Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Asian Cup それから Socceroos の世代交代は 2

2011-02-13 | Football Asia
Australia now caught between a green generation and a golden generation as they start preparing for future 

それは恐らくLucas Neil が希望的に宣言していた様にオーストラリアにとって大きな大会で優勝する最高のチャンスだっただろう。おそらく今年3月で33歳になる Neilそして恐らく他の10年以上に渡って予選突破を目指しそして昨日の朝ついに最高のレベルの栄誉を勝た取った30歳代のヴェテランオーストラリア代表選手達にとってカタールの砂漠の中に時間が消えて行く事は容易に結論付けられただろう。
勿論代表チームの総入れ替えは無いだろう。確かに2カ月内に行われるドイツとの親善試合を前に主力選手達、Neill, Harry Kewell (32歳), Tim Cahill (31歳), Mark Schwarzer (38歳), Brett Emerton ( 2月で32歳), Jason Culina (30歳)らは2014年のワールドカップに出場する事を宣言している。もしオーストラリアが出来るのであれば。

Sasa Ognenovski は代表入りを果たしたばかりだが彼も既に31歳だ。長年 CB としてプレーしているが残された年月は長くはない。彼らはこれまで Socceroos に大きく貢献して来た質の高い選手だ。しかし倫理的に、常識的にそして経験から何人かは路傍に追いやられ何人かは怪我や願望やパフォーマンスの低下を通じて代表を離れて行く。オーストラリアの将来はどうなのだろう、何人の若手選手が本当に期待が持てるのだろうか。

確かに Melbourne Victory のRobbie Kruse は名も無いところからやって来たそしてまさに充分に貢献できる事を充分にほのめかす事が出来る事を見せた。6-0 で勝利したウズベキスタン戦では1ゴールを決めもう一つの準備されたチャンスをミスした。しかしそれは彼の能力を反映した真実では無かった。しかし日本戦の延長戦の名場面。Harry Kewell と交替で投入された22歳の彼はほぼ試合を決定づけようとするヘッドを放ったがEiji Kawashima の指先で弾き出したファインセーブに防がれた。多くが彼の次のステップに注目するだろう。

Carl Valeri と Mile Jedinak は26歳になり誕生日も数日しか違わない。彼らは 1-1で引き分けた韓国戦の後半から膝の怪我で帰国を余儀なくされた Culina の離脱によってボランチのコンビを組むようになった。そして Jedinak は同様にここで国際試合レベルでも得点を上げられる能力を疑いなく示す事が出来た。この2人は中盤で強固なコンビネーションを築いていた。

例え Holger Osiek 監督が Han Berger テクニカルコーチが “ matchwinner “ と呼ぶ有能な選手を欲しているが、そこには Olyroos や U-20 の中にも期待される選手が現れるだろう。 25歳の Neil Kilkenny は安定したMFだがそれ以上を語るのは難しい。今大会も途中出場が目立ったがそれは試合の終盤になってからでポジションを探しえたとは言い難い。しかし彼が90分間プレーするまでそれはジャッジ出来ない。 もし万が一彼の所属する Leeds United が Premier League に昇格すればもっと印象付けられる機会が増えるだろう。

AEK Athens 所属のNathan Burns はこのレベルでやっていけるかどうかを決められるほどの出場時間は無かった。 彼もまた今年後半から始まるワールドカップ予選に向け見てみる価値がある選手だ。 Matt Spiranovic は一般的にいえば恐らくNeil の後継者として長い間CBのポジションを担える最も才能のある選手だが怪我が多く肝心な時にアピールできなかった。
今回はコンディションも整ったが Neil と Ognenovski のCBが非常に良くプレーする時間が与えられなかった。

19歳の FC Utrecht 所属のウィング選手 Tommy Oar は大会直前 Hull City の Richard Garcia の離脱によって召集された。今大会は出場時間が無かったが Ben Katarovski, Matther Leckie と並んでまさに若手選手の中での筆頭である。




The boys for Brazil 
3年後 Brazil 2014 まで残る選手と難しい選手は下記の通りと予想される。

MARK SCHWARZER: 38歳の Fulham の第1GKは僅か2失点を許しただけだった。召集されたらいつでもやれることを確信させられた。しかし次のワールドカップ時には41歳になっている彼が今と同じフォームでプレーできると言う保証はない。

BRAD JONES: 長年 Schwarzer のバックアップメンバーに甘んじて来た。彼も28歳であるが実戦でプレーする時間が必要だ。

NATHAN COE: 人々に名前を覚えて貰い機会を得た。 26歳の彼はまだ充分に時間がある。 LUKE WILKSHIRE: 例え韓国戦で負った鼠蹊部の怪我がハンディとなったが彼の信頼は大会を通じて安定していた。まだあと2~3年チームの礎となるだろう。

LUCAS NEILL: 彼にとってフィールドの上でも外でも素晴らしい大会だっただろう3月で33歳になる。ブラジル大会の前に時間が無くなるであろう。

SASA OGNENOVSKI: 遅咲きではあったがとうとう Asian Cup に選ばれ素晴らしい大会となった。しかし4月で32歳になり時間も無くなっている様だ。

DAVID CARNEY: 決勝戦の延長戦終了11分前までは素晴らしい大会だった。彼はこのレベルでも左サイドバックのポジションを無難にもなしていた。視界の良い将来が控えているだろう。 

JON McKAIN: 出場時間無。将来を占うほど充分なプレー時間が無い。
JADE NORTH: 投入されれば良いプレーをする。メンバー入りがせいぜいか。




JASON CULINA: 韓国戦で負傷。そして帰国。まだ任務はあるが Jedinak と Valeri の台頭により今や先発出場は保証されなくなった。
MILE JEDINAK: 素晴らしい大会だった。重要なゴールを決め国際選手としての地位を固めた。
BRETT EMERTON: 出場停止によりポジションを失いそのままだった。まだプレーする任務はあるがもうすぐ32歳になる。
TOMMY OAR: まだ19歳。将来を担う1人。決してベンチから外れない様に。
NEIL KILKENNY: 25歳の Leeds United の MF はベンチから何度も出て来た時にはなかなか良く見えた。次のワールドカップ予選には選ばれるだろう。
MATT McKAY: 今大会オーストラリアでブレークした選手。 Emertonをスタメンから追い出し続けた。 Brisbane のMF は劇的に自分のステータスを高めた。A-Leaguenに残るのか?
CARL VALERI: ポジションを奪い返しそして守り続けた。Jedinak とのコンビも良かった。
HARRY KEWELL: 何年にも渡る不振をふるい落とし今大会を通じて決勝戦でいくつかのチャンスをミスしたがオーストラリアのベストプレーヤーに近づいた
BRETT HOLMAN: Football もっとハードな選手がいるのか? 精力的に動き回り大会中ずっと大きくチームに貢献した。多機能な選手だった。
TIM CAHILL: 怪我と戦い続け前線に張り Kewell と素晴らしいコンビネーションを組んだ。
SCOTT McDONALD: 試合では多くを見なかった。ゴールを上げずインパクトを与えられなかった。 NATHAN BURNS:  多くを見られなかった選手の1人。しかし将来が嘱望される。
ROBBIE KRUSE: 大会で限られた出場時間で大きな存在を示した選手の1人。欧州に動くだろう。将来は明るい。

 

Osieck to peruse the young Roos

Osieck監督は3月22日から25日ドイツに若手主体のチームをで遠征し Budesliga のリザーブチームとの試合を予定していると発表した。 このメンバーには名の通った選手も選ばれるが U-23, U-20 世代が中心に組まれると Han Berger コーチは語った。 勿論まだメンバーは発表されていないがかつてBrisbane Roar でプレーし今はルーマニアでプレーするSpase Dilevski, トルコKayserispor に所属するJames Troisi、AZ Alkmaar のJames Holland Bundesliga でプレーする Nikita Rukavytsya ,Dario Vidosic, Aston Villa のChris Herd, Shane Lowry, Scottish Premier の St.Mirren 所属の Aaron Mooy そしてMiddlesbrough の Rhys Williams らにチャンスが巡って来そうだ。

”我々はベテラン選手と若手選手をバランスよく選出する事が出来た。そして若い選手達には本当に驚かされた。 確かに選手は出場出来なければ失望するがだれもが非常に献身的にサポート役に回った。みな一緒になって闘った。選手達は本当にハードに役目をこなしお互いを励まし続けた。これは大変に重要な事だ。
選手を選ぶメリットがあるが、将来をみすえ土台づくりをする必要もあるが、どれだけの間将来を見据え土台づくりを続けねばならないのか? 各試合毎に決めて行かねばならない。もし若い選手を連れて来てべテラン選手達とともにプレーする機会を与えれば同世代の選手達とプレーするよりもずっと効果は上がる。
ベテラン選手達だけで試合に臨んでも効果は上がらない。”

