Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Japan 2-1 Australia 17th November 2014 その2 忘れていた情熱が。

2014-11-28 | 日本代表
決めたのはいずれもワールドカップ組

ハーフタイムに後輩が次男君とトイレに。“早くいかないと混むで。キックオフまでには帰ってこんと。”
長男君と二人で“留守番”をする事に。 彼は小学校6年生だけどなかなか知識は豊富。最近の J-League 事情は彼の方が圧倒的に解っている。だけど初めて会う私にあまり話してくれなかったなぁ。 まぁこんなおっさん相手に当たり前か?

後半開始直前だった。“あっ今野が出て来た。” 今野の交替を教えてくれたのはしかし彼だった。”誰と替わるのかな?“ 交替の掲示を見ると7の数字が見えた。”遠藤と交替か?まぁ二人とも地元やしな。“長男君は反応がない。”そうか、ガンバやなここはセレッソのホームか。“すると彼は小さく頷く。 俺もすっかり関東人になってしまったかな?ガンバとセレッソのホームが区別つかないとは。
ホイッスルが鳴り岡崎から香川にボールが渡り後半が始まる。しかし後輩と次男君はまだ戻らない。
46分31秒、今野から武藤に渡りシュートに持ち込むが枠は捉えられない。そしてようやく後輩親子が帰って来た。長男君がおとうさんに選手交替を説明する。親子の会話は見ているだけで微笑がこぼれる。

47分33秒、今度は Kruse が右サイドから吉田のマークを受けながらも入れたクロスを受けた Luongoがドリブルシュートに持ち込む。
Luongo は今後日本にとって厄介な選手になるだろうか? 



それにしても Kruse は良いなぁ。 Brisbane Roar でプレーしていたのを何度も見たけど、Leverkusen でもポジションを確保している。彼が World Cup を怪我で棒に振ったのは本当に残念だった。



後半も日本は 4-2-3-1 の布陣。オーストラリアもアンカーを置くフォーメーションは変わらない。
50分11秒、オーストラリアPA付近で森重、岡崎、本田と繋ぎ Jedinak のマークを受けながら右サイドを上がった高徳に繋ぐがシュートは撃てない。 日本の持ち味であるアタッキングエリアでワンタッチパスを回す攻撃をもっと仕掛けて欲しい。その攻撃、 World Cup ではあまり見られなかったなぁ・・・
57分、日本ベンチは2人目の交替選手、乾を武藤に替わって投入する。昨シーズンは所属先の Eindracht Frnkfurt では期待されながらも出場試合は16試合に留まり、ドイツ専門誌のシーズン総括号では写真入りで Verlierer ( 敗者 )と紹介されてしまった。そして World Cup メンバーに入れなかった。
しかしホンジュラス戦では存在感を充分に示し、オーストラリア戦は先発かと思ったけど。
今野、乾の両選手は投入直後から好パフォーマンスを見せてアピールする。
今野は49分に横パスをカットして左にドリブルで流れてクロスを入れて香川のシュートを引き出し、58分、ドリブルを見せてファールを引出し、59分には高徳のフィードに走り込みドンピシャのヘッドを放つ。
そして61分、右CKが逆サイドに抜けて来てそこにいたフリーの今野がヘッドで押し込み待望の先制ゴールが生まれた。 
ようやく長居スタジアムに大歓声が湧き上がった。







先制を許したオーストラリアベンチは63分に2選手を交替させる。 Luongo を下げて Mitch Nicholas そして Troisi に替えて Mark Bresciano を投入した。Nicholas が2列目左に入り Bresciano はボランチに入った。Nicholas は World Cup 終了後初登場だ。そしてここセレッソ大阪に所属しているが今は Perth Glory にローン移籍している。Postecoglou 氏が Brisbane Roar 監督時代の選手でもあった。
リードされても Jedinak はまだアンカーの位置にいる。



ピッチ上ではまだ日本の攻勢が続いた。 64分33秒、左サイド、オーストラリアのスローインを長谷部がヘッドで跳ね返し森重が拾う。岡崎を経由して本田に送られ、更に右サイドから走り込んだ乾に送られるが Franij のマークを受けながら放った乾のショットは惜しくも外れた。
この試合で2列目左のポジションは武藤か乾のどちらかだろうか?ガンバの宇佐美は。はたまた元浦和レッズで今は Hertha Berline でプレーする原口元気は…



てな事を考えていたら67分、本田からボールを受けた岡崎がシュートに持ち込むが弾道はRyan の正面に飛びCKに。そのCK、一旦はクリアーされるが森重が右サイドから切れ込み Nicholas, Wilkinson のマークを振り切り中に入れると Saintsubery のマークを背負った岡崎がヒールで技ありのシュート。ボールはオーストラリアゴールに転がり込みリードが拡がった。森重がドリブルで持ち込むなんて相手は予想だにしなかったのではないかな? 
こうなると焦点は一つ。いつ Cahill が出て来るか? せめて1点差で出て来てほしかったけど、73分 McKay に替わって遂に Tim Cahill が投入された。長居スタジアムからはブーイングが飛ぶ。しかし私はこ瞬間を待っていた。出来ればスタメンで出て来て前半だけプレーしてくれた方が試合は面白くなったかな?
これで Cahill がトップに入り Kruse, Nicholas Leckieが2列目に。 Jedinak が上がって来てBresiano とボランチを組んだ。



76分、今度は岡崎が大歓声を浴びてベンチに下がり豊田が投入される。オーストラリアDF陣を相手にどんな空中戦を見せてくれるか?試合終盤になってようやく楽しみが増えてきた。
80分オーストラリアが FKを得る。 Bresciano がボールをセットする。 Cahill の位置を確認するが結局オフサイドを取られてしまった。
オーストラリアはもう完全に足が止まって来ておりフレッシュな Cahill が中盤に下がって来る事も。彼はゴール前に居てこそ脅威を示す。それは豊田も一緒だろう。



89分香川から右サイドの高徳に送られ逆サイドに大きく振る。更にSB の Franjic を越えて豊田がヘッドを放つがRyan の正面に飛んでキャッチされた。
良いチャンスだったんだけどなぁ~。 そしてロスタイムに入った。ロスタイムは4分。後はこの試合を完封で終わればと思った。

しかし甘くは無かった。91分6秒。左サイド Jedinak から Behich に渡る。そしてゴール前に放り込まれたところを 太田と森重の間に入った Cahill がフリーだった。 Cahill のヘッドは日本ゴールネットに突き刺さり2試合連続完封を阻止されてしまった。
スタジアムが落胆の嘆息で覆われる。ここで決めるとはさすがだけど、 Behich にも Cahill にもマークが甘かったなぁ。 







あと数分残っている。もう一度 Cahill にチャンスがあるかな?と思ったけどスコアーは動かず終了のホイッスルが鳴った。 日本が久々オーストラリアを90分間で降したと言うよりも Cahill の勝負強さが印象に残った。
“最後に決められましたね。”“もし Cahill が体調万全やったらこの試合面白かったのになぁ” 
この試合3ゴールが生まれたけど全て World Cup 出場選手。世代交代はどちらも難しいか。
日本はブラジル大会組と言うよりも南アフリカ大会組で Asian Cup に臨むのかな…..地元オーストラリアは準決勝以上に残れるだろうか?日本も今回はそう簡単には・・・・




試合後の Postecoglou 監督のオーストラリアメディアへのコメントは下記の通り。

この夜はセットプレーに対してはずっと劣勢だった。このレベルの試合ではそれは受け入れ難い事だ。前半の我々は素晴らしかった、後半開始早々でもそうだった。しかし先制を許し相手に勢いと安心を与えてしまった。それはポジティブな事ではあったが最終的にはセットプレーを凌ぐことを出来なかった。それはこの試合で起こったことであり、我々はその為に敗れてしまった。 選手達は良くやってくれた良いサッカーをしてくれたが、任務を怠ると代償を支払わねばならない。
Behich と Sainsbury はこれまで数試合しか一緒にやった事が無かったがしっかりと任務は果たしたと思う。国際試合の良い経験を積むことが出来ただろう。



Tim Cahill は下記の通りにオーストラリアメディアにインタビューに応じていた
“3日前に脚を痛めてしまった。もし先発出場したなら痛み止めが必要だっただろう。 この大観衆の前でアドレナリンは充分に湧き上がった。選手達を誇りに思う。何故なら我々は自分たちの footballとその批判に立ち向かえるかに就いて何度も問われた。 オーストラリアはただ我々がやろうとしている事を信じねばならない。ホームでは、メルボルンで、シドニーで我々は4万人余りのサポーター達に後押しされる。それはまた違ったストーリーになるだろう。チャンスもゴールに繋がる。
“2つのセットプレーとそれらは国際試合では異なってくる。しかし私はチームを信頼する Mathew Leckie のペース、 Robbie Kruse のペース、 James Troisi の創造性我々はそれらも得る事が出来た。我々は4万人余りのアウェーの中で戦った。私は選手達を誇りに思う。 恐れる事は無く、何も失ったものも無かった。 今すぐ勝利する事は無かった。全ては1月に明らかになる事だ。

“どうもありがとうございました。愛想無ですみません。”競技場をやっと出て後輩親子達と別れた。もう少し話したかったけど子供達はまだ小学生。明日は学校あるしな。早く連れて帰ってあげてくれぃ、と試合の数日前に話した。
また近々会いたいね・・・・そうですね、ぜひ会いましょう。

そして私は駐在時代の友人の携帯に電話をした。こちらは中学生の双子の男の子が奥さんと4人で観戦に来ていた。
子供達は高校受験を控えているから、この夜はお父さんと二人で夕飯でも行く事に。 奥さんはうちの嫁ハンとも仲が良かった。また嫁ハンと会いたいと言っていた。

競技場の周囲の飲食店はどこも満員。埼玉スタジアムは周りに何も無いしなぁ~。
次の駅まで歩いて大阪王将で餃子や鳥唐揚げを突きながら色々な話をした。
駐在が終わってもう20年か。早いな。彼とは同じ歳。中学校の先生をしている。 神戸の震災の時はまだブカレストに居て駐在から引き揚げた我々は fax で一生懸命状況を知らせた。 それから試合の話も…..

大阪まで行ってこの試合を観戦し、自分の中でしばらく忘れていた情熱がまた湧き上がる気がして来た。
やっぱり Asian Cup を観に行こうかな…..?





Japan 2-1 Australia 17th November 2014 その1 90分間で Socceroos を破る

2014-11-28 | 日本代表
9月11日。オーストラリア協会のサイトを見ていたら下記の通りの見出しが。

Socceroos to warm up for Asia Cup with Japanese test.

Socceroos の 1月に地元で開催されるAsian Cup に向けた準備試合は11月18日、当面のライバルである日本と11月18日に対戦をする事で終える。 試合は J-League のセレッソ大阪がたまにホームゲームを行い、ワールドカップ2002年大会でも試合が行われた大阪の47,000人収容の長居競技場で開催される…
“大会前の11月の最終戦で日本戦が実現する事を嬉しく思う。我々の目標はアジアナンバーワンになる事だが日本は目標達成の為に越えねばならない国の一つだ。“….. Soccceroos の Postecoglou 監督はこの様に語った。

大阪かぁ… World Cup 予選は関東圏でずっと行われるので親善試合は関東圏以外で開催されるのはまぁ公平な事だけど…..

今年6月、大きな期待を以て FIFA World Cup の開幕を迎えた。我が代表はどこまで勝ち進んでくれるのか?最低でもベスト16は…..との期待はあっさりと霧散してしまった。それだけでは無かった。
時差の関係で日本時間の早朝に行われる試合が多く、90分間テレビ観戦を堪能した試合は少なかった。
2010年大会と異なり、今回のブラジル大会は失望と眠気との戦いで不完全燃焼だったワールドカップと自身の中で記憶されると思う。
そんな中で最も好印象に残ったのが Sccoeroos のFW Tim Cahill の連続ゴール。 Chile 戦は連続2失点で本当にこの大会のオーストラリアはどうなるんだろう?と心配したけど35分に見事なヘッド決めた。

 

53分にも右サイドからのクロスを再び高い打点からヘッドがさく裂し Chile Goal Net に突き刺さるもオフサイドの判定。おいおい本当かよ…. と私も天を仰いだ。86分には Oar からの左からのクロスが中央で Jara と競り合う Jedinak を越えて逆サイドの Bresciano に渡るが強烈なショットは GK Bravo がストップ絶好の同点機だった。結局ロスタイムに Chile FW の Beausejor にドリブルシュートを決められ 1-3 と突き放され試合を終えたが88分にPA 内で Cahill が倒されたプレーはPKでも良くはなかったか?と思った。 
続くオランダ戦。 惨敗が懸念された。立ち上がりは Spain を 5-1 で撃破したオランダ相手に互角の戦いを見せるも20分に Robben にスピードに乗ったドリブルシュートを決められた。あぁこの試合、スペインの様に何失点も喫するのだろうか?と思わされたがその1分後、後方からのロングフィードを Cahill がまさにワールドクラスのボレーシュートをオランダゴールに叩き込みたちまち同点。
“よ~し! Cahill ! Nice ! Cahill !! “ とテレビに向かって叫んだ。今年のワールドカップでも最も興奮した瞬間だった。 



更に54分は Jedinak がPKを決めて逆転。 こりゃ行けるぞ!と大いに期待した。
しかし期待は4分しか持たなかった。 58分に Van Persi が同点ゴールを決め、更に68分に Depay に逆転ゴールを許し、頼みの Cahill もこの試合で2枚目のイエローカードを受けたせいか69分に Ben Halloran に替わってベンチに下がりこの試合も勝ち点を挙げる事が出来なかった。
最終戦はスペインに 0-3 で敗れ3連敗勝点0で大会を後にしたが、同じ散るならオーストラリアの様にインパクトを残して散って欲しかった…と思うのは私だけだろうか…



World Cup 終えて4戦1勝1分2敗。
日本戦を前にオーストラリア代表は Belgium ( 0-2 ) Saudi Arabia ( 3-2 ) UAE ( 0-0 ) Qatar ( 0-1 )
4戦1勝1分2敗。3得点5失点。3得点もサウジアラビア戦のみだった。
日本戦を前にマスコミは“オーストラリアも世代交代中。日本同様 Asian Cup に向けて再建の最中。”ってな事をのたまわっていたけど、世代交代は World Cup から始まっていたと言わざるを得ない。

2013年9月8日。Estadio Nacional de Brasilia に遠征しセレソンと対決した Socceroos はなす術なく 0-6 で惨敗。 更に10月12日 Paris の Parc de Princes に乗り込みフランス代表と対戦するもまたも 0-6 の惨敗。試合後オーストラリア協会はかつて浦和レッズでも指揮を執った Holgar Osieck 監督 の解任を決めた。 弱り目に祟り目とはこの事か?11月6日には文字通り Socceroos の最後の砦、Mark Schwarzer が World Cup を前にして代表からの引退を表明してしまった。
思えば Schwarzer の代表引退がオーストラリアの災難の始まりだった。
2006年日本を撃破しベスト16に進出したメンバーは偉大すぎた。大会後の世代交代は遅々として進まずそのツケが一気に爆発する。 そして後を引き継いだ Ange Postecoglou 監督は大英断を降す。
所属クラブが定まらなく、所属クラブ先でも出場機会が激減したかつてのチームの精神的主柱でもあった主将の Lukas Neil を大会前に代表から外し、更に Luke Wilkshire, Josha Kennedy が外れ、唯一欧州のクラブチームでレギュラーであった ( Bayer Leverkusen ) Robby Kruse が膝の故障が癒えずに離脱。
World Cup メンバー23人中、アジア地区予選に招集された事のない選手が11人含まれていた。その中でも Ben Hollran は代表招集経験のない選手だった。この人選を見た時、多分翌年の Asian Cup を見据えての選考と思った。

対日本戦メンバー23名発表。
11月5日、 Postecoglou 監督は日本戦に臨む23人のメンバーを発表。10月の中東遠征( UAE, Qatar ) から6選手が入れ替わった。Qatar 戦では後半から出場した GK Adam Federici, Bernie Imini, Tomy Juric, Brand Smith 。そしてワールドカップ予選の日本戦で先制ゴールを決めた Tommy Oar も怪我の為に外れた。
そしてメンバー発表以降、 FW Adam Taggart, DF Bailey Wright そしてMF Mark Milligan が故障が完治せず来日は不可能となった。かつて千葉でもプレーした Milligan の離脱は大変残念だった。
選手の入れ替え後、来日メンバーは22人となり、その中でワールドカップメンバーは12人。出場経験者は Bresciano, Cahill を含めて10選手。 結局ブラジルワールドカップメンバーが中心となった日本代表とは対照的なメンバー構成だった。 そして試合の10日も前から大阪入りして日本戦に備えた。
昨年6月のワールドカップ予選でもオーストラリアは日本代表よりも早く日本合宿を始め日本戦に備えた。

その1か月ほど前、大阪在住の大学時代の後輩に連絡をした。息子さんが3人。長男君と次男君はすっかりサッカーにはまり休日は次男君とボールリフティイグに興じているらしい。
このオーストラリア戦、そちらに出掛けるから一緒に見ないか?と打診したところ“良いですね。是非行きましょう。”との即答。まさかサッカーが縁で久し振り(と言っても前に会ったのは6年前でその間何度も連絡はしていたけど )の再会になるとは。チケットはこちらが都合4枚手配し帰阪する事となった。
もし後輩の即答が無ければ大阪遠征を敢行したかは解らなかった。

長居駅前で待ち合わせ久々の再会。子供達は見知らぬおっさんを見て少し緊張気味か?後輩は“ほら、きちんと挨拶せんかい。”とお父さんらしく…お互いに歳をとったなぁ。
長居運動公園は学生時代に合宿をした事もある思い出の地だ。“確かランニングコースは15周したら 42.195km になったんとちゃいますか?” 後輩が訊ねるがそこまでは覚えていない。雨の中20㎞走とかをやったなぁと昔話が。後輩も卒業後に関西の実業団で競技を続けたのでここでは私よりよく練習していたはずだけど、“そんなことはすっかり忘れました。”と。二人とも実業団に行ったけど、やっぱり競技生活も学生時代の時が充実していたなぁという結論の達した。
さすがに代表の試合。地下鉄の駅からスタジアムまでは物凄い人の数。 “セレッソの時とは大違いですわ。”何度か子供達を連れてセレッソの試合観戦に来た事があるそうだ。 振り返れば自分も関東圏以外で日本代表の試合を観戦するのは初めて。さいたまスタジアムとは雰囲気も違った。ワールドカップ予選と親善試合の違いかな…..
人込みを掻き分け競技場内に入るが座席がなかなか見つからない。何人か係りの人に訊ねてようやく最上段の席と解った。 ちょっと悪いことしたなぁ。こんなに上か・・・・折角子供達がいるのに。カテゴリー3でなくてカテゴリー2にすれば良かったかなぁ。私一人なら間違いなくカテゴリー1を選んだけど。相手は3人。予算も考えてカテゴリー3にしたけど、“良いです。良いです。ここなら全体が眺められますから。”
後輩は俺の心中を察してくれたのかな? 
“やっぱりトラックがあるとちっとなぁ・・・”“本当。そうですね。”
だけど二人とも陸上競技出身。“トラックには恨み言は言えないわ。”との共通の意見。
子供達はじっと黙っている。それだけにもっと良い席で見られればと思ったかな? 次は良い所を準備するから許してくれぃ~。
11月中旬で寒さが心配されたけどそれほどでもなかった。ここに来る前にたっぷりと宿泊先のカプセルホテル備え付けのサウナで汗を流したのが良かったか? それにしても難波のカプセルホテルは最高だった。病み付きになりそうや・・・・

試合開始までまだ時間有りとふんで、プログラムを買いに行ったけどこの競技場は中二階みたいなところが無いから結局1階まで降りなければならずスタメン発表迄に席に戻れなかった。
オーストラリアのスタメン。まず GK はMat Ryan。World Cup 後の4試合では Dortmund 所属の Mitch Langrerak と2試合ずつ起用されたが、所属先 Club Brugeでコンスタントに出場をしており、 World Cup でもゴールを守った Ryan がスタメンに。 Langerak は所属が Dortmund とはいえ試合に出ていないからなぁ。
DFライン、CBに Trent Sainsbury ( Zwolle ) とAlex Wilkinson ( 全北現代 ) 。Wilkinson は World Cup 後5試合全てスタメン出場。Sainbury は UAE 戦以来2試合目のスタメン。Asian Cup で Wilkinson と組むCBは誰になるだろう?

右SBにはこれまで3試合スタメン起用されていた Chris Herd では無くて所属先 Torpedo Moscowで出場機会を得ているIvan Franjic が抜擢された。左SBはカタール戦に続いて Aziz Behich ( Bursaspor Turkey ) 。このポジションもカタール戦の前までは Jason Davidson が起用されていたが、Davidson も所属先 West Bromichでベンチを温める日が続いている。Asian Cup で誰を両SB に起用するかは Postecoglou 監督も悩むところか?
そしてアンカーの位置にベテラン Mile Jedinak ( Crystal Palace ) を入れた。World Cup の3試合を含めてアンカーを置いたのはオランダ戦のみ。 日本相手にアンカーを置くのは Asia Cup での日本との対戦を見据えてだろう。
ボランチには Matt MaCkay ( Brisbane Roar ) と若い Massimo Luongo ( Swindon Town England ) 。Luongo をここの位置で使うとは思わなかった。
これは私でも予想できなかった。( だから日本の解説者も予想できなかった?)
右MFには Bayer Leverkusen の Robbie Kruse。この試合のスタメンでは最も警戒すべき選手だった。左MFには James Troisi ( Melbourne Victory )  。そしてトップには故障の Tim Cahill に替わって Leckie ( Iogolstadt 04 ) が起用された。 Bresciano もベンチスタート。やはり90分は無理かな? World Cup メンバーの James Holland もベンチスタートだった。 この布陣は Asian Cup でも準決勝くらいからしか起用しないのでは無いかな?と思った。

  

一方の日本代表はホンジュラス戦で左SBだった酒井高徳が右SBに回り、左SBには FC 東京の太田。長谷部をアンカーに置きボランチには香川と遠藤が引き続き起用されるなど、他はホンジュラス戦と同じメンバーで同じフォーメーションだった。 もう少し違う選手達も見たかったけど。

             GK 1 Ryan

2 Franjic   20 Sainsbury   22 Wilkinson  12 Behich

            15 Jedinak

    21 Luongo             17 McKay

  10 Kruse                 14 Troisi

            7 Leckie


            9 岡崎
  14 武藤                  4 本田

    10 香川              7 遠藤

            17 長谷部

21 太田    6 森重      22 吉田      2 高徳

                1 川島


長谷部の両サイドを突かれる。

オーストラリアのキックオフで始まった試合。24秒 McKay からのロングフィードを Kruse が森重と競りながらヘッドで落としそのこぼれ球を左サイドに走り込んだ Troisi がシュートに持ち込むが枠は外れる。
Lecckie が上手く吉田がマークに入りに行くのをブロックした。早速の御得意のパターン。もし競ったのがはたまたシュートに持ち込んだのが Cahill だったらどうなっていたか?と。
1分52秒、今度は吉田のスルーパスに岡崎が抜け出すがここは Wilkinson がマーク。お互いに立ち上がりは持ち味を出したかと思った。
だがここからオーストラリアが主導権を握る。2分20秒、 Troisi から縦パスを受けた 左SBのBehich がクロスを入れるが森重がヘッドでクリアー。
5分22秒、 Wilkinson からのフィードを Kruse がヘッドで落とし今度は Leckie がシュートに持ち込むが吉田がブロックをしてCKに逃れる。
5分43秒にも Wilkinson が入れたロングフィードを今度は McKay を経由して Lecckie にシュートに持ち込まれCKを与える。そのTroisi が入れたCKのこぼれ球を右サイドで Jedinak, Luongo と繋いで Lecckie のシュートを引き出す。日本はなかなかアッタキングサードに持ち込めないがオーストラリアはどんどんシュートを放ってくると言うのが立ち上がりの印象。
16分26秒には FKを与え、 Franjic が入れたFKから Jedinak を経由して Wilkinson に渡りミドルを撃たれる。川島が右に飛んで弾き出してゴールを死守したが日本DF陣のマークは甘かった。



オーストラリアはDFラインからの特に Wilkinson からのロングフィードが効果的。ボランチも攻守の切り替えが早くセカンドボールをよく拾っていた。韓国K-League でもこう言うフィードをしているのかな?
またアンカーに入った Jedinak が非常に良く効いており、効果的な縦パスを中盤に送っていた。30分迄の間で観客が沸いたのは15分20秒、太田のアーリークロスに走り込んだ武藤がドンピシャのタイミングで放ったヘッドがクロスバーを叩いた瞬間のみだった。しかしそれも線審の旗が上がっていてオフサイドの判定だった。
24分46秒、ようやく本田が右サイドを上がった高徳とのパス交換でグラウンダーのミドルを放つがここはGK Ryan が左に倒れ込んで掴む。本田もあまり高い位置でボールの出し入れが出来ず守備に腐心する時間が長かった。
29分9秒、長谷部が Kruse に激しいタックルを見舞ってホイッスルが鳴る。 Kruse が長谷部に何やら激しく言うがお互い die Bundesliga でプレーする選手達。何語で話したのかな?

30分過ぎから日本は長谷部と遠藤のボランチにして香川をトップ下に上げる4-2-3-1のフォーメーションに替えた。これにより長谷部の両脇にオーストラリア選手が入って来てそこから、特に日本の左サイドから切れ込んでくる回数が激減した。本田も高い位置を取れる様になり、香川も前でドリブルが出来る様になった。
39分遠藤からボールを受けた本田がドリブルで上がり香川に縦パスを送り右サイドからドリブルで切れ込んだ香川は Sainsbery, Belich をかわしてオーストラリアゴール前に迫る。しかし迫りすぎたか Wilkinson Jedinak 岡崎が並ぶところに放ったシュートは Wilkinson に当たってゴールラインを割ってしまった。誰かに当たってゴールインしてくれても良かったんだけどな。
43分、今度は Behich からのロングフィードに Kruse が走り込むがここは川島がエリアから飛び出してヘッドでクリアー。 

前半の終り頃は Kruse が前線に出て来て2トップ気味になっていた。

1分あったロスタイムも過ぎて前半はスコアレスで終えた。

オーストラリアのロングフィードばかりが目立つかと思ったけどなかなか繋ぐサッカーもして来た。

だけど Cahill も Bresciano もいない Sccoeroos とスコアレスか….と思わざるを得なかった。

後半に続く




Avez-vous vu Mme Edith Cresson?  France 0-1 Japan 12th October

2012-10-23 | 日本代表
Notre lecteur est en cours d'exécution comme la tante pendant 90 minutes pour vaincre votre équipe nationale à Paris. Si vous avez regardé le match avec poste de télévision japonaise fait, il serait très appréciée.
Peut-être vous ne pouvez pas undestanda une autre langue que votre langue maternelle. si
Je dépose le message en français.

