Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

5大会連続出場に王手 !! Malaysia U-23 0-4 Japan U-23 22nd Feb.

2012-02-29 | 五輪 U-20, U-17
2月25日、起床するや否やスマホで AFC のサイトをアクセスした。 約4時間ほど前に終了したはずのバーレーンの首都 Manama で行われた Bahrain U-23 と Syria U-23 の試合結果を調べる為だ。
そして私の目には Bahrain 2-1 Syria の文字が飛び込んで来た。

Bahrain は Mohamed Tayeb Al Alawi の2ゴールで Syria に2-1 で勝利を収めた。
Al Alawi は前半12分に先制ゴールを決め、86分にシリアの交替出場選手 FW Ahmad Aldouni のゴールで同点に追いついたが
終了直前再び Al Alawi のゴールで再びリードを奪い、勝点3を挙げ勝点でシリアと並んだと報道されていた。
この試合結果により最も恩恵を受けたのがマレーシアを 4-0 で破った日本でシリア、バーレーンに勝点で3上回り、しかも得失点差で大いに優位に立つ事となった、とも書かれていた….

この結果は本当に多くの日本人を安心させた事だろう。私も日本がマレーシアを破った後よりもこの試合結果を知った時の方が嬉しかったし、大きな安堵感を憶えた….まだ予選は終わっていないけど…



2月初旬シリア相手にショッキングな敗戦を喫した後、マスコミはこぞって“日本は崖っぷち。” “大量得点しかない。”ってな
見出しや“合言葉”が発信され続けた。 山崎、山田、清武らが怪我で離脱していく事でその危機感を煽ってばかりだった。
何点をもって大量得点とするのかは誰も定義しない。それよりも日本が“大量得点”を奪っても対抗馬であるシリアの最終戦は“ホーム”でのマレーシア戦。日本以上に得点を挙げられることも充分に考えられる。ならばなぜ同じ第5節で行われるバーレーン対シリア戦の事を誰も触れないのだろう? まだまだ真のスポーツジャーナリズムが根付くのは遠いと思ったし、その方が自分で色々調べる必要が生じて面白いだろうなぁ….と思うのである。

マレーシアの地と言えば90年代以降は日本サッカー界にとっては“縁起”の良い地であろう。28年振りに五輪出場を決めた最終予選が行われたのがKuala Lumpur のシャーアラーム競技場。 そして初めてワールドカップ出場を決定した地がジョホールのラルキン競技場だった。
マレーシアは一時日本よりも“サッカー先進国”。アジアの列強を招いて Merdeka Tournament が60年代から行われたり、競技場も Merdeka Stadium 、シャーアラーム競技場等日本の国立霞ヶ丘競技場クラスの立派な競技場が建てられていた。
そしてこの五輪予選で使われたBukit Jalil Stadium は 2007年のAsian Cup で使われたがここも周囲には公式の Field Hockey 競技場もある素晴らしい Sports Complex の中にある。
今、もしマレーシア代表チームが70年代の様に韓国も日本も打ち破るだけの実力を維持しておればこの国のサッカー人気は計り知れないものになっているのではないかなぁ…..いつも私はそうおもうのだけど。今はマレーシアでサッカーと云えば Premiership の話題ばかりだ。

注目のスタメンは

怪我人が“続出”する日本 U-23 は GK 権田、 DF ラインは前節シリア戦と同じスタメンであったが中盤から前は負傷者もありかなり替えた。山口蛍と組むボランチはシリア戦では途中出場だった扇原が11月のシリア戦以来2試合振りにスタメンに。ワントップは永井ではなく大迫。高温多湿で試合が進むにつれて相手の脚が止まって来た時に永井のスピードを生かすのではと思われた。2列目は左に原口元気がホームのマレーシア戦以来4試合振りに起用され、前節シリア戦では2列目右だった東がトップ下に。そして2列目右には斉藤が今大会初起用された。 
シリア戦のスタメンとはかなりメンバーが替ったが9月のマレーシア戦と比較すると斉藤と左 SB の比嘉以外の9選手がスタメン起用されていた。

ホームのマレーシアは前節バーレーンに敗れグループ2位以内の可能性も無くなった為かこの試合はメンバーを大きく替えて来た。
最終予選初登場でボランチに起用された Muhammad Nazmi Faiz は17歳。他にも3選手が前節ではスタメンで無かった選手だったがその3選手、 CB Mohammed Fadhli, MF Mohammad Faudi , FW Thamil Arasu は9月の日本戦に出場した選手達。他にも20歳のMF Wan Zaharu Inizan Zakaria をはじめ合計7人の選手が9月の日本戦経験者だった。
前節バーレーン戦で同点ゴールを決めた FW Ahmad Hazwan Bin Bakri はベンチにも入っていなかった。
注目は GK Khairul Fahmi Bin Che Mat. A代表でもゴールを守ることもしばしば。9月の試合でも日本に26本のシュートを浴びながら失点を2に抑えた。彼からはそう容易に大量得点は取れるとは思わなかったが... 
また今年から始まる AFC U-22 大会に向けて GK Khairul Fahmi 以外は20歳以下の選手を多く登用していたらしい。
この AFC U-22 は2016年リオ五輪以降はアジア地区の五輪予選も兼ねるらしく私は非常に楽しみにしている大会だ。

先制 !! そして追加点 !!

日本のキックオフで始まった試合は地元のサポーターの歓声も高くその声援に押される様に開始80秒、左 SB ④Muhammad Zurib からのロングフィードが FW ⑭ Ahmed Shakir に入る。オフサイドの笛はならずあわやのシーンであったがシュートまでは撃たれなず事な気を得た。もしここで決められていればけっこうパニックが起こったのではないか….
その後も柔らかいピッチに脚を取られてか3分4秒には原口から大迫へのスルーパスは長すぎてGK Fahmi が難なくキャッチ。4分46秒には斉藤から送られたパスが大きく跳ねて大迫の足元に収まらない。 キックオフ時の気温が 28.9度、湿度 72% 。“極寒”の日本からやって来た選手達(酒井も寒いドイツから)には堪える気候だっただろう。だから相手が主導権を握る前にペースを掴んで欲しいと願った。 
立ち上がりはマレーシアの守備陣の頑張りが目立った。守護神 Fahmi は7分44秒、山口が放ったシュートが相手DFに当たりこぼれ球を斉藤が拾い放ったショットを左に飛んでナイスキャッチ。16分28秒にも酒井のシュートをファインセーブで防げば、8分14秒東からボールを受けた原口に ③Zurid, CB ⑮Mohammed Amer がマークに入りCKに逃れ得点を防ぐ。 11分32秒には大迫がスローインを受けた扇原が入れたクロスに ③Zurib, ④Fadhli と競りながら放ったヘッドでゴールを狙うが僅かに外れる。
11分32秒には今度はマレーシアが攻撃に転じ ⑰Mohamad Faudi からボールを受けた FW ⑯Thamil Arasu がポスト役になり走り込んで来た 17歳のボランチ ⑫Nazmi Faiz に戻しシュートを引き出すがゴールの右に外れて行った。 
マレーシア選手が日本ゴールに近づくと大歓声が沸く。そして開始から“マレーシア! マレーシア!”と声援が絶えない。マナマでのバーレーン戦よりも観客のボルテージは高いのではないかと思った。



しかし18分マレーシアにアクシデントが起こる。 右 SB ⑤Mahalli Bin Jasulが倒れて起き上れない。 結局 ⑬ Affize Faisal Bin Mamat と交替せねばならなかった。 この交替はマレーシアベンチにとっては想定外だっただろう。 以降は地力に勝る日本が優勢に試合を進める。しかし大迫のループ気味の正面からのミドルシュートが外れる等マレーシアゴールネットが遠い。 そんな中23分には酒井の権田へのバックパスが弱くそれを追い掛ける ⑯ Arasu が最後はスライディングで迫り権田と交錯しそうになる。 立ち上がりにも似た様なシーンが見られへんな形で失点しないか時間が経つにつれて少し心配になった。
34分、右サイドMF⑧ Zaharulnizam Zakaria からパスを受けた ⑫ Nazmi Faiz が中にロブを送ったところを酒井がヘッドでクリアーすると大迫が更にヘッドで落とし斉藤が拾う。そして中央を上がった東にボールが渡り、前線に走り込んだ原口にスルーパスが通る。⑮ Amer がマークに入りボールが原口の足元を離れ右に流れたところを走り込んだ酒井がマレーシアゴールに蹴り込み待望の先制ゴールを挙げた。 GK Fahmi は原口がシュートを放つと予測していた様だった。そしてようやく決まった先制ゴールだった。



しかしシリアがアウェーのマレーシア戦では 2-0 で勝利している。 1-0 でまだ不充分だと思った。ただマレーシアもゴールを上げないとはこの時点では言えなかったけど。
36分22秒には原口からボールを受けた東が放ったショットがポストの右に外れるとその2分後今度はの ⑦ Mohad Irfan のスルーパスを酒井が追い付かずに ⑯ Arasu に通る。しかしここは権田がストップ。40分4秒には酒井が ⑭ Shakir へのチャージにイエローが出されFKが与えられる。FK はともかくイエローは厳しいなぁとこの日のUAE人の Mohamed Ismail Alzarooni主審 に対して思った。そのFKは ⑭ Shakir がゴール前の ⑯ Arasu を狙って入れるが鈴木がマークに付いてシュートを撃たせずそのままGK権田が掴んだ。それでもマレーシアが攻撃を始めると大歓声が後押しをする。
何とか先に次のゴールをと思っていた43分27秒、酒井への ③ Zurib のチャージがファールにとられFKを得る。その FK に大迫が ④ Fahdi のマークを受けながら放ったヘッドがマレーシアゴールに突き刺さり貴重な追加点が決まった。 しかも前半終了間際の良い時間帯であった。 これでバーレーン戦から4試合連続で前半終了間際にゴールが決まった。それがこのチームの強さかもしれない。 そして大迫はこの五輪予選初ゴール。 それも意味のあるゴールだった。

早い時間に追加点。しかしもう1点取れ無かったかなぁ….

