Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

シンガポール S-League 観戦記 あぁ Gombak United のサポーターになりそう……

2008-04-28 | Football Asia

Sengkang Punggol FC vs Gombak United 22nd April

いよいよ見本市も開幕し、現地の仕事もさぁこれからと言うこの日。 
S-League の日程は前日が Woodlands この日は Gombak と本当に滞在中はこの2チームに縁があったなぁ……..
見本市を終えて競技場入りした時はもう前半がほぼ終わりかけていた。スコアー1対1になっていた。 中6日の Gombak は GK Razif Yahya. DF は左からSevki Sha’ban, シンガポール代表の Presious Emuejeraye, そして Bah Mamadou. 右サイドが Jaslee Hatta 。 ボランチが Ridhwan Jamaludin とタイ人MF Theerawesin Seehawong。 MFには左が Fazli Jaffar 右が Faizal Hamid 。そして2トップはナイジェリア人コンビの Kingsley Njoku と Gabriel Obatola. DF Jeremy Chiang に替って Sevki Sha’ban が、タイ人MF Theerawesin Seehawong がRuhaizad Ismali に替ってスタメン入りした。
一方の中9日の Sengakan Punggol FC 。2トップは Haris Sumri とチリ人 FW Ivan Cesar Asenjo。2列目の右サイドは Suriyandi Naib, 左サイドは Razali Johari。ボランチはクロアチア人MFZdrakov Simic と Fridaus Salleh 。そして4バックが左から チリ人 DF Luis Eduardo Hicks 、CBはWinston Yapと、かつてはアルビレレックスにも在籍した山本ヒロユキ, Ratna Suffian 。そして右サイドバックが Nor Azli Yusoff 。前節4失点を喫した Home United 戦のスタメンから DF の Mohmod Hashim と Ratna Suffian が外れ Winston Yap と Suriyandi Naib がスタメンに入った。

前半はそのまま1対1で終えハーフタイムを迎えた。同じチームの試合を連続してみると結構そのチームの特徴を掴める。 Gombak はサイド攻撃からナイジェリア人FWの2トップにいかに繋げるか。そして相対する Sengkang だが CB の山本、Yap がしっかりと対応しえいる感じがした。そして攻撃ではボランチの Simic が前に出て来た時がチャンスだ。 Simic は背が高く当然ハイボールには強く相手の攻撃の芽をよく摘んでいた。しかし登録では Simic は 181cm 。他では187cm のEmuejeraye 以外はみな180cm未満。その辺がアジアらしいのかも知れない……..
Sengkang はこの日まで10試合で勝試合が無く最下位。1-4 で敗れた4試合目の Tampines Rovers 戦で山本がゴールを挙げて以来、無得点試合が5試合も続きこの日の得点が6試合振りの得点。しかし後で聞いたがこの得点も Gombak の Bah Mamadou のオウンゴール。 これでは勝てない。
Gombak としても前節は徹頭徹尾攻めながら最後に中村彰宏のスルーパスに抜け出た朴泰完の1発に沈んでいるだけにここは下位に低迷する相手からしっかりと白星を稼ぎたいところだった。
後半に入ると Gombak の攻勢が目立つ。55分 Theerawasin のミドルはポストの僅か右。56分 Fazil Jaffar のクロスに合わせたKingsley Njoku のヘッドは僅かにゴール右上に外れる。69分にはまたも Njoku がTheerawasin のセンタリングから強烈なミドルを放つがクロスバーを僅かに越える。75分には Theerawasin が自ら放ったシュートは GK Hafez Mawasi がファインセーブ。
Sengkang のチャンスは65分に右から MF Haris Smuri の入れたクロスをGK Razif Yahya が弾きそのこぼれ球がフリーのチリ人ストライカー Asenjo の前に転がるもこれを Asenjo が空振りしたシーンくらいであった。相手のプレッシャーがきついのかボランチの Salleh , Simic がハーフウェイラインを越える事ができず防戦が続いた。 Gombak も75分に Njoku が負傷で下がり Emmanuel Emuejeraye を投入する。それ以降 E. Emujeraye のボールキープからボランチの Seehawong, Jamaludin が上がって来て前線で数的優位を保ち続けるも Sengkang は山本を中心としたDF陣、そして Simic , Salleh のボランチ、2列目の Naib, Johari までがディフェンスに腐心し失点を防ぐ。 Gombak の Precious Emuejeraye は前の試合の失点を気にしてかあまり上がってこない。83分ごろにようやく前に出て来た。Sengkang ベンチも87分にFWを Haris Sumri に替えて Fairoz Hasan を投入するも結局3分あったロスタイムを過ぎても両チーム追加点を挙げられずそのままホイッスル。 Sengkang の今季初勝利はまたもお預けとなった。 Gombak は3日後に強豪 SAFFC との試合が控えているだけに Njoku の負傷が心配だ。
ハーフタイムにこの前の試合で撮っチアーガール達の写真を焼き増しして上げた。前の試合でこのチームのニックネーム Bulls こと雄牛のかぶり物をもっていたリーダーに渡そうと思っていたが彼はおらずもう一人のリーダーに手渡した。随分と喜んでくれた。チアガールと言っても小学校の低学年から上はせいぜい中学生くらいか?親御さんたちも一緒に観戦してみんなから御礼を言われた。日本では考えられない異文化交流だ。これが東南アジアサッカーの良さかもしれない………

  

S.A.F.F.C. vs Gombak United 25th April
試合は表示された目安のロスタイム3分のうち2分が経過していた。 S.A.F.F.C. Warriors の勝利は目前だった。 Gombak は交替出場の Njoku が中央突破をはかる。そこに新井健二、シンガポール代表 DF Daniel Benett がマークに入るが Njoku はそれより一瞬早く左から走り込んできた Jalal にボールを送る。 Jalal が渾身の力を込めた放ったシュートはゴール右上隅に決まった。 Gombak ベンチは大喜び。そしてスタンドのサポーター達は狂喜乱舞。チアーガールの娘達の悲鳴、サポーターの中には泣き出す人も。試合はなかなk再開出来ないがようやくキックオフの笛が吹かれても20秒もしないうちにタイムアップのホイッスル。Gombak サポーター達の喜びが再び爆発した。これでここ2試合の不甲斐無い試合の印象を払拭出来ただろう…….

この日は見本市の最終日。いつもより2時間早く閉館するのだが、それからの後片付けが面倒だ。しかし以外に早く終わった。それから顧客の所にまわり食事を。しかしそれも早く終わった。時計を見ると午後8時少し過ぎ。この日は試合観戦をするつもりはなかったけどどうしよう……. 少し考えた後にタクシーに飛び乗り Jalan Besar Stadium に向かった。今からなら後半は観る事が出来るだろう。 首位争いをするS.A.F.F.C. Warriors と 下位に低迷する Gombak United 。今のチーム力に差はあるけど見どころはあるだろう。シンガポール代表を揃える Warriors を Gombak の代表 DF Precious Emuejeraye らがどう対処するのか、Gombak のナイジェリア人FWと新井健二らWorriors DF 陣との対決。そして深澤、村上ら日本人選手….. 連日の試合観戦も1週間を過ぎると色々見所を自分で見つけられるものだ。

競技場に着いたのは後半開始の少し前。 AFC Cup も行われる Young Lions のホームグラウンド Jalan Besar Stadium は結構立派な競技場だ。
  
   

早く着席しないと・・・とチケット売り場を話していると後ろから、” Oh You !! Thank you photo !! “ と声をかけられた。三日前に写真を上げた娘達の中の親御さんの一人だった。 “ You, Go, Go, Go straight ….. “  あっちの席にみんないるから早く行ってくれってことか….
だが私は幸運にもチケットを買わずに中に入れた…….. 先日の試合で会えなかったリーダーと再会、“ Thank you photo !! “ とここでも言われた。他の親御さん達にも御礼を言われた。本当に観に来て良かったと思った。
”スコアーは??“ リーダーに尋ねると掲示板を指さし “ 0-1 “ と教えられた。 
後で知ったが先制ゴールは村上範和だった。 “ Soon, it will be 2-1 “ と彼には言うと、親指を立てた。 そして後半が始まった。 Gombak のFWを見ると19番の Kingsley Njoku がいない。後ろの人に ”Number 19 は??“ と尋ねると ”怪我でベンチスタート“と教えてくれた。この日の Gombak はナイジェリア人の Obatola と タイ人の Theerawesin の2トップだ。その他Young Lions でプレーした Jeremy Chiang が Jaslee Hatta に替ってスタメンに。 中2日の Gombak はそのコンディションが懸念された。 しかし Warriors も中2日。この日は前節出場しなかった新井健二がスタメン。他の日本人選手、Duric, Wilkinson, Bennett のシンガポール代表選手、元タイ代表の Therdsak Chaiman らもスタメンに名を連ねる。首位争いをする Super Reds が前日 5-0 と大勝しており首位争いに喰らい付く為にも負けられない試合だ。
開始10分を過ぎたあたりから早くも Gombak のDF Precious Emuejeraye が攻撃参加を。しかし最初のチャンスはリードしている Warriors 。58分右からのクロスを Duric が頭で左にそらし、 Mustaqim Manzur が中に折り返した所走り込んだ Therdsak がシュートに持ち込むがここは Emuejeraye がブロック。
だがこの後 Gombak の攻勢が続く。60分、 Gombak のタイ人 Theerawesin が新井、 Wilkinson を振り切って放ったシュートはCKに。そのCKからObatola が右からファーサイドを狙ったヘッドはクロスバーを越える。2トップの右に起用された Theerawesin が小気味良いドリブルで Warriors ゴールに迫る。63分には左サイドから中に切れ込んだ Jamaludin が戻した所を走り込んだ Sutohmoh が撃つがこれは GK Janatan がセーブ。 Gombak は63分ごろから4バックの右サイド Faizal Hamid を中盤に上げ相手の左サイドを抑える。すると Therdsak が右に回って来てボールを繋げる。65分には Therdsakから中の Duric に繋ぎ、後方の Wilkinson に落しそこからミドルシュートが放たれるがポストの右に外れて行った。
70分Gombak に同点ゴールが生まれる。 交代出場の Jalal からボールを受けた Obatolas がドリブルでエリア内に持ち込む。そこに新井がタックルに入り Obatolas が倒れると Pandian 主審がペナルティースポットを指す。これは Obatolas の技ありの倒れ方と言うよりも主審の見方が…… と言う判定だった。新井がタックルはしっかりとボールを捕らえており、Obatolas は新井の体に“つまずいて”倒れたのだら…….
このPKをObatola が決めて 1-1 の振り出しに。 Gomabk サポーター達は大喜び。 絶対に勝利が欲しいWarriors はここから右サイドを深澤、 Therdsak の二人で崩して Gombak ゴールに迫る。72分には深澤がDF二人をかわしてクロスをいれるが中の選手に合わない。81分には深澤、Therdsak と繋ぎ Therdsak が一人かわして入れたセンタリングから Manzur がシュートを放つが右ポストを直撃する。でもさすが Therdsak .かつての ACL MVP 選手だ。

  

Gombak は83分に Njoku が投入されるが下げられたのは同じナイジェリア人の Obatola 。前半は結構チャンスを逸したらしくこの交替は妥当なものと後ろのサポーターが教えてくれた。87分にはまたも Therdsak が右サイドをドリブルで上がり入れたクロスに Wilkinson がシュートを放つもポストの右。そして89分エリアからやや外の正面の位置から村上が右に送るとそこにはフリーの Therdsak がおりそのまま Gombak ゴールに蹴り込みWarriors が勝ち越しを決めた。意気消沈する Gombak サポーター達。向こうからはチアーガールをはじめ Warriors サポーター達の歓喜の声が聞こえて来る。 
試合が再開されすぐにロスタイム3分と表示される。Gombak イレブンの諦めずに前線にボールを出す。あぁ Woodlands 戦の様にこの試合も…. 時間は過ぎるがまだ1分程残っていた。そして Njoku が中央を爆発的なドリブルで上がった……..

試合が終わっても Gombak サポーター達の喜びは続いた。何人かのチアーガールの娘達が私を見つけて“写真をありがとう….” と握手を求める。そしてリーダーが私に ” 写真を撮ってくれ ! ! “ と言いチアーガール達を整列させる。シャッターを押し、送り先の住所を聞き、” 明後日シンガポールを発つから。本当に楽しめた。“と言うと、彼は ”アリガトゴザイマシタ。サヨナラ。“と日本語で何度も言ってくれた。そして他のサポーター達に私がシンガポールを後にする事を言ってくれたらしく、みんなから拍手をもらいながら競技場を後にすることに……
スポーツはどこにでもある。そしてそれを生活の糧にしている人達もいる。異国で再認識出来た。そしてこの日、後半だけであるが観に来て良かったと思えた…………..

  


シンガポール Sリーグ観戦記

2008-04-26 | Football Asia
Woodlands Wellington vs Geylang United
4月20日。オーストラリア西部の都市パースから再びシンガポール入り。南半球は秋の始まりとは言え今年は少し気温が高く、今の日本よりは気温はやや高め。半袖で過ごせた。とはいっても初日は大変な大雨に見舞われたが。それでもシンガポールはずっと気温も湿度も高かった。
この日は Woodlands Stadium にて Woodlands Wellington と Geylang United のゲームがあった。Woodlands と言えば4日前 Gombak United 相手にロスタイム、中村彰宏のスルーを受けた朴泰完のゴールで勝利をものにしている。この試合の前まで Woodland が勝点12で6位。対戦相手のGeylang United は勝点10で 9位だが敗れると勝点を抜かされてしまう。前日5位の Tampine Rovers が Young Lions に勝った勝点を17としているだけにWoodlands としては勝利を収めたいところ。
しかし Geylang はボランチにはスロヴァキア人Rastislav Belical とブラジルからの助っ人 Luiz Machado Jr. そしてFWにもスロヴァキア人のMiroslav Latiak がおり、DFは CB Baihakki Khaizan, そして右サイドバックのNoh Rahmen はシンガポール代表選手。 Khaizan は U-16,18 シンガポールのメンバー入りを果たし 2004 Tiger Cup のメンバーでもあった 190cm の長身。 Rahmen も2001年から代表入りしている。
結構なタレントが揃ったチームだ。Easy には行かないだろうと思った。

それでも先制ゴールは Woodlands 。MFのIsmadi Mukhtar が入れたロビングがそのまま Geylang ゴールに吸い込まれ幸運な先制ゴールが入った。GKの Amos Boon は目測を誤ったか??
この日の Woodlands は前節の Gombak 戦では途中出場で決勝ゴールを挙げた韓国人FWの朴泰完がスタメン入りを果たし右に流れてチャンスを作る。中村もなかなか良いパスを送る。後半に入りリードしているWoodlands が先に選手を替える。右サイドバックをZahid Ahmad に替えて Azlan Alipah を入れる。これは Geylang が中8日なのに対し,Woodlands が中4日と言うコンディションを考えてか?
しかし50分を過ぎると Geylang のMF Mohd Noor Ali が上がって来てチャンスを作り出す。5分には左サイドを上がって入れたクロスに Latiak が飛び込むがシュートはバーを越える。 53分にはまた Mohd Ali が左サイドを Anaz Hadee をかわして入れたクロスを今度は Latiak が決めて 1-1 の振り出しに戻した。
そしてその6分後、今度は FW Masrezwan Masturi とのワンツーで抜け出た Latiak が連続してゴールを決めて逆転をする。 Masrezwan は以前、 Woodlands でプレーしていた選手。こうなって来ると中4日の疲労が堪えて来るか…..

