Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

国立最蹴章 ここは京都勢にとっては鬼門か 星陵 4-0 京都橘 11th January 2014

2014-01-26 | 五輪 U-20, U-17
暖かな直射日光はまだこちらを射している。準決勝第二試合は始まったばかり。まだスタメンを確認しようとピッチとノートと専門紙をかわるがわる見回してる最中だった。
“あっ、あれっ、あ~っ”隣の I さんが声を上げた。その直後に歓声が上がる。 開始まだ2分半足らずだった。星陵FW仲谷君が先制ゴールを蹴りこんだ後だった。
“上手く真ん中で潰れて、左から決めましたね~。” I さんが解説する。 ゴールシーンを見ていなかった私は後方のスクリーンを振り返る。星陵右MF原田君からのアーリークロスに真ん中に走りこんだ森山君に橘のCB林君と清水君が引き寄せられる。しかしボールは更に左に流れ追いつこうとした倉本君の前に走りこんだ仲谷君が先に拾いそのままフリーで蹴りこんだシュートが橘ゴールに決まった。 左SBの倉本君、ショックが残らねば良いけど… と思った。
キックオフから原田君がそれまで2度ほどロングボールを蹴りこんでいた。 前日の練習で何度も橘のMFとDFの間にロングボールを放り込む練習をしていたらしい。 その成果が開始早々に出たのだった。
私は先制されても小屋松君を中心とした京都橘の攻撃陣が爆発するんじゃないかな~と期待はしていたけど。
この時はこの先制ゴールが試合を大きく左右するとは想像出来なかったんだなぁ~。


 
PK戦まで縺れ込んだ第一試合。全選手がまだピッチに居る間に星稜と京都橘の選手達がアップに出て来た。
準決勝進出4校の中で私がもっとも注目と言うよりも期待をいていたのが京都橘だ。昨年は優勝に“王手”を掛けながらPK負けを喫し1967年度山陽高校と同校優勝を果たした洛北高校以来の京都勢優勝の悲願はならなかった。エース小屋松君が残る今年は洛北高校と言うよりも1958年度、日本サッカーの重鎮、釜本邦茂を擁して単独優勝を果たした山城高校以来の快挙を目指す。
初戦はいきなり静岡の名門藤枝東高校と当たったが、林、赤澤両君のゴールで 2-0 で快勝。3回戦の那覇西高校戦では前半に中山君の2ゴールと小屋松君のゴールで3点を先取。後半那覇西、國吉君に2ゴールを許すも逃げ切り準々決勝の市立船橋戦に臨んだ。2年連続国立を狙う京都橘は、今年度のインターハイそして一昨年の選手権王者相手を圧倒。特にエースの小屋松君はさすがというパフォーマンスを見せ2ゴールを挙げチームを勝利に導いた。
地元と全校生の大歓声を受ける関東の雄である市立船橋を会心の試合運びで破ると言う関西人の私には非常に溜飲の下がる試合結果を残してくれた。そして今大会の選手権はベスト4に関東勢が残れなかった。



対戦相手の星稜高校はくしくも昨年の選手権準決勝戦で優勝した鵬翔高校に終了9分前で勝ち越しゴールを挙げながらその2分後に同点ゴールを喫しPK戦で苦杯を喫した。 要するに前年優勝した鵬翔高校に国立で敗れた高校同士が決勝進出を掛けての対戦という事になったのだった。





市立船橋戦を80分間交替選手無で戦い来た橘は同じイレブンがスタメンに並んだ。そして準々決勝戦ではPK戦の末GK近藤君の神憑り的な3連続PKストップで勝ちあがった星稜も同じスタメンで準決勝戦に臨んだ。



橘はGK永井君、右SB倉本君 CB 林君、宮吉、中野のMFの両君とFW小屋松君が昨年決勝戦を経験したメンバー。星稜は MF 寺村君、CB寺田君、右SB森下君が鵬翔戦のスタメン。そしてGK近藤君が控えでベンチメンバーだった。



先制を許した橘であったが、時間はまだ十分にある上に市立船橋戦のパフォーマンスを思い起こせばそれが良いハンディになると勝手に楽観していた。
11分14秒、小屋松君が中野君に戻し再び前線で受けた小屋松君が放ったシュートは相手DFに当たりCKにそのCKから宮吉君がシュートを撃つがGK近藤君の正面に。
前半10分を過ぎるとようやく両校の応援席が埋まった。第一試合が押したからなぁ~。





 
Iさんから指摘が入る。“小屋松君のワントップになっていないですか?” 目を凝らしてピッチ上を見ると小屋松君がワントップで宮吉君と中山君が2列目でボールを受けたり小屋松君に送ったりとしていた。 
だけどこれまで無失点の星稜DF陣もなかなかシュートを撃たせない。 小屋松君がボールを持つとすぐに誰かがマークに入る。4人の最終ラインが前後左右にうまく動いていた。そして攻撃に転じるときは一旦中に入れて橘のサイドラインを中に寄せてからまたタッチライン沿いに出して京都のサイド、特に宮吉君のいる左サイドを上手く突いていた。 その対策か20分過ぎからは小屋松君がトップ下に下がり中山君と宮吉君の2トップとなった。
だが21分15秒、アクシデントが橘を襲う。 中盤でハイボールをヘッドで競り合った宮吉君の後頭部に森下君の頭が入り、宮吉君がそのまま倒れて立ち上がれない。結局外に出さざるを得ない事に。 ここに来て愛するサンガの宮吉拓美の弟が離脱するのはちょっと厳しいなあと思った。 1人少なくなっても橘は24分小屋松君が起点となり藤村君、中野君を経由してCB二人のマークを受けながらも中山君に送りシュートを演出する。このショットはGK近藤君の正面に飛んだが、マークを受けてもこういうボールを出せるという小屋松君はさすがと思わされた。
そして27分頃に宮吉君がピッチにもどり小屋松君のワントップになったが30分になるとまた小屋松君と中山君の2トップになった。 グランパス入りが内定している小屋松君にボールが入るとマークがすぐに着く、しかし2人、3人と囲まれてもパスを出す。ただ受けた橘の選手もすぐに星稜のマークを受けるけど。
40分を過ぎると焦りからか橘は前線への縦パスが目立ちだすが反対に星稜DFに引っ掛かっていた。
それでも小屋松君にボールが渡ると何かが起きる。 42分34秒には小屋松君から右サイドを上がった倉本君に渡りシュートに持ち込むがGK近藤君がキャッチ。 43分21秒、カウンターから中央を小屋松君がドリブル突破で上がると最後は星稜ボランチ平田君がファールでストップ。そしてこのプレーに日比野主審からイエローカードが出された。 これで平田君は累積警告2枚目。 勝っても決勝戦は出られないことに。 だけど彼もこの試合の事しか考えていなかっただろうなぁ~と思った。
ロスタイムが1分と表示される。 46分には小屋松君が寺村君のマークを受けながらもスルーパスを中山君に送る。しかしここはCB上田君がマークに入りシュートは撃たせなかった。そして前半終了のホイッスルが鳴った。
この時点でも後半、京都橘の攻撃が爆発してくれることを期待していた予想もしていた。非常に安易に….?



メンバー交代がないまま後半のキックオフとなった。星稜MF寺村が左サイドから右サイドに回っていた。 宮吉君の上がったところを攻め込む方策か…. 47分23秒にはその寺村君がドリブルで上がるが宮吉君と小川君がマークに入る。
そして50分20秒、攻め込んだ星稜は右サイドからこの時は左サイドに戻っていた寺村君に送る。そしてマークに入った倉本君の脚に掛かり転倒すると日比野主審はホイッスルを鳴らしスポットを指した。 故意的では無かったけど寺村君の脚に掛かっていた。倉本君の表情が…. ここで得たPKを寺村君が右下に冷静に蹴り込みリードを広げた。 藤枝東戦ではPKをストップした永井君だったけどここは止められなかった。一瞬逆方向に動いてしまったのが痛かったか…..







だけどまだ時間は40分ある。橘の攻撃力からすればチャンスを充分あると思ったし攻撃陣の奮起も期待した。
55分橘ベンチが動く。宮吉君を下げて180㎝の赤澤君を投入する。藤枝東戦ではゴールを決めている。 昨年宮吉君はボランチでプレーしていた。どちらが得意なんだろう?卒業後は…愛するサンガに入ってくれたら良いんだけどなぁ…
赤澤君が投入されててからすぐの57分、左SB小川君から中山君にロングフィードが送られるがGK近藤君がエリア外に出てヘッドでクリアーそのこぼれ球を拾って中山君から赤澤君に送られシュート態勢に入るが藤田君がブロックして撃たせない。
57分59秒ロングフィードが前線に走り込んだ中野君に送られる。中野君が走り込むが再びマークに入った藤田君と交錯して転倒する。一緒悲鳴が沸くが日比野主審は笛を吹かない。
“吹いても良くなかったですか~。” “その方が試合は面白くなりますからねぇ~。”
後半は開始から小屋松君が2列目に下がっている。その小屋松君が61分にはドリブルで上がりヒールパスを中野君に送るがシュートは撃てない。 後半に入ってもボール支配率は橘の方が良いようだけど星稜DF陣もなかなかシュートを撃たせない。62分6秒には左サイドを中山君から小屋松君そして赤澤君に回り逆サイドの中野君に藤田君がマークに入る前に放ったシュートはGK近藤君がナイスセーブでCKに逃れる。 そのCKから小川君がヘッドで合わせるが寺田君がクリアーをしてCKに逃げた。 
橘の時間が続く中63分20秒、星稜FW仲谷君が右サイドをドリブルで上がって来るとマークに入る林君が追いつかない。
そしてライナーで入れられたクロスに走り込んだ原田君が小川君と清水君ともつれながら放ったシュートが橘ゴールに決まりリードは3ゴール差となった。
“このゴール大きいですね~。” “これで星稜はしっかり守って思い切ったカウンター攻撃が出来ますね。”
“残り30分で3点差ですか~。” “橘の時間だったんですけど~。”
橘DF陣は左SBの小川君が1年生で他の3人、CB清水君、林君そして右SB倉本君が2年生。 ちょっと星稜のスピードある一発の攻撃に後手を踏み過ぎていたか…そしてこのゴールで橘応援駅がすっかり静かになってしまった。
 “ こんな時こそ更に応援してあげないといけないんですけど。”
しかしピッチ上は星稜MFが下がり気味なのもあるけど橘の攻撃が再び展開される。 
64分35秒には小屋松君が仲谷君、寺村君に囲まれながらもドリブルで上がり平田君もかわして藤田君の前でミドルを放つ。68分21秒、今後は中野君がドリブルで上がり小屋松君の送りミドルシュートを導くがここもGK近藤君がナイスセーブでストップ。こぼれ球を藤田君のマークをかわして中野君が放ったショットは平田君がクリアーしCKに。
72分56秒には中山君がドリブルシュートに入るが今度は藤田君がマークに入りCKに。 73分26秒、小屋松君が平田君のマークを受けながらも左サイドから上げたクロスに上田君がヘッドを撃つがGK近藤君がキャッチ。 
3点目を献上してから小屋松君は2列目に下がり中野君や赤澤君が前に上がって来ていた。
せめて1点を返せば橘応援席も湧き上がるんだけど~とおもったけど75分、仲谷君からパスを受けた森下君が右サイドを上がり中に入れるとどんぴしゃのタイミングで中央に走り込んだ森山君がワントラップで清水君をかわして蹴り込んだシュートが
またも橘ゴールに突き刺さりこれで 4-0 になってしまった。







4失点を喫した卒業後はロアッソ熊本入団が内定しているGK永井君の表情がちょっと。 こんなはずでは… と思うのは彼だけではない。私もだ…



あぁ~。先月サンガもここで 0-2 で惨敗を喫して昇格に失敗した。 今度は橘か~と思ってしまった~。
せめてここで橘のゴールが見たいなぁ、サンガが決められなかったゴールを橘が決めてくれないかなぁ~と願った。しかしゴールは生まれなかった。4点目が入った直後に寺村君が右サイドから放ったシュートが逆サイドのポストにボールひつつ外れていったシーンは見せられたけど。 終了間際に橘が得た好位置でのFKは外れたけど。

試合が終わってIさんとあの聖火台付近に行って記念写真を撮った。ここからはこういう風景になるのかぁ~と思った。



ピッチ上では京都橘と四日市中央工の3位の表彰式が始まった。 表彰式が終わって応援席へのあいさつを終えた小屋松君が泣き崩れた。
“最後にこらえきれられなかったんですね。” Iさんが呟いた。
昨年はFWにもう一人仙道君がいた。今シーズンは全て小屋松君が背負ったみたいだった。 

そして競技場を出た。星稜高校の大集団と遭遇した。みな嬉々としていた。あたりまえだけど。
I さんと私は前から行きたかった信濃町のペルーレストランに向かった。そしてご主人と70年代からの南米サッカーについて語り合った。
そしてレストランを出てIさんはご実家のある三島に向かわれた。 またこういう機会を作ることを約束して。

選手権が終わって2週間が経った。昨シーズン我々を沸かせた高校生たちは今はどうしているのだろう。 
そして小屋松君は来シーズングランパスでポジションをとれるだろうか。

みんなが有意義に過ごしている事を祈るよ。




国立最蹴章  “ピンチGKの意地”   富山第一 2-2 四日市中央 11th January 2014

2014-01-22 | 五輪 U-20, U-17

12月初旬。ニュージーランドの Christchurch に在住される I さんから連絡があった。年末から約1ヶ月に亘って休暇で帰省するので一緒に会いましょうとのお誘い。 Iさんとはお互いにサッカー狂で10年近くお付き合いをさせて頂いている。
丁度高校サッカーが行われているので改装前に国立競技場で準決勝戦を観戦する事となった。
私は関東地区に越してきてはや26年近くが経つが全国高校サッカーはまだ観戦した事がなかった。その理由は簡単。
寒いのが苦手だからと言うこと。サッカー好きが寒い時期がシーズンなのに寒さが苦手とは道理が合わないけど….
前売り券を購入し、当日は雨が降らないことを心から願った。
しかしそんな心配をよそに当日は快晴に恵まれた。試合開始約半時間前に千駄ヶ谷駅に到着したけど観戦に来られたのであろう多くの人が競技場に向かっていた。駅前のコンビには店外にまでレジを待つ人が並んでいた。 商品の補充はどうするのだろう?とも思ったけど。
競技場の前で I さんと約4ヶ月ぶりの再会。 南半球から来られて寒いでしょうってな話をしながら入り口に向かった。
チケット窓口は結構な人。前売り券を購入しておいて良かったなぁ~と….
プログラムを購入しゴール裏の席に陣取る。反対側は日陰になっているけどこちら側は冬日を一杯に浴びて暖かな観戦。
スタジアムの入りは半分程度。準決勝戦の方が2試合観戦できるし御得だと考えるのは私だけだろうか….
“国立は良いですね~。” Iさんが言う。国立観戦は初めてらしい。 私も関西から上京してからここに住み着くことを決めた理由の一つが東京の方が色々なスポーツイベントが楽しめると思ったからだ。
首都圏開催となった昭和51年度から選手権の決勝は国立競技場開催となったけど、Jリーグが始まるまでサッカーで国立が満員にまるのはトヨタカップと高校サッカーくらいだった。あの満員の国立はどんな雰囲気だろうと学生時代までテレビを見ながらよく思ったものだった。

ピッチで練習をしていた両校選手達が控え室に戻りいよいよピッチに入場してきた。両校応援団を始め歓声が上がる。
一昨年の覇者四日市中央工は準々決勝で大阪の履正社をロスタイムにCB後藤君の起死回生のゴールで追いつきその勢いのままPK戦を制して6回目の国立進出を果たした。そして、まずは2年振り4回目の決勝進出をそして今年こそ単独優勝を狙う。同点ゴールの後藤君は背番号25番。今回の三重県大会でようやくレギュラーを掴んだ苦労人だ。
四中工のスタメンを見ると右MFには準々決勝でスタメンだったMF木下君ではなく、その木下君に替わって投入された服部君がそのままスタメンに。 昨年は桐光学園に 2-4 で敗れまさかの初戦敗退となった。CB坂君がその試合のスタメンでトップの井出川君がベンチメンバーだった。



本音は大阪代表をここで見たかったんだけど….
そして78回大会以来の国立進出を果たした富山第一高校は2回戦、3回戦と 0-0 でPK戦の末に勝利を掴んだ後の準々決勝の日章学園戦は 4-0 の快勝。MF斎君に替わり出場停止中だった川縁君がスタメンに。 
昨年は1回戦で作陽高校にPK戦で敗れたが今年は既に2回PK勝を果たしている。 トップ下の大塚君は昨年もレギュラー。トップの渡辺君、ボランチの川縁君そしてGK高橋君が昨年はベンチ入りメンバー。

 

四中工のキックオフで始まった試合。開始51秒に富山ボランチ細木君が左サイドを上がり竹澤君に戻し中に入れるがオフサイドに。そして7分45秒、四中工MF小林君がミドルを放つとGK高橋君がナイスセーブで防ぐ。 その後のCKにCB坂君が飛び込むがここもGK高橋君がキャッチ。
立ち上がり四中工が主導権を握るかな?と思うが以降は向こう側の四中工ゴール近くで試合が展開されたが16分6秒にはまたも小林君がドリブルで持ち込み、城山君、西村君をかわして川縁君がマークに入る前にミドルを放つ。小林君はG大阪の出身で今大会は準々決勝まで2ゴールを決めていた。
開始から富山が攻め込めば四中工DFが上手くラインを上げてオフサイドを取っており開始18分で3回もオフサイドがあった。
富山の応援席がこちらから見ると手前に陣取っているので彼らの声援が良く聞こえる。
“とや~まだいいちっっ !! “ という声援が”うらぁ~われっず!!“に聞こえた。
四中工は男子校なのでセットプレーになると男子生徒独特の声量でのコールが聞こえる。
しかしオフサイドを取られても富山の方が攻める時間が続いた。 
そして21分11秒、川縁君からのスルーに抜け出した西村君がシュートに持ち込むが再びGK高田君がナイスセーブでCKに逃れる。そのCKを細木君がショートコーナーで西村君に送り、中央の野沢君にクロスが上がるが野沢君の頭に当たらずマークに入った坂君に当たりこぼれた所を拾ったCB藤井君が四中工ゴールに蹴りこみ優勢だった富山が先制した。
ゴールを決めた藤井君はそれまで守備面でしっかりと四中工の攻撃を抑えており、セットプレーで上がって来て今度は得点を決めた。

先制した富山は更に攻勢に出る。28分52秒には中盤からのスルーパスにFW渡辺君が完全にフリーで抜け出しGK高田君と1対1になるがエリア外で高田君と交錯した渡辺君が転倒。主審はすかさずカードを出すがそれはイエローカードだった。
“一発レッドでもおかしくなかったですねぇ~。”Iさんと意見は一致していた。 “プロならレッドじゃないですか….”
PKではなかったが危ない位置でのFKを献上した。このFKを富山はトリックプレーを使い野沢君が強烈なショットを放つ。しかしここはGK高田君が左に倒れこむナイスセーブでストップ。2年生の高田君はこれで大会2枚目のイエローで勝っても決勝戦は出場できない。だけど今はこの試合の事しか考えていなかっただろう。 
32分には四中工に次のトラブルが起こる。空中戦で大塚君と競ったCB後藤君が倒れて起き上がれない。 大塚君の後頭部に眼底部を激しく打ち付けた様だ。後藤君がピッチ外に運び出される。四中工ベンチ前にアップをしていた栗田君が呼ばれる。CBを欠いた四中工はMF服部君を暫定的にDFラインに入れる。34分には左からのクロスに大塚君が飛び込むがGK高田君が競り合いながらストップし追加点を許さない。そして拍手に向かえられて後藤君がピッチに戻ってきた。
人数が揃ったせいか今度は徐々に四中工が押し返す。両サイドからワンタッチパスでボールを繋ぐシーンが目立ち始めた。
そして42分右サイドの良い位置でFKのチャンスを掴む。さっきは富山がトリックプレーを見せたけど今度はどうなるか…と注目する。
大辻君と中田君の両サイドバックがボールの後ろに立つ。そして中田君が蹴った弾道はゴール右上隅に突き刺さり四中工が試合を振り出しに戻した。 
GK高橋君は最初にフェイクに入った大辻君の動きに一瞬右側に動き反対方向に飛んでくる弾道に反応できなかった。しかしそれを差し引いても素晴らしいFKだった。





“すごいFKでしたね。” “準々決勝までなら今はハーフタイムでしたね。45分ハーフの明暗ですか…”
同点になり四中工ベンチは後藤君をベンチに下げ栗田君を投入した。
“やっぱり、あの25番やれないですか….” ベンチに下がった後藤君が悔し泣きに暮れるのがこちらからも解った。

ロスタイムの2分間も過ぎ 1-1 のまま前半が終わった。両軍控え室に戻るときに主将同士が言葉を交わしていた。
どんな話をしたのかな……



両チームメンバー変更無しに後半が始まった。 まだ日は高く、日向で暖かかったけど直射日光がこちらを照らし向こう側のゴール前にボールが運ばれると手のひらで日よけを作らねばならなかった。 後半はどちらがより多く相手ゴール前にボールを運ぶだろう。開始直後は両チーム右サイドからの攻撃が目立った。
52分9秒、渡辺君が坂君のマークを振り切り中田君がマークに入る前に放ったシュートはGK高田君がキャッチ。53分25秒には西村君が坂君をかわしてシュートに持ち込むがまたも高田君がナイスセーブでストップ。ベンチには一昨年の準優勝時には1年生ながら控えGKでベンチ入りし昨年は2年生で選手権に出場した3年生の中村君がいた。決勝戦では高田君が出場停止になるが何とか先輩の中村君に出場機会をと思っていたのではないかな。
だが富山が追加点を決める。 56分25秒、今度は左サイドを野沢君がドリブルで上がりCBをひきつけながら中央に送る。そのこぼれダマを正面で拾った細木君が四中工ゴールに押し込み再びリードを奪った。 マークに入った大辻君が一瞬逆の方に体重がかかり細木君にシュートチャンスを与えてしまった。



再び四中工はリードを許したとはいえまだまだ時間は残っている。選手交替も含めてどのようにして同点ゴールを模索するのだろうと思っていると次に選手交替を行ったのはリードしていた富山だった。68分 163cmの左SB竹澤君を下げて176cm の菅田君を投入した。 まだ少し早いけど相手のロングボール対策かな…ってな話をIさんと交わした。
72分四中工は攻め込まれながらもシュートは撃たせず一本のライナーの縦パスが前線に送られる。そこに走りこんだ井出川君がドリブルで富山ゴールに迫ると富山DF,MF陣は全く彼を捉えられない。井出川君がそのまま放ったドリブルシュートが富山ゴールネットを揺らし四中工があっさりと同点に追いついた。







見事な一本のパスそして見事な高速ドリブルだった。
“ビルドアップや構築の方策なんていらないですね。1本の縦パスとドリブル突破だっていうお手本ですね。” I さんはこう振り返った。 今、日本代表と言うか日本人の指導者に必要なのはこの発想も持つことだろうなぁと思わせられた。
同点に追いついた四中工ベンチは2年生MF加藤君を下げて2年生の舘君を入れる。舘君は昨年1年生ながら60分から途中出場をした実績がある。
そして同点に追いつかれた富山ベンチは74分2人目の交替選手。3年生の高浪君を2年生の西村君に替わって投入する。3年生が入ってよかったなぁ~と思う一方で高浪君のドリブルに思わずおっと思わされる。
だが終盤に来て攻勢に出るのは追いついた四中工。 81分、坂君からボランチの森島君に渡り細木君のマークを受けながらも舘君に送ると村上君のマークをうまくかわしてシュートに持ち込むがポストの右に外れる。 82分25秒にはまたも坂君から森島君に渡りマークに入った野沢君のチャージがファールとなりFKとなる。そして前半同様大辻君がダミーとなり中田君の直接狙ったFKが僅かにクロスバーを越える。 85分にはクリアーボールを拾った森島君がオーバーラップした大辻君に送り入れたクロスに井出川君が藤井君と競りながら飛び込むがここはGK高橋君がキャッチ。 
四中工は森島君と小林君のドリブルが冴える。ボランチから後ろの押し上げも早いせいかこぼれダマをことごとく拾い続ける。
PK戦になっても準々決勝の履正社戦でPK戦を経験したばかりの四中工の方が有利かなと思った。時計は90分を迎えようとするとIさんが “ アップしていたGKが呼ばれましたね。””準決勝は延長戦無しですか?” “そうだと思いますよ。PK戦要員のGKですかねぇ”
そして90分42秒、何ともいえない歓声の中3年生GKの田子君がピッチに入った。公式戦は初めての起用らしい。



“PK戦の前に1回ボールを触った方が良いんですけど。” “それが強烈なシュートだったら可愛そうですね。”
92分13秒、富山ゴールマウスに入れられたロブを田子君は無難にキャッチしたけどその1分後のゴールキックはそのまま中田君に渡ってしまいロングシュートを撃たれた。ゴール枠は捉えられなかったけど中田君は当たっていたからなぁ….
そしてホイッスルが鳴り国立競技場では20回目の、準決勝としては16回目のPK戦に突入となった。
思えば初めてPK戦という言葉を覚えたのは小学校の時の全国高校サッカーのこの四中工の試合だった。相手は当時の競合校、神戸高校だった。 そして四中工がPK勝ちを収めた。
“昔はPK戦じゃなくて抽選が行われたんですよ。主将同士がじゃんけんして勝った方が2通ある封筒のどちからを選んで..”
公式では引き分けとなるサッカーのPK戦だけど、いつみてもどきどきすますねぇ~….

