Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

あぁ栄冠は…… 第95回全国高校野球選手権埼玉県大会から

2013-07-27 | Weblog

今日、土曜日は会社が休みなので終日自宅にいたけど、終日クーラーは入れずに済んだ。 最高気温は31度程度だったらいいけど涼風がほぼ終日吹く7月中旬にしては快適な1日だった。

先週末は月曜日が海の日だったので3連休だった。 ここに引っ越してきて15年が過ぎたけど、ようやく初めて高校野球の埼玉県大会の観戦をすることが出来た。 そうようやく、毎夏見に行きたい、行きたいと思い続けて。
高校野球となると甲子園球場で開催される選手権や選抜大会が国民的行事の一つとして関心を寄せている。 しかしここに出てこられる球児はほんの一握り、ここに出て来るまでに様々なドラマがあるのは誰もが知るところだ。

高校時代を京都西高校で暗黒の日々を過ごした私であるが、3年になった時は同級生達が力を付け秋の近畿大会に進出した。
私は滋賀県の皇子山球場に応援に行ったけど大阪代表の上宮高校に敗れ選抜まであと一歩及ばなかった。

そして翌年の夏は本当に甲子園の銀傘を野球部でない私でさえ大いに期待した。改装前の西京極球場に同級生達の応援に駆け付けたものだった。しかし東宇治高校に惜敗を喫し、夢は叶わなかった。その東宇治高校が当時列強だった京都商業を決勝で破って甲子園出場を決めたのは驚きだった。

大学に進学すると更に何故か母校への愛好心が加増大し西京極球場や宇治黄檗球場に何度か応援に行った。 その際比較的ヤンキー系だった同級生数人と再会しなんだかうれしくなった事を思い出す。 そして大学在学中に遂に母校、京都西高校は選抜、選手権に進むこととなり甲子園の土を踏む事となった。大学進学後には陸上競技をしていた私は母校の進撃に大いに奮い立たされた。
甲子園に応援に行ったときはまだ高校で教鞭をとっていた先生達が親切にもアルプス席の入場券をくれたり京都までの移動バスに乗せてくれたり、更に高校時代はほとんど話したことが無かったヤンキー系や野球部員だった同級生と再会して本当に良い思い出になった。

春日部工業 6-2 大宮開成

この日は午前6時でも気温が30度以上に達する猛暑日だった、自宅から自転車で約半時間を掛けて越谷野球場に到着した時はもう第一試合は4回表に進んでいた。 先攻の春日部工が 2-0 とリードしていた。そして1死から9番井出君がヒットで出ており打順は1番の左打者川田君にかえっていた。 下位打線がチャンスを創り上位打線に繋ぐという理想の展開だった。
春日部工ベンチはここは送りはせずに強硬策。それに応えた川田君はライト前に弾き返し1,2塁とチャンスを広げると2番の石井君がインコースを叩き打球はライトを越え2者を還す3塁打となった。 これでリードは4点となった。

更に大宮開成の先発投手田中君は続く鳥海君を歩かせ。4番の染谷君にはぶつけてしまい満塁とピンチを広げる。 変化球のコントロールに苦しんでいたみたいだったが彼に限らず高校生は変化球でストライクを取れるかどうかで大きく違ってくるらしい。
春日部工は満塁で追加点のチャンスだったけど後続が早打ちをしてこのイニングに5点目は取れなかった。 大宮開成としてはちょっと助かったのではなかったか。
前のイニングには強硬策が功を奏してその後は裏目に出た春日部工だったが5回表は先頭打者の清田君がセーフティーバントで出塁すると8番繁田君が初球んい送りバントを決め大宮開成内野陣を揺さぶる。続く出井君はまたも初球を打ってショートゴロに倒れるが1番の川井君は前の打席とは異なりレフトに流し仕打ちも1,3塁としこの打席でもチャンスを広げ、前の打席で3塁打を放った石井君を迎える。 しかし石井君の打球はやや強めの内野ゴロとなり、ショートの吉田勇君がしっかり回り込んでボールを掴んでセカンドにトスをしてここは田中君が踏ん張り打ち取ったかに見えた…がセカンドの野崎君が送球を落としてしまい、5失点目を喫してしまった。 気落ちしたか田中君は続く鳥海君にも1-0 からレフトに弾き返されたけど4番染谷君が 1-2 から打った強いゴロは今度もショート吉田勇君が回り込んで今度は1塁に送球して何とかピンチを凌いだ。大宮開成にとっては失策からの痛い失点だった。

しかし痛い失点は次の回も喫してしまう。 大宮開成は6回から田中君に代打を送ったことから2番手投手志賀君を投入した。
緊張のせいか先頭打者の渡辺君を歩かせる。 続く芳賀君はきっちりと送り、更に続く7番清田君がセンター前に弾き返される。
攻守を見せていた吉田勇君は打球が走者と重なり追いつきながら取れなかい不運もあったけど。 続くスクイズを敢行した8番の繁田君の打球はフライトなり志賀君がしかっかりとキャッチし2死にこぎつけた。 続く9番出井君の打席 0-2 から1塁走者の清田君が飛び出し牽制球で刺されそうになるがそのランダウンプレーの間に渡辺君が先にホームを踏み春日部工に6点目が入った。
何故先にホームに泣けなかったのだろう…得点が入る度に春日部工業の応援スタンドからの声援ボルテージが上がってきていた。



