Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

勇敢に最後まで..だったと思う  Japan 7-83 New Zealand 16th September

2011-09-25 | Weblog
今大会の組み分けが発表された時にまず思ったのは、“また All Blacks かよ….何点取られるンやろ…”

初めて New Zealand の地を訪れたのは1999年の4月だった。そしてタクシーの運転手にこう言われた。

“どこから来たんだ?”
“日本から。”
“日本?あぁ前のワールドカップのスコアーを憶えているか?”
“憶えている 17-145 だろ?”
“そうか日本は17点も取ったのか?”

マオリ系の運転手だった。もう前のワールドカップはとっくに終わって次のワールドカップが数カ月後に控えているという時期だったのに…ここで日本はそういう見られ方をしているのかぁ…と思った。今でも同じ質問は受ける…
“145点も取られたのは All Blacks が100%の力を出してくれたから。日本相手では50%の力でも勝てるのにフルパワーを出してくれた事に感謝しているよ。“と答えるのが精一杯だった。 あの時こう答えたらと後悔している。

“ワールドカップだろ?日本はアルゼンチンに 0-1 で惜敗した。ニュージーランドなんて出ていたか?あぁあれはサッカーのワールドカップだった。4年も前のワールドカップは憶えていないなぁ…..”

6日前のフランス戦を観て、世界の列強相手でもある程度戦える事が解った。
そして All Blacks の Graham Henry監督は日本戦は何人かの主力を休ませると言っていた。 更に試合の前日、既にスタメンとベンチ入り選手が発表された後に Richard McCaw が怪我の為に日本戦を欠場するとの“吉報”もあった。
これで16年前の様に145点も取られる事は…何とか100失点未満に…と思った。
しかし日本側も John Kirwan 監督が5日後のトンガ戦を見越して James Alridge ら主力を休ませるとのコメントをオーストラリア紙上に見つけた。 あぁ..これでまた大量失点の懸念がまた大きくなって来た。

Auckland から約100km程度離れた街 Hamilton に取引先のTさんに連れて行って頂いた。 勿論仕事もきちんとして。
前から Hamilton は行ってみたい街であった。人口は15万人程度らしいが日本ではお目にかかれない立派な綺麗なショッピングモールもあった。 
“雨が降らないと良いですがね…” とTさんが言った。そしてもっと寒くなる事も案じた。初戦のフランス戦はものすごく良い天気だったのになぁ…
競技場入りする前に何かを食べに街の中心街に出た。もう完全に黒一色。まさに “All Blacks ”だった。ここはニュージーランド当たり前の事だけど….それでも日本人サポーターの方々も少なくはなくお互いに連帯感が生まれた。そしてこう言いあった。

“頑張りましょうね。” 



まぁ頑張るのは選手達だけど出来ればこの試合で日本の存在感を見せてくれればと思った。フランス戦の様に….
そして Kiwi の子供にはこう尋ねた。

”今日 All Blacks は日本に何トライくれるの?”

競技場であるWaikato Stadium はさすがにワールドカップを開催するだけあって立派な競技場。日本にこれだけの競技場があるのは Hamilton よりももっと大きな都市でないと…さすがラグビー大国。羨ましく思った。
座席はこの試合もカテゴリーAをTさんが準備してくれた。前の方には日本の応援団が陣取るが周囲は Kiwi 達ばかり。
完全アウェーと思った。Kiwi 達も“ Hey Japan !! ”と街中でも声を掛けて来るが様相は余裕100%と言ったとろか?
“余裕ですね…羨ましい。“とその度に Tさんと言い合った。誰も日本に負けるとは思っていなかっただろうなぁ…



この試合もフランス戦同様に和太鼓のデモンストレーションが試合前にピッチで繰り広げられた。
メンバーの中にはTさんの知り合いもおられるらしかった。 



素晴らしい和太鼓のパフォーマンスも終わり、選手達が大歓声に包まれ控室に戻りそしていよいよ試合開始時間が近づく。
両チーム選手達が再び大歓声に包まれて入場し整列しニュージーランドの John Philip Key 首相とラグビーではお馴染みの閣僚森元首相が震災、被災のコメントを述べて1分間の黙祷に入った。 前の週に Christchurch に行った時にまだ被災の爪跡が深くはっきりと残っていたのを見てさすがの私も本当に言葉を失った……

両国国歌が斉唱される。今度はここの地元合唱団の声を聞きながら君が代を口ずさんだ。 
そしていよいよ恒例の HAKA が始まる。ワールドカップで日本相手に行われる HAKA に嬉しさを感じた。そして思った。
試合前の素晴らしい和太鼓の音の様に健闘しれくれるよ… 怯むなよ何点取られても最後まで勇敢に闘ってくれよ…



All Blacks のスタメンは1週間前のトンガ戦から9人メンバーを替えて来た。 Conrad Smith 、Ma’a Noun らは Tri Nations でのレギュラーメンバーはスタメンだったが McCaw, Daniel Carter らはベンチにも入っていなかった。 Tri Nations の最終戦 Wallabies 戦のスタメンだった Tony Woodcock, Keven Mealamu ら9人がこの9人がスタメンだった。
一方の日本代表は初戦のフランス戦からメンバーを10人も入れ替えた。8月13日のイタリア戦に先発した選手は菊谷主将をはじめ宇薄、平、マイケルリーチら4人。ベンチ入りした選手達の中でもイタリア戦に出場したのは半分の11人だった。
All Blacks 相手に大丈夫だろうか…と本当に心配した。



日本のキックオフで始まったゲーム。何とか先制点を挙げられれば…との淡い期待もむなしく開始3分右から左に展開され Colin Slade にトライを決められてしまい conversion kick も Slade が難なく決めてしまった。 大歓声が沸き上がる。日本相手にそんなに喜ばんといてくれよ…と思う。 こりゅあ何点入れられるか…と思った。
更に8分48秒、反則を取られ PG を選択される。 もうPGを狙うのかよ…と思うと観客からもブーイングが沸き起こる。しかし Slade はこのPGを失敗した。あまり難しい位置では無いと思ったのに。 更なるブーイングが地元サポーター達から起こる。
そして10分48秒今度はAll Blacksに反則があった。日本はPGを狙わずタッチラインに蹴りだした。すると観客から大拍手が沸き上がる。本音はPGを狙って無失点を避けて欲しかったんだけど…
この影響か?14分28秒、また日本が反則を取られた時はAll BlacksはPGを狙わすに外にボールを出した。再び観客から拍手が上がった。 日本は先制トライを許してから結構ボールを繋ぐシーンが続き追加点を容易には許さなかった。ボールキープをする時間を長くして失点を防ぎあわよくば…と思った。



