Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

いざ!国立へ!! 京都サンガFC 1-0 湘南ベルマーレ 24th Dec. 2011

2011-12-26 | 京都サンガ J-League
腕時計のデジタルは48分を過ぎようとしていた。そしてボールがタッチラインを割った。
ロスタイムは過ぎただろう。レフリー、時計だ、時計だ。私は観客席から叫んだ。 ベルマーレのスローインで試合が再開される。
サンガゴール前やや左に位置する田原豊にロングボールが入る。しかし安藤淳が身体を張ってそのロビングを跳ね返す。
ヨシッと思った瞬間そのこぼれ球は松尾の前に転がる。 当たりに行け、だれか当たれよ、当たれ!!私が叫ぶが松尾はそのままPAの外からミドルを放つ。よし高い!! 心の中で叫んだ。 ゴール裏の二階席で見ていた私はその弾道は高く浮いてゴールには入らないと一瞬安心した。しかしその瞬間、バーンと言うボールがゴールの角に当たった音が聞こえた。 そしてそのままボールはゴールラインを割って外れて行った。 GK水谷が両手を挙げてこちらのサポーターズシートに走り寄って来た。
東城主審が試合終了のホイッスルを吹いてサンガが準決勝進出を決めた瞬間だとその時は解らなかった。
瞬時に事情を理解した私と周囲の人達は躍り上がって喜びを爆発させた。 そして思った。

良かった。勝った。勝ったんだ~。

後で冷静に考えればゴールフレームに当たってピッチに跳ね返らなかったので入らないシュートだったとも思った。しかしあの入らないと思ったシュートがゴール枠を叩いた事を思い出しぞっとした。 だけど、勝った事には間違いない。まだ天皇杯を“楽しめる”と言う幸福感がじわじわと沸き上がってくる。 昨年のワールドカップでカメルーン戦後に味わった様な…..

4回戦で鹿島アントラーズを降し準々決勝

12月17日に鹿島を破り準々決勝進出を決めた愛するサンガの対戦相手は川崎フロンターレを破った湘南ベルマーレだった。
川崎だったら散々えらい目にあわされて来た。しかも次の試合会場はフロンターレのホーム等々力競技場。ここで何度大負けしたのか…まぁ天敵ジュニーニョがもういないから何とかなるかも…と思っていた。
湘南は今シーズンのJリーグでは震災の影響で日程変更された為中3日で2連戦して2連勝だった。J1の川崎よりも湘南の方がやや組みし易しで有る事は間違いないが2010年のシーズンは1敗1分。
“過去の対戦”よりもJ1川崎を倒したもっとも直近の“実力”を見つめるべき、慢心は絶対に禁物と勝手に自分自身に言い聞かせていた。

準々決勝戦の行われた12月24日は前日と打って変わっての好天で温和な絶好の冬季サッカー観戦日和であった。
武蔵小杉駅に着くと等々力競技場方面に行くバス停に長蛇の列が出来ていた。 てっきりこの日も競技場までの臨時バスが出ると思っていたけど、この試合は“フロンターレのホームゲーム”では無いので通常のバスのみの運行であった。 フロンターレが勝残っていたら臨時のシャトルバスは出されていただろうか…
久々にキックオフ時間に“遅刻”せず競技場入りで来た私は1階席か2階席で観戦するか迷った挙句1階の立ち見席で観戦する事とした。後方から入り込む寒風が背中を直撃するのが閉口した…

まず愛するサンガからスタメンが発表された。予想通りに4回戦と同じメンバーだった。 湘南も川崎戦と同じスタメン。Jリーグ大戦時のスタメンからGKを含めて3人が入れ替わっていたがシステムそのものが4バックから“天皇杯仕様の 3-4-3 “ に替っているのは周知で Jリーグでの連勝が参考にならないと試合前から思っていた。そしてサンガは Jリーグの2連戦からDFが2人替っていたが( 酒井、内野に替って安藤淳、森下がスタメン起用)システムは 4-4-2 のままだった。だから気を引き締めて掛からないと…と思った。(あまり関係ないけど。)
選手紹介で湘南の田原がアナウンスされるとサンガサポーターからも拍手が沸き起こった。








サンガのキックオフで始まった試合、立ち上がりはサンガの時折ワンタッチパスを織り交ぜたショートパスが繋がり、また選手達の集散が早く相手ボールとなってもすぐに2人、3人と取り囲み次の展開の芽を素早く摘む。 3分36秒には充孝から宮吉にスルーが入り4分16秒にはドゥトラが右サイドでオーバーヘッドでボールを中に折り返す等チャンスを作る。特にファーストプレーが良いとその日はけっこう乗ってくれるドゥトラのオーバーヘッドはこの試合のパフォーマンスを期待させると思った。7分45秒には中盤から中央をドリブルで突破しバイタルエリアに侵入するもシュートは撃てなかった。そしてこぼれ球を遠藤に拾われ一気に前に出されそうになるとところは中山博貴がファールで上手く止めてくれた。そしてカードも出なかった。
9分には右サイド中盤から工藤のロングフィードが山口の頭を越えて宮吉に渡り、永木と縺れながらシュートに入るがここで出て来たGK野澤と交錯し倒れてしばらく立ち上がれない。昨年ここに観戦に来た時も開始早々GK水谷が相手FWと交錯してその時は交替を余儀なくされた。サポーター達は必死に宮吉に声援を送る。私は思わず“久保、早くアップしろ…” と言葉を漏らしたけど宮吉は立ち上がって一旦は外に出されたがチョンウリョンのCKの後は無事にピッチに戻って来た。 



宮吉が復帰してからもサンガのボール支配は続いた。だけどなかなかシュートが撃てなかった。
劣勢の湘南は18分9秒、左サイドで坂本からのパスを受けた高山が入れたクロスに田原が飛び込み後方のベルマーレサポーター達を沸かせる。そしてこの時間からサンガの集散の早さに対抗する為に4回戦で鹿島が見せた様なミドルパスを使ってサイドチェンジや行う。前線は187cmと長身で器用さも兼ね備える田原が(だから私は田原が好きなんだけど。)がターゲットになる。




そしてサンガはボールを持つ相手へのマークが後手になりだし反則で止めるシーンが目に付きだし、献上するFKから湘南にゴール前まで迫られるシーンが続く。



20分09秒にはFKをゴール前に入れられCKとなり、そこから山口からの折り返しに田原が飛び込む。27分8秒には③秋本がPAのすぐ外で⑮チハングギョルを倒して危ない位置でFKを与える。坂本が直接ゴールを狙うがこれはクロスバーを大きく越えた。
28分にもFKを献上し遠藤が高山へミドルパスを送りPA内に走り込んだ坂本に縦パスを通す。そして入れたクロスに田原が飛び込むが今度は秋本が何とかマークに着いてヘッドを決めさせない。遠藤が高山にパスを送る時クロスを上げた坂本が上手くスルーをする動きを見せサンガDF陣の動きを惑わした。31分臼井が粘って右サイドの菊池に入れたクロスにまたも田原がヘッドを狙うが今度は森下がクリアー。32分33分には連続してCKを許す。35分には森下がハングギョルを倒して献上したFKから坂本にシュートに持ち込まれるがこのシュートは外れてくれた。37分には中盤でチョンウリョンの田原へのチャージがファールにとられイエローカードが出される。チョンウリョンは30分にも坂本への激しいチャージがファールにとられ注意で済んだが今度はイエローが出てしまい次の試合は出場停止となってしまった。 その前の森下のファールにもイエローが出されていいた。 ちょっと、反則とカードが気になって来た。 
湘南は川崎戦からのシステム変更が効果的だったようだ。3バックに加えて両サイドの臼井(右)高山(左)がDFラインに入りサンガの攻撃を食い止める。序盤の攻勢後はドゥトラと宮吉のドリブル頼みだった。また高山が結構サイドを突いて来ては前線や逆サイドにミドル、ロングパスを出していた。
そして後でテレビ中継を見直した時に解ったのとだけど、キックオフ前のコイントスで勝ったのは湘南でエンドを取ったと事。それはサンガゴール側には西日が差しこみハイボールを入れたらGKがまぶしくて取りづらくなる事が解っていたからとの事でもあった。



39分26秒、宮吉が左サイドをドリブルで上がり後方から上がった工藤に送り上がったクロスは④山口にクリアーされるがCKを得る。サンガ久々のチャンスに身を乗り出す。 秋本、安藤らがPA内に入ってくるとウリョンが上げたCKに秋本がヘッドを放つ。ゴールネットには至らないがゴール前中央で待ち構えるドゥトラがアクロバティックな動きで浮球を捉えそのまま湘南ゴールに押し込んだ。GK野澤がCKの弾道に釣られて前に出て来てゴール前は空いていた。
一斉に周囲の人達と立ち上がりハイタッチをかわす。 セットプレーで押し込まれる時間が続いていたのだが逆にセットプレーで先制ゴールを挙げた。



先制ゴールを喫した湘南は42分にカウンター1本右からのクロスに田原が豪快にオーバーヘッドで狙うがここも安藤が身体を寄せてミートさせなかった。 
前半終了直前に山口がボールを失ったところをドゥトラがかっさらいドリブルで突破しそのまま遠藤がマークに入る前にシュートを撃つがここは決まらなかった。 右に宮吉がフリーでいたけど…
そしてサンガリードで前半が終わった。 控室に戻る選手達に向かって “京都サンガ !! “ のコールに続いて、 ”ドゥ~!! ト~ラ !! オレオレオレ !! “ の声援を送ることも忘れなかった….




30分過ぎから観戦を1階の立ち見席から2階席に移していた。この方がフォーメーションや選手の動きが良く解った。それに後半はサンガが向こう側に攻めに行くのでここで見続けようと思った。それに周囲の人達はみなサンガサポーター。階下から聞こえてくる声援にリズムをとりながら観戦を楽しめた…

後半に入る前に、湘南はリードされた事で前に出て来るだろう。そうすればその裏をドゥトラ、宮吉のドリブルでを取れる。相手はセットプレーさえ警戒すればいい。この日は秋本、森下のCBがしっかりとマークしているし安藤もよくマークに付いていると思った。後半立ち上がりからサンガのワンタッチパスが回るなど前半の入り同様サンガが主導権を握るかに見えた。
54分湘南ベンチは主将の坂本を下げて⑦石神を入れ高山を2列目シャドーに置き石神を高山が入っていた左SHFに入れた。
それでも次にチャンスを掴んだのはサンガ。65分に右サイドからボールを受けたドゥトラが強烈なミドルを放つがGK野澤がファインセーブで防ぐ。そのこぼれたところを詰めた宮吉がフリーで放つがクロスバーを大きく越えてしまった。ここで決めておけば…とばかりに宮吉が悔しがる…

67分今度は湘南がサンガゴール前に迫る。左サイド、ハングギョンがチョンウリョンのマークをかして田原に送り秋本がマークのマークを振り切りフリーの石神に送るそこに安藤がマークに入り石神が倒れる。一瞬PKかと思ったが東城主審はFKの判定で胸を撫で下ろす。しかしこの位置も湘南にとっては好位置。サンガサポーター達からは水谷コールが起こる。しかし遠藤が直接狙ったFKは大きく外れてくれた。そして水谷は大きくガッツポーズを取った。 



湘南は前線を田原の1トップから菊池との2トップにし、2列目右に高山、左には永木が上がって来て前線を厚くしていいた。それ
が攻勢に繋がっていたのかもしれない。71分にはハングギョンンからのスルーパスが高山に入りフリーでサンガゴールに迫るが水谷が前に出てきてストップ。
75分には更なるピンチを招く。湘南が左からのCKを得てゴール前に入れ一旦跳ね返されるがこぼれ球を拾った菊池が再び中に入れると高山が至近距離からヘッドを放つ。この時は“やられた!”と思ったけどGK水谷が素晴らしい反応で弾き出すとポストに当たってゴール正面にこぼれたところを今度はハングギョンがヘッドで押し込むがゴールライン直前でまたまた水谷が掻き出す。 ベルマーレの選手達はゴールインをアピールするが東城主審はノーゴールの判定。 水谷にサンガの選手が駆け寄る。こちらからも水谷に大声援を送る。だけど押し込まれ過ぎだなぁ…



80分湘南ベンチは最後の交替選手岩尾を投入しCB山口を下げる。 そして鎌田、遠藤がCBに入り4バックにしフォーメーショ
ンを 4-3-3にした。両SB、臼井と松尾もどんどん上がってくる。85分にサンガベンチは充孝を下げて守備能力の高い加藤弘堅を
入れる。田原も中盤に左右に動いてロングボールを受ける。 88分にはカウンターから菊池が松尾のパスを受けてサンガゴールに迫
るところを秋本がマークに入り阻止する。菊池が転倒して東城主審がGKの判定を降すが一瞬ペナルティースポットを指した様に見
えて一瞬驚く。ロスタイムは3分と表示される。 おいおいそんなにあったか…と思う。
そしてサンガベンチはCB森下を下げて内野を入れる。 何とか前線のドゥトラに繋いでボールをキープして欲しいと思う。

91分左サイドに流れた田原から岩尾に渡りミドルを撃たれるがGK水谷の正面に。 92分には永木からボールを受けた石神が左サイドから入れたクロスに岩尾に渡るも博貴がマーク。 博貴は後半、中盤の位置でよく相手の攻撃の芽を摘み取ってくれていた。
そして93分になった。ボールがサイドラインを割った。これで終わりやろう。 もう終わりやろう…と叫んだ…..