一方の大宮開成打線はなかなか春日部工先発の清田君を捉えられない、というよりも早打ちが目立つ。早打ちが悪いというわけではないが4回から6回まで相対した11人のうち4打者が初球打ちだった。 4回裏には6番片岡君が粘って四球を選ぶなどじっくり見ればもっと活路も見いだせると思ったんだけど。 ここでも目立ったのはショート吉田勇君。 6回裏には先頭打者としてセンター前にうまくストレートを打ち返していた。
7回表、2イニング目の志賀君は9番から始まる春日部工打線を3者凡退に切って取る。 センターの吉田啓君、セカンドの野崎君が良い守備を見せていた。 この回の大宮開成の守備には観客から拍手が起こった。

両チームの応援はそれぞれ野球部員が中心となっていた。 その応援団は春日部工の方が圧倒的に多かったけど、声量は大宮開成も決して負けてはいなかった。その中には3年生はいたんだろうなぁ~。

7回表の好守でリズムを掴んだか大宮開成打線がチャンスを掴む。 エラーと石神君が選んだ四球で2死ながら1,2塁とする。

先頭の片岡君から佐藤君、代打の高島君までまたもや3者連続初球攻撃だったが9番の石神君はよく粘って四球を選んだ。
そして打順は1番の吉田啓君が打席に立った。吉田啓君は2-1 から清田君の投じたカーブをうまくライト前に弾き返し2塁走者の佐藤君をホームに迎えいれた。 そして攻守に亘って冴え渡っていた吉田勇君が打席に入る。 これは楽しみなシーンと思うも清田君は吉田勇君の肘にぶつけてしまった。 
吉田勇君はかなり痛そうにしていたけど心中はチャンスが拡がったと思ったのではないかな…ただ後続の落合君は1塁ファーストフライに打ち取られたけど。

8回表も大宮開成はファインプレーが生まれる。3番手下城君から春日部工先頭の鳥海君が投手強襲安打で出塁し代走の阿部君が 1-2 から盗塁を決め、途中から4番に入った里津君が 1-2 からライト前に痛打する。しかし右翼手植村君が素晴らしい返球で神戸君の生還を阻止。 このプレーにはしばらく拍手が止まなかった。

そして試合は 6-1 のまま9回裏を迎えた。マウンドは8回から2番手川田君が登板していた。前の回は3者凡退に切って取ったが最終回、先頭打者の佐藤君が 0-1 からサードゴロに打ち取られる…と思ったけどゴロがベースに当たり幸運なヒットとなり先頭打者が出塁する。 この試合途中からサードに入った神戸君、打球が緩かったのでベースの前で捕球態勢に入らないと…

続く下城君は 0-2 となるも以降ストレート、カーブ、で2-2 とし最後はスレートで空振り三振に。 続く石神君はサードフライに倒れ2死となってしまい、前の打席でタイムリーを放った1番の吉田啓君を迎える。 この打席でも吉田君は見事に右中間に打ち返し1塁走者の佐藤君が長駆ダイヤモンドを駆け抜け躍り上がってホームを踏んだ。 




そして吉田勇君に打順が回る。 これは最後の面白い、いや最後にならないかもなぁと期待したけどバッターボックスには背番号20番の増田君が代打に送られた。 吉田勇君は前の打席で受けた死球のせいでまだ肘が痛むのか、それとも増田君は3年生なのか….増田君は結局三振に切って取られて試合が終了した。 増田君渾身のフルスイングだったんだけど....

サイレンが鳴り試合終了の整列、あいさつが行われる。 握手はしないんだなぁと思った。 ある時雑誌で試合終了後の握手を禁じる県大会があると読んだことがあったけど…..
そして熱心に声援を送っていたスタンドから両校がお互いにエールを送り、スタンドから大きな拍手が湧き上がった。



試合中は暑さを忘れて観戦していたが試合終了と共にどっと暑さを感じ、これはたまらんとばかりに涼と飲料水を求めて球場の外に出た。 アルカリ飲料を飲みながらしばし日陰伝いに球場周辺を歩いていると試合を終えた選手達が外に出て来ていた。 大宮開成の選手達が殆ど泣いているのを目にして立ち止まってしまった。 その涙きっといい思い出になるよ、と思いながら。

春日部工業の選手達はみな笑顔だ。 その笑顔続くと良いね、と思った。 するとAKBみたいな女の子たちの大集団がやって来た。それは次に試合を控える与野高校の Cheer Gils 達だった。 県大会のインターバルは短い、はやく戻らねばと足早にスタンドに向かった……

 

与野高校 7-0 幸手桜

高校野球も歳とともに見方は変わってる。小学校の時は今の様に家庭用のゲーム類があるわけでも無かったので世の野球少年達はプロ野球や高校野球を熱心に見ていた。そしてよく地元高校の勝ち進み具合や話題の選手の事などを話題にしていた。

中学になると純粋な野球少年達は甲子園を夢見て野球部に入部する。私は髪を短くしたり練習中大声をわぁわぁ上げるのが嫌だったので野球部には入らなかった。 同級生達の野球部のレベルはと言うと練習を一生懸命する割にはさっぱり弱く、練習試合を含めて一度も勝った事がなかったらしい。 高校に進学しても野球を続けたのは1人しかいなかった。でも野球部は女の子には人気あったんだよなぁ~。

高校に進学すると完全に高校野球の見方が変わった。 男子校に通う自分はアルプス席に女の子がいればそれだけで羨ましく思い、甲子園球場と言うよりも全国大会でプレーすることがいかにすごいことなのかを痛感させられ、同時に高校野球への興味は一気に薄れていった。

それから30年以上が過ぎた。 今や息子が高校生になるとまた見方が違ってくるのだった….