Woodland は右サイドからルーマニア人DF Dronca そしてJerry Bartholomeuszの二人が右サイドを上がって来て同点を狙う。65分には FKのチャンスから Dronca がヘッドを放つがバーを越えて行く。67分には Kamal Nasir を下げて Hasin Jailani を入れて中盤を活性化させる。74分には朴泰完からボールを受けた中村が右サイドからミドルを放つがポストの右にシュートは外れて行く。 FK時にはMFのSazali Salleh がゴールマウスに入って来る。時間が経つにつれて Dronca が前に張り出す。 Geylang も190cmのCB Khaizan が必死にクロスを跳ね返す。そして試合終了間際には選手交替で時間を稼ぐ。もう交替出場のブラジル人助っ人 Rivaldo Costa を残して殆どが引いている。このまま試合が終わるかと思ったロスタイムの92分、朴泰完が右に流れて Geylang ゴール前にクロスを入れる。そして混戦から中村彰宏がGKも抜いてフリーで抜け出す。しかし中村が放った最後のシュートは無情にもポストを叩いてしまった。そしてタイムアップ。リードされてからもチャンスが多かったWoodlands が同点ゴールを挙げられなかった。前節の Gombak United 戦と対照的な後半であった。 試合終了後、クールダウンのストレッチをする Woodlands の選手。朴泰完に “ケンチャンスムニカ?”と声を掛けると右手を上げてくれたが表情は冴えない。

  

日本人の男の子が“中村コーチバイバイ”と声を掛ける。厳しい表情の中村がそちらを見て頷く。 日本じゃ考えられないシーンだなぁ………

  

  

次節は中3日で古巣アルビレックスとのゲーム。10日間で3試合はきついだろうが次戦に向けてしっかりとコンディション作りを…… と思いながらホテルに戻った……..

Home United vs Singapore Armed Force F.C
1996年にS League がスタートして以来優勝6回。2位が4回と S-League の顔と言っても良いくらいの Singapore Air Force F.C. 。今シーズンはこれまで勝点24。勝点25の Home United, Super Reds に続いて3位だがこの日は当面のライバル Home United 戦。ここはしっかり勝って首位奪還と行きたいところだっただろう。しかし Home United は昨シーズンわずか勝点1差で優勝を逃した。第32節の直接対決では 0-0 の引き分けに終わりこの時点で Home United の自力優勝は無くなり、一縷の望みを託した最終戦も SAFFC はGombak United を2-1で破り3連覇を飾った。HomeUnited は4年振りの優勝を逃しただけに今シーズンに掛ける意気込みも想像できる。そしてこの2チームは通算勝利数でも1位 SAFFC 222勝、2位Home United 187勝とまさに宿敵同士。

さらに選手達もタレント揃いだ。まず SAFFC だがスター選手は何と言っても FW の Aleksandar Duric .ボスニア生まれながら1994年からSouth Melbourne や Sydney Olympic と言ったオーストラリアのNSL に所属し一時はオーストラリア国籍も持っていた選手。バルセロナ五輪にはカヤック選手としてボスニア・ヘルツェゴビナ代表として参加したというキャリアーももつ。中国でもプレーし、S-League には1999年に Tanjong Pangar United と契約したのを皮切りに Home United, Geylang United と渡り歩き 2005年から SAFFC に所属する。そして昨シーズンはチームの優勝に貢献し最優秀選手に。さらにシンガポール人女性と結婚したことから2007年にシンガポール国籍を取得。今はシンガポール代表としてもプレーし先般のワールドカップ予選のレバノン戦では先制ゴールを決めている。 
Duric だけではない。Jhon Wilkinson と言う England から帰化してシンガポール代表入りしている28歳のMFもおり、先般のワールドカップ予選にも出場している。そしてDFにはTiger Cup 2005,2007 2002年から代表入りしている 30歳のベテランDanied Mark Bennett がいる。またMFには私の好きな元タイ代表の MF Therdsak Chaiman がいる。昨年のアジアカップにも出場し、2002-03の ACL では当時所属した BEC テロサーサナは決勝で敗れたが最優秀選手賞を受賞した選手。
また日本人選手も3人いる。かつてアルビレックスS新潟に所属したDF新井健二は今シーズンがSAFFC 3季目。昨シーズンACLで川崎フロンターレとも戦ったタイの Bangkok University に所属していた日本人選手、深澤仁博は今季から SAFFC でプレーする。村上範和はアルビレックスS新潟でもプレーをしBalestier Khalsa を経て SAFFC に。 
Home United もタレント揃いだ。現役シンガポール代表選手が3人いる。 MF Shi Jia Hay は上海出身の帰化人選手。また同じMFの Mohammed Shahri Bin Ishak もシンガポール代表で2004年には日本とのワールドカップ予選に出場している。GK Lionel Lewis は2006年のAFC Year of the Player にノミネートされた。他にもカメルーンからの助っ人Valery Hiek, Kengne Ludvick ブラジル人選手 Peres de Oliveira そしてタイ U-18 経歴もあるKornprom Jaroonpong らがいる。
この首位攻防戦。楽しみにしていたのだが仕事が終わって競技場に着いたのが前半30分少し前。スコアーも0-1 でアウェーの SAFFC がリードしていた。あぁタクシーで来たら良かったかな…… その得点は開始3分に深澤が決めたものだったらしい。やっぱしタクシーで来るべきだったか……
34分に Shaharil Alias が村上を倒してFKを貰うと、そのFKをタイMF Therdsak が直接決めて SAFFC が 2-0 とした。SAFFC のチアーガールは大喜び。こちらとしては首位攻防戦なのであまり点差は開いてほしくは無いのだけれど………

しかし後半開始早々の33秒、カメルーン人FWの Kengne Ludovick が素早い動きからゴールを決めて1-2 とする。このゴールは大きかった。 Home United はここからブラジル人FW Oliveira のボールキープから何度も SAFFC ゴールに迫る。49分にはNaruphol Ar-Romsawa がSAFFCのGK Shahril Jantan が前に出て来ているのをみてループ気味にロングシュートを放つがこれは惜しくもクロスバーを叩く。そして52分。Shi Ji Hay の右からのCKに Oliveira が鮮やかにヘッドで決めて後半あっという間に Home United が追いついた。以降も Home United は左サイドバックの Juma’at Juntan, Oliveira が左サイドを切り裂いていく。Juntan は鋭いスルーパスも出す。また Shi Ji Hayが右の高い位置でボールをキープしチャンスを作る。 SAFFC にとってこの厳しい状況を打開したのは Therdsak 。中盤でのボールキープ、ドリブル突破で何とか挽回をはかる。64分には絶妙のスルーを Duric に送りGK と1対1に。しかし GK の Lewis がこれをストップ。代表選手同士の見ごたえのある一瞬だった。 そして69分。今後物議を醸すであろうシーンが。CKを得たSAFFC は Shaiful Esha が右CKを入れる。ボールは直接ゴールに飛んでくる。GK Lewis を越えてファーサードに側に吸い込まれそうになったところを Oliveira がヘッドでクリアーするが、Oliveira の身体は完全にゴールの中に入っていた。猛然と抗議する SAFFC イレブン。しかし判定は当然変わらない。

   

そしてここから試合は両チーム勝利を目指して激しくなる。74分、John Wilkinson のミドルシュートを Lewis が足でストップすれば、その直後の Ludvick のミドルシュートは Jantan がパンチで防ぐ。 78分に Duric の突破を Alias がファールで止めると、82分今度はお返しにとばかりにAr-Romsawaが左サイドタッチライン沿いをドルブルで突破するところを交替出場の Razaleigh Khalik がファールで止める。それぞれにイエローカードが出される。84分には波状攻撃から最後は Duric, Wilkonson そして Mustaqim Manzur がゴール前になだれこむが Home United のDF陣も必死の守り。85分にSAFFC は Ashrin Sharif を投入する。ここでどうしてFWを下げてMFを入れるのだろう…..
89分 Oliveira が右サイドを上がり逆サイドの Shi Jia Hay に。そして Shi のシュートはクロスバーを叩く。天を仰ぐ Shi Jia Hay 。 そしてロスタイムに入った93分。深澤が Jantan からボールを奪い Home United ゴールに迫る。最後はフリーの Shariff に送られるが Shariff は痛恨のトラップミス。完全にフリーだっただけに…….
そしてタイムアップ。2点のビハインドを追い付き最後の決定機を相手のミスで救われた Home United サポーター達が試合終了後いつまでも喜んでいた。 

 
しかし、この結果を最も喜んでいるのは首位争いをするもう一つのチーム Super Reds だろう。そして4枚のイエローカードを貰った SAFFC の方が痛かったかも知れない。しかも最後の7分で3人が警告を受けている……..
試合内容としてはさすがに首位攻防戦。他の試合とは少しレベルが違った。

そしてここでも日本人選手が頑張っている姿を見る事が出来た。
それを明日からのエネルギーに替えよう……….


シンガポールにてアルビレックスシンガポール観戦記

2008-04-26 | Football Asia
4月のシンガポールは他の東南アジア諸国と同じ大変な暑さと湿度だ。
2年に一度シンガポールで開催されるアジア最大級の見本市に出展参加する為にここに滞在して1週間近くになる。香港や台湾に在住されている方でさえ開口一番 “暑いなぁシンガポールは” と発するあたりはその暑さを証明するには充分だろう。

2月下旬にスタートした今シーズンのシンガポールの国内リーグ、Sリーグ。アルビレックス新潟は参戦して今年で6年目だ。先週まで3勝5敗2分けで12チーム中9位の戦績。昨シーズンは8位に終わり、一昨年は11チーム中6位。2005年は10チーム中5位と少しずつ順位を落としている感じがする。
今や日本サッカー、そして選手はアジアではトップクラスと言われている。その若い日本人選手で構成されているチームがFIFAランクではかなり下がるシンガポールの国内リーグに参戦しているのだが相手チームには東南アジアとは言えシンガポールやタイなどの国家を代表する選手や欧州、南米からの助っ人もいる。そうそう簡単には勝たせてくれない。また昨シーズンから参戦の韓国の選手で構成される Super Reds 、今年から参加している中国の大連実徳と強豪もいるの。大連は19歳から20歳の選手で構成されているがReds は21歳の選手から22,23歳の選手が中心だが30歳の“ベテラン選手”もいる。アルビレックスシンガポールの主目的はここで経験を積んで新潟のトップチームに引き上げることでここの選手達も日本でプレーする事を目標としている事だろうが、やはり勝負事には勝ちたいのがスポーツ選手だろう…..

仕事の都合で Jurong East Stadium に到着したのは試合開始15分すこし前だった。 Chinese Garden 駅で日本代表のレプリカを着た子供がいたのでその子に親指を立てて “Japan !! “ と言ったら日本人でお母さんと一緒にこの試合を観戦に来る途中だったらしい。 
”アルビレックスですか?試合始まっていますね。“と母親に言うと
”そうですね。もう始まった頃ですね。“ と言っていた。

思い出すのは私がルーマニアに在住していた時。今から14年も前の話。当時楽しみに少ないルーマニアでは子供達を引率して 2回ほど Steaua Bucuresti のUEFA Champions League 応援ツァーを敢行した。もちろん親御さんも一緒に。今、ここシンガポールでは日本を代表してアルビレックスがいる。在留の子供達の為にもぜひ良い試合を…と期待した。

競技場に着くと真っ先に弁当を求める。まだ残っている。可愛らしい日本人女性が丁寧に献立(といても炒飯かチキンカレーの2種類しか残っていなかったが。)を説明してくれた。結局炒飯とフライドチキンを買ってSG$6.00 を払う。昨日までは競技場の到着がおそかったので弁当にありつけなかったが今日は入手できた。おにぎりもあったぞ…..それにしても彼女は試合を観られるのかナ??? 
そう言えば入場料も SG$6.00。他の競技場は SG$5.00 なのにここだけ違うのは理由があるのかな??? 

私が着席した時、スコアーは 1-1になっていた。前節は大連実徳を2-1 で降し3試合振りの勝利をものにしたアルビレックスのこの日の相手はWoodland Wellington。
アルビレックスは前節大連戦のスタメンからFWの秋吉泰祐が外れ18歳の和田将志が入った。この二人は前節の80分に交替をしておりそおままそれが続いているのか?? Sリーグはリーグ振興の為かほぼ毎日1試合か2試合ずつゲームが開催されている。従って試合間隔がまちまちでこの試合の両者はアルビレックスが中6日なのに Woodland は中3日の強行軍。その Woodland はCBの Jerry Baltholomeusz が累積警告で出場停止。サテライトの若い Fathal Rahman がルーマニア人DFの Lucian Dronca とCBを組み、2列目左の Kamal Nasir Haja がベンチスタートでそこにはGayland 戦では中村彰宏と中盤を組んでいたSazali Salleh がそのポジションに入り、ベテランの Hasrin Jailani がこの日は中村彰宏と中盤を組んだ。中村は4日前の Geylang 戦はロスタイムに決定機を外しチームを敗北から救えなかっただけにかつての古巣相手となるこの試合にかける意気込みは相当なものであっただろう。
私自身シンガポール入りして既に2試合 Woodland の試合を観ているのでこのチームの特徴を結構掴んでしまったか…..