試合終了と同時に何人もの湘南の選手が倒れ込んでしまった。 反町監督をはじめこの日出場した選手の中では臼井、松尾そして田原豊が来シーズン以降契約を延長しないこととなっているらしくこの天皇杯準々決勝戦が最後の試合となってしまった。

後半はかなり押し込まれて危なかったけど、サンガの勝試合を現場で見られたのは何年振りだろう…

試合終了後、こちらに選手達が挨拶に来て、中山博貴が代表してショートスピーチをした。そしてインタビューから戻って来たこの日の殊勲選手、ドゥトラと水谷も遅れてやって来た。2人とも次も頼むぞ….



次は国立で準決勝戦。対戦相手は横浜マリノスだ。
“マリノスサポーターはもう決勝進出決まったと思っているんじゃないですか?”
隣席の方が声を掛けて来た。

確かにJ1 5位のマリノスは J1 6位の鹿島よりも強いかもしれない。今日みたいにPAのすぐ外でFKを与えたら俊輔の餌食になってしまう。 CBの中澤と栗原の牙城を崩す事は容易ではない。小野祐二を止めるのは並大抵の….チョンウリョンは出場停止だし..考えれば考えるほど重い気持ちになってしまう。
だけど考えようによってはマリノスサポーターにはどんどん楽観視してもらいその雰囲気をピッチ上の選手達に伝染させてほしい。そうすればサンガが勝てるチャンスも出て来る。 そうすれば元旦には….



いやいやそれを考えるのは止めておこう。まずは準決勝進出の余韻に浸ろう。 そして29日の事を考えよう…

帰途に着く途中、多くのコンビニ店の前でチキンとケーキが売られていた。私もケーキとチキンを食べに早く帰ろう…と思った。



KAZUゴールもサンガのゴールも見ていないけど…. 横浜 FC 1-2 京都サンガ 27th Nov. 2011

2011-12-24 | 京都サンガ J-League
11月27日、午後6時20分を少し過ぎた頃携帯が鳴ってSMSが入って来た。
“京都が90分にゴールしました。” 送り主は50分ほど前にニッパツ三ッ沢競技場で一緒だった横浜FCサポーターの S さんだった。 私はスマホで Yahoo サイトで試合の経過をチェックした。するとそこには 横浜FC 1-2 京都サンガと表示されているではないか… 私はそれが掲示ミスではないか…と思った。 するとまたSさんからSMSが入って来た。
京都が勝ました。この勝ち運を U-22 に持って行って下さい。 と書かれていた….



この日は愛する京都サンガがニッパツ三ッ沢競技場で横浜FCとのJ2戦があった。そして国立競技場では日本U-22 がシリア U-22とのロンドン五輪アジア地区予選の試合があった。 五輪予選の試合チケットを入手してから同日に愛するサンガの試合が横浜で行われる事を思い出した。しかもキックオフ時間は午後4時半。 この試合を見てからではちょっと7時半キックオフの五輪予選はキックオフから見られないなぁ…と思い、どうしようかなぁ..と思案した結果に出した結論は。

よし、はしごをしよう、両方観戦しよう、可能な限り…..

まず三ッ沢に向かった。そして途中で知り合いの横浜FCサポーターのSさんに席を取ってもらう様に頼んだ。
日本リーグ時代はよくここに日産自動車の試合観戦に来たなぁ….
この試合を絶対にはずしたくなかった理由は他にもあった。あのキングカズこと三浦知良が横浜FCシーズンホーム最終戦となるこの試合にスタメン起用されるとSさんからの情報があったからだ。
Sさんとは何回か一緒した事がある。その度にカズの雄姿を拝んだ。年齢を重ね出場機会も限られたがカズこそ、パフォーマンスにはお金を払っても見たいと思わせる選手だ。サンガサポーターでありながらカズ目的で競技場に脚を運ぶとは…とお叱りを受けそうだけど。そういえば6年前もSさんとここで横浜FC vs 京都サンガの試合を観戦したなぁ…あの時は夏だったなぁ。
ビールを飲みながらとポテトチップをかじりながら観戦した。試合は 1-1 で引き分けたけどスタメン出場だったカズゴールもカズダンスも見られた思い出の試合だった。

Sさん親子が確保していてくれた席に着いた時はキックオフ直後だった。地下鉄の中でSさんから ”カズさん、スタメンです。“と言う確認のメールを受け取っていた。そのキングが目の前にいた。
11月末だけどあまり寒さは感じなかった。横浜は前節、熊本戦からスタメンを2人替えた。その1人がカイオに替って起用されているカズだった。 今シーズン18試合目のスタメン出場だ。今シーズンはJリーグではまだゴールは無い。
それでも昨シーズンの出場試合数は前年度の3分の1の10試合。今年44歳の選手がこの年になって更に出場試合数を増やすのだから“さすが”としか言い様がない。カズにボールが入る度にスタンドの観客の視線が集中している様に思えた。
試合は横浜が主導権を握り攻勢に出る時間がやや長く、サンガはカウンターから前線のドゥトラ、宮吉に繋ぐ展開が続いた。
サンガは前節岡山戦に敗れてリーグでの連勝が6でストップした。開幕時は3バックであったがシーズン終盤から4バックにし遅きに失した気がするが連勝する様になった。 
11分には加藤弘堅からスルーパスを受けた中村充孝がシュートを放つ。 19分にもドゥトラが抜け出してシュートに持ち込む。横浜は攻めるがシュートを撃てず、逆にカウンターからシュートに持ち込むシーンが続いた。しかし横浜FCのDF陣は逆サイドを結構空けていたのでそちらに振ればなぁ…と見ていて思った。
すると24分、ゴール前中央に待ち構えるカズにボールが入った。カズは落ち着き払って左に送るとそこから上げられたクロスに難波が飛び込みゴールネットを揺すった。 Sさん親子を含めたサポーター達は一斉に立ち上がる。



京都DF陣はカズにボールが入った時にそのままターンしてシュートを放つと思ったのだろうか、そこを左サイドに流すプレーはさすがカズと言うよりもベテランだと思った。もしカズが代表時代だったら撃っていたかなぁ…



カズはその後ポジションをトップ下に下げ前線には藤田と佐藤が2トップ気味に。そして左サイドから野崎ががんがん上がってくる。 一方のサンガは前線にボールが入っても焦りからかシュートが撃てなくなって来た。工藤がちょっと上がれなくなって来た。
でもここはカズゴールが見たかった。 中盤からカズがドリブル突破で上がって来た。そして…と思ったら左サイドを上がった野崎にボールを出した。 Sさんから思わず “カズさん、撃っていいんですよ…” との声が漏れた。 恐らく私を含めて、サンガサポーターでさえそう思ったと思う…..

そうして前半はそのまま終了のホイッスルが鳴った….
国立のキックオフ時間が気になったが後半開始直前までいる事にした。そしてSさんと色々と横浜FCの話を聞いた。
2011年シーズンはサンガより低迷しており、2008年シーズンにJ2に陥落以来最悪の結局18位に終わった。 
2010年のシーズンはその前年、前々年の10位から6位に躍進していたのでもう少し上位を期待していたらしい。
そしてこの日スタメンの柳沢将之は2日前に2011年シーズン以降は契約を更新しないと2日前に発表された事も教えてもらった。そして岸野靖之監督は来期も指揮を執り続ける事も、カズも来シーズンプレーする事も教えてもらった。
でもカズがいなくなったらスポンサーがなぁ…と言うと、Sさんもそれは言えるんですよねぇ~と言っていた。
シーズン最終戦にしては観客数 5,305 人と言う数字も気になった。なぁサンガも観客数に就いては人には言えないけど。
そうして後半が始まった。 残念ながらカズはベンチに下がって荒堀謙次が投入された。荒堀はMFに入り、そのまま藤田祥史と佐藤謙介がトップに残った。




そして…..来年また一緒に観戦しましょう… Sさんに挨拶して私は国立に向かう為に競技場を後にする事とした。
そう….来シーズンは横浜も京都もJ2だから… でもカズゴールを見られる可能性もまだまだあるぞ…





国立に向かう途中でサンガの逆転勝利を知った。嬉しかったけどやっぱり俺が見ない方がいいのかなぁ..とも思った。
そして国立の試合結果も 2-1 で日本の勝利だった。 

2010年シーズン。僅か4勝でJ2陥落が決まり(もう慣れてしまったけど) 1シーズンでJ1昇格を夢見て臨んだ2011年シーズンは監督をワールドカップではコーチを務めた大木武氏を迎え、イビチャ=オシム氏の信頼厚い祖母井秀隆氏をGMに迎え長期に渡り強いチーム作りを目指す体制が出来た。J1昇格なんて当たり前2012年はACL出場を決めて…と勝手な胸算用をしていた。
しかし3月5日開幕戦、アウェーの水戸戦では 1-2 で敗れた。それでも次のホームの岡山戦から…と思っているとあの大震災が襲って来て京都は被災を免れたもののJリーグ再開は全く見当がつかなくなる事態となった。幸い、約1カ月後からリーグは再開されサンガは岡山戦で 2-1 の勝利を収めたが以降栃木 ( A 0-1 ) , 鳥栖 ( H 0-0 ) , 徳島 ( A 1-2 ) , 富山 ( H 0-0 ) とJ1を経験したことないチーム相手になかなか勝星を挙げられない状態が続いた。
そして続くアウェーの北九州戦では94分にレオナルドに決勝ゴールを決められ敗れてしまう。 この負け方は非常にショックであり続く前年の最終戦での雪辱に燃えるFC東京には 西京極で1-4 と粉砕されてしまう。更に翌週の鳥取戦でも前半終了間際と試合終盤に失点を喫し終了直前に宮吉のゴールを還すも追い付く事は出来ずに遂に引分けを挟んで5連敗を喫してしまった。
次節の大分戦は中村充孝を前線から中盤に入れる等中盤を大幅に入れ替えシーズン初完封勝利を収めようやく両目が空き、続く草津戦では4ゴールを挙げ連勝を収めるも以降は勝っては負け、連勝しては連敗するの繰り返しで第29節を終了して9勝7分13敗。J1昇格なんて早々と諦めねばならなくなっていた。
J2を甘く見ていたわけではないがJ1経験チーム7チームに対してはFC東京には H: 1-4, A: 1-6 で連敗したが他の6チームには大分、千葉、湘南に連勝する等9勝3敗2分けだった。確かにシーズン序盤は北九州、栃木が上位に顔を出しシーズンを盛り上げていたがJ1未経験チーム12チーム相手に24試合で8勝しかできなかった。

確かに中心選手の多くがチームを去っていた。角田、渡邊大剛、水本、片岡、柳沢そしてシーズン直前に郭泰輝が。 そして新戦力は秋本(甲府)と工藤(千葉)くらい..J2は決して甘くは無かった…と痛感させられた。

シーズン開幕当初は郭泰輝が抜けた為か3バックで森下、染谷、内野、福村、アライールらを併用しての3バックのDFラインだったが、むしろ中盤が攻守に機能しなかったのかもしれない上に森下以外は昨シーズンではレギュラーではなく守備陣の不安はシーズン終盤まで解消されなかった。第30節以降工藤が中盤のポジションにきっちり入り福村、内野そして酒井が固定され4バックが確立し最後の9試合は失点を6に抑える事が出来た。

更に攻撃の方ではシーズン後半から宮吉とドゥトラの2トップが確立された。これで18歳の久保裕也がスーパーサブ的に使えるようになった。それにしても久保は今シーズン24試合もスタメン出場を果たした。それだけすごいのか、それとも人材が不足していたのか。 リーグ開幕時は久保のワントップにドゥトラ、中山、充孝、ディエゴらが2列目を構成していたがあまり効果的では無かったのかもしれない。2010年シーズンでも得点力不足は深刻だった….
それが先制された試合では2勝10敗2分。逆転勝利が2試合しかなかった。そして逆転負けが4回もあった。その逆転勝利も8勝1敗であった最後の9試合中に演じられたものだった。

優勝したFC東京は逆転勝が1試合、逆転負けが2試合であったが相手を完封した試合が20試合もありそのうち16試合が完封勝であった。本当に圧倒的な強さだったのだ。

鹿島倒して 天皇杯準々決勝進出!! 京都サンガ 1-0 鹿島アントラーズ 17th Dec., 2011

丸亀で行われた天皇杯の4回戦で愛するサンガは見事に鹿島を破って準々決勝進出を決めた。サンガのベスト8なんて優勝した時以来じゃないかなぁ….

