Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

あぁ栄冠は… 京都西健闘及ばず

2010-08-22 | 京都西高校

今年の夏は、いや今年の夏も暑い。強烈に暑い。
そんな中、甲子園球場では熱戦が繰り広げられた。いや甲子園だけでは無い、部活に頑張る中高生がたくさんいるのだ。しかし私が現役だった“スポーツ原始時代” とは違う、指導者達は適切な指導、“水を飲むとばてる”とか“暑さは精神力を鍛える”といった無駄な精神論は押しつけないでもらいたい。 まぁ最近の指導者なんて精神論は言わないか…..

7月末日、海外に商用で赴いている時に吉報が入って来た。
我が母校京都西高校が3年振りの全国高校野球選手権大会に進出を決めた。
準決勝の京都成章戦で競り勝った時点で大きく甲子園に前進したと思っていたけどやっぱり吉報を聞くと嬉しくてたまらない。 

毎年この季節になると思いだす。同級生の野球部の連中がこの3年間甲子園を目指して毎晩遅くまで練習に明け暮れていた事。それでも甲子園に届かなかった彼らの心中は…みんな元気にしているかなぁ…

卒業してから3年後、母校が甲子園の土をようやく踏む事が出来た時、まだ大学生だった自分は当然の様に甲子園球場に応援に出かけたその時に何人か同級生の野球部員と再会ししばし昔話をした…そしていつか俺も全国大会に出てやるぞぉ…と誓ったものだ。
組み分け抽選があり1回戦の相手は新潟明訓高校と決まった。 職場や知人の何人かは“組みし易し”ではないですか…と声を掛けてくれたが私は決してそう思えなかった。確かに一時新潟県の代表校はなかなか1回戦を突破出来ない時期が続いた。 しかし昨年の準優勝校、日本文理学園は新潟県代表。今は21世紀。もう都道府県名で相手の強さを測る時代はとっくに終わっている。そして我が母校が初めて全国大会に出場した昭和59年度の大会では1回戦で新潟南高校と対戦したのだ。試合内容はあまり覚えていないが先制されて、追い付いて…そして最後はサヨナラ負けだった。ランナー2塁にいてレフト前にヒットを打たれた。あぁサヨナラ負け..と思ったら当時の左翼手から矢の様な送球でセカンドランナーはホームイン出来なかった。 その時外野席から大拍手が送られていた。
しかし安堵もつかの間次の打者にも安打を喫し3塁んランナーがホームインし激戦に終止符が打たれた。翌日の新聞では喜んだ1塁ランナーが2塁に達する前に歓喜の輪に入り、もしそれに誰かが気がついて2塁を封殺すればホームインは取り消された…と書いてあった。
その試合後の思い出は忘れられない。 高校時代の担任がバスに乗せてやるから一緒に帰ろうと京都まで連れて行ってくれたのだが、駐車場までは対戦相手の新潟南高校の生徒と一緒になり私だけでなく多くの在校生達が新潟南高校の生徒達と仲良く話していた。今の様にデジカメがあればなぁ…
彼らは嵐山に宿泊しており、母校の前を通り京都西高校の生徒や京都市民達が彼らのバスに手を振っていた。そして新潟南高校の生徒達もそうだった。私は卒業していたけど、良い思い出だったなぁ….. 新潟南のチアガール、みんな可愛かったなぁ….当時京都西高校は男子校だった……

8月13日、大会6日目にようやく登場した我が母校。6日目まで待ちしかも大会第一試合という難しい試合。ただ対戦相手も同じ条件。よくは解らないが今年の京都西はどちらかと云うと守備のチーム。勿論京都府大会では逆転勝利も収めたが、全国大会では相手が違う。先制して何とか逃げ切って欲しいと思った。

序盤 送りバントが明暗を分る…

高校野球というよりも負けたら終わりのトーナメント大会はバントが大切。それは4番打者でも同じと思う。初回、新潟明訓は3番田村君の2塁打で先制をし、2回は池田君の犠牲フライで、3回は柄沢君のライト前タイムリーで3回まで毎回得点を挙げ主導権を握ったが、京都西もチャンスはあった。初回は先頭打者の下村君が2回も先頭の渡辺君がそれぞれヒットで出塁するものの、続く打者がバント失敗で送れず、2点ビハインドの3回表には先頭の佐藤君が左翼線を破る2塁打で出塁する。 続く下村は送りバントに成功するも荻野君がスクイズに失敗。これで立ち上がり不安定だった新潟明訓の先発池田君を助けてしまった。 
新潟明訓が1,2回バントをきっちり決めてランナーを送って得点を挙げたのと全く対照的な立ち上がりだった。そして西校がスクイズ失敗でチャンスを逸した直後、新潟明訓に追加点を許し完全に主導権を握られる展開に。先頭の町屋君がヒットで出塁し盗塁を決め、続く田村君の犠牲フライで3塁に進んだ後に柄沢君にタイムリーを許した。柄沢君のバッティングも良かったがランナー3塁、犠打でも得点が入ると言う場面で打席に入れたのも大きかっただろう。 
ここで京都西は3年生の中村君にスイッチ。だが新潟明訓は続く漆原君がレフト前に弾き返し、渡辺君がファンブルする間に2,3塁とする。 続く伊藤君を3塁ファールフライに打ち取るも7番間藤君を歩かせ2死満塁のピンチ。前の打席で2塁打を打たれたのが気になったか。だが続く西山君を三振に切って取り追加点を何とか阻んだ。先制され、チャンスを逃し、追加点を許し..の悪循環。 先発佐藤君は2年生。それは問題ないのだろうが京都府大会でも先発した事がなかったらしい。 色々事情はありそうだけど、ここは….とも思った。 でも3回までのチャンス、どこか一つバントが決まっていれば…と思った。

   

中盤1点差にするも…

新潟明訓の先発池田君は相手の拙攻に助けられるが、投球内容も立ち上がりスライダーがよく切れていた。 4回には自らの悪送球で1死満塁のピンチを招くが後続の石山君と久須美君をスライダーで外野フライに打ち取り失点を許さなかった。 
4回裏これ以上失点を許したくない京都西、佐藤君はまたも先頭の池田君にレフト前にヒットを打たれ出塁を許す。続く山本君にきっちりと送りバントを決められ、更に脇谷君にはカーブをぶつけてしまい1死1,2塁としてしまい、初回先制の2塁打を放った田村君を迎える。だが何とかライトフライに打ち取った上に1塁走者の脇谷君が飛び出してしまっており、あっという間にピンチを脱する事になった。でもまだ安定感が… だがこの試合初めて新潟明訓のイニングに0がついた。 
そして5回表ようやく京都西が反撃に転じる。先頭の中村君が打ち取られたが、続く下村君がライトに弾き返し出塁すると後続の荻野君が頭部に死球を受ける。荻野君に替って一時的に石山君が代走に送られる。 続く打者は前の打席でヒットを打っている前田君。2-2 から打った当たりはショートの田村君に。2塁で封殺されたが2塁手山本君の1塁への送球がそれてしまい、2塁走者の下倉君が生還しようやく1点を返した。 更に続く金瀬戸君がストレートを見事にセンターに打ち返し 2塁に進んでいた前田君が生還し1点差に。 

  

