Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

EURO2008 6.29 Vienna から Espana, campeona de Europa

2008-06-30 | EURO Football
昨夜は本当にすごかった。 Ernst Happel Stadion の興奮がまだ冷めやらない。今朝のテレビではベルリンのパブリックビューイングで朝まで過ごした人もいた事を伝えている。昨夜はベルリンには5,000人以上の人があつまり、ドイツの大都市では数千人の人々が設置されたパブリックビューイングの前に集まったそうだ。 宿泊しているホテルはドイツとオーストリアのテレビしか視られないので欧州王者スペインでの様子がわからないが44年振りにメジャータイトルを勝ち取ったスペインでは至る所でFiesta が繰り広げられていただろう。そしてそれは翌朝まで続いたのではないかな?試合内容はスペインが勝つべくして勝ったという試合内容だったと思う。

Euromeisterchaft は日本人の自分にとっては “部外者”なのでその分リラックスして試合観戦が出来る。 それにしても全てにおいて EURO はアジアレベルを問題にならないくらい上回っている。試合のレベルのみならず決勝戦の前に行われた閉会セレモニーに見られる大会の盛り上げ方、運営。昨年 ASEAN 4カ国で共同開催された Asian Cup とは比較できない。しかし私は杜撰で全てが何とかなりそうな昨年の Asian Cup も嫌いでは無かった。大会の運営なら日本も世界に誇れると思う。

しかしスペイン、ドイツの両国の戦いを見てもし日本が真剣勝負をすればどうなるだろう??DF陣は荒波の様に押し寄せる相手の攻撃陣にどう対抗するのだろう?攻撃陣は屈強な欧州のDF陣を前にしてゴールをこじ開けられるのだろうか?その真剣勝負の場はワールドカップしかないが、彼らと“真剣勝負”をする機会を得るのは夢では終わらなくなった。どれだけの差がつけられるかはわからないが、たとえ大敗してもその真剣勝負の機会が持てる事に幸福を感じるだろう。2年前セレソンに完敗した時の様に………..

試合後歓喜に浸るスペインサポーター達を見てそのように思った。

試合内容のレポート、そして競技場内の様子は追ってまたレポートします ( 誰も楽しみにしていないか??)

あぁ窓の外は雨が降っている。この大会は決勝戦こそ好天気に恵まれたがスイス対トルコ戦やスペイン対ロシア戦の試合がグループリーグ、準決勝ともに雨の日が多く、豪雨の中で行われるなど雨の EURO として記憶されるかも知れないなぁ…… さてさて今から仕事に向かいます。スペインでは月曜日にもかかわらずまだ Fiesta が続いているのだろうなぁ…… 

 

EURO 2008 6.26 Viva Espana !! 睡魔と闘いながら…….

2008-06-29 | EURO Football
ドイツが決勝進出を決めた翌朝。6時前に目が醒めDusseldörf の Old Town までジョギングを。石畳の上を走るが歳と共に膝に少しずつこたえる。ここも EURO 一色。昨夜は多くのドイツ人、トルコ人そして観光客達で賑わったのか....... 

 

この日は Dusseldörf のみでの仕事。夕方仕事を終えても日が高いので得をした気分になってしまう。中央駅付近には昨日と異なり国旗を持ったりレプリカを着る人達が少ない。ホテルでメールをチェックしてからコインランドリーに行く。
出張で一番困るのは洗濯。東南アジアの様にホテルのクリーニング代が安ければいいが欧州ではそうもいかず行程も1泊ずつで移動する街が多いとなかなかホテルのクリーニングに出せない。オーストラリアやニュージーランドの様にホテルに Guest Laundry が付いていれば良いのだが.....
従ってここの様にコインランドリーがある街は “貴重” で洗濯物の溜まるタイミングで行程を組まねばならない。 ただ日本と違って洗濯と乾燥の間約1時間洗濯ものが取られない様にそこを動けに無いのが辛い。でもこの日は洗濯機に衣類などを放り込んでそのまま外に出る人ばかりであった。でも自分は持参した文庫本を読みながら時間を潰すことに..........

ホテルに帰ると外はまだ明るいが8時45分少し前。キックオフ直前だった。共同開催なので同じグループのチームがもう一度準決勝であたってしまう。ロシアは快勝した準々決勝のオランダ戦で警告を受けたCBの Denis Kolosin が累積警告で出場停止。替りに Vasili Berezutski がCBに入る。スペインにはグループリーグ初戦で 1-4 と破れている。しかしこの時はエースの Andrei Arshavin が出場停止だった。Arshavin をはじめ4人の選手が初戦のスペイン戦から入れ替わった。一方イタリアと死闘の末準決勝に勝ち上がったスペインはイタリア戦と同じスタメン。グループリーグのロシア戦とも同じスタメンで“消化試合”となったグループリーグ最終戦のギリシア戦以外の3試合はすべて同じスタメンであった。それだけスタメンイレブンに Luis Aragonez 監督は信頼を置きそして選手達は累積警告を受けていないという事だ。
その点メンバーを対戦相手によってめまぐるしく替える Hiddink ロシア監督とは対照的だ。

会場の Ernst Happel Stadion は相当な雨が降っている。これでロシア対スペイン戦は2試合とも雨の中試合となった。グループリーグの時、この天候は気象条件の厳しい国からやってきたロシアに味方するかと思ったがそうでなかった。試合日程ではロシアの方が1日長くインターバルがある。スペインは前のイタリア戦もここウィーンで戦っているがロシア対オランダ戦が行われたインスブルックからの距離を考えるとロシアの移動はそんなに苦にならなかっただろう。
スタンドのロシア人サポーター達もかなりの数だ。1988年西ドイツ大会の決勝戦はオレンジ一色に染まりプロタソフ、ベラノフ、ミハイリチェンコ、ダサエフらを擁したソ連をサポートする人は数十人程度だった事を思い出し時代の流れを感じる。この試合の見所は何と言っても Arshavin が入った事でロシアが16日前に惨敗したスペイン相手にどう戦うか。オランダ戦で相手のサイド攻撃を封じた戦術の変更もどの程度通じるか?

しかし試合は立ち上がりからスペインの攻勢が続く。6分にはセンターサークル付近から大きく右サイドにフィードされたボールを Villa が受けて中の Torres へ Torres が体を反転させて放ったシュートは何とか GK Akinifeev がブロックするがその直後には Hernandez Xavi が Zyryanov, Ignashevich をかわしてミドルを放つがこれはクロスバーを越えた。11分には Villa が Ignashevich をかわして左サイドからミドルを放つがこれも GK Akinfeev がセーブ。劣勢のロシアは16分ようやくボールを受けた Arshavin のドリブル突破を Puyol がファールでストップし得たゴール正面からのFKを Pavlychenko が直接狙うがクロスバーの上を越えてしまった。これがロシアサポーター達が初めて沸いたシーンであった。しかしその後もしばらくスペインの攻勢が続く。24分には Ramos, 27分には Torres がミドルを撃つがゴールを外れて行く。テレビ画面には奥方のレティシア=オルテイス妃を伴ったアストゥリアス公フェリペ王子がなんども映し出されるが、はやくゴールがみたいのではないかな……..
だが30分過ぎからロシアが攻勢に出る。前線でボールが繋がり Arshavin からボールを受けた Pavlychenko がミドルを放つがポストの右に外れて行く。レプレイを見るとGK Casillas の指先に触れていたが触れなくても這うzれたと思う。32分に  Fabregas がベンチに呼ばれた。何だろうと思うと数分後 Villa が座り込んで動けない。どうやら直接FKを蹴った時に足を痛めた様だ。34分にベンチに下がり準々決勝のイタリア戦のPK戦でスペイン最後のPKを蹴った Fabregas が投入される。グループリーグのロシア戦で3点を決め、この試合もロシアDF陣を翻弄していただけにスペインにとっては痛い負傷退場だ。それに乗ずるかの様に35分には左サイドからのクロスを Pavlychenkoが胸でワントラップしMarchena, Capdevilla に囲まれながもシュートを打つがポストの左に外れる。36分には右サイド Anykov が Inista がチェックに入る前に低いクロスを中に入れると腰を折り曲げて Pavlychenko が Ramos, Puyol の前でヘッドで合わせるがポストの右に外れて行く。 このどれかが決まっていれば結果は違ったものになっていたかもしれない。そしてロシアがスペインサポーター達を脅かしたのはこの5分程度であった。
前半は共に無得点で終わったが準々決勝のオランダ戦では相手のサイド攻撃を完璧に抑えたロシアだったがスペインのサイドから中に入ったり縦にフィードされる速くて正確なロングパスの前の大苦戦。 エースArshavin はなかなかボールが貰えない展開であったが、 Villa が下がってくれた分ロシアにも後半チャンスはあるかなとこの時は思った。そして私には睡魔が襲ってきた。


どれくらい眠ってしまったのだろう?テレビからの大歓声で目が覚めた。50分 Xavi Hernandez の先制ゴールが決まった。真ん中でボールを受けた Xaviが左の Iniesta に預けロシアゴールに向けて走り出す。IniestaはSanenko と Anyukov をかわしてゴール前に送ると走り込んできた Xavi がそのまま押し込み決めたゴールシーンであった。二人とも Barcelona 所属の選手達。ここにボールが、人がと理解しての動きだったか。以降はスペインのシュート練習の様にほぼ一方的な展開。ロシアベンチも Semshov, Sychev といった選手を入れて同点を狙うがシュートに持ち込めない。右サイドの Ramos, 左サイドの Capdevilla がサイドを抑えており守備から攻撃への切り替えが早い。 UEFA Champions League 等ではBarcelona の一員としてレベルの高いパフォーマンスを見せる Puyol がスペイン代表のユニフォームでこれだけ存在価値を見せるのは何年振りだろう……
スペインは73分に Güiza Daniel が Fabregas の技ありの浮かしたボールをロシアDF陣の裏で受け,最後はシュートの瞬間足首を右にひねってGK Akineev の動きをかわして追加点を挙げてロシアを突き放し、 82分にはDa右サイドを Inisieta の縦パスを受けた Fabregas が上がり、中にセンタリングを入れるとボールは Berezutski のつま先をかすめるように 中のDavid Silvia に届きZhirkov のマークをかわしてゴールを決めて試合も決めてしまった。これでグループリーグのゲームと同じように3点差がついてしまった。雨の中この日のロシア選手達は動きがやや重そうであった。それともスペインの早いパス回しに翻弄されたか....... 

  

試合終了後の両チームの握手のシーン、サポーター達の表情をみて欧州戦選手権が始まった1960年代は優勝をあらそった両国だと思いだす。本でしか読んだ事は無いが第1回大会は準々決勝で当時の独裁者フランコ総統が“共産国”ソ連の入国を拒否し大会を棄権したが4年後は Santiago Bernabeu Stadium ではスペイン、ソ連両国が熱戦を展開。先制されたスペインがレフ=ヤシンの守るソ連ゴールから2ゴールを奪い逆転し大会2連覇を果たした。4年前の遺恨など感じさせられない素晴らしい試合だったそうだ。
スペインがメジャー大会(と言ってもワールドカップと欧州選手権の2大会)で決勝に進出するのは 1984年の欧州選手権以来。その時にスペインはグループリーグ最終戦のドイツ戦でロスタイムにMaceda Frances のゴールで準決勝進出を決めた。以降90年代からビッグタイトルから遠ざかりドイツ、フランス、イタリアそしてオランダにここ20年ほど遅れをとっていたがようやくビッグタイトル獲得のチャンスを迎えた。 Villa の欠場は決定でその代役には交替出場の Fabregas が濃厚か?
ドイツのテレビは連日 Ballack の“脚”を映し続けている........

それにしてもホストシティーはどんだけ盛り上がるのだろう............... 

  

EURO 2008 6.25 ドイツしぶとく決勝進出

2008-06-29 | EURO Football
6月25日、 Köln, Bonn での仕事を終えると最後の顧客もよく “理解” してくれて “ Halbfinale を視たいんだろう?それじゃ Dinner は次回にしよう。どこのホテルだ? Düsseldorf か?それじゃ早く行かないと。 Hauptbahnhof まで送ろう.......“
車中で話すのは EURO2008 の話ばかり。
”実は私も試合が楽しみなんだ。子供と一緒にテレビで看る約束もしているし....... „
あぁそうか、日本なら時差で深夜の試合。ちょっと子供とはテレビ観戦もできないなぁ........
" たいていのドイツ人はグループリーグには興味を持たない。 Vietelfinale から真剣に視る。ただしこの大会の出だしはさっぱりだったけど。“ 
”でもポルトガル戦は見事だった。日本じゃポルトガルを好むファンが多い。 Christiana Ronald らが華やかに見えるらしい。もっとも70年代からドイツを知る私はその偉大さをしっているけど。“ 
”今日のトルコ戦はどうなると想うか?“ 
”トルコはミラクルな勝ち方をしているがドイツが勝つと思う。彼らは何をすべきかを分かっている。それに監督がコーチ時代から続いて長くチームを率いているのからチームをよく掌握している......“

そんな話をしていると Bonn 中央駅に到着した。年内の再会を約束して車を降りた。首尾よく15分程でDüsseldorf にも停車する Inter City が入って来た。 Kiosk で買った地元紙に目を通す。トルコ紙だけでなくドイツ紙も特に EXPRESS や Bild 等の大衆紙も Jogi Lowe ドイツ代表監督と Fatih Terim トルコ代表監督の写真を並べたりしているが。トルコで夫の指揮を見守るTerim 監督夫人の写真まで。 „ Heute heisse Duell auf dem Rasen, morgen sind wir wieder Freunde ( 今日はいわゆる競技場でのデュエルだが明日はまた友達に戻れる。昨日の敵は今日の友??)という小さいながら赤字のキャプションが。中の記事でも“ 総領事や政治家がファン達に友好的なEM ( 欧州選手権 )パーティーを呼び掛けても Freundschaft siegen ( 友情の勝利 ) を望もう。” という見出しも。ドイツに多く住むトルコ系住人に気を使ってか?
またこの試合の観戦の為の Klinsman 前ドイツ代表監督が会場のある Basel 入りする事も.......
一方のトルコ紙だけどトルコ語はさっぱり解らないがこちらは写真のサイズが大きく迫力がある。 Hurriyet 紙はAltintop と Ballack の写真を並べて“エース対決”を煽っている頁が一面だが中の紙面には両チームの集合写真を一面を使って半分ずつのスペースで掲載。もっともトルコが上側だったけど。ただそこにはトルコ語とドイツ語で“友情が勝利であるべきだ。 Siegen soll die Freundshcaft ” とのキャプションも...... ホテルに帰りメール等を片付け、外に出たのは午後8時20分ごろ。夏時間とは言えまだ外は明るい。さすが初夏の欧州。しかしいつもは多くの人で賑わう中央駅付近も人通りがちらほら程度。あぁしまったもう試合を“楽しむ場所”に人が移動した後か....... 街をぶらぶらしているとやっぱりトルコ国旗が目立つなぁ........

