Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

今大会は Semi Finalist 止まり 日本 0 ( PK5-6 ) 0 韓国

2007-07-30 | Asian Cup

日韓揃ってPK戦は5人全員が決めた。韓国6人目は金致佑。外して…. くれなかった。川口も良い方向に飛んでいるのだけれど・・・・・・ 日本は誰が次だろう・・・・・ 羽生だ。少し心配。カタール戦、サウジアラビア戦そしてこの韓国戦とゴールの女神に見放されている。しかし、ここで決めてくれる為に今まで決まらなかったのと思いたかったが・・・・李雲在も置く位置に注文を付けるなど上手くプレッシャーを与えるなぁ・・・・・こりゃあ厳しいぞ、と思うと彼のショットは李雲在の右手に弾かれゴールネットに届かず大きく上に跳ねた。どうだと言わんばかりの李雲在。倒れこむ羽生。彼にとってこの大会は後でどういう大会と刻まれるのか…..



70年代に見せつけられてサッカーでの圧倒的な日韓の差。いつかこの地位が劇的に入れ替わらないだろうか?と思いながら30年近くが経ち、まだまだ勝負強さでは韓国が一枚上だ。3位決定戦後に醸された物議では精神論が大いに議論されたが、その勝負を分けたのは韓国にあって、日本にない4強制度だろう。今でもこの制度は存在するのかはわからないが、今大会の代表選手達は少なくともこの4強制度を乗り越えて代表に残れた選手ばかりだ。高校進学後にそして大学でサッカーを続けるには中学校、そして高校で行われるいくつかの大会で上位4位以内に入らねばならない。それに漏れると特別な場合を除いて救済の道は無く、高校生、学生でサッカーをしている事自身がエリートと言われるこの四強制度。進学後サッカーを続ける為には勝たねばならない。その為には技術の向上よりも目の前に試合に勝たねばならない、マークする選手を抑えねばならない。従って勝負強さは自然と身に付く、そして必然的に複数のポジションをこなせるようにならねばならない・・・・・その積み重ねが28日のPK戦の結果にも反映されるのだろう。対日本戦という特別な意識のみならず。 しかし、そのやり方では日本に勝てても、アジアの予選は勝ち抜けても世界での戦いになると.... ワールドカップでの初勝利に5大会を要したのも、アジアユースでは日本に勝ってもワールドユース ( あぁ古いかFIFA U-20 , U-17 ) では1次リーグで敗退し続けてる。4強制度。まだ存在しているのなら.... そのまま存在してくれたほうがいいか??

絶望的な開きのあった日韓の差が劇的に縮まったのは1992年北京で開催されたダィナスティカップ決勝戦。豪雨の中で始まった試合は前半32分鄭在権のゴールで先制されるも83分に中山のゴールで追い付く。それは日本が7年振りに対韓国戦で挙げたゴールだった。延長戦に入り高木の逆転ゴールが決まるが、その直後金赤赫の同点ゴールが決まるがPK戦で日本が 4-2で韓国を破り激戦にピリオドを打った。 PK戦に突入する前にその試合を思い出した。
しかし、今回は逆の結果だった。 “次の試合はフレッシュな選手を使う” サウジアラビア戦後に指揮官が発したコメントだった。従ってGKに始まり全てのポジションは今大会出場していない選手で構成される、誰もが思った。私もそのメンバーでも面白いと思った。GK楢崎、DF坪井、伊野波、…. MFには水野、2トップは佐藤と矢野?でも高原に得点王を取らせたいので…. 韓国はベストメンバーだろう。でも選手達は疲弊している。その方が日本に勝機があるのでは…. と想像したが、蓋を開ければ日韓両チームこれまでとほぼ同じ“レギュラーメンバー” 。韓国は崔成国が怪我で使えない。DFラインは右から呉範錫、姜敏壽、金珍圭、金致佑。ワールドカップ組の金東進、宋鐘国はベンチスタートだ。一方の日本は初戦のカータール戦以来、高原のワントップ。巻に替って山岸が起用された。
試合は開始早々は韓国が押してくる展開。しかし、効果的な攻撃は李天秀のドリブル突破のみ。崔成国に替って金斗が起用されたが中盤の独創性は日本の方が1枚も2枚も上手だ。韓国DF陣も後手に回りファールでしか止められない。10分には姜敏壽、37分には呉範錫が警告を受ける。39分には廉基勳が下がって李根鍋が入る。 韓国は25分過ぎから少し優位に立った時間帯があったが、それ以外は日本が前半は主導権を握った。韓国のシュートはPAの外から。日本は深く侵入しなんとか崩そうとする意図が見える。後半開始から韓国が飛ばす。55分には決定的なチャンスを作られたが李天秀がヘッドをミスしてくれた。その直後に高原が右サイドを突破するが姜敏壽が高原にボディーブローを入れて2枚目の警告を受けて退場。その前に高原が韓国DFを振り切った時に肘が顔に入ったと姜敏壽、そしてピム監督、洪明甫コーチが執拗に抗議。その3人全てが退場、退席とされてしまった。



この間5分以上も試合が止まる。そして韓国はMFの金斗を下げてDF のKim Chi-Gon を入れて4バックを再形成。これが試合のターニングポイントとなった。韓国DF陣はこの最終ラインが常に良い位置を維持し、日本攻撃陣の侵入を防ぐ。オーストラリアの様にPA内、その直前に選手を集める出なく、自軍の攻撃時(あまり無かったけど)はラインを上げ、相手にボールが渡ると日本の中盤をケアーする。こんな時ドリブルで突破出来る選手が入れば良かったのだが。日本は71分に憲剛に替えて羽生を、78分には山岸に替えて佐藤を入れると韓国は85分に呉章銀に替えて李浩を入れた。これで右サイドで攻撃時に李天秀をサポートさせようと言う事かもしれないが、むしろ守備も攻撃も出来る栄鐘国を入れられた方が厳しかったか?しかし日本の主導権は変わらず。だがゴールが割れ無い。日本ボールになっても一度スローダウンするので韓国DFラインが出来てしまう。そしてGK李雲在がこの日は当たっていた。5分なったロスタイムも過ぎ、延長戦に入り韓国ゴール前でのシーンが続く。114分に高原が下がり矢野が入る。これで前線に動きが増すが、羽生、佐藤のシュートは李雲在にことごとく跳ね返された。そして120分が過ぎた。 今大会日本は敗戦で幕を閉じた。

オシム監督の今後を問う人もいるだろう。トルシエ、ジーコは優勝したのにと。確かにコンフェデレーションズ杯には出場したかった。しかし、前任の二人は就任後2年近くが経ってのアジアカップ。オシムは1年弱だ。アジアカップはベスト4に進出し、一応の結果は出したと思う。A代表は来年、大きなイベントは無いが(ワールドカップ予選が始まるか??)再来年のワールドカップ予選(最終予選)に向けてのチームづくりタレント発掘に期待できると思う。ただ、もっともっと一人で局面を打開出来る、そしてピンチを凌げる個の力を持った選手が現れてほしい。マラドーナの様にドリブルで4人も5人も抜き去るような、ジェンチーレの様な相手のエースをストップする様な。でもそう言う選手はオシムサッカーには受け入れられないか?????しかし、組織力のみで世界を狙うのは寂し過ぎ無いか??? 昨日行われた決勝戦、イラク対サウジアラビア戦を見て強く感じた。 日本はアジアレベルでも他の列強と比較して選手個人のレベルはどうなのだろう??それは組織サッカーの中に埋没しているのか?それともそれが力量なのだろうか・・・・・・・・ 

あぁ韓国に負けて大会を終わるのは悔しいなぁぁぁぁ……..

 

この試合後 AFC のWEB でピム監督辞任の報道が。日本に勝ったからもういいだろう・・・・・という感じかな?? 何だか韓国代表監督への同情を禁じ得ない。ヒディンク以外の監督は受け入れないのではないかな???

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無念の準決勝敗退 しかしまだあと1試合…. Saudi Arabia 3-2 Japan

2007-07-28 | Asian Cup

7月25日。ヴェトナムのハノイで行われた準決勝サウジアラビア戦。日本は常に先行される展開を最後まで挽回出来ずに敗退。決勝進出、そして大会3連覇はならなかった。
1984年大会から6大会、アジア大会は日本とサウジアラビアが3大会ずつタイトルを分け合っている。この準決勝を乗り切れば日本の大会3連覇も見えて来ると思ったが。まぁアジア大会3連覇はマスコミが考えている程簡単に達成できるわけでは無いと思っていた。決勝トーナメントの組み合わせが決まった時、準々決勝がオーストラリア。準決勝はサウジアラビア戦そして決勝戦はイランが勝ちあがって来ると思っていた。これぞアジアの戦いとワクワクした。
サウジアラビアはグループリーグ初戦の韓国戦を観戦したが、今大会はこれまでと少し異なると言う印象を持った。これまでのサウジの特徴は手堅く守って素早いカウンター。と言う印象が強かった。今回も同じプレースタイルであったが、これまではサウジアラビアのカウンター攻撃はサイド・オワイランの様に個人のスピードあふれるドリブルがベースとなっていたが、今大会のサウジアラビアはボランチからワンタッチ、ツータッチで前線の強力な二人、9番のマレク・アルサウハウィ、20番のヤセル・アルカフタニに繋ぐのが目に付く。更に2列目アフメド・アルムサがよく起点になり前線の二人がそれにからむとかなり厄介だ。
それに大会の最終登録メンバーを観た時に、またもこれはあららと思った。その筆頭はアジア屈指のキーパー名門アル・ヒラル所属の34歳のベテランGKの Mabrouk Zaid がメンバー入りしていなかった事だ。また昨年の日本戦にも出場したDF陣を統率する2004,2005年連続ACL王者、名門アル・イティハード所属の25歳。 アル・モンタシャリもいなかった。昨年のワールトカップそして前回のアジアカップにも出場している。2005年にはAFC Player of the Year に輝いた選手だ。(それは候補だったイランのカリミ、日本の中村俊輔が都合で表彰式に参加出来ない為だったとか?) 
中盤の要アル・イテハードの所属の昨年のワールトカップでは2列目の右に配置されたモハメド・ヌール。アル・ヒラル所属のFWでワールドカップのチュニジア戦でゴールを決めているサミ・アルジャベル、アル・アリ所属のDF フセイン・アブドゥール・ガニ、今年1月UAEで開催された Gulf Cup のカタール戦でゴールを挙げたモハメド・アルシャルフーブら中心選手になるのでは思われている選手も見当たらず、サウジアラビアと戦う前のスカウティングは本当に苦労すると再認識をする事になった。
スタメンを見るとヤセル・アルカフタニ、マレク・アルサウハウィは当然スタメン入りしていたが右サイドの右サイドのアル・ヒラル所属28歳でワールトカップメンバーオマール・アム・ガムディはベンチに。前のバーレーン戦でもベンチスタートだった。
一方の日本はオーストラリア戦と同じスタメン。心配だったのは選手達のコンディション。訊けばハノイの天候はバンコックよりも気温、湿度が高く開催国の中でもっとも厳しい気象条件であったとか。サウジアラビアは準々決勝までインドネシアでゲームを行っていた。ハノイまでの移動のハンディはあったかも知れ無いが逆に厳しい気象条件下で3週間以上過ごしていた日本選手の方が疲弊していたのでは無かったか? 試合は開始から日本がボールを支配する。だが支配率70%以上と言う数字。このレベル同士の戦いでこれだけ一方的な展開になるのはサウジアラビアの意図的な作戦にほかならない。日本はゴール前に迫るがアタッキングゾーンではサウジのしつこいDF陣の前にシュートが撃てない。前線の高原もお疲れのせいか切れがやや….. この時間に先制しておればと言われるが、オーストラリア戦の後半同様、ドリブルで抜ける選手がいないので人数を掛けて守りきれると言うドス・アンゴス、サウジアラビア監督の方策通りだ。 25分あたりからボランチのハレド・アルタケル、サウド・ハリリが前にせり出してきてサウジアラビアが徐々にボール支配率を上げる。2列目の両サイド、アブドルラハマン・アルカフタニ、タイセル・アルジャサムの押し上げもあり、加地、駒野が上がってこれ無い。そして俊輔も身体が重そうだ。この時間鈴木と憲剛の頑張りがなければもっと早い時間に失点していただろう。 35分に遠藤がサウジ選手からボールを奪うとそれがファールに取られ FKに。いやな位置だ。その A・カフタニから送られたFKに加地と競り合いながらM・アルサウハウィが頭で落とした所を素早く反応した警戒すべきY・カフタニに蹴りこまれて先制を許す。