更に続く渡部君が 2-0 と追い込まれながら1球見送った後のストレートを打ち幸運な内野安打となり同点のチャンスを迎えた。 
ここで京都西ベンチは渡部君に替えて柴田君を代走に送る。 柴田君が還れば同点となるが続く西下君はセンターフライに倒れた。 3安打に渡部君を下げてまで代走を送ったのに..と少し勿体ない気がした。だがこの回の池田君はスライダーの切れが悪くなったせいかスライダーを見送られる様になり、ストレートを打たれる様になった。中村君、金瀬戸君のヒットはいずれもストレートを打ったのも。 
京都西高2番手の中村君は前の回のピンチを三振で打ち取り調子が出たか5回裏は7球3者凡退で仕留め味方の反撃を待つ。6回表の京都西は先頭の石山君が 2-3 まで粘るも最後はストレートで投手ゴロに打ち取られた。ここで新潟明訓ベンチは2番手右腕投手の神田君を投入する。 試合後新潟明訓の佐藤監督は石山君の打席で捕手も取れない暴投をした時に替えようと思ったと話していたが私もその時握力が落ちて来てスライダーを含む変化球の切れが全くなくなっているのでこのイニングもチャンスありと思っていた。
2番手の神田君は伸びのあるストレートで久須美、中村の両君を打ち取った。 特に久須美君には全てストレートを投じて打ち取った。 こりゃもう次の1点は先にやれないなぁ…..と思った。

  

だが戦局はこちらに味方してくれない。前の回7球で終わらせた中村君が6回につかまってしまった。先頭の間藤君に 1-1 からのストレートをレフトに打ち返されると続く西山君に送りバントを決められた後に神田君には外角のカーブを右中間に運ばれ追加点を許すと続く山本君は何とかレフトフライに打ち取るが町屋君にはストレートをレフトに運ばれ5点目を失い更に2死2塁のピンチが続く。 

   


中村君に対し新潟明訓打線は2巡目、左打者の神田、町屋の両君に外角の球をレフトへ狙い打ちされた。 更に初回先制2塁打の田村君を迎える。そしてレフトへ弾き返される。またやられたと思うがここは左翼下村君から遊撃前田君を中継してストライクの返球で2塁走者の町屋君を本塁で刺し何とか6失点目は凌いだ。あの当たりでどうして突っ込ませたのだろう?しかもリードしているのに。あのまま二死ながら一、三塁に走者が残っていた方が更に失点が…と思った。しかしこのイニング4安打を浴び2失点を喫しまた3点差にされてしまった。 

粘るも挽回できず…

新潟明訓の2番手神田君は投入2イニングス目の7回もストレートと変化球が冴える。代打中沢君にライト前にヒットを許すも前の打席でタイムリーを放った金瀬戸君をストレートで三振に打ち取る。一方の中村君も7回裏は無失点に切り抜けるが、先頭の柄沢君が右中間に打ち返した打球をセンターの石山君が素早い送球で2塁を狙った柄沢君を刺した。見事な送球だったが柄沢君は何故走ったのだろう? さっきの町屋君もそうだったけど…
相手の拙攻に乗じて何とか1点でも返してほしいと思った8回表、先頭の柴田君が外角ストレートを打ち返し左中間を破る。 よしツーベースだっ、と思ったが柴田君は2塁も回る。一瞬3塁でクロスプレーにならないか?と案じたがなかなかの快足だ。
3安打に渡部君にどうして替えるんだろう…と思った事を後悔した。 
そして続く西下君が1,2塁間に鋭い打球を飛ばす。よしタイムリーと思ったが2塁手山本君が素晴らしい動きで打球を掴み西下君の出塁を許さない。この間柴田君がホームインし2点差とするがこれで走者が無くなった。無死1塁と1死無走者は大違い。山下君のナイスプレーがこの試合を大きく左右した。
神田君はこの回も外角変化球でストライクを取りに行くがストレートを芯で捉えられるようになってきた。その一方で中村君は8回裏の新潟明訓をあっさりと3人で討取ってくれた。そしてセカンド前田君のファインプレーもあった。

2点差はあるが最終回、まだまだチャンスはあると思ったのだが…. 先頭打者の中村君は初球129kmのストレート、2球目114kmの変化球でたちまち 2-0 と追い込まれ最後は 2-1 から外角低めのストレートを打ちあげてセンターフライに倒れる。続く1番下村君は初球、2球目と変化球が外れて 0-2 となるも3球目に134km の内角ストレート、続く131km の高めのストレートにバットを出してファールとなり 2-2 の並行カウントに。そして最後はインコースの変化球に手が出ず三振に切って取られた。
ここにきても変化球でストライクが取れる神田君はさすがだ。続く打者、代打森永君は3年生。県大会でも数度打席に立っただけらしい。しかし初球の133km のストレートを打ち返した打球はレフトの頭上を破る2塁打に。2死ながらクリーンアップの前にランナーが出た。それにしても森永君の思い切った振りは見事の一言。 きっと一生の思い出になるやろうなぁ…と思った。
新潟明訓の神田君は続く直前の守備でファインプレーを披露した前田君に初球132km ストレートでストライクを取る。 捕手の佐藤君、よくストレートを投げさせたなぁ…. 2球目は外角に変化球が外れ、3球目、ストレートが来ると私は思いそのストレートを前田君が打ち返した打球は快音を残す、よし抜けた !! と思ったがショートの田村君は左に上手く脚を運び打球を掴み1塁に送球し京都西高校の夏が終わった……

新潟明訓はベスト8まで残った。だからこの試合に勝っていればなぁ…と少し胸算用した。

京都西高校は敗れたがしかしこの日の出場メンバーの6人が2年生。来年以降も期待が出来そうだと思う。 両校の3年生達はどういう心境だろうなぁ….
今頃はもうこれで練習から解放されたぁ….と思っているだろうか?
夏休みもあと10日ほど残っている。 今から一般の高校生が味わった楽しさ2年半分をこの10日間で味わってくれれぃ….

そして私は会社の5日間の夏季休暇疲れが今でも取れずにいる……


灼熱の好ゲーム 西高無念の惜敗

2007-08-19 | 京都西高校

8月17日。この日の関東地方も灼熱地獄の予感がした。早朝の天候は前日よりもまだましだったが通勤時間には既にアスファルトが溶けそうだった。数年前に、朝の通勤ラッシュを避けるルートを見つける事に成功し世界に冠たる日本サラリーマンの精神を作るあの通勤地獄とはしばらくご無沙汰の朝を過ごしているのはまだ幸福なほうか…. バスに乗り込み会社の最寄りのバス停まで約半時間。乗客も数えるほどで冷房がガンガンに効いた車内の座席に着き2週間ほど前に2年間使って買い替えた携帯電話を取り出す。そうです私には秘密兵器のワンセグ携帯があるのです。参考までに私の前の前の携帯はIモードがこの世に出た時の1号機の携帯でそれを6年近く愛用した。その白黒画面の携帯を私は2005年の夏まで愛用し、永遠に使い続けようと思ったのだが液晶画面が故障し買い替えの憂き目に。携帯ショップに持ち込んだ時のあのショートカットのかわいらしい窓口のおねぇさん、私の古典的な携帯を見て一瞬笑いをこらえやがったなぁ……

NHK にチャンネルを合わせ大会第10日目の第一試合を。放送が始まった8時35分には既に我が母校京都西高校の攻撃が終わっていた。う~ん、この試合も3者凡退スタートかぁ。我が西高の先発は右腕の辻君。甲子園では初登板初先発だが、京都府大会の決勝戦では先発白井君の後を継いで登板しエースの本田君に繋ぐ貴重な中継ぎを果たし、バットを持っては2打点のかつやくだった。2回戦では1塁手としてスタメンに入り延長12回表の先頭打者として入った第五打席ではレフトにヒットを飛ばし勝負を決める集中打の口火を切った。その辻君の注目の立ち上がり。ストレートは140km出るも先頭打者の永田君を歩かせてしまった。長崎日大は続く出口君がきっちり初球を送りバントを決め早くも得点圏に走者を送る。続く上戸君を140kmのストレートでセカンドゴロに打ち取り2死としたがランナーは3塁に進塁し続く4番で投手、文字通りエースで4番の浦口君に、1-2 からのスライダーをうまくセンターに弾き返され先制点を許した。浦口君は2回戦の星稜戦でも2安打。長崎県大会でも打率5割の強打者でもある。投手浦口君自身の先制打は以降のピッチングも調子づかせてしまうなぁ….と思う。.



