Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Asian Cup 予選前後のオーストラリアでの報道から....

2009-02-03 | Asian Cup

12月12日 Pim looks abroad for Jakarta raid Pim

Verbeek 監督は1月の Asian Cup 2011 予選のインドネシア戦には生半可な海外組よりの A-League ベースのチームを編成する事を確信するだろう。 
またインドネシアでは hit-and-run 方策をとるであろといった。それはインドネシアの設備が “私の見た中で最悪の”という理由からだ。

“ Asian Cup 予選はたぶん A-League 選手が中心だ。 World Cup とは異なる。 しかし国際舞台でアピールするチャンスを選手達に与えたい。 我々は常に海外組を探していた。たぶん数人のまだ代表入りしていない海外組を連れて来るかもしれないが、まだ判断を下す時ではない。 今は34人の選手がリストに上がっているがまだ試合までに5週間ある。それはコーチたちとまだ15ゲームほど見て回れるということでもし1~2人の選手が台頭したならメンバーに入れることになる。 私は各ポジション3人の選手を候補にしベストな選手を試合に起用したい。
インドネシア戦は容易に勝ち点3をとれると楽観しない方が良い様だ。 Graham Arnold コーチから訊いたが試合のあるスタジアムには6万人収容出来るらしい。 そして9万人も入ることもある。インドネシアは侮れない。しかしスタジアムのピッチは最悪だ。ここではトレーニングは出来ないだろう。” 

インドネシアで思い出すのは1989年のワールドカップ予選。 東京国立競技場が使えなかったので西が丘競技場での試合であったが天候は小雨、そしてピッチは芝が禿げておりインドネシアの関係者から”ここは本当に FIFA の査察を受けたのか?”とあきれられたほど。その試合こそ 5-0 で日本の圧勝であったが、インドネシアの選手の足先の器用さにしばしば感心させられた。 もしピッチコンディションが悪くなければアウェーのインドネシアにこれだけの点差は付けられなかっただろう。
アウェーで行われ2週間前のジャカルタの試合では80,000人の大観衆の前で 0-0 の引き分けであった。 2007年 Asian Cup 観戦に行った時、韓国対サウジアラビ戦では試合中に停電で10分程度中断してしまった....... しかし最もオーストラリアの選手達の前に大きく立ちはだかるのはピッチコンディションよりもあの蒸し暑さだろう.....

12月12日 Hungry Heffeman hopes Asian Cup is on the menu

昨シーズン Sydney FC の Ufuk Talay と交錯して足を骨折した Central Coast Mariners の Dean Hefferman が12月13日の Sydney FC 戦で復帰する見込みだ。 
“こういう事を考えた事もなかった。プレーしたくてうずうずしている。 Sydney FC 戦が復帰戦とは素晴らしい。 こういうチームを倒したい。 足を骨折したことは多くの考える時間を与えた。 そしてドイツへ出発する前の気持ちだ。 昨年ドイツから帰った時は必要なだけ集中していなかった。1年間ピッチを離れてプレーする事にどん欲になった。もう一度プレーできる事にエキサイトしている。

Dean Hefferman はかつて A-League 創設前にマレーシアリーグでもプレーし 2005年 A-Leauge の開幕と共に Central Coast Mariners と契約その翌年 FC Nurnberg に移籍するも出場機会にあまり恵まれず翌シーズン再び Central Coast Mariners に戻って来た。シーズン開幕からスタメン出場をほぼ毎試合続けていたが15試合を出場してから怪我でピッチを離れ Grand Final はおろか Final Series に出場できなかった。 今シーズンは怪我から復帰した第14節の Sydney FC 戦で途中出場を果たすと次節の Wellington Phoenix 戦ではスタメン出場を。そして今季は合計6試合に出場を果たした。2月6日と13日には Queensland Roar と Minnor Semifinal Match を行い Grand Final を目指す。

     


2月1日 The long-term cost for Pim’s senior moment

インドネシア戦では勝ち点は得たが貴重な機会は失われた。 
それは的を得た選出で創られた急造チームは将来的には何の見通しを示せなかったという事だ。14人の選手が起用されたがそのなかで Socceroos の新世代を担う選手は4人だけだった。十分に万人が満足するメンバー構成の中のスタメンでエネルギッシュで好印象を残した左サイドバックの Scott Jamieso そして途中出場の Matt simon, Billy Celeski そして Michael zullo らがそういった“新世代”の選手達と言えよう。
Pim 監督は多くのコーチがそうしたであろう様に上述のポリシーとは異なり試合に勝つために Senior player 達を起用した。そして、おそらく6週間後のクウェート戦もそうであると思われる。しかし私の考えはその方針は同意出来ない。 
なぜなら代表チームの展望は恐ろしく短い。このインドネシア戦そして次のクウェート戦、次々にやって来る。 FFA の新しい技術コーチ、Han Berger は素晴らしい意見を述べながら代表チームのプログラムに影響を与えるのに充分な期間そこに在籍しなかった。 これはすぐに変えることを希望する。時は彼が厳格な若い選手を育成者か彼の同輩の様な道を選ぶのかを教えてくれるだろう。試合に出た選手達、特に初の代表キャップを掴んだ選手達への祝辞にケチを付けるわけではない、これは選手選抜のポリシーの問題だ。私は Asian Cup 予選は次のワールドカップ以降の若手の登竜門とすべきと考える。これは今我々が手にしているチャンスで、それを浪費しようとしている。そのチャンスはアジアが与えてくれたものでそれまでは得ることが出来なかった。 これらの試合は代表チームのレギュラーが規則や体調の問題で出場できず、屈強な所属クラブと共存しながら行う困難なワールドカップ予選の試合ではない。 ここでわれわれはある程度の対戦相手とタフな環境で対戦するが彼らはアジアの列強ではない。ここに Verbeek に2つのオプションが残される。
A-League ベースのベテラン選手を中心にチームを作るか Olyroo 世代に2~3人のベテラン選手を彼らの経験のために加えるか、4人のベテランと4人の若手でなく。 何人かの人たちはそれは A-League の選手達を代表Aチームでプレーする機会を制限させてしまうと言うが私はそうは思わない。 Jade North , Adam Griffiths, Bruce Djiite, Nathan Burns そして Mile Jedinak らはレギュラー選手の怪我や不在で代表Aマッチや準備試合での出場機会を得ることができた。 それはまさに精密にあるべきことだ。  それ以上にポリシーとして、もし誰か代表チームを創る選手が本当にいなければ、若手達がそのポジションにつくべきだ。それは当然のルールで、フル代表が少なくとも2人のできれば3人の候補選手が各ポジションに、そして4番手、5番手の選手は将来的に向けての選手となるべきで、4番手、5番手のフルバックや中盤の選手であってはならない。そして決してトップチームには選ばれないが若手チームを選抜すると確実に入る選手である事だ。 私の懸念はもし我々が限られた Senior Player だけに頼ってその1試合か2試合しかない代表試合の選考を続けていればそのチームのレベルのみならず若い選手の将来性を育むというチャンスが摘まれてしまという事でそのチャンスは貴重なものということだ。 
Verbeek は再び次のクウェート戦には勝ち点重視のメンバーを組もうとしているそしてそれは FFA にとって筋の通ったこととらえられるだろう。 そして FFA はそれは任務を全うすることになると言うだろう。 私もそうだという。しかしすべての仕事を全うしたことにならない、将来的には几帳面であるべきだ。

インドネシア戦に出場した選手とベンチ入りした選手は下記の通りであった。

GK : Eugene Galekovic ( 27歳Adelaide United )

DF : Craig Moore ( 31歳Queensland Roar, CAPTAIN ) , Rody Vargas ( 31歳Melbourne Victory ) , Dean Heffernan ( 28歳Central Coast Mariners . 78分 Michael Zullo : 20歳Queensland Roar ) Scott Jamieson ( 20歳Adelaide United ) 

MF: Matt McKay ( 26歳Queensland Roar ) , Paul Reid ( 29歳 Adelaide United ) , Tom Pondeljak ( 32歳 Melbourne Victory . 68分 Billy Celeski 23歳 : Melbourne Victory ) Matt Thompson ( 22歳Newcastle Jets )

FW: Danny Allsopp ( 30歳Melbourne Victory . 57分 Matt Simon : Central 22歳Cost Mariners ), Archie Thompson ( 30歳Melbourne Victory )

Subs not used; Nikolai Topor-Stanley ( 23歳Perth Glory ) , Tarek Elrich ( 21歳Newcastle Jets ) , Dylan Macallister ( 26歳Central Coast Mariners ) , Danny Vukovic ( 23歳 GK Central Coast Mariners )

試合の3日前に全日程を終了した A-League のレギュラーシーズン。上位2チーム、Melbourne Victoryと Adelaide United から3人ずつスタメン入りを果たしている。 Adelaide の選手は ACL そして Club World Cup でお馴染みの選手もいると思う。 Jamieson は Waitakere United 戦で同点のヘディングシュートを決めた選手だ。 メンバーを見てみると結構”高齢”選手が並んでいる。 若手選手をもっと多用すると思ったのだが.......
個人的には元 Olyroos 候補の GK Vukovic がメンバー入りしていたのがうれしかった。 昨年の Grand Final で終了間際に審判に手を出して謹慎処分をくらい、北京五輪を棒にふったからなぁ.....

日本は俊輔、長谷部、遠藤らがいないとはいえ完全に B チームではなく 1.2軍と言えるチームではなかったか? 普段はシーズンオフのこの時期なので Asian Cup 予選の二試合は貴重ではなかったか?
しかしレギュラー選手がけっこういたので2連勝か1勝1分けで行って欲しかったなぁ......

 

オーストラリアの Asian Cup 予選の次戦は3月5日キャンベラで Kuwait 戦だ。 A-League の Grand Final も終わって10日以上が経っているのでそちらの試合の方の調整が難しいか.......
 
 


Asian Cup 紀行 イスラム教大国 インドネシア 7月11日

2007-08-19 | Asian Cup

7月11日は午前のシンガポール航空便でシンガポールからジャカルタに移動だ。
この日は雨が降っていたので外を走る事は出来なかった。いやそれを理由に走らなかった。現役時代、雨などは気にせず走りに出たのに。タクシーでチャンギ空港に。シンガポールはタクシー料金が安いので気軽に使える。(と言っても会社に請求するけど。)タクシーの運転手には確かにシンガポール航空に搭乗すると言ったのに違うターミナルで降ろされた。そこでスカイトレインに乗ってターミナル間を移動する。でもこんな事でもなければスカイトレインに乗車する機会もなかっただろう。
チェックイン、出国手続きを済ませ空港内に入るがここはいつもこの二つの手続きがスムースでありがたい。そして出国手続きを抜けるとそこには Shopping City と名付けられたブランドショップやお土産物屋がずらりと並ぶ。さすが世界一評判の高い国際空港だ。そして大きなスクリーンがありそこにはメジャーリーグのオールスターゲームが中継されていた。イチローが史上初のランニングホームラン Inside Park Home Run を放ち MVP を獲得したのを後で知ったのだが、このシーンは既に過ぎており試合はもう最終回だった。もし韓国人観光客がわんさといる前でイチローの快挙のシーンがアップになれば私も彼らの前で大きくガッツポーズを取ってやったのに ……
すぐ横のテレビ画面では前日行われたアジアカップのインドネシア対バーレーンの再放送が映し出されていた。この試合の結果は早朝の地元のニュースでも報道されたので知っていたけど、やはり詳細は見たいので足を止めて画面にかぶりつきになる。既に70分を過ぎておりインドネシアが 2-1 でリードしている。リードを許しているバーレーンの前大会はベスト4。今大会も上位進出を狙うが同組には韓国、サウジアラビアがいるのでインドネシア戦は負けられない。77分には John Akwani のシュートがゴールネットを揺らすがその前にハンドがあったの判定で無効に。直後に MF Al Dosri のシュートがバーを直撃する。80分にはMF の Mohmed Hubail に替えて FW のHusain Ali を投入する。二人とも2年前のワールドカップ予選の日本戦に出場し馴染のある選手だ。83分にはワンツーで抜け出た Abdulla Omar が抜け出で放ったフリーショートはゴールを捉えられない。84分には Rashed Al Dosari が下がりAbdulla Baba Fatabi が入れられる。そして Tatal Yusuf が放ったミドルはバーの上に外れる。バーレーンの猛攻が続く中インドネシアは MF の Elie Aiboy を下げてDF の Spardi を投入し逃げ切りを図る。アナウンサーは3年前のアジアカップではバーレーンがインドネシアを 3-1 で破ったことを話す。この試合は地元の大歓声を受けたインドネシアがリードしている。決勝点を挙げた Bambang Pamungkas がボールを持つと更に赤一色のスタンドから大きな歓声が後押しをする。87分には Talal Yusuf がボレーでゴールを狙うがその前にオフサイド。4分あったロスタイムを終え日本人の西村主審のタイムアップを告げるホイッスルが鳴り、大歓声がスタンドを包む。そして観客達が飛び跳ねているのだろう、画面が揺れている。これでホスト国はタイ、ヴェトナム、インドネシアと負けが無い。この結果をこの日対戦するサウジアラビア、韓国はどうとらえるだろう?
ジャカルタへのフライトは空席が目立っていた。約2時間のフライトの後ジャカルタ空港に予定通り到着する。しかしここからが長かった。インドネシアに入国するには入国ビザが必要だ。空港内で簡単に発行をしてくれる。私の場合は1泊しかしないのでビザ代金は US$10だったが、米ドルをもっていないのでシンガポールドルで支払う事にしかしなぜかシンガポールドルだと S$20請求された。それは仕方ないとして S$20 のレシートを発行してくれと頼むと、それがそうだと指さされた先には US$10 と印刷されている。少しの押し問答の末係官は手書きで S$20 と書いて投げ返してきた。ビザを求めて約1時間近く並んだ上にこう言う仕打ちは腹も立つが、もっと腹が立ったのは数人前に並んでいた日本人の集団。みなこの蒸し暑いのにスーツを着ており、漏れ聞こえて来る会話を総合すると商社とメーカーの偉いさんの様だ。若い奴があとから列に割り込んできやがった。それだけでない、やっとビザを貰って入国手続きをするとさっきの若い奴が私の前にいる。彼が順番を終え、私があとに続こうとすると隣のカウンターの前で並んでいたメーカーの偉いさんに“どうぞ。こちらへ。”と私がいるのに手まねきしている。頭に来てその若い奴と、偉いさんの間で立ち止まって交互に思いっきり睨んでやった。入国手続きが終わってもその若い奴を目で探してしばらく立ち止まって睨んでやったが、ここは鼻血が出るほど殴れば良かったと後悔している。どうせ一期一会なのだから。
海外にでると特に大商社のこうした振る舞いに何度か喧嘩をした事がある。大商社の連中は会社の規模が自分価値と同じと勘違いする馬鹿が多い。哀れな奴は定年して商売を始めた老人連中だ。定年前は何十億単位の取引をいくつもこなし、退職後はその延長とばかりに商売を始めるが定年前のキャリアーはその人間自身ではなく、大商社の看板にすぎなかったと気付きショックを受ける。
そしてもっと迷惑なのは大商社内での厳しい出世競争に敗れ、30代中盤から40代前半で他の会社に転職してくるバカだ。会社の看板で仕事していたのにそして自分の能力の無さに気付かず会社内に迷惑をまき散らす。もっとバカなのは大会社にいれば全てにおいて実力があると信じて、そういう落ちこぼれを拾い集める他の会社の幹部や人事達だ。今こう言う深刻な被害にあっている会社は少なくない。だから私は大会社、特に商社の連中は大嫌いだ。
頭から湯気を噴出しながら荷物をピックアップし街中に行くタクシーを探す。すると今度は私の自尊心をくすぐる事が。私の着ていたマレーシアで購入した NIKE の Asian Cup のポロシャツを見て、“シャトルバスをお探しですか?”と声を掛けてきた。税関を抜けて外に出るとすぐ Asian Cup の案内所の様なカウンターがあり、そこの一人が私の身なりを見て、報道陣に指定されたホテルまでのシャトルバスサービスがあると教えてくれた。残念ながら私はオフィシャルに登録された報道関係でないので上手く?断り、いつも使うタクシーで市内に向かう事にした。
タクシーの運転手は結構英語を話してくれた。そしてサッカーも好きらしく前日のアジアカップの試合等話が弾んだが、予約したホテルから試合のある Gelora Bung Karno Stadium までの行き方など詳しく教えてもらえた。心配していた試合後のホテルまでの足も“けっこうタクシーが走っているから難しくないと思う。”と言ってくれた。
実際彼が教えてくれたことは結構役に立った。
ホテルに到着し、すぐに仕事にかかった。空港でのビザ取得に時間がかかってしまい、アポの時間が迫る。なるべく夕食時にかからない様に仕事を終えないと食事を誘われてしまう。そうするとこの日のサウジアラビア対韓国の試合観戦が出来なくなるから….. 何とか仕事を終えて部屋に帰り、試合観戦の身支度を始める。そしてパソコンを….. と思うもここではワイヤレスは繋がらない。旅行会社の紹介では“室内にはワイヤレスのインターネットも接続できてビジネス向き”とうたわれていたのだが。フロントで訊いてみるとワイヤレスが繋がるのはロビーかビジネスセンターのある2階そして最上階から数階したのフロアーまでで直に全室完備になるとか…..もう俺は某エイビーロードは信用しない…….
キックオフの7時35分までまだ少し時間があったのでホテルに隣接しているショッピングモールに出掛けて昼食兼夕食を探す事にしたが、結局マクドナルドにした。店の店員や周りの数人が私の着ていた NAKAMURA の日本代表レプリカ(と言っても前にバンコックで買ったコピー商品。昨年のワールドカップでもずって着ていた。)を指さし、“オ~ナカムラァ~”とか“ジャパ~ン”と声を掛けて来る。前日の地元インドネシアの勝利の影響だろう。私も“インドネシア、ツゥー、バーレーン、ワン”と指を立てて答えると皆大喜びだ。
ホテルから Gelora Bung Karno 競技場までは途中で渋滞があったがタクシーで30分もしないうちに到着した。ここは試合の行われる陸上競技場のほかにも室内競技場が隣接する運動公園になっていた。ジャカルタの夜は涼しくはないが、シンガポールほど湿度も温度も高くなかった。競技場の門の前で当日券を求める。一番高い席で料金は200,000 IDR( インドネシアルピー )日本円で約2,860円。先程食べたビッグマックが IDR14,455 なのでビッグマックが約13個半分だ。それが地元の人々にはどれだけの貨幣価値なのだろう…. 出発前に AFC の Web Site から予約しようとしたがこの試合のネット予約はすでに終わっていた。そして販売通貨が IDR でなくマレーシアリンギット単位になっていた。インドネシアの通貨がそれだけ信用ないのか???
門の中に入るとサウジアラビアのサポーター、韓国のサポーターが多く集まっていた。そして地元インドネシアの子供達も。私が着ていたユニオフォームを見てみな“オ~ナカムラァ~、ジャパ~ン”と声を掛けて来る。中には“ナカァ~タァ~”と言う子供も。ここでも前日の勝利のせいかみな好意的だ。さらにサウジのサポーター達も声をかけて来る。中には“ジャパンとサウジアラビアで優勝を争いましょう。”と言う人も。残念ながら決勝戦では顔を合わせられなかったなぁ…..