この日の第二試合が始まる前、そんなことは何となく思い出さされる様な雰囲気だった。 
与野高校は試合前の練習では多くの選手達がノックを受けたりキャッチボールをしている。スタンドもベンチに入れなかった野球部員達にブラスバンドそしてCheer Girls 達まで揃っている。もちとん父兄さん達も少なくない。 

 

そして幸手桜高校の練習が始まったのだが、グランドには10人の選手が散って顧問の先生がノックを始めた。 
与野高校の練習風景とはえらい違いだった。たった10人の選手がノックを受けるのだけど、全員が野球経験者とは言い難かったなぁ。 
未経験者でなければこの4月からボールを握り始めた1年生か…..
違いはグランドだけではない。スタンドに目を向けるとクラスメートか親御さんか10人ほどの“観客”が見られるだけだった。 
これを見た時、複雑な心境になった。まさか目の前では超一方的な展開になるではないだろうかと….. だから心の中で“頑張れよ!”と幸手桜高校ナインに声援を送った。

その幸手桜の先行で試合が始まった。 1番が見逃し三振、2番が当たり損ねのキャッチャーゴロ…これを見た時は悪い予感が更に増大した。 しかし3番窪田君、そして4番武田君が非常に鋭い打球で打ち返す連続ヒットで出塁する。続く永恵君はサードゴロに討ち取られたが連続ヒットを見せられた時はスタンドがちょっとどよめいた。

こうなると今度は守りの方も“予想以上”を期待する。先発マウンドの窪田君はさっきはヒットで出塁した。彼は間違いなく野球経験者だろう。 与野高校先頭の加藤君を歩かせ、続く井上君には送りバントをきっちり決められ1死2塁となりクリーンアップへ。 3番日野君の当たりは討ち取ったと思われたが内野の連携が悪く1塁に生かしてしまい1,3塁となり、更に4番大塚君の打席で 0-2 から日野君に楽々盗塁を許し、大塚君にはセンターに犠牲フライを打たれて先制を許した。 続く小山君はセカンドゴロに討ち取ったけど経験差が露骨に守備に現れた。続く2回裏の守備でも内野安打と失策から2点を失う。ランナーを出してもきっちりバントで送ったり2点目を決めた9番高橋君のスクイズも見事だったけど、失点は守備に拙さからだった。 
更に3回には1死から4番大塚君にセンター越えの3塁打を許すと続く小山君の打球は遊撃手高橋君を襲い内野安打となった。そして追加点が入った。この守備は仕方が無いとしてその後もエラーと言うよりもランナーが1塁にいると2塁盗塁は完全にフリーパス。その直後に与野ベンチはきちんとバントで送ったり更にエラーで3塁まで進塁を許しスクイズやタイムリー安打を喫して追加点を許す。 3回を終わった時点では 6-0 となっていた。得点が入る度にブラスバンドの奏でるコンバットのリズムに乗って Cheer Girls 達が節度あるパフォーマンスを見せる。 
グラウンドもスタンドもちょっと一方的になってきたなぁ~と思いだす。

それでも3回裏は 0-6 とされ尚も1死1,2塁のピンチに9番高橋君の当たりはサード新井君を襲ったがこんどはきっちりキャッチ。サードベースを踏み、1塁に送球し見事に併殺で猛攻を断った。 このプレーには拍手が沸きあがった。 確かに打球をキャッチしたと言うよりも打球がグラブに入ったと言うあたりだったがそのあとのプレーは見事だった。

先発村上君の前に沈黙、とうよりも力負けが目立つ幸手桜打線だったが4回表は3番窪田君から始まる好打順。今度はレフトに引っ張り塁に出ると続く武田君もレフト前に打ち返し無死走者1,2塁とした。 武田君は柔道部か相撲部かといった体格であったが試合前練習を見ているとファーストミットのさばきは経験者であると思わされた。そしてこのバッティングを見るとそれは確信することが出来た。だけど後続は続かなかった。2死を取られた後の7番菅野君の打球は鋭いサードライナーだったんだけどなぁ~。

4回裏も守備の乱れから与野高校に追加点を許す。 先頭の加藤君がこの日2つ目の四球で出塁するとあっさりと盗塁を敢行する。2塁への早急がそれ3塁まで進めるとバッターボックスの井上君がきっちりとスクイズを決めて7点差とした。 井上君はこの日2つ目のバントを決めた。 そして与野高校はこの試合7得点中スクイズで3点を挙げた。

5回表、何とか1点を返して点差を詰めて試合を9回まで持たせたい幸手桜は2死から1番新井君がセンター前に弾き返し出塁する。 窪田君、武田君以外の選手からついにヒットが出た。 続く沢口君が出塁すれば3番窪田君に繋がる・・・だが甘くは無い投手ゴロに討ち取られた。 

5回裏、マウンド上の窪田君は途中から左翼に入った先頭打者の斉藤君をショートゴロに討ち取る。続く代だの山田君には左翼前に運ばれ8番佐々木君がきちんとバントでスコアリングポジションにランナーを送る。 さすがだと思うがここは窪田君が踏ん張り続く高橋君をセカンドフライに討ち取り、この試合初めて与野高校のスコアーボードに0が点灯した。 ベンチに引き上げる幸手桜ナインに拍手が送られる。  