103分、疲れの見えたエース Harry Kewell がベンチに下がり Melbourne Victory の若いFW Robbie Kruse が投入された。その直後 Kruse がヘッドを放つがGK川島が弾き出した…この選手交替は世代交代の縮図….と見るのは時期諫早か…
1990年代中頃かつて Liverpool でスター選手だったテレビ解説者 Alan Hanse はDavid Beckham, Paul Scholes, Ryan Giggs, Nicky Butt and the Neville ら若い選手で構成された Manchester United が開幕戦で Aston Villa に敗れるのを見て “子供だけでは勝てない。”と解説した。
しかしその後の Manchester United の躍進を改めて記述必要はないだろう。多くのオーストラリアの解説者達はワールドカップでの敗退を見て次のワールドカップに向けて早急に Socceroos の若返りを急がせ Asian Cup も若手の経験の場とすべしとの声が高かったが Osieck 監督とオーストラリア協会は正しい判断を降した。
Asian Cup を重要な大会と位置付けベストメンバーを構成した。  30歳代の中心メンバーに加えてNeil Kilkenny, Nathan Burns, Robbie Kruse, Tommy Oar and Matthew Spiranovic ら若手選手も加えた。

  


前任の Pim Verbeek 氏と異なり Osieck 監督にはまだ少し時間の余裕がある。
次のワールドカップ予選ではどういうメンバー構成になるのだろうか…

Osieck 監督にとっては前任者から先送りされた(棚上げされた??)世代交代の課題があるが新戦力を発掘できた大会でもあった。だが前任の Verbeek は時間が無かった。 Osieck 監督は時間がある分若手選手も見極めて行くだろう。
だが日本も手放しでは喜べない。DFライン、特にCBのバックアップメンバーを探すのは急務。そして両サイドバックも。 それからボランチ。
阿部を招集しないのか?? オーストラリア A-League の若い選手達よ J-League も視野に入れろよ。日本とは時差がほとんどないから代表に召集されても良いパフォーマンスは披露できるぞ….. 


Asian Cup それから  Socceroos の世代交代は... 1

2011-02-13 | Football Asia

Socceroos 次のワールドカップに向けての世代交代は

2月7日。10カ月ぶりに再開された日豪 EPA 交渉。4日間の協議は最終的には結論持ち越しとなった。
オーストラリアはコメについて関税撤廃の例外扱いを認める一方、牛肉などでは撤廃要求を譲らず、合意は4月のキャンベラでの開催が決まった次回交渉に持ち越した。日豪交渉は6月に判断する日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加の試金石とされ、合意の道筋をどう付けるかが焦点になる。今回の交渉で、政府はコメ、牛肉、小麦、砂糖、乳製品を重要品目に位置づけ、自由化の例外と主張した。これに対し、オーストラリアは自国からの輸出量の少ないコメの関税撤廃は求めない代わりに、その他の4品目の自由化を強く求めた。
交渉筋は「オーストラリアは要求を軟化させておらず、まだ先が長い」として、交渉が引き続き難航する見通しを示した。 政府は昨年11月の閣議決定で、「全品目を自由化交渉の対象に、高いレベルの経済連携を目指す」とした。菅直人首相も今年1月の施政方針演説で、「豪州との交渉を迅速に進める」と宣言し、重要品目の例外化にこだわる態度は自己矛盾に陥っているといえる。

オーストラリアはTPPでも、主要交渉国の一つ。EPAで農業分野の譲歩を決断できないようでは、「TPP交渉参加すら認められなくなる との事だけど
まず米の関税撤廃の例外を認めたのは今オーストラリアではここ数年“米どころ”だった Victoria 州で長期の雨不足からまったく米が収穫できずオーストラリア国内での米はカリフォルニア米が主体となっている為。早い話が国外に輸出するほど米が獲れないと言う事。
日本政府としては何とかして“レア・アース”の供給源を確保したいところだけどこの件はオーストラリア側が“売り手市場”を見せつけ“日本だけ特別扱い出来ない。”との事。それよりもオーストラリアは今天然ガスがガンガン獲れておりその輸出先として中国が鉄鉱石と共にお得意さんとなっている。
ラッド前首相は娘さん達が中国語を勉強するほど大変な親中家。オーストラリア史上初めての女性首相Julia Gillard 現首相はどちらかと言えば外交は右派。
昨年のワールドカップ開催国を決める FIFA Congress にも帯同していた。オーストラリアにとって結果は伴わなかったが日本の首相とは違うなぁ…と思った。まぁそれだけで首相の価値が決まるわけではないが…


今回の Asian Cup 決勝戦に進出した日本代表が対戦したオーストラリア代表との試合は2006年のワールドカップで対戦して以来約4年半で5度目だった。
そして初めて日本が勝利を収めた試合だった。( PK 戦は公式記録は引分 )
できれば90分間で勝ってほしかったけど。オーストラリアでもサッカーの世界では日本は一目も二目も置かれている様だ。
昨年のワールドカップでは“アジア実力 No.1 ”として勇躍乗り込んだ南アフリカの地。初戦のドイツ戦で完膚なきまでに叩かれ最後までそこから立ち直れなかった。
そんな Socceroos のプライドはこの Asian Cup ではかなり回復されたと思う。
しかし長年云われ続けて来た世代交代は今度こそ目前に迫った早急に解決すべき問題とされている。
昨年末から今年初めに Brisbane, Gold Coast の一部を襲った大洪水の被害は 1974年以来の大災害と地元では云われているが、最も地元の人達を怒らせているのは洪水そのものでなく、37年前の教訓が生かされていない、即ち洪水対策が全くなされていなかった事が露呈した事らしい。 37年前は、私の尊敬する Johnny Warren 率いる Socceroos が初めてワールドカップに進出した年だった....

手元にある2002年に刊行された彼の著書 Shelias, wogs & Poofters には MCG のイラン戦のスタメンの集合写真が掲載されワールドカップは逃したが将来を期待出来る Young Gun として紹介されている。そしてそのメンバーの中には GK Schwarzer, Kewell, Emerton らが写っている。8年後彼らが中心となりウルグアイを破り32年振りのワールドカップ出場を決めてカイザースラウテルンでは日本を逆転で破りサッカー人気がオーストラリア大陸で一気に上昇したのは日本人でも周知だけどそのメンバーは偉大すぎた。5年後の Asian Cup では6人の選手がドイツワールドカップ組だった。そしてもし怪我さえなければ更に Beachamp, Kennedy そしておそらく Milligan も加わっていただろう。(だったら優勝したか??)。

今オーストラリアではこれから今後の為にいつ世代交代を行うか、それとも結果維持し次のワールドカップ出場権を勝ち取る為にまだベテランに頼るかの激論が始まるだろう。 

Their best and likely last .....

これは決してわれわれから取り去ることの出来ないオーストラリアの名前を silverware ( この場合は優勝トロフィー ) に刻む良い機会だ。 
この世代の選手達にとって残るのは思い出だ... 優勝を勝ち取る事が理想的な最後だ。ハードワークと犠牲への素晴らしい代償となるだろう。“ 
決勝戦を前に Sccoeroos の Lucas Neil 主将はこう語った。
“ピッチ上の至る所で繰り広げられる1対1の争いで競り勝ち日本が作るチャンスを最小限に留めねばならない。日本は決定力に長けた選手達が揃っている。しかし守備面では我々は日本に問題を引き起こす事が出来る事を解っている。”

地元紙では香川が離脱しても本田、岡崎、前田ら3選手が3ゴールずつを挙げている事から日本の攻撃力を懸念していた。これは昨年のワールドカップ前とは大いに異なる。
Neil 達ベテランにとっては最後の大舞台とならないかもしれないが、これが最後の代表としての大きな勲章を勝ち取るチャンスと云う事は本人以外も解っていただろう。  決勝戦を前に物議を醸しだしていたのが左サイドハーフを元通り Emerton を起用するのかそれとも決勝トーナメント以降代役として活躍している Matt McKay を起用し続けるのか...
しかし決勝戦前の Osieck 監督の McKay を使う、と云うコメントでピリオドが打たれた。 “トーナメントでは起こりうることだ。最初のメンバーで最後まで終えられる事は決してない。私は現場主義の監督だ。名前よりも選手のパフォーマンスを重視する。” 

They’re one of my favourites but also one of the most difficult

対日本戦通算4ゴールの Tim Cahill は“日本は私の好きな対戦相手だが同時に最も難しい相手でもある。”と語った。
“日本戦を思う人達は我々の対日本戦に就いて知っている。明らかに私はその中心にいるだろうがそれは悪い気はしない。”
31歳のCahill は他の同僚達と同様に Asian Cup を終えても代表から退くつもりはなく4年後 2015年に地元で開催される Asian Cup への出場についても喜んで辞退するわけではない。
“正直に云って私は身体が動かなくなるまで代表選手でいたい。もちろん2015年までプレーをしたいが多くの若い選手が出てくることも望んでいる。そして私が彼らの一部になれればと思っている。 ”
そして決勝戦に就いては “私はここに休暇に来たのではない。そしてここにただゲームに出場しに来たわけではない。ここでオーストラリアのサッカーの違いを示しに来たのだ。”と述べた。 

そしてオーストラリア地元紙はしきりに香川の離脱を伝えていた.....

