Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

The Beatles in Australia

2006-09-29 | Aussie & Kiwi
オーストラリアでは日本と異なり、本屋自身がデッドストックになっている書籍を値下げしてワゴンセールスをすることが。たまに私も掘り出し物を見つけるが、今回の出張時にある写真集を入手出来た。 THE BEATLES IN AUSTRALIA と言う Beatles が1966年6月に来豪した時の写真集だ。この写真集は最初にコンサートを行った Adelaide での様子を写したものが収められている。表紙を見ると John, Paul, George と並んで見慣れぬメンバー?が。Ringo Starr とは似つかない顔だ。彼の名前は Jimmy Nicole 。Ringo Starr は病気の為に最初の Adelaide コンサートは参加出来ず、次の Melbourne コンサートから合流したらしい。それだけに Jimmy Nicole が入っている写真集は“レアー物”とト書きに書いてあった。
40年前に Jimmy Nicole を加えて Beatles コンサートが開催された街アデレードは学生の街と言われており、世界中から留学生が多く集うらしい。そしてシドニー五輪では日本五輪チームはここでアメリカ五輪チームと準々決勝を行いPK戦で破れた。また8月にここでAFC女子選手権が行われなでしこジャパンは4位に終わりワールドカップ出場決定は先送りとなった。我々にはあまり縁起の良い場所では無い様だ。 
ここをホームにする A League のチーム Adelaide United 。昨シーズンのシーズン成績、と言うよりも大会フォーマットそのものに違和感を感じた地元サポーターは少なく無いだろう。レギュラーシーズンは下馬評を大きく覆し、2位 Sydney FC を勝点7の差を付け首位という成績だった。しかし年度優勝を上位4チームで決める Final Series では Semi Final では Sydney FC に破れ、続く Preliminary Final ではレギュラーシーズン3位の Central Coast に 0-1 で破れ、 Grand Final には残れなかった。ここ2シーズンの福岡ダイエーホークスの様な悲劇であった。従って今季も指揮を取る John Kosmina 監督は“レギュラーシーズンはもとより、Final Series の戦いを視野にいれたチーム作りを敢行する。”と語る。 しかし、昨シーズンの Adelaide United ( 通称は赤いユニフォームから Red Army)
の誰も予想できなかった躍進は Sydney FC の初代チャンピオンと言う事と並んで掲揚されるべきである。 Fernand Rech は“我々にはDwight York はいないがチームワークと約束事がある。”とチームの特色を述べる。 Ross Aloisi は昨シーズンを振り返り“チームの多くは欧州でもプレーした経験があるのでA League のシーズンは特別に長丁場だとは思わない。”と語りながらも、”Final では福音が必要だ。ワールドカップでプレーをする様だ。“ともコメントを残す。また昨季の好調は早くからチーム作りを初められた為とも。メンバーが決り、始動が始まったのはGrand Final から逆算すると13ヶ月も前だったらしい。このベテランCHFのAloissi はアトランタ五輪代表にも選ばれ、1994年キリンカップで来日し日本代表とも試合をしたキャリアがある。2年目の今シーズン最大の補強は曲聖卿 Qu Shengqingとの契約延長といわれている。当初彼の家族がオーストラリア滞在ビザが出ないので退団を決めたが、チーム関係者が留意を施し2年目の契約を締結する事に。チーム CEO の Michael Petrillo は”昨シーズン来豪した時よりも身体が絞れている、と曲が言っている。“と目を細めているとか。曲聖卿は2000年のアジアカップで中国代表の一員として日本代表とも対戦している。昨年上海申花からオーストラリアに移ってきた。今季から加入した Dez Girladi はイタリアセリエCのエンポリからのローン。 ウーロンゴン出身でオーストラリアU-17 代表経験もあり、2年後の北京五輪代表候補。昨年は4週間 Central Coast Mariners ( Guest player かな?)でプレーをした。Greg Owen は元U-20代表選手で2001年のFIFA U-20大会では日本とも対戦した。昨シーズン途中から Adelaide に加入し、今季も引き続き Red Army に。また 元 Celtic の Bobby Petta は1996-2006年までCeltic に在籍した左サイドハーフのオランダ人。 Chmpions League や UEFA Cup の出場経験もありCeltic のユニフォームを着て167試合に出場し51ゴールを決めた。また Ross Aloisi に並んで36歳のベテラン Carl Veart は4位になったバルセロナ五輪のメンバーで準決勝のポーランド戦(この五輪では優勝)相手にゴールを上げ、イングランドのCrystal Palace 等100試合以上の出場経験がある。Angelo Constanzo は地元 Adelaide 出身のベテランハーフ。彼ら3人がこのチームの重鎮。寄る年波を危惧するサポーターも居るが彼らは”リーグでの戦いは熟知している“と気にしない。Nathan Burns、Bruce Djiteの両FWはU-20代表で日本を含めたアジアの列強と来年のFIFA U-20アジア代表の座を争う。
前節は首位争いをする Roar にアウェーでしぶとく引き分けたが 曲聖卿 が退場で時節から何試合か出場停止に。またブラジル人 Fernand Rech がこの試合で負傷して4~6週間の戦線離脱を余儀なくされている。現在2勝1分2敗勝点7で4位だが、おそらく John Kosmina 監督は昨シーズンの”教訓“を生かし4位以内に入ればと長期的な視野に立っているだろう。 Kosmina 監督はオーストラリア史上屈指の国際実績を持つ 1976年から12年間に渡り代表試合100試合に出場し45得点を決めた。ワールドカップ予選もアルゼンチン大会予選から3大会経験しており、1988年ソウル五輪にも出場した。1977-1978 1シーズンだけArsenal に在籍したが出場試合は1試合のみだったらしい。しかし、オーストラリアサッカー”暗黒の時代“を支えた一人だ。 そして Adelaide にビッグニュースがある。ブラジルの英雄ロマーリオが Guest Payerとして4週間在籍する事になった。何かと問題の多いロマーリオは最近ではアメリカ Measure League Soccer League の2部 Miami FC でプレーをしていた。彼の Adelaide 移籍は自身通算1000得点達成を見込んでの事で、達成できれば神様ペレ以来の偉業だ。 しかし、1000ゴール目は故郷のバスコダ・ガマで挙げるつもりらしい。 しかし、彼の加入には FFA 会長の O’Neal 氏は眉をひそめる。それはロマーリオの振る舞いのみならず、”大金を使うならかつてのオーストラリアの英雄達に使って欲しい“とのコメントも。名前は忘れたがロマーリオの前には数年間プレーをしていない選手を Guest Player に迎えようとしたらしい。
ロマーリオ効果がどう現れるかは解らないが、Kosmina 監督は“若いNathan Burns、Bruce Djiteの良い手本に、そしてブラジル人FW Fernand Rech の良き刺激になればと思う”とコメントするが、奇怪な振る舞いやコメント癖は治ったのかな?ただこの2人は縁が有る。ソウル五輪の1次リーグの第2戦でオーストラリアはブラジルと対戦し、ロマーリオの3ゴールで敗れている。 Kosmina はベンチにいたが続くナイジェリア戦は決勝ゴールを上げベスト8進出を果たした。準々決勝ではこの大会で金メダルを勝ち取ったソ連に 0-3 で完敗し姿を消した。一方のロマーリオは決勝戦まで残り、ソ連に逆転負けしたが大会得点王に輝き、五輪後は PSV Endhoven に移り年末のTOYOTA CUP に欧州代表で来日した。
たかがオーストラリア国内リーグと言うなかれだ。どこの国にもサッカーはあり、色々繋がっている。 Champions League や欧州戦線も良いけど、南半球、不毛の地に芽生えたサッカー熱から目が離せない。 

Swansong for Veteran Roos

2006-09-29 | Aussie & Kiwi
10月7日にパラグアイ11日にバーレーンをそれぞれホームに迎える新生 Socceroos が発表された。
Qantas Socceroo Squad:
John Aloisi (Alaves, Spain), Michael Beauchamp (Nuremberg, Germany), Alex Brosque (Sydney FC, Australia), Marco Bresciano (Palermo, Italy) , Tim Cahill (Everton, England), Scott Chipperfield (Basle, Switzerland), Ante Covic (Hammarby, Sweden), Jason Culina (PSV Eindhoven, Holland), Travis Dodd (Adelaide United, Australia), Brett Emerton (Blackburn Rovers, England), Vince Grella (Parma, Italy), Zeljko Kalac (AC Milan, Italy), **Josh Kennedy (Nuremberg, Germany), Stan Lazaridis (Perth Glory, Australia), Mark Milligan (Sydney FC, Australia), Craig Moore (Newcastle United, England), *Kevin Muscat (Melbourne Victory, Australia), Lucas Neill (Blackburn Rovers, England), *Jade North (Newcastle Jets, Australia), Tony Popovic (Al-Arabi, Qatar), Mark Schwarzer (Middlesbrough, England), Josip Skoko (Wigan Athletic, England), Mile Sterjovski (Basle, Switzerland), Archie Thompson (Melbourne Victory, Australia), Tony Vidmar (Central Coast Mariners, Australia), Luke Wilkshire (FC Twente, Holland)

* Jade North と Kevin Muscat はバーレーン戦のみのエントリー予定。
** Josh Kennedy は怪我のためプレーをする予定はなくチームと共にリハビリの予定。
ヴィドゥーカは夫人が出産の為に帰国せず、キューウェルは鼠頸部の故障の為欠場。
特筆すべきは不整脈でワールドカップ直前に辞退をせざるをえなかったヴィドマーを初め、A-League から8名の選手が選出されている事。しかしながら実力を認められながら代表から声が掛からない “ The Lost Boys “ と呼ばれている選手達、Nick Carle ( Newcastle United Jests ) Patrick Kisnorbo ( Leichester City ) の2人は今回も声がかからなかった。 参考までに下記の選手は1997年、MCGの悲劇時の登録メンバーだった。

John Aloisi ( Portsmouth England ), Zeljko Kalac ( Sydney United ), Stan Lazaridis ( West Ham England), Craig Moore ( Glasgow Rangers Scotland), Kevin Muscat ( Christal Palace England), Josip Skoko ( Hidjuk Spilit Croatia), Tony Vidmar (Glasgow Rangers Scotland), (所属先は当時のもの)そしてヴィドゥーカとキューウェルが加わる。Schwalzer もいたと思ったけどな?? ラザリデス、マスカット、ヴィドマーはこの試合を最後に代表から引退をすると見られており、スココ、ポポビッチも動向が注目される。 恐らく超満員のスタジアムが彼らの凱旋試合の舞台となるに違いない。

8月末から始まった2年目の Hyundai A-League。 好調の Melbourne Vistory が開幕からの連勝を5と伸ばし、2位の Queensland Roar が Adelaide United と引分けたので勝点差が4と開いた。10月1日に Melbourne Telstra Stadium では序盤戦の天王山 Victory 対 Roar が行われる。 リーグ戦を面白くする為にも Roar の健闘に期待をするのだが….