しかし16分またも右から左に展開され最後は Richard Kahui にトライを決められた。それにしても早いパス回しだなぁ….とTさんと感心してしまった。 そしてこの後のconversion kickは Slade は失敗してくれた。 日本もボールを繋ぐのであるが22mラインをなかなか突破出来ない。そしてスクラムも押されっぱなしだ。
7月にテレビで観た Tri Nations ではボール支配率は低くてもディフェンスラインを作るのが早いので 南アフリカ、オーストラリアに連勝していたのだ。Springboks、Wallabies でさえ突破出来ないD-Lineを日本が簡単に….と思った。
更に23分 Jerome Kaino、31分 Keven Mealamuにも連続してトライを決められる。 Kaino は Tri Nations 3試合、 Mealamu は2試合出場した選手。日本のディフェンスも最終ラインで必死に粘るのだけど最後は押し切られるといった感じだった。
更に35分にもAndy Ellis にトライを決められ、その後のconversion kickも決まり得点は 0-31 になってしまった。
何とかPGでもDGでも良いから日本の得点シーンが観たかった。 しかし37分に Ma’a Noun の突破から Conrad Smith, Isaia Toeavu に繋がれ最後は Slade に渡りトライを決められた。 さすがにAll Blacksのレギュラークラスのボール展開だった。
そしてconversion kickも決まり前半は 0-38 で終わった。いや済んだ…



両チーム選手交替無くAll Blacks のキックオフで後半に入った。先に点を取ってくれ、長い間オールをキープして失点を少なくしれくれ…と願うのだけど立ち上がりの10分足らずに3トライを喫し 0-59 となってしまった。 後半のAll Blacks は右から左に展開す事が多かったが後半の日本のディフェンスラインの真ん中を突破する様になる。 ボールを受け取りする選手だけでなく“第3選手の動き”が効果的でラインに穴が空いたところを素早く突破されてしまう。 日本も後半は前半よりかは良い動きを見せている様に見えた。そして53分に反則でPGを得ても狙わずに外とに出した事に地元ファンも拍手を送っていた。 46分には負傷した平浩二に替ってトンガ人の Alisi Tupuailai が投入されるのが 116kg のTupuailai が良く攻撃の起点になっていた。53 分にはラインアウトからチャンスを掴むが菊谷が惜しくもボールを奪われてしまった。

そして59分私達日本人達が最も沸き上がるシーンが。 All Blacks 陣の22mラインのやや前、All Blacksボールとなり左から右に展開されたが Colin Slade から Sam Whitelock へのパスがやや浮いたところを小野澤が見事なインターセプトそしてそのまま疾走しAll Blacks からトライを決めた。 これで小野澤は3大会連続トライを決めた事になったらしい。33歳ベテランの素晴らしいインターセプトだった。 このトライが無ければ自分はどうやって Hamiltonから帰っただろう…
そして conversion kick もMurry Williams が決めて 7-59 とした。
Tさんとトライを喜んでいると周囲の人達がハイタッチや握手を求めて来た。 おいおい Kiwi 達余裕だなぁ…と思っていると彼らは Scotland から来た人や Scottish 系の Kiwi 達だった。なんだそれなら最初から良いのに…特に隣の男性には試合前All Blacks の事ばかり質問してしまっていたではないか…それでもしっかりと全て答えてくれたなぁ…



日本ベンチは北川、バツベイが投入される。 何とかもう1トライを決めて存在を見せて欲しいなぁ…と T さんと話しだすが、日本のトライはその後のAll Blacks の猛攻を呼び寄せるものだった。 1987年All Blacks を迎えた時に沖土居が歴史的なトライを決めたその後の様に…..
キックオフ直後には右から左に展開され途中出場の Andrew Hora が、そして62分には 191cm 110kg のCTB Sony Bill Williams が右から左に日本のDF陣3人を跳ね飛ばし疾走し Ma’a Nonu のトライをお膳立て。 76分にはラインアオウトからあっさりと繋がれ Adam Thompson に決められ、78分には左タッチラインで Nonu からボールを受けた Cory Jane が中央に走り込んだ S.B. Williams にキックでパスを送りそのままトライを決められ 7-83となってしまった。 まぁ100失点には届かないから良いかなぁ..と自虐的におもった。ラグビーと言えば巨漢な選手の体力勝負と思っていたけどAll Blacksの猛攻を見ているとスピードと判断の速さが全く違う事が良く解った。更に S.B. Wiiliams の様に110kgもある選手でも手足が長くスピードがある。ちょっとこういう日本人はいないなぁ….とも思った。



けど最後に何とか意地を見せて欲しかった。日本だって猛攻を受けている間チャンスが無かったわけでは無かった。68分には日和佐が大きくゲインしチャンスを作るも今村がノックオン。 その直後にも左に展開し畠山がボールを背後に回して小野澤にパスを送る。完全にフリーになった小野澤がAll Blacks陣の最終ラインを駆け抜けるが惜しくも畠山の技ありのパスがスローフォワードにとられた。

デジタルが80分を示す S.B. Williams がボールを落としたところを大野が詰め寄りボールを奪い Webb 将武に繋ぐ。ウェールズ人の Nigel Owen 主審からのラストプレーとの声が聞こえる。 一旦はAll Blacksにボールを奪われ日本陣内に攻め込まれるがインターセプトで取り返し一気にゲイン。そしてキックパスをAll Blacksゴールラインの裏に蹴り込み大野が走り込むがその前にいた S.B. Williams が外に蹴りだしノーサイドとなった。 観客からはこのプレーにブーイングが沸き上がった…..