  

するとある“中東”の雰囲気が漂うオープンレストランが。中を覗くとそこはまさに 
“トルコワールド” 半分以上の人達が赤いユニフォームを着ている。そのうちの一人と目が合い、中に入ってこいとばかりに手まねきをする。恐る恐る中にはいると水パイプの独特の匂いが。こりゃぁ明日はこの服は着られないなぁ......着ていたのは Celtic のユニフォーム。2月にオーストラリア在住の Celtic サポと交換したものでオフィシャルなユニフォーム。ただ背番号は付いていないけど。 
中の人達はみな数台あるスクリーンに集中している。ただ座る場所がないので経ちっ放しかぁ........ ドイツゴール前に迫る度にみな立ち上がるがゴールにならないと大きな落胆の声を洩らしながら席に着く。だがトルコ選手が攻守にわたって無いスプレーを見せると拍手を送る。 これでトルコがゴールを決めたらどうなるのだろう.... と思いながら店を出た。立ちっ放しは辛いしスクリーンが少し遠いので見難い。 

そのレストランから100m程度離れた所にまたオープンレストランがあり、そこでも中継を映し出している。よく中を見るとスクリーンも3面ある上に空席が結構ある。試合も始まっているので歩きまわるのは得策でないと考えここに入ることに。奥にあるカウンターに腰を下ろしビールを注文し €2.50 ( 約425円 ) を払い前方の少し大きめのスクリーンを視る。

数分後トルコに先制ゴールが生まれるスローインを受けた右サイドの Kazim が突破しそこからクロスを上げると Semih が Metzelder ともつれながらシュートに持ち込む。ボールはクロスバーにあたりゴール正面に落ちたところを詰めていたBoral Ugur が押しんだ。クロスを上げたのKazim は試合開始から再三ドイツの左サイドを切り裂いていており、Phillip Lahm がなかなか上がれ無い。大喜びのトルコ系の客。 前のレストランだったらもっと大騒ぎになっていただろうなぁ........。

しかしその4分後ドイツが追い付く。 Podolski が右サイドタッチライン沿いに突破し Sabri を振り切りセンタリングを送り込んだところに走り込んだ Schweinsteiger が Mehmet Topal と競り合いながらワンタッチでRüstü の守るトルコゴールに沈めた。
すると今度は前の方に座っていた地元ドイツ人の客が立ち上がる。Düsseldorf の人じゃないのかな? 反対にトルコ系の人は頭をかかえる。 それにしてもこの一連は見事だった。 Podolski , Schweinsteiger はBayern München の所属それが功を奏したか?。他にも ドイツのワントップを担う Miroslov Klose, 右サイドバックの Lahm , 更にトルコの中心選手 Hamit Altintop 、ドイツの控え選手 Marcell Jansen もBayern 所属だ。

この同点ゴールはトルコそしてトルコサポーター達の勢いを完全に削ぐものであった。 33分にもドイツは Podlski が CB Gökhan がタックルに入る前にミドルを放つがポストの上。
この日のドイツは準々決勝のポルトガル戦同様Klose のワントップで2列目に左から Podolski, Ballack そして Schweinsteiger が並ぶ布陣。Torsten Frings が怪我でこの日もベンチスタートだがコンディションが戻った Schweinsteiger がこの日も切れている。ただサイド攻撃というよりも Podlski, Schweinsteiger も顕著に中に切れ込んでくる様に見えた。 それがいいのかも知れないが。 
一方のトルコは怪我人や出場停止選手がいて死闘を演じたクロアチア戦のスタメンから3人が入れ替わった。CB Aski Emre に替ってボランチの Mehmet Topol が入り Topol のボランチのポジションには Fenerbache の Aurellio が起用された。MF Sanli Tuncay の替わりに Akman Ayhan Turan Arda の替わりに Baral Ugar, そして1トップにはクロアチア戦で奇跡の同点ゴールを決めた Sentürk Semih が Kahveci Nihat に替って起用された。 Ugar, Semih はクロアチア戦では途中出場。この Ugar が先制ゴールを挙げた。

画面では頻繁にミシェル=プラティニ UEFA 会長とドイツのメルケル首相が2ショットで映し出され時折二人は談笑もしているが何語で話しているのだろう。少なくとも英語ではなさそう。するとメルケル首相がフランス語を理解するのか....... EU加盟に際してまだまだ問題が残っていそうなトルコ国民はこのシーンをどう思うだろう..... でもEU加盟に一般トルコ人はそれほど固執しないか???

40分にドイツの Rolfes とトルコのAyhan が空中戦での交錯しRolfes は頭を切ったようだ。外に運び出されている藍でのトルコの右サイドバック Sabri のミドルが飛ぶ。これは自身の右突破から生まれたチャンス。肋骨の心配のある Frings が呼ばれるがここは絆創膏をした Rolfes がピッチに戻る。ロスタイムは1分あったが前半は 1-1 のまま終わる。ここで私は2杯目のビールを注文した。私にしては珍しいがなんだか欧州のビールはどんどん進んでしまう。欧州だからそうなのかビールがそうなのか??

後半に入ると結局怪我の Rolfes がベンチに下がり Frings が投入される。 後半にはいると1対1で激しいぶつかり合いが顕著になる。空中戦ではそのあとどちらかの選手が倒れる。Altintop の突破には正面から Hitztsperger がぶつかる。 Lahm が Kazim をかわして左サイドを突破したあと右サイドバックの Sabri が激しくタックルにはいるがノーホイッスル。 52分には Semih のSchweinsteiger へのチャージにイエローカードが出されるがこれがこの試合唯一のカードだった。日本がいずれかを相手にすると闘莉王、中澤でも跳ね飛ばされるのではないかな..... 56分には Ballack に Altintop がチャージにはいるがこれはノーファール。 Ballack も少し興奮気味にファールをアピール。68分には Lahm が Kazim のシャツを引っ張り突破を止めるがこれもノーファール。72分には Ugur が左サイドを突破しシュートを放てば、73分には Hitzsperger が Altintop がチャックに入る前にミドルを放つ。共に得点にはならないが豪快なシュートはさすが本場だ。

そして79分Klose が CB Topol と GK Rüstü と競りながらも右サイド後方から Lahm のあげたロングボールを頭でとらえて逆転のゴールを挙げる。 Klose のヘッドも Lahm のロングフィードも流石という得点。天を仰ぐ GK Rüstüを見て残り時間を考えるとトルコの決勝進出は.....と思えた。

  

その2分後トルコベンチは Ayhan に替って FW Mevlüt を投入し2トップにする。そして86分、右サイドを Sabri が Lahn を振り切り渾身のセンタリングを送ると Metzelder の足先を通過したボールの先にはAurello を振り切ったクロアチア戦の立役者 Semih が走り込んで放ったシュートがドイツゴールネットを揺らしトルコが追い付く。観客席のトルコサポーターもレストラン内のトルコ系移民も大喜び。 Semih は観客に向けて唇に人差し指を立てるパフォーマンスで応える。 この試合もトルコが奇跡を起こすかと本当に思った。そして私は3杯目はビールで無くコーラを注文したら同じ €2.50 でつまみもつかなかった。
ロスタイムは何分だろうと思った89分左サイドから Lahmが中に切れ込み中のHitzlsperger に戻すが Lahm はそのままトルコゴールに向かって中に切れ込むとそこには Hitzlsperger からボールがフィードされLahm がSabi とZan の間に割って入り放ったシュートがトルコゴールネットに突き刺さりまたドイツがリードを奪う。守備では散々自分側の左サイドを破られていた Lahm だがそれを帳消しするかのゴールだった。
トルコベンチは Kazim に替って Tümer が投入される。ロスタイムは3分まだチャンスはのこされている。この大会こう言う時でもトルコはゴールを決めて来た。そして93分、ゴール正面からドリルでドイツPAに迫る Tümer を Ballack が横からスライディングで止めるとスイス人の Busacca 主審がFKを与える。 Ballack が珍しく怒りを隠さない。確かにタックルはボールに入っているしかしその前に Tümer の右腕を引っ張っていた。真正面の位置からのFK シーズン中の中村俊輔なら造作なく決めるであろうポジションだ。絶好の同点機が最後に巡って来た。Tümer がゆっくりとボールをセットする。ドイツはほぼ全員がエリア内に入る。多くのトルコサポーター達が祈っているのが映し出される。しかし Tümer の蹴ったボールはクロスバーの遙かに上を飛び万事休す。ドイツサポーターの歓声だけが残りタイムアップのホイッスルが吹かれた。

   
ドイツが“難敵”トルコを降したが、このトルコの進撃に 2000年のポルトガルを重ねる人は.....少ないだろうなぁ....... でも後半は何度も画像が途切れてはらはらした。

店内を見渡すと涙ぐんでいる人が。彼はブルガリア出身だがトルコ系とのことであった。すかさずかつての英雄 “ナイム・スレイマノグル !! ”の名前を出すと、彼は私に抱きついて来た。そして周囲の人にスレイマノグルの説明を始めだした。
1980年代共産圏下のブルガリアではトルコ系住民は弾圧され遂に共産党はブルガリア式に“創氏改名”を強制。1986年ワールドカップの為にオーストリアに滞在していたスレイマノグルは直ちにトルコへの亡命を表明。その2年後ソウル五輪前に共産党はスレイマノグルがトルコ代表で出場を許す代わりに 100万ドルをトルコ政府に要求。トルコ政府はそれを受諾し。スレイマノグルは以降重量挙げで五輪3連覇を果たしたが、トルコ系ブルガリア人の英雄でもあるスレイマノグルの偉大さが再確認された。ようやく抱擁から解放された私は店の女主人達とも抱擁をかわしホテルへの帰途に着いた。彼女達はギリシア系であった......... そして画面ではメルケル首相のインタビューが続く........選手は着替え中かな????

  

ホテルまでの道中、多くの車がクラクションを鳴らしてドイツの勝利を祝っていた。
中央駅付近では多くの警官隊が待機していた。トルコ国旗を持って “トルキェ、トルキェ”と叫ぶ若者達が多くいたが危険度は皆無であった。中にはこれを機会にトルコ系であろう女の子達を“これから一杯飲もう”とナンパしているドイツのユニフォームやトルコのユニフォームを着た男達も。そこは国境はなしか........

  

1979年欧州選手権予選でドイツはマルタに続いてトルコとも引き分け予選突破が不安視されたが結局は欧州王者に輝いた。この大会、これで優勝に王手をかけたが、やっぱり最後はドイツだろうか........

ホテルに帰ってシャワーを浴びてそのまま倒れこむように寝入ってしまったが翌朝は早く起きてよく走れた.............