これで日本はヴェトナム戦から3試合連続先に失点を喫した事になる。それも全てCKからだ。しかしすぐに挽回するのもこの大会の日本の強み。2分後に遠藤のCKから中澤がヘッド一発で追いついた。



前半は得点を挙げるより無失点で終わってほしいと思っていたのだがその両方とも叶わなかった。後半に入っても両チーム交替選手がおらず、そのままの布陣で始まったが、サウジアラビアは立ち上がりから攻め込んでくる。そして47分にスローインから右サイドを崩される。タイセル・アルジャサムから上がって来た右サイドバックのアフメド・アルバハリに上げられたクロスにマレク・アルサウハウィに飛び込まれてまたリードを許す。その前に阿倍が被ってしまったのも痛かったが、このM・アルサウハウィは身長が170cmに満たないが韓国戦でもドリブル突破のみならず上背のある選手をかき分けてヘディングシュートに持ち込むシーンが何度かあり、ジャンプ力とそのタイミングに長けているところをここでも見せつけられた。
しかし、再びすぐに追い付く。波状攻撃を見せて一旦クリアーされたが、攻撃参加した阿部が芸術的なオーバーヘッド(バイシクル?)シュートがサウジアラビアゴールネットを揺らす。遠藤のCKから高原が頭で折り返した所をエリア外から阿倍が決めたのだが、初戦の終了間際の失点に繋がるファールを犯したり、この試合の2失点目の遠因になったりと色々やり玉に挙げられた阿倍だがその名誉を挽回した。
しかし着地した時に着いた手首がいたそうだ、でも残り約40分、頑張ってほしいなぁ… と思う間もなくその4分後に三度リードを許す。M・アルサウハウィが今度は左サイドをドリブルで突破、阿部が振り切られ、切り返され後ろの中澤も対応できずに最後に撃たれたシュートは川口を破りこの日2点目、チーム3失点目を喫してしまった。


“この1点はおおきぃなぁ….” 思わず呟いてしまった。2失点目と異なり、同点に追い付いて間もなくリードを許す失点。日本に精神的ダメージを、サウジアラビアに勇気を与える1点だった。以降はサウジアラビア選手のしつこいマークが目立つ。足が長く、スライディングも遠いところから届く。さすがにアジアのトップクラスだ。1993年ドーハでのワールドカップで KAZU にしつこくまとわりついたサウジアラビアのディフェンスを思い出す。サウジアラビアはここで一気にラインを下げてしまわず60分にアフメド・アルムサを入れてきた。これで中盤戦を前でさばこうという方策だ。68分に日本は巻を下げて佐藤を、75分に遠藤に替えて羽生を入れる。俊輔がいまいち攻撃の起点になっておらず遠藤が前線で頑張ってくれていたので、この交替は.. と思ったが、この羽生の運動量が前線を活性させる。しかしシュートに繋がらない。時間が刻一刻と過ぎる。3年前のアジアカップ準決勝戦もロスタイムで中澤のゴールで追いついたが、この日のサウジアラビアDF陣は3年前のバーレーンより強固だ。87分には憲剛が下がって矢野がはいり前線の枚数を増やす。サウジはCBのワリド・ジャフタリ、ボランチのS・ハリリを下げてくれたので日本にボールが回るようになり、クリアーボールも日本が拾う様になる。ロスタイムが5分と示される。そして47分羽生のミドルシュートがクロスバーを叩く。あぁサウジアラビアはまだツキがある。準々決勝ではウズベキスタンが放ったシュートのうち5本がポスト、バーを叩いた。特に1点を返され、更に終了間際の決定的なシュートはクロスバーの内側を叩いた危ない弾道だった。その後もPA近くまで迫るが…. 49分にCKを得る。川口までエリアナに入る。そのCKをサウジDF陣はコーナーに逃れ、さぁ次のCK…. と言う時に無情のホイッスルが響き渡った。あぁ時計の針はまだ49分台なのに…. 大喜びのサウジアラビアイレブン達。アジアカップでの日本戦の連敗を3で止めた。

う~ん。しかし、負けたものは仕方がない。いいサッカーをしてもアジアでは確実に勝てるわけでは無い。だが今大会のサウジアラビアはマレク・アルサウハウィ、ヤセル・アルカフタニの一人で戦局を打開出来る2トップがいた。CBの二人ワリド・ジャフタリ、オサ・ハウサヴィは高原、巻に対してタフなマークだった。日本はビルドアップに徹するあまり、最後のリードされている時間での思い切りがあっても良かったのではないか? PAのすぐ外で俊輔が何度も、しかも終了15分前あたりから、正面でボールを持つシーンが。そこから撃ってもよかったのではないか?オシム監督に怒られるか?? DF陣、阿部、中澤、加えて次のワールドカップ予選を考えれば中東勢対策を考えればストッパータイプの選手も必要だろう。(それが闘莉王か?)そして一人で局面を打開出来る点取り屋も….かつての釜本の様なFW選手やストッパータイプのDFは今はもう流行らないのか……. こう言う大会を勝ち抜くにはフォーメーションのヴァリエーション、そして選手のヴァリエーションをいくつかそろえて置く事が必要であろう。そして…… 幸運だ。今大会はサウジアラビアには幸運が….. この幸運、次のワールドカップ予選に日本に降りて来る事を祈るよ。 

 

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Asian Cup 紀行 さぁアジアカップモードに.... 7月8日シンガポールから

2007-07-28 | Asian Cup

7月8日夕方。シンガポールのチャンギ空港に到着し、税関をくぐり抜けタクシーに乗り込んでも外は日が高くまだ明るい。時刻は現地時間の午後7時少し前。これならホテルに到着してもこの日行われるオーストラリア対オマーンの試合をテレビで見られそうだ。途中で渋滞に巻き込まれる事もなくホテル付近に着いたのは午後7時半少し前。しかし、ここからが少しトラブルがあった。タクシーの運転手がホテルの名前を聞き間違え、いや正確には見間違えたのだ。数百メートル離れたホテルに付けようとしたのだ。英語はシンガポールの公用語のひとつだが、実際タクシーの運転手は中国語の方がよく通じる。だから目的地に行く時は必ず行き先の住所を書いて渡す事にしている。そのメモを彼はしっかりと見たはずなのだが。もう一度ホテル名と住所が書かれた紙切れを渡す。場所は私の方がわかり、数百メートル引き返せば済むのであるが、この路は一方通行で引き返すことができない。そこから降りて歩いた方が早かっただろうが、この蒸し暑さでは….いくつもの通りを曲がってやっとホテルに。チェックインを済ませて部屋に入り、荷物を解く前にテレビのスイッチを入れる。
シンガポールは今回のアジアカップには出場ていないが、STAR SPORTS チャンネルでアジアカップの生中継が視れるとAFCのホームページで調べた。このホテルは、出発前にエイビーロードのホームページから予約したのだが、選択の理由は“衛星放送視聴可”と記されていた為だったのだが…….. チャンネルを回しても回しても映るのは地上波ばかりでアジアカップの気配はさっぱり無い。おかしいと思いフロントに駆け降りて尋ねると“当ホテルは衛星チャンネルは契約していません….” と言う返事…….. 宿泊代金は既にネット予約の時に済ませてしまっている。今さら他のホテルに替えるのも…….
トホホな気分で外出する事にした。 シンガポールは至る所で外にフードコートが出ている。そこで夕食を摂るのも楽しみの一つだ。それに5年前のワールドカップ日韓大会の時には至る所で大型テレビが客寄せの為に配置され、何試合かテレビ観戦を楽しんだものだ。このアジアカップも….. と思ったのだが、何箇所か大型スクリーンを視たが中継されていたのは ESPN の F1 中継であった。そこで思い切ってあるフードコートで“アジアカップが視たいので STAR SPORTS チャンネルに回してく”と頼むとすぐにチャンネルをまわしてくれた。 しかしアジアカップの中継はやっていなかった。チャンネルを替えてくれたおばさんに御礼を言い、ただで去るのは悪いのでコーラを1杯買ってその場を離れた。
元々、今回は溜まりに溜まった振替休日を使って10日程の行程でアジアカップ遠征に出掛ける予定であった。特に日本が1次リーグを戦うヴェトナムはまだ行った事がなくて楽しみにしていた。しかし、どうしても外せない仕事が入ってしまった。だから日本の初戦となるカタール戦を自宅でテレビ観戦してから出発する予定で2週間程度の東南アジア出張を組んだ。そして仕事の無いヴェトナムには行けなかった。しかし、突然更に予定を大幅に狂わす事が。7月29日に参議院選挙が行われることになった。選挙自身は全く関心がなかったのだが、それによって自治会の納涼大会が1週間繰り上がる事になった。その納涼大会では催しの一つとして小学校6年生になる息子が同級生達と“よさこいソーラン節”を踊る事になっていた。このよさこいソーランはこの納涼大会では目玉催しの一つで毎年息子の通う小学校の6年生達が披露する。息子が小学校に入学以来この日をずっと楽しみにしていたのだ。だから今年の納涼大会は絶対に逃せない日であった。
それがたかが参議院選挙で…… ハッキリ言って私は政治家と言うよりも国会議員選挙が大嫌いだ。議員達など選挙前だけ上辺だけ頭を下げて当選したとたんに“先生と呼べ”とかでかい態度。それに議員になったところで自分の利権を死守する事しか頭になく選挙公約など実行する者等などだれもいないのだ…..
なんて愚痴を心の中で叫びながら、ホテルから10分程度歩いた屋内のフードコートに行き夕飯を。焼き豚とチキンライス、コーラで締めて約SG$10.00 。ホテルに帰って日本円に計算すると… 約800円。あぁここにも円安の影響が。これまでシンガポールドルは70円以下であったのだが。今回の出張では東南アジア各国で円安を見る事に。しかし物価の安い地域なのでそれほど財布に影響はなかった。これがオーストラリア、ニュージーランドなら大変だ。ホテルで翌日からの顧客訪問準備に入りメールをチェックする。最近はどのホテルも有料だがワイヤレスでネットに繋ぐことが出来る。そしてオーストラリア対オマーンの試合結果を調べる為に AFC の WEB SITE を開く。試合は 1-1 で引き分け。しかも終了直前に Tim Cahill のゴールでオーストラリアが辛くも引き分けを拾ったとの事であった。前日はタイがイラクと 1-1 で引き分けただけに次節が面白くなってきた。そして睡魔が襲って来たのでベッドに潜り込んだ。
明日はバスで国境を越えてジョホール・バルに行かねばならない……