長崎日大は続く曲渕君の初球、エンドランがかかっていたか1塁走者の浦口君が素晴らしいスタートを切った。幸運にも曲渕君はそのストレートをバットに当ててファールにしてくれた。空振りなら完全に盗塁成功であった。さすがに鍛えられた長崎日大。揺さぶって来るなぁ。マウンド上の辻君は何とか曲渕君をスライダーで打ち取り追加点を阻んだが、折角ストレートが走っていたので浦口君に対してはストレートで押せば良かったか?辻君は以降もピッチングは安定しない。2回は先頭打者の板谷君にストレートをセンター前に弾き返され、続く砂原君に初球バントを決められピンチを招く。3回も1死から出口君に137kmのストレートセンターに弾き返された。幸い2回はストレートで内野ゴロで打ち取り、3回は盗塁を田中君が刺してそれぞれ後続を断ったが、4回も先頭のエースで4番、浦口君にこの試合2本目のヒットを喫し、続く曲渕君に送りバントを決められる。しかしここも後続の板谷君をセカンドゴロ、続く左打者の砂原君には左投手の安達君を起用。安達君は見事に砂原君をスライダーで三振に打ち取り追加点を阻んだ。安達君は中学時代、同級生を交通事故で亡くしたらしい。天国の友人は彼の快投を看た事だろう。
一方の打線だが、好投手浦口君の前に5回1死まで13打者連続凡退。左腕から繰り出されるカーブが右打者の外角低めに決まり、スライダーのキレも良く右打者は切って取られる。むしろ左打者の方が打ち易そうだ。右打者には外角低めに決まるカーブが左打者には肩口から入って来るので打ちやすいのだろう。初ヒットは左打者の斉藤君だったが、後が続かなかった。
5回裏の長崎日大。1死から柴田君が140kmのストレートをレフトへ流し打ち出塁を許すと、西高ベンチは常総学院戦で先発、好投した左腕の白井君をマウンドに送る。しかし、次の永田君は右打者でこの日はまだ無安打1四球。この次の左打者で1安打1犠打の出口君で左投手の白井君にした方が…と思っていると、永田君はファーストゴロ。エンドランが掛かっていたので1塁ランナーは2塁に進塁し、続く出口君にスライダーをレフト前に運ばれた。レフトの斉藤君が打球を弾く間に2塁走者のホームインを許し追加点を入れられた。ここで白井君は動揺したか上戸君、浦口君に連打を浴び、曲渕君には初球をぶつけてしまいリードは3点に広げられる。常総戦は好投したのだが、イニングの途中、ランナーを背負っての登板はプレッシャーが違うのだろう。ここで西高はエース本田君の登場となる。本田君は相対する板谷君を最後は139kmのストレートで空振り三振に切って取った。本田君のガッツポーズが出た。このマウンドでの振る舞いに“高校生らしからぬ”と言う奴がいるがそれはスポーツを知らない輩だ。チームが劣勢の中、チームメイトを鼓舞するのは当然だ。そして 2-2 からの6球目、微妙なハーフスイングをボールに取られたことに対する意地もあっただろう。
6回表、京都西高は反撃に出る。先頭打者の小牧君が 1-2 からストレートを1塁線に転がしセーフティーバントで出塁すると1番に帰って都藤君が2-0 からストレートを叩いた打球は左中間を破り2塁打に。1塁走者の小牧君が長躯ホームに駆け込み1点を返す。 1-0 からの2球目をバント失敗した直後のストレートを叩いた都藤君の見事な一振りだった。



次打者内山君はバントで都藤君を3塁に送り、中川君はセカンドゴロに倒れるが続く辻君が初球のスライダーを鋭く振りぬき三塁線上にとんだ速い打球を柴田君は上手く処理できず内野安打とする間に都藤君が帰って再び1点差とする。辻君は前打者の中川君が打ち取られたスライダーを狙っていたのかもしれないが、2安打された浦口君にこれで雪辱出来た事だろう。
その裏、本田君は長崎日大の攻撃を試合初めての3者凡退に打ち取る。しかもフォークとカーブを交えて。エースの快投に奮起したか西高は7回同点に追い付く。先頭の古屋君が四球で歩き続く田中君が初球をバントで送る。続く“強打者”本田君はスライダーで三振に打ち取られるが、小牧君がしぶとく選んで歩く。そして前の打席で2塁打を放った1番の都藤君はストレートの四球で歩き2死ながら満塁とチャンスを広げた。浦口君はスライダーでストライクが取れなくなり苦しいピッチング。続く内山君の初球に投じたスライダーもワンバウンドになり捕手の上戸君が取れない。3塁ランナーの古屋君が突っ込んでくる。タイミングはアウトだがカバーに入りタッチをした浦口君はボールをこぼしてしまい、ついに京都西高が同点に追いついた。尚もランナーが2,3塁に残ったが内山君はセカンドゴロに倒れこの回の逆転はならなかった。しかし、浦口君は暴投の次もよく同じスライダーを投げたなぁ…..



本田君は7回も力の投球だ。先頭の永田君、続く出口君がバントで送った後の上戸君も歩かせ、1死1,2塁のピンチを招くが、続く浦口君と曲渕君を連続三振に打ち取った。打ち取った後のガッツポーズが印象的だったが、この回は永田君のボールになった初球のカーブ以外はすべてストレート。どこまで続くか少し心配にもなる。
一方序盤の快投と打って変わって変化球でストライクが取れなくなった浦口君。8回、西高打線はまたも彼を捉える。先頭のこの日3打席無安打の中川君が初球のストレートをピッチャー返しで出塁する。スピードも126kmと落ちて来ている。ここで迎えるは4番の辻君。前の打席では3塁線に痛烈なゴロの内野安打を放っている。しかし1-0からの2球目のスライダー、1塁走者の中川君がスタートを切る。しかし盗塁は失敗。折角の無死の走者をしかも4番打者を迎えて….と思ってしまう。しかも次のスライダーをライトに流し打ってくれたので…確かに無死1塁と1死無走者とでは投球内容も変わるのは解るんだけど…. しかし続く斉藤君が初球のスライダーをライトに撃ち返しこの日二本目の安打を放ち、続く古屋君はストレートの四球で歩き1死満塁のチャンス。マウンド上の浦口君。ストレートはスピードが落ち、スライダーでストライクが取れない状態なので、西高は一気に逆転のチャンスだ。浦口君、次の田中君には渾身の投球で三振に打ち取る。そして強打者本田君を迎える。初球スライダーが外れた次の外角高めのストレートを本田君は引っ張りゆるい打球が三遊間に転がる。遊撃手の永田君は少し処理を焦り内野安打に。そして辻君がホームに駆け抜けこの試合初めて西高がリードを奪う。