やっぱり欧州の初夏はたまらない。 


雨中の“さいたま激戦” 日本単独首位で最終予選へ

2008-06-26 | 夏季五輪
既に88分を過ぎていた。ロスタイムは長めにありそうだから短く見積もって5分は残っていると思ったがピッチの上ではなかなか均衡が破れそうにない。更にスタンドからは “こんなんじゃリベンジにならないわよぉぉぉ・・・・・”という声も漏れて来て焦燥感が募りだす。もうロスタイムに入るかな….と思うとバーレーンゴールに向かって大きくボールが跳ねる。そこに10分程前に投入された巻が飛び込んで行くのが見えた。巻はボールに触れる事が出来なかったがなんとボールはそのままバーレーン GK Mohamed Jaafar の頭を越えてゴールに吸い込まれていった。これまでの欝憤を爆発させるような大歓声がさいたまスタジアム2002を包む。スクリーンには内田が相手クリアーボールをヘディングし、それがそのままゴールインとなったのが映し出された。そして巻の動きには11年前タシュケントでのウズベキスタンとのワールドカップ予選で起死回生の呂比須の同点ゴールを導き出したキングカズの動きを思い出した。隣で先制ゴールを喜んでいる息子を見てその事を説明する…..あれは君がまだ2歳になる直前のことだった……….でもあの時のほうがもっと切羽詰った状態、あそこでああいう動きを演じられるカズはさすがだったなぁ….改めて思った。

6月7日、マスカットでオマーン相手に 1-1 で引き分けた後、6月22日さいたまスタジアムで行われるバーレーンとの最終戦のチケットを買いに行った。ワールドカップ予選の観戦は19年前インドネシア戦以来。その次のワールドカップ予選から日本人のワールドカップに対する興味は激変しワールドカップ予選のチケット入手が困難を極める様になったのだった。そしてこのバーレーン戦は代表の試合では初めて息子と二人親子観戦となる事に。 週刊天気予報は外れこの日は昼前から雨が。雨脚は夜になっても止む事は無かった。入場門でのチェックの厳しさは(と言うよりも時間の掛け方?)は先日のレッズ対ガンバ戦の教訓か?? 日本らしいなぁ….おかげでスタメン発表は競技場の外で聞き(マチャラ監督へのブーイングも外まで聞こえたぞ。) 着席出来た時は選手入場の直前であった。カテゴリー2の29列目の席は屋根の下で雨の心配は無く、“見心地”については “なかなか良いじゃん。” という息子の褒め言葉を賜った。両国選手団入場に続き秋川雅史氏の国家独唱、来賓への選手達の紹介を終えてキックオフとなった。

  


雨はまだ降り続けている。スクリーンのスタメンをメモりフォーメーションの確認をしようとした開始5分、ハーフウェーライン付近から前線へのロングフィードに走り込んだ佐藤寿人にマークに入ったバーレーンDF S. Mohamed Adran が振り切られる直前に佐藤の足を引っかける形となり佐藤が転倒、ウズベキスタン人のイルマトフ主審はすかさずスポットを指さし、俊輔がボールをセットする。息子が携帯でピントを合わせる。俊輔よ4年前ここさいたまで相手は違うがPKを止められた悪夢を払拭してくれ,と思うが右に蹴ったボールはドンピシャのタイミングで GK Jaafar に止められてしまい、さいたまスタジアムに悲鳴が走る。あぁ絶好の先制機だったのに、でももしオマーン戦でPKを蹴ったのが遠藤でなくて俊輔だったらと想像すると少し背筋がぞっとした。 

“上手く撮れたか?”息子に聞くと“撮れたけど失敗したジャン。”と少し残念そう。“そっちも(動画)録れた?”の問いには“録れたけど失敗したジャン。”と答える。まだ余裕があった、というか試合そのものが消化試合なので余裕なのだろう。でも最終予選ではPKは誰が蹴るのだろう??  

前節で既に日本とバーレーンが最終予選進出を決め完全な“消化試合”となってしまったバーレーン戦。バーレーンの来日メンバーが完全な“1軍半以下”構成そして遠征メンバーが少ない事に非難のコメントを寄せるマスコミ達だが予選は終わった訳では無く次のステージを考えれば主力が警告を受けたり怪我でもするリスクを回避する来日メンバー構成は当然のこと。マチャラ監督が1日遅れで合流し試合前に秋葉原で買い物をしていた事まで報道されていた。もう少し早ければ歩行者天国だったのに、いや、あのおぞましい事件に巻き込まれていたかもしれない……..
バーレーンのスタメンにはエースの Aala Hubail, ゲームメーカーの Yusuf Salmeen はいなかった。長身CB Mohamed Adran こそスタメンに入っていたが3月の試合でベンチ入りして途中出場しなかった選手を含めてもこの日のスタメンには5人の“経験者”しかいなかった。 そしてGK S.Mohamed Jaafar を含め先の五輪予選に出場した選手もいた。

しかし日本もマナマでの“スタメン出場選手”でこの試合もスタメンだったのは中澤、憲剛そして安田の3人だけ。俊輔、遠藤そして闘莉王抜きの布陣ではアウェーのバーレーン相手で苦戦したのもやむなしか?? 警告を受けた長谷部、駒野がベンチから“外れた”のでこの試合は佐藤寿人、本田圭祐そして内田がスタメン入りを。  立ち上がりのPKを先制点に結びつけられなかったが試合は日本が主導権を握り続ける。15分には俊輔から絶妙のスルーが出るが僅かに玉田が追い付けなかったがやっぱり俊輔はちがうなぁ…PK外したけど。 この日の最前線は玉田が左右に流れ、佐藤が縦に突破して来るので相手DFラインも後手に回り後方から特に内田がよく上がって来る。それにつれてファールを貰いFKの度に闘莉王、中澤が上がって来る。28分、34分には俊輔から内田にスルーが送られ28分は玉田の、34分には中澤に繋いでシュートシーンを演出する。バーレーンは37分にスローインから上げられたクロスに Salman Isa がヘッド、40分には右サイドバックの Faouz Aaish がミドルシュートを放つがゴールに至らず前半のチャンスはその2回のみであった。シュートを放った両選手は共に3月の日本戦に出場した選手達。 45分、日本は2回目の決定機を迎える。ゴール正面で得たFKを遠藤が直接狙うとクロスバーを直撃そのこぼれ球に本田圭祐が詰め寄るも無人のゴールにボールを入れる事が出来ずにまたも絶好機を逸してしまった。

試合内容は押すものの1軍半以下の相手に前半は無得点。後半何とか早い時間に点が入れば、さもなくば守り切られてしまう様な気もした。しかし後半は立ち上がりからバーレーンがやや攻勢に。2列目右サイドの Abdulla Omar が本田圭祐が中に入ったり安田が上がった後ろのスペースを突く様になりそこからボールが前線に。 Omar はアフリカ、チャドからの帰化人選手で3月の日本戦にも同じポジションでスタメン出場を果たしている。あの試合は相対する安田が高い位置で日本は3バックだったので安田と今野の間のスペースに何度か入られていた。52分には Faouz Aaish が左サイドから強烈なミドルを放つがここは楢崎がパンチでクリアー。54分には左から Mohamed Abdula が入れたクロスを Abdul Latif と交錯しながら楢崎がキャッチ。攻撃時には一気に人数を掛けるバーレーンのアプローチは日本とは対照的だ。64分に佐藤が下がり山瀬が投入される。これで本田が前線に上がり左の2列目の本田のいたポジションに山瀬が入る。アタッキングゾーンに人を掛ける方策か?しかしその直後にまたもミドルを撃たれて楢崎が何とか横っ飛びでセーブする。折角本田が前に出て来たのだからもっと人数をかけられないか?と思った68分に俊輔が右から左にドリブルで動き山瀬にスルーを送ると山瀬は走り込んだ玉田に送るが惜しくもバーレーンDFがカット。71分には玉田がミドルを放つが、玉田にはもっと前で相手の裏に飛び出すプレーをして欲しかった。攻撃時に相手のPAエリア内、またはその付近に選手が少ない事。6月初めのバンコックでのタイ戦、そして3年前の北朝鮮戦とショートパスをつなぐ動きにバーレーンDF陣は弱い様に思えた。それは中東ではそういう戦術が少なく、それは気候の為だと言う持論があるのだけど…と息子に説明する。

72分には右サイドバックの Abbas Ayayad が下がり3月のマナマの日本戦ではベンチ入りしていた Rashad Al Allan が中盤に入り4バックから3バックに、そして78分には FW Ismal Abdul Latif が下がり Rashed Slaem が入り着々と守備固めに入る。日本ベンチも74分に安田を下げて今野、79分には本田を下げて巻と3月のバーレーン戦に出た選手を入れ更に闘莉王を前線に張らせるがゴールが遠い。時間は過ぎて帰り支度をする人まで出て来た。雨脚は若干弱くなって来た。これなら帰りは少し楽かな、でも少し寒くなってきたな…..そう考えていたらボールが大きくバーレ-ンゴールに向かって跳ね上がった………

ようやく勝利をものにしたが相変わらずマスコミは決定力不足とチームのヴィジョンや方向性が見えてこないとの論評のオンパレード。しかし予選で最も大事な事は確実に勝点を挙げる事でチームの方向性など我々に解らしめる必要は全くないのだ。我々が解るようでは対戦相手に容易に分析されてしまう。それに世界で決定力不足に悩まない代表チームなどいくつあるのだろう???
確かにセットプレーからの得点が多く、FW陣のゴールが少ないのは気にかかるが勝てばいいのである。

どんな相手でもアジア諸国があいてならば85分がちがちに守って5分攻めて1点をとるサッカーをすれば今の日本なら容易に予選突破が可能かもしれない。少なくとも私が望むのは確実に勝つ試合でチームの方向性などは解らなくてもいいのだ。

帰りの車中で試合の事を息子と話をしながら帰途についた、最終予選、またここに観に来たいね…. 再来年南アフリカに行くのは…… そう言う心配は来年にしようか…… いつまで親子でこう言う話が出来るかな??

   

EURO2008 残すところあと3試合になっていた…….

2008-06-25 | EURO Football

“ポルトガル負けたなぁ。やっぱりドイツはしぶとい。”
先週末、会社の後輩に話しかけた後の彼の反応は….
“先輩ヨーロッパにも興味あったのですか?アジアとオーストラリアが専門じゃなかったのでは…..“ おいおい、最近は少し ASEAN やオーストラリアに執心していたけどやっぱり欧州にも興味はあるのだぞ…

後輩とは年齢が20歳近く離れており普通の会社なら”口もきけない“程の役職の差があるらしいがそこはずっこけた我が社にずっこけた私。きさくに若い奴らと話せる良い雰囲気….でも無いか……

6月7日に開幕した欧州選手権、 EURO2008 も準々決勝2試合が終わっていた。今回はワールドカップアジア地区予選と開催期間が重なったのと家内が勝手に WOWWOW との契約を打ち切っていたのであまり EURO を楽しむ間もなくベスト4まで決まっていた。 若い後輩とではやはり欧州の勢力図の印象には隔たりがある様だ。例えば6月20日のドイツ対ポルトガル戦。私達の世代は今でもドイツの勝負強さと言うかあのベッケンバウアー達を擁してワールドカップタイトルを奪った時の印象が残っているが、彼らは2000年フィーゴやルイコスタ達のいたポルトガルの方が魅力的らしい。
そして今は Cristino Ronaldo や Deco と言った華やかな選手達がいる。 
それだけに準々決勝でドイツに敗れたのはショックだったらしい………

6月23日、雨の中のさいたまスタジアム親子観戦を終えて一路欧州へ旅立つ。トランジットのフランクフルト空港でも目的地のアムステルダム Schipol 空港でもEURO2008 一色とまではいかないが欧州選手権の臭いが随所に。新聞、雑誌等を販売しているKiosk ではトルコの新聞が大いに目立つ。6月20日は準々決勝でクロアチアを降し見事ベスト4に進出した。クロアチアは2年前のワールドカップでそしてトルコは2002年大会でそれぞれ日本と対戦していたのでこの試合は私は大変注目をしていた。 クロアチアのスタメンにはGK の Pleticosa をはじめ Robert Kovac, Niko Kovac, Dario Simic Ivica Olic Luka Modric そして Niko Kranicar に川口にPKを止められた Darijo Srna と8人の選手が2年前Nurnberg の日本戦に出場した選手達。あの時は大会前にクロアチア選手達の特徴を必死で調べたけど今はまったく忘れてしまった………..

トルコは6年前仙台での日本戦にスタメン出場した GK Rustu Recber, 途中から出場した Nihat Kahveci そして日本戦は累積警告で出場停止だった DF Emre Asik, MF Emre Belezoglu の4人が2002年大会3位の経験者だった。 
試合は選手権史上屈指の好ゲームとなり119分、ワールドカップ日本戦でスタメン出場でこの試合は途中から出場となっていたIvan Klasnic のゴールでクロアチアが均衡を破った時は誰もがクロアチアのベスト4を信じた。

その3分後、オフサイドの判定からFKを貰ったトルコが GK Recber がゴール前に大きく放り込み Semih Sentruk が相手DF2人に挟まれながらも同点ゴールをねじ込みトルコが正に土壇場で追い付く展開。

  

グループリーグ最終戦の Nihat Kahvedi の残り3分でも連続ゴールを思い出させる劇的なゴール。クロアチアの Slaven Bilic 監督が既にロスタイム2分を過ぎているじゃないかとの猛抗議も印象的。

 

PK 戦ではトルコ選手達が次々に決める中、クロアチアは Modric, Rakitic が外し4人目の Petric のPKを Recber がストップ。グループリーグでは初戦のポルトガル戦に敗れたが因縁のホスト国スイス戦で勝利を収め、チェコ、クロアチアと東欧勢を撃破し2002年ワールドカップ以来のメジャー大会(と言ってもワールドカップと EURO だけなんだけど。)Semi Final 進出を果たした。 
この快進撃はVolkan Demirel, Emre Belözoglu Hamit Altıntop, Tümer Metin  Tuncay Şanlı.ら2005年11月イスタンブールで行われたワールドカップ予選のスイス戦に出場した選手達にとって本当に喜びもひとしおだろう。ただ大会前に怪我で離脱した中心選手Hakan Sukur がいないのは少し淋しいが。

トルコと言えば今や欧州でも列強と肩を並べる実力国となったが1980年代までは1954年ワールドカップスイス大会こそ出場経験があるが他は全く振るわなかった。そのトルコが一躍スポットを浴びたのが1988-89に行われたワールドカップイタリア大会予選。欧州第三組にソ連、オーストリア、東ドイツ、アイスランドと共に組み分けられたトルコは東ドイツをホームで 3-1 アウェーで 2-0 で降すなどかつてない進撃を見せる。そしてアイスランドがソ連相手にホームとアウェーでそれぞれ 1-1 で引き分けるなど混戦に拍車をかける。1989年10月25日イスタンブールで行われたオーストリア戦で 3-0 と勝利しグループ2位に躍り出る。(上位2カ国までが出場出来た。) この時点で首位ソ連、そして3位東ドイツ、4位オーストリアまでの4カ国に翌月最終戦の結果ではワールドカップ出場の可能性が残される大混戦。トルコは最終戦のアウェーのソ連戦に勝てば36年振りのワールドカップ出場というところまで漕ぎ着けた。しかし11月15日クリミア自治共和国シンフェロポリで行われたソ連とのアウェーゲームはプロタソフの2ゴールで 0-2 と完敗。同日ウィーンでオーストリアが東ドイツをポルスターのゴールなどで 3-0 で降し、ソ連とオーストリアが本大会出場を決めた。最後は前年欧州選手権準優勝のソ連に地力の差を見せつけられたが予選を盛り上げたトルコ、アイスランドは大いに話題となった。この時のトルコの原動力がエースのタンジューク=コラク。しかし数年後かれは中古自動車の不正輸入で逮捕された。
その報道を欧州出張時に現地のニュース番組で視た時はショックだった………..