後半に入り気温、湿度は下がったのだろうか…と気になる。今年の日本の冬は寒かったからなぁ….
46分大迫が⑮ Amer と空中戦で競り合った後に頭部を地面に叩きつけてしまった。 その後大迫は数度プレー中に座り込むシーンがあり 59分に永井と替ってベンチに下がった。 
49分に酒井が ③ Zurib ⑰ Fandi をかわして中央の東にパスを通し更に折り返したところは GK Fahmi にキャッチされた。DFラインは簡単にかわせても GK Fahmi を破るのはやはり容易ではない。 しかし55分、3点目が決まる。右サイドから酒井が上げたクロスにファーサイドから飛び込んだ原口がボレーを叩きこんだ。 “謹慎明け”の原口にとっては嬉しいゴールだっただろう。
中央でダミーとなって飛び込んだ大迫が CB ⑮ Amer と GK Fahmi を引き付け原口を楽な態勢でシュートを撃たせた。
更に5分後の60分には比嘉からのパスを受けた扇原のシュートをGK Fahmi が一旦は弾いたがこぼれ球を斉藤が押し込み遂に4点差となった。 4失点目を喫した GK Fahmi の悔しそうな表情が印象的だった。ここまで必死に孤独のゴールを守って来たのだけど….



後半に入って日本は斉藤が中に入って来る様になった。そして酒井が何度も上がって来る様になった。 そしてこの試合ではトップ下に起用された東が何度も攻撃に絡んだ。 シリア戦では右サイドで起用され対峙する Omar Al Suma, Mohammed Fares の攻撃の前に前線に出て来る機会がそれほどでもなかった。 またボランチ扇原も守備から攻撃に転じる時の起点に何度もなっていた。前の試合で起用されなかった選手がしっかりと結果を出していた。
マレーシアイレブンの脚は4失点目を境にがっくりと止まってしまった。 55分に MF ⑧ Zakaria が怪我で下がった事も影響したと思われるが個人能力からしても攻撃時は数的優位を保たねばならないのに前線とDFラインが間延びしてしまい攻撃に転じてもシュートに持ち込めずゴールはますます遠のくばかりであった。 
選手のポジションも時間が右サイドの選手が中央や左サイドに出て来る事もだんだん増えて来たがそれは時間が経つにつれて能力の高い選手の個人能力に頼る傾向となった為の様であった。同じ選手ばかりが特に攻撃時に絡んでいた様だった…



日本は予選突破も考えるとまだまだ追加点が欲しいところであった。濱田のヘッドはクロスバーを越え、東のシュートはサイドネットを直撃。 頑張っていたDF陣も最後のマークが徐々にずれて来た。 85分には5点目の決定的なチャンスを迎えた。
右サイド酒井から永井に縦パスが通るそして⑦ Infan を振り切り入れたクロスに交替出場の杉本がヘッドで合わせる。 GK Fahmi を破るがゴールに戻った CB Amer がクリアーし5点目は阻止された。

終了間際にはマレーシアも意地を見せ86分46秒には交替出場の⑪ Syhrul Azwari Bin Ibrahim がドリブルで長躯右サイドを上がるが最後はボランチ山口がマークに付きクリアー。 91分32秒には CK から ④ Fadhli がフリーでヘッドを放つがゴール枠を捉えられない。
そしてMohamed Ismail Alzarooni主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。 



日本が快勝だったと思えたのは翌日のバーレン対シリア戦の結果を知ってからであった。 むしろ終了直前の決定機を逃した事の方が気になった。 シリアならホームで(とはいってもヨルダンで行われるのだろうけど)ならマレーシア相手に4点くらい取りそうだなぁ..と思い続けていた。
4年前も第4戦、アウェーのカタール戦で終了直前のPKで敗れた次のベトナムとのアウェー戦で 4-0 で勝利を収め最終戦のサウジアラビア戦を引分け北京五輪出場を決めた。

次節、国立競技場でのバーレーン戦で五輪出場を決めてくれる事を願う。

その頃にはもう暖かくなっているだろう。それにしても今年の冬は強烈な寒さだ。 

もう地球温暖化の妄言を吐く専門家も見当たらなくなって来たなぁ… 今日は雪が降って来たぞよ。



終了直前 手痛い 失点そして敗戦…. Syria U-23 2-1 Japan U-23 5th Feb., 2011

2012-02-15 | 五輪 U-20, U-17

あと数分だった。数分凌げば勝点1が入りロンドン五輪に大きく前進するはずだった。
87分シリアベンチは FK の名手 Mohammed Fares を外して FW Mohamed Wael Alrefai が投入されてた。イラクベンチは11月の国立競技場での試合も終盤に Fares を“ベンチに下げてくれた“。 そしてこの時も相手の”飛び道具“がベンチに下がり安心をした。 87分54秒、左 SB Yasser Shahen が入れたロングスローを跳ね返し、88分30秒、今度は左SB の Mohamuad がロングスローを入れるとそのまま日本ゴール正面に抜けて来る。あっ..と思ったがここもクリアー。 そしてクリアーボールがシリアの選手に当たってからCB Al Salih Ahmed の前にこぼれる。 Al Salih はヘッドでトラップしてボールを前に押し出し、日本ゴール前に放り込む態勢をとる。あぁちょっと入れられたら危ない、誰か当たりに来ないと…と思うと山田があわててマークに入るがそれより一瞬早く Al Salih が蹴った弾道がそのまま吸い込まれる様に日本ゴールネットに突き刺さってしまった。
狂喜乱舞するシリア選手達。 スタンドからは“スゥリアァ !! スゥリアァ !! “ と国名を連呼するサポーター達の歓声が響く…
この試合でイエローカードを受け次の試合は累積警告で出場できない Al Salih の意地の一発だった。

これでまたシリアがリードをした事に….

テレビ画面では呆然とするGK権田が映し出される。しかしまだ時間は数分あるはずだ。同点に追い付くチャンスだって…
左サイドをドリブルで上がった永井が入れたクロスにファーサイドで大迫がヘッドで狙うがシリアDFがクリアー。 競り合いで交錯したのかボランチの Solaiman が倒れて起き上らない。 しかし本当に Thaer Krouma と替ってベンチに下がってしまった。 
92分50秒。東が倒されてFKを得る。最後のチャンスになるかもしれない。山田と扇原がボールに寄る。直接狙うには少し遠すぎる。山田が前線で張っていた比嘉にゴロのパスを送るが比嘉の手前でイレギュラーしシュートが撃てない。右サイドに走り込んだ鈴木に送りそこから送られたクロスに永井が飛び込むが GK Ibrahim Alma がしっかりとキャッチ。そのままゴールラインを踏んだかもしれないけど…. 今度は Alma がボールをタッチラインの外に出して倒れて立ち上がらない。 まだ時間はあるかな…..と思うもようやく試合が再開され、入れたスローインはシリア人選手に奪われそのまま大きく前に蹴りだされ、シンガポール人の Abdul Bashir 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。   あと少しだったのになぁ…..手痛い、失点そして敗戦となってしまった….