横浜 FC vs 仙台 KAZU KAZU KAZU

2006-09-28 | 京都サンガ J-League
両チーム選手達がピッチに再登場してきた。反対側のゴール裏というよりもやや左上方には仙台サポーターが陣取る。彼らの為にも(声には出さないが)ベガルタの奮起を期待したいところだ。後半開始2分に熊林が左を駆け上がり右に入れるが大柴のシュートは惜しくも決まらない。48分には仙台が横浜FCゴールに迫り中田が瀧澤に激しくチャージに行く。そのこぼれダマを拾いに小村が向かうところに再び中田が激しく当たる。ちょっときつい気もしたが、仙台の気迫が伝わる。するとそのシーンと全く関係なかったセンターサークル付近で城彰二が倒れている。“ちょっと、ちょっと、城どうしたの?何を関係ないところで何かされたの?”とおばさま横浜サポが心配そうに口にする。しかし、城は立ち上がれず結局担架で運び出され、替わって189cm長身FW富永が入った。53分頃から仙台サポ達から“~~せぇ~んだ~ぃ、….おれたちぃのぉ…”の応援歌が始まる。2003年シーズン仙台スタジアムでの降格争いの当面の相手、京都戦、テレビからこの大合唱が聞こえてきて京都は完敗を喫した。あのときの応援歌だ。この応援歌に乗って仙台の時間が続く。57分には磯崎のスルーから梁が撃つがボランチ山口がブロック。66分には中田、中島と繋ぎ波状攻撃を見せ最後は池田が撃つ。後半に入ってロペスが前半よりも前線に位置して基点になるが、横浜FCのDFラインがそれに伴ってやや下がってしまいその分仙台が押し込む形が。そして両サイドを広く使うようになった。だがクロスをいれても189cmの“FW”富永に何度も跳ね返される。65分には焦りからかロペスと小村が小競り合い。小村は今や“古典的”と言われるようになったストッパータイプのDF(と、自分では思っているのだが。)ラインの上下動は不得手かもしれぬが1対1では強いと言う印象がある。65分にサンタナ監督は熊林を下げて富田を入れる。その直後に横浜FC瀧澤が大柴へのチャージをファールにとられてFKのチャンス。しかし、直接ねらった中島のシュートは枠を外れていく。70分、サンタナ監督、今度は大柴、梁勇基を下げて関口、菅井を投入。菅井は今季ほぼスタメンで出ており前節もフル出場だったのにどうしてこの試合はベンチスタートだったのだろう?5試合ほど出場しない時があったが怪我でもしたのかな?すると今度は高木監督が動く。79分、瀧澤を下げて崔成勇を入れて中盤を厚くする。それでも2点差は有る意味危ない点差。ここはもう1点取りに来るのか?そして79分、後半最大の見せ場が。山口のスルーを受けた KAZU が鬼の様なドリブルで仙台ゴールに迫りショートに持ち込む。ゴールはならなかったが、そのプレーに拍手が送られる。このドリブルを観にここに来たという人も少なくないのでは?そして81分、KAZU がお役目ご免とばかりに難波宏明と大歓声に送られてベンチに下がる。この9月12日に2006年度JFA・Jリーグ特別指定された流通経済大学所属の学生選手で大学入学前にはビッセル神戸に所属した選手。特徴はボールキープ力がある事。さっそく投入から2分後には右サイドを持って上がりDF二人に囲まれながらも粘ってFKを得る。 そのFKを崔成勇がクロスを上げ難波がドンピシャのタイミングで飛び込み決定的な3点目が決まった。電光掲示板に映し出されるリプレイを見るとタイミングも良かったが、仙台DFは誰もマークに着いていなかった。 この試合は落とせない仙台にとって、シーズンの成績を大きく左右するゴールであったか?それでも10分ほど前から続いていた “ Let’s !!Go ! SENDAI !!! “ のコールが途切れることなく続く。仙台の選手は開き直った様にがむしゃらに前に出てくる。そして横浜FCのDFラインはもう7人が最終ラインに並ぶ格好になる。“ラインがすぐに下がってしまうんだよなぁ。”と、Sさんのコメント。85分に菅井が切れ込み早いセンタリングを右に入れフリーの中島が決めて1点を還した。さらに88分には関口がドリブルシュート、89分には横浜FC中島のクリアを拾い中田が撃つが枠を外れる。“この試合の最初からこういうプレーをすれば”と仙台サポは思ったかもしれない。しかし“ Let’s !!Go ! SENDAI !!! “ のコールは途切れない、がしかし4分のロスタイムを終えてタイムアップのホイッスルが。これで昇格可能圏内争いに横浜FCが大きく1歩前進したことに。大歓声で挨拶に来る横浜FCイレブンを迎えるサポーター達。しかし、私の視線は仙台サポが陣取る一角に向く。思い起こせば昨シーズン最終戦、京都にとっては消化試合だった地元での甲府戦。1点ビハインドでのロスタイムでの鈴木悟のFKがポストを叩き、まさに起死回生の甲府が3位の座を射止め、後の入れ替え戦での快勝、そして昇格後の健闘と続いている。あの試合、京都が額面通りの実力をだしていれば仙台が3位になっていたのに、と今でも思っている。この試合に3位の可能性も賭けていただろう仙台だったが、残り9試合で12勝点差。それでも(こちらから見た目では)彼らは紳士的にベガルタイレブンを迎えているように見えた。 年末に入れ替え戦に昇格を託すチームはどこだろう? その相手が京都サンガになる公算も大きくなってきた。(と言うよりも15位が見えなくなってきた。) “横浜FCが入れ替え戦に出るならば世論は確実にそちらを応援しますよ…”とSさんに言った。”それから会場はどこになりますかねぇ?国立か横浜国際でやっても採算取れると思いますよ。“というと”いやぁ、どうかなぁ….“と、そうか。彼らは自動昇格の2位以内が十分な射程距離であった。降格が現実的となってきた我が京都と比べると羨ましい気がしてきた…..

3位争い 横浜FC vs 仙台 国立にて

2006-09-28 | 京都サンガ J-League
9月27日夕方、久しぶりにSさんの携帯に電話を。“もしもし、御無沙汰です。今夜国立でしょ?はい。競技場に着いたら連絡します。” Sさんは私が勤める会社の最強のライバル会社の優秀な営業社員。ある展示会をきっかけにおたがい濃厚なサッカーファンと解り、意気投合。それはSさんが熱心に支持していた横浜フリューゲルスが消滅させられた直後だった。 当時のフリューゲルスサポ達の抗議行動にも参加されたとの事。“横浜Fマリノスと旧フリューゲルスは異なるもの。今後全日空機には絶対に搭乗しない。”との信念を持たれている。私も一サッカーファンとして全日空は絶対に使わないことにしている。これが私達に出来る抗議行動でしかないのだ。
そして多くの元フリューゲルスサポがそうだった様にSさんは今熱心な横浜FCサポだ。昨シーズン、我が愛する京都パープルサンガがJ2にいる時に三ツ沢で横浜FC戦を観戦して以来の再会だ。この日の横浜FCは前節に続き国立競技場でのゲーム。相手は3位争いをしているベガルタ仙台。J2は前節第38節を終えて1位柏の勝点72を筆頭に2位神戸勝点71、3位横浜FC勝点70と大混戦。そしてなんとか昇格可能圏内を狙う4位の仙台が勝点60とやや離されている。アウェーの仙台は、この直接対決を絶対に落とせない。国立競技場は都営大江戸線が開通してくれたおかげで会社からは半時間もかからない。しかし、仕事の都合で競技場前に着いたときは既に7時20分近くになっていた。入場券を求めるがS席が4,500円、そしてゴール裏のB席が2,500円でホーム、アウェーがきっちりと分けられている。国立だから高いのかなぁ…と思っていると競技場から歓声が聞こえてきて、その直後に“ゴ~~ォルゥッッ”と言う場内アナウンスが。ホームの横浜FCがゴールを上げたのが解った。これは急がねば、とSさんの携帯に電話を。電話口からは横浜FCサポ達の歓声が漏れ聞こえてくる。そしてSさの居場所を確認しチケットを購入して競技場内に。だが、不慣れな?私はどちらが横浜FC側のサポーター席かがわからず右往左往する始末。ようやく入り口を見つけて中に足を入れると、横浜FCのチャンス。カズがCKをセットしていた。歩を止めてそのプレーを凝視する。そのCKを横浜FCのFWが頭で合わせてあっさりと追加点を横浜FCが挙げた。大喜びの横浜FCサポの間を縫ってSさんの席を探し近くへ移動する。“どうも、御無沙汰。”“今また入ったよ。”“そこで看ていた。あっさり入ったねぇ” 後ろの電光掲示板で今のレプレイを看て、得点者が瀧澤だと解った。そしてこれが横浜FC、2点目のゴールで、場外で聞こえた” ゴ~~ォルゥッッ”は城彰二の得点だった。“どうです?横浜は?”“う~んん、横浜というよりも仙台がどうしちゃったんだろう?この前(第15節の三ツ沢)観た時とは大違いだなぁ(その試合は0-0で引き分け)”おそらくその試合の仙台はブラジル人選手が3人出たのではないかな?そして前回のユアテックスタジアム仙台での対戦は 1-1 のドロー。その横浜FCの得点者が25節からレンタル移籍したアレモンだった。“アレモンって京都のアレモン?”“そうそう。高木監督がだいぶ気に入っている。”あぁ京都は何故アレモンを出したんだろう?金が無い訳じゃないのに。“アレモンは京都でも貴重な戦力だったと思ったのに。1人で状況を打開できる選手だし。”“そうだね。そこが魅力。”しかし今日、アレモンはベンチ入りしていない。その替わり、前節はベンチ入りしなかったがキングカズがスタメン出場だ。第30節の愛媛戦で先発出場以降、37節神戸戦までの7試合は途中出場が2度の通算プレー時間は31分。38節のヴェルディ戦には先発出場し61分にベンチに退いて以来4試合ぶりのスタメンだ。“KAZUにはいつまでも続けて欲しいけど。せめてもう一度J1で。”だがそうなると降格するのは我が京都かな?
Sさんに横浜FCのフォーメーション等を尋ねる。小野、中島がサイドバックそして中には鄭容台と小村が固める。そして内田、山口がボランチ。吉野、瀧澤が攻撃的MF、ツートップは城彰二にKAZU。“ KAZU,城、山口、小村、フランス大会前の代表だね。”“それを言わないでよ。”“そして監督は高木琢也”“第二節からいきなり指揮を取っているけどなかなかよくやっているよ。”とSさんは結んだ。サイドバックの中島は第20節から故障で3ヶ月間の長期離脱を余儀なくされていたらしい。しかし復帰後は39節柏戦、40節水戸戦と勝利に貢献した。DF陣と言えば、ツィードの退団は本当に痛かったらしい。理由は家族の問題だったとか。だから“崔成勇と契約したのかなぁ?”“そかもしれない。”“彼の奥さんは阿部美穂子と言ってテレビタレントで、ハングル語講座にも出ていて言葉の問題は無いみたい”と話を進めたがSさんは阿部美穂子を知らなかった様だった。ピッチの上では横浜FCの攻勢が続く。と言うよりもSさんはこの日の仙台の出来の方が気になる様だった。“前節は格下の鳥栖相手にロスタイムに入れられて負けたからそのショックが残っているのでは?”と言うと“それならこっちだって草津に完敗したよ。”仙台のパスは足元へばかりで、攻撃の糸口はロペス頼りと言った感じ。試合巧者の横浜FCボランチの山口がそれを見逃すはずは無い。そして前半は横浜FCが2点リードで終えた。 この試合は United Arrows Match と名付けられ、観客にスーツ等をプレゼントする企画を行なった。この会社は1989年に設立された紳士服・婦人服及び雑貨等の企画・販売 を行なっている会社で2003年に東京証券取引所市場第一部に上場している。J2(と言っては失礼か)のゲームでこの様な企画があがるのもKAZU効果か?
ハーフタイムの間にSさんにビールをポテトチップスをご馳走になる。前回の横浜FC戦もビールをご馳走になったなぁ。
ライバル会社の営業スタッフと仲良くスポーツ観戦を楽しむシーンを会社の上役が見たら、Sさんの会社はそうでもないかも知れないが、狭量な弊社の人間がみたらどう思うか、楽しみでもある。 シーズン前、雨の日産スタジアムで横浜Fマリノスとプレシーズンマッチがあり、完敗した話も聞いた。むかしJリーグ発足前、三ツ沢競技場で日産自動車と全日空との“YOKOHAMA City Cup “ と名付けられた試合を観戦したことがあった。”木村和司、松永、柱谷兄弟、金田、水沼、そして前田治、反町、高田、モネールらがいたよ。“と話をした。 そうもう18年も前のことだった….. そしてこの試合にその反町五輪監督がオシム日本代表監督と共にこの試合を視察した事を翌日のネットニュースで知った…続く