    

Blue murder: A lightning raid, then Samurai strike guts Socceroos 

オーストラリアは充分に勝利に値するチャンスを作った。
しかし延長戦に入っての守備のミスが勝利を手にする事が出来ず次に持ちこされる事となった。その持ち去られたものは、綺麗なサッカーをしてくるであろう日本に対して広い地域で試合を流れ良く続けたオーストラリアが勝ち取るべくメジャー大会の王者の称号であった。
Blue Samurai に 1-0で敗れた彼らのパフォーマンスは特に体格に勝りパワフルなオーストラリアが自分達の強さとフィジカルで優位にたつオーストラリアが早くてより技術の高い日本を打ち負かすと考えた人達には関心を惹いた。試合の多くをオーストラリアはその通りであった。

  

彼らはよくボールを回し中盤でプレスを掛け日本がショートパスを繋ぐ時間やスペースを許さなかった。空中戦の強さを充分に活用した。それはただPA内にロングボールを放り込むだけでは無かった。 Soccceroos 達は中盤でボールを支配し時折素晴らしいコンビネーションを見せた。そして対戦相手からスペースを作った。彼らはただ Holger Osiek 監督が嘆いた様にフィニッシュが出来なかった。
日本戦で何度もゴールを決めている Tim Cahill はいくつものハイボールからの空中戦でそしてそこから繋がらなかったり日本が必死にクリアーしたが何度もチャンスを創り日本にとってはまたも脅威となった。
守備の方でも後半 Shinji Okazaki のフリーのヘッドをセーブし前半 Ryoichi Maeda のシュートを防いだ。オーストラリアの守備は広範囲で優位を保ちLuca Neil, Sasa Ognenovski は強固に真ん中を固め Luke Wilkshire とDavid Carney は何度も前線に絡んだ。
こういう状況下で疲労した脚と心が引き起こしたわずかなミスが命取りとなり Socceroos の2度目の挑戦でタイトルをのがした事をくよくよと考える事は酷な事だろう。 Harry Kewell と Tim Cahill はゴールを挙げられなかった。そして Mark Schearzer は決勝ゴールに対して殆どなにも出来なかった。 Carl Valeri と Nile Jedinak そして Matt McKay は相手DF陣を切り裂くパスを出せなかった。
そうだ109分には Luke Wilkshire が Yuto Nagatomo の突破を許しその日本のウィングバックに決定的なクロスを上げさせた。そうだそのDF選手は6回も7回も突破して来た。 そうだ左サイドバックの Carney は説明しがたくその時中盤まで上がっており Tadanari Lee をお手本の様なボレーシュートを放てるだけの時間とスペースを出来るだけフリーにしていいた。彼は大会前の準備試合には出ていなかったがそんなこと大陸地区の決勝戦では関係の無い事だった。

    

それは Carney がすぐに忘れられない失敗だった。
しかし時にはこんな事が起こり得る。試合は何度も一瞬の輝きの様な一方のエラーで決まる。それが人生で、スポーツは気まぐれな何かを写し出すたとえそれが退廃させるよくない結末だとしても。
“それは延長戦も終盤だった。 単なるポジションのミスだった。 そしてそれが致命だった。それに就いて誰かを非難したくはない。我々のいつもの守備のポジションでは無かったがそこに他の誰かを行かせるのは全く不適切な事だった。”
“我々にはチャンスがあった。試合後半にはピンチもあった。 我々は決定力に対してもっと機能的でなければならなかった。試合を支配したりチャンスを創るだけでは不充分だ。勝つためにはゴールを上げねばならない。”
“好チーム同士のたいへん面白いゲームだった。 我々がどれだけ落ち込んでいるか解るだろう。 我々の絶対に勝てる試合だった。ただそれを勝に結びつけられなかった。 しかし私はこう言いたい。私は選手達、彼らのパフォーマンスそして大会期間中の姿勢を誇りに思う。 選手達はファンタスティックな姿勢を貫きただ私は信頼していれば良かった。だから彼らの努力に対して報酬を与えられなかった事を非常に悔んでいる。”

試合後選手達の労をねぎらう Osieck 監督のコメントが印象的だった....  続く




Asian Cup それから 中国球迷達の苦悩は続く….

2011-02-12 | Football Asia

Asian Cup が開幕して間もない1月11日。中国政府はステラ戦闘機のテスト飛行を認めた。これは“丁度” Robert Gates 米国防長官が中国を訪問していた時だった。
勿論中国側は長官の訪問とテスト飛行の容認は“無関係”と話している。
その翌日今度は中国人民銀行がポルトガルに次いでスペインの国債を買い取る事に“前向きな”姿勢を見せている事を発表した。中国が購入したポルトガル国債は総額約5億9,900万ユーロになったらしい。スペインはいくらになるのだろう。
そして1月14日、ついに中国のGDPは日本を抜いてアメリカに次いで世界第二位になったとの発表があった。 中国の青天井の発展。日本経済の底の無い衰退を引き合いに出し比較する人がいるが、勿論私を含めそうは思わない人も多い。
これでもう “ ODA “ という名目でたかられることも無いだろう…. それに国民1人の頭割だと世界ではまだ94位だ…

だが中国経済が世界で影響を与えている事は間違い無い。欧州で“国債”を買い続けるのも米ドルと並んで回復の兆しの無いユーロの下落を防ぎ、中国製品の販売促進を考えての事だ。手法はどうであれ、円高対策に無策を続ける日本政府とは対照的だ…

経済では世界に存在感をしっかりと示しているが今回の Asian Cup でも存在感は全く示せないまま2大会連続1次リーグで消えた。
ワールドカップ予選は2大会連続で最終予選にすら進めず五輪も地区予選を勝ち抜いての出場はソウル五輪が最後(あの時最後に負かされたのは日本だったど)。

今やアジアでも Second Class に沈んでしまった中国サッカー。この Asian Cup では私の目論見では準々決勝で日本と当たって我が Samurai Blue に粉砕される事だったけど、日本とはもう同じ土俵に立てないレベルになってしまった。
昨年の東アジア選手権では“中国サッカー復活”の兆しを見た気がしたんだけどな……

中国 0-2 カタール 

中国は初戦Gulf Cup of Nations と西アジア選手権を共に制し“二冠”に輝いたクウェートを破る幸先の良いスタートを切り、第二戦地元のカタール戦に臨んだ。
カタールは開幕戦となった初戦、ウズベキスタンに 0-2 の完敗を喫しておりこの中国戦はまさに剣が峰。ホスト国としてそして決まったばかりの11年後のワールドカップへのスタートに向けて引き分けも許されない状況だった。
Metsu 監督はウズベキスタン戦で途中でベンチに下げた3人、 FW Yaser M. Abdukrahman, Jaralla Ali Al-Marri そして MF Fabio Montesin に替えてMohamed M. Sayed, Yusef Ahmed Ali そして DF Kasola Mohammed らがスタメン起用された。
この起用に Abdulrahman が不満を唱えチームから追放される事に。
一方中国代表もスタメンを3人入れ替えた。何故かGK楊智が曽城に、FWは楊旭に替って郜林。そしてMFが張琳芃に替って干涛が起用された。同じポジション同士の選手の入れ替えの様な気がした。昨年優勝を勝ち取った東アジア選手権の日本戦のメンバー9人が含まれていた。そしてGK曽城もそうだった…楊智は東アジア選手権では背番号22番だったがこの Asian Cup は1番だった。GK楊智はハートがやや弱いらしいが。

試合は両チームともなかなかシュートシーンに持ち込めない。開始25分に中国は最初のCKのチャンスを掴むが得点に至らずその2分後日本戦でも右サイドからの突破で苦しめた Yusef Ahmed Ali が鮮やかなボレーシュートを決めて先制ゴールを挙げた。カタールが欲しくてたまらなかった先制ゴールがこんな早い時間で決まりこれで試合の主導権を握る事に。
その後も Sebastian Quintana を中心に中国の左サイドをどんどん突いて来る。
そして前半終了間際、中国ゴール前でこぼれたところをまたも Ahmed Ali に押し込まれ前半で2点のビハインドを追う事となったがこの時点で中国の勝利は霧散していたのかもしれない。
この日スタメンに起用された楊昊はどちからと云うと守備の面で期待されたらしいが後半から蒿俊閔と替ってベンチに下がって行った。そして追加点を喫する前の前半42分でFW郜林がベンチに下げられたがこれはそれまでの韓国人のキムドンジン主審の判定に激高してイエローカードそしてレッドカードを貰わない為。前半で楊昊と曲波が警告を受け曲波は次のウズベキスタン戦は出場停止となった。 