サンガのスタメンはJ-League最終戦、岐阜戦と同じスタメン。鹿島は負傷で離脱していた岩政が戻って来てCBに入った以外はJ-League最終戦の横浜マリノス戦と同じスタメンであった。今シーズンは震災の影響もあり3位ガンバ大阪から20勝点も離されてシーズン5位に終わった鹿島であるが、4位に終わった2010年シーズンも天皇杯では優勝を果たしACL進出を決めた。今年もACL進出を目指して天皇杯にはかなりのモチベーションで臨んでいるはずであった。そして今シーズンで退任するオズワルド=オリヴェイラ監督への花道もあっただろう…



立ち上がりはサンガのプレスが目立った。特に前線からのフォアチェックが早く、ラインを高く、全体をコンパクトに保ち続けた。
しかしさすが実力者の鹿島は7分も過ぎるとサンガDFラインの裏を突く様になる。
11分にはカウンターから⑬興梠がシュートに持ち込むが③CB森下がしっかりマークをしてゴール枠と捉えさせない。13分には⑨大迫が⑧安藤淳のマークを外して中へ入れるが誰にも合わなかった。 
鹿島は攻守の切り替えが早く、ミドルパスを効果的に使い早い展開をみせるが京都はショートパスが多かった。そこが19分を過ぎてのシュートが鹿島3に対して京都は0であった事に表れたのだろう。21分にようやく⑯LSB 福村がサイドを上がり入れたクロスに23.中村充孝が走り込んで合わせたが初シュートを放ったがポストの左に外れて行った。
26分32秒には⑬宮吉が左サイドを上がり充孝が落としたところを⑨ドゥトラが放ったがGK曽ケ端にパンチで防がれてしまった。前線でドゥトラがボールを持つとチャンスが出来る。この日の最初のプレーでドゥトラは好調と見てとれた。
だが27分を過ぎると今度はボランチ⑳柴崎が上がって来て鹿島が攻勢に転じる。ヴァイタルエリアに飛びだしたかと思えば31分には決定的なスルーパスを興梠に送る。今シーズンに加入したばかりの柴崎のその片鱗を充分に見せつけてくれる。


後半、開始早々にはドゥトラが増田を外してシュートを放つがGK曽ケ端がファインセーブで防ぐ。立ち上がりは京都のフォアチェックが目立った。53分にはボランチ⑦チョンウリョンがミドルを放つ。56分には充孝が相手ボールを奪い中盤からドリブル突破をはかり最後は左サイドを上がった⑯福村がシュートを撃つがこれも曽ケ端がストップ。何とか攻勢を続ける間に先制ゴールが欲しいなぁ….と思うもこの直後に今度は鹿島の⑩CHF 本山がスルーパスを通してくる。56分に興梠に送ったスルーを出した時はオフサイドを取られたが58分に再び興梠にスルーを出し右サイドを上がった⑦新井場が強烈なショットを放たれるが今度はGK水谷がセーブ。 さすがに鹿島は役者が揃っていると思った。そしてますます先制ゴールが欲しくなった。
そして59分中盤でボールを持った⑦チョンウリョンが新井場、青木の間にスルーパスを通すとそこには宮吉が。宮吉は中央からやや右に流れてGK曽ケ端の動きと位置を見てゴール逆サイドになる左上隅に蹴り込み待望の先制ゴールを奪った。
宮吉の見事なドリブルシュートであったがスルーパスを出したチョンウリョンも見事であった。 



先制された鹿島は62分に本山を下げて小笠原を投入した。小笠原がベンチスタートか…とチームの層の厚さを感じさせられた。これで鹿島の最前線は興梠の1トップから大迫が加わり2トップになり2列目には左から野田、増田、柴崎と並び小笠原がDFラインの前のアンカーの位置に入った。
それでも京都はフォアチェックが良くボール支配率は下がらない。68分にはカウンターからドゥトラがアレックスを振り切りシュートを放つなど守勢一辺倒ではなかった。むしろ鹿島の攻撃が減退した様に見えた。
71分鹿島ベンチはタルタを入れて柴崎を下げた。タルタは2列目左に入り右には野田が入り、増田が小笠原とボランチを組む事に。柴崎が前半の様にゴール前に飛びだされる事を警戒していいたのでこの交替は有難かった。
この交替の直後に⑳工藤が右サイドをドリブルで突破して上がり中に入れると曽ケ端が⑮中山の直前で触ってコースを変えてシュートを撃たせなかった。 曽ケ端の手に触れねば完全に中山が押し込んでいたとことであった。
そしてここから鹿島が攻勢をかける。71分、右サイドでサンガのクリアーミスを拾った興梠が中に入れ野田を経由して大迫に渡るが何とか福村がマークに入りシュートを撃たせない。73分には興梠が秋本に倒されFKを得ると、そのFK に大迫がシュートを放つがGK水谷がナイスセーブで防ぎこぼれ球を興梠に撃たれたがサイドネットを直撃。 75分には大迫が右サイドからクロスを放り込むが逆サイドに抜けて行く。 77分には興梠がチョンウリョンに倒されて得たFKに CB青木がヘッドで狙うがGK水谷がキャッチ。79分、カウンターに転じた鹿島は左サイドで興梠が秋本をかわして戻したところをタルタが工藤がマークに入る前にシュートを撃つがここも水谷がファインセーブでストップ。
やや京都の劣勢に見えるが京都DF陣は戻りが早く落ち着いて鹿島の攻撃に対応している様に見えた。
京都ベンチは80分に駒井を入れて宮吉を下げる。90分には充孝を下げて加藤弘堅を投入する。弘堅は今シーズンを最後にサンガを去るらしい……
ロスタイムに入り鹿島は焦りからかファールが増えて来る、そして大迫もマークが厳しくなり次第に動けなくなってくる。
サンガにとってはいいことだけど次の五輪予選のシリア戦を考えればこれくらいで動けなくなるとは….とおもってしまう。
そしてドゥトラはボールを持つとキープを続け時間を潰していく。そして3分あったロスタイムも過ぎ廣瀬主審の試合終了を伝えるホイッスルが鳴り響いた。

サンガ会心の勝利…を見るのは何年振りだろう。
前に鹿島に勝ったのはいつなんだろう….


試合後、この試合がサヨナラゲームとなったオリヴェイラ監督の惜別の涙が印象的だった……

この試合後準々決勝戦の対戦相手は川崎フロンターレでは無く湘南ベルマーレで有る事が解った。
フロンターレは苦手中の苦手でしかも次の試合会場はフロンターレのホーム等々力競技場だ。まぁジュニーニョは抜けたけど…確かにJ2で2011年シーズンリーグ戦では2連勝している湘南の方が組みし易しと思ってしまうけど、ここは慢心は禁物。
なんて俺が思っても仕方ないか…
でも何故シーズン最初からこういう試合が出来なかったのだろう….と今言っても仕方ないので次の試合での勝利を願う。


日本五輪チーム3連勝で前半戦終了 日本 U-22 2-1 シリア U-22 27th Nov 2011

2011-12-21 | 五輪 U-20, U-17
五輪予選観戦に国立競技場を訪れるのは初めてだった。 どうも五輪予選と国立競技場との関係で言いもいでは無い。
初めて見た(テレビだけど)五輪予選は1976年3月のモントリオール予選の韓国戦。開始早々に失点を喫した。ゴールを決めた韓国人選手が膝ま付いて祈りを捧げているのを憶えている。中継していたNHKのアナウンサーは“金慎国のゴール”と言っていたけどずっと後に資料を見てそれが日本を苦しめ続けて来た李栄武だと解った。その後日本は猛攻を掛けるがゴールを割れず後半にも失点し 0-2 で敗れた。その後日本はソウルで韓国と釜本の2ゴールで引き分けたがイスラエルに連敗しあっさりと敗退した。
その後2大会はマレーシア ( モスクワ五輪 ) シンガポール ( ロス五輪 ) 海外で集中開催となり3大会ぶりにホーム&アウェー方式となったソウル五輪予選。引き分けても予選突破が決まるはずだった中国との予選最後戦は雨の中の国立競技場開催となった。開始早々抜け出した手塚がフリーでシュートを放つがGKの正面に飛び。以降は完全に中国ペース。前後半に1点ずつ失い 0-2 で敗れ中国に出場権をさらわれた。 そしてもう日本は永遠に五輪に出られないんじゃないかな…と悲観した。

7月7日ロンドン五輪アジア地区最終予選の組み合せが発表された時に私は4大会連続で組み合せが幸運に恵まれた事を感謝した。1996年3月マレーシアで集中開催されたアトランタ五輪予選を勝ち抜き28年振りの五輪出場権を手に入れて以来日本五輪チームはアジア予選を勝ち抜き続けて来た。しかしシドニー五輪以降の3大会は組分けに恵まれなかったとは絶対に言えなかった。
北京五輪では勝点を1つも取れずに1次リーグで敗退した為にロンドン五輪アジア予選はシードされないはずだった。
だが中国がオマーンに敗れてくれたおかげで日本は繰り上がりでシード権を獲得。しかも強豪のイラク、ウズベキスタン、カタール、サウジアラビアが全て他の組みに振り分けられてくれた。もし中国が最終予選に残っていたら日本は韓国かオーストラリアと同じ組になっていたかもしれない。まぁオーストラリア五輪チーム Olyroos は苦戦しているけど。そして日本がシードを外れていたとしたらシード国は日本が入ってくる事を最も恐れただろうけど。
日本と同組はマレーシア、バーレーン、シリア。 この組みなら勝ち抜ける。またそうでないと本大会で準々決勝には残れないと考えた。マレーシアとシリアはかつて五輪に出場経験があるがマレーシアはもうその力は無く、シリアとて出場したのはモスクワ五輪。
モスクワ五輪には思い出がある。元々この五輪にはアジア・オセアニア地区に3カ国の出場枠が与えられた。しかしオーストラリアは棄権しアジア諸国のみの争いとなった。
2月23日から3月12日まではシンガポールに6カ国(イラン、シンガポール、中国、北朝鮮、インド、スリランカ)が集って第3組の予選大会が行われた。総当たり後上位2カ国のイランとシンガポールが決勝戦を行いイランが 4-0 でシンガポールを降して出場権を得た。 そして3月22日から4月5日迄マレーシアで行われた第3組の予選はマレーシアが韓国、日本を抑えて出場権を獲得し、第1組は開催地、期間は解らないがクウェート、イラク、シリア、ヨルダン、イエメンの5カ国が出場権を競い2年後のワールドカップスペイン大会も出場を決めたクウェートが勝ち抜いた。
しかしアフガン侵攻に反対したアメリカ、日本、西ドイツの西側陣営はモスクワ五輪をボイコット。それに同調する国も少なくなくイラン、マレーシアも五輪をボイコットした。IOCは振り替え出場国として同じ組の2位、3位…の国に出場を打診するも日本を含めた国々は五輪そのものをボイコットあるいは振り替え出場は受けないという事で最終的に第一組の上位3カ国、クウェート、イラク、シリアがモスクワ五輪出場となった。 
当時のジミーカーター米国大統領は1980年初めから指定した期日迄にアフガニスタンからソ連軍が撤退しないとモスクワ五輪をボイコットすると言い続けておりソ連軍もさっぱり動く気配が無かったのでアジア地区予選が始まる前からこうなるのでは…とも言われていたのを思い出す…

11月22日。アウェーでバーレーンを破りロンドン五輪にまた一歩近づいたと思った。 次の対戦相手シリアはホームでバーレーンを 3-1で破っているけどイラン、サウジアラビア、イラクに比べたら難しい相手では無い。日本はホームでもあるのでシリアを破って3連勝で最終予選前半戦を…バーレーンよりも苦戦はするけど・・・と胸算用していた。

しかしその胸算用はキックオフ直後に霧散した….