そして韓国人は声を掛けてこない。競技場内への入口前で後ろに並んでいた小学生くらいの女の子二人連れがいたので英語と韓国語で“僕は日本人だけど、貴方達は韓国人?”と話しかけたらその後ろから彼女たちのお父さんが“日本人ですか?私達は韓国人です。”と日本語で答えられた。(別にナンパしようとした訳じゃないので)お父さんに。“日本語話せますか?韓国からですか?こちらにご在住ですか?”と質問の相手を変えると、商用でジャカルタに滞在しているとの事で、前は日本と仕事をしていたので日本語を覚えた事も教えて貰った。好ゲームを期待しますと言って握手をしてそれぞれの座席に向かった。階段の踊り場には多くの韓国人がいた。何人かが“テ~ハミングック”とか“ハングック”とか応援の練習を始めたので、私も“ニッポン!ニッポン!”と声を出したけど気がついたのは数人だけだった。



観客席に着くがそこは韓国人サポーターのまん真ん中。ここは NAKAMURA のユニフォームよりも Majour League All Star Game MVP の IHCIRO の方が充分に彼らを刺激できたか??それは良いとして陸上用のトラックそして濠まである上にスタンドの傾斜が緩やかで非常に見づらい。幸い?空席が目立つのでなんとか少しは見易い所を確保するのに一苦労した。やがて両チームの選手が入場するが、電光掲示板にはスタメンの選手が詳しく紹介されない上にピッチが遠いのでどんな選手が起用されているかを確認するのに苦労をした。

この試合の詳細は下記をご参照ください。

http://blog.goo.ne.jp/conty1ban/e/7ac5a8fb2aa798706c5d9629d189954c

韓国はGKに李雲在。ワントップには大会前のウズベキスタン戦2ゴールの曹宰榛。そして廉基勳、金正友、崔成国らが起用され金東珍、李浩のSt.Petersburg コンビも李天秀もベンチスタートだった。一方の情報量が少ないサウジアビア。2トップの左の20番 Yasser Al Qahataniは知っていたが右の9番の Marek Maaz は知らなかった。その9番が開始39秒であわやのヘッドを放つなど、“こりゃあ要注意だわ。”と思わせられる。(実際に準決勝の日本戦では2ゴールを喫した。) サウジのサポーター達も拡声器を持つリーダーの音頭に合わせて結構リズムよく声援を送る。またスタンドのあちこちに2005年8月1日に即位したアブドゥッラー国王の写真を掲げるサポーター達も。

前半を共に無得点で終えてハーフタイムの時に飲み物を求めて売店に向かうが、“ジュースのタンクが空になりました。”との答え。あらら、試合前に買っておけばよかったな。スタンドの中では韓国の女の子達がサウジの小さな男の子を追いかけわして記念写真を携帯で撮っている。日本代表のユニフォームを着た俺には声をかけない。すると大きなテレビカメラを持った男性がカメラを回しながら近付いて来るので“サウジアラビアから来たのですか?”と英語で話しかけると“私はカタールから着たけど、貴方は日本人?”と訊いてきた。どうもあの有名なアルジャジーラのカメラマンらしい。カタールと言えば日本が初戦で引き分けた相手。私は“OH~、 Sebastine Quintana !! “ と言うと彼も笑いながら握手を求めてきた。
後半が始まると今度はジュースを売る売り子を見つけたのでさっそく大声で呼んでコーラを買う。IDR5,000 ( 約70円)とありがたい。さすがにイスラムの国。アルコールは売りに来ない。(当り前か?)またサッカーの試合だと売る事はしないだろうし、売っていてもインドネシアはイスラム大国。そしてここはイスラムの戒律の厳しいサウジアラビアのサポーター席。誰もアルコールは買わないか? しばらくすると横にいた男性が英語で話しかけて来る。“貴方は日本人ですか?” 訊くと彼はインドネシア人で外資の会社で勤めており結構英語を理解する。サッカーはかなり見ており、80年代に日本の富士通などでプレーしたインドネシア人選手の事もよくしっていた。当然日本のサッカーも良くしっている。そしてこのアジア大会でも日本が優勝候補だ、韓国、サウジアラビアよりは上を言っている。イランは良いけど守備に問題がある。中国は優勝なんてできないと結構鋭く指摘する。また何故こんなにサウジアラビアのサポーターがいるのか?彼らはインドネシアに在住しているのか?と尋ねると、“半分近くはインドネシア人だ。イスラム教徒はサウジアビアを応援する。”と言っていた。同国2億2千万の人口のうちイスラム教徒は1億9千万人いるといわれており、1国のイスラム教徒信者の数は最大だ。前日のインドネシアの勝利、そしてベスト8の可能性を尋ねると、“まだ難しい。韓国かサウジに勝ったわけではないから。”と冷静だ。
試合は途中で停電の中断があったりして 1-1 の引き分けに終わった。ずっと話をしていた地元の男性とは握手をして別れ、出口に向かった。しかし階段が狭く大渋滞だ。この競技場は1962年のジャカルタでのアジア大会に向けて建設されたらしい。その後も陸上競技のアジア選手権なんかが開催されたのではないかな?何度か改修工事をしたのだろうが屋内も少し改修した方がいいだろう。遅々として進まない階段を降りる。こんなところで将棋倒しになると大参事になるのだろう、と思っていると競技場に入る時に話をした韓国人父娘と再会した。この韓国人男性にこの試合の印象を尋ねると今大会の韓国には悲観的になると言っていた。そして社交辞令もあるかもしれないが戦術に長けた日本のサッカーを称賛していた。しかし、こちらも韓国は昔からアジアでは勝負強さを持っているので良いところまで行くのでは、と言ったら、この日もそうだが韓国はこの18年間サウジアラビアに勝てない、日本はアジアカップでもサウジアラビアに勝っていると指摘。結構70年代からサッカーを見ているらしくほんの5分ほどだが70年代からのサッカー談議に話が咲く。”何故そんなに詳しいんですか?”と驚いた表情。
“韓国に来た事はありますか?私は日本の千葉県に数か月仕事で住んでいました。”
“前のワールドカップでソウル、蔚山、光州に行きました。光州では金大中(当時)首相を競技場でみましたよ”
“私は光州出身です。金大中氏は若いころからよく見ましたよ。”
“私が子供の時金大中氏が日本でKCIAに拉致されたのを今でも覚えています。”
そして二人の子供には小道具として持っていた韓国代表のキーホルダーをあげた。 “どうしてあなたがそんなものを?良いんですか?” “これオーストラリアで安く売っていたんですよ。私が持っているよりかは良いでしょう。” ってな具合で話がはずみ最後は堅い握手をして別れた。“良いご旅行を。”“そちらこそ、ジャカルタは暑そうなので身体に気をつけて。”
出口の門に向うと今度はサウジアラビアサポーターの人だかり。その中心にはなにやら大きなかぶり物をしたサウジサポーターがいた。こりゃいいと一緒に記念撮影。”これは重いから撮影料10ドル頂きます。”と言われた。もちろん冗談だけど。彼にも”Japan とサウジアラビアで優勝を争うでしょう。”と言われた。でもあのかぶり物は硬いもので出来ていたけど首が痛くならないのかなぁ...



帰りは公園の敷地内にオフィシャルのお土産物屋があったのでTシャツを買った。1着IDR99,000 ( 約1,400円)だったまだ着ていないので着心地はわからないけど。約10分ほど歩いて大通りに出るとタクシーが止まっていたのでそれに飛びのりホテルへ。こちらが何も言わないのにちゃんとメーター通りに走ってくれたので乗車賃は約IDR30,000 程度(約230円)だった。
ジャカルタはまだ仕事が少ないので街をよく知らない。それに言葉の問題もある上に、物乞いとまではいかないが昼間から路をうろうろしている大人や子供の男性が多いので外には出ない様にしている。もっと土地勘がつくくらいに頻繁に来れば(その前に仕事を作らねば)もっと動けるのだが…… 翌日は早朝のフライトでバンコックに移動だ。ホテルは午前4時にタクシーが迎えに来るので、部屋に帰ってシャワーを浴びたらもう12時前。急いでベッドにもぐりこんだ。明日寝坊しない事を祈りながら….. 続く。

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Respect.... What does it mean ....

2007-08-04 | Asian Cup
我々は何も Respect を示されなかった。見せられたのは Big Joke に過ぎない。

Vince Grella はアジアカップでオーストラリアと対戦した相手が Socceroos に対してなんら Respect やfootball の精神を持たなかった “恥辱” 異様なふるまいを攻撃する。まだ8日前のPK負けに終わった日本戦の高くついた物議を醸し出すレッドカードに怒り心頭のミッドフィルダーは Socceroos の対戦相手に親近感を与えた大会の審判達を酷評する。ナオヒロ・タカハラに肘を入れその悲鳴を上げたブルー侍を地面にのたうちまわらせて Grella が76分に少しはやいシャワー室への道を歩き始めて以来初めて彼はゲームマンシップを問うた、FIFA の Fair Play の旗のもとオーストラリアの対戦相手はシュミレーションや言い訳を披露し続けた。
“我々は対戦相手を respect し続けてい来たが彼らは無反応であった。” Grella はイタリアからこう言う。
“彼らは我々に悪いふるまいを続けた私はオマーン、イラク、タイそして日本の名前を書き小指に誓った、次回対戦する時に”
“オーストラリアに対して彼らがどう思ったかしれないがそれはジョークだ”
“イラクがゴールを挙げる度にカンガルーの様に飛び回った、それはまるででたらめだ。” “オマーンがゴールした時に我々の green-and-gold army サポーターの前で喜び勇んだ、それもまるで最低だ。日本は試合前に我々をレスラーの集団と呼んだ。” “彼らは我々をあおっていた。名誉ある国として彼らは自分たちのチームのふるまいを恥じるべきだ。それは受け入れられるものでなく恥ずべきものだ。ワールドカップでやっつけた様にまたやられると何が思わせたのか?”
“彼らは我々をはっきりと錯乱状態に陥れた- 私は試合開始前から彼らを殺したかった。彼らのふるまいは football の精神から逸脱するものであった。私は世界で最高のリーグでプレーし、対戦相手の半分以上の選手は名前もしらなかったが彼らを無名の集団とは言わないだろう。”
日本戦で一人少なくなりプレッシャーを受けたオーストラリアが大会を後にした事にいくつかの非難を浴びたGrella はタカハラの不正な行いと主審の無様な行いにさらされたと信じている。
“私は殆どタカハラに触れていない。彼はあたかも足が折れたかのようにのたうちまわった。” Grella はこう言う。“それは滑稽だ。それは1000回もやったことだ、そして驚いた事に直ぐにレッドカードが示された。”
“もちろん責任は感じている。なぜなら反則を犯したに過ぎないからだ。しかし同時にタカハラも審判を欺いたと感じた。”
Grella は矛盾したダイビングを含むゲームマンシップに目を向けない主審に憎悪を盛った。
“我々は全員腕に fair play のバッジを付けているがピッチ上ではその多くがなされていなかった。我々は矛盾に満ちた判定にストレスを感じた。”
“選手達は外に出される事もある。タイ戦でのスポーツマン精神に欠けた。タイの選手が痛んでいるので我々が攻撃に良いポジションであってもボールを外に出して選手を運び出させるのに試合を止めた。しかし主審は選手を外に出さず試合を続けさせた。我々はこう言った事実を忘れてはならない。そして彼らが将来オーストラリアに遠征した時に打ち負かさねばならない。しかし我々は nice 過ぎた。それが我々の精神だ。“
“審判達はダイビングや地面を転がりまわる事をもっと取り締まらねばならない。これは男たちの戦いだが常に男達だけの戦いでも無い。死んだふりをする輩がいればすぐに飛び起きて戻ってくるのもいる。これは我々のやり方では無い。もし叩かれてもすぐに戻ってきてプレーをする。”
“アジア達は我々を横柄だと見ている。しかし我々の協会は謙虚でただスポーツのルールに従おうとしているだけだ。”
Grella はオーストラリアフットボール協会にいくつか忠告がある“我々の協会は他に示している様に Respect を得る様にすべきだ。なぜなら AFC は我々を見下しているそしてそれは充分では無い。”

7月29日付オーストラリアの新聞から

Respect の意味はなんだろう?辞書でひくと動詞で“尊敬する”“敬う”と言う意味がある。名詞でも“尊敬。敬意”という言葉がある。 語源はラテン語の re : 振り返って spect : 見る 、振り返ってみる、人としての価値を認める事 とある。では我々の代表が Respect は無かったのだろうか?  Grella は昨年のワールトカップの日本戦の後でも同様に発言をしている。 マークをした中村俊輔がすぐにころころ転がってファールをもらおうとする。日本人は体格に劣るからオーストラリアの選手が寄って来るとすぐに転んでファールをもらおうと主審を見る。これは Respect に欠けるプレーだ。中村俊輔はワールドカップでは Grella , Lukas Neil に厳しいマークを受けた。そして足を親指の爪が剥がれるほどガンガン踏まれた。しかし中村俊輔は相手が Respect に欠けるとはいわなかった。
では Grella は本当に高原に触れなかったのだろうか?? 一度日本製の数十インチの液晶ワイドスクリーンでそのシーンを見れば良い。この表現も昨年ワールドカップで物議を醸しだした中村俊輔の先制ゴールを認めた主審に対してオーストラリアの新聞が使った表現だ。イラク戦を観戦したが彼らが決めた3ゴールの後に選手は喜びを爆発させたがそれは見ていて不快になるものではなかった。最も不快に感じるのは失点を許したオーストラリアDF陣なのは事実だが。
それにイラク戦では高温多湿にイラついた選手の何人かは、特に Kewell はイラクのタフな守備に最後の方はファールを貰いに行く様なプレーを。日本戦も中村俊輔のタックルに触れられもしないのにダイビングを試みイエローカードを貰っていた。また Grella 自身、今シーズンは TORINO でのプレーが決まったが、自ら世界一のリーグでプレーをすると言うおごりがあるのではないか?カカーやインザーギ、ガットゥ-ゾが言うならわかるけど。
日本がオーストラリアに遠征に行ってもいいけどその時はイタリアから帰って来てくれるかい??
帰ってこれるならばその時はピッチにはコンスタントに立っていないだろう。

ならば帰ってこれた方が面白いけど.

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準々決勝後のオーストラリアでの報道から

2007-08-03 | Asian Cup
ディフェンディングチャンピオンの日本は昨夜のグラハム・アーノルドのチームが彼らのサポーターが待ち続けていたパフォーマンスを披露した準々決勝のスリリングな(120分間の)試合の後に10人になった勇敢なオーストラリアをPK戦にで破った。これは決勝進出を占う試合で世紀の対決にふさわしいものと証明された。日本は準決勝戦をウズベキスタン対サウジアラビアの勝者と対決する事になり、オーストラリアは再編成を余儀なくされ傷をなめねばならなくなった。
Harry Kewell と Lucas Neill の二人のビッグネームはタカハラナオヒロがPKをふかしてしまい僅かに Socceroosに期待を抱かせる前に最初の2回のPKを外した。しかし昨年ワールドカップのオーストラリア戦の敗戦後気を取り乱した大型センターバックのナカザワユウジは試合を決定づけるショットを決めた。 20か月前のウルグアイとのプレーオフの様にPK戦で英雄になり損ねた Mark Schwarzer は延長戦のナカムラシュンスケのシュートを驚異的な反応で防ぐなどオーストラリアを活気付続けた。
オーストラリアは69分にリードを奪い準決勝へのコースの停泊位置を見た。昨年カイザースラウテルンで日本のハートを砕いた John Aloisi は Harry Kewell からのコーナーキックをゴールマウスの混戦からMark Bresciano がスルーさせたボールに反応し、ファーポストに現れボレーを叩いた時再び日本を恐怖に落とし入れた。
しかし Socceroos の歓喜は長くは続かなかった。2分後に若い Sydney FC の Mark Milligan による守備のエラーがタカハラに同点ゴールを献上した。 Milligan がクリアーを誤り長身の日本人ストライカーがドリブルで Milligan を抜き去り放ったショットはポストをかすめてゴールに吸い込まれた。それまで自信を与えていた21歳の Milligan にとって悲嘆の瞬間であった。オーストラリアは76分クウェート人の Saad Al Fadhli 主審が闘志満々の MF Vince Grella を、中盤で空中戦での競り合いで高原の顔に不当に肘を入れた時に退場処分にした時にそれから越えねばならない山を迎える。両者は正に激突した。しかし攻撃陣はすぐに再編成せねばならぬほど深刻には見えなかった。オーストラリアは頑強な意思を持って守備に徹した。そして組織的に今大会それまで看られなかったスタイルでプレーをした。前大会王者には敗れたが彼らは再び築いたプライドを持ってヴェトナムを離れるだろう。そして4年後の次の大会でタイトルを手にする為に必要とされるものをよりよく理解した。 Socceroos は充分な根拠を示され近大会の彼らのプレーについて批判の洪水を受けた。しかしタイ戦の勝利後、Graham Arnold 監督はチームは良くなっていることを主張、選手達の日本戦のパフォーマンスは他の誰よりもすばらしいものと分かった。開始直後 David Carney はAloisi, Mark Viduka に良く絡み日本の左サイドを(オーストラリア側から見て)を支配し、警戒を引き出した。オーストラリアはより組織的に見え、そして彼らのタッチや動きは高い技術を持ちそれを強固にコントロールする相手には効果的であった。 11分に最初に枠にシュートを飛ばしたのは Viduka だったがエンドーを振り切り放ったショットは難なくカワグチに抑えられた。30分を過ぎると日本はペースを上げ、試合を支配し始める。タカハラが Neil を振り切りペナルティーエリア内でボールを支配するがもう一人フリーでいたナカムラに気が付かなかった。 Grella の退場後、オーストラリアはスローダウンし、選手をボールの後方に集め Kewell をワントップに残しチャンスを伺った。 Arnol監督はTim Cahill をMark Bresciano に替えて、Nicky Carle を試合の終盤に Aloisi に替えて投入した。日本は人数の多い分オーストラリアの後方を狙おうと喘いだが結局はPK戦にもつれ込んだ。