28分Woodland が次の得点を決める。右サイドで得たFKを Hasin Jailani が入れたところを Dronca が身体を折り曲げて低い位置からヘッドで合わせてアルビレックスゴールネットを揺らし、1-2 とされた。 30分には左サイドをIsmadi Mukhtar に破られ入れられたクロスにフリーの朴泰完がヘッドで狙うがこれは外してくれた。
今シーズンのアルビレックスは失点が目立つ気がする。前節まで10試合で24失点。第4節の Home United 戦で5失点、第9節の Tampine Rovers 戦では6失点。先制点を許した試合が4試合。それ以上に連続失点が目につく。特に Rovers 戦では先制しながら連続6失点。この試合はDF陣の奮起を期待した。
その願いが通じたか、30分過ぎからアルビレックスが徐々に主導権を握る。31分には和田将志がドリブルシュートを放つがこれは惜しくもポストの左に外れる。32分にはFW佐藤に替えて190cmの長身FW土井良太を入れそこをターゲットにボールを入れる。そして34分にはゴール正面でFKのチャンスを得ると、ベテランFW岡山哲也がそれを直接蹴り込み、同点!!と喜ぶが掲示板の得点は 1-2 のままだ。隣の人に訊くと “今のスコアー”が正しいかったそうだ。と言う事は先制を喫し、追加点も取られた後のゴールと考えなおさねばならなかった。
それにしてもさすがはJリーグ開幕前からプレーを続けている大ベテラン。元“ミスターグランパス”。しかし今でも彼をこう呼ぶグランパスサポーターもいるらしい。これに触発されたか高瀬証中盤からドリブルで Woodland ゴールに迫る。これを Zaid Ahmed がファールで止めてイエローが出される。にわかに選手に積極性が出て来た様にみられるが43分にはカウンターから朴泰完、モロッコ人FW Abdelhadi Laakakad に渡って撃たれたシュートはGK高橋が何とかセーブ、そのこぼれ球を繋がれ中村が撃ったシュートはゴールポストの右に外れた。守勢にまわるとラインを下げてカウンター狙いに切り替えるしたたかさを見せられた感じがした。

   

ハーフタイムに弁当を食べていると AKIHIRO のレプリカを着た日本人の男の子が。彼の少年チームGFA のメンバーの子か?そういえば4日前の試合でも同じシャツを着た日本人の子を観た。後で知ったがこの試合のWoodland の先制ゴールは Dronca だったがそのゴールは中村彰宏のアシスト。欧州だけではない世界中で日本人選手が頑張っているのだ。
  
    
  
後半に入って最初のチャンスは Woodland。 Dronca が左から上げたところを中村が頭で落とし走り込んだ朴泰完がシュートを放つがこれは僅かにオフサイド。そしてその後はアルビレックスが長身の土井にボールを集め攻勢に出る。52分には右サイドから朴明彦のFKに合わせたヘッドは惜しくも外れ、53分には岡山から送られたロブをGK Yazid Yashin の出鼻をループ気味に浮かして狙うがこれも僅かに外れる。55分には左サイドをあがった朴明彦が入れたクロスに飛び込むがわずかにオフサイド。この時間から左サイドの朴明彦が積極的に上がり前線にボールを送るが Woodland もゴール前に人数を集めてラストパスを通させない。そして時折カウンターでアルビレックスゴールに迫る。63分にはFW Laakkad とのワンツーで抜けた Sazali Salleh がシュートを放つがクロスバーを越える。その直後にもカウンターから今度は右サイドを Laakkad, 朴泰完に崩されそこから逆サイドの Salleh に。フリーの Salleh が走り込んだフリーの Laakkad に送るはずのクロスは大きく外れた。67分にはカウンター攻撃を受け最後はファールで止めてFKを献上。 Doronca のFKはポストを直撃しひやりとする。 70分にはロビングに中村が飛び込むがここはGK高橋がブロック。いずれもカウンターからの速攻だった。
70分に Woodland は 右のMF Hasin Jailin を下げて中村を右に回し、左に Kamal Nasir Haja を投入する。Nasir Haja は前節の Geylang 戦ではスタメンだった。Nasir Haja はアルビレックスの攻撃に糸口を中盤で摘み取っていく。いい上がりを見せていた朴明彦はその前に交替で下がってしまった。彼がいればなぁ…と思った。
そしてそこから攻撃に転じる。74分には Mukhtar のクロスに朴泰完がボレーで狙うがクロスバーの上に、78分には中村を起点に Mukhtarを経て朴泰完がシュート、そのこぼれ球を Mukhtar が撃つがここはCKへ逃れる。
80分にアルビレックスベンチはMF和田将志を下げてDF 石井彰浩を入れ,望月隆司をDFから中盤に上げる。中盤を厚くするのだが試合はアルビレックスゴール前で展開される。82分に朴泰完が須永俊輔を振り切ってドルブルで上がり最後は望月がファールで止めてイエローが出される。そのゴール正面からのFKを Laakkard が直接狙うがGK高橋がファインセーブ。スタンドの在留邦人の方達からは大歓声が起こる。
   
    

次は得点シーンを、まだ時間は残っている…..と思った86分、 Mukhtar を振り切って上がった岡山が入れたクロスに土井が飛び込むがそのヘッドはゴール枠を捉えられない。そして残り時間を Woodland に守り切られタイムアップ。 
レギュラー選手二人を負傷、二人を累積警告で欠き、中三日で疲労が懸念された Woodland の粘り勝ちと言ったところか?FKを与えても小競り合いに“持ち込み”すぐにリスタートさせないしたたかさも。
この日の試合は小雨がふったり湿度が高かったりと選手には厳しいコンディションだっただろう。日本での試合の様な運動量をここで求めるのは酷だ。そう言う中、やはり “地元”の選手は動きどころを抑えている様に思えた。
第1クールを終えてアルビレックスはまだホームゲームでの勝利が無いらしい。
帰りにお弁当を売っていた日本人のお嬢さんが観客達に丁寧に“お疲れ様でした”と声をかけている。いろんな人が支えてこのチームがあるんだなぁと実感する。 

次はこの人たちそして在留邦人、子供達の為に勝ち試合を見せてやってくれぃ……..

   

日韓学生対決 隔世の思い

2008-04-19 | Weblog

1971年9月ソウルで開催されたミュンヘン五輪予選。大方では日韓で出場権を競うものと予想されていたにもかかわらず日韓揃ってマレーシアに敗れ出場権を逃したその結果を鑑み日韓両国のレベルアップの為に始まったと言われる定期戦は1991年長崎で開催された第15回日韓サッカー定期戦を以て終了した。
この代表の試合の“前座”として日韓の学生代表の試合も行われていた。1984年ソウルで行われた定期戦では日本はユニバーシアードチームを派遣したがその試合は韓国学生代表に逆転負けを喫している。そればかりかこの定期戦では確か日本学生代表は引分が数試合あるが1度も韓国学生代表には勝っていないはずだ。
当時の日韓戦を解説した岡野俊一郎氏は 

“学生が勝てないから代表も勝てないのです。”

と言っていたのを思い出す。Jリーグの発足する前の時代だったので学生レベルの強化は今以上に大切な時代であった。恐らく80年代まで学生の方が代表以上に日韓のレベル差があったのではないかと思われる。
1988年国立競技場で開催された日韓定期戦をスタンドで観戦したが、私にしては珍しくスタジアム入りしたのが早く“前座”の学生代表戦がまだ終わっていない時間に到着した。そしてその試合は引き分けに終わった。後でもっと早く来ればよかったと後悔した。
日韓学生のレベルが激変したのは何と言っても日韓対決となった1995年福岡で開催されたユニバーシアード決勝戦。日本は純学生代表。韓国はOBも含めた陣容。しかし結果は 2-0 で日本が快勝。試合内容も終始優勢で2年前に発足したJリーグと高校サッカーの狭間でスポットの当たらなかった学生サッカー関係者は大いに溜飲を下げたに違いない。 以降2001年から3大会ユニバーシアード3連覇を飾っている。 
学生の日韓戦に就いては自動車部品の開発で有名なデンソーがスポンサーとなり1997年からワールドカップ日韓大会の開催を記念して「日韓大学対抗戦」と銘打って開催されるようになった。2004年からは1年おきに日本と韓国で開催する定期戦(原則春季の3月、ないしは4月施行)として開催されているが、竹島の日に絡む日韓関係の緊張から2005年の開催(韓国ホーム)は一時凍結されていたが、12月に開催された。そして今年2008年は3月23日に東京国立競技場で大学日韓定期戦が開催された。 

当日は好天に恵まれしかも暖かい陽気で絶好の観戦日和。しかしながら観客席はぱらぱら。開放されたのは正面とバックスタンドの両面のみ。井原正巳と洪明甫が“親善大使”として招かれ、試合前にサッカー少年の質問に応えるアトラクションをするもあまり人は入らなかった。
ここ国立競技場の日韓戦では日本は良い成績を納められず1979年の日韓定期戦で2-1と勝利して以来勝ち星がない。そう思った矢先の開始57秒。DF金泉遇のスローインからFW金孝基が抜け出しフリーになったところを後方からのタックルで倒してしまいPKを取られる。これをMF権純亨が決めてあっさりと韓国が先制をした。両チームのフォーメーションを観る間も無いまま1点ビハインドの立ち上がり。あぁ日韓対決では国立に魔物が舞い降りるのか…. 
その後も韓国が攻勢に出る。4分には権純享が、7分にはMF趙梁鍋がそれぞれ左からミドルシュートを撃つ。 10分には左サイドバックの金泉遇が上がりクロスを入れると染谷(流通経大)に競り勝った金孝基が頭でおたした所をFW高敬旻がアクロバティックな態勢でシュートを撃つ。12分には権純享のスルーパスからMF金泰賢に渡るがシュートはGK東口(新潟経営大)がブロック。東口は今回の日本チームの中では唯一昨年も選ばれたメンバー。(昨年は出場機会は無かった。)15分には金孝基が右から入れたクロスに高敬旻がヘッドを狙うが185cmの長身CB 中山(駒澤大)が競り勝ちシュートを打たせない。29分には金泰賢がミドルを正面やや右から放つがこれはバーを越えた。韓国はミドルシュートを打ち込んで来たりロビングを放り込んできたりと日本のDFを前に出させその裏を取ろうとしている。また最終ラインの上がりが早く前線との間をコンパクトにしボールがある周りには常に数的優位を作る。そして30分を過ぎると今度は金泰賢がドリブルを使って攻め込む様になる。日本は前線の二人、渡邉(早稲田)と伊賀(静岡産大)の二人が孤立してしまいそこにボールが出ない。ゴール前にハイボールを入れようにもCBの二人、李庚が192cm 李龍起が189cm なのでそう簡単に放りこめない。
しかし35分を過ぎると日本のMFがボールをキープできる様になりまた中盤の押し上げも出て来てボールが繋がる様になる。37分には伊賀が右サイドをドリブルで上がりクロスを入れるがGKがキャッチ。初めて韓国ゴール前にボールが入った様だった。そして2列目右の伊藤大介(順大)がドリブルで右サイドを突破するシーンが続く。38分には逆サイドの平木(流通経大)に折り返しシュートを導き、40分にはスルーパスを三門(流通経大)に通しそこから平木に送るがわずかに届かない。
そしてその直後に同点ゴールが生まれる。伊賀がペナルティーエリア内で粘って渡邉に送り渡邉がそのまま韓国ゴールに捩じ込んだ。ようやく前線の二人がバイタルエリアでボールをキープ出来たので生まれた得点であった。伊賀はロスタイムにもドリブルで持ち込んでシュートを放つ。これは得点にならなかったが前半の終り頃になって伊賀のみならず日本選手にようやくエンジンがかかって来たようだった。

後半になると日本は見違えるように最初の1歩が非常に速く鋭くなる。韓国選手は中盤ではボールにほとんど触れ無い。52分に渡邉の放ったミドルシュートはGK朴俊五の正面に。そして56分三門のスルーパスが韓国CB李龍起の裏に走り込んだ宮崎(流通経大)に通りそのまま宮崎は韓国ゴールに蹴り込んで逆転ゴールを生む。三門、宮崎共に流通経済大の選手。ここはあうんの呼吸か、見事なスルーパスのタイミングであった。この日のスタメンは4人が流通経大の選手。GK東口(新潟経営大)、FW伊賀(静岡産業大)以外は全て関東学連の選手。関西勢は3人選ばれたがベンチ入りしたのはMFの大屋翼(関西大)一人だけであった。ここで韓国ベンチはMF高敬旻に替えて昨年もこの日韓戦に出場した権景昊を投入する。
その前に投入された権亨宣も前年の学生選抜に選ばれたらしいがベンチ入りは出来なかった様だ。
更に2列目の趙傑鎬に替えて尹大根を投入する。日本も66分に渡邉を下げて池田(延べ5人目の流通経大選手)、平木に替って島田(駒澤大)を入れる。
さすが権景昊は昨年の経験者。ボールキープ力がありチャンスを作る。69分にはGK東口がパンチングしたところをそのままボレーで狙うがここは宮崎がブロック。70分には右サイドをドリブル突破し鄭赫にスルーパスが通るがフリーでシュートを放つが外してくれた。完全に同点ゴールかと思ったのだが助かった。試合を決定づける為にも追加点が欲しい日本は72分交替出場の島田が左サイドから入れたところを伊賀が撃つが韓国の左サイドバックの金泉遇がブロック。その後の宮崎の入れたCKのこぼれたところに詰めた染谷(流通経大)が撃ったシュートはクロスバーを越える。74分には右サイドから入れられたゴロのセンタリングをフリーでシュート体勢に入った伊賀が空振り。それでもボールは左に転がり島田が走り込んで撃つがゴールの枠を捉えられない。83分には韓国ゴール前の混戦から最後は池田圭が至近距離から撃つがGK朴俊五がパンチで防ぐ。残り時間が少なくなってきたとはいえ粘り強い韓国の事だからこのまま容易に逃げ切れるとは思えない。しかし85分、韓国ゴール前の混戦からこぼれ球をしぶとく拾った伊賀が3点目を叩き込み試合を決定付けた。
最後は三平(神奈川大)が右サイドで何度もドリブル突破を見せた伊藤大介に替って投入される。私の隣に座っていた家族づれの中の子供が “大ちゃ~ん”と叫ぶ。どうやら身内だろう。母親と思われる人に “14番、ドリブル良かったですね。”と言うと丁寧に “どうも応援ありがとうございます。”と言われた。
そしてタイムアップ。初めて日韓戦で日本が勝った試合を観戦出来た。スコアーは 3-1 だったが、権景昊が投入されてからピンチを何度か招き、それを決められていたら勝敗は替わっていたかもしれない。しかし韓国学生選抜は思っていたほど激しくは来なかった様に見えた。また1対1の局面では日本がほぼ優位だったと思う。
この中からJリーグ、代表入りする選手も出て来るかも知れない。韓国の方も代表入りする選手が出て来るだろう。 これからまたどこかで彼らが違ったユニフォームを着た時に見る事を楽しみにしながら帰途についた。

あぁ俺がこの国立競技場で走ってからもう20年以上が経ったなぁ………

  


高温多湿のシンガポール

2008-04-18 | Football Asia
商用でシンガポールに来ています。
それにしても4月の東南アジアは地獄の様な暑さと湿度だ。まぁ赤道がすぐ近くにあるので暑さは当り前なのだろうが。今でも忘れられないのが1984年のロス五輪予選。丁度今頃このシンガポールで開催された。テレビを通じてでも日本選手がこの暑さに参っているのが解った。対戦相手は初戦がタイ、続いてマレーシアとシンガポールを“ホーム”と出来る国が相手。続いてカタール、イラクと結局4連敗してしまうのだが、その要因の一つが4月にここを初めて訪れた時に解った…….

一時は通貨危機で経済が大きく落ち込んだシンガポールだが今は好景気に沸いている。自動車の量が増え、この狭い国土でその増加を抑制する為に自家用車への課税率を上げても“効果”は無く、政府は朝夕の混雑時の渋滞緩和の為に今度はタクシー料金に時間帯を決めて35%の sur charge を課す事に。ガソリン料金もSG$2.00 / L を下らない。これはリッター当たり 150円以上で与野党がガソリン代金で人気取りをしているこが滑稽に思える。それでも特に夕方午後5時からの渋滞は酷くなっている…….