5日前のバーレーン戦では52分にボランチの山本に替って山口蛍が投入され、シリア戦ではその山口蛍がスタメン起用されていた。シリアの方はAFCの公式資料が無かったので解らなかったがベンチスタートの Marder Mardkian は前節マレーシア戦ではスタメンだったらしい。そして唯一手元にあった9月21日のバーレーン戦のメンバーと比べると日本戦もスタメン出場を果たした選手は5人だけでバーレーン戦の登録メンバーの内で日本戦でもベンチ入りした選手はわずか10人だった。
日本のキックオフで始まったこの試合。序盤から攻勢にでるのはアウェーのシリアだった。4分35秒、FKを得ると⑦ Mahammed Fares が入れたFKに⑨FW Nassouh Nakkdahh が酒井のマークを受けながらヘッドで合わせるがポストの右に僅かに外れて行く。もう1人のFW⑩ Omar Al Suma が囮となりDF濱田のマークを引っ張ってスペースを作っていた。
この一連のシーンを見ただけでイメージされる“中東諸国 ” とはちょっと違うなぁと思った。そしてその後もシリアが日本ゴールに迫るシーンが続いた。③ Yaseer Shahen のスローインを受けた Al Suma がシュートに持ち込むが扇原が何とかカバーに戻る。18分にはボランチ⑰ Solaiman Solaiman からのパスを受けた Al Suma がDF⑬鈴木をかわしてシュートを放つが Solaiman のパスもなかなかのもの。その直後にも Al Suma が鈴木、比嘉に囲まれながら出したヒールパスを受けた MF ⑧ Mahmoud Al Mawas がクロスを入れるが飛び込んだNakkdahh に僅かに合わない。19分にも左からのクロスを受けた Al Mawas が比嘉、山口をかわしてシュートを放つが僅かに外れてくれた。
シリアは個人突破のイメージがある湾岸諸国とは違う印象を受ける。全体的にパスできちっと繋いで来てFWの Nakkdahh, Al
Suma だけでなく2列目のAl Mawas, Fares らはなかなかいいパスも出すしシュートも撃ってくる上に “3人目の動き”も見せる。
トップの Al Suma にボールが入ると募る危機感は試合最後まで続いた。
日本は最前線の⑨大迫にボールが入り⑮山田が2列目からトップに上がって来た時に何とかチャンスが生まれる。
12分49秒には大迫のボールキープから⑭大津にパスが入りシュートに持ち込み、25分19秒には今度は大津からボールを受けた
大迫が③ Shahen のマークから上手く外れてミドルを放つがGK Ibrahim Alma がナイスキャッチでストップ。
27分18秒には大迫が左に流れてチャンスを作るがこれも大津とからんだもの。相手の右サイドを執拗に大津と共に突いていたが
相手攻撃陣も攻撃の展開が早いので日本のボランチから後ろの選手の押し上げ、フォローがやや遅かった。
しかしシリア守備陣も日本の早いボール回しに疲れが出て来たせいか前半も終盤になると日本の“3人目の動き”に釣られてマークがずれ始めた。36分17秒にはボランチが攻撃参加し扇原から大津に渡り山口蛍がシュートを放つが ③Shahen が何とかブロック。ここも攻撃に絡んだ扇原、大津、山口蛍が上手く相手DFを引っ張る動きを見せた為に生まれたチャンスだった。
そして前半はこのまま 0-0 で終わるかと思われた44分30秒、CKのチャンスを得た日本はCKから扇原の折り返しにCB濱田が
相手CB ② Ahmed Al Salih と競りながらヘッドをシリアゴールに突き刺し日本に先制ゴールを齎した。
バーレーン戦に続いて前半終了間際の先制ゴールであった。 貴重なヘッドを決めた濱田は浦和REDSのCB. 2010年シーズンの
最終戦、神戸戦ではスタメン出場だったが失点に繋がるミスをするなどし途中でベンチに下がったが今年は奮起し今では
Socceroos の Spiranovich に替ってCBのポジションを奪っていると息子に教えてもらった。この五輪予選でもレギュラーだ。
日本リードで前半を終えたがシリアの攻撃を見ると先に次のゴールが欲しいと思った。




シリアキックオフで始まった後半開始早々、にはボランチの ⑫ Mohamed Al Omari が山田のマークを振り切り ⑩ Al Suma に
送ると鈴木と競りながらシュートを撃たれる。最後は濱田の脚に当たってGK権田に渡ったが濱田の脚に当たらねばゴールインした
かもしれなかった。
後半は2列目の ⑦ Mahammed Fares が前線に入り3トップ気味になりDFラインも高い位置に上がって来た。
それでも55分を過ぎると再び日本も攻勢に転じる時間が出てきて両者“撃ちあい”が続いた。50分には山田の強烈なミドルが
飛び55分には大迫がドリブル突破でシリアゴールに迫り倒されるがノーホイッスル。 PKを貰っても良いシーンだった。
69分8には⑧ Al Mawas が Al Omari のクロスを受けてミドルを放つが権田が右に倒れてナイスセーブ。 65分46秒には
⑦ Fares が入れたクロスがフリーの ⑩ Al Suma に渡る寸前に権田がキャッチ。
69分40秒リードされているシリアが先に動きボランチの ⑰ Solaiman を下げて⑥ Hamid Mido を入れる。その直後に日本にビッ
グチャンスが訪れた。大津が相手のパスをカットし大迫に送ると③ Shahen ⑤ Mohamed Daas をかわしてシュートを放つがGK
Alama が弾く。そのこぼれ球を東が放つがそれが山田に当たってしまいゴールは決まらなかった。絶好のチャンスだった。
このすぐ後にFW永井がベンチに呼ばれた。 誰と交替するのだろう… と思っているとシリアに同点ゴールを決められた。
中盤から前線に出たボールは一旦クリアーされるもそのクリアーボールが⑩ Al Suma の脚に当たり更に濱田の脚に当たって再び⑩ Al Suma のところに戻ってくるとそのままドルブル突破を許し⑬鈴木がマークに入る前に撃たれたシュートはグラウンダーでそのまま日本ゴールに“入ってしまった”。 クリアーボールがピンボールの様に選手達の脚に当たり最後は Al Suma のドリブルの位置にこぼれると言う幸運もあったがここは中東選手らしいドリブルシュートを決められた。



国立競技場は一瞬にして静寂に包まれ僅かに数人のシリア人の歓声が聞こえる。目を移すとアウェーサポーターゾーンには彼ら
数人しかおらず、別に代表のレプリカを着るわけでも無く騒ぐでもなかったのでロケーションも悪くないのでこちらでゆっくりと観戦しても良かったなぁと思った。試合前にこちらから争う声も聞こえた。そこに日本人が乱入でもしたのかと思ったけど後で国内情勢の不安の影響で現体制下の国旗と新体制を目指す国旗のどちらを掲げるかでもめていたらしい。改めて平和の有難さを感じた。



同点にされた日本は⑨大迫を下げて⑪永井を投入した。 あぁ大迫を下げるのか…と思った。引分けでは次のアウェーでのシリア
戦に得失点差から見ても勝たねばならなくなる。FWを増やした方がいいのでは..と思ったけどベンチの方は何か考えがあったのだろ
う。同点ゴールを決めた ⑩Al Suma はその直後にもDFのマークを引きずる様にシュートを放つ。その弾道に肝を冷やした。
そして80分15秒にはMF ⑦ Fares を下げて⑪FW Mardek Mardkian を投入し ⑩ Al Suma と2トップを組んだ。 Mardkian
は注意すべきFWであったがここでMFかDFを入れて守りに入られる方が嫌であった。
シリアベンチは何故アウェーなのにこの試合勝に来たのだろう…
81分に山田を下げて⑦山崎を入れて2列目左サイドに置く。⑩東が真ん中に入り⑭大津が左から右に回って来た。
この選手交替と言うよりもポジションチェンジが決勝ゴールを導く。84分酒井から大きく出されたロングパスは山崎の頭上を越えて逆サイドの比嘉に渡る。比嘉は胸でワントラップし ③Shahen をかわして前線にドリブルで上がり⑫ Al Omari がマークに入る前に再び逆サイドの左に大きくボールを出すとそこに走り込んだ大津がスロービデオを見る様にダイビングヘッドを決めた。 
大歓声が国立競技場を包む。GK Alma が⑨ Nakkadahh に何故大津が走り込むのに気付かなかったんだ、てな様相を向ける。



大津のバーレーン戦に続く見事な2試合連続ゴールは貴重な決勝ゴールとなった。この2連戦MVP級の活躍を見せた大津はこ
の五輪予選に参加できること自体が所属先のBorussia Mönchengladbachではさっぱり出場機会に恵まれていないと言う事なので
あるが、日本の為にはこの五輪予選では大活躍をしてくれた。
この試合後ドイツの顧客には“Mönchengladbachには是非大津を起用せずどんどん五輪予選に派遣してくれ。そうすれば来年の
シーズン前にはかれはもっといいクラブに移籍して行くだろう。“と電話で話した。
しかし彼はMönchengladbachのサポーターでもなければ五輪サッカーにもさっぱり興味が無いので何も反応は無かった….




追加点を決められたシリアは一気に前掛かりになる。終了直前には嫌な位置でFKを献上するがFKのスペシャリスト Mohammed
Fares は既にベンチに下がってくれているのでそれほどのピンチにはならなかった。 



そしてオーストラリア人の Green Peter Daniel 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響き。辛勝ではあったが日本がロンドン五輪に一歩近づいた。 これで次のアウェーでのシリア戦には引き分ける事が出来ると思った。もっとも国内情勢不安定のシリアはホームゲームもシリア国外で行わねばならないけど…

国立競技場での五輪予選の翌日、外電はアラブ連盟のシリアへの経済制裁を決議したと伝えた。
その数日後、英国紙では今年の3月からこの9ヶ月間の国内情勢下での死者は5,000人にも登るとも伝えられた。
今でも Assad 現大統領を支持する人達と新体制を望む人達との争いそして軍隊からの弾圧は絶えないと伝えられている。

それでもこの日のシリアの戦いぶりには非常に好感を持った。2位通過して最後はプレーオフを勝ち抜いてロンドン五輪出場を決めて欲しいと願った。最も次の日本戦には勝ってほしくないけど…..



そして国立競技場からは驚くほどスムーズに帰れて早く家に着いた.....




2011年 J-League 柏戴冠 浦和 1-3 柏 3rd Dec. 2011

2011-12-11 | 京都サンガ J-League
11月26日夕方、私は得意のスマホ?で福岡レベルファイブスタジアムで行われている福岡対浦和の試合経過を追っていた。福岡が先制するも前半ロスタイムに柏木のゴールで追い付き、61分にはマルシオ=リシャルデスのPKで浦和が逆転した。それでもまだ時間は30分はあったので福岡が同点、そして逆転するチャンスもあった。
既にこの日に行われて試合が終わった上位3チームの星勘定を見るとこの試合は浦和が勝たない方が最終節は面白くなる。さいたまスタジアムで行われるシーズン最終戦は優勝と残留がかかった大一番になれば本当に面白くなる。
チケットは既に入手済みだ。5万人以上の大観衆の前でどんな試合になるのだろう…と期待していた。
しかし結局浦和は逃げ切り勝点を36に伸ばし15位に留まった。この時点で翌日に第35節の試合のある甲府とは6勝点差を付けた。翌日甲府が勝てば勝点差が3になるが得失点差で大きく浦和がリードしおりまず順位が入れ替わることは考えられ無くなった。浦和レッズの残留が事実上決まった。来季もJ2でプレーする事が決まっている愛する京都はもう何度こういう目に私を遭わせているので チーム関係者そしてサポーター達にとっては嬉しい瞬間だっただろうに、と想像がつく……
これで柏レイソルが優勝に大きく一歩前進したと思った… しかし浦和サポの息子は“今年こそシーズン最終戦に勝利を収める年”と信じておりむしろ柏の優勝を疑問視していた….

12月3日。朝から吹き荒れた暴風雨は午後1時ごろにはぴたりと止んだ。そして自宅からさいたまスタジアムの方向を眺めると青空がちらほら顔を出していた。これでスタジアムまでは自転車でいける…と安心した。

道中は当り前だけど赤いレプリカやマフラーを巻いた浦和サポーター達が多く目に付く。そして中には黄色のマフラーを巻いたレイソルサポーター達も。例年なら立場が逆なのになぁ…
それにしても今シーズンは昇格したばかりのレイソルの躍進を誰が想像しただろう。そしてシーズン序盤は被災にもめげず、いやそれを逆に糧にしたベガルタ仙台の快進撃もリーグを大いに盛り上げた。そして終盤は名古屋、ガンバ大阪の常連が地力を発揮し出し最終節を前に下記の通りに3チームに優勝の可能性があると言う混戦になった。

柏   22勝3分8敗  勝点69 +21
名古屋  20勝8分5敗  勝点68 +30
大阪   20勝8分6敗  勝点67 +25

前節セレッソ相手に何とか引き分けた柏は33節を終わって名古屋、ガンバに勝星数2つリードしているものの負け数が8で名古屋、大阪だけでなく4位の仙台と同じ負け数。これが最終戦まで優勝争いにもつれ込んだ原因の一つだろう。
この日の観客数は後の公式発表では 54,441 人。久々にJ-League でこれだけの観衆の1人となった。



柏サポーター席はきれいな一文字が出来ている。



そして浦和も試合前から上半身裸で声援を送るサポーター達も少なくなかった。



柏のスタメン発表はブーイングが沸き起こり、浦和のスタメン発表にはいつも以上に声援が湧き上がる。
優勝に王手をかけている柏であったが名古屋、大阪との勝点差、得失点差をみれば最終戦は勝たねば優勝を逃しかねない状況。対戦相手の浦和も勝たねばならないという状況であればどういう雰囲気になっていただろう….