Edith Cresson さんご覧いただけたでしょうか?私達の選手はパリであなたの国家代表チームを破る為に蟻の様に90分間走りまわりました。 もしこの試合を日本製のテレビで観戦されたのでしたら幸甚です。
おそらくあなたは母国語以外の言葉を理解されないと思いますのでフランス語にてメッセージを送らせて頂きました。

私はフランス語はさっぱり勉強した事が無いのである翻訳ソフトに入れた訳文をそのまま掲載しました。
誤訳はご容赦ください。

どうもフランス人は我々東洋人と云うよりも有色人種を思いっきり見降している様に思われてならない。
もちろん仕事上良いお付き合いをさせて貰っている人や仲の良いフランス人も少なくないけど。
1975年あの映画女優、岸恵子が離婚したと言う報道を目にした。元夫はフランス人の映画監督 Yves Ciampi 氏。
子供心に日本の美人映画女優がフランス人にさらわれたと言う気がした。 1985年にあの La Boum Sophie Marceau が来日した。だけどちょっと彼女と釣り合う同年代の日本人男性はいないと言う気がした。 当時彼女は19歳。後で知ったけどフランスでは東洋人的な顔立ちと言われていて本人もそれは認めていたが別に悪い気はしなかったらしい。
その後フランス語が堪能な岸恵子が日本のテレビ番組で Sophie Marceu とフランス語で対談を行った事があったらしい。

卒業旅行で欧州を旅した親戚の姉がやっぱりパリでは少し冷たい視線を東洋人に送るフランス人が少なからずいたと教えてくれた。 そのころは丁度パリではテロ活動が多発しており、観光でもフランスに行く時はヴィザの取得が必要だった。勿論アジア系は当時からそんなテロには手を貸さなかったけど。

1991年とんでもないババァがフランスの首相になった。名前は Edith Cresson 。売りは対日タカ派というよりも日本バッシング。 白人エリート意識の高い社会党の所属。欧米が提携して日本人を潰すべし、といった敵対発言に始まり、日本人を fourmis jaunes : 黄色い蟻と公式の場で発言。 日本政府から正式に抗議を受けると市場問題で我々に教訓を与えられない国からの抗議は受けられないと一蹴。 更に News Week 誌には黄色いチビどもと表現。在日フランス大使館はアリとはほめ言葉と苦しいフォローを。 しかし日本大使の面前では何度殺しても出て来るアリと発言。
またアングロサクソン嫌いでも知られ“英国人男性の殆どはホモ”とも発言。 こんなババァがフランスの首相になれた理由はただ一つ。 ミッテラン大統領の愛人であったという“実績”があったからに他ならない。
1992年4月に地方選挙で社会党が敗れた責任を取って辞任し、1994年 EU欧州委員会である役職に就くも、かつて歯科医の書類偽造に手を貸したというちんけな問題が発覚しそこも辞任に追い込まれるという哀れな人生を送ったマドモアゼルがいた。 こんなババァでも寿司は食うのだろうか? 腐った寿司を食っても最後まで生きていそうなババァだった。



1998年、ワールドカップ初出場を果たした日本サッカー協会が4年後の地元開催のワールドカップを目指して選んだ代表チーム監督がフランス人の Philippe Troussier だったけどしばらく、この監督で大丈夫か?と思った。しょっちゅう怒鳴り散らしていると言う印象があり、それは日本を少し見降しているからでは?と想像したけど少しは当たっていると思う。
そしてラモスは公の場でも彼も事を“ワールドカップ2002の成功は監督のおかげじゃない。選手達が頑張っただけだ。”と云い放っていた。

フランス人はまず相手のフランス語能力を見てある程度フランス語を理解できるレベルの人間を自分の評価対象にしそうじゃない人間は対象にあらずと考えている。それが私のフランス人像だ。 そして殆どのフランス人は外国語を話せない。
中学の時から良く聴いていた Radio France International は殆どがフランス語番組で英語は深夜に放送される Paris Calling Africa だけだった。しかしこの英語放送はよく聴く事が出来た。 

2001年 Troussier に率いられた日本代表は前年に Asian Cup 王者、シドニー五輪ベスト8の戦績を引っ提げて勇躍 La Stat de France に乗り込んだが雨の中日本は世界王者、欧州王者のフランスに 0-5 で完敗。 試合後はこの試合を観戦しに来た日本人に向けてフランス人の子供達が片手の指を全て立て、もう片方の手の指でOのマークを作り示し、その得点差を示したそうだ。 まぁそうされても仕方ない試合内容だったけど、実際にされた人は悔しかったと思う。
そしてこの試合をテレビで見ていた私は、あのフランス史上最低の首相だった Edith Cresson はきっとキーキーと喜びの声を挙げているだろうなぁと思った。



そのサン・ドニの惨敗から11年。 日本のチーム力は上がりワールドカップでも EURO でも不振のフランス相手にどこまでやれるか?少なくとも惨敗にはならないだろうと“期待”しながらこの試合を待った。
その上フランスは数日後にワールドカップ予選でスペインと対戦するのでそんなにきつくは当たってこないだろう。更に数日前に行った“地元紙のチェック”では Ribery はスタメンでは起用されない。場合によってはスペイン戦に向けて“温存される”のではないかと“期待”をした。
11年前の地元専門誌は日本代表のことはそれだけ知られていなかったせいかあまり触れておらず表紙を飾ったのは中田英寿でも監督の Troussier でも無くキャプテン翼だったらしい。

しかし日本のキックオフで始まった試合はそんな私の“期待”を吹き飛ばす立ち上がりだった。
開始20秒に長谷部から前線のハーフナーにボールが送られここはGK Llioris がそのままキャッチすると後はフランスの猛攻が展開される。2分20秒には ⑭Menezから⑪ Sissoko に縦パスが入り遠藤が何とかスライディングで CK に逃れそのCKから 186cm の CB 21 Koscielny がマークに入った長谷部の上の高い打点から叩きつけるようなヘッドを撃つがポストの右に外れていく。 4分22秒には Menez から ⑩ Benzemaに渡り酒井がマークに入る前にシュートを撃たれCKに。 そのCKを受けた Menez に憲剛がマークに入るも芝生に脚を取られる。しかし Menez が放ったショットはクロスバーを越えてくれた。



立ち上がりの攻撃に地元 La Stad de France の観衆は “ Allez France !! ”の歓声を送る。昨年ラグビーのワールドカップで散々聞かされた歓声だった。 6分25秒には⑨ Giroud が左サイドから上がり中に入れると Benzema が競り合う今野のマークをものともせずヘッドを放つもここはGK川島の正面に。 7分には⑫ Matuidi が Benzema とのワンツーで酒井の裏に抜け出し中に入れられるがCKに逃れる。 その Menez の上げたCKから吉田が Giroud のマークに吊りだされ長谷部の後ろに走りこんだ Koscienlnyに再びヘッドを放たれるもゴール枠を外れる。 
8分30秒には Benzema が右サイド、長友と香川の間を抜けて突破しシュートに持ち込まれるが今野に当たってCKとなった。



立ち上がりフランスの猛攻の合間に日本選手がボールを持ってもフランスのチェックは早く前につなげない。武器になるのは香川のドルブルと清武のボールキープくらいであるが香川がボールを受ける位置が低く押し込まれるのでそこから前方遠くにいるハーフナーにはボールが繋がらない。 フランスの攻撃陣は Giroud が左右に動き、両サイドの Benzema, Menez もポジションを替えるのでマークに付き難かったと思う。 Ribery 抜きでこれだけやられるのだからやっぱりフランスは違ったんだなぁ~と思わされた。
12分15秒にようやく日本は香川からボールを受けた清武が左サイドから中に入れると Koscienly の頭上を通過してハーフナーがフリーでヘッドを放つが惜しくもゴール枠を外れる。 その前にバウンドしたのであわせるのが難しかったか?
その直後にも憲剛から中央に上がった香川にスルーが入るが惜しくもシュートに持ち込めなかった。



18分を過ぎるとフランスは ②Debuchy ( 左 ), 22 Clichy (右)の 両SBが上がってくる。 Benzema が Menez とのパス交換で上がり最後は Debuchy がシュートを放つも弾道は外れてくれた。 フランスのSBはシュートも放ってくるのか、と思った。 20分を過ぎると相手のスピードに慣れたのか日本の縦パスが増えてきた。その前から1対1ではほぼ対等にやれていたのでちょっと期待出来るか?と思い始めたがここから Real Madrid の Benzema が実力を見せ付けて来る。 24分には Koscielny が Debuchy に送り右サイドを突破し中に折り返すと Benzema がうまくボールを浮かせて遠藤をかわしてシュートを放つ。しかし強烈なショットはポストの右に外れてくれた。 25分には強烈なミドルを撃たれるが今度は左に外してくれた。
30分には香川のミスパスを Giroud が拾ってドリブルで上がり左サイドの Benzema に吉田が必至にマークに入るがその前にファーサイドにシュート気味にボールを出すが惜しくも走りこんだ Giroud には合わなかった。 
37分にはカウンター攻撃を受け Menez が右サイドを上がるところを長谷部が完全にMenez の首に手を回して突破を阻止する。そうしてスコットランド人William Collum主審から当然の様にイエローカードが出された。 
このFKからつながれ、最後は香川が Menez を倒してゴール正面でFKを与えてしまった。 この嫌な位置でのFK, Benzema が放った弾道は日本ゴール枠内に一直線に飛ぶも川島が右に飛んで弾き出す。 ほっと安堵の息を漏らした。
その後は日本も頑張り大ピンチは招かないまま前半を何とかスコアーレスのまま終えた。前半のシュート数を比較するとフランスは14で日本はわずかに1だった。 頼みの香川も時間が経つにつれ低い位置で無いとボールが受けられないようになっていた。それでも無失点に抑えられたのはフランスのシュートミスと川島のナイスセーブもあったが選手が1対1でも結構ボールをキープしたり相手ボールを取ったり、今更言うまでもないがゴール前に迫られてもただボールを蹴りだすだけでなくそこから繋ぐ意識を持ち続けられたことだろう。
しかし劣勢の前半を見るとオーストラリア戦を思い出す。 低い位置からでも何度も縦にシンプルにハイボールを送り、その球筋はSoccerooos のそれよりも早くて正確。それだけでなく両サイドが上がったりボランチが押し上げたり、 Gbenzema, Menez そして Giroud がポジションを替えたりとやはりワールドカップアジア地区予選ではお目にかかれないレベルだった。



後半に入りまずフランスは選手を3人替えてきた。  Benzema が下がり ⑧ Valbuena , ⑲ Matudi に替えて注目の PSG の Chantome を Debuchy 替えて⑮ C. Jallet ( 彼も PSG ) が投入された。 Benzema, Matudi と言った選手が下がってくれたので、やや優勢になるか?と少し期待した。
しかし相変わらず主導権を握るのはフランス。 47分には Giroud から Clichy に渡るが今野が必死のマークでクリアー。その直後にはMenez が酒井、清武のマークをかいくぐり日本ゴールに迫るもここは何とかCKに逃れ、そのCKもFWハーフナーがゴールマウスに入りクリアー。 頼みの香川も高い位置ではボールを受けられないでいた。それでも54分に香川が Sissoko に倒されてFKを得る。そのFKから遠藤が放ったシュートはGK Lloris が弾きこぼれダマを拾ったハーフナーが中の香川に折り返すが惜しくも合わない。と言うよりも、ハーフナーがそのまま撃っても良くはなかったか....
しかし57分36秒にも憲剛がシュートを放つなど徐々に日本がペースを掴むかとの予感がした。
62分、日本ベンチは長谷部と憲剛を下げて細貝と乾を投入し香川がトップ下に入り乾が2列目左に入った。 そして乾が投入直後に“挨拶代わり”にミドルを放つ。 乾はこの後も何度も良いドリブル突破を見せた。
65分久々に La Stad de France の観衆が沸きあがったと思ったら Ribery がベンチ前で準備している姿が場内スクリーンに映し出された。 Deschamp 監督はこの試合に勝つために Ribery を投入するのか?と考えていたら、68分に⑰ Gonalons ( Lyon ) と並んで大歓声に送られてピッチに入った。 そして Menez と ⑳ Copua がベンチに下がった。 



Ribery もさることながら Gonalons も 184cm と長身だなぁと思った。しかし下がった Copua は 189cm だった。
Ribery が投入されたが日本が徐々にフランスゴールに近づくシーンが見られるようになる。 71分50秒には乾が香川とのパス交換で左サイドを突破し逆サイドに流れたハーフナーに。そして中央に走り込んだ香川に送るが惜しくもタイミングが合わずシュートに持ち込めなかった。 しかし良い繋ぎが見られた。
だが Ribery が存在を見せ始める。 その直後には左サイドを上がり清武と酒井の2人のマークを振り切り中に切れ込む。 73分にはまたもやこの2人の間に割って入る。 同じ die Bundesliga でプレーする選手2人を持ってしても止められない。
74分には Valbuena から中に入れられたところに Giroud ( Arsenal ) がシュートを狙うがここは吉田 ( Southernpton ) がマークに入り撃たせない。2人とも Premiership でプレーする選手だ。
77分30秒左サイドRibery が酒井のマークを受けながらもValbuena に送る。そこに細貝がマークに入るがその前に中に入れると中央で Giroud が吉田と競りながらオーバーヘッドで右サイドに走り込んだ2分前に負傷した Chantome に替って投入された⑧ Gomis に渡り日本ゴールに押し込まれるが線審がフラッグを上げてオフサイドの判定。見ているこちらは思わず息を飲んでしまったけど、 Gomis は解っていた見たいだった。
この時間帯からフランスは脚が止まりだし、ロングボールと Ribery 頼りになって来た。79分には Gomis からボールを受けた Ribery が酒井のマークを受けながらも放ったシュートはGK川島の正面に。 

日本も負けていない。残り時間が15分程になると長友のスタミナが目立ち始め対峙する Jallet, Sissoko が何度もぶっちぎられる。75分には Jallet を振り切り中に入れるとCKに。そのCKにハーフナーが飛び込むが僅かに合わない。83分にはまたも Jallet が置き去りにされ逆サイドの清武に。中のハーフナーに送るがその前に Koschielny がヘッドでクリアー。清武が直接撃っても良かったと思った。 



欧州組みはさすがに当たり負けしない。 流石に終盤になっても脚が止まらない。 
85分40秒、日本ベンチはハーフナーを下げて東京FCの高橋を投入する。そして香川をトップに上げた。



そして内田を入れて酒井を下げた。ハーフナーの交替はこのCKが終わってからでも良くは無かったかなぁ~と思った。

だけどホームで敗れたくないフランスは最後の力を振り絞る様に Ribery を中心に攻撃に転ずる。 86分40秒、右サイドでボールを持った Jallet が今度は長友がマークに着く前に Valbuena にそこにも長友がマークに入るが中に入って行き Ribery に送る。 Ribery は Gomis にスルーパスを通すがシュートに持ち込まれず Giroud に戻すと Giroud はミドルを放つが川島がナイスセーブを見せる。



そして入れられたCkをRibery がゴール前に送った跳ね返りを Gomis が撃つがまたも川島が防いでCKに。ここで決められたらこれまでの苦労が水泡と化すと思ったCKは日本選手(恐らく高橋かな?)にあたるとゴール正面にこぼれる。これを撃たれたら、と一瞬案じたが拾ったのは今野。そしてグランド中央を怒涛の勢いでドリブルで突破していく。あれよあれよという間にフランスPA付近まで迫り、右サイドを駆け上がった長友に送る。 スタメンから出ていた長友は20分ほどまえに投入された Ribery を既にぶっちぎっていた。そしてそのままダイレクトで中央に折り返す。 Debuchy が振り返って必死に脚を出す先をボールがかすめ最後はうまく香川が引っ掛けそのままフランスゴールネットを揺らした。
大歓声が沸きあがる。歓声を上げたのは日本人サポーターだけだったか? 欧州でも人気のあるキャプテン翼を地で行く見事なカウンターだった。



これで事切れたかフランスは反撃する力は失せており Ribery も内田の敵ではなかった。むしろ乾がドリブル突破を見せるなど日本の追加点か?と思われるシーンがあった。
そしてCollum 主審のホイッスルがなり11年前のリベンジを見事の果たしてくれた。 
深夜から早朝にかけて起きてテレビ観戦をして本当に良かったと思わせてくれる結果だった。
昨年ラグビーのワールドカップでフランスに敗れたときにサッカーなら男女とも勝てるのになぁと心の中で思って敗戦を慰めていたが、これでフランス人に男女サッカーは日本が上と言える様になったと思った。



もちろんこの日のシュート数 ( フランス27 日本 8 ) が語るように試合内容は今は世界の8強には入れないフランスが圧倒していた。もしスタメンから Ribery が出ていたら、ワールドカップの1次リーグで同じ組だったら今日の様な結果は難しかったと思う。 
4日後Madrid で行われたスペインとのワールドカップ予選では Benzema をワントップに置き Ribery 、Menez が2列目に入るなどスタメン3人を替えたフランスがアウェーでスペインから貴重な勝点1を得た。
フランス人達にこの試合で何人の選手を覚えてもらっただろう?
だけどこれだけは言える。 今日本で一番名前が知られているフランス人はRibery でも Benzema でもない、あの Laurent Ruquier である。



La France
①Hugo Lloris (cap.: Tottenham ) - ②Mathieu Debuchy ( Lilie ) , 21 Laurent Koscielny ( Arsenal ), ⑤ Mamadou Sakho ( PSG ), 22. Gael Clichy ( Manchester C. ) - ⑳Etienne Capua ( Newcastle ) , ⑫Blaise Matuidi ( PSG ) , ⑪Aly Sissoko ( Touloues ) - ⑭Jeremy Ménez ( PSG ) , ⑨Olivier Giroud ( Arsenal ) , ⑩Karim Benzema ( Real Madrid ) .
HT ⑧ Mathieu Valburna : Olympic Marseille ( Benzema ) , ⑲Clement Chantome : PSG ( Matuidi ) ⑮Christophe Jallet : PSG ( Debuchy ) , 68’ ⑦Frank Ribery : Bayern Munchen ( Menez ) , ⑰Maxime Gonalons : Lyon ( Capouse )  75’ ⑧Bafetimbi Gomis : Lyon ( Chantome )

日本 GK ①川島 ( Royal Standard de Liege ) DF 21 酒井宏樹 ( Hanover 96 ) 22 吉田 ( Southernputon ) ⑮今野 ( G大阪 ) ⑤長友 ( Internazionale ) MF ⑰長谷部 ( Wolfsburg ) ⑦遠藤 ( G大阪 ) ⑧清武 ( Nurnberg ) ⑭中村憲剛 ( 川崎F ) ⑩香川 ( Manchester United ) ⑪ハーフナー ( Vitesse Amhem )
62’ ⑨乾 : Eintracht Frankfurt ( 中村憲剛 ) ⑬細貝 : Bayer Leverkusen ( 長谷部 ) 86’ ⑥内田 : Schalke 04 ( 酒井 ) ⑳高橋 FC 東京 :( ハーフナー )

わが代表、Wroclow にて Seleconと対戦 Japan 0-4 Brazil 16th Oct. 2012

2012-10-22 | 日本代表

ポーランドの西部にある街 Wroclow には2度ほど商用で訪れたことがある。 もう20年近く前のことだ。
首都のワルシャワでさえまだ共産時代の雰囲気が強く残る時代、そこから離れれば離れるほど日本や西側では感じられない雰囲気が強く漂っていた。 しかし Poznan や Szczecin そして Wroclow といった街に来るとちょっとその雰囲気は変わった。
Wroclow は中心街に石畳が敷かれており、小さなレストランに入ってもポーランド語と並んでドイツ語表記のメニューが手渡された。 そしてドイツ語を話せるか?と商談でも尋ねられた。
ここは13世紀にモンゴル帝国の侵略を受け、14世紀にはポーランドが統一されたが Wroclow を含むシロンスク地方はその統一圏から離脱。 ポーランド王カジュメシュ3世はこの地域が隣国のボヘミア王国に支配されるのを黙認したが、実際はこの地域の古い王家の領主としての存続が続いた。 その後、様々な紆余曲折の後にポーランド王国との男系血族が途絶えたために一帯ハプスブル家の手に渡った。 
その後はオーストラリア継承戦争によりプロイセン王国がハプスブルグ家から武力でこの地を奪い取りドイツの一部となったが第二次世界大戦後のポツダム会談で定められた国境線、所謂 Oder-Neisse Line によりこの地域は今のベラルーシの一部がソ連邦領となったのと引き換えにポーランド領となった。
第二次世界大戦ではここでナチスとソ連共産軍が激しい戦闘を展開したらしい。 
13世紀にモンゴル帝国の侵略を受けたときに多くの地元住民は疎開をし、その後モンゴル軍が撤退すると荒廃した土地を復興させる為にドイツ、フランス、オランダなどから多くの移民が招かれた。
そのうち特に多かったのはドイツ人で、各地で次第にドイツ語が優勢となっていった。17世紀に最後のピャスト家の侯が死亡しシレジア侯家が断絶すると、シレジアはオーストリアに相続され、その後この地方は戦争によってプロイセン王国の手に渡った。
この地域では統計においては「ドイツ人」が多かったものの、実はそのうちの多くは俗に「シレジア人」、「ポメラニア人」、「マズーリア人」などと呼ばれる、ポーランド人やチェコ人の家系が近世から徐々に母語を西スラヴ語からドイツ語に変えることで文化がドイツ化した土着のスラヴ系の人々で、彼らは統計においてはドイツ人と見做され、第一次世界大戦後に国家の帰属を問うために行われた住民投票でも母語のドイツ語が国語であるドイツを選んだ。
初めて訪問したときはドイツがさっぱりだったのでもっとドイツ語を勉強しろと先輩の駐在所長に叱咤された。 
その後まだこの地を訪れたことは無い。

今年7月開催された EURO2012 ではポーランドはウクライナと並んでホスト国となり、ブラジル戦が行われた 42,000人以上が収容できる立派な競技場、ヴロツワフ市立競技場ことStadion Miejski we Wrocławiuで Russia vs Czech, Greece vs Czech そして Czech vs Poland の1次リーグのGroup A 3試合が行われた。
チェコの3試合はすべてここで行われたがそれはかつてボヘミア王国に支配された地域であったことにも寄与しているのかもしれない。試合には多くのチェコ人サポーター達が駆けつけていた。

ヴロツワフにこんな立派なスタジアムが建設されたこともそうだけど、ここで日本代表がブラジル代表と対戦するなんて本当に初めて行った時のことを考えれば本当に隔世の思いがする。あぁ時代の流れは進化をもたらす~

フランス戦相手に勝利を勝ち取った日本代表、試合内容はどうであれ続くブラジル戦はどこまでやれるか?これまでのブラジル戦と違ってかなりやれるんじゃないか?と大いに期待をした。 あまり参考にならないけどフランスは FIFA ランク13位。ブラジルは7月からランクを下げ続け14位。こんなに “ 弱い Selecao “なんて見たこと無いなぁ~。 2年後のワールドカップは大丈夫かなぁ~と関係ない日本人の私が思っている。

日本は本田がスタメンに戻ってきてハーフナーに替わってトップに入った。そして香川は前の試合に続いて2列目左に置かれてトップ下にはこの試合も中村憲剛が。 香川をトップ下に置いて左サイドには好調の乾が…とも思ったんだけど。
右SB に内田が酒井宏樹に替わってスタメン起用された他はフランス戦と同じメンバーだった。 せっかくの欧州遠征なのでもっと多くの選手を使えばなぁと思うのだけどザッケローニ監督は経験よりも勝負にこだわったのか?

一方のブラジル左SBをロンドン五輪メンバーで Real Madrid 所属の Marcelo に替わって AS Roma の Leandro Castan をスタメンに起用したほかは、4日前 Malmoe でイラクを 6-0 で一蹴したスタメンと同じメンバーだった。
注目の Kaka はイラク戦に続きこの試合もスタメンだった。
日本戦には CB Thiago Silva ( PSG ), MF Oscar ( Chelsea ) そして FW Neymar ( Santos ) かつて東京ベルディ、川崎フロンターレでプレーした Hulki ( Dripro Petrovsk ) ら4選手がロンドン五輪メンバーだった。
Mano Menezes 監督は本当に大変な時期にブラジル代表監督を引き受けてしまったと思う。 
それにしてもブラジルはここ5試合の親善試合の対戦相手を見ると、9月12日にアルゼンチンと試合を組んだけど、他は南アフリカ ( 1-0 ) 中国 ( 8-0 ) イラク ( 6-0 ) そして日本。 2年後の地元開催のワールドカップは優勝以外、例え準優勝でも成功と思われないだろうから、もっと違うところと組めないのかなぁと率直に思った。

ブラジルのキックオフで始まった試合、立ち上がりの日本は悪くなかった。 1分25秒には内田から憲剛に縦パスが送られるがわずかに届かなかった。2分にはその憲剛、内田が連続して相手からボールを奪う。 内田はマッチアップした Neymar からのボール奪取で以降この2人の激しい1対1が何度も見られた。
5分19秒には Hulki が長友がマークに入る直前に中に入れ Oscar がアクロバティックなショートを放つがゴール枠は捉えられなかった。 こういうシュートを見せられるとさすが Selecao と思わせられるが6分44秒には本田が基点となり右サイドの清武がシュートを放ち、その直後も長友の上がりから本田が香川に縦パスを送るがわずかに合わない惜しい場面が。 8分には香川からボールを受けた本だがシュートを放つがここは GK Diego Alves の正面に。 本田がいるとそこにボールがよく収まり1対1でも身体を張れるのでそこからいい起点になる。その後 Selecao 相手にボールが良く回りいいペースと思われた。
しかし11分56秒。  Leandro Castan の縦のミドルパスを内田がヘッドでクリアーするも Oscar に拾われ中央の Paulinho にそして遠藤がマークに入る前に打たれたミドルシュートがワンバウンドして日本ゴールに突き刺さり先制されてしまった。


 
主導権を握りつつあるかなぁと思っていたのに絶対に欲しかった先制ゴールを奪われてしまった。 そしてこういう展開でもゴールを決めるところはさすが Selecao と思わされた。
それでも日本はワンタッチパスが良く回り狭いところでのSelecao 相手に堂々とボール回しを見せるので何とか同点ゴールへの希望を抱かせてくれた。
16分にはカウンターから Neymar から前線に上がった Paulinho に渡り、GK 川島までかわされ必至に戻った長友がマークに入る直前に撃たれた左サイドからのファーサイドへのシュートはわずかに外れてくれて天も味方してくれていると思った。
だけど甘くは無かった。21分右サイドを Adriano Corriera の突破を許し中の Kaka へ。そこに今野がスライディングに入り Kaka が倒れるとポーランド人の Borski 主審は迷わずペナルティースポットを指した。 今野をはじめ長谷部等が主審を囲んで抗議をするが勿論判定は変わらない。 リプレーを見ると今野が倒れたときに手がボールに当たってしまっていたのをハンドと取られた様だった。ちょっと厳しい判定では….と思った。 このPK を Neymar が回り込みながら助走をつけて正面に蹴りこみリードを広げた。
GK川島、動くのが早かったと思ったのか悔しがり様は半端じゃなかった。


 
Selecao 相手に2点のビハインドとなった日本。 この時点でもう勝利は無いと普通は思うけどこの試合に関しては次に1点返せば何とかなるかもと期待した。
28分31秒に遠藤からボールを受けた本田が飛び出した香川に縦パスを送るがオフサイドと線審のフラッグが上がる。30分には
長谷部がミドルを放つと GK Diego Alves がファインセーブで防ぐ。 



37分にはRamires が清武を、40分にはDavid Luiz が本田をファールで止めてイエローが出される。ブラジルの焦りも引き出していると思った。 
36分には Kaka からのパスを受けたNeymar が放ったシュートがポストを直撃するのを見てまだまだチャンスありと思った。
ブラジルは完全にカウンター狙い。 相手CB Thiago Silva と David Luiz は最終ラインを浅めにしあまり前に出てこないのでもっと本田、香川が前線にと思ったがそれでも日本にボールを回させてもシュートまで持ち込ませない。
40分を過ぎるとブラジルはミドル、ロングパスを使い始めた。 42分から日本はボールを回して何度かチャンスを創るが得点には至らずに前半が終わった。 シュート数は日本が7、ブラジルは4だった。 押している時間は日本の方が長いと思い実際にシュートもブラジルよりも多かったけど肝心の得点は 0-2 とブラジルがリード。そこが Selecao との差だったんだろうなぁ~と思った。



スタンドには青色が結構目に着いた。 日本人サポーターも多かったと思う。Wroclow にこれだけ日本人が詰めかけるなんて初めてここに来た20年前には考えられない。 それだけにここに来たかったなぁ~という思いうが急再浮上して来た。 2002年に Lodz で日本代表がポーランドと親善試合を行った時の様に……