先行の富山も後攻の四中工も最初の2人ずつは無難に決めた。そして富山第一3人目の野沢君も左下隅に決める。
“富一のGKは2人とも蹴る方向の読みが当たっていますね。”とIさんが言う。そして3人目中田君のPKを見事に左下に飛んで弾き出した。



 “良いFK蹴っていたんですけどねぇ~。それがあだになりましたか….” さすがI さん、言われるまで気付かなかった。 富山は4人目渡辺君が決め、外せば終わりの四中工4人目村澤君は右上に決めた。 そして富山5人目の細木君は中央に蹴りこみ激戦に終止符を打った。




“GK、ちょっと動くのが早すぎましたか….” おもわずこう言ってしまった。だけど蹴ってから飛べというのは妥当なアドヴァイスではないだろう….
富山第一が富山県というよりも北信越勢では初めて決勝進出を決めた。 あの柳澤を擁しても出来なかったのだけど。
GK田子君はこのPK戦で一躍ヒーローに。 結局決勝戦は出場機会が無かったので国立というよりも公式戦に出場時間は数分だったけど人々の記憶に残る数分だった。卒業後はサッカーを続けるのかな….
敗れた四日市中央工はまたも単独優勝に手が届かなかった。しかしこの試合のスタメン5人が1,2年生。新チームも楽しみではないかな。
両チームの選手が挨拶を兼ねて場内を一周する。勝者と敗者。明暗は痛いくらいに対照的だ。
“富一のGKだけこちらのバックスタンドの前で一礼しましたね。” I さんが教えてくれた。あれだけ喜びを爆発させながらもう次の試合に向けて冷静になってるんじゃないですか….と口にした。

まだ両チームの選手が残っているのだけど次の試合の選手達がピッチに入ってきた。
“おいおいもう入ってくるのか?”“放送時間が押しているからでしょうね。” 
そして四中工の3位の表彰は第二試合終了後に行いますとの場内アナウンスが。
“すぐに帰してもらえないの?ちょっとかわいそうだねぇ~。” 
まだ暖かい陽射しが残っている。この陽射しは両チームの選手に何年かしたら違った思いでよみがえるんだろうなぁ~と思いながら次の試合開始を待つことにした…..

国立最蹴章 今年も劇的な… 富山第一 3-2 星陵 13th January 2014

2014-01-18 | 五輪 U-20, U-17
時計の針は78分。スコアーは星陵が 2-0 でリードしている。初優勝、改装に入る前の国立競技場で最後に優勝を果たすまであと10数分だった。 数分前に2点目を上げた2年生の森山君に替わって投入された3年生の長谷川君がドリブルで富山ゴール前に迫る。このままシュートに持ち込むかな、と思ったところにCBの村上君がマークに入る。そして両者は交錯したかのように転倒をした。山本主審が駆け寄る。ここでPKを与えられたら星陵の優勝は確実だ。 しかしイエローカードを取り出した山本主審は長谷川君のシュミレーションを取った。 この瞬間富山県民を始め富山第一関係者は背筋にどっと冷や汗をかいただろう。
早く1点を返したい富山だが星陵DF陣の戻りが早いのでなかなか崩してのシュートに持ち込めない。 後半も40分を回った。高校サッカー魔の5分に入った。 星陵ベンチは主将の寺村君をベンチに下げる。主将としては最後までピッチに居たかったかも知れないけど、替わって入ったのが3年生の稲垣君。 準決勝に続いて国立のピッチに立ててよかったなぁと思った。 
その直後、左SBの竹澤君からロングフィードが送られる。そこには交替出場の村井君が。そして中央に送りまたも交替出場選手、高浪君に渡ると寺田君のマークをかわして放ったショットがGK近藤君を破って星陵ゴールネットにこの試合初めて突き刺さった。




 
喜ぶ間も惜しむ富山イレブンはボールをセットしポジションに着く。 そして再開された試合は富山の波状攻撃が続く。
奇跡が起こるか?いや星陵も必死だ。大きく蹴りだせ。トップに繋いでドリブルで上がって貰え…と呟く。
90分を過ぎる。ロスタイムが3分と表示された。両チームにとっては微妙な長さだ。 
そして91分59秒、スローインを受けた大塚君が渡辺君に送る。DF3人に囲まれながら渡辺君は川縁君に戻す。そして左サイドを上がってきた竹澤君に送る。 竹澤君がドリブルでPA内に切れ込むところに森下君がマークに入る。そのタックルが竹澤君の足元に入ったか竹澤君が転倒すると山本主審はホイッスルを吹きペナルティースポットを指す。 森下君が天を仰いで立ち上がれない。そこに2年生の原田君が駆け寄り先輩の森下君に手を貸す。 そして倒された竹澤君が声を掛ける。この両君は小中学校時代は同じチームでボールを蹴った仲らしい。



主将の大塚君がボールをセットする。歓声が国立競技場に渦巻く。富山第一の大塚監督はライン際で膝を着いてこの状況を見守る。監督の息子でもある大塚君、大変な重圧だろうなぁと思うも落ち着いてゴール左隅に蹴りこみ土壇場で試合は振り出しに戻った。





僅か5分余りで連続失点を喫したGK近藤君の表情が印象的だった。 
そしてタイムアップのホイッスル。富一にとっては歓喜の、星陵にとっては悪夢の同点劇だった。
こうなったら追いついた者の有利と言われるが、富山は追いつく為に守備的選手を下げたので防御は手薄になるはずだ。
星陵にも充分にチャンスがと思った。それにあと20分も国立でプレー出来るんだから….と思った。





富山のキックオフで始まった後半。92分23秒、ロングフィードを受けた長谷川君に村上君と川縁君がマークに入る。そしてこぼれたところを山本君が飛び込んでヘッドを放つがポストの右に外れていく。原田君が詰めたのだが届かなかった。
痛恨のPKを献上した山本君の決死の表情に思わず胸が熱くなる。



97分には星陵藤田君が放ったロングシュートがクロスバーを叩く。追いつかれた星陵がその悪夢を振り払っていると思った。
その直後に星陵上田君が川縁君を倒してファールを取られるがすぐに上田君は手を差し出して川縁君を起こす。そして富山の大塚君も上田君に声を掛ける。激戦の中にも“高校生らしい”シーンが見られて微笑ましく思う。
延長前半終了間際にも星陵長谷川君が左サイドを上がり原田君を経由して中に入れ、長谷川君と藤井君が競りながら飛び込むもここはGK高橋君がキャッチ。追い付かれた星陵が前半はやや攻勢だった。
延長後半に入ると注目の富山第一控えGK田子君がアップを始める。PK戦を見据えるとなれば交替枠は田子君の為に残しておかねばならない。だから延長前半の富山は体力を温存したのかな?と勘ぐった。
105分星陵ベンチは最後の交替選手川森君を投入する。 下がったのは75分に入った長谷川君。 30分足らずでのベンチ後退となった。だけど30分間プレーした国立は良い思い出になるはずだ。川森君は2列目に入ったのかな….
107分57秒。大塚君から細木君に送られるがその前にクリアー。そのこぼれ球を拾った城山君が撃つが前川君に当たりコースが変わる。そして細木君が拾う前に鈴木君がサイドに出してクリアーした。
大塚監督はベンチ前で田子君に声を掛けている。このプレーが終わったら投入かな….
そして城山君が助走を取りロングスローを入れるとボールは高浪君と藤田君の間を抜けて村井君の脚元に。左足から放った村井君の渾身のシュートは星稜ゴールに決まり遂に富山第一がリードを奪った。
狂喜乱舞の富山ベンチ。対照的な星稜ベンチ。河崎監督そして主将の寺村君の表情が。

それでもロスタイムは1分ある。 もう1度ドラマは…. 富山ベンチは最後の交代選手、GK田子君ではなく平君が投入される。3年生の平君、国立のピッチに立てて良かったなぁ…  星稜はCB寺田君が前線に上がるが、111分16秒。主審の試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。 

あぁ~今年も終わったなぁ~。

 

現行の国立競技場では最後となる全国高校サッカー選手権大会の決勝戦は初の北陸勢同士の対戦となった。というよりも北陸の代表校が決勝戦に決勝戦に進出するのも初めて。最近ではどこの代表校が決勝進出しても昨年の様に雪で順延されたり雨が降ったりといった天候でなくいいコンディションでやらせてあげたいと思うようになってきた。
今年、気温は8.6度であったが快晴の下でキックオフとなった。 

富山第一は1回戦小峯総監督率いる長崎総科大付属を相手に西村君のゴールで先制するも26分には村上君が退場となり残り54分を10人で戦うことに。だが2点を追加し 3-0 とし安全圏と思われたが連続失点を喫し1人少ないながらも何とか逃げ切った。
2回戦では4人の選手が警告を受けながら熊本国府を大塚君のゴールで 1-0 で降し、3回戦の市立浦和戦ではCBに村上君が戻り25分までで3ゴールを挙げ主導権を握るも長崎総科大付属戦同様に連続失点を許す。更に地元の大声援を受けた市立浦和が攻勢に出るも試合も1点差で逃げ切った。
準々決勝戦では川縁君が累積警告で出場できず2回戦で村上君の代わりにCBに入った斎君がボランチに入った。
この試合も攻撃陣は好調で前半を 1-0 で折り返すも後半は3ゴールを日章学園ゴールに叩きこみ今度は守備陣も失点を許さず 4-0 で今大会初めて快勝を納めた。 そして準決勝の四日市中央工戦は2度のリードもその度に追い付かれる展開。PK戦ではスペシャリストのGK田子君の活躍で勝利をものにし2002年、2006年ワールドカップで5試合FWとしてスタメン出場をした柳沢を擁した第73回大会でもベスト16止まりだった富山第一が決勝に駒を進めた。



一方、2回戦から登場の星稜は初戦奈良の一条高校に 5-0 と圧勝。しかし3回戦玉野光南、準々決勝、修徳戦共に 80分間で0-0 後のPK戦を制し国立に駒を進めた。 修徳戦ではGK近藤君が3連続PKをストップし勝利の立役者に。
そして準決勝、連続決勝進出を目指す小屋松君を擁する京都橘を下馬評とは異なり 4-0 で圧勝。本田圭祐時代にも果たせなかった決勝進出を決めた。



富山第一は準決勝戦と同じスタメン。星陵は橘戦で警告を受けて累積警告の為に出場停止となった平田君に替わって鈴木君がボランチに入った以外は同じメンバー。その鈴木君も橘戦は74分から途中出場だった。

佐藤主審のホイッスル後に富山第一のキックオフで始まった決勝戦、序盤は富山が主導権を握る。3分、5分にはFKのチャンスを得る。5試合で13得点中6得点を挙げた富山のセットプレーは脅威だ。9分には星稜仲谷君がスピードに乗ったドリブルで上がって来るが最後はCB村上君がマークに入りシュートは撃たせなかった。それから再び富山が攻勢を続ける。
スタンドからは“星稜ここでかっ飛ばせよ!!”との声援が良く聞こえてくる。観戦した準決勝戦では気付かなかったけどチアーガールに混じり男子選手がセンターに入り共に振付をしてスタンドを盛り上げていたらしいが彼は背番号68番2年生ボランチの奥田聖也君。今年4月に前十字靭帯が断裂し半年間プレー出来ず、今大会は応援団長に回ったらしい。なかなか出来る事ではない。 来年は怪我を完治させて今度はさいたまスタジアムのピッチに立って欲しいものだ。
大会後は彼の雄姿が YOU TUBE にアップされ“チア兄貴”と称され人気者になっているらしい。




だがピッチ上は富山が押す展開が続く。19分には竹澤君のスルーパスを受けた野沢君がシュートを放つがGK近藤君がストップ。 20分31秒には野沢君が今度は中央に送り渡辺君がヘッドを撃つがここはポストの右に外れる。 21分には渡辺君が星稜ゴール前にドリブルで持ち込むが次から次へと星稜DF陣が粘り強くマークに入りシュートは許さない。22分には野沢君がシュートに持ち込むが森下君がブロック。25分、FK のチャンスから波状攻撃を見せ、29分には上田君が西村君へのチャージがファール、イエローとなり得たFKから野沢君が上田君のマークの前に放ったショットは僅かにクロスバーを越える。
主導権は握られても今大会4試合無失点の星稜DF陣の守備の固さが勝っていた。

そして32分久々富山ゴール前に迫った星稜は大きくバウンドしたボールをコントロールしようとした原田君の脇腹にマークに入った村上君の脚が入ってしまい原田君が倒れて起き上がれない。 佐藤主審はホイッスルを吹きすぐにスポットを指し村上君にイエローカードを出す。 ただスタンドは倒れた原田君の方に関心が行った様で星稜応援団もこのPK獲得を喜ぶと言う空気では無かった様だった。
だけどこのPKを主将の寺村君が左隅に決めやや劣勢だった星稜が先制ゴールを挙げた。 寺村君は今大会3ゴール目だったけどすべてがPKだった。 なんだかレンセンブリンクみたいだなぁ…と思った。(関係ないか?)
この試合最初のシュートが先制ゴールになるとは準決勝の良い流れを星稜が引き継いでいると思った。
40分を過ぎた時間に前半はどんなドラマがあるかと思っていたら先制された富山の野沢君が42分に惜しいミドルを放ち、続いて星稜の仲谷君と寺村君が連続してシュートを放ったが得点には至らず星稜リードのまま前半が終わった。



ハーフタイムの間、テレビでは1976年度大会から首都圏開催になり国立競技場が夢の舞台となった過去の大会の名場面を流していた。 当初は関東勢が強く、対抗できたのは静岡県勢と島原商や国見といった小峯先生の指導のかかった高校と四日市中央工くらいだった。 最近は選手権が高校生世代の最高の大会ではなくなってきているらしい。 実際に大会期間中はウクライナでU-18の大会が行われてクラブチームの選手で構成された日本 U-18 が優勝したらしい。
それでも選手権は私を含めて多くの人を惹きつける大会には変わらない。

両チーム選手交替無で始まった後半は46分スローインから繋いだボールを受けた富山ボランチ川縁君のシュートで始まった。川縁君は中学2年の時に母親を火事で亡くしたらしい。 お母さんはその雄姿を見たかったと思う。
後半の最初のシュートを許した星稜だったけど以降は星稜が優勢に試合を進めた。 48分には原田君が竹澤君と村上君のマークをかわしてシュートに持ち込み、49分には寺村君がドリブルで富山ゴール前に迫り城山君に倒されるがノーホイッスル。星稜は鈴木君と前川君の両ボランチが前半から前後の動きが早く攻守に、特に守備にからんでいた。そのせいか後半は立ち上がりから星稜はパスをよく繋いでいた。
1点ビハインドの富山は縦に中にと繋ぐシーンが多くなる。もっと両サイドを広く使えば、と思った。 52分に竹澤君が左サイドをオーバーラップで上がり野沢君からのパスを受け入れたクロスが西村君のヘッドを導いた様に。
60分この試合の最初の交替選手、富山の高浪君が西村君に替わって投入される。準決勝戦に続いて今大会4試合目の途中出場だ。高速ドリブルが持ち味らしい。 65分には右サイドをドリブルで上がり逆サイドの野沢君に振り竹澤君に送るとヒールで野沢君に戻し中の川縁君に。川縁君は相手DFに囲まれながらもドリブルシュートに持ち込むが惜しくもゴールには至らなかった。サイドをワイドに使うとこういうチャンスも生まれるのかと思われた展開だった。
その直後にもCKのクリアーを拾った竹澤君がボランチ細木君に送りクロスが入る。大塚君と渡辺君が飛び込むがここは誰にも当たらなかった。 67分には渡辺君がドリブルで上がるがここはフォローが無かった。 
ピッチをワイドに使い出した富山が次のゴールに近いかなと思いだした70分大塚君からのパスをインターセプトした上田君が富山PAの左側に流れた仲谷君に送る。そして仲谷君が折り返すと中央から走り込んだ森山君がぴたりとヘッドで合わせて星稜の2点目を決めた。 ちょっと川縁君のマークが後手に回ったみたいで充分に競り合えなかったみたいだった。
それにしても2年生FW森山君は京都橘戦に続いての国立連続ゴール。 来年以降も楽しみな選手だ。
そして75分、森山君がベンチに下がり3年生の179㎝長谷川君が投入される。 守りに移るにはまだ早いかなと思ったけど、下がったのが2年生なので妥当かもしれないなぁと思った。そして投入されたのが3年生だし….
あと15分で2点リード。 1997年9月28日のワールドカップ予選の日韓戦で呂比須が下がり逆転負けを喫したけど、あれは73分だったけどあの時は1点差。 この試合は2点差。多分国立初登場の長身の長谷川君をトップに残してロングボールを入れるのかなと思った。そしてこの時点ではあんなドラマがあるとは想像できなかった。

 

大会が終わり3年生達はどうしているだろう。富山第一の優勝は高円宮杯プレミアリーグ勢の初戴冠という事で高体連関係者達の間で話題になっているらしい。 “格上”のJリーグU-18を相手にする時は守備を固めてカウンター狙いになる傾向があり、またリーグ戦とトーナメント戦では戦い方も異なるらしい。
しかしワールドカップは出場国が拡大され世界の戦いはベスト16が出そろってからと言われている。そしてベスト16からはトーナメントで行われる。まぁ日本はまだまだそこに出られるかどうかの線上だけど。 世界の列強は1次リーグとトーナメント戦以降の戦い方が使い分けられるのだろうなぁ…..

同級生は夏休み前に引退するか2学期も続けて選手権都道府県大会に臨むか悩んでいた。
最近の大学受験は推薦制度が多様化しているのでその門は確実に拡がっている。 だから思い切り“部活”に打ち込める今の高校生が羨ましくもある。 

まぁ俺も随分と歳をとったという事か….. 来年はさいたまスタジアム2002 まで出て行こうかな。家から近いし。寒すぎない事を今から祈っておこう。



全国高校サッカー またも京都代表は…. 宮崎鵬翔 2 ( PK5-3 ) 2 京都橘

2013-02-20 | 五輪 U-20, U-17
鵬翔5人目のキッカーはGKの浅田君。 準決勝の星稜戦ではPK失敗したのではなかったかな~と思うも彼の蹴った弾道は見事にゴールネットを揺らした。 喜びを爆発させる鵬翔イレブン達。 あぁ~京都代表はまたも優勝に届かなかったか…. 一昨年の久御山、1992年度大会、石塚啓次を擁した山城高校。そして高校野球では2005年、わが母校京都西高校、それから1981年大会の京都商業….
まぁ高校サッカーでは大阪代表は北陽が優勝して以来、藤枝東の呪いが解けずに39年間決勝に残ったことはないけど….



今年の高校サッカー決勝戦は宮崎鵬翔高校と京都橘の顔合わせ。どちらが勝っても初優勝ということだった。昨年は市立船橋対四日市中高工業という優勝常連の大戦であったがその前6年間は初優勝校が
続いた。おそらくクラブチームやユースチームが主流になりつつあり、そちらの方に良い選手が流れる傾向にあり高校選手権は同年代最高の大会では無くなりつつあるという事象に拍車がかかっているのだろう。
大会序盤のサプライズはなんといっても昨年度準優勝の四日市中央工の初戦敗退。2トップの浅野君 ( 広島入り内定 ), 田村翔君 ( 湘南内定 ) らを含む昨年度の選手権決勝戦スタメンメンバー8人が残りながら桐光学園に 2-4 で敗退した。 大会前は優勝候補最右翼と思ったんだけど。

関東勢は昨年こそ市立船橋が優勝したけどここ最近は“地の利”を生かして上位を独占するということも少なくなった。今大会、準々決勝に残ったのは桐光学園(神奈川)だけだった。
関西勢では大阪の東海大仰星と京都橘の2校が準々決勝に進出した。 東海大仰星は残念ながら星稜にPK戦で敗れたが橘は帝京長岡(新潟)を 2-1 。そして桐光をなんと3-0で降して決勝戦に進出した。 私が高校時代はまだ橘高校は女子校だった。そして2000年に男女共学校となりサッカーではインターハイに2007年、選手権には2008年と今大会と2度京都代表になっている。 わが母校のサッカー部はいつになったら全国に進出するのだろう…. 指導者も悪くなく、部員も多いらしいんだけどなぁ…..
対する宮崎鵬翔高校はかつて宮崎中央高校という学校名だった。 私が現役時代、後輩の一人に陸上でインターハイに出場したことがある宮崎中央高校の卒業生がいたのでなじみが少しあった。 その後宮崎県ではサッカー有名校となっていったけど松崎博美先生は、後輩が在学中の26年前から同校で式を執っているらしい。

1月12日、決勝戦が予定されていた日は朝から雨が降っていた。 決勝戦はなるべく良い天候でやらせてあげたいなぁと思っていたら昼前に急に雨が雪に変わり家の周りもあっという間に銀世界になってしまった。 そしてキックオフの時間にテレビを点けると中止が発表されていた。 応援団やこの日にしか競技場に来られない人にとっては残念な天候だと思うけど選手の立場からするとこれでよかったんじゃないかな…と思った。翌週19日はセンター試験日だった。幸い受験者はいなかった。昔高校ラグビーの決勝戦がセンター試験と重なり大分舞鶴高校の生徒が決勝戦に出られないという報道がなされたがその生徒の受験校だった鹿屋体育大がその生徒の為に特別に“個人試験”を決めたことを思いだした。 



そして1月19日。この日の天候は昨年の様に快晴だった。 この1週間、鵬翔は一旦宮崎に帰省し、橘はそのまま関東に残ったらしい。その辺がこの試合にどう影響したか… また膝の調子が今一の鵬翔のエース中濱君、そして体調不良の橘の主将高林君達にとっては“恵みの雪”になると思ったけど、二人ともベンチスタートだった。 星稜戦で警告を受けて累積警告で出場停止の鵬翔右SB柏田君に替わって3年生の松永君が起用された他は準決勝と同じスタメンだった。
準決勝戦で桐光を 3-0 で破った橘が有利かと思っていた。
それにしても橘は今大会、選手権で初勝利をおさめたがその後はあれよ、あれよの快進撃での決勝進出だった。 初戦の正智深谷(埼玉)を“アウェー。さいたまスタジアム”にてPK戦で破ったことで勢いが付いたのだと思う。

立ち上がりは鵬翔が攻め込む。69秒には右からクロスが上がり、2分16秒には左から、1年生FW北村君にわずかに合わなかった。2分34秒には澤中君がミドルを狙う。 橘は今大会どころか京都大会から全ての試合で先制をしている。鵬翔は準決勝戦で2度リードされても追いつくという粘りを見せている。 どちらが先制した方が面白くなるのだろうと考えだしたころから次第に橘が中盤でボールをつなぐようになってきた。 9分には愛するサンガのエース宮吉の弟君である宮吉悠太君(2年)、2列目左の中野君(1年)が連続シュートを放つ。13分21秒にはカウンター攻撃から小屋松君(3年)のドリブルから右サイドに流れた仙頭君(3年)がシュートに持ち込む。2列目右の伊藤君(3年)がうまく右サイドラインに流れてスペースを作った。 こうして橘が主導権を握るかと思ったときに突然にコマーシャルが入ってきた。コマーシャル明けに仙頭君がドリブルシュートを放ったけどその時は29分になっていた。…… 後で知ったことだけど、試合が延期されたので従来の放送枠を変更せざるを得なくなり、放映開始時間もキックオフ時間より遅く試合経過を編集しながら放映していたらしい。
あぁこの10数分間の間にどういう流れになっていたのかなぁ~… と思っていた。試合は鵬翔陣内ですすむ時間が多い。
そして41分、橘2列目左の1年生中野君がシュートを放つと一旦は鵬翔CB原田君がヘッドでクリアーするがこぼれ球を拾った1年生CB林君がそのまま放ったグラウンダーのミドルが鵬翔ゴールネットを揺らした。 



これで橘は京都府予選、選手権を通じて10試合連続先制ゴールを決めたことになる。 今大会は準決勝戦まで5試合続けての先制ゴールはすべて仙頭君が決めたが決勝戦は林君が決めた。 それにしてもこのゴールには1年生が二人も“絡んで”いたのか、と思った。
先制を許した鵬翔はその後、目が醒めたのか猛攻を繰り返す。 再開直後には縦パスを受けた北村君がシュートを放つがオフサイド。 43分には右から左に動いてSB日高君がミドルを放つとポストのわずか右に外れていく。 45分25秒には澤中君がシュートに持ち込む。中盤から縦パスがズバズバ通り続けた。  しかし終了間際、先制後初めて相手PA内に迫った橘がCKのチャンスをつかむ。 そして伊藤君が放ったヘッドは惜しくもポストの右に外れていく。 このシュートが結局試合を大きく左右することとなった。

後半、鵬翔ベンチはエース中濱君を澤中君に替わって投入する。スタメンで起用されなかったのはまだ故障が完治していなかったからだろうがもし先制されていなかったらもう少し温存されていたかもしれない。
その中濱君は投入されて早速ドリブル突破からCKのチャンスを導き存在を示す。 そのCKから2年生CB芳川君が橋本君のマークの前でヘッドで合わし試合を振り出しに戻した。 準決勝までの5試合で8ゴールを上げているがうち5得点がセットプレーから。セットプレーの強さを発揮したといえるが、それを創った中濱君のドリブルが目立った。

    

中濱君は52分にもドリブルから日高君のシュートを導く。  
中濱君の能力が目立つ後半立ち上がりであったがしかしそれに刺激されたか64分中野君からボールを受けた小屋松君が左サイドを上がり中に折り返したところを仙頭君が芳川君の直前でワンタッチでひっかけたショットが鵬翔ゴールネットを揺らし再びリードを奪った。 これで仙頭君は大会5得点目。小屋松君に並んだ。 そしてこれで橘が大きく一歩優勝に前進したとおもったけど。
73分、鵬翔ベンチは二人目の交代選手 2年生FW 宇田津君が右SB松永君に替わって投入される。ボランチの矢野君をSBに下げるのかなと思った。そして橘ベンチは主将の高林君をまだ投入しないのか….
残り時間が10分を切った。 ボール支配はリードされている鵬翔がやや上回っているようだった。 そして82分サイド攻撃の起点になっていた左SBの日高君がドルブル突破を図り倉本君をかわし更に橘ゴールに迫るところを林君がマークに入り倒される。 すると主審はペナルティースポットを指した。 これを矢野君が決めて再び鵬翔が追いついた。 日高君のドリブルのマークに着いた倉本君、林君は1年生。このシーンがこれからも生きるだろう…..
同点に追いついた鵬翔は後半から入った中濱君を中心に更に攻撃のテンポを上げる。92分に橘の倉本君が北村君を倒してFKを与える。セットプレーから得点を量産する鵬翔攻撃陣に対抗すべく橘の全選手がPA内に入り守備を固める。ここはGK永井君がキャッチする。そしてその後に中濱君がドリブルシュートを放つがゴールには至らずホイッスルが鳴った。 
これで2年連続で決勝戦は延長戦に突入することに。昨年は追いついた市立船橋が優勝を勝ち取った。そう考えれば……



延長に入っても優勢に試合を進めるのは鵬翔だった。 95分には中濱君が吉中君に倒されFKを得る。日高君が直接狙ったFKはわずかにクロスバーを越える。 橘自慢の2トップはボールを受けても鵬翔MF,DFの早い寄せそして厳しいマークにあい自由にボールをコントロールできない。 それでも103分には仙頭君がミドルを放つ。 104分、1年生FW北村君がベンチに下がり高妻君が投入される。高妻君は3年生。卒業前に決勝戦のピッチに立てて良かったと思う。108分、今度は橘ベンチが中野君を下げて2年生MF赤松君を投入する。 その直後、赤松君からボールを受けた仙頭君が放ったシュートはGK正面に。そして111分9秒、主審のホイッスルが鳴り120分が終わった。あぁ~高林君の投入はなかったか~と思った。

PK戦は今大会橘が1回、鵬翔が2回経験している。 だから鵬翔が有利かなぁ、と思ったら橘の1人目仙頭君のショットが右下ポストの内側にあたってゴールの外に弾き出されてしまった。 
鵬翔はみな着実に決めてくる。ただ全員が左側に蹴り込んでいる。 
1点リードで鵬翔5人目は誰が蹴るのだろう、と思ったらGK浅田君がスポットに歩み寄って来た…..



