Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

日韓戦 朝鮮日報 韓国語版から

2011-08-21 | 日本代表
折角韓国からお客さんが来て連絡をくれて会ってもお互いに日本語、韓国語を良く理解出来ないので突っ込んだ話が出来ない。でも顔を合わせるだけで伝えたい事は良く解るのだけど。せめて英語を解ってくれればなぁ….
それでも10日の日韓戦の事は話が出来た。李青龍の怪我が痛かったと話していたけどもう日本の方がずっと素晴らしいと言ってくれた。それが本当なら良いんだけど…

最近は翻訳ソフトなる便利なものがある。そして更に google 翻訳でもかなりレベルの高い翻訳がなされどんな言語でも英語までなら完璧に近い翻訳になって出てくることも。まだ日本語は英語ほどではないけど…
しかしその方が良い。不完全のままでないと私の様に外国語を勉強して来た人間の存在価値が無くなってしまうから…… 下記の記事は日韓戦後に朝鮮日報韓国語版から日本語版に載っていなかった記事を拾って Google翻訳で訳したもの。 韓国語が解れば微調整できるのだけどその辺はご勘弁願いたい。

한국축구, 떠난 박지성을 잊어라

韓国サッカー、去った朴智星を忘れろ


趙広来韓国代表が日本に0対3の惨敗を喫した事から国家代表を引退した朴智星 (30 •マンチェスターユナイテッド)の名前が頭を持ち上げる。 端的な例として、日本に負けた試合のメンバーにも入っていない朴智星が人気検索語に急上昇した。 また、ネットユーザーのコメントの中には朴智星がなくなったという式文がたくさん上って来た。

朴智星が今回の韓 - 日戦に出場した場合、試合の内容と結果が違っていただろう。 実際に日本の選手は朴智星に対する恐れがある。 日本のメディアは試合後、朴智星がない韓国が揺れてしまったと評価した。

▶7ヶ月の間に朴智星の不在は、忘れられていた

趙広来監督は去った朴智星を呼び戻す事が出来る。 しかし、冷静に考えれば、朴智星を忘れなければ韓国サッカーが発展することができない。 朴智星がすぐにでも引退宣言を撤回して戻って復讐をしてくれたら心を持ち直す事ができる。 しかし、それは韓国サッカーの発展を遅らせることになってしまう。

朴智星は今年2月カタールのアジアカップを終えて、代表引退を宣言した。 右膝が頻繁に悩みを起こしている状況で Manchester United のクラブの試合に集中したいというのが理由だった。 そして33歳になる2014年のブラジルワールドカップの時は今のような競技力を維持しにくいと考えた。 そのため、若い後輩たちに機会を与えるのが正しいとした。 それでも朴智星の復帰の可能性を完全に断念したわけではない。 韓国サッカーが本当に危機に陥ったとき、国民が朴智星を望めば、復帰を提案することができると趙広来A代表チーム監督は言った。
朴智星が引退してから韓国代表は5回の親善試合で3勝1分け1敗を記録した。 今回の日本戦での敗北まで連勝中だった。 朴智星の抜けた穴はそうすぐに埋まるのかという疑問まで聞いた。 朴智星がなくてもうまくいくという考えまで出た。
順調だった趙広来政権に急制動がかかった。 拙戦の末に負けたのはいうまでもない。
しかし、韓国サッカーが、朴智星を探すほど崩壊したわけではない。 まだ朴智星が救助の為に出場するような大きな危機ではない。 まだ趙広来政権下では次の公式戦は始まっていない。来月2日、レバノン戦からワールドカップブラジル大会アジア地区3次予選が始まる。



▶今の危機は、朴智星が出る時期ではない

趙広来代表は韓 - 日戦で一つの確かな教訓を得た。 朴智星が代表チームを去った7ヶ月の間、"第2の朴智星"とする代わりに育ててことができなかった点だ。 朴智星は、引退記者会見で、自分の後継者と金甫、孫興民 等の名前を言った。 趙広来監督は、池東元を朴智星のポジションで起用してみた。 朴智星が着けていたキャプテンマークは朴主永に渡した。 移籍するチームを探す為に訓練もまともにできなかったと言った朴主永が見せたパフォーマンスとリーダーシップは残念な結果に終わった。 誰もが最高としたが、そのリーダーシップが消えて、現在、代表チームには、危機の状況下で中心になって立ち向かってくれるリーダーがいない。

結局、時間が必要だ。 むやみに待つことはできない。 韓国サッカーは、ブラジルのW杯本大会までの3年以内に、"ポスト朴智星"を見つけて成長させなければならない。 韓国が格下だと思っていた日本のサッカーは中田英寿が2002年の引退以来、中村俊輔が舵を取ったし、今では本田と長谷部が主軸になっている。 香川の成長の非常に著しい。

▶ニューキャプテン朴主永がすぐに立て

韓国サッカーの朴智星の代わりを見つけられずにさまよってい続けたならば、日本とは全く別の凋落の道を辿ってしまう。
その典型的な事例がジダンが抜けたフランスのサッカーだ。 2006年のドイツワールドカップ準優勝以来、ジダンが引退したフランスは、2010年のFIFAワールドカップでは1次リーグ脱落という悲惨な結果を生んだ。 フランスに未だ存続しているその陰から抜け出すのは容易ではない。

朴主永が急いで主将の真の姿を示さなければならない。 そのために朴主永は急いで自分の所属先を定めなければならない。 そうすれば、競技力をきちんと維持することができる。 そうすれば、代表チームの後輩たちも朴主永を尊敬のまなざしで見る。 主将が、所属先を数ヶ月も探しているということは恥ずかしいことである。

また、朴智星の後継者として有力な候補に上がった朴主永は、プロ意識を持って急速に世界的水準に成長していかなければならない。 現在の実力に満足してはならない。 朴智星の抜けた穴をきちんと埋められない場合は、再び朴智星が帰ってくると、それより加えたチヨクスロンことはないだろう。 朴智星は、救世主として代表に帰って来た日があって韓国は日本にあった'8月10日の屈辱"を払拭することができる。




かつて愛する京都でプレーした朴智星が代表から引退して日韓戦は韓国の1分1敗。 今回の惨敗を見て朴智星復活を求める声がどれだけ高まっているのだろう?
朴智星は1人で局面を変える力があった。それはサッカーのみならず全ての球技で必要な選手だ。
日本もかつてフランスワールドカップ予選で苦戦を繰り返していた時にラモスを復帰させろとかジーコをテクニカルアドヴァイザーにしてベンチに置けとか当時磐田でプレーしていいた現役セレソンのドゥンガにアドヴァイスを求めよとか滅茶苦茶な意見が飛び交った。最終的に加茂監督更迭の後を受けた岡田監督がUAE 戦から北澤をトップ下に置くフォーメーションに変更し前線でボールが良く回る様になり最後の2試合、韓国、カザフスタン戦に連勝しジョホールバルでイランを破り悲願のワールドカップ初出場を決めた。 まさか朴智星が代表に復帰するとは考えにくいが…でもアルゼンチンもマラドーナが復帰したしなぁ….




下記の記事は日本語版に掲載されていた記事。

サッカー:あまりに大きかった朴智星の穴=韓日戦

リーダー不在で右往左往
朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド、以下マンU=は韓国代表を引退してもなお、話題に上ることが多い。
 韓国は10日、朴智星が代表を引退してから初となる韓日戦で0-3と完敗し、朴智星の存在がいかに大きかったかを実感した。
 昨年5月に行われた日本との親善試合で、朴智星はDF4人を交わして先制ゴールを決めると、ゆっくりと日本の観客席を見詰めた。その気迫に驚いた埼玉スタジアムは、しんと静まり返った。試合後、日本の取材陣は日本サッカーに対してコメントを求めようと、朴智星の周囲に殺到した。
 それから1年3カ月。朴智星のいない韓国代表は、全く異なる様子を見せた。朴智星はサイドと中央を駆け回り、攻撃と守備の双方に積極的に参加する「酸素タンク」だったが、その存在のない韓国はプレスが甘く、攻守の切り替えも遅かった。
 韓国代表の趙広来(チョ・グァンレ)監督は「朴智星が抜けたのは、チームの実力という面でも損失だが、もっと大きな問題は、朴智星に匹敵するリーダーが見つからないことだ」と語った。2008年10月から今年2月まで代表の主将を務めた朴智星は、ソフトなカリスマ性でチームを引っ張った。練習時間の調整などについて監督に直接意見するなど、選手とコーチ陣の間で橋渡しの役割を十分に果たした。朴智星を中心に固くまとまった韓国は、昨年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、自国開催以外での初のベスト16という快挙を成し遂げた。
確固としたリーダーがいない韓国サッカーは、今回の韓日戦で日本の波状攻撃に簡単に揺さぶられた。日本のファンは試合後「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」などと冷笑混じりにコメントした。