11月の国立で劇的な勝利を収めロンドン五輪に向けて一歩前進した日本五輪代表チームはこの予選最大の山場となる“アウェー”のシリア戦に臨んだ。 政情不安のシリアでは試合が出来ないのでシリアのホームゲームは全て隣国ヨルダンで行われる。
大一番と云っても東京で勝利を収めているので勝たねばならないのはシリアの方で、日本は引き分けでもロンドンへ大きく近づく事が出来たのだった。
11月のバーレーン戦、シリア戦で活躍した大津が招集できない。欧州組と云うよりもシーズン中の選手を呼べない事の方が厳しくは無かったか…しかも試合直前に清武が怪我で離脱。 この大事な一戦を前に…思えばこの時点で災難は始まっていたのだろう。勝たねばならないシリアは11月の日本戦のスタメンからメンバーを2人替えた。CB を Mohammed Dass からAbdu Al Nasek Hasan に。そして交替で出場した Mardek Mardkian が Nassouh Nakkdahli に替ってスタメン起用された。 11月の日本戦で途中から入ったMardkian はなかなか良い動きを見せていたので要注意だった。だけどあの時は FK 得意のMohammed Fares と交替で投入されてたので Fares と交替で下がった事の方を喜んだ。
日本はこの日は永井がワントップに入ってスタメン。大迫がベンチスタート。山口蛍と組んだもう一人のボランチは扇原ではなくて山村。 大津に替って山崎が2列目左でスタメン起用された。 大迫はいつ投入されるのだろう…とキックオフの前に思った。



さすがに中立開催地。観客は少ない。熱心な日本からのサポーターと在留邦人は何人くらい来ていたのだろう….
そしてこちらも在留だろう。シリア人も100人くらいいたのかなぁ….大きな声でそして Asaad 大統領の顔写真の入ったシリア国旗を打ち振る人達も….わざわざシリアから応援に….とは考えにくいなぁ…

観客が少ないとかえって試合への集中に時間が掛かるらしい…とこの日のNHKの解説をした宮本元代表主将は話していた。
コイントスで勝った日本は太陽の角度を考えたらしくコートの方を選択した。 そしてシリアのキックオフで始まった試合は立ち上がりから“ホーム”のシリアが早くそして強い当たりで前に出て来る。勝たねばならないのはシリアの方だからそれは当然だった。
開始56秒最も警戒するべくエース Omar Al Suma から Mohamad Al Mawasにスルーパスが入る。比嘉が追掛けるがその前に Al Mawas が転倒しPKが与えられるのではと案じられたが、ここは Al Mawas が足をとられたとの事でホイッスルは鳴らない。
4分6秒には相手ゴールキックを酒井がヘッドで落とすがこれがシリアの Mardkina の前に転がりそのまま拾われシュート体勢に入られる。酒井が後方から追掛けシュートに入る前に Mardkina は転倒するがここもノーホイッスル。酒井のプッシングを取られても…と云うシーンだった。 シリアは12分50秒にも Al Suma が浮球を上手くコントロールしてシュートを放つなど序盤ピッチコンディションとなかなか試合に“入れない”日本イレブンを圧倒するかのような積極性が目立った。
そして14分26秒。スローインを受けた鈴木が前線の山崎にロングフィードを送ると山崎は Yasser Shahen と競り合って落ちた時に腕を傷めてそのまま立ち上がれない。 結局そのままベンチに下がりこの時点で早々と大迫の登場となった。

  

ちょっといやな事が続くなぁ…と思うと試合再開後に Al Suma が力強いドリブルで上がる。そこを山口と比嘉が挟み込むように倒してFKを与える。 距離はあるので直接は狙わないだろう。 Al Suma, Mardokian らのマークは…と思っていると Mohammed Fares が蹴ったFKはそのまま日本ゴールに入ってしまった。 クリアー仕様とした大迫の頭にかすって僅かにコースが変わり、悪いゴール前のピッチで変に弾んでGK権田が抑えきれなかった。
スタンドからが“スゥリアァ ! スゥリアァ ! “ とシリア人達からの歓声が飛ぶ。 不運と云えば不運だけど、開始からシリアの2列目は高い位置を取り中盤でも日本はなかなかボールがおさまらず試合に入りきれない日本イレブン達の隙を突かれた様な失点だった。
失点で目が覚めたか日本選手達も動きが早くなって来た。そしてなかなか上がれなかった東が前に出てこられる様になった。それは相対する MF Fares と SB Mohammed Zbida が出てこなくなったからだ。 そして酒井も前に出て来るようになった。
それでもシリアは Zakairia Al Omari, Solaiman と云ったボランチが攻守に良く動き中盤でのパス交換に絡み日本のマークを外して来る。また日本がシーズンオフと云う事もあって一歩の出だしがシリアの方が早い。 酒井や東が上がった後ろのスペースにボールを入れて来るようにも思えた。
31分には Al Suma と Mardkian の2人で一気に日本ゴールに迫る。 39分にはカウンターから左サイドに流れた Mardkian に
ボールが入りいれたクロスに Al Suma がオーバーヘッドで狙うがここはGK権田の正面に。 シリアのFW  Mardkian と Al Suma の2人でやられ過ぎだなぁ…と思う。
特に Al Suma 止めるのにマークが2,3人は必要だ。 この試合の後に行われた Kuwait Permiershipではゴールを決めて所属先の Al Qadsia に勝利をもたらしている。

劣勢の日本は41分にようやく永井から右サイドに上がった山村にフォードが入りヘッドで中に折り返したところを大迫が CB Al Salih を背負いながらシュートを放つがポストの右に外れて行った。この試合初めて見せた攻撃だった。
まぁこれ以上失点してくれなければいいか….と思った45分中盤でボールを受けた大迫が前線に走り込んだ永井にスルーパスを送るとフルスピードで走り込んだ永井が CB Abd Al Naser Hassan のマークを振り切り逆サイドを狙ったシュートがそのままシリアゴールに決まりロスタイムに入って同点ゴールを決まった。 大迫の見事なスルーパスそして永井の走り込みであったが、それよりも同点にした時間帯が最高であった。 
そして前半は 1-1のまま終える事ができた。内容はともかく、日本にとってはこの時点で最高の前半だった。だけど同点にしてから1度ピンチも迎えた…



日本のキックオフで始まった後半も立ち上がりは49分にカウンター攻撃から大迫、永井と繋いでシリアゴールに迫った以外はシリアが攻勢に出る。 51分には Solaiman から Al Mawas にパスが繋がり比嘉がかわされシュートに持ち込まれるが山口がクリアー。そしてそこには Mardkian が詰めていた。その直後のCKも一旦はクリアーするがスルーパスを通され Al Suma にシュートを撃たれるがGK権田がストップ。60分にはPAのすぐ外しかも正面で濱田が Al Suma に入れたチャージがファールに取られてFKを与えてしまう。 シリア選手達が日本ゴールに迫る度にスゥリアァ、スゥリアァと歓声を送っていたシリア人達の歓声がひときわ高くなる。彼らの家族は無事なのだろうか…
この危ない位置からのMohammed Fares のFKは日本選手の壁に当たり事無きを得た。 
69分久々 CK のチャンスを得た日本はファーサイドに鈴木がヘディングで狙うが叩きつけたヘッドはやや弾み過ぎて惜しくもポストの左に外れて行く。 55分過ぎから日本もボールが回る様になったがなかなかラストパスが通らない。こういう時はセットプレーで…と期待はするのだけど…
72分。勝たねばならないシリアは FW Mardkian を下げて 11月の日本戦ではスタメンだったNassouh Nakkdahli を投入すると75分に日本ベンチはボランチの山村に替えて扇原を投入した。 これで日本にボールのおさまりどころができた様で次第にペースを掴み出す。78分には山田から永井にスルーパスが通るがここは Yasser Shahen がクリアー。80分には扇原からパスを受けた山口が中央の山田にボールを送る。壁パスの様に山田が右に走り込んだ大迫に送り大迫はファーサイドを狙ってシュートを放つが惜しくもゴールポストの僅かに左に外れて行った。 これで決まれば大きくロンドン五輪に近づいたのだけど….
82分には永井がドリブルシュートを見せるが惜しくもクロスバーを越える。 それでも終盤になって日本のペースとなり、得点は入らなくても良いからこのままシリアを抑えてくれれば。勝点1が入れば予選突破が大きく開けてくる…そう思いだした…..

ショックの残る負け方だった。これでシリアが蘇生してしまった。
前回、北京五輪でも確か4試合目はアウェーのカタール戦で終了直前にPKを与えて敗戦を喫した。しかし続くベトナム戦では 4-0 で快勝を収め最終戦のサウジアラビア戦を引き分けて五輪出場を決めた。
幸いなことにシリアが次に対戦するバーレーンはマレーシアを破り勝点6となった。これでバーレーンのモチベーションが上がる中、次節はホームにシリアを迎える事となる。 
またこの試合には敗れたがシリアとの直接対決は1勝1敗得点、失点が3ずつなので当該同士以外の対戦成績が結果を左右する事になった。 こうなると次のマレーシア戦はアウェーとはいえシリアがアウェーのマレーシア戦での戦績 2-0 以上の勝利が要求される。 山田が怪我で離脱の報道が入って来た。 欧州組は招集できるのだろうか….清武は起用できるのか….