以上は Sydney Morning Herald 紙の一部だ。敗戦を真摯に受け止めている様子だ。また下記の様な記事もあった。

顔を上げろ、若者よ – オーストラリアを誇れ 敗れたが屈し無かった。ある重要な識別。暑くて汗のしたたるハノイで叙事的な事件となったアジアカップ準々決勝で前回王者にPK戦で敗れたあとに対する反対告訴が始まった時にこう言われた。日本に敗れる事、それ自身は、失敗ではない。日本は恐らくアジアではベストチームだ、そして世界でも最も拮抗した試合だった。皆が知っているPK戦は技術を問うものでなくじ引きの様なもの。しかし準々決勝は失敗として残りそれを Graham Arnold 監督よりもよく知る者はいない。前半の戦いは大いに Soceeroos 達に期待でき層であった。そしてそれ以前の試合に比較して大いに改善された。 Mark Brescaino とJason Culina のどちらかが献身的に Grella をかわるがわるサポートする3-5-2 システムが効果的であった。中盤を遮断し Viduka と Aloisi はボールがない時にスペースを埋めオーストラリアはバンコックで出来なかった何かをやり遂げた。この大会初めて Socceroos は一定水準のチームに見えた。開口から Arnold は満足な理由を並べた。

この日本戦が大会で最高のパフォーマンスとされている。1次リーグが期待はずれだったからなぁ…. また各選手達の評価を下記の通りに記している。 Brian Brownstein 氏の書いたオーストラリアの選手達の寸評は下記の通りだった。

オーストラリアはアジアカップを後にした。それは正当なものだ。日本のパスまわしは良く、試合の店テンンポを支配した。ボール捌きも落ち着いており Socceroos 達がボールを持った時ははより慌てていた様だ。日本はあらゆる理由でベストチームではなかったそしてゴール前での実質的なものが欠けていた、しかしオーストラリアより技術の高い選手がいた事は事実だ。 Scocceroos は本当の創造性を披露しなかったそしてゴールシーンを除くとチャンスらしいチャンスを作ったと言う記憶が無い。そうだ。オーストラリアはハートとファイトを見せ延長戦にはいっても日本に得点を許さなかった。そしてそれに値をするものを得た。しかし疑問は沸き起こる、なぜ日本戦で見せた根性をオマーン戦やイラク戦で見せなかったのか?恐らく今大会はそんなに失望する結末にならなかっただろうに。

マーク・シュヴァルツァー (6)延長戦では素晴らしいセーブを披露。しかし再び彼の頼れるベストなパフォーマンスでもなかった。いくつかのボール捌きの失敗をし、我々が彼に期待した様な堂々とした風格に欠けた。



ブレットエマートン (6) Blackburn のスターの能力である前線への攻撃参加は Socceroos の弱点を証明した。特に前半の日本はオーストラリアの後方を顕著に突いていた。大会を満足に後に出来た選手の一人。

ルーカス・ニール (6) おそらく今大会彼にとって日本戦が最高の出来ではなかったか。しかしPKを失敗した事がこの West Ham のディフェンダーが葬られる事に。

マーク・ミリガン (6) クリアーをミスし日本のゴールを許失敗を。しかし延長戦では命がけで日本の攻撃を食い止める。

ミカエル・ビーチャンプ (6) (巻との)空中戦で敗れ日本のゴールを作る原因に。しかしそんなに悪くもなく Socceroos の将来を明るくする。

デヴィット・カーニー (6) 日本は執拗にカーニーの裏を突いたそしてそれが効果的だった。まだ私は彼が左のウィングバックを任せられるとは思わないが何度もタフさを披露しそのパフォーマンスで喜ばせ、PKも素晴らしかった。 

ヴィンツェ・グレッラ (5) 不運な退場はただ大会に親指を立てるだけであった。 Torino の男はただ彼のベストパファオーマンスを披露出来なかった(例えボールを奪われる事が日本戦ではそれまでの試合よりは少なかったが) Serie A に戻れることが嬉しいだろう。

ジェイソン・クリーナ(6) 大会で評価を高められなかった選手の一人。この日は PSV の中盤選手から頑強なプレーが披露されたがそれ以上は無かった。

マルコ・ブレシャーノ (5) 献身的な動き、しかしオーストラリア陣内の奥深く彼には Aloisi, Viduka のサポートは難しかった。70分に交替で出場した Cahill の方がより相手に脅威となった。

ジョン・アロイージ (6) 得点シーンのファーポストへの走り込みはナイスランであった、しかし再びそれ以外は殆ど何もなかった。少し前線で孤立気味、そして時にはボールを拾いに自陣に下がる事もそれがオーストラリア選手の欠点か?81分に交替で下がる。

マーク・ヴィドゥーカ (5)得点を付けるのは難しい。なぜなら本当の実力を放ったが我々が知っているような相手の守備陣を困難に陥れる時間は与えられ無かった様だ。それがサッカーの試合だ。代表のシャツを着るのがこれで最後か?60分にベンチに下がる。

ハリー・キューウェル (6) Grella が退場になってからはワントップをよくこなした。延長戦では卓越した前線での動きを。そしてオーストラリアで唯一のワールドクラスの選手として残った。PKの失敗を問われるであろう。

ティム・ケーヒル (6) Grella の退場により自陣の深い位置でプレーせねばならなかった。それは本来のポジションで無く効果的で無かった。PKは良かった。

ニック・カール (5) 彼にとっては出場出来た事で良い大会であっただろう。しかしインパクトは与えられなかった。PKは良かった。 このアジアカップ準決勝戦はオーストラリアにとってもたんなる準々決勝では無かった様だ。それに退場にされた Grella の怒りはまだおさまらない様だ….. 続く

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少し前のことだけど 準々決勝 Japan 1( PK4-3 ) 1 Australia

2007-08-03 | Asian Cup
7月21日。次のオーストラリア出張が楽しみになるその結果が告げられた。
この日は早朝東南アジア出張から帰国し、そして夕方は自治会の納涼大会での愛息のよさこいソーランの披露を堪能し、残るはアジアカップの準々決勝の大一番だけであった。
今大会優勝候補のオーストラリアは序盤から調子があがらず、初戦のオマーン戦は Tim Cahill のロスタイムのゴールでようやく引き分け、続くイラク戦は1-3で完敗。イラク戦は現地で観戦したが、“これが昨年日本中を不幸のどん底に陥れた Socceroos 達なのか?”と眼を疑った。パスは全て足下、スタメン出場の Kewell はあの一瞬のスピードが無くLukas Neil を始めとしたDF陣もイラク攻撃陣の動きに後手を踏む。現場にいた多くの Aussie サポーター達を失望させた。そして1次リーグ落ちかもと、心配もさせた。最後のタイ戦では Carney, Milligan といった Sydney FC 所属の選手を入れ コンディションが今一のKewell をベンチに下げて Aloisi とViduka の2トップに布陣を替えた事が功を奏して 4-0 とタイを圧倒し準々決勝進出を決めた。しかし、このタイ戦はキックオフの時間が日没後の午後7時半。これがイラク戦の様に日没前の午後5時半からのゲームであればどうなっただろうか?

ヴェトナムのハノイで行われた準々決勝。オーストラリアの布陣は Aloisi, Viduka の2トップに中盤は Willkshire が累積警告で出場停止。 David Carney が起用され Bresciano と攻撃的MFにそして守備的MFには Grella と Culina が。DFにはイラク戦で退場になった Lukas Neil が戻って来て Mark Milligan も入り Beachamp, Emerton と4バックを組んだ。昨年の日本戦をプレーした選手が結局 A-League 組の二人を除いた9人となった。一方の日本はヴェトナム戦と同じスタメン。5人の選手が Kaiserslauterun でオーストラリア戦に出場した。試合は開始からオーストラリアが出て来る。 Viduka が前線に張りだすのは昨年と同じ。そのすぐ後ろに Aloisi と Bresciano が出て来る。恐らくバンコックよりも蒸し暑いハノイで先制をして後は守りを固めて逃げ切ろうと言うゲームプランか? 
しかし20分を過ぎると運動量に差が出てきた日本がボールを支配する。ボール支配率そしてシュート数で日本が上回るのは昨年と違うところだ。前半を 0-0 で終えたが、選手の表情を見ていると明らかにオーストラリアの方が疲弊している。欧州をベースにプレーをし、東南アジアの気候に慣れない様だ。 61分、Kewell が投入されるが替えられたのは何と Viduka だった。これは助かった。 Viduka は高さだけでなく
くさびの強さ、そしてシュートも撃てる上手さがある。 Kewell のドリブルも厄介だがもっと脅威な Viduka を下げてくれた。しかし先制点はオーストラリアだった。 CK から最後は ファーサイドに流れてAloisi に押し込まれてしまった。 Aloisi にはワールドカップでも決められ、日本戦連続得点だ。



これでオーストラリアは守備を徹底的にに固めるだろうと、思う間もない3分後俊輔の CK を巻が折り返し、Milligan のクリアーミスを拾った高原がゴール前でテクニックを見せてシュート。クロスバーの内側に当たりながらもオーストラリアゴールに吸い込まれすぐに同点に追いついた。若い Milligan のクリアーミスからの得点だったが、その後の高原のボールコントロールはお見事。ワールドカップでは俊輔の先制ゴールの時に GK Schwarzer と接触し、オーストラリアの新聞に “たまに HSV Hamburg でプレーする Takahara はラグビーをした方が良い。”とか嫌味を書かれたが、これで“ Bundesliga で10得点以上の実力を証明”出来ただろう。


オーストラリアは71分に Bresciano を下げて Cahill を入れてきた。あの日本相手に2ゴールを決めた Cahill だ。アジアカップでは途中出場で良い働きをしていたが、 Viduka 抜きでピッチに立つのは今大会初めてだ。75分 Vincenzo Grella が空中の競り合いで高原の顔をはたいて一発レッドが出る。故意でないにしてもあれだけ手を上げて飛べばファールにならない訳がない。なかなかピッチを後にしない Grella 。Neil も執拗に抗議するが判定は変わらない。一人少なくなったオーストラリアはこれで Kewell と Aloisi を残してゴール前を固めてしまう。日本も攻めているがラストパスが通らず、GK Shcwarzer の好守もあり、途中交代の佐藤、矢野そして今野も得点を演出できず、試合はPK戦に委ねられた。 Schwarzer は2年前のウルグアイとのプレーオフでの立役者。しかしそれを上回ったのは川口のファインセーブ。 Kewell, Neil を連続ストップし、見事に昨年の雪辱を果たしてくれた。昨年好守を連発しながら、自らのミスで同点に追いつかれ、以降連続失点を喫してしまい、ワールドカップ第二戦のクロアチア戦ではPKをストップし、スタンドにいた私を狂喜乱舞させてくれた守護神は是非オーストラリア戦で何とかとこの試合に掛ける思いは人知れず大きかったに違いない。そしてこの夜は日本の熱帯夜を快適にしてくれた立役者だった。



 勝敗を分けた点は何だったのだろう?

①  いくつかの幸運
運も実力のうちとはよく言ったもの。昨年のワールドカップに比較すると幸運は日本にあった。まず試合開始時間。午後5時20分と言う試合開始時刻は日本に大いに味方をしただろう。グループリーグ第三戦のタイ戦では何人かの選手を入れ替えた事もあったが、イラク戦と比較して動きが全く違った。それは日没後の午後7時半のキックオフ時刻。そして試合途中で雨が降って来たように欧州をベースにプレーする選手達にとってイラク戦よりかはずっとやり易いコンディションではなかったか。ハノイはバンコックよりも蒸し暑かったと聞く(それだけでもバンコックの気候を知る私は驚きだったけど。)日本はハノイの気候に順応していたそこにバンコックから入って来たオーストラリアの選手達は気候に順応する間もなくしかも日没前のキックオフでコンディションは日本に味方しただろう。昨年のワールドカップのオーストラリア戦。根城のボンからカイザースラウテルンに移動した日本代表は宿泊したホテルに空調設備が付いていなかったと言う大失態。あの時ドイツ入りした人ならわかると思う。例年以上の暑さでとても空調無しでは過ごせなかった。私が泊まったホテルもそうでたいへんだったぞ。それに東南アジアでの大会は殆どのオーストラリア選手にはあまり経験が無かったのでは?オーストラリアは6月20日にシンガポール合宿に旅立ち、シンガポール代表との練習試合を行い7月4日にバンコック入りをした。だが欧州での激戦を終えた選手達のコンディションは充分にあがって来なかった様だ。タイ戦での快勝は休養充分のオーストラリアでプレーする David=Carney, Mark=Milligan の起用も寄与しただろう。そう言った東南アジアを“ホーム”に出来た日本とは試合前に大きな差が付いていたのかも知れない。 1984年シンガポールで開催されたロス五輪予選。日本は4戦全敗であったが、ニュージーランドもロス五輪最終予選は1次リーグ最下位に終わっている。それとこれと無関係とは言えまい。

② 選手起用
Arnold 監督はタイ戦と同じ布陣を起用した。しかし Viduka のワントップの方がDF陣はやりにくかっただろう。フォローする Aloisi はスピードに欠けていた。そして Bresciano が前線にせり出す事は少なくむしろ Viduka, Aloisi は孤立した。 怪我の状態も考慮されたのだろうが Cahill がスタメンで来られる方が日本のDF陣はやりにくくは無かったか?そして途中の選手交代。ワールトカップではCahill, 長身の Kennedy そして Aloisi と次々と攻撃に選手が増やされたが、この試合では攻撃選手の増加はしなかった。 Grella の退場はあったが、 Kewell は Viduka を下げてまで使う状態では無かった。それはワールドカップで日本が加地の負傷による欠場と坪井の負傷交代があったからともいえる。3人目の交替選手 2006/07 のA-League Player of the year Newcatsle Jets 所属のNicky Carle が投入されたのは個人的には嬉しかったが、起用を考えると??であった。ならば守備的中盤の選手を入れて Cahill を前に上げればよかったと思う。その方が脅威なのだけど。でも Nick Carleには来るシーズンの A League も頑張ってほしい。この試合は既にトーナメントに入っていた。ワールドカップの試合よりもリスクを負うべきと普通は思うが、ワールドカップとアジアカップはステータスが違うのか?それにしても Kewell は調子が出ていなかったなぁ。明らかに相手のファールを待つプレーが続き、得意の突破を見せる機会は数えるほどだった。次のシーズン大丈夫か?それとも Premier の為のアジアカップだったのか?

③ PK 戦に持ち込まれて
120分で勝負がつかなかった。オーストラリアのゲームプラン通りに最後は Middleborough の GK Shcwarzer に賭けたのだろう。しかし、守りを固められてなす術が少なかったのも事実。ここはドリブルで突破出来る選手がいればと思った。田中達也とか大久保とか若い時のマラドーナとか(誰でも欲しいわ)。そうすればPKも誘えたのに。それに俊輔はもっとミドルを狙っても良かったのではないか?オシム監督が怒るかもしれないけれど。 Grella が退場になっていなければどうなっていただろう?ゴール前でもっとスペースが出来ていただろう。そして Viduka の引っ込んだオーストラリアは攻撃でも苦戦したに違いない。 総括すればアジアでの戦いを日本はよく知っていたことが大きな勝因。それはオーストラリアが最も恐れていた事でその対策を講じていなかった事がベスト8で帰国する原因になった。大会後オーストラリアはアジアでの戦いについて議論を重ねるだろう。この広いアジアをホームアンドアウェーでどうカバーするのか。欧州でプレーする選手はオーストラリア大陸にまで戻ってプレーせねばならないのか?そのコンディション造りはどうするのだろう? 地元のマスコミはこの敗戦をどう伝えているのだろうか….. 続く

 

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あぁ 終わってしまった Asian Cup 2007 でもアジアは広いぞ

2007-08-01 | Asian Cup

7月29日。アジアカップはイラクの優勝で幕を閉じた。
サウジアラビア対イラクの決勝戦。 Gelora Bung Karno Stadium は公式発表では 60,000 人の観衆が集ったらしいが、その中の有料入場者は何割だったのだろう? この Gelora Bung Karno 競技場は 1994年の AFC U-20 大会で日本 U-20 が中田英寿、奥大介、安永らを擁して1979年以来16年振りの FIFA U-20 の出場を決めた思い出の競技場だ。1979年大会は日本がホスト国。従って初めて U-20 レベルでアジアの壁を突破したのがこの競技場。
サウジアラビア、イラクの両国は前回のアジアカップではグループリーグで対戦氏イラクが 2-1 で勝っている。1996年大会でもグループリーグで対戦。この時はサウジアラビアが 1-0 で勝っている。1993年のドーハでのワールドカップ予選は 1-1 で引き分けている。
この日、サウジアラビア、イラク共に準決勝戦と同じスタメン。下馬評ではサウジアラビアが圧倒的に有利。政情不安で準備不足が否めないイラクの大苦戦が予想された上、決勝進出を果たしたイラクは既に評価を得ていた。
イラクのスタメンでは MF の Qusai Munir が Arbi に所属する以外はすべてイラク国外のクラブチームでプレーする。その内訳はヨルダンが二人 ( DF Mohammed Gholam , DF Abdur Amer ) カタールが二人 ( MF Jassim Mohammed , FW Younis Mahmound ) あとはDF Bassim Abbas ( レバノン ) MF Nashat Akram ( サウジアラビア ) MF Mulla Mohammed ( U.A.E.)  DF Ali Hussein Rhema ( リビア ) MF Mahadi Karimi (キプロス ) GK Noor Sabri がイランの Mes Kerman 所属だ。控え選手12人もイラクのクラブに所属する選手は半分の6名に過ぎず、残りはイラン(二人)レバノン(二人)そして キプロスとヨルダンが1名ずつとなっている。しかし、イラクの国情は今に始まった事ではない。1986年メキシコワールドカップにイラクはアジア予選を勝ち抜き本大会出場を果たすが当時はイラン・イラク戦争の中、イラク国内ゲームが認められず全て第三国でのホームゲームでありながら本大会出場を果たしている。サウジアラビアの方も“国情。(宗教的な理由と言った方が?)” があり登録選手全員がサウジアラビア国内のクラブチームの所属する。 
サウジアラビアの注目はマレク・アルサウハウィとヤセル・アルカフタニの強力2トップ。一方のイラクはFWユリス・モハマンドとターヘル・ハヴァーが注目だ。今大会の決勝戦は1996年大会以来中東勢同士の決勝戦となったが、この両チームは特徴がだいぶ異なる。サウジアラビアの方が“日本的”にボールを繋ぎ前線にビルドアップしていく。一方のイラクはフィジカルを前面に出した攻守に渡ってタフにプレーするスタイル。サウジ自慢の2トップ、アルサウハウィ、アルカフタニ共にイラクDF陣の前に思う様にプレーできない。一方のイラクFWモハマンド、ハヴァーはサウジのしつこいDFもなんのその相手DF陣を引きずりながら前に突進してくるタイプ。しかし何度か掴んだチャンスはGKアル・モサイレムがセーブ。なんとか打開をしたいサウジアラビアは後半からゲームメーカーのアル・モウサを入れるが替えられたのはA.アルカフタニ。攻撃のヴァリエーションを増やす為に二人とも入れておけなかったか?そして73分ハヴァーのCKをファーサイドにいたモハマンドが頭で合わせイラクが均衡を破る。