準決勝のドイツの対戦相手はドイツ。このドイツと言うところが興味をそそる。
ドイツに滞在する多くのトルコ系移民達はこの試合に自分たちのアイデンティティーを大いに見出そうとするに違いない。 6月23日付の  Frankfurt Allgemine Sonntagszeitung には Michael Ballack のインタビューが掲載されている。そこには Gnaz klar : Wir Wollen Europameister warden ( 我々は必ず欧州王者になる ) とのヘッドラインが。

インタビューの内容には次の対戦相手のトルコは unberechenbar ( 何をしでかすかわからない相手 ) と表現する。そして彼らの醸しだす独特の雰囲気から考えられない力を発揮するとも。そして多くのトルコ人選手が Bundesliga でプレーし、多くのドイツ人指導者がトルコで指揮を執っている事からトルコは“ドイツ的”とも。一昨年のワールドカップの前から(ドイツ)代表は得点も多かったが失点も多かった事も自ら指摘し。その後 Schweinsteiger が左に入り Berund Schnider が右に入り自分( Ballack ) が Torsten Frings と共に攻撃的な役割を果たせ得失点を改善出来ていたがこの大会 EURO 2008 は大会開始直前まで Schneider が怪我、大会に入っても Schwweinsteiger がトップフォームで居られなかったことがグループリーグでの不調の原因と語っている。またクロアチア戦の敗戦後は主将として責任を感じていてが続くポーランド戦は思いのほか入れ込まずに試合に臨めたことが良かったと。そして現在のJoachim Löw代表監督については先のワールドカップからコーチとしてチームに帯同しているので今のチーム状態をよく掌握しているとの事。最後にもう一度トルコ戦は unberechenbar な相手で油断ならないがタイトル奪出を断言できるとインタビューを結んでいた。

  


アムステルダム中央駅からドイツ自慢の超特急 ICE で約2時間程度走るとそこは日本人街として知られるドイツの Düsseldorf 。ドイツはホスト国では無いがきっとそこでは2年前と異なった雰囲気が醸し出されていることだろう…….


6.23 成田空港にて マチャラ軍団と遭遇

2008-06-25 | 夏季五輪
雨の中の“激戦(劇戦?)”を“制した”バーレン戦を久々にスタジアム観戦をした翌朝、私は商用の為一路欧州に旅立つ為成田空港に向かった。 朝4時半起きはきつく、早朝の為電車の乗り継ぎもスムースに行かずようやく空港駅に到着チェックインをすませ、やれやれと思った所に赤いシャツの集団が………. 昨夜アウェーの雨の中の試合にもかかわらず日本を“苦しめた”バーレーン代表一行であった。これはすごい….と思いながらマチャラ監督の姿を探す。 彼だけはお揃いの赤いシャツを着ておらずリラックスした私服にリラックスした表情。 私のミーハー根性が激しく燃え上がる。 早速彼の元に駆け寄り昔仕事で覚えたチェコ語で話しかけ(と言ってもこんにちは、お元気ですか?くらいしか出て来なかったけど。)記念撮影をお願いする。 新聞や雑誌でみるあの“憎たらしい”表情とは全く異なり非常に温和な愛想の良い面持ちで快く写真撮影を承諾してくれた。 そしてシャッターを押してくれたのは前日の試合もそして3月のマナマでの試合でも日本を攻守にわたって苦しめた背番号16番 Mohamed Adnan Husain 。マチャラ監督には “彼は昨日のナンバー16では無いですか?” と訊くと “ナンバーは憶えていないよ。” とおどけた表情。更に前日の試合や2月の試合そしてこれからの予選の事日本の事など5分程英語で立ち話に付き合ってくれた。 もちろんかれから多くは語らないが ( まぁ当り前か…) 終始ニコニコ….. 最後に ”お手柔らかに、南アフリカで一緒に会いましょう。“ と手を差し出すと丁寧に握手をしてくれ、”日本はストロングチーム、アジアナンバーワン“と言った。(でも本音じゃないだろうなぁ…….)
更にアシスタントコーチとも少しお話を……日本は良い所だって言っていたけど彼も秋葉原にいったのかな?そして選手達、最後にもう一度長身のDF選手、上記した Mohamed Adnan Husain とも記念撮影しお話を….. 昨日は子供と試合を見に行った、といってデジカメに保存していた写真をみせた。かなり真剣にみていたなぁ…
そして日本は強い、技術が高いと言っていたけどある程度社交辞令は入っているだろうなぁ….. Your son はここに来ていないのか?ともいってくれた、優しいなぁ……. 彼にも“南アフリカで会いましょう….” と言うと両手を横に広げていた、自信ないんかいな?? でもたばこ吸っていたなぁ……
  
  

選手やコーチはみな英語で話しかけても英語で答えていたぞ……息子よトップアスリートになるには英語も不可欠だ…….. みんな温和な表情、試合結果と言うよりも既に最終予選進出を決めている余裕か……..
バーレ-ンが日本と同じ組にならずに日本と一緒に最終予選を通過すればいいのになぁ….. と思ってしまった。俺も影響されやすいなぁ………

搭乗カウンターの近くで再びマチャラ監督やバーレ-ン選手達と遭遇した。今度は向こうも私を憶えていて手をふってくれた、そしてマチャラ監督には “ アホイ、ナスクレダノフ !! “ ( チェコ語でさよなら ) と言うとニコニコ顔で ”アホイ !! “ と手を振ってくれた。  どこ経由で帰国するのだろう…….

あぁ早起きは三文の得 ( あんまり関係ないか??) 、という感じで私はルフトハンザ機に乗り込んだ…….

尚試合のレポートはおって掲載致します…( 誰も期待していないか??)

  

最終予選進出決定 サワディ~カップ コンタイ

2008-06-21 | 夏季五輪

タイではサッカーは最も人気のあるスポーツ。6月14日のワールドカップ予選の日本戦は1998年のアジア大会の韓国戦同様Rajamangala Stadium は満員の観衆で埋まる。その熱狂的なサポーター達の前で日本は戦わねばならない。また現在のバンコックは気温35度と非常に暑く湿度も高く気温40度のオマーンの首都マスカットよりもコンディションは劣悪…..

オマーンとのアウェーゲームを終えた後発刊された専門誌に上記の様なバンコックでのタイ戦の“見通し”が紹介されていた。この記事を書いた人は欧州や南米以外の東南アジア等の地区を題材に記事、コラムを書く人で私も一目おく人だ。
欧州の事など欧州のWEB SITE や新聞、雑誌をみれば日本人記者が書くことなど幼稚に思えるほど。私が金を払ってまで見たいのはそこでしか見られない情報や資料。それだけにこの人の記事でしか見られないアジアの記事を読むのは楽しみでもあった。しかし上記の書き出しを見た時はかなりがっかりした。 この人の書き出しとは思いたくはなかっただけに….

まず Rajamangala Stadium は大変立派な競技場だがここが6月14日の日本戦で満員になる事はないと思う事は容易だった。どこかの大富豪がチケットを無料でばらまかない限りは……
昨年 Asian Cup の オマーン対タイ戦をここで観戦したが観客席は半分程度の入りだった。確かに最も高いS席の入場料金 THB700 ( 当時のレートで Yen2,450 ) は現地の人には安くないが、折角の地元開催にもっと入っても…..と思わずにいられなかった。同様の事はジャカルタとクアラルンプールでも思った。ただ私が行かなかったハノイでは地元チームの登場した試合は満員の観衆で埋まったらしい。だからベトナムがベスト8に進出出来たのか…..
それから最も危惧された天候も。タイを含めた東南アジア地区の最も厳しい気候は3月下旬から4月にかけてだ。6月になると雨期にはいり温度、湿度はかなり下がって来る。(と言っても日本よりは暑いけど…) しかし40度のマスカットよりもましだと思う。それと決定的な誤解は地元の人々の関心だ。 確かにサッカーはタイでも超人気スポーツのひとつ。しかしそれは Premiership の事でここではテレビの地上波でもそれが楽しめる。僅かばかりの(日本人からみれば)金を出してケーブルまたは衛星テレビを見られるようにすればもうどれだけ欧州のサッカーを楽しめる事か…….
驚いたのは5月に商用で訪れた時。空港に向うタクシーの中で運転手が聴いていたのは Premiership の Manchester United の 試合中継だった。そしてそれはタイ語で中継されていた。(たぶんタイのスタジオでモニターを見ながらだろうけど。)取引先の人達からもよく Premiership の話題を向けられる。今年の UEFA Champions League では Premier 勢が調子が良かったのでそちらの話題も。 ただし全てが純粋なサッカーの話題ではない。この国ではサッカーは賭けの対象であり多くの“サッカーファン”は賭けの為に興味を持ってチームの動向を調べるのだ。もちろん純粋なサッカーファンもいるだろうが。上記の事から普段あまり“行われない”ワールドカップ予選の試合”に多くの人が “関心” を抱く事は考えにくい。バンコックの街を歩いていても欧州のクラブチームのレプリカを着る人は多く目に着くがタイ代表のレプリカを着る人は皆無に等しい。ある時私が青色のタイ代表のユニフォームを着て歩いていると何人かの地元の人に声をかけられた。そして恐らく殆どの人はそれがタイ代表のものと気がつかれないだろうとも言われた。

こんな事は試合が始まる前に書くべきなのだが何しろ忙しかったので………..

オマーンとのアウェー戦で勝点1を得てバンコック入りした日本代表。この試合に勝てば最終予選進出に大きく前進する。タイはホームゲームで2連敗中。しかし試合内容は圧倒されていたわけではなかった。 試合前 Chanvit タイ代表監督は “さいたまでの試合とは違う本物のタイ代表をお見せする” と述べていたらしいが、この日のメンバーはDatsakorn Thonglao と右サイドバックで Manchester City と契約した Suree Sukha はスタメンに名を連ねたが,  DF Prat Samakratそして Manchester City と契約したKiatprawut Saiwaew そして Teerasil Dangda はこの試合でもメンバー入りしていなかった。2月の日本戦でゴールを決めた Winothai Teeratep は前節のバーレーン戦でレッドカードを貰い出場停止。2月の日本戦でスタメンだったのはGK Hathairattanakool Kosin と FW Chaikamdee そしてDF Phanrit Nataporn の3人だけ。FW Dangda Teerasil はベンチ入りしていたが出場機会は無く、MF P.Choeichiu は途中出場の選手だった。しかし前節のバーレーン戦と比べるとスタメンから替わったのは出場停止の FW Teeratep に替わって DangdaTeerasil が起用され、左サイドバックの Samana Natthaphong に替わってSaiwaeo Kiatprawut が起用された。この日のメンバーが今のタイ代表ベストメンバーなのかもしれない。
一方の日本は退場で出場出来ない大久保に替って若い香川が抜擢され中盤に入り玉田の1トップとの布陣。試合前のスカウティングは岡田監督の方が苦労多かったのではないかな……
しかし開始早々長谷部がシュートを放つなど立ち上がりから日本は積極的にプレスを掛けて主導権を握るとこの勢いに押されタイ選手は後手を踏む。2分には松井がドリブル突破FKを得る。3分にもPA外左の位置でFKをもらい中村俊輔がクロスを入れるがGKがパンチで弾き出す。17分にはまたも左でFKを得て中村俊輔が中に送るとファーサイドに走り込んだ闘莉王が Nataporn Phanrit に競り勝ち頭で合わせまたもファーポストを狙いそこに玉田が走り込むが Pitchitpong Choechiu がクリアー。そのCKを今度は中澤がダイビングヘッドを放つがゴール上に外れる。セットプレーのチャンスに闘莉王、中澤が積極的に絡んでくる。そして23分遠藤のショートCKを中村俊輔が受けて再びの戻し遠藤が中に入れるとファーサードに走り込んだ闘莉王のヘッドが対ゴールに突き刺さり先制点が生まれた。マークに入っていた Nataprn Phanrit の頭を完全に越えた打点のヘッドでった。 こうなると完全に日本が試合の主導権を握る様になる。25分には遠藤のFKがクロスバーを叩く。そして36分遠藤のCKから中澤がヘッドで決め追加点。この中澤の動きはマークに入ろうとした Kiatprawut Saiwaeo のマークを巧みにかわしTeerasi Dangda の前に入り込んで撃ったもの。これでタイがこの試合に勝つ事はほぼ考えられ無くなった。後は日本が何点差で勝つかという事に関心が移ったであろうが前半の得点を含んだチャンスは全てセットプレーから。
  
  


後半は流れのなかかからの得点が…と思っていたが開始早々からタイが生き返った様にボールをつなぎだす。53秒にはDatsakorn THONGLAO のロングフィードが Teerasai Dangda に送られる。 Teerasai は上記した通り Manchester City と契約した選手で現在はスイスの Grasshopper Zurich にローン移籍している。昨年の Asian Cup には最終メンバーに選ばれたが開幕戦のイラク戦に交替出場で5分程出場したのみだった。Thonglao はかつてブンデスリーがのカイザースラウテルンに練習生として所属しAsian Cup 3試合に出場した。48分には FW Chaikamdee に替って Tana Chanbut が投入された。 Chaikamdee は 2003年のSEA Games ではエースストライカーで決勝戦のベトナム戦では優勝を決める V ゴールを決めた選手。しかし昨年の Asian Cup は最終メンバーに残れ無かった。このワールドカップ予選ではバーレーン戦でゴールを決めるなどしたがこの試合では得点できなかった。 替わって投入された Chanabut はこれからタイの中心となり得る選手で 2006年のムルデカ大会ではマレーシア戦でゴールを挙げたり今年5月17日に Manchester City が来泰した際に Thailand Premier League 選抜として出場しゴールを決め 3-1 の勝利に貢献した選手だ。このワールドカップ予選では初戦の日本戦ではベンチ入りし出場機会は無かったが以降は途中出場を果たしている。