心配は尽きないが結果を出してくれる事を願う。でもマレーシアは昔はと良かったんだよなぁ….( また云ってしまった。)

だけどシリア国内の情勢はどうなるのだろう?国連の制裁決議案は中国、ロシアが拒否権を発動し、英国をはじめ西側の報道は連日政府軍の砲撃で何人の死者が出た...と報じられている。こういう国だからこそ五輪出場は必要なのだろう...だけでプレーオフで勝ってくれよ。






そして私はシリア戦の翌々日39度の熱が出た。1日で回復し、医者にはインフルエンザではなく風邪と診断された。

あぁ良かった

Daiki Ito 札幌で快挙

2012-02-12 | 冬季五輪
1月29日。楽しみにしていた FIS World Cup Ski Jumping 札幌大会2日目のテレビ中継。2日目は中継は民放だった。
この日も前日に続いて HS134 。もう 70m 級、いやNormal Hill はやらないのかなぁ…と思った。

札幌の 70級、忘れもしない子供の時に見た札幌五輪の日の丸飛行隊の表彰台独占…あれを見て“俺もオリンピック選手になりたいなぁ…” と思った。 全然届かなかったけど。



あの 70m級は宮森シャンツェで行われ、そして90級がこのワールドカップでも使われた大倉山で開催された。その90m級ジャンプは確か学校が休みの日に行われ、トライアルから中継された。1回目で2位に着けた笠谷選手の2回目が待ち遠しくてたまらなかった。 優勝した70m級が行われた時は学校がありその快挙は帰宅してからニュースで知った。それだけに目の前で金メダルの瞬間が…と期待していた。しかし2回目は振るわず7位に沈みものすごくがっかりしたのを憶えている。

前日は1回目トップだった伊東。この日の1回目は前日第3位だったStoch Kamil ( Poland ) 115.3 , Peter Preva ( Slovenia ) 112.5に続いて 109.0 で3位だった。
Word Cup ポイント首位の Andreas Kofler ( Austria ) 105.8 は5位。Anders Bardal ( Norway ) 86.0は25位。Thomas Morgenstern ( Austria ) 101.6 は 6位だった。札幌の雪質は欧州と異なるのかワールドカップポイント上位陣は ポイントを伸ばせなかった。 100.0 を越えたのは7位の Rune Velta の100.2 までだった。前日は1回目上位18位までが100.0 を越えたがそれは Gate の違いがあったからかもしれない、と思ったら 28日は7,8番ゲートが使われ 29日は10,11 番ゲートが使われた。
28日は“ Large Hill でこれだけ低い位置から飛び出した事は記憶にない….” とテレビ解説者に云わしめる位置だったらしい。
それだけ大倉山シャンツェは難しいのかもしれない…
そして Kamikaze 葛西は33位で2回目に進めなかった。 長野五輪の英雄岡部も47位に終わった。葛西は1回目30位のKrzystof Mietus ( Poland ) とは5ポイント差。距離にして約 3m 差だった。しかし今後の奮起に期待したい、と思った。

2回目が始まり、1回目あまり良い風を貰えず16位に留まった Slovenia の Peter Prevc が 129.5m を飛んだ。しかも Window Compensationは僅か -9.1 だったのでトップに出て来た。前の週、Poland の Zakopane 大会では6位と4位に入った選手だ。
そしてその3人後に飛んだ竹内拓が128.5m を飛んだが残念ながら Prevc は抜けなかった。結局竹内はこの日は8位に終わったがいつ表彰台に立ってもおかしくない選手となったと原田解説員は連呼していいた。
1回目11位の Vegard Houkoe Sklett ( Norway ) が2回目に 131.5m を飛び Prevc を抜いてトップに。 
今シーズン前半は Continental Cup に出場をしていた選手。 Norway も人材に事欠かないなぁ…と思う。 
その後に飛んだ選手はなかなか距離を延ばせない.。1回目8位、前日 0.1pt 差で伊東に優勝を譲った Anders Bardal ( Norway) は2回目115m に終わりこの日は 14位に留まった。
1回目6位だった昨年のワールドカップ総合王者 Morgensternが登場した。昨日は16位に終わっているが2回目の跳躍次第では上位に食い込める。しかし向かい風僅か 0.79m の中 123.5m に留まりこの時点で4位。最終的に竹内に続く9位に終わった。 
そして1回目5位の現在ワールドカップポイントトップの Anders Kofler ( Austria ) が出て来た。1回目は向かい風 0.27m の中 122.5m に留まった。2回目も風はあまり良くなく向かい風 0.6m だったが 135m まで距離を伸ばし2人の審判員が飛型点 19.0 を出した。そしてこの前まで 220.8 で首位だった Sklett を抜いて 241.3 でトップに立った。 この風でここまで飛んでくるのか…
さすがだなぁ…と思う。
こうなると伊東を含めた残り4選手の心境はいかに…だ。 次に飛んだ Roman Koudelka ( Czech Rep. ) は気負ったか 129m 。総合ポイントも 220.8 で Kofler を抜けず、この時点で2位。最終成績は4位だった。 今シーズンはまだ表彰台に立っていない。チャンスだったんだけどなぁ…昨日も5位だった。
そして1回目3位の伊東大輝が登場した。 お起きた期待を受けての2回目のトライアル。 飛び出しはあまり高くは見えなかったがランディングバーンが近づけば近づくほどぐんぐん距離を伸ばす大飛行。 飛距離は Kofler の 135m を越して 137m 更に飛型点も4審判が 19.0 を出した。 案じられた Window Compensation を含めても合計134.7ポイント。総合 243.7 pt で Kofler を 2.4pt 上回り首位に就けた。この時点で表彰台も決まった。 



こうなったら不謹慎だけど続く2選手のジャンプは…と思ってしまう。 その願が通じたか?1回目2位の Richard Freitag ( Germany ) はK点越えがやっとの 120m 。もっと飛ぶかと思われたけど失速してしまい最終的に6位に終わった。前日も1回目5位に就けて2回目伸びずに8位に終わった。 前の週の Zakopane 大会では2日間とも2位だっただけに狙っていたんじゃないかなぁ….
そして1回目トップの Kamil Stoch がスタートに入る。 1月20日の Zakopane 大会初日で地元優勝を果たした。翌日は7位に終わったが。 12月3日 Lillehamer 大会で3位。 12月18日のスイス Engelberg 大会では2位。前日も伊東、 Bardal に続いて3位に入った実力者2週連続で優勝する為には、伊東を上回る為には1回目飛んだ131.5m よりも飛ばねばならない。その飛行は 130m を越えたが飛型点で4審判が 18.5 を出した。そして最終成績で….. 2位と出て伊東の連勝が決まった。
やった~。良かった~…と声を出して喜んだ。  札幌で2連勝。 あの笠谷選手でも出来なかった快挙だ。この二日間。なんて幸せな気分に浸れたのだろう…



札幌五輪以来ずっと興味を持ってジャンプを見続けて来た。 欧州勢に唯一対抗出来るのは日本勢かカナダの Horst Bulau くらいだった。ワールドカップ、世界選手権で上位に入ると日本が勝ったと言うよりも欧州勢を破ったと言う事が嬉しかった。勿論オリンピックでも。 
長野の栄光は翌年オーストリア Ramsauで開催された世界選手権 LH で表彰台を独占した事でピリオドが打たれた。
以降、2003年イタリア Vel Di Fiemme で開催された世界選手権にて Kamikaze 葛西が1人気を吐き L120, K95 でそれぞれ銅メダルを勝ち取った以外、五輪、世界選手権でのメダルは 2007年札幌大会、 2011年 Liberec 大会での Team Jump の銅メダルのみ。
ここ数年、世界のジャンプ界ではオーストリア勢とポーランドの Adam Malysz らがジャンプ界のハリーポッターことスイスの Simmon Ammann を追い掛ける、そこにドイツ勢、ノルウェー勢のかなから好調だった選手が“参戦” すると言った状況だった。
ワールドカップでは日本選手がたまに Top 10 に入ってくる事もあったが驚愕なのはかつての王国フィンランドの凋落。
トリノ五輪 NH で Hautamaeki が銅メダルを勝ち取って以来、目立った戦績は世界選手権札幌大会 HS134 で2位に入った Olli Harri くらいだ。
昨シーズンが終了し Malysz が引退した。 残念ながら札幌五輪 LH でWojciech Fortuna が勝ち取って以来の金メダルには手が届かなかった。 Simmon Ammann の壁は高かった。最後の地元 Zakopane でのワールドカップで Kofler, Ammann を抑えて優勝した時は嬉しかっただろう…。しかし彼の出現は Fortuna 以来30年間眠り続けていたポーランド Ski Jumping 界を掘り起こさせるものだった。そして五輪金メダルの夢は Kamil Stoch に託されている。



Simmon Ammann はバンクーバー五輪のシーズン以降また飛距離が落ちている。 目立ったのは 2011年 Osloでの世界選手権 HS134 で Schlirerenzauer , Morgenstern に次いで3位に入った事くらい。この時でも3位 Morgenstern とは30pt 以上も開けられた。 今年の札幌大会は参加しなかった。2010年大会は優勝を果たした…



今シーズンも強いのはオーストリア勢。 Kofler ( 1) Schlierenzauer ( 3 ) Morgenstern ( 4 ) らが上位に並ぶ。そして2位には Anders Bardal ( Norway ) が3強に食い込んでおり Norway 勢は11番目に Vegard-Haukoe Sklett が入っている。
5番目に Stoch ( Poland ) ドイツ勢 , Richard Freitag ( 6 ) Severin Freund ( 10 ) スロヴェニア勢 Robert Kranjec ( 8 ) Peter Prevc ( 13 )  チェコ勢 Roman Koudelka ( 9 ) Lukas Hlava ( 15 ) が。そして伊東は大会直前は10位だった。
今回の札幌大会ではTOP15 の中から3位の Schlierenzauer と 12位の Ammann 以外は全て参戦してくれた。