後半に入ってもスコアーは動かず 2-0 でカタールが勝利を収めた。 中国は開始60分で交代枠3人を使いきる等選手起用にも疑問が残った。
試合後高共波監督は “この日は組織的な攻撃が出来なかった。2失点を喫したが我々は相手にプレッシャーを与える事は出来た。だから彼らの攻撃は外へ展開していた。 だがこの日の我々は攻撃力が乏しかった。 その一方でこの試合の雰囲気は大変経験になったと思う。そしてプレーの質をアップさせる手助けとなるだろう。 この試合には敗れたが次の試合は大変重要だ。我々はすぐに準備にかからねばならない。” この様に語った。
この試合は絶対に勝点3が欲しかったカタールの方が難しかったはずだ。中国は引き分けでも充分だった。高共波監督はそこを理解していただろうか…。 そしてこうも語ったカタールはシュート4本中2本が決まった。中国の枠内シュートは3本だけだった。 幸運も必要だ…

 

対カタール戦 Asian Cup 初黒星
中国の対カタール戦はこれで6勝4分3敗となったがこれまで5回対戦した Asian Cup では5連勝中だった。 1984年広州での Asian Cup 予選 ( 1-0 ) そしてバンコックでの Asian Cup 本戦 ( 3-0 ) 1992年広島大会1次リーグ ( 1-0 ) 2000年レバノン大会1次リーグ ( 3-1 ) そして2004年中国大会1次リーグ ( 1-0 ) 。
しかしワールドカップ予選ではカタールを苦手にしていた。1997年フランス大会最終予選。 大連でのホームは 1-1 で引分けドーハでのアウェー戦は 2-3 で敗れ、南アフリカ大会アジア地区3次予選でも両者は対決しておりドーハでは 0-0 の引分けに終わったが中国のホームゲームでは Sebastian Quintana のPKでカタールが中国を破っている。
2001年ワールドカップ予選、ドーハでのゲームは終了直前、李偉峰の起死回生のゴールで追い付き最後はホームで 3-0 で降して初のワールドカップ出場を決めた。 だが中国は対カタール戦では苦い思い出がある。1989年シンガポールとマレーシアで開催された最終予選のカタールとの最終戦。 1-0 でリードしていた中国は試合終盤に3分間で連続ゴールを許し逆転負けを喫し、手中にしていたワールドカップ出場権を逃してしまった。これを 黒色3分钟 と中国で言われている。

カタール戦の中国代表メンバーは下記の通り

GK 22-曾城 DF ;20-栄昊、4-趙鵬、5-杜威、17-張琳芃 MF ;15-于涛 ( 58分,6-周海浜 )、19-楊昊;21-于海( 46分,8-蒿俊閔 )、10-卓翔、11-曲波;18-郜林( 41分,9-楊旭 )


中国 2-2 ウズベキスタン
中国の1次リーグ最終戦は前大会と同じウズベキスタン戦となった。
4年前はウズべキスタンが1勝1敗( 5-0 マレーシア, 0-1 イラン ) 中国が1勝1分 ( 3-0 マレーシア, 2-2 イラン ) の1次リーグ第3戦で対戦。中国が引き分けても良かった試合だったが試合終盤に Shatskikh, Kapadze, Geynrikh に連続ゴールを決められウズベキスタンが逆転で1次リーグを突破し中国は本大会で初めて1次リーグ敗退となった。
今大会はウズベキスタンが既に2連勝しており1点差負けでも1次リーグ突破。中国は2点差で勝たねばなかった。
中国は李学鵬が怪我から復帰し今大会初登場。累積警告で出場停止の曲波に替って Bundesliga Schalke 04 で内田と共にプレーする今大会中国代表唯一欧州でプレーする高俊閔が起用され、卓翔に替って汪嵩がスタメン起用され郜林のワントップに。
ウズベキスタンは FW Novkarov が Tursonov に替って起用された以外はクウェート戦と同じスタメンだった。中国は杜威だけが、ウズベキスタンは Haydrov, Djeparov, Shatskikh そして Kapadze が4年前の直接対決での出場経験者。

開始1分53秒左サイドを Geynrikh のスルーパスを受けた Kapadze がファーサイドに折り返し Shatskikh が完全にフリーで放ったシュートはクロスバーを大きく越えてしまう。ウズベキスタンに先制されたら中国の1次リーグ突破はほぼ霧散してしまう。だがすぐに中国が先制ゴールを決める。5分9秒PA付近で得たFKを汪嵩が入れ李学鵬がヘッドを放つがGK Nestov が右に倒れ込んでナイスセーブで防がそこで得たCKを楊昊がショートコーナーで蒿俊閔とのパス交換から入れたライナーのクロスにネアーに飛び込んだ干海が頭で合わせてウズベキスタンゴールに捻じ込み中国が先制点を挙げた。
しかしウズベキスタンはまだ1次リーグ突破圏内で中国はもう1ゴール必要だった。 そして1点を失ったウズベキスタンが失点後のキックオフから攻勢に出てくる。16分にはPAエリアのすぐ外で得たFKを Djeparov が直接狙うがGK楊智がファインセーブでクリアー。しかし中国もカウンターで対抗。この試合はワントップの郜林のみならず干海と蒿俊閔が前線に飛び出してくる。20分にはCB趙旭日のミドルがクロスバーを叩いた。中国としては早く2点差にしたいところだった。しかし30分 Djeparov のスルーパスからAhmedov が抜け出してGKと1対1になり放ったシュートが中国ゴールに突き刺さり試合を振り出しに戻した。これで中国は再びあと2点は取らねばならなくなった。
そして更にウズベキスタンが試合を優位に進める。 Djeparov, Geynrikh そして Kapadze , Shatskikhらが空いたスペースに飛びだし、またポジションチェンジを繰り返すので中国DF陣は完全に後手に回っていた。それでも中国はカウンター攻撃から何度かシュートに持ち込む。 中央の汪嵩から右サイドを上がった蒿俊閔にボールが出てそこから上げられたクロスを郜林がフリーでヘッドを放ったが再び Nestrov が右手1本で掻き出した。前半だけで 中国はNestrov に2度決定機を阻まれた。Nestrov は44分にも張琳芃が放った強烈なドリブルシュートもしっかりと抑えた。
前半終了間際には Geynrikh が右サイドを上がった Novkarov からのマイナスのパスを受け出したスルーに Djeparov が抜け出し李学鵬と競りながらシュート体勢に入るがボールがヒットせずGK楊智に転がった。 前半はウズベキスタンが攻める時間が長かったが決定機は中国が多く思えた。実際に枠内シュートは中国7、ウズベキスタン4だった。そして両者1ゴールずつで前半を終えたが中国には不充分だった。 同時刻に始まっていたカタール対クウェート戦では前半終了で既にカタールが 2-0 でリードしていた。



後半中国はMF趙旭日が下がってDF劉建並が投入された。フォーメーションはどうするのだろう。ウズベキスタンのキックオフで始まった後半は31秒Geynrikh が放ったミドルが中国ゴール左上隅に突き刺さり逆転ゴールを決めた。 Geynrikh は4年前の Asian Cup中国戦でゴールを決めている。
これでウズベキスタンは一気に楽な展開に。中国はあと3ゴールを挙げねばならなくなった。それでも中国は同点ゴールを目指して攻撃に転ずる。そして55分郜林に肘を入れた Ismairov にイエローカードが出されて得たFKを高俊閔が右足で鋭いカーブを掛けて直接ゴール左上隅に捻じ込み試合を振り出しに戻した。 これで中国は今大会4連続でセットプレーからの得点となった。本田、遠藤、中村俊輔顔負けのFKだった。
同点ゴールから3分後中国は決定機を逃す。 中盤高俊閔からのスルーパスが左サイドを上がった汪嵩に通り入れたクロスに郜林が完全にフリーで叩きつけたヘッドは大きく弾んでウズベキスタンゴールを外れて行った。完全に1点もののシーンだった。 これが入っていたらこの試合は解らなかった。

 