夜中に強烈に喉が渇いて目が醒めた。時計の針を見れば午前1時少し過ぎだ。 SEVEN ELEVEN で買ったミネラルウォーターを飲みながら何気なくテレビを点けると何とアジアカップのオーストラリア対オマーンの中継が。1Channel での録画中継だが、このチャンネル何なのだろう?しかし目の前ではアジアカップの試合が繰り広げられている。試合は後半に入ってオマーンが1点リードだ。オーストラリアはピッチ上に Kewell も Viduka もいるがすごい発汗量だ。黄色のユニフォームが汗でぐっしょりと濡れている。それに動きが鈍い、なんてものじゃない。全てのパスが足下でしか受けられない。なかなかシュートレンジにまで持ち込めない。その上オマーンのGKはアジア屈指のアリ・アルハブシだ。決定的に崩さないとゴールネットは割れそうにない。そしてオマーンの選手達が生き生きと動いている。アマド・アリ・アルホスニ、ファウジ・ヴァイド・ドゥールビーンらが決定的なショットを放つが、オーストラリア GK シュヴァルツァーがファインセーブの連発で追加点を阻む。2点目が入っていたらオーストラリアのアジアカップは終わっていたかもしれない。1時半になると画面は突然ニュースが始まった。後で知ったのだがこれはタミル語ニュースだったらしい。睡魔が再び襲って来て、試合結果は判っていたので再びベッドに潜り込んだ…

翌朝は8時に目が覚めた。外は曇り空。そして路面は濡れている。雨が降った様だ。早速日課の??ジョギングに出掛ける。ホテルからシンガポールのシンボルと言われているマーライオン公園までは走って約20分。その少し先まで走り50分強の行程を走るのだが、10分も走ると汗が噴き出してくる。さすが赤道に近いシンガポール。



マーライオン公園の対岸を走り抜け様とするが、これまで見た事のない海を背にしたステージが造られた屋外のイベントホールが建てられていた。前夜かその前か、ここでコンサートが行われてフィル=コリンズ達が歌ったそうだ。まさか、ここでワールドカップで観た様なアジアカップのパブリックビューイングなどでは… と思ったが。


ホテルに戻り朝食を摂りジョホール行きのバスが発着する Bugis バスターミナルに徒歩で向かう。蒸し暑い空気を感じるが朝走って汗を絞ったので身体がよく動くのが解る。SG$2.40 ( 約200円)の切符を買い指示されたバスに乗り込む。中は空調がよく効いている。約30分弱で Causeway の Check Point に到着。この時間は国境越えの人は少なくスムースにシンガポール出国手続きを終え、またバスに乗り込む。そして今度はマレーシア入国の手続きを。シンガポールの税関に比べると何とも粗末な設備だ。入国カウンターも少なく、いつもは待たされるのだが上記した通り人が少なかったのであまり待たずに入国手続きを済ませられた。
Checkpoint を抜けてマレーシア側に入国をするのだが、地下道にはシンガポールでは見なかった浮浪者がいたり、いきなりたばこ売りの女性や子供が寄って来たりと両国の経済格差を感じる事になる。タクシーを捕まえて顧客の所に向かうが、乗客が外国人だとまずメーターを回さない。行き先を伝えると通常の3倍近い料金を吹っかけて来る。何度も来ているので大体の相場はわかるので2倍以下に値切る。それでも貨幣価値が安いのであまり気にならない。(ただしこれが出張で無く自腹の旅行だともっと粘るやろなぁ…)
途中でラルキン競技場の近くをタクシーが通る。10年前、イランとのワールドカップ予選が行われた競技場だ。あの時テレビを通じて初めてワールドカップ出場を決めた感動は忘れられない。このジョホール地区には日系のスーパー JUSCO が4店舗あり、最大級の Teblau City 店は昨年1月にオープンした。週末には国境を越えてここに買い物にくるシンガポール人も多かった。同じ製品でもここマレーシアなら価格が安い。額面はほぼ同じだがマレーシアリンギはシンガポールドルの半分以下なので同じ製品でもシンガポールで購入するより半分以下で入手可能という事だ。
商用を終えてシンガポールに戻る為にタクシーを乗る為にJUSCO のタクシースタンドに寄るがその前にスポーツ用品店に足を運んだ。 NIKE コーナーにはアジアカップの公式ポロシャツやTシャツが売られている。そこに今大会のマークの入った黒のポロシャツがあった。他にもTシャツやマレーシア代表チームのオフィシャルレプリカがあった。 NIKE のポロシャツと青色のJAPAN のTシャツが気に入ったので購入する事に。ポロシャツが MYR89 ( 約 3,200 円 ) Tシャツは MYR50 ( 約1,800円 ) まぁ NIKE だからと….. そして “ NEWS AGENCY “ に寄り英字新聞 New Straights Time を買う。すると雑誌コーナーの1冊に中村俊輔の写真のアップが。(もう一人 Tim Cahill も映っていたが。)ASIAN CUP の Official Guide Book だ。出場国全選手一人一人の所属クラブ等がアップの顔写真付きで紹介されていおり大変有難い。しかし、AFC が最終メンバー決定を大会開幕直前まで引っ張ったので、予備メンバーも含めての紹介だ。この本も購入する事に。1冊 MYR15.20 ( 約550円 ) だった。さすがホスト国。このまま数時間滞在してこの日行われる日本対カタール戦のテレビ観戦のチャンスを模索しようか……… しかし、予定通りホテルに帰る事に。
タクシーで 先ほどバスを下車した Customs に向かう。先に出国手続きを済ませて今度はシンガポール行きのバスを待つ。乗車賃はマレーシアからは MYR2.50 ( 約90円 ) でシンガポールからの半分以下だ。シンガポールに向かう人が多い。バスに乗り込みシンガポール側の入国に向かう。パスポートコントロールを抜けると携行荷物をX線装置に通さねばならなかった。今シンガポールでは煙草、アルコールの持ち込みを厳しくチェックしている。それらは本数にかかわらず課税されるらしい。それは問題無く通貨したのだが、 Bugis まで行くバスがなかなか来ない。30分以上待ってようやくバスに乗り込めたのだが、このシステムがどうなっているのか未だにわからない。バスの運転手が Smuggler でも働くとおもっているのだろうか?
バスが Bugis のバスステーションに到着しホテルに戻ったら午後7時少し過ぎであった。テレビを回すが Asian Cup は視れそうもない。昨日オーストラリア対オマーン戦が録画中継された1チャンネルに合わせてそのままにしておくと、テロップが出てきた。どうやら午前0時からアジアカップの日本対オマーンが放映されるらしい。(英語じゃないのでよく解らなかったが)外出して昨夜と同じフードコートで夕食を摂りホテルに戻ると、仕事の疲れからか眠ってしまった…….

目が醒めたら午前0時20分過ぎだった。1チャンネルに合わせる。眠ってしまったせいでまだ結果をしらない。まだ両チーム無得点ずつだ。ボール支配率は日本が上回っている様子。しかし最も警戒すべき Sebastian=Quintana がボールを持つと彼一人で一気に日本ゴール近くまで迫って来る。だが彼一人ではシュートまで持ち込めない。日本も時間が経つに従いやや動きが重くなったか?しかしカタールは更に動きが少なくなる。日本は両サイドを使ってヴァイタルエリアに迫るが高原にボールが入らない。この日は高原のワントップう~ん、巻はどうした? だが先制点は日本だ。左から今野のクロスを高原が上手くボールを捕らえてゴールに叩き込む。実にあっさりと先制点が決まったが、決まる時はこんなものか? こうなるとカタールは前に出てこねばならないのだが、中盤は下がったままで Sebastian の突破に打開を見出そうとするばかりだ。 日本も中村俊輔をはじめ中盤でボールを繋ぐのだが中を絞られて最終パスが出せない。そしてもうこのまま…. と思った後半42分。Sebastian を狙ったであろう後方からのパスに Sebastian が走り込むが阿倍がそのボールに行かず Sebastian を体でブロック。ボールはそのまま川口の正面に転がるが 阿倍のそのプレーに直接FKが与えられる。それを. Sebastian が蹴るかと思ったが、他の選手が蹴る素振り。すると Sebastian が“俺が蹴るんだ”とばかりにその選手の腕を掴む。 Sebastian の放ったショットは壁をすり抜けそのままゴールネットへ。川口が何か叫んでいる。こんな時間に…. と思うが、それをきちんと決める Sebastian も流石だ。日本はこれで目が覚めたか羽生があわやのシュートを放つがゴールネットを揺すれ無い。そしてタイムアップ。この結果を最も喜んだのは前日 UAE を 2-0 で破ったヴェトナムだろう。試合後、オシム監督が激怒した事は翌日のネットニュースで知った。大会5日前にようやく現地入りし、メンバーが揃った事が悪影響を及ぼさねばいいのだが……. 日本は次戦、これ以上負けられない UAE が相手だ。 試合終了後睡魔がやって来たのでベッドに潜りこむ事に。

翌日はシンガポールで営業。そして翌々日はジャカルタへ移動だ。明日は晴れるだろうか?……



あぁ 疲れた でも良かった しかしこれから,準決、決勝

2007-07-25 | Asian Cup

4月21日早朝、バンコック発のシンガポール航空機で成田に到着。成田空港は雨だった。
当日夜は日本対オーストラリア戦の試合があったが、その前に、小学校6年生になる我が愛息がこの日行われたこの地域の納涼大会でよさこいソーラン音頭を披露する事になっていた。
毎年夏に行われるこの納涼大会には小学校6年生がこの“よさこいソーラン”を披露する。子供が小学校に入学以来この日をずっと楽しみにしていた。しかるに成田空港での降雨を観た時は心拍数が激増したのは言うまでもない。
幸い、私の居住地区の埼玉県越谷市では雨は降らずに無事に“よさこいソーラン”は披露され、納涼大会に訪れた人々から大拍手大喝采であった。 それはアジアカップで高原がゴールを決める度にスタンドから送られた拍手に匹敵するものであった。
そして家に帰り、大一番のオーストラリア戦をテレビ観戦する事に。本当はハノイのスタンドで観戦したかったのだが“よさこいソーラン”は6年間楽しみにしていたイベントであったので…..

試合は先制されながらも高原のゴールで追いつき、最後は川口のファインセーブでオーストラリアにリベンジ。
本当によかったぁ….. と思わせてくれる結果に終わった。
オーストラリアではこの敗戦に物議を醸しているらしい……
これで次回からのオーストラリア出張は胸を張っていけるぞよ。

それにしても忙しい毎日で旅の疲れが取れない。今日はサウジアラビア戦。

オーストラリア戦の分析や既に終わった1次リーグの観戦レポート。そしてアジアカップ紀行を順次アップしていきます。 ご期待下さい。 ( 誰も期待していないか……. )

それにしても忙しい。そして疲れが….. これを癒してくれるのはアジアカップの優勝か?それとも…… アジアのかわい子ちゃん達が懐かしいなぁ…….