選手権が終わって1カ月近くが経った。 3年生は今どうしているだろう? そして昨年大会を沸かせた選手たちは?
いまは高校サッカー部を通じてJリーグ入りできる選手が年々減少しているらしい。 だけど私は思う。 Jリーグに行くのも良いけどまずは将来を考えろよ。大学に行ってからでもJリーグは入れるんだ。 大学を経由するとJリーグに入れないといわれる選手は初めからJリーグに目指さない方が良い。プロで通用する選手は大学を経由してもプロ入りできる。 
もし大学に進学してプロ選手以外の道を見つけたらそれはそれで良いことだと思う。 
君たちが日本のサッカーを背負う義務など無い。もちろんそうなれればこの上なく素晴らしいことだけど。

それが種目は違うけど大学も実業団も経験し,挫折した元アスリートのアドバイスだ。 




旧友達との再会  第43回全国中学校サッカー大会    高槻九中 1-0 総社東中  19th August

2012-08-20 | 五輪 U-20, U-17
やっと見に来る事が出来たなぁ…..

我が母校、大阪府高槻市立第九中学校はサッカーの名門。 今年も3年連続で全国大会出場を決めてくれた。
今年の全国大会はてここ関東地方の茨城県で開催された。 ようやく九中サッカー部の全国大会での試合を見られる事が出来た。 前のブログで書いたけど私はサッカー経験者ではありません。 中学、高校時代は水泳部。そして大学に入って陸上競技を始めた。 中学のサッカー部は超が付く程の強さ。1学年上の先輩達が全国大会に出場した。同級生達も強かったけどさすがに2年連続は….と思っていたけどあれよあれよと勝ち進み遂に2年連続での全国大会出場を果たした。
ある3年の7月の試合だった。運動場でまたサッカー部が試合をしている。 まぁどうせ勝つんだろう?と思って見ていた。
圧倒的に試合内容で押しまくりながらなかなかゴールが決まらない。 終盤GKと1対1になるチャンスがあった。しかし、グランドに脚を取られてシュートをミスった。 おいおい、と思った。当時は土のグランドだったからなぁ~。そしてPK戦にまで縺れ揉んだ。
最初のうちの中学のキッカーが外してしまった。見ていた女の子や同級生達からは驚愕の悲鳴があがった。あいつが外したのか?
しかしGKが頑張って相手のPKを止めてこの試合は何とか勝った。 そして最初にPKを外した奴とGKが抱き合っていた。
なんだ、やっぱり勝ったんじゃないかぁ….と思った。 しかし、今から考えればもしGKが頑張って相手のPKを止めなかったら、彼らの全国大会は無かったのだった。 それは後になって思いだして解った…

当時私はサッカーが大嫌いだった。 理由は簡単、強いサッカー部を妬んでいたからにすぎない。 女の子達は強いサッカー部や練習試合で勝った事さえない野球部員にキャーキャー言っていた。 我が水泳部だった高槻大会総合2位の実績であったがサッカー部の栄光にはとても太刀打ちできない。 
中学を卒業してもいつの日かスポーツで成績を上げて女の子達にもてたいなぁ~っと思い、全国大会に出場するサッカー部はやっぱし過ごいんやなぁ~と常に思っていた。

高校に進学して続けた水泳はさっぱりだったけど大学で始めた陸上競技はあっという間に強くなりついに全国大会、日本インカレの出場権も手に入れた。 初めてインカレの出場権を得た時は中学校のサッカー部に追い付いたと思い嬉しかった。 そして自分は彼らが中学時代に全国大会に出場したのを見たからここまでこれたんだと思った。 今では妬んでいた彼らを本当に感謝している。

母校の試合の前に行われた試合を観戦した。 東北学院中学対鹿児島育英館中学。 共に私学同士の対戦だ。
中学生の試合を生観戦するのはほぼ初めてだ。 やっぱり中学生。高校生とは絶対的な体力、パワーの違いがある。 ボールの飛ぶスピード、距離が違う。そして遠くに蹴る時にはどうしても“せ~の”と反動のタイミングが入って来る。 
試合は東北学院が早々と先制するとすぐに育英館が追い付く。だけど同点ゴールはちょっとGKのミスっぽかった。
以降はどちらかと言え育英館がボールを繋ぐのだけどシュートに迄は持ち込めない。
そして東北学院が追加点を上げる。右サイドで得たFKを中央でヘッドで合わせて育英ゴールに叩きこんだ。
ヘッドも見事だったけど東北学院の14番のFKが素晴らしかった。



この14番の選手が他の選手よりも能力が頭一つ上回っていると思い、彼のプレーに注目をする事に。 実際にボールの繋がりが今一つの東北学院であるが14番にボールが入った時は何かが起こりそうだった。 
鹿児島育英館はこちらも右サイドの14番の選手が切れのあるドリブルを見せる。しかしボールは繋がるのだけどゴール前での正確性がやや欠けていてシュートに持ち込めない。  そうして追加点を上げるのは東北学院で更に2点を追加し 4-1 となった。 試合内容はそんなに変わらないのに。やっぱりサッカーは相手ゴールにシュートを決める数を競う競技と再確認してしまう。
後半、水飲みタイムを過ぎると鹿児島育英館の14番が中央に入って来る。 東北学院も疲れが出て来たのだろう、14番そして育英館FW陣を捕まえられない。 ここで頼りになったのが東北学院のCB背番号15番。 この15番体格も大きく今はあまり聞かれないストッパー的な役割をしPA内に侵入する選手を止めていた。  
試合終了時間が近づくが鹿児島育英館も何とかもう1ゴールを必死にボールを前に運ぼうとする。この炎天下、中学生をこんなに走らせて大丈夫かと思う。 しかし2点目は生まれず東北学院が 4-1 で勝利を納めた。 
両チームの選手とも丁寧に挨拶をし、御父兄方々からも温かい拍手が。
35年前同級生達が全国大会に出た時はどれだけの人が見に来たのかなぁ~と思った。 
敗れた鹿児島育英館の選手達も多くがそのまま付属の高校に進学し同じメンバーでサッカーを続けるのかなぁ….と思った。そういう意味では私学は良いかもしれない。 サッカーのスキルアップも同級生と続けられると言う事も。



母校の試合迄1時間以上あるのでとりあえず清涼飲料水の自動販売機を探す事に。 競技場には屋根が付いていないのでこんな炎天下試合を見るのも大変だけどこんな試合をする方も大変だなぁと改めて思った。

少しぶらついていると母校でコーチをしている同級生とほぼ30年振りで再会した。試合前の忙しい時間に立ち話をした。
最近は中学生とて私学がスポーツにも力を入れ出し、サッカーも例外ではないらしい。 元Jリーガーをコーチとして雇用したり、特に高校と併設されている中学は施設、設備も充実している。 
彼は“私立だけ別の大会を作って欲しいくらい。”と話していた。 今大会も出場32校中11校が私学。 全国優勝となるとずっと私学が続いている。 高槻九中はこれで全国大会が6度目であるがそれは大阪勢では最多出場とのこと。 母校の様に普通の公立中学が連続して大阪府、近畿地方様な学校の多い地区を勝ち抜くなんて本当に奇跡に近いらしい。それだけに頑張って少しでも長く大会に残って欲しいなぁと思う。
またJリーグが創設されて以来、各チームがジュニア・ユースチームを持つようになってから中体連とクラブチームとの差が広がり始め、今や全国中学校大会はこの年代の最高の大会とは言えなくなっているらしい。それは高校サッカーにもあてはまるらしい。

すると見憶えのある顔が数人、同級生達が高槻から観戦に来たのだった。 懐かしい彼らと色々話しが出来た。 当時の試合の話し何かをしていた。そこには私は入っていけない。改めてサッカー部員が羨ましく思った。 
1人は最近結婚したばかりで奥さんと一緒に来ていた。ずいぶん若々しい奥さんだなぁと羨ましく思った。 1人はまだ独身。こいつは高校でも大阪選抜に選ばれるくらいの選手で女の子には一番人気があったなぁ。 高校の時大阪選抜対京都選抜の親善試合を観に行ったんだぞ、お前が出ていたんだぞというと、そんな試合に出ていた事を憶えていなかった。 おいおいと思った。
1人は家族で柏に住んでいて今は単身赴任で仙台。敬虔な柏レイソルのサポーターらしく、“この前は仙台でレイソル戦行ったンやろ?よくぞ引き分けてくれたってレッズサポーターの息子が言っていたぞ。”と言ったら笑っていた。 昨年、さいたまスタジアムでレイソルが優勝を決めた試合は当然見に来たらしい。水泳部の友人の近況を知っていて驚かされた。 そして1人は今でも高槻在住。今でも中学の同級生達とはどこかでばったり出会うそうだ。高槻も変わったぞ…と言われた。もう何十年離れたかなぁ…..
そして1級上、2級上更に数年上の先輩も。でもサッカー部員で無い私はだれだか解らなかった。 4級上の先輩は今は引退したけど国際審判員も務められたらしい。
そして1級下ではJリーガーだったのも。今では彼も高槻九中でコーチをしているらしい。

そうこうしているといよいよ母校の試合時間が近づいてきた。 午後2時半キックオフであるが太陽が雲に隠れる事もありやや気温が下がったみたいだ。 出来れば良いコンディションでプレーさせてあげたいなと思う。
対戦相手は中国地方・岡山県代表の総社東中学校。前の試合と異なり公立中学同士の対戦だ。こちらが勝手に緊張をする中、キックオフの笛が鳴った。総社東のキックオフで始まった試合、全国大会とはいえ選手は中学生。メンタルな部分がかなり支配する。はやく緊張が解けないかと思う。しかし心配をよそに主導権を握るのは我らが高槻九中。
開始早々14番がヘッドを放ち、9番からボールを受けた11番がシュートを放つ。3分には14番が今度はシュートを撃つがここはGKがキャッチ。 サイドでボールを受けると後方の選手がサイドラインぎりぎりのところを掛け上がったり、ダイレクトパスを繋いだりまたボールを出し受けする選手だけでなく第3の選手の動きが多い。比べるのはよくないが前の試合よりはレベルが高そうだ。その後も 相手PA内に侵入するが大事に行こうとなかなかシュートを撃たず相手DFに身体を入れられてしまう。 
“OB達”からは、立ち上がりなのだからちょっとは強引に行けば…. との声が出る。 しかしシュートシーンも徐々に増えて来る。中には決定的なチャンスも。 
相手ボールになってもパスコースを切ったり中に入れささず外に外にと出させる。
“あの10番が前線に張られた方がこっちは脅威なんだけどなぁ” と同級生の1人が言った。
上背のある総社東中の10番はキックオフ前からどんな選手だ?と警戒していたが以外に中盤に居る事が多かった。 
主導権を握れない総社東ベンチは18分に早々と1人目の交替カードを切る。 
ここで出て来た18番はスピードあるドリブルを見せていた。それでも高槻九中は前半は最後までシュートを撃たす事はさせなかった。 20分にはカウンターから波状攻撃をしかけ11番がシュートを、22分にも11番がドリブルシュートを放つが決まらない。 前半終了間際には14番がシュートを撃つがGKがストップ。 攻勢が続くもあとはこちらがシュートをゴールにいれるだけなんだけどと思った。

 

後半に入り高槻九中は選手を右サイドバックの選手を替えた。その3番が後半開始早々にサイドを上がりそこから波状攻撃を作る。しかしゴールは決まらない。 40分に掴んだCKのチャンスも決まらない。
“そろそろ決めないとちょっと嫌な展開になるでぇ。”後ろに座っていた同級生が漏らす。 
46分またもCKのチャンスを得る。 “ここは決まりそうな気がするなぁ~。”同級生の1人が呟く。 するとそのCKに飛び込んだ11番がヘッドが総社東ゴールネットに突き刺さり待望の先制点が決まった。 一斉に立ち上がり大歓声を送る。 なかなか決まらなかった11番のシュートがやっと決まった。 やったぁぁぁ~と云うよりも安心感の方が大きかった。



以降も高槻九中が主導権を握り続け総社東ゴールに迫る。 しかしGKが素晴らしくなかなか追加点が奪えない。 相手DF陣をかわしてフリーでシュートに持ち込むもGKがファインセーブを連発する。 
こんな時心配なのがカウンターから同点ゴールを決められてしまう事。 そしてPK戦に….まだ独身の同級生は2年の時からレギュラーで1級上の先輩に混じり全国大会に出場したけどその試合はPK戦で敗れたらしい。 相手は鹿児島県の桜島中学。そして対峙したのが帝京高校でも活躍し今はたまにサッカー解説もする川添だったらしい…



そう考えていいたらカウンター攻撃を受け最後は8番の選手にシュートを許す。その弾道は大きくクロスバーを越えたけど見ているこちらは一斉に胸をなでおろす。 “ヒヤっとするな~。”誰かが云った。 私もそう思った。

しかし結局総社東中が放ったシュートはこのシュート1本のみ。 1分あったロスタイムも過ぎ、我が母校高槻九中が見事に1回戦突破を果たした。  

試合終了後、敗れた総社東中学がスタンドに向かって丁寧に挨拶をするのを見てこちらも感動を覚える。
同級生達も“ 偉いなぁ。”と感心する。そしてこの試合一番ボルテージの高い拍手が送られた。 



旧友達とはまたいつか再会したいな…と言葉をかわして別れた。

そして自分が陸上競技であれだけやれた事を今になって良かったと思った。もしそうでなければ私は今でも彼らを妬んでいただろう。こういう場所には出て来なかっただろう。 やっぱり俺は小心者なんだなぁと思った。
でももっともっと練習すればよかったなぁ。そうすれば陸上で、もっと上に行けただろうなぁとも思った。

だけどやっぱりサッカー部員のあいつらは羨ましいなぁとまた思った。

翌日高槻九中は千葉県代表の中学に 0-1 で敗れたと友人から連絡があった。 あぁそうか、残念。 一昨年は準決勝、昨年は準々決勝まで進出した。 同級生達は1回戦で惜敗したけどその相手は千葉県代表だった。 千葉県代表は鬼門なのか?
だけどここまでこれた事は人生の糧になるぞ。 これからもがんばれよ。そして試合に出られなかった3年生、ベンチ入り出来なかった3年生、君たちこそ高校になっても続けろよ。 チャンスはまだまだあるぞ。 

そして高槻九中からサッカー部の活躍に刺激を受けて頑張る中学生が1人でも多く出て来る事を望む。35年前の俺の様に。

だけど俺みたいな半端な人間になるなよ…




五輪最終予選….シリアの選手達は。

2012-03-25 | 五輪 U-20, U-17
For Syrians, Olympic bid has troubles backdrop

3月14日。 日本はバーレーンを破り5大会連続の五輪出場を決めた日。シリアはマレーシアを 3-0 で降し2位の座を確保し25日からハノイで開催される Play Off 進出を決めた。 この試合も日本が敗れた試合同様隣国ヨルダンの King Abdullah International Stadium で行われた。 前節マナマで行われたバーレーンとのアウェー戦では終了直前 Mohamed Alalawi のゴールで 1-2で敗れそのおかげで日本が単独首位に立ちロンドンに行きに大きく一方前進した。



最終節の“ホーム”でのマレーシア戦には日本戦で決勝ゴールを決めてバーレーン戦を累積警告で出場停止だったCB  Ahmad Al Salih そして怪我の為かバーレーン戦ではベンチ入りしなかったFW Mardek Mardkian らが出場をするもエース Omar Al Suma がベンチスタートだった。 しかし Al Suma は後半から出場し80分にはゴールを決めている。



この五輪予選、日本はバーレーンに苦しめられた。もし彼らがホームゲームをシリア国内で戦えていたら、日本はロンドン五輪に行けただろうか… Haitham Jattal シリア U-23 監督は
“ 勿論自分の国で自国民の前で戦う方が国外で試合をするよりずっと良い。 しかし我々はそれを克服して来た。その先の御褒美としてロンドン五輪がある。選手達は解っている。自国では多くの国民が試合を見ている。そして国民は我々の勝利を願っている。”  と語った。 シリアは“ホームゲームは”日本戦を含めて3連勝だった。 

この最終予選6試合のGKは初戦のマレーシア戦は Mahmoud Yousef で以降は Ibrahim Alma であったが、本当の正GKはAbdul Baset Saroot だったらしい。 彼は歌うGK として知られており革命的なそして反政府的な歌を歌いそれが YOU TUBE にアップされ、それ以降政府側の弾圧を恐れて姿をくらませているらしい。
国連の発表によるとシリアでは内戦勃発後政府軍によって 8,000 人以上の犠牲者が出ているらしい。
試合後の記者会見等で海外のメディアからはそれに就いて選手達も訊ねられる。
Jattal 監督や Ahnad Al Salih 主将達はマレーシア戦の前にもこの内戦に就いて訊ねられたらしいがノーコメントを貫いている。
チームのスポークスマンは “ 我々はその事に就いては答えられない。 ノーコメントだ。私はチームの事に就いてメディアに対応している。だからその事に就いては答えられない。” と語っていた。

U-23チームにはシリアの人気チーム Al Karama や Al Wathba 所属の選手が多いが両チームとも内戦で大変な被害を受けている Homes と言う街をホームにしている。 GK Saroot は今や“内戦のシンボル”となっている。 
その Saroot のメッセージが3週間前に YOU TUBE にアップされたらしいがチームメイトは今彼がどこで何をしているかは解らない。 MF Thaer Krouma は “ 彼は戻ってくると思っている。 彼は素晴らしいGKだ。そしてその前に我々の友人だ。” こう語っている。



http://www.youtube.com/watch?v=3KT9PZszLDg


Jattal 監督はグループ2位に入りプレーオフに回った事を肯定的に考えている。 
“幸福だ。 しかしもしプレーオフ無しでロンドン行きが決まっていたらもっと幸福だった。”
King Abdullah International Stadium では試合後 Asaad 大統領を支持するチャントが歌われた。 国立競技場でも反政府と政府側のシリア人同士で争いが有ったみたいだった。 

海外の報道では連日シリア情勢が伝えられる。 3月20日の報道では前日に30名近くの犠牲者が出たらしい。
反政府側の戦闘は“原始的なゲリラ戦”に移行してきており、反政府側は政府側と通じている人間を探し出す為に拷問も横行しているらしい。犠牲者の数にはそういう人も含まれているのだろうか…..
また“資金不足”の反政府側にはシリアのビジネスマンからの支援も少なくないとか…



Asma al-Assad praises Syria's mothers in TV appearance

3月21日水曜日、シリアの国営放送は Asma al-Assad のスピーチを放映した。
Asma al-Assad は Assad 大統領夫人。所謂ファーストレディだ。 彼女は今の状況を “ difficult conditions “ と表現し、惨状を“ victims of terrorism “ と表している。 
この日は Mother’s Day でそのイベントの一部としてのテレビ出演だったらしい。
彼女は大統領の事には何も触れなかったが、反政府勢力の恩赦に就いてはある事をほのめかした。
“母親は子供達を愛する。そして子供たちを分け隔てしない。 そして子供達が失敗をしても母親は子供を許す。”
と話した。 
そして "May god protect Syria and all its people. ( シリアに神の御加護を。) "とのコメントも残した。

反勢力側では彼女のテレビ出演に就いて“政府側は彼女に強く、情熱的にそして感情的に振舞って欲しかった。 それは古典的な宣伝工作だ。” と述べているらしい。



それにしてもさすがファーストレディ。美人だなぁ…..

25日 Play off の初戦、シリア対オマーン戦はどうなったのだろう….

今年から始まる AFC U-22 に向けて… アジア新時代..に入るかな??

2012-03-23 | 五輪 U-20, U-17
夢潰えた UAE 戦…   UAE 1-0 Australia 20th February 2012

日本がマレーシアを 4-0 で撃破した数時間後、 AFC の Web Site にアクセスした。

UAE 1-0 Australia

Al Ain 所属の MF Omar Abdulrahman が前半立ち上がりに決めた先制ゴールが決勝点となり UAE がオーストラリラを 1-0 で降した。 そしてウズベキスタンがイラクに 1-2 で敗れた為に1試合を残して2位ウズベキスタンに3勝点差を付けてUAEが単独首位となり次節アウェーで行われるウズベキスタン戦で引分ければロンドン五輪出場が決まる。
その一方オーストラリア次節3月14日に行われるイラク戦で今予選の初勝利を目指すこととなった。



Olyroos miss London Games with 1-0 loss

アブダビで行われた UAE 戦で猛攻を仕掛けたにも関わらず 1-0 で敗れたオーストラリアは1984年以来五輪に男子サッカーチームが出場出来ない事となった。

この試合では勝利が必要だった、最低でも2位に入りプレーオフへの出場権を得る為にも。
またもやオーストラリアは牙を抜かれた様な攻撃でゴールを挙げられず5試合連続無得点試合となってしまった。

この敗戦でオーストラリアはグループ最下位となり3月14日に Gosford で行われるイラクとの最終戦を残して2位ウズベキスタンと5勝点差をつけられてしまった。

次戦での勝利は最下位から脱出しウズベキスタンを 2-1 で破ったイラクを上回る3位に上がる事が出来る。
Olyroos は最終的に決勝点となる先制点を奪われる前には何度かチャンスを掴んでいた。
Dugandzic のシュートはクロスバーに阻まれ、 Aaron Mooy と Oliver Bozanic のシュートはGKのセーブに阻まれた。
この試合唯一のゴールは前半の中盤にショートコーナーからOmar Abdulrahman のネアーサイドを狙ったショットがGK Matthew Ryan を破りオーストラリアゴールに突き刺さったもの。
この得点の前には Ryan は2つのFKを連続してファインセーブで防いでいた。

ホームの UAE は最後の15分は守備を固め時折カウンター攻撃に転じる方策に出た。
オーストラリアは素晴らしいボール占有率を見せたがセットプレーからでもそしてオープン攻撃からでもゴール前の詰めに甘く決定機は創れなかった。 終了10分前にはMooy のシュートが高くそして横に外れ Olyroo の得点力不足はまたも続けられた。

UAE は前節イラク戦に続いて連勝を飾り一気に五輪に近づいた。この要因は2月8日に発表されたイラクへの制裁。 11月27日にホームでイラク相手に0-2 で敗れた試合がイラクが累積警告で出場出来ない選手を起用した為に UAE が 3-0 で勝利とされた。 これで一気に勝点が加算されそれまでウズベキスタンとイラクが首位争いをしていたところに UAE が割って入った。そして更に連勝を重ねロンドン五輪を一気に手繰り寄せた。

両チームともに3人ずつ選手を替えて迎えた試合、Olyroos は話題のFW Kerem Bulut はこの試合も
ベンチスタートだった。そして23分 Omar Abdulrahman が先制ゴールを挙げた。
その後はオーストラリアが主導権を握り何度も UAE ゴールに迫るがゴールネットが遠い、66分に Kantarovski に替って Kerem Bulut, 74分には Peter Dimitrios そして88分には Mohammad Mustafa と言ったFW選手が次々と投入されたが得点を決められず5試合連続で無得点に終わり、この敗戦によりグル-プ3位以下が決まり史上初めてオーストラリア男子サッカーが“五輪予選落ち”となった。




FFA defend Olyroos coach

オーストラリア協会は今般の五輪予選の結果に就いて調査をするが技術ディレクターの Han Berger はすぐにAurelio Vidmar Olyroos 監督を擁護した。

この結果を受けて“ very very disappointing “ とコメントしながらも、UAEに敗れて男子サッカーが五輪に再エントリーをして以来28年振りに地区予選を突破出来ず、5試合連続で無得点でありながらも ,Olyroos は常によくやっていると主張している。

“得点出来なければ多くは期待できないと言う事は明らかである。 私の記憶ではここ暫く5試合連続無得点という結果は記憶にない。 しかし我々はウズベキスタン戦ではパーフェクトな2ゴールを取り消されUAE 戦では二つの試合のベストチャンスを決められなかった。” この様に語った。

そしてこの五輪最終予選は欧州選手を召集出来ず、選手召集を巡ってA-League クラブ首脳陣との対立もあった。

“選ばれた選手達の中でリスペクトしなかった選手は1人もいない。彼らは全力を尽くしてくれた。しかしもし欧州ベースの FW Oar, Leckie そしてMcGrath を考えると彼らは攻撃シーンにおいてまさに欠如していた選手達だった。
私は常に世界ランクが我々の期待通りに行くとは理解している訳ではない。人々は常の Joeys ( U-17 ) そして Young Socceroos ( U-20 ) を成功しているとは言わないが世界ランクで言えば U-17 は 15位で U-20 は19位である。