後半に入り日本ベンチは憲剛を下げて乾を投入した。この交替によりフランス戦と同様香川がトップ下に入り、乾が2列目左サイドに入った。そして内田が下がり酒井宏樹が同じ右SBに入った。2年後のワールドカップではどちらがスタメンに入っているだろう?
それから憲剛は以降代表のメンバーとしてどれだけプレー出来るのだろう….
香川がトップ下に入ったので早く1点差になるのではと期待したのだが47分右CKからファーサイドの Neymar が撃ったシュートがそのまま日本ゴールに転がりこみ3点差とされてしまった。

 

Neymar のシュートが吉田の脚に当たってコースが変わってゴールインしてしまった。 そしてこの失点によりこの試合の興味は日本が Selecao から1点を取れるか?に絞られてしまった。
3点目を失った直後も日本はチャンスを創り続ける。 49分には本田のシュートからCKを得て、そのCKを香川が本田からボールを受けてシュートを放つが惜しくもGK Diego の正面。 53分には本田がドリブルで左サイドを突破し中に走り込んだ香川に送るが惜しくも合わない。 60分には香川から上げられたロブに本田が走り込みマークに入った Adriano に倒された。よしPKだ!と思うも Borski 主審は笛を吹いてくれない。 おいおい、と思うもリプレーを見ると Adriano の脚は本田に当たっていなかった。 反対によくカードが出なかったなぁと思った。
 
3点リードのブラジルは完全にカウンター狙い。 日本はブラジルPA付近には迫るがシュートはなかなか撃てない。そしてカウンター攻撃に転ずると Hulki , Oscar, Kaka そして Neymar が一気に上がってボールを前に繋いでシュートに持ち込む。 2年後のワールドカップでもこういう方策を取るのだろうか? 
61分、日本ベンチは長谷部を下げて細貝を入れる。2人とも浦和レッズでプレーした選手。 あの時の Club World Cup がレッズの最盛期でその後は緩やかな下り坂を…..
日本は香川 - 本田のライン以外はSleecao ゴールに迫れない.。しかし反対に言えばこの2人の突破はワールドクラスと云う事と思う。  
だがシュートを撃つのはブラジルばかり67分 HUlki が Neymar に送り吉田がマークに入る前に中に入れると走り込んだ Paulinho が押し込むがその前に線審のフラッグが上がりオフサイドと判定され胸をなでおろすも76分その Paulinho からの縦パスを受けた Kaka がドリブルで上がりそのまま放ったドリブルシュートが日本ゴールネットに突き刺さり今度はゴールインとなり得点差は4点差とされた。  Paulinho にボールが渡ったのは日本のパスミスを拾われての事だった。



そして Selecao ベンチは Hulki を下げて Giuliano を投入する。 もう Selecao は完全にラインを下げてボールを後ろで回し始める。 4点差は着いたけどなんとか1点を。1995年国立競技場での親善試合では 1-5 で惨敗したがミスパスを拾って最後は福田が決めた, 2006年のワールドカップでは 1-4 で敗れたけど玉田が先制した。だからこの試合でもと期待した。
しかし相変わらず本田と香川のライン以外はボールが繋がらない。 たまに乾が良い突破を見せるのだけど。 
82分には Kaka が下がり Lucas Moura が、85分には Neymar がベンチに退き187cm のLeonard Daniano が投入されるこれで完全にラインを下げ、ボールを拾ったら後方で回し彼がゴール前に上がるとロングボールを当てる方策に出たか…。
87分には Ramires が下がって Sandro がそして89分にはOscar が下がり Thiago Neves がそれぞれ起用されるが日本ベンチはまだ動かない。 宮市がようやくユニフォーム姿になったとピッチレポーターが伝えるが….そして彼が入ったのは89分13秒、清武に替ってだった。そして同時に吉田が下がって栗原も投入された。
しかし宮市が一度ブラジルゴールに迫っただけで、92分に酒井を切りえした Lucas がドリブルシュートを放った後に試合終了を知らせるホイッスルが鳴った。 負けた事よりも得点差よりも1ゴールも奪えなかった事が悔しかった。
画面に映し出された天を仰ぐ香川を見てそう思った……



またブラジルに惨敗してしまった。日本の存在をブラジル国民に見せられなかった。だけど1対1では Selecao 相手に結構やれたと思う。 時間と共にブラジルの選手達が本気を出しても本田、香川そして乾は相手をかわして突破するシーンが見られた。 内容ではこれまでの対戦で一番やれていたのでないか? ブラジルのメディでも試合後本田、香川の2人を評価していた。しかし裏を返せば彼ら以外はまだ世界のトップチームとはやれないと言う事か?
それから本田のワントップ。 私は悪くないと思う。今回は前田の離脱からその起用となったけど、前線でキープが出来て外国人相手に当たり負けない本田のトップは面白いと思う。日本には中盤はタレントが揃っているが前線となるとそこまでは。



しかし改善が必要なのは、今世界のトップレベルに追い付く必要を迫られているのは、地元開催で優勝を義務付けられているブラジルの方だ。 



日本はまだ足場を固めるのが先決だ。 アジアで断トツの地位を長きに亘って築くことだ。 韓国やオーストラリアが絶対に歯が立たないと言うくらいに強くなる事だ。 この欧州連戦を見てそう思った。


あぁ本当に観に行きたかったなぁ~。

Brazil GK ①Diego Alves ( Valencia ) DF ②Adriano Corriera ( Barcelona ) ③Thiago Silva ( PSG ) ④David Luiz ( Chesles ) ⑭Leandro Castan MF ⑤Paulinhon ( Corinthians ) ⑦Ramires ( Chelsea ) ⑩Oscar ( Chelsea ) ⑧Kaka ( Real Madrid ) ⑳Hulki ( Zenit St. Petersburg ) FW ⑪Neymar ( Santos )
76’ ⑱Giuliano : Dnipro Petrovsk ( Hulki ) 82’⑰ Lucas Moura : Santos ( Kaka ) 85’⑨Leandro Damiao : Internacional ( Neymar )  87’⑯Sandro : Tottenham ( Ramires ) 89’⑲ Thiago Neves : Fluminence ( Oscar )

日本 GK ①川島 ( Royal Standard de Liege ) DF ⑥内田 ( Schalke 04 ) 22 吉田 ( Southernputon ) ⑮今野 ( G大阪 ) ⑤長友 ( Internazionale ) MF ⑰長谷部 ( Wolfsburg ) ⑦遠藤 ( G大阪 ) ⑧清武 ( Nurnberg ) ⑭中村憲剛 ( 川崎F ) ⑩香川 ( Manchester United ) ④本田 ( CSKA Moscow )
HT 21 酒井宏樹 : Hanover 96 ( 内田 ) ⑨乾 : Eintracht Frankfurt ( 中村憲剛 ) 62’ ⑬細貝 ( Bayer Leverkusen ) 90‘ ⑯栗原 : 横浜FM ( 吉田 ) 90’⑲宮市 : Wigan Athletics (清武 )


Le Blues vs Samurai Blue 観に行きたかったなぁ~ 試合前の地元紙拾い読み その2

2012-10-14 | 日本代表
Koscielny touché au genou droit
Koscielny 右ひざを打撲
10日の練習の最終セッションで Arsenal の Laurent Koscielny が右ひざを打撲、日本との親善試合とスペインとのワールドカップ予選の2試合に出場出来るか微妙になって来た。もし Koscielny が日本戦に出場出来なくなると Mamadou Sakho ( PSG ) と組むCBを至急探さねばならずそれは Deschamps 監督にとって問題になると伝えられた。

これによってValencia でプレーする Rami が浮上して来た。

10/10/2012 à 19:58
Chantôme : «A peu près le même niveau que le PSG»

Chantôme: " PSG と同じ様に"

初めてフランス代表に召集されたMF Clément Chantôme は所属する Paris Saint German はフランス代表の90%レベルの達していると語った。

この夏に PSG を離れなかった事が良かったと遂に証明されたか?

それは難しかった。 所属先を選択する事は難しかった。 Lyon は本当に熱心に誘ってくれた。 私を必要としてくれているCarlo Ancelotti 監督と話さねばならなかった。 そして彼は今シーズンの目標を示してくれた。 まず最初に代表入りする事。毎日一緒に居る選手達が自分を常に押し上げてくれる事を。 それに加えて、その希望を知れば知るほど、それを失いたくないと思う様になった。 クラブは多くの国際レベルを保持している。このチームでプレーする事が代表に呼ばれる事に繋がると知った。 私はPSGでプレーするチャンスが多かったそれがそこにいる理由だ。

常に代表入りを欲していたか?
いつも代表入りする事を考えていた。しかし昨シーズンは負傷する等多くの困難が有った。この夏にチームを離れようとほぼ決心したと言うエピソードがあった、しかしそれは新シーズンに向けての主たる災難の原因ではなかった。主にポジション争いがあったがそれが自信を齎してくれた。 そして代表に呼ばれた。それが自分の報酬となった。 ここには自分の技術を見せに来た。そして自分が10歳か11歳だった時に行われたワールドカップ1998が行われたここで代表としてプレーしたい。 それはいつの日か実現させたい事だった。 しかし子供の時は自分の好きなクラブでプレーする事の方を夢見ていた。 それが自分がプロ選手になったきっかけで今は代表入りを果たした。

デビューに就いては?
召集の知らせは日曜の夜のトレーニング後に届いた。 だからすぐに準備する必要が有った。この数日間は上手くこなせた。
代表をPSGと比較するのは難しい。それは殆ど同じだ。パリにいても90%は国際感覚がある。練習でもそれは同じだ。  Ancelotti 監督の練習、特に戦術の厳格さは私をレベルアップさせてくれた。 その前は私には守備の意識に欠けていた。彼はそれを植え付けた。 MFは今や得点も求められる。それは私には当てはまらない。 それは気に掛けていない。むしろ上がり過ぎていると思うくらいだ。解決すべき問題はもっと守備的にならねばと云う事だ。

この日本戦23人のメンバーのうちPSG 所属選手が4人。 EURO2012 では2人だけだった。 PSGがフランス代表の90%のレベルに有ると言う発言は地元ファンにとっては意見が二分された。
面白かったのはレオナルド監督時代のPSGとその当時の代表がどうであったかと云う事。
1994-95シーズン PSG は UEFA Champions League で準決勝に進出した。その時のフランス代表は2大会連続でワールドカップ地区予選敗退直後。まさに再建の時期であった。しかし、真の再建はその EURO’96 後、カントナ、パパン達が代表から去ってからだった。

Chantôme は後半開始からMatuidi に替って投入されたが69分膝を裂傷してベンチに下がらざるを得なかった。次のスペイン戦にはプレー出来るか解らない。今後の所属先でのパフォーマンスに期待したい。




10/10/2012 à 22:19
Koscielny est apte
Koscielny は出場可能

10日水曜日の練習で右ひざを打撲した Laurent Koscielny は練習後に施されたメディカルチェックでその状態を“完全に再保証された。”と判断され12日の日本との親善試合と16日のスペインとのワールドカップ予選の試合に出場出来る事となった。

Sakho とのCBパートナーとして最右翼であった Koscielny であるが、いよいよ日本戦の出場が濃厚と思われた。しかし Rami を望む地元ファンも。



11/10/2012 à 07:41
Keisuke Honda très incertain
本田圭祐の出場は未確定

日本に悪い知らせが。 日本代表は多分本田圭祐抜きでフランス代表と対戦するだろう。 CSKA Moscow の MF はふくらはぎ痛を抱えており出場出来るか解らないと L’Equipe 紙に語った。

本田はフランス戦には出場しなかった。しかし今の日本代表の中盤の人材は多い。トップ下には香川が入り...と思っていたが岡崎の不在が浮上していた。だがそこには好調の乾が...と思ったがトップ下には中村憲剛で香川はサイドのスタメンであった。
憲剛の名前を見た時は本当に嬉しかった。
しかしブラジル戦には本田は出て欲しいんだけどなぁ~ 





Ribéry : «Je reprends du plaisir en Bleu»

Ribéry: " フランス代表を楽しむ"

Franck Ribery が再び召集されたフランス代表に就いては精神的に“より解放された”と表現。 筋肉痛が懸念されるがスペイン戦の出場に就いては前向きに考えていると事であった。

Frank 体調はどうだい?
OK,この2~3週間左ふくらはぎに少し違和感を感じたけど大した事はない。 Bayern München でプレーしている時でも充分に対応している。 それで Champions League の Valencia 戦の途中で退き、先週の Schalke 戦を休んだ。そのおかげでここ3試合は90分間フルにプレーできている。コーチと話し合い日本戦は少ししか出ないけどそれはスペイン戦に向けて重要な準備である。

スペイン戦は100%の状態でできるのか?
その為に個々に来ている。 ここでは調整にいそしみ感じは日に日に良くなっている。私の頭の中では100%のフィジカルだ。感じも良い。 もしスペイン戦に100%に臨めなければ私はここに来ていなかっただろう。 しかし何事も起こり得る。それがふくらはぎにだろうと他の部分だろうと。 メディカルスタッフと話し合って日本戦では少しプレーをしてベストな状態でマドリードでのスペイン戦に臨みたい。

“リスクは負っていると思うか ?”
“勿論リスクはあるがとう。 それを見てみよう。”

ベラルーシ戦( 9月12日 3-1 で勝利。1ゴールを挙げる )は代表としてはベストパフォーマンスの一つだったと思うがどんな事を憶えていますか?
この試合であれだけやれた事は大変嬉しい。しばらくの間フランス代表を楽しんでいた。 それが私への本質だった。 もはや起こり得ない瞬間だった。 そして同様に勝ち点3を上げられた事が重要だった。

スペイン戦で偉業を成し遂げれば過去の悪い思い出は払拭できると思うか?
それは真実だ。 その試合の重要な事だ。 恐らくより重要な事と思う。 しかし容易ではない。 それが何であれ最大にポジティブにあり共に耐えなければならない。 我々はスペインを良く知っている。 彼らは良い選手が揃っており世界の football を支配している。しかしマドリードから何かを持ちかえられればと思っている。

EURO2012のフランスチームの輝きにも関わらず、あなたはフランスの中心にあると感じられたけど、あなたはどう感じましたか?
もちろん感じた。より自由に、少ないプレシャーの中でよりリラックスして。 全ての任務を手にした時に誰もが私の質を知っている。
そしてその瞬間に君はよくなり物事にトライしそして仲間を信じる。
人気者になる必要は?
もちろん。私は感情的だ。 私は自分のクラブに5シーズン従事している。そして長い間フランス代表にも、残念ながら私はやや敗北の中にあり徐々にそれを回復しつつある。 それは私をより自由にプレーさせ、物事に挑戦させてより自分を強化させる。

スペイン戦は2006年のワールドカップで対戦した時の様にあなたにとって特別な意味があるのでは?
( 決勝トーナメント1回戦、3-1 で逆転勝利。41分にビエラのスルーパスから同点ゴールを決める。)
スペインとの支配は常に特別だ。特にこの数年は。 我々からすれば例え多くのやらねばならない事があってもそれがフランスのチームで会って持ちあげるイメージであった。 正直に言うと私は小さくはプレーしようとは思わない。 ゲームで要求されるだろう。
最後の EURO の試合で我々は守備的にやろうとした。 普段通りにやるべきであった。 彼らをリスペクトし過ぎた。 その記憶を払拭出来れば最高である。

まさに、ここ最近の2試合ではスペインチームをリスペクトし過ぎたということか?
恐らく。 スーツケースを下げて行く時の様に。 我々は物事を可能な限りスムースに行う為に全ての事を行わねばならないとは言えない。この様なメンタルは持たねばならない。  EURO2012 では守備的になり過ぎた。 攻撃性に掛けていた。 相手を尊重し過ぎた。 再び避けねばならない。

日本代表に就いてはどう思う? 
日本はナイスチームだ。 香川を始め Wolfsburg や Stuttgart でプレーする選手達がいる。 運動量の多い、良い football をするチームだ。 日本は発展しているチームだ。 例え我々がスペイン戦をより重要視していても金曜日の日本戦は勝たねばならない。 特に La Stade deFrance では。

Marim Benzama とのコンビネーションはどの様に変更する?
容易に変更の利くトップクラスの選手だ。  Karim はピッチ上で容易に見つけられるそして相互関係にある。それは自然に起こる事で早く起こる。 彼とはそういう事に就いては試合前には何も話す事はない。

最後の Didier Deschamps との話し合いで Benzema と離れ過ぎているのでPA内に侵入してくる頻度が少ないと指摘されたらしいが、それに就いては?
我々が分散し過ぎていてゴールゴール前への出現が少ないということはないと思う。 コーチ達と話し合う。Bayern München では低い位置でプレーしている。しかし攻撃参加時には一気に駆け上がっている。 しかし彼は最後の30分間では私により冷静になって欲しいと思っている。 それがベラルーシ戦で行った事だ。 そして話し合う余地もある。

Ribery が投入されたのは67分、 Memez に替って。この試合は出てこないと思ったので出て来た時はちょっと驚いた。
そして何度かさすがと思うプレーも見せたいけど、もし真剣勝負で彼がスタメンから出て来ていたらどうなっただろう?
万全のモチベーション、メンタルコンディションに無かったにせよ、彼を止めるには複数でないと難しかった。酒井宏樹と吉田の二人がかりでも止められないシーンが。スペイン戦での彼が楽しみだ。 




Le Blues vs Samurai Blue 観に行きたかったなぁ~ 試合前の地元紙拾い読み その1

2012-10-14 | 日本代表

試合終盤川島がファインセーブを連発する。失点してしまえばこれまでの努力は水泡と化す。
42分21秒 MF Mathieu Valbuena がCKをセットする。日仏両選手が犇めく日本ゴール前に放り込まれるが日本DFに当たってPA外に弾き出たボールを今野が拾って怒涛のドリブルで中央を突破していく前にはフランスDFが3人いるが前進は止まらない。 後ろからフランス選手が3人追いすがるそして右から上がった長友に送るマークに入った Frank Ribery は完全に振り切られている。そしてダイレクトで中央に折り返すと次の瞬間にボールがフランスゴールネットに突き刺さったのが映し出された。

よしやった。ナイスゴ~ォォォォォォル~やぁぁぁぁぁ !! 。

早朝6時前と云う時間を考えたら自身のヴォリュームを制限するのが大変だった。 
リプレーを見ると長友の折り返しを香川がうまく右脚に引っ掛けてフランスゴールに蹴り込んだのが判った。

GK Hugo Llorys をはじめとしたフランス選手の落胆の姿が映し出される。

こうなればいいなぁと思っていた試合展開に、そして結末になりつつあった。そして思った。

こう言う試合こそ現場で見たかったなぁ~。

10月12日はフランス戦、16日はヴロツロフでブラジル戦。こう言う試合こそ現場ではしごをしたかったんだけど、まぁなかなかそうもいかない。テレビ観戦出来るだけ、と云うよりもこう言う連戦が現実に有ると言う事を幸せに思う。
フランスサッカーと言えば最近は女性上位だ。ロンドン五輪前は前年のワールドカップで準決勝に進出した女子代表が“1カ月前の欧州選手権での”男子代表の不振“を埋め合わせしてほしいと地元紙に書かれていた。
同じ事は日本にも言える。いくらマスコミ上は連日香川や清武達の活躍を伝えても女子代表なでしこジャパンは世界女王。 五輪も銀メダル。世界ランクは男子の23位に対してなでしこは3位だ。フランスは男子が13位、女子は5位。
その両国が11年振りに対戦する事となった。 
2001年3月24日。地元開催のワールドカップを翌年に控えたトルシエジャパンは3年前のワールドカップでメイン会場だったパリ郊外サンドニの La Stad de France に乗り込んだ。フランスは当時ワールドカップ、欧州選手権を連覇したばかりの世界最強と言える実力。日本も前年の Asian Cup で優勝し世界王者にアジア王者がどこまでやれるか楽しみにしていた。
それは多くの日本人そして選手、役員さらにトルシエ監督もそう思っていただろう。 
キックオフ時にはかなりの雨が降っていた。パスワークと運動量で体力差と1対1の差を埋めたい日本にはいやな雨だなぁと思っていた。しかし試合開始直後からフランスの猛攻に後手を踏み続け、9分にPKを与え Zidane に決められると14分には Henry のシュートがGK楢崎の手をすり抜け日本ゴールネットを揺らし、アジア王者が欧州、世界王者相手にどれだけやれるかという期待はこの時点で霧散してしまった。
あとは点差が広がらないことを祈るばかりで、90分間を終えてその得点差は何とか5で収まった。フランスのメンバーには GK Rame ( ワールドカップ、EUROでは第二GKだったけど ) を始めCandela, Leboeuf, Desailly, Viera, Micoud, Dugarry, Henry, Trezeguet, Pires, Wiltord そして Zidane といった EURO2000 メンバーが並び怪我でその大会に出られなかった Petit もプレーするという世界最強のメンバー。 
9ヶ月前にモロッコで行われたハッサン国王杯でも両国は対戦し、この時は 2-2 の末にPK戦で敗れるという健闘を見せたが、この試合は EURO2000 前に調整試合。こんなに easy には行かないと思っていたけどサンドニで5点差もつけられるとは...とショックだった。

試合内容も雨で地盤のゆるいピッチに日本のパスは回らず、選手達は相対する選手の体幹の強さにまったく対抗できず、ただ世界の強さと日本の弱さが目立っただけの試合だった。当時の日本代表選手では中田英寿以外(あと稲本と高原がいたか?)はシーズンが始まって1ヶ月も経たないJリーグでプレーする選手ばかりでシーズンたけなわの欧州でプレーする選手達とはコンディションもだいぶ違った。
おそらくフランス選手は中田以外誰も名前すら知らなかったんじゃないかな?
更にフランス入りして以来連日の雨で調整をする予定のグランドがセーヌ川の川水が溢れて使えず急遽代用したグランドが人工芝グランドでLa Stad de France の前日練習で初めて芝のグランドに触れたらしい。
そして当時の山本コーチの”備忘録”にも書かれていたけどトルシエ監督は夜間練習しか行わずそれが時差解消にも問題をきたしたと思う。アウェーという地に様々な悪条件が重なった結果だったけどそれを割り引いてもここまでやられるとは思わなかった。
日本の唯一の見せ場中田英寿が放った強烈なミドルシュート1本だけ。 マスコミはそのショットにすがっていた。 中田が欧州で通じているという証拠であるとか何とか書きたてていたけど試合後の中田の表情から日仏というか日欧の差が計られたと思った。

1994年5月29日にも両国は東京国立競技場のキリンカップで対戦している。
この試合も予想通り 1-4 で日本は一蹴された。 前年のワールドカップ予選で悲劇的な敗退を喫した両国の対戦となった。フランスは Rama, デサイィー、ル・グエン、ジョルカエフ、ブラン、ジノーラ、そしてパパン、カントナ らほぼベストメンバーを揃えての来日だった。 そして日本の唯一の見せ場はイタリア帰りのキングカズがその強さうまさを披露しデサイィーら屈強なDF陣と対等にプレーし、小倉のゴールをお膳立てしたシーンのみだった。
テレビを通してであったがパパンやカントナを見られたのは嬉しかったことを憶えている。

今回再び Asian Cup 王者としてフランスに挑む日本は現地ではどの様に見られているのだろう?

La sélection japonaise face aux Bleus

Le Blues と対戦する日本のメンバー

イタリア人であるアルベルト=ザッケローニ日本代表監督は10月12日のフランス戦と16日 ポーランドのWroclae で行われるブラジル戦に臨むメンバー23人を発表した。メンバーの中には13人の欧州でプレーする選手が含まれている。

Gardiens: Eiji Kawashima (Standard Liège), Shusaku Nishikawa (Sanfrecce Hiroshima), Shuichi Gonda (FC Tokyo)

Défenseurs: Yuichi Komano (Jubilo Iwata), Yasuyuki Konno (Gamba Osaka) Yuzo Kurihara (Yokohama F Marinos), Masahiko Inoha (Vissel Kobe), Yuto Nagatomo (Inter Milan), Atsuto Uchida (Schalke 04), Maya Yoshida (Southampton), Hiroki Sakai (Hanovre)

Milieux: Yasuhito Endo (Gamba Osaka), Kengo Nakamura (Kawasaki Frontale), Makoto Hasebe (Wolfsburg), Hajime Hosogai (Bayer Leverkusen), Keisuke Honda (CSKA Moscou), Hideto Takahashi (FC Tokyo)

Attaquants:
Ryoichi Maeda (Jubilo Iwata), Mike Havenaar (Vitesse Arnhem), Takashi Inui (Eintracht Francfort), Shinji Kagawa (Manchester United), Hiroshi Kiyotake (Nuremberg), Ryo Miyaichi (Wigan Athletic)

ロンドン五輪メンバーからは GK 権田、 DF 吉田、酒井宏樹 MF 清武が選出された。 Die Budesliga で好調の乾、そして一時 Manchester United 入りが噂されたFC東京の高橋、Wigan Athletic でプレーする宮市も選出された。
Hogffenheim で活躍する宇佐美、酒井高徳は声が掛からず、やはりというか浦和レッズの原口元気、広島の佐藤寿人は声が掛からなかった。 浦和では槙野、柏木、阿部も......

地元紙では本田、香川、長友ら欧州のクラブでレギュラー選手としてプレーする選手達に関心が集まっていた。

  

Le Japon avec Honda et Kagawa ( 日本には本田と香川がいる )

フランス、ブラジルとの連戦に向け Alberto Zaccheroni 監督は香川真司、本田圭祐らを選んだ。 また Inter Milan でプレーする長友、 Schalke 04 でプレーする内田篤人、 Arsenal から Wigan にローン移籍している宮市も召集された。

欧州や南米のベストの強いチームと試合をする事となった。我々を発展させる経験地の高い国際試合となる事を願っている。フランスは技術とフィジカルのバランスがよく取れたチームと感じており Deschamps 監督の指揮下、良いスタートを切っている。そして強い Paris Saint Germain の復活はフランスサッカー界にとって欧州でもじゅうような位置を見つけた事の様だとも付け加えた。 ブラジルに就いてはアイデアとテクニックの高いクオリティーのチームでありそれ以上は何も云う必要はないだろう  この様に Zaccheroni は語った。

当初選ばれたメンバーの中から前田、伊野波が怪我で離脱していった。ワントップとCBは今の日本代表にとってやや人材不足のポジション。 連戦を前にちょっと心配になった。
前田に替ってJリーグ得点王を行く佐藤寿人が召集された。佐藤にとっては願っても無いチャンス。だけど起用のチャンスは有るのか? 伊野波の穴は酒井高徳が召集された。ただ高徳に就いては最初から召集されても良いのにと思った。そして彼はCBが出来るのか?とも思った。実際に Stuttgart のラッバディア監督はCBが離脱したのにどうしてSBの Gotoku が何故召集される?と怒ったそうだ。

10/10/2012 à 08:25

Vers une association Koscielny-Sakho
To an association Koscielny-Sakho
 
Didier Deschamps 監督は CB にMamadou Sakho - Laurent Koscielnyのコンビを起用する見込みである。火曜日のマスコミ陣をシャットアウトした練習でそのコンビが試された様だ。Mamadou Sakho は Paris Saint-German,  Laurent Koscielny は Arsenal 所属。彼らの起用の可能性は日本戦の後に行われるワールドカップスペイン戦には出場停止である Mapou Yanga-Mbiwa の欠場に寄与している。また Adil Rami  (Valencia )はベンチスタートとなる可能性がある。

日本戦、続くスペイン戦に向けて召集された23選手はEURO2012 のメンバーから11選手が入れ替わった。 Koscielny はEURO2012では準々決勝のイタリア戦のみ起用され, Sakho はEURO2012のメンバーではなかった。大会後1994年のキリンカップでの日本戦に出場した Deschamps が監督になり半数近いメンバーを入れ替えて臨む最初の山場が日本戦の後に行われるワールドカップ予選のスペイン戦。 選手達が日本戦にどの程度本気になって臨むのだろう。

10/10/2012 à 18:00

Lloris capitaine face au Japon

日本との親善試合を2日後に控え、またワールドカップ予選のスペイン戦を翌週に控えて Didier Dechamps 監督は10月10日の記者会見で Hugo Lloris がキャプテンとしてプレーすると答えた。 Tottenham ではアメリカ代表の Brad Friedel からポジションを奪い先週の日曜日 Aston Villa を相手に Premier League デビューを果たし 2-0 で勝利を納めた。

EURO2012 では4試合全てに出場を果たした Lloris 。昨シーズンまではフランスの Lyon に所属していた。
今シーズンから Tottenham に移籍するがようやくPremier デビューを果たしたばかりであった。



10/10/2012 à 19:34
Deschamps prépare le choc  Deschamps is preparing the shock

Rio Mayuba, Abou Diaby そして Lassana Diara らを怪我で欠くフランス代表は MF Yohan Cabaye をCBで起用する可能性を Didier Deschamps 監督は記者会見で示唆した。ただ Cabaye も腹筋の痛みを抱えている。

Cabaye を日本戦、スペイン戦に帯同させる事に就いては深刻なリスクを負う事にはならないとコーチは話している。

ここ数カ月ベストなパフォーマンスを披露するも左脚ふくらはぎに痛みを抱える Franck Ribery は所属するBayern München では die Bundesliga, UEFA Champions League と過密なスケジュールをこなしておりスペイン戦をベストな状態でプレーする為にアジア王者との試合には Deschamps 監督は“部分的にプレーする可能性もあるがリスクを冒したくない。”と明白にする事を避けた。


まだわからないKoscielny

CB候補の一人 Koscielmy は Deschamps 監督の待つ合宿地に赴く為にあわただしく所属する Arsenal を離れねばならなかった。それは彼の状態を調べもう1人のCB Sakho とのコンビを吟味する為だ。

もし Koscienlny の状態が悪ければ日本戦は Sakho とスペイン戦では出場停止である Rami Yanga Mibwa がCBで起用されるだろう。 日本戦を2日後に控えて10日の練習では Debuchy ( Lilie ) が右SBに入り、Clichy ( Manchester C. ) が左SBに入った。 Lloris は主将として日本戦に出場すると思われる。

日本戦のスタメン予想は下記の通り。

Lloris (cap.: Tottenham )  - Debuchy ( Lilie ) , Sakho ( PSG ), Koscielny ( Arsenal )  (or Rummy : Valencia ), Clichy ( Manchester C. )  - Capua ( Newcastle ) , Matuidi ( PSG ) , Sissoko ( Toures )   - Ménez ( PSG ) , Giroud ( Arsenal ) , Benzema ( Real Madrid ) .