あぁ…これが世界のトップクラスとの差か…と思ったけどこの日のAll Blacksはベストメンバーでは無かったんだなぁ….
試合終了前の10分間は隣の Scottish の男性とずっと話していた。1989年に東京で日本は Scotland に勝った事がある。と話すとそれは Football か?と訊かれたので、いや間違いなくラグビーだ。 今なら Football だったら日本は充分に勝つ自信はあるしここ2試合負けていない。と言うと Scotland はもう3大会もワールドカップに出ていない…と首を振っていた。
一体Scotland はどうしてしまったんだ? 1970年代はEngland より強かったんじゃないか? 1974, 78年大会は UKから Scotland だけが地区予選を突破していた… ダルグリッシュは Liverpool でジョーダン、バッカンはManchester United の中心選手だったしあのアーチー=ゲミルもいた。と言うと、スーネスもいた。 Liverpool だった。とサッカー談議に花を咲かせていた。
それから Celtic でプレーしていた Nakamura はまだプレーを続けているか?と訊ねられたので今は日本でプレーしていると答えた。そしてストラカンは選手としても監督としても素晴らしかったと言うと、中村の Manchester United 戦のFKの話をしてきた。少し一矢報いた気がした…. 関係ないか??

この男性とその向こう側の御夫人と握手を交わし、周囲の Kiwi を含んだ人達とも握手を交わし席を立った。
ピッチでは日本選手達がスタンドに歩み寄りサポーター達に挨拶をしている。この試合ベンチ入りをしなかった James Arlidge が丁寧に写真撮影やサインに応じていた。彼としては出場したかったんじゃないかな…



点差がついたけど楽しかったですね…. T さんがこう言った。
そうですね、最後にもう1トライきまっていればなぁ….

帰りもTさんに車で Auckland まで送ってもらった。途中まで凄い渋滞だった。 
これみんなラグビー見た人ですね。こんなの初めてですよ… Tさんも驚いていた。

2時間半のドライブでようやく Auckland に到着。 T さんに何度も礼を言い握手をして車を降りてホテルに向かった。
この日は Public Viewing の前の通りである Quay Street は閉鎖されていた。多くの Kiwi 達が騒いでいた。 Friday Night だからなぁ….. でもこの試合とフランス戦を見る限り次のトンガ戦とカナダ戦には期待できそうだ…とこの時は思っていたんだけど….

ホテルの部屋に戻りAll Blacks 対日本戦の再放送をしていた。 風呂に入って寝ころんで見ていたので知らない間に眠ってしまった… 夢の中でもAll Blacks の猛攻を見ていた様な気がした…



でも我が代表は最後まで勇敢にプレーしてくれたと思った。 




IRB World Cup 開幕…. 高温と雨と寒さとの….

2011-09-17 | Weblog
9月9日、IRB World Cup, ワールドカップラグビーが開幕した。
私の涙を誘ったカナダ戦の大西の同点conversion kick 、Wallabies, All Blacks が相次いで散り潮が引く様にワールドカップ狂想曲が収まった前回のワールドカップからもう4年が経過した。
そして今、私は4年前に続いてここ南半球に居る。今回はニュージーランドがホスト国。当地での開催は第1回大会以来24年振りであるが単独開催は初めて。24年前と異なり最近はラグビーもプロ化が進んでおり第2回大会以降は第3回1995年南アフリカ大会こそ決勝に進出したが優勝は無く Tri Nations のライバル国オーストラリアが1991, 1999 年大会、南アフリカが1995年、2007年大会と2回ずつ優勝しておりこの地元で開催されるワールドカップでは優勝以外に成功は無いと地元の人達は考えていると言っても過言ではないだろう。
同様の事が2014年 FIFA World Cup のホスト国であるブラジルにも言えるだろうがこちらの方はもっと深刻だろう。

大学時代、英会話の授業で討論があった。外国人の教授が五輪種目(丁度ロス五輪が終わって間が無かった。)が議題となり何故ラグビーが五輪種目に無いのか、との話しになった。私はかつてラグビーが五輪種目で有った事は知っていたし、ラグビーの国家代表試合、所謂テストマッチは公式にはニュートラルの地で行わない事が慣例となっていて、何より当時はまだ世界選手権が行われていなかったから今は五輪種目に適用されていないと発言したかったが教授は私を指してくれず、指された学生達は
“競技場が足らないから”( そんなわけないだろ。そんな国は五輪を開催出来ない。)
“時間が掛かるから” ( サッカーの方が前後半5分ずつ長いぞ。)
“人数が多いから”  ( 確かに多いけど人数で採用するか否かは討議しないだろう…)
とか言っていた。
“体力を使うから試合間を開けなければならない。だから大会期間中に日程を終了できない。”
というまともな意見もあったけど、結局教授はプロ化がどうのこうの…と言っていた。ある意味当たっていたかもしれない。

当時学生スポーツの花形は何と言ってもラグビーであった。大学選手権3連覇を果たす等同じ京都の同志社大学が全盛期で当時岩倉にあった練習場では女の子が多く“見学”に来ていた。私の大学からも“見学”に行く女学生がいた。自分の大学にもラグビー部はあったが学生リーグにも参加しない弱小部であった。毎年リーグに参加しない大学同士で“リーグ戦”を行っていた。それでもラグビー部員達の方が私より女学生に人気だった。俺は陸上競技で日本インカレ常連だったのに….
冬になると横縞のラガージャージーがファッション的人気がありラグビー選手でもないのに着ている男性が多かった。中にはおそろいで着ているカップルも目に付いた。女の子か横縞のジャージーを着ると可愛くも見えたなぁ..
ラグビーは大学スポーツとして当時”女性に認められた”競技だった。
でもスポーツもしない男子学生が“早稲田カラー”や“慶応カラー”とか言って着てどういう神経しとんのかいな…と当時スポーツ現役学生だった私は思った。そして当時最高に強かった新日鉄釜石の真っ赤なジャージーを着る学生はいなかったけど...
それだけラグビーは人気がありサッカーなど誰も気に掛けなかった。1983年にはアームズパークでウェールズを相手に日本代表は大健闘をし1989年には秩父宮でスコットランド相手に歴史的勝利を挙げていた。
それが競技戦績も人気もこんなに大逆転するとは夢にも思わなかった……