「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」と言った人はいたかもしれないが新聞記事にする程の事かなぁ….
朴智星もさることながらもっと深刻な問題はサイドバックのタレント不足だろう。 李栄杓が代表から退き、良い後継者がなかなか見つからないらしい。今回は金英権と車杜里が起用されたが金英権はどちらかと言えばCBタイプの選手。だが金英権が怪我で25分にベンチに退き替って入った朴源載が12分で怪我で下がってしまいDF面でパニックになってしまった。これは八百長問題で召集出来なかった洪正好の離脱(実際は不起訴になった)が痛かった。どちらかと言えば攻撃面で定評のあ新潟の曹永哲をサイドバックに回すほど(実際は起用されなかった)であった。そして左サイドに車杜里を起用した事により両SBに守備の面で不安最後まで抱えていた。
守備面での不安はMFも同じだった。 李青龍、孫興民、池東元の3人が召集出来なかった事から具滋哲を2列目右サイドで使わざるを得なく、金正友と李根鍋を2列目に並べたが共に Asian Cup ではメンバーに漏れた選手。李容来がボランチというよりも2列目に近い位置に入り奇誠庸の1ボランチの様な形が続いていたがこれにより香川をはじめ日本のMF陣に自由に中盤を制圧され常に後手を踏んでいた事が苦戦の原因でもあった。
反対にいえば 李青龍、孫興民、池東元、洪正好らがメンバーに居ればこんなに苦戦はしなかったとも言えるかもしれない。




[한일전]한국, 한-일전 57년 역사상 첫 0대3 치욕패
【日韓戦】韓国、韓 - 日戦57年の歴史上初めて、0対3の敗戦


韓国サッカーの恥辱の日だった。

趙広来監督が率いる韓国A代表チームが、日本の札幌ドームで開催されたた韓 日戦で0対3で大敗した。
3点差の敗北は、1974年第3回韓日定期戦で1対4で敗北した後、37年ぶりだ。 1ゴールも挙げられずにゴ3点差で負けたのは、1954年に初めて対決して以来75番目の試合ぶりのことだ。

完全に翻弄された一戦だった。 攻撃から守備まで、すべての選手たちが右往左往している。 実力の敗北だった。

日本が主導権を握って振り切った。 短いパスを使用して主導権を握った。
韓国は李根鎬からのパスを受けた車ドゥリのシュート以外にこれといったパフォーマンスを見せることができなかった。
韓国はプレスも、パスもしっかりされていない。

先制点は日本だった。 前半34分、香川が初ゴールを決めた。 遠藤のパスを受けた香川は李正秀をかわした後に、右足でシュートを決めてリードをした。

後半に入って韓国の守備は力なく崩れた。 後半序盤から揺れていた。 後半7分に追加点が決まった。 駒野のシュートがGK鄭成龍の手に当たってこぼれたところをPAの右角にいた香川が左足で軽く渡した。本田は間髪いれずに左足でシュートを放つとゴールネットを割った。 2分後、日本のゴールがまた決まった。 香川であった。 右サイドから清武があげたクロスをゴール前に走り込み右足で軽く方向を変えて入れた。 3点差を付けられた韓国の選手たちは更に浮足立った。本田に続けてシュートを撃たれた。後半25分には内田に1対1でシュートに持ち込まれた。 このシュートはゴールポストに当たって決まらなかった。

韓国にもチャンスはあった。 しかし、慢性的な決定不足が明らかになった。 後半27分には具滋哲が直接フリーキックをそのままヘディングシュートを放ったが、惜しくも外れた。 31分具滋哲はまたチャンスを逃した。 ゴールキーパーと1対1になるチャンスであったがシュートは浮かしてしまった。

以来、韓国選手はミドルシュートを乱発して自ら崩れ去った。 空にポンポンとシュートを撃ちあげると共に韓国サッカーの夢も虚空に飛んだ。


[박재호의 현장속으로]한국 삿포로에서 무너지다
[朴主永 試合の現場から]韓国札幌で崩壊だ


日本が韓国を打ち負かそうと決意して試合に臨んだことを韓-日戦の3時間前札幌ドームに入ると、すぐに知ることができた。 選手たちの覚悟の表れた動画が試合開始1時間前から順番に大型電光掲示板で流れた。
日本サッカー協会は、今回の韓-日戦の広報にものすごい神経を使ったという裏付けだった。 入場券 4万枚が売り切れた。 スタンドで空席を見つけることができなかった。 競技前、札幌ドームの外ではダフ屋と切符を買うために行き来する日本のファンたちで大変な混雑を成した。

競技前にはびっくりイベントもあった。 ある中年男性がグラウンドに入ると、札幌ドームの観客席から歓声があふれた。 佐々木則夫サッカー日本代表監督だった。 佐々木監督は、女子W杯優勝で、日本に"なでしこジャパン"ブームを巻き起こした主人公だ。 佐々木監督は、直接ファンに女子W杯優勝報告と感謝の挨拶をした。 それとともに、"今日の日本代表チームの善戦を祈願する"とし、ファイトを叫んだ。 観客席は、再度ヒートアップした。

日本の刺激パレードはここで終わらなかった。

今月初めに練習中、急性心筋梗塞で倒れ、死亡した元日本代表の松田の葬儀は二日前のことだった。 この日の競技前韓-日両国の選手たちは、冥福を祈る黙祷をした。 日本の選手たちは試合前から、"松田のために"と叫び、試合前に黙祷を捧げた。

実はこの日の試合に先立ち、日本サッカー協会は、韓国の五輪代表チームも呼んで、"ダブル韓-日戦"を開催したがった。 しかし、韓国は、五輪代表選手の多くは、A代表チームに属しているなど、物理的に困難があって難色を示した。 結局、この日、日本オリンピック代表チームは、エジプトの五輪代表を呼んで韓-日戦に先立って"オープニングゲーム"との評価試合を行った。 日本がエジプトに2対1で勝った。 この日の札幌ドームには7時間以上も日本のサッカーファンたちであふれていた。
日本代表サポーター"ウルトラニッポン"は最初から、"KING OF ASIA"と書いた文言を掲げた。 韓国を越えてアジアトップに立たうとする彼らの夢だった。
この日の試合はサッカーを超えて全面戦争、白兵戦だった。 タックルの強さと体当たりが通常の親善試合では絶対見られないレベルだった。 グラウンドの芝が原因で選手達がコントロールを失う場面が出てきたりもした。 金英権は、衝突時に左足首を痛めてしまい、朴周栄は相手シュートを顔面に受けて救急車に乗って病院でMRI撮影をした。

常に日本戦となると一層力を出した韓国。 1998年3月に東京で開かれたダイナスティカップで日本は韓国を相手に2対1で勝って以来、13年以上もホームで韓国を破ったことがなかった。 この日の試合前まで韓国はアウェーの韓-日戦で3勝2分で絶対的な優位を保っていた。

しかし、日本は緻密に韓国を崩す準備をしていた。 雰囲気作りだけでなく、それに対応する力も育てていた。 香川の先制ゴールに続き、本田のゴール、そして香川の3点目のゴールまで。 ゴールを作り出す過程が韓国の選手たちをより一層当惑させた。

札幌ドーム4万人余りの日本ファンが一斉に上げた歓声がこだましてずっと空がぐるぐる回った。 580人余りの"レッドデビルズ"の応援団は、韓国の選手たちが劣勢になればなるほど、より大きく"大〜韓民国"を叫んで、太鼓を打ち、鉦を打った。 しかし、この日だけはもう韓国がアジアの盟主ではなかった。




快勝の陰に隠れて日本も問題が無かったわけではないだろう。欠場した長友に替って駒野が起用されたが対戦相手がこの日の“韓国の様な”チームばかりでは無い。長友の替りが完全に務まるかわわからない。 そしてCBの高さもだ。
前回のワールドカップ予選ではセットプレーから闘莉王や中澤が高さを生かしたヘッドで何度も決勝点を齎してくれた。
ザッケローニ体制になりCBは入れ替えられている。吉田、今野、岩政、栗原…ワールドカップ予選を突破する為に闘莉王、中澤に匹敵するCBコンビは完成するのだろうか?最もこの2人はまだまだ代表から退く歳では無いと思うけど。
それから遠藤のバックアップは誰が担うのであろう? 遠藤が73分に退いた後に 3-0 でリードしていた事もあるがチャンスが激減したことも気になる。

キムチやマッコリ、韓国海苔、たっぷりとお土産を頂き堅い握手、抱擁をかわして分かれる時にお互いに誓った事は“次に会う迄にはお互いに韓国語、日本語をもっと勉強して、それぞれ相手の言葉で話せるようにしましょう….”
次に会う迄には、…そう今度こそ絶対に。新聞記事なんかを読めればもっと日韓戦も楽しめるしなぁ…. 次の日韓戦迄にも…. でも2週間もしないうちに今度は北朝鮮戦だ。 もっと早く勉強を始めておればなぁ…の後悔の方がまだ残っているんだよなぁ…. でも俺はラジオ講座を聴き続けているんだぞ…



日韓戦 朝鮮日報 日本語版から

2011-08-21 | 日本代表
先週末、いつもの様に残業を終えようやく自宅に辿りつこうとした時に携帯が鳴った。
着信番号を見ると韓国からだった。でも韓国に居る人にあまり知り合いはいないんだけどなぁ….
電話の主は2年前にオーストラリアとドイツの見本市で知り合った韓国の方だった。私の名刺をしっかりと持っていてくれて日本に出張に来られたこの機会にわざわざ連絡をしてくれたのだ。
電話で翌日に会う場所と時間を決めて電話を切った。 
そして翌日….都心は集中豪雨に見舞われた…..