大喜びのイラクベンチ。だがサウジアラビアもこれでは終わらないと思った。だが試合はそのまま目立ったサウジアラビアの抵抗もなくタイムアップ。1984年大会から続いたサウジアラビアと日本のタイトル独占にピリオドが打たれた。イラクはこれまでワールドカップ、五輪の出場がありながらアジアカップでは1976年大会のベスト4が最高の成績。しかし、2004年のアテネ五輪ベスト4のメンバーをベースに見事初優勝を勝ち取った。イラクのターニングポイントとなったのは準決勝の韓国戦。韓国優勢で試合が進みながらPK戦に持ち込み決勝進出を果たした。個人的には優勝はシード国(日本、オーストラリア、イラン、韓国)+サウジアラビアのいずれかから生まれると思っていたのでイラクの優勝には少し驚きだった。とはいえ、決勝戦ではイラクを応援したけど。
3位決定戦の日韓戦を ブラッターFIFA会長が観戦に見えていたが、3位決定戦と異なり決勝戦を観てアジアのレベルを判断して頂きたい。
大会を通して感じた事は“欧州組み”と言うレッテルのみではレギュラーを確保できないと言う事。極論ではあるが、決勝戦にピッチに立った選手で欧州でプレーする選手はいなかった。日本は1次リーグから通算6試合を行った。パス回しや組織プレーでは他国を圧倒していただろう。闘莉王がいて阿部が本来のボランチにいればもっと違った戦いが出来たかも知れない。だが決勝戦で観た様な選手の個人力、一人で局面を打開出来る選手が少なかった。中村俊輔にしても、もっと個人能力を前面に出しても良かったシーンがあったと思う。
1次リーグのヴェトナム戦から3試合連続で先制されるなかですぐに追い付くあたりは日本の強さを見せつけられただろうが、高原の様な個人でシュートに持ち込める選手こそFWと思う。高原とてこの日のイラクDF陣を前にすればどれだけやれるかわからないが。オシム監督の推進する“組織サッカー”は日本人の個人能力を見切っての方策だろうか?帰国後個々の能力アップを示唆していたけど。それでも中村憲剛や阿倍、国際大会初出場の選手達の今後の延びしろが楽しみだ。これに先に終わったFIFA U-20 そして五輪世代が加わるのか…. でもヴェトナム、サウジアラビア、カタール。五輪予選で対戦する国はアジアカップにも五輪世代を多く送っていたぞ。
それにホスト国の健闘が光ったとの事だが、私はタイはもっとやれたのではと思う。オーストラリア戦ではもっと守備的に引き分けを狙えなかったか?それとも日没後の午後7時35分と言うキックオフ時間は実力をそのまま出させる時刻だったのか?インドネシアも後一歩が。でもサウジアラビア、韓国相手にあの試合内容は健闘だろう。マレーシアはふがいなさすぎたがヴェトナムは予想以上の健闘だった。優勝したイラク戦も良い試合ではあったが。 
それから大会運営。東南アジア事情を熟知しない人は大変だっただろう。座席案内は全くいい加減。競技場内でも座席の指定はあってないようなもの。 VIP 席には侵入し放題。その上記者席にもほとんどフリーパス。もう少しお土産品がなかったかな?しかしTシャツは安かった。そしてNIKEショップのポロシャツはいい記念になった。それに空席が目立ち過ぎ無かったか?興行的にはどうだったのだろう?しかし、競技場内の飲み物とかは安くて有難かった。ハーフタイム中には人が多くて間に合わなかったけど。しかし日韓が激突した3位決定戦もジャカルタで出来なかったか?何故 Palembang で行う必要があったのだろう?前回のアジアカップも決勝戦と同じ競技場で3位決定戦を行ったのに。 Palembang に行った日本、韓国の協会は宿泊設備の手配、Palembang までのアクセス手配に不手際が多すぎると抗議文を提出するとか。しかし抗議をされた当事者は何も感じないと思う。
東南アジアの株価が下がり始めた昨今、大会を1年前倒しで行ったのは良かったかも知れない。しかし4カ国共同開催は机上の空論で止めておくべきであっただろう。

昨年のワールドカップに続いて現場で大会を楽しめる機会があった。日本戦は看られなかったがアジアカップは日本も参加している大会で自分も当事者の様な気がする。それに日本代表はどこの国に行っても人気だ。次回のワールドカップは南アフリカ、アジアカップはカタール。ちょっと“足が”届きそうにもない。オーストラリアが2015年のアジアカップに立候補すると言う話を聞いた。

8年後か….. それまで体を大切にしよう。その時は息子はもう成人している。
ならば家内とフルムーン旅行….. 納得するかな?

その前に離婚されないようにしよう…..

 

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両国譲らず 15.July Iran 2-2 China

2007-08-01 | Asian Cup
7月15日。クアラルンプール入りして2日目は時折日が差すが朝から殆ど雨だ。この日はイラン対中国の試合があった。この雨はどちらに有利に働くのだろう?
思い出すのは1997年大連で行われた中国対イランのワールドカップ予選。2点の先行を許したホームの中国に対し、イランは4連続ゴールを叩き込み豪快に中国をねじ伏せた。また前回のアジアカップの準決勝でも両国は対決しPK戦で中国がイランを退けた。この中国の対イラン戦の勝利(公式にはPK勝は引き分けだけど)1994年のアジア大会以来10年振りの勝利だった。
中国は初戦地元のマレーシアを 5-1 で粉砕している。イランはウズベキスタンに先制されるも2-1と 逆点勝利を収めた。この組の本命はイラン。2位争いを中国とウズベキスタンが争うと見られていただけに、中国が引き分け以上だと次のウズベキスタン戦が非常に有利立場になるところであった。
試合開始前には雨も上がり、競技場は中国、イランの大サポーターの声援が雰囲気を盛り上げる。イランサポーターの声には力があり、昨年ワールドカップで聴いたあのイランサポーター達の応援のリズムがここでも聴かれた。中国サポーター達は若者が多いせいか統制がとれている。中国はマレーシア戦と同じスタメン。警告を受けたDFの李偉鋒、鄭智 の二人は警告を受けない様にせねばならないが、なぜマレーシア戦では大量リードした後に警告を貰うような愚行をしたのだろう?一方のイランはウズベキスタン戦スタメンの UAE Al Emarat でプレーするRasoul Khatibi に替わり MF 登録の Hossein Kaebi が起用された。 Kaebi は2002年当時16歳で代表デビューを飾った22歳の選手。またウズベキスタン戦で逆転ゴールを決めた Kazemian もベンチスタートだった。
試合は開始早々から中国が圧倒する展開。開始20秒には早くも韓鵬が強烈なシュートを放ち、その後のCKでもショートコーナーからあわやのシーンが。3分には左のCKからイランGK Rodbarian がこぼした所を韓鵬が拾い、張耀坤に繋ぐが最後はミスキック。完全に1点ものだったが。中国の立ち上がりの猛攻撃は相手が同格かそれ以下なら、いつものことだ。1987年広州で行われたソウル五輪予選、1992年北京でのダイナスティカップ、立ち上がりから日本を徹底的に攻め続けながら最後のフィニッシュが悪くチャンスをつぶし続ける間に日本が先制をするとそのままずるずる土俵を割ってしまった。2002年のワールドカップでも初戦のコスタリカ戦も立ち上がり総攻撃を見せながらゴールを割れずに、失点を喫し試合を落とし、結局1次リーグ3試合3連敗、無得点に終わった。
そんな事を思い出していると6分、中国サポーター達の大歓声が。ゴール正面やや左で得たFKを邵佳一がイランゴールに叩き込み先制点を挙げたのだ。これは“予想外”の展開。中国サポ達の“加油 ! 中国隊”のボルテージも更に上がる。更に左サイドの孫祥が素晴らしいクロスを入れるがGK Rodbarian が何とかキャッチ。イランDFラインは右サイドバックが Kaebi, CB はHosseini とイタリア Livorno でプレーする Rezaie そして左サイドが Ferydoon Zandi 。Zandi はワールドカップ予選の日本戦でも出場し御馴染のドイツ生まれの選手。Bundesliga の Kaiserslautern でもプレーしたが今はキプロスの Apollon Limassol に所属する。このDFラインが中国の自信を持ったボールキープに後手を踏む。ドリブルで突破されても最初の一歩が遅れている。イランの攻撃は Mahadavikia のドリブル突破頼り。ワールドカップのメキシコ、ポルトガル戦では低い位置で守備に腐心していたが、アジア諸国が相手だと高い位置に張っている。しかし、この押されていた時間帯ではもう少し下がっても… と思うも、彼がいないと前線でためが出来ない。9分ようやく高い位置でボールを受けた Mahadavikia がドリブルで右サイドを上がって最初のチャンスを作った。
しかし、以降中国が更に押し込む展開が。13分には CK から張耀坤がヘッドで、14分にもCKからネアサイドに走り込んだ毛剣卿がそれぞれ惜しいシュートを放つ。更に邵佳一のドリブル突破からチャンスを作り波状攻撃から周海濱がおしいミドルを放ち、今度は左サイドから逆サイドの毛剣卿にボールが渡りピンチを招くが、 Makhadavikia が何とか戻ってコーナーに逃れる。中国は4バック、右から孫祥、李偉鋒、張耀坤、孫継海 。左サイドバックの孫継海の攻撃参加が効果的だ。そして左サイドはもう一人鄭智がいる。昨シーズン Premiership の Charlton Athletics でデビューを飾ったがチームが降格した事もあり山東魯能に戻って来た。もう少し早ければ Asian Champions League でベスト8を逃す事は無かったろうに…. 20分を過ぎるとようやくイランにエンジンがかかって来たのか、中国がスローダウンしたのか、中国ゴールに迫るシーンが見られるように。22分には Makhadavikia のドリブル突破から上げたクロスを Gholam Enayati がオーバーヘッドで狙うが中国DFに当たる。その直後にも左サイドを突破し Hashemian, Zandi と繋ぎ最後は戻ったFWの韓鵬があわやオウンゴールを演じてしまうところだった。その後もCKから Hashemian がヘッドを放つが惜しくも外れる。ようやく Bundesliga Hanover 96 所属のFWが… と思うが、対峙する中国 DF 孫祥もタフな守備を見せる。孫祥は攻撃時も上がってきて前半は効果的な動きを見せた。30分を過ぎると今度は中国が徐々に挽回をする。DF李偉鋒がドリブルで突破してくるがなんとか Hosseinn がファールで止める。そのFKから邵佳一、鄭智と繋ぎ最後は周海濱が豪快なミドルを放つが惜しくも外れる。鄭智、周海濱は山東魯能の選手だが、今大会は他にもGK李雷雷、FW韓鵬の二人も同じ山東魯能の選手。上海申花の選手が孫祥、杜威、李偉鋒、毛剣卿と同じく4人選ばれており、日本でもなじみのある大連実徳からも張耀坤ら4人が選ばれている。
33分、中国に追加点が入る。右サイドから鄭智がクロスを上げるが中にいた邵佳一はそれを被ってしまう、しかしこぼれたところを毛剣卿がボレーでイランゴールに叩き込んだ。この一連は見事だった。更に大歓声が中国サポ達から上がる。そして“三比零 ! 中国隊 “と言う大コールが起こる。3点目が入ればもう試合は決定的だろうし、イランの攻撃力を考えれば2点差では追い付かれるかも知れない。だがイランは相変わらず Makhadavikia と Hashemian のブンデスリーがコンビしか攻撃を作れない。36分には Makhadavikia のクロスを Hashemian がヘッドを放つが GK 李雷雷がパンチで防ぐ。37分、42分もこの二人でシュートに持ち込む。43分には Makhadavikia 自らがミドルを撃つ。イランはもう一人のFW Enayati が孫祥の上がりを反対にケアーしている形なので左からの攻撃で形が作れない。
このまま無得点で前半が終わろうかとする44分にセットプレーから Makhadavikia が上げたところを Zandi が中国ゴールに蹴り込んで1点を返した。Zandi の力ある素晴らしいゴールだった。この時間帯で1点を返した事はイランにとっては1点以上の価値があっただろう。イランサポーター達の大歓声が残る中前半が終わった。



後半に入って中国は交替選手が無かった。前半終了直前のイランの得点により両チームのゲームプランは大きく替わったに違いない。特に中国は2点差で後半に臨んでしっかりと逃げ切りをと考えたか?しかし、リードは保っていた。中盤から後ろをしっかり守り、イランの裏をつく方策をとると思ったのだが。
一方のイランは Karimi , Kaebi を下げて Iman Mobali そして Javad Kazemian を投入して来た。Bundesliga の Bayern Munchen に所属する Karimi は来シーズンこそLiga の試合にコンスタントに出られるのだろうか?今大会の Asian Cup では欧州でプレーする選手達が比較的多く、その選手達のプレーを楽しみにしていた。日本の中村俊輔、高原はさすがと思わせるプレーであったが、他国の欧州組は今一つ… この日の中国代表も5人の選手が昨シーズン欧州のクラブチームに所属したが孫継海 ( Manchester City ) 鄭智 ( Charlton Athletic ) 、邵佳一 ( Energen Cottbu s ) はまずまずのパフォーマンスだったが、Sheffield United に所属したMF李鉄は Premier ではほとんど出場機会が無くこの Asian Cup もスタメン出場はなかった。FWの董方卓もマレーシア戦そしてイラン戦はベンチスタートだった。欧州に所属するだけでレギュラーポジションを保証されるほどアジアのレベルは甘くはなっていないと言うことだろうが同様の事はイランにも言えた。後半は立ち上がりからイランが攻めこむ。中国の中盤は攻撃力のあるイランの侵入に耐えきれないといった感じだ。59分に DF李偉鋒にイエローカードが出る。前半にも鄭智が警告を受けており、これで次戦のウズベキスタン戦は守備の要の二人が累積警告で出場出来なくなる事に。これで中国はこのリードを守る必要が強くなってきた。 61分にMF 王棟に替って22歳の趙旭日を投入した。趙旭日は攻撃力で定評のある選手、王棟は中盤で攻守に渡って能力を発揮する選手なので彼は残して置いた方が良かったのではないか?68分にはMF 毛剣卿 を下げて朱挺を入れた。毛剣卿は20歳の若い選手だが17歳の時に Feynoord のトライアルキャンプに参加した事がある。北京五輪の有望選手だろう。朱挺も大連実徳所属の21歳の守備的MF 。北京五輪にも出て来るだろう。そしてこの交替で守備を強化しようという意図だろう。こう言う交代なら選手達も納得するか?この交代以降孫継海が右サイドにまわって来てイランの左からの上がりを抑える。追い付きたいイランは攻めはしているが起点は相変わらず Makhadavikia だ。
71分に Enayati が張耀坤に倒されFKを得る。そのFKを交替出場の Mobali が上げ Rezaei がフリーで撃つが外してしまう。絶好の同点機だった。
しかし、73分。CKから Nekonam が頭で合わせてついにイランが追い付く。イランサポーターは狂喜乱舞だ。1点目もそうだったが中国はセットプレーからの失点だ。マークの確認が甘いのか?だが Liga Espanola の Osasuna 所属の Nekonamu のヘッドは打点が高く、ちょっとアジアレベルでは容易に止められそうになかった。 76分にも Nekonamu は左サイドを突破しクロスを入れる、ボレーで狙った J.Hosseni のショットは惜しくも外れた。
ここで中国ベンチは韓鵬に替って杜威を入れた。杜威は2005年のシーズンGlasgow Celtic に所属した。しかし所属期間は4か月間、Scotland Premier League には1試合出場したのみで帰国した。この交替で趙旭日がトップに入り、杜威は2列目の右に入った。ここで3点目を取りに行くのだろうか?ならばなぜ2失点目を防ぐ布陣に、方策を取らなかったのか? 82分PAやや外、そして真正面でイランはFKのチャンスを得る。しかしそのFKは大きく外れる。イランサポーターからは大きな溜息が。中国はイランゴールになかなか届かない。イランが同点に追い付いてから両国サポーター達の声援はさらにボルテージが上がった。89分にイランは Zandi を下げて Madanchi を投入した。 Madanchi は昨年のワールドカップメンバーではあったが、今大会は Nikhabakht が怪我の為に招集された左のウィングバックだとか。 90分を過ぎロスタイム3分と表示される。中国サポーター達は国歌を歌い出した。



イランも大声援を送る中試合終了のホイッスルが響き渡った。中国はいつもと違い序盤のチャンスを得点に結びつけるなど折角2点のリードを奪いながらの試合運びはのまずさで追いつかれてしまった。せめて後半の戦い方を変えておけばと思う。守備を固めてイランの焦りを誘い、裏を突くという方策を取っておればと。
一方のイラン、2点のリードを中国相手の追い付くとはさすがの攻撃力だ。しかしもう少し決定力があれば逆転も可能だった。だが序盤の守備の乱れを修正しないと例えベスト8に進出してもその後は…. この時点でイラン、中国が勝点4で並び、ウズベキスタンが勝点3で続く展開に。イランは次節マレーシア戦なので勝点は堅い。中国は引き分けたがウズベキスタンとの直接対決を引き分ければ準々決勝進出だ。しかしDFが二人出場停止な上にウズベキスタンには Shatskikh ら強力なFWがいる。

競技場の外ではいつまでもイランサポーター達の宴が続いく中、私はタクシーを探さねばならなかった。




結局中国は次戦のウズベキスタンに 0-3 で敗れ1次リーグで大会をあとにする事に。優勝候補と考えていたイランは準々決勝で韓国と対戦。主導権を握る時間が続きながら決定力に欠け、PK戦に持ち込まれて前回の3位を下回る結果となった。
この中国対イランの試合が終わった時点でイラクが優勝するとはとても想像できなかった。それがサッカーなのかもしれない。

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今大会は Semi Finalist 止まり 日本 0 ( PK5-6 ) 0 韓国

2007-07-30 | Asian Cup

日韓揃ってPK戦は5人全員が決めた。韓国6人目は金致佑。外して…. くれなかった。川口も良い方向に飛んでいるのだけれど・・・・・・ 日本は誰が次だろう・・・・・ 羽生だ。少し心配。カタール戦、サウジアラビア戦そしてこの韓国戦とゴールの女神に見放されている。しかし、ここで決めてくれる為に今まで決まらなかったのと思いたかったが・・・・李雲在も置く位置に注文を付けるなど上手くプレッシャーを与えるなぁ・・・・・こりゃあ厳しいぞ、と思うと彼のショットは李雲在の右手に弾かれゴールネットに届かず大きく上に跳ねた。どうだと言わんばかりの李雲在。倒れこむ羽生。彼にとってこの大会は後でどういう大会と刻まれるのか…..