駒場にて 浦和 vs 高槻 その2

2006-09-25 | Weblog
ハーフタイム中に試合前に購入したプログラムをパラパラとめくる。モックなでしこリーグと名付けられた女子サッカーでは日本最高峰のリーグ戦。モックとはリーグ戦のスポンサーで1994年に設立された新興の会社で、外食、ブライダルビジネスを手がけている。ブライダル市場に参入するあたり、なでしこ達にふさわしいかもしれない。Division 1は8チームで構成され、2回戦総当りで順位を決め、上位,下位4チームずつが順位決定リーグ戦を総当りで行うがレギュラーリーグでの結果はそのまま加算される。そして Division 2 も8チームで構成され3回戦総当りで順位を決めて、1位が自動昇格。2位が Division 1 の7位チームとホームアンドアウェーでプレーオフリーグを行い昇格を争う。Division 2にはアルビレックス新潟や ジョエフユナイテッドがいる。そしてかつて女子サッカーの代名詞とも言われた清水第八がここにいる。全盛期は静岡県の鈴与グループのスポンサーを受け、女子サッカー全国制覇8連覇を成し遂げた古豪だが、はやく1部入りをして欲しい。 そして Division 1 の各チームの代表的な選手1名の“生活ぶり”も紹介されていた。学生あり、主婦あり、そしてOLあり。殆どの選手がプロではなく限られた時間で精進している。かつて(男子の)日本リーグサッカーは企業に所属しておりサッカー部に居る間は給料の心配は少なかった。その後ライセンスプロ選手制度が出来、プロリーグ発足に繋がったが、女子の今の現状は男子の日本リーグよりも厳しい。そんな中で世界を相手に戦うのだから、判官贔屓の私は彼女達の応援に拍車をかけたくなる。 
後半も浦和の攻勢で始まる。47分には右から北本、安藤、そして柳田に渡りシュートを撃たれるが惜しくも外れる。54分にはカウンターから安藤に撃たれるがGK正面。55分にはDF笠嶋の左からのナイスクロスが入るが惜しくも安藤には合わない。エンドが替わって今度は高槻がこちら側のゴールに攻め込んでくるので初めて浦和DF陣がよく判るのだが、この笠嶋は身長170cmと長身。清水第八にも所属したベテランではあるが色白でこの身長だからモデルでも行けたのではないかな(関係ないか?)。どうりで、前半なかなか高槻はサイドからクロスが入れられないわけだ。細田監督はここで二人目の交替選手、MF櫻田有幾子をFW伊丹絵美に替えて投入し中盤を厚くする。これが功を奏して中盤で高槻のボールが廻るようになった。(だったら前半の交替時にそれをやっていれば?・・・)64分にはFKを得て庭田が直接狙うが惜しくもバーを直撃し、またもや我々高槻サポは天を仰ぐ。高槻は交替出場の金房が左に開いてそこにボールが渡ればなにか可能性を見出せるようになってきた。しかし、浦和の攻撃の要、安藤が守備に戻って来るのでなかなかシュートが撃てない。その安藤は66分にミドルを撃つがGK海堀がナイスキャッチ。 浦和ベンチの永井監督がここで立ち上がった。永井良和と言えば、地元、市立浦和高校出身で全国優勝を果たし“赤き血のイレブン”のモデルとなった。だが私はむしろ、後に古河電工に入社し、日本代表のFWとしても活躍し、特に韓国戦では強いところを見せてくれたという印象の方が強い。だから彼が浦和で指揮を取るのは少し違和感を感じるが、地元の人にとっては心強い経験者と映るのかもしれない。永井監督はMF法師人に替えて地元埼玉栄高校出身の保坂のどかを投入。どちらも身長150cmに満たないが早くて細かい動きをする。これで高槻中盤での攻勢を抑えに出て、カウンター攻撃が増える。69分には北本がドリブルで上がってそのままシュートに持ち込むがGK海堀がキャッチ。76分には保坂が左からクロスを入れて若林があわせるがこれも海掘の正面。海掘はこの日大忙しだ。78分にはその若林が下がり同じFWの松田典子が入るがこれで前線からのプレスを掛ける。浦和はこの2試合ベレーザ、TASAKI と強豪相手に連敗中なのでこの試合は何とか勝ちたいと言う執念が徐々に伝わってくる。それでも高槻は79分、相澤がドリブルで上がりそのままシュート。そのこぼれ球に伊丹が迫るがゴールは割れない。85分にはDF高見を下げてFW藤川を投入して同点ゴールを狙うが、結局ボールは届かず無情のホイッスルが鳴った。試合終了後は我々の所に挨拶に来る高槻イレブンに精一杯の声援を送り、高槻サポの方からエールの交換を始める。私も力いっぱい“うらぁ~わレッズ”と叫ぶ。浦和サポ及び観客席からは拍手が送られ、続いて“高槻FC!!”のエールが返ってくる。10人にも満たない我々の応援席から精一杯の拍手を送る。 学生スポーツの様だが、ここには共通の意識がある。女子サッカーを盛り上げようとする意識だ。我々に出来る精一杯の事だ。そして関西から着たサポーターの人達に労いの言葉をかける。昔、高槻FCが全国優勝したときに私は西が丘競技場でその現場に居合わせたことを話した。“時間が有ったら高槻に来て応援してください。”といってくれた。スペランツァ高槻のホームゲームは高槻総合、高槻萩谷、神戸ユニバー等で行われた。浦和の様に“聖地”を持たない。だが彼女達のプレーに郷土意識を再び齎してくれた。 最後にもう一度言わしてもらおう。

“私、女子サッカーのファンです。”

駒場にて 浦和 vs 高槻 その1

2006-09-25 | Weblog
先週末、9月23、24日はこれぞ秋晴れと言う天気、そして絶好の屋外スポーツ日和。それは Do Sports ( ちょっと表現が古いか?) とスポーツ観戦に共通した。この週末は前から楽しみにしていた。土曜日には我が愛する京都パープルサンガがフクダ電子アリーナにやって来て JEF United との試合が。日曜日には私の故郷からスペランツァ高槻が駒場競技場で浦和レッドダイヤモンズレディースと対戦する。本音は両方とも競技場に出向きたかったのだが、そこは独身時代(もう16年前)とは異なり自由時間の限られている身。悩み抜いた揚句、駒場に行く事にした。当日は秋晴れの涼風に誘われて何と私は自宅から駒場まで自転車で行ったのです。それでも気ままにペダルを漕いで45分程度でもう競技場近くの本太坂付近まで着いた。この近くにある本太中学校。今、横浜マリノスで指揮をとる水沼監督が卒業された中学校との事。在校当時は全国優勝を果たしたとの事。卒業後、彼は浦和南高校に進学しそこでも全国優勝を果たした。駒場競技場のサブグラウンドでは浦和南高校と浦和レッズユースが練習試合をしていた。その本太中学は昭和52年度も全国優勝を果たした(と思う。)が、その時の全国中学校大会に私の同級生達が大阪代表(高槻市立第九中学校です。)で出場をした。残念ながら1回戦で千葉県の宮本中学校に破れたが、彼らの頑張りは大変な刺激になり、私の陸上競技人生と言うよりも、人生そのものに大きく影響を与えてくれたと今でも感謝している。その陸上競技人生でもここ駒場競技場は縁がある。実業団時代、何度かここで練習や5000mのタイムトライアルを行った。当時はまだJリーグが発足する前で、観客席はまだ増設されておらず、スタンドの壁によく五輪等で出て来るサッカー選手を象った大きな“ロゴ”が貼ってあった。 Jリーグが発足してからここが一般開放される事も少なくなり、陸上の練習で使う事は滅多に無くなったらしい。競技場横には Red Voltage のテントが設営されそこで当日券が販売されている。価格は1000円。日本リーグ時代と同じ価格だ。そして驚いたことに日本サッカー後援会の会員証を見せれば入場は無料との事。昔は個人だと年会費1万円で日本サッカー後援会に入会できて、五輪やワールドカップ予選などの代表の試合が無料で観戦出来た。今はそんな特典等ないだろうが、まだこの後援会が存在するとは吉報であった。入会方法を尋ねるも、ここでは判らないとの事。それではこちらで調べてみましょう…とスタンドに向う。 モックなでしこリーグの第12節の浦和レッズレディース対スペランツァF.C.高槻戦。浦和レッズの試合では毎試合前売りチケットは完売であるが、レディースのこの試合、観客は1000人入ったかな?ヴィジターブロックに足を入れる。するとエスペランサのブルーのユニフォームを着た男性が5人。横断幕を張ったり応援旗のチェックをしたり。訊ねてみると高槻からわざわざ来られたらしい。“私は高槻出身でこの試合を楽しみにしていました。”と言うと彼らも応援頑張りましょう、と。 そしてメインスタンドの方では赤いシャツを着た一角が。お馴染みのレッズサポーターだ。スタメン紹介の時にはレディースの試合とは言えあの手拍子と掛け声が発せられて、良い雰囲気を醸しだしてくれる。 浦和はGKの山郷のぞみ、MF柳田美幸そして安藤梢が先月アデレードで開催されたAFC女子選手権兼ワールドカップ予選での日本代表メンバーそしてFW北本綾子が昨年の東アジア選手権での日本代表。他にもDF笠島由恵、MF高橋彩子が代表経験有りと、タレントぞろい。一方の高槻は、FW相澤舞衣が代表経験者。主将の庭田亜樹子が京都の龍谷大学所属のユニバーシアード代表選手。昨年のトルコ、イズミールユニバーでは銅メダル獲得のユニバー代表の主将。しかしそれ以外、代表経験者は無く個人能力の差は歴然だが、それを戦術でカバーできるのがサッカーの醍醐味、と期待をかける。 しかし地力に優る浦和の猛攻で幕が開く。開始2分、右から北本のスルーが安藤に通ってGKと1対1になるが最後は高槻DF高見惠子がブロック。4分に今度は安藤からのスルーを右に流れて受けた北本がそのまま持ち込み再びGKと1対1になるも、高槻GK海堀あゆみがブロック。その直後には浦和DF西口柄早がミドルを放ちそれがクロスバーを直撃。こぼれた所をMF法師人美佳が詰めるがその前にオフサイド。いつ失点してもおかしくない立ち上がりだ。クリアーボールを拾われ、というよりも女子の筋力では大きく飛ばないのか?常にボールの先には赤いユニフォームがおり、波状攻撃を許す。高槻はようやくFW庭田がサイドからドリブルで上がって相手ペナルティーエリア内まで持ち込んでチャンスを作る。14分にはMF小野村亜矢のロングフィードを受けた庭田が粘ってCKを得る。そのCKから167cm長身の奥田亜希子が惜しいシュートを放つ。高槻はロングボールを入れてそこにボールキープの出来る庭田を走らせる。なんとか早いうちに先制出来ないかと思っていると、浦和に先制されてしまった。18分にFW若林エリが前線にロブをいれるとそこには北本がおりそのまま持ち込まれてループ気味にシュートを撃たれてゴールネットを揺すられた。どうしても欲しかった先制点は浦和に決められてしまった。尚も浦和は当たり前だが攻撃の手を緩めない。21分には安藤のスルーを受けた北本がフリーで撃つがGK海堀がブロックし、こぼれ球はDF奥田がクリアー。25分にはMF高橋に粘られて何とかコーナーに逃げるもそこから波状攻撃を受けて最後は安藤にシュートを放たれるがそれは外してくれた。26分、法師人のスルーを受けた安藤のシュートはGK正面。35分には再び法師人がドリブル、奥田を交わしてクロスを入れられるが安藤のヘッドはクロスバーのやや上に。安藤のシュートがゴールネットに届くことはないが、彼女の決定力が上がらないと反対に11月のワールドカップ最終予選となる北中米国とのプレーオフが心配なのだが。個人能力で優る浦和は中盤でも細かいパスを繋ぎ、若林がすばしこい動きで高槻の中盤を翻弄。後方からも法師人が良いフィードを入れてくる。高槻はロングフィード頼りだがその後のサポートが遅くバイタルエリアでボールが廻らない。女子は男子と決定的に違うのはパワーとスピード。しかし、そのせいでロングボールがぎりぎりラインを割らなかったりするのでロングボールは有効に見える。しかしテクニックはなかなか男子顔負けだ。36分には高槻、細田監督は早くも中江真紀に替えて金房夏希を投入しFWを入れ替える。そして41分、庭田がミドルを放ちそれがクロスバーに当たって真下に落ちるが僅かにゴールラインを割れない。数少ない高槻サポは全員立ち上がって天を仰ぐが、これが前半最初で最後のチャンスだった。 以降浦和の攻勢が続き44分には安藤が3人に囲まれてもクロスを上げて柳田がフリーで撃つも左に外れ、ロスタイムには岩倉三恵が左からナイスクロスを入れるが安藤がまたもフリーシュートを外してくれた。更に前半終了直前には北本がミドルを放つが枠を越えて行った。 こうして前半は何とか1失点で済んだが、後半、高槻は打開策があるのだろうか?…..