札幌での日韓戦から10日近くが経とうとするがその試合の話題は尽きない。
私もこの試合は何度も繰り返して見たい試合の1つだ。 
試合後韓国ではどう報道されたのだろう……

サッカー:日本に0-3で完敗 、37年ぶりの屈辱
相手はアルゼンチンでもブラジルでもなかった。明らかに韓日戦だったが、韓国は信じ難いほど日本にいいようにやられた。韓日戦の中でも最悪の勝負として記憶されるであろう「札幌ショック」だった。
 趙広来(チョ・グァンレ)監督率いる韓国代表は10日、札幌ドームで行われた日本との親善試合で、0-3と完敗した。韓国サッカーは、日本が誇る欧州組の香川真司(ドルトムント)に2ゴール、本田圭佑(CSKAモスクワ)に1ゴールを許し、あっけなく崩れた。3点差での敗戦は、1974年に東京で行われた韓日定期戦で1-4で敗れて以来のことだ。
 韓国は朴主永(パク・チュヨン)=ASモナコ=をワントップに据え、李根鎬(イ・グノ)=ガンバ大阪=が左サイド、具滋哲(ク・ジャチョル)=ボルフスブルク=が右サイドの攻撃をそれぞれ担った。日本は先発11人のうち7人が欧州組で、本田、香川、岡崎慎司=シュツットガルト=が攻撃陣を構成し、ワントップには在日韓国人4世で2007年に日本国籍を取得した李忠成(イ・チュンソン、日本名:り・ただなり)が入った。
 序盤から日本に押されていた韓国は前半25分、左サイドの金英権(キム・ヨングォン)=大宮=が足首を痛めて退場すると、守備が大きく乱れた。このチャンスを日本は逃さなかった。前半35分、李根鎬が左サイドでボールを奪われると遠藤に突破を許し、ボールを受けた香川がゴールを決めた。
 後半に入り、日本の攻撃はいっそう威力を増した。後半8分に本田、同10分には香川が相次いでゴールを決めた。本田と香川はずば抜けた個人技で自在に動き回り、韓国の守備陣をほんろうした。これまで激しいライバル争いを演じてきた両国だが、バランスが日本に傾いていることを思わせる場面だった。
ミックスゾーンで取材を受けた韓国の選手たちも、完敗を認めた。車ドゥリが「あらゆる面で韓国が負けたゲーム」と話すと、金英権は「うまい。日本は本当にうまい」と語った。香川は「日本がパスするたびにスペースが生まれた。韓国の選手たちは日本に付いてこられなかった」とコメントした。
 1年3か月前はこうではなかった。昨年5月、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会直前に埼玉スタジアムで行われた親善試合では、韓国が日本を圧倒し、2-0で勝った。この試合でDF4人をかわして先制点を挙げた朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド=は「日本サッカーは後退している感じ」とコメントした。「アジアでナンバーワンのスター」の気迫に、日本は完全に押されていた。
 日本サッカーに変化が訪れたのは、W杯南アフリカ大会以降だ。香川をはじめ長谷部誠=ボルフスブルク=、長友佑都=インテル=、内田篤人=シャルケ=らが欧州の舞台で主力として大活躍した。とりわけ昨シーズン、ブンデスリーガで上半期の最優秀選手(MVP)に選ばれドルトムントを優勝に導いた香川の存在は、多くの選手がドイツに進出する起爆剤の役割を果たした。日本代表のザッケローニ監督は、今回の韓日戦に欧州組14人を招集した。そのうち6人がブンデスリーガの選手で、この日は4人が先発した。
 一方の韓国は、アジア・カップを最後に朴智星と李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=はけがで戦列を離れ、チ・ドンウォン=サンダーランド=は所属チームの事情でこの日の試合に出場できなかった。
 日本でサッカーコラムニストとして活動する吉崎氏は「日本サッカーは本来の美しいスタイルに欧州組が多数加わったことで、パワーアップして全盛期を迎えている。弱点といわれていた決定力も、欧州レベルに近づいている。一方の韓国は、朴智星が代表を引退して以降、変化に十分に対処できていないようだ」と指摘した。
 W杯への8大会連続出場を目指す韓国代表は来月2日、アジア3次予選の第1戦でレバノンと対戦する。





趙監督「日本は中盤が素晴らしい」

2000年以降の韓日戦、韓国はアウェーで負けなし
日本列島がこれまでになくサッカーで熱くなっている。今年1月、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督率いる男子代表がアジア・カップで優勝したのに続き、先月には女子代表が女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で奇跡のような優勝を成し遂げた。
 W杯アジア3次予選を控えた日本は、今年6月に強豪チェコと0-0で引き分けるなど、世界レベルの実力をつけてファンの期待を集めている。その勢いに乗りたいザッケローニ監督はきょう午後7時30分、札幌ドームで行われる韓日戦に、海外組を総動員する。出場メンバー23人のうち14人が欧州でプレーする選手たちだ。
 日本代表の現在の戦力は、歴代最高レベルと評価されている。韓国代表の趙広来(チョ・グァンレ)監督は「日本は世界レベルに近づいている。特に中盤でのプレーは素晴らしい」と話した。わずか1年3か月前、W杯南アフリカ大会の前に行われた親善試合では、朴智星(パク・チソン)を擁する韓国に0-2で敗れ、日本の取材陣は「日本は韓国の相手にならない」とうなだれていたが、今回は「確実に韓国を下すチャンス」というムードが広がっている。
 実力が上がっている理由はやはり欧州組だ。本田圭佑(CSKAモスクワ)や香川真司(ドルトムント)らが欧州の舞台で大活躍し、日本の攻撃力はワンランク上がった。本田はロシア・リーグで6ゴール(14試合)を挙げる活躍を見せる一方、香川は昨シーズン、ドルトムントをブンデスリーガ優勝に導き、6日のリーグ開幕戦でも活躍して好調ぶりをアピールした。
 韓国が常に優位とされてきたワントップのポジションでも、FW李忠成(イ・チュンソン、日本名:り・ただなり)が頭角を現し、日本にとって好材料となっている。李忠成は在日韓国人4世で、2007年に日本国籍を取得。今シーズンはJリーグで得点ランキング首位タイ(10ゴール)につけ、日本サッカーの慢性的な弱点だった決定力不足を解決するFWに挙げられている。また、今月4日、元日本代表の松田直樹選手が急性心筋梗塞で急死したこともあり、日本代表の決意はいっそう強くなっている。
 韓国は朴智星、李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=、チ・ドンウォン=サンダーランド=、孫興民(ソン・フンミン)=ハンブルガーSV=が欠場するため、客観的に見ても戦力で日本に劣ると指摘されているが、韓国の選手たちは自信を見せている。趙監督は今回の試合で朴主永(パク・チュヨン)=ASモナコ=を前線に、李根鎬(イ・グノ)=ガンバ大阪=を左、具滋哲(ク・ジャチョル)=ボルフスブルク=を右にそれぞれ配し、日本のゴールを脅かす考えだ。ユース代表時代「日本キラー」と呼ばれた朴主永の足に注目が集まる。また、けがの李青竜に変わって右サイドのFWに入る具滋哲がどれだけ活躍できるのかも、勝負の大きな鍵になりそうだ。
 韓国は2000年代に入り、日本でのアウェー戦で3勝2分けと1度も黒星がない。朴主永は「日本での試合に向かう際はいつも、選手たちの決意が普段とは違う。韓日戦は結局、精神力の戦い」と語った。



サッカー:趙広来監督「サッカー人生最悪の瞬間」

日本に37年ぶり「屈辱的敗北」趙広来監督インタビュー
日本、欧州組14人で布陣「低めのシュートを見よ、日本は世界レベル」
「ロングボール・サッカーには戻さない」
「次はもっと徹底して準備、こんな試合は二度としない」

目も当てられないくらいゴールを入れられて、言葉が出ない。組織力が一瞬のうちにガラガラと音を立てて崩れてしまった。韓国サッカーがこのように崩れてはいけないのに…わたしのサッカー人生で最悪の瞬間だった