この中盤構成に疑問を抱く地元ファンは少なくなかった。 スペイン戦では違った中盤をとの声も。
そして実際のスタメンは上記の通りだった。 地元紙をチェックしておればそういう事も掌握できるわけだけどこの記事を見た時はRibery は日本戦には出て来ないと思ったんだけどなぁ~。     

                     

       つづく


Daisuke Matsui の去就は….

2012-01-25 | 日本代表
今年に入り松井の去就から目が離せない。アメリカの松井も欧州の松井も。
ネットニュースで下記の記事を見つけた。

松井、レギア・ワルシャワ移籍の可能性高まる? FWコケの交渉破談
SOCCER KING 1月24日(火)13時14分配信

ポーランドのレギア・ワルシャワの練習に参加したディジョンの日本代表MF松井大輔が、同クラブに移籍する可能性が高まったと、ポーランドメディア『sport.pl』が報じている。

ワルシャワは、松井と同じく練習に参加していたスペイン人FWコケの獲得を検討していたが交渉がまとまらず破談に。同紙によれば、コケとの交渉が不調に終わったことで松井獲得の可能性がさらに高まっているという。ただ、金銭面がネックとなっているため、移籍実現のためにはこの問題を解決する必要があるようだ。

レギア・ワルシャワは国内リーグで8度の優勝経験を誇る強豪で、今シーズンも17試合を終えて2位につけている


今週に入り現地での報道は下記の通りだった。 

1月23日。 Koke は Legia と交渉を始める。
Legia Warszawa は今月末日で Rayo Vallencano との契約を終える28歳のスペイン人ストライカー Sergio Contreras Pardo “ Koke “ と交渉する事を確認した。
2010年ワールドカップに出場を果たした日本代表選手は Legia にやってくるのだろうか?
Koke は契約条件を詰める為にやってくるがもしMarek Jozwiak ディレクターとの交渉で合意に達してメディカルチェックにパスすれば Sergio は Legia のメンバーとなる。

Koke は9月に Liga Espana のRayo Vallecano と契約したいが今秋は5試合しかプレーしてお有らずいずれの試合も途中でベンチにひっこめられている。 PKによる1ゴールを決めている。
それまで彼は多くのクラブでプレーした。 Malaga で選手生活をスタートし20歳の時に Olympique Marseile に移り2006年レンタル移籍で数カ月 Sporting Lisbon でプレーしそのデビュー戦の Gil Vicente 戦で2ゴールを決めたがその後はノーゴールに終わった。 そのシーズンの夏にはギリシアの Aris Thessalonoki に移り昨年の初期までプレーしたがその期間が彼のキャリアーの中で最も良い時期であった。
2011年春迄175試合に出場し38ゴールを決めた。 2011年春にアメリカMLSの Houston Dynamo に移り、9月に Vallecano と契約をした。

Legia は今冬の移籍期間中にこのスペイン人の様な選手を探していた。
もし彼との契約が締結すれば Ayia Napa での合宿に参加していた日本人MF 松井大輔とは恐らく契約しないだろう。 コーチ陣にとっての評価は高かったが財政的に2選手と契約する事は難しい。

このスペイン人選手に興味を持つのは Legia だけでは無い。 Koke は1月に2度ギリシアに赴いて Thessaroniki との契約交渉をしていた。 Koke は古巣でプレーしたいと言う願望を持っている事も隠さない。しかしクラブと彼の間には財政的な問題がありまだ契約は締結されていない。 彼には Cypros の Apoel と Omonia も興味を持っている。


そして下記の通りの報道も見られた。

28歳のスペイン人ストライカー Koke は本日23日メディカルチェックにパスをし、契約締結されるであろう。
日本の松井大輔は Legia でプレーしないだろう。
今冬最優先されるのはFW選手の獲得で、28歳のマラガ出身の Sergio Contreras Pardo Koke はチームの得点力不足を解消してくれるだろう。




しかしながら現地時間24日になると。

交渉決裂 松井入団の可能性は….

Legia Warszawa は WEB SITE でスペイン人FW Koke との契約交渉は締結にまで至らなかった事を発表した。
月曜日にその28歳のストライカーと行った交渉はまとまらなかった。

長時間に渡る交渉にも関わらず資金的な事で契約には至らなかった。
Koke はスペインにもどるであるだろう、と球団の Spots Director であるMark Jozwiak Sportsは語っている。
彼は22日、日曜日の夕方にワルシャワ入りし月曜の午後まで契約交渉の為に留まっていた。

シーズン再開まで3週間を切ったのだが Legia の攻撃陣問題はまだ解決しない事となっている。
チームの次の合宿地トルコにはふくらはぎを痛めているセルビア人ストライ会― Danijel Ljuboja は参加できない。そしてシーズン前半をアキレス腱の故障で殆ど出場できなかったチェコ人の Michal Hubnik が戻ってくる。
Matt Skorza 監督は11月に冬の移籍シーズンが解禁になると新たな攻撃陣の獲得を熱望していた。

Kokeは今 Legia が最も望んだ選手であった。確かに Koke との契約締結に至らなかった事が攻撃の問題を未解決のままにしているが、日本人の攻撃的MF松井に契約のチャンスが出て来た。

Kokeとの交渉決裂はキプロス合宿に参加し、コーチ陣の評価も高かった攻撃的MF松井との契約を近づけるものであったが、まず Legia 首脳陣は今松井の契約が 2013年迄残っている所属先のフランスの Dijon と交渉を始めねばならない。恐らくレンタル移籍の話となるだろうが、Legia は彼に(月給 3万ユーロ、約300万円)高いサラリーを支払わねばならない。確かにそれは松井や他の選手との契約交渉の障壁とはならないが、今最も欲しいのはFW選手だ。



今シーズンほぼ毎試合出場していた Ljuboja はトルコ合宿には参加せず怪我の手術の為にパリに行く。
そしてもし足の状態が良くなれば Antalya で行われているチーム合宿に合流する。

アキレス腱の故障で出遅れているチェコ人の Michal Hubnik の練習が再開されそうだ。 コーチも監督も彼の回復を認めているがもう少し時間が必要であろう。

シーズン開幕前でさえコーチたちはFW選手の増加を願っていた。それは Legia にも予想出来た事だった。
Ljuboja はワントップで起用され両サイドにチャンスを作ってもらっていた。そしてトップ下には Miroslvav Radovici が起用されていた。時折相手PA内に侵入する選手があまり多くない事があった。
Ljuboja は相手陣内深い位置に待ち構えていてボールを受けてから動きだすタイプのFWで早い動きをするカウンター攻撃の出来るFWに欠けていた、

Skorza は数日前には“故障をしている選手はいつ戻ってこられるか解らない。我々は解決策を考えねばならない。” この様に語っていた。
トルコ合宿ではFWのMichael Kucharczykと Kosecki Gyro の攻撃力を試す。彼らのどちらかは2月11日に行われる Poland Cup の試合と UEFA European League で起用されるだろう。 彼らはこの試合ではFWとして起用されるだろうがそれ以降は従来のウィングで起用されるだろう。誰も Sporting Lisbon の様な強いチームと対戦した事は無い。 それに.Feldman Kosecki は今シーズン、これまでベンチスタートが多かった。


1月17日に松井が出場した APOEL FC との練習試合のメンバー等は下記の通りだった。


APOEL FC - Legia Warszawa 1:5 (0:1)

得点者: Georgios Kyprianou 79' - Marcin Komorowski 40', Daniel Łukasik 57', Kamil Kamiński 71', Dominik Furman 81', Jakub Kosecki 83'

APOEL FC: Anastassios Kissas - Andreas Christofidis, Chrístos Gavrilidis, Andreas Themistokleous, Iakobos Theofilou, Evgenios Antoniou, Diogenis Sergidis, Chrístos Konteetis, Markos Charalambous, Pantelis Vassiliou, Kyriakos Vassiliou

Legia Warszawa: 82. Wojciech Skaba (43' 1. Marijan Antolović) - 2. Artur Jędrzejczyk, 17. Marcin Komorowski, 4. Dickson Choto, 11. Tomasz Kiełbowicz - 23. Albert Bruce (43' 35. Daniel Łukasik), 34. Dominik Furman, 20. Jakub Kosecki, 3. Daisuke Matsui (43' 22. Aleksander Jagiełło), 24. Bartosz Żurek - 26. Maciej Górski (43' 9. Kamil Kamiński)

その他のベンチ入りした選手: 1. Marijan Antolović, 22. Aleksander Jagiełło, 35. Daniel Łukasik, 9. Kamil Kamiński

松井はFW、ストライカータイプの選手ではないが攻撃的な能力の持った選手だ。もし金銭面の問題が許すなら損はさせない選手に違いないと思う。今月末迄には松井入団の情報が入ってくる事を祈る。



日本代表選手達の情報が続々と入る。

阿部レスター退団!!浦和VIP合流へ 1月24日(火)

イングランド2部のレスターは23日、日本代表MF阿部勇樹(30)の退団を公式サイトで発表した。阿部は1年半ぶりの浦和復帰が目前で、30日まで行われる浦和の宮崎合宿を免除されることが分かった。
阿部はこの日早朝、ロベルト佃代理人とともに帰国。「浦和とは契約の細部の詰めを残すだけ」と関係者が説明する通り、年俸1億円の3年契約を提示している浦和側と最終交渉に突入した。クラブ側は25日にも大々的な復帰会見を行う手はずを整えた上、VIP合流を認めた。チームはこの日から宮崎県内で1次キャンプを開始したが、リーグ戦真っ最中の英国から帰国したばかりの阿部には約10日間の休暇を与える方針を固めたという。鉄人ボランチは、来月の第2次キャンプから雄姿を見せる。

ヴォルフスブルクが長谷部を放出か 1月24日(火)

ヴォルフスブルクの日本代表主将、MF長谷部誠(28)が、クラブから放出される可能性が浮上した。23日発売のドイツの専門誌キッカーが報じた。
長谷部はリーグ再開となった21日の1FCケルン戦(ホーム)でベンチ外。同誌によれば、長谷部とMFジョズエ(32)、MFポラク(30)が放出要員として検討され、現在はポラクが競争相手を押しのけて残留に一歩近い状態。クラブを去るのはジョズエか長谷部だと伝えた。
長谷部のクラブとの契約期間は2014年6月末まで。08年1月に浦和から加入し、08~09年季にはリーグ初優勝に貢献。今季は本来のボランチ以外にも右サイドバック、右MFなどで起用されリーグ19試合中14試合に出場している。

CSKA本田、ラツィオ移籍秒読み…伊紙が報道 1月25日(水)
 
CSKAモスクワのMF本田圭佑(25)のラツィオ移籍が秒読みとなったと、24日付のコリエレ・デロ・スポルト紙が報じた。18日にモスクワで行われたクラブ間交渉では金銭面で折り合わなかったが、その後に双方が歩み寄り、一両日中にも移籍が成立する可能性が高いという。 最初の交渉で、ラツィオは半年後の完全移籍のオプションが付いた期限付き移籍で、レンタル料と移籍金の総額1200万ユーロ(約12億円)でオファー。CSKA側は1600万ユーロ(約16億円)を要求したためまとまらなかったが、同紙によると、その後に両者が譲歩。最終的に1400万ユーロ(約14億円)で成立する可能性が高いという。

さらに同紙は、かつてローマなどで活躍した元日本代表MF中田英寿氏らと比較して、トップ下からボランチ、FWまでこなせる本田の多才ぶりを絶賛した。「ラツィオ本田」誕生がいよいよ現実味を帯びてきた。




REDSサポーターの息子が何よりも喜ぶのが阿部の復帰だ。これで一気に優勝を狙える…彼はそう思っている。

セルジオ越後氏が最近専門誌にこう述べていた。
Jリーガー達の欧州進出も考えないといけない。欧州に渡る時は移籍金が発生せず日本に帰ってくるときには移籍金が発生する。
槙野がその例。槙野の日本復帰自身は出場機会を得ると言う意味で悪い事では無い。しかしこれではチーム経営が成り立たない。全く以ってその通りだ。 移籍金が発生しないから一応契約する。 そしてまた日本に返せば移籍金が入る…..

完全にJ-League は舐められているのか….. 10年ほど前あるアフリカからJ-Leagueにやって来た選手が言っていた。

“J-League はもう確立されたリーグ。ここでの成功が既にサッカー選手としての成功だ。”

まだ欧州の移籍市場が天文学的数字が並ぶ少し前の時代だったか….

松井よ、もし所属先が見つからなかったらいつでも古巣に帰ってこい。 そう古巣の京都サンガに。

松井大輔 Legia Warszawa 入り…..

2012-01-23 | 日本代表

全国高校サッカー選手権大会が終わって非常に興味を持つニュースが飛び込んで来た。 松井大輔ポーランドの強豪クラブ入りか…
フランスの League 1 Djion に所属していた愛する京都サンガの卒業生、松井大輔が何とこの移籍市場が締まる前に出場機会を求めてポーランドの強豪チーム Legia Warszawa に移籍をする為に練習に参加をする事となったのだ。

Legia Warszawa と言えばポーランドでも屈指の強豪クラブ。1990-91 UEFA Cup では準決勝戦まですすみ Manchester United に敗れた。 1995-96 シーズンは Champions League に出場し1次リーグを勝ち抜き準々決勝に進んだ。
1970年代ポーランドサッカーが全盛期の頃は代表チームの主将を務めていた Kazimierz Deyna がLegia に所属していた。そして DF Gadocha も Legia の選手だった。しかしサッカーはどちらかと言えば LKS Lodz や Widzew Lodz のあったLodz の方が良い選手が多かった様に思う。
GK Tomaszawski ( LKS ) , Bulzacki ( LKS ) そして英雄 Boniek ( Widzew ) 。私が海外で初めてサッカー観戦をしたのがあの Legia Stadium 。競技場前にその数年間に自動車事故で亡くなった Deyna の現役時代の写真が掲示されているのが印象的だった。そして駐在していた1995年に何度も Legia の試合に脚を運んだ。
München 五輪で金メダル、モントリオール五輪で銀メダル。ワールドカップ西ドイツ大会、アルゼンチン大会、イタリア大会で上位に入る等強豪だった頃、そして駐在をしていた頃、更に最近のポーランド代表チーム。今年の EURO2012 のホスト国。
色々な思いが混ざり、Legia Warszawa にしかも愛する京都サンガの卒業生が入団するなんて本当に時代の変化を感じる。今すぐワルシャワに飛んで行きたいなぁ…


1月16日 松井大輔 キプロスに到着 
1月16日 20:30 松井大輔を乗せた航空機が Lamaca の空港に到着し、その1時間後キャンプ地の Ayia Napa 入りした。松井はここで2試合を含んだ練習に参加しチームにとってチームにとって有用な選手か見極められると Marek Jozwiak スポーツディレクターは語った。  松井大輔は 2011-12 のシーズンはフランスの Dijon に所属し、2004年に Le Mans 入団以降欧州でプレーを続けており4年後には Saint Etienne に移り2009年には Grenoble に移り Tomu Tomsk にローン移籍した。松井は日本代表にも召集されており2010年のワールドカップでは“日出ずる国”の選手の一人として4試合プレーし決勝トーナメント進出に貢献した1人である。

Season 2011/12
3 matches in Ligue 1

Season 2010/11
16 matches in Ligue 2, 1 Goal, 1 Assist, 3 yellow cards
4 matches in the representation of Japan

2009-10 29 matches in Ligue 1, 4 goals, 5 assists, 5 yellow cards
2 matches for the Cup of France, 1 goal
A League Cup match
7 matches in the Premier League
10 matches in the representation of Japan Season

2008/09 22 matches in Ligue 1, 1 goal, 2 assists, 3 yellow cards
2 matches of the UEFA Cup, 1 yellow card
2 matches for the Cup of France
A League Cup match

Season 2007/08
34 matches in Ligue 1, 5 goals, 6 assists, 3 yellow cards
4 matches in the representation

Season 2006/07
27 matches in Ligue 1, 4 goals, 5 assists, 6 yellow cards S

eason 2005/06
33 matches in Ligue 1, 3 goals, 8 assists, 7 yellow cards
1 game in the representation

Season 2004/05 25 matches in Ligue 2, 3 goals, 1 yellow card

1月16日 チームのホームページインタビューから 環境を変えたかった。Dijon でのレギュラーゲームでは問題があったので何か新しい事にトライする事を決めた。 Legia の一員に慣れる様に全てを尽くしたい。Danijel Ljuboja がいるのでクラブの事は知っていた。
なぜなら彼とは Grenoble 時代一緒にプレーしたからだ。最近彼と話した。そしてこのポーランドのクラブを絶賛していた。彼の推薦で充分だ。それで私はここに来る事を決めた。 Legia から招待を受け取った時にすぐにクラブの事を調べた。
そして現在チームは2位で Europe League にも参戦中と言う事が解った。それが私を非常に肯定的にさせた。



1月17日:Danijel Ljuboja 松井を紹介
16日に Larnaca 国際空港に到着した松井はチームに就いて多くを Raphael Janasコーチに聞いた。翌日17日には彼と話す時間はあまりなかった。朝食後我々はすぐに午前練習に向かわねばならなかったからだ。
彼は本当に良い選手だ。私達は Grenoble で一緒にプレーをした事がある。そして彼は何が出来るか話す事が出来る…
その様にセルビア人ストライカーはレポーター達にミステリアスに話した。

大輔はワームアップ中は Daniel と組んでウォームアップを行ったせいかピッチ上の練習ではお互いに理解をしあっていた。
大輔はゲーム形式の練習でも良い動きをしており Ljuboja とのコンビだけでなくMiroslav Radoviciowi とRaphael Wolski らと共にPA前に進出していた。そして何度もPA前に顔を出していた。最初のシュートはポストをやや外し、次のショットは正確にゴールを捉えクロアチア人 GK Marijan Antolović は止める事が出来なかった。Maciej Skorza 監督は手放しで喜んだ。その次のシュートもゴールネットを揺らしたがオフサイドの判定であった。

Serbia 人MFの Danijel Ljuboja は Ligue 1 のNice でもプレーしたセルビア代表歴もある。かつての同僚である彼がチームに居る事が松井にとっても心強いであろう。



1月17日:30歳のフランス Dijon 所属のMF松井大輔がクラブのテストを受ける
数日前キプロスのトレーニングキャンプで Skorza Ljuboja と Matt は長時間話し合った。
技術的にもMFとしてもウィングとしても良い選手だ。そのセルビア人選手はコーチに話した。
Grenoble 時代に僚友だったMF松井は Ligue 1 13位の Dijon でプレーするが今はポジションがない。
そして Mark Jozwiak スポーツディレクターにコンタクトをして来た。 1月17日: 松井はチームを改良しうるか?

16日 Ayia Napa でトレーニング中の Legia Warszawa に2010年ワールドカップメンバーであった日本の松井大輔が練習に合流した。これまで何人かの日本人選手がポーランドにやって来た。
2004年、Gornik Zabrze の練習にKimitoshi Nogawa が参加した。そしてそのままチームと契約をし 2003-04 シーズンの残りをこのチームでプレーし3試合出場した。翌シーズンから彼はルーマニアの FC Municipal と契約し更にカメルーンの Canon Yaound でもプレーをした。

もう1人の日本人選手は Nakaokaも Gornik Zabrze の練習に参加したが最終的には契約はせず後にイタリア、フランスそしてカナダでプレーをした。
その後 2009-09 のシーズンに Wolbrom でプレーし、何ヶ月かしてからそのDFはラトビアの Blazma SK でプレーした。

Kimitoshi Nogawa ( 直川公俊)はかつて U-17 代表にも収集された実績を持ち2009 年のシーズンから今はポーランドリーグ2部のZKSスタル・スタロワ・ウォラでプレーするらしいが今はどうしているのだろう? 
Nakaoka に就いては解らなかった。 Blazma SK のホームページは見つけたけど。上述された2人の日本人選手に就いてもっと調べて見なければ。

1981年1月下旬に来日した“ポーランド代表”チームに日本代表は 0-2, 2-4, 1-4, 0-3 と4連敗してしまう。
その“代表メンバー”には当時の中心選手、 Boniek らは全く含まれておらず若手中心の“選抜メンバー”と見られ日本協会はAマッチとは数えていないらしいがポーランドではAマッチに勘定している。
駐在時にワルシャワの本屋で見つけた記録集にもこの試合の事が記されて、 “当時はフルメンバーでなくても楽勝できたが1996年にポーランド代表は香港で日本代表に 0-5 で敗れた!! “ と結ばれていた。 
その事は当時多くの取引先の人達から言われた。更に2002年にはワールドカップ前に Lodz で行われた親善試合ではベストメンバーのポーランド代表を 2-0 で破っている。
1973年にEngland を初めて欧州地区予選で敗退させたのがポーランド。 今、ワールドカップで日本がポーランドと当たっても勝星が充分に計算できる相手だ。本当に隔世の思いがする…. 今年開催される EURO2012 に向けてどの様な強化をしているのだろう?

2010年10月 Mohamed Elsamni と言う選手が Legia のテストを受けた日本人とされている。その選手は少ししてからオランダの Deen Haag に移り結局飲酒が原因でオランダ人コーチに帰国を命ぜられたと記されている。誰のことだろう??


1月17日。 Apoel 戦に出場。
Matthias コーチは試合後下記の様に話した。キプロス国内リーグ2位の Apoel に対して我々は攻撃面で実践的な練習が出来た。
殆どの時間相手のコートでプレーする事が出来た。Cuba Kosecki の良い素質が確認出来た。そしてBart Olek , Zurek Jagiello らが良い動きを見せた。彼らに並んで日本の松井大輔らが素晴らしかった。松井は何度も非常に興味を引くプレーを見せた。
松井大輔にとってこの日の試合は練習でチームに馴染んで貰う為の機会だ。松井は明日の Aris 戦でもプレーして貰いチームに必要な選手かどうかを査定させて貰う。

1月18日:Legia Warszawa Aris Limassol を 3-1で降す。
キプロス合宿中の Legia Warszawa は Łazienkowska Jacob と Michael Wawrzyniak Gyro の2ゴールでAris Limassol を 3-1 で降した。 Aris の1点は Luke Sosin のPKによるものであった。
Maciej Skorza 監督はベストメンバーをピッチに送り出し、負傷を負ったIvica Vrdoljakaと Janusz Gol は途中でベンチに下げた。
そしてこの試合は松井大輔の最初のテストの場でもあった。 20分に“疑惑の”PKを得た Aris はLuke Sosin が決めて先制する。
その直後、Aris が主導権を握り掛ける。前半終了5分前には Aris が決定機を掴むが Legia のスロヴァキア人正GK Dusan Kuciak がナイスセーブで防ぎ前半は Aris 1-0 リードで終わった。
後半開始数分後に Michael Gyro がチャンスを掴んだがシュートはクロスバーを越えた。しかし59分に Maciej Rybus のクロスに合わせて Jakub Wawrzyniak がシュートを N’Djemie Gilbert が守る Arisゴールに蹴り込み Legia が同点に追い付いた。
74分には 後半から松井に替って投入された Rafal Wolski のアシストを受けた Michael Gyro が逆転ゴールを決め、84分には 後半から投入された Michal Feldman がPA内で倒されPKを得るとそれを Gyro が決めて 3-1 でLegia が勝利を収める事となった。

Aris Limassol - Legia Warsaw 1:3 (1:0) Goals: Lukasz Sosin 23 '- Jakub Wawrzyniak 59', Michael Gyro 74 ', 84'

Aris Limassol (first half): 29 Zoltan Kovacs - 2 Marko Barun, 3 Andrei Stepanov, 55 Maros Kimpl, 5 Dragan Radosavljevic - 30 Costas Markou, 20 Christos Charalampous, 13 Dusan Kerkez, 19 Giorgos Vasiliou - 10 Silvio Gonzalez Pulpo, 7 Lukasz Sosin

Aris Limassol (second half): 51 Gilbert N'Djema - 25 Panayiotis Ioannous, 5 Dragan Radosavljevic, 69 Carl Lomb, 77 Menelaous Aristeidou, 18 Elias Elia, 23 Andreas Theofanous, 4 Comboio, 22 Pedrag Lazic, 16 Gelson, 8 Vladan Grujić Reserve: Alberto Louzeiro

Legia Warszawa: 12 Dusan Kuciak - 25 James Rzeźniczak, 15 Inaki Astiz, 6 Michael Żewłakow, 14 Jakub Wawrzyniak - 5 Janusz Gol (81 '23rd Albert Bruce), 16 Ariel Borysiuk (81 'Daniel Lukasik 34th), 31 Maciej Rybus (81 '26th Maciej Gorski), 3 Daisuke Matsui (46 '27th Rafal Wolski (88' ninth Kamil Kaminski)), 32 Miroslav Radovic (46 '18th Michal Feldman) - 28 Danijel Ljuboja (38 '33rd Michael Gyro)

Subs: 82 Wojciech Skab, 9 Kamil Kaminski, 23 Bruce Albert, 33 Michael Gyro, 34 Daniel Lukasik, 27 Rafal Wolski, 18 Michal Feldman, 26 Maciej Gorski

1月18日Skorża監督: 戦術的な成就がなされなかった 私は大変不服だ。なぜなら120kmも移動してこんなピッチでプレーさせられたからだ。この試合で出来た事と言えばただ足元を地に付けることだけであった。当初ゲームはメインスタディアムで行われるとの事であったが何故かサブトラックで行われた。
Raphael Wolski ( 松井と交替で後半から出場 )の怪我は心配でどれだけ深刻なのかわからない。 Danijel Ljiboja も怪我が深刻にならぬように途中で下げた。私は 基本的にこの Aris との試合は満足していない。松井大輔の将来に就いて決めねばならない。

その議論に就いては頭が痛い。大輔の練習は非常に良かった。しかしその能力を実戦で見てみたい。Lokomotive Moscow Youth Team まで待っていられない。今その実戦で試して貰う機会がないが金曜日の試合で何か見つけられるかもしれない。私はもう1人ストライカーが欲しかったらもう時間がない。

UEFA European League の Sporting Lisbon 戦に向けて普遍的に強化する事を忘れてはならない。

Maciej監督は1月15日に Ajax Amsterdam U-21 チームに 3-0 で勝利を収め1月18日に Apoelu Nicosia のリザーブチームを 5-1 で破った後に日本の松井大輔をテストする場を欲していた。その攻撃的MFの45分間のテストは非常に肯定的なものであった。

1月19日:キプロスで Aris Limassol 相手に3-1で勝利しかしピッチコンディションはスキャンダラス。
Aris のカメルーン人GK BayihaN'Djema Gilbertはベンチに座り Legia Warszawa のウォームアップを凝視していた。
その視線の先には松井大輔がいた。 2人は一緒にピッチに立った事は無かったが共にフランスの Grenoble に所属していいた時期があった。松井は18日の Aris との練習試合で Legia Warszawa 行きのチケットをほぼ手中にした。彼はライバルや Maciej Skorża 監督に充分なパフォーマンスを披露した。しかし試合後は殆ど彼に就いて話す人はいなかった。

1月20日:橙緑戦(紅白戦)に参加
キプロス合宿最後の練習となった橙緑戦(紅白戦)に緑組みのメンバーとして出場した松井は背番号3番をつけフル出場を果たした。
試合は 3-1 で緑組が勝った。前半15分に橙組 Michael Gryo がPKを決めて先制するもその2分後に今度は緑組がPKを得て Marcin Komorowski が決めて同点とする。そして主導権を握った緑組は後半15分には Marcin Komorowski  が逆転ゴールを決め、その後も Maciej Gorski がゴールを決め緑組の勝利に貢献した。
この試合は松井大輔のテストとしての場としても使われた。 松井は勝利を収めた緑組のメンバーとして起用されゴールに絡む活躍をし、ボールポゼッションを高める動きを披露し、自身もロングシュートを放った。

Orange - Green 1:3 (1:1) Goals: Michael Gyro 15 '- Marcin Komorowski, 19', 55 ', Maciej Gorski 58'

"Orange": 82 Wojciech Skab - 2 Jędrzejczyk Arthur, 15 Inaki Astiz, 23 Bruce Albert, 14 Jakub Wawrzyniak - 32 Maciej Rybus, 20 James Kosecki, 34 Dominik Furman, 18 Michal Feldman, 24 Bartosz Zurek - 33 Michael Gyro

"Greens": 29 James Szumski - 25 James Rzeźniczak, 4 Dickson Choto, 17 Marcin Komorowski, 11 Thomas Kiełbowicz - 5 Janusz Gol, 16 Ariel Borysiuk - 3 Daisuke Matsui, 27 Rafal Wolski, 22 Alexander Jagiello - 9 Kamil Kaminski (31 '26th Maciej Gorski).