アルビレックス新潟が参戦している事で話題になる事もあるが、ここシンガポールには S League と名をうった国内リーグがある。 今シーズンは4月14日日程終了時で Home United が勝点25でトップそれを追ってSingapore Armed Forces FC, Super REDS が勝点24で追い、そこから勝点10の差があって4位に Tampines が続きアルビレックスは9試合で勝点8順位も12チーム中10位と出遅れている。 Super REDS は昨シーズンから S-League に参戦した韓国人選手で構成されたチーム。昨シーズンは勝点18しか上げられず最下位に終わったが今年は少し違い、既に昨年の総勝点を上回っている。
観光ガイドブックには必ず紹介されているOrchard Road からタクシーで渋滞に巻き込まれながら約30分、Gombak United のホームグランドに到着する。ここに来るのは3年振り。あの時はアルビレックスの試合だった。この日の相手は Wellington Woodland 。8試合を消化して勝点9で Gombak と並んでいるが順位は得失点差で Woodland が9位、 Gombak は8位となっている。共に順位を一つずつ上げる為にも負けたくない試合。 Gombak は昨シーズン4位であったが3位の Tampines とは勝点差が 29も開いた48しか上げられなかった。と言うよりも昨シーズンは上位3チーム Singapore Armned Forces ( 勝点79 ) Home United ( 78 ) Tampines ( 77 ) と完全に上位3強の優勝争いであった。

この日は試合開始前から霧雨が降っていて開始時にはそれがすこし大粒になっていた。試合は開始からホームの Gombak United が圧倒的に試合を支配する。ナイジェリア人の2トップの Kingsley Nijoku と Gabriel Obatola の二人が強い。そしてサイドバック、右の Faizal Hamid 左のJeremy Chiang の二人が良く上がって来てチャンスを作る。特に Hamid はドリブルがうまい。そしてボランチの Ridhwan Jamaludin, 2列目右のRuhaizad Ismail もボールがよくキープできる。 Woodland はこの攻撃を何とかCBのAzmi Mahamud とルーマニア人DF Lucian Droncaの二人で凌いでいると言った感じだ。 Dronca は2000-01シーズンからマルタの Birkircara でプレーをし2002-03 のシーズンはチームの最優秀選手に選ばれた。 Gombak はCKを得ると CB の長身187cm のPrecious Emuejeraye がゴール前にあって来る。そしてそのCKを Emuejeraye が頭で折り返した所を Obatola が頭で押し込むがこれはオフサイドの判定。Precious Emuejeraye はシンガポール代表歴もあり昨年アジアカップ前にオーストラリア代表がシンガポール入りし、調整試合を行ったっ時に出場を果たしている。そして今年のワールドカップ予選、サウジアラビア戦、レバノン戦と出場をしている。 
28分には 右サイドのタッチライン沿い、Ismail のスルーパスがオーバーラップした Hamid に渡りクロスが入るがこれはゴールラインを割ってしまう。30分にはCKのチャンスから最後は Jamaludin がシュートを放つがDFに当たってゴールには至らなかった。 42分には Nijoku のシュートがサイドネットを直撃し、その直後に Ismail が右から入れたクロスをNijoku がヘッドで狙うがこれは大きくゴールを外れた。押されっぱなしの Woodland は30分、右サイドを Sazali Salleh がBah Mamadou をかわして日本人MF中村彰宏に送る。中村は絶妙のクロスを入れるがFadzuhasny Juraimi のヘッドは力なくGK正面に。ロスタイムに入ってIsmadi Mukhtar の突破から2度 Gombak ゴール前に迫るが得点には至らなかった。
この試合の一つの目当ては中村彰宏。東海大学卒業後はサラリーマンになったがその後シンガポールに渡りSリーグの選考にパスし以降現在まで Sリーグでプレーし続けている。一時はアルビレックスシンガポールにも在籍した。しかし前半は守勢に回り中村にあまりボールが渡らなかった様だ…….

ハーフタイムに入って“夕食”を摂る。入口のすぐ近くで売っていたナシゴレン(日本でいう炒飯)と揚げ餃子などのおかずがついてSG$6.00 ( 約450円)の弁当を開く。これがなかなか美味いのだ。試合の開始からリズミカルな打楽器の演奏で両チームのサポーター達が熱心に応援を続けている。ホームの Gombak の方は12名のチアーガールがそのリズムに合わせてのべつ幕なし踊り続けていた。チアーガールと言っても年齢は小学校低学年から上はおそらく高校生にもなっていないのではないかな??彼女達が陣取る場所はスタンドの真ん中で観戦するには一番良い場所なんだけど…..恐らく雨が降らねばスタンドの端の方に陣取った事だろう。前半の終わり頃から雨脚は止まっていた。しかし後半もそこで応援するのだろう。チアーガールを使って応援するやり方を私は悪いとは思えない。リーグを盛り上げようと必死になっているのだろう。Jリーグ発足前のJSL時代、日産自動車、全日空、古河電工、本田技研そして住友金属なんかがチアーガールを起用した応援をしていた。古河は当時存在したアイスホッケーの試合でも起用されたチアーガール達だったと思う。本田、住友は社内の女性社員だったのかもしれないが全日空、日産は専門のチームと契約していたらしい。一度テレビで特集されたのを看た。日本リーグをそしてサッカーを何とか“メジャーにしよう”と言う思いは伝わって来た。今はそう言う必要は無いけど……. 

 

後半は開始早々に中村が倒されて起き上がれない。そして外に運び出されてしまった。 Woodland は中村のスルーパスと Mukhtar の突破だけが頼りなので中村が下がってしまうといよいよゴールが遠くなる。中村は数分して何とかピッチに戻って来た。試合は相変わらずホームの Gombak が支配を続ける。FW のObatola が今度は自らが起点となってチャンスを作る。48分には左サイドを上がり Nijoku に送り、後ろから上がって来た Fazuri Jaffar にスルーが通るが Jaffar のシュートはクロスバーを越える。50分には Obatalo のスルーパスがまたも Jaffar に通り、 Jaffar が上げたクロスを攻撃参加した CBの Lucian Duronca がヘッドで合わせるがこれもバーを越えた。52分今度は Nijoku が中央を強引に突破しシュートを放つがこれもクロスバーを越える。 Gombak のFWはスルーパスも突破も出来るがやはりFWはシュートを撃たねば……. 劣勢続く Woodland は 52分に FWのFadzuhasny Juraimi をAzlan Alipah に替える。しかし Woodland はFWにまでボールが繋がらない。54分 Obatola のスルーパスがまた Fazuri に通り Fazruri がそのまま右から中へ切れ込む。シュートレンジに達したが中に戻した所を Woodland のDFがコーナーへ逃げる。そのCKからのこぼれ球を Fazuri が撃つがGKの正面。 62分には右サイドを崩して Obatola が今度はシュートを撃つが GK Yazid Yasin がパンチングで防ぐ。そのこぼれ球を拾って繋ぎ Nijoku の放ったシュートはゴールネットを揺らすがオフサイドの判定。この試合2度目のオフサイドゴールとなったが今度は納得のいかない Nijoku が主審に詰め寄る。 攻めても得点の入らない Gombak, 防戦一方の Woodland 。この高温多湿を考えればそろそろ選手交代が必要になる時間帯。次に交替カードを切ったのは Gombak ベンチ。後半はあまり攻撃に絡まなくなったMFのIsmail を下げてEmmanuel Emuejeraye を68分に投入する。 Emuejeraye は左サイドバックに入り、Chiang は右サイドバックに移り、右サイドの Hamid が中盤に上がって来た。すると71分 Woodland が右サイドバックの Anaz Hadee を下げて3バックにし 韓国人FWのパクテウォンを投入する。そのせいか Gomabk ベンチは74分に右サイドに移した Chiang を下げてSevki Sha'ban を投入し左サイドバックに置き 中盤に上げたはずのHamid を右サイドバックに下げて4バックに戻した。そしてCBの Emuejeraye がセットプレー以外でも上がって来て1点を狙う。 79分にはクロスに飛び込むもここはキーパーチャージを取られた。82分に Woodland はMF Fadzuhasny Juraimi を下げて Azlan Alipah を入れるがフォーメーションには特に変更は無い様だ。最前線にパクが入ったので3トップ気味にはなっているが。 Gombakは84分、左サイドから起点になっていた Fazuriを下げて Jalal を入れる。 Jalal は Fazuriよりも中の位置に入る。圧倒的に攻める Gombak しかし最後に唯一の得点が入ったのは Woodland だった。88分カウンターから最後は中村からスルーパスが前線のパクテウォンの通る。Gombak のDFは Bah Mamadou しか残っていない。そして右には Woodland 選手があがり完全に 2対1の形になったがそのままパクがドリブルで持ち込んで放ったシュートは Gombak ネットを揺らした。 朴のドリブルシュートも見事だったが定規で測ったような中村のスルーパスも見事だった。
Gombak のチアーガール達は呆然とWoodland の選手達が喜ぶのを見ている。 Woodland サポーター達の歓声が響く。試合内容では圧倒的に押されていた Woodland だったが得点を挙げたのは劣勢だった Woodland だった。ロスタイムを含めてまだ残り時間は5分あったが気落ちしたか Gombak に挽回する力は残っていなかった。



試合終了後ベンチ前で喜ぶ Woodland の選手達。雨がまた少し降って来た……….. やはりスポーツは生で観戦するのが一番だ。そしてスポーツはどこにでも存在する。 UEFA Champions League も東南アジアのサッカーも同じサッカー。そしてそこには日本人選手もいる。

翌日から高温多湿のシンガポールでまた仕事に精を出した……………??


無念の敗退 五輪出場ならず、でも俺はそこで観たかった…….

2008-04-18 | Weblog
マイナースポーツなんて誰が創った言葉なのだろう?? 
やっている本人や関係者達はマイナーもメジャーもへったくれもないのだ。皆全身全霊、力のある限り自分の取り組んでいる競技に打ち込んでいるのだ。
私は兼ねてから日本ほど先進国の中でスポーツ後進国は無いと思って来た。それは五輪のメダル獲得数や世界選手権やアジア大会での結果を比較しているのではない。その価値観の低さである。恐らく人気のある芸能人やアイドルタレント、お笑い芸人の方が世間一般で上に看られているのではないだろうか? 
大学時代の事だ。当時日本マラソン界は瀬古利彦選手と中山竹通選手の二人が日本のみならず世界のマラソンを牽引する選手で陸上競技の現役選手であった私はいつの日か彼らみたいになりたいと(その時は)本気で練習に没頭していた。(結果はさっぱり届かなかったけど。) 
東京国際マラソンの表彰式の模様が述べられた記事を専門誌に見つけた。当時の司会は後に癌で亡くなった逸見正孝さん。そして記念品のプレゼンターは当時全盛期だったおニャン子クラブの中でも一際人気の高かった国生さゆり。彼女も結構陸上競技をやっていた時期があったのはその当時から知っていた。
中山選手が国生さゆりから記念品を受け取り握手を交わした様子がその記事に載っていたけど、私はそれを複雑な気持ちで読んだのを覚えている。

“中山くらいにならないと国生さゆりと握手出来ないのか………” それだけ世間では国生さゆりの地位が高いのか、陸上選手を誰も知らないのか…….

4月13日午後2時5分。私が子供の時から変わっていない御馴染のNHKのスポーツ中継のテーマ曲が流れて来る。 1985年10月26日、サッカーのワールドカップ予選の中継がこの曲と共に始まった時 “あぁ、サッカーの日本代表の為にこの曲が流れた。”と思い、そして今 “男子ホッケーの為にこの曲が流れている。”と思った。この日の関東地方は曇り時々雨、試合のあった岐阜のグリーンスタジアムの天気はどうだったのだろう。スタンドはほぼ満員だ。全国から熱心にホッケーを愛する人たちが多くやって来たのだろう。この競技場も立派だが、マレーシアの Bukit Jalil 競技場の様にもっと観客の入る競技場であればこの試合を完全に“ホームゲーム”に出来ただろうに….と思うのは私だけか?? それでも試合開始前からここに集った人達は精一杯の声援を “さむらいJAPAN” に送る。
赤堀主将がホッケー人生を賭けてこの試合に臨むと試合前に話していた事がテレビを通じて紹介される。私も 
 “マイナー競技が何だ、オリンピックは出たもん勝ちじゃ。出場権を勝ち取って鼻をあかしてやれぃ !! “
と勝手な意味のない声援をテレビに向かって送った。そして。NHKのアナウンサーの “歴史的な日に出来るでしょうか。” と言う言葉と共に古里のセンターパスで試合が始まった。このアナウンサーなかなか言うじゃないか….. しかしフィールドの上もなかなかだ。坂本、古里が積極的にドリブルで仕掛ける。これまでドイツは5戦全勝。そして得点30、失点はなんと0だ。勝つ為には得点が必要だ。いやそれよりも失点しなければ良いのか?それにしてもドイツのレベルの高さはホッケー素人の私でも一目了然。先週のスイス、ポーランドはおろか前日のマレーシアとも格段の違いだ。まずロングパスが非常に速くて正確だ。あれだけ身体がでかいのに動きは早い上に小回りが利く。スティック捌きも違う。そしてあれほど有効だった片山や小澤のドリブルも簡単に行かせてくれない。 特に小澤にはマンマークがついていて自由にボールが出せないしもらえない。
それでも最初の絶好機は日本だった。11分に伊藤満が左サイドを上がりゴール前に入れたパスがドイツGK Ulrich Bubolz を破り坂本がフリーで飛び込むがスティックに当たったボールは浮いてしまいゴール枠を外れる。少しスティックの角度が違ったらそれこそ歴史的なシュートになっていたかもしれなかっただけに本当に惜しいチャンスだった。
その後は目を醒ましたのか、本気モードに切り替えたのかドイツの怒涛の攻撃が始まる。13分にFlorian Keller がワンハンドドリブルで持ち込みサークル内に打ち込めば15分にはFHから Niklas Meinert が打ち込みそこに Oliver Korn が飛び込むが必死の防戦で得点を許さない。 だが16分に Matthias Witthaus がセンターライン付近でパスカットをするとワンハンドドリブルで一気にサークル内に入って来てそのままリバースショットを左から右に放つ。これを走り込んだ Keller が合わせてあっさりと先制点を許してしまった。 勝為には絶対に先制点を…と思っていただけにこの失点はショックだった。
しかし、選手達はそんな事で怯んではいなかった。19分には小野からボールを受けた小澤が右から打ち込みボールがサークルの左に出たところを坂本が拾ってドリブルで粘る。そこにフォローに穴井が入りパスを受けるが穴井は上手にドイツ選手のキックを誘いPCを得る。予選リーグのドイツ戦では1つもPCを取れなかったが大事な決勝戦で技ありのプレーが出た。このPCのチャンスに山堀が放ったドラッグフリックはGK Bubolz のファインセーブに阻まれる。昨日のマレーシア戦からPCからの山堀のシュートはGKのファインセーブに阻まれっぱなしだ。その後ドイツはスクープからカウンター攻撃に転じ最後は Tobias Hauke からパスを受けた Korn がシュートを放つがバーの上を越えてくれた。その後も波状攻撃を受けるがGK三好が最後は足でクリアーしピンチを凌ぐ。22分には穴井がゴール右上にシュートを放つがまたも Bubolz がセーブ。その際に伊藤亮が Bubolz と交錯して倒れる。35分今度は片山がドリブルで持ち込みサークル内に侵入。そこから坂本がシュートを放つがおしくもゴールの右に外れる。この時点のシュート数はドイツ4に対して日本が6。これは日本の優勢かと思った32分、Zeller Christopher がドリブルで持ち込みサークル内に侵入したところを穴井が倒してPCを献上する。ここは穴井が行かなかったら Zeller にシュートを許していただろう。だがこのピンチは Zeller のシュートを坂本が跳ね返して凌ぐ。そして日本は攻勢に出る。右サイドを坂本が突破しサークル内に打ち込んだ所を片山が合わせに行くがここは防がれる。終了直後にはFHから片山が撃つがコーナーへ。坪内のFHからまたも片山がサークル内で粘るがここもクリアーされ、前半を 0-1 で終えた。シュート数ではドイツの5に対し日本は7で数では上回った。後はそのシュートをゴールに入れるだけなのだが…….. 