 


この Chanabut のボールキープからタイはしばしば日本ゴール付近まで迫る。後半のタイはベテランMFの Tawan Sripan が上がって来てFWの Chanabut, Teerasil Dangda と前線の3人をターゲットにタイの特徴であるショートパスが繋がり出した。このショートパスにバーレーンDF陣は翻弄されたのでさいたいまスタジアムでの試合では参考にしてくれれば良いのだか…….. そして日本選手にボールが渡ると次々にマークに入り前半の様に自由にボールが持てなくなって来た。それでもタイが得点を挙げられなかったのは最後の1対1での詰めでここには日本のフィジカルとテクニックが上回った。ロスタイムに入りようやく中村憲剛がセットプレーでない得点を決めたがもしその前にタイにゴールが生まれていれば最悪は引き分けていたかもしれない。

日本はこれで最終予選進出を決めたが、最終戦の相手バーレーンはどういうメンバーで来るのだろう?既に3次予選突破を決めているチーム同士の戦い。マチャラ監督は恐らく主力を置いて来るのではないだろうか?そうすれば無駄なイエローカードを貰わずに済む。そして日本が主力を出してくれば“挑発行為”を“控え選手”に繰り返させ最終予選の“出場試合”を減らせる事が出来る……… 学校体育に慣れ親しんでいる日本人ではわからない感覚だろう。だから日本もこの際“控え組”に経験を積ませた方が良いのではないか…..中村俊輔の大事な足も保護せねばならないし。

Chanvit 監督は次のオマーン戦が最後の指揮となるらしいがバンコックは私の好きな街。“サッカー人気”は高いのでもう少し代表が強くなれば人々の関心も“地元チーム”に向くだろう。

サワディカ~ップ コンタイ そして Chanvit 監督。

あぁでもさいたまスタジアムのチケットが消化試合になってしもた…………


オーストラリア快勝 余裕の1位通過 ??

2008-06-17 | 夏季五輪

6月14日。カタールのドーハに乗り込んだ Socceroos は地元カタールを 3-1 で一蹴し最終予選進出を決めた。
2月に Telster Dome で開催されたカタールとのホームゲームでは 3-0 と快勝したがその時からメンバーが大幅に替わった。 メルボルンではスタメンであったDF Lukas Neil, Craig Moore, MF Tim Cahill, FW Josh Kennedy, Scot Macdonald, ら5人がこの日のスタメンからは外れ、DF には Beachamp, Jade North, MF には Carl Valeri そして FW には Bretto Holmn とエース Harry Kewell が名を連ねた。 DF,FWの要が総入れ替えと言った感じか?
一方のカタールも2月のオーストラリア戦ではプレーしなかったストライカーのSebastian Quintana をはじめ Rizik Abdulmajid, Mohamed Rajab, Mesaad Ali Amm Alhamad Yusef Ahmed M Ali の5人の選手が入れ替わったが何と言っても Quintana が最も注意せねばならない危険な選手であった。14分には最初のピンチを招く. 中央をスピードあるドリブルで突破されシュート体勢に入られたがそこは Beachamp がタックルで防ぐ。すると17分、 Bretto Holman から左に開いた Bresciano にボールが送られ完璧な Low Cross が 中の Kewell に出されるがそれを Kewell がミスキック。しかし首尾よくボールが Emerton の前にこぼれそのまま Emerton がカタールゴールにけり込んで先制点を挙げた。それは2005年 Sydney でのワールドカップ予選のウルグアイ戦で Kewell のミスキックを拾ってゴールを決めた Bresciano のゴールを彷彿させたらしい。
その後カタールは Quintana ,もう一人の南米からの帰化人選手 Fabio Cesar Montesin の二人が攻撃に絡み再三ピンチを招くが守護神 Schwarzer がそこに立ちふさがる。 前半を 1-0 で終えると56分にはセンターサークル付近にまで飛んだ Schwarzer のGKを Kewell が受け、フォローに入った Holman に送るとカタールDF陣の裏に走り込んだ Emerton にピンポイントのロブを送り2点目を演出。 この日の Holman は Socceroo としては最高のパフォーマンスを見せ、間違いなく Man of the Match であった。(こういう表彰この試合であったかな?) 更に75分にも Holman は右サイドからカタールDFを外して絶妙のクロスを送ると Kewell がさすがワールドクラスと言わせるボレーシュートをカタールゴールに叩き込み3点差とした。
カタールは70分に Quintana がPA内にドリブルで侵入。そこを David Carney がマークに入り Quintana は転倒、PKをアピールするが韓国人 Lee Gi Yong 主審の判定はノーファール。これがPKと判定されていれば流れは変わったかもしれない。 カタールは89分“ようやく”PKを貰いそれを Khalfan Ibrahim が決めて1点を返したに留まった。これでオーストラリアは最終戦を待たずに3次予選突破を決めた。そしてカタールは勝点7のまま、天津で中国を破り勝点でならばれたイラクと6月22日にドバイでの直接対決に臨む事ととなった。

6月のワールドカップ予選はこれで3連戦目となるが試合を追うごとにチームの熟成度が上がっている様に見える。それは日本も同じ事で徐々にではあるが力の差が表れているのではと思わせられた。ここに Lukas Neil, Tim Cahill, Josh Kennedy さらに噂される Mark Viduka が加わればさらにパワーアップ…..とは思えない。この一連のワールドカップ予選は同じメンバーで3連戦を行う過程でのチーム力アップではなかったか?

そしてGK Schwarzer の神懸かり的なファインセーブ連発も見逃せない。 
その Schwarzer はカタール戦でイエローカードを貰ってしまい次の中国戦には出場出来ない。しかしそれは少し不可解な判定。 2-0 とリードした74分、観客席から投げ込まれた多くのプラスティックバックを拾っていた行為が遅延行為とみなされたもの。確かに ゴールキックを蹴る前にそれをすると遅延行為と取られても仕方ないがプレー中にもそう言う事は出来ない……..
更に Wilkshire, Carney が警告を受け翌週の中国戦には出場出来なくなった。 

 

既に次のステージ進出を決めたオーストラリアだが Pim Verbeek 監督は最後の中国戦をMichael Petkovic, Michael Beauchamp, Jade North, Harry Kewell, Carl Valeri そして Brett Holman.を含んだベストメンバーで臨む事を公言している。ただ GK は誰が Schwarzer の代役を務めるのだろう…….. Lukas Neil, Josh Kennedy の合流は確実視されているらしいが…..

Verbeek 監督の最大の収穫は何と言ってもエース Harry Kewell の復活だろう。カタール戦でも85分間プレーをし1ゴールを決めその存在感を示した。 Kewell のこんな元気な姿は2006年のワールドカップクロアチア戦以来ではないだろうか? 来シーズンはどこのクラブチームでプレーをするのか?代表でのコンディションも考えて A-League のチームというサプライズは……… 

 

また Socceroos には直接関係ないが見過ごせないニュースが。3月ドーハで行われたイラク戦に出場したブラジルからの帰化人選手 Marcio Emerson Passos がかつてブラジル U-20 メンバーとして1999年南米ユース選手権に出場していたので FIFA の国籍ルールに抵触しているとの疑いがあり勝点3マイナスされるというニュースが飛び込んできた。もしそうなれば最も恩恵を受けるのは現在勝点7で並んでいるイラク。6月22日のイラクとの直接対決では引き分けても……とおもったけど既に得失点差で上回っているので( イラクが得点 4 失点 5 カタールが得点 4 失点 6 ) カタールは勝たねばならない試合だ。中国は現時点で勝点3しかないのでどう転んでも2位にはなれない。 カタール協会はその疑いを試合後察知し Emerson Passos を“とりあえず”メンバーから外している。
その Marcio Emerson Passos こそ誰あろうかつて浦和レッズで活躍したあのエメルソンだ。 2004年のさいたまシティカップのインテル戦で決勝のPKを決めたエメは試合後のインタビューで “私はイタリアだろうが、ブラジルだろうがどこでもやっていく自信がある。しかし今はさいたまスタジアムに来てくれる子供達の為に頑張っている。”と殊勝な事を言って泣かせてくれたあのエメルソンである。  
息子の8歳のクリスマスプレゼントがエメルソンのレプリカユニフォームだった。   

でもエメルソンの国籍問題は今に始まったことではないと思うんだけどなぁ....

こんなところで記事を見るとはそれこそ“サプライズ”でもあった…………


落日の…. あぁ中国隊球迷達よ…….

2008-06-17 | 夏季五輪
どうも体調が優れない。6月5日夜私はウェリントンからトランジットで立ち寄ったシドニー空港にいた。今回の出張期間は短かった。行程は殆ど Brisbane Gold Coast 地区で時差も全く気にならない+1時間。更に東の時差+3時間のニュージーランドにも移動したが滞在はわずかに2泊のみ。あとは一路東京に飛んで翌朝に到着したらその日はゆっくり休んで翌日金曜日に会社に顔を出し、週末はまたゆっくりとワールドカップ予選でも楽しもう…そうそう EURO2008 も開幕するな…….と思っていた。しかし電気系統の Technical Problem との事で出発できず航空会社が準備したホテルで一晩過ごすことに。ホテルは結構豪華だったがチェックイン出来たのが午前1時過ぎ、翌朝は午前7時半にバスが迎えに来る。宿泊を楽しむどころでは無い、そのままベッドに直行。豪雨と突風の残る翌朝、迎えのバスに乗って空港に再び戻るが航空機が飛び立ったのは予定時間より更に1時間半遅れ、結局当初の予定時刻から13時間半程度の遅れ、そしてようやく家にたどり着いたのが木曜日の午後11時頃。木曜は爆睡して金曜に顔を出して週末再びゆっくり休んで…と言う目論見は崩れてしまい、その上翌週は強烈な忙しさ、翌週末は土曜日が朝5時起きの出社で慢性的な睡眠不足が続き、ようやく土曜の夜まとまった睡眠にありつけた……….

6月14日。日本がバンコックでタイを一蹴しワールドカップ最終予選に大きく前進したあと、私は天津で開催されたワールドカップ予選のグループ1の中国対イラク戦をAFCのサイトを通じてネット観戦した。前回のワールドカップ予選では最終予選にすら進出出来なかった中国代表は今回もグループ分けの不運もあり大苦戦。前節はホームに迎えたカタール戦では Sebastian Quintana の1発に沈みグループ最下位に転落。最終予選進出には残りのイラク(ホーム)オーストラリア(アウェー)に連勝する事が最低条件。自力での3次予選突破はかなわなくなっていた。
苦戦の原因は色々あるのだろうが、4試合で1得点と言う得点力不足に他ならないだろう。得点力不足と言うよりの中国の歴代FW陣の決定力不足は“伝統的”ともいえる。1987年瀋陽での五輪予選、1992年北京でのダイナスティカップ、それぞれ日本が中国を破っているが共に立ち上がりの日本は中国の猛攻に徹頭徹尾押し込まれていたというよりも練習のハーフマッチの様に日本のコートで試合が進められていた。そして何度も決定機を外してくれたおかげで日本はともに完封勝ちを収めた。 今予選会も4試合を終えた時点でアウェーのイラク戦で Charton Athletic でプレーする鄭智が同点ゴールを決めたその1得点のみ。3月26日の昆明でのオーストラリア戦は終了直前にPKを貰いながらブンデスリーが Energen Cottbus 所属の途中出場選手、邵佳一がSchwarzer に止められて勝試合を引き分けてしまっている。
中国選手の個々の実力は低くは無いとおもうのだが……...

中国は完封負けを喫した前節のカタール戦から韓鵬、杜震宇を入れるなどスタメンを6人入れ替え攻撃力をアップして来た。そしてこの試合最初の決定機は中国だった。右サイドからイラクゴール前に送られたクロスに走り込んだ韓鵬がつま先でボールを浮かせたボールはイラク GK Noor S. Hassan と DF Bassem Gatea を破って正にイラクゴールに吸い込まれ様としたその時に 必死に戻ったMF Hawar Taher がヘッドでクリアー。絶好のチャンスを逸した。それでも先制したのは中国。 32分にイラク選手のバックパスをGKが拾い上げたとの事でPA内絶好の位置で間接FKを得てその鄭智が蹴ったFKは一旦壁に当たったがこぼれ球をそのまま周海浜が放ったショットがイラク選手に当たりコースが変わってボールはイラクゴールに吸い込まれ先制点を得た。中国の得点は4試合ぶり。

 

しかしそれまでチャンスらしいチャンスを造れ無かったイラクが同点に追い付く。41分、Sader Salih の右からのクロスに張耀坤の裏に走り込んだ Emad Ridha がそのまま頭で押し込み同点とした。 Ridha はこれでオーストラリア戦に続いて連続得点。後半に入っても主導権を握っていたのは中国。しかし最終戦を“ホーム”で迎えるイラクに対し、アウェーでオーストラリアと戦わねばならない中国は勝点3が必要だった。どうしても前がかりになってしまう。孫祥、曹阳の両サイドバックがよく上がって来る。だが、その裏を突かれた。
65分、カウンター攻撃からまたも Sader Salih に右サイドを破れられクロスを入れられるとそこには Nashat Akram が。Akram はDFラインに戻った-孙祥、-徐云龙そして張耀坤の動きをよく見てその間を狙って放ったショットが GK宋振瑜を破りゴールネットに突き刺さる。ここ天津にも訪れた多くのイラク人サポーター達が(まさか在留ではないやろなぁ….)大歓声を上げる。

  

中国に残された時間は25分。しかしラインを引き出したイラクに果敢に攻めに行く。 右からのクロスをゴール前で待ち構える朱挺が頭で折り返し韓鵬が再びヘッドで狙う。今度こそゴールと思われたがイラクDF Ali Hassein Rhema がヘッドでクリアー。 さらにその後の右からのクロスに合わせた韓鵬のヘッドは今度はGK Noor S Hassann がパンチングでクリアー。韓鵬はこの日何度の決定機を止められたのだろう…… 残り時間あと15分程度になった時、なぜか画面は止まってしまいしばらくして再開された時は何と女子バレーボールのフランス対ロシアの試合前の様子がずっと映し出されてた……..金返せよ……..