午後4時半にスタートした札幌大会の初日。3番目にベテランの岡部が登場した。飛距離は 112.5m . 33位に終わり6.8pt 差で2回目に進めなかった。 しかし Kamikaze 葛西は1回目に 126m を飛び 17位に入り、2回目のトライアルに進んだ。
39番目に飛んだ竹内拓は 110.5m 92.9pt とK点にも届かなかった。風が悪すぎた。この時点で18位。1回目は26位になり何とか2回目進出を決めた。
伊東の1人前の Prevc が 111.5m に留まり 35 位に沈み2回目に進めなかった。 ここまでのトップは何と10番目に飛んだ
Anders Fannemel ( Norway ) 。 131m 123.8pt の素晴らしい跳躍でこの前までトップだった同じ Norway の Andreas Stjernen を一気に 36.5 pt も上回ってしまった。 2人とも Continental Cup 転戦組で1月20日の札幌大会にも出場しそのままここの留まりワールドカップ挑戦権を得た。
Norway 勢の選手層の厚さが見られる。
しかし伊東は134m 123.9pt の大飛行で Fannemel を抜いてこの時点でトップに立つ。大倉山に大歓声が沸き上がる。久々に日本人選手がこの順番でトップに立ったのを見た。 出来ればこの順位のまま2回目に…と皆願っただろう。
その願いが通じたか?ワールドカップポイント TOP 10 の選手達は伊東どころか Fannemel の記録にも届かない。 46番 Stoch が 130m 122.0pt を飛んで Fannemel を抜くが伊東には届かない。 47番 Freitag は 137m の最長不倒を見せるが飛型が悪く3審判が 16.0 を出し、 Windows Compensation が -24.5pt で 119pt 5位に。 Window Compensation が無くてもぎりぎり伊東が上回っていたけど….
続く Morgenstern は反対に風を貰えず 114m 96.2pt で23位に沈む。 49番 Bardal は伊東と同じ 134m を飛び 19.0pt の飛型点も出たが Windows Compensation が -23.2pt 。得点は 122.0pt に減額され伊東、 Stoch そして Fannemel を上回れなかった。
そして1回目最後に登場したのは Anders Kofler 。昨年はここで優勝している。しかし今度は風を貰えず 117.5m 105.8pt 18位に沈み伊東の1回目トップが決まった。 それにしても大倉山の風を味方にするのは容易じゃないんだなぁ~と思った。



30人に絞られた2回目。5番目に早々と竹内が登場したがここは意地の大ジャンプ。 129.5m まで距離を伸ばし総合 211.0 でこの時点で文句なしのトップ。これが2本揃っておれば…と本人は悔やんだだろう。この日は18位に終わった。
しかし2年後のソチ五輪まで間に合わせてくれ。
竹内の3人後に Morgenstern が2回目に臨むがこれも 132.5m まで距離を伸ばし Window Compensation -13.0pt を含めても総合 213.3 で竹内を抜いた。しかし最終順位は16位。 
13番目に Kofler が登場する。向かい風 1.21m の中 129.5m の“本来”の跳躍を見せ 122.9 pt が追加され総合 228.7pt で当然の様に首位に立った。 最終的には9位。この日オーストリア勢では最高の成績だった。
16番目にKamikaze 葛西が大歓声に包まれてスタートラインに着く。 この時点でトップの Morgenstern を上回るには…と言うよりも1回目以上のジャンプを見せて上位にと留まる事を…と願うが 122.5m 104.4pt と1回目に届かない。総合 213.4pt で 0.1pt Morgenstern を上回ったが最終結果は15位。それでも今シーズンワールドカップ最高の成績で World Cup Point もゲットした。
以降の活躍を期待したい。
1回目の Top 10 がいよいよ出て来る。 この時点での 1等は Anders Kofler. 1回目9位の Sklett が何と 138.5m 133.2pt の素晴らしいジャンプを見せ総合246.1pt で Kofler を大きく引き離しこの時点で首位に。 やっぱりこのクラスは違うなぁ…と思わせられる。 しかし続く Severin Freund は104m 71.4pt の失敗ジャンプで27位に沈む。 1回目7位 114/7pt の Kranjec ( Slovenia ) は130m 123.8pt を飛ぶ。しかし総合 238.5pt で Sklett を上回れない。 Koudelka ( Czech ) も 130m 122.0pt の飛行を見せるが 240.0pt で Sklett に及ばない。 続く 1回目137m のFreitag は 128.5m と今一伸ばせず 235.4pt 。
そして1回目134m 4位の Bardel は135m 130.5pt のジャンプを見せ 252.2pt でトップに躍り出る。さすが実力者。今シーズンワールドカップは3勝している。 続く同じ Norway の Fannnel は 125.5m 113.9pt と伸びず、総合 237.7pt で7位に終わった。
しかし見事ワールドカップポイントをゲットした。 続く Stoch は風に恵まれない中 127m まで伸ばして来たが 120.6pt で総合 247.2pt で Bardal を上回れずこの時点で2位。最終順位は3位に。
そして最後に伊東大輝が登場する。 優勝する為には 123.8pt が必要だ。しかし Window Compensation が加算されるので何m 飛べばいいのか….風が結構強くなってきた。ここで地元の風が…と思うも風が強すぎて仕切り直しとなっていまった。
あぁ集中切らさずにいてくれれば..と思う。 あの時は、札幌五輪の時はもっとすごいプレッシャーだっただろうなぁ…..
仕切り直しの後、伊東のアプローチにから飛び出し 86.1km とスピードが表示される。距離は伸びて行きテレビに映し出される青色のラインに着地する。 微妙なところだ。 しばしの静寂の後大歓声が沸き上がり伊東の優勝が発表された。2回目は 130m 123.9pt 総合で Bardal をわずか 0.1pt 上回る 252.6pt で首位の座を守った…..あぁ、良かった。本当に良かった~。と思った。



見事な伊東の地元での2連勝だった。ここ数年低迷する日本ジャンプ界に光が差して来た。
今シーズンは札幌大会の前迄でも Garmisch-Partenkirchen , いわゆるジャンプ週間の1戦 HS140 で3位に入ったのをはじめ3度表彰台に立っている。札幌では2010年大会でも3位に入っていた。これまで何度も表彰台には立っていたが遂に頂点に立てた。それも2日連続で。
それは昨シーズンより導入されたルール変更にも寄与しているかのかもしれない。 Gate の位置と跳躍時の風の方向、風力によりポイントが加減される事となったが、もし初日の戦績にこの compensation が加減されていなければ伊東は 273.2pt となり134m/135m を飛んだ2位の Bardal の283.2pt、4位の Sklett ( 129/138.5m 280.5pt ) に及ばず3位と言う事となる。 
3位の Stoch は 259.6pt ( 130/127m ) は7位になるところであった。 
しかし2日目は Gate, Window Compensation を除いても伊東を含めた Top 5 は変わらなかった。 
今のところこの Compensation point は日本勢には“順風”となっている様だが、五輪前にまた変えられないか心配だ。

翌日、オーストリア、ドイツの新聞 WEB SITE を覗いて見ると写真付きで伊東を称える記事が並んでいた。




“3位に入った事は素晴らしい事だ。この日は素晴らしい大会だった。札幌で勝つには少し幸運が必要だけどここに遠征に来た甲斐は充分にあった。” Kofler はこの様に語った。そして“初日は少しアンラッキーだった。”と風の事も悔んでいた。それでも“ フォームはよくなって来ている。だから次の大会が楽しみだ。ここでの伊東はとても太刀打ちできる相手では無かった。”とも述べた。
オーストリア勢は2日間で表彰台に立ったのは2日目3位の Kofler だけだった。
それから初日3位の Poland の Kamil Stoch が2日目も2位に入り伊東と並んで連日表彰台に立った。

“素晴らしい週末だった。日本に来られてとても嬉しかった。ここで貴重なポイントを稼げたからだ。
この日(2日目)の出来は満足している。特に1回目のジャンプは。この日の競技は非常に拮抗していてハイレベルなものだった。“ この様に語っていた。

ドイツ紙の方では初日 8位に終わったRichard Freitag が3試合連続で表彰台に立てなかったことを報道。
“飛行距離からしてこの順位は妥当だろう。” Freitag 自身は語っている。1回目137mを飛んでいながら…とも書かれていた。 また、ベテラン Martin Schmidt が怪我の為に札幌遠征に参加出来なかった事も…

翌週イタリア Val di Fiemme で行われたワールドカップではオーストリア勢が奮起した。
札幌大会に参加しなかった Schlirerenzauer が初日で優勝を果たし、今シーズンワールドカップ個人戦5勝目を上げた。翌日は2位となったが表彰台は9回目だった。 初日は2位に Severin Freund ( ドイツ ) が入り Morgenstern が3位に入った。
翌日は 初日7位に終わったKamil Stoch が優勝を果たし、 Norway の Bardar が3位に入った。 
期待の伊東は初日は11位に終わりニッカネン以来のワールドカップ3連勝は果たせなかった。 伊東は翌日は順位を少し上げ8位に入った。 竹内は初日14位、2日目12位だった。
ワールドカップポイントトップを行く Kofler は初日は6位に入ったが翌日は16位に終わった。  日本はあまり報道しないなぁ….