70年代に見せつけられてサッカーでの圧倒的な日韓の差。いつかこの地位が劇的に入れ替わらないだろうか?と思いながら30年近くが経ち、まだまだ勝負強さでは韓国が一枚上だ。3位決定戦後に醸された物議では精神論が大いに議論されたが、その勝負を分けたのは韓国にあって、日本にない4強制度だろう。今でもこの制度は存在するのかはわからないが、今大会の代表選手達は少なくともこの4強制度を乗り越えて代表に残れた選手ばかりだ。高校進学後にそして大学でサッカーを続けるには中学校、そして高校で行われるいくつかの大会で上位4位以内に入らねばならない。それに漏れると特別な場合を除いて救済の道は無く、高校生、学生でサッカーをしている事自身がエリートと言われるこの四強制度。進学後サッカーを続ける為には勝たねばならない。その為には技術の向上よりも目の前に試合に勝たねばならない、マークする選手を抑えねばならない。従って勝負強さは自然と身に付く、そして必然的に複数のポジションをこなせるようにならねばならない・・・・・その積み重ねが28日のPK戦の結果にも反映されるのだろう。対日本戦という特別な意識のみならず。 しかし、そのやり方では日本に勝てても、アジアの予選は勝ち抜けても世界での戦いになると.... ワールドカップでの初勝利に5大会を要したのも、アジアユースでは日本に勝ってもワールドユース ( あぁ古いかFIFA U-20 , U-17 ) では1次リーグで敗退し続けてる。4強制度。まだ存在しているのなら.... そのまま存在してくれたほうがいいか??

絶望的な開きのあった日韓の差が劇的に縮まったのは1992年北京で開催されたダィナスティカップ決勝戦。豪雨の中で始まった試合は前半32分鄭在権のゴールで先制されるも83分に中山のゴールで追い付く。それは日本が7年振りに対韓国戦で挙げたゴールだった。延長戦に入り高木の逆転ゴールが決まるが、その直後金赤赫の同点ゴールが決まるがPK戦で日本が 4-2で韓国を破り激戦にピリオドを打った。 PK戦に突入する前にその試合を思い出した。
しかし、今回は逆の結果だった。 “次の試合はフレッシュな選手を使う” サウジアラビア戦後に指揮官が発したコメントだった。従ってGKに始まり全てのポジションは今大会出場していない選手で構成される、誰もが思った。私もそのメンバーでも面白いと思った。GK楢崎、DF坪井、伊野波、…. MFには水野、2トップは佐藤と矢野?でも高原に得点王を取らせたいので…. 韓国はベストメンバーだろう。でも選手達は疲弊している。その方が日本に勝機があるのでは…. と想像したが、蓋を開ければ日韓両チームこれまでとほぼ同じ“レギュラーメンバー” 。韓国は崔成国が怪我で使えない。DFラインは右から呉範錫、姜敏壽、金珍圭、金致佑。ワールドカップ組の金東進、宋鐘国はベンチスタートだ。一方の日本は初戦のカータール戦以来、高原のワントップ。巻に替って山岸が起用された。
試合は開始早々は韓国が押してくる展開。しかし、効果的な攻撃は李天秀のドリブル突破のみ。崔成国に替って金斗が起用されたが中盤の独創性は日本の方が1枚も2枚も上手だ。韓国DF陣も後手に回りファールでしか止められない。10分には姜敏壽、37分には呉範錫が警告を受ける。39分には廉基勳が下がって李根鍋が入る。 韓国は25分過ぎから少し優位に立った時間帯があったが、それ以外は日本が前半は主導権を握った。韓国のシュートはPAの外から。日本は深く侵入しなんとか崩そうとする意図が見える。後半開始から韓国が飛ばす。55分には決定的なチャンスを作られたが李天秀がヘッドをミスしてくれた。その直後に高原が右サイドを突破するが姜敏壽が高原にボディーブローを入れて2枚目の警告を受けて退場。その前に高原が韓国DFを振り切った時に肘が顔に入ったと姜敏壽、そしてピム監督、洪明甫コーチが執拗に抗議。その3人全てが退場、退席とされてしまった。



この間5分以上も試合が止まる。そして韓国はMFの金斗を下げてDF のKim Chi-Gon を入れて4バックを再形成。これが試合のターニングポイントとなった。韓国DF陣はこの最終ラインが常に良い位置を維持し、日本攻撃陣の侵入を防ぐ。オーストラリアの様にPA内、その直前に選手を集める出なく、自軍の攻撃時(あまり無かったけど)はラインを上げ、相手にボールが渡ると日本の中盤をケアーする。こんな時ドリブルで突破出来る選手が入れば良かったのだが。日本は71分に憲剛に替えて羽生を、78分には山岸に替えて佐藤を入れると韓国は85分に呉章銀に替えて李浩を入れた。これで右サイドで攻撃時に李天秀をサポートさせようと言う事かもしれないが、むしろ守備も攻撃も出来る栄鐘国を入れられた方が厳しかったか?しかし日本の主導権は変わらず。だがゴールが割れ無い。日本ボールになっても一度スローダウンするので韓国DFラインが出来てしまう。そしてGK李雲在がこの日は当たっていた。5分なったロスタイムも過ぎ、延長戦に入り韓国ゴール前でのシーンが続く。114分に高原が下がり矢野が入る。これで前線に動きが増すが、羽生、佐藤のシュートは李雲在にことごとく跳ね返された。そして120分が過ぎた。 今大会日本は敗戦で幕を閉じた。

オシム監督の今後を問う人もいるだろう。トルシエ、ジーコは優勝したのにと。確かにコンフェデレーションズ杯には出場したかった。しかし、前任の二人は就任後2年近くが経ってのアジアカップ。オシムは1年弱だ。アジアカップはベスト4に進出し、一応の結果は出したと思う。A代表は来年、大きなイベントは無いが(ワールドカップ予選が始まるか??)再来年のワールドカップ予選(最終予選)に向けてのチームづくりタレント発掘に期待できると思う。ただ、もっともっと一人で局面を打開出来る、そしてピンチを凌げる個の力を持った選手が現れてほしい。マラドーナの様にドリブルで4人も5人も抜き去るような、ジェンチーレの様な相手のエースをストップする様な。でもそう言う選手はオシムサッカーには受け入れられないか?????しかし、組織力のみで世界を狙うのは寂し過ぎ無いか??? 昨日行われた決勝戦、イラク対サウジアラビア戦を見て強く感じた。 日本はアジアレベルでも他の列強と比較して選手個人のレベルはどうなのだろう??それは組織サッカーの中に埋没しているのか?それともそれが力量なのだろうか・・・・・・・・ 

あぁ韓国に負けて大会を終わるのは悔しいなぁぁぁぁ……..

 

この試合後 AFC のWEB でピム監督辞任の報道が。日本に勝ったからもういいだろう・・・・・という感じかな?? 何だか韓国代表監督への同情を禁じ得ない。ヒディンク以外の監督は受け入れないのではないかな???

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無念の準決勝敗退 しかしまだあと1試合…. Saudi Arabia 3-2 Japan

2007-07-28 | Asian Cup

7月25日。ヴェトナムのハノイで行われた準決勝サウジアラビア戦。日本は常に先行される展開を最後まで挽回出来ずに敗退。決勝進出、そして大会3連覇はならなかった。
1984年大会から6大会、アジア大会は日本とサウジアラビアが3大会ずつタイトルを分け合っている。この準決勝を乗り切れば日本の大会3連覇も見えて来ると思ったが。まぁアジア大会3連覇はマスコミが考えている程簡単に達成できるわけでは無いと思っていた。決勝トーナメントの組み合わせが決まった時、準々決勝がオーストラリア。準決勝はサウジアラビア戦そして決勝戦はイランが勝ちあがって来ると思っていた。これぞアジアの戦いとワクワクした。
サウジアラビアはグループリーグ初戦の韓国戦を観戦したが、今大会はこれまでと少し異なると言う印象を持った。これまでのサウジの特徴は手堅く守って素早いカウンター。と言う印象が強かった。今回も同じプレースタイルであったが、これまではサウジアラビアのカウンター攻撃はサイド・オワイランの様に個人のスピードあふれるドリブルがベースとなっていたが、今大会のサウジアラビアはボランチからワンタッチ、ツータッチで前線の強力な二人、9番のマレク・アルサウハウィ、20番のヤセル・アルカフタニに繋ぐのが目に付く。更に2列目アフメド・アルムサがよく起点になり前線の二人がそれにからむとかなり厄介だ。
それに大会の最終登録メンバーを観た時に、またもこれはあららと思った。その筆頭はアジア屈指のキーパー名門アル・ヒラル所属の34歳のベテランGKの Mabrouk Zaid がメンバー入りしていなかった事だ。また昨年の日本戦にも出場したDF陣を統率する2004,2005年連続ACL王者、名門アル・イティハード所属の25歳。 アル・モンタシャリもいなかった。昨年のワールトカップそして前回のアジアカップにも出場している。2005年にはAFC Player of the Year に輝いた選手だ。(それは候補だったイランのカリミ、日本の中村俊輔が都合で表彰式に参加出来ない為だったとか?) 
中盤の要アル・イテハードの所属の昨年のワールトカップでは2列目の右に配置されたモハメド・ヌール。アル・ヒラル所属のFWでワールドカップのチュニジア戦でゴールを決めているサミ・アルジャベル、アル・アリ所属のDF フセイン・アブドゥール・ガニ、今年1月UAEで開催された Gulf Cup のカタール戦でゴールを挙げたモハメド・アルシャルフーブら中心選手になるのでは思われている選手も見当たらず、サウジアラビアと戦う前のスカウティングは本当に苦労すると再認識をする事になった。
スタメンを見るとヤセル・アルカフタニ、マレク・アルサウハウィは当然スタメン入りしていたが右サイドの右サイドのアル・ヒラル所属28歳でワールトカップメンバーオマール・アム・ガムディはベンチに。前のバーレーン戦でもベンチスタートだった。
一方の日本はオーストラリア戦と同じスタメン。心配だったのは選手達のコンディション。訊けばハノイの天候はバンコックよりも気温、湿度が高く開催国の中でもっとも厳しい気象条件であったとか。サウジアラビアは準々決勝までインドネシアでゲームを行っていた。ハノイまでの移動のハンディはあったかも知れ無いが逆に厳しい気象条件下で3週間以上過ごしていた日本選手の方が疲弊していたのでは無かったか? 試合は開始から日本がボールを支配する。だが支配率70%以上と言う数字。このレベル同士の戦いでこれだけ一方的な展開になるのはサウジアラビアの意図的な作戦にほかならない。日本はゴール前に迫るがアタッキングゾーンではサウジのしつこいDF陣の前にシュートが撃てない。前線の高原もお疲れのせいか切れがやや….. この時間に先制しておればと言われるが、オーストラリア戦の後半同様、ドリブルで抜ける選手がいないので人数を掛けて守りきれると言うドス・アンゴス、サウジアラビア監督の方策通りだ。 25分あたりからボランチのハレド・アルタケル、サウド・ハリリが前にせり出してきてサウジアラビアが徐々にボール支配率を上げる。2列目の両サイド、アブドルラハマン・アルカフタニ、タイセル・アルジャサムの押し上げもあり、加地、駒野が上がってこれ無い。そして俊輔も身体が重そうだ。この時間鈴木と憲剛の頑張りがなければもっと早い時間に失点していただろう。 35分に遠藤がサウジ選手からボールを奪うとそれがファールに取られ FKに。いやな位置だ。その A・カフタニから送られたFKに加地と競り合いながらM・アルサウハウィが頭で落とした所を素早く反応した警戒すべきY・カフタニに蹴りこまれて先制を許す。



これで日本はヴェトナム戦から3試合連続先に失点を喫した事になる。それも全てCKからだ。しかしすぐに挽回するのもこの大会の日本の強み。2分後に遠藤のCKから中澤がヘッド一発で追いついた。



前半は得点を挙げるより無失点で終わってほしいと思っていたのだがその両方とも叶わなかった。後半に入っても両チーム交替選手がおらず、そのままの布陣で始まったが、サウジアラビアは立ち上がりから攻め込んでくる。そして47分にスローインから右サイドを崩される。タイセル・アルジャサムから上がって来た右サイドバックのアフメド・アルバハリに上げられたクロスにマレク・アルサウハウィに飛び込まれてまたリードを許す。その前に阿倍が被ってしまったのも痛かったが、このM・アルサウハウィは身長が170cmに満たないが韓国戦でもドリブル突破のみならず上背のある選手をかき分けてヘディングシュートに持ち込むシーンが何度かあり、ジャンプ力とそのタイミングに長けているところをここでも見せつけられた。
しかし、再びすぐに追い付く。波状攻撃を見せて一旦クリアーされたが、攻撃参加した阿部が芸術的なオーバーヘッド(バイシクル?)シュートがサウジアラビアゴールネットを揺らす。遠藤のCKから高原が頭で折り返した所をエリア外から阿倍が決めたのだが、初戦の終了間際の失点に繋がるファールを犯したり、この試合の2失点目の遠因になったりと色々やり玉に挙げられた阿倍だがその名誉を挽回した。
しかし着地した時に着いた手首がいたそうだ、でも残り約40分、頑張ってほしいなぁ… と思う間もなくその4分後に三度リードを許す。M・アルサウハウィが今度は左サイドをドリブルで突破、阿部が振り切られ、切り返され後ろの中澤も対応できずに最後に撃たれたシュートは川口を破りこの日2点目、チーム3失点目を喫してしまった。


“この1点はおおきぃなぁ….” 思わず呟いてしまった。2失点目と異なり、同点に追い付いて間もなくリードを許す失点。日本に精神的ダメージを、サウジアラビアに勇気を与える1点だった。以降はサウジアラビア選手のしつこいマークが目立つ。足が長く、スライディングも遠いところから届く。さすがにアジアのトップクラスだ。1993年ドーハでのワールドカップで KAZU にしつこくまとわりついたサウジアラビアのディフェンスを思い出す。サウジアラビアはここで一気にラインを下げてしまわず60分にアフメド・アルムサを入れてきた。これで中盤戦を前でさばこうという方策だ。68分に日本は巻を下げて佐藤を、75分に遠藤に替えて羽生を入れる。俊輔がいまいち攻撃の起点になっておらず遠藤が前線で頑張ってくれていたので、この交替は.. と思ったが、この羽生の運動量が前線を活性させる。しかしシュートに繋がらない。時間が刻一刻と過ぎる。3年前のアジアカップ準決勝戦もロスタイムで中澤のゴールで追いついたが、この日のサウジアラビアDF陣は3年前のバーレーンより強固だ。87分には憲剛が下がって矢野がはいり前線の枚数を増やす。サウジはCBのワリド・ジャフタリ、ボランチのS・ハリリを下げてくれたので日本にボールが回るようになり、クリアーボールも日本が拾う様になる。ロスタイムが5分と示される。そして47分羽生のミドルシュートがクロスバーを叩く。あぁサウジアラビアはまだツキがある。準々決勝ではウズベキスタンが放ったシュートのうち5本がポスト、バーを叩いた。特に1点を返され、更に終了間際の決定的なシュートはクロスバーの内側を叩いた危ない弾道だった。その後もPA近くまで迫るが…. 49分にCKを得る。川口までエリアナに入る。そのCKをサウジDF陣はコーナーに逃れ、さぁ次のCK…. と言う時に無情のホイッスルが響き渡った。あぁ時計の針はまだ49分台なのに…. 大喜びのサウジアラビアイレブン達。アジアカップでの日本戦の連敗を3で止めた。

う~ん。しかし、負けたものは仕方がない。いいサッカーをしてもアジアでは確実に勝てるわけでは無い。だが今大会のサウジアラビアはマレク・アルサウハウィ、ヤセル・アルカフタニの一人で戦局を打開出来る2トップがいた。CBの二人ワリド・ジャフタリ、オサ・ハウサヴィは高原、巻に対してタフなマークだった。日本はビルドアップに徹するあまり、最後のリードされている時間での思い切りがあっても良かったのではないか? PAのすぐ外で俊輔が何度も、しかも終了15分前あたりから、正面でボールを持つシーンが。そこから撃ってもよかったのではないか?オシム監督に怒られるか?? DF陣、阿部、中澤、加えて次のワールドカップ予選を考えれば中東勢対策を考えればストッパータイプの選手も必要だろう。(それが闘莉王か?)そして一人で局面を打開出来る点取り屋も….かつての釜本の様なFW選手やストッパータイプのDFは今はもう流行らないのか……. こう言う大会を勝ち抜くにはフォーメーションのヴァリエーション、そして選手のヴァリエーションをいくつかそろえて置く事が必要であろう。そして…… 幸運だ。今大会はサウジアラビアには幸運が….. この幸運、次のワールドカップ予選に日本に降りて来る事を祈るよ。 

 

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Asian Cup 紀行 さぁアジアカップモードに.... 7月8日シンガポールから