 10日、日本との親善試合で0-3という惨敗を喫し、「札幌の恥辱」という辛酸をなめた趙広来(チョ・グァンレ)韓国サッカー代表監督(57)の顔は憔悴(しょうすい)しきり、目は血走っていた。趙監督は一睡もできていないという。11日に札幌から仁川国際空港に到着するまで趙監督に同行取材したが、口数は少なかった。彼は「敗軍の将」だった。
 韓国のサッカーは1974年に東京で行われた韓日定期戦で1-4と敗戦して以来、37年ぶりに日本に3点差をつけられて負けた。スコアよりもっと屈辱的なのは試合内容だった。日本は組織力はもちろん、個人技でも韓国を圧倒した。2ゴールを決めた日本の「ゴールゲッター」香川真司(22)=ドルトムント=は「韓国人選手たちは日本人選手に付いてこられなかった」と語った。
 趙監督は「以前は韓国が技術面で少し劣勢でも、精神力と決定力で日本に勝つことができたが、今はそういう時代ではない。香川の低めを突くシュートを見てほしい。日本は決定力まで備えたチームになった」と言った。
 日本が急成長した原動力は、やはり欧州組の活躍だろう。昨年のワールドカップ時は4人にすぎなかった日本の欧州組は、今回の韓日戦の時点で14人に増えていた。
 昨シーズンにドイツでデビュー、一気に前半戦のMVPになり、センセーションを巻き起こした香川の活躍が、日本人選手の「ブンデスリーガ進出ラッシュ」に火を付けた。日本のJリーグはブンデスリーガと協約を結び選手情報を共有するなど、選手のヨーロッパ進出に力を入れている。韓日戦ベストイレブンのうち7人が欧州組だった。
 ミックスゾーンで取材を受けた韓国の選手たちも、完敗を認めた。車ドゥリが「あらゆる面で韓国が負けたゲーム」と話すと、金英権は「うまい。日本は本当にうまい」と語った。香川は「日本がパスするたびにスペースが生まれた。韓国の選手たちは日本に付いてこられなかった」とコメントした。
 1年3か月前はこうではなかった。昨年5月、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会直前に埼玉スタジアムで行われた親善試合では、韓国が日本を圧倒し、2-0で勝った。この試合でDF4人をかわして先制点を挙げた朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド=は「日本サッカーは後退している感じ」とコメントした。「アジアでナンバーワンのスター」の気迫に、日本は完全に押されていた。
 日本サッカーに変化が訪れたのは、W杯南アフリカ大会以降だ。香川をはじめ長谷部誠=ボルフスブルク=、長友佑都=インテル=、内田篤人=シャルケ=らが欧州の舞台で主力として大活躍した。とりわけ昨シーズン、ブンデスリーガで上半期の最優秀選手(MVP)に選ばれドルトムントを優勝に導いた香川の存在は、多くの選手がドイツに進出する起爆剤の役割を果たした。日本代表のザッケローニ監督は、今回の韓日戦に欧州組14人を招集した。そのうち6人がブンデスリーガの選手で、この日は4人が先発した。
 一方の韓国は、アジア・カップを最後に朴智星と李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=はけがで戦列を離れ、チ・ドンウォン=サンダーランド=は所属チームの事情でこの日の試合に出場できなかった。
 日本でサッカーコラムニストとして活動する吉崎氏は「日本サッカーは本来の美しいスタイルに欧州組が多数加わったことで、パワーアップして全盛期を迎えている。弱点といわれていた決定力も、欧州レベルに近づいている。一方の韓国は、朴智星が代表を引退して以降、変化に十分に対処できていないようだ」と指摘した。
 W杯への8大会連続出場を目指す韓国代表は来月2日、アジア3次予選の第1戦でレバノンと対戦する。

サッカー:「日本の実力を認めて変わるべき」

「技術を磨かなければ日本に勝てない」

過渡期の韓国代表、パスサッカーが定着すれば状況に変化も「日本は確実に以前より強くなった」。

KリーグFCソウルの崔竜洙(チェ・ヨンス)監督代行は11日、親善試合で韓国代表を0-3の惨敗に追い込んだ日本について、こう評価した。崔監督代行は現役時代、韓国代表として韓日戦に数回出場した上、2001年から6年にわたりJリーグの京都パープルサンガ、ジュビロ磐田などで活躍(原文ママ)した「知日派」だ。崔監督代行は「私がプレーしていたころも、体力と精神力では韓国が上回っていたが、テクニックの面では劣っていたのが事実。最近は日本も体力と精神力が強くなり、怖いチームに変わった」と語った。今や日本の方が優勢であることを認め、韓国も世界の舞台で通用する先進的なテクニックサッカーを目指すべきとの指摘だ。
 札幌ドームに登場した日本代表は確実に変化していた。もはや昨年5月に韓国に0-2で敗れた日本ではなかった。中盤でのパス回しでボール支配率を高め、攻撃の際にはDF陣を瞬時に崩して得点を挙げた。日本サッカーをこうしたカラーに染めているのは「欧州組」で、今回の日本代表に14人も招集された。韓国は李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=やチ・ドンウォン=サンダーランド=を欠き、欧州組は6人にとどまったが、日本はその倍以上だったわけだ。さらに日本の欧州組は、大半が所属チームの主力として活躍している。
 日本は選手層だけでなく、客観的な数字でも韓国を圧倒している。日本は国際サッカー連盟(FIFA)ランキング16位で、韓国(28位)を12ランクも上回る。韓国がFIFAランキングで日本より上位だったのは、7年前の2004年7月(韓国20位、日本24位)が最後だ。また、韓国は1960年以降、アジア・カップで優勝していないが、日本は2000年以降、3回制覇(2000年、04年、11年)している。
 昨年から日本代表を指揮するイタリア出身のアルベルト・ザッケローニ監督は、多彩な攻撃戦術を駆使している。日本のサッカー専門誌「サッカーマガジン」や総合スポーツ雑誌「Number」に、韓国と日本のサッカーについてのコラムを連載している吉崎英治氏(37)は「ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会以降、日本はザッケローニ監督の下で、美しくまとまったサッカーにスルーパスや突破のようなカラーを加えた。一方、韓国は闘志やスピード、体力を強調する従来のスタイルを完全に捨て去り、趙監督式のパスサッカーをスタートさせたようだ」と指摘した。また「2000年代初めの日本サッカーは、小野伸二らが中心となって韓国に競り勝っていたが、02年のW杯では韓国に押されていた。韓国が、今取り組んでいるテクニックサッカーを完成させれば、状況はまた変わってくるかもしれない」と話した。
 専門家は「これからは精神力や闘志だけのサッカーではなく、テクニックサッカーを目指すべき」と口をそろえる。世宗大のイ・ヨンス教授は「韓国は特有のプレスやスピーディーで短いパス、FWとMF陣の有機的な動きを生かしたサッカーをしなければ日本との競争に勝てない」と指摘した。





これまでの韓国戦を振り返ると常に一歩先を行っている様に思えた。例え日本が五輪やワールドカップに出場出来る様になっても、日本は出られても韓国はアジア予選の壁に阻まれたという事は無かった。 U20, U-17 レベルになると1990年代以降では日本の戦績が韓国を上回る様になったがU-20 では2大会連続で韓国に直接対決で敗れて世界の舞台に上がれなかった。 生きるか死ぬかの試合を制してこそ、と思うのだけどまだ韓国が1枚とは言わなくても 0.5枚は上手ではないかと思っていた。
1980年代に入り日本選手達の技術は飛躍的に進歩した。それまでの数人の選手を除いて五輪予選等のアジアの戦いでは韓国や中近東勢は愚かマレーシアやインドネシアといって東南アジア勢を相手にしても優位に立っているとは言い難かった。1980年末に香港で行われたワールドカップ予選で日本代表はテクニックの高いパフォーマンスを見せたらしい。そして技術面では中国、北朝鮮相手に五分以上の戦いを見せ1982年アジア大会で韓国に勝利を収めこれでいよいよ対韓国戦はと思った1983年の日韓定期戦。1-0でリードしながら終了直前金景浩に同点ゴールを喫し、テレビを見ていた私は“これでロス五輪予選はまた苦戦するかもなぁ..” と思ったのを憶えている。
圧倒的にあった日韓の差はなかなか縮まらず、今度こそと思っていても91年の日韓定期戦の様に 0-1 で敗れたり、ドーハでのワールドカップ予選で勝利し次も勝てば日韓の立ち場はかなり変わるだろうと期待した広島アジア大会の準決勝戦でも終了直前黄善洪のPKで敗れたり。 最後は韓国の勝負強さを見せられ続けて来た。
日本がアジアで頭一つ抜けた存在になる為には次に韓国と対戦した時にしっかりと勝利を収める事だ。
そしてその次はオーストラリアだ…..


サッカー:李忠成の父「昔は韓国応援したが…」

世界で最も見返りを求めない愛は両親の愛だ。昔は「子の口に飯が入っていくことと、川から分かれた水が水田に流れ込むことよりいいことはない」と言ったものだ。10日、札幌ドームに一人の父親がやって来た。
 李忠成(り・ただなり、25)=広島=の父・鉄泰さん(53)だ。鉄泰さんは、東京都西東京市で飲食店を経営しているほか、日本産のマグロを韓国に輸出する貿易業もしている。
この日、生まれて初めて韓日戦にスタメン出場する息子の姿を見るため、札幌を訪れた。韓国の報道陣からインタビューを受けた鉄泰さんは、息子があれほど夢見ていた国家代表の主力FWになったのにもかかわらず、笑顔がなかった。いや、笑うことができなかった。
 在日韓国人3世として日本で生まれ育ちながら、祖国である韓国にも、生活の基盤である日本にも歓迎されなかった。他人には分からない痛みが分かるからこそ、2007年に在日韓国人4世である息子の日本国籍取得を許した。
 「韓日戦があると、忠成が幼稚園のころから、一緒に東京の国立競技場に行っていました。そして、二人でのどが張り裂けんばかりに『大韓民国』と叫びました。今は忠成が日の丸を付けてプレーするようになったので…」
 鉄泰さんの言葉は途切れてしまった。
 それでも、自分なりの意義を見いだそうとしていた。鉄泰さんは「忠成は日本代表チームで唯一の韓国系日本人として『李』という姓をユニホームに付けています。これは日本のサッカーの新たな歴史です。父親として息子が一生懸命プレーしてくれることを望んでいますが、相手が韓国だからか、わたしの気持ちはかなり重いですね」と言った。
 「韓国でも忠成のことをよく思っていない人は多いでしょうが、日本でもまだ日本代表としての忠成をよく思っていない人が多いです。これから韓日両国で忠成を高く評価する人が増えればいいですね」
 李忠成は2004年にU-19韓国代表候補になり、合宿訓練に参加したが、韓国代表には選ばれなかった。07年に日本国籍を取得した後、日本の五輪代表チームで活躍し、今年1月にはカタールで行われたAFCアジアカップ2011で初めて日本のA代表になった。