オーストラリア シドニーでの激務を終えて早朝7時前のタスマニア海峡を越えてニュージーランドの最大都市 Auckland に渡ったのは9月10日。 North Shore で日本代表がフランス戦を行う日であった。 機内は黄色い Wallabies ジャージーを着る人が多かった。翌日 North Shore で行われるイタリア戦が目的だろう。 いつもオーストラリアに出張に来ると All Blacks のヤッケを着ているのだけどこの日ばかりは赤と白の桜のエンブレムの入った日本代表のジャージーを着た。と言っても少し古いデザインだけど。 でもこれが日本代表だとは誰も解らなかっただろうなぁ….
斜め後ろの座席からフランス語が漏れ聞こえて来た。どうやら彼らもワールドカップ観戦が目的であった。次第に彼らは早朝だと言うのに会話の声が大きくなり、途中気流の悪いところを通過しシートベルト着用の機内アナウンスがなされてもお構いなし。 Cabin Attendant がベルト着用を悟に来てもわざと言葉が解らないふりをするがここは経験豊かなスチュワーデス。
“ English is international language !! “ というと周りの乗客に大受けしていた。
Auckland に到着して機内から出る前に私の着ていたジャージーの桜のマークを指して
“ Je suis japonais, please do not give us so much hard time. ”
と言うと彼らに受けて皆と握手を交わした。他の乗客たちも笑っていた。
フランス人達、余裕だなぁ….と少し羨ましく思った。

そしていつもは時間が掛かるパスポートコントロールに向かったがこの日はほぼカウンター全席に係官が座っておりすぐにそこを通る事が出来た。結構待たされることもあるのだけど。そして荷物をピックアップし再び荷物検査もスムースに通り航空機を出てからあっとう云う間に空港の外に出られた。 これもワールドカップ効果なのだろうか…..
更に驚いたのは天気の良さと気温の高さ。 雨のシドニーとは大違いの快晴のポカポカ陽気だった。
市内に向かうバス停に向かったがここでもバスのチケット売り場が設けられていた。 こんなの見るのも初めてだった。
バス停には Wallabies のジャージーやマフラーや帽子を身に付けた人達が10人くらいいてワールドカップの雰囲気を醸し出してくれる。5年前にドイツに行った時と雰囲気がだんだん似て来てワクワクして来た。
バスが市内に近づくにつれて All Blacks の旗のみでなく大会参加国の国旗が見られるようになる。でも日の丸は少なかったなぁ..

 

ホテルでチェックインを済ませ、まず最初の仕事、チケットのピックアップに出掛けた。 競技場でも事前購入したチケットは受け取れるのであるが e-mail で“なるべくチケットはピックアップしてから競技場に…”てなお願が書いてあった。まぁスタジアムで長蛇の列に着くよりましか…と思ったがその判断は間違えであった。 チケットの受け取りが出来るカウンターのある市内の名所 Sky Tower まではホテルから徒歩10分も掛からなかったがカウンターの前は既に長蛇の列。しかもカウンターには係員が2名しかおらずなかなか順番が回って来なかった。私の後ろにいたフランス人カップル(2人とも英語を話しれくれたけどどちらかと言えば彼女の方がよく英語を理解していた。)と“遅いねぇ~”ってな話をして時間を潰したりして30分以上も待ってようやくチケットを手にする事が出来た。
でも実際に手にした時は待ち時間の事も忘れて嬉しかったけど….
競技場に到着した時チケットを受け取る窓口に人は並んでいなかった。 こっちの方が圧倒的に早かった見たいだった….

そしてホテルに戻ったが街行く日本人の姿がチケットを取りに来た時よりもかなり増えていた。それにフランス人も。
いよいよワールドカップ本番(と言っても前日開幕したのだけど…) と気持ちを引き締める事に。(あまり関係なかったか?)
最近ニュージーランドでは中国、韓国からの移民が増え自分が従事するレストラン産業では日本人経営よりも新規参入し店舗の数では今や和食スタイルのレストランでさえ中国、韓国系が圧倒している。
しかしこのワールドカップ期間だけはアジアを代表の常連である日本人として胸を張っていられると嬉しく思った。



チケット受け取りに時間を費やし過ぎたのでホテルに戻ってすぐに競技場までの無料シャトルバス乗り場に行かねばならなかった。でもバス乗り場もホテルのすぐ近くで助かった。 チケットを見せればバスは無料との事だったけどバス停の係員も運転手もチケット等見ずに乗車させていた。
一番後部座席に座ると横の二席が空いたままそこに座る乗客がなかなか来ない。そして出発前に日本人らしき女性が小さな女の子を連れていたので手招きして席が空いている事を教えた。その親子が横に座りずいぶん丁寧にお礼を言われてしまった。
そして女の子を膝の上に座らせるともうひとつ空いている席に今度は Kiwi らしき男性が座った。隣の日本人女性の御主人であった。 あぁまた日本女性が海外に流出していたのか…



競技場に着くまでの約半時間、この日本人御婦人としばし歓談をした。 そしてバスの中を見回すと日本人も全体の3分の1程度はいた。 フランス人らしき集団も多くこの時間から飲んでるのも多かった。
バスが競技場近くに広場に到着し競技場に向かうがその間もフランス人達が何やら歌っている。歌う歌が無い日本人達からは沈黙しか…. ワールドカップドイツ大会の時もクロアチアサポーター達が試合前から電車の中で大声で歌っており何か歌える歌は…とすこし無念に思った事を思い出した。 こんな時は何を歌えばいいのだろう…10分ほど歩くと競技場入り口に。 そして大会プログラムを購入しようとするが販売されているプログラムはこの日の Match Day Program ( とは書いていなかったけど。)のみだった。 毎試合発行してより多く収入を増やそうと言う考えか?? 価格は1冊 NZ$15.00 ( 約960円程度 ) だった。

席は最前列だったけど階席だった。カテゴリー A だったけど…しかしフィールドを一望でき全体のフォーメーションはよく解る席であった。ピッチでは日本代表の選手達がアップをしていた。そして John Kirwan 監督の“雄姿”は遠くからでもすぐに解った。



ピッチの中央には試合前のセレモニーに使われるのだろう太鼓が準備されていた。
その和太鼓を打つのは6人の日本人女性と1人の日本人男性だった。そしていよいよその演奏が始まろうとし会場から拍手が沸いた時にフランス選手団がアップの為にピッチに登場したので更なる大歓声が沸き上がった。観客の数はフランス人達の方が多かったと思う。太鼓の音がかき消される様で残念だったがここはラグビーワールドカップ。選手達の方が優先されるべき場所だった。
それから黄色のレプリカを着た Aussie も多かった。明日のイタリア戦の下見か…



それでも途中からはしっかりと素晴らしい太鼓の音が競技場に鳴り響き、演奏が終わった時は観客席から大きな拍手が送られた。
隣に座っていた Kiwi の老夫婦に和太鼓に着いて質問されたけど知識が無いのでしっかりと教えられなかった。 やっぱり日本の事はしっかりと説明出来ないとだめだなぁ…