2007-07-28 | Asian Cup

7月8日夕方。シンガポールのチャンギ空港に到着し、税関をくぐり抜けタクシーに乗り込んでも外は日が高くまだ明るい。時刻は現地時間の午後7時少し前。これならホテルに到着してもこの日行われるオーストラリア対オマーンの試合をテレビで見られそうだ。途中で渋滞に巻き込まれる事もなくホテル付近に着いたのは午後7時半少し前。しかし、ここからが少しトラブルがあった。タクシーの運転手がホテルの名前を聞き間違え、いや正確には見間違えたのだ。数百メートル離れたホテルに付けようとしたのだ。英語はシンガポールの公用語のひとつだが、実際タクシーの運転手は中国語の方がよく通じる。だから目的地に行く時は必ず行き先の住所を書いて渡す事にしている。そのメモを彼はしっかりと見たはずなのだが。もう一度ホテル名と住所が書かれた紙切れを渡す。場所は私の方がわかり、数百メートル引き返せば済むのであるが、この路は一方通行で引き返すことができない。そこから降りて歩いた方が早かっただろうが、この蒸し暑さでは….いくつもの通りを曲がってやっとホテルに。チェックインを済ませて部屋に入り、荷物を解く前にテレビのスイッチを入れる。
シンガポールは今回のアジアカップには出場ていないが、STAR SPORTS チャンネルでアジアカップの生中継が視れるとAFCのホームページで調べた。このホテルは、出発前にエイビーロードのホームページから予約したのだが、選択の理由は“衛星放送視聴可”と記されていた為だったのだが…….. チャンネルを回しても回しても映るのは地上波ばかりでアジアカップの気配はさっぱり無い。おかしいと思いフロントに駆け降りて尋ねると“当ホテルは衛星チャンネルは契約していません….” と言う返事…….. 宿泊代金は既にネット予約の時に済ませてしまっている。今さら他のホテルに替えるのも…….
トホホな気分で外出する事にした。 シンガポールは至る所で外にフードコートが出ている。そこで夕食を摂るのも楽しみの一つだ。それに5年前のワールドカップ日韓大会の時には至る所で大型テレビが客寄せの為に配置され、何試合かテレビ観戦を楽しんだものだ。このアジアカップも….. と思ったのだが、何箇所か大型スクリーンを視たが中継されていたのは ESPN の F1 中継であった。そこで思い切ってあるフードコートで“アジアカップが視たいので STAR SPORTS チャンネルに回してく”と頼むとすぐにチャンネルをまわしてくれた。 しかしアジアカップの中継はやっていなかった。チャンネルを替えてくれたおばさんに御礼を言い、ただで去るのは悪いのでコーラを1杯買ってその場を離れた。
元々、今回は溜まりに溜まった振替休日を使って10日程の行程でアジアカップ遠征に出掛ける予定であった。特に日本が1次リーグを戦うヴェトナムはまだ行った事がなくて楽しみにしていた。しかし、どうしても外せない仕事が入ってしまった。だから日本の初戦となるカタール戦を自宅でテレビ観戦してから出発する予定で2週間程度の東南アジア出張を組んだ。そして仕事の無いヴェトナムには行けなかった。しかし、突然更に予定を大幅に狂わす事が。7月29日に参議院選挙が行われることになった。選挙自身は全く関心がなかったのだが、それによって自治会の納涼大会が1週間繰り上がる事になった。その納涼大会では催しの一つとして小学校6年生になる息子が同級生達と“よさこいソーラン節”を踊る事になっていた。このよさこいソーランはこの納涼大会では目玉催しの一つで毎年息子の通う小学校の6年生達が披露する。息子が小学校に入学以来この日をずっと楽しみにしていたのだ。だから今年の納涼大会は絶対に逃せない日であった。
それがたかが参議院選挙で…… ハッキリ言って私は政治家と言うよりも国会議員選挙が大嫌いだ。議員達など選挙前だけ上辺だけ頭を下げて当選したとたんに“先生と呼べ”とかでかい態度。それに議員になったところで自分の利権を死守する事しか頭になく選挙公約など実行する者等などだれもいないのだ…..
なんて愚痴を心の中で叫びながら、ホテルから10分程度歩いた屋内のフードコートに行き夕飯を。焼き豚とチキンライス、コーラで締めて約SG$10.00 。ホテルに帰って日本円に計算すると… 約800円。あぁここにも円安の影響が。これまでシンガポールドルは70円以下であったのだが。今回の出張では東南アジア各国で円安を見る事に。しかし物価の安い地域なのでそれほど財布に影響はなかった。これがオーストラリア、ニュージーランドなら大変だ。ホテルで翌日からの顧客訪問準備に入りメールをチェックする。最近はどのホテルも有料だがワイヤレスでネットに繋ぐことが出来る。そしてオーストラリア対オマーンの試合結果を調べる為に AFC の WEB SITE を開く。試合は 1-1 で引き分け。しかも終了直前に Tim Cahill のゴールでオーストラリアが辛くも引き分けを拾ったとの事であった。前日はタイがイラクと 1-1 で引き分けただけに次節が面白くなってきた。そして睡魔が襲って来たのでベッドに潜り込んだ。
明日はバスで国境を越えてジョホール・バルに行かねばならない……

夜中に強烈に喉が渇いて目が醒めた。時計の針を見れば午前1時少し過ぎだ。 SEVEN ELEVEN で買ったミネラルウォーターを飲みながら何気なくテレビを点けると何とアジアカップのオーストラリア対オマーンの中継が。1Channel での録画中継だが、このチャンネル何なのだろう?しかし目の前ではアジアカップの試合が繰り広げられている。試合は後半に入ってオマーンが1点リードだ。オーストラリアはピッチ上に Kewell も Viduka もいるがすごい発汗量だ。黄色のユニフォームが汗でぐっしょりと濡れている。それに動きが鈍い、なんてものじゃない。全てのパスが足下でしか受けられない。なかなかシュートレンジにまで持ち込めない。その上オマーンのGKはアジア屈指のアリ・アルハブシだ。決定的に崩さないとゴールネットは割れそうにない。そしてオマーンの選手達が生き生きと動いている。アマド・アリ・アルホスニ、ファウジ・ヴァイド・ドゥールビーンらが決定的なショットを放つが、オーストラリア GK シュヴァルツァーがファインセーブの連発で追加点を阻む。2点目が入っていたらオーストラリアのアジアカップは終わっていたかもしれない。1時半になると画面は突然ニュースが始まった。後で知ったのだがこれはタミル語ニュースだったらしい。睡魔が再び襲って来て、試合結果は判っていたので再びベッドに潜り込んだ…

翌朝は8時に目が覚めた。外は曇り空。そして路面は濡れている。雨が降った様だ。早速日課の??ジョギングに出掛ける。ホテルからシンガポールのシンボルと言われているマーライオン公園までは走って約20分。その少し先まで走り50分強の行程を走るのだが、10分も走ると汗が噴き出してくる。さすが赤道に近いシンガポール。



マーライオン公園の対岸を走り抜け様とするが、これまで見た事のない海を背にしたステージが造られた屋外のイベントホールが建てられていた。前夜かその前か、ここでコンサートが行われてフィル=コリンズ達が歌ったそうだ。まさか、ここでワールドカップで観た様なアジアカップのパブリックビューイングなどでは… と思ったが。


ホテルに戻り朝食を摂りジョホール行きのバスが発着する Bugis バスターミナルに徒歩で向かう。蒸し暑い空気を感じるが朝走って汗を絞ったので身体がよく動くのが解る。SG$2.40 ( 約200円)の切符を買い指示されたバスに乗り込む。中は空調がよく効いている。約30分弱で Causeway の Check Point に到着。この時間は国境越えの人は少なくスムースにシンガポール出国手続きを終え、またバスに乗り込む。そして今度はマレーシア入国の手続きを。シンガポールの税関に比べると何とも粗末な設備だ。入国カウンターも少なく、いつもは待たされるのだが上記した通り人が少なかったのであまり待たずに入国手続きを済ませられた。
Checkpoint を抜けてマレーシア側に入国をするのだが、地下道にはシンガポールでは見なかった浮浪者がいたり、いきなりたばこ売りの女性や子供が寄って来たりと両国の経済格差を感じる事になる。タクシーを捕まえて顧客の所に向かうが、乗客が外国人だとまずメーターを回さない。行き先を伝えると通常の3倍近い料金を吹っかけて来る。何度も来ているので大体の相場はわかるので2倍以下に値切る。それでも貨幣価値が安いのであまり気にならない。(ただしこれが出張で無く自腹の旅行だともっと粘るやろなぁ…)
途中でラルキン競技場の近くをタクシーが通る。10年前、イランとのワールドカップ予選が行われた競技場だ。あの時テレビを通じて初めてワールドカップ出場を決めた感動は忘れられない。このジョホール地区には日系のスーパー JUSCO が4店舗あり、最大級の Teblau City 店は昨年1月にオープンした。週末には国境を越えてここに買い物にくるシンガポール人も多かった。同じ製品でもここマレーシアなら価格が安い。額面はほぼ同じだがマレーシアリンギはシンガポールドルの半分以下なので同じ製品でもシンガポールで購入するより半分以下で入手可能という事だ。
商用を終えてシンガポールに戻る為にタクシーを乗る為にJUSCO のタクシースタンドに寄るがその前にスポーツ用品店に足を運んだ。 NIKE コーナーにはアジアカップの公式ポロシャツやTシャツが売られている。そこに今大会のマークの入った黒のポロシャツがあった。他にもTシャツやマレーシア代表チームのオフィシャルレプリカがあった。 NIKE のポロシャツと青色のJAPAN のTシャツが気に入ったので購入する事に。ポロシャツが MYR89 ( 約 3,200 円 ) Tシャツは MYR50 ( 約1,800円 ) まぁ NIKE だからと….. そして “ NEWS AGENCY “ に寄り英字新聞 New Straights Time を買う。すると雑誌コーナーの1冊に中村俊輔の写真のアップが。(もう一人 Tim Cahill も映っていたが。)ASIAN CUP の Official Guide Book だ。出場国全選手一人一人の所属クラブ等がアップの顔写真付きで紹介されていおり大変有難い。しかし、AFC が最終メンバー決定を大会開幕直前まで引っ張ったので、予備メンバーも含めての紹介だ。この本も購入する事に。1冊 MYR15.20 ( 約550円 ) だった。さすがホスト国。このまま数時間滞在してこの日行われる日本対カタール戦のテレビ観戦のチャンスを模索しようか……… しかし、予定通りホテルに帰る事に。
タクシーで 先ほどバスを下車した Customs に向かう。先に出国手続きを済ませて今度はシンガポール行きのバスを待つ。乗車賃はマレーシアからは MYR2.50 ( 約90円 ) でシンガポールからの半分以下だ。シンガポールに向かう人が多い。バスに乗り込みシンガポール側の入国に向かう。パスポートコントロールを抜けると携行荷物をX線装置に通さねばならなかった。今シンガポールでは煙草、アルコールの持ち込みを厳しくチェックしている。それらは本数にかかわらず課税されるらしい。それは問題無く通貨したのだが、 Bugis まで行くバスがなかなか来ない。30分以上待ってようやくバスに乗り込めたのだが、このシステムがどうなっているのか未だにわからない。バスの運転手が Smuggler でも働くとおもっているのだろうか?
バスが Bugis のバスステーションに到着しホテルに戻ったら午後7時少し過ぎであった。テレビを回すが Asian Cup は視れそうもない。昨日オーストラリア対オマーン戦が録画中継された1チャンネルに合わせてそのままにしておくと、テロップが出てきた。どうやら午前0時からアジアカップの日本対オマーンが放映されるらしい。(英語じゃないのでよく解らなかったが)外出して昨夜と同じフードコートで夕食を摂りホテルに戻ると、仕事の疲れからか眠ってしまった…….

目が醒めたら午前0時20分過ぎだった。1チャンネルに合わせる。眠ってしまったせいでまだ結果をしらない。まだ両チーム無得点ずつだ。ボール支配率は日本が上回っている様子。しかし最も警戒すべき Sebastian=Quintana がボールを持つと彼一人で一気に日本ゴール近くまで迫って来る。だが彼一人ではシュートまで持ち込めない。日本も時間が経つに従いやや動きが重くなったか?しかしカタールは更に動きが少なくなる。日本は両サイドを使ってヴァイタルエリアに迫るが高原にボールが入らない。この日は高原のワントップう~ん、巻はどうした? だが先制点は日本だ。左から今野のクロスを高原が上手くボールを捕らえてゴールに叩き込む。実にあっさりと先制点が決まったが、決まる時はこんなものか? こうなるとカタールは前に出てこねばならないのだが、中盤は下がったままで Sebastian の突破に打開を見出そうとするばかりだ。 日本も中村俊輔をはじめ中盤でボールを繋ぐのだが中を絞られて最終パスが出せない。そしてもうこのまま…. と思った後半42分。Sebastian を狙ったであろう後方からのパスに Sebastian が走り込むが阿倍がそのボールに行かず Sebastian を体でブロック。ボールはそのまま川口の正面に転がるが 阿倍のそのプレーに直接FKが与えられる。それを. Sebastian が蹴るかと思ったが、他の選手が蹴る素振り。すると Sebastian が“俺が蹴るんだ”とばかりにその選手の腕を掴む。 Sebastian の放ったショットは壁をすり抜けそのままゴールネットへ。川口が何か叫んでいる。こんな時間に…. と思うが、それをきちんと決める Sebastian も流石だ。日本はこれで目が覚めたか羽生があわやのシュートを放つがゴールネットを揺すれ無い。そしてタイムアップ。この結果を最も喜んだのは前日 UAE を 2-0 で破ったヴェトナムだろう。試合後、オシム監督が激怒した事は翌日のネットニュースで知った。大会5日前にようやく現地入りし、メンバーが揃った事が悪影響を及ぼさねばいいのだが……. 日本は次戦、これ以上負けられない UAE が相手だ。 試合終了後睡魔がやって来たのでベッドに潜りこむ事に。

翌日はシンガポールで営業。そして翌々日はジャカルタへ移動だ。明日は晴れるだろうか?……



あぁ 疲れた でも良かった しかしこれから,準決、決勝

2007-07-25 | Asian Cup

4月21日早朝、バンコック発のシンガポール航空機で成田に到着。成田空港は雨だった。
当日夜は日本対オーストラリア戦の試合があったが、その前に、小学校6年生になる我が愛息がこの日行われたこの地域の納涼大会でよさこいソーラン音頭を披露する事になっていた。
毎年夏に行われるこの納涼大会には小学校6年生がこの“よさこいソーラン”を披露する。子供が小学校に入学以来この日をずっと楽しみにしていた。しかるに成田空港での降雨を観た時は心拍数が激増したのは言うまでもない。
幸い、私の居住地区の埼玉県越谷市では雨は降らずに無事に“よさこいソーラン”は披露され、納涼大会に訪れた人々から大拍手大喝采であった。 それはアジアカップで高原がゴールを決める度にスタンドから送られた拍手に匹敵するものであった。
そして家に帰り、大一番のオーストラリア戦をテレビ観戦する事に。本当はハノイのスタンドで観戦したかったのだが“よさこいソーラン”は6年間楽しみにしていたイベントであったので…..

試合は先制されながらも高原のゴールで追いつき、最後は川口のファインセーブでオーストラリアにリベンジ。
本当によかったぁ….. と思わせてくれる結果に終わった。
オーストラリアではこの敗戦に物議を醸しているらしい……
これで次回からのオーストラリア出張は胸を張っていけるぞよ。

それにしても忙しい毎日で旅の疲れが取れない。今日はサウジアラビア戦。

オーストラリア戦の分析や既に終わった1次リーグの観戦レポート。そしてアジアカップ紀行を順次アップしていきます。 ご期待下さい。 ( 誰も期待していないか……. )

それにしても忙しい。そして疲れが….. これを癒してくれるのはアジアカップの優勝か?それとも…… アジアのかわい子ちゃん達が懐かしいなぁ…….

ウズベッ!!キスタァン!! ベスト8進出 !! Uzbekistan 3-0 China

2007-07-20 | Asian Cup
もう10年も経つのかぁ….. 1997年10月11日。ウズベキスタンの首都タシュケントで行われたフランスワールドカップ予選。前半に許したカンバラエフの先制ゴールを挽回出来ずに時間は刻一刻と過ぎついにロスタイムに。中継をしていたNHK のアナウンサーが “いよいよ苦しくなってまいりました。” と言ったのを聞いた私は本当に内臓がよじれる様であった。そして井原から上げられたロブを前線の呂比須がヘッドで合わせると、ウズベキスタンの GK は走り込んだ KAZU の動きに惑わされ一瞬ボールを取る動作を止めた。そしてボールはそのままウズベキスタンゴールに転がり起死回生の同点ゴールが生まれた。このゴールが無ければ日本のフランスワールドカップ出場は無かっただろうし、また KAZU のこのフェイントこそ修羅場と経験をいくつも積み重ねてきた選手だからこそここで出て来たものと今でも信じている。
そして2年前の9月に同じくタシュケントで開催されたドイツワールドカップ予選プレーオフのバーレーン戦。世紀の誤審と言われるPK取り消しの判定が原因で再試合となり、結局バーレーンがアジア地区5位の座を勝ち取りトリニダードドバコとのプレーオフに臨む事に(結局負けたけど。)その時の主審は日本の吉田氏であった。

ベスト8が次々と決まる中、いよいよ最後の2つ(正確にはイランがほぼ決定的だったので最後の1つか?)を争うゲームがウズベキスタンと中国の間で行われた。中国は三日前にイランと引き分けているのでウズベキスタンとは引き分けられる。しかし、日程が中3日のウズベキスタンに対して中国は中2日で1日短い。その上、李偉鋒と鄭智のDF選手二人が累積警告で出場停止だ。一方の勝たねばならないウズベキスタンは MF Inomov を累積警告で欠いているがその影響はどうなのだろう?
夕方から雨が降り出し、午後8時になっても交通渋滞が酷かった。競技場に到着したのは丁度キックオフの時間で競技場の外からでもキックオフのホイッスルと観客の歓声が聞こえた。 急いで着席をすると10分程度時間が経過していたが、まだ両チーム無得点でほっと一安心。この試合のあった Shah Alam Stadium は1996年3月、アトランタ五輪アジア地区最終予選が行われ日本がサウジアラビアを降して28年振りにアジアの壁を破った思い出の競技場だ。造りもなかなか立派で陸上競技トラックはあるが(ただ私はこのトラックが無いと寂しい)観客席の傾斜が大変見易い角度になっており、 Bukit Jalil National Stadium と並んでマレーシアでの競技場のレベルの高さを再認識した。決勝戦はあの見難かったインドネシア・ジャカルタの Gelora Bung Karno Stadium で開催されるが、何故決勝戦は AFC 本部のあるここマレーシアで行わないのだろう?と不思議でならない。

中国は出場停止のDFに替って杜威と張帥がDFラインに入っている。杜威は中村俊輔が Celtic 入りした後に Celtic にやって来たが数カ月で帰国した過去がある。また GKが1,2戦スタメン起用された李雷雷でなく楊君が起用された。一方のウズベキスタンは大勝したマレーシア戦で MF Inomov Islom が今大会2枚目の警告を受けて出場停止。スタメン3人を入れ替えて来た。立ち上がりは引き分けても良い中国が攻勢にでる。19分には周海濱のFKが直接ゴール枠に飛びGK Nesterov がパンチで弾きコーナーへ.。そのCKから邵佳一が頭で合わせるが僅かに外れる。イラン戦2得点の毛剣卿がこの日もよく前線でチャンスにからむが、毛へのマークは最初から厳しい。ウズベキスタンはややラインが引き気味でカウンター狙いだが、右サイドの Ibragimov Aziz のサイド攻撃が起点になる。 21分には Ibragimov が右サイドを突破し入れたクロスに Bakaev が頭で合わせるが孫継海が何とかコーナーに逃げる。26分にはその孫継海が倒されててFKを得る。中には毛剣卿と韓鵬が入るが中国の選手達は結構上背がある。まぁウズベキスタンもアジア系が多く、北欧の選手のように皆が長身と言うわけでは無いが。 30分を過ぎる試合が徐々に激しくなって来る。32分に Djeparov が韓鵬を倒せば、その後のカウンター攻撃から Djeparov が今度は邵佳一を倒す。やがてウズベキスタンが主導権を握る出す。34分に Ibragimov の入れたクロスの旦跳ね返りを Shatskikh がフリーで撃つが外れる。37分にも Djeparov のポストプレーから Shatskikh が撃つがシュートはゴロで力無く GK 楊君の正面に。39分にも Bakaev が右サイドを突破し中で受けた Shatskikh が体を反転させ左に送るがそこには誰も走り込んでいなかった。 試合前ウズベキスタンの選手はBukit Jalil と比較して Shah Alam のピッチ状態がいまいちだと言っていた。そして試合開始前から少量とはいえ雨が降り続いておりテクニックを駆使する選手には不利なコンディションだが、 Shatskikh はどちらのタイプの選手なのだろう? 40分にイラン戦2得点の毛剣卿 が王棟と替ってベンチに下がる。怪我でもしたのかな?その後もウズベキスタンの攻勢が続く。またも Ibragimov が右サイドを突破し Shatskikh へナイスクロスを送るが僅かにオフサイド。43分にはスローインをヘッドで落とし Djeparov が強烈なミドルを放つ。そして中国はウズベキスタンの猛攻を何とかしのいで前半を終えた。ちょっと中国は劣勢だなぁ…..