6回表は2安打の窪田君から、さぁ1点還そうと期待が高まるがこの回から当番の2番手小山君の前に期待のクリーンアップが押さえられてしまった。 窪田君はつまり気味の左翼フライ、鋭い打球を飛ばしていた4番武田君、そして続く永恵君も連続三振に討ち取られた。 あぁ選手層の違いが~と、期待の大きかった分残念な気持ちになった。

それでも6回裏、マウンドに上がった窪田君は1番から始まる与野打線を3者凡退に切って取り味方の反撃を待つ。 この時もベンチに走って戻ってくる幸手桜ナインに拍手が送られた。勿論私も。

7回表、この回得点が入らないと幸手桜のコールド負けになってしまう。先頭の奥野君、前の2打席は空振三振であったがこの打席は小山君のストレートを引っ張り見事に右翼前に打ち返す。 先頭打者が出塁し続く菅野君はこれまでノーヒットだが共に当たりは痛烈なライナーだった。しかし初球に送りバントを決め菅野君を2塁に進める。 まずは1点を、まだまだ試合を続けるぞと言うサインだ。 しかし反撃もここまで続く塚田君の打球は外野に飛んだが右翼フライ。そして9番、徳里君はセカンドゴロに倒れ試合終了のサイレンが鳴り響いた……..

試合終了後、与野高校応援団からはしっかりとエール交換の為の声援が幸手桜側に送られる。 幸手桜からは誰もエールの返答を送られはしないことは解っていたんだろうけど。 この行為にスタンドからはよりいっそうの拍手が沸いた。

スタンドで声援を送っていた与野高校の野球部員達がグラウンドに降りて整備を始めた。そうか、勝ったチームが整備をするんだなぁ…
この中には3年生もいたのかな… 

球場外に出ると幸手桜の選手達が出てきていた。主将の永恵君が新聞社の取材に涙をこらえながら答えている。数人の選手が涙を流していた。 この光景を見て少し安心した。 この試合の為に頑張ってきたんだなぁ….と思った。

父兄の一人が“メンバーを組んで試合に出られて本当に良かった。”と語っていた。 幸手桜高校は今年4月に幸手高校と幸手商業が統合して開校した高校と後で知った。 春季大会は1回戦で杉戸高校に 0-14 で負けたらしい。それに比べれば進歩だろう。

“5回を過ぎてからペースを掴んできたのに残念でしたね・”と声をかけると、丁寧に御礼を言われた。

甲子園だけが高校野球ではない。 ここで1勝、いや試合をすることを目標にするのも高校野球だ。ある時期からそういう考えも持てる様になった。 




この日観戦した試合の勝利校、春日部工業も与野高校も次の試合に敗れて4回戦進出はならなかった。
だけど与野高校が3回戦で対戦した川越東は今年の埼玉県大会は準決勝に進出している。 幸手桜戦で先発投手だった村上君はその川越東相手に延長12回まで熱投の激戦の末 2-4 の惜敗だった。 

今日見たこの日が今大会越谷市民球場で行われた最後の試合だった。 来年、またここでどんな熱戦、ドラマが繰り広げられるだろう。

それにしても新設に作られていたミストシャワーは役に立ったのかな…


6.4. 日豪戦観戦記その2 

2013-07-20 | FIFA World Cup

5月下旬。我が家にある簡易書留が届いた。そして我が家の住所は英文で書かれていた。

“よ~し。作戦成功。”思わず拳を握りしめた。封筒の中は6月4日のさいたまスタジアムで開催されるワールドカップ予選、オーストラリア戦の入場チケット。これで1年間楽しみにしていた試合を観戦する事が出来る。そう思ってのガッツポーズだった。

あとは試合当日までどんな邪魔が入るかわからない。その妨害をいかに排除するかを考えるだけだった。

平成24年6月にスタートしたワールドカップアジア地区最終予選。幸先よくホームでの2連戦、オマーン、ヨルダン戦はチケットが手に入った。 しかし9月のイラク戦からはワールドカップ予選のチケットは抽選制となり入手が困難になった。“幸い”9月のイラク戦は商用で日本を離れなければならなかったのでこの試合は海外でウェブサイトを通じて生中継で見た。そういう時代になった事にも感謝をしなければならない。

昨年6月 Brisbane で行われたワールドカップ予選のオーストラリア戦は豪州遠征を計画していた。何十回も訪れる豪州大陸で顧客や親しい人たちと日本戦を観戦する事を楽しみにしていた。しかしながら直前になり家内の承認が貰えず計画は頓挫してしまった。 

それから1年が経ち日本代表は今年3月のヨルダン戦に引き分ければワールドカップ出場が決まるところまで勝ち点を伸ばしたが本音を言えばそのヨルダン戦でワールドカップ出場を決めてほしかった。そうすれば6月4日のオーストラリア戦はチケット入手が少しは容易になり、予選を1試合残してもワールドカップ出場の掛かったオーストラリア相手となる。だけど本気のオーストラリア相手とはこれほど素晴らしい対戦相手は無い、まずザッケローニ監督もベストメンバーで臨むはずだ。それにたとえ負けても失うものは無い。これは素晴らしい状況と思ったからだ。 
しかしながらヨルダン戦は勝ち点を上げられずワールドカップ出場決定はお預けとなってしまった。遠藤のPKがヨルダンGKに止められた時は“これはまずいことになったなぁ~。”と心の底で思った。