Legia Warszawa には代表に召集されている選手も少なくない。何と言っても中心は35歳のベテラン DF Michael Rzeniczeak 。
ワールドカップも2002、2006年大会に代表メンバーとして出場している。
更に DF Kommorowski, Wawrzyniak, MF Gol, Maciej Rybus, Zewlakowa, Borysiuk, FW Kucharczyk らが代表に召集されている。この中から何人EURO2012メンバーに選ばれるか… 194cm 長身正GK Dusan Kuciak はスロヴァキア代表GKでもあり2010年ワールドカップメンバーだったがこの時は第3GKだった。こうして見ると結構面白いチームだと思う…

 



1月20日:松井大輔将来を決める。
紅白戦(オレンジ、緑戦?)は良い出来であった。出場した選手達はみなベストを示した。
Antalya 行きのフライトはまだ空席がある。ワルシャワに残る選手手、トルコに行く選手は今日20日にわかる。
週末はフリーで月曜日にŁazienkowskaに集合しグループ分けを行う。その際に Machowski 医師のメディカルチェックにパスをした日本の松井大輔と将来に就いて話し合う予定だ。
松井とはコーチ達ともあって貰って最終的な決定を決めるであろう。大輔はフランスで数シーズンを過ごした事があり日本代表でも何試合もプレーした事のある大変興味のある選手だ。

1月20日: 松井に就いては何も無い
Matt Skorza コーチは松井大輔の Legia Warszawa での将来はまだわからない、と語った。
彼は経験を積んだ選手で興味がある。今はそれ以上のことはその日本人選手に就いては何も言えない。
キプロスキャンプで2試合の練習試合と紅白戦を終えても松井はまだチームに帯同している。

1月22日 Dijion は Coupe de France ベスト16進出を伝える報道があった。松井は“ベンチ外”と云う“扱い”らしい。 Legia Warszawa のホームページを連日覗くがまだ松井と正式契約したという発表はなされていない。サポーターからの書き込みにはチームは一体何をしているんだ…との批判が相次ぐ。
中には“ Matsui のTシャツを早く発注したいのに”という業者らしきサポーターからの書き込みも。

そして地元紙も松井獲得の可能性には決して青信号を示していない。

私はこの議論には頭が痛い。彼はトレーニングでは大変良かった。しかしもっと手応えのある相手で彼の能力を見たかった。水曜日の Aris 戦の後で Maciej Skorza 監督はこう語った。 今やもう彼はそこにいない、そして Legia には戻って来ない可能性もある。なぜならもうテストの場もそれから獲得の資金も無いからだ。
Skorza監督は皮肉を持って “選手達が脚を折らなかった事に満足している。泥のひどいピッチコンディションで Aris とプレーしたが戦術に関しては問題にもならなかった。 Legia はこれまで Ajax のユースチーム(これには松井はプレーしなかった) APOEL との誌試合では松井は45分プレーした。しかしこんなピッチコンディションでプレーした Aris 戦はものの数にも入らない。 27日金曜日には Lokomotive Moscow のユースチームとの対戦か実現せねば紅白戦を行う予定である。 次のトレーンングキャンプはトルコで行われる予定であるがそこでトゥルクメニスタン代表と Steaua Bucharest との親善試合が組まれているがもう松井はそこにはいない。 
2年前に董方卓はその様にテストが出来たのだけど。
その上 Dijon で払われていたであろう€25,000から€35,000 ( 250万円~350万円)と言われている月給を捻出出来るだろうか?
確かに Legia はManu, Kostiantyn Machnowskiego そして Moshe Ohayon らを放出し資金は浮いているだろうが。

Skorza 監督はセルビア人ストライカー Danijel Ljuboja のパートナーを探しているが松井はゴールを量産するというストライカータイプというより技術をピッチ上に披露するタイプの選手だ。

元中国代表の董方卓は2010年に少しの間だけ Legia Warszawa に所属した。
1月31日に Legia はルーマニアのかつての欧州王者 Steaua Bucuresiti との親善試合が組まれているらしい。
Steaua と云えば私が欧州のクラブチームで最も好きなチームだ。
Legia vs Steaua 。こんなに私を興奮させる組み合わせがあるだろうか。
そこに松井がプレーをする事は出来ないのだろうか….

そして2月から再開する UEFA European League に松井が出場する事を願ってやまないのだが松井大輔は果たしてLegia の一員となるのだろうか…


正座してそして涙して見た あの伝説の名勝負そして FK 日本 1-2 韓国 26th Oct. 1985

2011-12-04 | 日本代表
遂にまた見る事が出来たあの試合。メキシコの栄光を知らない私達が90年代の初め迄すがっていたあの試合、そしてあのFK.。
色々問題を起こしている NHK ではるが、サッカー中継に関してはここの右に出るテレビ局は無いと思っている。
民放局で合格点を与えられるのは70年代から“三菱ダイヤモンド・サッカー”を放映していたテレビ東京だけだ。
東大卒の岡野俊一郎氏とサッカーの実況では日本最高峰の金子勝彦アナウンサーとの抜群のやりとりを見た事のある世代は
今の絶叫マシーンと化した民放の実況放送は幼稚で、ただの雑音としか聞こえない時があると感じるのは私だけではないだろう。 J-League 発足前は誰も見向きのしなかったサッカー中継に敬意を払ってくれた放送局は NHK とテレビ東京だけだ。
そのNHKが11月18日に放映した特別番組 “伝説の名勝負「世界が見えた戦い ’86年W杯・アジア最終予選 日本vs韓国 ” を私は正座をして目を皿の様にしてみた。 遂にまた見る事が出来たあの伝説の試合……

あの時私は大学生だった。前年シンガポールで開催されたロス五輪最終予選で4戦4敗の惨敗に終わった日本代表サッカーチームはまさに“破産状態” そこから“更生”して過程を見ていた。 1984年ソウルで行われた蚕室競技場のこけら落とし行事であった韓日戦で木村和司のFKと水沼のボレーショートで勝利を収めた。この勝利は引き分けを挟んだが対韓国戦で初めて連勝を飾りしかも日本が韓国の地で初勝利を挙げた試合でもあった。(この試合の韓国のメンバーは若手主体でベストメンバーではなかったらしいが。)
この勝利をきっかけに破産した代表が復興の狼煙を上げ、翌年から始まったメキシコワールドカップ予選で快進撃を見せた。
1次予選では北朝鮮、シンガポールを抑え、“準決勝”では香港相手に2連勝 ( 3-0, 2-1 ) しあれよあれよと言う間に韓国との“決勝戦”に進出する事となった。
この予選には幸運もあった。まずアジアからの出場枠2が東西地域に1カ国ずつ与えられたことだ。これで前年の Asian Cup で優勝したサウジアラビアや1982年のアジア大会で優勝したイラク、そして前のスペイン大会に出場した強豪クウェートとは対戦せずに済んだ。
そして日本の“準決勝戦”の相手が予想された中国ではなく香港であった事。 日本が1次リーグ突破後に対戦するGroup 4A の勝者は中国が本命視されていた。 “開幕戦“の2月17日には早速香港政府大競技場で両国が対戦し0対0で引き分けた。 その後両国はそれぞれブルネイ、マカオ相手に勝ち星を重ね、5月19日、北京の工人競技場で行われた最終戦で再び両国は対戦した。この時点では両国共に4勝1分勝点9であったが中国はホームでマカオを 6-0 で破る等得失点差 +21 でリードしており最終戦は引き分けても次のラウンドに進出出来た。試合は26分香港が張志徳のゴールで先制すると中国は32分李恢のゴールで追い付く。そして60分に顧錦輝のゴールで香港が再びリードを奪いその後の中国の猛攻を凌ぎ香港が”準決勝“進出を決めた。
中国チームの体たらくに業を煮やした北京の観客は大騒ぎをし最後は人民軍が鎮圧に入ったと言う経緯は当時でも有名だった。
“準決勝戦”の相手が中国だったら日本も簡単に韓国との決勝戦に進出できたかは解らなかったと当時思った。中国は前年の Asian Cup で準優勝するほどのチームだった。日本は前回80年大会に続いて協会は Asian Cupにはエントリーをしなかった。
一方の韓国も1次予選では危ない橋を渡って来た。3月2日カトマンズで臨んだ初戦のネパール戦は勝利をおさめたが僅かに2点差勝利。3月10日 Kuala Lumpur で行われたマレーシア戦は Dallah Salleh に決められたゴールを挽回できずに敗れてしまう。当時韓国はミュンヘン、モスクワ五輪予選でマレーシアに敗北を喫するなど“史上最強”のマレーシアを苦手としていた。
しかしマレーシアは続く3月16日カトマンズで行われたアウェーのネパール戦をスコアレスドローに終わり、その後韓国は4月6日蚕室でネパールを 4-0 と粉砕。5月19日ソウル蚕室で迎えた1次リーグ最終戦も朴昌善、曹敏国のゴールで“苦手”マレーシアを破り1次リーグ突破を決め、インドネシアとの“準決勝戦”はアウェイのジャカルタで 4-1, ホームの蚕室では辺炳柱、金鋳成のゴールで楽々決勝進出を決めた。
マレーシアがカトマンズで3点以上で勝っていてくれれば蚕室での最終戦も…と当時思った。あぁカトマンズ~と Godiego のまねをして口ずさんだ事を覚えている。

そして迎えた10月26日。直接対戦成績では日本サッカー代表は圧倒的に韓国代表に劣っていた。1959年から15年間。そしてその後5年間勝星が無い年が続いた。あの釜本を擁しても1974年の日韓定期戦しか勝利を収められなかった。
しかし直近3試合では日本の地以外で韓国戦初勝利となる1982年アジア大会では 2-1。1983年東京で行われた日韓定期戦では1-1で引き分けたが終了直前まで 1-0 でリードしており、1984年の蚕室のこけら落とし行事の日韓定期戦では 2-1 でソウルで初勝利を収めこれまでとは違うと期待させられるチームになっていた。この“森ジャパン”なら何とかしてくれる。ワールドカップも夢じゃないところまで来ていると当時のサッカーファンは期待していた。

東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうにメキシコの青い空が続いている様な気がします….

NHK山本アナウンサーの歴史的名セリフだ。私はこの試合の数週間前に行われた陸上競技の日本学生選手権に出場したのでこの試合更に特別な思いで見た。そしてスタンドは超満員だった。当時関西に住んでいた私はここでいつか代表の試合を観戦したいなぁ….と夢見ていた。両チームのスタメンは下記の通りだった。


GK 1 趙炳得 (ハレルヤ) DF 14 曹敏国( LG ), 5 鄭龍煥(大宇), 2朴景勲(浦項),12金平錫 (現代)
MF 10朴昌善 (大宇 ), 4 趙広来(大宇), 6李泰昊(大宇) FW 11辺炳柱(大宇), 9 崔淳鍋(浦項),16 金鋳成 (朝鮮大学)

GK 19松井(日本鋼管)DF 7都並(読売), 2 加藤(読売), 4 石神(ヤマハ),5 松木(読売)
MF 8西村(ヤンマー), 13宮内(古河), 10木村(日産)FW 14原(三菱), 11戸塚( 読売 ), 12水沼( 日産 )

曹敏国がスイーパー。朴景勲が3バックの真ん中で朴昌善と趙広来がディフェンシブハーフ。李泰昊がトップ下で崔淳鍋がCFW。

日本はDFラインは4バック。MFは西村がやや下がり目のディフェンシブハーフで木村がやや右寄りで水沼と組む形。宮内は左の2列目。FWは戸塚が真ん中に入り原が左で水沼が右に入った。   

ただ韓国は試合がはじまると ⑨崔淳鍋 は2列目に下がる事が多く実質⑪辺炳柱 と⑯金鋳成の2トップの様な形だった。
そして⑥李泰昊がしょっちゅう前線に顔を出していた。
11月18日の特番には当時の主将を務めた加藤久と⑩朴昌善がゲスト出演していいたが朴昌善氏は“日本を徹底研究して来た。”と話していた。 日本が東地区の“決勝戦”進出を決めたのは香港を政府大競技場で 2-1 で破った9月11日。
その40日以上も前の7月30日に韓国はインドネシアを破り“準決勝戦”を終えており十二分過ぎる程の準備期間があった。
しかも日本はこのワールドカップ予選をほぼ同じメンバーが起用され初起用だったのは出場停止の柱谷幸一に替って抜擢された戸塚だけで、また戸塚以外全ての選手が直近3試合の日韓戦でプレーした経験のある選手。木村、原、加藤、都並ら中心選手は3試合全てに出場していたが、韓国戦で対戦経験があると言う事は相手にも知られていると言う事だ。
この日のスタメン以外で起用された事のある選手は池内豊、内山篤、長沢和明(長澤まさみの父親)そして今話題の岡ちゃんこと岡田武史の4人くらいであった。
そして3月に北朝鮮と対戦する前にその準備として韓国に遠征し油公と大宇と練習試合を行ったが大宇所属選手5人がこの日のスタメンに含まれていた。今になればあらゆる角度から日本が研究されつくしていた事が良く解る。

一方の韓国はエース ⑨崔淳鍋 こそ対日本戦直近3試合全てに出場しておりこのワールドカップ予選も6試合全て出場していたがスタメン11人中対日戦直近3試合に出場しなかった選手がGK①趙炳得 、⑤ 鄭龍煥、⑫金平錫、⑭曹敏国の4人。
ワールドカップ予選で日本戦の前6試合中4試合以上に起用された実績のあるのは7人でGK①趙炳得 はこの日本戦が予選初登場。対日戦では1981年の日韓定期戦そして大統領杯依頼の抜擢だった。それまでGKは崔栄仁とオユンキュが3試合ずつ起用されていた。そして翌年のワールドカップではオユンキュが3試合とも起用された。趙炳得は3年後の次の対戦となる国立競技場での日韓定期戦でも起用された。
1984年のシーズンまでオランダの名門PSV Eindhoven でプレーしておりワールドカップ予選全試合にスタメン起用されていた前の韓国代表監督でもあった許丁茂がこの試合はベンチスタートで最後まで起用されなかった。しかし次の蚕室での第二戦は交替出場で起用され決勝ゴールを挙げた。許丁茂はワールドカップでは3試合ともスタメン出場を果たす。
また現代表監督の④趙広来 は1980年3月マレーシアで開催されたモスクワ五輪予選のメンバーとして日本戦にスタメン出場した経験もあった。FW ⑯金鋳成は1984年の日韓定期戦こそ出場したがワールドカップ予選はインドネシア戦の2試合のみに起用された。しかしその後中心選手に成長し翌ワールドカップイタリア大会予選ではアジアトップクラスのドリブルを披露、大会後は Budesliga の Bochum でプレー。更にあのドーハでの日韓戦にもスタメン出場した。
こうしてみれば日本代表も素晴らしいチームだったが韓国代表も若手、中堅、ベテランががっちりと組みあった最強のチームだった。
そして非常に選手層の厚みのあるチームだった。

韓国のキックオフで始まった試合を見ると当時は開始から日本がかなり押していた様に思えた。それは韓国戦となると開始から押しまくられ何とか失点を防ぐ間にカウンターで得点を上げる事が日本の勝つチャンスと思われたのが定番であったからだ。
この試合後何度も聞かれた“韓国は日本を前半攻めさせて…” という方策は確かに取られていたが日本も韓国のDF陣を崩してシュートを放ったシーンは皆無に近かった。 木村には④趙広来 と⑩朴昌善が交替でしっかりとマークに入り、原には⑤ 鄭龍煥が。原がCK時にもファーサイドに流れる事も調べられていた。初起用のテクニシャン戸塚はマンマークの得意な②朴景勲がしっかりと着いており、当時日産自動車で心境著しく木村と絶妙のコンビを披露していた水沼には⑫金平錫がマークに着き得意のドリブルを消した。金平錫もワールドカップでは”準決勝戦“のインドネシア戦から抜擢された選手だった。
大歓声に乗って健闘する日本だったが30分に先制を許す。25分頃から韓国が攻撃に転じ波状攻撃が目立ち始め、⑩朴昌善が左サイドを上がりクロスを入れると原がクリアーしたこぼれ球を⑤ 鄭龍煥に拾われ左サイドに現れた ⑨崔淳鍋 に渡る、 ⑨崔淳鍋 はサイドを上がり再び原がマークに入るが低い弾道のクロスを入れられそのクロスが日本ゴール前に抜けて来た。それを石神がダイレクトでクリアーするが僅かにバウンドがかわったらしくクリアーボールが短くPAのすぐ外で待ち構えていた⑤ 鄭龍煥に拾われそのまま撃たれたショットが日本ゴールに突き刺さった。 石神の周囲には韓国の選手は詰めていなかったがあそこでワントラップして…と求めるのは酷な事だと思った。
石神は更に失点に絡んでしまう。41分に西村へ出したパスが弱くそれを⑩朴昌善にインターセプトされ ⑨崔淳鍋 に送られドリブル突破を許す。必死に戻った加藤と石神の間を通ったパスが中央を上がった⑥李泰昊に入りそのまま撃たれたシュートが日本ゴールに吸い込まれ絶望的な連続失点を喫した。石神からの西村へのパスがイレギュラーした不運もあったが先制された後の日本は何とか同点にしようとかなり焦って混乱しているのが解った。このワールドカップ予選で先制されたのが初めてだった。その隙を突かれた様な気がした。その事を番組で朴昌善氏も指摘していた。
今でもブラウン管を通じて2点を先行されワールドカップへの淡い期待が一気に潮が引く様に醒めて行く雰囲気が良く解る。
しかしそれを振り払ったのがあの伝説のFKだった。2失点目直後のキックオフから戸塚が意地のドリブル突破を中央から図ると韓国選手が身体を寄せて戸塚を倒してFKを得る。距離は少しあるがゴール真正面の絶好の位置だ。GK①趙炳得 は木村のFK対策の為に起用されたのではと今では思う。だけど木村和司はワールドクラスのFKをゴール右上隅に捻じ込んだ。
木村和司が今インタビューで明かしたがあの時は一度ゴールの右に蹴る様な踏み出しをしてGKの重心をずらしてから右上隅を狙ったと話した。前に見た番組で当時の金正男監督が“ゴール前で絶対に反則をするな、と選手には何度も云って来た。”と話す程木村のFKを警戒していたらしく、壁に入っていた朴昌善氏も“見たことも無い回転だった。”と称賛していた。
私を含めた“メキシコの栄光を知らない”70年代からサッカーを見て来たファンはこのFKにすがって生きて来た。
当時陸上競技を続けていたが練習で苦しくなったらあのFKを思い出して乗り越えようとしていた。
後に商用で海外に出掛けて欧州の顧客とサッカーの話題に触れる度に心の中でこのFKを必死に思い出した。世界のどんなGKだってあのFKは止められないんだ、と心の中で叫んでいた。今でもあれ以上のFKを蹴れる選手はいないと信じている。
俊輔よりも本田圭祐よりも上だと勝手に思っている………




俺は今でのあの代表チームが一番好きだ……

勇気付けられたのは当時この試合を見ていた人達だけではなくピッチ上の選手達も同じだったらしい。
リードされているけど控室では“行ける。行けるぞ。”と言う声が多かったと加藤久は語っていた。このワールドカップ予選。それまで日韓両国は6試合をこなして共に14得点を挙げていた。そのうち韓国は前半に8得点後半に6得点。日本は前半に5得点後半に9得点挙げていた。だから日本が後半に得点を上げる好機があると思っていたというコメントも加藤久氏は語っていた。
実際に日本代表は後半の方が前半よりも良い動きを見せていた。開始から松木のオーバーラップや戸塚のポストプレーが見られた。そして水沼がマークに入った金平錫を振り切りボールを持つ時間が増えた。更に木村-水沼のコンビが機能しワンタッチパスが繋がる様になり59分には宮内のミドルシュートを導き出す。 こう言ったプレーは韓国は“持っていない武器”であった。実際にゲストの朴昌善氏は“韓国代表が最も警戒していたケースだった。”と語っていた。
大観衆の前でナーバスになっていたのはホームの日本代表イレブンであったがこれもプロ(韓国)とアマチュア(日本)の違いの一つであったと思う。 
またこれは韓国のフォーメーションの変化にも寄与していたと思う。前半は日本を“攻めさせる。”為に前線のラインを下げていたので
全体的にスペース入り込めるが少なかったが後半は比較的ラインが“間延び”してスペースが生まれていた。そこで日本はボールが回る様になり、こぼれ球も拾えていた。そして後半になると1対1でも負けない様になっていた。これは70年代にはなかなか見られない事であった。もし韓国が前半の立ち上がりの様に前線を下げてコンパクトなゾーンを維持しておれば後半の日本の優勢はなかったかもしれない。ただこの試合は日韓共に最前線とDFラインは大きく“間延び”してスペースは大きかった。どちらかと言えば1対1での優位性が試合を左右する時代だった。そして両サイドバックに攻撃参加があまり求められない時代であった。
63分27秒、木村のCKから加藤がバックヘッドですらして狙ったシュートはクロスバーを叩いてしまう。前半にも加藤は木村のCKをファーサイドで飛び込んで惜しくも合わなかったがこれはGK趙炳得が僅かに触れてコースが替ったためで後半のヘッドもいつものベストポジションを ⑨崔淳鍋 に消されていたと語っていた通り韓国に調べられていた事であった。
だけど振り返ると得点シーンを含めて決定的なシーンは全てセットプレーからで相手DF陣を最後まで崩せていなかった。
後半は押され気味の韓国も70分過ぎから主導権を握りだす。韓国選手は1人の選手が色々なポジションをこなせる技量をもっており日本の攻勢に試合中でも対応出来る様になっていた。日本ベンチも68分には戸塚を下げてスピードのある平川(順大)を入れて LW に置き原を CFW に置き、82分には木村を下げて遂にジョージ与那城(読売)を入れるが所属先でコンビを組んでいる戸塚は既にベンチに下がっていた。 朴昌善氏は“与那城選手の投入はもっと早くてもよかったのではないか。また木村選手とのコンビネーションがあっても良かったのではないか。”と指摘しているがまさにその通りだった。
1990年1月Bayern München が来日しJSL選抜と行った試合を観戦したがあの時見たラモスと木村和司のボールのやり取りはまさにピンボールの様にボールが動きBayern München の選手を翻弄する時間帯が短く無かった。
後に生前の当時の森監督が“戸塚と与那城をどこか練習試合でもいいから実践しておればよかった。”と述懐していた記事を見た。韓国ベンチも78分に⑥李泰昊を下げてモスクワ五輪予選の日本戦にスタメンで出場したベテランの趙栄増を入れて守備を固める。試合終盤になると再び韓国の攻撃が目立つようになり⑦金鐘夫が加藤のマークを背負いながら ⑨崔淳鍋 にボールを送りシュートに持ち込まれるが石神が必死にマークに入りゴールを割らせない、87分には右サイドから④趙広来 からボールを受けた⑦金鐘夫が石神のマークを振り切りシュートを撃たれるがGK松井がストップ。金鐘夫はこの年神戸で開催されたユニバーシアード(この大会に出場したいと頑張っていたのを思い出す。最も完全に無理だったけど。)のメンバーで翌年のワールドカップでもメンバー入りした選手。
そして45分43秒。無情のタイムアップのホイッスルが鳴った。 
翌日のスポーツ新聞でGK松井先輩が(この方の母校は私と同じ京都西高校です。)“ソウルで 2-0 で勝てばいいんだろ。”と言う力強いコメントが載せられており関西インカレ秋季大会直前の私は勇気付けられた。
しかし水沼、西村を外し柱谷幸一、与那城をスタメン起用して(あと安木に替って勝矢が起用された)攻撃的布陣で臨んだソウルでの第二戦は第一戦よりは試合内容も良くチャンスも作ったがゴールを上げられなかった。
ワールドカップ出場を決めてビクトリーランをする代表選手達に蚕室の大観衆は“あぁ大韓民国”の歌を合唱し。観戦に来ていた全斗換大統領は金正男監督の手を取って大きく上げて祝福した。 このシーンを見て日韓のサッカーの差を痛感させられた。
しかし日本もこれでサッカーのワールドカップが市民権を得られた4年後は必ず…と思ったが実際にワールドカップの舞台に立てるようになるにはドーハの悲劇を経てあと12年も待たねばならなかった。
ワールドカップメキシコ大会では1分2敗に終わった韓国。2年後の地元開催のソウル五輪ではこのチームをベースに車範根も入れて日本以来のアジアでのメダルか獲得を目指したが1次リーグで敗退し、翌年更にパワーアップし臨んだイタリアワールドカップ予選を楽々と突破したが本大会では3連敗。その後のワールドカップでもなかなか勝利を挙げられず日韓共催の2002年大会まで初勝利を待たねばならなかった。 サッカーの様に世界中、アジア中が筆頭スポーツに挙げている競技の強化、進歩には本当に時間が掛かるものだと今になった再認識させられた。
そしてこの番組を見てから今になって入手出来る資料をひっくり返して調べるといかに日本にとって難しい試合であったかと言う事も解った……
今、ワールドカップは出場して当たり前、本大会でどこまで進出できるかの国民関心事になっているがそれも先人の積み重ねが合った結果だ。3年後ワールドカップブラジル大会で日本がベスト8に残る事も夢ではない。