Neill: Olyroos need to wake up

“率直に言ってしまえばこの五輪予選の結果に就いては大変失望している。何人かの Olyroos のメンバーはこの結果に責任をすこし感じるべきだろう。 Football に関わるものとして我々全てが積んんを感じなければならないが選手としては…. 代表のユニフォームに袖を通すと言う事はそういう機会があると言う事だ。
そう云う機会はたった1度かもしれないし Mark Schwarzer の様に90回以上もあるかも知れない。
選手達は幾つもの人物像を背負う事となる。ある時は自分を犠牲にせねばならないそして Socceroos の為にオーストラリアの為にそしてチームの為に喜んで全ての事をせねばならない。
私は我々は今敗北からスタートしていると思う。 選手達が自国の為に何を行うかを理解する事は自分のキャリアーの中で最も重要なことである。 それを重きに置く事だ。 人として代表選手としての機会を理解せねばならないと言う事は自分の誇りと栄光を踏襲する事に等しい。“

また Neil は全ての五輪チームの選手達がユニフォームに対して尊厳の念を抱いていないとは信じていなかったが何人かの選手達は自分自身に厳しい問いかけが必要であると強く思っている。

“もしオーストラリアチームが5試合も得点を挙げられないのなら攻撃の選手は恥じてそして攻撃的なチームになりたいと望むべきだ。そこには多くの期待外れの選手がいただろう。 五輪にはオーバーエイジの選手が3人起用される。出来れば私はそこに入りたかった。五輪でプレーするなってそうそう機会はないものだ。
それを望んだ選手達は五輪が開催される7月にはその機会を失った事を後悔するだろう。そして私も傷つくだろう。

オーストラリア協会はこの予選の総括を考えている。 予選の間クラブと代表間の問題がまた浮き彫りにされる中 Neill はその反省は良い事だと捉えねばならないと語った。

“我々が分析した事は肯定的と捉えることで、今や我々が分析した事は自己満足に遭った事で我々の犯したミステークを改善しなければならない。 我々はそれらを前向きに捉え、世界は常に進化しており我々はそれに充分達したレベルにあるとは考えられないと言う事を肝に銘じなければならない。 
オーストラリアは常にハードルを挙げ進歩する必要がある。私はそれをしていないとは言わないが我々は過去の栄光に甘んじられないと言う事を考えるべきだ。“

ワールドカップ予選のサウジアラビア戦の前に Neil は元代表選手の Mark Robertson と共に彼は Mr. Soccerとしてジュニア達の為のサッカークリニックイベントに参加した。



さすがベテラン。云う事ははっきりしている。しかし“自身も五輪に over age 選手として出られる機会を失い….とは公共の場で言わなくてもなぁ… Socceroos でも彼の後継者はまだ見つかっていないと思う…

日本の専門家諸氏の間ではあまり知られていないがユース、ジュニアユースレベルではオーストラリアは結構実績を残していた。バルセロナ五輪でも準決勝まで進出している。
あのワールドカップドイツ大会で日本を破る前にそう言った実績はあった。ワールドカップ予選でも大陸間予選を戦わねばならず Scotland, Argentina そして Uruguay と死闘を繰り広げていたのだった。


Vidmar: we’re playing to win

Qantas Australian U23s のAurelio Vidmar 監督は五輪予選の最終戦となるイラク戦には選手を大幅に入れ替えて臨む事を明らかにしたが新たに選出された選手達には前線でのプレーを意識して欲しい必要があると語った。

3月12日に Gosfors の Bluetongue Stadium で行われる試合は共に五輪出場の可能性の無い
チーム同士の試合となる。そしてその一方で Vidmar 監督は準備期間の短さからこのチームは
“非常に素晴らしい”か“ミスマッチ”の両極端に終わるかもしれない。
最終戦は何人かの新しい選手達にとってまだアピールの場となるだろう。

“我々には準備期間が全くなくて少し難しい最終戦になるだろう。おそらく即席のチームとなるだろうが選手達は本能的に自然にプレーするだろう。 
我々は彼らに期待する事を行うだろう。しかしこう言う試合ではよく起こり得る失敗もするだろう。しかし選ばれた選手達は国を代表して全力を尽くすだろう。例え誰もが最終戦を消化試合と言うだろうが私はそうは思わない。我々が勝利を収めたい国際試合である。“

これまで5試合に就いては以下の通りに述べた。

“ Adelaide で行われた最終予選の最初の試合は攻撃機会が少なかった。しかし続くカタールでのイラク戦そしてそれ以降の試合は攻撃の機会が少なかったとは言えないがゴール前でのフィニッシュの質に欠けていた。 イラク戦ではハーフタイム迄に多くのチャンスを創れたがただボールをゴールネットに入れる技術が欠けていた。それがこの予選のアキレス腱となった。
このチームは新しいグループで選手達がもっとも能力を発揮できるポジションに選手を投入する。少しの練習をしただけでそれ以上の練習は出来なかった。 こんな状態でゲームに臨むのは好きではないが我々はやらねばならない。そしてこのチームには前線にゴールを決められる選手を揃えた。そして我々はモノに出来なかったチャンスを決める事が必要だ。

イラク戦へのチームには Central Coast Marinerrs の MF Mustafa Amini がMelbourne Victory の James Jeggo に替って召集されそしてBen Kantarovski がキャプテンマークを腕に巻く事となる。今回のイラク戦へのメンバーは下記の通りだった。

Gold Coast United ; Zac ANDERSON , Chris HAROLD

Central Coast Mariners ; Mustafa AMINI, Sam GALLAGHER , Bernie IBINI , Tom ROGIC

Adelaide United ; Mark BIRIGHITTI ( GK )

Brisbane Roar ; Kofi DANNING , Nicholas FITZGERALD

Melbourne Heart ; Craig GOODWIN, Brendan HAMILL

Sydney FC ; Rhyan GRANT , Mitchell MALLIA, Dimitrios PETRATOS

Newcastle Jets ; Ben KANTAROVSKI, Jacob PEPPER

Perth Glory : Joshua RISDON

Melbourne Victory ; Lawrence THOMAS ( GK )


Vidmar: qualifier no dead rubber

“ 我々は五輪予選はただ選ばれた選手を闘わせるだけの試合では無く、我々にとっては勝に行く試合である事を理解している。 それは単純ではない。我々はまだ真剣に試合に勝とうと考えている。“ Vidmar 監督は語った。 
AFC U-22 大会が6月から開幕する。 この世代の選手達はあまり国際レベルでの試合を経験出来ていない。もし彼らが国際レベルの将来を見せたいのであればその機会さえあれば見せる事が出来る。 それは自国を代表してプレーする時に非常に重要である。

“私の中ではそれは決して消化試合では無い、勝ちたい試合である。 例えこの予選を戦った選手達にとってこの1年が少し苦いものではあったが我々は A-League のクラブにこの週末にプレーする選手達を拘束する為に妥協してもらう必要があった。”

“もし我々が最強のチームを組む事が出来れば恐らく攻撃面ではもっと良いオプションがあっただろう。 Leckie, Oar, McGarath, Holland 彼らは海外に12カ月から24カ月いる。しかし彼らはもう少し高いレベルでプレーを続けている。 しかし我々は最初から A-League の選手達を頼りにせねばならない事は解っていた。

私は大変正直だ。選手達は全身全霊を以ってプレーをした。我々は結果を得る為に全てを尽くした。選手達はコーチを楽しませたそして我々は様々な試合で結果を得る為の事は行った。しかしそれらは過ぎた話だ。 もしボールをゴールにさえ入れられれば。 我々は勝つ為に多くのチャンスを創った。しかしそれらは少しの差であった。

イラク戦に向けて選出された選手の多くはニューフェースだった。そして Vidmar は語った。これはそう言った選手達にとってアピールの機会を伺っていた選手達に為のものだ。

多くの選手達のパファーマンスは非常に良かった。 Tommy Rogic は今月は非常に良くやっている。今シーズンはなかなか機会が与えられずまさにシーズン終盤になって見出された選手だ。 Mariners でも非常に良くやっている。 ここ数年フル代表でも召集されたBen Kantarovski はシーズンを通しての活躍を見せた。 Jacob Pepper も良くやっている選手の一人だ。そして Craig Goodwin ( Melbourne Heart ), Rhyan Grant ( Sydney )もそうだ。
“ Mark Biringhitti は長い間 Adelaide United そして代表でポジションを待っていた選手だ。
そしてこれは何と良いGKだと思わせる良い機会だ。良い選手達が集まった。 しかしこれは本当のテストの場だ。 なぜなら準備期間の短く僅かな時間でしか選手達が集まる時間がなかった。
そしてイラクと言う好敵手が相手だ。良いテストになるだろう。短期間でこう言う大きな試合に臨むと言う柔軟性を見るのも良い事だろう。 それはフットボール選手のプロフェッショナリズムの一部である。



Iraq hold Under 23s to scoreless draw

“注目の最終戦”もスコアレスドローに終わった。
両チームは中盤から素晴らしい構築を見せたがラストパスの精度に欠け、シュートに持ち込めなかった。とりわけ GK, Mark Birighitti とJalal Hassan Hachim の2人はあまりゲームに関わる機会が無かった。

最初のチャンスはイラクに訪れた。 オーストラリアの DFのクリアーミスに乗じてチャンスを掴んだがゴールには至らず、その直後 MF Mustafa Amini からスルーパスを Chris Harold に送るがすこし強すぎた。

Brendan Hamill とZac Anderson の2人は常にイラクを守勢に回らせた。そしてイラクはやや遠いレンジからのシュートを強いられたが17分の Ahmed Yaseen のショットは Birightti は見送るだけであったが大きくバーを越えた。
36分には Kantarovski からパスを受けた Chris Harold が倒されてFKを得たが Dimitrios Petratos のFKは イラク GK Hassan Hachim を脅かす事は出来なかった。

前半終了直前には Ammar Abdulhussein Ahmed が強烈なショットを放つが GK Birighitti が
ファインセーブでストップ。

後半に入っても試合展開は前半と変わらず交替出場のTomas Rogic とHarold らが可能性の低い位置からシュートを撃つが 攻撃を構築しようとするが Hassan Hachim にファインセーブを導き出す事は出来なかった。 
そして67分には Abdulhussein Ahmed が低い弾道のショットを撃つが僅かにポストを外れた。

この日競技場に集まった 2,071人の観衆は不運にも得点シーンは見る事が出来ずロスタイム4分を終えて日本の西村主審が試合終了のホイッスルを鳴らした…..



五輪最終予選が始まる前、日本は中国がその前のラウンドで落ちた為にシード国に繰り上がり、オーストラリア、韓国と別の組みに入った幸運を喜んだ。
しかし欧州組が召集出来なかったオーストラリア相手では….もし中国が勝残っていたとしても韓国と同組でさえなければ首位で五輪出場を決められただろうなぁ….
“A-League 選抜”チームをこの目で見てみたい気もした。 だけどグループ最下位に終わるとは本当に意外だった。
Mark Milligan , Kristian Sarkies, Mark Bridgs, Billy Celeski Ruben Zadkovich, Nikolai Topor-Stanley Zadkovich, Adrian Leijer, Celek。4 年前の Olyroos だ。彼らと比較すると今回は….と思ってしまう。

オーストラリアの友人から text が来た。 

Couldn’t get overseas strikers because non FIFA natch days….

きっとこれが全てだったのかもしれない…


だけど AFC U-22 は私も楽しみで仕方がない。





Olyroos 史上初の五輪地区予選落ち…..

2012-03-18 | 五輪 U-20, U-17
日本列島が5大会連続の男子サッカー五輪出場を決めた3月14日。 オーストラリア Gosford の Central Coast Stadium で行われたアジア地区最終予選B組の最終節、オーストラリア対イラク戦はスコアレスドローに終わりオーストラリア五輪チームこと Olyroos は最終予選を4分2敗。無得点で全日程を終了した。オーストラリアの男子サッカーが地区予選を突破出来なかったのは史上初めて。

“この日はGK, 4人のDF人そして中盤の真ん中の選手達らの力強いパフォーマンスが見られた。この厳しい環境の中で Chris Harold はよくやってくれた。決して楽な試合では無かった。 この最終戦に向けては一緒に練習する時間が限られた中で我々は高貴な仕事をこなしたと思う。”

全日程を終えた Olyroos のAurel Vidmar 監督はこの様に語った…..
他にUAEとウズベキスタンが入ったB 組は同日タシュケントで行われたウズベキスタン対UAE戦でアウェーの UAE が終了直前に Haboush=Salbookh の決勝ゴールで勝利を収め同組1位となり1990年ワールドカップイタリア大会以来の“メジャー大会”出場を決めた。2位になったウズベキスタンは3月25日からベトナムのハノイで開催される“アジア地区プレーオフ出場決定戦”に回る事となった。

2006年ワールドカップドイツ大会で Socceroos がベスト16に進出しオーストラリア大陸でも football と言えば “ Soccer “ と認知され始めて来たがこの五輪予選敗退、そして近年見られる A-League のチーム消滅が今後のこの大陸での football の立ち位置に影響しないか….と勝手に1人で懸念している。

今回の五輪予選は FIFA  International Match Day に試合日程が組まれておらず欧州組みを召集出来なかった事が敗退の最大の原因とされている。それにシーズン中の A-League から各チームからの召集選手が3人迄と決められていた事も苦戦の原因となった….

彼らはどの様に闘って来たのだろう…..

遠のくロンドンの灯 Uzbekistan 2-0 Australia 5th February

日本U-22 がシリア U-22 に痛恨の敗戦を喫した数時間前、Olyroosことオーストラリア U-22 は極寒の Tashkent でウズベキスタン U-22 に敗れいよいよ1988年ソウル五輪から続いて来たオリンピックの連続出場が厳しくなってきた。

Olyroos' London shot all but on ice

2月5日日曜日の夜にタシュケントで Olyroos がウズベキスタン U-22 に敗れた事によりオーストラリアは28年振りに五輪にサッカーチームを送る事が出来ないと言う危機が持ち上がって来た。メルボルン五輪(この時は1回戦で日本を 2-0 で破っている。)以降ロス五輪までの24年間7大会に亘り五輪予選にすらチームを送らなかったオーストラリアは1988年ソウル五輪以降, 毎回地区予選を突破しサッカー競技にチームを送っていた。しかし今回は既に女子代表チーム Matildas はアジア地区予選で敗退している。

ウズベキスタン戦の敗戦によりウズベキスタンは勝点を8まで伸ばしグループの首位に立ち、オーストラリアは勝点3のままグループの最下位に沈み予選突破にはとてつもない危機に瀕する事となった。
先制ゴールを決めたのは27分、ウズベキスタン FW Kenja Turaev のロングシュート。更に終了5分前に MF Oleg Zoteev が強烈なボレーをオーストラリアゴールに叩きこみ試合を決めた。
この試合のキックオフはタシュケントを襲った寒波の為に気温が急激に下がった為に午後8時の予定時刻から午後3時に変更された。それでも気温は既にマイナス12度にまで下がっていた。
雪で覆われたピッチは凍結しパスやボールタッチを難しくした。そしてそれは決して自由なボールの流れやテクニカルなゲームでは無くなっていた。
Olyroos の立ち上がりは悪くなく Mate Dugandzic, Oliver Bozanic のシュートがウズベキスタンゴールを襲った。 
しかしウズベキスタンは27分に Oybek Kilichev からボールを受けた Kenja Turaev のロングシュートが Olyroos ゴールを襲うも GK Mat Ryan は止める事が出来なかった。
その直後 Jason Hoffman のシュートがウズベキスタンゴールネットを揺すったがこれはオフサイドポジションからのショットであった。
後半に入り両チームともチャンスは創ったがビルドアップやラストパスはピッチコンディションの影響で容易なものでは無くなっていた。
60分には Mitch Nichols のシュートがウズベキスタンゴールに決まり同点ゴール…と思われたがシュートの前のプレーが反則に取られ、またもゴールは取り消された。
86分に Oleg Zoteev のPA外から放たれたボレーシュートがクロスバーの内側に当たってオーストラリアゴールに突き刺さり試合を決めてしまった。
この時間の後に行われた試合で UAE がアウェー(と言っても第三国のカタールで行われた)でイラクを 1-0 で破った事で少しロンドン五輪に向けて希望が出て来た。




3試合連続無得点無失点の Olyroos はスタメンを3人替えてタシュケントでのウズベキスタン戦に臨んだ。
FWには Visconte Rocco Joseph が初めて起用されたが注目の FW Kerem Burutはベンチスタートだった。 
1点ビハインドの76分に Visconte Rocco に替って Burut が投入されたが同点ゴールは生まれずにその約10分後に Zoteev にボレーシュートを決められてしまった。



これで首位を行くウズベキスタンとは勝点差5となり、Olyroos は残り2試合を勝ってもウズベキスタンが残り2試合で1勝を挙げれば勝点で追い付けなくなってしまい、3月25日から29日までベトナムのハノイで開催される各組2位の3カ国で行われるプレーオフに回らねばならなくなる。(ただし2位で日程を終えられれば。)
現状、1位通過出来る可能性は限りなくゼロに近く。最低でも2位に入り込む事を考えねばならない。
しかし3月25日は A-League の最終週に入りその後には Final Series に入る。 所属チームの中心選手となっている五輪代表チーム Olyroos 達を所属クラブが離してくれるだろうか….
オーストラリア協会FFA は再び欧州組Aaron Mooy (St Mirren), Tommy Oar (FC Utrecht) and Mathew Leckie (Borussia Moenchengladbach) らを次の UAE 戦に召集する為に各所属先チームに打診をする事としたが試合はまたも FIFA Match day に行われるのでは無いので召集出来る保証はどこにも無かった。



そして更にオーストラリアに追い打ちを掛ける様なニュースが飛び込んで来た。

Iraq sanctioned for ineligible player イラク資格の無い選手を起用した為に制裁

2月8日。FIFA は11月27日ドバイの International Stadium で行われた試合を 3-0 で UAE の勝利とし UAE に勝点3を加えると発表した。この試合ではイラクが 2-0 でUAEを破っていたが、本来この試合は出場停止で起用出来ないはずのDF Jasim Faisal をスタメンで起用した為。 Jasim Faisal は前のオーストラリア戦では終了直前に警告を受けたが2次予選のイラン戦でも警告を受けており累積2枚の警告を既に受けていた。
そしてイラク協会は FIFA から制裁金 SFR7,000 ( 約 US$7,600 約57万円 ) が果たされる事となった。

そしてこの結果 UAE の勝点は8となり勝点でウズベキスタンと並んだ。そしてイラクの勝点は1になりグループ首位の可能性が無くなり、2位になる可能性も極めて低くなった。
また残りの日程を見ると次節でオーストラリアが UAEを降してもまだ2勝点及ばずオーストラリアが2位に入る可能性も非常に低くなってしまった。
この査定がこの組の最終結果を大きく左右事になった…..

Nichols and Ryall out of U23s squad
Qantas Australian U23s Head Coach Aurelio Vidmar は次節 UAE戦に向けてメンバーチェンジを行った。
.
ウズベキスタン戦で警告を受け累積警告の為にUAE戦が出場停止となった FW Mitch Nichols そしてハムストリングを負傷した DF Sebastian Ryall がオーストラリアに帰国となり替りに Gold Coast United の Dylan McGowan が召集された。
UAE 戦に向けて当地で合宿を張る Olyroos は2月16日にフィリピン代表チームを招いて Al Nasr Stadium にて親善試合を行う。 
22日の UAE戦に向けての最終メンバーは下記の通りとなった。

GK
Mark Birighitti (GK : Adelaide United ) Mathew Ryan (GK: Central Coast Mariners )

DF
Oliver Bozanic ( Central Coast Mariners ), Aziz Behich ( Melbourne Heart ), Antony Golec ( Adelaide United ), Dylan McGowan ( Gold Coast United ), Daniel Mullen ( Adelaide United )

MF
Mate Dugandzic ( Melbourne Heart ), Ben Kantarovski ( Newcastle Jets ), Dimitrios Petratos ( Sydney FC ), Matthew Foschini ( Melbourne Victory ), Isaka Cernak ( Melbourne Victory )

FW
Mustafa Amini ( Central Coast Mariners ), Kerem Bulut ( FK Mlada Bolesav, Czech Republic )
Diogo Ferreira ( Melbourne Victory ), Jason Hoffman ( Melbourne Heart ), Matthew Jurman ( Brisbane Roar ), Adam Taggart ( Perth Glory ), Rocco Visconte ( Brisbane Roar )

19人のメンバーの中で FW 登録の選手が7人も含まれている。果たしてゴールは挙げられるのであろうか…

Qantas Australian Under 23s defeat Azkals Friday, 17 February

極寒のタシュケントからドバイに戻った Olyroos は2月16日、当地にフィリピン代表こと Azkals を呼んで勝たねばならない UAE 戦に向けて“練習試合”を行い 11分にJason Hoffman が挙げたゴールで先制。
その後も攻勢を続けた Olyroos だが Dimitri Petratos の決定的なショットを Fulham 所属のNeil Etheridgeがファインセーブでストップする等追加点は生まれすそのまま 1-0 で試合は終わった。

しかし UAE の地でわざわざ練習試合を行い相手に手の内を見せる様な事は必要だったのだろうか…..



Player limit is not the number that matters

日本がマレーシアとのアウェー戦に臨んだ2月20日、オーストラリア紙にあるコラムを見つけた。 当地ではにわかに Olyroo の苦戦の原因が一般で話題になっていたらしい。
その中心は欧州組を召集出来ない事と A-League から1チーム3人迄と言う制約が設けられている事。 それらの事は予選が始まる前から解りきっていいたことでそれがなぜオーストラリア協会 FFA は事前に対応策を練っていなかったのか….と言う事らしい。
Tommy Oar, Brent McGrath そしてMatthew Leckie, と言った欧州組のFW選手が召集出来ておればこの時点で4試合連続無得点と言う得点力不足は改善されていたと思うのは当然であろう。

また最終予選の第4戦タシュケント、第5戦ドバイのアウェーの連戦の17日の期間チームはUAE のドバイを本拠地にし連戦に備えたが何故 UAE なのであろうか….という論議もあるらしい。 ウズベキスタンは極寒の地。UAEは ”灼熱の砂漠” それが試合結果に影響しなかったか?と思われるのも自然であろう。
Vidmar 監督はタシュケントへのアクセスを考えて。との事であったらしいがそれならフランクフルトか旧ソ連邦のどこか(ビザの問題はあるが )でも良かったのではないかと思われれる。設備や生活環境そして練習時の気候を考えれば旧ソ連邦は疑問だがウズベキスタン戦前の合宿地はフランクフルトでも良くは無かったか….
ウズベキスタン戦後はドバイに戻りそこをホームにするUAE戦に備える事となったが丁寧に練習試合 ( フィリピン戦 ) まで行った事により UAE のスカウティングを楽にしなかったか…..

全ての批判はUAE戦の勝利に掛かっていた、と言うよりもまずゴールを決める事が必要であったか…..


Vidmar’s charges maintain optimism

Qantas Australian Under 23 のAurelio Vidmar 監督は予選突破に向けて厳しい任務を突きつけられていながらまだ悲壮感を漂わせていない。
“我々は目の前に何があるか解っている。 まだやらねばならない事はたくさんあるがこの試合で勝てなければ全てが終わりだ。ファイティングスピリットは我々の中にも対戦相手に対してもまだ多くある。


Vidmar 監督は16日のフィリピン戦には前後半でそれぞれ選手を入れ替えて臨み 1-0 の勝利を収め良い感触を得たと語っていた。
“我々はウズベキスタン戦では非常に不運であった”極寒のアウェーの地で2度のゴールがオフサイド、ファールで取り消された事を示唆した。
しかし最後まで望みを託した Mathew Leckie に就いては結局所属先のBorussia Mönchengladbach が召集を承諾しなかった。 ( 大津もそうだった。)

日本がマレーシアを破った数時間後、UAE 対 Olyroos の試合結果を調べるべくAFC の Web Siteにアクセスした…

 

                  続く

5大会連続出場に王手 !! Malaysia U-23 0-4 Japan U-23 22nd Feb.

2012-02-29 | 五輪 U-20, U-17
2月25日、起床するや否やスマホで AFC のサイトをアクセスした。 約4時間ほど前に終了したはずのバーレーンの首都 Manama で行われた Bahrain U-23 と Syria U-23 の試合結果を調べる為だ。
そして私の目には Bahrain 2-1 Syria の文字が飛び込んで来た。

Bahrain は Mohamed Tayeb Al Alawi の2ゴールで Syria に2-1 で勝利を収めた。
Al Alawi は前半12分に先制ゴールを決め、86分にシリアの交替出場選手 FW Ahmad Aldouni のゴールで同点に追いついたが
終了直前再び Al Alawi のゴールで再びリードを奪い、勝点3を挙げ勝点でシリアと並んだと報道されていた。
この試合結果により最も恩恵を受けたのがマレーシアを 4-0 で破った日本でシリア、バーレーンに勝点で3上回り、しかも得失点差で大いに優位に立つ事となった、とも書かれていた….