両チームアップを終えて控室に戻るとまたも大歓声が起こる。 とにかく“試合”が最後まで続いてくれる事を祈った。
勝てるとは思わなかったけど大差がつかない事を祈った。
そしてマオリの衣装を着た男性が出て来て大きな笛を吹いた。これは人を呼び出す儀式であると隣の男性が教えてくれた。
そして日仏両チームの選手が国旗に続いて大歓声を浴びて入場してくる。先に君が代の斉唱が始まる。私も当然君が代を歌ったが斉唱しているのはピッチ上の地元の合唱団。日本人が歌っているのかと思う程見事な素晴らしい君が代だった。
続いてフランス国歌 La Marseillaise が合唱されるがこれは観客の大合唱にかき消されてしまった。



試合は途中まで“予想外の接戦” だった。
痛かったのは立ち上がり連続トライで 0-14 とされた事。先制のトライは倒れたままの⑨ David Yachivili がこぼれ球をトライした Julien Pierre にパスを出したもので本来なら笛を吹かれるプレー。 その後好位置で得たPGを ⑩ジェームス=アリッジが外してしまいその直後のトライを決められたのだがこれはアレッジが⑬平に出したパスを⑩ Trinh-Doc にインターセプトされ独走のトライを喫したもの。このPGを失敗した後のトライが痛かった。
18分に得たPGを今度はアリッジは決めた 3-14 としたがその後も連続して PG を決められ 3-20 と点差が開いた31分に素晴らしい攻撃からアリッジがトライを決め 8-14 とした。この時は周りにいた Kiwi 達も大きな拍手を送ってくれ、周囲の人達とハイタッチをかわした。しかしこの conversion kick をアリッジが決められなかった。 前半二つのプレースキックが決まらなかったのが痛かった。



それでも後半に入って優勢に試合を進めたのは日本だった。スクラムになる度に“チャチャチャニッポン”の掛け声が沸き上がり Kiwi や Aussie の人達も熱心に“ニッポン!ニッポン!”と応援しれくれた。
50分に素晴らしい突破を見せアリッジがトライを決め更に conversion kick を決め遂に 21-25 と迫った時は場内は何とも言えない雰囲気になった。フランス人サポーター以外の全てが日本に大声援を送ってくれていた見たいだった。
しかし67分にPGを決められ、71分に Lionel Nallet にトライを奪われると更に2トライを喫し試合が終われば 21-47 と“ダブルスコアー”になっていた。 
最後に何とか1トライをと選手達はフランス陣内でプレーする時間が長かったのだけどその分裏を取られた見たいだった。
ノーサードの笛が鳴り日本に健闘をたたえる拍手が送られた。周囲の人々も私に色々声を掛けてくれた。
嬉しかったけどこれが実力差だと思った。



帰りのバス停に向かう時フランス人達がまた合唱しながら歩いていた。 悔しかったので La Marseillaise をわざと彼らの前で口ずさみそれに合わせてフランス人達が歌い出したあと1小節歌わせてから大声で “ All You need is love ! All you need is love ! Love love is all you need is !! “ と続けると彼らに滅茶苦茶受けた。 一矢報いた感じがした。(関係ないか)
バスは比較的早く来て日本人、フランス人、地元 Kiwi そして Aussie と呉越同舟乗り合わせシティーに向かった。
バスの中でも色々会話が弾んだ。 勝利に安心したのかフランス人達は日本の健闘をたたえた。ある女性は “ congratulation “ と日本人に声を掛けていたけど、それは正しい単語とは思えなかった。だけど悪気が無いのは解っていた。
“ nice game ! “ と話しかけるフランス人に ” nice game for France. That all “ と言うと
“ Come on !! Japan was excellent .” と続ける。 “ France 47 Japan 21. France Won, Japan defeated “ と言い、我々には Tri Nations も Six Nations も無い。ワールドカップ以外世界の列強と戦う機会が無い。 経験が不足は否めない。それが今日の試合結果だ。 てな話をすると大きくみな頷いていた。



“しかし日本は football でも大きな躍進を遂げた。だから Rugby でも出来ると思う。”とフランス人男性が言ってくれた。
すると正面のフランス人女性が“ 女子はワールドカップで優勝したね。”と言ってくれたらもう1人の男性がそうなのか?と言っていたので彼女はフランス語で説明していた。
私は隣の男性に“ football なら男子も女子も自信がある。”というと、彼は同意してくれて今の男子サッカーフランス代表に就いて首を振りながら次の欧州選手権を嘆いていた。
そしてバスがシティに到着し、周囲の人達と握手を交わし下車した。皆“ nice game だった。次のゲームも good luck . ところでどこと対戦するんだ?”と訊くので“ All Blacks “ というと。 Oh No…でも本当に good luck を…と言っていた。
少々の good luck ではなぁ…
街はフランス人達の喜びの騒動が繰り広げられていた。そして日本人を見つけると皆握手を求めたり一緒に写真を撮ったり。
中には日仏入り乱れて大騒ぎしている集団も。 土曜日と言う事もあり街には若い人たちも。女の子の集団が私が着ていた日本のジャージを見つけ一斉に大声を挙げながら駆け寄ってきた。 日本は凄かった、惜しかったと言いながら。そして I love Japan と良いながら彼女達の携帯、いやスマートフォンで何枚も一緒に写真を撮られた…..
試合には負けたけど途中までは接戦だったから良かったと思った。恐らくフランス人はみなこの試合に勝つと思っていただろうし日本人も勝てると思った人は少なかっただろうなぁ…でもワールドカップの雰囲気は楽しめたぞ…



現地に在留する日本人の知人とそれから食事に出掛けた。彼も家族で試合を観に行ったらしい。久々に熱く大声援を送ったと言っていた。そしてすぐ近くのテーブルにも日本人がおられそのうちに1人は彼の知人だった。その人達も試合観戦に言っていたらしい。
その中に日本代表のレプリカを着た方がいた。かつて明治大学でラグビーをされていた方との事で試合の事に就いて色々意見を聞いた。開始の連続トライ、特に二つ目のトライが痛かった、そして日本が最初のPGと続いて conversion kick を失敗したのも痛かったとも言っていた。“格下のチームはキックを外してはだめなんですよ。”とも教えてれて色々勉強になった。
明治大学時代はレギュラーになれなかったけど4年間ラグビーを続けて良かった。とも言っていた。そして自分も陸上をやっていた事を話して学生スポーツの話題で大いに盛り上がった。 スポーツを続けていて良かったなぁ…とここでも思った。