ホーム浦和はFWエスクデロが前節福岡戦の試合中に負傷退場し更にエスクデロに替って投入された田中達也も怪我との事で誰がトップに入るかと思われた。原一樹が予想されたが山田直輝のワントップというよりもゼロトップの前線。その他は坪井がCBで起用される等前節と同じスタメン。坪井は堀監督に替ってからようやく起用され始め0-0 で引分けた第32節の仙台戦 では坪井こそ Man of the Match と現場観戦した息子が話していた。 
それに反してワールドカップ予選では5試合中4試合スタメン出場している Socceroos の Spiranovich が第28節のG大阪戦を最後にベンチウォーマーになってしまった。この柏戦もベンチ入りはしていたのだが。



一方のレイソルは右SBに酒井が五輪予選から“還って来た。” ボランチには大田ともう一人は栗澤ではなく前節は栗澤に替って投入された茨田。FWも工藤と田中順也がスタメン起用されたが。田中順也もセレッソ戦はベテラン北嶋に替って投入された選手。 ベテラン北嶋は優勝の掛かった一戦はベンチスタート。心情からすれば優勝の瞬間にはピッチに居させてやりたいと思ったけど彼が途中で投入されるのはむしろ得点の欲しい同点かリードされている時だろう、そのシーンはレイソルサポーターは望まないんじゃないかな…とスタメン発表後思った。



キックオフ前からのレッズサポーター達の We are Reds !! の大声援は 浦和レッズのキックオフで試合が始まると Allez Allez Allez !! Urawa !! に変わる。しかしキックオフ直後こそレッズがレイソルゴール付近に迫ったがその後は攻勢に出るのはレイソル。最も警戒すべきレアンドロ、ワグネルの両外国人選手が両サイドからガンガン切り裂いてくる。そして茨田と大谷のボランチ2人がラインを高く上げて浦和が反撃に転じてもなかなか相手PA近くに近寄れない。4分25秒にはレアンドロのシュートが浦和DFに当たりCKとなる。すぐ後ろに陣取るレッズサポーターからは大ブーイングだ。6分にはレアンドロとワグネルの縦パスの交換から工藤がシュートを放つが僅かにクロスバーを越えて行く。8分には右サイドから上がったクロスを一旦は浦和DFが跳ね返すがこぼれ球を拾った大谷が強烈なミドルを放つと啓太に当たってCKに。
レッズサポーター達からは柏がCKをセットする度にブーイングを飛ばすがピッチ上のレッズイレブンはなかなかリズムが出ない。
12分59秒にようやく原口がドリブル突破で柏ゴールに迫るがシュートには持ち込めなかった。
レッズは2列目の両サイド、梅崎か原口の個人突破が頼り。他では柏木にボールが入った時は一瞬何か期待できそうに感じるがレイソルの両サイドバック、酒井、橋本がレッズの両翼をしっかりとケアーし、ボールを奪うとすぐにレアンドロ、ワグネルにボールが転送されるので攻撃に転じるのが早い。だから平川、野田がさっぱり上がれなくなっていた。
25分頃他球場の経過をチェックするとガンバが清水に先制を許していた。 名古屋は0-0 のままだった。
ガンバも名古屋も共に敗れると言う事は考えにくいなぁ…と思っていると柏に先制ゴールが決まった。
29分CKを得るとレッズサポーターの大ブーイングの中ワグネルが入れた左CKに近藤がダイビングヘッドで合わせるがこれは梅崎にあたりこぼれるとこぼれ球を拾ったレアンドロがそのまま放ったショットはクロスバーを叩く。そのこぼれ球を撃ったワグネルのシュートがGK加藤の足に当たってレッズゴールネットが揺れた。




 
逆のサポーター席に陣取るレイソルサポーター達から大歓声が上がりそちらに目をやると文字通り“黄色い波”が揺れていた。
この先制ゴールで完全にレイソルが主導権を握ってしまった。レアンドロとワグネルと云った最も警戒せねばならない選手達はポジション取りが良いせいか自由にボールを持っていた、と云うよりも浦和のDF,MF陣があまりにも彼らをフリーにし過ぎていた。
そして38分またもCKから左SBの橋本が中央でDF3人に囲まれながらオーバーヘッドシュートをレッズゴールに突き刺しあっさりと追加点を上げた。優勝を目の前にしたチームと残留をようやく決めかけたチームとの差はこうなのか…と思わせる様なゴールだった。橋本のシュートも見事だったけどこの試合は立ち上がりからバイタルエリアでもレッズDF陣のマークはちょっと甘いかなぁ…と思っていた。



その後もレイソルは攻撃の手を休めない。39分42秒にはレアンドロが放ったミドルをGK加藤がナイスセーブで防ぐとこぼれ球を拾った田中が強烈に撃ったシュートはわずかにクロスバーを越える。42分にはPAの外でこぼれ球を拾ったワグネルが放ったショットがレッズゴールを襲う。45分には茨田がドリブルシュートを放つなどいつ3点目が入ってもおかしくない時間帯が続いた。
レッズはこの試合山田直輝がワントップに起用されるがポジションが少し下がり目で逆にターゲットが埋もれてしまっている感じであった。山田に入ってもDF陣の寄せが早くそこからなかなか繋げない。しかしこれだけ押し込まれていては直輝にボールが入る雰囲気も感じさせられない。30分を過ぎたあたりからようやく原口が最前線に立つようになったが原口がボールを受けるシーンは数度に限られた。 
前半のレッズは結局シュート0で終わった。 地元大サポーター達の前でレッズイレブンは後半見せ場を作れるのだろうか…と思った。

ハーフタイム中に他球場の途中経過が発表される。 名古屋は 0-0 のままだったけどガンバは 逆転しており2-1 とリードしていた。こうなればリードはしている柏もどうしても負けられない後半も先にゴールを上げて点差を広げたいところであっただろう。
後半は直輝がベンチに下がり前半終了間際からレッズサポーター達の“カズキコール”に押されてか原一樹が投入された。
これで原がワントップに入り、2列目はトップ下に柏木、左に原口、右に梅崎が配置された。原にボールが収まる事により2列目の4人が前に上がる時間が出来た為ボールが前線に回る様になった。こぼれ球も拾えるようになった。
55秒には中央から右の原口に出たボールが中央に戻される、僅かに柏木には合わなかったが早速攻撃の形を見せた。
49分3秒にはカウンター攻撃に転じたレイソルが最後はワグネルからパスを受けたレアンドロが右サイドからシュートを放ち僅かにポストの右に外れて行くシーンがあったがその後も前半とは打って変わって見違える様なレッズの攻勢が展開される。52分22秒には中央から右サイドの梅崎にボールが出され入ったクロスから柏木がシュートに持ち込む。 
そして53分右サイド中盤から平川がアーリークロスウを入れるとゴール正面フリーで走り込んだ柏木がヘッドで1点差とするゴールが決まった。周りの観客が一斉に立ち上がりこの日最大の完成がさいたまスタジアムに渦巻く。 
いつも思うのだけどゴールが決まる時はいともシンプルに決まるものだ。前半はシュートすら打てる気配が無かったレッズだったけど。それにしても浦和ベンチは何故最初から原をトップに置かなかったのだろう…とこの時思った。



更に試合はレイソルコートで展開され原口がドリブルでレイソルゴールに迫るなどすぐにでも同点に追い付く様な期待感を持たせた。これで試合はがぜん面白くなる。もしレッズが追い付けばレイソルイレブンは浮足立つのではないか…そうなったときベンチはどう動くのだろうと思った。
しかしさすがに優勝をするチームはこういう時間を凌ぐ。ここを乗り切れたのが優勝に繋がったと思う。次第にボール支配率を挙げシュートシーンを再演出する。57分野田のミスパスをカットした工藤がそのままドリブルシュートに持ち込むがここは永田がCKに逃れる。そのCKから近藤がフリーで放ったヘッドは僅かにポストの右に外れて行く。その直後にもCKを得ると一旦は跳ね返されるがこぼれ球を繋いでレアンドロの入れたクロスに田中が飛び込むが寸前でGK加藤がキャッチ。60分には酒井が左サイドを上がり入れた素晴らしいクロスをフリーのレアンドロが放つが僅かにポストの右に外れて行く。完全に1点もののチャンスだった。
そのGKからこから今度はレッズが繋いで啓太がドリブルでレイソルゴール前に迫るが惜しくもラストパスは僅かに原口に合わなかった…これがレッズの最後の見せ場だった…
65分レイソルベンチが先に動く。FW工藤を下げて澤を入れる。これで工藤のワントップになり澤が2列目と工藤の間に入り中盤を厚くする。すると今度はレッズベンチが動き68分に梅崎が下がりマゾーラが入る。 息子に言わせれば“マゾーラはスタミナが無いから途中からしか使えない。3往復もすれば走れなくなる。”と言っていた。 
レッズは何とか同点ゴールを目指して自軍サポーターの陣取るレイソルゴールに迫るがシュートは撃たせて貰えない。
74分には中盤からロングパスをうけた澤が坪井と競りながらシュートに持ち込むがGK加藤がファインセーブで防ぐ。
スマホで他球場の経過をチェックすると名古屋が既に先制ゴールを挙げてリードしていた。これでますますレイソルは負けられなくなった。1点差では次に失点をして同点にされれば残り時間から一気に窮地に追い込まれる…と思った。
しかし次にゴールを決めたのはレイソルだった。そのCKをレアンドロが入れると一旦はレッズDFがクリアーするもそのこぼれ球に走りこんだ茨田がそのまま放ったミドルがワンバウンドし一旦はGK加藤がファンブルするとそのままレッズゴールに吸い込まれた。
後方に陣取るレイソルサポーター達は狂喜乱舞する。加藤は呆然とする。バウンドがイレギュラーする不運があった。



このゴールでほぼレイソルの勝利、優勝が決まったと思った。そして私の興味は北嶋が投入されるかと言う事であったがまず次は林が田中に替って投入された。その直後にレッズは啓太が下がって五輪代表の濱田が投入された。濱田は高さを生かして前線でターゲットにするのだろうか。それならスピラノビッチの方がいいのではないか…と思った。まだ10分程度あるので再び1点差になれば解らないと思ったのだけど….
レッズは2点差になり余裕の出たレイソル守備陣を再び破れなくなった。82分には原口が酒井に倒された。ホイッスルが鳴り良い位置でレッズのFKと思われたが吉田主審は原口のファールを取る。血相を変えた原口が吉田主審に詰め寄る。思わず私は“危ない、危ない!”と叫ぶ。原口は吉田主審に体当たりをしそうな勢いだった。開始早々から原口と酒井は激しくマッチアップし続けやや酒井に軍配が上がって来た。そのうっ憤が爆発したか?もし原口が吉田主審に触れてしまえば退場どころか大事な五輪予選を控えて選手資格の停止処分も受けかねない。バルセロナ五輪予選中に当時近畿大学でプレーしていた山口が受けた様に…
そして2008年の A-League Grand Final のCentral Coast Mariners の Bukovich の様に….
そのままレッズは見せ場を作れず3分あったロスタイムも過ぎ柏レイソルの優勝を告げるホイッスルが鳴り響いた。
あぁ、北嶋の出番は無かったかぁ…

柏レイソルの優勝は史上初のJ2, J1 と連続優勝だ。1978-79 の Europe Champions Cup で England の Nottingham Forest が優勝したがこの優勝は二部、一部連続優勝の後の欧州制覇だった。もし来年ACLで柏が優勝するとそれに並ぶなぁ…と思った。試合後帰宅して観戦ノートを取り出し2009年8月30日に柏スタジアムで行われたレイソル対サンガのスタメンを見てみた。 GK菅野、 DF 近藤、林、FW田中の4選手が優勝を決めたこのレッズ戦にも出場した。更にCB増嶋はあの時はサンガの選手として右SBでスタメン出場をしていた。あの時のレイソルは降格の危機に直面しており試合内容も0-0だったがサンガが押していけた。
その試合の少し前から指揮を取り始めたのがネルシーニョ監督だった。就任直後は起用を巡って李忠成が広島に移籍するという事もあった。あの時京都フロントは何故忠成を取らなかったのだろう…そうしたら今の様には…

ネルシーニョに率いられた柏レイソルはそこからJ2陥落はあったものの見事にJ1昇格そして優勝を成し遂げた。
ネルシーニョと言えば思い出すのが1995年末の代表監督人事。サウジアラビアとの親善マッチを2連勝で終えた直後の記者会見の加茂周(当時)代表監督の表情は冴えなかった。加藤久強化部長からの報告でワールドカップ予選は他の監督で臨むべしとの報告が上げられており当時ベルディ川崎で指揮をとっていたネルシーニョ氏がほぼ内定していたらしい。しかし最後は長沼会長の一言で加茂氏の続投が決まった。ネルシーニョの年棒が問題だったとか報道されたがその件も含めてネルシーニョは激怒し“腐ったみかん”発言にまで及んだとされている。実際にネルシーニョとは年棒でほぼ合意されていたが通訳やブラジル人を含めた外国人で多く構成されるであろう“ネルシーニョ内閣”の経費が案じられたとも報道された。しかし私は加茂監督続投で良かったと思っている。苦戦して加茂監督自身も更迭されたが結局日本はフランスワールドカップに出場出来たのだから…