このオーストラリア戦は引き分け以上でワールドカップ出場が決まる試合となった。それは史上初めての事でその史実が余計に抽選の倍率を煽っていた。 日本サッカー協会を含めたいくつかのチケット抽選にエントリーをすると共に、兼ねてから“期待”をしていたオーストラリア協会のウェブサイトを通じての販売にも期待した。 4月に発表されたチケット販売要綱を見るとアウェー側での観戦チケットがこのサイトから4月末頃から販売されることとなり、発送は世界中にいる“Socceroos サポーター達”に向けて行われる事となっていた。 さっそく購入の手続きを行い、発送先を日本の自宅住所にした。 オーストラリアにいる親しい顧客に依頼しても良かったけど、購入者と発送先、そして支払決済をするクレジットカードの名前が一致しないとまずいのではと思い、日本の住所を入れた。

問題はそのチケットが本当に試合開始日前までに手元に郵送されるか、だった。何しろオーストラリア大陸を仕事で担当して16年になるけど仕事に対する責任感というのは日本とは比較にならないほど、いや比較すること自体が失礼なほど欠如している。 決済だけはきちんと差し引かれ、試合が終わってチケットが手元に届くなんて事は十二分に予想できる。 そうなったときの事を考えると……..

5月中頃、“案の定” エントリーしていた“日本側”の購入先の抽選にはすべて外れた。後に判明したけど50万人の人達がこの試合の観戦チケットにエントリーしたらしい。 でも反対に言えば10倍程度で俺が外されたのか、これほど長き間にオーストラリアサッカーをフォローしていた俺が…もう40年近く、日本代表を見続けていた俺が・・・・とがっかりした。

それだけにオーストラリア協会を通じて購入したチケットが手元に届くことを心底願った。 私こそ“ジャーナリスト”を含めてもこの試合を観戦する“権利”がある数少ない日本人の1人である、と勝手に決めつけて祈り続けていた。

チケットが試合日の約1週間前に手元に届いた時は心から安堵の嘆息を漏らした。そして本当に嬉しかった。

試合当日、天気は非常によく気温も高くなっていた。 オーストラリア代表は1週間以上も前から来日し大宮や駒場競技場で調整を行っていた。仕事さえ忙しくなかったら追っ掛けようかと思っていたけど、10日前に出張から帰ったばかりだったのでかなり多忙な毎日を過ごさねばならず残念ながら“観戦”のみだった。

ベテラン社員の特権、仕事は午前中で切り上げ一旦帰宅しさいたまスタジアムに向かった。 自宅がさいたまスタジアムから自転車で行ける範囲にある幸運に感謝しながら。しかし、先のこの地域に居を構えたのはこちらで、後にワールドカップが誘致されスタジアム建設に至ったのだった。

キックオフ時間まであと6時間以上もあるのにさいたまこう高速鉄道には多くの青色のレプリカを来た人達が乗り込んでいた。

ワールドカップの日本対ベルギー戦の時もそうだった。あの時は赤いユニフォームのベルギー人達の姿も見かけた。その試合はチケットが入手できずちょっと悔しい思いでその光景を見ていたのを思い出した。だけど今回はチケットが入手できたのだ。

観戦する座席はアウェー側なので日本代表のレプリカを着て入れない。 何を着ていこうか?持っていこうか?と考え、結局昨日洗濯をした赤いTシャツを着て行き、日本代表とオーストラリア代表の尊敬する Johnny Warren のレプリカを持参することにした。 それが思わぬ“好結果”を招く事となるとはこの時思わなかった。
自転車で浦和美園の駅前まで行きそこから競技場までの通路を自転車を押して歩く事にした。

さすがワールドカップ予選。 多くの模擬店や代表グッズを販売する屋台ばかりでなく代表選手達の写真の前にも多くの人達が集っていた。そして選手の前では女性や子供達そして男性も、一緒に“記念撮影”を行っていた。 一番列が長かったのは予想通り内田だった。そこには多くの女性達が列をなしていた。

そこから数十メートル歩くと黄色のレプリカを着たオージー達のグループが。中の一人が私のTシャツを指さして声を掛けてきた。 私が着ていたのは4月にシドニーで購入した Western Sydney Wanderers の シーズン優勝記念のTシャツだった。それはこの時に気が付いた。 この集団は家族、親戚で試合観戦の為に来日したらしいが滞在期間は“48時間”の弾丸ツァーらしい。声を掛けてきた男性は Wanderer のファンで隣のオージーの集団にも私のTシャツを指さしながら声を掛け、何人かはこちらにやって来た。 4月の Grand Final を観戦したことや Wanderers の中心選手 Shinji Ono はこれから試合が行われるさいたまスタジアムを本拠地とする浦和レッズで長年プレーし、 Socceroos の Osieck 監督もレッズの指揮を執っていた事等を話したらみな熱心に聞いてくれた。 この試合の展望に就いて尋ねると、“申し訳ないけどオーストラリアに勝たせて貰う。オーストラリアは勝利が必要だ。それに私達はここに時間を掛けてやって来た….と答えた。おそらく最後の行が本音だろう。
私は “ 1-1 で終わろう。そうすればみんなハッピーだ。“というと、皆”オーストラリアは勝利が必要だ。日本は次に勝ってくれ。“と言った。そして少し話をしてお互いに Good Luck と声を掛けあい握手をしてその場を離れた。 まさか試合結果が私の”望んでいた通り“になるとは….