 

ドイツのセンターパスで後半が始まる。次に先に1点を取らないと….. と思った開始4分、PCを与えてしまい、Zeller に決められ追加点を奪われる。この追加点は痛いと思った。さらに47分にもPCを献上。今度もZeller が一旦他の選手にパスを出して坂本の動きを外して壁パスの様に戻って来たところを撃たれて3点目を喫する。残り時間は20分以上あるとはいえ、この時点で北京への路は閉ざされたのかも知れなかった。あぁ前半の最初のチャンスが入っていれば.......
日本は前半に比べると明らかに運動量が落ちた。それに気が付いたのかドイツはロングパスを多用しだし日本をさらに揺さぶる。前半は日本に攻めさせてスタミナ切れを狙ったのか……. そんな中気を吐いたのがGK三好。66分には Witthaus のシュートをファインセーブで防ぐ。しかし時間は過ぎる。日本はシュートサークル内に入れ無い。よしんば侵入してもドイツはゴール前に多くを配置しシュートを撃たせない。 それでも日本はドイツがカウンターに転ずれば必死に戻る。 
残り時間が10分を切ったあたりから私は涙が止まらなくなってきた。 ここにいる選手達だけではない、北京五輪出場を目指して来た関係者達、かれらの心中を察すると涙が止まらない。ホッケーだけじゃなく一度でもスポーツに取り組んだことのある人ならわかるはずだ。“マイナースポーツ”と言われてどんなに悔しい思いをしただろう。 アジア大会で中国がパキスタンに勝ってしまった時、欧州選手権でドイツがまさかの4位に終わった時、なんと不運が降りかかるのだろう…. と思った事だろう……. 68分にPCのピンチから今度は Draghun Sebastine に決められ予選リーグを同じ 0-4 のスコアーとなってしまった。
しかしまだ試合は終わっていない。最後に一矢報いてほしいと思った。1点を取って欲しかった。ホッケーをしている少年達に、これから目指すであろう子供達に意地の1発を….. と思った。そして終了直前にPCを得る。大歓声が起こる。
さぁ見せてやれ、 世界1位に日本の力を見せてやれ…………..

残念ながらこの決勝戦もドイツから得点を挙げる事が出来なかった。 ドイツの選手達は憎らしいほど勝って当たり前と言った表情。後半のシュート数は日本の2に対してドイツが9.最後に本領を少し発揮したと言ったところか…… 

 

大会期間中はグリーンスタジアムも多くの観客が詰めかけたらしい。特にマレーシア戦、決勝のドイツ戦はほぼ満員だったそうだ。遠くからここに駆けつけたホッケーファンも少なく無かったらしい。私もそこに居たかった………

夜のNHKスポーツ番組で山堀主将が “期待にこたえられなくて申し訳ありません。”と涙ながらに記者会見で語っていた様子が伝えられる。 貴方はちっとも詫びる必要はない。選手、関係者達には敬意を表する。五輪出場はならなかったが多くの人がこの大会を通じて日本選手の事、世界でもトップクラスのドイツの選手を知る事が出来た。私もその一人だ。 

ホッケーの試合のテレビ中継なんて五輪予選くらいしか無いのかもしれないがこの大会を中継したNHKにも敬意を表したい。そして民放は相変わらずくだらない春の特別番組ばかり垂れ流している……… あぁ日本が真のスポーツ大国になる日はいつなのだろうか…….. 

 

届かなかった北京五輪….. しかし強化は続けてくれ

2008-04-14 | Weblog


残り時間35秒。右サイドから塚田の放ったシュートはドイツの選手の足に当たりPCを得る。日本は最後のチャンスと言うよりも最後のプレーだ。北京五輪への可能性は全くない。センターサークルに戻ったドイツの選手達はもう五輪出場権獲得を喜んでいる。それはゴール前でスタンバイしている選手も同じだ。私の目からは涙が溢れている。

“決めてやれ。ここで一泡吹かせてやれ。あのGKから1点取ってやれ。そしてホッケーを目指す子供達に見せてやってくれ………”

もう時計は残り時間0秒だ。坂本がボールをセットする。そして撃つ。小澤がボールを止める。主将の山堀が渾身の力をこめて放ったシュートはゴールの僅か右に外れる。 40年振りの五輪出場を賭けた日本男子ホッケーの挑戦はここで幕を閉じた……….

フィールドホッケーは欧州では大変人気があり商用で出かけた時に現地にスポーツチャンネルでよくワールドカップや世界選手権が中継されそれをテレビ観戦をするのも楽しみに一つだ。ホッケーはマレーシアでも盛んで地元紙に紙面を大きく割いて国内リーグや国際試合の報道が掲載されているのをよく見る。ホッケーをやっていた人や長年応援して来た人には失礼であるが残念ながら日本ではホッケーはどちらかと言うとマイナーな部類だ。最近では女子の代表がアテネ五輪に出場を決め、タレントがスポンサーになったりして話題になり2006年12月のアジア大会で2大会連続五輪出場を決めた。 しかし男子は1968年メキシコ五輪以来出場出来ていない。1972年のミュンヘン五輪は参加資格がありながらエントリー忘れで出場出来なかったとある人から聞いた事があるけど……

ホッケーもサッカーを除く他の殆どの競技同様オリンピックが最もその存在価値を示す種目と思われる。
五輪種目に採用されたのは1908年のロンドン大会からと歴史も古い。ただその時は England, Ireland, Scotland, Wales と英国4協会が参加する形。1928年アテネ五輪でインドが金メダルを勝ち取りインドの時代が始まる。1885年にインドで最初のホッケークラブがコルコタで結成され1926年ニュージーランドと最初の国際試合が行われた。そのアテネ五輪の英雄 Dhyan Chand はインドと言うよりも世界でも伝説の選手で(ペレみたいなものかな?)後のインドの名手 Balbir Singh は“現代の Dhyan Chard “ と呼ばれパキスタンの名選手 Habib-ur-Rehman は”パキスタンのDhyan Chard “ と呼ばれたらしい。だが戦前は大英帝国の植民地でユニオンジャックの下でのプレーを余儀なくされた。以降インドはメルボルン五輪まで大会6連覇を果たす。特に1948年のロンドン大会は独立を勝ち取ったばかりでなく宗主国の地で地元英国を決勝で 4-0 で破り金メダルを勝ち取ると言う快挙に国民は狂喜したらしい。そのインドの連覇を止めたのがパキスタン。メルボルン五輪では決勝でインドに 0-1 で敗れるもその時のメンバー6人を擁して臨んだローマ五輪の決勝戦ではインドを 1-0 で破り雪辱。そしてその次の東京五輪では今度がインドが決勝でパキスタンを 1-0 で破り再リベンジを果たす。そして日本が最後に出場したメキシコ五輪では準決勝でインドはオーストラリアに 1-2 で敗れて決勝に進めなかったが予選リーグでもニュージーランドに 1-2 で敗れ、五輪史上初めてインドが2失点を喫した試合であった。尚このグループリーグで日本はインドと対決。 0-0 の55分インドにペナルティーストロークが与えられた事に腹を立てた日本選手達がフィールドを後にしてしまった。メキシコ五輪の決勝戦はパキスタンがオーストラリアを 2-1 で降し2大会ぶりの金メダルに。しかしインド、パキスタンで独占し続けた金メダルは続くミュンヘン五輪で途絶える。地元西ドイツが決勝戦でパキスタンを激戦の末 1-0 で破り1920年アントワープ大会以来52年振りに欧州に五輪タイトルを持ち帰った。そして世界のホッケー界は激変する。ミュンヘン五輪以降公式戦は人工芝で行う事が義務付けられスピード主体の欧州勢が台頭する事に。この影響か1976年のモントリオール五輪ではニュージーランド、オーストラリアのオセアニア勢が1,2位を占めパキスタンが何とか銅メダルを勝ち取った。大学の時にインド人の留学生がこの件に触れていた。
“あの決定は欧州人の陰謀だ。インドやパキスタンのテクニックに対抗する為にボールの良く走る人工芝を義務付けた。大体あれだけインド中にあるホッケー場をどうやって全部人工芝に張り替えるんだ……”
1980年のモスクワ五輪でインドが16年振りの金メダルを勝ち取るがこれは有力国の多くがソ連軍のアフガニスタン侵攻に反対して大会をボイコットした為でエントリーした国も6カ国しかなかった。続くロス五輪では共産陣営がボイコットした中パキスタンが決勝戦でドイツを 2-1 で破りミュンヘン五輪決勝戦のリベンジを果たし16年振りの金メダル。パキスタンの役員が“欧州の女性はパキスタンの男性よりも早く走る。だから我々はホッケーで勝たねばならない。”と言ったのが印象的だった。
ここでもインドは5位に沈む。2年前のニューデリーでのアジア大会決勝戦では地元開催にも関わらずインドはパキスタンに 0-7 で大敗した。この時既にインドの凋落は始まっていた。
1988年ソウル五輪英国が決勝戦でドイツを 3-1 で降して68年振りの金メダルを勝ち取りオランダが銅メダル。1908年大会以来初めて欧州勢がメダルを独占した。1992年バルセロナ大会ではそれまで2大会連続銀メダルのドイツが決勝でオーストラリアを 2-1で降しミュンヘン五輪以来の金メダルを勝ち取る。パキスタンがオランダに4-3で競り勝ち銅メダルを勝ち取ったが、これがパキスタンが最後に取ったメダル。そして世界のトップは欧州、オセアニア勢にとって代わられている。アジアでも勢力図に大きな変化がある。これまでインド、パキスタンの2強時代が長く続いたが1986年ソウルでのアジア大会決勝で韓国がパキスタンを破って以来徐々に力をつけた韓国が今やアジア No.1 の実力を誇るらしい。2000年のシドニー五輪では決勝に進出。オランダとの激戦は Penalty Shootout にまでもつれ込み惜しくも敗れ銀メダルに終わったがこの結果を聞いた時。

“一体日本は韓国に勝てる球技は何があるのだろうか…….” と呆然としたのを覚えている。

この五輪最終予選、欧州選手権の3位決定戦でドイツが格下のベルギーに敗れ最終予選に回って来たのだが関係者はその結果に愕然としたらしい。ドイツは世界ランク1位。何でここに回ってくるのよ…….私でさえそう思った。ドイツのこの予選の戦いぶりを見ても他国との実力差は明らか。欧州勢を1つでも五輪に出したいからわざとこの予選会に回って来たんとちゃうか……とさえ思えた。
リーグ戦でも日本はドイツに 0-4 で敗れている。 しかしドイツとて同じスティックを持った同じ人間。試合が始まる前から諦める理由は何もない……そう思いながらテレビの前で試合開始を待った………………. 続く

がんばれ男子ホッケー...... !!

2008-04-13 | Weblog
4月12日 vs マレーシア(世界ランク14位)

残り時間は2分。日本はこの試合4回目のペナルティーコーナーのチャンスを掴む。しかしこれまで3回のPCのチャンスには得点を挙げられていない。坪内が入れたPCを小澤がストップミスをして後ろにそらす、あぁこのチャンスも…と思うが小澤はすぐに拾う。そこにバルジットシンが詰めるが小澤はシンの左を破ってゴールの左に強いボールを送る。そこに坪内が身を挺してスティックを投げ出しボールを中に入れたボールは弾んでゴール前に。そこに吉田と片山が雪崩込み最後は片山が押し込む。私は思わず“やった~。入った。”と叫ぶ。NHKのアナウンサーもそう叫んだ。
しかしオーストラリア人のグライムアンパイアがもう一人の英国人のハミッシュ=ジェームソンアンパイアーに確認に行き正式にゴールを認める。日本がついに同点に追いつき決勝進出に大きく一歩前進した瞬間だ。 

 

ここでマレーシア選手達がアンパイアーに詰め寄る抗議を始めるボールが弾んだ時にシュートに入った片山の足に当たったとの抗議だが判定は覆らない。 Kumar S Sathis マレーシア監督も納得がいかない表情でアンパイアーに何が言っている。マレーシアの選手達がフィールドから引き揚げて来る。役員達も出て来て最後は Sathis 監督に促されるように選手達はピッチに戻る。試合は5分程度の中断を経て再開となった。残り時間は1分47秒。この時間を凌いで日本は明日、ドイツとの決勝戦に駒を進める事が出来た。

2006年12月ドーハで行われたアジア大会。日本男子ホッケーは準決勝に進出するも準決勝で韓国に 0-2 で敗れ3位決定戦では強豪パキスタンに山堀貴彦の得点で先制するなど健闘するも 2-4 で敗れ、北京五輪出場権は2008年4月5日から岐阜で開催される最終予選まで持ち越しとなった。この予選は参加6カ国が総当たりで順位を決め上位2カ国で決勝戦を行いたった1つの出場枠を争う。世界ランク11位の日本は世界ランク1位のドイツには勝てなくても14位のマレーシアには勝って決勝進出を果たしたいところだ。
これまで日本はドイツに敗れたものの3勝1敗。マレーシアは世界ランク37位のイタリアに引き分け2勝1敗1分け。この日本戦に勝って2大会ぶりの五輪出場に望みをつなげたいところだった。
アジアカップが開催されたマレーシア、クアラルンプールの Bukit Jalil National Stadium 。ここは色々な競技場が集まっている Sports Complex になっておりフィールドホッケーの立派なスタジアムもあった。マレーシアではホッケーは人気のスポーツ。地元紙でも結構国内リーグを報道しており、アジア大会ではメダル獲得の有力種目。そして数少ない五輪出場が期待できる種目でもある。2007年12月にはオランダやニュージーランドを招いて国際大会も開催した。最近ではインドから“経済的な理由で”マレーシアにやってくるホッケー選手も少なくないらしい。
マレーシアは日本が最後に五輪出場を果したメキシコ五輪の次のミュンヘン、モントリオール五輪では8位に入っている。以降ロス五輪では10位、バルセロナ9位、アトランタ11位、シドニー11位の成績を残している。アジアホッケーでは日本とは長年のライバル。お互いに世界の舞台に出るには直接対決で破らねばならない相手。
2000年大阪で開催されたシドニー五輪予選では先制しながら 1-2 で逆転負けを喫し五輪出場を阻まれた。最近ではドーハのアジア大会では山堀の2得点で2-2 で引き分け準決勝進出を果たした。