だが今回の快挙を齎したのを見ると代表監督にふさわしい潜在能力を持っていたと感じさせられる。それだけにACLが楽しみになって来た。
表彰式が始まり私は反対側の席に移動した。指定席だけど黄色いレプリカが目立つ。サポーター達の中には “ありがとう” を連呼する人達も少なくなかった。 私が愛する京都にこういう思いが出来るのはいつの事だろう…





一方柏レイソルの優勝表彰式を最後まで静かに見守り最後は拍手を送った浦和レッズサポーター達は橋本光夫球団社長の挨拶が始まるや否や怒りを爆発させブーイングの嵐を浴びせた。



最終順位15位は初めて同じ埼玉県をホームとする大宮アルディージャを下回った。J-League 発足時の弱い浦和レッズも見て来ているが今年もここ数年同様に優勝が期待されるシーズン。残留降格争いをするとは誰が想像できただろうか?
2007年にACLのタイトルを取った時は良い選手が揃っていた。FWワシントン、MFポンテ、小野、長谷部、細貝、阿部DF闘莉王…今から考えれば最後は個の力で局面を打開して得点を挙げピンチを凌ぎ勝利、勝点を重ねていたのではないか。
そういう選手がチームを去り、絶対的な個の力が薄れた今、それに対応出来ていない気もした。
しかしピンチは逆にチャンスでもある。ナビスコ杯の決勝に残るだけの戦力はあるのだしにまだ天皇杯も残っている。
天皇杯で優勝しACL進出となるとそれをきっかけにチーム力が上昇するかもしれない。最高のカンフル剤は何と言っても勝つ事だ。レッズのACL進出はアジア中が待っているのだから…



前の週と併せて2週間に亘ってJ2、J1そして五輪予選観戦をはしごした。欧州も良いけど日本には J-League がある、と言う事を再認識した。
そして…愛するサンガがJ1で優勝争いをするのはいつだろうか…と思った。でもまだ天皇杯には残っているぞ…


正座してそして涙して見た あの伝説の名勝負そして FK 日本 1-2 韓国 26th Oct. 1985

2011-12-04 | 日本代表
遂にまた見る事が出来たあの試合。メキシコの栄光を知らない私達が90年代の初め迄すがっていたあの試合、そしてあのFK.。
色々問題を起こしている NHK ではるが、サッカー中継に関してはここの右に出るテレビ局は無いと思っている。
民放局で合格点を与えられるのは70年代から“三菱ダイヤモンド・サッカー”を放映していたテレビ東京だけだ。
東大卒の岡野俊一郎氏とサッカーの実況では日本最高峰の金子勝彦アナウンサーとの抜群のやりとりを見た事のある世代は
今の絶叫マシーンと化した民放の実況放送は幼稚で、ただの雑音としか聞こえない時があると感じるのは私だけではないだろう。 J-League 発足前は誰も見向きのしなかったサッカー中継に敬意を払ってくれた放送局は NHK とテレビ東京だけだ。
そのNHKが11月18日に放映した特別番組 “伝説の名勝負「世界が見えた戦い ’86年W杯・アジア最終予選 日本vs韓国 ” を私は正座をして目を皿の様にしてみた。 遂にまた見る事が出来たあの伝説の試合……

あの時私は大学生だった。前年シンガポールで開催されたロス五輪最終予選で4戦4敗の惨敗に終わった日本代表サッカーチームはまさに“破産状態” そこから“更生”して過程を見ていた。 1984年ソウルで行われた蚕室競技場のこけら落とし行事であった韓日戦で木村和司のFKと水沼のボレーショートで勝利を収めた。この勝利は引き分けを挟んだが対韓国戦で初めて連勝を飾りしかも日本が韓国の地で初勝利を挙げた試合でもあった。(この試合の韓国のメンバーは若手主体でベストメンバーではなかったらしいが。)
この勝利をきっかけに破産した代表が復興の狼煙を上げ、翌年から始まったメキシコワールドカップ予選で快進撃を見せた。
1次予選では北朝鮮、シンガポールを抑え、“準決勝”では香港相手に2連勝 ( 3-0, 2-1 ) しあれよあれよと言う間に韓国との“決勝戦”に進出する事となった。
この予選には幸運もあった。まずアジアからの出場枠2が東西地域に1カ国ずつ与えられたことだ。これで前年の Asian Cup で優勝したサウジアラビアや1982年のアジア大会で優勝したイラク、そして前のスペイン大会に出場した強豪クウェートとは対戦せずに済んだ。
そして日本の“準決勝戦”の相手が予想された中国ではなく香港であった事。 日本が1次リーグ突破後に対戦するGroup 4A の勝者は中国が本命視されていた。 “開幕戦“の2月17日には早速香港政府大競技場で両国が対戦し0対0で引き分けた。 その後両国はそれぞれブルネイ、マカオ相手に勝ち星を重ね、5月19日、北京の工人競技場で行われた最終戦で再び両国は対戦した。この時点では両国共に4勝1分勝点9であったが中国はホームでマカオを 6-0 で破る等得失点差 +21 でリードしており最終戦は引き分けても次のラウンドに進出出来た。試合は26分香港が張志徳のゴールで先制すると中国は32分李恢のゴールで追い付く。そして60分に顧錦輝のゴールで香港が再びリードを奪いその後の中国の猛攻を凌ぎ香港が”準決勝“進出を決めた。
中国チームの体たらくに業を煮やした北京の観客は大騒ぎをし最後は人民軍が鎮圧に入ったと言う経緯は当時でも有名だった。
“準決勝戦”の相手が中国だったら日本も簡単に韓国との決勝戦に進出できたかは解らなかったと当時思った。中国は前年の Asian Cup で準優勝するほどのチームだった。日本は前回80年大会に続いて協会は Asian Cupにはエントリーをしなかった。
一方の韓国も1次予選では危ない橋を渡って来た。3月2日カトマンズで臨んだ初戦のネパール戦は勝利をおさめたが僅かに2点差勝利。3月10日 Kuala Lumpur で行われたマレーシア戦は Dallah Salleh に決められたゴールを挽回できずに敗れてしまう。当時韓国はミュンヘン、モスクワ五輪予選でマレーシアに敗北を喫するなど“史上最強”のマレーシアを苦手としていた。
しかしマレーシアは続く3月16日カトマンズで行われたアウェーのネパール戦をスコアレスドローに終わり、その後韓国は4月6日蚕室でネパールを 4-0 と粉砕。5月19日ソウル蚕室で迎えた1次リーグ最終戦も朴昌善、曹敏国のゴールで“苦手”マレーシアを破り1次リーグ突破を決め、インドネシアとの“準決勝戦”はアウェイのジャカルタで 4-1, ホームの蚕室では辺炳柱、金鋳成のゴールで楽々決勝進出を決めた。
マレーシアがカトマンズで3点以上で勝っていてくれれば蚕室での最終戦も…と当時思った。あぁカトマンズ~と Godiego のまねをして口ずさんだ事を覚えている。

そして迎えた10月26日。直接対戦成績では日本サッカー代表は圧倒的に韓国代表に劣っていた。1959年から15年間。そしてその後5年間勝星が無い年が続いた。あの釜本を擁しても1974年の日韓定期戦しか勝利を収められなかった。
しかし直近3試合では日本の地以外で韓国戦初勝利となる1982年アジア大会では 2-1。1983年東京で行われた日韓定期戦では1-1で引き分けたが終了直前まで 1-0 でリードしており、1984年の蚕室のこけら落とし行事の日韓定期戦では 2-1 でソウルで初勝利を収めこれまでとは違うと期待させられるチームになっていた。この“森ジャパン”なら何とかしてくれる。ワールドカップも夢じゃないところまで来ていると当時のサッカーファンは期待していた。

東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうにメキシコの青い空が続いている様な気がします….

NHK山本アナウンサーの歴史的名セリフだ。私はこの試合の数週間前に行われた陸上競技の日本学生選手権に出場したのでこの試合更に特別な思いで見た。そしてスタンドは超満員だった。当時関西に住んでいた私はここでいつか代表の試合を観戦したいなぁ….と夢見ていた。両チームのスタメンは下記の通りだった。


GK 1 趙炳得 (ハレルヤ) DF 14 曹敏国( LG ), 5 鄭龍煥(大宇), 2朴景勲(浦項),12金平錫 (現代)
MF 10朴昌善 (大宇 ), 4 趙広来(大宇), 6李泰昊(大宇) FW 11辺炳柱(大宇), 9 崔淳鍋(浦項),16 金鋳成 (朝鮮大学)

GK 19松井(日本鋼管)DF 7都並(読売), 2 加藤(読売), 4 石神(ヤマハ),5 松木(読売)
MF 8西村(ヤンマー), 13宮内(古河), 10木村(日産)FW 14原(三菱), 11戸塚( 読売 ), 12水沼( 日産 )

曹敏国がスイーパー。朴景勲が3バックの真ん中で朴昌善と趙広来がディフェンシブハーフ。李泰昊がトップ下で崔淳鍋がCFW。

日本はDFラインは4バック。MFは西村がやや下がり目のディフェンシブハーフで木村がやや右寄りで水沼と組む形。宮内は左の2列目。FWは戸塚が真ん中に入り原が左で水沼が右に入った。   

ただ韓国は試合がはじまると ⑨崔淳鍋 は2列目に下がる事が多く実質⑪辺炳柱 と⑯金鋳成の2トップの様な形だった。
そして⑥李泰昊がしょっちゅう前線に顔を出していた。
11月18日の特番には当時の主将を務めた加藤久と⑩朴昌善がゲスト出演していいたが朴昌善氏は“日本を徹底研究して来た。”と話していた。 日本が東地区の“決勝戦”進出を決めたのは香港を政府大競技場で 2-1 で破った9月11日。
その40日以上も前の7月30日に韓国はインドネシアを破り“準決勝戦”を終えており十二分過ぎる程の準備期間があった。
しかも日本はこのワールドカップ予選をほぼ同じメンバーが起用され初起用だったのは出場停止の柱谷幸一に替って抜擢された戸塚だけで、また戸塚以外全ての選手が直近3試合の日韓戦でプレーした経験のある選手。木村、原、加藤、都並ら中心選手は3試合全てに出場していたが、韓国戦で対戦経験があると言う事は相手にも知られていると言う事だ。
この日のスタメン以外で起用された事のある選手は池内豊、内山篤、長沢和明(長澤まさみの父親)そして今話題の岡ちゃんこと岡田武史の4人くらいであった。
そして3月に北朝鮮と対戦する前にその準備として韓国に遠征し油公と大宇と練習試合を行ったが大宇所属選手5人がこの日のスタメンに含まれていた。今になればあらゆる角度から日本が研究されつくしていた事が良く解る。

一方の韓国はエース ⑨崔淳鍋 こそ対日本戦直近3試合全てに出場しておりこのワールドカップ予選も6試合全て出場していたがスタメン11人中対日戦直近3試合に出場しなかった選手がGK①趙炳得 、⑤ 鄭龍煥、⑫金平錫、⑭曹敏国の4人。
ワールドカップ予選で日本戦の前6試合中4試合以上に起用された実績のあるのは7人でGK①趙炳得 はこの日本戦が予選初登場。対日戦では1981年の日韓定期戦そして大統領杯依頼の抜擢だった。それまでGKは崔栄仁とオユンキュが3試合ずつ起用されていた。そして翌年のワールドカップではオユンキュが3試合とも起用された。趙炳得は3年後の次の対戦となる国立競技場での日韓定期戦でも起用された。
1984年のシーズンまでオランダの名門PSV Eindhoven でプレーしておりワールドカップ予選全試合にスタメン起用されていた前の韓国代表監督でもあった許丁茂がこの試合はベンチスタートで最後まで起用されなかった。しかし次の蚕室での第二戦は交替出場で起用され決勝ゴールを挙げた。許丁茂はワールドカップでは3試合ともスタメン出場を果たす。
また現代表監督の④趙広来 は1980年3月マレーシアで開催されたモスクワ五輪予選のメンバーとして日本戦にスタメン出場した経験もあった。FW ⑯金鋳成は1984年の日韓定期戦こそ出場したがワールドカップ予選はインドネシア戦の2試合のみに起用された。しかしその後中心選手に成長し翌ワールドカップイタリア大会予選ではアジアトップクラスのドリブルを披露、大会後は Budesliga の Bochum でプレー。更にあのドーハでの日韓戦にもスタメン出場した。
こうしてみれば日本代表も素晴らしいチームだったが韓国代表も若手、中堅、ベテランががっちりと組みあった最強のチームだった。
そして非常に選手層の厚みのあるチームだった。