しかし私は今でもこう思っている。あの時の代表、私が何も見ないですらすらとメンバーを唱えられるあの代表チームが今でも一番好きだ…… だれかソウルでの試合のビデオ持っていないかなぁ……




日韓戦 朝鮮日報 韓国語版から

2011-08-21 | 日本代表
折角韓国からお客さんが来て連絡をくれて会ってもお互いに日本語、韓国語を良く理解出来ないので突っ込んだ話が出来ない。でも顔を合わせるだけで伝えたい事は良く解るのだけど。せめて英語を解ってくれればなぁ….
それでも10日の日韓戦の事は話が出来た。李青龍の怪我が痛かったと話していたけどもう日本の方がずっと素晴らしいと言ってくれた。それが本当なら良いんだけど…

最近は翻訳ソフトなる便利なものがある。そして更に google 翻訳でもかなりレベルの高い翻訳がなされどんな言語でも英語までなら完璧に近い翻訳になって出てくることも。まだ日本語は英語ほどではないけど…
しかしその方が良い。不完全のままでないと私の様に外国語を勉強して来た人間の存在価値が無くなってしまうから…… 下記の記事は日韓戦後に朝鮮日報韓国語版から日本語版に載っていなかった記事を拾って Google翻訳で訳したもの。 韓国語が解れば微調整できるのだけどその辺はご勘弁願いたい。

한국축구, 떠난 박지성을 잊어라

韓国サッカー、去った朴智星を忘れろ


趙広来韓国代表が日本に0対3の惨敗を喫した事から国家代表を引退した朴智星 (30 •マンチェスターユナイテッド)の名前が頭を持ち上げる。 端的な例として、日本に負けた試合のメンバーにも入っていない朴智星が人気検索語に急上昇した。 また、ネットユーザーのコメントの中には朴智星がなくなったという式文がたくさん上って来た。

朴智星が今回の韓 - 日戦に出場した場合、試合の内容と結果が違っていただろう。 実際に日本の選手は朴智星に対する恐れがある。 日本のメディアは試合後、朴智星がない韓国が揺れてしまったと評価した。

▶7ヶ月の間に朴智星の不在は、忘れられていた

趙広来監督は去った朴智星を呼び戻す事が出来る。 しかし、冷静に考えれば、朴智星を忘れなければ韓国サッカーが発展することができない。 朴智星がすぐにでも引退宣言を撤回して戻って復讐をしてくれたら心を持ち直す事ができる。 しかし、それは韓国サッカーの発展を遅らせることになってしまう。

朴智星は今年2月カタールのアジアカップを終えて、代表引退を宣言した。 右膝が頻繁に悩みを起こしている状況で Manchester United のクラブの試合に集中したいというのが理由だった。 そして33歳になる2014年のブラジルワールドカップの時は今のような競技力を維持しにくいと考えた。 そのため、若い後輩たちに機会を与えるのが正しいとした。 それでも朴智星の復帰の可能性を完全に断念したわけではない。 韓国サッカーが本当に危機に陥ったとき、国民が朴智星を望めば、復帰を提案することができると趙広来A代表チーム監督は言った。
朴智星が引退してから韓国代表は5回の親善試合で3勝1分け1敗を記録した。 今回の日本戦での敗北まで連勝中だった。 朴智星の抜けた穴はそうすぐに埋まるのかという疑問まで聞いた。 朴智星がなくてもうまくいくという考えまで出た。
順調だった趙広来政権に急制動がかかった。 拙戦の末に負けたのはいうまでもない。
しかし、韓国サッカーが、朴智星を探すほど崩壊したわけではない。 まだ朴智星が救助の為に出場するような大きな危機ではない。 まだ趙広来政権下では次の公式戦は始まっていない。来月2日、レバノン戦からワールドカップブラジル大会アジア地区3次予選が始まる。



▶今の危機は、朴智星が出る時期ではない

趙広来代表は韓 - 日戦で一つの確かな教訓を得た。 朴智星が代表チームを去った7ヶ月の間、"第2の朴智星"とする代わりに育ててことができなかった点だ。 朴智星は、引退記者会見で、自分の後継者と金甫、孫興民 等の名前を言った。 趙広来監督は、池東元を朴智星のポジションで起用してみた。 朴智星が着けていたキャプテンマークは朴主永に渡した。 移籍するチームを探す為に訓練もまともにできなかったと言った朴主永が見せたパフォーマンスとリーダーシップは残念な結果に終わった。 誰もが最高としたが、そのリーダーシップが消えて、現在、代表チームには、危機の状況下で中心になって立ち向かってくれるリーダーがいない。

結局、時間が必要だ。 むやみに待つことはできない。 韓国サッカーは、ブラジルのW杯本大会までの3年以内に、"ポスト朴智星"を見つけて成長させなければならない。 韓国が格下だと思っていた日本のサッカーは中田英寿が2002年の引退以来、中村俊輔が舵を取ったし、今では本田と長谷部が主軸になっている。 香川の成長の非常に著しい。

▶ニューキャプテン朴主永がすぐに立て

韓国サッカーの朴智星の代わりを見つけられずにさまよってい続けたならば、日本とは全く別の凋落の道を辿ってしまう。
その典型的な事例がジダンが抜けたフランスのサッカーだ。 2006年のドイツワールドカップ準優勝以来、ジダンが引退したフランスは、2010年のFIFAワールドカップでは1次リーグ脱落という悲惨な結果を生んだ。 フランスに未だ存続しているその陰から抜け出すのは容易ではない。

朴主永が急いで主将の真の姿を示さなければならない。 そのために朴主永は急いで自分の所属先を定めなければならない。 そうすれば、競技力をきちんと維持することができる。 そうすれば、代表チームの後輩たちも朴主永を尊敬のまなざしで見る。 主将が、所属先を数ヶ月も探しているということは恥ずかしいことである。

また、朴智星の後継者として有力な候補に上がった朴主永は、プロ意識を持って急速に世界的水準に成長していかなければならない。 現在の実力に満足してはならない。 朴智星の抜けた穴をきちんと埋められない場合は、再び朴智星が帰ってくると、それより加えたチヨクスロンことはないだろう。 朴智星は、救世主として代表に帰って来た日があって韓国は日本にあった'8月10日の屈辱"を払拭することができる。




かつて愛する京都でプレーした朴智星が代表から引退して日韓戦は韓国の1分1敗。 今回の惨敗を見て朴智星復活を求める声がどれだけ高まっているのだろう?
朴智星は1人で局面を変える力があった。それはサッカーのみならず全ての球技で必要な選手だ。
日本もかつてフランスワールドカップ予選で苦戦を繰り返していた時にラモスを復帰させろとかジーコをテクニカルアドヴァイザーにしてベンチに置けとか当時磐田でプレーしていいた現役セレソンのドゥンガにアドヴァイスを求めよとか滅茶苦茶な意見が飛び交った。最終的に加茂監督更迭の後を受けた岡田監督がUAE 戦から北澤をトップ下に置くフォーメーションに変更し前線でボールが良く回る様になり最後の2試合、韓国、カザフスタン戦に連勝しジョホールバルでイランを破り悲願のワールドカップ初出場を決めた。 まさか朴智星が代表に復帰するとは考えにくいが…でもアルゼンチンもマラドーナが復帰したしなぁ….




下記の記事は日本語版に掲載されていた記事。

サッカー:あまりに大きかった朴智星の穴=韓日戦

リーダー不在で右往左往
朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド、以下マンU=は韓国代表を引退してもなお、話題に上ることが多い。
 韓国は10日、朴智星が代表を引退してから初となる韓日戦で0-3と完敗し、朴智星の存在がいかに大きかったかを実感した。
 昨年5月に行われた日本との親善試合で、朴智星はDF4人を交わして先制ゴールを決めると、ゆっくりと日本の観客席を見詰めた。その気迫に驚いた埼玉スタジアムは、しんと静まり返った。試合後、日本の取材陣は日本サッカーに対してコメントを求めようと、朴智星の周囲に殺到した。
 それから1年3カ月。朴智星のいない韓国代表は、全く異なる様子を見せた。朴智星はサイドと中央を駆け回り、攻撃と守備の双方に積極的に参加する「酸素タンク」だったが、その存在のない韓国はプレスが甘く、攻守の切り替えも遅かった。
 韓国代表の趙広来(チョ・グァンレ)監督は「朴智星が抜けたのは、チームの実力という面でも損失だが、もっと大きな問題は、朴智星に匹敵するリーダーが見つからないことだ」と語った。2008年10月から今年2月まで代表の主将を務めた朴智星は、ソフトなカリスマ性でチームを引っ張った。練習時間の調整などについて監督に直接意見するなど、選手とコーチ陣の間で橋渡しの役割を十分に果たした。朴智星を中心に固くまとまった韓国は、昨年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、自国開催以外での初のベスト16という快挙を成し遂げた。
確固としたリーダーがいない韓国サッカーは、今回の韓日戦で日本の波状攻撃に簡単に揺さぶられた。日本のファンは試合後「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」などと冷笑混じりにコメントした。


「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」と言った人はいたかもしれないが新聞記事にする程の事かなぁ….
朴智星もさることながらもっと深刻な問題はサイドバックのタレント不足だろう。 李栄杓が代表から退き、良い後継者がなかなか見つからないらしい。今回は金英権と車杜里が起用されたが金英権はどちらかと言えばCBタイプの選手。だが金英権が怪我で25分にベンチに退き替って入った朴源載が12分で怪我で下がってしまいDF面でパニックになってしまった。これは八百長問題で召集出来なかった洪正好の離脱(実際は不起訴になった)が痛かった。どちらかと言えば攻撃面で定評のあ新潟の曹永哲をサイドバックに回すほど(実際は起用されなかった)であった。そして左サイドに車杜里を起用した事により両SBに守備の面で不安最後まで抱えていた。
守備面での不安はMFも同じだった。 李青龍、孫興民、池東元の3人が召集出来なかった事から具滋哲を2列目右サイドで使わざるを得なく、金正友と李根鍋を2列目に並べたが共に Asian Cup ではメンバーに漏れた選手。李容来がボランチというよりも2列目に近い位置に入り奇誠庸の1ボランチの様な形が続いていたがこれにより香川をはじめ日本のMF陣に自由に中盤を制圧され常に後手を踏んでいた事が苦戦の原因でもあった。
反対にいえば 李青龍、孫興民、池東元、洪正好らがメンバーに居ればこんなに苦戦はしなかったとも言えるかもしれない。




[한일전]한국, 한-일전 57년 역사상 첫 0대3 치욕패
【日韓戦】韓国、韓 - 日戦57年の歴史上初めて、0対3の敗戦


韓国サッカーの恥辱の日だった。

趙広来監督が率いる韓国A代表チームが、日本の札幌ドームで開催されたた韓 日戦で0対3で大敗した。
3点差の敗北は、1974年第3回韓日定期戦で1対4で敗北した後、37年ぶりだ。 1ゴールも挙げられずにゴ3点差で負けたのは、1954年に初めて対決して以来75番目の試合ぶりのことだ。

完全に翻弄された一戦だった。 攻撃から守備まで、すべての選手たちが右往左往している。 実力の敗北だった。

日本が主導権を握って振り切った。 短いパスを使用して主導権を握った。
韓国は李根鎬からのパスを受けた車ドゥリのシュート以外にこれといったパフォーマンスを見せることができなかった。
韓国はプレスも、パスもしっかりされていない。

先制点は日本だった。 前半34分、香川が初ゴールを決めた。 遠藤のパスを受けた香川は李正秀をかわした後に、右足でシュートを決めてリードをした。

後半に入って韓国の守備は力なく崩れた。 後半序盤から揺れていた。 後半7分に追加点が決まった。 駒野のシュートがGK鄭成龍の手に当たってこぼれたところをPAの右角にいた香川が左足で軽く渡した。本田は間髪いれずに左足でシュートを放つとゴールネットを割った。 2分後、日本のゴールがまた決まった。 香川であった。 右サイドから清武があげたクロスをゴール前に走り込み右足で軽く方向を変えて入れた。 3点差を付けられた韓国の選手たちは更に浮足立った。本田に続けてシュートを撃たれた。後半25分には内田に1対1でシュートに持ち込まれた。 このシュートはゴールポストに当たって決まらなかった。

韓国にもチャンスはあった。 しかし、慢性的な決定不足が明らかになった。 後半27分には具滋哲が直接フリーキックをそのままヘディングシュートを放ったが、惜しくも外れた。 31分具滋哲はまたチャンスを逃した。 ゴールキーパーと1対1になるチャンスであったがシュートは浮かしてしまった。

以来、韓国選手はミドルシュートを乱発して自ら崩れ去った。 空にポンポンとシュートを撃ちあげると共に韓国サッカーの夢も虚空に飛んだ。


[박재호의 현장속으로]한국 삿포로에서 무너지다
[朴主永 試合の現場から]韓国札幌で崩壊だ


日本が韓国を打ち負かそうと決意して試合に臨んだことを韓-日戦の3時間前札幌ドームに入ると、すぐに知ることができた。 選手たちの覚悟の表れた動画が試合開始1時間前から順番に大型電光掲示板で流れた。
日本サッカー協会は、今回の韓-日戦の広報にものすごい神経を使ったという裏付けだった。 入場券 4万枚が売り切れた。 スタンドで空席を見つけることができなかった。 競技前、札幌ドームの外ではダフ屋と切符を買うために行き来する日本のファンたちで大変な混雑を成した。

競技前にはびっくりイベントもあった。 ある中年男性がグラウンドに入ると、札幌ドームの観客席から歓声があふれた。 佐々木則夫サッカー日本代表監督だった。 佐々木監督は、女子W杯優勝で、日本に"なでしこジャパン"ブームを巻き起こした主人公だ。 佐々木監督は、直接ファンに女子W杯優勝報告と感謝の挨拶をした。 それとともに、"今日の日本代表チームの善戦を祈願する"とし、ファイトを叫んだ。 観客席は、再度ヒートアップした。

日本の刺激パレードはここで終わらなかった。

今月初めに練習中、急性心筋梗塞で倒れ、死亡した元日本代表の松田の葬儀は二日前のことだった。 この日の競技前韓-日両国の選手たちは、冥福を祈る黙祷をした。 日本の選手たちは試合前から、"松田のために"と叫び、試合前に黙祷を捧げた。

実はこの日の試合に先立ち、日本サッカー協会は、韓国の五輪代表チームも呼んで、"ダブル韓-日戦"を開催したがった。 しかし、韓国は、五輪代表選手の多くは、A代表チームに属しているなど、物理的に困難があって難色を示した。 結局、この日、日本オリンピック代表チームは、エジプトの五輪代表を呼んで韓-日戦に先立って"オープニングゲーム"との評価試合を行った。 日本がエジプトに2対1で勝った。 この日の札幌ドームには7時間以上も日本のサッカーファンたちであふれていた。
日本代表サポーター"ウルトラニッポン"は最初から、"KING OF ASIA"と書いた文言を掲げた。 韓国を越えてアジアトップに立たうとする彼らの夢だった。
この日の試合はサッカーを超えて全面戦争、白兵戦だった。 タックルの強さと体当たりが通常の親善試合では絶対見られないレベルだった。 グラウンドの芝が原因で選手達がコントロールを失う場面が出てきたりもした。 金英権は、衝突時に左足首を痛めてしまい、朴周栄は相手シュートを顔面に受けて救急車に乗って病院でMRI撮影をした。

常に日本戦となると一層力を出した韓国。 1998年3月に東京で開かれたダイナスティカップで日本は韓国を相手に2対1で勝って以来、13年以上もホームで韓国を破ったことがなかった。 この日の試合前まで韓国はアウェーの韓-日戦で3勝2分で絶対的な優位を保っていた。

しかし、日本は緻密に韓国を崩す準備をしていた。 雰囲気作りだけでなく、それに対応する力も育てていた。 香川の先制ゴールに続き、本田のゴール、そして香川の3点目のゴールまで。 ゴールを作り出す過程が韓国の選手たちをより一層当惑させた。

札幌ドーム4万人余りの日本ファンが一斉に上げた歓声がこだましてずっと空がぐるぐる回った。 580人余りの"レッドデビルズ"の応援団は、韓国の選手たちが劣勢になればなるほど、より大きく"大〜韓民国"を叫んで、太鼓を打ち、鉦を打った。 しかし、この日だけはもう韓国がアジアの盟主ではなかった。




快勝の陰に隠れて日本も問題が無かったわけではないだろう。欠場した長友に替って駒野が起用されたが対戦相手がこの日の“韓国の様な”チームばかりでは無い。長友の替りが完全に務まるかわわからない。 そしてCBの高さもだ。
前回のワールドカップ予選ではセットプレーから闘莉王や中澤が高さを生かしたヘッドで何度も決勝点を齎してくれた。
ザッケローニ体制になりCBは入れ替えられている。吉田、今野、岩政、栗原…ワールドカップ予選を突破する為に闘莉王、中澤に匹敵するCBコンビは完成するのだろうか?最もこの2人はまだまだ代表から退く歳では無いと思うけど。
それから遠藤のバックアップは誰が担うのであろう? 遠藤が73分に退いた後に 3-0 でリードしていた事もあるがチャンスが激減したことも気になる。

キムチやマッコリ、韓国海苔、たっぷりとお土産を頂き堅い握手、抱擁をかわして分かれる時にお互いに誓った事は“次に会う迄にはお互いに韓国語、日本語をもっと勉強して、それぞれ相手の言葉で話せるようにしましょう….”
次に会う迄には、…そう今度こそ絶対に。新聞記事なんかを読めればもっと日韓戦も楽しめるしなぁ…. 次の日韓戦迄にも…. でも2週間もしないうちに今度は北朝鮮戦だ。 もっと早く勉強を始めておればなぁ…の後悔の方がまだ残っているんだよなぁ…. でも俺はラジオ講座を聴き続けているんだぞ…



日韓戦 朝鮮日報 日本語版から

2011-08-21 | 日本代表
先週末、いつもの様に残業を終えようやく自宅に辿りつこうとした時に携帯が鳴った。
着信番号を見ると韓国からだった。でも韓国に居る人にあまり知り合いはいないんだけどなぁ….
電話の主は2年前にオーストラリアとドイツの見本市で知り合った韓国の方だった。私の名刺をしっかりと持っていてくれて日本に出張に来られたこの機会にわざわざ連絡をしてくれたのだ。
電話で翌日に会う場所と時間を決めて電話を切った。 
そして翌日….都心は集中豪雨に見舞われた…..

札幌での日韓戦から10日近くが経とうとするがその試合の話題は尽きない。
私もこの試合は何度も繰り返して見たい試合の1つだ。 
試合後韓国ではどう報道されたのだろう……

サッカー:日本に0-3で完敗 、37年ぶりの屈辱
相手はアルゼンチンでもブラジルでもなかった。明らかに韓日戦だったが、韓国は信じ難いほど日本にいいようにやられた。韓日戦の中でも最悪の勝負として記憶されるであろう「札幌ショック」だった。
 趙広来(チョ・グァンレ)監督率いる韓国代表は10日、札幌ドームで行われた日本との親善試合で、0-3と完敗した。韓国サッカーは、日本が誇る欧州組の香川真司(ドルトムント)に2ゴール、本田圭佑(CSKAモスクワ)に1ゴールを許し、あっけなく崩れた。3点差での敗戦は、1974年に東京で行われた韓日定期戦で1-4で敗れて以来のことだ。
 韓国は朴主永(パク・チュヨン)=ASモナコ=をワントップに据え、李根鎬(イ・グノ)=ガンバ大阪=が左サイド、具滋哲(ク・ジャチョル)=ボルフスブルク=が右サイドの攻撃をそれぞれ担った。日本は先発11人のうち7人が欧州組で、本田、香川、岡崎慎司=シュツットガルト=が攻撃陣を構成し、ワントップには在日韓国人4世で2007年に日本国籍を取得した李忠成(イ・チュンソン、日本名:り・ただなり)が入った。
 序盤から日本に押されていた韓国は前半25分、左サイドの金英権(キム・ヨングォン)=大宮=が足首を痛めて退場すると、守備が大きく乱れた。このチャンスを日本は逃さなかった。前半35分、李根鎬が左サイドでボールを奪われると遠藤に突破を許し、ボールを受けた香川がゴールを決めた。
 後半に入り、日本の攻撃はいっそう威力を増した。後半8分に本田、同10分には香川が相次いでゴールを決めた。本田と香川はずば抜けた個人技で自在に動き回り、韓国の守備陣をほんろうした。これまで激しいライバル争いを演じてきた両国だが、バランスが日本に傾いていることを思わせる場面だった。
ミックスゾーンで取材を受けた韓国の選手たちも、完敗を認めた。車ドゥリが「あらゆる面で韓国が負けたゲーム」と話すと、金英権は「うまい。日本は本当にうまい」と語った。香川は「日本がパスするたびにスペースが生まれた。韓国の選手たちは日本に付いてこられなかった」とコメントした。
 1年3か月前はこうではなかった。昨年5月、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会直前に埼玉スタジアムで行われた親善試合では、韓国が日本を圧倒し、2-0で勝った。この試合でDF4人をかわして先制点を挙げた朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド=は「日本サッカーは後退している感じ」とコメントした。「アジアでナンバーワンのスター」の気迫に、日本は完全に押されていた。
 日本サッカーに変化が訪れたのは、W杯南アフリカ大会以降だ。香川をはじめ長谷部誠=ボルフスブルク=、長友佑都=インテル=、内田篤人=シャルケ=らが欧州の舞台で主力として大活躍した。とりわけ昨シーズン、ブンデスリーガで上半期の最優秀選手(MVP)に選ばれドルトムントを優勝に導いた香川の存在は、多くの選手がドイツに進出する起爆剤の役割を果たした。日本代表のザッケローニ監督は、今回の韓日戦に欧州組14人を招集した。そのうち6人がブンデスリーガの選手で、この日は4人が先発した。
 一方の韓国は、アジア・カップを最後に朴智星と李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=はけがで戦列を離れ、チ・ドンウォン=サンダーランド=は所属チームの事情でこの日の試合に出場できなかった。
 日本でサッカーコラムニストとして活動する吉崎氏は「日本サッカーは本来の美しいスタイルに欧州組が多数加わったことで、パワーアップして全盛期を迎えている。弱点といわれていた決定力も、欧州レベルに近づいている。一方の韓国は、朴智星が代表を引退して以降、変化に十分に対処できていないようだ」と指摘した。
 W杯への8大会連続出場を目指す韓国代表は来月2日、アジア3次予選の第1戦でレバノンと対戦する。





趙監督「日本は中盤が素晴らしい」

2000年以降の韓日戦、韓国はアウェーで負けなし
日本列島がこれまでになくサッカーで熱くなっている。今年1月、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督率いる男子代表がアジア・カップで優勝したのに続き、先月には女子代表が女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で奇跡のような優勝を成し遂げた。
 W杯アジア3次予選を控えた日本は、今年6月に強豪チェコと0-0で引き分けるなど、世界レベルの実力をつけてファンの期待を集めている。その勢いに乗りたいザッケローニ監督はきょう午後7時30分、札幌ドームで行われる韓日戦に、海外組を総動員する。出場メンバー23人のうち14人が欧州でプレーする選手たちだ。
 日本代表の現在の戦力は、歴代最高レベルと評価されている。韓国代表の趙広来(チョ・グァンレ)監督は「日本は世界レベルに近づいている。特に中盤でのプレーは素晴らしい」と話した。わずか1年3か月前、W杯南アフリカ大会の前に行われた親善試合では、朴智星(パク・チソン)を擁する韓国に0-2で敗れ、日本の取材陣は「日本は韓国の相手にならない」とうなだれていたが、今回は「確実に韓国を下すチャンス」というムードが広がっている。
 実力が上がっている理由はやはり欧州組だ。本田圭佑(CSKAモスクワ)や香川真司(ドルトムント)らが欧州の舞台で大活躍し、日本の攻撃力はワンランク上がった。本田はロシア・リーグで6ゴール(14試合)を挙げる活躍を見せる一方、香川は昨シーズン、ドルトムントをブンデスリーガ優勝に導き、6日のリーグ開幕戦でも活躍して好調ぶりをアピールした。
 韓国が常に優位とされてきたワントップのポジションでも、FW李忠成(イ・チュンソン、日本名:り・ただなり)が頭角を現し、日本にとって好材料となっている。李忠成は在日韓国人4世で、2007年に日本国籍を取得。今シーズンはJリーグで得点ランキング首位タイ(10ゴール)につけ、日本サッカーの慢性的な弱点だった決定力不足を解決するFWに挙げられている。また、今月4日、元日本代表の松田直樹選手が急性心筋梗塞で急死したこともあり、日本代表の決意はいっそう強くなっている。
 韓国は朴智星、李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=、チ・ドンウォン=サンダーランド=、孫興民(ソン・フンミン)=ハンブルガーSV=が欠場するため、客観的に見ても戦力で日本に劣ると指摘されているが、韓国の選手たちは自信を見せている。趙監督は今回の試合で朴主永(パク・チュヨン)=ASモナコ=を前線に、李根鎬(イ・グノ)=ガンバ大阪=を左、具滋哲(ク・ジャチョル)=ボルフスブルク=を右にそれぞれ配し、日本のゴールを脅かす考えだ。ユース代表時代「日本キラー」と呼ばれた朴主永の足に注目が集まる。また、けがの李青竜に変わって右サイドのFWに入る具滋哲がどれだけ活躍できるのかも、勝負の大きな鍵になりそうだ。
 韓国は2000年代に入り、日本でのアウェー戦で3勝2分けと1度も黒星がない。朴主永は「日本での試合に向かう際はいつも、選手たちの決意が普段とは違う。韓日戦は結局、精神力の戦い」と語った。



サッカー:趙広来監督「サッカー人生最悪の瞬間」

日本に37年ぶり「屈辱的敗北」趙広来監督インタビュー
日本、欧州組14人で布陣「低めのシュートを見よ、日本は世界レベル」
「ロングボール・サッカーには戻さない」
「次はもっと徹底して準備、こんな試合は二度としない」

目も当てられないくらいゴールを入れられて、言葉が出ない。組織力が一瞬のうちにガラガラと音を立てて崩れてしまった。韓国サッカーがこのように崩れてはいけないのに…わたしのサッカー人生で最悪の瞬間だった