翌日から地元新聞は日本の健闘をたたえる記事が多かった。テレビでもそうだったけどこの日最も注目を集めたのは England vs Argentina 戦だった。  England の Wilkinson がPGを2本外した事や England の苦戦が翌日の話題の主役だった。
日本が注目してもらうには….次の All Blacks 戦で…と思ったけど、1995年見たいに145失点もして話題になるのは勘弁してほしいなぁ…と思った…..
( 試合の詳細はまたレポートします。 誰も見ないか…. )  

勝負強さ備えて”アジアのドイツ” に 日本 1-0 北朝鮮 2.Sep. 2011

2011-09-09 | Weblog
88分46秒。交替出場の朴成哲のミドルはGK川島の正面に。そして川島から繋がれたボールは遠藤、長谷部に繋げられ右サイドを上がった内田に。内田が入れたクロスはGK 李明國が飛び込んでパンチで弾き出す。そのこぼれ球を拾った香川がシュート体勢に入るが安英学が必死のクリアー。またそれを今度は遠藤が拾って内田に渡し入れたクロスはDFに当たってCKに。
ここで北朝鮮ベンチは鄭大成を下げてアンチョルヒョクを入れる。後で解ったのだがアンチョルヒョクはFW登録の選手。日本のロングボール対策にセレッソ大阪でプレーする190cmのキムソンギを入れるかと思ったのだけど…それにしても相手CKでよく選手を変えるなぁ…とも思った。
そのCKから内田が放ったシュートは大きくクロスバーを外れた。デジタルは45分を回ったがロスタイム5分と表示された。北朝鮮の選手達は何度も倒れていたしなぁ….
46分7秒、北朝鮮のスローインに駒野と競ったアンチョルヒョクのプレーがファールに取られる。目の前で見ていたユンジョンス北朝鮮監督が主審に抗議するが勿論判定は変わらない。そこで得たFKから繋いでまたも内田が入れたクロスはハーフナーが朴南哲と競りながら落としたところを香川がシュート体勢に入るが肝心のシュートが撃てなくてクリアーされるがここのこぼれ球も駒野が拾って右サイドから中に入れるとハーフナーを越えて清武に渡りそして中の香川に送られるが香川のシュートはDFに当たってCKに。CKから今度は今野が狙いすまして放ったショットはクロスバーを叩いてしまう。この日のさいたまスタジアムのゴールポスト、クロスバーは完全に北朝鮮の味方をしていたようだった。だがそのこぼれ球はジョンイルガンがゴーラインの方にクリアーしたのでまたもCKを得る。そのCKを受けた長谷部が入れたクロスにまたも香川がワンタッチで素晴らしいシュートを放つがここはGKリミョングックの超ファインセーブに阻まれる。李明國は朴南哲とハイタッチをかわしていいた。この試合もこれで運が尽きたか…と思うもデジタルは47分50秒。まだ時間は残されていた。遠藤のCKを受けた長谷部が清武に渡し中に放り込むと今度は内田が飛び込む。だがここもジョンイルガンに当たってCKに。この4分間で4本目のCKだった。ここさいたまスタジアムでは2005年に行われたワールドカップ予選の北朝鮮戦でもロスタイムに大黒の決勝ゴールが決まり劇的な勝利を収めた事がずっと頭にあったのでこの試合でも…と希望は捨てていなかったが、もうこれが最後のチャンスかも…とも思ったCK、長谷部が右サイドでキープしまたも清武に渡す。清武がクロスを入れると次に私の目に飛び込んだのは北朝鮮ゴールネット中央にシュートが突き刺さるシーンだった。ブルーのユニフォームの選手達がピッチ上で狂喜乱舞している。 競技場を埋め尽くした大観衆から割れんばかりの歓声が上がり、私の周囲の人達が誰彼となくお互いにハイタッチをかわし始めた。



決めたの誰ですかねぇ~…

吉田…みたいですよ….

スクリーンのリプレーを見るとCB 李光川と朴南哲の間に挟まれながらの高い打点で放たれた吉田のヘッドが映し出された…
嬉しさもそうだけどむしろ安堵感が沸き上がった。あぁ良かった~。おもわず小声で呟いた。
北朝鮮のサポーター席を見ると対照的に全く動きが無かった…..スクリーンには鄭大成の表情が映し出された。



そして50分54秒。主審のホイッスルが鳴り響き、再び大歓声が沸き上がった。 GKリミョンクックが座り込んでしまった。
何度も倒れて起き上るのに時間を掛けていたのは時間稼ぎでは無く、前半36分に駒野のCKを直接キャッチし着地した時に本当に脚を痛めた為であった事は試合後のユンジョンス監督のコメントで知った。
それにしても日本は何度ロスタイムで貴重なゴールを決めたのだろう….かつてはドーハのイラク戦に象徴される様に終了直前に痛い失点を喫していたのに…それだけ激戦を積み重ねて来た日本代表に勝負強さが備わりつつある証拠だろうか….ドイツ代表がそうで有る様に…..

http://www.youtube.com/watch?v=ZzjW62PBxUI&feature=related


南アフリカ大会で大いに期待されていたオーストラリア Socceroos が初戦のドイツ戦で完敗を喫し、ニュージーランドがイタリアの猛攻を凌いで引分けに持ち込み、日本がデンマークに完勝し、次に激戦の末にパラグアイにPK戦で敗れ、ドイツがイングランド、アルゼンチンを連続して粉砕し、ブラジルがオランダの速攻の前に沈みそしてスペインが欧州選手権に続いてビッグタイトルを勝ち取ったワールドカップが終了してから1年2カ月程度しか経っていないのにもう次のワールドカップに向けての長い戦いが始まった。
3次予選のホームゲームが関東地区で開催されるのは最初の北朝鮮戦のみであった。
8月10日の日韓戦も関東地区以外の開催だったのでこの試合は是非現場で観戦したかった。 
何とか入手したチケットはカテゴリー3。しかも2枚バラバラだった。高校1年になった息子に。