結局試合はそのまま 1-2 でホームの中国が敗れ、最終予選を前に敗退が決まってしまった。 オーストラリア戦に続いて連勝を飾ったイラクの Adnan Hamad 監督は”この勝利で我々はまだワールドカップ出場戦線に残る事が出来た。中国は強いチームだったが何故彼らが勝てなかったはコメントできない。“…と言い残し翌週大一番となるカタール戦に向けて”ホーム“のドバイに戻った。

  
Vladimir Petrovic 中国代表監督は試合後“幸運はスポーツにおいて究極の部分だ。この日の幸運は我々を避けて続けていた。我々には2回の決定機があったが共にゴールライン上でクリアーされてしまった。イラクは効率の良さを見せたった2回の決定機を得点に結びつけた……..中国選手達はよくやったと思う。ピッチ上では良い動きを見せてくれたし数人の若い選手達は新しい活力をチームにそそいだ。… “ と言った内容のコメントを残した。

  

しかし著名な元中国代表選手范志毅は自身のブログでこの日の監督采配を批判した。まず先制してからラインをすぐに引いてしまい、前半を 1-0 で逃げ切ろうとした事が返って同点ゴールを導いてしまった戦術。そして五輪世代は北京五輪の為に温存するのでは無くもっと使うべき。地元開催とは言え五輪代表をフル代表より優先させるのが理解できない。と予選会に臨む体制を批判。そして61分、まだ 1-1のまま左サイドの杜震宇が下がって刘健が投入されたが何故左サイドを効果的に突破していた杜震宇をさげたのか?これでサイド攻撃は右からにしか選択肢が無くなってしまっい、いよいよ攻撃は鄭智のゲームメークのみに頼る事となったがこの日の鄭智は調子がいまひとつ。そして曲波を最後まで使わなかったことに、この大事な試合でこう言う采配をした Petrovic 監督に怒りの矛先を向けている。
アテネ五輪ではセルビア=モンテネグロを率い、2005年には上海実徳を指揮し中国には“慣れて”いたはずなのだが…… 高い金を払って外国人監督を雇う必要があるのか…..とも述べている。 前節でも試合後Jorge Fossati 監督が “中国は選手を交代させてもシステムは変わらない..”と述べているがそれが敗退の理由の一つともいえるだろう。
またこの試合、ベンチにいながら退場処分を受けたベテランDF孫継海の出場停止も痛かっただろう。そして東アジア選手権で”有名に“なったあのDF 李玮峰も累積警告でいなかった。Manchester United と契約している董方卓がこの3次予選1度も招集されていないけど怪我でもしていたのかな??イラクの2得点をお膳立てしたのが前節のオーストラリア戦では途中出場だったがこの試合はスタメンに起用された MF Salih Sader Salih のクロス。選手起用の明暗が現れた。

ネットの書き込みも壮絶だ。協会、選手達を批判する球迷達。

すぐに死んでしまって。私達あなたのを寛大に許すことができ(ありえ)ます

今11人の女の人を探して性転換手術をするようにしましょう。(多分女子代表に性転換をさせて次のワールドカップ予選に臨めという事か??)

サッカーファン達、あなた達は早くあきらめて。サッカーを見ないで。そうすれば中国のサッカーはやっと死にます!!!古い体制は死んで、中国のサッカーはやっと生き返ります。 
と言った書き込みもあれば范志毅を次の代表監督にという書き込みも。 
“下課(授業は終わりだ)”というプラカードを持つスタンドの球迷もいた。

  


今球迷達の望みは再びボラ=ミルティノビッチに指揮を振るって貰い6年後を目指す事か?? 昨年アジアカップの中国戦を観戦していたミルティノビッチ氏は中国人サポーター達から熱狂的な声援を受けていたから……..

  

この試合を中国でテレビ観戦していた中国の友人が言っていた。 “選手達からやる気が感じられない。彼らは給料を貰い過ぎだ。代表選手の殆どはJリーガーよりも年棒はいいはず。”これには驚いた。
“中国超級はそんなに人気が回復したのか??” の問いに“観客席はがらがら。でもスポンサーがすごく金を出して国家代表選手には年棒をはずむ。そうでない選手との隔たりはものすごい。” 
高給が悪いとは思わないけど、やはり基準というものがな……..

しかし他人事では無い。最終予選が終わって日本列島が戦犯探しに躍起となっていない事を願うよ…..

  

イラク リベンジ Socceroos 砂漠の中で無失点記録ストップ

2008-06-12 | 夏季五輪
6月7日。この日はサッカー観戦三昧であった。と言っても競技場に足を運んだわけではないけど……

午後3時からは日産スタジアムで開催された中田英寿氏の登場したプラスワンフットボールマッチ。中田ヒデもさることながら WORLD STARS の監督を務めたモウリーニョ氏。そしてダービッツやセードルフらの面々。JAPAN STARS は釜本監督自らがピッチに立つなど久々に観ていて楽しい試合であった。

そして夜、午後10時からのワールドカップ予選、オマーン対日本、試合終了直後に始まったドバイでのイラク対オーストラリア戦、更に午前0時50分過ぎからは欧州選手権こと EURO2008 の開幕戦。あぁ日本対オマー戦の前には中国対カタール戦が…….. 更に4大会振りに五輪出場を決めた男子バレーボールの日本対アルゼンチン戦、最後はどうやって寝付いたかわからない。翌朝家内の不機嫌な“いいかげんにしてよ!!”の一言で目が覚めた。そうだった、テレビとパソコンが点けっ放しだった……….

6日前 Brisbane Suncorp Stadium で強敵イラクにアジアカップでのリベンジを果たした Socceroos 達は翌日イラクとのリターンマッチに臨むべく中東のドバイに旅立った。 最近の“インターネット時代”のおかげで日本にいながらもアジアの試合が楽しめる。本当にサッカーを取り巻く環境は“ありがたい”時代となっていく……….
ドバイの Al Ahli Stadium には黄色いシャツを着た集団もいたけど圧倒的に多かったのは“地元”イラクを応援するサポーター。おそらくイラク人だと思うけどその老若男女は現地在留のイラク人達なのだろうか?それともイラクからわざわざ“ホームゲーム”の為にわったって来た人々なのだろうか………
イラクのスタメンは Brisbane でのアウェーゲームと全く同じメンバーで同じポジション。考えてみれば試合内容はけっして押されていた訳でなくシュートミス等が無ければその決定機の多さから勝点を奪ってもおかしくなかった内容。Adan Hamad Majeed Al Abbasi 監督は同じメンバーでもう一度 Socceroos に挑戦と言ったところか……

一方のオーストラリア代表 Verbeek 監督。 Scot Macdonald, Mark Bresciano の二人を外し、前節途中出場の Carl Valeri, そしてDFの Christpher John Coyne が起用された。 Coyne はEngland 3部リーグに所属するColchester United の所属。 Coyne の起用は Lukas Neil が Partner ( 入籍をしていないらしくこう表現されていた。) 出産の為に中東遠征に参加出来なかった為とフォーメーションの変更から。守護神GK Mark=Schwarzer は かわらずもDFラインが4バックから Michael=Beachamp, A-League はNewcastle Jets 所属のJade=North そして Christpher=Coyne の3バック。そして Vince=Grella と Carl Valeri がボランチのポジションで中盤の両サイドには右に Brett=Emerton, 左にDavid Carney。しかし前半はこの二人は後ろにポジションを取る事が多く3バックを含め5バック気味となる時間帯も。前線は Harry=Kewell のワントップに Jason=Culina とLuke Wilkshire が2列目を形成。話題となっていた長身 190cm FW の Joshua=Kennedy はベンチスタートなったけど、何故 Kewell のワントップにしたのだろう?既に勝点7を挙げ最終予選進出に王手をかけている余裕からだろう。 しかしWilksher, Emerton から繰り出されるロングボールは精度が高いので Kennedy をベンチに置きその武器まで封印する事は得策だったか?? 

 

試合は一進一退。 両チームともなかなかシュートチャンスが訪れない。Brisbane のゲームとの大きな違いは観客の声援。 Suncorp Stadium では48,678人の観衆のほぼ8割が Socceroos を後押ししたがここでは入場者数この約8,000人程度だったらしいが反対にほぼ9割が“地元”イラクを後押しする。しかも声量と熱気は Suncorp での Socceroos へのサポートの質量を凌駕する。 エース Kewell にボールが渡れば Basem Abbas らがすばやくマークに付き自由を奪う。 Brisbane のゲーム同様 Younus Khalaf, Emad Ridha の2トップが中央から突破を図る。しかしこの日の Socceroos は守備的な陣容。心配された North そしてこの試合に抜擢された Coyne が安定した守備を見せ、また Carney, Emerton のサイドの選手達も Brisbane の試合後に指摘された“攻撃偏重”は自重しDFラインを助ける。 
イラクの攻撃はセットプレー以外からは脅威を感じさせられなかったがそのセットプレーから先制ゴールを挙げる。27分、ゴール正面やや左だったとはいえ30mほどの距離のある所でイラクはFKを得る。セットするのは Emad Mohammed 。Far Side にクロスを送る様に放物線を描いて蹴りあげたボールは Schwarzer を破り6試合連続揺らされる事のなかったオーストラリアゴールネットに吸い込まれた。 拡声器を使って中東独特のメロディーを流し続けイラクイレブンを鼓舞し続けて来たスタンドからは大歓声があがる。 
この得点シーン、昨年アジアカップでのイラク戦、22分の Nashat Ali の先制ゴールを再現させた。 どうもこの手の弾道は Schwarzer は苦手としているか?それともGKが最も取りにくいコースなのか? しかしオーストラリアサポーターとしては Schwarzer の出だしの最初の1歩が少し遅れた様にも感じたか……….

後半になると Verbeek 監督はメンバーチェンジを交えながらフォーメーションを“攻撃的”にシフトチェンジを。まず前半終了間際にイエローカードを貰ってしまったGrella を下げてBrett=Holman を投入しトップ下に。そして Wilksher を右サイドバックに置き4バックにしCarney, Emreton を高い位置に上げた。これで Kewell が孤立気味となっていた最前線にボールが回りだし、特に Holamn のサポートから前半より遙かに得点チャンスの気配が漂う。65分にDF Coyne が下がり遂に Josh=Kennedy が投入される。オーストラリアのDFラインはここでロングボールに定評のある Wilksher が中盤にあがり3バックに。71分には Kewell が下がり Glasgow Celtic の Macdonald が入る。 Carney とのパス交換からゴール前に迫るがイラクDF陣もタフ。さらに相手選手と交錯してもなかなか立ち上がらず Soceroo 達の焦燥感を煽る。結局オーストラリアは1点が返せず昨年9月 MCG でのアルゼンチン戦以来の黒星、失点そして完封負け。日本人の松村主審のホイッスルが鳴り響くや“地元”サポーターからは大歓声があがり大小のイラクの旗が打ち振られる。この試合前に中国が敗れた為にイラクが3位に浮上。そして最終予選進出に望みを繋いだ。 

 

試合後 Verbeek 監督は “Mark=Shcwarzer は2秒ほどポジションを誤った。Mohamme dが同じFKを100回蹴っても99回はそこへは飛ばないだろう。 Mark はこれまで何度も我々を救ってきた。それはありふれた事でそれが Football だ。前半の我々は殆ど試合をコントロールした。”と GK をかばいながらも “ 前半は守備的に。後半は我々が出来る事はすべて出来た。チャンスもつくれたし攻め続けた。Brett=Holman の決定機( Kewellのヒールパスからのシュート)は決めるべきだと思う。もしあの様な絶好機を逸してしまえば後悔するだろうが選手達のメンタリティーについては否定的な事はいえない。” ともコメント。そして ”次のカタール戦に向けて選手達の肉体的、精神的状態を注視せねばならない。“と次戦に対しての切り替えを示唆した。

6月14日ドーハで行われるカタール戦には Kennedy は夫人の出産の為に合流しない。そして同じく出産の為に 合流していなかったLukas=Neil は “中東で戦えるコンディションでない。” と言う Verbeek 監督の判断で6月22日の中国戦から合流。Grella が累積警告でカタール戦に出場出来ず守備に不安を残すがイラク戦の連戦を経たJade North がその試合ごとに戦術と他のDF選手達とフィットしてきている、と自信をのぞかせる。攻撃陣では Holman のスタメンが予想され Kewell のパートナーに。カタールは2月のメルボルンの試合が出場停止だったエース Sebastine Quintana そしてブラジル人帰化人選手Marcone Amaral, Fabio Cesar の攻撃陣が健在。“ドーハでも勝点1がとれればよしと出来る。そして最終戦(中国戦)はホームで戦える。” と述べているが………

最後に地元紙はドバイに渡った Socceroos ファンの災難を記事にしている。実際の価格の20倍でチケットを交わされたとの事。どうもイラクサポーターと Sooceroos サポーター達への販売価格が“二重構造”になっていたらしくイラク人達には 20から50 Dirhams (約500円から 1250円 ) で販売されオージー達にはUS$100 ( 約1万300円)で販売されたらしい。この試合のチケット管理はイラク協会に委ねられており、オーストラリア協会 FFA には知らされていたかったらしい。オーストラリアからやって来た男性4人組が Socceroos の練習を見学しているとイラク協会のスタッフに“チケットを買わないか?” 声をかけられ2時間待たされたあげく US$100 を請求されたとの事。また試合球での練習が認められたのは最後の2度の練習のみ。それがあの失点につながったか…….