今年の西高は守備力のチームで打力は今一と言われていた。初戦の常総学院戦も9回まで1安打。この日も5回途中までヒットが出なかったが、共に終盤での集中打は見事だった。ただ7回、8回の点を取ってからランナーを残しながらもう一点取れなかったのが後で響いた……
リードを背負った8回裏の本田君。先頭打者の板谷君に 1-2 から135kmのストレートをレフト頭上に打ち返される2塁打を許す。板谷君にも全部ストレート。もう2巡目になっているので、変化球を織り交ぜ緩急をつける組立にすればと何度も思ったが… しかし、続く砂原君の初球、捕手の田中君が素晴らしい牽制球を2塁に送り板谷君を刺してしまう。常総学院戦でも(白井投手だったけど)2塁ランナーを刺してピンチを切り抜けた。よしこの回もいけるぞと思った矢先に砂原君をストレートの四球で歩かせ、続く瀬戸口君がバントで送りまたも2塁にランナーを背負う。そして迎えた柴田君に外角真ん中のストレートを流し打ちでレフトの頭上を破られ同点にされる。そして打った柴田君は3塁に。なかなかの流し打ちだったけど、本田君の直球のスピードががっくり落ちた様に見えた。そしてバッターボックスはさっき飛んできたゴロを内野安打にしてしまった永田君。初球、2球目のストレートが外角に外れた為だろう、3球目はストレートが中に入り、そこをレフトにライナーで打ち返され痛恨の逆点打を浴びた。やや気落ちしたか、永田君には次打者柴田君の初球に走られる。それでも何とか柴田君を抑え最少リードに抑えたまま最後の攻撃に望みを託すことに。しかし8回裏の逆転は非常に痛い。逆転した側は元気になって最終回の守備に就ける上に逆転された側はそれが最後の攻撃になりえなくなる。しかし点差は1点。この日の打線と今の浦口君の調子ならまだまだチャンスはと思った。
先頭打者の都藤君はスライダー3球で 2-1 と追い込まれた後の4球目のストレートをライトへ流し打ち出塁する。よし、同点のランナーが出た。ここで長崎日大ベンチが動く。次の打者は左の内山君でこの日は無安打。そして次も左打者の中川君だ。しかしここで何故左腕の浦口君を下げて小山君を投入したのだろう?内山君は初球をきっちりこの日2本目の送りバントを決め得点圏に都藤君を進める。そして続く中川君はストレートの四球で歩き、逆点のランナーが出た。そして迎えるはこの日2安打の辻君。一打同点。長打が出れば逆転のチャンスだった。ここで再び浦口君がマウンドに戻る。その初球、浦口君はスライダーを投じた。辻君は第一打席でスライダーを2球空振りしながら、第三、第四打席はすのスライダーを痛打している。だがこの打席のスライダーはやや高めに投じられた。バットが一振りされるが打球は三遊間に大きく跳ね、遊撃手の永田君が掴み二塁を封殺。そして一塁へ転送され………

今年の京都西高の戦いはこれで終わった。この初球がストレートだったら恐らくセカンドの頭上を抜けていただろう……. 今大会の京都西高校。最後はエースで主将の本田君が連打を喫した。変化球がもう少し投げられれば重いストレートは生きただろう。ゲームセットの瞬間、呆然と打球と送球を見る西高ベンチ前の本田君が映し出された。二年振りの夏の甲子園。彼は悔いは無いと試合後語っていた。プロ入りして二年前の決勝戦で投げ合った現在楽天の田中投手との対決を煽る一部マスコミもあったが、卒業後の進路はどうするのだろう?
大会前あまり期待できそうになかった打線ではあるが、好投手清原君(常総学院)そして浦口君を相手に序盤こそ抑えられるも勝負どころでは連打が生まれ効果的に得点を重ねた。そして長崎日大戦はきっちりとした送りバントが目立った。
そして守備は鉄壁だった。特に三遊間は素晴らしかった。遊撃手小牧君は二年生。三塁手中川君は何とまだ一年生だ。一年生と言えば五番の斉藤君。常総学院戦は先制の二塁打を放ち、長崎日大戦は二安打を放った。 新チームで来春の選抜を目指してほしい。
そしてベンチにもスタンドにもいた3年生は残った高校生活を有意義に、そして卒業後も頑張ってほしいな。卒業後の人生を更に良くすれば高校生活の殆ど全てがいい思い出になる。京都西高の野球部諸君。本当に御苦労様。私も大いに楽しませてもらった。
そしてユニフォームもよかったぞ。次は私が在校生時代の NISHI のロゴを使ってくれ。

この試合は会社に着いてからも就業時間にかかわらずずっとワンセグで観戦していた。いやぁ~ありがたや文明の利器ワンセグ携帯。しかし、試合後は目が大いに疲れて午後の勤労意欲が全く沸かなかった事を書き落としてはならない….. 後輩たちよ、俺みたいになるなよ。



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京都西 接戦制して3回戦へ。

2007-08-13 | 京都西高校
12回表、再び同点にされた京都西の攻撃は4番ながらここまで無安打の辻君。しかし1-2 後の4球目清原君のストレートをレフトに弾き返し出塁を。先頭打者が出たのは9回に続いて2度目だ。続く坂部君は初球に送りバントを試みるが小飛球でアウト。ここは手堅く送ってほしかったが。5番古屋君は1-1 からストレートを強振。サード正面のゴロであったが、ゲッツーをやや焦ったか常総3塁手宇津木君の送球はそれて2塁手鈴木朝君がグラブに当てて止めるのが精一杯。さらにそのこぼれ球が走者の辻君にあたり、外野に転がる間に打者走者と辻君はそれぞれ進塁し1死2,3塁とチャンスを広げて貰った。マウンド上の清原君の投球数はもう150球を越えていたか?次の7番田中君は 0-1 から内角の136km のストレートを3塁線に強烈に弾き返す。3塁手宇津木君は前に落したボールを拾ってそのまま走り込んで来た2塁走者の古屋君にタッチに行くが古屋君は上手く回り込んでセーフ。宇津木君はよく止めたのだが、常総捕手の飯田君は1塁を指していた。京都西が三度勝ち越すと共に尚も1,3塁に走者を残し追加点のチャンスが広がる。迎える打者は8回からマウンドに上がったエースの本田君。前の打席でもレフトにクリーンヒットを放っている。2-2 からのストレートをセンターに打ち上げ、タッチアップから3塁ランナーの古屋君が生還して5点目が入った。しかし1塁走者の田中君は1,2塁間に挟まれてアウト。スリーアウトに。三度勝ち越したが、このアウトは勿体なかった。この試合、京都西は得点後の拙攻がめだつなぁ…. それに最後の打者が投手の本田君だっただけにもう少し休ませてあげたかったなぁ….



12回裏、常総は打順良く1番の鈴木朝也君。スローカーブの初球の後の2球目を強振。3塁を急襲するが、3塁手の辻君が上手くさばいてワンアウト。この先頭打者を打ち取ったのが大きかった。続く宇津木君にはストライクがはいらず 0-3 4球目はストライクが入ったが明らかに置きにいったストレート。続く133km のストレートも低く外れ歩かす。どうもストレート以外にストライクが入らない。続く諸岡君はストレートで 2-0 と追い込みカーブで1球外した後の4球目を外角高めの135km の渾身のストレートで空振り三振に切って取り、最後は4番の島根君を初球 139km の真ん中ストレートが低く外れた次の2球目を外角ストレートでセカンドゴロに打ち取り延長戦の死闘にピリオドを討った。

我が母校、京都西高校の初戦の対戦相手が常総学院に決まった時、“こりゃぁ大変な相手やなぁ…..” と正直思った。1987年度には初出場で後にジャイアンツに入団した仁志を擁して(俺の好きな選手だったのに横浜に行ってしまった….)いきなり準優勝。1984年度に全国優勝を果たした取手二高の木内監督が就任した事から非常に注目をしていた。そして2003年には決勝戦でダルビッシュを擁する東北高校を破って全国優勝。木内監督の勇退を飾った。そして今年、大会前の木内氏の激励の言葉….

“甲子園で6回勝てば優勝できる。しかし6回勝つのは難しい。だが3回勝つのは容易だ。その3回を2回すればと考えれば良い。“ 

う~ん。なかなか、良い激励だ….  ほな初戦の京都西に勝つのは容易なことなのかぇぇぇ??