席が離れているけどもうかまへんやろ? と訊くと、あっさりと

いいよ。その方が…. と言われてしまった。

高校生くらいになるともう親とはスポーツ観戦等したがらないか??とすこし“不安”であったがワールドカップ予選という事としばらくさいたまスタジアムで代表の試合がなさそうという事もあり、昨年5月の韓国戦以来の親子観戦となった。
私が高校生の時は親父に野球観戦を含めたスポーツ観戦等誘われなかったし、誘われても断っていたとだろうなぁ…

北朝鮮戦と言えば6年前ワールドカップドイツ大会出場を目指すジーコジャパンが同じさいたまスタジアムで対戦してるが、あの時はミサイル実験をするとかしないとかでまた拉致家族の問題もあり結構な話題となっていた。試合前に中国で合宿する北朝鮮チームの模様も伝えられたが今回はそこまで加熱した報道は無かった。
懸念されるのは拉致問題に今の民主党政権が関心を示していないと言う事。 遂に首相も替ったけど野田新首相はどれだけ拉致問題に取り組むのだろう…元日教組の親玉を執行部に入れている事が大変心配だ….まさか日本側から“拉致問題は既に解決済みです。昔は日本の方が連れて行っていましたから….”なんて言い出さないだろうか….



心配された台風12号(だったっけ??)も関東地方にはまだ上陸せず試合は予定通り行われる事に。だけど雨が降って重馬場になるとパス回しをする日本には不利な条件と思った。
観客席はかなり上段の方。テレビと違って全体のフォーメーションの動きはじっくりと見れるが最近は目が悪くなったので背番号が見づらい。特に北朝鮮の選手達は鄭大成ら在日の選手以外は顔の区別がつかないので最後まで誰がどうしたかは解らなかった。でもGK以外はこの試合印象に残るパフォーマンスをした選手はいなかった。



本田と長友が怪我で不在の日本代表は左SBに韓国戦に続いて駒野がそしてワントップの李忠成の後ろのトップ下には地元浦和レッズの柏木が入った。こうして見ると昨年のワールドカップの主力メンバーはGK川島をはじめ5人しかピッチにいなかった。
一方の北朝鮮は世代交代が報道されていたがスタメンを見ると左SBの全光益2列目右の Jong Il Guan そして仙台でプレーする梁勇基以外は全て昨年のワールドカップメンバーだった。ただ全光益は2005年FIFA U-17, 2007年 U-20 を経験した23歳の選手で Jong Il Guan は昨年の AFC U-19 決勝戦のオーストラリア戦で3ゴールを叩きこんだ選手と共に若い選手。
北朝鮮のユンジョンス監督は一旦代表監督を退いてユースレベルの指導をして再びこのワールドカップ予選から代表監督に返り咲いた監督。このチームの中にも五輪世代が5人含まれている。そして梁勇基は本当に良く頑張って代表に戻ってきたと思った。
息子のもっとも警戒する選手は梁勇基であった。



そして鄭大成、安英学の在日選手もスタメンに名を連ねた。
6月に貴陽で行われた中国戦出場のメンバーから7人の選手( GK 李明國、DF全光益、CB朴南哲、李光川、ボランチ李哲民、FWJong Il Guan そして梁勇基)がこの試合のスタメンに起用された。

日本のワントップ李忠成も韓国戦に続いて存在感を見せたかっただろう。
鄭大成らがスクリーンに映るとブーイングが発せられたがさすがに李忠成の時は北朝鮮側から声は上がらなかった。



選手の入場に続いてまず北朝鮮の国歌が演奏された。北朝鮮サポーター席から国歌が少し漏れ聞こえて来た。1989年ワールドカップイタリア大会予選の時は国立競技場で在日でものすごい応援団が形成され、人文字や試合中ずっと吹奏楽器で応援歌が流されていた。あれから22年も経ったのか….と成長の無い自分を改めて感じた。



続いて君が代は秋川雅史の独唱。前にも聴いた事あるなぁ…と思っているとこれでサッカーの試合の国歌独唱は4回目との事だった。

北朝鮮のキックオフで始まった試合。 開始1分、全光益が遠藤を倒してFKを得てそのFKを地元でプレーする柏木がゴール前に入れるが惜しくも走り込んだ吉田に合わない。これは幸先のいいスタートと思うもその直後にJong Il Guan が右サイドを突破し至近距離でシュートを放つがサイドネット直撃するがその前に駒野が倒された時点で線審が旗を上げていた。しかしJong Il Guan のスピードを見せられた気がした。
日本は立ち上がり柏木がよく攻撃にからんている様だったが息子に言わすと“柏木 REDS ではあのポジションをやっていないから良いパフォーマンスは出来なかった。 REDS でもあのポジションをやらせれば良いのに….” と試合後言っていた。年々子供に教えられる事が多くなって来る…
10分を過ぎると強い雨が降り出して席からも雨粒が解る様になった。この時屋根で完全に覆われているカテゴリー3の席で良かったと思った。



しかしこの豪雨の中でもボールを支配するのは日本の方だった。こういう時直接FKを得られればなぁ…と思った。2001年FIFA Confederations Cup のオーストラリア戦の様に。
日本はボールは完全に支配しているのだが北朝鮮は日本ボールになると2列目の3人、Jong Il Guan 、朴南哲、梁勇基がボランチの位置に下がり鄭大成を残して 5-5-1 の布陣になるのでゴール前でパスがなかなか通らない。 
李忠成が裏に入ったり、ゴール前に空いた位置に入り込みそこに香川からボールが入り走り込んだ柏木に落とす等揺さぶりをかけるが簡単に決定機を作らせてはくれなかった。 



北朝鮮は鄭大成とJong Il Guan または朴南哲が2トップを組むと思ったけど鄭大成の1トップ。守勢に入るのは早かったけどカウンター時は鄭大成へのサポートが遅く日本ゴール前に迫られるシーンは少なかった。恐らくアウェーゲームでまずは勝点1と考えたのだろう。20分に内田が全光益をかわして上げたクロスを李忠成が車正赫と競りながら落としたところに柏木、香川が寄るがシュートを撃てず李光川にクリアーされた。 21分には駒野がFKを逆サイドに入れ岡崎が全光益と競りながら落とし柏木が狙うが岡崎のプレーがファールに取られた。北朝鮮のDFラインは左SBの全光益だけが170cmと上背が無いので右からのクロスが目に付いた。
25分を過ぎると北朝鮮にファールが増えて来た。そして雨も完全に止んだ。攻勢にうちに先制ゴールが欲しいと思ったが足元へのパスが多く遠藤、長谷部にしっかりと密着マーク着かれておりその後31分カウンターから柏木の素晴らしいロビングに裏に走り込んだ李忠成がフリーでヘッドで狙うも決まらず32分に香川が素晴らしいドリブルシュートを見せたがポストの右に外れる等前半を無得点で終えた。
北朝鮮も左サイドの梁勇基、全光益の2人は完全に岡崎の動きに抑えられており日本ゴールを脅かすシーンは見られなかった。しかし前半の結果だけを見ると北朝鮮の思惑通りと思った。