ウズベッ!!キスタァン!! ベスト8進出 !! Uzbekistan 3-0 China

2007-07-20 | Asian Cup
もう10年も経つのかぁ….. 1997年10月11日。ウズベキスタンの首都タシュケントで行われたフランスワールドカップ予選。前半に許したカンバラエフの先制ゴールを挽回出来ずに時間は刻一刻と過ぎついにロスタイムに。中継をしていたNHK のアナウンサーが “いよいよ苦しくなってまいりました。” と言ったのを聞いた私は本当に内臓がよじれる様であった。そして井原から上げられたロブを前線の呂比須がヘッドで合わせると、ウズベキスタンの GK は走り込んだ KAZU の動きに惑わされ一瞬ボールを取る動作を止めた。そしてボールはそのままウズベキスタンゴールに転がり起死回生の同点ゴールが生まれた。このゴールが無ければ日本のフランスワールドカップ出場は無かっただろうし、また KAZU のこのフェイントこそ修羅場と経験をいくつも積み重ねてきた選手だからこそここで出て来たものと今でも信じている。
そして2年前の9月に同じくタシュケントで開催されたドイツワールドカップ予選プレーオフのバーレーン戦。世紀の誤審と言われるPK取り消しの判定が原因で再試合となり、結局バーレーンがアジア地区5位の座を勝ち取りトリニダードドバコとのプレーオフに臨む事に(結局負けたけど。)その時の主審は日本の吉田氏であった。

ベスト8が次々と決まる中、いよいよ最後の2つ(正確にはイランがほぼ決定的だったので最後の1つか?)を争うゲームがウズベキスタンと中国の間で行われた。中国は三日前にイランと引き分けているのでウズベキスタンとは引き分けられる。しかし、日程が中3日のウズベキスタンに対して中国は中2日で1日短い。その上、李偉鋒と鄭智のDF選手二人が累積警告で出場停止だ。一方の勝たねばならないウズベキスタンは MF Inomov を累積警告で欠いているがその影響はどうなのだろう?
夕方から雨が降り出し、午後8時になっても交通渋滞が酷かった。競技場に到着したのは丁度キックオフの時間で競技場の外からでもキックオフのホイッスルと観客の歓声が聞こえた。 急いで着席をすると10分程度時間が経過していたが、まだ両チーム無得点でほっと一安心。この試合のあった Shah Alam Stadium は1996年3月、アトランタ五輪アジア地区最終予選が行われ日本がサウジアラビアを降して28年振りにアジアの壁を破った思い出の競技場だ。造りもなかなか立派で陸上競技トラックはあるが(ただ私はこのトラックが無いと寂しい)観客席の傾斜が大変見易い角度になっており、 Bukit Jalil National Stadium と並んでマレーシアでの競技場のレベルの高さを再認識した。決勝戦はあの見難かったインドネシア・ジャカルタの Gelora Bung Karno Stadium で開催されるが、何故決勝戦は AFC 本部のあるここマレーシアで行わないのだろう?と不思議でならない。

中国は出場停止のDFに替って杜威と張帥がDFラインに入っている。杜威は中村俊輔が Celtic 入りした後に Celtic にやって来たが数カ月で帰国した過去がある。また GKが1,2戦スタメン起用された李雷雷でなく楊君が起用された。一方のウズベキスタンは大勝したマレーシア戦で MF Inomov Islom が今大会2枚目の警告を受けて出場停止。スタメン3人を入れ替えて来た。立ち上がりは引き分けても良い中国が攻勢にでる。19分には周海濱のFKが直接ゴール枠に飛びGK Nesterov がパンチで弾きコーナーへ.。そのCKから邵佳一が頭で合わせるが僅かに外れる。イラン戦2得点の毛剣卿がこの日もよく前線でチャンスにからむが、毛へのマークは最初から厳しい。ウズベキスタンはややラインが引き気味でカウンター狙いだが、右サイドの Ibragimov Aziz のサイド攻撃が起点になる。 21分には Ibragimov が右サイドを突破し入れたクロスに Bakaev が頭で合わせるが孫継海が何とかコーナーに逃げる。26分にはその孫継海が倒されててFKを得る。中には毛剣卿と韓鵬が入るが中国の選手達は結構上背がある。まぁウズベキスタンもアジア系が多く、北欧の選手のように皆が長身と言うわけでは無いが。 30分を過ぎる試合が徐々に激しくなって来る。32分に Djeparov が韓鵬を倒せば、その後のカウンター攻撃から Djeparov が今度は邵佳一を倒す。やがてウズベキスタンが主導権を握る出す。34分に Ibragimov の入れたクロスの旦跳ね返りを Shatskikh がフリーで撃つが外れる。37分にも Djeparov のポストプレーから Shatskikh が撃つがシュートはゴロで力無く GK 楊君の正面に。39分にも Bakaev が右サイドを突破し中で受けた Shatskikh が体を反転させ左に送るがそこには誰も走り込んでいなかった。 試合前ウズベキスタンの選手はBukit Jalil と比較して Shah Alam のピッチ状態がいまいちだと言っていた。そして試合開始前から少量とはいえ雨が降り続いておりテクニックを駆使する選手には不利なコンディションだが、 Shatskikh はどちらのタイプの選手なのだろう? 40分にイラン戦2得点の毛剣卿 が王棟と替ってベンチに下がる。怪我でもしたのかな?その後もウズベキスタンの攻勢が続く。またも Ibragimov が右サイドを突破し Shatskikh へナイスクロスを送るが僅かにオフサイド。43分にはスローインをヘッドで落とし Djeparov が強烈なミドルを放つ。そして中国はウズベキスタンの猛攻を何とかしのいで前半を終えた。ちょっと中国は劣勢だなぁ…..

私が座っていた座席はウズベキスタン大応援団のまん真ん中。熱心に声援を送るリーダーに合わせてリズムよく声援を送る。訊けば殆どが本国からの応援ツアーとの事。面持ちを見ると結構アジア系の顔つきが多く親しみを感じてしまう。一方の中国は大応援団がバックスタンドに集っているのでイラン戦の様に両国の声援が入り混じる事は無いのが第三者としては少し物足りない。


後半、中国はどうやって勝点を確保するのだろう。そしてウズベキスタンは勝つためにどういう戦術をとるのだろう?開始早々今度も中国が攻勢にでる。53分には韓鵬がミドルが放ったミドルは GK Nesterov がセーブ。60分にはFKを孫祥が直接狙うがこれも Nesterov がコーナーに逃れる。このCKを孫祥が上げてこぼれたところを韓鵬が撃つが入らない。 前半もそしてイラン戦もそうだったが立ち上がりの中国は攻勢を見せて相手DF陣をゴール前に釘づけにするのだが得点が入らない。入っておればもっと楽な展開になったであろう試合がいくつあったのだろうか?ウズベキスタンもエース Shatskikh の決定力がもう少しあれば既に何点か決まっていただろう。 63分には Ibragimov からの右クロスを Djeparov が落とし Shatskikh が体を反転させて撃つがゴール枠を外れ、66分には良いクロスが入ったがシュートをだふってしまい、そのこぼれたところを Djeparov がフリーで撃つがヒットしなかった。
そして67分この試合の明暗を分けるシーンが。カウンターから左に展開した中国が最後は邵佳一が放ったシュートはゴール右上隅を直撃。それも内側に当たったでは無いか?あと数センチ奥に入っておればリバウンドボールはネットを揺らしていただろう。 69分に中国ベンチは董方卓が下がって趙旭日が入ったが、董方卓はイラン戦では途中出場。中国には4人の欧州でプレーする選手がおり董方卓はその中でもホープだったのだが….. 大会後 Manchester United でポジションを獲得できるだろうか?
71分ウズベキスタンがついに待望の先制ゴールを挙げる。左からのクロスに Shatskikh が頭で合わせる。GK 楊君が一旦はセーブするがそのこぼれ球は Shatskikh の前に転がり、そのまま押し込み、不振のエースがようやく貴重なゴールを決めた。大喜びのウズベキスタンサポーター達。後半はスタジアム見物を兼ねてウズベキスタンゴール裏にいた私の目の前では李鉄がそのシーンを静止している。彼の登場はあるのだろうか?



しかし78分にDF 張帥 に替って投入された FW は朱挺であった。 FWを増やした中国はようやく目が覚めたのかここから攻勢を見せる。 韓鵬が左から上げたところを邵佳一がヘッドを撃つが枠には飛ばない。82分には右から入ったクロスに邵佳一と Karimov が競り合い、こぼれたところを韓鵬が撃つがこれも外れる。孫継海、杜威もどんどん上がるが得点には至らない。バックスタンドの中国人サポーター達の声援が悲鳴に聞こえて来る。そして元の席に戻った私はウズベキスタンのサポーター達はウズベクの選手達が好プレーを見せる度に大声援を上げる。そして86分さらに歓喜が彼らを包む。右サイドで得たFKに Shatskikh が飛び込むがかぶってしまう。しかしそのこぼれ球を Kapadze が蹴り込んで2点差とした。もうウズベキスタンの応援席は大騒ぎだ。


ロスタイムが何分あるかわからないが、これから中国は2点を挽回出来るだろうか? 88分に韓鵬がミドルを放ち惜しくも右ポストを僅かに外すが、そのこぼれ球を韓鵬自らが拾いGKスポットにセットし、まだまだあきらめないと言うシグナルを送る。ロスタイムが4分と表示される。2点を取れない事は無い。右から上げられたクロスに韓鵬が飛び込むが合わない。そしてウズベキスタンDFと交錯したのか倒れて起きられない。しかし試合はそのまま進み、中国PAエリアの左サイドで後半から出場している Geynrikh が周海濱に倒されFKを与えられるが、韓鵬が倒れて起き上がれ無いので試合が止められる。韓鵬は遠目には全く動かない上に担架にも乗せられる気配がないので少し心配だ。しばらくするとウズベキスタンの応援団から China ! China !! の声援が飛ぶがこれは “早く試合を始めて勝利のホイッスルを”との督促だろうか?結局韓鵬が担架に乗せられ外に出され試合が再開になった時は後半54分になっていた。そして仕切り直しのFKを Geynnikh が蹴ると朱挺の下腹にもろに当たり朱挺が倒れる。そのリバウンドがそのまま Geynrikh の前に転がり再び Geynrikh がそのまま中国ゴールに叩き込み試合を完全に決定付けた。 しばらく朱挺は倒れて動けない。彼は3失点目をまだ知らないのではないか?ようやく立ち上がってキックオフのポジションに向かって走るが、そのキックオフから数秒後に試合終了のホイッスルが吹かれ、ウズベキスタンのベスト8進出が決まった。選手、役員、そして大サポーター達は狂喜乱舞している。アジアカップ2大会連続のベスト8。目標は1994年アジア大会以来のアジア制覇か?
一方の1980年大会以来7大会連続決勝トーナメント進出を果たした中国はベスト8入りならず。この試合もそうだがあの攻勢時のチャンスのどれか一つが決まっておればと思わせられる大会となるであろう。(まぁ中国の決定力不足は昔から日本以上だけど。)それでも中国イレブン達はサポーター達にしっかり挨拶をして控室に戻って行った。 そして私は翌日はバンコックに移動し、準々決勝が始まる前に帰国する事に…… さよならアジアカップの現場..



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テレマカシ Asian Cup Malaysia 0-5 Uzbekistan

2007-07-19 | Asian Cup

何度でも言おう。 1970 年代から80年代の初旬までマレーシアはアジアサッカー界の列強だった。ミュンヘン、モスクワ五輪には韓国、日本を抑えての出場権を獲得。特に1980年3月に行われたモスクワ五輪予選。開催地はマレーシアとは言え大方の専門誌の予想では圧倒的に韓国が予選突破の筆頭候補であった。しかし、ソー・チー・アン、アブドーラ・アリ、ジェームス・ウォン、モクタル・ダハリ、当時のそうそうたるメンバーは予選リーグで韓国を 3-0 , 日本を1-0 で破ると決勝戦で再び対戦した韓国を終了3分前、ジェームス・ウォンの決勝ゴールで韓国を降し見事モスクワ五輪出場権を勝ち取った。(しかしモスクワ五輪はボイコット。)この時の韓国の関係者の落ち込みは大変なものであったらしい。
日本は1984年4月シンガポールで開催されたロス五輪でもマレーシアに 1-2 で敗れており、マレーシアに優位に立てる様になるにはJリーグの発足近くまで待たねばならなかった。

私にとっては“強豪”のイメージが強く残るマレーシア。しかしその名残はどこに行ってしまったのだろう。今回のアジアカップ4カ国共同開催が決まった時、ホスト国の中で一番苦戦しそうなのがマレーシアでは無いかと思った。そして案の定と言っては失礼か、ホスト国が次々と開幕戦で勝点を獲得するの中、マレーシアは中国に 1-5 で大敗している。7月14日、ウズベキスタン戦の地元紙 New Straights Times では  “ Football の事は忘れよう。マレーシアは他の競技で快挙を勝ち取った。” との見出しが。そしてその下にアーチェリーで五輪枠を獲得した記事があった。 地元のマスコミにまでこう書かれるとは…. だが 1-5 は酷すぎた。いくら相手が格上とはいえ 1-5 は….. 新聞の片隅には Norizan Bakar 監督の写真があり、我々は皆改善せねばならない事を理解している…..と言う内容のコメントが。 今度こそ地元サポーターを狂喜させられるのだろうか?
スタジアムに到着したの時はもう15分を過ぎていた。これで3試合連続の遅刻だ。 Bukit Jalil National Stadium と言う立派なスタジアムは横にも公式のホッケー競技場がある一大スポーツ Complex の中にあるので、入口にたどり着くまでが長かった。スタジアムの中からは結構大歓声が絶えまなく漏れて来る。ゴールシーンが演じられる前に着席せねば….. しかし、着席した時は既にウズベキスタンが 1-0 でリードしていた。