でも私は信じている。 次の五輪では Kamikaze 葛西が大飛行を見せてくれることも…




五輪予選後半戦開幕を前に Olyroos の正念場 2

2012-02-02 | 五輪 U-20, U-17
Olyroos 地元選手達を頼りに 11th November

Aurelio Vidmar はオーストラリアがロンドン五輪予選を突破出来るかどうはは地元選手達の才能に委ね場ならなくなった。 Olyroos の監督は来るイラク戦、ウズベキスタン戦に臨む19人のメンバーを発表した。
これら試合は FIFA Match Day には行われない為に欧州組の召集は出来なかった。
Central Coast MarinersのGK Matthew Ryan そしてBrad McDonald がこの予選で初めて招集されGold Coast United のDylan McGowan, Sydney FC のMF Dimitrios Petratos そしてPerth Glory のAdam Taggart らU-20 Young Socceroos のメンバーも選ばれた。 “ 私は選手達はやってくれると自信がある。“と Vidmar 監督は語った。


Olyroos イラク経由でロンドン行きの旅に.. 22nd November

Olyroos は今日ドーハでイラクと相対した時に良く年のロンドン五輪予選突破の最大のテストに相対するであろう。
9月にアデレードで行われた五輪予選の初戦、UAE 戦を引き分けたオーストラリアはもう躓くわけにはいかない。
FIFA ランクで 113位であったUAEは同じグループ内では最も戦いやすい相手と考えられて来た。イラクは初戦のウズベキスタン戦で 0-2 で敗れた。そしてウズベキスタンは UAE と対戦しその翌日 Parramatta Stadium で行われるオーストラリア戦の為にシドニーに飛び立つ。
選手達は11月15日火曜日に到着し、私は Socceroos のワールドカップ予選の試合を終えて16日水曜日の朝に到着した。だからここでは本当に良い練習が出来た。全選手が素晴らしいスピリットを持っており準備は出来ている。日中の気候は本当に高く恐らく33~34度はあるのではないか。しかし午後4時半ごろから気温は下がってくるのでキックオフ時の午後5時15分には完璧な気温になっているだろう。
ここで勝利を得られれば本当に素晴らしい事になるが最初の10分から15分で勝負は付けられない事は解っている。試合の入り方そして出来るだけ長い時間主導権を握れる様にスマートでなければならない。我々はイラク対ウズベキスタン戦を見た。その試合では確かにファンタスティックな戦闘能力をイラクは持っていた。彼らは終始ウズベキスタンにプレッシャーを与え続け、0-2 で敗れはしたが試合を支配続けようとした。彼らはその時持っているもの全てを見せたと思う。
今回も A-League のみの選抜メンバーであるが各チームの中心となる選手が招集された。
Brisbane Roar の Mitch Nichols, Matt Jurman 。Melbourne Heart の Mate Dugandzic 。Central Coast の Oliver Bozanic , Matt Ryan 。Sydney FC のDimi Petratos, Sebastian Ryall そして Rhyan Grant らがチームに招集された。
しかし今回も欧州組は招集出来なかったが“私は招集された選手達も可能性を秘めた集団であると信じている。”
この様に Vidmar 監督は語っている。

イラク GK Olyroos のロンドン行きの夢を挫く  23rd November

オーストラリアチームは22日のイラク戦で引分けロンドン五輪予選突破に向けて更なる困難に直面した。
9月に UAE と引き分けた Olyroos は再び相手GK Jalal Hassan の連発する好セーブにより再び勝点を分け合わねばならなかった。
Hassan はオーストラリアの創った4度のチャンスを全て防ぎ、初戦ウズベキスタン戦を 0-2 で落とした後に勝点1を上げる事となった。
オーストラリアは中盤から攻撃をよく構築し前線の選手を押し上げた。そして数秒の間に2度の決定機を掴んだ。
39分James Brown がドリブル突破で上がり相手DFをかわし約6ヤード前からの至近距離からフリーで放ったショットは GK Hassan に阻まれ、そのリバウンドをそのまま Brown がシュートに持ち込んだが再び Hassan が信じられない反応のファインセーブを披露した。
その後もオーストラリアは攻勢を続け1分後に Sebastian Ryall が放ったヘッドは Hassan が掴んだ。
イラクは何とかオーストラリアを窮地に追い込もうとしたが後半もまた Hassan の手に頼らねばならなかった。
57分にはMarko Jessic のショットを弾きだしその後も何度か自陣PA内に侵入を許すも最後の砦となりウズベキスタン戦に続く連敗を阻止した。 オーストラリアの次の相手ホームで行われる27日のウズベキスタン戦で UAE はイラクと対戦する。



ノーゴール、未勝利 。ウズベキスタン戦での結果無しにOlyroos には希望が無い 25th November

風の吹く夜、空席のスタンド。中立の開催地。ドーハでオーストラリアとイラクの間で行われたロンドン五輪予選は感興をそそらない22日に行われた単調な試合に終わった。アジア地区最終予選2試合を終えて Olyroos は動揺を隠せない。27日にシドニー Parramatta Stadium で行われる試合の結果でそれは明らかになるだろう。2試合を終わってノーゴール。
“しかし我々はまだ負けたわけではない。我々の事をまだ駄目だと見るべきではない。”指揮官はこの様に語る。 
オーストラリアのオリンピックにおけるサッカーの戦績はここ20年で急速に顕著になっている。
1956年メルボルン五輪では1回戦で日本を 2-0 で破り2回戦ではインドに 2-4 で敗れた。
以降エントリーそのものをしなかったらしく次に五輪に出場したのは1988年のソウル五輪。ここでは1次リーグでブラジルに敗れたもののストイコビッチらを擁したユーゴを Frank Farina のゴールで勝利を収め準々決勝進出を決めた。 年齢制限が制定されたバルセロナ五輪では現 Adelaide United の監督である Kosmina らの活躍で準決勝にまで進出し、それが五輪での最高の結果となっており以降全ての大会で出場を果たしている。
そして最近の五輪では Ronaldinho ( Sydney, 北京 ) や Lionel Messi ( 北京 )ら世界の列強のスーパースター達もプレーするようになり容易に上位に進出出来なくなって来た。
Vidmar は Al Arabi Stadium での引き分けを悔やんだ。 イラクの GK Jalal Hassan が立ちはだかった。
James Brown や Sebastian Ryall らのフラストレーションが高まった。
“機会を逸してしまった。もし勝てていれば全てが上手くいった。しかし出来なかった。それが残念だ。だけどまだ終わった訳ではない。日曜日のウズベキスタン戦後にはより良い状況になっているかもしれない。
私はまだそれらを信じている“
その他はあまり確実ではない。 オーストラリアの発展プログラムに於いて若い才能ある選手達が輩出されているがこの世代はそのコンベアーの“ブラックホール”と云われている。普通 U-23 代表チームからは何人もの選手が代表チームの選手も兼ねるのであるがドーハでのイラク戦から帰国した18人の中では Brisbane Roar のMF Mitch Nichols とAdelaide United のDF Daniel Mullen の2人だけである。
同じ週に Socceroos の Holger Osieck 監督は2月に行われるサウジアラビア戦に就いて次世代の選手達に“冷や水”を浴びせた。 既にワールドカップ予選では次のラウンド進出が決まっておりサウジアラビア戦は消化試合となるが“私は常に才能ある若い選手達に代表への扉は開けている。しかし代表は常に最高の布陣で無ければならない。私は今若手育成には気を付けて従事している。何故ならそれは選手達にとっての教育課程となるからだ。そしてもしあまりに早くそれを進めてしまうと後で良くない結果を招く。”と語ったのだ。
Osiek 監督と新しい代表候補を見つける為に頻繁に連携している Han Berger 技術部長は、“正直言って 2010年のワールドカップ終了後は我々は心配であった。しかし今は1年前ほどではない。 Olyroos の中にも多くの才能ある選手がいるが他の世代にも高い潜在能力を持った選手はいる。全ての世代に才能のある選手がいるがその成長過程は非常に興味がある。何故なら本当に誰が出て来るかは解らないからだ。”
Olyroos を今救えない問題は Vidmar 監督がMatthew Leckie, Brent McGrath, Tommy Oar そしてAaron Mooyと云った欧州組を招集できない事でそれが得点力不足にも繋がっている。ならば U-20 で顕著な活躍をしている Bernie Ibini-Isei, Mustafa Amini そしてTerry Antonis ら技術の高い選手達を起用する事は考えられないか?
Berger は解っている。“もし我々が予選突破できなければそれはその世代の選手強化には絶対に否定的な効果しかもたらさない。五輪に様な大会は普通の大会よりも2段階も3段階も上のレベルの大会である。 この様な大きな大会に出場する事は選手達にとって偉大な教育の場となり、本当に開眼出来る。それが予選通過の価値である。” と語った。



政情不安定の為にイラク国内でホームゲームが開催できないイラクではあるがこのグループでは最難関と考えられていた。ドーハで開催されたアウェーのイラク戦で引分けられた事は本来想定内のはずと思った。
しかし初戦ホームの UAE 戦を引き分け勝利が必要だったと思う。そして初戦のウズベキスタン戦を落としたイラクの方こそオーストラリア以上に勝利が必要だっただろう。 
北京五輪予選でも両国は同じグループとなりこの時の直接対決ではオーストラリアが1勝1分け ( ホーム 2-0 アウェー 0-0 ) でこの直接対決の結果が大きく寄与して、勝点1差でオーストラリアが五輪出場を決めた。
黒星スタートのイラクはスタメンを5人入れ替えてオーストラリア戦に臨んだ。そして Olyroos は3人の選手を替えた。
GKを Central Coast Mariners の Mathew Ryan 。MFに Dugandzic Mate ( Melbourne Hearts ) FW に Petratos Dimitrios ( Sydney FC ) をスタメン起用した。
それでもゴールは遠かった。 そして勝点も1止まりだった。実際に試合は見ていないけど報道からオーストラリアが優勢に進めていたらしい。 それだけに Vidmar 監督はこの試合で勝点3を確実に挙げたかっただろう。 初戦のUAEにさえ勝っていればこの引分けは Olyroos にとって貴重な勝点1になっていたに違いない。