楽しみにしていた大会六日目の第一試合。NHKのテレビ中継が始まったのは8時35分。しかし、試合は既に1回裏の常総の攻撃。あらら西高の攻撃から映さんかぃ…. 京都西の先発は白井君。京都大会決勝戦と同じだ。そしてスタメンも。初回の常総を3者凡退に。良いゾ良いゾ。 一方の常総先発の清原君も素晴らしい立ち上がり。特にストレートが早い141kmをマークした球も。そして追いこんでから外角のスライダー等の変化球がよく切れている。共に3回までパーフェクトピッチング。4回表京都西は1死から内山君が死球で出塁する。両軍通じて初めての走者だ。続く中川君の初球、カーブが右足にあたる。よし連続死球と思いきや、塁審はよけられたはずだとボールの判定。おいおい、カーブの切れが良すぎてよけられへんかったんとちゃうん?? しかし3球目のストレートをライトに弾き返し、これまた両軍通じての初安打。ここで常総右翼手の佐藤君がすこしお手玉、エンドランがかかっていたか、1塁走者の内山君は悠々サードへ。しかし、右翼手のファンブルを見て果敢に2塁を狙った打者走者の中川君は今度は佐藤君の好返球に刺される。尚もランナーが3塁に残ったが後続の辻君がアウトハイの137kmのストレートを空振り三振。先制点のチャンスを生かせなかった。
その裏の常総は先頭打者の鈴木朝也君が四球で出塁する。 2-0 と追い込まれながら際どい変化球、特に 2-2 からの外角スライダーを見送り、常総初のランナーとなった。続く佐藤君が初球をきっちり送りバントを成功させ、ランナーを2塁に送る。ここでバントを決められる事が総合力の高さだ。次は3番鈴木崇徳君。県大会では .353 の高打率。2塁塁上の鈴木朝也君のお兄さんだとか。ご両親は幸せだろうなぁ… しかしマウンド上の白井君は初球を鮮やかな牽制球で2塁走者の鈴木朝也君を刺し、ピンチを切り抜けた。白井君は5回までアウト15のうち11を内野ゴロで打ち取る好投。そして守備も三塁手中川君、遊撃手小牧君の三遊間の動きが非常に良い。だがその好投故にエース本田君への継投時期が難しいかも?常総の清原君は更に出来が良い。特に外角一杯に決まる伸びのあるストレートとスライダー等の変化球との組み合わせで狙い球を絞らせない。こりゃぁ先制点はやれないなぁ…..



7回裏常総学院は大チャンスを迎える。先頭打者の佐藤君が内野安打で出塁する。投手の白井君のグラブを弾いた打球を内山君が回りこんで上手く処理したのだが、ヘッドスライディングを見せた佐藤君の執念が実ったと言えばそうかもしれないが、このタイミング少し微妙だったなぁ。続く鈴木崇徳君はストレートの四球で歩き白井君の玉数も70球を越え、ここで京都西ベンチはエースの本田君を送る。拍手に送られる本田君そして出迎えられる白井君。だが本田君は最初に相対した島根君の初球をぶつけてしまい、たちまち無死満塁に。そして5番の土肥君。 2-1 からの真ん中高めのストレートを弾き返されたが前進守備の遊撃手小牧君がジャンプ一番好捕。しかし、3塁走者の佐藤君も戻りも早くそれ以上のアウトは取れなかった。だが続く中村君は 1-2 からストレートでショートゴロゲッツゥーに打ち取りこの大ピンチを凌いだ。本田君は登板してからこのイニングは全てストレート。それよりもショートの小牧君に救われたイニングでもあった。

9回裏再び京都西はピンチを迎える。本田君は先頭打者の佐藤君を三振に打ち取ったが、続く鈴木崇徳君には初球を側頭部にぶつけてしまい、球場内は騒然となる。鈴木崇徳君はそのまま担架でベンチ裏に運ばれそのまま病院に検査に…. 大丈夫かな?? このイニングから雨が降ってきて投げる本田君を始め守備に着く西高ナインはやりにくくはなかったか?本田君は続く島根君の初球をワイルドピッチでランナーを二塁に進められ、島根君はそのまま敬遠で歩かし塁を詰める。続く森田君を2-2 から139kmのストレートで1塁ゴロに打ち取るが走者をそれぞれ進塁し2死2,3塁。続く中村君を歩かせ満塁策を取り、清原君との勝負に賭けた。初球を139km のストレートで空振りさせると後は全て140kmを超える渾身のストレートを外角高めに投げ込み三振に切って取りピンチを切り抜けた。本田君はイニングの途中で肩のしびれを訴え、にわか雨の中で迎えたピンチをストレート1本で凌いだ。

0-0 のまま延長戦に入った10回表、今度は西高がチャンスを迎える。1死から3番中川君が四球を選ぶが外角にストレートは来なかった。続く辻君が初球をバントで送り、5番の斉藤君に託す。試合前、常総の清原投手が“打たせて調子に乗せたくない1年生。”と言っていた斉藤君だった。1-3からの5球目のインコースのストレートを強振するが、惜しくもライト線の外、次の球もファールをした後の7球目、インコース高めのストレートをライト線に弾き返し、中川君を迎え入れついに先制点は京都西に入った。打ち返した1年生の斉藤君も見事であったが、彼に対しては1-3 から同じコースのストレートを3球続けた。ここは外に一つ外しても良くはなかったか?斉藤君のこのタイムリーヒットはこの試合西高2本目の安打であった。

10回裏の常総学院に対して本田君は先頭打者の飯田君をセカンドゴロに打ち取る。続く藤原君にはインハイのストレートをレフトに撃ち返され2塁打を喫するが1番に戻って迎えた鈴木朝也君を捕邪飛に打ち取りあと一人と迫る。ここで常総ベンチは県大会 .357の佐藤君に替えて宮本君を代打に送った。この起用には少し驚いた。常総監督の3年生への温情かとも思った。しかし、宮本君は0-1 からのストレートをセンター後方に撃ち返し同点のランナー藤原君を迎える。2塁塁上でガッツポーズの宮本君。決して温情の代打ではなかった。あと一人から一転今度はサヨナラのピンチ。しかしここは本田君が後続の代打、諸岡君をストレートでセカンドゴロに打ち取りサヨナラは免れた。しかし、撃たれたのはいずれも本田君のインハイのストレート。次のイニングも楽ではなさそうだなぁ….

11回表の京都西は先頭の田中君が三振のあと、本田君が 2-2 からスライダーをたたいてレフト前にヒット。清原君はそれまでは全てストレート、前の打席の本田君に対してはずっとスライダーで押してきた。そのスライダーを本田君は待っていたのかも。続く小牧君はバントで送る。序盤のチャンスでこれができていればなぁ 。そして1番の都藤君が四球で歩く。清原君のスライダーが決まらなくなって来た。だから次の内山君にはカーブで入ったのかもしれない。初球をファールした後の2球目、低めに落ちるカーブを救いあげる様にバットを振り上げ打ち上げられた打球はライト諸岡君の頭上を襲い、一旦は落下点に入った様に見えたが更に打球は伸び諸岡君は頭上を越えられてしまった。2者が還り、西高は再びリードを奪った。尚もランナーは3塁に内山君が残ったがここは清原君が踏ん張り後続の中川君を絶った。



11回裏、常総は先頭の4番島根君が2球目の高めのストレートを打ち返すとセンター坂部君の頭上を。一旦はこちらを向いて落下点に入ったかに見えた坂部君であったが、打球は更に勢いが有り坂部君の頭上を越え、2塁打に。どうも外野に飛ぶフライは伸びるのか?それともこの試合両先発投手の好投で守備機会が少なかった影響か?しかし点差は2点差。本田君は10回裏よりは余裕があったはずだ。続く森田君を135km のアウトローのストレートで三振に打ち取る。そして続く中村君には真ん中高めのストレートをレフト前に運ばれる。あたりは弱く本塁で刺すのは難しい、ここは打者走者を2塁には…. と思うがレフトの都藤君がホームに返球してしまい打者走者を2塁に生かしてしまった。続く打者は清原君。11回表はマウンド上の本田君のヒットを足掛かりに2点を献上した。今度は自らのバットでと思っていたかもしれない。本田君はストレートでたちまち 2-0 と追い込む。しかし6球目の141km のストレートを投手返しでとらえると、打球は本田君を破る。その打球を一旦は攻守を誇っていた小牧君がグラブに入れるが、またこぼしてしまいランナーが1,3塁に残る。これを小牧君が取っていればファインプレーだったのだけど。そして続く飯田君のスクイズで再び常総が同点に追い付く。 0-2 からの3球目をバントの構えで見送り、その次の球を無警戒の中しっかりとバントを決めるあたりは流石常総であった。そしてまたも同点に追いつかれた後のサヨナラのピンチ、本田君は藤原君を最後は 140kmのストレートで空振り三振に打ち取り、延長戦はさらに続く事になったのであった。