スクリーンに先制点のレプレイが映し出される。 Djeperov が中盤やや右側で得たFKをゴール前に蹴り込むとそのままファーサイドにいたShatskikh の前に流れていきそれを苦もなく Shaskikh は頭で押し込んであっさりと先制ゴールが決まっていた。 Shatskikh は前のイラン戦には予選での累積警告で出場出来なかったがこの試合では早速仕事をした。イラン、中国と同居する Group C においてウズベキスタンがベスト8入りするには Dynamo Kiev の中心選手 Shatskikh 抜きでは難しい。 ウズベキスタンは Shatskikh だけでなく GK の Pavel Bugaro を初め5人の選手をイラン戦のスタメンから替えてきた。一方のマレーシアも中国戦からスタメンを4人替えてきたがフランスリーグでもプレーをした事のある Ahmed Rakhil はスタメンから外れた。怪我が完治していないのか?マレーシアの最終ラインは左から Talib Rosdi, Hussain Kaironnisam, Kalliappan Nantha, Veeran Thuir の4バック。DF登録選手は3人であるが、Nantha はAFCの WEB SITE ではMF登録であったが、この日回って来た Match Summery では DF 登録。中国戦からDFを二人替えている。ウズベキスタンは Ulugbek Bakaev 以外攻撃陣を替えてきたのとは対照的だ。大量失点を喰わない様との思いだろうが、立ちあがりの痛い失点であった。それでもマレーシアは中盤でよくボールをつなぎ同点ゴールを狙う。パスがつながる度に地元サポータから大歓声が送られる、しかし最後の縦パスが中々通らない。そして26分、久々マレーシアゴール前に迫ったウズベキスタンは左サイドから Victor Karpenko からのボールを受けた Timur Kapadze がワントラップでボールを浮かしてマレーシアDFの Hussain をかわし、尚も浮玉を利用してマレーシアDF二人を抜いてフリーでシュートを放ち、追加点を挙げ 2-0 とした。さっきまで大声援を送っていたサポーター達は潮が引いたように静かになってしまった。 


そしてこの後もウズベキスタンが攻勢を続ける。36分には Anzur Ismainov のヘッドがポストを直撃、37分には Shatskikh がインターセプトで抜け出した所をマレーシアDFとぶつかりFKを得るとそのFKを Aleksey Nikolaev がちょんだし、Djeperov が強烈に蹴り込む(壁に当たる。)など以降も波状攻撃が続き、マレーシア GK Abdul Kadir Azizon も休む暇が無い。しかし、40分を過ぎるとウズベキスタンに疲れが見え始めたかマレーシアがボールを繋ぐようになり再び観客が沸くシーンが続く。42分にはゴール正面やや右で得たFKを Jahar Mohamad Hardi が直接狙いポストをかすめる。その直後も右サイドから Adan Shukor が上げたクロスを Omar Hairrddin が頭で合わせるが惜しくも外れる。43分には Mustapa Shahulinizam が右サイドを上がり入れたクロスは僅かにフリーの Indraputra に合わず、そのこぼれ球を左サイドから Mohd Yuusof Ivan が拾って上げるがウズベキスタンDFにヘッドでクリアーされる。高さではやはりかなわないか?でも連続攻撃を見せ、何とか得点の予感は感じさせられたがロスタイムに入った直後の45分にこの試合を蹴って付ける3点目が入ってしまう。カウンターから左サイドを Bakaev にフリーで抜けられ、出てきた GK Azizon と交錯。Abdou 主審は迷わずペナルティスポットをさす。 Azizon を始め数人のマレーシア選手が抗議するが判定はもちろん変わらない。しかし、この判定は少し厳しすぎ無いか?そのPKを Bakaev が自ら決められてしまった。

この時点でマレーシアの勝利はまず考えられなくなった。前半が終わってベンチに戻る選手達。地元サポーターから罵声が飛ぶが特に Bakar 監督には….. なんて言われているのだろう?

ハーフタイム中にスタジアムを見渡してみる。結構ウズベキシタンからもサポーターが来ている。この国も海外にサッカー観戦が出来るほどの裕福な人が増えたのかな?1997年ワールドカップ予選では多くの日本人が首都のタシュケントを訪れたのだけど。昔、勤めていた会社でロシア語を話す社員の何人かがここを訪れたがあの時はまだソ連時代であった。私がロシア語を話せれば色々話し掛けるのだけど…..

後半、何とか地元サポーターを歓喜させるシーンは… と思うも開始からウズベキスタンが主導権を握る。47分にはスルーパスを受けた Shatskikh が49分にはサイドバックの Innomov がドリブル突破であわやのシュートを放つ。その Innomov は直後に Ibragimov と交替するが、これを機にマレーシアが盛り返す。MF Jaafar Harid , Mustapa Shahrull は比較的簿ボールキープが出来るのでタッチライン沿いに開きそこから起点になる。そして55分に Mohd Youssof Ivan に替って投入された Muhamad Norfarhan が前線でボールキープが出来てチャンスをつくる。58分には Norfarhan のスルーを受けた Indraput が抜け出して惜しいシュートを放ち、60分には Indraput がカウンターから抜け出してCKを得る。そのCKから Hairddin がヘッドを撃つがGKの正面に。しかし、ウズベキスタンはDFラインを下げてゴール前を固める。PA付近でも1対1では体格の差からマレーシアは競り負けるシーンが続く。制空権も完全に支配下にある上に3点のリードがあるので余裕がある。そしてカウンターからミドルシュートを狙う様になる。64分には Djeparov の強烈なミドルが飛ぶ。ゴールこそならなかったが、こう言うマレーシアではお目にかかれない強烈なショットを見せられるとDF陣もびびるだろう。 67分には DF Vitaliy Denisov を下げて FW Pavel Solinov を入れるがこれで前線からプレスを掛けるのか?71分 Bakar 監督はマレーシアのスーパースター Ahmed Rakhil を投入するが、ウズベキスタンDF陣が引いてしまう前に投入できなかったか?
それでも大歓声で迎え入れられる Akmal ,早速ドリブルシュートを披露し拍手が起こる。79分には 右サイドバックの Veeran Thiru がドリブルで抜け出しスルーを攻撃参加の DF Kaironnisam に送り、そのままナイスクロスを入れるが GK Nesterov がセーブ。抜けていれば逆サイドのマレーシアの選手が二人フリーでいたのだが。時間は過ぎ、マレーシアの連敗はいよいよ濃厚になる。83分、良いボールキープを見せていた Jaafar Hadri が交替で下げられるが、 Hadri は気に入らなかったのかそのまま控室に戻ってしまった。そして2分後、左サイドの Djeperov が上げたクロスを 交替出場の Ibragimov が豪快なボレーを決めてウズベキスタンが4点目を決めた。

 Ibragimov のボレーも見事だがマークの Veeran Thiru  も簡単にクロスを上げさせては….. 更に89分 Djeperov が今度はスルーパスを Shatskikh に送りこの Dynamo Kiev の FW にこの日2得点目そしてチーム5点目を演出する。もうマレーシアはなす術なしと言う感じだ。準々決勝進出争いを考えれば中国と同様にウズベキスタンもマレーシアから5点をとった事は大きいだろう。


次の直接対決が非常に面白くなりそうだ。一方のマレーシア。試合終了後はウズベキスタン選手ともほとんど目を合わさず、観客に応えるもなく、みな伏し目がちに足早に控室に消えて行った。地元サポーター達の罵声を浴びながら。ウズベキスタンの選手達はしっかりと大応援団に挨拶に行ったのに。
試合終了後何十分も熱心に “マレーシア ! マレーシア !! “ とコールするサポーター達がいた。若い人たちが多い。彼らの心境、分かる気がする。
昔、韓国も日本もマレーシアには勝てなかったんだよ…..君達が生まれる前かも知れない。そう言う時代があったのだよ…..
それは80年代、”メキシコ五輪の栄光“を知らない我々世代が”メキシコの栄光をいつか再び“と夢見たころを同じ思いをしているのかも知れない。
いつかその日がまた来るかも知れない。協会が君達のその熱意を感じさえすれば…….

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Asian Cup 紀行 ホスト国達の明暗 16.JUL. Malaysia にて

2007-07-17 | Asian Cup
マレーシアの首都 クアラルンプール 入りして今日で3日目。今朝の地元紙 NEW STRAITS TIMES の一面の見出しには “ GAME OVER “ の大きな見出しが。昨日行われたイラン対中国の試合が 2-2 で引き分けた事によりマレーシアのベスト8進出の可能性が完全に無くなった。今大会は出場国の中で比較的ランクの下がるホスト国の進撃が大会序盤を盛り上げたがマレーシアだけは完全に蚊帳の外であった。確かに FIFA ランキング149位は他のホスト国とタイ ( 122位 ) ヴェトナム ( 142位 ) インドネシア ( 143 位 ) と比較してもランクが下で最下位のランキングであるが、初戦の中国戦 ( 1-5 ) 第二戦ウズベキスタン ( 0-5 ) は酷すぎた。他のホスト国の様にホームアドヴァンテージを活用するどころか、成す術無しと言う感じだった。そもそも大会期間中に Manchester United との協会設立50周年記念試合を予定し、AFC から公式に試合日の変更を指示されるくらいであったからこう言う結果も当然かもしれない。 今朝の地元紙にはTengku Abdullah Sultan Ahmad Shah マレーシアFootball 協会Deputy President が協会内の全ての要職から辞任する事が報じられた。これまで協会には23年間務めたらしい。そして地元紙は他の協会役員も責任を取るべきと報道。協会が設立された1957年には韓国も日本もその存在が恐れられたマレーシアサッカーが50年経って Schoolboys の様にレベルが落ちてしまったとも書かれている。1957年に遡らなくても 1970年代から80年代中盤までのマレーシアの強さを知っている私にとって、このアジアカップの結果を見てここまで弱体したのを目の当たりにして悲しい気持ちだ。日本人の私がこう思うのだから地元のベテランサッカーファンはどういう思いでこのアジアカップを観たのだろう?アジア内の上位ランク国に出場権の与えられる Asia Champions League もマレーシアのクラブチームには出場権が与えられず AFC Cup に2チームが出場権を与えられているが共に準々決勝には進出できなかった。同紙には“ THE GOOD NEWS : ENGLISH PREMIER LEAGUE のキックオフまであと26日 ”と皮肉られている。だが、こう言う報道がなされる事はまだ救いだ。18日のイラン戦は少しでも意地を見せられるだろうか?