韓国のキックオフで始まった試合を見ると当時は開始から日本がかなり押していた様に思えた。それは韓国戦となると開始から押しまくられ何とか失点を防ぐ間にカウンターで得点を上げる事が日本の勝つチャンスと思われたのが定番であったからだ。
この試合後何度も聞かれた“韓国は日本を前半攻めさせて…” という方策は確かに取られていたが日本も韓国のDF陣を崩してシュートを放ったシーンは皆無に近かった。 木村には④趙広来 と⑩朴昌善が交替でしっかりとマークに入り、原には⑤ 鄭龍煥が。原がCK時にもファーサイドに流れる事も調べられていた。初起用のテクニシャン戸塚はマンマークの得意な②朴景勲がしっかりと着いており、当時日産自動車で心境著しく木村と絶妙のコンビを披露していた水沼には⑫金平錫がマークに着き得意のドリブルを消した。金平錫もワールドカップでは”準決勝戦“のインドネシア戦から抜擢された選手だった。
大歓声に乗って健闘する日本だったが30分に先制を許す。25分頃から韓国が攻撃に転じ波状攻撃が目立ち始め、⑩朴昌善が左サイドを上がりクロスを入れると原がクリアーしたこぼれ球を⑤ 鄭龍煥に拾われ左サイドに現れた ⑨崔淳鍋 に渡る、 ⑨崔淳鍋 はサイドを上がり再び原がマークに入るが低い弾道のクロスを入れられそのクロスが日本ゴール前に抜けて来た。それを石神がダイレクトでクリアーするが僅かにバウンドがかわったらしくクリアーボールが短くPAのすぐ外で待ち構えていた⑤ 鄭龍煥に拾われそのまま撃たれたショットが日本ゴールに突き刺さった。 石神の周囲には韓国の選手は詰めていなかったがあそこでワントラップして…と求めるのは酷な事だと思った。
石神は更に失点に絡んでしまう。41分に西村へ出したパスが弱くそれを⑩朴昌善にインターセプトされ ⑨崔淳鍋 に送られドリブル突破を許す。必死に戻った加藤と石神の間を通ったパスが中央を上がった⑥李泰昊に入りそのまま撃たれたシュートが日本ゴールに吸い込まれ絶望的な連続失点を喫した。石神からの西村へのパスがイレギュラーした不運もあったが先制された後の日本は何とか同点にしようとかなり焦って混乱しているのが解った。このワールドカップ予選で先制されたのが初めてだった。その隙を突かれた様な気がした。その事を番組で朴昌善氏も指摘していた。
今でもブラウン管を通じて2点を先行されワールドカップへの淡い期待が一気に潮が引く様に醒めて行く雰囲気が良く解る。
しかしそれを振り払ったのがあの伝説のFKだった。2失点目直後のキックオフから戸塚が意地のドリブル突破を中央から図ると韓国選手が身体を寄せて戸塚を倒してFKを得る。距離は少しあるがゴール真正面の絶好の位置だ。GK①趙炳得 は木村のFK対策の為に起用されたのではと今では思う。だけど木村和司はワールドクラスのFKをゴール右上隅に捻じ込んだ。
木村和司が今インタビューで明かしたがあの時は一度ゴールの右に蹴る様な踏み出しをしてGKの重心をずらしてから右上隅を狙ったと話した。前に見た番組で当時の金正男監督が“ゴール前で絶対に反則をするな、と選手には何度も云って来た。”と話す程木村のFKを警戒していたらしく、壁に入っていた朴昌善氏も“見たことも無い回転だった。”と称賛していた。
私を含めた“メキシコの栄光を知らない”70年代からサッカーを見て来たファンはこのFKにすがって生きて来た。
当時陸上競技を続けていたが練習で苦しくなったらあのFKを思い出して乗り越えようとしていた。
後に商用で海外に出掛けて欧州の顧客とサッカーの話題に触れる度に心の中でこのFKを必死に思い出した。世界のどんなGKだってあのFKは止められないんだ、と心の中で叫んでいた。今でもあれ以上のFKを蹴れる選手はいないと信じている。
俊輔よりも本田圭祐よりも上だと勝手に思っている………




俺は今でのあの代表チームが一番好きだ……

勇気付けられたのは当時この試合を見ていた人達だけではなくピッチ上の選手達も同じだったらしい。
リードされているけど控室では“行ける。行けるぞ。”と言う声が多かったと加藤久は語っていた。このワールドカップ予選。それまで日韓両国は6試合をこなして共に14得点を挙げていた。そのうち韓国は前半に8得点後半に6得点。日本は前半に5得点後半に9得点挙げていた。だから日本が後半に得点を上げる好機があると思っていたというコメントも加藤久氏は語っていた。
実際に日本代表は後半の方が前半よりも良い動きを見せていた。開始から松木のオーバーラップや戸塚のポストプレーが見られた。そして水沼がマークに入った金平錫を振り切りボールを持つ時間が増えた。更に木村-水沼のコンビが機能しワンタッチパスが繋がる様になり59分には宮内のミドルシュートを導き出す。 こう言ったプレーは韓国は“持っていない武器”であった。実際にゲストの朴昌善氏は“韓国代表が最も警戒していたケースだった。”と語っていた。
大観衆の前でナーバスになっていたのはホームの日本代表イレブンであったがこれもプロ(韓国)とアマチュア(日本)の違いの一つであったと思う。 
またこれは韓国のフォーメーションの変化にも寄与していたと思う。前半は日本を“攻めさせる。”為に前線のラインを下げていたので
全体的にスペース入り込めるが少なかったが後半は比較的ラインが“間延び”してスペースが生まれていた。そこで日本はボールが回る様になり、こぼれ球も拾えていた。そして後半になると1対1でも負けない様になっていた。これは70年代にはなかなか見られない事であった。もし韓国が前半の立ち上がりの様に前線を下げてコンパクトなゾーンを維持しておれば後半の日本の優勢はなかったかもしれない。ただこの試合は日韓共に最前線とDFラインは大きく“間延び”してスペースは大きかった。どちらかと言えば1対1での優位性が試合を左右する時代だった。そして両サイドバックに攻撃参加があまり求められない時代であった。
63分27秒、木村のCKから加藤がバックヘッドですらして狙ったシュートはクロスバーを叩いてしまう。前半にも加藤は木村のCKをファーサイドで飛び込んで惜しくも合わなかったがこれはGK趙炳得が僅かに触れてコースが替ったためで後半のヘッドもいつものベストポジションを ⑨崔淳鍋 に消されていたと語っていた通り韓国に調べられていた事であった。
だけど振り返ると得点シーンを含めて決定的なシーンは全てセットプレーからで相手DF陣を最後まで崩せていなかった。
後半は押され気味の韓国も70分過ぎから主導権を握りだす。韓国選手は1人の選手が色々なポジションをこなせる技量をもっており日本の攻勢に試合中でも対応出来る様になっていた。日本ベンチも68分には戸塚を下げてスピードのある平川(順大)を入れて LW に置き原を CFW に置き、82分には木村を下げて遂にジョージ与那城(読売)を入れるが所属先でコンビを組んでいる戸塚は既にベンチに下がっていた。 朴昌善氏は“与那城選手の投入はもっと早くてもよかったのではないか。また木村選手とのコンビネーションがあっても良かったのではないか。”と指摘しているがまさにその通りだった。
1990年1月Bayern München が来日しJSL選抜と行った試合を観戦したがあの時見たラモスと木村和司のボールのやり取りはまさにピンボールの様にボールが動きBayern München の選手を翻弄する時間帯が短く無かった。
後に生前の当時の森監督が“戸塚と与那城をどこか練習試合でもいいから実践しておればよかった。”と述懐していた記事を見た。韓国ベンチも78分に⑥李泰昊を下げてモスクワ五輪予選の日本戦にスタメンで出場したベテランの趙栄増を入れて守備を固める。試合終盤になると再び韓国の攻撃が目立つようになり⑦金鐘夫が加藤のマークを背負いながら ⑨崔淳鍋 にボールを送りシュートに持ち込まれるが石神が必死にマークに入りゴールを割らせない、87分には右サイドから④趙広来 からボールを受けた⑦金鐘夫が石神のマークを振り切りシュートを撃たれるがGK松井がストップ。金鐘夫はこの年神戸で開催されたユニバーシアード(この大会に出場したいと頑張っていたのを思い出す。最も完全に無理だったけど。)のメンバーで翌年のワールドカップでもメンバー入りした選手。
そして45分43秒。無情のタイムアップのホイッスルが鳴った。 
翌日のスポーツ新聞でGK松井先輩が(この方の母校は私と同じ京都西高校です。)“ソウルで 2-0 で勝てばいいんだろ。”と言う力強いコメントが載せられており関西インカレ秋季大会直前の私は勇気付けられた。
しかし水沼、西村を外し柱谷幸一、与那城をスタメン起用して(あと安木に替って勝矢が起用された)攻撃的布陣で臨んだソウルでの第二戦は第一戦よりは試合内容も良くチャンスも作ったがゴールを上げられなかった。
ワールドカップ出場を決めてビクトリーランをする代表選手達に蚕室の大観衆は“あぁ大韓民国”の歌を合唱し。観戦に来ていた全斗換大統領は金正男監督の手を取って大きく上げて祝福した。 このシーンを見て日韓のサッカーの差を痛感させられた。
しかし日本もこれでサッカーのワールドカップが市民権を得られた4年後は必ず…と思ったが実際にワールドカップの舞台に立てるようになるにはドーハの悲劇を経てあと12年も待たねばならなかった。
ワールドカップメキシコ大会では1分2敗に終わった韓国。2年後の地元開催のソウル五輪ではこのチームをベースに車範根も入れて日本以来のアジアでのメダルか獲得を目指したが1次リーグで敗退し、翌年更にパワーアップし臨んだイタリアワールドカップ予選を楽々と突破したが本大会では3連敗。その後のワールドカップでもなかなか勝利を挙げられず日韓共催の2002年大会まで初勝利を待たねばならなかった。 サッカーの様に世界中、アジア中が筆頭スポーツに挙げている競技の強化、進歩には本当に時間が掛かるものだと今になった再認識させられた。
そしてこの番組を見てから今になって入手出来る資料をひっくり返して調べるといかに日本にとって難しい試合であったかと言う事も解った……
今、ワールドカップは出場して当たり前、本大会でどこまで進出できるかの国民関心事になっているがそれも先人の積み重ねが合った結果だ。3年後ワールドカップブラジル大会で日本がベスト8に残る事も夢ではない。

しかし私は今でもこう思っている。あの時の代表、私が何も見ないですらすらとメンバーを唱えられるあの代表チームが今でも一番好きだ…… だれかソウルでの試合のビデオ持っていないかなぁ……




アウェー連戦。 タジキスタンでの報道から… Tajikistan 0-4 Japan 11th November 2011

2011-12-04 | 夏季五輪
ソ連邦が突然崩壊する数年前。私はようやく社会人にデビューする事が出来サラリーマン生活をスタートする事が出来た。
当時私の勤めていた会社は小さいながらもモスクワやワルシャワ、ブカレストに駐在事務所を持つ貿易会社でソ連貿易のボリュームの大きさに舌を巻いていた。
会社からは“若いんだからロシア語をどんどん勉強しろ。金は出してやる。”と言われたが、英語もまだまだおぼつかない自分はとてもそんな余裕はなかった。今となっては無理してでも勉強しておけばよかったと少し後悔している。
あの時大きなプロジェクトが決まったらしく、毎月多くの取引先の技師の方達がソ連邦に出張に出掛けていた。
当時でも(いや当時だからこそ)当然マルチビザを取得しない限りソ連の公団から invitation visa を貰わねばソ連各地には行く事が出来ず新人社員でロシア語も話せない自分はモスクワ所長といつもビザ発給の作業を手伝っていた。
そして様々な都市の名前を覚えた。ドシャンベと言う街の名前も初めて聞いた…..
それから僅か2年程でソ連邦は崩壊した。あれほどのボリュームのあった引き合いはまったく霧散してしまい旧ソ連邦は一気に“最貧国”みたいな扱いになった….この冬は餓死者がでるとか言われた…..
1992年タジキスタン共産党系の政府とイスラム系野党反政府勢力との間でタジキスタン内戦がおこり、1994年の暫定停戦合意およびエモマリノフ(現在はラフモンと改名)大統領の就任以来、国際連合タジキスタン監視団 (UNMOT)のもとで和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で武装強盗団に銃撃され殉職する事件が起こった。1997年に内戦は終結、その後ラフモン大統領の長期政権によって、ロシアや中国、米国との関係強化が行われ、日本を含む各国の手厚い支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10パーセントの高成長率を維持しているようである。
しかし、タジキスタンのマクロ経済指標の状況はアフリカ諸国並みであり、将来にわたる世界不況に対する不安が残っている。特に、もともと資源・産業の多様性は乏しい上、所得の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収350ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つであるが、近年のロシア経済の好転により、出稼労働者からの送金額が上昇したことから、公式経済データと実体経済との乖離、及び出稼労働者のいない寡婦世帯における貧困の深化が問題となっている。特に、ロシア語の話せない村落部出身の男性は、ロシアでの出稼先では低賃金肉体労働しか選択肢がなく、過酷な労働による死亡、AIDS若しくは性感染症の持ち込み、或いはロシア国内での重婚による本国家族への送金の停止など、都市部・村落部を問わず社会的問題は単純な貧困を超えた現象となりつつある。
2011年1月12日、タジキスタン下院は、中国との国境画定条約を批准し、パミール高原の約1000平方キロメートルが中国に割譲されることになった。 ( この部分 Wikipedia より抜粋 )

