Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

アルビレックス、シンガポールで戦う

2005-04-24 | Football Asia
<アルビレックス新潟、Sリーグ観戦記>
仕事でシンガポールに来た。チャンギ空港に降り立つと、東南アジア独特の香辛料の臭いが鼻を突く。4月の東南アジアは連日35度を越す高温と雨季前の多湿で最も厳しい時期だが街並みはとても綺麗で、華僑系、マレー系、インド系、アラブ系そして最近は海外からの観光客も多く白人も良く見かけ、国際色豊かだ。
このシンガポールはあまり知られていないが、サッカー以外でも7人制ラグビーやクリケットの国際試合もよく行われ、旧英国領の名残がここにも。昨年3月にワールド杯一次予選で日本代表がシンガポール代表と試合をしたのは観客収容人数が少ない、小さな競技場でであったが、それは数日後にクリケットの国際大会で最大規模の競技場を使う事になっていたからだ。この競技場、おそらく National Stadium は21年前のロス五輪アジア地区2次予選の初戦、あのピヤポン率いるタイ代表に 2-5 と惨敗を喫した競技場だ。
この試合は当時NHKで中継録画されたが、開始25分でタイ相手に2失点を喫し、尚も続けて2点を追加され私はショックで翌日の大学の授業を呆然と受けていたのを思い出す。当時の日本は例年に無い寒さで、3月になってもなかなか気温があがらず雪が降る日もあり、このシンガポールとの高温度差に選手もかなりやられたらしい。従って昨年3月に日本が苦戦したのもよく分かる。
シンガポールでもサッカーは人気のスポーツだが一般の人にサッカーの話を向けても返ってくるのは衛星チャンネル等で楽しめる欧州のサッカーの事ばかりで特にイングランドのプレミアシップの関心が高い。地元Sリーグは関心がいまいち。日本からアルビレックスがSリーグに参戦している事を知る人も少ない。このSリーグ、日本のJリーグの成功にあやかってマレーシア(Mリーグ)、韓国(Kリーグ)がそれぞれリーグ名替えたのと同様にSingapore の頭文字を取ってSリーグとしている。かつてはマレーシアとシンガポールで一つのリーグを形成しお互いに切磋琢磨していた様だが、マレーシアの観客が異常にエキサイトしたり、マレーシアのクラブ同士で馴れ合いの試合などをしてシンガポールのクラブを優勝させなかったり、また八百長事件なんかがあってとうとう分離独立してしまった。
Sリーグは10チームで形成されており、アルビレックスは1勝2敗3分けの8位だ。しかし2週前には強豪の Home United を下し、今節対戦する Singapore Armed Force F.C. のキム=ポウルセン、デンマーク人監督も“Home United から開始15分で3得点を奪った攻撃力には要注意”とのコメントを。試合はアルビレックスが組織力よろしく、ボールを良く繋ぐのだが、SAFFC はこの高温多湿を考慮してか守備を固めてカウンター狙い。しかし、それが功を奏して16分に Farizal Basriにカウンターから先制を許してしまう。その後もボールは支配するのだがシュートに持ち込めない。43分には相手に退場者がでて更に優位に立つ。そして50分山田のヘディングで追いつく。さぁこれからと言う時にその5分後にタイ代表トゥアーサックのアシストから2点目を喫しまたリードを許す。タイからも何人かこのSリーグに来ているがアジアカップの日本戦で得点を挙げたタイのサティーは2週前に対戦した Home United の所属だ。 SAFFC は更に守備を固め、FWの元オーストラリア代表、ゼリッチまでもが守備に回る。DFにはブラダンというセルビア人選手もおり、この2人が大きな壁になり制空権を握られセットプレーからもゴールが奪えない。81分にはまた逆襲からアリに決められ2点差が付いてしまった。スタンドには数百人の観客がおり、チァーガール達を含んだサポーター達はこの試合展開に大喜び。だがアルビレックスも在留邦人の子供たちの“アルビレックス!アルビレックス!”の声援を受ける、ここは子供達の為になんとかもう1点をと私も声援を送る。そしてロスタイムに橋本のミドルシュートで2点目を上げる。数十人いた在留邦人達から大きな歓声が。まだ2分ロスタイムが残っている、チャンスはある。92分にはゴール前30mの所からFKを得た。GK以外全員がゴールマウスに入る。その上げられたボールから放たれたシュートはクロスバーを叩く、そのこぼれ球を拾ったショットが今度はポストに阻まれ、万事が休す。最後に見せ場は作ったが勝てなかった。下を向くアルビの選手よ、上を向け、日本で待っているぞよとスタンドから声を掛けたが聞こえたかな?
Sリーグとはいえ地元シンガポール、タイそしてオーストラリア等の代表、元代表選手がいるので、レベルは侮れない。サッカーはどこの国にもあるのだ。そしてそれを熱く応援する人々も。今から20余年前、名前は忘れたが一人のシンガポール人選手がアヤックスに所属していた事もあった。地元の人の願いは代表が五輪やワールド杯に出場することだろう。15年前、我々が願っていた様に。熱いシンガポールの夜であった。