好ゲームを粘り勝った京都西高校。先発の白井君の好投は3回戦以降明るい材料だ。2番手のエース本田君は本当に粘投だった。しかし、ストレートでしかストライクが取れなかった。変化球を織り交ぜてストレートを生かすピッチングをしないと次も楽じゃないかも。打線は得点後のチャンスを生かす事が出来ずに苦戦を招いた。しかし、守備は素晴らしかった。京都府大会を粘り強く勝ち抜いて来たのが良く判る。そして強豪常総学院に競り勝ったのは大きい。これは3回戦以降の精神的な糧になるはずだ。 それにしてもテレビで観戦しているだけでも暑いのに…選手達はさぞ暑い中大変だろう。御苦労さん。でもまだ次の試合、長崎日大戦が待っている。8月17日だったかな…. どうやって会社サボってどこで観戦したろうかな…..

がんばれ京都西高校。 もう一度校歌を聴かせてくれぃ!!  

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やったぞ 京都西高校 

2007-08-02 | 京都西高校
 7月28日。日本がアジアカップの準決勝戦で敗れて3位決定戦に臨む日。
その日は土曜日と言うのに会社がくだらない、役に立たない営業研修を前日から池袋のとある宿泊施設を借りきって泊まり込みで催し午後3時にやっと解放された。
何度も言うがこう言う研修は全く役に立たない。一番満足しているのは招かれた専門の講師とやらだけど、私はこういった類の講師については懐疑の眼差しでした見ていない。なぜなら彼らは非常に無責任だ。“こうすれば良い、ああすれば良い….”と一方的に言ってあとは自分がやる訳では無い。我々がブログで色々と意見を述べるのと一緒で、責任が無いのだ。そして我々との大きな違いはこういった講師達はそれで金を貰っている。我々が無責任に色々意見、解説をブログ上で述べるのはそれに金が絡んでいないからで、講師達の無責任なしゃべりで金まで取るのは半ば詐欺行為である。その詐欺行為に簡単に引っかかる会社連中は大概営業職には無く、総務や人事関連の人間で彼らは営業が汗水たらして稼いだ金を易々とこう言った詐欺行為を働く輩にくれてやっているんだ。憶えとれ、来週総務部長達に営業を代表して立ち直れない事を言ってやるからな…… 俺はこう見えても社内で売上そして営業利益 Number One を叩き出しているんじゃぃ

あほかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

会社の愚痴はこれくらいにして日本のアジアカップはベスト4止まりであったが7月28日は私を幸福にするニュースがあった。我が母校、京都西高校が2年振りの甲子園出場を決めたのだ。何度でも言わせてもらおう。京都外大西ではなく、京都西高校だ。私は京都西高校を卒業後は京都外大に進学した。当時は京都外大の偏差値は受験戦争の真っただ中にあり年々ウナギ昇りの状態にあり、入学の門は狭く狭くなっていた。そして付属であった京都西高校の入学枠を激減させる方策を取っていた。それは京都西高校の偏差値が低かったからである。私も大阪府高槻市に在住しており高槻市の公立高校に入れなかったから県境いや府境を越えて京都西高校に通学していたのだ。あの高校の3年間どれだけ辛かったか。それは勉強を怠った自業自得。しかし外大に上がれることを信じて3年間耐えたが、“西高推薦枠”のほぼ全面撤廃の影響を受けてしまった。結局は“付属高校の恩恵”を受けずに幸運にも外大に入学できた。その後京都西高校の先生方の努力もあり偏差値も上がり、野球部をはじめ運動部がどんどん強くなり文字通り文武両道の道をまっしぐら。一方の外大はさしたる学生募集活動や就職へのアピールは皆無で少子化の影響で学生確保に赤信号が灯っている。ざまぁみろだけど、そこで西高にアプローチし“京都外大の名前を入れて下さい。いいでしょ付属だから。”とは 

あほかぁぁぁぁぁぁぁ

同じ事は来年から平安高校でも起こるらしい。龍谷大学と付属関係にあり戦前から伝統のあった平安高校の名前で世に出るのは今年が最後。翌年から龍谷大付属となるらしい。

京都西   001 000 010=2
京都すばる 000 001 000=1

7月28日、京都西京極球場で行われた第89回全国高校野球選手権京都大会決勝戦は我が母校京都西が2-1で京都すばるを振り切って2年ぶり8度目の甲子園出場権を勝ち取った。京都すばる高校は今年の京都府大会の台風の目と言える存在。おおいに京都の高校野球ファンを沸かせたのではないか?また昨年出場の福知山成美高校がベスト16で姿を消したのも連続出場の難しさを証明した。
京都西高校の甲子園出場は春の6度と合わせて通算14度目。台風の目となった創立23年目の京都すばるは、エース中村君の力投で接戦に持ち込んだが、わずかに及ばなかった。 京都西打線は近大会屈指の好左腕・中村君の攻略に手間取ったが、3回、都藤君の二塁打と敵失で二死一、三塁と好機を広げ、辻君の中前適時打で1点先制。6回に同点に追いつかれたが、8回は二死二塁から再び辻君の右前打で勝ち越し。計5安打で勝負強く2点を奪った。
京都すばるの中村君は球威、キレとも申し分ない好投だった。決勝点は、中堅手と右翼手が打球に追いつきながら譲り合って安打になる不運。打線は6回に一度追いついて粘ったが計4併殺が響いた。 6回に追いつかれてからは先発白井君から、辻君にスイッチ、そして最後は本田君の継投で反撃を断った。 本田君は2年前あのマー君率いる駒大苫小牧との決勝戦でも当時1年生ながら登板を果たしている。今年も西高は継投で甲子園での勝利を目指す。
優勝を決めたマウンドで背番号1の本田君は雄たけびを上げた。9回一死一、二塁。最後の打者を二ゴロ併殺に仕留め、両手を突き上げた。思わず泣いた。 白井君、辻君と継投し本田君の登場は1点リードの8回無死一、二塁。犠打と敬遠四球で満塁となったが、木村君を二ゴロ。本塁併殺で相手に傾きかけた流れを断った。 一方の敗れた京都すばるはこれまで堅守で勝ち上がってきたたが決勝戦はあまりに不運な失点だった。同点で迎えた8回の守備。右中間に高々と上がった飛球を、中堅・奥田君と右翼・中野君が追う。互いに落下点に入ったが、奥田君の「行く」と中野君の「おれに任せろ」の声が交錯。打球は2人の間にポトリと落ちる安打となり、決勝点を許した。 今大会を1人で投げ抜いてきた中村君は、決勝も冷静に、熱く投げ抜いた。「1イニングずつ集中して投げた。結果から見れば好投したが相手は1失点。負けは負けです」と振り返る。 援護したい打線は敵失や四球でしぶとく好機をつくった。6回は二死三塁から「真っすぐを狙っていた」という木村君の執念の適時打で同点に。8回にはエース本田君を引きずり出し、一死満塁と一打逆転の場面まで追いつめた。 昨夏の準々決勝に続いて今夏も京都西に惜敗。稲川主将は「先輩の借りを返したかった」と無念さをにじませる。それでも試合後は父親でもある稲川監督とがっちり握手を交わし、「泥臭く勝つ野球を残せた。この経験を次に生かしてほしい」と後輩たちに大きな夢を託した。
監督と主将は親子だったのだ。そして痛恨のエラーをした外野手、これからも人生は長い。これに負けずに次を頑張ってほしい。奥田君はまだ2年生。この試合を糧に明日からまた練習に取り組んで欲しいな。