それから競技場に向かう途中、チケットを売って欲しい旨を書いたプラカードを持つ人達を数人見た。 中には“子供の分と2枚売ってください”と書いている人も。 2002年のワールドカップの時も浦和美園の駅で多くの子供達が“チケットを売ってくださぁ~い。”と販売を乞うていた。 あの時のチケット騒動の原因は明快でサーバーのキャパシティーが少なすぎたのでチケットサイトに一斉にアクセスが集まりなかなかつながらなかったのが原因だった。 私もチケットを入手するのにほぼ半日PCの前に座りっぱなしだった。

自転車置き場から入場門に向かったけどものすごい長蛇の列になっていた。開門は午後五時。自由席の人達は少しでも良い席と席数を確保しようと開門のずっと前から並んでいた。 “運動公園”の周囲はタータンが敷かれており小さな起伏もあり走るには絶好の場所になっている。2日前の日曜日にこの競技場周辺までジョギングをしに来た時には既に順番を取る札が地面に貼られていた。 そしてこの日、サブ競技場で練習に来ていた日本代表を一目見ようと子供を含めた数十人の人達が来ていた。 練習場はブルーのシートで保護され更にジョギングコースの一部を“通行止め”にして、練習を見られないようにしていた。 私はどちらかと言えば Socceroos の練習を見たかったんだけどなぁ~

この席取の様子は後に英国紙のコラムにも紹介されていた。日本人は早くから準備をする。何日か前からテープやプラスティックバッグを使って順番を取り、キックオフの4時間前に都心からBlue Shirts を来てKEIHIN TOHOKU LINE で北上し、3時間前から列に並び2時間前には競技場入りをして1時間半前にはほぼ半分の席が埋まった….と書かれていた。

 

私の座席が入り口となる南門に到着した時は既に開門時間が過ぎたばかりであった事もあるが人の流れは非常にスムースだった。これが日本人の良い所だろう。 海外ではこうはいかない。 朝の通勤ラッシュ時に綺麗に列をなして乗車をまっている人々の風景をみたドイツ人が“欧州では有り得ない。”と非常に驚いていた。

Category 5 のアウェー側一帯はすぐ隣の“ホーム側”とは全く異なり空席というよりもキックオフ2時間も前にやってくる人など皆無に等しかった。 中段からやや上のフィールド全体が見渡せる席にどっかりと余裕をもって腰掛けた。 時間が経つにつれて空席はどんどん埋まってきた。そして周囲のオージー達とサッカー談義に花を咲かせた。 なかには仕事でカタールに駐在しているが観戦の為に来日したという女性も。 カタールでの生活は暑いけど苦にならない。日本も暑いと話していた。 そして私の T シャツを指し Wanderers の話や小野の話をした。 更にこれが私の宝物だと Johnny Warren のレプリカを見せると驚いて写真を撮らせて欲しいと依頼され、レプリカを前にポーズを取った。おそらく私の顔は写さなかっただろう?

赤い Wanderers と黄色い Warren のシャツをネタに何十人ものオージー達と話が出来た。あぁ、横に息子がいればなぁ~。と思った。 彼らの話を総合すると、とにかく日本は強すぎる。勝点1が手に入れば万々歳だ、との事であった。
みなでスタメン予想をしたけど、 Kennedy のスタメンは間違いないと殆どが言っていた。 私もそう思ったけど。

キックオフの1時間半程度前になった時に Sccceroos 達がピッチに現れた。ま移動着のままだったけど。ピッチのコンディションを確かめている様であった。周囲のまだ多くは居なかったけど周囲のオージー達から歓声があがり数人の選手達がこちらに手を振った。 遠目から長身の Kennedy がよく解った。 この時点でもまだ彼のスタメンを疑わなかったのは私だけではなかっただろう….



するとスクリーンに日本代表選手を乗せたバスが到着したところが映し出された。そして選手達が下りて来る度に大歓声があがり、予想通りに最後に本田が降りて来た時には更に大きな歓声が上がった。 後ろにいたオージーたちに4日前のブルガリア戦で日本は本田抜きで完敗したので我々は彼の登場を待っていたと説明した。彼らもよく解っていて香川や長友の話をしてきた。

キックオフの1時間程度前になり更に大歓声が上がり両チームの選手がアップの為にピッチに出て来た。 先の出て来たのは Socceroos だった。 練習のグループ分けからその日のスタメンがわかるのだけど、悲しいかな私はなかなか遠くが見えにくくなっていて選手の区別がつかなくなっていた。 だけどオーストラリアの方は全員が同じアップをしているみたいだった。それはスタメン予想をかく乱する為だったのだろうか?

時間が経つにつれて隣の Category 5 のホーム側の人達のが増えて来てもう押すな押すなの大混雑。 席数が足らないはずなんだけどなぁ。 警備員は空席の“緩衝地帯”を狭めたり、中にはこちらの“アウェー側”の空席を指してそこに座らせろという観客も。 だけどこちらもキックオフ時間が近づくに連れて席が埋まってきて、スタメン発表前にはほぼ黄色のレプリカを着たオージー達で満席となってきた。

そして注目のスタメン。GK Schwarzer から順にメンバーが発表される。 最初の驚きは Mark Milligan がスタメン発表された時だった。 JEF でプレーした“実績”がかわれたのだろうか? そして故障続きだった Mark Bresciano のスタメンも予想外だった。 そいて2列目に Tommy Oar, Robbie Kruse がスタメンに起用され Cahill がワントップに。 スタメンを予想した Kennedy そして Mile Jedinak , Brett Holman はベンチスタートだった。 

 

GK Schwarzer , DF Neil, Milligan, MF Cahill, Wilkshire, Bresciano, FW Kennnedy が2006年ワールドカップのメンバー。

日本は当時出場機会の無かった遠藤のみ。その遠藤がその後2回のワールドカップで主力となるところが私が彼を最も好きなところだ。

日本のメンバーは本田がスタメンの誰もが予想できるメンバーだった。 でも一般の人でも予想することが出来ていいのかな?と思った。

 