この結果は本当に多くの日本人を安心させた事だろう。私も日本がマレーシアを破った後よりもこの試合結果を知った時の方が嬉しかったし、大きな安堵感を憶えた….まだ予選は終わっていないけど…



2月初旬シリア相手にショッキングな敗戦を喫した後、マスコミはこぞって“日本は崖っぷち。” “大量得点しかない。”ってな
見出しや“合言葉”が発信され続けた。 山崎、山田、清武らが怪我で離脱していく事でその危機感を煽ってばかりだった。
何点をもって大量得点とするのかは誰も定義しない。それよりも日本が“大量得点”を奪っても対抗馬であるシリアの最終戦は“ホーム”でのマレーシア戦。日本以上に得点を挙げられることも充分に考えられる。ならばなぜ同じ第5節で行われるバーレーン対シリア戦の事を誰も触れないのだろう? まだまだ真のスポーツジャーナリズムが根付くのは遠いと思ったし、その方が自分で色々調べる必要が生じて面白いだろうなぁ….と思うのである。

マレーシアの地と言えば90年代以降は日本サッカー界にとっては“縁起”の良い地であろう。28年振りに五輪出場を決めた最終予選が行われたのがKuala Lumpur のシャーアラーム競技場。 そして初めてワールドカップ出場を決定した地がジョホールのラルキン競技場だった。
マレーシアは一時日本よりも“サッカー先進国”。アジアの列強を招いて Merdeka Tournament が60年代から行われたり、競技場も Merdeka Stadium 、シャーアラーム競技場等日本の国立霞ヶ丘競技場クラスの立派な競技場が建てられていた。
そしてこの五輪予選で使われたBukit Jalil Stadium は 2007年のAsian Cup で使われたがここも周囲には公式の Field Hockey 競技場もある素晴らしい Sports Complex の中にある。
今、もしマレーシア代表チームが70年代の様に韓国も日本も打ち破るだけの実力を維持しておればこの国のサッカー人気は計り知れないものになっているのではないかなぁ…..いつも私はそうおもうのだけど。今はマレーシアでサッカーと云えば Premiership の話題ばかりだ。

注目のスタメンは

怪我人が“続出”する日本 U-23 は GK 権田、 DF ラインは前節シリア戦と同じスタメンであったが中盤から前は負傷者もありかなり替えた。山口蛍と組むボランチはシリア戦では途中出場だった扇原が11月のシリア戦以来2試合振りにスタメンに。ワントップは永井ではなく大迫。高温多湿で試合が進むにつれて相手の脚が止まって来た時に永井のスピードを生かすのではと思われた。2列目は左に原口元気がホームのマレーシア戦以来4試合振りに起用され、前節シリア戦では2列目右だった東がトップ下に。そして2列目右には斉藤が今大会初起用された。 
シリア戦のスタメンとはかなりメンバーが替ったが9月のマレーシア戦と比較すると斉藤と左 SB の比嘉以外の9選手がスタメン起用されていた。

ホームのマレーシアは前節バーレーンに敗れグループ2位以内の可能性も無くなった為かこの試合はメンバーを大きく替えて来た。
最終予選初登場でボランチに起用された Muhammad Nazmi Faiz は17歳。他にも3選手が前節ではスタメンで無かった選手だったがその3選手、 CB Mohammed Fadhli, MF Mohammad Faudi , FW Thamil Arasu は9月の日本戦に出場した選手達。他にも20歳のMF Wan Zaharu Inizan Zakaria をはじめ合計7人の選手が9月の日本戦経験者だった。
前節バーレーン戦で同点ゴールを決めた FW Ahmad Hazwan Bin Bakri はベンチにも入っていなかった。
注目は GK Khairul Fahmi Bin Che Mat. A代表でもゴールを守ることもしばしば。9月の試合でも日本に26本のシュートを浴びながら失点を2に抑えた。彼からはそう容易に大量得点は取れるとは思わなかったが... 
また今年から始まる AFC U-22 大会に向けて GK Khairul Fahmi 以外は20歳以下の選手を多く登用していたらしい。
この AFC U-22 は2016年リオ五輪以降はアジア地区の五輪予選も兼ねるらしく私は非常に楽しみにしている大会だ。

先制 !! そして追加点 !!

日本のキックオフで始まった試合は地元のサポーターの歓声も高くその声援に押される様に開始80秒、左 SB ④Muhammad Zurib からのロングフィードが FW ⑭ Ahmed Shakir に入る。オフサイドの笛はならずあわやのシーンであったがシュートまでは撃たれなず事な気を得た。もしここで決められていればけっこうパニックが起こったのではないか….
その後も柔らかいピッチに脚を取られてか3分4秒には原口から大迫へのスルーパスは長すぎてGK Fahmi が難なくキャッチ。4分46秒には斉藤から送られたパスが大きく跳ねて大迫の足元に収まらない。 キックオフ時の気温が 28.9度、湿度 72% 。“極寒”の日本からやって来た選手達(酒井も寒いドイツから)には堪える気候だっただろう。だから相手が主導権を握る前にペースを掴んで欲しいと願った。 
立ち上がりはマレーシアの守備陣の頑張りが目立った。守護神 Fahmi は7分44秒、山口が放ったシュートが相手DFに当たりこぼれ球を斉藤が拾い放ったショットを左に飛んでナイスキャッチ。16分28秒にも酒井のシュートをファインセーブで防げば、8分14秒東からボールを受けた原口に ③Zurid, CB ⑮Mohammed Amer がマークに入りCKに逃れ得点を防ぐ。 11分32秒には大迫がスローインを受けた扇原が入れたクロスに ③Zurib, ④Fadhli と競りながら放ったヘッドでゴールを狙うが僅かに外れる。
11分32秒には今度はマレーシアが攻撃に転じ ⑰Mohamad Faudi からボールを受けた FW ⑯Thamil Arasu がポスト役になり走り込んで来た 17歳のボランチ ⑫Nazmi Faiz に戻しシュートを引き出すがゴールの右に外れて行った。 
マレーシア選手が日本ゴールに近づくと大歓声が沸く。そして開始から“マレーシア! マレーシア!”と声援が絶えない。マナマでのバーレーン戦よりも観客のボルテージは高いのではないかと思った。



しかし18分マレーシアにアクシデントが起こる。 右 SB ⑤Mahalli Bin Jasulが倒れて起き上れない。 結局 ⑬ Affize Faisal Bin Mamat と交替せねばならなかった。 この交替はマレーシアベンチにとっては想定外だっただろう。 以降は地力に勝る日本が優勢に試合を進める。しかし大迫のループ気味の正面からのミドルシュートが外れる等マレーシアゴールネットが遠い。 そんな中23分には酒井の権田へのバックパスが弱くそれを追い掛ける ⑯ Arasu が最後はスライディングで迫り権田と交錯しそうになる。 立ち上がりにも似た様なシーンが見られへんな形で失点しないか時間が経つにつれて少し心配になった。
34分、右サイドMF⑧ Zaharulnizam Zakaria からパスを受けた ⑫ Nazmi Faiz が中にロブを送ったところを酒井がヘッドでクリアーすると大迫が更にヘッドで落とし斉藤が拾う。そして中央を上がった東にボールが渡り、前線に走り込んだ原口にスルーパスが通る。⑮ Amer がマークに入りボールが原口の足元を離れ右に流れたところを走り込んだ酒井がマレーシアゴールに蹴り込み待望の先制ゴールを挙げた。 GK Fahmi は原口がシュートを放つと予測していた様だった。そしてようやく決まった先制ゴールだった。



しかしシリアがアウェーのマレーシア戦では 2-0 で勝利している。 1-0 でまだ不充分だと思った。ただマレーシアもゴールを上げないとはこの時点では言えなかったけど。
36分22秒には原口からボールを受けた東が放ったショットがポストの右に外れるとその2分後今度はの ⑦ Mohad Irfan のスルーパスを酒井が追い付かずに ⑯ Arasu に通る。しかしここは権田がストップ。40分4秒には酒井が ⑭ Shakir へのチャージにイエローが出されFKが与えられる。FK はともかくイエローは厳しいなぁとこの日のUAE人の Mohamed Ismail Alzarooni主審 に対して思った。そのFKは ⑭ Shakir がゴール前の ⑯ Arasu を狙って入れるが鈴木がマークに付いてシュートを撃たせずそのままGK権田が掴んだ。それでもマレーシアが攻撃を始めると大歓声が後押しをする。
何とか先に次のゴールをと思っていた43分27秒、酒井への ③ Zurib のチャージがファールにとられFKを得る。その FK に大迫が ④ Fahdi のマークを受けながら放ったヘッドがマレーシアゴールに突き刺さり貴重な追加点が決まった。 しかも前半終了間際の良い時間帯であった。 これでバーレーン戦から4試合連続で前半終了間際にゴールが決まった。それがこのチームの強さかもしれない。 そして大迫はこの五輪予選初ゴール。 それも意味のあるゴールだった。

早い時間に追加点。しかしもう1点取れ無かったかなぁ….

後半に入り気温、湿度は下がったのだろうか…と気になる。今年の日本の冬は寒かったからなぁ….
46分大迫が⑮ Amer と空中戦で競り合った後に頭部を地面に叩きつけてしまった。 その後大迫は数度プレー中に座り込むシーンがあり 59分に永井と替ってベンチに下がった。 
49分に酒井が ③ Zurib ⑰ Fandi をかわして中央の東にパスを通し更に折り返したところは GK Fahmi にキャッチされた。DFラインは簡単にかわせても GK Fahmi を破るのはやはり容易ではない。 しかし55分、3点目が決まる。右サイドから酒井が上げたクロスにファーサイドから飛び込んだ原口がボレーを叩きこんだ。 “謹慎明け”の原口にとっては嬉しいゴールだっただろう。
中央でダミーとなって飛び込んだ大迫が CB ⑮ Amer と GK Fahmi を引き付け原口を楽な態勢でシュートを撃たせた。
更に5分後の60分には比嘉からのパスを受けた扇原のシュートをGK Fahmi が一旦は弾いたがこぼれ球を斉藤が押し込み遂に4点差となった。 4失点目を喫した GK Fahmi の悔しそうな表情が印象的だった。ここまで必死に孤独のゴールを守って来たのだけど….



後半に入って日本は斉藤が中に入って来る様になった。そして酒井が何度も上がって来る様になった。 そしてこの試合ではトップ下に起用された東が何度も攻撃に絡んだ。 シリア戦では右サイドで起用され対峙する Omar Al Suma, Mohammed Fares の攻撃の前に前線に出て来る機会がそれほどでもなかった。 またボランチ扇原も守備から攻撃に転じる時の起点に何度もなっていた。前の試合で起用されなかった選手がしっかりと結果を出していた。
マレーシアイレブンの脚は4失点目を境にがっくりと止まってしまった。 55分に MF ⑧ Zakaria が怪我で下がった事も影響したと思われるが個人能力からしても攻撃時は数的優位を保たねばならないのに前線とDFラインが間延びしてしまい攻撃に転じてもシュートに持ち込めずゴールはますます遠のくばかりであった。 
選手のポジションも時間が右サイドの選手が中央や左サイドに出て来る事もだんだん増えて来たがそれは時間が経つにつれて能力の高い選手の個人能力に頼る傾向となった為の様であった。同じ選手ばかりが特に攻撃時に絡んでいた様だった…



日本は予選突破も考えるとまだまだ追加点が欲しいところであった。濱田のヘッドはクロスバーを越え、東のシュートはサイドネットを直撃。 頑張っていたDF陣も最後のマークが徐々にずれて来た。 85分には5点目の決定的なチャンスを迎えた。
右サイド酒井から永井に縦パスが通るそして⑦ Infan を振り切り入れたクロスに交替出場の杉本がヘッドで合わせる。 GK Fahmi を破るがゴールに戻った CB Amer がクリアーし5点目は阻止された。

終了間際にはマレーシアも意地を見せ86分46秒には交替出場の⑪ Syhrul Azwari Bin Ibrahim がドリブルで長躯右サイドを上がるが最後はボランチ山口がマークに付きクリアー。 91分32秒には CK から ④ Fadhli がフリーでヘッドを放つがゴール枠を捉えられない。
そしてMohamed Ismail Alzarooni主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。 



日本が快勝だったと思えたのは翌日のバーレン対シリア戦の結果を知ってからであった。 むしろ終了直前の決定機を逃した事の方が気になった。 シリアならホームで(とはいってもヨルダンで行われるのだろうけど)ならマレーシア相手に4点くらい取りそうだなぁ..と思い続けていた。
4年前も第4戦、アウェーのカタール戦で終了直前のPKで敗れた次のベトナムとのアウェー戦で 4-0 で勝利を収め最終戦のサウジアラビア戦を引分け北京五輪出場を決めた。

次節、国立競技場でのバーレーン戦で五輪出場を決めてくれる事を願う。

その頃にはもう暖かくなっているだろう。それにしても今年の冬は強烈な寒さだ。 

もう地球温暖化の妄言を吐く専門家も見当たらなくなって来たなぁ… 今日は雪が降って来たぞよ。



終了直前 手痛い 失点そして敗戦…. Syria U-23 2-1 Japan U-23 5th Feb., 2011

2012-02-15 | 五輪 U-20, U-17

あと数分だった。数分凌げば勝点1が入りロンドン五輪に大きく前進するはずだった。
87分シリアベンチは FK の名手 Mohammed Fares を外して FW Mohamed Wael Alrefai が投入されてた。イラクベンチは11月の国立競技場での試合も終盤に Fares を“ベンチに下げてくれた“。 そしてこの時も相手の”飛び道具“がベンチに下がり安心をした。 87分54秒、左 SB Yasser Shahen が入れたロングスローを跳ね返し、88分30秒、今度は左SB の Mohamuad がロングスローを入れるとそのまま日本ゴール正面に抜けて来る。あっ..と思ったがここもクリアー。 そしてクリアーボールがシリアの選手に当たってからCB Al Salih Ahmed の前にこぼれる。 Al Salih はヘッドでトラップしてボールを前に押し出し、日本ゴール前に放り込む態勢をとる。あぁちょっと入れられたら危ない、誰か当たりに来ないと…と思うと山田があわててマークに入るがそれより一瞬早く Al Salih が蹴った弾道がそのまま吸い込まれる様に日本ゴールネットに突き刺さってしまった。
狂喜乱舞するシリア選手達。 スタンドからは“スゥリアァ !! スゥリアァ !! “ と国名を連呼するサポーター達の歓声が響く…
この試合でイエローカードを受け次の試合は累積警告で出場できない Al Salih の意地の一発だった。

これでまたシリアがリードをした事に….

テレビ画面では呆然とするGK権田が映し出される。しかしまだ時間は数分あるはずだ。同点に追い付くチャンスだって…
左サイドをドリブルで上がった永井が入れたクロスにファーサイドで大迫がヘッドで狙うがシリアDFがクリアー。 競り合いで交錯したのかボランチの Solaiman が倒れて起き上らない。 しかし本当に Thaer Krouma と替ってベンチに下がってしまった。 
92分50秒。東が倒されてFKを得る。最後のチャンスになるかもしれない。山田と扇原がボールに寄る。直接狙うには少し遠すぎる。山田が前線で張っていた比嘉にゴロのパスを送るが比嘉の手前でイレギュラーしシュートが撃てない。右サイドに走り込んだ鈴木に送りそこから送られたクロスに永井が飛び込むが GK Ibrahim Alma がしっかりとキャッチ。そのままゴールラインを踏んだかもしれないけど…. 今度は Alma がボールをタッチラインの外に出して倒れて立ち上がらない。 まだ時間はあるかな…..と思うもようやく試合が再開され、入れたスローインはシリア人選手に奪われそのまま大きく前に蹴りだされ、シンガポール人の Abdul Bashir 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。   あと少しだったのになぁ…..手痛い、失点そして敗戦となってしまった….



11月の国立で劇的な勝利を収めロンドン五輪に向けて一歩前進した日本五輪代表チームはこの予選最大の山場となる“アウェー”のシリア戦に臨んだ。 政情不安のシリアでは試合が出来ないのでシリアのホームゲームは全て隣国ヨルダンで行われる。
大一番と云っても東京で勝利を収めているので勝たねばならないのはシリアの方で、日本は引き分けでもロンドンへ大きく近づく事が出来たのだった。
11月のバーレーン戦、シリア戦で活躍した大津が招集できない。欧州組と云うよりもシーズン中の選手を呼べない事の方が厳しくは無かったか…しかも試合直前に清武が怪我で離脱。 この大事な一戦を前に…思えばこの時点で災難は始まっていたのだろう。勝たねばならないシリアは11月の日本戦のスタメンからメンバーを2人替えた。CB を Mohammed Dass からAbdu Al Nasek Hasan に。そして交替で出場した Mardek Mardkian が Nassouh Nakkdahli に替ってスタメン起用された。 11月の日本戦で途中から入ったMardkian はなかなか良い動きを見せていたので要注意だった。だけどあの時は FK 得意のMohammed Fares と交替で投入されてたので Fares と交替で下がった事の方を喜んだ。
日本はこの日は永井がワントップに入ってスタメン。大迫がベンチスタート。山口蛍と組んだもう一人のボランチは扇原ではなくて山村。 大津に替って山崎が2列目左でスタメン起用された。 大迫はいつ投入されるのだろう…とキックオフの前に思った。



さすがに中立開催地。観客は少ない。熱心な日本からのサポーターと在留邦人は何人くらい来ていたのだろう….
そしてこちらも在留だろう。シリア人も100人くらいいたのかなぁ….大きな声でそして Asaad 大統領の顔写真の入ったシリア国旗を打ち振る人達も….わざわざシリアから応援に….とは考えにくいなぁ…

観客が少ないとかえって試合への集中に時間が掛かるらしい…とこの日のNHKの解説をした宮本元代表主将は話していた。
コイントスで勝った日本は太陽の角度を考えたらしくコートの方を選択した。 そしてシリアのキックオフで始まった試合は立ち上がりから“ホーム”のシリアが早くそして強い当たりで前に出て来る。勝たねばならないのはシリアの方だからそれは当然だった。
開始56秒最も警戒するべくエース Omar Al Suma から Mohamad Al Mawasにスルーパスが入る。比嘉が追掛けるがその前に Al Mawas が転倒しPKが与えられるのではと案じられたが、ここは Al Mawas が足をとられたとの事でホイッスルは鳴らない。
4分6秒には相手ゴールキックを酒井がヘッドで落とすがこれがシリアの Mardkina の前に転がりそのまま拾われシュート体勢に入られる。酒井が後方から追掛けシュートに入る前に Mardkina は転倒するがここもノーホイッスル。酒井のプッシングを取られても…と云うシーンだった。 シリアは12分50秒にも Al Suma が浮球を上手くコントロールしてシュートを放つなど序盤ピッチコンディションとなかなか試合に“入れない”日本イレブンを圧倒するかのような積極性が目立った。
そして14分26秒。スローインを受けた鈴木が前線の山崎にロングフィードを送ると山崎は Yasser Shahen と競り合って落ちた時に腕を傷めてそのまま立ち上がれない。 結局そのままベンチに下がりこの時点で早々と大迫の登場となった。

  

ちょっといやな事が続くなぁ…と思うと試合再開後に Al Suma が力強いドリブルで上がる。そこを山口と比嘉が挟み込むように倒してFKを与える。 距離はあるので直接は狙わないだろう。 Al Suma, Mardokian らのマークは…と思っていると Mohammed Fares が蹴ったFKはそのまま日本ゴールに入ってしまった。 クリアー仕様とした大迫の頭にかすって僅かにコースが変わり、悪いゴール前のピッチで変に弾んでGK権田が抑えきれなかった。
スタンドからが“スゥリアァ ! スゥリアァ ! “ とシリア人達からの歓声が飛ぶ。 不運と云えば不運だけど、開始からシリアの2列目は高い位置を取り中盤でも日本はなかなかボールがおさまらず試合に入りきれない日本イレブン達の隙を突かれた様な失点だった。
失点で目が覚めたか日本選手達も動きが早くなって来た。そしてなかなか上がれなかった東が前に出てこられる様になった。それは相対する MF Fares と SB Mohammed Zbida が出てこなくなったからだ。 そして酒井も前に出て来るようになった。
それでもシリアは Zakairia Al Omari, Solaiman と云ったボランチが攻守に良く動き中盤でのパス交換に絡み日本のマークを外して来る。また日本がシーズンオフと云う事もあって一歩の出だしがシリアの方が早い。 酒井や東が上がった後ろのスペースにボールを入れて来るようにも思えた。
31分には Al Suma と Mardkian の2人で一気に日本ゴールに迫る。 39分にはカウンターから左サイドに流れた Mardkian に
ボールが入りいれたクロスに Al Suma がオーバーヘッドで狙うがここはGK権田の正面に。 シリアのFW  Mardkian と Al Suma の2人でやられ過ぎだなぁ…と思う。
特に Al Suma 止めるのにマークが2,3人は必要だ。 この試合の後に行われた Kuwait Permiershipではゴールを決めて所属先の Al Qadsia に勝利をもたらしている。

劣勢の日本は41分にようやく永井から右サイドに上がった山村にフォードが入りヘッドで中に折り返したところを大迫が CB Al Salih を背負いながらシュートを放つがポストの右に外れて行った。この試合初めて見せた攻撃だった。
まぁこれ以上失点してくれなければいいか….と思った45分中盤でボールを受けた大迫が前線に走り込んだ永井にスルーパスを送るとフルスピードで走り込んだ永井が CB Abd Al Naser Hassan のマークを振り切り逆サイドを狙ったシュートがそのままシリアゴールに決まりロスタイムに入って同点ゴールを決まった。 大迫の見事なスルーパスそして永井の走り込みであったが、それよりも同点にした時間帯が最高であった。 
そして前半は 1-1のまま終える事ができた。内容はともかく、日本にとってはこの時点で最高の前半だった。だけど同点にしてから1度ピンチも迎えた…



日本のキックオフで始まった後半も立ち上がりは49分にカウンター攻撃から大迫、永井と繋いでシリアゴールに迫った以外はシリアが攻勢に出る。 51分には Solaiman から Al Mawas にパスが繋がり比嘉がかわされシュートに持ち込まれるが山口がクリアー。そしてそこには Mardkian が詰めていた。その直後のCKも一旦はクリアーするがスルーパスを通され Al Suma にシュートを撃たれるがGK権田がストップ。60分にはPAのすぐ外しかも正面で濱田が Al Suma に入れたチャージがファールに取られてFKを与えてしまう。 シリア選手達が日本ゴールに迫る度にスゥリアァ、スゥリアァと歓声を送っていたシリア人達の歓声がひときわ高くなる。彼らの家族は無事なのだろうか…
この危ない位置からのMohammed Fares のFKは日本選手の壁に当たり事無きを得た。 
69分久々 CK のチャンスを得た日本はファーサイドに鈴木がヘディングで狙うが叩きつけたヘッドはやや弾み過ぎて惜しくもポストの左に外れて行く。 55分過ぎから日本もボールが回る様になったがなかなかラストパスが通らない。こういう時はセットプレーで…と期待はするのだけど…
72分。勝たねばならないシリアは FW Mardkian を下げて 11月の日本戦ではスタメンだったNassouh Nakkdahli を投入すると75分に日本ベンチはボランチの山村に替えて扇原を投入した。 これで日本にボールのおさまりどころができた様で次第にペースを掴み出す。78分には山田から永井にスルーパスが通るがここは Yasser Shahen がクリアー。80分には扇原からパスを受けた山口が中央の山田にボールを送る。壁パスの様に山田が右に走り込んだ大迫に送り大迫はファーサイドを狙ってシュートを放つが惜しくもゴールポストの僅かに左に外れて行った。 これで決まれば大きくロンドン五輪に近づいたのだけど….
82分には永井がドリブルシュートを見せるが惜しくもクロスバーを越える。 それでも終盤になって日本のペースとなり、得点は入らなくても良いからこのままシリアを抑えてくれれば。勝点1が入れば予選突破が大きく開けてくる…そう思いだした…..

ショックの残る負け方だった。これでシリアが蘇生してしまった。
前回、北京五輪でも確か4試合目はアウェーのカタール戦で終了直前にPKを与えて敗戦を喫した。しかし続くベトナム戦では 4-0 で快勝を収め最終戦のサウジアラビア戦を引き分けて五輪出場を決めた。
幸いなことにシリアが次に対戦するバーレーンはマレーシアを破り勝点6となった。これでバーレーンのモチベーションが上がる中、次節はホームにシリアを迎える事となる。 
またこの試合には敗れたがシリアとの直接対決は1勝1敗得点、失点が3ずつなので当該同士以外の対戦成績が結果を左右する事になった。 こうなると次のマレーシア戦はアウェーとはいえシリアがアウェーのマレーシア戦での戦績 2-0 以上の勝利が要求される。 山田が怪我で離脱の報道が入って来た。 欧州組は招集できるのだろうか….清武は起用できるのか….