この北京五輪予選のマレーシア戦は大会前の予想通り決勝戦でドイツへの挑戦権を得る為の試合となった。イタリアに勝っている日本はこのマレーシア戦引き分けでも良かった。試合は開始からマレーシアの攻撃時間が長く優勢に試合を進める10分にはマレーシアの波状攻撃をGK三好が何とかゴールラインの外に出してピンチを防ぐがマレーシアはペナルティーコーナーのチャンスが続く。マレーシアはこのチャンスに最後は長身のチュアが決めて先制ゴールを挙げる。チュアはアジア大会の日本戦でも得点を決めている。日本はスイス、ポーランド戦に続いて先制点を許す事になった。先制後のマレーシアはゴール前を堅めカウンター攻撃に出る戦術を取るがこの戦術は世界的にも定評があるらしい。そしてこれまでの対戦国とはスティックさばきが異なる事は一目了然で前の3試合では相手国が誰も触れられなかった坪井のドリブルにもしつこく食い下がって来る。それでも日本は21分坪内の右からのフリーヒットに小野と交替で入ったばかりの伊藤亮が合わせて同点に追い付いた。
しかし同点に追い付くと勝たねばならないマレーシアは積極的に前に出て来る。25分にはモハマッドマズリのフリーヒットからピンチを招くが何とかクリアー。しかし26分にはカウンターに転じたジウロンのドリブルを小澤がファールで止めしかもイエローカードを受けてしまい5分間の退場となってしまった。このチャンスをマレーシアが見逃すはずもなく攻撃に人数を賭けて来る。28分には果敢に日本ゴール前に攻め込み決定機はGK三好がセーブ、そのこぼれ球も拾われまたもピンチを招きシュート体勢に入ったイスマイルに伊藤亮が体を寄せてファールを取られPCに。そのPCからクヴィンダーシンが撃ったシュートをフィールドプレーヤーの吉田が足で止めて今度はペナルティーストロークに。そのPSをジワが右隅に決めて 2-1 と勝ち越される。その直後に小澤が戻って来て人数が揃うがマレーシアに追加点を許してしまう。後方からトゥンクダジュディンに渡りピンチを迎えたところを倒してフリーヒット。そのフリーヒットのクリアーボールが浮いてしまい丁度クヴィンダーシンの前に落ちてそのまま押し込まれ 1-3 と2点のリードを許してしまった。
これは苦しい展開になった。しかし日本はすぐに1点を返す。坂本が右サイドをドリブルで破りファールを貰ってフリーヒットのチャンスを掴むと伊藤亮が入れたFHに小野が合わせて得点を決めて 2-3 と1点差に。前半終了18秒前の貴重なゴールであった。
後半は立ち上がりからマレーシアが攻撃に出て来る。2点差にして安全圏に逃げたいのだろう。しかしフリーヒットからのピンチ等を凌いで10分を過ぎると日本が主導権を握りだす。48分には坂本のドリブルが相手の足にあたりFHのチャンスを得る。坪内のFHがマレーシア選手の足に当たってPCを得る。しかし山堀のゴール左隅に飛んだシュートはGKクゥマールがセーブし同点ゴールが割れ無い。すると53分今度はマレーシアにPCを与えてしまうがここはアズブンのシュートを三好がファインセーブで防ぐ。55分、坪内のFHがクヴィンダーシンの足に当たってPC。しかしこのチャンスは小澤がストップに失敗してシュートに至らない。57分にもFHを得て坪井が坂本繋いで中に入れるがここはマレーシアDFが分厚い守り。 そして残り時間10分を切るとマレーシアも守備を固めカウンター攻撃に転じるしかもカウンター後の戻りも早い。66分には片山の左サイドに切れ込んだドリブルからこの試合3つめのPCを得る。しかしここからの坂本のシュートもGKクゥマールがファインセーブ。GKクゥマールはこの大会最優秀GKに選ばれた。 残り時間が刻一刻と過ぎ日本にとっては苦しい時間が続く。 67分日本は最後のチャンスを作る片山がドリブルで持ち込み倒されてFH.サークルトップからの坪内のFHからのシュートはまたもGKクゥマールにセーブされサークルの外にクリアーされるが、その前にマレーシア選手の足に当たったとの事でPCを得る。残り時間は2分。最後のチャンスになった。坪内がボールをセットする。明日ドイツへの挑戦権を得る為のラストチャンスになると……..

まさに起死回生の同点ゴールだった。マレーシア関係者はFHI 国際ホッケー連盟に抗議文書まで送ったがもちろん判定は変わらない。このメンバーは違う。かならず何かやってくれると期待させられると思った……

   

4月5日 VS スイス(世界ランク33位)
岐阜県各務原市の岐阜グリーンスタジアムで開催された北京五輪最終予選。たった一つの出場権を求めて6カ国が集った。40年振りの五輪出場権獲得に向けて日本の初戦はスイスだった。試合は開始から世界ランクの差がそのまま出た様な内容。運動量、テクニックで日本が上回る。古里、田中がチャンスを作るが最後のシュートサークル内でパスが通らない。開始4分には片山がフリーでシュートを撃つがGK Eglof がストップ。その後PCのチャンスから山堀が撃ったシュートはゴールの左上に外れる。結局前半スイスにシュートを1本も撃たせなかったが日本も無得点に終わり 0-0 で前半が終わった。
この競技場はホッケー場が2面並んで取れるが横の面に仮設スタンドを建設し3,000人の観客が入れるようにしたらしい。日本も早くマレーシアの様に専用の立派なスタジアムを造ってほしいのだが…….

前半は初戦の硬さが目立った日本だが後半は何と先制点を許してしまう。38分、左サイドを上がる Bergmann のドリブルを尾藤がファールで止めてPC. Kloter がいれたショットからのシュートを一旦はGK三好がストップするもボールが Kloter の前に転がりそのまま押し込まれて先制されてしまった。
しかし3分後に日本は同点に追い付く。ロングパスがゴール前の川上に送られるが僅かに長すぎてコントロール出来ない。そのこぼれ球をGK Egloff が足でクリアーそのこぼれ球を今度は坂本が拾ってドリブルで右から入れたセンタリングに片山が合わせて同点ゴールが生まれた。 満面の笑みを浮かべる日本選手達そして日本ベンチ。この同点ゴールで硬さから解放されたか日本がほぼ試合を支配する。そして59分小澤のドリブルから入れられたセンタリングを一旦は外に出るが中に再び折り返し中に入れたところGK Egloff が故意にボールを覆い隠したとしてPCを貰う。 この坂本が入れたPCを小澤が止めて山堀がフリックシュートを決めて逆転。 日本がようやくリードを奪った。残り時間10分。スイスは打ち込みから日本のシュートサークル内に侵入するチャンスが2度ほどあったがシュートには至らずそのままタイムアップ。結局スイスの撃ったシュートは前半の得点に結びついた1本だけであった。
五輪出場を目指す日本は何とか白星スタートを切った。試合終了後の長屋監督の表情も嬉しさよりも安心感が漂っていた。

  

4月6日 vs ポーランド 世界ランク21位
日本の2試合目は翌日のポーランド。世界ランクは日本より下であるが、初戦のマレーシア戦を 1-2 で逆転負けしている。日本と同等の世界ランク14位のマレーシアに健闘した事で日本も射程距離と見積もられている事だろう。そしてこの試合に負けると決勝進出が絶望的になるのでこう言った時のポーランドは要注意だ。開始5分、日本は小澤が起点となり右サイドからボールを繋ぎ最後は小澤に戻りそのままドリブルでシュートサークルに迫ったところファールを貰ってPCを得る。しかしそこからの山堀のショットは GK Matszak がストップ。9分にはFHのチャンスを掴み坪内のショットからゴールを割り先制点と思わせるもその前に日本のファールを取られノーゴール。先制の好機を立て続けに逃した10分。ポーランドに攻め込まれ Rachwalsky のシュートをGK三好がスティックで邪魔したとペナルティストロークを与えられ Dutliewicz が右隅に決めて先制を許す。
これで開幕2試合連続先制ゴールを許す事に。更にセンターパスの直後もカウンターを許し最後は Rachwalsky にシュートを撃たれるがここはGK三好が足でセーブし追加点を阻む。その後も日本は攻めはするが同点ゴールが生まれない。15分には坪内のドリブルに振り切られそうになった Siejkowsky が足を出してファール PC を得るが山堀のショットは右上に外れる、1分後の山堀のドリブルシュートがまたも右に外れて行く。しかしその1分後の25分に同点に追い付く。坂本のドリブル突破を最後はプッシングで止められこの日3回目のPCを得ると山堀が撃つと見せかけ伊藤亮が撃ったシュートが同点ゴールとなった。どうやらこの試合展開に焦っているのは私だけの様だ。その後も運動量で上回る日本がポーランドゴールに迫る。28分、31分連続してPCを得るが山堀のショットはGK Matszak のファインセーブもあり逆転ゴールに結びつかない。前半もこのままで終了かと思われた34分。小澤からボールを受けた坪井が右サイドから切れ込みサークル内に入ったところでPCを貰う。そのチャンスに吉田が決めて良い時間帯で逆転をし前半を終えた。 ただ山堀がPCから決められないのが気になったけど……
後半、試合の主導権を握る為にも先に得点を挙げて2点差にしたいところであった。開始から運動量とスピードでポーランドを圧倒しゴール前に迫る。そして45分右サイドで小澤からボールを受けた穴井がセンタリング。伊藤亮のスティックに当たって大きく跳ねあがったところを片山が落し込んで3点目をゲット。これでこの試合の主導権を完全に握った。そしてPCからでない得点が大きかった。52分にはスクープから坂本を経て穴井に繋がれ、Malecki, Juczczak をかわしてそのままシュートを決め 4-1。坂本、穴井は共に天理大学の学生。お互いをよく知るコンビネーションか。
負けたらあとが無いポーランドは54分にPCを得る。そこからのシュートチャンスも伊藤がブロックし、次のPCは三好がファインセーブで防ぎ3連続目のPCからの Juszczak のシュートは右に大きく外れ2点目を挙げられない。
そして60分に日本はカウンターから古里、小野と繋ぎフリーで抜け出た小野をGK Matszak がファールでストップ。ペナルティーストロークが与えられそれを山堀が決めて 5-1 。63分にはまたも古里、坂本で縦に突破し最後は坂本が押し込んで 6-1 。最後まで走力の落ちない日本は更に坂本がフリーで持ち込むなどチャンスがあったが 6-1 のままタイムアップ。ポーランドにシュート15本を浴びせ欧州の代表相手にこれだけ差をつけられる球技が野球以外に何かあるだろうかと思いながら余裕を持ってテレビ観戦が出来た。

このチームを五輪に行かせたい…..心の底からそう思っていると決勝戦のドイツ戦の放映開始時間が来た…….




不安を煽るなかれ、されど慢心は禁物

2008-04-09 | 夏季五輪
3月26日、マナマで開催されたワールドカップ予選、日本は 0-1 でバーレーンに敗れた。試合直後からマスコミは危機感を煽る報道を並べる。最終予選の前のラウンドで黒星を喫したのは1989年6月25日、平壌で開催された朝鮮民主主義人民共和国との試合で 0-2 で敗れて以来19年振りとの報道を目にした。 あぁあれからもうそんなに経つのか……..しかしその試合そしてあの時の予選を当時実際に競技場やテレで観た人は今のマスコミ関係者で何人いるのだろう…….

あの時のワールドカップでアジアに与えられた出場枠は2カ国。この予選の直前に3年後のバルセロナ五輪からは23歳以下の大会になるとの決定がなされ、代表の世界への挑戦はワールドカップのみとなっていただけに何とか少しでも長くワールトカップ予選に残ってほしいと願っていた。しかしながらアウェーでのインドネシア、香港には得点を挙げられず引き分けに終わり、ホームに北朝鮮を迎え2-1 の逆転勝利を納め、続くインドネシア戦に 5-0 と快勝したものの神戸で行われた香港戦でまたも 0-0 で引き分け、勝たねばならない平壌での北朝鮮を迎えたのだった。試合は開始直後に長谷川健太がスルーパスで抜け出し GK と1対1になるがそのドリブルシュートをGK キムチウォンにぶつけてしまい先制のチャンスを逸すると後は防戦一方。前後半に1点ずつ許し 0-2 で敗れ北朝鮮が日本を抑えて最終予選に進んだ。この年の秋にシンガポールで開催された最終予選に進出したのは他に韓国、UAE,カタール、中国 、サウジアラビア。当時の日本はアジアでもその程度のランクであった。 しかしこの当時のチームをベースにKAZU ラモスを加え以降爆発的な日本サッカーの興隆に続く。

今、日本はアジアでもトップクラスの実力を誇る。しかし ワールドカップ への出場権は予選を勝ち抜かねばならず、ワールドカップに出場したい国は日本だけでは無くアジア中の国々が日本同様にワールドカップ出場への思いを馳せておりバーレーンでも例外では無い。 3年前のワールドカップ予選で対戦したバーレーンは完全に“格下”では無く、ホーム、アウェー共に 1-0 の辛勝で、アジアカップでは終了直前まで 1-2 でリードを許していた相手。そのアジアカップではバーレーン史上最高の4位に入っている前回のワールドカップ予選ではアジアでは5位になりトリニダードドバゴとのプレーオフの末ワールドカップ出場を逃している。  3月26日のバーレーンのスタメンを見ると前回のワールドカップ予選のメンバーが7人、2004年のアジアカップ経験者が FW Aala Hubail と MF Mohamed Salmeen そして Sayed Mahmood Wadaei の3人。この3人はアテネ五輪予選のメンバーでもあり他に DF のSayes Mohamed Husain もその一人。そして昨年のアジアカップのメンバーが6人。そこにナイジェリアからの帰化人選手 MF の Abdulla Baba Fatadi そしてチャドからの帰化人選手 MF の Abdulla Ismaeel Omar を加えたメンバー構成。要注意選手は何と言っても FW の Aala Ahmed Mohamed Hubail 。1998年ドーハで開催された AFC U-16, アテネ五輪予選、2004年のアジアカップ、そして前回のワールドカップ予選の日本戦に出場。アジアカップでは初戦の中国戦で同点ゴール、準決勝の日本戦では2得点を挙げており、昨年のアジアカップでは韓国戦で決勝ゴールを挙げている中東地域でも屈指のFWと言っても過言でなく “バーレーンのペレ“とも呼ばれているらしい。
そして策士と言われているミラン=マチャラ監督。オマーン、クウェート代表を率いて日本とも戦ったが1996年UAE で開催されたアジアカップの準々決勝戦。加茂監督の提唱するゾーンプレスを嘲笑うかの様にロングボールからのチャンスを生かして2得点を挙げ日本を破ったのだがこの準々決勝を迎えるにあたってはクウェートには幸運もあった。グループリーグから準々決勝まで日本が中2日だったのに対してクウェートは中4日もあった。この間にマチャラ監督は日本の弱点を分析、当時右サイドの守備陣、小村、柳本は左サイドの相馬、井原に比較すると守備力に劣りしかも中盤の前園はしばしば相手選手がボールを持った時にプレスを怠る事があったので相馬、井原が上がってからも攻撃を許すことがあった。そしてそこから右に展開されピンチを招いたグループリーグでのウズベキスタン戦を見逃さなかったのだ。当時のクウェートは左サイドの2列目のアル・ハルビー、左サイドバックのアル・ダキの攻撃力に定評があり、失点シーンも相手の左サイドからのロングボールからであった。

   

一方の日本は中村俊輔、稲本、松井といった欧州組が招集出来ずDF闘莉王 FW高原が怪我(今の高原は怪我でなくても関係ないか??)その上中東地域はシーズン真っ最中。日本はまだ開幕したばかり。更にゲームはバーレーンのホームで開催された事を総合すれば日本の苦戦は必至で簡単に勝点3を取れる状況では無かったのだ。12年前のクウェート戦もこのバーレーン戦もある意味予想の出来た結果かもしれない。