両国国歌演奏に続いてオーストラリアのキックオフで試合が始まった。 前半はこちらの方に日本が攻めてくるエンドになっていたので開始早々香川がPA内に入って来たのを皮切りに試合は何度もこちら側で展開された。 特に目立ったのはやはり本田圭祐。 彼にボールが渡ると見ていてこちらもボールが取られないというオーラが感じ取れた。 Milligan をスタメンに起用したのはこういう展開を予想してか? 18分には決定的なチャンスを掴むも最後の香川のショットは Schwarzer に弾き出されてしまった。 そしてオージー達から歓声が上がる。 23分頃からオーストラリアの2列目、 Kruse, Oar がワイドに開き出したので日本のボール支配率が減少したせいか、試合も落ちつきつつある様に見えた。 それでも主導権を握るのは日本。 前節は累積警告により出場停止だった Lukas Neil が最終ラインでよく効いていた。

33分、オージー達が一気に湧き上がる。 Holman から縦パスが中央を突破した Kruse に渡り中央でGK川島と1対1になるのがこちらからもよく解った。 しかしここは川島が前に出て来てストップ。さらにそのリバウンドをダイレクトで蹴りこんだ Cahill のミドルはクロスバーを越えてくれた。 私と隣のブロックの日本人サポーター達から安堵の溜息が漏れた。 

後ろの4人組のオージー達はみな両手で頭を抱えていた。彼らとは試合中日本のサポーター達が歌い続けるチャントの意味を何度も訊かれた。 特に多かったのは香川真司だった。 カ~ガワシンジィィ~、ラララララァァ~というチャントは今でも頭の中に残っている。

 

その後日本も両サイドからの攻撃を中心にこちら側に攻め上がってくるがオーストラリアゴールネットを揺らすことは出来ず、スコアレスのまま前半終了のホイッスルが鳴った。

やっぱりタフに守ってくるなぁというのが印象。だけどホームでこの日のオーストラリア相手でゴールを挙げられないのでは実際にワールドカップになると…と少し不安なるのは自分一人ではないだろう。



 

ハーフタイムに入ると周囲のオージー達は一斉に消えてしまった。どこに行ったかはすぐに解った。ビールを買いに行ったのだ。

オージーに限らず欧州のサポーター達もこの試合の様な高温多湿のビール日和でなくてても、どんなに寒くてもビール売り場の前は長蛇の列だ。 体の構造が違うのかな? 周囲のオージー達にビールはおいしいか?と聞くとみな親指を立てていた。

XXXX ( エックスフォー ) は? Victoria は? Crown は?と聞くけどみな親指を今度は下に下げる。

“日本ではサッカーの試合で売られているビールはたいてい KIRIN ビールだ。 36年前にまだ日本でサッカーが人気の無い時から KIRIN はずっと日本代表のスポンサーだ。 だから競技場で飲めるのは KIRIN だ。”と話すとみな頷いていた。

そしてみな日本は food も drink も安くておいしいと言っていた。だからそれは今の交換レートによるものだと話した。 今でこそ AS$ は90円以上するけど、5~6年前は60円台で、オーストラリアに機械を売り込むのに苦労した、と話したけどそれだけでなくここ数年のオーストラリアの物価上昇はやはり彼らにとっても大変らしい。 サッカーの話よりもこういった話の方が興味を持ったようだった。

 

後半は両チームとも選手交代ないしで始まった。 今度は日本が向こう正面に攻めてオーストラリアがこちらに攻めてくる。

なるべくこちらで試合が進んでほしくないなぁと思った。 

オーストラリアは Kruse , Oar がサイドを上がってくる回数が増えた。こうなると長友、内田からのサイド攻撃がなかなか出来ない。しかし怖い Cahill は今野と吉田がしっかりとマークしている。 日本は長友が上がってこられない分香川がサイド攻撃の起点になっていた。 

なかなか見せ場が訪れないオーストラリアに業を煮やしたか何人かのアルコールを充填したオージー達が今度は日本のサポーター席に向かって何か叫びだす。 だけど何を言っているかさっぱり聞こえないので誰も反応しない。そうすると今度は緩衝地帯に入ってきて何かを叫ぶ。 ここは警備員が飛んでくる。 日本人は誰も相手にしていないから何も起こるはずもなくオージー達も酔っているせいか?へらへら笑っている。 

63分、67分、FKを得て本田が狙うがゴール枠をとらえられない。まぁGKが Schwarzer だからかなり隅を狙わないと難しいだろうなぁ~と隣のオージーと話した。 反対に64分には Kruse からボールを受けた Cahill がしぶとくシュートに持ち込むがここはゴールには至らない。やはり Cahill にはボールを入れたくないなぁとも話した。

71分。最初の交代選手が告げられる。それはオーストラリアで投入されたのは Kennedy でなく Vidsich だった。

79分、今度は日本ベンチが動く。 前田を下げて栗原を投入した。 これはどういう意図なんだろう?と思い最終ラインはどうかわるのかな?と思っていると左サイドから Tommy Oar がドリブルで上がって来た。 おいおい早くだれかマークに行けよと思うと Oar はそのまま前線にボールを上げゆっくりと弧を描いてなんと日本ゴールに吸い込まれてしまったのだ。選手交替でポジションチェンジが落ち着かないその虚を突かれた気がした。周囲のオージー達は狂喜乱舞する。 ビール入りのコップがいくつも宙を舞う。 中には上半身裸になって抱き合うオージー達や感涙を流す女性のオージーも。そのなかで私が頭を抱える。 

