まっている Melbourne Victory が 済州ユナイテッドと引き分けた。Kevin Muscat の現役最後の試合となった。また一人日本では知られないが世界では名前が通っている選手が去って行った。
来年のACLに出場が早くも決まっている Brisbane Roar, Central Coast Mariners どんなメンバーになっているだろうか? 

この日の観客数3,164人。でもこういう試合に足を運べる人こそサッカーが好きな人だ…とも思った。

帰りに買った半額になったカツサンド。ほんまにおいしかったなぁ……

ノルウェーの森…には行かなかったなぁ…..

2011-05-15 | 欧州カップ戦

スイスから北方向に空路を約3時間、ノルウェーの首都オスロに到着し、ホテルのチェックインしたのは午後9時少し過ぎだった。
空港から Special Express で約30分。中央駅に到着し10年ほど前に初めて当地を訪れてから“定宿”にしているホテルにチェックインした時は午後9時を少し回っていた。 
楽しみにしていた UEFA Champions League の Schalke 04 vs Manchester United をテレビ観戦しようとテレビのスイッチを入れるがここで視聴できる“国外”チャンネルはBBC だけだった。 他の地元チャンネルを回してみてもこの試合のテレビ中継は無かった。 UEFA の WEB SITE で Pay per View をしようかと試してみた。 ここのホテルは客室内でもホテルのワイヤレスが無料で使える。しかもかなりレベルの高いランである。 だけど恐らく放映権の兼ね合いがあるのだろう、地元の公式WEB SITE チャンネルを通じてくれ…との事である。 ワンタイムだけど Register が面倒なので、 UEFA のサイトで経過だけを“見る”事にした…..
あぁ、こんなことなら先にドイツに入った方が良かったなぁ….でも客のアポイントの都合が優先だからなぁ…



結果は visitor の Manchester United が 2-0 で快勝。 内田のいる Schalke は今シーズンの UEFA Champions League ではホームで負けておらず。そして visitor の Manchester United もアウェーで無失点の負け知らず。どちらのジンクスが勝るだろうか… Manchester United は確かに欧州で5本の指に入るくらい屈指の列強。だけど Schalke も準々決勝戦では昨シーズン王者の Internazionale Milano を粉砕している。 ここで勝てば…鹿島の小笠原でないか日本で J-League のチームとの対戦の可能性が…と淡い期待を抱いていたのだけど…

この試合最も評価の高かったのは Shcalke GK Manuel Neuer だった。 Die Kicker では Rooney と並んで出場全選手最高点の1.0 の評価。(ここでは点数が低いほど評価が高い。)Manchester United の Valencia そして先制ゴールの Giggs が 1.5 だった。参考までに内田は 4.5 。 MU のどの選手達より点数は低かったが Schalke では Raul をはじめ攻撃陣が軒並み 5.0 で内田より点数が良かったのは CB の Matip の 4.0 のみ。左SBの Hans Sarpel は 6.0 の評価。それだけ内田がましだったというより Manchester United が Herald Tribute 紙によると“レベルの違うリーグのチーム”と云う表現が適切なのだろう。
Neuer の株は英国紙でも高く評価され、さっそく Sir Alex Ferguson と試合後握手を交わしているシーンや MU のGK van der Sar と抱擁している写真を用いて、“ Ferguson が 40歳になる van der Sar の後継者を発見。”という行が Times, Guardian に見られた。 ドイツ紙にも至近距離からのシュートをハンドボールのGK張りの身体を使ったブロックの写真を用いて彼の健闘をたたえていた。実際に Ferguson 監督は“私が監督業を始めてから対戦相手では最高のGK。”とのコメントを残していいた。
そして英国紙には Rooney を称える記事と彼が10月に移籍騒動を起こした事を今は後悔しているとのコメントも大きく取り上げていた。

Die Kicker には “ 世界はこの Torwart ( G.K. ) に驚きを感じたが今彼には1つの問題が。“との見出しが。
それは来シーズンから新規契約が予想されている Bayern München との契約に高額を突きつけ Manchester United が横どりをするのではと云う事だった。 Neuer 自身はシーズンが終わるまではプレーに集中したいとのコメントを発していた。
4日後、Alianz Arena で行われた Die Bundes Liga の第32節ではその Bayern München と対戦。 München のサポーター達は I ♡ Neuer のプラカードを掲げて彼を“歓待”。 Bayern München は GK 問題で揺れており来シーズン、タイトル奪回に向けて、GKの補強は急務だ。 Neuer を他に取られては….との気持ちの表れだろう。
しかし好ゲームが期待されたが結果は1-4 でBayern München の圧勝。内田もなかなかテレビに映らず、唯一アップで映し出されたのが失点後ゴールからボールを拾い上げるシーンだった…