ワールドカップ2次予選では御周知の通りシリアに 1-2, 0-4 で連敗し3次予選進出はならなかったはずだがシリアが出場資格の無い選手を起用した事が発覚し失格となり繰り上がりで3次予選に進出したタジキスタンは第1戦のホームでのウズベキスタン戦、続くアウェーでの北朝鮮戦は 0-1 で連敗するもまずまずやるなぁ…と思ったが第3戦のアウェーでの日本戦は 0-8 で粉砕された。しかし楽観視するのは胸算用だと思う。ホームではウズベキスタンに敗れたとはいえ 0-1 だった。代表選手達は決して侮りはしていないだろう…



日本から120人のジャーナリスト達が同行  11月3日
11月11日ドシャンベで行われるワールドカップ予選。タジキスタン対日本戦に日本から約120人のジャーナリスト達が訪れる予定。
タジキスタン協会にAP通信から入った情報によると日本選手と報道陣は試合の2日前にカタールからチャーター便でドシャンベ入りする予定であるとの事。

ドシャンベの地元クラブ Istigol の Official Site によると Alberto Zaccheroni 監督が選出したウズベキシタン戦のメンバーは23人であり GK 3人、DF 8人、MF5人、FW7人の構成となっており日本国内でプレーする選手が11人。その他にベルギー ,クロアチア, イタリア、ドイツ, オランダ, イングランドでプレーする選手達が含まれている。との事であった。

メンバー発表。  11月5日
11日日本戦 ( Dushanbe ) 15日ウズベキスタン戦 ( Tashkent ) に向けての22人のメンバーが発表された。

メンバーの中にはワールドカップ3次予選初選出の4選手が加えられた。17人しかベンチ入りしなかったが日本戦からは MF Ortikov Ilhomzhon がそして北朝鮮戦でベンチ入りを果たした FW Rustamov Nazvruz らがメンバーアから外れたがいずれも出場機会は無かった。新たに加わったのは Dushanbe Energy でプレーするAktham Nazarov, Abdusamad Hodzhibaeva, Vahdat Hiram でプレーするIdibeka Habibulloeva そしてFW Tursunzade Regar-TadAZ のAktham Hamrokulova.
しかし今回も期待の MF Regar でプレーするJamshed Ismailov は怪我の為に召集は見送られた。

The national team in Tajikistan:

Goalkeepers: Alisher Tuychiev ("Istiqlol", Dushanbe), world Murodov ("Energetic", Dushanbe), Vladimir Sysoev ("Regar-TadAZ" Tursunzade);

Defenders: Davrondzhon Ergashev Eradzh Radjabov, Akmal Saburov Sohib Suvonkulov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Farrukh Choriev ("Regar-TadAZ" Tursunzade) Idibek Habibulloev ("Khair" Vahdat), Ahtam Nazarov ("Energetic "Dushanbe);

Midfielders: Jahangir Djalilov Rabimov Ibrahim, Fatkhulla Fathulloev, Nuriddin Davronov, Dilshod Vosiev, Mahmadali Sadykov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Khurshed Makhmudov, Jamshed Ismailov (both - "Regar-TadAZ" Tursunzade) Abdusamad Hodzhibaev (" Energetic ", Dushanbe);

Forwards: Komil Saidov (CSKA "Pamir", Dushanbe), Ahtam Hamrokulov ("Regar-TadAZ" Tursunzade), Farhad Tohir ("Istiqlol", Dushanbe.)


日本の Blue Samurai 達タジキスタンに到着  11月9日 16;59
本日 Alberto Zaccheroni 監督率いる日本代表チームがドシャンベに到着する。選手達を乗せた飛行機は本日20:00 に首都の空港に到着する。翌日10日にはAlimdzhon Rafikov タジキスタン代表監督と共に Zaccheroni 監督はHotel Tajikistan で行われる前日記者会見に臨む。同日日本代表選手は試合が行われる Central Republican Stadium で練習を行い、タジキスタン代表チームは引き続き The Aviator 競技場で最終調整に入る。

ザッケローニ監督ピッチ状態を懸念。 ラフィコフ監督汚いゲームにならない事を確認。 11月10日
11月10日 Hotel Tajikistan で両監督は試合前日記者会見に臨んだ。
両チームの監督はジャーナリス達の質問に応えドシャンベの Central Stadium で行われる翌日の試合はワールドカップ予選に置いて重要な試合になると答えた。日本選手団は11月9日水曜日カタールからチャーター機で到着した。
“勿論我々は既に日本で彼らと対戦しており我々のレベルも解っているが明日は地元ファンを喜ばせる為に良い試合を御見せする。そしてこの試合の Visitor ( 日本代表 ) にダーティーな試合をしない事を約束する。”この様に Rafikov 監督は語った。
イタリア人の Alberto Zaccheroni日本代表監督は翌日は良いサッカーを披露できる事を願っていると語った。
“我々はすこしばかり Central Stadium のピッチコンディションを懸念している。本日 Central Stadium を訪れ雨が降った後の状態を危惧したが問題は何も見られなかったという事が出来る。”と語り翌日の試合に就いては
“タジキスタンチームもしっかりと準備をしているのでそんなにイージーには行かないだろう。”と話した。

試合当日はよく晴れて雪も除かれピッチコンディションもかなり改善されていた。
日本は怪我で合流出来ない本田に替って中村憲剛がトップ下に入り怪我の長友に替って駒野が左SBにそして内田が故障からも戻って右SBに入った。
ホームの Tajikistan は10月11日の日本戦のスタメンからメンバーを3人替えて来たがフォーメーションは Saidov Kamil と Makhmudov Khurshed の2トップ。この試合では起用された3選手は日本には帯同しなかったCBの Vasiev Farkhodと2列目左の Vasiev Dilshod と左ボランチの Rabimov Ibragim。そして地元と言うこともあり東京には18人しかメンバーが帯同しなかったがこの試合は23人の選手がベンチ入りした。 2トップの Saidov ( CSKA Pamir Dushanbe ) 、Kharshed Makhmudov ( Regar TadAZ Turshunzade ) そしてCB Vasiev Farkhod (Regar TadAZ Turshunzade ) 以外の選手は全て地元 Dushanbe の Istiqlol の所属選手だった。
日本のキックオフで始まったこの試合は開始早々からタジクの選手達が積極的に前に出てきて MFの Dzalilov Dzhakhongir が粘ってCKを奪う。長居ではボール支配率が僅か28.3%だったタジキスタンであったがこの試合は地元観衆の声援を受け長居で晒された様なゴールラッシュだけはと言う思いが感じられた。
そしてスタンドには軍服姿が目立った。
ピッチではタジキスタンは長身FW Saidov にロングボールを集めていく意図がはっきり見え、長居では良い様にやられたハーフナーにはかなりタイトなマークを付けて来た。 やはり地元観衆は勇気を与えるのだろう、CK
数では10分迄に日本が得3本に対してタジキスタンは既に5本のCKを得ていた。 そして16分にはボランチの Davronov Nuriddin, Ibragim が連続シュートを放ち観客を沸かせた。長居ではシュート1本に終わったタジキスタンであったがこの試合は先制ゴールを奪うのではと言う勢いだった。
日本も21分41秒には左サイドからボールを受けた憲剛が前線の香川にワンタッチパスを送るがピッチに脚を取られてか香川はシュートが撃てない。23分には長谷部が中央をドリブルで上がりハーフナーに送りシュートに持ち込むが惜しくも外れる。
タジキスタンは守勢に回ってもPA内に多い時は8人の選手が入り必死の守りを見せる。長居では8失点を喫したが好セーブも見せたGK Tuychiev Alisher は駒野のミドルシュートをパンチで防ぐなど観客に期待感を持たせた。
そして31分57秒。ゴール前でこぼれ球を拾った FW Makhmudov が右の Dilshod にはたくと Dilshod が放った強烈なミドルはポストを叩く。最も地元観客が沸いたシーンだった。
このシーンを見て一瞬冷や汗をかきそうになったがそれでも“先制ゴールを奪われた方がいい。アウェーでリードされた状況で勝試合にすることも最終予選に向けていい勉強になる。”と勝手な事を思っていた。
しかしその直後に日本に先制ゴールが生まれた。長谷部が左前方の憲剛に渡しリターンを貰い再び憲剛に送り憲剛が放ったショットはGK Tuchiev が一旦は弾くがそこに詰めた今野がこぼれ球を蹴り込んだ。トップにいたハーフナーも上手く相手DFを背負って動けなくしていた。 
さっきまで“いい勉強になる”と思っていた自分だったがこのゴールでやはり安堵の嘆息を漏らした。
だけどこの直後にこぼれ球を拾った右SBの Ergashev が強烈なミドルを放った時はまたもひやりとした…..
前半は何とか先制ゴールを挙げたけどそれだけに終わったのは想定外ではなかったか…でもそれだけアウェーの戦いは難しいと言う事だろう。



後半は開始早々香川のドリブルシュートで幕を開けたが47分には FW Makhmudov のミドルが飛ぶ。55分には Vosiev のアーリークロスが前線に飛ぶが僅かに Saidov に合わない。前半からタジキスタンはトップの2人にアーリークロスを単純に放り込み続けているがそれが意外に効果的だった。ただこのこぼれ球を拾う選手がいなかったから得点に結びつかなかった。
追加点の欲しい日本は55分ハーフナーを下げて前田を投入。ワールドカップ予選初登場だ。ハーフナーもタイトにマークされると厳しいか?? タジキスタンベンチも57分に Dzalilov を下げて Fatkhuko Fatkhulloev を入れる。Fatkhuko は長居での日本戦にはスタメン出場したMFだ。しかし Dzalilov を何故下げたのだろうなかなか良い動きを見せていたのに。スタンドからは同点ゴールを求めて歓声が飛ぶ。
しかし日本にあっさりと追加点が入る。61分左サイドをドリブルで上がった香川が入れたクロスにファーサイドから走り込んだフリーの岡崎がヘッドで押し込んだ。 まるでシュート練習を見ている様なゴールだった。
これで2点差となり日本が負ける事がまず考えられなくなって来た。
それでもタジキスタンは“強豪”日本からの得点を目指してボールを追う。67分にはFW Saidov を下げて MF Turaev Lutfulla を入れ Fatkhuko を前線に上げる。68分にはMF Davronov がミドルを放つ。69分にはボランチの Rabimov を下げて FW Sadykov Makhmadali を入れ前線の数を増やす。MF Vasiev がクロスを入れるが Makhmadali には合わない。ゴール前で FW Makhmudovにボールが入るがシュートは撃てない。Makhmudov はその直後も身体をターンさせてシュートを放つがゴールに届かない。
80分を過ぎると日本が再び攻勢に出てきて82分に駒野からボールを受けた憲剛がスルーを前田に通すと前田は狙いすました様にミドルを放ちタジキスタンゴールに突き刺した。
これで3次予選突破に大きく前進した日本は86分に憲剛、内田を下げて清武、伊野波を投入する。この時は原口の出番は次の北朝鮮戦か…と思ったけど….
ロスタイムに入り清武のゲームメイクから岡崎が日本の4点目となるゴールを決めてタイムアップのホイッスルが鳴り響いた。

タジキスタンの抵抗もあったが終わって見れば 4-0 の快勝だった。



3次予選突破を決めた日本だけど最後の試合は敗れた北朝鮮戦。
1985年は力の差では上だった北朝鮮にまだ共に次のラウンドに進出の可能性が残る両者が対戦して引分けを演じた。
今回は力関係は日本がかなり上でしかも予選突破の可能性の無くなった北朝鮮に敗れたのだ。 最終戦に臨む前にこの悪い流れを払拭する為に2月のウズベキスタン戦はすっきりと勝ってほしいと思う。
だけどどこで試合をするのだろう?さいたまスタジアムかな…. 最終予選も全てここでやってほしいなぁ…….