バーレーンのスタメンはDF Mohamed Husain Ali に替って前回のワールドカップ予選の日本戦にも出場した Abdulla Abdul Rahman Marzooq が起用されたほかはオマーン戦と同じメンバー。 日本は3人が入れ替わった。遠藤のベンチスタートは ACL を含めた過密日程への配慮か。試合は開始15分頃までは相手のサイドバックの裏へボールを入れ一気に押し上げてあとはパスワークで繋ぐと言う日本の狙い通りの展開。しかしシュートシーンをなかなか作れ無いのは相手DF, Sayed Mohamed Adnan Husain と Mohamed Hasan の長身選手が中央を抑えていたのとボランチの Al Wadaei と Yusuf Salmeen が自軍ゴール前で大久保、山瀬の侵入をケアーしていたため。この4人は3年前の日本戦に出場をしていた。 25分には憲剛から今野に縦パスが通り、その直後も大久保が Mohamed Husain を振り中に入った安田、巻に入れるが重なりすぎてシュートが撃てなかったがこれらは右サイドからのチャンス。27分にはまたも右サイドから駒野が今度は逆サイドを上がった安田に送り中の巻にスルーパスを送る。これはこぼれ球を拾った Adrian Husain がそのままシュートに持ち込まれた。日本はボールを支配するがシュートを撃てない。これはバーレーンの選手ではなかったか? 30分を過ぎると今度はバーレーンが日本の左サイドにロングボールを入れてチャンスを作り始める。36分には Wadaei が右サイドを上がり逆サイドの Aala Hubail にクロスを送ると安田のマークをかいくぐりヘッドでなく肩にあてて日本ゴールを狙われる。37分には 左サイドでボールを受けたAala Hubail が逆サイドにいた Ismaeel Omar にクロスを送りそこからピンチを迎えるが阿倍が何とかコーナーに逃げる。その左からのCKのこぼれ球が逆のサイドに転がるがAdran Husain がしぶとく拾って中澤のマークをぬって入れたクロスをGK川口がファンブル、それをボレーで Ismaeel Hasan に撃たれるが今度は川口がしっかりキャッチ。更にバーレーンは日本のサイドを突いてくる。ロスタイムに入るとスローインから右サイドで Ismaeel Omar と啓太がもつれたこぼれ球を拾った ナイジェリアからの帰化人選手Baba Fatadi がそのままドリブルシュート、そしてその直後も Ismaeel Omar のスルーパスが Aala Hubail に渡りかけるがその前にGK川口がキャッチ。いずれも失点に結びつきそうな場面であった。この間に日本は駒野が35分に右サイドから Adrian Husain がチェックに入る前にドリブルシュート、39分にも駒野が右サイドを上がり中にクロスを入れるが Ghuloom Ali がカット。バーレーンGK Abba を追い詰めるシーンは見られなかった。

後半に入るとバーレーンはボランチのAl Wadaei, Yusuf Salmeen が開始時から高い位置を取り中盤で数的優位を作る。また3バックの右サイドの Marzooq, 左サイドの Mohamed Hasan が攻撃参加してくるがこれがパワフルで日本は後手を踏む。55分に日本ベンチが動き山瀬を下げて遠藤を投入する。これで日本はボールの収まり所が憲剛と遠藤の2か所になり日本がボールをまた支配する様に。そしてセットプレーがバーレーン守備陣に脅威を与える様に。68分には遠藤のCKから巻が Mohamed Hasan に競り勝ちヘッドを放つがクロスバーを越える。70分には憲剛から右サイドを疾走する駒野に渡り中に入れたクロスに大久保が飛び込むが惜しくも合わなかった。これがこの試合日本の最大のチャンスであった。70分には遠藤からロビングが入りここも大久保が飛び込むがGK Mohamed Abbas がキャッチ。日本が主導権を奪い返すかに見えたが遠藤が入るバーレーンは攻撃では再びロングボールを多用する様になり、守備では両サイドのケアーよりも中を絞りシュートを撃たさない様な陣形を取る。しかしDFの Marzooq は相変わらずドリブルで上がりチャンスを伺う。そして76分ついに均衡が破れる。 Adnan Husain が後方からロングフィードを入れると左サイドを上がった Ismaeel Hasan が追い付き阿倍がマークに入る前にクロスを入れる。阿倍は Hasan のハンドを主張するが笛は鳴らず、そのクロスを川口が弾くも中澤と啓太の間に入った Aala Hubail の上に跳ねそのまま Hubail が頭で押し込んでホームのバーレーンが先制点を挙げた。大喜びのバーレーンベンチそして観衆。痛い時間の失点であった。こうなるとバーレーンは守備を固める。直後のキックオフから駒野が右サイドからクロスを入れるがバーレーンは7人の選手がペナルティーエリア内に入る。セットプレー時には中澤が上がるが Marzooq がしっかりとマークする。阿倍も攻撃参加しCKからあわやのヘッドを撃つがジャストミートしなかった。フリーだったので決めてほしかったが… 山岸がPA内に飛び込むが81分に阿倍に替って投入された玉田はアナウンサーが何度も2004年アジアカップで玉田がバーレーン相手に決勝ゴールを決めた事を連呼するが、が低い位置にいるので折角の登場なのにシュートシーンに絡めない。それは阿倍を下げてDF 陣が少なくなっているので守備の負担もあったのか……. バーレーンも足がつっている選手が出て来たので縦パスを入れて走らせたり大きくサイドチェンジをしたりドリブルで切れ込んだりと揺さぶって欲しかったのだが48分7秒にタイムアップのホイッスルが鳴り響いた。
日本に勝ったことに喜びを爆発させる選手、役員、地元サポーター達 ……. あぁ日本もこう言う立場になったのか…狂喜するスタンドを見てそう思った。

この試合バーレーンの方が絶対的に勝点3が欲しかったと思う。日本人の好きな “自分たちの戦い(サッカー)” をする必要があっただろうか?しっかりとした守備からカウンターに転じて得点機を伺う。最低でも勝点1を持ち帰る試合運びができなかったのだろうか….と試合後思った。そうされる事がバーレーンサイドが一番嫌がると思われたのだが……..

マスコミは早くも6月のワールドカップ4試合に向けて欧州組を召集して事態を打開せよと“緊急事態”と“危機感”を煽る。確かに6月は欧州のリーグは殆どがシーズンオフ中。6月の4試合全てに心おきなく起用は出来る。マチャラ監督からすれば “過密日程”で中村俊輔を招集出来ない事と“ワールドカップ予選”と言う大事な試合を控えて怪我をする高原、稲本の“自己管理”が理解できない様だが、私は心配なのは敗れた後に次の試合まで2カ月以上の期間があること。

それが次のオマーン戦で焦りにつながらない事を祈るよ………

    

やはり遠かった五輪 しかし灯は消さないでくれ……. 女子ハンドボール五輪最終予選

2008-04-06 | バスケ ハンド

空前のハンドボールブームがほんの一瞬日本列島を席巻した五輪再予選から2か月以上が過ぎた。男女ともに韓国の軍門に降ってからハンドボール人気はどうなるのだろうかと思った。 
2月17日イランで開催された男子アジア選手権では何と7位に終わり2009年の世界選手権の出場権をのがしてしまった。1勝1敗1分で迎えた予選ラウンド最終戦のカタール戦では前半終了時で 17-11 とリードしながら終盤でミスが続き31-32 で敗れグループ4位に終わり決勝ラウンドを逃し最後の順位決定戦で何とか中国を 38-35 で破り何とか7位に入ったがハンドボール人気を繋ぎとめる為にも世界選手権出場権は確保してほしかったが….. それでも3月15,16日に駒沢体育館で開催された日本リーグのプレーオフでは大観衆を集めたらしい。(俺も観戦に行きたかったけど。) 
女子に目を転ずると3月6日から3日間の日程で中国国際大会に臨み(vs 中国 24-28, vs 韓国 30-31, vs カザフスタン 28-24 ) 3月15日~25日はオランダで合宿を行い フランスで開催されるIHF 世界最終予選に臨む予定であった。
ところが3月20日のスポーツ仲裁裁判所の決定で女子の再予選が無効とされ急遽五輪最終予選の組み合わせが変更され日本はフランスで開催される第3グループからルーマニアで開催される第2グループにかえられ、3月28日からルーマニアのブカレストで地元ルーマニアとハンガリー、ポーランドと共に出場権を争う事となった。上位2カ国まで出場権が与えられるとは言ってもルーマニアは2007年12月にフランスで開催された女子世界選手権で4位。ハンガリーは8位。ポーランドは11位で日本は19位。相手は全て格上だ。もしグループ2だったなら世界選手権5位のフランスは別格としてコートジボアール、コンゴを相手にする事を考えれば…….

ブカレストはかつて駐在をしていたことがる。今から14年も前の事だ。当時アメリカでワールドカップが開催されハジ、ドミトレスク、ラドチョイ、ベロデヂッチらを擁してベスト8に進出した地元ルーマニア代表が勝利を挙げる度に街中が大騒ぎになった事を思い出す。まだ革命が起こって4年足らずで他の東欧諸国と比較しても遅れたところが多々あった。そんな中サッカーはブルガリアと並んで欧州でも上位に名を連ねていた。ハンドボールの方では恐らくサッカーの UEFA Champions League の様な大会であろう女子の試合を何度かテレビで観た事があった…

最終予選の開催されたブカレストの Polyvalent Hall 。どこにあるのだろう……いつ建てられたのだろう…. てな事を考えてしまう…….

3月28日のルーマニア戦、開始早々藤井、坂元の連続得点でリードし、 Maier に1点を返されたあと坂元、東濱の得点で 4-1 とする上々の滑り出し。しかし20分48秒に Neagu のシュートで同点にされ、続いて Balint のシュートで 11-12と逆転されるその直後早船愛子の同点シュートが決まるが、その後連続6失点を喫し、最後は 20-44 と惨敗を喫した。格上相手に敗れるのは仕方ないにしても24点差は以降の星取りに影響を与えるものであった。しかもこの試合で愛子姫こと早船が負傷。以降2試合欠場を余儀なくされる事になった。

それでも翌日のポーランド戦は見違えるような動きを見せ 29-27 と接戦をものにし最終日のハンガリー戦に望みを繋いだ。開始15分23秒まで小松、藤井、東濱のシュートが決まり 6-1 と主導権を握る。後半には青戸、小松が相次いで退場となり追い上げられるシーンもあったが最後は何とか逃げ切り格上から貴重な白星を挙げた。愛子姫はおらずとも五輪予選4度目の田中美音子の9得点そして小松真理子が7得点でチームの勝利に貢献した。そして翌日のハンガリー戦が非常に楽しみであった。

     

3月30日深夜。この五輪予選の試合を放映してくれたNHK衛星放送に敬意を払いながらテレビの前に。相手のハンガリーはシドニー五輪では銀メダル、続くアテネ五輪では5位、昨年の世界選手権では8位。その世界選手権のグループリーグ初戦では日本を 35-31 で降している。この五輪最終予選ではポーランドに 39-30 で快勝し日本が大敗を喫したルーマニアには敗れたとは言え接戦を演じ 29-31の惜敗。要注意選手はAnita Görbicz と Timae Toth 。昨年の世界選手権の日本戦ではGörbicz が10得点、Toth が5得点。この最終予選も Poland 戦ではGörbicz12点、Toth14点、ルーマニア戦ではGörbicz 、Toth共に8点ずつ決めており二人ともアテネ五輪メンバーで大会通算でGörbiczが17点、Tothが34点決めている。Görbiczは2005年の世界選手権のMVP選手。 その他 Bernadett Ferling と GK Katalin Palinger がアテネ五輪経験者。Palinger は銀メダルを獲得したシドニー五輪のメンバーでもあった。
一方の日本。世界選手権でハンガリー相手に4得点の早船は負傷でプレー出来ず、5得点の金城晶子はメンバーに入っていなかった。ここはハンガリー戦6得点で1月の韓国戦で7得点のの田中、そして韓国戦で5得点の184cmの谷口に期待したいとところだった。 世界選手権では敗れはしたが接戦を演じたのだから.....

試合は開始からToth、Ferlingの連続得点を喫する立ち上がり。東濱のシュートが止められ、飛田がTothのシュートを左足で止めた後の1分58秒、藤井紫織のパスを受けた坂元智子がポストプレーからシュートを決め、2分31秒にターンオーバーから藤井が遠めからのシュートを決めて 2-2 に。その後ハンガリーのTothのシュートを飛田が止め、攻撃に転じた日本は真ん中から田中がワンバウンドシュートを撃つがGKPalinger の正面をつき逆転のチャンスを逃した。
その後ハンガリーはFerlingが連続シュートを決め 2-4 とされるが、ハンガリーの4点目は日本が攻撃時にハンガリーゴール前でのミスパスを拾われてからの速攻から。格上相手に失点に繋がるミスは最小限にとどめたい。それでも日本はそこから藤井が連続得点を挙げ 4-4 に追い付く。2本とも180cm のFerlingのマークも何のそのとばかりの素晴らしいシュート。ハンガリーの攻撃も谷口がイエローカードを受けるほどの激しい守りでシュートを容易に討たさず、そしてGörbiczのシュートを飛田がブロックした後に同点にするなど良い流れを掴み掛ける。8分21秒にはターンオーバーから東濱がシュートを打つがここもPalinger にセーブされリードのチャンスを逃す。そしてFerlingにまたも連続得点を許し 6-8 に。先に7点目を取ってリードしていれば試合の流れも大きく変わっていただろうに......  
Toth、Ferlingは180cm 以上の長身選手。正面からどんどんシュートを決めて来る。日本はポストに田中が入ろうとするが体格に勝るハンガリー選手達が仕事をさせない。それでも 7-9 とされた11分54秒に小松が連続でシュートを決め三度同点に。8点目は谷口のカットから速攻に転じ、9点目は右サイドからGörbiczを振り切っての素晴らしいシュートであった。しかしここからまたもFerlingが連続得点そして Gabriella Szücs に決められどうしてもリードが奪えない。その間日本も藤井、田中がシュートを撃つがPalinger に止められるなど得点が伸びない。17分44秒に藤井が Szücs, Monika Kovacsicz の間からシュートを決めて 10-12 とするがそこから連続5失点を喫し10-17 と差を広げられる。 Orsolya Verten に決められたあと日本はパスミスが続きその上藤井が退場になるなど苦しい展開が続く中GK飛田がVertenのジャンプシュートを防ぐなど必死の防戦をするが長身の Szücs が上町のブロックをものともせずにシュートを決め、Görbiczがサイドハンドでスピードのあるシュートを叩き込む。ここで日本ベンチはたまらずタイムアウトを取るがその後もGörbicz、Vertenに連続ゴールを決められるが共にカウンターを許しての失点。本来なら日本がせねばならない攻撃であったが......
7点差とされた日本は24分19秒に田中からのパスを受けた坂元がポストからのシュートを決め、速攻から東濱が決めると今度はハンガリーベンチがタイムアウトを取る。タイムアウト明けも日本はしつこいマークでハンガリーにシュートを撃たさず、ポストに入った坂元が東濱のパスを受け撃ったシュートはゴール枠を外れるがその後のFerlingのシュートをGK勝田が止め東濱が正面からのシュートを決めて 13-17 の4点差に迫る。 上背のあるハンガリー選手を相手にマークがどうしても甘くなっていたのだがこの時間帯は前に前に出てマークにあたっていたのでハンガリーも容易にシュートが撃てなかった。このディフェンスを続けながら何とか得点を重ねて点差を詰めてほしかったが ポストに入ったZita Szamoransky がFerlingからのパスを受けてシュートを決められ、Tothに連続得点を許し前半は 14-20 で終わった。昨年の世界選手権では前半が終わった時点では 16-19 だった。 Ferlingに6得点、Toth、Vertenに4点ずつ喫した。Görbiczは2得点に何とか抑えたと言うよりもどちらかと言えば得点のお膳立て役に回ったと言った感じだった。そしてマークももっとタイトに行って欲しい気がしたが........