韓国マスコミが注目したもう一つのトピックは李忠成がこの試合に出て来るかという事だった。
1月の Asian Cup では途中出場直前まで行ったが、投入直前に長谷部が負傷して急遽本田拓也が投入され出番が回って来なかったが今回は堂々のスタメン出場だった。

14年ほど前,昔いた職場に在日韓国人の先輩がおられた。国立大学の朝鮮語学科の卒業生で韓国やアメリカに留学され英語も非常に流暢に話される人だった。スポーツも好きな方でインターネットの発達しない時代に韓国のアップデートなスポーツ事情をよく教えてくれた。当時はワールドカップフランス大会のアジア地区予選が行われていて苦戦する日本代表の叩きぶりに私達と一緒に“ワールドカップ行けないんとちゃうか?”と嘆いていた。仲の良かった私は普通に
“先輩、韓国応援しなくて良いんですか?”と訊ねると
“俺は日本で生まれて日本で育ったから日本人と一緒や。”と即答された。
そしてサッカーのみならず日韓対決があった後は日本が勝っても韓国が勝っても引き分けてもいつも韓国の取引先の人達に色々言われていたらしい。 ラモスが帰化した時も“何故日本は日本人だけで韓国と戦わない?”とずいぶん筋違いな事を言われたらしい。
先輩の色々な話を聞いて在日韓国人は韓国で必ずしも100%歓迎されている訳ではないと言う事が解った。
同様の事は海外に渡って成功した韓国人にも言えるらしい。 韓国から移民して事業を成功された方が言っていた。
“もう韓国に里帰りをしたくない。 名前しか知らない親戚が押し寄せて来ては子供の留学の受け入れをしてくれとか何かをせがんできて断ればとたんに機嫌が悪くなる。それに海外での成功をこんなに妬まれるとは思わなかった。”
記憶に新しい2006年トリノ五輪の男子モーグルスキーで銅メダルを勝ち取ったアメリカ代表のトビードーソン選手の事も。
親に捨てられ釜山の孤児院で育ち1992年アメリカでスキー教室を営む夫婦に養子として引き取られアメリカ代表でメダリストになり“生みの親を探したい。”と言うや否や200人もの韓国人が生みの親と名乗り出した….. “等分韓国には行かない。”と漏らしたドーソン選手の心中を察するのは難しくない。
結果を出したいと最も強い思いでこの試合に臨んだのは李忠成だっただろう。
それだけに李忠成のゴールを見たかった。しかし2得点をアシストしたのは李忠成。

かれこそこの試合の Man of the Match にふさわしいと思った。 

史上最強の代表チーム…と断言したくなるなぁ… 日本代表 3-0 韓国代表 10 AUG. 2011

2011-08-16 | Football Asia
8月10日の日韓戦をテレビ観戦して…初めて日韓戦をテレビ観戦した時を思い出した。
1972年9月14日東京国立競技場で開催された第1回日韓定期戦だった。
この年からサッカーというよりも日本代表の試合に興味を持ち出した。それは同年5月26日にサントスが来日。あの神様ペレが出場したその試合を見てからだった。ペレが2ゴールを決めたのを憶えている。
そしてそれから数試合日本代表の試合のテレビ中継を見た。
資料によるとサントスとの親善試合の後日韓定期戦までの3ヶ月半の間に日本代表はムルデカ大会で7試合そしてその直後にシンガポールで開催されたペスタスカン大会で行われた2試合を含め15試合もこなしていた。国内で行われた試合が6試合あるので何度かテレビ中継もあったわけで試合終了直前にPK戦で敗れた試合 ( 後で解ったがそれは Coventry City との試合だった) 等記憶にあるがどれも負け試合だった。
そして9月14日に韓国を迎えてのゲームを前に、“韓国には勝つだろうなぁ…” とNHK が生中継するこの試合を楽しみに見ていたが試合前に前年に韓国で行われたミュンヘン五輪予選の韓日戦( それも後で知った。)の映像が流れ
”この試合の前に両国は既に出場権を失っていました…“と紹介し、過去の対韓国戦をボードで映し出された時に
”この様に過去日本が3度勝っただけで他は全て韓国の勝利か引分けです….” と言っていたのも憶えている。
その3度はメルボルン五輪、ローマ五輪の両予選と1967年B代表が Asian Cup 予選で韓国A代表に勝った試合だった。
この日韓定期戦はミュンヘン五輪予選で共にマレーシアに敗れた為に日韓の強化の為に始まったと後で知った。
そしてこの第一回定期戦は釜本の先制ゴールで始まり韓国が連続ゴールで日本を逆転、“あぁ日本はブラジルや欧州のチームばかりでなく韓国にも勝てないのかぁ….”と思っていた終了間際に釜本がシュートを韓国ゴールに蹴り込み引き分けた。その釜本のシュートは今でも覚えている。稲妻の様に早くあっという間にゴールネットに突き刺さった記憶がある….

あれから39年間、日本が韓国に優位に立った時があった記憶は無い。確かに1974年の第3回日韓定期戦で韓国を 4-1 で破ったがこの試合の事はずっと後で知ったし、モントリオール五輪予選 ( 1-3, 2-2 ) ワールドカップアルゼンチン大会予選 ( 0-0, 0-1 ) 1978年アジア大会 ( 1-3 ) モスクワ五輪予選 ( 1-3 ) 。
その後1982年アジア大会 ( 2-1 ) 1984年日韓定期戦 ( 2-1 ) での勝利を収める事が出来たがワールドカップメキシコ大会予選 ( 1-2, 0-1 )で敗れ以降90年代初旬には韓国に相手にされなくなっているのではないか…と思うくらいの差をつけられた気がしてならなかった。
しかし遂に1992年のダイナスティカップで好勝負を演じると ( 0-0, 2-2 PK勝) 1993年ドーハで行われたワールドカップアメリカ大会予選では遂に King Kazu のゴールで1-0 で勝利を収める。しかしそれ以降も韓国に対日苦手意識を植え付ける事は出来ていない…
それだけに今回の勝利は本当に対韓国戦に向けて非常に良い結果をもたらすのではないか…との期待を感じさせてくれた…

車杜里先発…

注目の両国のスタメン。まず韓国は右SB に車杜里がスタメンに。怪我で離脱していると思っていたのに…だけどこれでこちらのサイドから攻撃が出来ると思った。そしてフォーメーションだが 4-2-3-1 ではなく 4-1-4-1 。DF陣は左SBに大宮所属の金英権。愛する京都でプレーした李正秀と組む CBは残念ながらもう1人の愛する京都の卒業生郭泰輝では無く蔚山所属の李宰誠。
朴周昊、曹永哲といった J-League でプレーする、またはかつてプレーした選手達はベンチスタートだった。
でも李宰誠と金英権。身長だけをみるとポジションが反対に見えたけどなぁ…
1ボランチには Celtic でプレーする奇誠庸。(また猿の真似でもするのか見ものだったけどそんな彼のゴールシーンは皆目見られなかった。)朴主永のワントップの後方に並ぶMF4人は右サイドにトップ下と予想した今シーズンから長谷部の同僚となる具滋哲、左サイドにはG大阪でプレーする李根鍋。真ん中には金正友と李容来。水原所属の李容来は奇誠庸とボランチを組むと思ったんだけどなぁ… 。スタメンの中で欧州組みは4人、 J-League 組みは2人。そして他にも J-League 経験者は李正秀と金正友 ( 名古屋。現在光州尚武 ) がいた。
代表から引退した朴智星そして李栄杓、そして怪我で離脱した李青龍 ( Bolton ) の抜けた穴は最後まで埋まらなかった様だった。

北京五輪メンバーが中心。だから豪華メンバー…

欧州組み6人 ( 岡崎、本田、香川、長谷部、吉田、内田 ) そしてワントップには李忠成が起用された。2列目には右から香川( Dortmund ) 本田 ( CSKA Moscow ) 岡崎 ( Stuttgart ) が並ぶ非常に豪華なメンバー。 
ボランチには遠藤 ( G 大阪 ) と長谷部 ( Wolfsburg ) DFラインは肩の手術で不在だった長友に替って駒野( 磐田 ) がスタメン。右SBには11月の韓国戦以来の駒野、CB はVVV Venlo の吉田とFC東京の今野。伊野波、栗原は起用されなかった。
闘莉王はどうなるのだろう…
それにしてもマスコミをはじめ谷底の世代なんてボロクソに言っていた1次リーグ3連敗に終わった北京五輪。そのメンバーから5人 ( 李、香川、本田、岡崎、内田 、吉田 )がこの試合のスタメン。そして今や代表の中心選手。他にも家長、柏木、細貝そして長友…。あれからたった3年しか経っていない。確かに我が国には言論の自由は認められている….