 10日、日本との親善試合で0-3という惨敗を喫し、「札幌の恥辱」という辛酸をなめた趙広来(チョ・グァンレ)韓国サッカー代表監督(57)の顔は憔悴(しょうすい)しきり、目は血走っていた。趙監督は一睡もできていないという。11日に札幌から仁川国際空港に到着するまで趙監督に同行取材したが、口数は少なかった。彼は「敗軍の将」だった。
 韓国のサッカーは1974年に東京で行われた韓日定期戦で1-4と敗戦して以来、37年ぶりに日本に3点差をつけられて負けた。スコアよりもっと屈辱的なのは試合内容だった。日本は組織力はもちろん、個人技でも韓国を圧倒した。2ゴールを決めた日本の「ゴールゲッター」香川真司(22)=ドルトムント=は「韓国人選手たちは日本人選手に付いてこられなかった」と語った。
 趙監督は「以前は韓国が技術面で少し劣勢でも、精神力と決定力で日本に勝つことができたが、今はそういう時代ではない。香川の低めを突くシュートを見てほしい。日本は決定力まで備えたチームになった」と言った。
 日本が急成長した原動力は、やはり欧州組の活躍だろう。昨年のワールドカップ時は4人にすぎなかった日本の欧州組は、今回の韓日戦の時点で14人に増えていた。
 昨シーズンにドイツでデビュー、一気に前半戦のMVPになり、センセーションを巻き起こした香川の活躍が、日本人選手の「ブンデスリーガ進出ラッシュ」に火を付けた。日本のJリーグはブンデスリーガと協約を結び選手情報を共有するなど、選手のヨーロッパ進出に力を入れている。韓日戦ベストイレブンのうち7人が欧州組だった。
 ミックスゾーンで取材を受けた韓国の選手たちも、完敗を認めた。車ドゥリが「あらゆる面で韓国が負けたゲーム」と話すと、金英権は「うまい。日本は本当にうまい」と語った。香川は「日本がパスするたびにスペースが生まれた。韓国の選手たちは日本に付いてこられなかった」とコメントした。
 1年3か月前はこうではなかった。昨年5月、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会直前に埼玉スタジアムで行われた親善試合では、韓国が日本を圧倒し、2-0で勝った。この試合でDF4人をかわして先制点を挙げた朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド=は「日本サッカーは後退している感じ」とコメントした。「アジアでナンバーワンのスター」の気迫に、日本は完全に押されていた。
 日本サッカーに変化が訪れたのは、W杯南アフリカ大会以降だ。香川をはじめ長谷部誠=ボルフスブルク=、長友佑都=インテル=、内田篤人=シャルケ=らが欧州の舞台で主力として大活躍した。とりわけ昨シーズン、ブンデスリーガで上半期の最優秀選手(MVP)に選ばれドルトムントを優勝に導いた香川の存在は、多くの選手がドイツに進出する起爆剤の役割を果たした。日本代表のザッケローニ監督は、今回の韓日戦に欧州組14人を招集した。そのうち6人がブンデスリーガの選手で、この日は4人が先発した。
 一方の韓国は、アジア・カップを最後に朴智星と李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=はけがで戦列を離れ、チ・ドンウォン=サンダーランド=は所属チームの事情でこの日の試合に出場できなかった。
 日本でサッカーコラムニストとして活動する吉崎氏は「日本サッカーは本来の美しいスタイルに欧州組が多数加わったことで、パワーアップして全盛期を迎えている。弱点といわれていた決定力も、欧州レベルに近づいている。一方の韓国は、朴智星が代表を引退して以降、変化に十分に対処できていないようだ」と指摘した。
 W杯への8大会連続出場を目指す韓国代表は来月2日、アジア3次予選の第1戦でレバノンと対戦する。

サッカー:「日本の実力を認めて変わるべき」

「技術を磨かなければ日本に勝てない」

過渡期の韓国代表、パスサッカーが定着すれば状況に変化も「日本は確実に以前より強くなった」。

KリーグFCソウルの崔竜洙(チェ・ヨンス)監督代行は11日、親善試合で韓国代表を0-3の惨敗に追い込んだ日本について、こう評価した。崔監督代行は現役時代、韓国代表として韓日戦に数回出場した上、2001年から6年にわたりJリーグの京都パープルサンガ、ジュビロ磐田などで活躍(原文ママ)した「知日派」だ。崔監督代行は「私がプレーしていたころも、体力と精神力では韓国が上回っていたが、テクニックの面では劣っていたのが事実。最近は日本も体力と精神力が強くなり、怖いチームに変わった」と語った。今や日本の方が優勢であることを認め、韓国も世界の舞台で通用する先進的なテクニックサッカーを目指すべきとの指摘だ。
 札幌ドームに登場した日本代表は確実に変化していた。もはや昨年5月に韓国に0-2で敗れた日本ではなかった。中盤でのパス回しでボール支配率を高め、攻撃の際にはDF陣を瞬時に崩して得点を挙げた。日本サッカーをこうしたカラーに染めているのは「欧州組」で、今回の日本代表に14人も招集された。韓国は李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=やチ・ドンウォン=サンダーランド=を欠き、欧州組は6人にとどまったが、日本はその倍以上だったわけだ。さらに日本の欧州組は、大半が所属チームの主力として活躍している。
 日本は選手層だけでなく、客観的な数字でも韓国を圧倒している。日本は国際サッカー連盟(FIFA)ランキング16位で、韓国(28位)を12ランクも上回る。韓国がFIFAランキングで日本より上位だったのは、7年前の2004年7月(韓国20位、日本24位)が最後だ。また、韓国は1960年以降、アジア・カップで優勝していないが、日本は2000年以降、3回制覇(2000年、04年、11年)している。
 昨年から日本代表を指揮するイタリア出身のアルベルト・ザッケローニ監督は、多彩な攻撃戦術を駆使している。日本のサッカー専門誌「サッカーマガジン」や総合スポーツ雑誌「Number」に、韓国と日本のサッカーについてのコラムを連載している吉崎英治氏(37)は「ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会以降、日本はザッケローニ監督の下で、美しくまとまったサッカーにスルーパスや突破のようなカラーを加えた。一方、韓国は闘志やスピード、体力を強調する従来のスタイルを完全に捨て去り、趙監督式のパスサッカーをスタートさせたようだ」と指摘した。また「2000年代初めの日本サッカーは、小野伸二らが中心となって韓国に競り勝っていたが、02年のW杯では韓国に押されていた。韓国が、今取り組んでいるテクニックサッカーを完成させれば、状況はまた変わってくるかもしれない」と話した。
 専門家は「これからは精神力や闘志だけのサッカーではなく、テクニックサッカーを目指すべき」と口をそろえる。世宗大のイ・ヨンス教授は「韓国は特有のプレスやスピーディーで短いパス、FWとMF陣の有機的な動きを生かしたサッカーをしなければ日本との競争に勝てない」と指摘した。





これまでの韓国戦を振り返ると常に一歩先を行っている様に思えた。例え日本が五輪やワールドカップに出場出来る様になっても、日本は出られても韓国はアジア予選の壁に阻まれたという事は無かった。 U20, U-17 レベルになると1990年代以降では日本の戦績が韓国を上回る様になったがU-20 では2大会連続で韓国に直接対決で敗れて世界の舞台に上がれなかった。 生きるか死ぬかの試合を制してこそ、と思うのだけどまだ韓国が1枚とは言わなくても 0.5枚は上手ではないかと思っていた。
1980年代に入り日本選手達の技術は飛躍的に進歩した。それまでの数人の選手を除いて五輪予選等のアジアの戦いでは韓国や中近東勢は愚かマレーシアやインドネシアといって東南アジア勢を相手にしても優位に立っているとは言い難かった。1980年末に香港で行われたワールドカップ予選で日本代表はテクニックの高いパフォーマンスを見せたらしい。そして技術面では中国、北朝鮮相手に五分以上の戦いを見せ1982年アジア大会で韓国に勝利を収めこれでいよいよ対韓国戦はと思った1983年の日韓定期戦。1-0でリードしながら終了直前金景浩に同点ゴールを喫し、テレビを見ていた私は“これでロス五輪予選はまた苦戦するかもなぁ..” と思ったのを憶えている。
圧倒的にあった日韓の差はなかなか縮まらず、今度こそと思っていても91年の日韓定期戦の様に 0-1 で敗れたり、ドーハでのワールドカップ予選で勝利し次も勝てば日韓の立ち場はかなり変わるだろうと期待した広島アジア大会の準決勝戦でも終了直前黄善洪のPKで敗れたり。 最後は韓国の勝負強さを見せられ続けて来た。
日本がアジアで頭一つ抜けた存在になる為には次に韓国と対戦した時にしっかりと勝利を収める事だ。
そしてその次はオーストラリアだ…..


サッカー:李忠成の父「昔は韓国応援したが…」

世界で最も見返りを求めない愛は両親の愛だ。昔は「子の口に飯が入っていくことと、川から分かれた水が水田に流れ込むことよりいいことはない」と言ったものだ。10日、札幌ドームに一人の父親がやって来た。
 李忠成(り・ただなり、25)=広島=の父・鉄泰さん(53)だ。鉄泰さんは、東京都西東京市で飲食店を経営しているほか、日本産のマグロを韓国に輸出する貿易業もしている。
この日、生まれて初めて韓日戦にスタメン出場する息子の姿を見るため、札幌を訪れた。韓国の報道陣からインタビューを受けた鉄泰さんは、息子があれほど夢見ていた国家代表の主力FWになったのにもかかわらず、笑顔がなかった。いや、笑うことができなかった。
 在日韓国人3世として日本で生まれ育ちながら、祖国である韓国にも、生活の基盤である日本にも歓迎されなかった。他人には分からない痛みが分かるからこそ、2007年に在日韓国人4世である息子の日本国籍取得を許した。
 「韓日戦があると、忠成が幼稚園のころから、一緒に東京の国立競技場に行っていました。そして、二人でのどが張り裂けんばかりに『大韓民国』と叫びました。今は忠成が日の丸を付けてプレーするようになったので…」
 鉄泰さんの言葉は途切れてしまった。
 それでも、自分なりの意義を見いだそうとしていた。鉄泰さんは「忠成は日本代表チームで唯一の韓国系日本人として『李』という姓をユニホームに付けています。これは日本のサッカーの新たな歴史です。父親として息子が一生懸命プレーしてくれることを望んでいますが、相手が韓国だからか、わたしの気持ちはかなり重いですね」と言った。
 「韓国でも忠成のことをよく思っていない人は多いでしょうが、日本でもまだ日本代表としての忠成をよく思っていない人が多いです。これから韓日両国で忠成を高く評価する人が増えればいいですね」
 李忠成は2004年にU-19韓国代表候補になり、合宿訓練に参加したが、韓国代表には選ばれなかった。07年に日本国籍を取得した後、日本の五輪代表チームで活躍し、今年1月にはカタールで行われたAFCアジアカップ2011で初めて日本のA代表になった。





韓国マスコミが注目したもう一つのトピックは李忠成がこの試合に出て来るかという事だった。
1月の Asian Cup では途中出場直前まで行ったが、投入直前に長谷部が負傷して急遽本田拓也が投入され出番が回って来なかったが今回は堂々のスタメン出場だった。

14年ほど前,昔いた職場に在日韓国人の先輩がおられた。国立大学の朝鮮語学科の卒業生で韓国やアメリカに留学され英語も非常に流暢に話される人だった。スポーツも好きな方でインターネットの発達しない時代に韓国のアップデートなスポーツ事情をよく教えてくれた。当時はワールドカップフランス大会のアジア地区予選が行われていて苦戦する日本代表の叩きぶりに私達と一緒に“ワールドカップ行けないんとちゃうか?”と嘆いていた。仲の良かった私は普通に
“先輩、韓国応援しなくて良いんですか?”と訊ねると
“俺は日本で生まれて日本で育ったから日本人と一緒や。”と即答された。
そしてサッカーのみならず日韓対決があった後は日本が勝っても韓国が勝っても引き分けてもいつも韓国の取引先の人達に色々言われていたらしい。 ラモスが帰化した時も“何故日本は日本人だけで韓国と戦わない?”とずいぶん筋違いな事を言われたらしい。
先輩の色々な話を聞いて在日韓国人は韓国で必ずしも100%歓迎されている訳ではないと言う事が解った。
同様の事は海外に渡って成功した韓国人にも言えるらしい。 韓国から移民して事業を成功された方が言っていた。
“もう韓国に里帰りをしたくない。 名前しか知らない親戚が押し寄せて来ては子供の留学の受け入れをしてくれとか何かをせがんできて断ればとたんに機嫌が悪くなる。それに海外での成功をこんなに妬まれるとは思わなかった。”
記憶に新しい2006年トリノ五輪の男子モーグルスキーで銅メダルを勝ち取ったアメリカ代表のトビードーソン選手の事も。
親に捨てられ釜山の孤児院で育ち1992年アメリカでスキー教室を営む夫婦に養子として引き取られアメリカ代表でメダリストになり“生みの親を探したい。”と言うや否や200人もの韓国人が生みの親と名乗り出した….. “等分韓国には行かない。”と漏らしたドーソン選手の心中を察するのは難しくない。
結果を出したいと最も強い思いでこの試合に臨んだのは李忠成だっただろう。
それだけに李忠成のゴールを見たかった。しかし2得点をアシストしたのは李忠成。

かれこそこの試合の Man of the Match にふさわしいと思った。 

復興の願いが届きますように… 日本代表 2-1 J-League 選抜 29.03. 2011

2011-04-04 | 日本代表
82分川口からのGK を闘莉王が岩政に空中戦で競り勝ち前に落とす、あぁまた闘莉王が上がって来たんだなぁ…と思うとボールの転がった先に走り込んだのはカズだった。そのボールを拾ったカズはそのままドリブルでゴール前に迫りGK東口が出て来たところを森脇がマークに入る前に右足を振り抜くと弾道はそのまま日本代表ゴールに突き刺さった。 この試合 40,613 人集まった観衆から最大級の歓声が沸き上がる。主役のカズはそのままゴール裏に走り抜け“お約束”のカズダンスを披露する。 日本代表のユニフォームでもベルディのユニフォームでもそして横浜FCのユニフォーム姿でも“生カズダンス”を見られる機会に恵まれた私は思わず
“もっと手を大きく回せよ…そうやっていたじゃないか…”こう口から出た…だが同時に思った。 

さすがカズ。 KING KAZU ここにあり…

この試合の前日、ようやく懇意にしている仙台営業所の方と連絡がとれた。数日前にガスが開通しこれでライフラインが揃ったと安心しておられた。 電気は地震から4日後に、水道が10日後に使える様になったとのこと。御自慢の自家用車はすっかりダメになってしまったらしいがすぐ近くでは一瞬にして全てを失った方もおられ未だ途方に暮れている様子が痛いほど解るとの事、もう震災というよりも心災ですよ… こんな話を聞くと計画停電やガソリン不足なんて物の数にも入らないと言う事が改めて解った。 “でも私は何にもしてあげられないですねぇ…。家を建てて上げたり、店を造ってあげたりとか…” こういう私に
“でもガスの配管修理を知れくれた方は中部ガスから派遣された方達で、そんな人達から頑張って下さいって云われるだけでもすごく勇気が沸くんです。” 反対に私が感動させられてしまった……



本来は New Zealand All Whites との親善試合が行われる日だった。 日本人の中で最も All Whites をサポートする資格のあるのはこの私…と変な理屈をつけて2月に震災にあった国からのチームを私は思いっきり応援しようと楽しみにしていた。
しかし3月11日、あの地震と津波で事態は一転。今度は日本が勇気付けられる立場になっていた。 そしてサッカーどころでは無くなっていた。楽しみにしていたけど被災された日本、ニュージーランドの方達と比較になんてならない、それは被害状況が明らかになる度に感じる事だった。
All Whites の来日がキャンセルされ、替って J-League 選抜とのチャリティーマッチとなった。そして J-League 選抜のメンバーを見て就業時間にも関わらず、うおおっっっとぉぉぉぉぉ~~ と声が上がった。 GK 楢崎、川口、DF闘莉王、中澤、 駒野MF 俊輔、憲剛、小野、小笠原、FW 大久保、原口元気そして KING KAZU おいおいこっちが代表と言ってもおかしくないぞ… 久々にキックオフが待ち遠しいワクワクする期待感が沸き上がった。 惜しむらくは現場観戦したかったけど…

注目のスタメン。日本代表は Asian Cup メンバー。あぁ香川がいればなぁ… そしてシステムはザッケローニ政権下では初めてのお披露目となる 3-4-3 。内田、長友の“両サイドバック”が中盤に上がりDFラインは伊野波、今野、吉田で構成されていた。  J-League 選抜は俊輔、カズ(まあ後半からと思っていたけど)はベンチスタート。CBは中澤、闘莉王そして右SBに駒野とワールドカップを彷彿させるDFライン。 そして中盤の底には小笠原、中盤は左に憲剛、右に小野。前線には佐藤寿人と大久保がならぶ豪華メンバーだった。



日本代表のキックオフで始まった試合。J-League 選抜が先制すれば面白くなるなぁ...と云う期待に応えたのか?立ち上がりは リーグ選抜が攻め上がる。特に左SBの新井場の上がりが良い。対峙するかつての同僚、内田に対抗意識を燃やしているのか...4分17秒には新井場の粘りからCKを得て小野が上げたCKに闘莉王、中澤が飛び込む。 6分50秒には佐藤が森脇がマークに入る前にミドルを放つがGK川島が左手一本でナイスセーブ。 このシュートが入っていればなぁ...と思った。
しかし立ち上がりのリーグ選抜の攻勢もここまで9分から 内田、長友の両サイドの上がりが目立つようになり代表の攻撃が続く。9分には長友が梁をかわしてクロスを上げるが中澤がヘッドでクリアー、10分には遠藤からスルーが岡崎に通るが中澤がマーク。内田からPA内に入った長谷部に渡るがここは小笠原がクリアー。その直後には再び長友が小野のマークを振り切りクロスを入れるがここも再び中澤がクリアー。だがその直後には長友が上がった裏に小野が入り込むが小野の突破はファールで止められた。
長友、内田がMFに配置されて高い位置からがんがん上がって来るので中盤で対峙する憲剛と小野が前に出られなくなり相手攻撃を跳ね返してもクリアーボールからすぐに攻撃に転じられるのでリーグ選抜は相手ゴール前にボールを運べなかった。



そして15分中澤のミスパスを拾った本田がドリブルで上がったところを憲剛のチャージがファールにとられ代表は絶好の位置でFKを得る。本田か遠藤か..とみていると遠藤が直接狙った弾道は壁の右端を巻いてゴール左端に飛び込み代表が先制した。 
ゴールを決めた遠藤がベンチ前に走り腕の喪章を外して天に掲げると他の代表の選手もそれに追随する。この試合の意味を再認識させられた。



そしてこの先制ゴールで“試合”としての興味は半減気味だった。 
それに“追い打ち”を掛ける様に18分23秒、本田スルーパスがCB闘莉王と中澤の間に走り込んだ岡崎に通りすのままフリーで抜け出した岡崎がリーグ選抜ゴールに蹴り込みリードを広げた。



代表は先制ゴールを上げてから前線の前田、本田、岡崎がポジションチェンジを繰り返し早いボール回しが目立ち出す。
そして次第に個々のスピードの差そしてパスのレンジの差が出てくる。 リーグ選抜のミドル、ロングパスもしばしば“これも取られるのか?”と云った距離から相手DFのマークが入ったり読まれたり。 19分23秒に長友が中澤を振り切りファーサードにミドルを放った時はシーズン開始直後のJリーグとシーズン真っ最中の欧州でプレーする選手とのコンディションの違いもあるのだろうけど個々の差を感じた。
その直後にリーグ選抜は左サイドを突破、新井場から憲剛そして梁に繋ぎ逆サイドの小笠原に振りゴール前に放り込まれたがクリアーに入った今野とGK川島が交錯しCKになった。この支配初めてリーグ選抜が相手ゴール前でボールを繋いだシーンだった。 24分になるとリーグ選抜は小野と憲剛がポジションを替えた。それでもリーグ選抜が得点チャンスを掴めそうなのはCBの闘莉王、中澤が上がって来るCKやFK等のセットプレー。 今野、吉田らと競る空中戦は見応えがあった。セットプレーから何とか1点を...と思うも28分15秒、前田からスルーパスに走り込んだ本田が中澤のマークを振り切りシュートを放つ。何とか楢崎が意地でストップをしたがまたすぐに得点が入る気がしてならなかった。
30分代表ベンチは最初の選手交替を告げた。GK川島を下げて西川(広島)を投入した。代表は3人GKを入れているので30分ずつ3人を使いきるのかな...と思っているとその通りに61分には東口(新潟)が投入された。
ピッチ上では相変わらず代表の攻勢が続く。31分24秒には内田が佐藤のバックパスをインターセプトしそのまま中央からドルブルシュートを放つがポストの左に外れる。リーグ選抜は小野と憲剛がポジションチェンジをするが両者にボールが入らない。
33分には遠藤に闘莉王がタックルに入るがテクニックを見せて交わし更に本田との浮球のワンツーを見せ大観衆を沸かせる。



35分小笠原のパスをカットした岡崎が攻撃参加しPAのすぐ外の中央に上がった今野に送りゴール前に走り込むがその前に闘莉王が今野の後方からタックルに入り笛が鳴る。 絶好の位置で代表はFKを得るとすぐに本田がボールをセットする。大観衆は本田のFKを期待する。さっきは遠藤が蹴ったので今度は本田だろうとおもうと本田の蹴った弾道は大きく浮き上がってしまい溜息が洩れた。 
37分左サイドを上がった新井場に入った内田のチャージがファールとなりリーグ選抜はFKを得る。今度は梁がゴ―ル前に蹴り込むと闘莉王が飛び込みバックヘッドで狙うが今野の足に当たってCK。憲剛が蹴ったCKに大久保が飛び込むが吉田にクリアーされた。 リーグ選抜の得点チャンスはセットプレーからのみ......代表がワールドカップ以降の日本代表。そしてリーグ選抜はワールドカップ直前迄の日本代表をそれぞれ見ている様であった。
こうしてロスタイムが無かった前半は代表が“差”を見せつける内容、得点差で終わった。

後半、代表はシステムは 3-4-3 のままGK西川とCB今野以外8人の選手が替った。 
3バックの右SBには栗原 ( 横浜FM ) 。 ボランチに柏木 ( 浦和 ) 阿部 ( レスタ- ) MF は右に松井 ( グルノーブル ) 左に槙野 ( 1FC Köln ) 前線にはワントップに Asian Cup 殊勲のボレーを決めた李忠成 ( 広島 ) 左に地元でプレーする乾 ( C大阪 ) 右に藤本 ( 名古屋 ) が配置された。 
一方のリーグ選抜はGKに川口 ( 磐田 ) が楢崎に替って投入され、CB中澤に替って茂庭 ( C大阪 ) , FW大久保に替って浦和レッズのFW原口元気が投入された。 原口よ U-22 の遠征に行かなくて云いんかいな....
前半には見られなかった地元C大阪の選手と浦和の選手が2人ずつピッチに登場した。 そして中村俊輔も小笠原に替って投入された。しかし怪我が完治していないのか小笠原と同じ中盤の底のポジションだった。

リーグ選抜のキックオフで始まった後半は開始15秒俊輔のミドルシュートの皮切りにリーグ選抜の攻勢が続いた。
俊輔が低い位置でボールを拾っても正確なロング、ミドルパスを小野、憲剛に送る。 代表は一気に常日頃コンビを組んでいない同士の控え組がピッチに入ったのでミスパスが目立つようになった。49分には槙野のクリアーがあわやオウンゴールになりそうであったが最後は栗原がCKに逃れた。 小野、憲剛がボールを触る回数が激増し両者から素晴らしい縦パスが入りまたサイドバックの上がりも前半は左から新井場だけであったが右の駒野も上がれる様になった。
53分には憲剛と佐藤で左サイドを崩し原口に繋ぎ原口から後方に落としたところを梁がミドルを放つが今野がブロック。56分21秒には梁を囮にして小野が前線の佐藤に技ありのロングパスを入れる。58分には再び佐藤に俊輔からロングボールが入るが今野が必死のマーク。 59分俊輔が相手DFのクリアーボールを拾い右サイドから入れたクロスに逆サイドに走り込んだ闘莉王が飛び込むが僅かに合わない。60分28秒には俊輔から憲剛に縦パスが入り更に前線の原口に渡る。原口が右サイドに振るとボールを受けた駒野がアーリークロス気味に放ったシュートは僅かにクロスバーを越えた。
相次ぐリーグ選抜の攻撃に沸くスタンドが更に沸いたのが62分5人の選手が一気に投入された時だった。
DF 小宮山 ( 横浜 FM ) MF 関口 ( 仙台 ) FW 平井 ( G大阪 ) FW ハーフナー ( 甲府 ) に並んで御大 King KAZU がついに登場した。 カズの交替出場がアナウンスされた時は大歓声が当然の様に沸き上がった。 そしてカズとピッチを共にする全ての選手が彼に尊敬の念を払っている様に見えた。
これで役者が揃った感じがしたけど代表のレギュラー陣が揃った時のカズも観たい気がしないでもなかった。
この交替の前に代表はGK東口に並んで岩政が今野に替って投入されDFラインが槙野 ‐ 栗原 – 岩政 – 伊野波の4バックになった。 その岩政に投入されたばかりのハーフナーが当たって倒しイエローカードが出された。
70分44秒、 Asian Cup の殊勲者李忠成が新井場のバックパスを拾ってダイレクトでシュートを放つが川口がストップ。
川口は72分50秒にも小宮山からボールを奪ってループ気味に放った松井のドリブルシュートも弾き出し見せ場を作った。
72分代表はスペインに渡った家永 ( マジョルカ ) を乾に替って投入する。
しかしピッチ上ではリーグ選抜の攻勢が続いた。 73分29秒には平井からボールを受けた原口が右に走った関口に出し吉田のマークを振り切りファーサイドに向けて放ったシュートは惜しくもポストの左に外れて行った。 78分代表は伊野波を下げて森脇 ( 広島 ) を投入する。森脇の代表デビューだった。
そして81分13秒、俊輔がハーフウェーラインの前から川口に戻し、川口が大きく前線にフィードすると闘莉王が岩政とそのハイボールを競り合った......

1点を返したリーグ選抜は更に大歓声の後押しを受けてカズを中心に攻勢を続ける。86分には李忠成に闘莉王が肘を入れ両者が何かを云い合い、俊輔と関口が止めに入り闘莉王にイエローが出される。 
試合終盤になり両チーム試合結果に執着する様になったか..観ている方は面白い。
劣勢の代表は88分ようやく松井が左からドリブル突破をし家永に送るがここはオフサイド。その直後パスミスを拾った李忠成がシュートに持ち込むが川口の正面。
観衆は更なるカズゴールを求めて声援を送る。カズにボールが入るだけで大歓声が上がった.........

試合中も何度か地震情報のテロップが流された。その度に現実に引き戻される気がした。 
この試合で感動を与えたからと言って地震、津波で家族や財産を一瞬にして失った人達や不便な避難所生活を強いられてる、そして元の生活に戻れる見通しが全く立たない人達にどれだけ役に立ったかわならない。まして自分がそういう立場になったら....
だが後日ある番組で避難所生活をしていた子供たちが“おぉぉ~すげぇ~カズダンスじゃん。見られて良かったぁ~”と云ったシーンを見て私は少し安心する事が出来た。 さすがの King KAZU..... だった。


得意のアウェーでゴールを割れず  韓国 0-0 日本 12.10. 2010

2010-10-19 | 日本代表

ソウルワールドカップ競技場で行われた今年3回目の韓国戦はゴールを割れず引分けに終わってしまった。 2003年親善試合、2005年東アジア選手権で連勝中だった
アウェーでの韓国戦は2000年の親善試合( 0-1で敗戦)以来の無得点に終わりこれで2試合連続完封を喫した事になった。 

歴史を忘れた民族に未来は無い???