60分中国ベンチは先制ゴールの干海をベンチに下げ楊旭を入れ郜林と2トップを組ませ汪嵩を干海のいた2列目左に回った。 188cm 楊旭、185cm郜林の長身選手を入れたが干海を何故下げたのだろう…
73分には楊昊に替えて卓翔を入れ次のゴールを狙うがなかなかゴールが決まらない。そして86分楊智のゴールキックを Geynrich が劉建並に覆いかぶさるようにが競り合いにオマーン人の Mohamed Masoud 主審のホイッスルが鳴り劉建並のファールとされると高共波監督がライン際まで出て行きイラン人の Faghani Alireza 第4審判に “ why why “ と連呼ししつこく抗議。 すると Masoudo 主審が高共波監督を退席処分にしてしまい、残り時間を高共波監督はスタンドで観戦する羽目になった。結局スコアーはそのまま動かず 2-2 で試合が終わり中国の2大会連続1次リーグ敗退が決まってしまった。
大会前の FIFA ランクで中国は87位。クウェート 102位、ウズベキスタン 109位、カタール114位。一応中国が一番上のランクだったのだが…

ウズベキスタン戦のメンバーは下記の通り。
GK 1-楊智;DF ;20-栄昊、2-李学鵬、5-杜威、17-張琳芃 20-荣昊、MF ;7-趙旭日 ( 46分 13-劉建並 ) 19-楊昊 ( 73分 10-卓翔 ) 21-于海 ( 60分 9-楊旭 ) 14-汪嵩 8-蒿俊閔;FW 18-郜林

対ウズベキスタン戦 公式戦3敗1分
今回のウズベキスタンで通算成績5勝3敗1分となった中国だが、その3敗全てがアジア大会、 Asian Cup での敗戦。1994年広島でのアジア大会決勝戦 ( 2-4 ) 、1996年 Asian Cup UAE 大会の1次リーグ ( 0-2 ) 2007年 マレーシアで行われたAsian Cup 1次リーグ ( 0-3 ) そして今回の引分。5勝は全て親善試合等のAマッチ。ワールドカップ予選での対戦はまだないが次の予選で対戦するとどうなるだろう…

中国の抱える勝負弱さの原因は…
今や五輪でも最高の金メダル獲得数を誇る中国ではあるがサッカーとは無縁の話だ。それはかつてのソ連邦もそうだった。 旧東側が“誇る”科学的トレーニング(それともドーピング)では個人の筋力や運動能力を高め水泳や個人種目では好成績に繋げられるがサッカーや球技の様な駆け引きやチーム戦力も必要とされる種目では成果を挙げられない。もっとも全ての球技で日本が中国を上回っている訳ではないが。

韓国のスポーツ朝鮮紙(中国では朝鮮体育)は中国男子サッカーが低迷する原因を下記の通りに表していた。

選手の個人能力の衰退
日本、韓国ともに欧州のクラブチームと契約出来る選手が特に若い世代で増えて来ている。中国は今大会蒿俊閔以外は全て中国超級でプレーする選手。 前回は登録選手の中では李鉄や孫継海ら4人の選手が欧州組だった。ただ李鉄は出番が無かった。それに代表では欧州組はあまり重宝されていない。個人プレーに頼り過ぎると言う印象がある。問題なのは中国超級のレベル。 ACL でも上位に残るどころか1次リーグを突破出来ないクラブが殆どだ。 まぁそういう意味では今シーズンの ACL での J-League 勢の躍進を期待したいのだけど…… 
80年代末から90年代初旬にかけて活躍した馬林、賈秀全、柳海光、謝育新、段挙らソウル五輪予選で日本を破った選手達が懐かしいという中国球迷もいる。
私も違う意味でその時代の選手が懐かしい….

一人っ子政策の弊害
1973年から中国で“施行されている”一人っ子政策の弊害がここにも表れているとの事。年代別にグループ分けして行う強化が欠けており、今中国協会でもこの強化に着手し始めているらしい。
韓国がどれだけ年代別の強化をしているかは不明だけど日本は年代を細かく分けての強化がなされている。(その強化方法はまだまだ途上段階と言われていが。)

少子化の影響でサッカーを初め人材の激減が懸念されている。 
ただ少子化における諸問題は日本も韓国も一緒と思われる。
アジア大会での女子サッカーの不振を見て負傷で大会に参加出来なかった美人ストライカー韓端は自分達の時代と比較して “サッカー少女”の激減を将来の女子サッカーの衰退になると懸念していた。
人材の枯渇もそうだけど、一人っ子政策の弊害は“子供”の性格。 スポーツの様に根性の必要な事をしようとする子供が激減する事の方が問題。 まぁ貧富の差がまだまだ激しいからその辺の“人材”はまだ無尽蔵か…

  

協会の体質
韓国紙で見られたある書き込みで “韓国協会も混乱しているが中国より強い。そして勝っている。少なくとも自分のポケットだけを満たそうとおもっている役人はいない。”
一昨年、選手、審判団そして協会役員まで連座したという八百長事件がおこった。 韓国や日本では考えられない事だ。東アジア選手権ではそれを乗り越えて日本と引分け史上初めて韓国を破り優勝を果たしのだけど…この大会は韓国、中国よりも調整が上手く行っていただけと言う事か…
高共波監督は就任後国内組を中心にチーム編成を行っている。今は途上段階。目指すは次のワールドカップ予選突破という地元専門家もいれば今回の Asian Cup の不振を “漫漫長夜才剛剛開始” 長い夜がたった今始まったばかり。と表現する地元紙も。 

2年後次のワールドカップ予選が終わって日本と中国の立場が替っていない事を望む。

そして最後に云わせてくれ。 日本のマスコミ媒体は中国選手名を“日本読み”で“発音”する。杜威 ( Du Wei ) は“とい” 曲波( Qu Bo ) を“きょくは“ 卓翔 ( Deng Zhuo Xiang ) は”とうたくしょう” GK 楊智 ( Yang Zhi ) は”ようじ”。
テレビで見ていても誰か解らない時がある。中国語促進も兼ねて普通話の発音で行ってくれないかなぁ…. 韓国人選手だと韓国読みだろう…朴智星をだれも“ぼくちせい”とは云わない。まぁ70年代は金大中氏を“きんだいちゅう”と呼んでいたけど…


Asian Cup それから…. 開催国カタール

2011-02-06 | Football Asia

日本の4度目の大会制覇で幕を閉じた Asian Cup 2011。
今大会は中東勢が1カ国も準決勝に残れなかった。その原因は色々挙げられているがかつて湾岸諸国、西アジア諸国に対抗出来たそれ以外の国は韓国でしかなく1990年代に入りようやく日本がそして2006年オーストラリアが AFC に加盟し西アジア、アラブ諸国勢力一辺倒から勢力図が書き換えられる様になってきた。
中国は1988年のソウル五輪では“東アジア地区”での予選を最後は日本を破って出場を果たしたので本当に西アジア諸国を破っての予選突破となると2002年のワールドカップの時くらいだ。
今回23年振りに Asian Cup ホスト国となったカタールは11年後のワールドカップ開催国。大会運営ぶりも注目されたと思う。 実際に現地に行っていないので詳細は解らないが改善の余地はまだまだあったらしい….

カタールは Football が出来る事を証明した。 1月22日 日本戦を終えて….

ワールドカップへのチェック、スタジアム計画。それらは済んだ。今やカタールはピッチの外でも共に壮大な計画を共有するサッカー代表チームを携えている…
カタール代表チームはFIFAランクで76位も上回る日本を相手に2度のリードを奪いながらもわくわくする様な準々決勝戦で敗れた。Al Gharafa 競技場に集まった約20,000人のカタールサポーター達は絶え間なくカタール代表に声援を送り続けたが終了直前の Masahiko Inoha の得点により10人の日本代表が 3-2 で勝利を収め準決勝進出を果たした。

我々は世界中にカタールチームが Football が出来る事を見せる事が出来た。 日本選手達のリアクションをみて彼らにとってこの試合がどれだけ難しかったかが解る。 もし良いチームを相手にしたのでなければ、2度もワールドカップで成功したチーム( 2002年大会と2010年大会の事か??) で成功したしームがあんなに喜んだりはしないだろう。“ 試合後 Bruno Metsu カタール代表監督は語った。

カタールは Asian Cup に感銘を受けた…
1月24日 準決勝進出戦を前に 1月24日、準決勝戦を前に Mohamed Bin Hammam AFC 会長はカタール主催の Asian Cup を賞賛しこの経験は2022年に当地で開催されるワールドカップへの良い予兆をなると語った。