                 
GK 1 鄭成龍(水原) 184/85 DF 22車杜里( Celtic)181/79, 14 李正秀(Al-Saad)185/76, 3 李宰誠(蔚山)180/75,
4 金英権(大宮)187/74, MF 16 奇誠庸(Celtic)186/75, 13 具滋哲(Wolfsburg)182/73, 8 金正友(光州尚武) 182/71,
6 李容来(水原) 175/71, 11 李根鍋(G大阪)177/75, FW 10 朴主永 ( AS Monaco ) 183/72


         

GK 1 川島 (Lierse) 186/80 DF 3 駒野 (磐田) 172/76, 15 今野(FC東京) 178/73,20 吉田 (VVV)189/80,
6 内田 (Schalke) 176/67, MF 7 遠藤 (G大阪) 178/75, 17 長谷部 (Wolfsburg) 177/65, 10 香川 (Dortmund) 172/63,
18 本田 (CSKA Moscow) 182/76, 9 岡崎 (Stuttgart) 174/75, FW19 李忠成 ( 広島 ) 182/73



松田直樹を偲んで…そして日本の猛攻…
試合前国歌斉唱(このシーンはテレビ中継されず)に続いて6日前に亡くなった松田直樹選手の為に黙とうがささげられた。
地元開催の夢のワールドカップ。あの時の事を思い出すととても幸せな気分になる。それからもう9年が経った。まだまだこれから人生が続く選手だったのに残念だ。それとともに自身の健康も..と思わせられた。
この日のピッチ上のメンバーで2002年大会の経験者は車杜里と松田だけになってしまっていた……

韓国のキックオフで始まった試合は開始から日本がシュートシーンを見せる。1分15秒長谷部のパスを受けた本田がDF3人に囲まれながら岡崎にパスを出しシュートを導き、3分24秒にはワンタッチパスを繋いで本田が今度はシュートを放ち
CKを得ると遠藤が入れたCKに逆サイドから走り込んだ長谷部が折り返し攻撃参加した吉田に送るが惜しくも合わない。
その後は車杜里が攻撃に絡み韓国のシュートシーンが演出される。6分37秒、奇誠庸から具滋哲に送られ右サイドを上がった車杜里を経て金正友に渡り上げられたクロスに李根鍋がヘッドを放ちクロスバーを越え、7分29秒には車杜里が2002大会を彷彿させるドリブルシュートを放つがこれはGK川島正面。この時間帯車杜里のマークが少し甘い様に見えた。
これがワールドカップ予選を含めた何かの大会であれば両チームとも相手の立ち上がりの様子をもっと見たかもしれない
その後は本田、香川を中心として前線でボールが廻る様になる。本田にボールが入るとマークが次々に寄って来るが上手くかわし囲まれても振り切るシーンが最後まで目立った。17分15秒にはついに奇誠庸が止めたチャージにイエローカードが出された。
それでも今度は朴主永、李根鍋が攻撃に絡み韓国がシュートシーンを見せる。18分15秒には朴主永からボールを受けた李根鍋が左サイドから挙げたクロスに金正友がフリーでヘッドを放つが駒野が身体を入れてゴール枠を外させ、20分47秒にも右サイドから李根鍋が起点となり李容来に渡り逆サイドに走り込んだ朴主永が駒野がマークに入る前にシュートを放つがサイドネットを直撃した。 
22分を過ぎると日本のワンタッチパスがどんどんつながり日本が主導権を握る。 23分には本田が内田とワンツーで抜けるところを李根鍋が倒した。当然イエローが出されると思ったがウズベキスタン人のイルマトフ主審はカードを出さなかった。
24分韓国は金英権が怪我でベンチに下がり朴源載(全北)が投入される。金英権は3日後の清水戦も欠場してしまった。この交替も韓国に苦戦を招いた一因となっただろう。
24分41秒から日本は3連続CKのチャンスを得たがゴールは奪えなかったが韓国を完全に自軍ゴール前に釘付けにしていた。31分54秒にはカウンターから香川がドルブルで突破し李忠成に送り朴源載をかわしてシュートを放つが惜しくも決まらない。先制ゴールが生まれそうな雰囲気が続く中34分、韓国はカウンターに転じたが李根鍋からボールを奪った遠藤が(2人ともガンバだけど。)相手DFを引きつけ右サイドから中に入れると李忠成がワンタッチで角度を変えると走り込んで受けた香川が朴主永と李正秀をかわして撃ったシュートが韓国ゴールに突き刺さった。




10分42秒と21分37秒(この時は鄭成龍がナイスセーブ)に惜しいシュートを放っていた香川が3度目の正直で決めてくれた。
昔の代表は優勢に試合を進めているうちに何とか得点をと思っていても反対に失点を喫する事が多かったが最近はゴールを決めてくれる時の方が多いと思わせられる。
先制ゴール直後に岡崎がベンチに下がりC大阪の清武が投入された。 岡崎は18分に足を痛めていた…帰国後のMenchengladbach戦は欠場した。
すると今度は12分前に投入された朴源載がベンチに下がってしまった。遠藤の放ったシュートを顔面に受けたその後遺症らしい。次に投入された右SBはかつて中田浩二が所属したスイス Basel でプレーする朴周昊。磐田、鹿島でもプレーした選手。スタメンかなぁ…とも思っていたのだけど。この日対峙したかつての僚友内田の印象はどうだったのだろう。
40分長谷部からボールを受けた清武が李宰誠がマークに入る前に李忠成に送り中央の本田に折り返すが本田のシュートは惜しくも決まらない。 本田の表情から得点を決めたいと言う気持ちが溢れ出る。
その1分後今度は中央やや右の朴主永が中央から朴周昊のパスを受けてシュートに持ち込むがゴールポストの右に外れて行く。
このシーン、後方から入れられたボールに一旦駒野が追い付いたが後方から追った李根鍋にかかとを踏まれて転倒。こぼれ球は吉田がヘッドでCKに逃れようとするが李根鍋の駒野へのプレーがファールに取られたと思った吉田がボールを拾いに行った李根鍋を追うのを止めたがイルマトフ主審は笛を吹かずプレーは続けられ李根鍋が朴周昊に折り返し繋がれシュートに持ち込まれた。
ワールドカップ予選でアジアの主審はこういうときでも笛を吹かない時があるので最後まで…と解説者も言っていた。 
そして前半は日本リードで終えた。日本リードで前半を終えたのは…あの1998年の Dynasty Cup 以来かな….
でも久々と言うよりも初めて日本が韓国をほぼ45分間圧倒し続けたのを見た。

 

2追加ゴールそして完封勝ち!

1失点後韓国は朴主永と李根鍋のポジションが入れ替り李根鍋がワントップに入った。朴主永は後半見せ場を創れず58分にはベンチに下がった。これまで各年代代表の試合を含めて何度か彼に苦しめられたがこの試合はまだ来シーズンの所属先が決まっていない中個人練習は続けていたのだろうが調整不足も否めなかっただろう。



日本は先制ゴール後ワントップの李忠成を残してブロックを創って引いていたが後半開始からは再び総攻撃を仕掛けた。
早々に李忠成が倒されて得たFKを本田が直接狙うが壁に当たってCK。遠藤が入れたCKは吉田がヘッドを放つが惜しくも決まらない。その直後には右サイドでスローインを受けた清武が中に入れると李忠成がスルーをし香川のショットを導くが車杜里に当たり決まらない。48分22秒には内田のスローインを李忠成がヘッドで落とし清武が拾って本田に渡すがシュートにやや力が無くGK鄭成龍の正面に。49分6秒には吉田からボールを受けた李忠成を李宰誠が倒してイエローが出される。
劣勢の韓国は52分に李容来、李根鍋を下げ金信旭を1トップに入れて2列目にC大阪の金甫を投入し打開を測るが、その直後に日本に追加点が生まれる。遠藤からボールを受けた香川が左サイドを上がった駒野に送り朴主永をかわしてシュートを放つ。鄭成龍が何とか弾き出すもこぼれ球を拾った清武が中央の本田に送ると本田が数歩バックしながらも放ったシュートは韓国ゴールに突き刺さった。
本田の喜びようを見ると本当にゴールに飢えていたと思った。それは対韓国戦へのゴールだろうか…




その3分後遠藤が奇誠庸からボールを奪うと李忠成、本田を経由して香川に送られ更に右サイドを上がった清武に繋ぐ。清武はそのままドリブルで上がり入れたクロスに香川が走り込んで合わせてリードを3点差に広げるゴールが決まった。
そして長谷部に促されて選手達が天を指さした。 松田にも届いたと思う。



自分は韓国相手に3点目を奪うのを見たのは初めてだった。
それにしても韓国DF陣、李正秀、李宰誠そして金正友は完全にマークが遅れていた。 

3点差をつけられた韓国は58分朴主永に替って尹比家林が入る。196cm長身の金信旭が1トップ。2列目には右から具滋哲、トップ下に金正友、左に金甫が入りボランチに奇誠庸と尹比家林が入った。奇誠庸は比較的前に出て来る様になった。
こうなると日本に是非4点目を、出来れば李忠成に決めて欲しいと思ったが57分内田のクロスにそして65分10分前に駒野に替って左SBに入った槙野のクロスに合わせたヘッドは惜しくも決まらなかった。

  

70分には相手からボールを奪った内田が李忠成とパス交換で抜け出しほぼ中央をドリブルで突破。マークに入った李宰誠、奇誠庸を振り切り放ったドリブルシュートはGK鄭成龍も破ったが右ポストを直撃する惜しいシュートに終わった。これが決まって入れば歴史的な4点差になっていたのに…..
韓国も対日本戦で何とかリードを縮め様とワントップの金信旭にボールを集めゴールを狙う。59分16秒には金正友からのロビングに金信旭が飛び込むが吉田が身体を入れて思う様にヘッドを撃たせない。71分30秒には65分に遠藤に替ってボランチに入っていた阿部のファールで得たFKを奇誠庸がゴール前に放り込み具滋哲がフリーでヘッドを放つがゴールポストの左に外れる。73分20秒には車杜里のクロスに金信旭がシュートを放とうとするもここも吉田が身体を張りシュートコースを外させる。3点差がついていたと言う事もあるが、韓国の決定力不足、そしてこの試合の結果を物語るシーンであった。