  

Parramatta Stadium でウズベキスタンに 0-0 の引分け Olyroos の五輪予選突破に危機 28th November

ゴールへの枯渇が延長され Olyroos のロンドンへの道のりが急勾配に差し掛かってしまった。
3試合連続のスコアーレスドロー。今回は首位を行くウズベキスタン相手にホームの Parramatta Stadium で。この引分けにより中間点にさしかかりオーストラリアはまだ予選突破に向け厳しい戦いを強いられている。 Olyroos はこれで4時間半の間得点が生まれていない事になる。そして首位ウズベキスタンに勝点2差を付けられたまま Olyroos は2月のアウェー2連戦に臨まねばならなくなった。
“恐らく我々はフォーメーションの練習を止めてシュート練習に集中せねばならないだろう。 攻撃面であと少しの改善が足らなかったと思われる。 我々は何度もPAの付近まで押し寄せたが壁パスが長すぎたりスルーパスが走り込んだ選手の前に行く代わりに選手の背中にあたったりした。我々は小さな事でがっかりさせられた。
Vidmar はGK Matt Ryan in goal, 前線でのDimitri Petratos の動き、そしてman-of-the-match 級の活躍をした Matthew Jurman の守備をそれぞれ称賛した。 
前半はウズベキスタンが攻勢に出てオーストラリアDF陣を翻弄し Musaev Fozil 主将が2度中盤からミドルを放った。
1度は GK Matt Ryan がセーブ。もう1度は CB Matthew Jurman がクリアーをした。
Mitch Nicholas のシュートを GK KUVVATOV SANJARが掴めずこぼれ球に詰めたPetratos のショットはゴールネットに突き刺さったがこれは明らかにオフサイドであった。 Nicholas はその直後も左足からシュートを繰り出したがこれはクロスバーを大きく外れた。 Olyroo はボール支配率、地域占有率は高かったがラストパスが繋がらなかったり試合を決めるに必要な充分なチャンスが創れず、勝ちたくてたまらなかった試合を勝てなかった。 そして予選突破を確実にするチャンスを逃してしまった。 



ウズベキスタンは前節のUAE戦のスタメンからメンバーを3人替えた。Olyroos はAdelaide United のDF Daniel Mullen が初めて最終予選登場となった。
ウズベキスタンは最も難しいと考えられていたアウェーのオーストラリア戦を引き分けられて貴重な勝点1を得た。
更に同日数時間後に Al Ahin で行われた UAE 対 イラクの試合でイラクが勝った事により残り3試合中2試合のホームゲームを残すウズベキスタンが圧倒的に有利になった。 そしてウズベキスタンを勝点1差で追う2位のイラクもドーハでの“ホームゲーム”を2試合残している。いよいよ Olyroos は厳しくなって来た。

しかし次のアウェーのウズベキスタン戦で勝てば状況は一気に改善される。その為にはゴールを挙げねばならない。
Kerem Bulut の初召集がゴールにそして勝利に結びつくだろうか。

私も他国の事を案じている場合では無い。今回は日本も欧州組と言うよりも11月のバーレーン、シリアの2連戦で活躍した大津を召集出来ない。次の試合は最難関とも言えるアウェーのシリア戦だ。試合はヨルダンで行われるけど。
それでも日本には J-League がある。そして永井、原口、清武らがいる。 楽観はしていないけど状況はオーストラリアよりも良い。シリア戦で引き分ければその次はアウェー戦とは言えマレーシア戦だ。 まずシリア戦でしっかり結果を出して…..と思うのだ。

でも何とかしてウズベキスタン対オーストラリアが見られないかなぁ…..

五輪予選後半戦開幕を前に Olyroos の正念場 1

2012-02-01 | 五輪 U-20, U-17
いよいよ来週からロンドン五輪アジア地区最終予選の後半戦が始まる。
12カ国を3組に分けたアジア地区予選は北京五輪に出場した日本、韓国がそれぞれ首位を行くがオーストラリアは3戦3分けでグループ3位となっている。まだ3試合を残しているが日本同様これからアウェーの2連戦に臨む Olyroos は今や崖っぷちとまでは行かないがもうすぐそこに崖が見えているという立場だろう。


Vidmr 監督 U-23 代表チームを発表

オーストラリア五輪代表 Olyroos の Aurelio Vidmar 監督は2月5日のロンドン五輪アジア地区予選のウズベキスタン戦、22日のUAE 戦に臨む20人の選手を発表した。その中にはAdelaide United のDF Antony Golec そしてMelbourne Victory のMF Isaka Cernak らがこの五輪予選で初めて選出され、ハムストリングの負傷で五輪予選には招集されなかったBrisbane Roar のMF Visconte がその負傷から完治し初選出された。
しかし Sydney FC のMF Terry Antonis は最終的なメディカルチェックにパスせずバックアップメンバーの Central Coast Mariners の Mustafa Amini がチームに入った。
更に特筆すべきは2010年 AFC-19 準優勝の立役者で昨年の FIFA U-20 にも出場したチェコ共和国 FK Mlada Bolesav でプレーする Kerem Bulut が選出された。
他の海外組に就いては Aaron Mooy ( St Mirren ), Tommy Oar ( FC Utrecht ) そして Matthew Leckie (Borussia Monchengladbach ) らのチーム合流は所属チーム先と協議中であるが5日のウズベキスタン戦の合流は厳しく、せいぜい22日の UAE 戦からの合流になるのでは無いかと考えられる。
殆どの選手達は1月29日にキャンプ地の UAE に出発し2月5日現地時間午後8時に JAR Stadium で行われるウズベキスタン戦に臨み、その後再び UAE に戻り22日現地時間午後5時半に Mohammed Bin Zayed Stadium で開催される UAE 戦に臨む。
そして2月16日 にドバイの Zabeel Stadium でフィリピン代表チームを招いて練習試合を行う。
今回選出された五輪代表チームのメンバーは下記の通り。

Qantas Australian Under 23s squad
GK Mark Birighitti ( Adelaide United ) Mathew Ryan ( Central Coast Mariners )

Aziz Behich ( Melbourne Heart ) Oliver Bozanic ( Central Coast Mariners ) Kerem Bulut ( FK Mlada Bolesav, Czech Republic ) Isaka Cernak ( Melbourne Victory ) Mate Dugandzic ( Melbourne Heart ) Diogo Ferreira ( Melbourne Victory ) Matthew Foschini ( Melbourne Victory ) Antony Golec ( Adelaide United ) Jason Hoffman ( Melbourne Heart ) Matthew Jurman ( Brisbane Roar ) Ben Kantarovski ( Newcastle Jets ) Daniel Mullen ( Adelaide United ) Mitch Nichols ( Brisbane Roar) Dimitrios Petratos (Sydney FC ) Sebastian Ryall ( Sydney FC ) Adam Taggart ( Perth Glory ) Rocco Visconte ( Brisbane Roar ) Mustafa Amini ( Central Coast Mariners )

Stand-by Players Bernie Ibini ( Central Coast Mariners )

アウェー2連戦を前に日本同様欧州組を招集出来ない Olyroos は20人中19人が A-League 所属の選手となった。
現在シーズン中の A-League の首位を走る Central Coast Mariners から選出されたのが3人だが他に Adelaide United, Melbourne Hearts, Melbourne Victory, Brisbane Roar から3人ずつ選出されている。最下位に低迷しているGold Coast United
からは誰も選出されなかった。
11月27日に Parramatta で行われたウズベキスタン戦のスタメンの中から MF のJames Brown 以外の全てのスタメン選手が召集された。 11月22日、アウェーのイラク戦にスタメン出場し途中で怪我でベンチに下がり次のウズベキスタン戦にはベンチ入りしなかったAziz Behich も召集された。 Aziz Behich, Antony Golec, Isaka Cernak , Rocco Visconte, Sebastine Ryan, Mate DugandzicそしてKerem Bulut ら7人が前節ウズベキスタン戦ではベンチ入りしなかった選手達。



不発を続ける Olyroos その任務を Bulut に賭ける。

翌月行われる“生きるか死ぬか”のウズベキスタン戦に、 UAE 戦を前にオーストラリアのロンドン五輪予選突破の希望は若い Kerem Bulut のチームの得点力問題を解決させるというダイスを転がす事に委ねられた。
Olyroos は最終予選3試合を終えて全て無得点引き分けとなっている。
現役時代は代表チームの為にゴールを量産した Vidomar は自分のチームがゴールに枯渇している事を終わらせねばならないと言う事をよく解っている。
“確かにイラク戦もウズベキスタン戦も相手陣内の良い位置に何度も侵入し多くの決定機を創ったがゴールを決める事は出来なかった。 出来れば我々はそのチャンスを後の試合の為に取っておきたかった。なぜならチャンスはそんなに創れないからだ。このグループの試合も僅かなゴールによって勝敗が決まっている。そして引分け試合が多い。”