Harry don't be hurry

2006-09-23 | Aussie & Kiwi
ニュージーランド最大の都市オークランドの繁華街 Queen Street と Customs Street の角に All Blacks のオフィシャルグッズの売っているショップがある。6年前はNZ$が50円を割る勢いと大変下落していたため、商売はあまり進まなかったが買い物には最適の時期であった。その時に買い漁った All Blacks グッズ、トレーナーやポロシャツを着てニュージーランドのみならず、オーストラリアに滞在中でも出張時にはそれこそユニフォームの様に来て過ごしている。カンタス航空の飛行機では Cabine Attendant に“当機はどこの国の航空会社かご存知でしょうか?”とか“もうすぐオーストラリア領空内に入ります。着替えの準備を”と言われ(勿論ジョークだ)パスポートコントロールでは All Blacks のマークを指差し“本当にオーストラリアに入国しますか?”とよくいじられたりする。まぁ半分それを覚悟と期待をしてのことだが。その度に私は“今度は Harry Kewell シャツを着てきます。”と答えるのだが、その意味を理解する人は本当に少い、いや少なかった。初め私の発音が悪いから通じなかったのかと思っていたのだが、今回の出張では誰もが私のカウンタージョーク(こんな英語あったかな?)を理解した。ワールドカップ効果が此処にも現れている。その Socceroos 快進撃の立役者だったキューウェル、ワールドカップ後の様子が芳しく無い。決勝トーナメントのイタリア戦は杖をついて入場し、その試合には出場できなかった。それは一部メディアが通風だ、と報道したが、9月21日付けの The Australian 紙ではそれは当時の Socceroos のチームメイト内での噂に過ぎなかったと報道。しかし、翌週にメルボルンで鼠頸部(足の付け根)の手術を受ける前に翌日、9月22日につま先とくるぶしにメスを入れる事になったとの事。この日はキューウェルの28歳の誕生日だった。この記事や UEFA, Liverpool のホームページの報道では左足関節にSeptic Arthritis ( 敗血症関節炎 ) を患っていると診断されたらしい。敗血症とは化膿性(かのうせい)の病巣があって、そこから菌が血流中に繰り返し入り、その毒素により悪寒戦慄(せんりつ)・高熱などの中毒症状を示し、二次的に身体各所に転移性の膿瘍(のうよう)をつくる感染症。7月に膿を取り除く手術を施したがもう一度手術が必要になったとの事。その左足関節と言うのがどうやら以前から痛めていた鼠頸部(足の付け根)らしい。2005年5月の UEFA Champions League 決勝戦では怪我で途中交替を余儀なくされチームは劇的な勝利を収めビッグタイトルを勝ち取ったが、翌シーズンはその回復振りが心配され、ワールドカップ予選への出場も危惧されたがヒディング監督の新しい指揮の下見事なパフォーマンスを披露し前大会は最後に破れたウルグアイにリベンジを果たした。そしてワールドカップイヤァーとなった2006年はFA Cup の準決勝、チェルシー戦で Man of the Match に輝くパフォーマンスを披露。しかし前シーズンに痛めた鼠頸部が悪化し決勝戦は出場できずワールドカップ出場が再び危ぶまれた。リバプール関係者もマスコミを通じて“キューウェルを酷使するな”と言う意味の発言を繰り返す。そう言えば2000年、地元開催のシドニー五輪でも怪我で出場出来なかった。初戦の日本戦にはキューウェルが先発するのか?と言う事も私の1つの観点であったが、結局先発でフル出場。だが試合には勝ったが彼らしさを見せたのは前半に得意のドリブルシュートから惜しいシュートを放ったシーンくらい。後半も25分を過ぎると足が止まっていた。それでも彼を下げなかったのは“キューウェルが下がると日本が活気付く”とヒディング監督が思ったからか?以降、ブラジル、クロアチアと出場しクロアチア戦では貴重な同点ゴールを決めた。そしてこの試合以降まだ彼はピッチに立てる状態に無い。
10月7日のブリスベンでパラグアイと親善試合。そして11日にはシドニーでバーレーンとのアジアカップ予選。この試合にはワールドカップでの Socceroo メンバーが揃い、おそまきながら凱旋帰国試合となるらしいが、ヴィドゥーカは奥さんがおめでたの為に豪州入り出来ず、キューウェルはこの調子ではピッチには立てない。替わりに不整脈で最後に代表辞退を余儀なくされたトニー・ヴィドマーが招集されると言う噂があるが、もう1人は誰だろう?ケビン・マスカットかポール・オコンという人達もいる。何故なら、この試合はラザリデスらベテラン Soccerroo 達の代表引退試合とも言われているからだ。そしてこの試合にはヒディング元監督も招待されるらしい。まぁキューウェルも怪我で帰国中とは言え、セレモニー参加の為にピッチに立つだけならリバプール関係者も大目に見てやって良いんじゃないかな? このことを知っていれば出張計画をずらしたのになぁ???
私がキューウェルを始めて観たのはNHKが生中継した1997年11月のメルボルン MCG でのイラン戦だ。その2週間ほど前ジョホールバルでの勝利がに日本中を感動に包んだが、もしジョホールバルで日本がもし敗れていれば、日本がここで戦わねばならなかった。ブラウン管を通してみたその試合、上背は無いがすばしっこいドリブルでイランDFを切り裂いていたのがキューウェルだった。私はオーストラリアが2点をリードしたところで、テレビを消し、床に着いた。当時2歳の子供が寝付いたからだ。(あの時はアパート暮らしだった。)そして翌々日の朝刊でイランが2点を挙げて追いつき、ワールドカップ行きの最終切符を手にした事を知った。この新聞記事を見て私は背筋が寒くなった。日本がジョホールバルで勝てた事がどれだけ大きかった事だったか。 この試合のスタメン。GK マーク・シュヴァルツァー、ブレット・エマートン、クレイグ・ムーア、トニー・ヴィドマー、ショーン・マーフィー、ケビン・マスカット、ジョシップ・スココ、スタン・ラザリデス、主将にポール・オコン、そしてヴィドゥーカにキューウェル。彼らは私の尊敬する元 Socceroos のジョニー・ワレンから “ The Young Guns “ と名付けられ、将来のワールドカップ出場の夢を託された。 ワレンは Socceroos の悲願達成を見られなかった。だがこのメンバーを中心に8年後に彼らはオーストラリア大陸にサッカーを再伝授した。 そして多くの選手が代表から引退する。キューウェルも彼らと同じピッチでプレーしたかっただろうに。だが、彼はワールドカップで無理をしたことを決して後悔していないと思う。ワールドカップで得点を決めたサッカー選手なんて何人いるだろう? キューウェルにはじっくりと怪我を治して、来年のアジアカップ辺りでの復活を目指して欲しい。勿論ゴールは日本戦以外で決めて欲しいが。
最後に、キューウェルに応援メールを送ることが出来るらしい。下記のサイトを参照下さい。日本から応援メールが届くと彼も最初は驚くが喜ぶ事は間違いないだろう。 勿論英語で書かねばならないが。 彼のためなら英文作成くらいは問題ないと思う人も多いと思う…… 私からのメッセージは Harry, don’t be hurry だ。

http://www.liverpoolfc.tv/team/squad/send_player_email.php3?num=7

帰国後 オーストラリアでは 男女五輪予選

2006-09-22 | Aussie & Kiwi
帰国して4日目、日本は秋らしい快適な日々。しかし、夜はまだ蚊がぶんぶん。子供の時は9月下旬に蚊の羽音で眠りを妨げられることなんてなかったんだけど。これも地球温暖化のせいか? 
移動が東西でなく、北上するだけのオセアニアからの旅の良さは時差が殆ど無いこと。しかし、帰りの飛行機は夜に出発して日本に到着するのは朝。会社の規定でエコノミークラスしか乗れないので満席の機内ではぐっすり眠れるはずも無くこれでは時差ぼけと同じ疲れが体に残る。やれやれ俺も歳だなぁ。 
ワールドカップのおかげでオーストラリアサッカーに興味を持つ人も激増中だとか。私の周りにも昨年末にオーストラリアとの対戦が決まって以来 Socceroos の事を訊いて来る人が増えたものだった。 
再来年の北京五輪に向けて先日組み分け等が決まった。 今回からアジア地区予選に参加することとなったオーストラリア代表。 シード権も何も無いので男女揃ってRound 1 からの登場になるが、この Round をシードされていない国々にとってオーストラリアは厄介な存在であったに違いない。