後半は車杜里が一人気を吐くシーンが何度かあった。昨年は2大会ぶりにワールドカップ出場を果たした。父親車範根には何度も日本はやられてばかりで本人も“もっとも印象に残っている日韓戦は1972年のアジアユース準決勝戦。代表との試合で接戦だった記憶が無い。”と言われてしまったが、子息はそうは思わなくなっただろう。
結局スコアーは動かず日本が6年振り、そしてホームでは13年振りの勝利を収めた。



2010年2月の東アジア選手権、5月のキリンチャンレンジカップでの連敗、試合内容と比較するマスコミも多いがその試合は共に韓国の方が日本戦の前に試合を入れておりコンディションに差があった。コンディションさえ同じなら昨年10月のソウルでの韓日戦も Asian Cup でも試合内容は互角以上。

韓国はやはり李栄杓の抜けたSBの人材不足そして朴智星の存在が埋まらない事が改めて浮き彫りにされた。
それにしても韓国の選手達、一体どうしたのだろう?いつもの様にがつがつと当たって来る印象が薄かった。それは日本の各選手達のテクニックが完全に韓国の選手達の当たりを凌駕していたと言う事もあるが、コンディションが整わなかったのか?
今回は日本が3点差の勝利だったが、李青龍、池東元がいたら、そしてもう少し他の選手達のコンディションが上がっていればもう少し違った結果になっていたかもしれない。



試合後長谷部が “これで韓国に対日本戦へ苦手意識が植え付けられれば。”と語っていたがそれはこの次の試合結果に委ねられると思う。日本はまだ韓国戦に“連勝”した事が2度しかない。
1974年9月28日に 東京国立競技場で4-1 で勝利を収めた次の韓国戦は翌年8月9日マレーシアで行われたムルデカ大会。車範根、金在漢、李栄武、朴成華、趙栄増、朴商寅そして復帰した金鎮国らを加える等大敗した日韓戦から選手10人を入れ替えた韓国は車範根の3ゴールで 1-3 で完敗し更に約1カ月後韓国ソウルで行われた韓日定期戦でも 3-0 で日本を破り半年後国立競技場で行われたモントリオール五輪予選でも 2-0 で日本を破り ( 翌週ソウルで行われた同予選では釜本の2ゴールで 2-2 の引分け )完敗を完全に払拭されてしまった。

次にいつ韓国と対戦するか解らないがもう一度完勝を収め今度こそこれまでの立ち位置を逆転させてほしい。

いやその前に9月2日に朝鮮民主主義人民共和国を破って対南北朝鮮に連勝を収めてほしい。



72回目の日韓対決…韓国のスタメンは….

2011-08-10 | Football Asia
8月1日新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の日本の国会議員3議員は午前11時10分ごろ、金浦空港に到着。入国審査場で手続きを行おうとしたが、出入国管理事務所の関係者達に「入国禁止」の方針について説明され12時40分発の全日空(ANA)便で日本に帰るよう勧告された。国会議員3名は帰国勧告を拒否するも結局当地に足を入れる事は出来ずに日本に帰国する事となった。その件に就き韓国側のマスコミの反応はどうだったのだろう…..

独島:韓国政府、自民党議員3人に入国禁止を通知

【郭彰烈(クァク・チャンリョル)記者/キム・ソンモ記者】 「竹島(独島)は日本の領土だ」と主張し、韓国入りした自民党所属の議員3人に対し、韓国政府は「入国禁止」を通知し、日本に戻るよう勧告した。しかし、議員らは空港で自らの主張を繰り返し、日本行きの航空機への搭乗を拒否した。
 鬱陵島を訪問するとしていた新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の3議員は1日午前11時10分ごろ、金浦空港に到着。入国審査場で手続きを行おうとしたが、法務部(省に相当)出入国管理事務所の関係者たちは議員らを「送還待機室」に案内し「入国禁止」の方針について説明した。そして、12時40分発の全日空(ANA)便で日本に帰るよう勧告した。
 しかし、議員らは登場を拒否。日本大使館を通じ、今回の事態に対する韓国政府の立場を尋ねた。 いつ日本に戻るかは不透明な状況だ。
  
【社説】日本では良識ある政治家の代が途絶えたのか
 
日本の自民党は、所属議員4人が来月1日に鬱陵島を訪問し、韓国の領土内で独島(日本名:竹島)が日本領だということを調査、広報する計画を予定通り実行すると発表した。党指導部は訪問を延期するよう説得したが、4人は受け入れず、個人の資格で韓国を訪問する意向を表明している。これは、止めるふりをして行けと背中を押す二重プレーだ。日本政府はすでに、韓国警察庁と外交通商部(省に相当)に4人の身辺保護を要請した。わが民族が数百年にわたり見てきた手法を、日本政府と与野党が、独島を舞台に合同で演出しているようなものだ。
 自民党国家戦略本部は、今月19日に発表した「日本再興」と題する中長期戦略報告書で、外交安全保障政策の中核として領土主権保護と防衛力強化を掲げ、独島が日本の領土だということを国際社会に知らせ、適切に管理していくことが日本の長期的国益だと主張した。自民党が党内に領土特別委員会を設置し、その特別委員会に所属する議員らを鬱陵島に派遣するのは、このような策略の実行であって、数人の突出した議員による逸脱した行動ではない。
 今まで韓国政府は、日本が騒いでいるからと言って、独島を韓国が統治している現実は変わらないという観点から、独島を紛争化しようとする日本の意図に巻き込まれるのは賢明ではないとの判断の下、慎重に対応してきた。しかし、日本の言動は次第に露骨になり、手法も荒くなってきた。議会ではそれでも、日本の友邦国である韓国が実際に統治している韓国の領土「独島」をめぐり、外部勢力が独島をミサイル攻撃した場合はどうするつもりなのか、など隣国の主権を侵害するような質問をためらわないほどになった。こうした日本の言動を踏まえ、われわれは独島に日本の右翼行動隊が上陸する、といった最悪の挑発行為に備えるべきだ。
 韓国政府は日本の議員が実際に韓国を訪れた場合、空港の入国審査場で入国を拒否するとの姿勢を示しており、このような行動が両国の関係を大きく悪化させることを警告した。韓日両国は、内部的に自由貿易協定(FTA)の推進を論議中で、中国の軍事的、経済的な浮上がますます明確になる中で、北東アジアの平和の秩序を定着させるために協力しなければならない関係にある。
 日本は中世から現代まで、国内で高まった不満や圧力を隣国に対する挑発をもって解消してきた国家体質により、自国民と隣国民を幾度となく不幸に陥れてきた。日本の行動が韓国国民にこうした日本の過去を連想させるほど、両国の前に横たわるあらゆる未来志向的課題は後退せざるを得ない。日本の良識ある政治家は、今こそ彼らの代が途絶えたわけではないということを示すべきだ。




上記の記事は共に朝鮮日報日本語版電子版に掲載されていたもの。 自分がハングルを理解すればもっともっと読む事も出来たのだろうけど….
竹島問題の諸悪の根源は何と言っても日本政府のこれまでの弱腰の対応。 学生時代フォークランド紛争が起こり英国政府がその領有権を見事に守った時、イギリス人の教授が私達にこう言った。 “他国の領土は簡単に奪えないと言う事ですよ。”
だけど韓国のマスコミよ、もっと正しく自国民に伝えるが良い。 北東アジアの平和秩序を定着させるのにどの様な日韓の協力が必要なんだ? まさか南北朝鮮が分断されたのは日韓併合が原因と本当に思っているのか?日本人は誰も金日成に急襲を示唆した事はないし、そうかと思えば南北問題は南北間で解決すると言ったり…..
国内で高まった不満や圧力を隣国に対する挑発をもって解消してきた国家体質により….とあるけど、自国の経済状態が芳しくなくなって来たり、政権の支持率が低下する度に竹島問題をあおるのはそちら。 日本政府にもその半分でも煽って欲しいものだ….
1980年全斗換政権がスタートした時、光州事件が起こった時、日本に突然5年間に亘る総額60億ドルの借款を依頼して来てそれを断ると当時政府の強い影響を受けざるを得なかった韓国テレビ局は一斉に反日ドラマを放映続けた。

今フジテレビが韓流ドラマを放映し続ける以上に。 でもこの韓流ドラマは面白いんだよなぁ…… 韓国の女優は可愛いなぁ….でも歳のせいかなかなか名前が覚えられない……



明日札幌で行われる日韓戦。一時は何年も対戦が無い時があったがここ数年は東アジア選手権対戦が続いている。 
しかし日本の勝利は2005年の大田で行われた東アジア選手権以来御無沙汰だ。どうも日本は対韓国戦となると…..
かつては1959年のローマ五輪予選から1974年の日韓定期戦まで15年間勝星無いと言う期間があった。
あの世界の釜本を擁しても韓国戦の勝利はこの 4-1 で勝利した日韓定期戦だけだった。
これまでの対戦成績は日本の11勝38敗22分。( PK 戦は公式記録は引分け )ただB代表で1967年8月1日に台湾で行われた Asian Cup 地区予選で韓国相手に 2-1 で勝利を収めた試合がある。