“大会運営は非常によく準備されている。2022年まで12年(実際は11年半?)あるが今大会は大変良いリハーサルとなっている。” “今大会には非常に優れたチームが参加している。少なくとも10チームは大変レベルが高い。 ウズベキスタンは高い前評価は無かったが今や素晴らしいチームだ。それに日本、韓国、オーストラリアと云ったアジアでもトップクラスのワールドカップ出場国が残っている。
しかしカタールもよくやった。それにイラン、イラク、 ヨルダン、シリア。多くの国が良いプレーを見せた。” とこの様に語り、 Al Jazeera 紙はこのアジア大会と 2022 年ワールドカップの違いは華氏 122度 ( 摂氏50度 ) にも上るコンディションで試合を行わないと言う事でこの事に就いては今後も協議され続けるだろう。 と述べている。また今年5月に開催される今は Sepp Blatter 氏が就いているFIFA 会長選挙に就いては出馬を諦めないとも語っているらしい。アジアのレベルが上がり Asian Cup が世界でも認められる大会になる事が彼の会長になる手助けとの事だった…

この声明が地元紙に掲載されるなど発信されたのは準決勝戦が始まる前、まだ大会の全日程が終了していなかった。




決勝戦 入場出来なかった多くの人が… 

日豪対決の決勝戦が行われた裏では… 日本対オーストラリア戦の1時間前に多くの人達が競技場に入れずに騒ぎになったらしい。(日本のマスコミはあんまり伝えていないらしいけど。)
決勝戦翌日 Jassim Al Romaihi 大会運営委員長は “前日 ( 決勝戦当日 ) 競技場敷地内に入ろうとした数千人の殆どがチケットを持っていなかったと発表したが約700人はチケットを持っていたのに警備上の都合からキックオフの1時間前に入場門を閉められ競技場への入場を拒まれたらしく、大事な事はこういった事が2022年ワールドカップで再び起きない様にすることだ。我々は試合前に“早く来るように”促した。前日は警備上の都合から約3,000人の観衆が中に入れなかった。多くの人達がチケットを持っていたので問題が大きくなってしまった。チケットを持っていた人には申し訳ないと思う。この事が大会に悪印象を与えない事を願っている。 と語ったらしい。

しながら事実は異なる様でこの件に就き地元放送局 Al Jazeera には数え切れないくらいの抗議文が寄せられ Facebook, Flicker にも実情が寄せられていた。

決勝戦当日 Khalifa 競技場にいたあるボランティアによると“午後3時15分にゲートの1つが空きインド、フィリピン、パキスタンからの労働者達が競技場内に入って来て午後4時までには両方のゴール裏が満席となった。そしてまだ他のバスが待機していて午後4時半から5時の間にバスから降りて来た人達がスタンドの真ん中あたりに着席し始めた。”と語っていたらしい。
大会の観客の入りは比較的乏しく、世界に中継される決勝戦を満席にするだけでなく当日観戦に来た Sepp Blatter FIFA 会長への“デモンストレーション目的”も考えられ、空席を避ける為に海外労働者を動員したのだがそれが裏目に出た様だ。

Jassim Al Romaihi 運営委員長はチケットを持っていない人達がグランドに入ろうとした、とこの事実を認めていないが、前出のボランティアは

“外にいて入れなかった人達はみなチケットを持っていた。彼らはそのチケットを手に持って訴えていた。 競技場内に入れられた人達はみな風船や旗を持って本当のファンの様に自らを装っていた。”

と語ったチケットを持っていながらん入場を拒絶された人達の中にはこの試合を見ようと地球を半周してやってきた人もいたらしい。 チケット代金は払い戻されるそうだが Al Jazeera 紙に寄せられたコメントはそんなことで済まされないと言うコメントばかり。
“払い戻し? そんなのは忘れるべきだ。 大変な目にあった人達はどうするんだ。”  “失望感まで払い戻しできない。 無作法で冷淡な警備員が肩をすくめたり、せせら笑っていた事をどうやって払い戻せるのだ?” 
“私は100人くらいの人達と共に次々に別のゲートに案内された。グループの中には女性も子供もいた。” “警官達は普通の人達をフーリガンに見立てた。かれらこそ危険で無責任だ。”

日本が優勝を飾った決勝戦の裏側ではこんな悲劇が起こっていた。
100% 大会当局の責任者達は罪の意識を感じていないだろう。それに被害者達の為に再試合等出来ないので救済処置は事実上ないわけだ。

チケットがあって入れない…

思い出すのは1993年10月私がルーマニアに行った時だ。ワールドカップ予選のルーマニア対ベルギーの試合があるので現地事務所の人がチケットを手配してくれた。 試合開始30分ほど前に競技場に着いたのだけど多くの人達が中に入れない。そしてみんなチケットを振りかかざしている。最後は遂に警官隊が物を投げた群衆に突進した。幸運にも?私は警官隊との衝突には巻き込まれなしなかったが結局あきらめてホテルで数人に現地スタッフ達とピザとビールを飲みながらテレビ中継を見ていた。
試合はルーマニアが 2-1 で勝った。 ハジ、ポペスク、ラドチョイ、ペトレスク…ルーマニア歴代最強のチームだった。ベルギーもシーフォがいて結構なゴールデンカードだった。 そしてテレビに映し出された観客席は超満員だった… ドーハの悲劇の2週間程度前だったなぁ……

もし自分が Asian Cup でこういうトラブルに巻き込まれていたら…悔しくて何をしでかすかわからない…カタールだったら牢屋にぶち込まれる様な事をしたかもなぁ…

でもこれで1つの教訓。やっぱりキックオフ前に競技場に入らないとなぁ….ここ最近キックオフの笛を競技場で聞いた事が無い、要するに遅刻を繰り返しているのだ….. でも4時間前には行けないなぁ…
2022 年のワールドカップと云わずに次の Asian Cup オーストラリア大会ではこういう事が無い様に祈る。 何しろ現場観戦を考えているのだから……




Egyptian Premier League 延期
1月27日エジプトサッカー協会は反政府デモが三日目に突入した事を鑑み Premier League の延期を決めた。
今シーズンの Egyptian Premier League は15節まで終了しており1月28日から後半戦となる第16節の試合が始まる予定であったが以降まだ再開されていない。  Ismailia と云う Premier League の試合が行われる街では数百人の一般市民と警官隊が衝突し催涙ガスが使用された他との事だった。ここを本拠地とする Ismaily は目下首位を行く Zamalek とは勝点3差の2位につけている。 2月18日にはこの両チームが直接対決の予定であったがそれまでにリーグ戦は再開できるのだろうか…




今のエジプト情勢を見て思い出すのは自分の大学時代。
当時のサダト大統領こと Muhammad Anwar al-Sādāt 氏が暗殺された事。
大学の図書館にあった英字新聞でその記事を見つけたのだけど、夥しい流血がショッキングだった。その3年前にノーベル平和賞を受賞して名前だけは知っていた。

当時はイランがアジア代表で出場した1978年ワールドカップアルゼンチン大会後にイランでイスラム革命がおこったり、1980年8月にイランイラク戦争が勃発したり、中東事情と云うよりもイスラム教を背景にした紛争が絶えまなく起こっている気がした。 大学の教授からは“こう言った事をしっかりと掌握しないと世界に出て行って仕事なんて出来ないぞ….” と言われた。
そして自分なりに勉強した。イランイラク戦争の時には米ソを初め後に侵攻を受けたクウェートまでイラクを支援していた。そしてイスラエルがイランを支援する様になり形勢が逆転して行った。 イスラエルがまだAFCに加盟してた時からワールドカップ出場権を争って両国は対戦していたからなぁ….とその当時思った…
まさか自分がその後イスラエルに行くなんて思わなかったし、ワールドカップがアジアで開催されるとも思わなかった。 




この Asian Cup を気にまた中東、イスラム事情を勉強しなおそうかなぁ….もちろんサッカーがらみで。


日本戴冠 !! これからの日豪対決は... Japan 1-0 Australia 後半

2011-02-04 | Football Asia

両チーム選手交代のないまま始まった後半もオーストラリアの攻勢で始まる。
48分、右サイドを上がった Wilkshire に Holman からボールが渡りファーサイドに上げられたクロス、それとも直接狙ったか、Cahill が飛び込むがクロスバーに当たりそのまま真下にこぼれたところを更に Kewell が詰める、吉田と長谷部が必死に掻き出し Kewell がゴールインをアピールするがウズベキスタン人のイルマトフ主審はノーゴールの判定。

   

   