7月28日夕刻には少し驚きのニュースも。元高校球児が盗みで逮捕。昭和50年東京代表として春夏甲子園出場を果たしたH学園のS元投手が逮捕されたとの事。テレビで今50歳になった彼の顔を見た時にすぐに誰か分かった。昭和50年と言えば私はまだ中学生。楽しみの少なかった当時、高校野球は毎年開幕から決勝まで結構真剣にテレビで観戦していたし、大阪に住んでいた私は甲子園球場まで観戦にも行った。H学園は昭和50年の選抜大会にはベスト4に進出し最後は現在ジャイアンツで指揮を執る原辰徳氏のいた東海大相模に敗れている。ベスト4は当時エースだったS投手の力投によるものだったが準決勝では疲れもあったか東海大相模の重量打線を抑えられなかった。 そして当時のH学園の捕手は長距離打者だったのを思い出す。巨人の星の左門豊作みたいないでたちでけっこう長打も飛ばしていた。このバッテリーの力で選抜はベスト4.そして同年の夏の大会も東京大会を勝ち抜いて甲子園に出てきた。そして1回戦では奈良の天理高校と対戦した。天理、H学園共に選抜出場を果たした高校だったので注目もしていた。しかしH学園は0-11 (だったと思う)で完敗。エースのS投手は本塁打を浴び途中で降板、2番手投手はフレッドと言う名前の外人投手が出てきたのを覚えている。4番の捕手からは快音が聞かれなかった。大会前はこの捕手も東海大相模の原辰徳3塁手とならんで評判が高かったのだが。大会後に出版される高校野球を特集したアサヒグラフを購入するのも当時の楽しみだった。そこにこの試合の事をこうかかれていた。

S投手は黄色い声をあびながら滅多打ち。4番打者はノーヒットの上に三振と併殺打のおまけつき。東京っ子は淡泊……

こんなに酷い表現は、しかも高校生相手にないだろう…と今は思う。あれから30年以上が過ぎこのニュースを見て思った…..

俺達の同級生は元気にしているだろうか…….

甲子園に出場する事は素晴らしい事だ。それを目指す事も尊い事。しかし大事なのはその後。甲子園で優勝してもそれだけで一生涯人生が保障されるわけでは無い。その後の人生を頑張らねばならない。そして甲子園を目指した事がそのあとの人生で頑張れると思う。それは甲子園だけではない。全ての学生スポーツに当てはまる事だ。

あぁ偉そうなことを言ってしもたぁ。 

しかし今夏は母校の甲子園での活躍にこちらが元気をもらう番だ。この夏彼らが悔いのないプレーを繰り広げてくれることを祈る。

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京都西高校 いざ出陣

2006-03-26 | 京都西高校
23日に開幕した第78回選抜高校野球大会。いよいよ明日は愛する母校、京都西高校の登場である。相手は神奈川県代表の東海大相模高校。2004年の夏には同じ神奈川県代表の横浜高校にサヨナラ負けを喫しているだけに同じ神奈川県代表校に雪辱をして欲しいものだが、こちらも強豪だしなぁ。私が小学校2年の時の東海大相模は全国優勝を果たしているが、この時の決勝戦の相手はPL学園。後に東映フライヤーズ(後に日本ハム)に入団した新美投手を擁しての決勝進出であった。東海大相模はそれ以来優勝が無い。あの原辰徳を擁しても夏の大会はベスト8が最高。選抜では準優勝している。 さて京都西高校だが昨夏の快進撃を支えた北岡君(3年)-本田君(2年)の継投がこの春も戦い方の根幹となる。さらに昨秋の京都府大会では左腕の大野君(3年)が先発の柱として活躍し、投手陣は再武装されて甲子園に戻ってくる。チーム打率は出場32校中21位の3割1分6厘、本塁打はわずかに2本。しかし秋季大会では1試合平均5個の四死球を選んで出塁。チーム一の10打点をマークした吉田君(3年)や8打点の南本君(3年)ら中軸の勝負強い打撃しぶとく得点を奪う。京都府の秋季大会は昨夏の甲子園大会後のわずか4日後に始まったらしい。昨年は結構2年生がいたから新チーム作りには大丈夫であろう。  

私が入学した時は本当に甲子園が遠かった。野球部は毎日遅くまで練習に明け暮れていたが甲子園にいけるとは考えられなかった。しかし、前にも書いたが、野球部の顧問が“お前達が3年になった時が楽しみだ”といっていた通りになった。2年の時の秋季大会、京都府大会を勝ち抜き何と平安高校と共に近畿大会に進出したのだ。そして1回戦の相手はこれも近畿大会は初進出の大阪代表上宮高校。 試合の数日前に担任が“日曜日の近畿大会に応援バスを出すけど、応援に行こうと思ってい者は手ぇ挙げ。”と問うたところ、なんと挙手をしたのは私だけ。これには担任は怒った。“おまえらの同級生が頑張っているんやぞ。何で行こうとせんのや?日曜日やけど他に何の用事があと言うんや?あかんなぁ。バスが足らんから追加してくれ言うくらいになるのが普通とちゃうのか?”と言い放った。結局私のクラスからは20人近くが応援に出かけた。相手の上宮高校は恐らく全員が来ていたのではないかな?2倍くらいの生徒が来ていた。 試合は初回、先攻の西校がチャンスを掴むが得点にならなかった。その裏の上宮もチャンスを掴む、そして次打者の打った打球はサード正面のゴロ、これでチェンジだ、と思うも3塁手の直前でイレギュラーバウンドし、そのまま外野へ転がる。結局この回2点が入り、その後も追加点を許し5点を許す。やはり甲子園は遠いのか?と諦めかけた8回、突如西校の猛攻が始まり、一挙4点を返す。我々は総立ちで声援を送る、いつも学校で気軽に話す同級生がプロ野球選手に見えた。その裏に追加点を許すがそれでも最終回、更に大声で声援を送る、だが残念ながら点差は詰まらずセンバツの夢は消えた。試合終了後、3塁手(確か1学年下だったと思う)が泣いていた様だった。そして天気が崩れ出し帰宅したときは雨が降っていた。帰宅後は日本シリーズの、あの江夏の21球をテレビで観た。
そして夏、1,2年の時は共に府予選の1回戦で敗れたが、野球部でも無いのに甲子園の銀傘を夢見た。在校中にまさか母校を応援できるなんて、同じクラスの奴らが甲子園に立つのか?と期待した。京都府大会の3回戦であったか、東宇治高校と対戦する事に。この年は宇治市のいくつかの高校が力を持っていると教えてもらっていた記憶がある。しかし、負けるとは思わなかった。私は受験生らしく、夏期講習の帰りに予選のあった西京極球場に行った。この日もあまりいい天気ではなかった。 試合は西校が2点を先制した。しかし東宇治が1点を返しさらに二死ながらランナーが二人いた、そしてバッターの打球は外野を破った、その打者走者は2塁を廻って3塁を狙うがここは外野からの好返球、好中継でアウト、だがそれより1塁走者のホームインが早く、逆転されてしまった。しかし試合はまだ中盤、チャンスはあると思い声援を送ったが中々得点に繋がらない。終盤に逆にピンチを迎えた。その時マウンド上にいるエース投手に懸命に声援を送った。彼は同じクラスの奴だった。私と同じく走るのが速く、何度も競争をしたものだ。そのエースが踏ん張り追加点を許さない。そして最終回。雨が降ってきた、もうみんな総立ちだ。ブラスバンドの連中も椅子の上に立って楽器を奏でている。同点のランナーが出た。しかし、彼は生還しなかった。そして彼らの夏も終わった。3年間毎晩遅くまで練習をし、修学旅行にも行かずそして日曜日も試合や練習で遊べなかっただろう。私もクラブ活動をしていたが、彼らほど練習漬けでは無かった。帰りの阪急電車の中で数人の同級生と“惜しかったなぁ、残念だったなぁ、夏休みどないしてるんや?”等と話した。 だけど、負けはしたが彼らが羨ましかった。俺も応援される側になりたいと思った。進学希望だったので大学に入っても絶対スポーツはしようと思った。母校が甲子園に出られたのは4年後であった。そして私もあるスポーツ競技で全国レベルになった。 同級生の活躍は大いに刺激になった事は間違いない。 今の在校生達の中にも当時の私の様な思いをしたり、将来同じ思いをする子達も出て来るだろう。 スポーツは全てが積み重ねだ。 西校生よ これからもがんばれ !!! ( 文章は私の遠い記憶を頼って書いたものです。おそらく数箇所、記憶違いがあるかも知れませんがご勘弁下さい。)