心配は尽きないが結果を出してくれる事を願う。でもマレーシアは昔はと良かったんだよなぁ….( また云ってしまった。)

だけどシリア国内の情勢はどうなるのだろう?国連の制裁決議案は中国、ロシアが拒否権を発動し、英国をはじめ西側の報道は連日政府軍の砲撃で何人の死者が出た...と報じられている。こういう国だからこそ五輪出場は必要なのだろう...だけでプレーオフで勝ってくれよ。






そして私はシリア戦の翌々日39度の熱が出た。1日で回復し、医者にはインフルエンザではなく風邪と診断された。

あぁ良かった

五輪予選後半戦開幕を前に Olyroos の正念場 2

2012-02-02 | 五輪 U-20, U-17
Olyroos 地元選手達を頼りに 11th November

Aurelio Vidmar はオーストラリアがロンドン五輪予選を突破出来るかどうはは地元選手達の才能に委ね場ならなくなった。 Olyroos の監督は来るイラク戦、ウズベキスタン戦に臨む19人のメンバーを発表した。
これら試合は FIFA Match Day には行われない為に欧州組の召集は出来なかった。
Central Coast MarinersのGK Matthew Ryan そしてBrad McDonald がこの予選で初めて招集されGold Coast United のDylan McGowan, Sydney FC のMF Dimitrios Petratos そしてPerth Glory のAdam Taggart らU-20 Young Socceroos のメンバーも選ばれた。 “ 私は選手達はやってくれると自信がある。“と Vidmar 監督は語った。


Olyroos イラク経由でロンドン行きの旅に.. 22nd November

Olyroos は今日ドーハでイラクと相対した時に良く年のロンドン五輪予選突破の最大のテストに相対するであろう。
9月にアデレードで行われた五輪予選の初戦、UAE 戦を引き分けたオーストラリアはもう躓くわけにはいかない。
FIFA ランクで 113位であったUAEは同じグループ内では最も戦いやすい相手と考えられて来た。イラクは初戦のウズベキスタン戦で 0-2 で敗れた。そしてウズベキスタンは UAE と対戦しその翌日 Parramatta Stadium で行われるオーストラリア戦の為にシドニーに飛び立つ。
選手達は11月15日火曜日に到着し、私は Socceroos のワールドカップ予選の試合を終えて16日水曜日の朝に到着した。だからここでは本当に良い練習が出来た。全選手が素晴らしいスピリットを持っており準備は出来ている。日中の気候は本当に高く恐らく33~34度はあるのではないか。しかし午後4時半ごろから気温は下がってくるのでキックオフ時の午後5時15分には完璧な気温になっているだろう。
ここで勝利を得られれば本当に素晴らしい事になるが最初の10分から15分で勝負は付けられない事は解っている。試合の入り方そして出来るだけ長い時間主導権を握れる様にスマートでなければならない。我々はイラク対ウズベキスタン戦を見た。その試合では確かにファンタスティックな戦闘能力をイラクは持っていた。彼らは終始ウズベキスタンにプレッシャーを与え続け、0-2 で敗れはしたが試合を支配続けようとした。彼らはその時持っているもの全てを見せたと思う。
今回も A-League のみの選抜メンバーであるが各チームの中心となる選手が招集された。
Brisbane Roar の Mitch Nichols, Matt Jurman 。Melbourne Heart の Mate Dugandzic 。Central Coast の Oliver Bozanic , Matt Ryan 。Sydney FC のDimi Petratos, Sebastian Ryall そして Rhyan Grant らがチームに招集された。
しかし今回も欧州組は招集出来なかったが“私は招集された選手達も可能性を秘めた集団であると信じている。”
この様に Vidmar 監督は語っている。

イラク GK Olyroos のロンドン行きの夢を挫く  23rd November

オーストラリアチームは22日のイラク戦で引分けロンドン五輪予選突破に向けて更なる困難に直面した。
9月に UAE と引き分けた Olyroos は再び相手GK Jalal Hassan の連発する好セーブにより再び勝点を分け合わねばならなかった。
Hassan はオーストラリアの創った4度のチャンスを全て防ぎ、初戦ウズベキスタン戦を 0-2 で落とした後に勝点1を上げる事となった。
オーストラリアは中盤から攻撃をよく構築し前線の選手を押し上げた。そして数秒の間に2度の決定機を掴んだ。
39分James Brown がドリブル突破で上がり相手DFをかわし約6ヤード前からの至近距離からフリーで放ったショットは GK Hassan に阻まれ、そのリバウンドをそのまま Brown がシュートに持ち込んだが再び Hassan が信じられない反応のファインセーブを披露した。
その後もオーストラリアは攻勢を続け1分後に Sebastian Ryall が放ったヘッドは Hassan が掴んだ。
イラクは何とかオーストラリアを窮地に追い込もうとしたが後半もまた Hassan の手に頼らねばならなかった。
57分にはMarko Jessic のショットを弾きだしその後も何度か自陣PA内に侵入を許すも最後の砦となりウズベキスタン戦に続く連敗を阻止した。 オーストラリアの次の相手ホームで行われる27日のウズベキスタン戦で UAE はイラクと対戦する。



ノーゴール、未勝利 。ウズベキスタン戦での結果無しにOlyroos には希望が無い 25th November

風の吹く夜、空席のスタンド。中立の開催地。ドーハでオーストラリアとイラクの間で行われたロンドン五輪予選は感興をそそらない22日に行われた単調な試合に終わった。アジア地区最終予選2試合を終えて Olyroos は動揺を隠せない。27日にシドニー Parramatta Stadium で行われる試合の結果でそれは明らかになるだろう。2試合を終わってノーゴール。
“しかし我々はまだ負けたわけではない。我々の事をまだ駄目だと見るべきではない。”指揮官はこの様に語る。 
オーストラリアのオリンピックにおけるサッカーの戦績はここ20年で急速に顕著になっている。
1956年メルボルン五輪では1回戦で日本を 2-0 で破り2回戦ではインドに 2-4 で敗れた。
以降エントリーそのものをしなかったらしく次に五輪に出場したのは1988年のソウル五輪。ここでは1次リーグでブラジルに敗れたもののストイコビッチらを擁したユーゴを Frank Farina のゴールで勝利を収め準々決勝進出を決めた。 年齢制限が制定されたバルセロナ五輪では現 Adelaide United の監督である Kosmina らの活躍で準決勝にまで進出し、それが五輪での最高の結果となっており以降全ての大会で出場を果たしている。
そして最近の五輪では Ronaldinho ( Sydney, 北京 ) や Lionel Messi ( 北京 )ら世界の列強のスーパースター達もプレーするようになり容易に上位に進出出来なくなって来た。
Vidmar は Al Arabi Stadium での引き分けを悔やんだ。 イラクの GK Jalal Hassan が立ちはだかった。
James Brown や Sebastian Ryall らのフラストレーションが高まった。
“機会を逸してしまった。もし勝てていれば全てが上手くいった。しかし出来なかった。それが残念だ。だけどまだ終わった訳ではない。日曜日のウズベキスタン戦後にはより良い状況になっているかもしれない。
私はまだそれらを信じている“
その他はあまり確実ではない。 オーストラリアの発展プログラムに於いて若い才能ある選手達が輩出されているがこの世代はそのコンベアーの“ブラックホール”と云われている。普通 U-23 代表チームからは何人もの選手が代表チームの選手も兼ねるのであるがドーハでのイラク戦から帰国した18人の中では Brisbane Roar のMF Mitch Nichols とAdelaide United のDF Daniel Mullen の2人だけである。
同じ週に Socceroos の Holger Osieck 監督は2月に行われるサウジアラビア戦に就いて次世代の選手達に“冷や水”を浴びせた。 既にワールドカップ予選では次のラウンド進出が決まっておりサウジアラビア戦は消化試合となるが“私は常に才能ある若い選手達に代表への扉は開けている。しかし代表は常に最高の布陣で無ければならない。私は今若手育成には気を付けて従事している。何故ならそれは選手達にとっての教育課程となるからだ。そしてもしあまりに早くそれを進めてしまうと後で良くない結果を招く。”と語ったのだ。
Osiek 監督と新しい代表候補を見つける為に頻繁に連携している Han Berger 技術部長は、“正直言って 2010年のワールドカップ終了後は我々は心配であった。しかし今は1年前ほどではない。 Olyroos の中にも多くの才能ある選手がいるが他の世代にも高い潜在能力を持った選手はいる。全ての世代に才能のある選手がいるがその成長過程は非常に興味がある。何故なら本当に誰が出て来るかは解らないからだ。”
Olyroos を今救えない問題は Vidmar 監督がMatthew Leckie, Brent McGrath, Tommy Oar そしてAaron Mooyと云った欧州組を招集できない事でそれが得点力不足にも繋がっている。ならば U-20 で顕著な活躍をしている Bernie Ibini-Isei, Mustafa Amini そしてTerry Antonis ら技術の高い選手達を起用する事は考えられないか?
Berger は解っている。“もし我々が予選突破できなければそれはその世代の選手強化には絶対に否定的な効果しかもたらさない。五輪に様な大会は普通の大会よりも2段階も3段階も上のレベルの大会である。 この様な大きな大会に出場する事は選手達にとって偉大な教育の場となり、本当に開眼出来る。それが予選通過の価値である。” と語った。



政情不安定の為にイラク国内でホームゲームが開催できないイラクではあるがこのグループでは最難関と考えられていた。ドーハで開催されたアウェーのイラク戦で引分けられた事は本来想定内のはずと思った。
しかし初戦ホームの UAE 戦を引き分け勝利が必要だったと思う。そして初戦のウズベキスタン戦を落としたイラクの方こそオーストラリア以上に勝利が必要だっただろう。 
北京五輪予選でも両国は同じグループとなりこの時の直接対決ではオーストラリアが1勝1分け ( ホーム 2-0 アウェー 0-0 ) でこの直接対決の結果が大きく寄与して、勝点1差でオーストラリアが五輪出場を決めた。
黒星スタートのイラクはスタメンを5人入れ替えてオーストラリア戦に臨んだ。そして Olyroos は3人の選手を替えた。
GKを Central Coast Mariners の Mathew Ryan 。MFに Dugandzic Mate ( Melbourne Hearts ) FW に Petratos Dimitrios ( Sydney FC ) をスタメン起用した。
それでもゴールは遠かった。 そして勝点も1止まりだった。実際に試合は見ていないけど報道からオーストラリアが優勢に進めていたらしい。 それだけに Vidmar 監督はこの試合で勝点3を確実に挙げたかっただろう。 初戦のUAEにさえ勝っていればこの引分けは Olyroos にとって貴重な勝点1になっていたに違いない。



  

Parramatta Stadium でウズベキスタンに 0-0 の引分け Olyroos の五輪予選突破に危機 28th November

ゴールへの枯渇が延長され Olyroos のロンドンへの道のりが急勾配に差し掛かってしまった。
3試合連続のスコアーレスドロー。今回は首位を行くウズベキスタン相手にホームの Parramatta Stadium で。この引分けにより中間点にさしかかりオーストラリアはまだ予選突破に向け厳しい戦いを強いられている。 Olyroos はこれで4時間半の間得点が生まれていない事になる。そして首位ウズベキスタンに勝点2差を付けられたまま Olyroos は2月のアウェー2連戦に臨まねばならなくなった。
“恐らく我々はフォーメーションの練習を止めてシュート練習に集中せねばならないだろう。 攻撃面であと少しの改善が足らなかったと思われる。 我々は何度もPAの付近まで押し寄せたが壁パスが長すぎたりスルーパスが走り込んだ選手の前に行く代わりに選手の背中にあたったりした。我々は小さな事でがっかりさせられた。
Vidmar はGK Matt Ryan in goal, 前線でのDimitri Petratos の動き、そしてman-of-the-match 級の活躍をした Matthew Jurman の守備をそれぞれ称賛した。 
前半はウズベキスタンが攻勢に出てオーストラリアDF陣を翻弄し Musaev Fozil 主将が2度中盤からミドルを放った。
1度は GK Matt Ryan がセーブ。もう1度は CB Matthew Jurman がクリアーをした。
Mitch Nicholas のシュートを GK KUVVATOV SANJARが掴めずこぼれ球に詰めたPetratos のショットはゴールネットに突き刺さったがこれは明らかにオフサイドであった。 Nicholas はその直後も左足からシュートを繰り出したがこれはクロスバーを大きく外れた。 Olyroo はボール支配率、地域占有率は高かったがラストパスが繋がらなかったり試合を決めるに必要な充分なチャンスが創れず、勝ちたくてたまらなかった試合を勝てなかった。 そして予選突破を確実にするチャンスを逃してしまった。 



ウズベキスタンは前節のUAE戦のスタメンからメンバーを3人替えた。Olyroos はAdelaide United のDF Daniel Mullen が初めて最終予選登場となった。
ウズベキスタンは最も難しいと考えられていたアウェーのオーストラリア戦を引き分けられて貴重な勝点1を得た。
更に同日数時間後に Al Ahin で行われた UAE 対 イラクの試合でイラクが勝った事により残り3試合中2試合のホームゲームを残すウズベキスタンが圧倒的に有利になった。 そしてウズベキスタンを勝点1差で追う2位のイラクもドーハでの“ホームゲーム”を2試合残している。いよいよ Olyroos は厳しくなって来た。

しかし次のアウェーのウズベキスタン戦で勝てば状況は一気に改善される。その為にはゴールを挙げねばならない。
Kerem Bulut の初召集がゴールにそして勝利に結びつくだろうか。

私も他国の事を案じている場合では無い。今回は日本も欧州組と言うよりも11月のバーレーン、シリアの2連戦で活躍した大津を召集出来ない。次の試合は最難関とも言えるアウェーのシリア戦だ。試合はヨルダンで行われるけど。
それでも日本には J-League がある。そして永井、原口、清武らがいる。 楽観はしていないけど状況はオーストラリアよりも良い。シリア戦で引き分ければその次はアウェー戦とは言えマレーシア戦だ。 まずシリア戦でしっかり結果を出して…..と思うのだ。

でも何とかしてウズベキスタン対オーストラリアが見られないかなぁ…..

五輪予選後半戦開幕を前に Olyroos の正念場 1

2012-02-01 | 五輪 U-20, U-17
いよいよ来週からロンドン五輪アジア地区最終予選の後半戦が始まる。
12カ国を3組に分けたアジア地区予選は北京五輪に出場した日本、韓国がそれぞれ首位を行くがオーストラリアは3戦3分けでグループ3位となっている。まだ3試合を残しているが日本同様これからアウェーの2連戦に臨む Olyroos は今や崖っぷちとまでは行かないがもうすぐそこに崖が見えているという立場だろう。


Vidmr 監督 U-23 代表チームを発表

オーストラリア五輪代表 Olyroos の Aurelio Vidmar 監督は2月5日のロンドン五輪アジア地区予選のウズベキスタン戦、22日のUAE 戦に臨む20人の選手を発表した。その中にはAdelaide United のDF Antony Golec そしてMelbourne Victory のMF Isaka Cernak らがこの五輪予選で初めて選出され、ハムストリングの負傷で五輪予選には招集されなかったBrisbane Roar のMF Visconte がその負傷から完治し初選出された。
しかし Sydney FC のMF Terry Antonis は最終的なメディカルチェックにパスせずバックアップメンバーの Central Coast Mariners の Mustafa Amini がチームに入った。
更に特筆すべきは2010年 AFC-19 準優勝の立役者で昨年の FIFA U-20 にも出場したチェコ共和国 FK Mlada Bolesav でプレーする Kerem Bulut が選出された。
他の海外組に就いては Aaron Mooy ( St Mirren ), Tommy Oar ( FC Utrecht ) そして Matthew Leckie (Borussia Monchengladbach ) らのチーム合流は所属チーム先と協議中であるが5日のウズベキスタン戦の合流は厳しく、せいぜい22日の UAE 戦からの合流になるのでは無いかと考えられる。
殆どの選手達は1月29日にキャンプ地の UAE に出発し2月5日現地時間午後8時に JAR Stadium で行われるウズベキスタン戦に臨み、その後再び UAE に戻り22日現地時間午後5時半に Mohammed Bin Zayed Stadium で開催される UAE 戦に臨む。
そして2月16日 にドバイの Zabeel Stadium でフィリピン代表チームを招いて練習試合を行う。
今回選出された五輪代表チームのメンバーは下記の通り。

Qantas Australian Under 23s squad
GK Mark Birighitti ( Adelaide United ) Mathew Ryan ( Central Coast Mariners )

Aziz Behich ( Melbourne Heart ) Oliver Bozanic ( Central Coast Mariners ) Kerem Bulut ( FK Mlada Bolesav, Czech Republic ) Isaka Cernak ( Melbourne Victory ) Mate Dugandzic ( Melbourne Heart ) Diogo Ferreira ( Melbourne Victory ) Matthew Foschini ( Melbourne Victory ) Antony Golec ( Adelaide United ) Jason Hoffman ( Melbourne Heart ) Matthew Jurman ( Brisbane Roar ) Ben Kantarovski ( Newcastle Jets ) Daniel Mullen ( Adelaide United ) Mitch Nichols ( Brisbane Roar) Dimitrios Petratos (Sydney FC ) Sebastian Ryall ( Sydney FC ) Adam Taggart ( Perth Glory ) Rocco Visconte ( Brisbane Roar ) Mustafa Amini ( Central Coast Mariners )

Stand-by Players Bernie Ibini ( Central Coast Mariners )

アウェー2連戦を前に日本同様欧州組を招集出来ない Olyroos は20人中19人が A-League 所属の選手となった。
現在シーズン中の A-League の首位を走る Central Coast Mariners から選出されたのが3人だが他に Adelaide United, Melbourne Hearts, Melbourne Victory, Brisbane Roar から3人ずつ選出されている。最下位に低迷しているGold Coast United
からは誰も選出されなかった。
11月27日に Parramatta で行われたウズベキスタン戦のスタメンの中から MF のJames Brown 以外の全てのスタメン選手が召集された。 11月22日、アウェーのイラク戦にスタメン出場し途中で怪我でベンチに下がり次のウズベキスタン戦にはベンチ入りしなかったAziz Behich も召集された。 Aziz Behich, Antony Golec, Isaka Cernak , Rocco Visconte, Sebastine Ryan, Mate DugandzicそしてKerem Bulut ら7人が前節ウズベキスタン戦ではベンチ入りしなかった選手達。



不発を続ける Olyroos その任務を Bulut に賭ける。

翌月行われる“生きるか死ぬか”のウズベキスタン戦に、 UAE 戦を前にオーストラリアのロンドン五輪予選突破の希望は若い Kerem Bulut のチームの得点力問題を解決させるというダイスを転がす事に委ねられた。
Olyroos は最終予選3試合を終えて全て無得点引き分けとなっている。
現役時代は代表チームの為にゴールを量産した Vidomar は自分のチームがゴールに枯渇している事を終わらせねばならないと言う事をよく解っている。
“確かにイラク戦もウズベキスタン戦も相手陣内の良い位置に何度も侵入し多くの決定機を創ったがゴールを決める事は出来なかった。 出来れば我々はそのチャンスを後の試合の為に取っておきたかった。なぜならチャンスはそんなに創れないからだ。このグループの試合も僅かなゴールによって勝敗が決まっている。そして引分け試合が多い。”

恐らく我々は最初のウズベキスタン戦の前には攻撃陣の為の準備をする時間が多くは無いだろう。しかし次のUAE戦の前には第三の前線の構築の為の時間を費やせるだろう。
19歳の Bulut の召集は最大のサプライズであろうが、その才能のあるストライカーは所属するチェコのクラブ FK Mlada Boleslavでの出場機会を得る為に自身の我儘さを後ろに置いて来たのだろう。それがこのレベルでのデビューのチャンスに結びつけた。
彼は自分のハートを袖に付けてプレーする選手だ。そして大変良いプレーをする選手だ。彼はこの3週間実戦でプレーをしていないのでまずは彼の状態を見なければならないだろう。彼はゲームのキーとなり得る選手であろう。そして彼はゴールゲッターだ。 彼はU-20 のレベルではきわめてすぐれたプレーをした。そして所属先のクラブでもよくやっている。 次の2試合はまさに生きるか死ぬかの試合で、大変タフな試合となるだろう。ウズベキスタンとのアウェーゲームは決してイージーではないが私はまだこのグループを勝ち抜けると思っている。“

Olyroos の得点力不足を解消すべく Kerem Bulut がついに召集された。2010年中国で開催された AFC U-19 では決勝戦の北朝鮮戦で2ゴール(北朝鮮はジョン=イルガンの3ゴールで優勝を果たした。) 準決勝のサウジアラビア戦でも2ゴール。準々決勝戦の UAE戦でも先制ゴール。 1次リーグでも3試合で2ゴールを挙げ大会得点王に輝いた。翌年コロンビアで開催された FIFA U-20 ではチームは1次リーグで敗退したがスペイン戦で1ゴールを決めた。
翌年カタールで開催されたAsian Cup のメンバー入りも噂されたが選出はされなかった。 
Bulut の FK Mlada Boleslav 入りは前に所属していた Sydney FC のVítězslav Lavička 監督氏の推薦らしい。 
いよいよというかようやく召集出来た Bulut は Olyroos の救世主となるだろうか…..




Vidmar Olyroos との板挟みに従事

ロンドン五輪予選を突破する事がオーストラリアでどれだけ重要なのであろう?
Aurelio Vidmar 五輪チーム監督は疑う余地も無い。シーズン中に貴重な選手達を数人長期に渡って失う事となる A-League の監督達はそうでもない。確かな事は結果次第で誰がこの議論の勝者であるかを決めると言う事だ。
そして9月21日のアデレードで UAE 戦を皮切りに始まるアジア地区五輪予選B組は Vidmae のコーチ歴にとって大きな挑戦となる。彼は楽観的だ。
“ここには良いスピリッツがある、選手達は大変素晴らしく仕上がっており、私が最も好む事は選手達は本当によく纏まった良い集団であると言う事だ。重要な事は良いスタートを切る為にこのホームゲームで白星を飾る事だ。”
何にものA 代表メンバーを含む UAE 戦を軽く見られないと言う事は当然である。対照的に Vidmar のチームは18人のメンバーの中でA 代表経験はたったの1人だけである。その代わりに彼は殆どを A-League でプレーする選手達を選出した。何故なら試合日は FIFA が定めた代表Aマッチデ―に行われないからだ。
Vidmar の任務の為には、彼は“絶対に”5-6人の欧州でプレーする選手達、Brent McGrath, Aaron Mooy そして Matthew Leckie らが必要だった。
しかし地元の選手達を起用するにしても全てが丸くは収まらない。 A-League のコーチ達と、ウズベキスタンやイラクの様なチームが入ったグループを勝ち抜く為に Vidmar 監督の“外交手腕”が問われる、
特に五輪チームの中心選手である Sebastian Ryall (Sydney FC), Marko Jesic ( Jets), Mitch Nichols, Matthew Jurman (Brisbane Roar), Oliver Bozanic (Mariners), Aziz Behich ( Melbourne Heart ), Matthew Foschini ( Melbourne Victory) そして Daniel Mullen ( Adelaide United ) らは今シーズン、所属チームのレギュラー選手となるであろう。
私もかつてはあちらの側に( 元 Adelaide United のコーチ )にいた。だから皆をハッピーにするのは難しい事だと理解している。 しかし所属クラブにもコーチ達にもメッセージはクリアーにしている。一旦選手が代表チームに選抜されれば、彼は代表に必要な選手だ。 それは明らかでシンプルである。私は全てのコーチ達に話をしているそしてこれまで彼らはずっと協力的である。 選手達はおよそ8試合はリーグ戦から離脱せねばならない。これはチームにとっては明らかに理想的な事ではない。だが FIFA の Non-Match Day に行われる予選ではこれ以上出来る事は無い。
Vidmar の最も要を得た問題は21日に行われる Hindmarsh Stadium で行われる試合で勝点3を得る事だ。その監督は自分のチームは“どの方策も選択できる”と云う事を異にして安定していると言っている。

Olyroo のむらのある開幕戦

オーストラリアは初めてアジア予選を勝ち抜いて北京五輪出場権を得た。しかしロンドン五輪最終予選の開幕戦で UAE と引き分けた事実によりその任務は少し難しいものであると言う事に気付いただろう。
Aurelio Vidmae 監督は全試合FIFA non-Match day に組まれた予選を戦わねばならない。 彼は昨日の UAE戦を欧州でプレーする選手を1人も招集できずに戦わねばならず、続くウズベキスタン戦、イラク戦もAaron Mooy ( St Mirren ), Tommy Oar ( FC Utrecht ) Kerem Bulent ( FK Mlada Bolesav ) , Matthew Leckie (Borussia Monchengladbach ) そしてRyan McGowan (Partick Thistle F.C )ら欧州組を使える目途が立っていない。
UAE 戦に出場した選手達は U-22 レベルでも first choice の選手たちでは無かったが彼らは良く戦った。
そして前半は UAE が主導権を握ったがオーストラリアは後半、効果的に試合を支配した。
UAE の最初のチャンスは前半終了間際に Olyroo の Oliver Bozanic がボールを Ali Mabkhout に奪われ前線へ突破を許し GK の Andrew Readmayne と1対1にされた時であった。Mabkhout のショットを放つ前に必死に戻った Bozanic がタックルに入り先制ゴールは阻まれた。



Olyroo 達は線審に感謝せねばならなかっただろう。 開始早々に Ahmed Khalil のシュートがゴールネットを揺らしたが線審はフラッグを上げた。 そして以降 Khalil は脅威を見せ続けた。
Olyroo 達はその前にもピンチを迎えていた。 Mabkhout が放ったシュートは DF Matt Jurman がゴールに入りクリアーした。
オーストラリアも一方的に攻められてはいなかった。セットプレーからベストチャンスを掴んだ。20分にCKから CHF の Jurman が放ったヘッドは惜しくも外れ、 素晴らしいビルドアップアからのBozanic のショットは横に外れた。
Amer Abdulrahmanはもう一人の UAE の中盤での中心選手でありオーストラリアの Bozanic と何度もバトルを展開した。 Amer は UAE 代表でもプレーをした経験があり( Ahmed Khali 同様に ) チームの動きの中心となっておりボールを持つと落ち着きと技術の高さを示していた。
オーストラリアも後半は次第にペースを握りだし60分少し前にチャンスを掴んだ。
Aziz Behich がUAE PA 内に侵入しラストパスを送る。そのボールは GK ASHOORI AHMED MAHMOUD MOHAMED JUMA を破ったが滑り込んだMitch Nicholos の脚には当たらずゴールを割れなかった。
その10分後、今度は Nichols が Marko Jesic のクロスからダイビングヘッドで狙ったが相手DFに当たりコーナーに。 
その後も UAE の Khalil, Australia の Hoffman が惜しいシュートを放ったがゴールネットには至らずスコアレスドローとなった。11月には中東に遠征しイラクと戦わねばならないオーストラリアの任務はとても容易には進みそうにない。




世界ランクでは113位の UAE はこのグループでは最も格下とみられていた。
各組の FIFA ランクは下記の通り。

オーストラリア20位    ウズベキスタン 67位   イラク 73位 UAE 113位
日本17位  バーレーン 95位   シリア 117位  マレーシア 148位
韓国 29位  サウジアラビア 87位 オマーン 90位   カタール 97位
                                ( 2011年9月発表時)
こうして見ると日本は組み分けに恵まれている様な気がする。
ただシリアの実際の実力は FIFA ランクよりは上だと思うのだけど….
世界ランクでは差があったが UAE は2010年アジア大会準優勝のメンバーが6人スタメンに並んだ。 GK Juma Ahmed Mahmoud はアジア大会では控えのGK。 FW Aljenaiby Ahmed , MF Al Musabi Theyab , Alhammadi Amer らがいた。
後半からは Olyroos が主導権を握ったらしいが、欧州組みと国内組の“格差”はオーストラリアの方がやはり顕著か。
しかしこの時点ではまだ Olyroos の前途はそれほど…でもなかったか。
  続く