Soceroos, Aussie サポーター達にとっては先制ゴールと思った瞬間だっただろうがリプレーが映し出されたがゴールラインは完全に越えていなかった様だった。 ピッチサイドの Osiek 監督はしきりにロングボールをもっと入れろと指示を出している様だった。
53分に Zaccheroni 監督はピッチサイドに岩政を送り出すが、今野がバツ印を出している。この時点では今野が怪我をして交替を欲しているのかと思ったけど試合後、チームはまだアンカーに人を入れなくて良い…という意味だったらしい… こういうやり取りが出来ること自体代表はずっと進化しているんだなぁ…と思った。
そして56分に岩政が投入された時にピッチを後にしたのは HF の藤本だった。
香川離脱後大舞台にスタメン抜擢された藤本だったが向こう側のサイドから手を叩きながら退場して行ったが攻め込まれる時間が長く、ボールを受ける回数は限られただろうなぁ…
だがこの交代から日本は劇的に試合内容が好転する。岩政がCBに入り今野が左SBに移り長友が中盤の左サイドに上がった。それにより長友のサイド攻撃が更にオーストラリアに脅威を与えオーストラリアの右サイドからの攻撃が全くと言っていいほど見られなくなった。
62分には長友からパスを受けた岡崎が前田に送りシュートに持ち込むがここは Ognenovski がカット。65分36秒には長友がサイドを上がり送ったセンタリングを岡崎が走り込んでダイレクトでシュートを放つが惜しくもポストの右に外れて行った。
もう少し左に転がってくれたら名手 Schwarzer は完全に反応出来ていなかったので先制点だったんだけどなぁ…
しかし約5分後の71分13秒今度はまたもこちらがヒヤリとさせられるシーンが、真中で Cahill がボールを受けそこに吉田がマークに入るが Cahill は上手く左前方の Kewell に浮球を送る。 Kewell には岩政がマークに付いたがバウンドを利用して身体を入れ替えたKewell がフリーで抜け出し GK 川島と 1対1になる。そして川島の出鼻を左下を狙ってシュートを放つが川島が右足でストップ。Aussie サポーターはこの日2回目に大きく天を仰いだ瞬間だっただろう。

オーストラリアベンチは65分に Holma を下げてEmerton を投入。スタメン落ちした 185cm のEmertonは意地を見せたいのか前線でくさび役になったり自らドリブルで持ち込むなど積極的に攻撃に絡む。 78分には Luca Neil から Jedinak を通じてボールを受け右サイドを突破しゴールラインぎりぎりのところで折り返すとそこにKewell が走り込むがここは吉田と岩政が Cahill を挟み込むようにマークしシュートを許さない。

  

86分 にはまたも Kewell が今度は右サイドで抜け出してフリーで日本ゴールに迫るが最後のドリブルが少し大きくて身を呈して止めに言った川島がしっかりと掴んだ。  Kewell この日2回目の1対1だったけど共に川島に止められた。
オーストラリアは80分頃からサイドからのクロスが上がらなくなりそして後方からのロビングも正確さが落ちていた。前線の2人特に Cahill の動きに膝の調子が悪いのか切れが無くなっていた。頼みは途中出場の Emerton からの起点そしてドリブル突破となっていた。
2分あったロスタイムを過ぎても両チーム得点は上げられず延長戦に入った。 Asian Cup の延長戦は 1988年、同じカタール大会のサウジアラビア vs 韓国戦以来でこの時はPK戦までもつれこみサウジアラビアが大会2連覇を飾った…

オーストラリアのキックオフで始まった日本は準決勝戦に続いての延長戦。 Socceroos は主力選手が30歳前後になっており共に体力勝負そして交代選手を含めたベンチワークの戦いになると思った。そして試合時間が無くなって来ると文字通りパワープレーを掛けて来られフィジカルの差が出て来るか…と少し心配になった。 98分日本ベンチは2人目の交代選手李忠成を準備する。だれと交代かと思うとワントップの前田との交代だった。韓国との準決勝戦でも延長後半にピッチサイドに立ったけどその直後に長谷部が故障して交替出場はならなかった。韓国戦という事で忠成は出たかっただろうに…

100分49秒、内田が倒されボールがこぼれたがホイッスルが鳴らず Cahill が拾って Emerton に繋ぎ左サイドを上がった McKay に送ると McKay がゴール前に上げたボールを川島がキャッチしようとしたところを Cahill が身体をぶつけて来る。
ホイッスルが鳴ったけど当然出るものと思われたイエローカードは出なかった。
101分50秒には中盤でボールを受けた McKay が岩政がマークに来る前にワンタッチで前方の Kewell に送るとマークに入った内田をハンドオフで倒して右から切れ込んだ Emerton に送ると今野がマークに入る前に Emerton はシュートを放つ。
この直後オーストラリアベンチは動きの落ちた Kewell をついにベンチに下げて若い Kruse を投入する。 自身3度目の日本戦で恐らく対日本戦最高のパフォーマンスを見せただろうがゴールを上げる事は出来なかった。

   

103分17秒、入ったばかりの Kruse が左サイドでEmerton が右から上げたクロスをヘッドで狙うが、ゆっくりと日本ゴールに向かった弾道は最後は川島が一杯に伸ばした右手で掻きだす。 これが入っていれば翌日のオーストラリア紙は“世代交代”の見出しが躍っていただろう…
104分45秒にもCKからのこぼれ球を拾って McKay が強烈なミドルを放つがクロスバーを越えてくれた。延長前半終了間際に長友のドリブル突破から最後は本田がほぼ正面から狙いすましたミドルを放ったがポストの左に外れて行く。韓国戦でもそうだったが長友の無尽蔵のスタミナは陸上の中長距離でも通用するだろう…とこの時思った。だけど延長前半もオーストラリアが日本ゴール前に迫るシーンが多かった。

 

延長後半が始まる前に両チームの選手達が示し合せた様に水分補給をして休息をとる。本当はインターバルはないのだけどイルマトフ主審も特別試合再開を促す様子も無かった…

そして試合再開5分後の120分、ついに決勝点が決まる。左サイド長友からの素晴らしいクロスをフリーで待ち受けた李忠成が完璧なボレーを Schwarzer が守るオーストラリアの右側に豪快に叩き込んだ。こればかりは Schwarzer も弾道を見送るしか出来なかった。

  

    

忠成のボレーも素晴らしかったが長友のクロスそしてクロスを上げる動きが素晴らしかった。最初に本田からボールを受けてサイドを上がった時は CB の Lucas Neil がマークに付いた、長友は一旦は後ろの遠藤に下げ、今野にまでボールが戻されたが、再び遠藤から戻ってきたボールを受けると左サイドをドリブルで上がり次にマークに着いたサイドバックの Wilkshire を振り切り矢の様なクロスを待ち構える忠成に送った。最初に長友を Neil が対応している時から忠成は中央やや右に上がってクロスを待っていたがオーストラリアDFは彼を全くケアーしていなかった。本来は David Carney がマークをせねばならなかったのだか疲労と元来が攻撃的な選手だった事が忠成をフリーにしてしまったのだろう…
李忠成も2007年五輪予選のドーハでのカタール戦に先発出場して67分で退いている。あの時決められなかったゴールをこの試合で決めてくれた。
狂喜乱舞する Samurai Blue イレブン、対照的に座り込んでしまう選手もいた Socceroos …

しかし時間はまだ10分残っていた。5年前はラスト8分で3失点を喫した。オーストラリアが同点に追い付けば Socceroos 達はまた生き返る…そして韓国戦の悪夢も思い出す。 だが試合再開直後に今度は Cahill が下がって MF Kilkeny が入り中盤に入り Emerton がワントップに入る。 オーストラリアはこれで2トップが退いた事に。
最後の交替の1枚を DF 選手だけど 193cm 長身のSpiranovich または FW McDonald を入れられるのが怖かったのでこの人選には少し胸をなでおろした。

111分25秒 岡崎がオーストラリアゴールに迫ったところをMckay がバックチャージで倒してイエローが出される。絶好の位置のFK,時間を懸けて遠藤と本田がボールをセットする。デンマーク戦の様に遠藤が….と思うが右上隅を狙った遠藤の直接FKを何と Schwarzer は大きな掌でキャッチ.。彼の凄さを見せつけられた。
115分Wilkshire のCKから Ognenovski が長谷部と吉田と縺れながら放ったヘッドはGK川島の正面だったがそこに Jedinak が肩からぶつかって来る。だがイエローは出ない。 117分オーストラリアは WIlkshire のCKに数人の選手がなだれ込み川島がぶつかられて倒れるがノーホイッスル。この日のイルマノフ主審はPA内でのハンドやこう言ったプレーにはかなり寛容だった。

119分内田を下げて伊野波を入れる。韓国戦の様に5バックになるなよ…と思うがここはDF同士の交代。そしてロスタイムに入り119分45秒最後の力を振り絞って日本ゴールに迫るオーストラリアは Kilkeny が日本ゴール前にボールを放り込むが McKay の前に入ってクリアーに入った岡崎の手に当たりハンドを取られる。ゴール正面、絶好の位置でのFKだったが幸運にも Kewell も Cahill もベンチに下がっていた。 誰が蹴るのだろと思うと Carney が直接狙ったFKは壁にそのまま当たり、こぼれ球を拾って何とかクリアーをすると 122分ついに試合終了のホイッスルが鳴り、8年振りのアジア王者のタイトルを奪還した。