恐らく我々は最初のウズベキスタン戦の前には攻撃陣の為の準備をする時間が多くは無いだろう。しかし次のUAE戦の前には第三の前線の構築の為の時間を費やせるだろう。
19歳の Bulut の召集は最大のサプライズであろうが、その才能のあるストライカーは所属するチェコのクラブ FK Mlada Boleslavでの出場機会を得る為に自身の我儘さを後ろに置いて来たのだろう。それがこのレベルでのデビューのチャンスに結びつけた。
彼は自分のハートを袖に付けてプレーする選手だ。そして大変良いプレーをする選手だ。彼はこの3週間実戦でプレーをしていないのでまずは彼の状態を見なければならないだろう。彼はゲームのキーとなり得る選手であろう。そして彼はゴールゲッターだ。 彼はU-20 のレベルではきわめてすぐれたプレーをした。そして所属先のクラブでもよくやっている。 次の2試合はまさに生きるか死ぬかの試合で、大変タフな試合となるだろう。ウズベキスタンとのアウェーゲームは決してイージーではないが私はまだこのグループを勝ち抜けると思っている。“

Olyroos の得点力不足を解消すべく Kerem Bulut がついに召集された。2010年中国で開催された AFC U-19 では決勝戦の北朝鮮戦で2ゴール(北朝鮮はジョン=イルガンの3ゴールで優勝を果たした。) 準決勝のサウジアラビア戦でも2ゴール。準々決勝戦の UAE戦でも先制ゴール。 1次リーグでも3試合で2ゴールを挙げ大会得点王に輝いた。翌年コロンビアで開催された FIFA U-20 ではチームは1次リーグで敗退したがスペイン戦で1ゴールを決めた。
翌年カタールで開催されたAsian Cup のメンバー入りも噂されたが選出はされなかった。 
Bulut の FK Mlada Boleslav 入りは前に所属していた Sydney FC のVítězslav Lavička 監督氏の推薦らしい。 
いよいよというかようやく召集出来た Bulut は Olyroos の救世主となるだろうか…..




Vidmar Olyroos との板挟みに従事

ロンドン五輪予選を突破する事がオーストラリアでどれだけ重要なのであろう?
Aurelio Vidmar 五輪チーム監督は疑う余地も無い。シーズン中に貴重な選手達を数人長期に渡って失う事となる A-League の監督達はそうでもない。確かな事は結果次第で誰がこの議論の勝者であるかを決めると言う事だ。
そして9月21日のアデレードで UAE 戦を皮切りに始まるアジア地区五輪予選B組は Vidmae のコーチ歴にとって大きな挑戦となる。彼は楽観的だ。
“ここには良いスピリッツがある、選手達は大変素晴らしく仕上がっており、私が最も好む事は選手達は本当によく纏まった良い集団であると言う事だ。重要な事は良いスタートを切る為にこのホームゲームで白星を飾る事だ。”
何にものA 代表メンバーを含む UAE 戦を軽く見られないと言う事は当然である。対照的に Vidmar のチームは18人のメンバーの中でA 代表経験はたったの1人だけである。その代わりに彼は殆どを A-League でプレーする選手達を選出した。何故なら試合日は FIFA が定めた代表Aマッチデ―に行われないからだ。
Vidmar の任務の為には、彼は“絶対に”5-6人の欧州でプレーする選手達、Brent McGrath, Aaron Mooy そして Matthew Leckie らが必要だった。
しかし地元の選手達を起用するにしても全てが丸くは収まらない。 A-League のコーチ達と、ウズベキスタンやイラクの様なチームが入ったグループを勝ち抜く為に Vidmar 監督の“外交手腕”が問われる、
特に五輪チームの中心選手である Sebastian Ryall (Sydney FC), Marko Jesic ( Jets), Mitch Nichols, Matthew Jurman (Brisbane Roar), Oliver Bozanic (Mariners), Aziz Behich ( Melbourne Heart ), Matthew Foschini ( Melbourne Victory) そして Daniel Mullen ( Adelaide United ) らは今シーズン、所属チームのレギュラー選手となるであろう。
私もかつてはあちらの側に( 元 Adelaide United のコーチ )にいた。だから皆をハッピーにするのは難しい事だと理解している。 しかし所属クラブにもコーチ達にもメッセージはクリアーにしている。一旦選手が代表チームに選抜されれば、彼は代表に必要な選手だ。 それは明らかでシンプルである。私は全てのコーチ達に話をしているそしてこれまで彼らはずっと協力的である。 選手達はおよそ8試合はリーグ戦から離脱せねばならない。これはチームにとっては明らかに理想的な事ではない。だが FIFA の Non-Match Day に行われる予選ではこれ以上出来る事は無い。
Vidmar の最も要を得た問題は21日に行われる Hindmarsh Stadium で行われる試合で勝点3を得る事だ。その監督は自分のチームは“どの方策も選択できる”と云う事を異にして安定していると言っている。

Olyroo のむらのある開幕戦

オーストラリアは初めてアジア予選を勝ち抜いて北京五輪出場権を得た。しかしロンドン五輪最終予選の開幕戦で UAE と引き分けた事実によりその任務は少し難しいものであると言う事に気付いただろう。
Aurelio Vidmae 監督は全試合FIFA non-Match day に組まれた予選を戦わねばならない。 彼は昨日の UAE戦を欧州でプレーする選手を1人も招集できずに戦わねばならず、続くウズベキスタン戦、イラク戦もAaron Mooy ( St Mirren ), Tommy Oar ( FC Utrecht ) Kerem Bulent ( FK Mlada Bolesav ) , Matthew Leckie (Borussia Monchengladbach ) そしてRyan McGowan (Partick Thistle F.C )ら欧州組を使える目途が立っていない。
UAE 戦に出場した選手達は U-22 レベルでも first choice の選手たちでは無かったが彼らは良く戦った。
そして前半は UAE が主導権を握ったがオーストラリアは後半、効果的に試合を支配した。
UAE の最初のチャンスは前半終了間際に Olyroo の Oliver Bozanic がボールを Ali Mabkhout に奪われ前線へ突破を許し GK の Andrew Readmayne と1対1にされた時であった。Mabkhout のショットを放つ前に必死に戻った Bozanic がタックルに入り先制ゴールは阻まれた。



Olyroo 達は線審に感謝せねばならなかっただろう。 開始早々に Ahmed Khalil のシュートがゴールネットを揺らしたが線審はフラッグを上げた。 そして以降 Khalil は脅威を見せ続けた。
Olyroo 達はその前にもピンチを迎えていた。 Mabkhout が放ったシュートは DF Matt Jurman がゴールに入りクリアーした。
オーストラリアも一方的に攻められてはいなかった。セットプレーからベストチャンスを掴んだ。20分にCKから CHF の Jurman が放ったヘッドは惜しくも外れ、 素晴らしいビルドアップアからのBozanic のショットは横に外れた。
Amer Abdulrahmanはもう一人の UAE の中盤での中心選手でありオーストラリアの Bozanic と何度もバトルを展開した。 Amer は UAE 代表でもプレーをした経験があり( Ahmed Khali 同様に ) チームの動きの中心となっておりボールを持つと落ち着きと技術の高さを示していた。
オーストラリアも後半は次第にペースを握りだし60分少し前にチャンスを掴んだ。
Aziz Behich がUAE PA 内に侵入しラストパスを送る。そのボールは GK ASHOORI AHMED MAHMOUD MOHAMED JUMA を破ったが滑り込んだMitch Nicholos の脚には当たらずゴールを割れなかった。
その10分後、今度は Nichols が Marko Jesic のクロスからダイビングヘッドで狙ったが相手DFに当たりコーナーに。 
その後も UAE の Khalil, Australia の Hoffman が惜しいシュートを放ったがゴールネットには至らずスコアレスドローとなった。11月には中東に遠征しイラクと戦わねばならないオーストラリアの任務はとても容易には進みそうにない。




世界ランクでは113位の UAE はこのグループでは最も格下とみられていた。
各組の FIFA ランクは下記の通り。

オーストラリア20位    ウズベキスタン 67位   イラク 73位 UAE 113位
日本17位  バーレーン 95位   シリア 117位  マレーシア 148位
韓国 29位  サウジアラビア 87位 オマーン 90位   カタール 97位
                                ( 2011年9月発表時)
こうして見ると日本は組み分けに恵まれている様な気がする。
ただシリアの実際の実力は FIFA ランクよりは上だと思うのだけど….
世界ランクでは差があったが UAE は2010年アジア大会準優勝のメンバーが6人スタメンに並んだ。 GK Juma Ahmed Mahmoud はアジア大会では控えのGK。 FW Aljenaiby Ahmed , MF Al Musabi Theyab , Alhammadi Amer らがいた。
後半からは Olyroos が主導権を握ったらしいが、欧州組みと国内組の“格差”はオーストラリアの方がやはり顕著か。
しかしこの時点ではまだ Olyroos の前途はそれほど…でもなかったか。
  続く