思い出すのは15年前商用でブカレストを訪れた私はワールドカップ予選のルーマニア対ベルギーの大一番のチケットを入手し喜び勇んで会場の Steaua Stadium に知人達と向かったがなんと入場できない人々がわんさと。彼らはみなチケットを手にして“入れろ!! 入れろ!! ”の大騒ぎ。最後は警官隊まで出て来ての大騒ぎ。しかたなくホテルに帰ってテレビ観戦をしたのだった…………..

どうやら中国はまたも最終予選を前にしてワールドカップを断念せねばならない様だが…….オーストラリア、イラク、そしてカタールのいずれかが最終予選で日本と必ずあたるのか……. 今後の厳しい戦いを想像すると….. しかしまずその挑戦権を勝ち取らないと. 

  

対イラク戦勝利の翌日 オーストラリアの新聞から

2008-06-08 | 夏季五輪
Brisbane で行われたイラク戦の翌日。 Socceroos 一行はメインスポンサーであるカンタス航空機で一路次の戦いの地中東遠征へと旅立った。私は翌日の地元紙3紙を興味深く読んでみた。

Sydney Morning Herald から 

Australia lowers flag in Iraq オーストラリア国旗イラクで貢納。 

この一面トップの動詞の見出しをみたSocceroos サポーター達は少し息をのんでしまったのでは無いか?しかしこれは現地に駐留しているオーストラリア陸軍が新たに昨年就任した Kevin Rudd 首相の公約通り陸軍兵士を撤退させ始める事となった記事の見出しであった。550人の兵士達は6月下旬には Brisbane 港に到着する予定との事。 Joel Fritzgibbon 国防相は“彼ら550人を誇りに思う”とコメントを残した。 2003年米軍がイラクに駐留を始めた直後 John Howard (当時)首相はブッシュ大統領のイラク政府にいち早く指示を表明。現地に駐留軍を派遣する事に。そしてこの5年間で延べ 14,000 人の兵士を含めた駐留軍関係者が現地に派遣されAS$23億 ( 約2300億円)の予算が投入されたらしい。 
海軍は引き続きペルシャ湾警備の為に現地に残るがこれはイラク戦争勃発前の国連決議幇助のの延長線上の事であり 110人の陸軍兵士は大使館を周辺警備の為に現地駐在を続けるとの事であった………….

ワールドカップ予選勝利を伝える記事はSports 版の中でKewell の写真と “ FLASH HARY “ と言う見出しを掲載したトップ記事として伝えられた。 
記事に目を移すとまず  Harry’s Houdini effort sparks Socceroo magic  ( Harry のHoudini ばりの奮闘が Socceroo マジックを閃光させる )  のキャプションが。 これは1920年代アメリカで人気を博したハンガリー生まれの魔術師 Harry Houdini と決勝ゴールを決めたエースストライカー Harry Kewell をかけたもの。 
とにかく勝利が必要であった Socceroos は ドイツワールドカップのクロアチア戦での同点ゴール以来の貴重な得点を挙げたKewell のパフォーマンスで勝利を収め、 Kewell はこの様なレベルでは何かを出来る能力を持っている事を証明できたが、それ以上の事は出来なかった、と言った内容の行で記事が始まった。“それ以上の事”とは恐らく追加点を挙げる事と思われる。  Kewell の決勝ゴールは右サイドからの Brett Emerton からの送られたクロスを頭で合わせたものであったが、それ以外にも特に Wilksher から何度もクロスが Kewell に送られる展開が目に着いた。本来そこの Target Man となるのはこの試合をコンディション不良で出場出来なかった長身の Josh Kennedy であるべきで、 Kewell の特徴はむしろ相手DFとの接触を避け自身のスピードを生かしたスペースへの飛び出し。この日の Kewell は “ Kennedy の代役が務まるか”の試験の様だった。一方の守備陣の方はイラクを完封し結果的に Australia 代表の無失点記録は6試合連続となった。76分に Kewell がベンチに下がってから最も目立った選手は GK の Schwarzer。左サイドバックの David Carney, 左のMF Vince Grellaの守備的役割も目立ったがそれはCBの Beachamp, Jade North の出来が不在だった Lukas Neil をカバー仕切れなかった為。 無失点記録の更新は Schwarzer のFine Save と 前半のYounes Mohamed, 後半の Hawar Tehar のシュートミスもあった事を忘れてはならない。
そのイラクは次のオーストラリア戦に全霊を傾けるだろう。 Socceroo 達は試合の翌日にドバイに向かい、その翌週にはカタールのドーハに向かう。アウェーで勝点を奪う事は容易では無い。40度以上の砂漠の中での試合。そこには開始4分 Haider Hussein の放ったミドルシュートがクロスバーを直撃しそのまま真下に落ちたボールをノーゴールとウズベキスタン審判団に判断されたイラクがリベンジを果たす番だ。 実際に Australia のチャンスの多くは Kewell のヘディングに帰結された。 そして攻撃のバリエーションはイラクが多かった。 Younes, Hawar のシュートミスが無ければ展開は解らなかった。そして立ち上がり4分の Haider のミドルシュートも。

左サイドバックの Carney は Sydney FC 時代から左足からの攻撃力の定評が高かった選手だが守備的な能力を問われると…..彼はMFで使われるべきと思う。 Schwarzer のセーブはこの日も失点を阻んだが前節中国戦でも最後にPKを止めて失点を防いだことを忘れてはならないと思う。 Revenge puts Australia in pole position  ( リベンジがオーストラリアをポールポジションに ) 両チーム合わせて15人の選手が昨年の Asian Cup と同じスタメンのメンバー。この時 Socceroos はイラクに 1-3 と一蹴される。そのリベンジが最高の食事ならば Socceroos はこのイラク戦を楽しめたはずだ。 Pim Verbeek 監督の計算だと勝点10が最終予選進出への必要な勝点。この試合の勝利であと3、1勝となった。 これまで Socceroos が最後にワールドカップ予選のホームゲームで敗れたのは27年前の New Zealand 戦まで遡らねばならない。最終戦は中国をホームに迎える事を考えれば3試合で勝点3を上げる事は難しい事では無い。しかし立ちあがりの押されていた時間帯でもし失点を喫していたら、 Celtic の Aussie Striker 、 Scot Macdonald のワントップよりも Kennedy の方が…..と思われるのはそれだけ Wilksher にクロスが効いていたからか…. しかしそれでも Kewell のこの日の評価は下がらない。 
この日のイラクは Younie Mahamud の1トップではなく予想に反して Emad Mohammed との2トップ。 ( Asian Cup では Younis の1トップだった。)トップ下の Nashat Akram はゲームメークを演じ左サイドの Hawar Mulla と 右サイドの Mahdi Karimi のドリブル突破は脅威で、特に右サイドの Mahdi Karimi の突破は Carney, Beachamp をサイドに引き出し、空いた中央を Emad, Younis の2トップの侵入を許した。

オーストラリアがホームゲームのワールドカップ予選で敗れたのはスペイン大会予選の 1981年5月16日の New Zealand  戦に 0-2 で敗れて以来。この時は4月のアウェー戦で引き分けながらホームで敗れてしまった。その後ワールドカップ予選では1985年12月の Scotland 戦 ( 0-0 ) 1989年3月 New Zealand ( 4-1 ) 4月イスラエル ( 1-1 ) 1993年8月カナダ ( 2-1 PK戦 4-1 ) 10月アルゼンチン ( 1-1 ) 1997 年11月イラン ( 2-2 ) 2001年11月ウルグアイ ( 1-0 ) 2005年11月ウルグアイ ( 1-1 PK 戦 4-1 ) と強豪相手でも敗れていない。しかし1997年 MCGでイランと引き分けたあの試合は悲劇として語られている。

  

The Courier Mail は WEB SITE の Photo Gallery は定評がある(と私は自分一で思っている。)そのスポーツ版は表も裏も一面はイラク戦の Kewell の写真を一面に。

Captain Harry kick on to save Roos ( 主将の Harry の一蹴りが Roos : 代表を救う ) と言う大きな見出しが。 しかし Verbeek 監督の “今日の我々は勝利に値しない。選手達はみな理解しているはずだ。“とのコメントが。
また Grella の Suncorp Stadium の芝は滑り易く Football Pitch とは言い難いとのコメントが掲載されており、試合結果に満足しながらも“我々はもっとやれると思う。”とピッチさえよければと言いたげ。そして4~5日の合同練習では全てのメニューをカバー仕切れ無い。とのチーム事情も。そしてハーフタイムでの Verbeek のアドヴァイスは短く的確であったと述べている。また Pim not happy with Sloppy Win ( Pim はこの杜撰な勝利に満足していない ) とのキャプションには “我々は相手に多くのチャンスを与え過ぎた。そしてフリーになった味方選手を使いこなせなかった。もっとやれたはずだ。次はもっとやれるはずだ。”とのコメントを掲載している。 この試合を完封し Verbeek が指揮を始めて以来5試合まだ失点を喫していない。Socceroos が最後に失点したのは2007年9月に Melbourne で行われたアルゼンチン戦で Demicelis にゴールを許したゴール。しかしこえらの完封試合は35歳の Mark=Schwarzer のファインセーブ連発の恩恵によるもので Lukas Neil の抜けた DF ラインの整備は急務。 GK の神懸かり的なセーブは2週間も続かない。
Schwarzer は来シーズンから Fulhamu に2年契約で移籍する。 

攻撃陣では1得点に終わったが Scot Macdonald が前線に為を作り Kewell がガーナ戦の様にボールを求めて中盤に下がる事が少なかった。しかし Kewell はヘディングシュートが多かった。それだけイラクDF陣はしつこかったと分析。そしてイラクのワールドカップ行きは風前の灯であるのでこの次はもっと強い意気込みでくるだとうと結んでいる。 ピッチ状態に就いてであるが1週間前から Brisbane は雨が続いていた。しかし試合当日は曇天ではあったが雨は前の日までと比べて格段に少なかった。天候とピッチ状態に閉口したのはむしろイラク選手達の方だろう。ドバイでの“ホームゲーム”はおそらくもっと硬い芝のピッチであるだろうが、それは勿論 Socceroos 達には味方しないだろう。そして試合内容では決して引けをとらなかったイラクの“ホームゲーム”が見ものだ。 FW 陣は第1節で活躍した長身の Josh=Kennedy の次戦からの復帰が望まれている。やはり Joel=Griffiths では荷が重かったか……….

  


最後に保守系の地元紙The Australia から。 
イラク戦の勝利は幸運によるもの40度を越える中東では幸運に頼るのは厳しい。イラクは強いチームである事を忘れてはならない。イラクのDF陣は攻撃的でスピードもあり自信をもって経験のない両サイドの裏を突いて来た。 Younis らのシュートミスが無ければ結果は解らなかった。イラクはまだまだ挽回する力が残っている、との文章が。

Kewell shows word he can still deliver the razzle and dazzle ( Kewell はまだ乱痴気騒ぎをもたらせる証明を果たした。) 
“チームより偉大な選手はいない”と言う古いスポーツの諺にがあるがこの試合に就いては 1-0 の結果より大切な事が証明された。 久しぶりに(2年ぶり)母国のピッチに現れたKewell のパフォーマンスを見る限り他の選手との違いを見せ素晴らしいゴールを決めた。  “彼を (76分) に引っ込めたのは良くなかったかも知れないが酢での彼の足は痙攣をおこしていたのでそうせざるを得なかった”と言う Veerbek 監督のコメントが寄せられている。 

おそらく最も重要な事は Kewell がリーダーシップを充分に発揮した事で先制ゴールにみならず開始8分には Macdonald とのパス交換から Bresciano のシュートを導き出した。そして先制後何度かゴールに迫り惜しいシュートも放ったが相手 GK のNoor の美技に阻まれた。76分に大歓声を浴びてベンチに戻る彼の姿に Liverpool 時代に失っていた輝きを取り戻し、地元のサポーターを熱狂させる事が出来た。 
“アウェー”のイラク戦に向け、まず DF ラインは Lukas Neil が合流できるかどうか?がポイントで攻撃陣ではWilksher, Emerton のクロスの精度が高いのでJosh Kennedy の合流が望まれる。また今度はサイドバックの David Carney にあまり攻撃参加をせずにと指示した方あいいだろう。もしくは MFで起用するか?

そして今イラク対オーストラリア戦がキックオフされた。この前に終わった中国対カタール戦で中国が 0-1 で敗れた。Group 1 最下位のイラクオーストラリア戦に勝てば中国を上回れる。オーストラリアは勝てば最終ラウンド進出がほぼ決定となるので両国勝利を求める戦いとなるであろう…….. 