Wカップサッカー・激闘バーレーン戦

2005-04-10 | FIFA World Cup
桜の花が満開を迎える季節ですが、仕事が多忙で執筆できずにおりました、ご了承ください。
では、しばらくぶりにサッカーの世界へご案内します。

3.30バーレーン戦を終えて
イラン、バーレーンの中東勢を相手にした2連戦から10日以上が過ぎてしまった。
今、去来する事はこの連戦で勝ち点3を得て、グループ2位につけている事だ。いくら試合内容が悪くても良くても、残るのは結果だけだ。バーレーン戦での自殺点ではやがて風化され、最後は日本がワールド杯に行けたかどうかという結果だけが残る。ということで、勝ち点3を挙げたと言う事実を肯定的に受け入れたい。

激闘バーレーン戦
25日、金日成競技場で行われた北朝鮮とのゲームプランと同様に守りを固めて、カウンター狙いで、いや、引き分けで十分な彼らはさらに守りを固めて6月の日本戦に臨むであろうと考えられた。だが、立ち上がりはバーレーンも日本陣内に入ってくる事はあった。これは日本が北朝鮮の様にかさになって攻めて来なかったからで、それはボランチに入った中田を起点にビルドアップを行うと言う約束事?が徹底されていたからではないか?実際に攻撃に転じてもボール後ろに戻すシーンが顕著に見られた。これを見たバーレーンは前線に放り込んでそこに選手がラッシュすると言う戦法を取っていた。こうして日本が低い位置でボールを奪っても、自陣ゴール前に到達するまで時間を要するので日本のカウンター攻撃が効果的でなくなるからだ。
前半の好機は28分から連続してCKを得てゴールに迫ったシーンであったが、ここではバーレーンとの身長差が露呈され、中村のFKでさえ壁に当たる事も。
後半になると、今度は三都主が開始早々から積極的に攻撃的に出てきた。これによってMフバイルの攻撃を抑える事も出来、日本が更に主導権を握るようになる。北朝鮮は伝統的に豊富な運動量から来るサイド攻撃を波状攻撃に繋げる攻撃が特徴であるが、その攻撃にバーレーンは自陣ゴール前でボールを繫がれてDFが振舞わされるシーンが多く見られたが、日本は後半に入るまでそういうシーンが見られなかった。日本は北朝鮮ほどゴール前に人数を掛けず、ゴール前に迫るシーンも少なかった。もし北朝鮮に経験の積んだストライカーがいれば、この二次予選3戦3敗と言う結果にはならなかったであろう。 後半はボランチの中田も高い位置でボールを得るシーンが増えた。それにより、中村へ供給されるパスは縦一辺倒から横パスも出てくるようになり、自身が直接攻撃にからむ展開も増えてきた。また、ボールを取られても直ぐに中田がフォローするのでカウンターを喫する事も無かった。
失点を喫するまでバーレーンのゲームプラン通りという見方も出来るが、1対1での個人差、イランの様に試合中にシステム変更がうまく機能できない等自殺点が無くとも、その後日本が得点するチャンスがあったのではと考える。日本が交代選手で攻撃カードを増やせば更にチャンスはあっただろう。自殺点のシーンも中村のFKから中澤らDFが上がりゴール前に人数を掛けていた事も見逃せない。ただ、期待のFW陣も高原が後半20分に得意の横の動きからシュートを放ったが、これがこの2連戦で初めて高原が見せた持ち味で、FW陣の奮起が課題である。久保の怪我の回復、大久保の合流を待つしかないか?
だがこの勝利で、日本が次のアウェィでのバーレーン戦を優位に戦える。バーレーンは勝つしか無い。北朝鮮戦では2得点のフセイン・アリも中澤の敵ではなかった。そして中村の裏技から警告を受けたババそしてDFのMフセインは次回、累積警告で出場停止だ。ただ、アジア杯で日本相手に2得点を挙げたアルー=フバイルが本当に6ヶ月も怪我で戦列を離れるのか?私の掴んだ情報では6週間となっており、6月の日本戦には出場可能なのであるが?
日本も代表での“ボランチ中田”と言う新兵器を見つけた。後はFW陣の奮起だ。昔の事を言うのは恐縮だが、子供の時見た釜本のシュートはテレビ画面を通しても弾道が見えなかった。
今、日本は山頂が見えている状態だ。6月にはその頂に登りつめている事を願う。

さて次回は、サッカーの話題を離れて他のスポーツのお話をしたいと思います。ご期待ください。