スタンドには在留邦人の方達か日本人方達の応援も数十人はいた様だった。私が駐在している時は大使館そして子供を合わせても在留邦人は150人もいなかった。今は何人いるのだろう。 ルーマニアはハンガリー系(マジャール系)も多くおり特に国境をハンガリーと接する北西部には多い。チャウセスク時代はマジャール系の人々は弾圧されたらしい。この日はハンガリーをサポートする観客が多いかと思っていたがそうでもなかった。

何とか先制点が欲しいかった後半の立ち上がり、田中からポストに入った坂元へのパスがカットされ速攻から Szamoransky に決められ 14-21 に。だがそこから連続得点で 16-21 にする。32分15秒に田中のパスを受けた藤井がこの日6得点目を決め、その後も速攻から小松が決めた。ハンガリーの守備陣形は 5-1 。そこでポストプレーを狙うが、そこは読まれているみたいだったが。16-22 の36分4秒、Kovacsicz が谷口へのファールで2分間退場になり日本に7mスローが与えられる。それを田中が決めて17-22 と5点差に。このチャンスに得点差を詰めかったのだがここもVertenに連続得点を許すなど逆に 18-25 と点差を広げられる。19-26 となった40分6秒には再びKovacsicz が今度は東濱へのチャージで2分間退場そして 7m スローを貰う。これを田中が決めて 20-26 。時間はまだ20分弱あるのでこのチャンスに何とか点差をと思うが、ここから決定的な連続6失点を喫する。41分にはこまつがエリア内ファールを取られGörbiczが 7m スローを決める。その後藤井のシュートがストップされた後左から右に流れた Görbicz に強烈なシュートを叩き込まれ 20-28 。このシュートを見せつけられた時私は“これはもうあかんわ....“と観念してしまった。
日本は谷口が攻撃に入るがマークがきつくてボールが手につかない。ドイツでプレーする184cmの谷口も欧州の選手達の間では体格は生かせないか..... 日本も攻撃に転じはするがハンガリーのプレスが厳しくない場面でもミスパスが目立つようになりそこから失点に結びついてしまう悪循環。そして藤井のシュートがバーに当たり東濱のシュートがセーブされるなど運も尽きて来た.......
Görbicz のロングパスを受けた Verten がこの日9得点目を決め20-32 と12点差がついてから長野を投入した日本が3連続得点を決め最後の意地をみせるが東濱のカットインからのシュートが決まり 23-32 となった時点で既に残り時間は10分を切っていた。
後はTothの連続得点やGörbiczのワールドクラスのアンダースローのシュートが決まる。日本も藤井が気を吐いてこの試合両軍最多の10得点目を決めるが勝敗には影響しなかった。59分57秒にはハンガリーゴール前のこぼれ球をGK に入ったOrsolya Herr がボールを拾わずタイムアップのホイッスルを聞いてからGörbicz と顔を見合わせ勝利と五輪出場権獲得を祝福し始めた。少しは期待したがこれは妥当な結果だろう。
しかし何度かチャンスはあったが結局同点に追いついてもそこから得点を挙げられる1度もリードを奪えなかった。そして相手選手の退場でチャンスをもらってもそれを生かせない、その勝負所を抑えるところはさすがハンガリーであった。
しかし日本はミスが少し多かったか.........

ボディコンタクトの多いハンドボールでは体格差は決定的な差をもたらしてしまう。それだけに機動力をもって対抗してもらいたいのだがハンドボールが欧州でプロ化して来てから欧州の代表チームも動きが速くなっているらしい。 この最終予選をテレビできっと多くの人が観て更にハンドボールに興味を持った人が増えたと思う。私もGörbiczの様なワールドクラスの選手をこの中継で知る事が出来た。Görbiczは身長 177cm だが体重は 55kg とモデル並みのプロポーションだ.........
4年後のロンドン五輪を目指して女子はアジア選手権、世界選手権そしてアジア大会とメジャーな大会をひとつずつこなして行って欲しい。涙にくれる日本選手を見てそう思った。 Poland 戦の勝利をそのスタートとして欲しい。
そしてテレビ局はもっともっと国際試合のスポーツ中継を放映して欲しい。くだらないお笑い番組やアイドル番組が蔓延するテレビ番組は不要だ。 

あぁ日本のスポーツ界をもっと根本から........

    

そして下記のニュースが

聯合ニュースは2日、韓国ハンドボール協会がアジア連盟(AHF)から科された罰金を支払う方針を固めたと伝えた。やり直しとなった北京五輪アジア予選に参加した日本と韓国に対し、AHFは1000ドルの罰金を科し、支払期限を5日としていた。

 韓国協会の鄭亨均副会長は「5日までに1000ドルを払う方向だ。韓国は男女が五輪出場という目標を達成したから、これ以上AHFと良くない関係を続ける必要はない」との考えを明らかにした。一方、AHFの東西分離案について、同副会長は「罰金を払うからといって、やめるのではない。6日に熊本で東アジア連盟会議を開き、詳細について論議する」と語った。

       おいおい。五輪出場権獲得出来たらそれで終わりかよ.......


サンガ痛恨の引き分け それでもまだ無敗街道……..

2008-04-02 | 京都サンガ J-League

3月30日、天気予報は当たり午後から天気は下り坂に。しかしながら自宅の埼玉県南部地方は午後に入っても薄い明かりが時たま差し込むものの午前中は白い雲が青空を半分しか覆っていなかったのが午後は明らかに灰色の雲が天を殆ど覆っている。しかしこの天気は私に幸いをもたらす。この日は元々家族で近所の桜街道を散歩しようか?と計画していた(正確にはさせられていた。)しかしこの天候で花見は中止。それでは…と当初の予定通り(目論見通り??)愛する京都サンガのゲームを観戦する許可がおり、家内の気が変わらぬうちにさっさと出掛ける準備を行いいそいそと家を後にし、一路京王線の飛田給を目指す事に……あぁ悲しきカカァ天下 ……

武蔵野線から南武線そして京王戦を乗り継いで飛田給駅に到着した時は午後2時18分。ありゃりゃまた遅刻だわ。そしてスタジアムに向かう。駅から伸びたスタジアム街道を伝い歩道橋を上るとそのままスタジアム入口の通路に繋がっている。これは便利だ。それに味の素スタジアムの外観は大変近代的なモダンな感じがする。(表現がおかしいか?)そしてスタジアムの中に入ると時計の針はもう2時半。向かうはもちろんアウェー側の自由席だ……

試合は後半35分少し前。スコアーは 1-1 。こちら側の自由席ではアウェーながら紫のユニフォームを着たサポーター達が熱心な歓声を送っている。しかし私はまだ紫のユニフォームを持っていない。この中では恥ずかしい思いが募る….帰ったらサンガのサイトで購入しよう……..
ピッチに目を移すと青色のユニフォームのホームのFC東京がこちら側に攻め込むシーンが続く。サンガの右サイドを突いてくる。36分にはサンガがCKのチャンスだったがそのこぼれ球を繋がれ最後は羽生がクロスを入れるがそこは何とかサンガDF陣が防ぐ。44分には茂庭のFKからまたも羽生に右サイドを抉られ長友に繋がれ中でフリーでいたカボレにゴロのセンタリングが送られるがカボレの前で増嶋がコーナーへ逃げる。そして大竹が入れたCKをフリーの赤嶺がヘッドでサンガゴールに叩き込み追加点を決められてしまった。 赤嶺の走り込んだ位置が良かったのか大竹のCKが良い所を狙ったのか、赤嶺は全くのフリー。間に割って入られたシジクレイと増嶋もゴールを決められた後、やや呆然とした表情。ここはマークをきちっと看られなかったか…….. 特に最近まで在籍していたFC東京相手の増嶋の心中やいかに…..それにしてもハーフタイム直前の痛い時間の失点であった………

ハーフタイム中に I モードで両チームのスタメンを調べる。サンガは1週間前のヤマザキナビスコカップでのREDS 戦のスタメンからMFの石井に替えて角田を。そしてFWでは中山の代わりにパウリーニョをスタメンに起用し柳沢、徳重と組ませた。気になるのはしぶとく引分けたとは言え REDS 戦で3失点を喫したDF陣。この試合でも前半で2失点だ。4バックは平島、増嶋、手島、渡邉。 REDS 戦と同じ布陣だ。まぁ失点はDFだけの責任では無いが.. 一方のFC東京は日本代表、五輪代表の試合があり今野、羽生、長友が留守にしたり、梶山、エメルソンそして石川が怪我で離脱するなど城福監督も苦心は免れないとの事。MFの金沢は今季Jリーグ初スタメンらしい。CBの吉本は3月20日ヤマザキナビスコカップ以来のスタメンとの事。その吉本が前半先制ゴールを決めた。サンガの同点ゴールは角田だった。また個人的に注目していた平山はベンチだった。 そして先のアンゴラ戦で好パフォーマンスを見せた右サイドの長友は要注意だ。

後半が始まるがサンガはパウリーニョに替わって田原豊が投入された。この田原のポストプレーに期待がかかるが開始直後の47分には田原が力強いドリブルで右サイドを突破。最後は徳永を振り切りシュートにまで持ち込みCKを取る。私がみた前半の最後の15分はサンガが東京ゴール前に迫るシーンが見られなかっただけにこの田原の突破は大いに勇気付けられた。田原のこの体格を生かした突破にこの日ポストプレーだけでなく幅広いプレーが期待された。しかしそのCKから東京はカウンターに転じ一気に向こう側のサンガゴールに迫る。最後は中央でボールを受けた羽生が空振りをしてくれほっと胸をなでおろす。その直後にも右サイドバックの徳永に突破を許しPA外にマイナスのパスを送るとそこでボールを受けた大竹がミドルを放つがクロスバーのわずか上に外れてくれた。前半の中盤と異なり右サイドからの攻撃が顕著だ。50分サンガはお返しとばかりに右サイドを徳重が上がり入れたクロスに角田が頭で合わせるがそのヘッドはGK塩田の正面に。すると54分東京はカボレが右サイドを突破しフリーでサンガゴールに迫る。ここはGK平井がPA外に飛び出しカボレをタックルで止める。一瞬ペナルティーが案じられたがここは御咎めなし。すると平井の後方に陣取る東京のサポーター達から大ブーイングが。そして我がサンガサポーター達からは“そんなの当たり前のプレー”とばかりに平井に賞賛の声が飛ぶ。しかしその直後にはミスからCKを与えピンチを招くがゴールには至らなかった。56分には右サイドを上がった手島が入れたクロスに田原が吉本に競り勝ちヘッドを放つが惜しくもゴールを外れる。そしてサンガベンチはその直後に二人目の交替選手アタリバを角田に替えてボランチに入れ、シジクレイをDFに下げ手島、増嶋と共に3バックを構成。そして右の平島、左の渡邉がポジションを上げる。中盤の運動量を上げる目的だ。そしてその交替が功を奏する。57分アタリバから徳重に渡りそのままシュート。そのシュートは金沢にブロックされるが、ボールが右にこぼれ走り込んできた渡邉大剛が放ったミドルは東京ゴールに突き刺さり同点ゴールが生まれる。
よしっ!!と拳を握り締める。J1でサンガの選手の生ゴールを観たのはいつ以来だろう? 2006年にさいたまスタジアムで観戦した浦和戦では無得点。その前となると2002年の開幕戦の JEF 戦で朴智星が決めたのをみて以来6年振りだ。まぁそれだけサンガの試合を観戦していないと言う事か…… 昨年の広島との入れ替え戦で活躍した渡邉の見事なミドルシュートであった。
この同点ゴールの直後田原がミドルを放つがGK塩田の正面。サンガの猛攻の始まりか…と思うが以降は東京が主導権を握る。シジクレイがDFラインに回った為中盤でボールを回される。ファールで何とか止めるシーンも。65分には長友を倒してFKを献上。大竹が直接狙うが平井直人が好セーブで防ぐ。そこから3連続CKの攻撃を何とか凌ぐがその後も羽生にフリーシュートを撃たれるなど危ないシーンが続く。そして71分、柳沢が下がり林丈統が投入される。林は今季Jリーグ初スタメンだ。柳沢は私が観客席に着いてから見せ場を作れなかったが足を痛めたらしい。6月のワールドカップ予選には代表復帰と私は勝手に期待しているだけに次節以降の活躍を期待する。

       

林の運動量とアタリバのスピードに期待がかかる。72分、アタリバのクロスに徳重が頭で合わせるが僅かにゴールポストを外れ、77分には左サイドから林のクロスに田原がフリーでヘッドを放つがGK塩田が右手でセーブしたボールはクロスバーに当たってCKに。主導権を奪い返したサンガは80分に勝ち越しゴールを奪う。吉本のクリアボールがアタリバの足下に落ちるとアタリバはワンタッチで前線に浮玉のパスを送るとそこに走り込んだ田原が豪快なスライディングボレーを東京ゴールに叩き込んだ。狂喜乱舞のサンガサポーター席。“タハラユタカ、タハラユタカ、タハラユタカゴール!”のコールが飛ぶ。勿論私も大喜び。後ろのアベックと握手をかわし、折からの降雨を避けて前方の席から雨のかからない屋根のかかった席まで上がって来た初老のご夫婦とも喜びを分かち合う。サンガの勝利試合となれば1999年等々力でのヴェルディ戦以来だ…と期待が膨らむ。それにしても田原のスーパーゴールだった。2000年AFC U-20 で日本は決勝でイラクに敗れ準優勝であったがその時の中心選手の一人。怪我とスタミナ不足さえ解消されれば代表も…..と思うのだが。

しかし東京もホーム初勝利を目指してゴールを目指す。82分には得点者赤嶺に替って平山相太が投入され前線のターゲットに。84分にはFK,CKそしてロングボールでチャンスを造り続けた大竹を下げて川口を入れて起点を造る。東京は後方からサンガゴール前にロングボールをどんどん入れて来る。そして迎えた87分、右サイドを上がった徳永がサンガゴールにロングボールを放り込む。GK平井が一旦は手に当てるがこぼれ球が今野の前に転がりそのまま押し込まれて同点とされてしまった。 平井、あれは何とかならなかったか…..と思うもこの日の平井の好セーブを思い出すと彼を攻め難いなぁ………

残り時間は3分、ロスタイム表示も3分だった。その間両軍4点目を狙って相手ゴールに迫る。92分サンガは田原が送ったボールに徳重が飛び込むが塩田が一瞬早くボールを掴む。そしてタイムアップ…….. 9年振りの勝利試合観戦とはならなかった。

23日のナビスコカップに続いて引き分け。だがこの試合は追い付かれてのドロー。救いは一旦逆転した事とそしてスーパーゴールを披露した田原のパフォーマンス。昨年、入れ替え戦を経験しチームに粘りが出て来たみたいだ。 2006年のサンガなら 1-2になった時点でずるずると土俵を割っていただろう。ただナビスコカップに続いて3失点は気になるが…….それでも今季はまだ黒星なし。進化はしていると思う。いずれは黒星は喫するだろうが先にシーズン2勝目を挙げてからにして欲しい。次はホームでの柏戦……今年は何試合サンガの試合を観戦できるだろう……….

帰りは飛田給まで雨の中を歩いて帰った……………… 

あぁデジカメ壊れてしもた。新しいの買わんとなぁ......