Olyroos は 14のタフな試合が待っている。 
男子23歳以下の五輪チームは Olympic と Kangaroo を合わせた造語 Olyroos と言われている。Round 1 では20カ国から10カ国に絞られ、日本を含めたシード国14カ国の待つRound 2 に臨む。Olyroos は台湾とホームアンドアウェー戦を 2月7日、14日に行なう。 まぁここでは余程の事が無い限り…と思われる。 Round 2 の組み合わせは以下の通り。

Group A バーレーン、クウェート、カタール、シンガポール(シンガポールかパキタン 多分シンガポール)
Group B 日本、マレーシア、シリア、香港 (香港かバングラデッシュ多分港)
Group C オマーン、レバノン、ベトナム(ベトナムかアフガニスタン,多分ベトナム)インドネシア( インドネシアかモルディブ 多分インドネシア)
Group D イラン、サウジアラビア、ヨルダン(ヨルダンかキルギスタン、多分ヨルダン)オーストラリア(だと思う)
Group E イラク、北朝鮮 タイ(タイかトルゥクメニスタン多分タイ)ミャンマー(ミャンマーかインド 多分ミャンマー)
Group F 韓国、UAE, ウズベキスタン( ウズベクかタジキスタン 多分ウズベク) パレスティナ(パレスティナかイエメン 多分パレスティナ)
それぞれの上位2カ国がRound 3 に進出できるが、ホームアンドアウェーになる事が決まったのか?Match Day は既に決まっている。
2007年2月28日、3月14日、3月28日、4月18日、6月6日

上記の通り Round 2 でも Olyroos はイラン、サウジアラビアのどちらかを最低でも破らねばならない。これはタフなグループだ。ヨルダンもイージーな相手ではない。日本は比較的?恵まれたか?希望的観測をもって Round 3 に進むのは下記の12カ国 と見た。
バーレーン、クウェート、日本、マレーシア、オマーン、レバノン、イラン、オーストラリア、イラク、北朝鮮、韓国、ウズベキスタン。 ひょっとしてタイが地元の利を生かして Round 3 にでて来るかもしれない。
Round 3 は4カ国ずつ3つのグループに分けられ、各組1位のみが北京五輪出場権を獲得できる。恐らくアテネ五輪に出場した日本、韓国、イラクがシードされると思う。ただイラクがタイに食われればイランあたりがシードされるか? こうやって見渡すとこれら12カ国はアジアの列強揃い。 Graham Arnold コーチは “ It is very very difficult draw … “ とコメント。同じことは日本にも言えるだろう。開催国の中国が自動出場なので心配されたアジア枠は合計4確保出来る事となったが(ソウル五輪の時はアジア枠は韓国を入れて3カ国)これはワールドカップよりもタフな予選となる。オーストラリアはソウル五輪以来5大会連続出場を果たしているが、アジア予選の Round 1 からのスタートとなる今大会はどうなるだろう?ちなみにアジアで5大会連続出場を果たしているのは韓国のみ。やはりアジアの“虎”だ。日本もここで4大会連続出場を決めたいところだ。
Match Day は2007年8月22日、9月8日、9月12日、10月17日、11月17日、11月21日

一方の年齢制限の無い女子。Matildas がアジア予選に臨むがここでも Round 1 からの登場。12カ国が4カ国ずつ3つのグループに分けられ上位2カ国がシード国、北朝鮮、日本の待つ Round 2 に進出する。

Group A 韓国 香港 ヨルダン インド
Group B タイ、モルディブ、シンガポール、ヴェトナム
Group C 台湾、オーストラリア、ミャンマー、ウズベキスタン

そして私の希望的観測では Round 2 は下記の通りになるのでは??

Group A 日本(シード)タイ(B組1位) 香港(A組2位) ヴェトナム(B組2位)
Group B 北朝鮮(シード)韓国(A組1位)オーストラリア(C組1位)ミャンマー(C組2位) 

C組はウズベキスタンの存在が不気味だが Matildas の Tom Sermani 監督は先のアジアカップで対戦したミャンマーの力を“侮れない”とコメント。また台湾はかつてアジアでは女子サッカーの列強だった。またC組の勝ち抜け2カ国が北朝鮮の待つ Group B に同時に入る事に “It’s a little surprising…. “ とコメントを残す。何しろ北朝鮮は先の FIFA U-20 大会で優勝している。 FIFA の大会でアジアの国が優勝するなんて初めてじゃないかな?日本は抽選に恵まれたと言わざるを得ない。しかし、彼女達は五輪予選よりも今秋のワールドカップ最終予選で頭がいっぱいであろう…..

そしてキューウェルの記事を見つけた…..

メルボルンにて Vicotry 進撃

2006-09-21 | Aussie & Kiwi
出張もようやく最終訪問地ケアンズでのひと仕事を終えてようやく帰国。本日から満員電車通勤の日本の生活が始まる。ケアンズを最終訪問地にするにはここからの便を利用すると同日中に日本に到着する上に、飛行時間も7時間程度と短く楽だから。シドニーからだと8時間半、パースだと10時間以上のフライト。しかしながら日本への直行便は前後3日間に渡って満席、仕方なくシドニー経由で帰る事に。しかも夜に出発して翌日の朝に成田に着くので時差の少ない所に行ったのに、時差ぼけを感じたように身体が辛くなる。 そして歳のせいか回復にも時間が…..
今年のメルボルンは暖かかった。滞在期間中は雨の日も風の日も無く、滞在期間中はただ春先の快適な日々の連続であった。 宿泊していたホテルは市街の中心部を流れる Yarra 川がすぐ近くにあり、早朝にはその川沿いをジョギングする人が多く、私も朝ここを走る事が日課だった。また川ではボートの朝練習に励む若者達が。コーチが川沿いを自転車で伴走し拡声器を使ってペース配分やフォームの指示を出している。川の対岸には有名なMelbourne Cricket Ground が聳え建つ。その周囲にはテニスの全豪オープンが開催されるアリーナそして Olympic Park がある。50年前の1956年、ここで南半球初めての五輪、メルボルン五輪が開催された。この大会のヒロインとなったのが100m、200m そして 4 x 100m リレーで3冠に輝いた当時18歳だった Elizabeth Cuthbert 。大会後はハムストリングの怪我に悩まされレースに出場すら出来なかったが8年後の東京五輪では 400m で金メダルを再び勝ち取った。その Olympic Park を本拠地とする A League のチーム Melbourne Victory 。今シーズンは絶好調。前節は昨年の Grand Finalist であった Central Coast を 1-0 で破り開幕4連勝を飾った。昨シーズンはライバル?Sydney FC をホームで 5-0 と撃破したが、最終順位は7位に沈み“オーストラリア勢では最下位”(最下位8位は New Zealand の Knights ) と言われている。確かにワールドカップに向けて当時のヒディング監督がシーズン中にエースストライカーのトンプソンをPSV Eindhoven に連れて行ってしまったと言うエクスキューズはある。だが7位と言う結果は地元サポーターを失望させる以外の何ものでも無かった。しかし今年は Ernie Merrik 監督が就任するや早々に新戦力の獲得に動き、他の7球団よりも早く陣容を固めた事が好調の原因と言われている。新戦力の目玉の一つは Scotland U-21 代表で主将も勤めたGrant Brebner。かつては Manchester United のユースチームであのデヴィット=ベッカムと同じ釜の飯を食い(英国では break bread with him ど言うらしい)後には Cambridge, Hibernian Stockport そして Dundee United と渡り歩いた29歳のセンターハーフ。Queensland Roar の新加入選手の FW Simon Lynch と昨季は Dundee United で同僚だった。そして Claudinho, Fred, Alessandro のブラジル人トリオ。彼らの良かった所はその技術、能力の高さだけでなく“オーストラリア”に早くに慣れた順応性だろう。3人とも異口同音に“オーストラリアがこんなに寒いとは”と言う気候と“サッカーのスタイルが英国スタイル。テクニックよりもフィジカル、フォーメーション主体”と言うカルチャーショックを早くに克服したことと言われている。
Claudinho ことClaudio Andre Santos Assis はAtlético Paranaense からやって来たFW。2001年にこのチームに入る前にはフランスのStrasbourg のユースチームに3年間所属。ブラジルでは約100試合に出場し30得点を挙げた。今年4月にMerrick 監督がチームのスカウトミッションでブラジルを訪問した際に自分の目で見て入団させた。
Fred こと Helbert Frederico Carreiro da Silva はブラジルの America-MG で10シーズンを過ごし、80試合に出場し20ゴールを上げた。Arsenal のスター Gilberto de Silva とも同僚であった。また渡豪前には地元の州の1部チーム Guarani Minas Gerais deプレーし州のリーグでは後にバイエルン=ミュンヘンに移籍した Giovani Elber と得点王を競った。昨シーズンはブラジル国内ベストプレーヤー部門の第4位に選ばれ、同じブラジルのAtletico Mineiro、そしてCruzeiro との獲得争いを経てVictory が契約にこぎ着けた。
そして攻撃力豊かな左サイドバックのAlessandro Viana Da Silva はInternacional RS からやって来た。その早いペースと柔らかなボールタッチは早くも Victory サポ達を強く惹き付けている。
また南米からの New Recruit はブラジル勢ばかりではない、昨シーズンは主に途中出場であったが合計18試合にPerth Glory の選手として出場した . Adrian Caceres はアルゼンチン国籍の左MF。 このメンバー構成を専門家は Cosmopolitan な陣容と表現。
しかし、それにも劣らないのがArchie Thompson の帰国とベテランDF Kevin Muscat の2人だ。Thompson はワールドカップメンバー。ドイツでの出番は無かったが、彼が A League のメンバーで最も Socceroos のレギュラーに近いと言われている。キューウェルも早く怪我を治さないと…. そして私の好きな ベテランMF Kevin Muscat 5年前のワールドカップ予選ではウルグアイ相手にPKを決めたがこれがプレーオフでのSocceroos 唯一の得点だった。 ドイツ大会ではメンバー入り出来なかったが、それでも8月16日のアジアカップ予選のクウェート戦ではチームキャプテンとしてチームを勝利に導いた。だが彼自身は“後進に道を譲るべきだが..”と語る。そのせいか、次のアウェーでのクウェート戦は召集されなかった。(と言うよりも開催地のせいか、欧州でプレーする選手のみの招集。) 10月7日に Brisbane の Suncorp Stadium で開催されるパラグアイとの試合には何人の A- League 選手が招集されるかな?かつては Glasgow Rangers の中心選手で、Wolverhampton , Crystal Palace でもプレーをしたが、ここは彼の言うとおりに後進に道を譲る時期かもしれない。寂しい気はするが、 Perth Glory のラザリデスと共に先代の Socceroo 達の代表引退試合に(パラグアイ戦が)なるのかな? Thompson の昨シーズン8ゴールは2位タイ。しかしオランダに渡らねば得点王の可能性もあった。またMF Kristian Sarkies, センターバック Adrian Leijer は共に20歳で五輪代表候補、そして6月のワールドカップでは Socceroos に帯同し、Sarkies はリヒテンシュタイン戦に出場した。来年から始まる北京五輪アジア地区予選では脅威になる。また GK もレベルが高い。レギュラーGKのMichael Theoklitosは昨シーズンは10試合に出場だが、今季はこれまでフル出場。かつては England の Blackpool でプレーし FA Cup にも出場(どこまでいったのかな?) その控えが昨季11試合出場のEugene Galekovic 。アテネ五輪では Olyroo ( オーストラリア五輪代表 ) として出場。このレベルで控えなのか。
今の Merrik 監督のもう一つの危惧は“ ワールドカップの Socceroos の快進撃でオーストラリアサッカーが知られる所となり年末頃に欧州のクラブチームに取られないか?”という贅沢な悩みらしい。 
次々節はホームに現在2位の Queensland Roar を迎え、首位攻防戦が行なわれるが、ここで更なる追い風が。 Melbourne ではMCGに次いで大きなスタジアム、 Telstar Stadium をこの Roar 戦以降、残りの6試合のホームゲームに使う決定が下されたことだ。 連勝で勢いに乗るチームに更に多くのサポーターが後押しする土壌が出来上がった。 メルボルンでは9月20日に Australian Football League のグランドファイナルが開催される。先週に私が当地にいた時も多くのサポーター(っていうのかな?)マフラーを巻いて街を闊歩していた。そして昨年は丁度Grand Final の前日まで Melbourne におり、街中が Grand Final 一色であった。 今年はこれにVictory の快進撃に乗じて Vicotry サポの姿が街中で見られそうだ。
あぁ、またオーストラリアサッカーが強くなりそうだ…….