祝 夏春連続出場

2006-02-02 | 京都西高校
我が愛する母校 京都西高等学校が夏春連続の出場を決めた。 非常に喜ばしいことだ。ここはひとつ昨夏の準優勝がフロックでないことを証明してほしい、と言いたいところだが、卒業生した選手もいるのでそう期待するのははなはだ失礼というもの。だが夏に投げた3投手のうち2投手は今年も現役。かれらの経験に期待しよう。 私の在校していた時はまだ甲子園には出れなかった。2年生の時に秋の大会で近畿大会にまででたが1回戦で大阪の上宮高校に惜敗しセンバツ出場はならなかった。その年の夏の京都府大会でも東宇治高校に 2-3 で破れ夢はかなわず。そしてその東宇治高校が初出場を決めた。スポーツは全てが積み重ねだ。高校1年生の時野球部の監督が”おまえらが3年生になった時が楽しみだ”といっておられたのを思い出す。同級生達ががんばってくれたのだった。ならば俺もと所属する部活で張り切ったのを思い出す。そして自分の全国デビューは大学に進学してからだったが、彼らの活躍が刺激になったのは事実。最後にひとこと、みなさん京都外大ははずしてください。京都西高校、または西高と覚えてください。私が在庫中は外大は西高なんてゴキブリ扱い。私は付属の恩恵をうけずに外大に入学したが職員達の西高蔑視は想像以上。少子化で学生を掻き集める必要性が出てきてやっと付属風をふかし出すなんてナンセンスです。 とにかく西高球児よおめでとう!!そして甲子園では精一杯楽しんでください。 

準優勝おめでとう

2005-08-20 | 京都西高校
京都西高校のみなさん。準優勝おめでとうございます。本当におめでとう。良くがんばってくれました。ここまで来たら優勝を、と言う気持ちは皆さんが他の誰よりも強く持っていた事でしょう。悔しかった気持ちもみなさんが最も強く感じているところだと思います。 
しかし、私はおめでとうございます。胸を張って母校に凱旋してくださいとしか言えません。そして感謝の念も。君達の人生はこれからです。そして今日の事が今後大きな糧になるはずでしょう。
学校および野球部関係者の方々もお疲れ様でした。スポーツは薄い紙を一枚一枚丁寧に積み重ねて、高い目標に向う様なものです。これまでの道程に敬意を表します。そしてこれからもそのたゆまぬ努力は続けられる事でしょう。

しかし、最後に解ったことは、関東の人って本っ当に関西がお嫌いなのですね?昔、東北地方を訪問したときに正面から”関西人は嫌い”と多数の方に言われた事もありましたが、今日の試合で京都西高校がそういった人間の標的にされるのは許せない。 ここはスポーツに敬意を表し決勝戦を戦った駒沢大苫小牧高校とわが母校の両者に拍手を送ると言うマナーを勉強してもらいましょう。


京都西高校 決勝進出 !!

2005-08-20 | 京都西高校
本当に大変な事になった。我が母校京都西高等学校が何と今夏の全国高校野球選手権大会の決勝戦に進出したではないか。私は野球部出身では無いが、高校時代は同校水泳部に所属。野球部の連中とも親しかった。在校生時代はあと少しのところで甲子園出場はならなかった。その悲願達成は私が卒業して大学生をやっていた時の1984年選抜大会。1回戦は快勝したが2回戦では桑田、清原擁するPL学園に完敗した。それから20余年、途中甲子園から遠ざかった時期もあったが、全国大会の決勝戦へ進出するようになった。ターニングポイント は3回戦関西戦の上田君の打席だ。といっても9回の彼の適時打ではなくその前の打席だ。8回表、4-10 とリードされていた西高は無死満塁とチャンスを掴むが後続2者が討ち取られ二死満塁。ここで上田君が代打起用された。0-3 となった後、相手投手も踏ん張り 2-3 と上田君を追い込む。通常ここで打者は打ちに出たいところだが、上田君は四球を選び押し出しで1点を返すと言うよりも次につなぎ、同点への連打を導き出す。満塁とはいえ、6点差。心理的には圧倒的に相手投手有利の場面であるが、よくボールを見極めてくれた。そして西高はその試合を大逆転でものにし、彼の選んだ四球から決勝までの道が繋ったと言える。
はっきり言って京都西高は抜きん出たスーパースターはいない。こういった選手がいないと全国制覇は容易ではない。決勝戦の駒大苫小牧戦での苦戦は必至だ。しかも苫小牧は大阪桐蔭に競り勝っての決勝進出だ。京都西高の数少ない advantage は”ここ40年近く、夏の大会での連続制覇が無い”というジンクスだ。だが、京都西高校の誇れる所は、私学でありながら露骨な選手獲得を行っていないということだ。あくまで、正門から試験を受けて下さい、というスタンスだ。 
だが気に入らない点を一つ。昔は京都西高校と呼ばれていたのに今は”京都外大西”と。これは京都外国語大学の事だが、私が高校時代は受験戦争のまっただ中。しかし、京都西高の偏差値は高くは無かった。(といっても救いようのないパーチクリン高校でもなかったが)私が3年生の時に大学側は”大学のレベルアップを計りたいので、西高からの付属枠を減らしたい”と通達してきた。確かに偏差値60以上の京都外大にとって付属の偏差値途上高は邪魔であっただろう。 私は結局付属の恩恵を受けずに必死に勉強をして外大に入たが、入学後の大学職員の西高蔑視は想像を絶するものであった。
その後、西高は関係者の努力が実り、甲子園に出場したり偏差値が上がったりそして他のスポーツ、弓道(元々全国クラス)水泳(五輪選手を輩出)陸上(今冬の駅伝は京都代表候補筆頭)空手(卒業生に世界選手権3位がいる)と全国クラスになり知名度も上がった。すると大学側は突然付属大学風を吹かしはじめ、学校名に外大の名前を入れさせられるようになった。私も大学時代は体育会(サッカーでも水泳でもないが)に所属し、全国クラスの選手にそして卒業後は実業団(2年で挫折)にも挑戦した。しかし学生時代。大学からの援助は皆無。 まぁ大人なんてこんなものさ。
しかし明日の決戦に臨む選手達そして野球部員全員にはこう言いたい。悔いの無い一日を送ってくれぃ。例え敗れても、今夏の事はかけがえのない思い出になり、後の長い人生の糧となるであろう。在校生は思いきり応援してあげてくれ。力の限り。俺も応援する。そして母校の発展をねがってやまない。