強豪対決制して市立船橋9大会ぶり5度目の優勝  市立船橋 2-1 四日市中央工

2012-01-20 | 五輪 U-20, U-17
あと4分で試合は終わるはずだった。今度こそ,あと少し市立船橋の猛攻を凌いで四日市中央工の単独優勝…と感じ始めた人もいたのではないか…
86分から市船左SBの鈴木君がトップに残る時間が長くなる。87分、四中工の生川君がベンチに下がり川島君が投入される。出場停止の主将、国吉君に替って起用された生川君はベンチ前で泣いている。3年生の生川君、この試合を最後にスパイクを脱ぐらしい。最後の公式試合でスタメン出場出来て良かったなぁと思った。
88分11秒、右サイドに回った市船杉山君が入れたクロスの米塚君を越えてファーサイドに走り込んだ188cm長身の岩渕君がヘッドを撃つが1年生GK中村君が弾き出す。88分50秒には市船、途中出場の池辺君が左SB藤山君と縺れながら粘ってCKを得る。
そのCKはクリアーされるがこぼれ球を繋いだ市船はもう全員が四中工ゴール前に雪崩込む。そして2年生の渡辺君がドリブル突破を見せるが四中工DFで唯一3年生の西脇君が何とかCKに逃れる。
CKの度に市船応援団から沸き上がる“ゴール、ゴール、ゴ~ル、ゴール、ゴール、ゴ~ル、ゴール、ゴール、ゴ~ル、ゴォ~~ル !!”
のボルテージがもう悲鳴に近い。男女共学高校なので女子生徒の声が目立つ。 男子校出身の私はその度に、
“とめよ。GKとめろよ。決めさすなよ。”と呟く。



四中工ゴール前には市船の選手が8人、9人の四中工のフィールド選手とGKが犇めく。恐らく最後のプレーか、もうワンプレーあるかなぁ、と思った。
そして入れられたCKがゴール前に落ちる、その混戦の中から一瞬早くボールに触れたであろう和泉君の脚でそのボールを四中工ゴールに蹴り込みまさに起死回生の同点ゴールが生まれた。



狂喜乱舞する市船の選手達そしてベンチ。スタンドでは抱き合って泣いている部員も。3年生かなぁ….
そして四中工ベンチ付近で待機していた主将の国吉君の呆然とした表情が映し出された。あと少しだったのになぁ…



“大丈夫。まだある。あだあるぞ。まだあるから….” 画面の四中工選手達にこうつぶやいた。
そして再開されたキックオフ後、またも市船がCKのチャンスを掴む。91分58秒になっていた。ロスタイムは2分だったけどゴールシーンがあったのでもうワンプレーあるかな..と思った。 池辺君からのCKが和泉君に渡る。しかしここは西脇君がクリアー。
そして四中工ベンチはFW田村翔太君を下げる。あぁ大会6ゴールの彼を下げるのか…と思うと投入されたのは3年生の金平君。同点に追い付かれたのは残念だったけどそのおかげでベンチの3年生に出場機会が回って来たことに“3年生、良かったなぁ。”と呟いた。
92分58秒、渡辺君と杉山君のパス交換で市船は四中工ゴールに迫るがここは藤山君がコーナーに逃れる。“ゴール、ゴール…” の声援を受けて入れられたCKはクリアーされて48分25秒、木村主審の長い笛が鳴り響き勝敗は延長戦以降の委ねられることに。
四中工DF陣、必死に頑張ったなぁ~。でもあと少しやったのになぁ~…



6年前に滋賀県の野洲高校が優勝を果たしてから以降優勝校は全て初出場。しかし今大会は共に優勝経験のある高校の決勝戦となった。
四日市中央工を初めて見たのは38年前の昭和48年大会だった。 1回戦で当時強豪だった神戸高校と対戦して 1-2 とリードされていた。試合終了時間が近づきアナウンサーは神戸高校相手に四日市中央工はよく戦ったと彼らの“健闘”を称え出した。そして当時から指揮を執っていた城監督の“オフサイドも知らない選手を集めてチーム創りを始めた”という苦労話も話していた。小学生だった私もオフサイドの意味は知らなかった。
しかし試合終了直前に四日市中央工は同点に追い付き、“勝敗はPK戦に。”とアナウンサーは言った。
前年度まで同点で終わった時は“抽選”によって次のラウンドへの進出校を決めていた。だからPK戦とは何だろう?と思った。
そのPK戦で四日市中央工は神戸高校を降し、続く本郷高校(東京)もPK戦で制し準々決勝に進出。 秋田商を今度は 3-0 で降し準決勝に駒を進めた。そこでは準優勝した藤枝東高校に 0-2 で敗れたがこの躍進で高校サッカー界に名を知らしめることに。
翌年も選手権出場を決めたがここでは初戦で優勝した帝京高校にPK戦で敗れた。
次に選手権出場を果たしたのは3年後の昭和52年度大会。前年度の準決勝戦で激突した、帝京と浦和南が準決勝に残り決勝戦はその再現かと見る人が多かった。帝京は北陽を降し決勝進出を決めたが前年度の覇者で後に日産自動車、日本代表で中心選手となる水沼を擁する浦和南の前に立ちはだかったのが今の四中工監督の樋口士郎そして今年から横浜Fマリノスの指揮を執る樋口靖洋兄弟を擁する四日市中央工。2-1で勝利を収め戦後初めての大会3連覇の期待がかかった浦和南を抑えて決勝進出を果たした。
決勝戦では前年度でも中心選手だった早稲田、2年後のワールドユース代表メンバーとなる金子、名取、宮内らを擁する帝京に 0-5 で敗れたがこの時は準決勝で浦和南を破った事が印象的だった。
以降ベスト8が3回 ( 1978, 1986, 1988 年度 ) ベスト4が2回 ( 1983、1987年度 )を含め1985年度大会では後に古河電工、ジェフ、名古屋でプレーした阪倉を擁して決勝に進出するもGK真田を擁する清水商業に 0-2 で敗れまたも優勝を逃した。南宇和( 1988 ) 国見 ( 1986, 1987 ) 清水東 ( 1983 ) と強豪校との対戦に屈すると言う印象も持った。
しかし遂に1991年度には小倉隆史、中田一三そして中西永輔を擁し進出した決勝戦では終了直前に小倉の伝説のダイビングヘッドで同点に追い付き帝京高校と優勝を分け合った。



既に4度の優勝を果たしている市立船橋高校の初出場は1985年度。 
その数か月前の夏のインターハイ5000mで優勝し12月の全国高校駅伝1区で区間賞を取ったのが当時市立船橋高校2年生の仲村明。この頃大学生だった私は陸上競技選手でこちらの方で先に市船の存在を知り年末に行われた全国高校サッカーに出て来た市立船橋を見た時は“あぁここはサッカーも強いのか。”と言うのが印象。
初出場の時は2回戦で五戸(青森)に敗れたが以降連続出場を重ね1987年度には準決勝に進出し昭和の最後の大会となった1988年度は遂に決勝進出を果たした。決勝戦は清水商に 0-1 で敗れたがこの決勝戦はかなりハイレベルであり(そういう人は当時多かった。)五輪もワールドカップも遠かった日本代表にこの世代が入ってくると世界への挑戦権を得られるのではないか?と期待させられた。
参考までに上述した仲村明は後に順天堂大で箱根駅伝で優勝し、実業団に進んでからはバルセロナ五輪の3000mSCに出場した陸上選手としてだけでなく指導者となっても母校の順天堂大を箱根駅伝で優勝させる等誰もが羨む戦績を残している。
更に現早稲田大学競走部の渡辺監督も市立船橋出身。
市立船橋高校はサッカー部が平成に入り4度の選手権制覇を収めているが他のスポーツでも陸上をはじめ多くが全国クラス。だからせめてサッカーは四日市中央工に勝たせたいと思った。それに男子校に通っていた私はどうしても彼らに肩入れしてしまうのだった。
選手権では出場する度に上位に進出するのだが1993年度は我が郷土からやってきた高槻南が2回戦でPK勝ちを収めてくれた。
この時は本当に嬉しかった。 参考までに?愛する京都サンガでプレーする中村太亮、昨シーズンまでプレーていた加藤弘堅、そして柏に移籍した増嶋竜也は市船のOBだ。他にも多くのJリーガー達が四中工、市船の卒業生だ。

前日までの寒風は収まり快晴となった3連休最終日の1月9日。気温は8.8% 湿度35% の絶好のコンディション。公式観客数は43,884人だった。80年代には6万人入る事もあったが相変わらずすごい人気だ。
20年ぶりの優勝を狙う四日市中央工の不安は小倉隆史以降エースナンバーとなる17番を背負うボランチ国吉主将が累積警告で出場停止であること。準決勝の尚志高校戦でも攻守に渡って勝利に貢献していた。攻守のキーマンの穴はなかなか埋め難いと思った…..
スタメン注目の田村翔太君と浅野君を含めた11人中8人が1,2年生。DFラインはCB西脇君以外が1,2年。GK中村君は1年生。
一方の市立船橋は準決勝戦からスタメンを2人替えて来た。 池辺君に替えて杉山君が中盤の左に入り、菅野君が磐瀬君に替って2列目右に起用された。 フォーメーションは 4-3-2-1 。2007-08 のシーズンで UEFA Champions League で優勝したAC Milan を思い出す。試合中にどういうポジション取りをしてくるのだろう…と思うと現場で見て見たかったなぁとも思う。しかし寒いしなぁ…

両校校歌演奏に続いて市船のキックオフで始まった決勝戦はその直後に右SB川本君のロングフィードが寺本君に渡るり、粘った寺本君がCKを得る。 高木大樹君が入れたCKに西脇君が鈴木君と競りながら落としたところを田村翔太君がシュートを放つ。これはGK積田君がセーブするがこぼれ球に詰めた浅野君が市船ゴールに押し込み四中工に先制ゴールを齎した。これで浅野君は今大会7得点目で単独トップに。まだキックオフから1分も経過しない時間帯であった。



先制した四中工は出だし良くまたリズムよくボールを回す。 13分には川本君からパスを受けた寺尾君が市船DF2人をかわして中央の浅野君にボールを送るが2年生CB種岡君が何とかクリアー。立ち上がりは先制ゴールの様に右サイドをSBの川本君と2列目の寺本君で突破をはかるシーンが何度かあった。 そして相手DFの裏に2トップの田村翔太、浅野の両君が走り込み、また川本君(右)藤山君(左)の両SBも押し上げが早く、その度に2列目の寺尾君(右)と田村大樹君(左)が中を絞るのでこぼれ球もよく拾えていた。何といっても2トップのドリブルは非常に驚異また脅威であった。
先制ゴールを喫した市船は鈴木君(左)米塚君(右)の両SBが徐々に上がってくる様になりリズムを掴みかける。25分を過ぎると中盤でもボールが回るようになり四中工はなかなかシュートに持ち込めなくなるが市船エースの和泉君にはしっかりと生川君がマークに着く。国吉君が出場停止で出場機会が生川君に巡ってきたがこの試合が県大会から通じて初のスタメン出場だったらしい。
準決勝戦まで9得点中6得点がセットプレーからという市船はCK時に選手がかたまりCKが上がった瞬間に選手がポジションにさっと散る方策を取るがこれが見ていて面白い。しかしワントップ長身188cmの岩渕君にクロスが入っても1年生GK中村君が果敢に飛び出しゴールを許さない。30分を過ぎるとこの日スタメン起用された杉山君の立ち上がりはむしろ彼のポジションを狙われていた様に見えたがドリブルが目立ち始める。堅守速攻が持ち味の市船であるが四中工3年生の西脇君、生川君に統率されたDFライン、ボランチは失点を許さず樋口監督が“100点満点の出来”と称賛した前半が終わった。 

両チーム選手交代ないまま四中工のキックオフで始まった後半の最初のシュートは49分28秒市船米塚君のクロスを受けた菅野君のシュートだった。このシュートはクロスバーを越えたが前半30分頃から主導権を握り続ける市船の攻勢で後半も始まった。
2列目の和泉君と菅野君が左右にワイドに開きそのスペースに杉山君、松丸君そして渡辺君の3人が押し上げて来て数的優位を造り続ける。時折和泉君が下がって来てボールをキープしそこを起点に次の攻撃に転じる。
それでも四中工DFラインは西脇君を中心にしっかりと守り失点を防ぐ。
四中工は先制をしたが30分過ぎから2トップの田村翔太君と浅野君のドリブルだけが頼りになってくる。しかし市船の3列目の3人は戻りも早前線にボールがなかなか入らない。2年生CBの小出君も次第に浅野君のスピードに慣れて来たかタイトなマークで容易にボールを持たせない。



それでも61分13秒には川本君が中央やや左からゴール前に入れた所に田村翔太君が小出君と競りながら飛び込むがGK積田君がクリアー。その後も四中工は右サイドから攻勢に出て主導権を奪い返すかと思われた。 だが69分に市船ベンチは菅野君を下げて準決勝の大分戦でスタメン起用された池辺君を投入する。 72分には右からのクロスに岩渕君がヘッドで狙うがGK正面に。 その直後にも杉山君が中央をドリブル突破。生川君と西脇君を引きつけ右に流れた岩渕君に送ると藤山君がマークに入る前に放たれたショットはポストの左に僅かに外れた。70分を過ぎた頃から四中工はもう防戦一方となって来る。76分、岩渕君が西脇君と競り合いながら四中工に迫るがここはこの日5つ目の市船CKに。CKの度に市船応援団から“ゴール、ゴール…” の大声援が後押しをする。
78分米塚君のクロスが四中工DFに当たりCKに。そのCK から松村君がヘッドを撃つがポストの左に僅かに外れる。CKになると長身の岩渕君にマークが気を取られるがキッカーの杉山君も良いボールを入れて来る。四中工DF、1年生GK中村君は必死に市船の攻撃を跳ね返すがこぼれ球をその度に拾われてまた守勢にまわる。
84分21秒、市船の攻撃を防ぎ一転田村大樹君がドリブルでどんどん突破して最後は中央やや左からドリブルシュートを放つが弾道はGK積田君にまっすぐ収まる。 右サイドで田村翔太君が完全にフリーだった。こちらに出しておれば試合は終わっていたかもしれない…しかしあの場面ではピッチの声は聞こえないか….
その直後にまたも杉山君がドリブルシュートを放つがこれは1年生CB坂君がクリアー。 試合時間はあと5分を切った。何とか四中工逃げ切れないかなぁ~と思い始めた….

延長戦に入っても市船の勢いは止まらなかった。残っているスタミナを考えると長身の岩渕君のいる市船が有利だ。ロングボールを彼に放り込んで来る。開始早々ロングフィードが岩渕君に入り落としたところを池辺君が放ったショットはGK中村君がストップ。91分28秒には今度は岩渕君はドリブル突破を見せ杉山君のシュートを引き出すがここは西脇君がマークに入りコーナーに。そのCKから岩渕君が放ったシュートはDFがクリアーする。


 
延長戦に入っても劣勢続きの四中工だったが延長後半に浅野君が相手DFが一瞬重なりボールがこぼれた所を見逃さずこぼれ球をかっさらいドリブルシュートをやや右から放つがGK積田君が後ろに下がって弾きだす。 攻撃参加していたCB西脇君が大声を出して選手達を鼓舞する。さすが3年生だ。
猛攻がゴールに繋がらない市船ベンチは102分39秒に杉山君を下げて2年生の宇都宮君を投入した。杉山君のドリブルは冴えていたんだけど…この交替で恐らく渡辺君が左に回って来て宇都宮君が右に入ったのではないかな…
その直後に今度は四中工、金平君が浅野君にナイススルーを送るが小出君がクリアー。 3年生の金平君から2年生の浅野君にメッセージが込められたスルーパスか。そしてこの試合何度もマッチアップした小出君も2年生。これから何度か直接対決だあるだろう….てな事を考えていたら渡辺君が左サイドでクリアーボールを受け前線の中央やや左の宇都宮君へ。そこに川本君がマークに入るが右後方から左前に走り込んだ和泉君にスルーパスを通す。踵を返して川本君がマークに入るが追い付かず必死に戻った坂君がマークに付く前に放った和泉君のショットが四中工ゴールに突き刺さり遂に市立船橋がリードを奪った。
必死に守っていた四中工だったのだが…それにしてもここで決めるとはさすがエースだ、とも思った。



“まだある、あと5分。まだあるぞ….” テレビに向かって四中工イレブンに呟いた。
しかしリードを奪った市船はドリブルを使ってボールをキープする。 四中工は前線にロングボールを入れるしかない。109分29秒ロングフィードを金平君が受けるが市船DF陣に囲まれシュートが撃てない。 そして111分9秒、木村主審の試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。



今年の大会も様々なドラマがあったと思う。テレビでは何度も市船のメンバー入り出来なかったスタンドで応援を続けた3年生とメンバー入りした3年生との“絆”をクローズアップする。しかし全ての出場校にベンチ入り出来ない3年生がいる。 彼らを見る度に彼らこそもっとサッカーを続けて欲しいと願うのである。 多くの高校3年生がもう夏前に引退を決める。 レギュラーでない3年生なら尚更そうだ。それは何も悪い事でも非難される事でもない。 だがそういう3年生が応援に来ることもチームの総合力の表れだろう。
選手権に出られなかった高校生達の多くがこれからも競技を続けるだろうが彼らは選手権に出られなかった事がまたバネになるだろう。
今大会のポスターに採用された SC Schalke04 の内田(元清水東)は静岡県大会を勝ち抜けなかった。
私は息子に“インターハイなんかには出られなかったけど大学時代はここ(国立競技場)で全国大会に2度出たんだぞ。”と云ったら
“何度も聞いたよ。”と云われてしまった。そうだった。彼はもう高校生だ。小学生の時から云い続けていたんだよなぁ….

J-League が発足しクラブチームが充実し今や全国高校サッカー選手権大会はこの年代の最高の大会ではなくなったらしいがそれでも
“高校生”の大会は色々な事を思い出させてくれる。
3月に行われるゼロックスサッカーの前座試合で高体連選抜チームとJ-League U-18 選抜チームとの Exhibition Match がある。
今年は見に行こうかな…3月なら暖かくなっているし。だけど花粉が舞っていない事を祈るよ。

うつむくなよ、振り向くなよ、高校生よ  第90回全国高校サッカー選手権大会

2012-01-16 | 五輪 U-20, U-17
何度でも言った事があるしこれからもこう言うだろう…… うつむくなよ~ふりむくなよ~君は美しい、戦いに敗れても~….
あのテーマ曲が流れだすと正月が始まり、聞こえなくなると冬休みが終わる。そして3学期が始まる。中学の時はまた級友達と再会できると思い、高校の時はまたあの制服を着て通学せねばならない、暗黒の学校生活が始まる。
大学生の時は…そんな事を思っていた当時の事は今は良い思い出だ。

その全国高校サッカーが今週の初めに幕を閉じた。 今年も様々なドラマがあっただろう。そしてそれは年月を重ねたらどれだけの人達にどの様の記憶に思い出に残るのだろう……

関西勢はベスト8止まりしかし…
昨年は滝川第二と久御山が決勝に残り、一昨年は関大一高が準決勝に残った。しかし今大会は関西勢は準決勝に残れなかった。しかしながら唯一準々決勝に進出した兵庫県代表の市立西宮高校の躍進は素晴らしいものだった。
サッカー漬けの高校生活を送らせ、学校の名前を宣伝する“拡材”に仕立て3年後に“高校卒業証明書”と言う名の“領収書”を発行し世に大量の“スポーツ馬鹿”を排出する数多くの私立高校の現状を見てはうんざりしさせられてきた。
“プロ化”が進む高校サッカー界では希少価値の“普通の”公立高校。 しかも多くの部員は大会終了直後に施行されるセンター試験を受ける“受験生”。更に志望校は京都大学とか大阪大学といった名門国立大学。 
私は学歴化社会が好きではないが不要とも思わない。うちの会社を見ているとむしろ必要だと思う事も。
サッカーをする全ての高校生がプロや日本代表を目指す“義務”などない。こういう舞台の出場権を勝ち取り、一流大学に進学し、立派な社会人になる。 子供を持つ親からすればそれが一番の理想だ。
市立西宮の初戦は一昨年の覇者で優勝候補の山梨学院大付属。誰もが山梨学院大付属の勝利と言うよりも清水エスパルスに入団の決まっている白崎君が何ゴール挙げるかに興味を持った人も多かったのではないか?18分に山梨学院MFの萱沼君が先制ゴールを決めた時はその思いを強くした人が多かっただろう。ロスタイムでPKを得て市立西宮が追い付き、後半10分に後藤君が逆転ゴールを挙げてもまだ山梨学院の巻き返しを信じていた人もいただろう。しかし77分に追加点となる後藤君のゴールが決まり白崎君が爆発する事なく堂々の3回戦進出を決めた。 
市立西宮は兵庫県大会準決勝戦では滝川第二を破っており、選手権では昨年、一昨年の優勝校を連破した事になった。
殊勲の2ゴールを挙げた後藤君はJリーグからの注目される逸材らしいが、他の“サッカー名門高校”の指導者達は一体何をやっているんだろう??といつも疑問に思うのである。



3回戦では市立西宮 vs 近大付属と言う関西勢同士という勿体ない組み合せだったがPK戦を勝ち抜いた市立西宮が準々決勝進出を決めた。それにしても関西勢同士が消し合うとは勿体ないなぁ…と思った。
続く大分高校との準々決勝戦では2ゴールを先取した時は4強入りを期待したが3連続ゴールを許し進撃もストップ。しかし彼らの躍進は本当にさわやかだった。 14日から始まるセンター試験の受験者数を大会参加校と照らし合わせれば面白いと思う。



大分一矢報いるも市立船橋に追い付かず…..  準決勝第一試合 市立船橋 2-1 大分
大分は10年前に準々決勝に進出した事がある。今大会は1回戦で北陸高校を 10-0 で粉砕した。2回戦浦和東を 3-1 で降し、3回戦ではここ最近の“上位常連高校”となっている青森山田高校を 1-0 で破り俄然注目を浴び出した。(もっと早く注目されていたか?)それにしても青森山田は“柴崎”を擁しても優勝できない。そろそろ全国制覇しても良い頃なんだけどなぁ…..
大分の持ち味は韓国人の朴英雄監督が指揮する大分の掲げるサッカーは“フリーマンサッカー”。相手がボールを持つと複数で囲い込み奪い取ると素早く全選手がピッチに広がるその集散の早さ。 テクニックに勝る市立船橋相手にどこまでやれるか楽しみにしていた。
7年振り準決勝進出を果たした市立船橋は80年代終わりから全国高校サッカーの上位常連校だった。サッカーだけでなく陸上競技も強く野球でも1993年の全国大会では準々決勝で我が母校京都西高校を破った。 
サッカーではここ数年流通経済大柏の台頭等で連続して全国大会出場を果たすのは容易では無くなっている。
今大会では3回戦で清水商との対戦が実現。第67回大会の決勝戦の再現となったが 3-0 と快勝を収め、優勝の可能性が高くなったと思った。 それにしてもなぜこういうゴールデンカードがテレビ中継されないのだろう???



試合は開始から一進一退。個人技で勝る市立船橋がやや優位となる展開か?と思われた。
22分ゴール前正面で市船橋エースの和泉君にボールが入ったところを主将のCB若林君がマークに入り倒したところで笛が鳴る。
市船橋にとっては絶好の位置でのFKこれを渡辺君が直接右上隅に決めて先制ゴールを挙げた。渡辺君はまだ2年生のDF。初戦、長崎日大戦では2列目右のポジションに入った。



29分今度は大分が距離は少しあるが正面の良い位置でFKを得る。小松君が直接狙った FK は壁に当たり再び小松君がこぼれ球を狙うが GK 積田君がファインセーブで防ぐ。 以降大分が何度か船橋ゴール前に迫るが船橋は選手を集めて守勢にまわりボールを奪うと一気に前に出て来る。大分の集散の早さのお株を奪う展開だ。
前半を 0-1 で終えた後半。先のゴールを奪って同点に追い付きたい大分であるが56分クリアーボールに追いついた池辺君が左サイドをドリブルで猛然と突破してあっという間に大分PA内に侵入すると相手DF4人に囲まれながら中央の岩渕君に送り更に右から走り込んだ和泉君に送り、ボールを受けた和泉君が放ったドリブルシュートは大分ゴールネットに突き刺さる。池辺君がボールを持って和泉君のシュートがネットに突き刺さる迄わずか17秒だった。
これで船橋が試合の主導権を完全に掴み以降大分ゴールに何度も迫る。ワントップに入った岩渕君が2度惜しいシュートを放つなど3点目は時間の問題と思われた。
しかし75分過ぎから大分は前線に上がる選手を増やしプレスを掛けて来る80分には小松君が正面からフリーで放つがGK積田君がここもナイスセーブ。その直後コーナー付近で得たFKから長身CB清家君が高い打点からのヘッドを決めて1点差とした。



準決勝戦から45分ハーフとなった事が走力の高い大分に味方するかと思った。しかし船橋は岩渕君以外は全て自陣に戻って守備を固めシュートを撃たせない。長身CB清家君を上げる等大分の怒涛の攻撃と思われたがそれは船橋がラインを下げていたからで決定的な仕事はさせてもらえなかった。そして試合終了のホイッスルが鳴り市立船橋が7年振りの決勝戦進出を決めた。
2点目を決めた和泉君ら攻撃陣がクローズアップされるがファインセーブを見せたGK積田君を中心としたDF陣が失点1に抑え主導権を渡さなかった事も勝利に繋がったと思う。 
それにしても市立船橋、やっぱり強いなぁ。強いチームは試合を重ねる度に調子を上げて来るなぁ~と思った。
しかし私はかつて4年連続で別府大分毎日マラソンを走ったこともあるので大分県の代表校を応援してしまうのだった。
(あんまり関係ないか??)