私が座っていた座席はウズベキスタン大応援団のまん真ん中。熱心に声援を送るリーダーに合わせてリズムよく声援を送る。訊けば殆どが本国からの応援ツアーとの事。面持ちを見ると結構アジア系の顔つきが多く親しみを感じてしまう。一方の中国は大応援団がバックスタンドに集っているのでイラン戦の様に両国の声援が入り混じる事は無いのが第三者としては少し物足りない。


後半、中国はどうやって勝点を確保するのだろう。そしてウズベキスタンは勝つためにどういう戦術をとるのだろう?開始早々今度も中国が攻勢にでる。53分には韓鵬がミドルが放ったミドルは GK Nesterov がセーブ。60分にはFKを孫祥が直接狙うがこれも Nesterov がコーナーに逃れる。このCKを孫祥が上げてこぼれたところを韓鵬が撃つが入らない。 前半もそしてイラン戦もそうだったが立ち上がりの中国は攻勢を見せて相手DF陣をゴール前に釘づけにするのだが得点が入らない。入っておればもっと楽な展開になったであろう試合がいくつあったのだろうか?ウズベキスタンもエース Shatskikh の決定力がもう少しあれば既に何点か決まっていただろう。 63分には Ibragimov からの右クロスを Djeparov が落とし Shatskikh が体を反転させて撃つがゴール枠を外れ、66分には良いクロスが入ったがシュートをだふってしまい、そのこぼれたところを Djeparov がフリーで撃つがヒットしなかった。
そして67分この試合の明暗を分けるシーンが。カウンターから左に展開した中国が最後は邵佳一が放ったシュートはゴール右上隅を直撃。それも内側に当たったでは無いか?あと数センチ奥に入っておればリバウンドボールはネットを揺らしていただろう。 69分に中国ベンチは董方卓が下がって趙旭日が入ったが、董方卓はイラン戦では途中出場。中国には4人の欧州でプレーする選手がおり董方卓はその中でもホープだったのだが….. 大会後 Manchester United でポジションを獲得できるだろうか?
71分ウズベキスタンがついに待望の先制ゴールを挙げる。左からのクロスに Shatskikh が頭で合わせる。GK 楊君が一旦はセーブするがそのこぼれ球は Shatskikh の前に転がり、そのまま押し込み、不振のエースがようやく貴重なゴールを決めた。大喜びのウズベキスタンサポーター達。後半はスタジアム見物を兼ねてウズベキスタンゴール裏にいた私の目の前では李鉄がそのシーンを静止している。彼の登場はあるのだろうか?



しかし78分にDF 張帥 に替って投入された FW は朱挺であった。 FWを増やした中国はようやく目が覚めたのかここから攻勢を見せる。 韓鵬が左から上げたところを邵佳一がヘッドを撃つが枠には飛ばない。82分には右から入ったクロスに邵佳一と Karimov が競り合い、こぼれたところを韓鵬が撃つがこれも外れる。孫継海、杜威もどんどん上がるが得点には至らない。バックスタンドの中国人サポーター達の声援が悲鳴に聞こえて来る。そして元の席に戻った私はウズベキスタンのサポーター達はウズベクの選手達が好プレーを見せる度に大声援を上げる。そして86分さらに歓喜が彼らを包む。右サイドで得たFKに Shatskikh が飛び込むがかぶってしまう。しかしそのこぼれ球を Kapadze が蹴り込んで2点差とした。もうウズベキスタンの応援席は大騒ぎだ。


ロスタイムが何分あるかわからないが、これから中国は2点を挽回出来るだろうか? 88分に韓鵬がミドルを放ち惜しくも右ポストを僅かに外すが、そのこぼれ球を韓鵬自らが拾いGKスポットにセットし、まだまだあきらめないと言うシグナルを送る。ロスタイムが4分と表示される。2点を取れない事は無い。右から上げられたクロスに韓鵬が飛び込むが合わない。そしてウズベキスタンDFと交錯したのか倒れて起きられない。しかし試合はそのまま進み、中国PAエリアの左サイドで後半から出場している Geynrikh が周海濱に倒されFKを与えられるが、韓鵬が倒れて起き上がれ無いので試合が止められる。韓鵬は遠目には全く動かない上に担架にも乗せられる気配がないので少し心配だ。しばらくするとウズベキスタンの応援団から China ! China !! の声援が飛ぶがこれは “早く試合を始めて勝利のホイッスルを”との督促だろうか?結局韓鵬が担架に乗せられ外に出され試合が再開になった時は後半54分になっていた。そして仕切り直しのFKを Geynnikh が蹴ると朱挺の下腹にもろに当たり朱挺が倒れる。そのリバウンドがそのまま Geynrikh の前に転がり再び Geynrikh がそのまま中国ゴールに叩き込み試合を完全に決定付けた。 しばらく朱挺は倒れて動けない。彼は3失点目をまだ知らないのではないか?ようやく立ち上がってキックオフのポジションに向かって走るが、そのキックオフから数秒後に試合終了のホイッスルが吹かれ、ウズベキスタンのベスト8進出が決まった。選手、役員、そして大サポーター達は狂喜乱舞している。アジアカップ2大会連続のベスト8。目標は1994年アジア大会以来のアジア制覇か?
一方の1980年大会以来7大会連続決勝トーナメント進出を果たした中国はベスト8入りならず。この試合もそうだがあの攻勢時のチャンスのどれか一つが決まっておればと思わせられる大会となるであろう。(まぁ中国の決定力不足は昔から日本以上だけど。)それでも中国イレブン達はサポーター達にしっかり挨拶をして控室に戻って行った。 そして私は翌日はバンコックに移動し、準々決勝が始まる前に帰国する事に…… さよならアジアカップの現場..



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テレマカシ Asian Cup Malaysia 0-5 Uzbekistan

2007-07-19 | Asian Cup

何度でも言おう。 1970 年代から80年代の初旬までマレーシアはアジアサッカー界の列強だった。ミュンヘン、モスクワ五輪には韓国、日本を抑えての出場権を獲得。特に1980年3月に行われたモスクワ五輪予選。開催地はマレーシアとは言え大方の専門誌の予想では圧倒的に韓国が予選突破の筆頭候補であった。しかし、ソー・チー・アン、アブドーラ・アリ、ジェームス・ウォン、モクタル・ダハリ、当時のそうそうたるメンバーは予選リーグで韓国を 3-0 , 日本を1-0 で破ると決勝戦で再び対戦した韓国を終了3分前、ジェームス・ウォンの決勝ゴールで韓国を降し見事モスクワ五輪出場権を勝ち取った。(しかしモスクワ五輪はボイコット。)この時の韓国の関係者の落ち込みは大変なものであったらしい。
日本は1984年4月シンガポールで開催されたロス五輪でもマレーシアに 1-2 で敗れており、マレーシアに優位に立てる様になるにはJリーグの発足近くまで待たねばならなかった。

私にとっては“強豪”のイメージが強く残るマレーシア。しかしその名残はどこに行ってしまったのだろう。今回のアジアカップ4カ国共同開催が決まった時、ホスト国の中で一番苦戦しそうなのがマレーシアでは無いかと思った。そして案の定と言っては失礼か、ホスト国が次々と開幕戦で勝点を獲得するの中、マレーシアは中国に 1-5 で大敗している。7月14日、ウズベキスタン戦の地元紙 New Straights Times では  “ Football の事は忘れよう。マレーシアは他の競技で快挙を勝ち取った。” との見出しが。そしてその下にアーチェリーで五輪枠を獲得した記事があった。 地元のマスコミにまでこう書かれるとは…. だが 1-5 は酷すぎた。いくら相手が格上とはいえ 1-5 は….. 新聞の片隅には Norizan Bakar 監督の写真があり、我々は皆改善せねばならない事を理解している…..と言う内容のコメントが。 今度こそ地元サポーターを狂喜させられるのだろうか?
スタジアムに到着したの時はもう15分を過ぎていた。これで3試合連続の遅刻だ。 Bukit Jalil National Stadium と言う立派なスタジアムは横にも公式のホッケー競技場がある一大スポーツ Complex の中にあるので、入口にたどり着くまでが長かった。スタジアムの中からは結構大歓声が絶えまなく漏れて来る。ゴールシーンが演じられる前に着席せねば….. しかし、着席した時は既にウズベキスタンが 1-0 でリードしていた。


スクリーンに先制点のレプレイが映し出される。 Djeperov が中盤やや右側で得たFKをゴール前に蹴り込むとそのままファーサイドにいたShatskikh の前に流れていきそれを苦もなく Shaskikh は頭で押し込んであっさりと先制ゴールが決まっていた。 Shatskikh は前のイラン戦には予選での累積警告で出場出来なかったがこの試合では早速仕事をした。イラン、中国と同居する Group C においてウズベキスタンがベスト8入りするには Dynamo Kiev の中心選手 Shatskikh 抜きでは難しい。 ウズベキスタンは Shatskikh だけでなく GK の Pavel Bugaro を初め5人の選手をイラン戦のスタメンから替えてきた。一方のマレーシアも中国戦からスタメンを4人替えてきたがフランスリーグでもプレーをした事のある Ahmed Rakhil はスタメンから外れた。怪我が完治していないのか?マレーシアの最終ラインは左から Talib Rosdi, Hussain Kaironnisam, Kalliappan Nantha, Veeran Thuir の4バック。DF登録選手は3人であるが、Nantha はAFCの WEB SITE ではMF登録であったが、この日回って来た Match Summery では DF 登録。中国戦からDFを二人替えている。ウズベキスタンは Ulugbek Bakaev 以外攻撃陣を替えてきたのとは対照的だ。大量失点を喰わない様との思いだろうが、立ちあがりの痛い失点であった。それでもマレーシアは中盤でよくボールをつなぎ同点ゴールを狙う。パスがつながる度に地元サポータから大歓声が送られる、しかし最後の縦パスが中々通らない。そして26分、久々マレーシアゴール前に迫ったウズベキスタンは左サイドから Victor Karpenko からのボールを受けた Timur Kapadze がワントラップでボールを浮かしてマレーシアDFの Hussain をかわし、尚も浮玉を利用してマレーシアDF二人を抜いてフリーでシュートを放ち、追加点を挙げ 2-0 とした。さっきまで大声援を送っていたサポーター達は潮が引いたように静かになってしまった。 


そしてこの後もウズベキスタンが攻勢を続ける。36分には Anzur Ismainov のヘッドがポストを直撃、37分には Shatskikh がインターセプトで抜け出した所をマレーシアDFとぶつかりFKを得るとそのFKを Aleksey Nikolaev がちょんだし、Djeperov が強烈に蹴り込む(壁に当たる。)など以降も波状攻撃が続き、マレーシア GK Abdul Kadir Azizon も休む暇が無い。しかし、40分を過ぎるとウズベキスタンに疲れが見え始めたかマレーシアがボールを繋ぐようになり再び観客が沸くシーンが続く。42分にはゴール正面やや右で得たFKを Jahar Mohamad Hardi が直接狙いポストをかすめる。その直後も右サイドから Adan Shukor が上げたクロスを Omar Hairrddin が頭で合わせるが惜しくも外れる。43分には Mustapa Shahulinizam が右サイドを上がり入れたクロスは僅かにフリーの Indraputra に合わず、そのこぼれ球を左サイドから Mohd Yuusof Ivan が拾って上げるがウズベキスタンDFにヘッドでクリアーされる。高さではやはりかなわないか?でも連続攻撃を見せ、何とか得点の予感は感じさせられたがロスタイムに入った直後の45分にこの試合を蹴って付ける3点目が入ってしまう。カウンターから左サイドを Bakaev にフリーで抜けられ、出てきた GK Azizon と交錯。Abdou 主審は迷わずペナルティスポットをさす。 Azizon を始め数人のマレーシア選手が抗議するが判定はもちろん変わらない。しかし、この判定は少し厳しすぎ無いか?そのPKを Bakaev が自ら決められてしまった。

この時点でマレーシアの勝利はまず考えられなくなった。前半が終わってベンチに戻る選手達。地元サポーターから罵声が飛ぶが特に Bakar 監督には….. なんて言われているのだろう?

ハーフタイム中にスタジアムを見渡してみる。結構ウズベキシタンからもサポーターが来ている。この国も海外にサッカー観戦が出来るほどの裕福な人が増えたのかな?1997年ワールドカップ予選では多くの日本人が首都のタシュケントを訪れたのだけど。昔、勤めていた会社でロシア語を話す社員の何人かがここを訪れたがあの時はまだソ連時代であった。私がロシア語を話せれば色々話し掛けるのだけど…..

後半、何とか地元サポーターを歓喜させるシーンは… と思うも開始からウズベキスタンが主導権を握る。47分にはスルーパスを受けた Shatskikh が49分にはサイドバックの Innomov がドリブル突破であわやのシュートを放つ。その Innomov は直後に Ibragimov と交替するが、これを機にマレーシアが盛り返す。MF Jaafar Harid , Mustapa Shahrull は比較的簿ボールキープが出来るのでタッチライン沿いに開きそこから起点になる。そして55分に Mohd Youssof Ivan に替って投入された Muhamad Norfarhan が前線でボールキープが出来てチャンスをつくる。58分には Norfarhan のスルーを受けた Indraput が抜け出して惜しいシュートを放ち、60分には Indraput がカウンターから抜け出してCKを得る。そのCKから Hairddin がヘッドを撃つがGKの正面に。しかし、ウズベキスタンはDFラインを下げてゴール前を固める。PA付近でも1対1では体格の差からマレーシアは競り負けるシーンが続く。制空権も完全に支配下にある上に3点のリードがあるので余裕がある。そしてカウンターからミドルシュートを狙う様になる。64分には Djeparov の強烈なミドルが飛ぶ。ゴールこそならなかったが、こう言うマレーシアではお目にかかれない強烈なショットを見せられるとDF陣もびびるだろう。 67分には DF Vitaliy Denisov を下げて FW Pavel Solinov を入れるがこれで前線からプレスを掛けるのか?71分 Bakar 監督はマレーシアのスーパースター Ahmed Rakhil を投入するが、ウズベキスタンDF陣が引いてしまう前に投入できなかったか?
それでも大歓声で迎え入れられる Akmal ,早速ドリブルシュートを披露し拍手が起こる。79分には 右サイドバックの Veeran Thiru がドリブルで抜け出しスルーを攻撃参加の DF Kaironnisam に送り、そのままナイスクロスを入れるが GK Nesterov がセーブ。抜けていれば逆サイドのマレーシアの選手が二人フリーでいたのだが。時間は過ぎ、マレーシアの連敗はいよいよ濃厚になる。83分、良いボールキープを見せていた Jaafar Hadri が交替で下げられるが、 Hadri は気に入らなかったのかそのまま控室に戻ってしまった。そして2分後、左サイドの Djeperov が上げたクロスを 交替出場の Ibragimov が豪快なボレーを決めてウズベキスタンが4点目を決めた。

 Ibragimov のボレーも見事だがマークの Veeran Thiru  も簡単にクロスを上げさせては….. 更に89分 Djeperov が今度はスルーパスを Shatskikh に送りこの Dynamo Kiev の FW にこの日2得点目そしてチーム5点目を演出する。もうマレーシアはなす術なしと言う感じだ。準々決勝進出争いを考えれば中国と同様にウズベキスタンもマレーシアから5点をとった事は大きいだろう。


次の直接対決が非常に面白くなりそうだ。一方のマレーシア。試合終了後はウズベキスタン選手ともほとんど目を合わさず、観客に応えるもなく、みな伏し目がちに足早に控室に消えて行った。地元サポーター達の罵声を浴びながら。ウズベキスタンの選手達はしっかりと大応援団に挨拶に行ったのに。
試合終了後何十分も熱心に “マレーシア ! マレーシア !! “ とコールするサポーター達がいた。若い人たちが多い。彼らの心境、分かる気がする。
昔、韓国も日本もマレーシアには勝てなかったんだよ…..君達が生まれる前かも知れない。そう言う時代があったのだよ…..
それは80年代、”メキシコ五輪の栄光“を知らない我々世代が”メキシコの栄光をいつか再び“と夢見たころを同じ思いをしているのかも知れない。
いつかその日がまた来るかも知れない。協会が君達のその熱意を感じさえすれば…….

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Asian Cup 紀行 ホスト国達の明暗 16.JUL. Malaysia にて

2007-07-17 | Asian Cup
マレーシアの首都 クアラルンプール 入りして今日で3日目。今朝の地元紙 NEW STRAITS TIMES の一面の見出しには “ GAME OVER “ の大きな見出しが。昨日行われたイラン対中国の試合が 2-2 で引き分けた事によりマレーシアのベスト8進出の可能性が完全に無くなった。今大会は出場国の中で比較的ランクの下がるホスト国の進撃が大会序盤を盛り上げたがマレーシアだけは完全に蚊帳の外であった。確かに FIFA ランキング149位は他のホスト国とタイ ( 122位 ) ヴェトナム ( 142位 ) インドネシア ( 143 位 ) と比較してもランクが下で最下位のランキングであるが、初戦の中国戦 ( 1-5 ) 第二戦ウズベキスタン ( 0-5 ) は酷すぎた。他のホスト国の様にホームアドヴァンテージを活用するどころか、成す術無しと言う感じだった。そもそも大会期間中に Manchester United との協会設立50周年記念試合を予定し、AFC から公式に試合日の変更を指示されるくらいであったからこう言う結果も当然かもしれない。 今朝の地元紙にはTengku Abdullah Sultan Ahmad Shah マレーシアFootball 協会Deputy President が協会内の全ての要職から辞任する事が報じられた。これまで協会には23年間務めたらしい。そして地元紙は他の協会役員も責任を取るべきと報道。協会が設立された1957年には韓国も日本もその存在が恐れられたマレーシアサッカーが50年経って Schoolboys の様にレベルが落ちてしまったとも書かれている。1957年に遡らなくても 1970年代から80年代中盤までのマレーシアの強さを知っている私にとって、このアジアカップの結果を見てここまで弱体したのを目の当たりにして悲しい気持ちだ。日本人の私がこう思うのだから地元のベテランサッカーファンはどういう思いでこのアジアカップを観たのだろう?アジア内の上位ランク国に出場権の与えられる Asia Champions League もマレーシアのクラブチームには出場権が与えられず AFC Cup に2チームが出場権を与えられているが共に準々決勝には進出できなかった。同紙には“ THE GOOD NEWS : ENGLISH PREMIER LEAGUE のキックオフまであと26日 ”と皮肉られている。だが、こう言う報道がなされる事はまだ救いだ。18日のイラン戦は少しでも意地を見せられるだろうか?