韓国に対日本戦に“苦手意識”を植え付けさせる為にもこれから連勝を重ねて欲しいものだ……

7月27日 対日本戦24名を発表。

趙広来韓国代表監督は日韓戦(韓日戦)のメンバーを発表した。 Glasgow Celtic でプレーする車ドゥリをはじめ Asian Cup では召集出来なかった朴主永をはじめ海外組が9人含まれていた。そしてJ-League でプレーする選手は昨年ワールドカップメンバーから外れた李根鍋ら5人が選ばれた。かつて愛するサンガでプレーした郭泰輝、李正秀の2人も召集された。
趙広来監督は日本戦に臨むにあたり「スピードとの戦いに勝たなくてはいけない」と記者会見で強調したらしい。
HSV Hamburg でプレーする孫興民に就いては将来の代表を担う選手にと期待しているらしく朴周昊、金英権の選出は
「惜しくもホン・ジョンホを招集できなかった。そういった部分をカバーするために、朴周昊 ( パク・チュホ) を左のサイドバックに置いて金英権(キム・ヨングォン)をセンターバックで起用する考えだ。」
新潟でプレーする曹永哲の選出は
「キム・ジェソンと悩んだ末に、チョ・ヨンチョルを選抜した。日本でも試合経験が豊富で、チャ・ドゥリの代わりができる。攻撃的な面を評価し選出した」
とそれぞれ記者会見で答えた。
そして昨年の AFC U-19 で日本を粉砕し Sunderland への移籍も決まった池東元はこの時点では日本戦の起用は所属先の Sunderland で開幕戦で起用されるならそちらを優先させると。まだ移籍が完了していない朴主永を招集した理由は
「朴主永はまだチームが決まっていない。本人と昨日電話で会話をした。一人で個人練習をしているが、コンディション管理に関して不安を覚えている。早く韓国に帰ってきてコーチングスタッフと一緒に練習することを要請した。パク・ジュヨンは先に韓国に帰ってきて練習を行なうようだ」 と述べた。
ベテラン李東國に就いては
「李東國は一生懸命な選手だ。しかし、最近の試合ではコンディションが少し落ちている。前線に若くいい選手が多く、韓日戦は除外した。孫興民が前線でいい活躍を見せてくれているし、ワールドカップ予選前に備えて若い選手を起用するのが妥当だと考えた」
しかし朴智星、李栄杓ら2002年組が代表から引退し 1998年大会経験者の李東國に次のワールドカップのチャンスは多くあるだろうか….
金信ウクは最近のK-League で良いパフォーマンスを見せていた事が召集のきっかけで日本戦の起用も示唆していたらしい。

日本は女子がワールドカップで優勝し、男子サッカーもその勢いに乗ろうとしている。最大限に準備をする
趙広来監督はこの様にも話したらしい。

当初の召集メンバーは下記の通りだった。


GK
チョンソンリョン/鄭成龍(水原) キムジンヒョン/金鎭鉉(C大阪) キムヨングァン/金永光(蔚山)

DF
パクチュホ/朴周昊( Basel ), カクテヒ/郭泰輝(蔚山), イジェソン/李宰誠(蔚山), キムヨングォン/金英權(大宮)
パクウォンジェ/朴源載(全北), イジョンス/李正秀(アルサド), チョヨンチョル/曹永哲(新潟), チャドゥリ/車杜里(セルティック)

MF
イヨンレ/李容来(水原), キムボギョン/金甫ギョン(C大阪), キムジョンウ/金正友(尚州) チドンウォン/池東元( Sunderland ) クジャチョル/具滋哲( Wolfsburg ) キソンヨン/奇誠庸( Glasgow Celtic )イチョンヨン/李青龍( Bolton ) ユンビッカラム/尹比家林(慶南), ナムテヒ/南泰煕(バレンシエン)

FW
パクチュヨン/朴主永(モナコ), イグンホ/李根鎬(G大阪), ソンフンミン/孫興民(ハンブルク) キムシンウク/金信ウク(蔚山)


相次ぐ欧州組の離脱…..


趙広来韓国代表監督は8月6日、 Budesliga の開幕戦 Borsia Dorutmund 戦を高熱の為に欠場した孫興民を招集しないことを決定した。
「孫興民が韓日戦に出場できるコンディションではない以上、選手保護ということから招集を見送るのが正しい判断だと思う。コーチングスタッフと相談した後に、韓日戦に無理させてまで招集するよりかは、コンディションを優先的に考慮して招集しないことを決定した。孫興民がワールドカップアジア3次予選で活躍することを期待している。今は自分のコンディションを気遣うことに集中してほしい」と付け加えた。そして替りに水原でプレーするパク・ヒョンボム(水原)が招集された。
パク・ヒョンボムは194cmの長身ミッドフィルダーで、昨季は済州ユナイテッドのKリーグ準優勝に大きく貢献した選手だ。空中戦に強く守備的ミッドフィルダーとして強い存在感を見せ、時には攻撃参加で得点を決める能力も兼ね備えている。今シーズンKリーグでは6得点2アシストを記録している。日本のCBは対応出来るだろうか…..
孫興民の他にも車杜里、李青竜の2人が怪我で離脱。李青龍は7月31日の所属先の Boltonでの親善試合で脛骨を骨折すると言う重傷を負い日本戦どころか今シーズン一杯プレーが出来るか危ぶまれ9月から始まるワールドカップアジア地区3次予選もプレー出来るかわからないらしい。 親善試合で重傷を負わせられるとはちょっと対戦相手も悪質過ぎないか???
また池東元も所属先の Sunderland 首脳陣が開幕戦で起用すると決めた事から来日を見送る事に。 池東元は今行われている FIFA U-20 も出場していなかったのか…..
相次ぐ欧州組みの離脱に趙広来監督は「これらの選手がいなくても、韓国サッカーは弱くはならない」と述べた。



日本戦の予想スタメンは下記の通り….ではないかと思う…..

Asian Cup の時は池東元のワントップに朴智星, 具滋哲, 李青龍の3人が2列目に入ったが具滋哲以外はもうメンバーにいない。
明日の日本戦にはAsian Cup には合流しなかったFW 朴主永のワントップに2列目は左にG大阪で好調の李根鍋、真ん中にかつて名古屋でプレーした金正友。そして右には具滋哲が入ると予想する。 Asian Cup では具滋哲が真ん中だった。ボランチには奇誠庸そしてもう1人は尹比家林か Asian Cup に続いて李容来か? セレッソで活躍する金甫ギュンか?趙広来監督は車杜里をこのポジションで使いたかったのではないか?? 
CBには個人的には李正秀と郭泰輝の元愛するサンガでプレーした2人を起用して欲しい。 Asian Cup では李正秀が累積警告で出場出来ず郭泰輝は1次リーグで退場を食らう等大会を通して調子が今一だった。Asian Cup では黄載元と趙容亨がCBだった。李正秀は守備から攻撃に転ずる時の起点になるCB。趙広来監督の記者会見でのコメントから金英権がもう1人のCBか。
サイドバックは右サイドバックには曹永哲、左サイドには朴周昊。心配なのはDFラインがこの4人で構成された事が無い事だ。


朴主永

李根鍋  金正友  具滋哲

寄誠庸 李容来

朴周昊 李正秀 金英権 曹永哲

GK 鄭成龍

昨年ワールドカップでチームをベスト16に導いた許丁茂前監督から任務を引き継いだ趙広来監督70年代から前任の許丁茂氏らと共に10年以上も韓国代表としてプレー。1986年メキシコ大会メンバーでもあった。1978年、1986年アジア大会優勝のメンバーでもある。思い出すのは、何度も云うが1980年3月マレーシア、クアラルンプールで開催されたモスクワ五輪予選。初戦で韓国と当たった日本は 1-3 で敗れたのだけどその時に2点決めたのが趙広来。(後1点は許丁茂)1978年のムルデカ大会の日本戦でもゴールを決めている。(試合は韓国が 4-0 で勝利。)
しかし監督に就任してからは日本代表とは2戦2分(1PK負) でまだ勝ち星は無い。しかし我が日本代表も1998年ダイナスティカップで勝利を収めて以来日本開催の“日韓戦”は2分3敗と未勝利。反対にアウェーでの“韓日戦”ではどういう訳かここ5試合で2勝2敗1分けと5分の戦績を残している。お互いアウェーが得意なのかもしれないがザッケローニジャパンは宿敵を相手に結果を出してほしい。 

だけど試合は北海道….前に地方で行った時…1991年熊本で行われた日韓戦も 0-1 で敗れたなぁ…あの時は地元以外はテレビ中継すらなかった。 松永、井原、北澤、反町、武田、ラモス、カズ役者は揃っていた。 Kirin Cup でリネカー擁する Tottenham Hot Supers を 4-0 で破り初優勝を収め期待をしていたのに、韓国も崔淳鍋らが出場しない事がわかり、日本もチャンスだと思っていたのにそんな悪条件の中でもしっかりと勝つのが韓国だった。 

今回は香川、本田、岡崎、森本…. 彼らが韓国陣内で躍動する事を祈る。