これからもがんばれ福島県勢 !! 準決勝第二試合 四日市中央工 6-1 尚志
後半37分。左サイド中盤から金田君が前線にロングボールが入る。それを四中工藤山君が福永君と競りながらヘッドでクリアーするがこぼれ球を拾った山岸君が正面から放ったミドルが四日市ゴールに突き刺さる。全校応援の大応援団からそして尚志高校を応援する人達から更にニュートラルにこの試合を観戦する人達からこの試合最も大きな歓声が上がった。 これで1点返して 1-4。 3点差となった。
ベンチの仲村監督から“あと10分!!”という指示が叫ばれる。1点返す前からDF大貫君を前線に上げて攻撃の枚数を増やしていた。木村君が放ったドリブルシュートは四中工DFに当たってコーナーに。次に早い時間に尚志がもう1点取れば面白くなるかなぁ…と思った。しかし44分に四中工浅野君がクリアーボールを中盤で拾ってそのままこの日2ゴール目となるドリブルシュートを決め、更にオウンゴールを献上してしまいリードを広げられてしまった。 そして47分11秒。試合終了を告げるホイッスルが鳴り四日市中工高校の20年振り決勝進出が決まり、史上初めて準決勝に進出した尚志高校の進撃が終わった。
テレビでは何度も“被災地からやって来た。”とか“被災地を勇気付けた。”とかばかり言っているが被災地でないところからやって来た高校も被災を受けていない選手も負けたくない気持ちは一緒では無いのだろうか……

準決勝第二試合は3年連続出場となる尚志高校と4年連続出場の四日市中央工業。準々決勝戦迄浅野君、田村翔太君合わせて9ゴールの四中工がやや有利かなぁと思ったが8分にワンタッチパスを繋いで金森君からパスを受けた山森君がシュートに持ち込むが惜しくもゴールポストの左に外れる。11分には今度は山岸君がパスを送り受けた高君がシュートを撃つがGK中村君の正面に。
四中工も16分に浅野君が中盤からドリブルで上がり尚志DFを引き付け右から上がった田村翔太君にボールを送り田村君のシュートを引き出すがここはGK秋山君が右に倒れて掴む。
20分には尚志が攻撃に転じ左サイドから金田君が中に入れ正面から高君が再び撃ったショットはGK中村君の正面に。
やや優勢に試合を進める尚志。先制ゴールが決まると試合展開は面白くなると思いだしていた33分58秒、左サイドで藤山君からのパスを受けた松尾君から絶妙のスルーパスが送られ田村翔太君に通る。田村君はそのままシュートを放つがGK秋山君が見事にストップ。完全に四中工の先制ゴール物だった。しかしそのからのCKを浅野君が戻し走り込んだ国吉君がそのまま尚志ゴールに叩きこみ遂に均衡が敗れた。 セットプレーからのサインプレーによるゴールだったらしいが国吉君が良い位置に走り込みそこにDFを引きつけた浅野君が上手く戻した。
攻勢だった尚志にとっては痛い失点だった。そして更に41分。右サイドから寺尾君がゴール前に放り込んだところを走り込んだ田村翔太君が蹴り込み追加点を決めた。 GK秋山君とDF峰島君の間に上手く落として寺尾君のロビングだった。
あっと言う間に2点差を付けられた尚志はその直後にFW後藤君が中央から右に流れて放ったシュートはポストの左に惜しくも外れる。すると今度は田村翔太君が抜け出してフリーでスルーパスを受けシュートに持ち込む。しかしここはGK秋山君がキャッチ。
そして前半はこのまま 2-0 四中工リードで終えた。 



後半に入って先にゴールを上げたい尚志だったが先に四中工が追加点を上げる。65分に浅野君のシュートを一旦クリアーされたがこぼれ球を拾った松尾君が放ったミドルがまたも尚志ゴールに突き刺さる。 試合序盤からボランチの松尾君と国吉君は攻守に渡って良い位置に顔を出し続けていた。それがこの試合結果の要因だったと思う。
3点差を付けられた尚志ベンチは遂に負傷が完治しないエースの福永君を皿良君に替えて投入する。 盛岡商の藤村君といい選手権本番を怪我で充分にプレー出来ない選手を見ると本当に胸が痛くなる。そんな選手こそどんな形で良いから将来本当に幸せになって欲しいと思う。
ここから尚志はサイドを上手く使って四中工ゴールを目指す。すると四中工ベンチはボランチの松尾君を下げて生川君を投入してサイドを固める。 そして左サイドの川本君からボールを受けた浅野君がドリブルで中央に切れ込み大貫君のマークを振り切り放ったショットが決まり4点差となってしまった。 
さすが四中工。組織力ありそして個人能力ありを見せつける。 
4点差をつけられても尚志だがそのキックオフからボールを繋いで金田君が送ったヒールパスを受けた山岸君が放ったシュートはクロスバーを強烈に叩く。残り時間は20分程度。4点差をつけられても次のゴールを狙う姿は高校スポーツのいい所だと想う…
だから次のゴールは尚志が…と思った。

尚志高校が福島県勢としては史上初めて準決勝に進出した事と被災地であったことを結びつけたがるマスコミだけど例えそれが復興の全てに繋がる事ではないが。彼らの躍進に力を貰った被災者は少なくないだろう。 
そして試合終了後尚志高校の選手が四日市中央工のロッカールームを訪れ自分達のベンチに飾っていた“志”の文字の千羽鶴等を手渡し決勝戦での健闘を願ったシーンがテレビで紹介された。涙が出そうなシーン。高校スポーツの素晴らしい一面だった。



大会後朝鮮日報に下記の記事が掲載されているのを見つけた。

サッカー:日本の高校選手権決勝に4万人超
地区予選には4174校、15万人の高校生選手が夢見る「冬の国立」

「ベストを尽くす姿に感動」

韓国はわずか137チーム
 韓国代表と日本代表によるサッカー韓日戦がしばしば開催される東京・国立競技場には9日、4万3884人の観客が集まった。定員5万5000人の観客席がほぼ埋まったこの日の試合は、日本代表の試合でもなければプロチームの試合でもない。第90回全国高校サッカー選手権大会の決勝戦だ。
 韓国より暖かいとはいえ真冬に開催される高校チームの試合を、入場料3000円を払って見に来た観客たちは、高校生が死力を尽くしてプレーするたびに一斉に息をのみ、歓声を上げた。高校サッカーだけにミスもたびたび見られたが、日本人たちは全く異なる目でこの試合を見ているようだった。特に、終了直前の劇的な同点ゴールに続き、延長戦で逆転ゴールが飛び出すというドラマチックな幕切れを迎えると、スタンドのあちこちから「やはり高校サッカーは予測がつかなくて面白い」「90回という歴史にふさわしい名勝負だった」という声とともに、拍手喝采が沸き起こった。
 この日の試合は、千葉県の市立船橋高校が延長戦の末に三重県の四日市中央工業高校を2-1で破った。会場で会った韓国高校サッカー連盟のチョン・ウンシク理事は「驚いたという以外に言葉が出ない」と語った。韓国からやって来た高校サッカーの関係者約20人も、韓国の高校サッカーとの大きな違いに「信じられない」という表情を見せた。韓国の高校サッカーは、選手の親や出場校の生徒以外、ほとんど注目する人がいないからだ。ある指導者は「昨年8月に韓国代表が日本に0-3で敗れたときよりも、きょうの方が衝撃的だ」と語った。
■日本全国の4174校が地区予選に参加
 1917年に初回大会が開催され、今年で90回目を迎えた日本の高校サッカー選手権は、毎年12月30日に開会式が行われ、全国各地の代表校48校がトーナメント方式で優勝を目指す。大会は、最高の権威を持つ「選手権大会」の形で行われる。日本の行政区域である47都道府県から、代表校が1校ずつ(東京は2校)地区予選を経て選ばれる。今年の大会には日本全国から4174校が参加した。参加校のサッカー部員を全て合わせると15万人に達する。つまり、1月に国立競技場で行われる高校選手権の決勝でプレーすることを、日本全国の15万人の高校生選手たちが夢見て、日々練習に励んでいるのだ。
高校サッカー選手権が「冬の国立」と呼ばれるのもこのためだ。高校サッカーの熱気と人気は、感激の涙が流れる「夏の甲子園」こと全国高校野球選手権にも全くひけを取らない。高校サッカー選手権の決勝戦は平均観客数が4万人以上、決勝以外の試合でも平均2万人ほどが試合を見に訪れる。これは、日本のプロサッカーにも劣らない数字だ。全国大会は全試合がテレビで生中継される。この日の決勝戦は日本テレビで放映され、視聴率は6%だった。公式スポンサーにはトヨタ、コカ・コーラ、プーマなどの大企業6社がついている。
 毎日新聞スポーツ専門記者の斉藤雅春氏は「日本人は、実力が不完全でも、高校生がベストを尽くして奮闘する姿を見るのが好きだ」と語った。これには、就職などのために故郷を離れた首都圏在住の地方出身者たちが、後輩たちを応援しながら故郷に思いをはせるという情緒も大きく作用しているという。韓国も1980年代半ばにプロサッカーとプロ野球が発足するまでは、同じような光景が見られたが、日本は依然としてこうした伝統を大切にしており、今や世界的にも珍しいケースとなった。
■韓国と日本のスポーツの「真の違い」
 この日会った韓日両国のサッカー関係者たちは、互いに驚いた様子だった。韓国には高校チームが137チームしかないと話すと、日本サッカー協会の関係者は「本当なのか? そんな状況でなぜ韓国代表は実力が高いのか」と驚いた。一方、韓国の関係者は「高校チームだけで4000チームを超えると聞いて、とても信じられなかった」と語った。
 韓日の高校サッカーの違いは、まずサッカー部の構成の差にある。今大会に参加した48校のサッカー部の平均部員数は80人ほどで、中には140人という高校もある。韓国が30人前後の少数精鋭で「プロチーム」のように運営されているのに対し、日本では趣味のサークルのように活動しているチームも少なくない。高校時代にサッカー部で活動し、大学受験を経て名門大に進学する生徒も多い。日本の高校選手権が冬に開催されるのも、生徒たちの学習する権利を保障するために、授業のない冬休み期間を利用するからだ。こうした日本のやり方は、競技力の向上という点では効率性に欠けるが、サッカーや野球などのスポーツの底辺を拡大するという意味では効果がある。日本では、このように厚い底辺を基盤としてプロスポーツが発展する。韓国も最近、サッカーや野球などを中心に小・中・高校別のリーグ制を導入するなど、変革を試みているが、依然として練習だけに集中し、選手に全く勉強をさせないチームが少なくないのが実情だ。

今でも韓国には“4強制度”が残っているのだろうか??
指導者から見ても大分高校の朴英雄監督の様に日本の高校生を指導する方が結果のみを求められ、高校生の行く末を心配する母国よりもやりがいがあるのではないか?
前に日本の高校に“野球留学”に来る韓国人高校生のドキュメンタリーを見た。そして彼らが言っていた。
“韓国で高校野球を続けていたら野球選手になるしかない。日本だと色々な職業を選択できる。日本語を勉強して将来に生かしたい。”
この記事、ドキュメンタリーを見て自分は日本に生まれてよかったと思った。

これから日本のサッカーを背負うであろう1人中京高校1年生の宮市剛君が最後の号泣していた
“先輩ごめんなさい。もっと一緒にやりたかったです。”こう云うシーンは日本以外では見られるのだろうか?



決勝戦に続く….( 誰も見ないか?)


日本五輪チーム3連勝で前半戦終了 日本 U-22 2-1 シリア U-22 27th Nov 2011

2011-12-21 | 五輪 U-20, U-17
五輪予選観戦に国立競技場を訪れるのは初めてだった。 どうも五輪予選と国立競技場との関係で言いもいでは無い。
初めて見た(テレビだけど)五輪予選は1976年3月のモントリオール予選の韓国戦。開始早々に失点を喫した。ゴールを決めた韓国人選手が膝ま付いて祈りを捧げているのを憶えている。中継していたNHKのアナウンサーは“金慎国のゴール”と言っていたけどずっと後に資料を見てそれが日本を苦しめ続けて来た李栄武だと解った。その後日本は猛攻を掛けるがゴールを割れず後半にも失点し 0-2 で敗れた。その後日本はソウルで韓国と釜本の2ゴールで引き分けたがイスラエルに連敗しあっさりと敗退した。
その後2大会はマレーシア ( モスクワ五輪 ) シンガポール ( ロス五輪 ) 海外で集中開催となり3大会ぶりにホーム&アウェー方式となったソウル五輪予選。引き分けても予選突破が決まるはずだった中国との予選最後戦は雨の中の国立競技場開催となった。開始早々抜け出した手塚がフリーでシュートを放つがGKの正面に飛び。以降は完全に中国ペース。前後半に1点ずつ失い 0-2 で敗れ中国に出場権をさらわれた。 そしてもう日本は永遠に五輪に出られないんじゃないかな…と悲観した。

7月7日ロンドン五輪アジア地区最終予選の組み合せが発表された時に私は4大会連続で組み合せが幸運に恵まれた事を感謝した。1996年3月マレーシアで集中開催されたアトランタ五輪予選を勝ち抜き28年振りの五輪出場権を手に入れて以来日本五輪チームはアジア予選を勝ち抜き続けて来た。しかしシドニー五輪以降の3大会は組分けに恵まれなかったとは絶対に言えなかった。
北京五輪では勝点を1つも取れずに1次リーグで敗退した為にロンドン五輪アジア予選はシードされないはずだった。
だが中国がオマーンに敗れてくれたおかげで日本は繰り上がりでシード権を獲得。しかも強豪のイラク、ウズベキスタン、カタール、サウジアラビアが全て他の組みに振り分けられてくれた。もし中国が最終予選に残っていたら日本は韓国かオーストラリアと同じ組になっていたかもしれない。まぁオーストラリア五輪チーム Olyroos は苦戦しているけど。そして日本がシードを外れていたとしたらシード国は日本が入ってくる事を最も恐れただろうけど。
日本と同組はマレーシア、バーレーン、シリア。 この組みなら勝ち抜ける。またそうでないと本大会で準々決勝には残れないと考えた。マレーシアとシリアはかつて五輪に出場経験があるがマレーシアはもうその力は無く、シリアとて出場したのはモスクワ五輪。
モスクワ五輪には思い出がある。元々この五輪にはアジア・オセアニア地区に3カ国の出場枠が与えられた。しかしオーストラリアは棄権しアジア諸国のみの争いとなった。
2月23日から3月12日まではシンガポールに6カ国(イラン、シンガポール、中国、北朝鮮、インド、スリランカ)が集って第3組の予選大会が行われた。総当たり後上位2カ国のイランとシンガポールが決勝戦を行いイランが 4-0 でシンガポールを降して出場権を得た。 そして3月22日から4月5日迄マレーシアで行われた第3組の予選はマレーシアが韓国、日本を抑えて出場権を獲得し、第1組は開催地、期間は解らないがクウェート、イラク、シリア、ヨルダン、イエメンの5カ国が出場権を競い2年後のワールドカップスペイン大会も出場を決めたクウェートが勝ち抜いた。
しかしアフガン侵攻に反対したアメリカ、日本、西ドイツの西側陣営はモスクワ五輪をボイコット。それに同調する国も少なくなくイラン、マレーシアも五輪をボイコットした。IOCは振り替え出場国として同じ組の2位、3位…の国に出場を打診するも日本を含めた国々は五輪そのものをボイコットあるいは振り替え出場は受けないという事で最終的に第一組の上位3カ国、クウェート、イラク、シリアがモスクワ五輪出場となった。 
当時のジミーカーター米国大統領は1980年初めから指定した期日迄にアフガニスタンからソ連軍が撤退しないとモスクワ五輪をボイコットすると言い続けておりソ連軍もさっぱり動く気配が無かったのでアジア地区予選が始まる前からこうなるのでは…とも言われていたのを思い出す…

11月22日。アウェーでバーレーンを破りロンドン五輪にまた一歩近づいたと思った。 次の対戦相手シリアはホームでバーレーンを 3-1で破っているけどイラン、サウジアラビア、イラクに比べたら難しい相手では無い。日本はホームでもあるのでシリアを破って3連勝で最終予選前半戦を…バーレーンよりも苦戦はするけど・・・と胸算用していた。

しかしその胸算用はキックオフ直後に霧散した….

5日前のバーレーン戦では52分にボランチの山本に替って山口蛍が投入され、シリア戦ではその山口蛍がスタメン起用されていた。シリアの方はAFCの公式資料が無かったので解らなかったがベンチスタートの Marder Mardkian は前節マレーシア戦ではスタメンだったらしい。そして唯一手元にあった9月21日のバーレーン戦のメンバーと比べると日本戦もスタメン出場を果たした選手は5人だけでバーレーン戦の登録メンバーの内で日本戦でもベンチ入りした選手はわずか10人だった。
日本のキックオフで始まったこの試合。序盤から攻勢にでるのはアウェーのシリアだった。4分35秒、FKを得ると⑦ Mahammed Fares が入れたFKに⑨FW Nassouh Nakkdahh が酒井のマークを受けながらヘッドで合わせるがポストの右に僅かに外れて行く。もう1人のFW⑩ Omar Al Suma が囮となりDF濱田のマークを引っ張ってスペースを作っていた。
この一連のシーンを見ただけでイメージされる“中東諸国 ” とはちょっと違うなぁと思った。そしてその後もシリアが日本ゴールに迫るシーンが続いた。③ Yaseer Shahen のスローインを受けた Al Suma がシュートに持ち込むが扇原が何とかカバーに戻る。18分にはボランチ⑰ Solaiman Solaiman からのパスを受けた Al Suma がDF⑬鈴木をかわしてシュートを放つが Solaiman のパスもなかなかのもの。その直後にも Al Suma が鈴木、比嘉に囲まれながら出したヒールパスを受けた MF ⑧ Mahmoud Al Mawas がクロスを入れるが飛び込んだNakkdahh に僅かに合わない。19分にも左からのクロスを受けた Al Mawas が比嘉、山口をかわしてシュートを放つが僅かに外れてくれた。
シリアは個人突破のイメージがある湾岸諸国とは違う印象を受ける。全体的にパスできちっと繋いで来てFWの Nakkdahh, Al
Suma だけでなく2列目のAl Mawas, Fares らはなかなかいいパスも出すしシュートも撃ってくる上に “3人目の動き”も見せる。
トップの Al Suma にボールが入ると募る危機感は試合最後まで続いた。
日本は最前線の⑨大迫にボールが入り⑮山田が2列目からトップに上がって来た時に何とかチャンスが生まれる。
12分49秒には大迫のボールキープから⑭大津にパスが入りシュートに持ち込み、25分19秒には今度は大津からボールを受けた
大迫が③ Shahen のマークから上手く外れてミドルを放つがGK Ibrahim Alma がナイスキャッチでストップ。
27分18秒には大迫が左に流れてチャンスを作るがこれも大津とからんだもの。相手の右サイドを執拗に大津と共に突いていたが
相手攻撃陣も攻撃の展開が早いので日本のボランチから後ろの選手の押し上げ、フォローがやや遅かった。
しかしシリア守備陣も日本の早いボール回しに疲れが出て来たせいか前半も終盤になると日本の“3人目の動き”に釣られてマークがずれ始めた。36分17秒にはボランチが攻撃参加し扇原から大津に渡り山口蛍がシュートを放つが ③Shahen が何とかブロック。ここも攻撃に絡んだ扇原、大津、山口蛍が上手く相手DFを引っ張る動きを見せた為に生まれたチャンスだった。
そして前半はこのまま 0-0 で終わるかと思われた44分30秒、CKのチャンスを得た日本はCKから扇原の折り返しにCB濱田が
相手CB ② Ahmed Al Salih と競りながらヘッドをシリアゴールに突き刺し日本に先制ゴールを齎した。
バーレーン戦に続いて前半終了間際の先制ゴールであった。 貴重なヘッドを決めた濱田は浦和REDSのCB. 2010年シーズンの
最終戦、神戸戦ではスタメン出場だったが失点に繋がるミスをするなどし途中でベンチに下がったが今年は奮起し今では
Socceroos の Spiranovich に替ってCBのポジションを奪っていると息子に教えてもらった。この五輪予選でもレギュラーだ。
日本リードで前半を終えたがシリアの攻撃を見ると先に次のゴールが欲しいと思った。




シリアキックオフで始まった後半開始早々、にはボランチの ⑫ Mohamed Al Omari が山田のマークを振り切り ⑩ Al Suma に
送ると鈴木と競りながらシュートを撃たれる。最後は濱田の脚に当たってGK権田に渡ったが濱田の脚に当たらねばゴールインした
かもしれなかった。
後半は2列目の ⑦ Mahammed Fares が前線に入り3トップ気味になりDFラインも高い位置に上がって来た。
それでも55分を過ぎると再び日本も攻勢に転じる時間が出てきて両者“撃ちあい”が続いた。50分には山田の強烈なミドルが
飛び55分には大迫がドリブル突破でシリアゴールに迫り倒されるがノーホイッスル。 PKを貰っても良いシーンだった。
69分8には⑧ Al Mawas が Al Omari のクロスを受けてミドルを放つが権田が右に倒れてナイスセーブ。 65分46秒には
⑦ Fares が入れたクロスがフリーの ⑩ Al Suma に渡る寸前に権田がキャッチ。
69分40秒リードされているシリアが先に動きボランチの ⑰ Solaiman を下げて⑥ Hamid Mido を入れる。その直後に日本にビッ
グチャンスが訪れた。大津が相手のパスをカットし大迫に送ると③ Shahen ⑤ Mohamed Daas をかわしてシュートを放つがGK
Alama が弾く。そのこぼれ球を東が放つがそれが山田に当たってしまいゴールは決まらなかった。絶好のチャンスだった。
このすぐ後にFW永井がベンチに呼ばれた。 誰と交替するのだろう… と思っているとシリアに同点ゴールを決められた。
中盤から前線に出たボールは一旦クリアーされるもそのクリアーボールが⑩ Al Suma の脚に当たり更に濱田の脚に当たって再び⑩ Al Suma のところに戻ってくるとそのままドルブル突破を許し⑬鈴木がマークに入る前に撃たれたシュートはグラウンダーでそのまま日本ゴールに“入ってしまった”。 クリアーボールがピンボールの様に選手達の脚に当たり最後は Al Suma のドリブルの位置にこぼれると言う幸運もあったがここは中東選手らしいドリブルシュートを決められた。



国立競技場は一瞬にして静寂に包まれ僅かに数人のシリア人の歓声が聞こえる。目を移すとアウェーサポーターゾーンには彼ら
数人しかおらず、別に代表のレプリカを着るわけでも無く騒ぐでもなかったのでロケーションも悪くないのでこちらでゆっくりと観戦しても良かったなぁと思った。試合前にこちらから争う声も聞こえた。そこに日本人が乱入でもしたのかと思ったけど後で国内情勢の不安の影響で現体制下の国旗と新体制を目指す国旗のどちらを掲げるかでもめていたらしい。改めて平和の有難さを感じた。



同点にされた日本は⑨大迫を下げて⑪永井を投入した。 あぁ大迫を下げるのか…と思った。引分けでは次のアウェーでのシリア
戦に得失点差から見ても勝たねばならなくなる。FWを増やした方がいいのでは..と思ったけどベンチの方は何か考えがあったのだろ
う。同点ゴールを決めた ⑩Al Suma はその直後にもDFのマークを引きずる様にシュートを放つ。その弾道に肝を冷やした。
そして80分15秒にはMF ⑦ Fares を下げて⑪FW Mardek Mardkian を投入し ⑩ Al Suma と2トップを組んだ。 Mardkian
は注意すべきFWであったがここでMFかDFを入れて守りに入られる方が嫌であった。
シリアベンチは何故アウェーなのにこの試合勝に来たのだろう…
81分に山田を下げて⑦山崎を入れて2列目左サイドに置く。⑩東が真ん中に入り⑭大津が左から右に回って来た。
この選手交替と言うよりもポジションチェンジが決勝ゴールを導く。84分酒井から大きく出されたロングパスは山崎の頭上を越えて逆サイドの比嘉に渡る。比嘉は胸でワントラップし ③Shahen をかわして前線にドリブルで上がり⑫ Al Omari がマークに入る前に再び逆サイドの左に大きくボールを出すとそこに走り込んだ大津がスロービデオを見る様にダイビングヘッドを決めた。 
大歓声が国立競技場を包む。GK Alma が⑨ Nakkadahh に何故大津が走り込むのに気付かなかったんだ、てな様相を向ける。



大津のバーレーン戦に続く見事な2試合連続ゴールは貴重な決勝ゴールとなった。この2連戦MVP級の活躍を見せた大津はこ
の五輪予選に参加できること自体が所属先のBorussia Mönchengladbachではさっぱり出場機会に恵まれていないと言う事なので
あるが、日本の為にはこの五輪予選では大活躍をしてくれた。
この試合後ドイツの顧客には“Mönchengladbachには是非大津を起用せずどんどん五輪予選に派遣してくれ。そうすれば来年の
シーズン前にはかれはもっといいクラブに移籍して行くだろう。“と電話で話した。
しかし彼はMönchengladbachのサポーターでもなければ五輪サッカーにもさっぱり興味が無いので何も反応は無かった….




追加点を決められたシリアは一気に前掛かりになる。終了直前には嫌な位置でFKを献上するがFKのスペシャリスト Mohammed
Fares は既にベンチに下がってくれているのでそれほどのピンチにはならなかった。 



そしてオーストラリア人の Green Peter Daniel 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響き。辛勝ではあったが日本がロンドン五輪に一歩近づいた。 これで次のアウェーでのシリア戦には引き分ける事が出来ると思った。もっとも国内情勢不安定のシリアはホームゲームもシリア国外で行わねばならないけど…

国立競技場での五輪予選の翌日、外電はアラブ連盟のシリアへの経済制裁を決議したと伝えた。
その数日後、英国紙では今年の3月からこの9ヶ月間の国内情勢下での死者は5,000人にも登るとも伝えられた。
今でも Assad 現大統領を支持する人達と新体制を望む人達との争いそして軍隊からの弾圧は絶えないと伝えられている。

それでもこの日のシリアの戦いぶりには非常に好感を持った。2位通過して最後はプレーオフを勝ち抜いてロンドン五輪出場を決めて欲しいと願った。最も次の日本戦には勝ってほしくないけど…..



そして国立競技場からは驚くほどスムーズに帰れて早く家に着いた.....