今日も夕方から雨が降って来た。この地域は例年なら雨季に入っているらしいが、その時期もだんだんずれて来ているらしい。仕事を終え、現地時間の午後6時20分からSTAR SPORTS チャンネルで生中継されるハノイでの日本 vs ヴェトナムにチャンネルを合わせる。 クアラルンプール と言うよりもここのホテルに入ってようやくアジアカップのテレビ観戦が可能になった。日本同様アジアカップの試合は東南アジア各国、地元の試合以外は衛星チャンネルなら視られると言う事になっており、シンガポールでは衛星チャンネルが看られるホテルをわざわざ選んだのに実際は“地上波しか映りません”と言うフロントの回答。その上シンガポールはアジアカップ出場国でないので STAR SPORTS チャンネルが視られても全試合中継するわけでは無かった様だ。次のジャカルタでは1泊しかしなかったのでテレビ観戦の機会すらなし。続くバンコックではホテルのテレビは STAR SPORTS が映らず、また地上波はチャンネル7以外はアジアカップの報道をボイコットしていたので(後でわかった)日本戦の試合結果等をすぐに入手するのは容易ではなかった。

シード国、ホスト国揃って準々決勝に 


ヴェトナムラウンド 仕事を終えて部屋に戻った時は試合開始から15分くらいすぎており既に 1-1 であった。テレビ観戦にもキックオフに間に合わないのか…… テレビ画面からは地元サポーターの熱気がよく伝わってくる。この My Dinh National Stadium は確か 2003年の South East Asian Games のメインスタンド。あの時もタイとのサッカーの決勝戦で地元観客はのものすごい声援を送っていたのを思い出す。途中で鈴木啓太のオウンゴールと巻の同点のゴールが映し出される。正直このまま試合が終わってくれることを願った。そうすれば日本、ヴェトナムは揃ってベスト8に進出出来て地元サポーターには申し訳ないが日本はハノイに7月25日の準決勝まで居座れる。まぁ同時刻に始まったもう一つのカタール対 UAE 次第であるが。29分、左サイドを崩されかけるが最後は駒野が Hunyh Quang Tanh をペナルティーエリア内で倒したがPKは与えられなかった。これには助かった。そしてその直後の今度は高原が倒され良い位置でFKを得る。これを遠藤が直接決めてあっさりと逆転に成功する。場内からは当然歓声は上がらないが、日本サポーター達の歓喜する姿が映し出される。あぁ俺もあそこに居たいなぁ。前半はその後何度かヴェトナムが日本ゴールに迫る。スピードもありショートパスばかりでなくロングパスも結構正確だ。そしてスペースに上手く走りこまれる。2トップの Le Cong Vinh と Phan Thanh Binh にボールが渡るとさらに大歓声が後押しをする。この二人は共に五輪代表。8月から始まる北京五輪予選は要注意だ。そして前半を 2-1 日本リードで終えた。
ハーフタイム中にカタール対 UAE 戦のダイジェストが映し出される。あの Sebastine Quintana のPKでカタールが1点リードだ。後半に入るや否やヴェトナムが同点ゴールを目指して日本ゴール前になだれ込む、しかし追加点は日本に。ヴェトナムゴール前でボールを回し最後は中村俊輔が決めた。 これでヴェトナムは苦しくなって来た。その後も日本がほぼ一方的に攻め続ける。10分には正面から約20mの位置でFKを得て、俊輔が一旦遠藤に預けてあわやのショットを。14分には左サイド深い位置で得たFKを今度は遠藤がゴール前に上げ巻が再び体ごとボールに当てて4点目を。解説者はしきりに“日本には遠藤、シュンスケナカムラ、ケンゴナカムラがいるのでゴール前でFKを与えてはだめだ。”と何度も言っていたのだが。 以降は俊輔、遠藤、巻らがベンチに下がり次戦に備える。この時点では準々決勝の相手はまだわからなかったが。ヴェトナムも必死でボールを前に繋ぐが最後の1対1で日本DF陣と互角に勝負が出来ない。後半途中で AFC のウェブサイトからホーチミンで行われているカタール vs UAE の途中経過を検索するとAl Sharjah のゴールで 1-1 に追いついていた。2試合ともこのままで終わると最初に私が願っていた結果になる。 テレビ画面に目を移すと残り時間は10分程度、日本の攻勢が続いている。そして2分のロスタイムが終わろうかと言う時にヴェトナムベンチが映し出され Alfred Riedl監督と数人のコーチ達が握手をしている。そしてタイムアップ。日本の1位通過が決まった。そしてホーチミンの試合では U.A.E. がロスタイムに逆転のゴールを決めてヴェトナムのベスト8進出が決まった。試合が終わるとテレビ中継がさっさと終わってしまったのでスタジアムでヴェトナム選手そしてスタンドの観客が歓喜するシーンは後のニュースで観た。日本、ヴェトナムの次の対戦相手はどこだろう? そしてバンコックにはヴェトナムから大挙してサポーターが押し掛けるのだろうか?そうなると地元の人たちと何かもめそうだなぁ…… 次の対戦相手は

Socceroos サワディカ~ップ Kiatisak Senamuan



バンコックで行われる試合まで15分程度間があったので夕食をホテルの向かいにあるケンタッキーフライドチキンに仕入れに出掛けた。外は雨が降っている。部屋に戻ったのはバンコックの Rajamangala National Stadium で行われる オーストラリア対タイの試合開始直前であった。オーストラリアはメンバーを大きく替えてきた。 David Carney, Mark Milligan の Sydney FC コンビを起用し FW は Kewell を外して Aloisi を先発させ Viduka との2トップに。CBは Kisnobo に替って Beachamp が起用された。オーストラリアは2試合で勝ち点1だがこのタイ戦に勝てばベスト8が見えて来る。そうなれば Supachalasai National Stadium ( 2005年に北朝鮮対日本の無観客試合が行われた競技場 ) のオマーン対イラクの結果次第で日本と準々決勝で当たる事になる。一方のホームのタイ。この試合引き分けでもベスト8が決定する。スタメンには MF の Thonglao Datsakom, Therdsak Chaiman が外れているが FW Suchao Nutnum, そして Teeratep Winothai が起用され Kiatisak Senamuang と2トップを組む。前線に選手を並べ、先制点を挙げて逃げ切ろうと言う Chanvit 監督の作戦か?この日のキックオフは日没後の7時35分。その上雨が降っている。気温が下がり降雨の条件だと欧州でプレーする選手が殆どのオーストラリアに有利だっただろう。それでもタイは Kiatisak を中心にオーストラリアゴールを目指す。 Sripan Tawan から何度もスルーパスが通るがオーストラリアDF陣も硬い。そしてこの日は守備から攻撃に転ずるのが 早い。 David Carney の左からの速攻が効果的だ。そして21分 Beachamp が頭で合わせて先制ゴールを奪う。今大会3試合目でオーストラリアは先制点を挙げた。静まり返る競技場。そして映し出される Aussie のサポーター達。それでも以降はタイ攻撃陣が試合を支配する。ほぼ満員の大観衆がタイ選手がボールを持つ度に大歓声を送り後押しする。しかしオーストラリアDF陣はなかなかシュートを打たせない。これだけ守勢に回ればこれまでの2試合の様に消耗のしてくるのだろうが、試合時間と天候が今日は Socceroos 達を味方する。後半に入ってもタイの攻勢は続く。何とか早く同点に追いついて…とイラク戦のヒーロー Pipat Thonkanya が大歓声に迎えられて投入される。 Kiatisak からのラストパスを受けて決定的なシュートを放つが GK Schwarzer の必死のセーブに場内は溜息が。それでも同点とベスト8を目指してオーストラリア陣内で試合が進む。早く同点に追いついてくれ、さもなくば Supachalasai でオマーンが勝ってくれれば得失点でと頭で計算を始めるとArnold 監督は Cahill, Kewell を投入する。あぁ選手層の差が出ているなぁ。しかしタイDF陣も Kewell らへのマークがしつこい。しかし80分試合を決定付ける Viduka のヘッドが決まってしまった。再び観客席の Aussie サポーター達が映し出される。先週金曜日にバンコックにいた時に何人もの Aussie 達と話をしたけどこの試合も観戦しているのか?落胆の地元サポーター達。それでもオマーン対イラク戦の結果によってはまだ可能性が残るのでここで1点返せば…..しかし、 Viduka そして Kewell の連続ゴールで夢は散ってしまった。ホスト国の中では最もベスト8の可能性があると思っていたタイであったが…. 英雄 Kiatisak そしてベテラン Tawan Sripon はこれがおそらく最後の代表の雄姿だろう。それを拝めただけでも私は良かったのかもしれない。彼の後を継ぐのはこの日2トップを組んだ Teeratep Winothai であり、交替出場の Pipat Thonkanya だろう。今後の動向に注目だ。そして Soceeroos は完全に生き返ってしまったなぁ。次はハノイで日本との準々決勝だ。バンコックから移動のハンディはあるだろうが、今彼らは精神的に非常に良い状態にあるだろう。スタメンはそして日本戦に向けての方策は…. いやその前に日本の迎撃態勢は… 俊輔よ高原よ、そして川口よ、今度こそ頼むぞ。 明日は試合がないので仕事に集中できるか…. な??



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アジアのゴールデンカード Korea Republic 1-1 Saudi Arabia

2007-07-15 | Asian Cup
今回のアジアカップではオーストラリアが AFC に“編入”してきた事により、サウジアラビアがシード国から外れてしまった。しかし、シード国とホスト国を含めた8カ国はこのサウジアラビアが同じ組に最も入ってほしくなかった国のではなかったか? 
今大会、サウジアラビアは韓国、バーレーンと同居するイスラム教最大の国インドネシアのグループDに所属する事に。そして最初の試合は韓国との対戦となった。
韓国対サウジアラビア、これは1次リーグと言うよりもアジアでは“ゴールデンカード(こんな古い言い方はもうしないか??)の一つだ。韓国は対サウジ戦1994年リヤドでの親善試合に 1-0で勝って以来3連敗中で一昨年のワールトカップ予選ではホーム、アウェーで連敗している。アジアカップでも2000年大会の準決勝で 1-2 , 1988年大会の決勝戦でも0-0 のあと PK 戦で敗れている。この試合は前日にインドネシアがバーレーンを 2-1 で降しているだけに共に負けたくない試合。特に第二戦を中2日でインドネシアと対戦するサウジアラビアは絶対に引き分け以上で終わりたい試合であった。
試合のあったGelora Bung Karno Stadium はホテルからタクシーで約20分。渋滞がなければ30分はかからなかったであろう。競技場の周りには韓国人、サウジアラビア人の集団、そして前日の快勝で気勢の上がる地元インドネシアのサポーターが沢山いた。


私の座席は韓国人サポーターの真ん中。赤で統一されたその中にぽつりと一人サムライブルーの NAKAMURA のユニフォーム姿で座っていたのだがこの競技場は陸上競技のトラックがある上にその周りに壕があり、スタンドの傾斜が緩やか過ぎて非常に見通しが悪く、少しでも見易い所をと座席を移動したら、そこはサウジアラビアの大サポーター集団の近くだった。


大歓声に迎えられて両チームの選手が入場し国歌演奏が始まる、しかし最初にサウジの選手達がスクリーンに映し出され韓国サポーターからはブーイングが、李雲在が映し出されると今度は歓声に替わる。続いてサウジアラビアの国歌演奏が始まり、両選手がピッチに散っていよいよキックオフを迎える。サウジは開始39秒いきなり左サイドを突破し入れられたクロスを Marek Maaz がヘッドで合わせるがクロスバーを僅かに超える。サウジはこの Maaz が左に Yasser Al Qahatani が右に入って2トップを組む。Al Qahatani はワールトカップメンバー。チュニジア戦でゴールを決めている。韓国は曹宰榛のワントップに2列目は左から廉基勳、金正友そして崔成国の3人。廉基勳の起用はイラク戦での得点がそして李東国より曹宰榛が起用されたのはウズベキスタン戦での2ゴールがそれぞれ評価されたのだろう。そして名古屋グランパスの金正友が金斗に替ってスタメン入りしたのが個人的に嬉しかった。左サイドバックには Zenit St. Petersburg の金東珍でなく金致佑が起用され時折サイド攻撃を仕掛ける。同じ St.Petersburg 所属のワールトカップメンバー李浩もベンチスタートだ。立ち上がりは両チーム中盤を省略したロングパスが主体で、サウジは2トップに入った時、特に Maaz に入った時にそのドルブル突破からチャンスを掴む。23分には曹宰榛が打点高いヘッドを放ち24分には金正友が Walid Abdrabh Jahadli に倒されFKを得るが、セットプレーになると184cmのDF姜敏壽が上がって来る。そのFKのこぼれ球を拾ったサウジはカウンター攻撃を展開、Ahmed Al Mousa から最後は Maaz に縦パスが通り放たれたドリブルシュートはGK李雲在がセーブ。Maaz はこれで決定機を2回逸した事になる。27分にはカウンターから曹宰榛がドリブルで持ち込むところを倒されてFKを貰い、そのFKから金致佑、廉基勳と繋ぎ最後は曹宰榛にクロスがあがるがそのヘッドはGKの正面に。その直後に曹宰榛は相手DFに体当たりをしてイエローカードを貰ってしまう。20分を過ぎるとお互いにカウンターから交互にゴール前に迫るシーンが続き、見ていて面白い。そしてその度に大歓声があがる。38分を過ぎるとサウジが韓国のロングパスのこぼれ球を拾って中盤でつなぐようになって来た。それでも41分には韓国最大のチャンスをつかむ。崔成国からのクロスをオーバーヘッドで曹宰榛が合わせるがGK Yasser Al Mosailem がファインセーブ。韓国は40分を過ぎたあたりから選手がスペースに走り込んでその先でボールを受ける様になりボールがよく繋がる様になる。そして43分、今度はサウジがゴールチャンスを迎えた。パス交換から攻撃参加したDF Ahmed Al Bahri がミドルを放ち、イレギュラーバウンドしたボールを李雲在が何とか体にあてて弾き出した。 Al Bahri は昨年のワールトカップメンバーがだが出場機会は無かった。前半は得点こそなかったがお互いに素早いカウンター攻撃から観客を沸かせるシーンを多く演出した。

後半開始早々、私がジュースを買っている間に Al Qahatani が韓国ゴールにドリブルで迫り放ったショットは惜しくもゴールポストを外れて行く。ハーフタイム中に買いにいったら売り切れていたのだ….. 開始から韓国は崔成国が右サイドだけでなく左にも出て来るようになり、そこを起点にチャンスを作る。一方のサウジは 左サイドバックの Kamil Al Mousa がよく上がって来るようになった。両チームの背番号7番がカギを握る様になるか?65分にはその崔成国が右サイドをドリブルで上がり入れたクロスはGKの正面に飛びサウジサポーター達からは大歓声があがるが、その直後に韓国サポーターが狂喜の歓声を上げる事になる。左から廉基勳のきれいなクロスが入り、崔成国が頭でドンピシャのタイミングで合わせて先制ゴールを挙げた。スタジアム内に有名な “テ~ミングック !! “の大歓声が響き渡る。こう言うところで先制ゴールを決めるところは流石韓国だ。


74分には右サイド を曹宰榛、呉範錫のパス交換から惜しいシュートが飛ぶが、それは李天秀がはなったものであった。いつの間に出てきたのだろう?後でわかったのだが崔成国が得点する前に李天秀が入る準備をしていのだが、ボールアウトになる前に崔成国がゴールを決めてそのまま李天秀と交替したのであった。崔成国も残しておきたかっただろうがこの日は廉基勳の出来も良かったので左サイドのバランスを考えたのかも知れない。李天秀はさすがのプレーを見せる。彼がボールを持つたびに韓国人サポーターから歓声があがる。大会後は本当に Premiership に移籍するのかな?
しかし77分、今度はサウジサポーターが歓喜するシーンが。韓国PAにドリブルで切れ込んだ Malek Maaz に入れた呉範錫のタックルがファールに取られPKを献上してしまった。確かに呉のタックルはやや後方からだったけど少し厳しい判定に思えた。そのPKを Al Qahtani が冷静に決めて同点に追いついた。


そして3分後に Al Qahtani は Saad Al Harthi に替ってベンチに下がる。 Al Qahtani はキャプテンマークを DF の Walid Abdrabh Jahdali に渡しベンチに向かうがサウジサポーターからは大歓声が。交替出場の Al Harthi はワールトカップのスペイン戦に出場した23歳の選手だ。韓国は相変わらず李天秀がレベルの違うドリブル突破でチャンスを演じ韓国サポーターを喜ばせる。81分には曹宰榛に替って李東国がワントップにはいるが、2トップにしなかったのは勝点を失いたくないと言う意図が強かったのか?
84分突然ピッチが暗くなる。何と停電だ。メインスタンド側の照明が落ちてしまったのだ。掲示板のデジタル時計も84分35秒のままで止まっている。後のAFCの記者会見である女性担当者が“スタジアム内だけでなくこの地区の電圧が落ちてしまって….”と弁解していたが競技場内の半分の照明は問題無く点灯していたのでこれは競技場の設備の問題だと思う。選手達はベンチ前に戻ったりピッチに入ったりと気の毒な状態に。結局17分後に照明の半分が復旧したのをきっかけに大歓声に包まれて試合再開となった。再開後の両チームの集中力が懸念された。がそんな中交替出場の Al Harthi が決定的なシュートを2本はずしてしまう。GK李雲在、そして韓国イレブン、サポーター達は本当に命拾いをした。
そしてこの試合は両者の実力を表すように 1-1 でタイムアップ。この結果と言うよりも停電前の呉範錫のタックルの判定に最も安堵したのが決定機を逃し続けた Marek Maaz と Al Harthi ではなかっただろうか?
第三者の私はアジアレベルでは最高級の試合を堪能できた。下手な欧州での試合よりも面白かった。それは日本代表ではあまり見られないカウンター攻撃の応酬だ。日本代表にも李天秀、崔成国、 Malek Maaz の様な高速ドリブルで数十メートルを突破する選手は…..オシム氏が代表監督である限りは招集されないかもしれない。それでも試合後何人かのサウジ、韓国のサポーターと話をすると、ナカムラ、タカハラの賞賛の声が絶たない。そして日本が優勝候補と韓国人でさえ何人かは口にする。かつては社交辞令でもそんな事を言わなかったのに。そして多くのサウジのサポーター達はこう言った “決勝で会おう。” 1992年、2000 年大会のリベンジを考えているのか?しかしこの時日本はまだカタールと引き分けただけでそんな事を考える余裕は私にはなかった…. しかし、最も心配していた帰りのタクシーを容易に拾えて本当にこの時点では一安心。翌日は朝4時にバンコックに移動だ。手配したタクシーが時間どおりに来る事を祈りながらベッドにもぐりこんだ……