今日も夕方から雨が降って来た。この地域は例年なら雨季に入っているらしいが、その時期もだんだんずれて来ているらしい。仕事を終え、現地時間の午後6時20分からSTAR SPORTS チャンネルで生中継されるハノイでの日本 vs ヴェトナムにチャンネルを合わせる。 クアラルンプール と言うよりもここのホテルに入ってようやくアジアカップのテレビ観戦が可能になった。日本同様アジアカップの試合は東南アジア各国、地元の試合以外は衛星チャンネルなら視られると言う事になっており、シンガポールでは衛星チャンネルが看られるホテルをわざわざ選んだのに実際は“地上波しか映りません”と言うフロントの回答。その上シンガポールはアジアカップ出場国でないので STAR SPORTS チャンネルが視られても全試合中継するわけでは無かった様だ。次のジャカルタでは1泊しかしなかったのでテレビ観戦の機会すらなし。続くバンコックではホテルのテレビは STAR SPORTS が映らず、また地上波はチャンネル7以外はアジアカップの報道をボイコットしていたので(後でわかった)日本戦の試合結果等をすぐに入手するのは容易ではなかった。

シード国、ホスト国揃って準々決勝に 


ヴェトナムラウンド 仕事を終えて部屋に戻った時は試合開始から15分くらいすぎており既に 1-1 であった。テレビ観戦にもキックオフに間に合わないのか…… テレビ画面からは地元サポーターの熱気がよく伝わってくる。この My Dinh National Stadium は確か 2003年の South East Asian Games のメインスタンド。あの時もタイとのサッカーの決勝戦で地元観客はのものすごい声援を送っていたのを思い出す。途中で鈴木啓太のオウンゴールと巻の同点のゴールが映し出される。正直このまま試合が終わってくれることを願った。そうすれば日本、ヴェトナムは揃ってベスト8に進出出来て地元サポーターには申し訳ないが日本はハノイに7月25日の準決勝まで居座れる。まぁ同時刻に始まったもう一つのカタール対 UAE 次第であるが。29分、左サイドを崩されかけるが最後は駒野が Hunyh Quang Tanh をペナルティーエリア内で倒したがPKは与えられなかった。これには助かった。そしてその直後の今度は高原が倒され良い位置でFKを得る。これを遠藤が直接決めてあっさりと逆転に成功する。場内からは当然歓声は上がらないが、日本サポーター達の歓喜する姿が映し出される。あぁ俺もあそこに居たいなぁ。前半はその後何度かヴェトナムが日本ゴールに迫る。スピードもありショートパスばかりでなくロングパスも結構正確だ。そしてスペースに上手く走りこまれる。2トップの Le Cong Vinh と Phan Thanh Binh にボールが渡るとさらに大歓声が後押しをする。この二人は共に五輪代表。8月から始まる北京五輪予選は要注意だ。そして前半を 2-1 日本リードで終えた。
ハーフタイム中にカタール対 UAE 戦のダイジェストが映し出される。あの Sebastine Quintana のPKでカタールが1点リードだ。後半に入るや否やヴェトナムが同点ゴールを目指して日本ゴール前になだれ込む、しかし追加点は日本に。ヴェトナムゴール前でボールを回し最後は中村俊輔が決めた。 これでヴェトナムは苦しくなって来た。その後も日本がほぼ一方的に攻め続ける。10分には正面から約20mの位置でFKを得て、俊輔が一旦遠藤に預けてあわやのショットを。14分には左サイド深い位置で得たFKを今度は遠藤がゴール前に上げ巻が再び体ごとボールに当てて4点目を。解説者はしきりに“日本には遠藤、シュンスケナカムラ、ケンゴナカムラがいるのでゴール前でFKを与えてはだめだ。”と何度も言っていたのだが。 以降は俊輔、遠藤、巻らがベンチに下がり次戦に備える。この時点では準々決勝の相手はまだわからなかったが。ヴェトナムも必死でボールを前に繋ぐが最後の1対1で日本DF陣と互角に勝負が出来ない。後半途中で AFC のウェブサイトからホーチミンで行われているカタール vs UAE の途中経過を検索するとAl Sharjah のゴールで 1-1 に追いついていた。2試合ともこのままで終わると最初に私が願っていた結果になる。 テレビ画面に目を移すと残り時間は10分程度、日本の攻勢が続いている。そして2分のロスタイムが終わろうかと言う時にヴェトナムベンチが映し出され Alfred Riedl監督と数人のコーチ達が握手をしている。そしてタイムアップ。日本の1位通過が決まった。そしてホーチミンの試合では U.A.E. がロスタイムに逆転のゴールを決めてヴェトナムのベスト8進出が決まった。試合が終わるとテレビ中継がさっさと終わってしまったのでスタジアムでヴェトナム選手そしてスタンドの観客が歓喜するシーンは後のニュースで観た。日本、ヴェトナムの次の対戦相手はどこだろう? そしてバンコックにはヴェトナムから大挙してサポーターが押し掛けるのだろうか?そうなると地元の人たちと何かもめそうだなぁ…… 次の対戦相手は

Socceroos サワディカ~ップ Kiatisak Senamuan



バンコックで行われる試合まで15分程度間があったので夕食をホテルの向かいにあるケンタッキーフライドチキンに仕入れに出掛けた。外は雨が降っている。部屋に戻ったのはバンコックの Rajamangala National Stadium で行われる オーストラリア対タイの試合開始直前であった。オーストラリアはメンバーを大きく替えてきた。 David Carney, Mark Milligan の Sydney FC コンビを起用し FW は Kewell を外して Aloisi を先発させ Viduka との2トップに。CBは Kisnobo に替って Beachamp が起用された。オーストラリアは2試合で勝ち点1だがこのタイ戦に勝てばベスト8が見えて来る。そうなれば Supachalasai National Stadium ( 2005年に北朝鮮対日本の無観客試合が行われた競技場 ) のオマーン対イラクの結果次第で日本と準々決勝で当たる事になる。一方のホームのタイ。この試合引き分けでもベスト8が決定する。スタメンには MF の Thonglao Datsakom, Therdsak Chaiman が外れているが FW Suchao Nutnum, そして Teeratep Winothai が起用され Kiatisak Senamuang と2トップを組む。前線に選手を並べ、先制点を挙げて逃げ切ろうと言う Chanvit 監督の作戦か?この日のキックオフは日没後の7時35分。その上雨が降っている。気温が下がり降雨の条件だと欧州でプレーする選手が殆どのオーストラリアに有利だっただろう。それでもタイは Kiatisak を中心にオーストラリアゴールを目指す。 Sripan Tawan から何度もスルーパスが通るがオーストラリアDF陣も硬い。そしてこの日は守備から攻撃に転ずるのが 早い。 David Carney の左からの速攻が効果的だ。そして21分 Beachamp が頭で合わせて先制ゴールを奪う。今大会3試合目でオーストラリアは先制点を挙げた。静まり返る競技場。そして映し出される Aussie のサポーター達。それでも以降はタイ攻撃陣が試合を支配する。ほぼ満員の大観衆がタイ選手がボールを持つ度に大歓声を送り後押しする。しかしオーストラリアDF陣はなかなかシュートを打たせない。これだけ守勢に回ればこれまでの2試合の様に消耗のしてくるのだろうが、試合時間と天候が今日は Socceroos 達を味方する。後半に入ってもタイの攻勢は続く。何とか早く同点に追いついて…とイラク戦のヒーロー Pipat Thonkanya が大歓声に迎えられて投入される。 Kiatisak からのラストパスを受けて決定的なシュートを放つが GK Schwarzer の必死のセーブに場内は溜息が。それでも同点とベスト8を目指してオーストラリア陣内で試合が進む。早く同点に追いついてくれ、さもなくば Supachalasai でオマーンが勝ってくれれば得失点でと頭で計算を始めるとArnold 監督は Cahill, Kewell を投入する。あぁ選手層の差が出ているなぁ。しかしタイDF陣も Kewell らへのマークがしつこい。しかし80分試合を決定付ける Viduka のヘッドが決まってしまった。再び観客席の Aussie サポーター達が映し出される。先週金曜日にバンコックにいた時に何人もの Aussie 達と話をしたけどこの試合も観戦しているのか?落胆の地元サポーター達。それでもオマーン対イラク戦の結果によってはまだ可能性が残るのでここで1点返せば…..しかし、 Viduka そして Kewell の連続ゴールで夢は散ってしまった。ホスト国の中では最もベスト8の可能性があると思っていたタイであったが…. 英雄 Kiatisak そしてベテラン Tawan Sripon はこれがおそらく最後の代表の雄姿だろう。それを拝めただけでも私は良かったのかもしれない。彼の後を継ぐのはこの日2トップを組んだ Teeratep Winothai であり、交替出場の Pipat Thonkanya だろう。今後の動向に注目だ。そして Soceeroos は完全に生き返ってしまったなぁ。次はハノイで日本との準々決勝だ。バンコックから移動のハンディはあるだろうが、今彼らは精神的に非常に良い状態にあるだろう。スタメンはそして日本戦に向けての方策は…. いやその前に日本の迎撃態勢は… 俊輔よ高原よ、そして川口よ、今度こそ頼むぞ。 明日は試合がないので仕事に集中できるか…. な??



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アジアのゴールデンカード Korea Republic 1-1 Saudi Arabia

2007-07-15 | Asian Cup
今回のアジアカップではオーストラリアが AFC に“編入”してきた事により、サウジアラビアがシード国から外れてしまった。しかし、シード国とホスト国を含めた8カ国はこのサウジアラビアが同じ組に最も入ってほしくなかった国のではなかったか? 
今大会、サウジアラビアは韓国、バーレーンと同居するイスラム教最大の国インドネシアのグループDに所属する事に。そして最初の試合は韓国との対戦となった。
韓国対サウジアラビア、これは1次リーグと言うよりもアジアでは“ゴールデンカード(こんな古い言い方はもうしないか??)の一つだ。韓国は対サウジ戦1994年リヤドでの親善試合に 1-0で勝って以来3連敗中で一昨年のワールトカップ予選ではホーム、アウェーで連敗している。アジアカップでも2000年大会の準決勝で 1-2 , 1988年大会の決勝戦でも0-0 のあと PK 戦で敗れている。この試合は前日にインドネシアがバーレーンを 2-1 で降しているだけに共に負けたくない試合。特に第二戦を中2日でインドネシアと対戦するサウジアラビアは絶対に引き分け以上で終わりたい試合であった。
試合のあったGelora Bung Karno Stadium はホテルからタクシーで約20分。渋滞がなければ30分はかからなかったであろう。競技場の周りには韓国人、サウジアラビア人の集団、そして前日の快勝で気勢の上がる地元インドネシアのサポーターが沢山いた。


私の座席は韓国人サポーターの真ん中。赤で統一されたその中にぽつりと一人サムライブルーの NAKAMURA のユニフォーム姿で座っていたのだがこの競技場は陸上競技のトラックがある上にその周りに壕があり、スタンドの傾斜が緩やか過ぎて非常に見通しが悪く、少しでも見易い所をと座席を移動したら、そこはサウジアラビアの大サポーター集団の近くだった。