試合に勝って嬉しかったが内容は2006年ワールドカップの時の様に押されていた。

敗れたオーストラリアは若い選手が出て来た反面肝心なところで頼れるのは前のワールドカップメンバー…結果と今後の課題残した。 ( だけどこの課題は今に始まった事ではないけど )

    

日本は大会への準備が全くと言っていいほど出来ない中での優勝だった。7月の南米選手権が楽しみになって来た。
楽しみと言えば4年後の Asian Cup はオーストラリア開催だ。オーストラリア大陸は私の庭だ。その時まで身体がしっかりと動く事を祈るよ。

そして大会が終わって約一週間が経ち、長友のインテルへの移籍やポスト Asian Cup の話題も尽きないようだけど、私の睡眠不足はまだまだ解消されないままだ……

だけど次の豪州出張が楽しみでもある…


日本戴冠 !! 日豪新時代になればいいなぁ… Japan 1-0 Australia 前半

2011-02-04 | Football Asia

日本列島は Asian Cup の快挙がまだ冷めない。
決勝ゴールを決めた李忠成は今や時の人だ。
ワールドカップで好成績を残し、学生、若手主体のメンバーで臨んだアジア大会で優勝。(なでしこも優勝して男女アベック優勝。)そして Asian Cup タイトル奪還。
政治、経済で出口の見えない閉塞感漂う日本列島でサッカー界が次々に国民の前に見せてくれる快挙の連続こそ抜本的な解決にはからないが人々の顔を上向きにしてくれる明るい話題である事は間違いない。全てのスポーツに於いてこの様に発展してくれることを願う…
Asian Cup のタイトルを欲していたのは当然日本だけでは無い。決勝戦の対戦相手オーストラリアもそうだった。エース Harry Kewell はLiverpool 時代に FA Cup, UEFA Champions League のタイトルを勝ち取ったけど Green and Gold のユニフォームを着た時の最高のタイトルは…2004年の Oceania Nations Cup らしい…
昨年 AFC Women’s Asian Cup ではオーストラリア女子代表こと Matildas が見事に優勝。今大会は Socceroos もアジアのタイトルを勝ち取り男女そろってアジアの頂点が大きなモチベーションだったとの事。 この6年間で激増した地元サポーター達は我らが Socceroos がワールドカップに次ぐ大会で優勝する事を望んでいたのだ。それは“サッカーファン”が日増しに強くなる“市民権の獲得”を誇示出来る機会であったからだ…

注目の決勝戦。オーストラリアはOsiek 監督口約通り左HF に McKay を、そして香川の離脱した日本は藤本をそれぞれスタメン起用した。 

 



                 GK 1 Schwarzer 194 / 85
                     ( Fulham )

3 Carney 180/70   6 Ognenovski 195/95   2 Neil 185/80  8 Wilkshire 178/71
   ( AZ )         ( 城南一和 )      ( Galatasaray )   ( Dynamo Moscow )

      16 Vareli 175/70               15Jedinak 189/88
        ( Sassuolo )                 ( Genclerbirligi )

   17 McKay 171/69                      14 Holman 177/72
      (Brisbane )                            ( AZ )

       4 Cahill 178/65                10 Kewell 180/77
        ( Everton )                   ( Galatasaray )

                  11 前田 183/80
                     ( 磐田 )

  14 藤本 173/69       18 本田 182/75         9 岡崎 174/76
     ( 清水 )         ( CSKA Moscow )           ( 清水 )

        7遠藤 177/70 17               17長谷部 177/65
          ( G 大阪 )                   ( Wolfsburg )

     5長友 170/68      4 今野 178/73        22 吉田 187/81    6内田 176/62
      ( Cesena )           ( FC 東京 )            ( VVV Venlo )      ( Schalke 04 )

                                       GK 1 川島 185/80
                                               ( Lierse )

 


              
前の Asian Cup の日豪戦出場経験者は日本では遠藤1人に対してオーストラリアは GK Schwarzer, CB Neil, DF Davis Carney それに Cahill, Kewell。他にベンチスタートの Emerton, 4年前出番は無かったが今回スタメンなのが Holman だ。そしてCahill, Valerri, Holman Neil , Schwarzer らが2009年2月に横浜で行われたワールドカップ予選でのスタメンだった。
それにしても欧州のクラブチームがよく選手を離してくれたものだ....

日本のキックオフで始まった決勝戦。開始51秒で Kewell がミドルシュートを放った。このシュートはおそらく本人も決まるとは思わなかっただろう距離からのゴロのシュートだったがイラク戦で見事に決勝ゴールを決めたエースの“この試合も決めてやる。”と云う強い気持ちの表れだっただろう。そのシュートに象徴される様に前半はSocceroos が攻勢をかける時間が長かった。1分20秒には左の Vareli から中に切れ込んだ McKay に渡りそのままシュートを撃たれるがポストの左に外れて行く。7分にはカウンターから Kewell がドリブルで日本ゴールに迫るがここは今野がマーク。  15分22秒には 攻撃参加した Ognenovski のヒールパスを受けた Wilkshire がマークに入った長友の股間を抜くセンタリングをゴール前に送るとそこに Cahill と Kewell が走り込むが何とかコーナーに逃れ、 McKay が入れたCKを今野に競り勝った Cahill がヘッドで前に送り今度は Kewell が頭で合わせるが何とかGK 川島がクリアー。 
 
27分 McKay からボールを受けた Kewell が Cahill にスルーパスを送るが吉田がマークに入りシュートは撃たせなかった。
オーストラリアの攻撃は至ってシンプル。ボールを拾うとすぐに前線の Cahill か Kewell を狙って直接ボールを放り込む。受ける方は 178cm の今野の方に寄って受けようとする。対日本戦通算4ゴールの Cahill は滞空時間の長いジャンプ力で日本DF陣を圧倒する。 そのロングボール攻撃が効果的なので日本のMFそして遠藤、長谷部がなかなか押し上げられず攻撃陣をサポートできない。Socceroos 達のロングボールがこれだけ正確とは思わなかった。かつて正確なクロスやロングボールを上げられるのは Bresciano だけだと思っていたが両サイドハーフの Holman と McKay のみならず 右SB の Wilkshire ボランチの Valeri もどんどんクロス、ロングボールを入れて来る。…オーストラリアが対日本戦を2トップで臨んでくるのは 2007年の Asian Cup の時くらいだった。あの時は Viduka と Aloisi の2トップだったけど今回の Kewell と Cahill の2トップは、より得点力が高そうな気がした。
また日本が攻撃に転じても DF と MF の2ラインがブロックを形成してシュートに持ち込ませない。それは一昨年のワールドカップ予選でも同様で今回も予想できたが、今はボールキープ力のある本田がいるからチャンスは多いと思ったが本田がボールを持つと Jedinek を初め、2人、3人と寄って来て周りを囲む。 ただ本田がボールを持つとスタジアムから歓声が沸き上がり、例えマークが着いても振り切ってドリブルで上がると更に大きな歓声が上がった。それだけ彼は大会を通じて注目をされていたと言う事か…それだけに香川の離脱が痛かったなぁ…と思った。

 

そしてオーストラリアの攻守の切り替えの速さも意外だった。前半日本のもう一つの攻撃の起点は長友だった7分59秒には Wilkshire を振り切りクロスを上げるなど韓国戦に続いて左サイドを駆け上がり大奮闘だった。サイド攻撃と言えば右サイドの内田にも期待が掛かっていた。相対する Carney は守備にはやや難のある選手。むしろこちらのサイドから攻撃の起点が多く作られるかと思ったが左HFの McKay そして押し寄せる2トップのケアーに腐心させられたのか相手左サイドを崩しての攻撃はあまり見られなかった。今大会の McKay は大いに A-League の存在をアピールしたに違いない。
守勢に回る時間の長かった日本は36分、岡崎からボールを受けた本田からPA内に走り込んだ遠藤にスルーパスが出てワンタッチで戻したところを前田がシュートに持ち込むと言う見事な連続攻撃を見せたが、前半に Socceroos サポーターを震撼させたのはこのシーンだけだった。あとは8分30秒に前にボールを蹴りだそうとした Schwarzer が芝生に足を取られ転倒し蹴り損なったボールが長友に渡り転倒時に膝を痛めて Schwarzer が戻れない無人のゴールに長友はそのまま蹴り込んだが弾道はゴールを外れフォローに戻った Carney がゴールインした場面….くらいだった。 前半は両者無得点で終わったがその差は平均身長差 ( オーストラリア 182.9cm 日本 178.6cm ) 以上に感じさせられた前半だった。それにしても Socceroos はこんなに強かったのか…

        

後半に続く....