韓国サポーター達は恐らく大変な自信を持ってこの韓日戦(一応アウェーだからね)を迎えた事だろう。例え朴智星が出れなくても…
試合開始前ホーム側のサポーター席の前には多くののぼりが掲げられておりサポーター席の前にハングルで書かれた横断幕があった。のぼりは李舜臣(イ・スンシン)将軍と安重根(アン・ジュングン)義士で横断幕には 

“歴史を忘れた民族に未来は無い” 

と書かれていたらしい。 まぁACLだったかで日本からのサポーター達に対して“敗戦国の皆様ようこそ”と日本ので書かれた横断幕を掲げ安重根義士の似顔絵を掲げたり、2002年ワールドカップのドイツ戦で“ヒトラーの末裔は去れ…” と云う内容のプラカードを掲げるくらいなのでこれくらいはする民族なのだろう。
安重根の事は説明するまでもないだろうが、李舜臣将軍は豊臣秀吉の朝鮮出兵(何故か日本の歴史の授業でも朝鮮征伐と習わされているが朝鮮側が後に出した“宣祖実録”によれば当時、朝鮮王朝や大臣を見限る一般人や武士、豪族も少なくなく、彼らは秀吉側に着いて戦った、と云う記録もあるらしい。) の文禄、慶長の役等で秀吉軍との戦いを指揮した将軍。ただ最後は島津義弘率いる水軍の前に朝鮮水軍の主たる将が多数戦死し大きな被害を出した露梁海戦の混戦の中で戦死したのだが、この露梁海戦は秀吉の死をきっかけに退却を始めた日本軍を後ろから攻撃し返り討ちにあったものとする歴史家もいるらしい。

“歴史を忘れた民族に未来は無い”とおっしゃるのなら併合時代に日本政府が施した植林や農業振興を感謝しろとは言わないけど次の日韓戦(または韓日戦)で 

“当時の韓国国家予算2倍以上の経済協力施した事に遠慮せず精一杯プレーして下さい。”

と云う横断幕を掲げてもばちは当たらないだろう。何語で表記すべきかはその時に決めよう…. ( 1965年日韓基本条約の枠組みの中で結ばれた日韓経済協力協定で日本政府は3億ドルの無償協力、2億ドルの円有償協力、3億ドル以上の民間借款を決めた。当時の韓国の国家予算は3億5千万ドル。 ドルはアメリカドルで当時のレートは @US$=360 だった。)

       

朴智星が不在の韓国のスタメン。
朴智星が膝の古傷が悪化し前日練習を休み、日本戦には出場出来ないかもと云う事は日本でも大きく報道された。そして朴智星はベンチスタートで最後まで出て来れなかった。

    


日本の国歌斉唱に続いてホーム韓国の国歌斉唱時に敬礼をしている選手が。尚武の選手、誰だろう…と見ると崔成国だった。これは驚きだった。 ASモナコ所属朴主永のワントップの後方左にはボルトンの李正龍。そして右には崔成国が起用された、崔成国のスタメン起用はサプライズだった。趙広来監督は彼の早いドルブルで切れ込む事を期待したか。
他の韓国のスタメンでは3バックのDFラインには愛するサンガの郭泰輝は起用されず右に洪正好、CBにはナイジェリア戦、イラン戦に続いて趙容亨が起用され、右サイドにはかつて愛するサンガでプレーした李正秀がスタメン起用された。ベテラン李栄杓が右の守備的MF,左には崔孝鎮。 若手の期待尹ピッカラムと組むボランチは奇誠庸では無く、辛炯が…. あぁ6人も外してしもたなぁ…

一方の日本代表はアルゼンチン戦から川島、岡崎が怪我で離脱。そして森本、内田がベンチスタートでGK西川、右サイド駒野、2列目右に愛するサンガの卒業生松井。そしてワントップに前田が起用された。

               GK1 鄭成龍

    15 洪正好     4 趙容亨     14李正秀

 2 崔孝鎮                      12李栄杓

          23辛炯    8尹ビッカラム

     20崔成国              17李青龍 

               10朴主永

               12前田
                   18本田
     11香川                 8松井

           17長谷部     7遠藤

  5長友      20栗原      15今野 3駒野

               GK20西川

日本のキックオフで始まった一戦は開始早々本田に朴主永が後方から反則タックルを入れる激しいスタート。しかしそれにひるまず本田は仕返しとばかりに53秒に韓国選手に反則タックルをかました。

立ち上がりの韓国は前日のAFC U-19 同様ロングボールを入れてくる。1分11秒には李栄杓からゴール前に走り込む崔成国に送られるがここは長谷部がカバー。
1分55秒には朴主永からパスを受けた崔成国が前線に走り込んだ李青龍に狙って入れるがGK西川に流れる。

しかし3分も過ぎると日本が落ち着いてボールを回す様になった。ここらへんは U-19との違いか… 日本選手がボールを受けたりドリブルで上がるといきなりブーイングの大合唱。前田と本田が左右に動いてボールを受けそれに伴い周囲が連動してボールが回りだす。
韓国は3バックだが守勢に回るとボランチの辛炯と尹ビッカラムがCBに入ったり李栄杓が左サイドバックに戻り日本の攻撃に対応する。
それでも最初のシュートチャンスは韓国。8分22秒には今野が崔成国へのチャージがファールに取られ距離があったが正面でFKを献上するし朴主永が直接狙ったがそのショットは大きく外してくれた。
11分18秒にアクシデントが起こる。韓国が攻め込み長友がボールを奪ったが中に上げてしまい、駒野が飛んだ後ろから李青龍が後ろから当たり空中でバランスを失い転倒した駒野が立てない。結局外に運び出され内田と交替となったが後日駒野は右ひじ骨折との報道がなされた。このプレーには激しく長谷部が抗議したがカードは出されなかった。両チームプレスが早く局地戦での対峙は見応えがあるが前半韓国は空中戦でのレートチャージが目立ち34分にも栗原に朴主永が明らかに後ろからチャージに入ったがカードは出なかった。しかしボールキープでは日本が韓国を上回り、松井、本田は韓国DFの激しいあたりをものともせず振り切るシーンが目に着く。
そして日本が攻勢に出る時間が続く。15分48秒、右サイドで遠藤からボールを受けた松井が入れたクロスを前田が後ろに落とし香川に渡るがトラップが僅かに大きくシュートを撃つ前に洪正好にクリアーされる。18分27秒には右サイドで遠藤から前線の前田に渡り再び松井経由で遠藤に戻ったところ逆サイドの本田に繋ぎ長谷部に戻すと長谷部は辛炯をかわしてゴール前に走り込む松井に浮球を送るが李正秀がクリアー、そのこぼれ球を繋いで再び松井がシュート体勢に入るが李青龍が何とかクリアー。得点こそならなかったが見事な波状攻撃だった。
以降も松井のヒールパスや香川が下がりオーバーラップした長友二縦パスが通りチャンスを掴みかけたころを崔孝鎮が何とかクリアーするなど韓国DF陣を翻弄。26分38秒には松井からの左から走り込んだ本田に送られ崔成国がマークに入る前にミドルシュートが放たれるがGK鄭成龍がファインセーブで阻止。惜しいチャンスだった。


      
劣勢続きの韓国は30分から崔成国をトップに上げ朴主永と2トップにし前線のターゲットを増やす。そして右サイド中盤には崔孝鎮を少し高めに張る。
しかし前半韓国が日本ゴールを脅かしたのはセットプレーからのみ。31分45秒李青龍のFKから崔成国がゴロのミドルを放つがポストの左に外れ37分40秒遠藤が朴主永へのファールで与えたFKから辛炯がヘッドを放つがバーを越えた。 攻撃の頼みは李青龍のドリブル突破頼みで日本のボランチ、DFラインを崩す事は出来なかった。 

        


日本は前半終盤にも2度チャンスを掴む。 右から内田のクロスを受けた松井が逆サイドの本田に送り本田は前線の前田にヘッドでボールを送るが李正秀、李栄杓が必死に戻りCKに、86分には長谷部、松井と繋いで受けた本田が李正秀をかわしてシュートに持ち込むがポストの左に外れて行った。
前半は日本が優勢のまま終えたが韓国も最終ラインで踏ん張り決定的に崩される事は無かった……

後半まず韓国ベンチはボランチの奇誠庸を辛炯に替えて投入した。これでDF洪正好と崔成国以外はワールドカップメンバーとなった。
後半立ち上がり韓国はボランチの2人を高い位置に張り出させ、相手とボールへの寄せが早くなり日本は前半ほどボールをキープできなくなった。 54分15秒には崔成国が粘って李青龍に送ってシュートを放つがここは内田がクリアー。しかし中央の朴主永がフリーだった。56分には今野が朴主永を倒してFKを与えそのFKを長身李栄秀がヘッドで折り返し中央から朴主永がヘッドを放つ。これをGK西川が後ろにそらすがここは長友がクリアー。危ないシーンだった。
62分50秒には今野を振り切り朴主永がミドルを放つが西川がCKに逃れる。このシーン、さすが朴主永というシュートだった…
後半はやや優勢だった韓国は62分に崔成国を下げて廉基勲を投入し完全に2トップにした。 ベンチに下がる時に敬礼をした崔成国が印象的だったがこんどこそ代表に定着するだろうか…2007年城南一和でのACL浦和戦、そして同年の Asian Cup 時に比べるとやや身体が絞られた感じがした。やはり軍隊に入り心身ともに鍛えられたか…

    

72分今度は日本ベンチが動く。香川を下げてただ一人浦和レッズから出場となった細貝が投入されアンカーの位置に入る。ならば阿部でもよかったか….でも息子に言わせれば“細貝で正解だ。”とのことだった….. これは韓国の攻撃への対応であっただろう。

    


香川はちょっとマークがきつく思う様に前に出られなかったか…それともボールが出てこなかったか見せ場は限られてしまっていた。

   


76分この試合最も物議を醸すシーンが。本田が粘って長谷部にボールを送りマークを振り切り更に松井に送りドリブルで上がり入れたクロスはエリア内の崔孝鎮の腕を直撃。 ハンド、PKと思うもウズベキスタン人のイルマトフ主審は“意図的にボールを手、腕で扱った”と判断せず長谷部が必死に頼むもファールを取らなかった。あのワールドカップでのキューウェルのプレーはPKのみならずレッドカードまでだされたのになぁ…

     

     

78分日本ベンチは松井を下げて金崎を2列目右に入れる。まだ森本の出番はないのか…と思った。 81分、ひやりとするシーンが。 内田、本田に囲まれながら廉基勲が左サイドから上げたクロスに朴主永が栗原のマークをうまく抑えてフリーでヘッドを放つ。 しかし弾道はGK西川の正面に飛び胸をなでおろした…

     

そして韓国ベンチは82分崔孝鎮と入ったばかりの廉基勲を下げて車ドゥリと兪炳守を入れた。 車ドゥリの位置が気になった。さすがに守備に難があるのでサイドバックには入れなかった様で崔孝鎮のところに入れた様だった。
84分に遠藤に替えて中村憲剛を投入した。恐らく細貝をボランチに入れて憲剛は2列目左に入れたかな…やっぱり競技場で観たいなぁ….とこの時痛感した。 
試合時間が少なくなる中89分本田が決定的なチャンスを作る。攻撃に転じようとした趙容亨からボールを奪った本田がドルブルで韓国ゴールに迫りそのままシュートを放つ、しかしまたもGK鄭成龍がファインセーブでストップ。右に走り込んだ憲剛がフリーだったのでそちらに出しても...という気がしたんだけど…

    


本田は79分にも趙容亨をかわしてドリブルで切れ込み相手DF3人に囲まれながらも長谷部に戻してミドルを引き出すなど韓国には存在感を十分示し、攻撃の起点となる動きを90分通して披露してくれた。

そして3分あったロスタイムにも両チーム相手ゴールネットを揺らせずスコアレスのままタイムアップとなった。 あれだけ攻める時間がありながら本田、長谷部の惜しいミドルはあったが相手DFを崩しての決定機は無かった様に思えた。
韓国は朴永主がシュートに持ち込んだが日本のワントップ前田はシュートは撃てなかった。これは前田のせいではなく前田にボールが入らなかったというより前田がチャンスメークをするプレーが多かったからだろう。
11分に駒野が負傷で下がったのが誤算だったか…. 韓国は朴智星がいたらどうなっていただろう…. 結局両チーム、ワールドカップメンバーが主体となったがほぼベストメンバー。それだけに朴智星がいれば今の日韓の本当の力関係が解るんだけど….こう言った対戦が今度はいつみられるだろう?

Asian Cup では欧州組みが多く抜けるだろうし、両チームとも日程的にベストコンディションで臨めるだろうか…… ちょっと消化不良のゲームに見えたけど、今年の韓国戦ではもっとも良い内容だったような気がしたなぁ…. この試合は日本の方が前にアルゼンチン戦があり仕上がりは良かったはずだった。
それだけに勝っておきたかった、いや勝ってほしかったなぁ....
でもアウェーの方が韓国戦は良い試合をするなぁ....

しかしやっぱり競技場で観戦したかったなぁ….次は韓国で観戦するか…その方が勝つ可能性が高いかも…その時は韓国のアイドルも観られるかなぁ....


      

その節は韓国プロ野球も観て帰ろうかな....


3度目の正直??2度ある事は3度ある??韓日戦を前に 

2010-10-12 | 日本代表

今年3度目の日韓対決。こんな事はこれまであっただろうか…..
今年行われた2試合はいずれも日本開催で2連敗。 1998年ダイナスティカップで勝利を収めて以来日本開催の“日韓戦”は2分3敗の未勝利。
ならばアウェーの“韓日戦”ではというとここ4試合で2勝2敗と五分の戦績を残している。
言い訳を言わせてもらえば今年の2連敗はあきらかに準備不足も敗因の一つ。
2月の東アジア選手では大会前に韓国は南アフリカ、スペイン遠征を入れていたのに対して日本はシーズンオフ明けがこの大会。大会前にはベネズエラ戦が組まれただけだった。 
そしてワールドカップ前にさいたまスタジアムで行われた試合。1週間程度の代表合宿を経て臨んだ日本代表に対して韓国はエクアドル戦を経ての日韓戦だった。
今回は日本がアルゼンチンを破っての韓国戦。日本のホームで時差などコンディションが 100% ではないアルゼンチンとはいえこの勝利は素晴らしい金星。
しかしその試合直後、 “アルゼンチンに勝ったけど次の韓国の方が絶対に勝ってほしい相手だなぁ….” とは我々親子の試合直後の感想だった。こう思う人々は多いだろう….

  

趙広来新監督….
ワールドカップでチームをベスト16に導いた許丁茂前監督は協会の続投要請を固辞。協会の技術委員会は趙広来氏を満場一致で次の代表監督に選び同氏もこれを快諾。7月22日にKFAハウスで公式就任記者会見を開いた、と大韓協会のホームページには書かれているが実際は候補5人中4人が辞退し最後に残ったのが趙広来だったらしい…
趙広来と言えば70年代から前任の許丁茂氏らと共に10年以上も韓国代表としてプレー。1986年メキシコ大会メンバーでもあった。1978年、1986年アジア大会優勝のメンバーでもある。
私が彼の名前を聞いて真っ先に思い出したのが1980年3月マレーシア、クアラルンプールで開催されたモスクワ五輪予選。初戦で韓国と当たった日本は 1-3 で敗れたのだけどその時に2点決めたのが趙広来。(もう1点は許丁茂) 記録を調べれば1978年のムルデカ大会の日本戦でもゴールを決めている。(試合は韓国が 4-0 で勝利。)
日本代表の事をどう見ているのだろう…
8月11日。水原競技場で開催されたワールドカップメンバー5人を含んだナイジェリアとの親善試合では朴智星、李正秀、朴主水らワールドカップメンバー5人を擁してユン・ビッガラム、崔孝鎮のゴールで2-1と勝利を収めた。
しかし9月7日、ソウルワールドカップ競技場で行われたイラン戦は欧州組の朴智星、奇誠庸、朴主水、李栄杓ら海外組を擁したものの0-1 で敗れた。どうも韓国はイランにはもう一つだなぁ… Asian Cup で上位を狙いイランは知らないメンバーばかりだった。(俺の勉強不足か….)

今回は親善試合とはいえ日韓共に欧州勢を招集しておりほぼベストメンバーでの対戦となる。(5月のさいたまスタジアムでの試合もそうだったか….)

その召集メンバーと私の予想スタメンは下記の通り。
( 赤字はワールドカップメンバー)

GK  鄭成竜 チェンソンリョン ( 城南一和 ) 金永光 キムヨングァン ( 蔚山現代 )

長年韓国ゴールを守った2002大会の守護神でもあった李雲在は8月のナイジェリア戦を最後に代表引退を表明。
今年5月の日本戦からポジションを獲得しワールドカップでも4試合全て韓国ゴールを守った鄭成竜がスタメンだろう。

DF 趙容亨 チョ・ヨンヒョン ( アル・ラーヤン ) 郭泰輝 クァク・テギ ( 京都サンガ )
洪正好 ホン・ジョンホ ( 済州ユナイテッド ) 黄載元 ファン・ジェウォン ( 水原三星 ) 李正秀 イ・ジョンス ( アル・サッド ) 、金英権 キム・ヨングォン ( FC 東京)

ワールドカップでは4バック。趙広来新監督は3バックを採用している。
CB は愛する京都サンガ所属の郭泰輝か昨年まで愛するサンガでプレーした李正秀それともワールドカップ直前のベラルーシ戦で負傷した為本大会を棒に振った郭泰輝に替って本大会でCBに入ったのは趙容亨… 
趙広来体制になって趙容亨がナイジェリア戦、イラン戦ともスタメン出場している。 日本戦もおそらく趙容亨だろう。そして右サイドには京都でもこのポジションを担った事がある郭泰輝。こうなると左サイドはナイジェリア戦、イラン戦で先発起用の金英権になるだろう。
ワールドカップ後UAEに渡った李正秀は“中東の気候”に影響されスピードにやや難が出て来たか…

MF ユン・ビッガラム ( 慶南 ) 李青竜 イチョンヨン ( ボルトン ) 辛炯 シン・ヒョンミン ( 浦項 ) 朴智星 パクチソン ( マンチェスター・ユナイテッド ) 奇誠庸 キ・ソンヨン ( セルティック ) 崔成国 チェソングック ( 光州尚武 ) 、曹永哲 チョ・ヨンチョル ( アルビレックス新潟 ) 具滋哲 ク・ジャチョル ( 済州ユナイテッド ) 李栄杓 イ・ヨンピョ ( アル・ヒラル) 、車ドゥリ ( セルティック ) 崔孝鎮チェ・ヒョジン ( FC ソウル )

長年ボランチを担って来て神戸でもプレー経験のある金南一そしてワールドカップメンバーだった金正友は召集されなかった。替って台頭して来たのが20歳の尹ピッカラム。ナイジェリア戦ではゴールを決めた。奇誠庸とボランチを組むだろう。
右サイドハーフはナイジェリア戦、イラン戦フル出場だった崔孝鎮かセルティックの車ドゥリ。 ワールドカップでは守備面でやや不安を残してたがサイドバックで起用されたがこのポジションは得意なポジションだ。更に前線で起用されるか….
ワールドカップ李青竜もこのポジションだけど彼は左サイドに回るかもしれない。そうなると李栄杓はベンチスタートか…. そして2列目左には朴智星だろう。
右で先発となると左の2列目は李青竜で李栄杓がその後ろに入って守りを固めるか…..個人的には久々に代表入りした崔成国のプレーを見てみたい….
それにかつて京都でプレーした世界の朴智星のドルブルも....

            

FW
朴主永パクジュヨン ( ASモナコ ) 、廉基勲 ヨムギフン ( 水原三星 ) 李昇烈 イスンヨル ( FCソウル ) 、兪炳守 ユビョンス ( 仁川ユナイテッド ) 金信ウク ( 蔚山現代 )
ワントップはパクジュヨン。5月の試合では終了直前にカウンターからドルブルで中央突破を喫し追加点となるPKを献上するきっかけとなった。 今シーズンもASモナコでレギュラーの座を確保している様に見えるが決めたゴールはまだ1回だけだ。 
11月に広州で開催されるアジア大会でも over age 枠で代表入りするらしい。(モナコでは大丈夫か?) 

             

他にも金英権、奇誠庸、具滋哲、曹永哲の4人がアジア大会メンバーだ。  そして韓日戦には選出されなかったが金正友(光州尚武) 金甫 ( 大分 ) らもメンバー入り。24年振りの優勝を狙う..... 

私の予想スタメンは下記の通り。( 何人あたるかな??)

                  朴主水

        朴智星             車ドゥリ
       (李青竜)            (朴智星)

     李青竜                  崔孝鎮
     (李栄杓)

            奇誠庸      尹ビッカラム

      金英権        趙容亨     郭泰輝

                                    GK 鄭成竜

もう韓国代表には何連敗している…
ワールドカップ前の2試合では連敗。女子のFIFA U-17 決勝戦、バスケット女子世界選手権、そして AFC U-19 の準々決勝戦……

韓国に勝てるのは野球とラグビーだけか…

新生ザッケローニジャパン。
来年の Asian Cup や次のワールドカップよりもまずは宿敵に勝利を収めてくれぃ…

  


目指せ Top 4 !! Holland 3-0 Japan 後半 05.09.2009

2009-09-13 | 日本代表

後半日本はついに玉田に替えて本田を投入してきた。これで岡崎がワントップに入り、本田は2列目の左サイドに入った。 
オランダはGKを含む2選手を替えて来た。替って入った GK Piet Velthuizen ( Vitesse ) は北京五輪では控えの GK で日本戦を含め出場機会は無かった。この日本戦は代表デビュー試合となった。北京五輪は長友、岡崎、内田(ただし控えでオランダ戦は出場機会無し ) そして本田の4人がメンバーであった。オランダは“北京五輪組”はいなかった。 本田は2005年の FIFA U-20 大会のオランダ戦にも出場しておりけっこうオランダと縁が深い…と思った。 そして Robben も下がり HSV 所属の Eljero Elia が投入された。

後半のオランダは前半の終了前同様に攻勢に出てくる。49分4秒には van Persie から左サイドから走りこんだElia にスルーが通りそうになる。51分に長友がLoovens にスライディングをかけられるも粘ってボールを奪い返し、その直後には本田が van der Wiel をかわして欧州選手並みの身体の強さを見せる。何とか全体のエネルギーが残っている間に…と願う。オランダも高い位置からボールを取りに来る。そして雨も降って来た。それが日本側にどう影響するだろうか…
57分55秒には van Persie からボールを奪った長谷部が憲剛に送り更に俊輔に送られミドルを放つが相手DFに当たり大きく弾みボールはGK正面。59分過ぎから更に雨粒が大きくなる。 60分45秒、内田から憲剛にボールが出て de Jong をかわしたところを後ろから van Brouckhorst が憲剛を倒して笛が鳴る。絶好の位置でFKを得た。俊輔、遠藤、長谷部そして本田がセットされたボールを囲む。この雨粒を考えれば本当にチャンスだった。場内からは本田コールが起こる。俊輔がボールをセットしなおしたので遅延行為とイエローが出される。それでも本田と俊輔がずっと話している。そして蹴ったのは俊輔、ボールは右ポストを目指して飛びGKが何とか横っ跳びではじき出した。本当に惜しいシーンだった。でもマスコミが大げさに取り上げるほどの”問題シーン”でもないと思った。そしてやはり俊輔だった。

               

この直後にオランダベンチは選手を二人替えて来た。 Mendes da Silva に代わって Demy de Zeeuw ( Ajax ) Kuyt が下がって Klaas Jan Huntelaar ( AC Milan ) らがそれぞれ投入される。 Robben, Kuyt の二人がこれでベンチに下がった。
雨脚は更に強まる。67分45秒闘莉王のクリアーボールを拾われ左サイドをVan Broudchorst がドリブルで上がり中の Elia へ。俊輔がマークに入るがうまくかわされ長谷部がマークに入る前にエリア内から放たれたショットは川島が好セーブでコーナーに。しかしこのCKからついに失点を許す。Snejider からのCKは一旦は長谷部がヘッドで跳ね返すがこぼれたところをde Jong に拾われ左サイドの Elia から中の van Persie に。長友がマークに入る前にワントラップした van Persie に左足で日本ゴールに蹴り込まれてしまった。van Persie がトラップするときに手に当たったように見えたが判定は変わらず。ついに均衡を破られてしまった。そしていくらミスをしてもやっぱりゴールを決める van Persie はさすがだと思った。

日本ベンチは興梠を憲剛に替えて投入し岡崎が左に入り本田が真ん中に入った。オランダは後半に入り内田の裏と云うよりも右サイドを突いてきたがこれは交替出場の Elia が起点になっていた。失点後も立て続けに Elia の chance make ピンチを招く。Elia は昨シーズンオランダリーグの最優秀新人賞を受賞した選手。日本も途中出場の本田、興梠に何とか…と思うも72分399秒、Snejider が真ん中から放ったミドルが日本ゴールネットに突き刺さった。右サイドの de Zeeuw から中央の Snejider がボールを受けた時マークに入った中澤がポジションがその前にいた Huntelaar の動きがすこし気になりマークが遅れたのかもしれない。 だが何度も厳しいマークに思うようにプレー出来ずにイエローまで受けていた Snejider もここで決めるところはさすがワールドクラス。この時点で日本の勝利はまず考えられなくなった。


それでもスタンドからはニッポンコールが湧く。それに後押しされる様にオランダエリア内で本田が van Persie と激しく競り合い、俊輔がドリブルシュートを見せる。76分14秒には遠藤からボールを受けた俊輔が岡崎をめがけてボールを入れ歓声があがる。しかし中盤の疲弊が激しくオランダ選手のドリブルが目立つ76分46秒には Sneijider がドリブルシュートを見せマークに入った本田の足が左足を巻き込んでしまい、Sneijider は立ち上がれない。とうとう担架に乗せられピッチから下がってしまった。 

     

そして替って入ったのが Raffael van der Vaart ( Real Madrid ) 。かつて高原と共にHSV Hamburg でプレーした選手だ。van der Vaart が入れたCKから Jan Huntelaar がシュートを放つがボールはポストの左に外れてくれた。69分50秒には
de Zeeuw にドリブルシュートを許し、72分8秒に de Zeeuw からボールを受けたvan Persie が長友を背負いながら走り込んだde Zeeuw にスルーを送りマークに入った岡崎と交錯して倒れるがここはノーホイッスル。中盤が相手選手を捕えきれなくなってきている。交替枠はあと4人、公式戦のルールから見てもあと1人残っているが日本ベンチは動く気配がない。86分23秒中盤でまたも van de Zeeuw から前線の van Persie に繋がれ左サイドの Elia に渡り逆サイドの Huntelaar に振られそのままダイレクトで撃たれたショットは日本ゴールネットを揺らされついに3点差がついてしまった。 Huntelaar はこれが代表初ゴールとなった。

      

マークに付く選手が一歩ずつ遅れを取っていたがこれが実力の差なのだろう。 ピッチの上には日が差してきた。ロスタイムは3分ある何とか一矢を報いてここで日本がオランダと試合をしたのだという証を残してほしかった。闘莉王が上がってくる。長友が必死にカウンターに対応する。本田が何とかしようと試みる。しかし日本に得点は生まれず予想されたとはいえ残念な悔しい結果となってしまった。
失点をするまでの時間帯は評価されるかもしれないがサッカーは90分のスポーツ。オランダに35分から見せたプレーを最初からされていればどうなっていただろう… 。体格、パワーこれはどうしても埋められない。戦術、個人の技術だけでは我々が想像している以上に絶望的に対抗できないのかもしれない。決定的な違いは精神的に優位に立てるということだろう。 オランダから見れば日本はFIFA ランクで35~36位程度格下の相手。反対に日本がそれくらいランクの下がる相手だとどうなのだろう?例えばオランダは欧州でも屈指の野球王国。WBCにも出場するが、WBCで日本がオランダと対戦する事になった時 我々日本国民はどういう試合を予想、想像するかを考えて見れば良い。

10月にシドニーでオーストラリアはオランダ代表を迎えるがどういう試合をするのだろう? オーストラリアは世界ランク14位。ここまでは日本も射程距離だと思う。この試合内容...何とかみたいなぁ.....

それでもワールドカップベスト4という目標は私は悪いとは思わない。NHKのインタビューで岡田監督が語っていて。先人がワールドカップに出られないと思ってサッカーをやっていたわけではない。いつか出られると信じて来た積み重ねの上の今がある。いつの日か世界の4強入りが果たせる日の為に掲げる目標なのだ。この理念、スポーツをした人ならわかるはずだ。 

しかし出来れば私が元気なうちに実現してほしい……いや、きっとできると思う。

でもオランダベンチは....余裕やったなぁ......