翌日のChampions League 準決勝戦はレアル対バルサ。 この試合もどうしても観たい試合。 
ホテルのレセプションで“ Satellite Channel ”は映らないのか?前はここのホテルでも見られたけど…てなことを訊ねると。バーに行って訊いて下さい…とも回答。
ホテル内のバーに行ってみるとそこにはスクリーンがあったけど訊いてみると“ここのホテルは Satellite の契約をしていません。”との答え。まぁ予想は出来ていたけど…朝と云うのに既にカウンターでビールをあおっている若者が。彼らも同じ目的を持っていたらしく。
“ It’s pity !! “ と私の問い合わせに同意をしてくれていた……
仕方ないか、でも欧州に来ても見られないなんてなぁ….. 最近は日本でも欧州の試合がライブで楽しめる。でも寄る年波には勝てずなかなか起きていられないんだなぁこれが…21年前、1990年イタリアワールドカップの時はNHKがBSで全試合生中継してくれいたの連日夜更かししてぶっ倒れるまで見続けていた。大会期間中ぶっ倒れたのは1日だけ。そして翌日には回復した。
でも今はもう1日徹夜すれば回復に3日は掛かる….

仕事を終えてお客と食事を楽しみにホテルに帰ったのは9時を少し過ぎたところだった。
するとバーの方が少し騒がしい。 部屋に帰らず直行すると何とこの大一番がテレビ中継されているではないか。
試合は前半30分近くになっていた。朝、カウンターにいた若者達を含めて10人程がスクリーンの前に。
彼らと目が合うと親指を立てて見せた。
この試合は地元テレビ局が中継してくれていた。 周囲の人達と話しながらスクリーンを凝視する。 
今日は Özel がスタメンか、Kaka はベンチスタートか.... AC Milan に戻った方がええんとちゃうか.... てな話をする。
Clasico 4連戦の3試合目となるともう手の内どころか相手の仕草までわかるんじゃないかな...
Real は本当にどん引きだのカウンター狙いだけど、Özil にボールが入っても簡単にとられてしまう。バルサDF、MF陣はÖzil にボールが入るところを狙っている様に見えた。 対照的に Messi がボールを持つと一斉に声があがる。 かつての Maradona を本当に彷彿させる。あの時はがんがん後方からもタックルが入っていたなぁ....
前半を何とか 0-0 で終えると私は部屋に戻りシャワーを浴びベッドにひっくり返ってテレビを点けた。 
Özil は案の定ベンチに下げられた。 そして Adebayor が投入された。Real はとにかく無失点に抑えれば良い。そうすれば次の Nou Camp で得点をすればそれが“2倍”の効果になる。あと45分、更に守備的に無失点を目指すだろう.... と思った。
61分 Real のCB Pepe が右 SB Dani Alves にチャージに入る。 ホイッスルが鳴る。あぁイエローカードが出されるかな... と見ているとドイツ人の Wolfgang Stark 主審はレッドカードを出した。 これには Real イレブンは怒りが収まらない。更に収まらないのは Real の Mourinho 監督。 このレッドカードにタッチラインから抗議をするとStark 主審は何と退席処分に。皮肉の拍手を送りながらベンチ裏に去る Mourihno の姿が映し出される。 後で知ったけどハーフタイムに入った直後に選手同士で小競り合いがあったらしく Real の控えGK Pinto が退場になっていたらしい。
それにしても今シーズンの Clasico では何人の Real の選手が退場になったのだろう.... Mourinho 監督がいやみっちく “バルサとは10人で試合をする設定も考えねばならないが最後まで11人で試合をしたい。” と試合前に語っていたのを思い出した。
実際に試合は見ていないから解らないがReal 側が審判団に注文をつけたがるのも理解できる。 これで Kaka の投入は無くなったと思った。
テレビ画面は最前列で試合を“観戦”する Mourinho 監督がメモを書いてコーチに渡しているシーンを何度も映し出していた。
10人になった Real は必死に Barcelona の攻撃に耐えるが 76分遂に均衡が破れた。そしてゴールを決めたのは Messi の左足だった。そして左から Messi にボールを送ったのは5分前に Pedro に替って投入された Afelly だった。  Messi も凄いが、 5分前に投入した選手に先制ゴールを導かせると言うベンチワークも凄いと思った。 
約10分後の 87分。今度は Messi が個人技を見せる Busquests とのパス交換で対峙した Diarra をかわすと再び追いすがる Diarra, Albiol, Marcelo, そして Sergio Ramos をドリブルで次々に交わし最後は右足を振り抜きファーサイドの左ゴール隅にボールを蹴り込みこの試合と云うよりも決勝進出をほぼ確実にしてしまうゴールを決めた。
戦術もへったくれもない。 1人で何か出来る選手を持つ事が勝利への一番の近道と世界に示すプレーだった。 
このゴールは今シーズン Messi 自身公式戦52得点目。Champions League は 11得点目。あと1ゴールで 2002-03 に当時 Manchester United でプレーしていた Ruud van Nistelooy のシーズン12得点にならぶ。 ( 予選ラウンドは含まない。)
そして伝説となっている Jose Altafini が1962-63 AC Milan 在籍時に記録した の Champions Cup 記録14ゴールに迫る勢いだ。