メルボルン展示会にて 韓国の人と友達に..

2006-09-18 | Football Asia
9月11日から14日、 Melbourne Expo Center での見本市に出展参加をしました。この“食”をテーマにした Food Show も2000年を除いて1999年からずっと出展参加しています。隔年でシドニー、メルボルンと開催地を移し、西暦で偶数年の今年はメルボルンでの開催。そしてメルボルンでの参加は3回目です。この展示会、年々入場者数そして出展社数は増えており、特にアジア諸国からの新規出展が目立ちます。今年は台湾、中国、タイの出展社が多く反対にこれまで元気だった韓国からの出展社がやや少なかったです。一方の日本は…. この分野での出展社は少なく数えるほど。それも片手で足りてしまう。 展示会の楽しみは色々な出展社の人達とのちょっとした交流。思い出すのは4年前、ワールドカップ日韓大会直後のメルボルンでの展示会。韓国ブースではワールドカップでのハイライトシーンをがんがん流して国威誇示をしていました。その時に受付の女性と韓国にワールドカップの試合を見に行った時の話をし、韓国サポが文字通り愛着しているBe The Reds のTシャツを彼女から貰いました。他にも韓国海苔の製造業社の人と仲良くなったり。 いつも思うのは彼ら、彼女達の中には日本に来たことがある人達もおり、また未だ行った事が無い人も本当に日本に関心を持っていて、近いうちに観光に行きたいと皆言っていました。若い女性の口からは“原宿、渋谷”の地名が必ず出てきました。また韓流ブームの火付け役となったペ・ヨンジュンのことも“日本流”に“ヨン様”と覚えている人も多かったです。
今年は日本でもキムチで有名な韓国農協が出展していました。 その中で日本語の堪能な若い男性がいました。彼とは展示会期間中、夕食後全く偶然に私の泊まっていたホテルの近くで出会い、コーヒーを飲みながら小1時間色々な話をしました。韓国のスポーツの事や芸能界、そして兵役。彼も日本の事を色々と。 何故日本語がそんなに堪能なのかと訊ねると、大阪の天下茶屋に約1年滞在していた事があり、そこで障害者の施設で働いていたとの事。鶴橋や生野など韓国、朝鮮の人が多い地域という事もよく知っていました。日本に来て日本人や日本がこんなに想像していたのと異なる事がわかったと言っていました。私も韓国の近代史や政治、スポーツのこと、特に子供のときにあった金大中拉致事件やパクチョンヒ大統領狙撃事件の印象を話したり、本当に有意義な時間でした。 彼には“本当に韓国相手に仕事をしてください。それだけ我々の事を知ってくれる一般の日本人はいないですよ”と言ってくれました。 しかし、竹島や靖国神社、そして従軍慰安婦、これについて話をする勇気はありませんでした。“イチロー妄言疑惑”は話をしたけど。 ニュージーランドでも韓国の人に言われました。“日本人は本当に素晴らしい。友達になれる人達。なのに政治同士が….” かれらは日韓間にある諸問題は日本の政治家によって問題にされているのであって、一般の日本人はみな韓国で教えられていることが正しいと思っているはず、という根底でそう言っているのかが心配でした。学生時代、とても親しい同級生の女学生がいました。彼女とは2人きりでも色々な話をしたりしました。しかしここで”恋人として交際しよう“という言葉を言ってしまえば、2人のいい関係が壊れてしまうと思いそれ以上の関係にはなりませんでした。まぁ相手は何とも思っていなかったかもしれないが? 靖国や竹島の問題に触れると、こうして仲良くなった韓国の人達との関係が崩れてしまう。 同じ事なのでしょう。 自分は靖国参拝の正当性、竹島は日本の固有の領土、それに従軍慰安婦の誤解を説明するだけの知識は持っているつもりですが、それを韓国の友人達には話す勇気がありません。 でも誰かがやらねば…. それはどの世代に託せば良いのでしょう。
展示会が終わって韓国農協の彼とは“またどこかで会いましょう”と記念撮影をして硬い握手を交わし、再会を誓いました。個人同士ではこんなに仲良くできるのに…..   この次は韓国語で話が出来れば良いなぁ……そしてもっと仲良くなればそんな話も出来るのかな? そうすれば相手方の主張の言い分も聞けるかも。
でもそんな激論よりも... あの韓国女性が綺麗だとかこの日本の女の子がかわいいとか、そんな話をしたいなぁ.



A League 選手達を見習ってほしいなぁ....

2006-09-17 | Aussie & Kiwi
Suncorp Stadium はラグビーやサッカーを開催する為の球技場で、陸上競技場用のトラックが無い。その上ピッチと観客席の間にある塀が大変低く試合の迫力感がものすごく伝わってくが、こういう競技場の利点はそれだけでない、マナーさえ守れば選手達との交流も充分に可能だ。ベンチ裏の観客席の最前列には子供達を中心に多くのオレンジ色の Roar のレプリカを来たサポーター達がサイン帳やペンを持ってまっている。そこにRoar の選手達がCool Down を終えるのを待っている。 すると1人のジャケットを着た男性がゆっくりとピッチ内に現れるや、子供達にサインをせがまれて、差し出された帽子やレプリカ、サイン帳に丁寧にサインを始めた。“あの選手誰?”隣にいたご夫婦に尋ねると “ Ben Griffin “ と教えてくれた。20歳のディフェンダーでこの試合は負傷の為に欠場との事。 やがて Cool Down を終えたRoar の選手達がこちらにやって来て殆どの選手が丁寧にひとつひとつ差し出された帽子やレプリカにサインを始め出した。 私もジョシュ・マックラハム、ササ・オグネノフスキそしてソ・ヒョク・スにサインをプログラムにして貰った。 パースではラザリデスにもサインを貰った。 
オーストラリアはワールドカップで決勝トーナメントに進出し、サッカー人気も上昇中とは言え、 A-League の人気はオージーフットボール、ラグビーリーグ、ユニオンにはまだまだ叶わない。 選手達はワールドカップ熱の醒めないうちに何とか、と思っているだろう。 ここで思い出すのはJリーグ発足時だ。あの爆発的な人気はその前の低迷期を良く知る我々にとって確かに嬉しい事であったが異常がしてならなかった。そして選手達は突然芸能人の様に扱われ、シーズン中にはCFにシーズンオフには色々なバラエティ番組に引っ張りだこであった。
1993年5月15日、国立競技場で行われたJリーグ開幕試合、ベルディ川崎(当時)対横浜マリノスの試合の観戦チケットを幸運にも私は入手できた。そして国立のスクリーンに木村和司をはじめラモス、水沼、加藤久、都並、松永、菊池、武田、柱谷弟そして三浦カズ達が映し出されたとき“長かったねぇ。よかった。本当によかった。”と胸の熱くなる思いであった。 しかし私が違和感を感じる様になるには時間がかからなかった。チケットは手に入らない。それはまぁなんとか我慢できたが、Jリーグ人気に乗ってファンをないがしろにする選手達も現れ出したことには腹が立った。試合終了後にピッチでサインをすることはセキュリティ上や競技場のつくりの問題でなかなか実現しないが、若い女の子とそうでない人への態度の違いには唖然とさせられた。そして日本はワールドカップ予選ではドーハに散った。オーストラリアは32年ぶりの進出を A-League 発足時に果たしたが、今の当地でのサッカー人気はあくまでも Socceroos の事でこれからは自分達があたらしい歴史を作らねばとの思いがあるに違いない。競技場を後にしホテルへの帰途につく間、さっきのご夫婦とワールドカップの事やMCGでの悲劇そして子供達に丁寧にサインをするこの日の選手達の事を話した。 この日の観客動員数は 15,517人。きっとまた Roar の試合を観に来ようと思う人は半数以上いるだろう。 そして私はご夫婦に言った。“日本が Socceroos に負けた理由がわかりましたよ。”