大歓声に迎えられて両チームの選手が入場し国歌演奏が始まる、しかし最初にサウジの選手達がスクリーンに映し出され韓国サポーターからはブーイングが、李雲在が映し出されると今度は歓声に替わる。続いてサウジアラビアの国歌演奏が始まり、両選手がピッチに散っていよいよキックオフを迎える。サウジは開始39秒いきなり左サイドを突破し入れられたクロスを Marek Maaz がヘッドで合わせるがクロスバーを僅かに超える。サウジはこの Maaz が左に Yasser Al Qahatani が右に入って2トップを組む。Al Qahatani はワールトカップメンバー。チュニジア戦でゴールを決めている。韓国は曹宰榛のワントップに2列目は左から廉基勳、金正友そして崔成国の3人。廉基勳の起用はイラク戦での得点がそして李東国より曹宰榛が起用されたのはウズベキスタン戦での2ゴールがそれぞれ評価されたのだろう。そして名古屋グランパスの金正友が金斗に替ってスタメン入りしたのが個人的に嬉しかった。左サイドバックには Zenit St. Petersburg の金東珍でなく金致佑が起用され時折サイド攻撃を仕掛ける。同じ St.Petersburg 所属のワールトカップメンバー李浩もベンチスタートだ。立ち上がりは両チーム中盤を省略したロングパスが主体で、サウジは2トップに入った時、特に Maaz に入った時にそのドルブル突破からチャンスを掴む。23分には曹宰榛が打点高いヘッドを放ち24分には金正友が Walid Abdrabh Jahadli に倒されFKを得るが、セットプレーになると184cmのDF姜敏壽が上がって来る。そのFKのこぼれ球を拾ったサウジはカウンター攻撃を展開、Ahmed Al Mousa から最後は Maaz に縦パスが通り放たれたドリブルシュートはGK李雲在がセーブ。Maaz はこれで決定機を2回逸した事になる。27分にはカウンターから曹宰榛がドリブルで持ち込むところを倒されてFKを貰い、そのFKから金致佑、廉基勳と繋ぎ最後は曹宰榛にクロスがあがるがそのヘッドはGKの正面に。その直後に曹宰榛は相手DFに体当たりをしてイエローカードを貰ってしまう。20分を過ぎるとお互いにカウンターから交互にゴール前に迫るシーンが続き、見ていて面白い。そしてその度に大歓声があがる。38分を過ぎるとサウジが韓国のロングパスのこぼれ球を拾って中盤でつなぐようになって来た。それでも41分には韓国最大のチャンスをつかむ。崔成国からのクロスをオーバーヘッドで曹宰榛が合わせるがGK Yasser Al Mosailem がファインセーブ。韓国は40分を過ぎたあたりから選手がスペースに走り込んでその先でボールを受ける様になりボールがよく繋がる様になる。そして43分、今度はサウジがゴールチャンスを迎えた。パス交換から攻撃参加したDF Ahmed Al Bahri がミドルを放ち、イレギュラーバウンドしたボールを李雲在が何とか体にあてて弾き出した。 Al Bahri は昨年のワールトカップメンバーがだが出場機会は無かった。前半は得点こそなかったがお互いに素早いカウンター攻撃から観客を沸かせるシーンを多く演出した。

後半開始早々、私がジュースを買っている間に Al Qahatani が韓国ゴールにドリブルで迫り放ったショットは惜しくもゴールポストを外れて行く。ハーフタイム中に買いにいったら売り切れていたのだ….. 開始から韓国は崔成国が右サイドだけでなく左にも出て来るようになり、そこを起点にチャンスを作る。一方のサウジは 左サイドバックの Kamil Al Mousa がよく上がって来るようになった。両チームの背番号7番がカギを握る様になるか?65分にはその崔成国が右サイドをドリブルで上がり入れたクロスはGKの正面に飛びサウジサポーター達からは大歓声があがるが、その直後に韓国サポーターが狂喜の歓声を上げる事になる。左から廉基勳のきれいなクロスが入り、崔成国が頭でドンピシャのタイミングで合わせて先制ゴールを挙げた。スタジアム内に有名な “テ~ミングック !! “の大歓声が響き渡る。こう言うところで先制ゴールを決めるところは流石韓国だ。


74分には右サイド を曹宰榛、呉範錫のパス交換から惜しいシュートが飛ぶが、それは李天秀がはなったものであった。いつの間に出てきたのだろう?後でわかったのだが崔成国が得点する前に李天秀が入る準備をしていのだが、ボールアウトになる前に崔成国がゴールを決めてそのまま李天秀と交替したのであった。崔成国も残しておきたかっただろうがこの日は廉基勳の出来も良かったので左サイドのバランスを考えたのかも知れない。李天秀はさすがのプレーを見せる。彼がボールを持つたびに韓国人サポーターから歓声があがる。大会後は本当に Premiership に移籍するのかな?
しかし77分、今度はサウジサポーターが歓喜するシーンが。韓国PAにドリブルで切れ込んだ Malek Maaz に入れた呉範錫のタックルがファールに取られPKを献上してしまった。確かに呉のタックルはやや後方からだったけど少し厳しい判定に思えた。そのPKを Al Qahtani が冷静に決めて同点に追いついた。


そして3分後に Al Qahtani は Saad Al Harthi に替ってベンチに下がる。 Al Qahtani はキャプテンマークを DF の Walid Abdrabh Jahdali に渡しベンチに向かうがサウジサポーターからは大歓声が。交替出場の Al Harthi はワールトカップのスペイン戦に出場した23歳の選手だ。韓国は相変わらず李天秀がレベルの違うドリブル突破でチャンスを演じ韓国サポーターを喜ばせる。81分には曹宰榛に替って李東国がワントップにはいるが、2トップにしなかったのは勝点を失いたくないと言う意図が強かったのか?
84分突然ピッチが暗くなる。何と停電だ。メインスタンド側の照明が落ちてしまったのだ。掲示板のデジタル時計も84分35秒のままで止まっている。後のAFCの記者会見である女性担当者が“スタジアム内だけでなくこの地区の電圧が落ちてしまって….”と弁解していたが競技場内の半分の照明は問題無く点灯していたのでこれは競技場の設備の問題だと思う。選手達はベンチ前に戻ったりピッチに入ったりと気の毒な状態に。結局17分後に照明の半分が復旧したのをきっかけに大歓声に包まれて試合再開となった。再開後の両チームの集中力が懸念された。がそんな中交替出場の Al Harthi が決定的なシュートを2本はずしてしまう。GK李雲在、そして韓国イレブン、サポーター達は本当に命拾いをした。
そしてこの試合は両者の実力を表すように 1-1 でタイムアップ。この結果と言うよりも停電前の呉範錫のタックルの判定に最も安堵したのが決定機を逃し続けた Marek Maaz と Al Harthi ではなかっただろうか?
第三者の私はアジアレベルでは最高級の試合を堪能できた。下手な欧州での試合よりも面白かった。それは日本代表ではあまり見られないカウンター攻撃の応酬だ。日本代表にも李天秀、崔成国、 Malek Maaz の様な高速ドリブルで数十メートルを突破する選手は…..オシム氏が代表監督である限りは招集されないかもしれない。それでも試合後何人かのサウジ、韓国のサポーターと話をすると、ナカムラ、タカハラの賞賛の声が絶たない。そして日本が優勝候補と韓国人でさえ何人かは口にする。かつては社交辞令でもそんな事を言わなかったのに。そして多くのサウジのサポーター達はこう言った “決勝で会おう。” 1992年、2000 年大会のリベンジを考えているのか?しかしこの時日本はまだカタールと引き分けただけでそんな事を考える余裕は私にはなかった…. しかし、最も心配していた帰りのタクシーを容易に拾えて本当にこの時点では一安心。翌日は朝4時にバンコックに移動だ。手配したタクシーが時間どおりに来る事を祈りながらベッドにもぐりこんだ……

Aussie サポーターたちの憂鬱 Australia 1-3 Iraq

2007-07-15 | Asian Cup

今回のアジアカップ前、私はオーストラリアこそ優勝候補最右翼。Socceroos 達がどんなパフォーマンスを演じるかを非常に楽しみにしていた。しかし、7月8日のオマーンとの初戦をテレビで看て、彼らのチーム状態は昨年のワールトカップに遠く及ばない事態になっているのでは?との懸念が湧き上がった。それでも終了直前の Cahill のゴールで追いつくあたりまだまだワールトカップベスト16のチーム力はこれから上がって来るものと思っていたのだが...

この日もスタジアム入りした時は前半を20分近くが過ぎていた。仕事が終わってから競技場に向かうまでの自分の段取りの悪さ、要領の悪さには我ながら呆れてしまう。それでもこの日はホテルの前で拾ったタクシーの運転手は近道を知っており、競技場に到着したのは試合開始5分程度を過ぎたところ。運転手のおにぃちゃんに御礼とチップをはずみいざ競技場内へ…… しかし、今度はスタジアムは見えども入口が解らない。すると同じような境遇のオージー達が10人。何とか勘と前日の記憶を働かせ何とか前日チケットをピックアップした場所を見つけた。今度はこちらがオージー達に御礼を言われる番であった…..

着席しピッチ上の Socceroos に目を移すと、何だか動きが重そうだ。黄色のユニフォームに発汗量がよく目立つ。着席してピッチ上のフォーメーション確認をしようとした23分、イラクは右サイドでFKを得て、Ali Nashat がゴール前に放り込むと突っ込んできたイラクMF Al Sadwn Salih の動きに気を取られた GK Shcwarzer  が弾道から目を離してしまいゴールインを許してしまう。初戦のオマーン戦では終盤に好セーブを連発し Chaill の同点ゴールを呼んだのだが….. 周囲にいたオージーサポーター達は“シンジラレナ~イ”と言った表情。

そしてイラクのサポーター達は国旗を打ち振り大歓声をピッチに送る
それでも失点直後から
オーストラリアは同点を目指しての攻勢が続く。28分には Kewell Hussein Haider に倒され、29分には今度が Viduka Rehema Ali に倒されそれぞれFKを得る。FK Willksher が担当している。31分にはまたも得たFK Willksher が左に転がし、走り込んできた Viduka がショットを放つがポストの左に外れる。36分には Emerton が中央からドリブル突破、そして前線の Viduka へ。Viduka はイラクDFを背負いながら体を反転させシュートを放つがゴールネットに届かない。39分にはゴール前に上げられたロビングに Viduka がヘッドで狙うがその前にプッシングを取られた。
この日のオーストラリアの前線は Viduka のワントップに2列目が右から Bresciano, Holman そして Kewell の3人がならぶ。オマーン戦でスタメンだった MF Sterjovski に替り Holman が起用されたのはより攻撃的にと言う意図か?しかし攻撃陣の動きが今一つだ。この気温は昨年のワールトカップで経験済みだろうが、恐らく湿度が強烈に堪えているのではないだろうか?42分に Lukas Neil がイラク FW Kharef Younes に抜かれるところを倒してイエロー。警告覚悟で止めねば完全にKhalef に独走されると事であったが Neil はその直後にも再び Khalef を倒すと、カードは出ないが倒された Khalef Neil に詰めよりAjeel Mahdhi が加担する場面も。高温多湿の気象下にやや焦りが出てきたか?
44分には Wilksher から前線に上ったロビングを Viduka が頭で落とすがそのこぼれ球を拾った Kewell は上手くコントロール出来ずにシュートが撃てなかった。  Kewell もここまで得意のドリブルシュートがまだ見せられていない。 オーストラリアのボール支配率は恐らくイラクを上回っているかもそれないが、ラストパスが通らないなど最後の詰めが甘い。気温が下がって来ると調子もあがるいだろうか…… ?
後半に入ると、まず Holman に替えて Cahill が投入される。その効果があったのか?開始1分46秒に同点ゴールが生まれる。右サイドを Brett Emerton が疾走し中にクロスを入れると今度はViduka が頭で押し込みゴールネットを揺すった。これで Socceroos のエンジンがかかって来るだろうと思う中、48分には Viduka のヘッド、52分には Viduka のポストプレーから Cahill がシュートに持ち込んだり攻勢に転じる。しかしまたイラクが主導権を奪い返す。57分MF Tahir Haitham がミドルを放つが正面。そして60分、左からのスルーパスが Haider に通りそのまま撃たれたシュートは GK Shcwarzer を破りまたイラクがリードを。オーストラリアは同点にしてから14分後にまたリードを許す事に。その直後にも MF Nashat のボールキープから攻撃参加して来た DF Hussain Haider にフリーでシュートを撃たれるがこれはゴールを外してくれた。オーストラリアは中盤から前の動きが少なく、パスコースを容易に読まれるなどなかなかリズムが掴めない。
64分に Arnold 監督は Ajax Amsterdam のレギュラー Jason Culina を下げて昨シーズン A League 得点王、 Melbourne Victory Archie Thompson を投入した。攻撃の枚数を増やすと共に前線での運動量を上げるのが目的であろう。
投入直後に右サイドを Cahill からボールを受けた Thompson が突破しクロスを入れるがペナルティーエリア内には誰もいない。オーストラリアが両サイドを使いだすとカウンター攻撃中心だったイラクが中盤でボールが回る様になり、オーストラリアは後手に回り攻撃の糸口が掴めない。70分には Vidukaが頭で落とした所を Kewell が拾ってバイタルエリアに侵入を図るがイラクDFが二人掛りで Kewell を止め、そのままカウンターに転じ最後は Kisnorbo を振り切った Al Sadwn  が放ったシュートは Shcwarzer に“当たって”追加点を免れた。71分には Aloisi Kisnorbo に替って投入され MF Glerra DFラインに入る。 Cahill, Aloisi ,が投入されるのは昨年のワールトカップの日本戦を思い出す。だが大会前のシンガポール合宿では仕上がりが評価されていた Beachamp の出番がまだない。
オーストラリアは前線に Cahill, Kewell, Viduka, Thompson, Bresciano の5人が並んでイラクゴールを狙う。75分には Emerton のクロスを Chaill がポストプレーから、80分には Kewell が浮玉を上手くコントロールし送られたクロスでそれぞれ Aloisiがシュートを放つ。前線の選手を増やし攻撃に厚みを加えたいところだが、その分中盤が手薄になり、また交替出場の選手と最初から出ている選手との動きに差がありラストパスのタイミングがずれて、イラクPA前でボールを拾われるとそのままイラクのカウンター攻撃を容易にさせる。交替選手が投入されても結局はViduka のポストプレーと Kewellのドリブル頼みだ。84分にはKewell のドリブル突破から Thompson PA でボールをキープするが相手DFとの競り合いでファールを取られる。Karim Jasim 主審はバーレーン人。イラクに判定がやや甘く見えるのは同じ中東人の好か?
そして88分、試合を決定づける3点目が決められてしまった。 Neil のクリアーミスを拾った Ajeel Mahdi が持ち込んでPA外からミドルを放つとそれが Neil に当たりフリーの交替出場MF Muhamed Karrar の前にこぼれそのまま難なくゴールに流し込んだ。呆然とするGK のSchwarzer と DF Lukas Neil そしてAussie サポーター達。イラクサポーターの狂喜の雄叫びがこだまする。