 


エース一発 Socceroos 最終予選へ前進

2008-06-02 | 夏季五輪
紆余曲折の末予定通りに開催されたワールドカップアジア地区3次予選のA組、オーストラリア対イラクの大一番 (と言ってもこの組は全てが大一番かも知れない….)はホームのオーストラリアがイラクを 1-0 で破りこれで2勝1分の勝点7となり最終予選進出に大きく前進した。 
前日まで Gold Coast に滞在し何とか仕事をこの日の午前中で終わらせ車を飛ばして Brisbane に移動。心配された雨もこの日は試合開始までには降りださなかった。 ホテルに荷物を置いてそのまま徒歩で競技場に向かう。試合が行われる Suncorp Stadium が近付くにつれて黄色のシャツを着た人達が増える。 Socceroos のレプリカを着た老若男女だ。私も KEWELL の名前の入ったシャツを持っているが今はワールドカップ予選期間中。ここは着なれた SAMURAI BLUE の NAKAMURA のシャツを着て行った。
競技場に到着するとイラク代表のレプリカやイラク国旗を纏った集団が。彼らを見ると試合が行われて本当に良かったと思った。所定のカウンターに行って自分のチケットをピックアップする。実はこれが一番心配なことでもあった。何かの手違いで受け取れ無かったら最悪当日券を買おうかと思っていたがチケットは完売だったらしく反対側の窓口は全て閉まっていた。パスポートとクレジットカードを見せて無事にチケットをピックアップ。やれやれ…..と思っているとアジア系の男性に“チケット余って無いか….” と訊かれたので ”悪いけど自分の分しか…”と断ることに…..

Stadium に入るがキックオフまでまだ1時間程度ある。珍しく早い時間に競技場を入りした…..と勝手に感心していると、既に多くのイラク人サポーター達が国旗を広げて陣取って歓声を上げている。すると一人の白人男性がイラクサポーターのリーダーと思しき人と話をしている。野次馬根性よろしくそこに近づいてみるとどうやらイラク国旗を仕舞ってくれとの事でそれは規則で無駄に観客席を占領してはいけないとの事であった。イラク人リーダーが“ブラジルの国旗ならいいのか?オーストラリアの国旗なら良いのか?”と訊くが係り員は“どこの国を問わず席を占領しないでくれ。”との事であった。リーダーは素直に従い国旗を仕舞いだす。あぁぁ、写真を撮っておけば良かったなぁ..

しかし彼らの試合前の気勢は留まるところを知らない。さっきの係員に聞いたら F.F.A. の役員との事。試合終了までスタンドでトラブルが発生しないか心配だ….と言っていた。次のステージに進めば日本と対戦することになるかもしれない、でも日本人はマナーが良いから大丈夫だよ、と話すと彼も”勿論日本人なら安心して迎えられる。”と言った。その前に日本が3次予選を突破せねば.......

  

そしてイラクのリーダーにも声を掛けた。オーストラリアに住んでいるので英語で話せた。1993年のドーハの事は彼も良く知っていたそして気勢があがるサポーター達に拡声器を使って何やら私の事を紹介してくれた、どうやら日本からイラクを応援しに来た事になっているらしい、みんな一斉に、ジャパン!! とかジャポン!! とか私に向かって叫んでくる。そして何十枚も一緒に写真を撮られた。もしかしてこの人達は最終予選で日本まで来るかもしれないなぁ……… リーダーをはじめ皆と握手をしてとりあえず自分の席に戻ることにした。チケットは完売と言ってもこのイラクサポーター周辺だったら1席くらい空いてるだろう、だから自分の席が見難い席だったらこのゴール裏の一角に入れて貰おうと思いながら席を探した。
しかし、なかなか見つからない。係員に訊いても良く解らない。3人目に訊いたフォーマルな服装の係員が正確な場所がわかる係員で席の近くまで連れて行ってくれた。そこは中二階にあるボックスシートでワンボックス10人分の座席があり私のボックスには既に9人が掛けていた。彼らはみなイラク人であったが日本代表の私のレプリカを見て暖かく迎えてくれた。訊けばみなオーストラリアに住んでいるわけでは無く何人かはこの試合の為にニュージーランドからやって来たとの事。隣に座っている人としばしイラクサッカー談議に花が咲く。当然ドーハの事も知っており、日本戦で同点のヘディングシュートを決めたオムラムを韓国が招待した事も知っていた。私が1982年のアジア大会の話をすると“その時 YOU はいくつだったんだ?”と驚いていた。この試合が行われないかと心配したとも言うと、“今のイラクは難しい。他の国の様な状態では無いから”と寂しそうに言っていたのが印象的であった。
すると他の人が“日本は今日オマーン戦じゃなかったのか?”と尋ねて来るので“日本の試合は明日。YOKOHAMA で開催される。”と答えたら、“日本にとってオマーン戦は easy job だろう?”と言うので “ I hope so “ とだけ答えた。

試合開始10分程前になってスタメンの発表が始まった。イラクは選手の名前が映し出されるだけであった。スタメンのうち昨年アジアカップのオーストラリア戦に出場した選手が8人いた。復調が伝えられていた Salih Sadar はベンチスタートしかし怪我が心配された MF Taher Hawar そして Bassim Abbas Gatea はスタメンに。エースの Younis Mohamed Khalef もスメタンに入った。 一方の Soccreoos は5月23日のガーナ戦のスタメンから5人が抜け、昨年のアジアカップのイラク戦のスタメンでメンバーからで外れたのは Mark Viduka  Patrick Kisnorbo そして夫人の出産の為合流出来なかった Lukas Neil の3人。Bretto Holman はベンチスタートでこの日のプログラムの表紙に書かれていた " We want revenge " がまさに当てはまるスタメンとなった。
ワントップには Celtic でプレーする Scott Macdonald, その後ろに Harry Kewell, Mark Bresciano の二人が置かれることに。 Kewell が映し出されると大歓声が沸き起こる。やはり彼はここではスーパースターだ。期待の Joel Griffiths はベンチにも入れ無かった。 A- League 勢では Newcastle Jets のCB, Jade North がスタメン入りし、DFの Rodrigo Vargas ( Melbourne Victory ) FW のBruce Djite (Adelaide United ) の二人がベンチ入りを果たした。改めて観てみると2006年のワールドカップメンバーがベンチ入りした選手を含めて8人いる事に。
国歌に続きシドニーで開催されていたFIFA Congress に出席していたブラッター会長に選手が紹介される。いつ Brisbane 入りしたのだろう?そしてどこのホテルに宿泊しているのだろう?

  

そしていよいよイラクのキックオフで試合が始まった。 開始早々イラクの Taher Hawer が左サイドを突破してシュートを放つが GK Schwarzer がコーナーへ逃げる。4分にはCKから Schwarzer が弾いたところをPAのやや外から思い切りよく MF Emad Mohamed がシュートを放つとそのミドルはクロスバーの内側を叩いてそのまま下に落ちるもラインを越えなかったという審判団の判定でノーゴール。実に惜しいシュートだった。しかしここからオーストラリアが攻勢に出る。6分には Grella, Kewell と渡りゴール正面で Macdonald がヒールで流した所をダイレクトで Bresciano が撃つがこれは GK Noor Hassan がブロック。 そのこぼれ球を David Carney が拾って撃つがこれはイラクDFに当たってサイドラインを割った。9分にも Kewell と Carney が左サイドを突破し最後は Bresciano が撃つがここはイラクDFがブロック。10分には右サイドを Wilkshire が上がり Culina に渡してシュートを導くがこれはサイドネット。両サイド攻撃からシュートに繋げるが、特に左サイドバックの David Carney は元々攻撃力があり左足が利き足なので攻撃参加をした時に存在感を示す。昨年まで Sydney FC でプレーをし ACL の浦和戦にも出場している。18分には Mahadi Karim, Nashat Akram そして Saed Attiya の3人に囲まれながらも Carney が上げたクロスに Kewell がヘッドで合わすがGKの正面を突いた。23分にはカウンター攻撃からKewell に繋がった所に Ali Irhema の激しいタックルが入りイエローカードが出される。 Kewell にはイラクDFも激しく行く。そこで得たFKを Wilkshire がゴール前に送ると攻撃参加したCBの North が頭で合わせるが GK の正面に。 オーストラリアの攻勢が続く中イラクが2度目の決定機を作る。右サイドを MF Mahadi Karimi が上がり対峙する Carney をかわして中にスルーを送るそこに走り込んだ Emad Mohamed がシュートを放つがここは Schwarzer がファインセーブで防ぐ。この後左サイドバックの Carney がMFに上がり Beachamp, North そして Emerton の3バックに。中盤に左から Carney, Grella, Bresciano, Culina を並べ、FWを Kewell, Macdonald の2トップに。これで前線に出た Kewell によくボールが出る様になりバイタルエリア付近で Kewell のドリブルが冴えて来た。それでもイラクは最終ラインを6人で固め得点を許さない。36分にイラクはこの日3つ目のビッグチャンスを逸した。右サイドを Mahadi Karimi が上がり中にクロスを入れるとそこにはフリーで走り込んだエースの Younis Mahmound が。しかし弾んだボールに身体を折り曲げ頭で合わせたシュートはゴールポストの右側に外れて行った。天を仰ぐ Younis 。

  


前半の3つのチャンスのどれかを決めておけば結果はアジアカップの再現になったかもしれなかったのに…… 前半は2分なったロスタイムを使っても両チームゴールが生まれなかった。 Kewell, Younis の両エースにあと少しの決定力があればと思われた。 イラクは終盤オーストラリアのサイドバックの裏を、特に Carney の裏の右側を Mahamed Karim が突いてチャンスを演出していた。 

そして私はこのままここで観戦することにした。全体が見渡せてなかなかの席だったから。それに周りの人達ともいろいろイラクの事を話したかったので。

  

後半に入っても選手の交替は無かった。立ち上がりの両チームのフォーメーションを確認しようと思ったところに先制ゴールが生まれた。右サイドでFKを得た Australia は Emerton が中に入れると Kewell がドンピシャのタイミングで頭で合わせてイラクゴールを割り先制ゴールを挙げた。 スタジアム中が大歓声で包まれる。しかし我々のボックスは私以外、みなイラク人なのでオフサイドでは無かったか?と思ってしまうほど静かだった。隣の人が“DFのマークが甘い…..” と渋い表情。あれだけチャンスをものに出来なかった Kewell があっさり先制ゴールをあげるところはさすがストライカーと言えるだろう。

  

試合再開後は何故か?イラク選手が倒れてファールを貰うシーンが続いた。これはそれだけオーストラリアDF陣のマークがきついのか?それともイラク選手達がファールを貰いに行っているのか?しかしイラクはなかなかオーストラリアゴールに迫れ無い。後半のフォーメーションはまた4バックに戻ったが前線は Macdonald と Kewell の2トップ。右サイドバックの Emerton が上がって来て対峙する Hawar Taher を抑えに来るのでイラクは攻撃時にボールが繋がらなくなって来る。ボックス内からは舌打ちが続く。 62分になるとリードしているオーストラリアベンチが先に動く。62分 Bresciano を下げて 守備的MFのCarl Valeri を入れ65分には Macdonald が下がって Brett Holman が入った。 Macdonald は思うような仕事ができただろうか……?  ここでオーストラリアは Kewell のワントップになりCarney を中盤の高い位置に上げて 3 バックに戻した。66分には右サイドの Wilkshire から入れられたボールを Kewell がフリーで撃つが力なくGKの正面に。追加点の絶好のチャンスであった。戦況を変えたいイラクは67分にコンディション不良が伝えられていた Salih Sadar が Mahadi Karim に替って投入される。 Mahadi は高い位置にいて前線の Younis , Emed Mohamed をサポートする。77分大歓声に送られて Kewell がベンチに下がる。絶好機も外したがこれまで唯一の得点を決めた選手に大きな拍手が送られる。替って投入されたのが Adelaide United の Bruce Djite だ。五輪チーム候補選手でもあるが北京五輪後は欧州のクラブチームへの移籍の噂がある。もしそうなればACLで Adelaide と対戦する鹿島サポーター達にとっては吉報となるが…….

80分を過ぎるとイラクが連続してチャンスを掴む。81分には Younis がドルブルで中央を突破すると Beachamp, North そして Grella に囲まれながらもボールをキープし強引にシュートを放つが DFの一人にあたったボールが弾みフォローに入っていた Salih Sadar に当たりゴールラインを割ってしまった。82分には縦パス1本でに反応した Hawar Taher がほぼ中央から抜け出てシュートを撃つが Schwarzer がブロック。 この日のヒーローは Kewell ともう一人はこの Schwarzer だった。

  

86分には Djite の右からのクロスに Holman がファーサイドから走り込んで撃つがボールはサイドネットを直撃。これをゴールインと思った観客が大歓声をあげる。この直後にイラク国旗を纏った観客2人がピッチに走り込んで来た。彼らはなかなか出て行こうとしないのでイラクの選手がなにやら説得する様に話しかける。スタンドからはブーイングの嵐だ。ようやく二人は捕まり試合が再開される。

  

試合が再開され88分には右サイドから上げられたクロスを North が必死にコーナーに逃げる。そしてロスタイムが4分と表示される。まだイラクにチャンスがあると思うがここでボールキープの出来る Djite, Holman の存在が効いてくる。それでも“ロスタイム”と言えばイラク、と思うのだが結局イラクは同点ゴールを挙げる事が出来ないままタイムアップ。オーストラリアはエース Kewell の1発でワールドカップ予選4連戦の初戦をものにした。
大歓声が上がる中ボックスの人達は私を含めて粛々と帰途に着き始める。そしてみんなと握手を交わしながら別れの挨拶を。オマーン戦の事を知っていた人が “ Good Luck !! 明日のオマーン戦に” と言ってくれた。 帰途に着く途中何人かの Aussie とイラク系移民に声を掛けられた。私の青色のレプリカを見て。最終予選でオーストラリアとやることになったらどこの街で開催されるのだろう……ってなことを考えながら。

でもその前に3次予選を突破せねば。まずは明日のオマーン戦だ。

部屋に帰って昼間買っておいた Take Away の寿司と取引先の人に貰ったインスタントみそ汁の晩御飯を満喫した。やはり日本人はご飯とみそ汁だなぁ…………..