ブリスベン入り Queensland Roar 快勝

2006-09-17 | Aussie & Kiwi
4日間のメルボルンでの展示会を終えて、Queensland の州都ブリスベン入りしました。 何故かメルボルン~ブリスベン間のこの日のフライトは殆どの便が満席だったらしく、ようやく1つ空席が見つかったと旅行代理店の担当者の話し。 メルボルンの天候が珍しく暖かかったが、ここブリスベンは曇り空。空港から市内に向う途中では小雨が。しかし路面の様子から午前中は雨が振っていた模様。 仕事を終えて夜7時前に相手方の事務所を出るともう日は暮れていた。しかし、気温は上がってきており正に春先の心地よい生暖かい雰囲気がする。
ここブリスベンを本拠地とする Queensland Roar は前節、激しい雨の中 Central Coast Mariners に 敵地で0-0 で引分け3戦してまだ負けは無い。この日はホーム Suncorp Stadium にニュージーランドの Knights を迎える。この Suncorp Stadium はラグビーのテストマッチも行われる52,000 収容出来る オーストラリアでも屈指の競技場。10月7日に Socceroos がパラグアイ代表とのテストマッチをここで行う。ロケーションも中心街から徒歩15分程度で悪くない。競技場に足を入れる前から Perth Glory の本拠地Members Equity Stadiumとの違いを感じずにはいられない。そして入場するや、そこは欧州の一流スタジアムにも劣らないと感じさせる。その広さのおかげで着席する前にキックオフの笛が吹かれてしまった。対する New Zealand Knights は開幕2戦を1勝1分で乗り切る好スタート。しかし先週、大雨の中で Melbourne Victory を迎えての地元オークランドでの試合を 0-3 と落とした。昨シーズンの様にずるずると行かないためにも今日は敵地で勝点を上げたいところだ。Paul Nevin 監督は前節のVictory 戦からスタメンを4人入れ替えてきた。特にA-League ナンバーワンGKと言われる ダニー=ミロセビッチを替えたのは少し驚きだった。そして前節も怪我で欠場した FW のノア=ヒッキーがこの日も使えず、ダニ=ロドリゲス、アダム=カーシーの2トップ。2列目には左サイドに注目のガーナ人選手 マリック=ブアリ、右サイドにはヨンティ=リヒター。特にリヒターは昨シーズン主に交替出場ではあったが Roar の選手として途中出場ではあるが17試合プレーした。そのリヒターが開始早々にスコット=ゲミルのスルーを受けて素晴らしいシュートを放つが惜しくもサイドネット。その直後に今度は Roar のFWサイモン=リンチがマチュー=マカイのスルーを受けてゴールに迫るがそのシュートはGKターンブルがブロック。リンチは昨シーズン、第1回ジャパンカップ(今のキリンカップ)に来日したスコットランドの Dundee United に所属し28試合スタメンで13得点。1999-2003 シーズンには Celtic でもプレーし、翌年は England の Preston でプレーしたキャリアを持つ。最初のビッグチャンスを逸した Roar だが、その1分もしないうちに再びレイナウドからのスルーを受けたマカイがそのまま持ち込み今度はGKターンブルを破って先制ゴールを決めた。開始8分。前節に続いて Knights は立ち上がり早々の失点だ。それでも Knights は20分を過ぎたあたりから主導権を握り出し、ロドリゲスの突破から掴んだチャンスを最後はリヒターが再び惜しいシュートを放ったり(クロスバーのわずかに上)ゴール前で連続してFKのチャンスを掴んだりと同点機を探り出す。起点になるのはブアリとリヒターの両サイド。だがゴール前は Roar DF陣、ブース、マックラハム、オグネノフスキが立ちはだかる。この3人は身長があるので制空権を握られている。そして自軍のセットプレーでは積極的に上がってくる。そしてもう1人の注目選手は昨シーズン Roar の Player of the Season に輝いた韓国人DF ソ・ヒョク・ス。昨年は守備力もさることながら、得点にも絡んだり、自らゴールを決めたりと前線への動きが効果的だった。しかし、今年はFW選手を補強してきたせいか、あまり上がってこない。前半はブランチ的なポジション。相手の攻撃の目を中盤で摘んでしまう効果的な役割を果たす。 その攻撃陣、マーカス・ヴェダウはリンチと並んで欧州からやって来た。2部チームを渡り歩いたとは言えリーガ出場数も90以上を数え、かつてはドイツの U-21 代表。アンテ・ミリッチはオーストラリア代表歴もあり今季は Newcastle United からの移籍。またテクニックの高いブラジルジン選手レイナウドも健在だ。 しかし前半はスペースに出すものでなく、足元に出るパスが多く追加点が奪えない。スペースを使うパスを出そうとするのはソ・ヒョク・スくらいであった。こうして Roar の追加点を凌いだ Knights であったが、後半は Roar のゴールラッシュが続いた。 後半開始早々から Roar のブライバルグ監督はソ・ヒョク・スを右サイドバックに入れて4バックに。これは相手のキーマンでもあるブアリの上がりを抑えるのに効果的であった。そして55分、レイナウドがドリブルで左サイドから切れ込んでくるところを、振り切られた Knights DF コバセビッチが後ろから抱え込んでしまいPKを献上する。このPK自身、 Roar 史上初の( A-League で ) 獲得であった。これをレイナウドが自ら冷静に決め、待望の追加点を上げた。ゴールを決め、喜びを爆天で表すレイナウド。 Knights にとっては痛い追加点であったが、まだ時間がある。ここはまず1点をと思うが、さらにRoar が分厚い攻勢をかける。前半は足元にしかいかなかったパスが後半はスペースに出る様になった。特に攻撃的MFのマッカィと昨年覇者シドニーFCから移籍してきたパーカーが前線にスルーパスを供給し、ミリチッチ、リンチ、レイナウドの前線が縦横に動く。Knights DF陣はかれらを捕まえきれない。CK等のセットプレーではオグネノフスキやマックラハムら長身DFが上がってくる。 Knights DF陣はまったくマークがずれてしまっており、CKでは Roar の選手が3人固まってフリーになっていた。(それでもゴールネットは揺れず) 71分には交替出場のディレヴェスキーが右からクロスを上げてリンチがこれをあっさりと決めて3点差とする。 Knights のネビン監督はロドリゲスに替えてベテランFWデヴンを投入するが中盤のキーマン、ブアリの動きをソ・ヒュン・スクに抑えられていたのでここは中盤を厚くした方が良かったのでは?3点差で余裕の? Knights ブライバルグ監督は74分得点者のリンチに替えて、元中国代表の張玉寧を投入する。2004年のアジアカップではアリー・ハーン(当時)監督に代表を外された元上海申花のスター選手。プログラムにも“中国のデヴィット・ベッカム”と述べられている。身長186cmと長身ながら足元も“タッチが柔らかい(隣の席の Roar サポの表現 )。他の選手と比較してもアジアとは言え代表クラスの片鱗を見せ 80分にはヴェダウのスルーを受けて Knights ゴールに迫り、DF陣を振り切りフリーになるが、右に上がったフリーのミリチッチに絶妙のパスを送り、ミリチッチは無人のゴールに流し込み4点目。そして85分には強烈なミドルを放ち GK ターンブルが前にこぼしたところに詰めたマカイがこの日2点目を決めて遂に5点差とした。張玉寧、挨拶代わりのプレーは地元サポにとって充分すぎるほどの期待感を持たせただろう。 こうなると視点は Knights が開幕戦以来3試合ぶりにゴールを挙げて、 Roar のホームでの今季無失点記録(といってもまだ2試合目だけど)を破るかだった。しかし、攻撃の起点がブアリとリヒターのドリブル突破頼みでは状況を打開できず、リヒター、コバセヴィッチと警告を貰う始末。そしてそのままタイムアップ。これで Roar は4戦負けなしの勝点10で後日4連勝目を挙げた Melbourne Victory に次いで2位の座を守った。昨シーズンは上位4チームで行われる Final Stage に進出できなかった2チームが上位を走るリーグ序盤となった。 一方の Knights は開幕戦こそ 1-0 で勝利を収めたが、以降3戦連続無得点。まだ Newcastle, Central Coast が未勝利で6位につけており、3位のAdelaide とはまだ2勝点差であるが、早急に立て直さねば昨シーズンの2の舞になりかねない。 
グランドでは Roar の選手達が Cool Down を行っている。やがて彼らがベンチに引き上げてきた。そしてロッカールームに消えていくと思いきや、そこにはJリーグでは見られない光景が始まった…..

再びオーストラリアに Knights 初黒星

2006-09-11 | Aussie & Kiwi
9月10日、オーストラリアに舞い戻りました。 明日からここメルボルンでは国際見本市が開催され、それに出展参加するのです。この展示会は隔年毎に開催され、4年前から参加しているので今回が3回目です。オーストラリア第2の都市メルボルンも毎年訪れているがどうもシドニー程街から元気を貰えないなぁ。それは気候のせいか、それともシドニーの人々が言う”あそこは保守的だから..."のせいか? 中学、高校時代によく聴いていた海外放送 ABC Radio Australia がここにあるり、中学時代はいつかメルボルンに行って見たいなぁ….と思いを馳せていたものだった。 今はその日本語放送も無くなってしまった。これも国際映像発達の時代、インターネット時代、の時の流れか?ここに来る度に思う。いつか海外放送を聴く事を再開したいのだけれど、中学時代よりも語学力も上がったし、これからも上げたいし…….. 
投宿したホテルには FOXTEL が映る。テレビを点けると A -League の中継をしていた。対戦カードは New Zeland Knights vs Melbourne Victory 今朝出発したニュージーランドのオークランド、North Harbour Stadium からの生中継だ。 画像からも激しい降雨がよく判る。今朝は午前4時半にホテルをチェックアウトしたのがその時はそれ程強い雨ではなかったが….. ニュージーランドから唯一 A League に参加している New Zealand Knights。昨シーズンは散々な1年だっただろう。何しろレギュラーシーズン14試合中、勝ったのはたった1回だけ。総得点はわずか15点。この日対戦した Melbourne Victory の Archie Thompson 1人でたたき出したゴール数が8。 トンプソン1人で Knights の総得点の半分以上叩き出されている。 しかし、今年は違う。開幕戦の Newcastle United Jets に 1-0 で勝利を収め、続く Adelaide United とは 0-0 で引分けており、地元に帰った第三戦の Victory 戦は大いに期待された。 しかし、相手の Victory は Adelaide, Sydney を連覇して勢いに乗る。そして試合内容もその勢いのままホームの Knights を圧倒する。 開始6分にオランダから帰ってきた6月の Socceroos の一員トンプソンからの絶妙のラストパスをオルソップが決めて先制。続いて22分,今度はオルソップのスルーをトンプソンが決めて追加点。この2人にやられてしまっていた。そして36分にはサルキスのFKを元オーストラリア代表のマスカットが決めて3点目。マスカットは Crystal Palace , Wolverhampton Wanderers (England) Rangers (Scotland); Millwall (England) でもプレー経験があり、2001年のワールドカッププレーオフのウルグアイ戦でPKを決めてホームでの勝利を演出した。後半はKnights もがんばりリヒターが2度決定機を作ったが得点はならず、今季初失点を喫すると共に黒星も喫してしまった。これで Victory は3連勝。前節の Sydney FCとの激戦を制し、勢いに乗っているのがよく判る。 この Knights だが、今年は一味違うのでは….. と地元の Knights サポーターから聞いた。 
まず、監督が元 Premiership のフルハムでコーチ経験のあるポール・ネヴィンが就任。 フルハムでコーチ経験と言ってもそれはリザーブリーグやアカデミーでの事だが、コールマン監督の推薦があったらしい。 昨季ここでプレーをしたオーストラリア生まれの日本人、今矢直城を始め13名がチームを去ったが、新加入選手のレベルは他チームに決して見劣りしない。

まず、その筆頭はネヴィン監督が自ら連れて来た22歳のガーナ人選手マルキ・ブアリ。イングランド U15, U16 代表経験もある。ポジションは中盤の右。Newcastle 戦ではゴールを決めてさっそく期待に応えている。

ミカエル・タンブルはオーストラリア U20, U23 にも選ばれており、2001年の FIFA U-20 では日本戦にも出場したのではないか?ベルギーの Standard Liege の在籍経験がある。 しかしGKには昨年から A-League 随一のタレント ダニー・ミロシェヴィッチがいる。ミロシェビッチはプレミアの Leeds United でN.マーティン、P.ロビンソンらと5シーズンを過ごし、後にブンデスリーガの Arminia Bielefeld でもプレーをした。昨シーズンは彼がいなければ本当にどうなっていただろう?
32歳ベテランの中盤選手リチャード・ジョンソンは1990年代からプレミアでのプレー経験がありMiddlesbrough, Tottenham Hotspur でキャリアがあるが、彼が中心選手として活躍したのはWatford で在籍10年以上を誇る。昨シーズンは Newcatle United Jets に所属し、今シーズンからKnights に入った。 
スコット・ゲミルは Scotland でも著名な選手で同国代表キャップ数27を誇る35歳のMF。Nottingham Forest, Everton でもプレーしワールドカップ予選にも Scotland 代表で出場している。

Che Burnce はニュージーランド代表 All White のセンターバック。今年より彼のホームタウンWaikato にある Newe Zeland FC より移籍。 また同じ経歴を持つ19歳の Michael Wite は左の中盤。 New Zeland FC を経て、今季より Knights 入りを果たした。ニュージーランド U17, U20 にも選ばれており、オーストラリアU20 とのテストマッチでのプレーを観たネヴィン監督がじきじきにスカウトしたとの事。

ワールドカップでも馴染みになった象牙海岸事、コートダジュールのデフェンシブMF Jonas Salley 24歳は Victoria 州リーグの South Melbourne からやって来た。アフリカ選手独特の身体能力の高さに期待が掛かる。

Gregory Duruz はスイス人の左サイドバック。スイスFC Thun には9年間在籍し、Champions League ではJuventus, Manchester United, Valencia とも戦った。スイスU16, U18, U20, U21.での代表歴がある。スペイン語、ドイツ語、フランス語そして英語が話せるとの事。私も頑張らねば?
20歳のFW Adam Casey はオーストラリア U17の代表歴があり, 現在はU 20 ばかりでなく北京五輪予選に向けての U23の代表候補でもある。日本五輪代表とも対戦するかな?