翌日の英国、ドイツそして イタリア紙では Messi 称賛見出しのオンパレード。
„ IMMER WIDER MESSI !! „ (Bild Letzte Seite ) „ Messi rises above the anarchy in battle of Bernabeu „ ( TIMES ) „ MESSI MATADOR „ ( La Gazetta dello Sport) „ Messi Schießt Barca Richtung Wembley „( Die Kicker ) 。
欧州の主力紙の見出しが MESSI の名前が用いられている事を紹介する記事もあった。
5月1日付けの TIMES 紙は Messi の2ゴール目の“軌跡”をイラスト入りで掲載した。 
そして同紙は4月29日付けの記事で“ ダイブやこすからいファール、ピッチを転げ回る事そして主審を取り囲みカードを要求する事も Pep Guardiola のチームのもう一面。” と表しながらも Xavi が100回もパスのやり取りをしたのに対し Real の選手の中ではMarcelo が22回のパスを出したのが最高でこの回数は9人のバルサの選手達が上回り前半で退いたÖzil に就いてはパスの成功は2度だけ。ボール支配率72% もさることながらボール回しの数字がこれでは....と試合内容を分析していた。

Messi に並んで見出しの主役になっていたのは Jose Mourinho だった。 退席処分になり試合中にはメモを渡して指示を続けたが、試合後またも Clasicos で退場者を出した Real Madrid 。更に試合後 “ Barcelona と Unicef, UEFA との”関係“が Clasicos の結果の背後に潜んでいる。”事をほのめかす発言をしており物議を醸す事に。 その後の処分に就いて既に主審の判定に異論を公言してはばからず処分を受けている ( ただしFAから) Sir Alex Ferguson と同等の処分を受けるのではとの記事が。
しかし4月29日付けの TIMES では彼に同情的な記事も。 Don’t abuse Mourinho, this time he is the victim not a villain
との見出しで過去いかに主審が Barcelona 寄りの判定を降していたかを当時の試合の写真付きで振り返っていた。
それは Pepe の退場のみでなく、2008-09 UEFA Champions League の Semi-Final ではノルウェー人の Tom Henning Ovrebo 主審が Pique と Eto’o のハンドを見逃し Abidal が Drogba のシャツを掴んで引き倒しても PK を与えなかった事。
今シーズンの UEFA Champions League 準々決勝では Arsenal の Van Persie が30分を残して2枚目のイエローカードを受け退場となった事。 昨シーズンの準決勝戦で Inter Milan の Motta の手が Busquets の顔に当たり1発退場になった事。(ただし決勝に進出したのは Inter Milan ) 2005年の Round 16 で Barcelona と対戦した Chelsea は Nou Camp でDrogba が2枚のイエローを受けて退場となったが試合後当時の監督がった Mourinho は “ この判定には驚かなかった。なぜならハーフタイムに Rijkaard 監督と Anders Friske 主審が meeting をしていたからだ “てな発言をして UEFA から2試合出場停止処分となった事。( Friske 主審は昨年のワールドカップで Harry Kewell に疑惑の1発レッドを出した主審。) をそれぞれ振り返っていた…
これはこの時点でほぼ決定的となった Manchester United の Champions League 決勝進出を前にした“牽制”ともとれたなぁ…



ノルウェーはワールドカップは 1994年アメリカ大会、1998年フランス大会に連続出場し EURO2000 では予選を突破し、スペインを破った。ワールドカップアメリカ大会は England を抑えて予選を突破した。
最近は大きな舞台には出て来ていない。 
2002年5月14日。ワールドカップ開幕を約3週間後に控え日本代表はオスロに遠征しノルウェー代表と“調整試合”を行い 0-3 で敗れた。日本代表は1週間前の7日にはマドリードで Real Madrid とクラブ創立100周年記念試合を氷雨の豪雨の中行った為かあまり動きに切れが無かった。そしてノルウェー戦の3日後ワールドカップメンバー23人の発表があった。ノルウェー戦のスタメンの中で久保だけがメンバーから外れた。 ノルウェーの長身選手との競り合いが最終決定に悪影響を与えたかな…と当時思った。
数年後オスロにある有名な日本レストランで当時の試合に出場した選手達のサイン色紙の寄せ書きがあった。その横にはノルディックの日本選手団のサインの寄せ書きが。だけど今そのレストランは売りに出されて経営者が替ったらしい…
ドイツ大会はプレーオフでチェコに破れた。 その試合前日にオスロを商用で立ち寄った。 応援に来ていいた多くのチェコ人達が同じホテルに泊まっていた。そして2004年に日本がチェコと対戦した時の話や同年の EURO2004 での活躍なんかを話した。
プレーオフの為にネドベドが代表に復帰した事をずいぶんみな喜んでいた。 そしてチェコ人が自由に海外に旅行できる事に時代の流れを感じた…….

4月のオスロは思っていたよりも寒くなかった。 スイスやドイツよりかは少し気温が低かったけど。
北欧のオスロからの移動中にじっくりと欧州紙を読み Champions League を堪能しながら次の訪問地に向かった。

それにしても“ノルウェーの森”はどこの森の事なのだろう。そしてこの作品のノルウェー語版はあるのかな……