両チームともにメンバー交代なく始まった後半。46分に岡崎からボールを受けた長谷部がミドルシュートを放ち、49分40秒には駒野とのパス交換で左サイドをJong Il Guan のマークを振り払い抜け出した香川が入れたクロスに岡崎がダイビングヘッドを試みるが僅かに合わない。クリアーボールを拾われ更に劣勢続きの北朝鮮ベンチは56分FW朴南哲に替えてスイス Basel でプレーする186cm 長身FW18歳のパククァンリョンを投入した。これで2トップにするかパククァンリョンの1トップにするかと思ったけど交替直後は鄭大世の1トップでパククァンリョンは2列目のトップ下に入った。 FC Basel には韓国人左SBの朴柱昊がいるけど2人は会話をする事があるのだろうか?今度スイス行った時に訊いてみよう….(答えてくれないか??)

攻めあぐねる日本は59分に柏木を下げて清武を投入し2列目右に入り香川をトップ下に入った。地元でプレーする柏木、ちょっと存在を示せなかったか…原口元気が出て来る事を息子は試合前祈っていた。




60分パククァンリョンとJong Il Guan のコンビでボールを繋がれ最後は李哲民からボールを受けた梁勇基が正面からシュートを撃たれるがここは吉田に当たってCK。梁勇基が上げたCKに逆サイドから飛び込んできたパククァンリョンが迫力のある飛び込みを見せるがここは吉田が遅れながらも身体を寄せてジャストミートを防いだ。この試合最も危ないシーンだった。
その直後からも日本は攻撃に転じ清武が連続シュートを見せるが車正赫に当たる等してゴールネットに至らない。このシュートを導き出したのはトップ下に入った香川の動きから。
北朝鮮も鄭大成が強引なミドルを放ったり69分にはカウンターからパククァンリョンに渡り後ろに戻したJong Il Guan がシュート体勢に入ったが距離があったか前線に出したスルーパスはそのまま川島の手中に収まった。
残り20分となり日本ベンチは2人目の交替選手李忠成に替えて何とハーフナーマイクを投入した。ハーフナーと言えば父親ティド=ハーフナーが日本リーグ時代に来日しマツダに入団し当時のサッカーファンで話題となった。子を持つ親としては選手よりもティドの心境の方が良く理解できる。もし本田の怪我が無ければ召集されただろうか…彼も何か持っているのかもしれない。



そのハーフナーにいきなりボールが入り北朝鮮ゴール前に迫り最後は長谷部が李哲民に倒されゴール正面絶好の位置でFKを得る。遠藤が狙うが惜しくもポストの左上に外れた。 72分42秒には内田のクロスを朴南哲を跳ね飛ばしてハーフナーがヘッドを放つがクリスバーを越えた。73分33秒には長谷部がドリブルで上がり相手DFを引きつけハーフナーに送り強烈なミドルを放つが今度はクルスバーを直撃する。そしてセーブに飛んだGK李明國がなかなか起き上れずUAE人の Ali Hawad Al Badwawi 主審はイエローカードを提示した。

北朝鮮ベンチは77分にボランチの李哲民を下げて20歳のFW朴成哲を入れる。 FIFA U-20 に出場した選手だけどどうしてボランチを下げたのだろう。これで日本の中盤が更にスペースが出来ると思った。
北朝鮮は鄭大世のワントップからパククァンリョンと2トップになったり鄭大成が2列目に入ったりするようになった。そしてJong Il Guan が前に出て来た。勝点3を取りに来るのだろうか。DFラインも80分を過ぎてから最終ラインを少し上げて来た。
ハーフナー対策だろうか….
80分に長谷部が右サイドをドリブルで粘りCKを得る。そこから繋いで香川が上げたところに岡崎がヘッドを放つがまたも李明國がファインセーブで弾き出す。82分15秒には遠藤のFKからファーサイドのハーフナーが放ったヘッドは李明國の正面に。
83分パククァンリョンが遠藤に入れたスライディングに一発レッドが出される。完全にスパイクの底面を向けてのスライディングだった。
パククァンリョンはなかなかピッチを去らない。スタンドからはブーイングが沸き起こる。劣勢の北朝鮮は1人少なくなってしまったがこれで完全に専守体制に入ると思った。そして得点は更に厳しくなるかもと思った。
88分清武の右からのクロスを香川が落とすがクリアーされ、続いて駒野のアーリークロスは李明國の正面に。 残り時間が1分半を切った。ロスタイムは何分あるのかなぁ….
でも日本はここ数年ロスタイムに何度もゴールを決めている。自分の中では得点の予感はあった。 朴成哲が強引にロングを放つが川島の正面に。しかし北朝鮮は勝つ必要はないこのままの状態で終われば良いのだ。北朝鮮ベンチは交替選手を準備する。あぁ明らかに時間稼ぎだなぁ…




競技場から駐車場に向かう道、土壇場でのドラマに酔いしれた青いレプリカを着る人達の幸福感が手に取る様に解った。
本当に良かったぁ~と言うのが本音だった。
“女の人殆ど背番号6のユニフォーム着てたよ。”
“6番、誰やった…”
“内田。“
“そうかぁ…原口は出番なかったなぁ。”
“次はいつさいスタで試合あんの?”
“最終予選まで無いぞ。”
“来年かぁ….”
“勝ち抜けるかわからんぞ。“
“そんなことないよ。”

こんな会話を息子としながら帰った。 本当に幸せな時代だ。代表は強くなった、女の子もサッカーやスポーツに興味持つ様になったし。 雨にたたられなかったし…

そして翌日私は商用で南半球に飛び立った。 なでしこの五輪予選突破とウズベキスタン戦のドローを知った。こういう結果もリアルタイムで解る様になった。 でもやっぱり試合はライブで見たいなぁ…。よし息子よ次は平壌に遠征だ....