かつてのポルトガルU21 代表FWのダニ・ロドリゲスはグレン=ホドルに見出されてSouthampton Iでプレーをした。怪我で低迷していたが、心機一転 A- League に活躍を求めた26歳。彼がポルトガル代表入り出来れば A League も世界に知られるところになるだろう。

こうしてみればなかなか良い補強になっているかもしれない。新加入の選手だけを見れば A-League でも1,2を争うかもしれない。 後は2年目の選手との融合だけど、その前にオーストラリアのチームとは移動距離、時差との戦いもあるだろう。 次節はアウェィで Queensland Roar 戦だ。さてどうなるか…..

Steve Irwin 氏 安らかに

2006-09-10 | Aussie & Kiwi
9月4日、パースからシドニーを経て計8時間のフライトでニュージーランド南方の都市クライストチャーチに入った。
出発前、現地の方から“まだ少し寒いですから、セーターを準備してください。”と言われていた。パースが結構温暖な気温になっていたので、気温差を少し危惧したのだがパース同様晴天で、気温もさほど低くは無かった。
“一昨日前から暖かくなりました”とは出迎えに来て頂いた地元在留邦人の方のコメント。 2年間にほぼ同時期にここに来た時は雪が降ったりした。 その当日の夜、テレビを見ていたら驚くニュースが。 Crocodile Hunter で有名な Steve Irvin 氏が事故で亡くなったと。 この報道は地元ニュージーランドの地元テレビ局、そしてCNNでも大きく取り上げられた。日本ではあまりなじみが無いが、オーストラリアでは結構な人気で、彼のドキュメンタリーがカンタス航空の機内上映されたり入国税関の前にオーストラリア政府の“食べ物持込入国禁止”のポスターにも登場していた。 Crocodile Hunter の名前の通り、当地のワニの一種クロコダイルをこよなく愛し?何度も野生のクロコダイルを捕獲するシーンを何度も見た。それに大蛇や毒蛇を手で掴んだり、4日のCNNではかつてニシキヘビと一緒に同テレビ局出演したシーンを映し出した。また、アーウィン氏は野生動物や昆虫を広くあつかうテレビ局 Discovery Channel や Animal Planet によく登場し50以上のドキュメンタリー番組が放映され欧米でも名が知られていた。 爬虫類の大嫌いな私でもアーウィン氏とクロコダイルを始め爬虫類とのからみは非常に興味を持って観ていた。アメリカ人のテリー夫人も彼についてクロコダイル狩りに出かけるテレビ番組を良く見た。そして2人はハネムーンでもクロコダイルを捕獲しに行きそれがテレビ番組として放映されたりした。しかし、2年前1歳になる息子を腕に抱えたままワニに餌を与えたり、ドキュメンタリーの撮影でザトウクジラに近づきすぎたとの非難を浴びるというマイナスイメージの一方で、オーストラリアで企画されていたクロコダイルの狩猟ツアーに抗議し、中止させるなど野生動物保護活動に熱心な人物だった。そしてブリスベンの北部、 Sunshine Coast には自ら経営する Irwin’s Australian Zoo と言う動物園を持ち、そこには夫婦の人形まであった。子宝にも“一姫二太郎”に恵まれ、テリー婦人は3人目も欲しいと考えていた。アーウィン氏は“自分はもう(44歳)若くないのでこれ以上は..” と The Australian Woman’s Weekly のインタビューで漏らしていたが、二人に近い人は”テリーが勝った(説得した)だろう。彼女は強い女性だ。“と語っていたらしい。
また彼がクロコダイルと同じワニでもアメリカに生息するアリゲータとの違いを熱心に説いていたのを思い出す。事故があった場所は野生の熱帯魚で有名なグレートバリアーリーフ。ここに生息する魚をそのまま大阪の水族館、海遊館に持ってきてその大水槽を“グレートバリアーリーフ”と名付けている。 そこで8歳になるBindi お嬢ちゃんの為のシリーズものの撮影中に悲劇がおこった。水深2mの所をテレビ撮影していると そこにはStingray ( アカエイ ) がゆっくりと泳いでおり、アーウィン氏の前に泳いできたが何の前触れも無くそのアカエイは方向を変えてそのまま尻尾で彼の左胸を一突きした。事故の直後にアーウィン氏はポートダグラスからヘリコプターで救急病院に運ばれたが既に琴切れていたらしい。死因はアカエイの毒か出血多量かは不明だが、専門家は“アカエイの毒で死んだ例は少なくともオーストラリア沿岸では報告された事はほとんどない。”との事。アカエイは普段は大変おとなしいのでこういう事故自体が少ないらしい。 ここ数日オーストラリアの新聞を初め地元メディアは生前の爬虫類と戯れる彼の姿を映し出す。ここで思い出すのが、私が子供の時から憧れていた日本の冒険家、堀江謙一氏と植村直巳氏だ。彼らの様な冒険家は当然、定職につけない。しかし、ヨットで世界一周をしたり、大陸最高峰を征服するには莫大な費用がかかる。だから例えば植村直巳氏には新聞社(朝日新聞だったとおもう)がスポンサーになり、その冒険記の報道独占権を得ていた。 しかし、その冒険もエベレストを制覇するくらいでは記事の価値が無くなって来ていた。同じ事は堀江謙一氏にも言えていた。そこでスポンサー側からはより“魅力的な”即ち“より危険に満ちた”冒険を求めるようになる。1984年にマッキンリー登山中に帰らぬ人となってしまった植村直巳さんについて“あの時期(2月だったと思う)にマッキンリーに挑むなんて….”と言うある専門家のコメントを読んだ事がある。 堀江謙一さんは存命だが、命を落とした著名な登山家を初め、冒険家の事を聞かされる度にスポンサーとの関係を思い出してしまう。アーウィン氏はどうだったのだろう?大蛇や毒蛇、毒グモを素手で掴む事、もしくは今回の事故がスポンサーとの関係から生じたものでなければよいのだが….オーストラリアのジョン=ハワード首相が“彼の死は国の大きな損失”とコメントを出し、専門家は“おそらく彼は痛みを感じることなく亡くなっただろう。(即死であっただろう) 一番好きな事をしている最中に亡くなった。”と新聞にコメントを残している。もうあの “ Crickey !! “ と言う肉声が聞けないとなると残念でない。

Stan's The Man Back For Glory

2006-09-08 | Aussie & Kiwi
しかし、後半の Glory は違った。その中心となったのはワールドカップメンバーのラザリデス。53分には自陣ゴール前から相手ボールのこぼれ球を拾って迫力のあるドリブルを披露。観客から“ウォ~っ”と言う歓声があがり、ペナルティーエリア付近で倒されて直接FKを得る。そこに Glory の3人の選手が駆け寄り、打ち合わせを始め何の前触れも無くスペンサーがいきなりボールを蹴りそのままゴールイン。 Mariners DF陣、そしてGKの一瞬の虚を突いたプレーだった。Mariners GKヴコヴィッチはゴール内に転がっていたボールを拾い上げそのままセンターサークルにダッシュ。ボールをセットするのかと思えば主審に激しく抗議。主審はすかさずイエローカードを提示する。そしてヴコヴィッチの後方に陣取る Glory の大サポーター達からはやんやの野次が飛ぶ。62分には Glory の波状攻撃からイージーなシュートを撃たれるがファンブルをしてCKにしてしい、更に野次が浴びせられる。70分に Glory のスミス監督はセクロフスキーに替えて若いデヴィット・ミシェフスキーを入れる。地元 Western Australia 州出身、監督期待の20歳のタレントだ。一方の Mariners マッキナ監督もかつて Premiership の Leeds United に所属したマックマスターに替えてポンディヤックを投入。ポンディヤックに大変なブーイングが Glory サポーター達から飛ぶが、それを更に挑発するように両手の親指で背番号を彼らに示す。だが後半はもうラザリデスの一人舞台だ。72分にはラザリデスがドリブル突破を始めると Mariners DF2人がようやくファールで止める。76分は左にポジションを移してきたバートスから下がってボールを受けナイスクロスを上げる。ハーフタイム中にどんな指示が出たか、ラザリデスのスペースに出されるパスに Mariners DF陣は後手を踏む一方。そしてDF陣がよってきても上手く身体を入れ替えてかわして行くドリブル。81分、右サイドをドリブルで駆け上がったニュージーランド代表 All Whites ウィング、バートスがクロスを入れ、ヤングがフリーで受ける。それを落ち着いてゴールに蹴り込み待望の追加点が決った。 そしてラザリデスがこのゴールを機に御役目御免と21歳、New South Wales 州リーグ Sydney United からスカウトされたルカ・グラバスと両手を挙げて拍手をしながら交替でベンチに退いた。 観客は全員立ち上がって“新加入”のラザリデスに拍手を送る。ホーム初戦のこの日のラザリデスこそ、Perth Glory に Glory ( 栄光 )を齎してくれると言う期待の拍手だろう。試合は3分のロスタイムを経てそのまま終了。今シーズンの初勝利を収めた。試合終了後、場内一周を行い観衆の声援に答える Glory の選手達。拍手と歓声がさらに大きくなる。そしてラザリデスは観客席の近くに歩み寄り子供達やサポーター達の差し出すサイン帳やボールに気軽にサインを始めたではないか。何と言うプロフェッショナリズム。私も駆け寄り手帳にサインをしてもらった。(だけど、この日のMatch Day Program にしてもらったほうが良かったかな?) 立ち上がったばかりの A-League の興隆を良く考えていると感動した。
春の日溜りの温かみを感じながら競技場を後にしホテルのある繁華街に歩みを進め、いつも行くインターネットカフェに入った。 明日は東海岸を越えて更に東方のニュージーランド、8時間以上のフライトだ…..