あと10分かぁ。 まだまだ勝ち点は日本が断然有利でこの試合を負けたくらいではワールドカップが遠のくわけではないが….
あと10分で Schwarzer の守るゴールネットを揺らせるかなぁ….. という思いが一番強かった。
そして“それ見た事か!!”と何人かのオージー達が日本サポーター席に迫り警備員達が飛んでくる。別に摘み出される訳では無かったけど。

85分にはまたも Oar にシュートに持ち込まれるが今度はGK川島の正面に。 そしてオージー達から歓声があがる。

日本ベンチは内田を下げてハーフナーを入れワントップに入れ今野を右SBに入れCBを吉田と栗原が組む。 87分には岡崎が下がり清武が入る。 スピード不足のオーストラリアDFを切り裂くためにドリブル得意の乾でも良いと思ったんだけどなぁ。

時計が刻一刻と過ぎる。ボールが外に出るたびにオージー達から歓声が上がる。 89分、本田のFKから繋いでシュートに持ち込みCKを得る。 ハーフナーを狙うかそれともオーストラリアの嫌がるショートコーナーか…と思うと本田はショートコーナーを選び遠藤にいったん預け再び中に入れると遠目から見ても明らかにボールが不規則にバウンドするのが分かった。 ゴール裏から大歓声が上がりオーストラリア選手が主審を取り囲む。主審の手の位置から見てPKを与えられたことが分かった。

それまで狂喜していたオージー達は一斉に静まり返り何が起こったかわからないという表情。 中には日本サポーター席に何やら叫びだしたり、更に怒りを露わにし、中指を突き立てる輩も。 こういう行為は欧州だと警備員にすぐにつまみ出される行為らしいが、その“重大さ”をあまり解らない私はやんわりと彼に人差し指を左右に振り、自分の肘に反対の手を当ててハンドがあったことを説明する。 スクリーンには本田のクロスが McKay の手に当たるのが映し出される。 もし微妙な判定でなければ映し出されなかったかな?

後ろの方にいた数人の日本人達にもPKだったことを説明する。彼ら(彼女達)も表情を崩してその判定を受け入れる。  
しかしまだ同点となったわけではない。 GKはワールドクラスの Schwarzer だ。 PKとはいえ容易には決まらないかもしれない。キッカーは誰だろう?遠藤じゃないだろうな。と思うと本田がボールを抱えてスポットにセットする。
本田なら大丈夫だろうと自分に言い聞かせるも何故か脳裏には本田の蹴ったボールがゴールネットに届かないシーンが浮かんでは必死に消し去った。しかし本田は堂々としかも真ん中にそのボールを蹴り込み試合を振り出しに戻した。

73分に発表があった 62,127人の公式入場者から約6万1千人分の大歓声があがる。 私は歓声というよりも天に向かって安堵の溜息を大きく一つついた。そして散々酔っぱらったオージー達に煽られていた日本人サポーター席の数十人が今度はそれ見た事かとこちらに向かって歓喜の雄たけびをぶつけてきた。

試合はロスタイムに入る。 あきらかに Socceroos もオージーサポーター達も明らかに意気消沈している。 これはチャンスだ。このまま一気に逆転だ…と思うとオーストラリアベンチは Kruse を下げて Archie Thompson を投入する。 周囲のオージー達は Sydney FC や Wanderers のファンばかり。彼らと思わず顔を見合わせる。私から Archie Thompson ティッッ ティッティッ ティ ティッッ ~~!というと受けたけど、あまり今では言わないみたいだ。

しかし1分もしないうちに主審の試合終了のホイッスルが吹かれた。 その瞬間、体中の力が一気に抜けた気がした…

 
試合終了後、3大会連続でワールドカップ予選突破1番乗りを決めたそのフィエスタがピッチ上で始まった。

オージー達はこちらに来た Socceroos 達に声援を送る。 この試合結果 1-1 というスコアーが最も平和的な結果だったんだなぁ~と痛感した。 2007年ここで行われたあの ACL での浦和レッズ対シドニーFC戦の様に…..

そして周りにいたオージー達と握手と抱擁を交わす。 残りの2試合も Good Luck そしてオーストラリアまで Have a nice trip と言葉を掛けがら…そして中指を立てたオージーにも。 彼とはひしと抱き合った。 あの“行為”を誤りたかったみたいだった。 日本は強かった、いやオーストラリアは残り2試合ホームだ。それにこの日の Socceroos はこれまでと違う…



この試合のMan of the Match に先制ゴールを決めた Tommy Oar が選ばれたことがスクリーンで紹介されたけど、私から言わせれば Schwarzer こそ Man of the Matchだと思う。それは周囲にいたオージー達も賛同していた。
そして Schwarzer は予選終了後なんと Chelsea と契約を交わした。



場内インタビューで同点のPKを決めた本田の表情が。決して満足していないのが手に取る様にわかる。 ホームで満身創痍のオーストラリア相手にやっとPKで引き分けたのだからそれも当然だろう。



その後オーストラリアは Jordan, Iraq と同じスタメンで臨み連勝を飾りワールドカップ出場を決めた。 イラク戦はちょっと危なくて最後は遂に登場した Kennedy の一発で決まったけど…..

オーストラリアとはこれから熱戦が続くだろう。だけどこの日のさいたまスタジアムでの試合は忘れ得ぬ試合となるだろう…





そして今考えている。次は東アジア杯に行きたい。