ロスタイムは4分あったがもう Socceroos 達に挽回する気力は失せていた。最後は終了間際の選手交替でなかなかピッチの外に出ない Khalef Younes Lukas Neil が“早く出ろ”とばかりに押した行為にこの日2枚目のイエローカードが出されて退場。次のタイ戦も出場停止に。Neil ほどの選手がこう言う愚行をするとは..
そしてタイムアップ。Aussie サポーターは一斉にブーイング。これがワールトカップベスト16のチームなのだろうか? 控室に戻る前にオーストラリアから遠征して来たサポーター達に一通りの挨拶は行うが、その後の落胆の色は隠せない。


ワールトカップで効果的だったプレスもこの天候では空回りしたのか?結果論だがコンディショニングも問題無かったか?2試合を通じてThompson 以外はみな欧州組。激しい欧州でのリーグ戦を終え消耗も激しかっただろう。Mark Milligan や David Carney といった
A League 勢を使えないか?特に大会前左サイドバックのスタメン候補に挙げられた Sydney FC David Carney はまだ起用されていない。Kewell , Viduka の調子も昨年のワールトカップと比較すると….
Viduka は
コンディション、モチベーションそして基礎体力、すべて昨年よりは下回っているだろう。一度アジアカップ出場を辞退したのもそのせいか?
Kewell
の起用に就いては大会前、1次リーグでは調子を取り戻す為にフル出場はさせないようなコメントが Arnold 監督からあったのだが。
試合後“この結果には大変失望している。3つの個人的なミスが試合を台無しにした。先制されてから必死の思いで同点にしたが、その後2つのミスが命取りとなった。何人かの選手はここに来る事を望んでいない様であった。それが最大の失望だ。”とAroold監督がコメントしたとか。選手起用を含めて次の地元タイとの試合、中2日でどう立て直すのだろう。一方のイラク。初戦のタイ戦で出来が悪かった中心選手 Taher Hawar の起用を巡って物議を醸したが、ブラジル人の Vieria 監督はオーストラリア戦でもスタメンで起用。 Hawar は2点目を決めて期待に応えた。



アジアカップ予選は政情不安の為ホームゲームを全てヨルダンで行うハンディをこのタフな試合で生かした。アテネ五輪メンバーを中心にしたメンバー構成。元々アジアでもトップクラスの力を持っていたのでこの結果も以外とも思えない。
準々決勝では日本と当たるかもしれない。その時はあのドーハのリベンジを….. いやまずは次のヴェトナム戦に集中しよう….


ホスト国の進撃が続く Thailand 2-0 Oman

2007-07-14 | Asian Cup
“ここからスタジアムまでは歩いた方が早いです。” 
片言だけど日本語を話すタクシーの運転手は申し訳なさそうに私に言った。
街の中心街からタクシーに乗って既に50分近くが経過していた。タイの首都バンコックの交通渋滞は “ infamous “ だ。しかしその状況はさっぱり改善されなさそうだ。毎年この街に出入りする様になって6年目になる。個人の貧富の差は相変わらずなのだろうが日本と異なり景気の後退はそれ以来看られない。その好景気に伴い自動車の数は増加の一方でそれに対するインフラが確実に進んでいないのがはっきりと確認でした。
しかし、もとはと言えば私にも不注意があった。インターネット予約を入れておいたチケットを繁華街にある Central Chidrom の7階チケットセンターにピックアップしにいったのだが、カウンターの女の子は “あなたの予約は確かに入っています。しかしここでピックアアップ出来るのは10日前までです。競技場のチケットカウンターに直接行って下さい。”と丁寧に英語で説明を受けた。その上、競技場の地図までくれた。後でよくよく e-mail で送られてきたConfirmation を見ると、文面の前半はタイ語で書かれており意味不明なので読み過ごしてしまったが下の方に英語で そう書いてあった。見落とした俺のミスか…….
すぐに下に降りてタクシーに飛びのる。ホテルの受付で書いて貰ったタイ語の競技場名を見せると拾ったタクシーの運転手は日本語を独学で勉強しているとか。 “5時20分には間に合わないかもしれません。”と親切に教えてくれた。車中は色々運転手と話がはずむが、車は渋滞に巻き込まれ遅々として進まなかった…..
Rajamangala Stadium 付近にたどり着いたのは試合開始数分前。そこからタクシーを降り、競技場迄歩く事に。すると試合前の国家演奏が漏れ聞こえてきた。そして合唱の声も。もう少し音量が大きくてもいいと思うのだけど。 タクシーを降りたところから競技場迄は本当に5分も無かった。しかし、チケットのピックアップに手間取り結局着席した時は前半30分近くになっていた。 
ここ Rajamangala Stadium は 1998年のアジア大会のメイン会場。マラソンの高橋尚子が驚異的な記録で優勝を果たし、100mでは伊東浩二が 10秒00 のアジア記録を樹立した。この伊東の記録は人類学的にずば抜けた記録で黒人選手を除くと世界最高の記録で、欧州の白人選手でも出した事がない大記録だ。従って陸上競技用のトラックは完備されている。サッカー経験者はこれほど邪魔なものはないらしいが、陸上競技経験者の私としてはこのトラックを見ると何となく感傷に浸ってしまう。だが昨日訪れたインドネシア、ジャカルタの Gelora Bung Karno Stadium よりかは格段に見やすい。あそこはトラックの周りにさらに壕がある上、スタンドの傾斜が緩やか過ぎて本当に見通しが悪かった。 


試合はまだ両チーム無得点のまま、だがここも電光掲示板にはスタメンが出ていなかった。 観客の入りはまだ半分強と言ったところ。でもまだ続々と入場してくる人々が。観客の多くはタイの王族の色でもある黄色のシャツを着ている。しかしこの日のタイ代表のユニフォームは濃紺の上下。着席した時はタイが攻勢に出ていた。
MF Thongla Datsakorn, Sripan Tawan, そして 2トップのKiatisuk ZICO Senamuang と Suksomkit Sutee によくボールが渡りさらに大歓声が後押しをする。これこそホームの強みだろう。特に Kiatisak は前線でボールキープが出来てオマーンDF陣にも当たり負けしない。注目の22歳の FW Teeratep Winothai はこの日もベンチスタート。 Kiatisak との共演は見られるか?35分にスルーパスに Kiatisuk が抜けるところを引き倒され良い位置でのFK。この FK は一旦オマーンの壁に当たるがこぼれ球をThongkao が拾って前線のSuksomkit に繋ぎそのままドリブルシュートを放つがGK Ali Al Habsi の正面。この Ali は 2003年から3シーズンNorway の FC Lyn でプレーし2006年1月に Bolton Wanderers に移籍、まだ Premier デビューは果たしていないものの、かつての Arab Keeper of the Year そして2004年のノルウェーの Keeper of the Year を受賞。 日本戦でもワールトカップ予選で中村俊輔のPKをストップしている。 
すると今度はその Ali から送られたボールが速攻で繋がり最後は FW Bairdoorween が撃つがそのシュートは不発に終わり大サポーターの安堵の溜息が。43分再び Thongalo が前線へスルー。それに反応したKiatisak がフリーで抜けようかと言うところをオマーン DF Al Wahabi Juma が引き倒してイエローカード。既にこの試合4枚目の警告だった。観客からは大ブーイング。その直後に今度は仕返しにとばかりにタイペナルティエリア付近で Saiwaeo が オマーンの Al Hosni Amad を引き倒すがこれにはノーホイッスル。この日の主審は韓国の Lee Gi Young 氏。そして前半最大のチャンスがタイに訪れる。スルーパスに抜け出た Therdsak Chaiman がフリーで撃つがサイドネットを直撃。そのままダイレクトで撃ったが、もうワンタッチ入れても良かったか….. 結局両者無得点のまま前半が終わった。控室に戻る選手達に声援が飛ぶ。私も Kiatisak に “ ZICO !!! “ と叫ぶとこちらを向いてくれて小さく手を振ってくれた。

後半が始まるが共に選手交代はなし。そしてフォーメーション等を確認する。
タイのDFは右から Sukha Suree, Siriwong Niweat, Saiweo Katprawut, Phanrit Nataporn の4バック。初戦のイラク戦ではDF Jitsawad がスタメンであったが、この日は Saiwaiko Kiatprawut が起用。一方のオマーンは一方のオマーンは初戦のオーストラリア戦で途中出場ながら何度もオーストラリアゴールを襲った Bait Doorbeen をスタメンで使ってきた。 
タイは得意のショートパスをよく使って来る。そしてオマーンの最終ラインが前に出て来ると、大きく最前線の Kiatisak にボールを出し、背後を効果的に突く。しかし、その一方でタイのDFはどうもマークがあまい。前半終了間際には Bador Al Maimani からクロスが入るがタイGK Hathairattanalkool がキャッチ。中にいた Amad Al Hosni に付いていた Siriwong はマークが甘く、もし Amad にボールが飛んでいたらピンチだった。 オマーン攻撃陣は攻撃 Al Honsi Amad がワントッップ、2列目は右にAl Maimani Badar, 左にAl Ajmi Ismail その後ろに Al Maimani Bader を配し4人でダイヤモンド型の布陣を形成し、その後ろに3人が並ぶ。攻撃に転ずる時はその3人が加担し素早く前線にボールが運ばれるが、最前線の選手達はボールを持たない時の動きに乏しく、ボールを足元で受けるのでタイDF陣の網に掛ってしまう。それでもマークが甘いのだけど….
48分、タイは左から大きく逆サイドの Kiatisak にボールが渡りそいのまま前線に持ち込み中に折り返すとそこに走り込んだ Sripan がダイレクトで撃つが大きくクロスバーを越えてしまう。 ZICO そのまま撃っても良かったのでは..
52分今度はオマーンが右からBadar が上げたクロスをMF Ahmed が撃つがゴールを外れる。この後もオマーンの波状攻撃が何度か続くがシュートミスとタイGK Hathairatanakool のセーブに救われる。タイDF陣はマークが甘い。それでもタイは攻撃に転じると2トップが動きながらボールを受けるのでチャンスが生まれる。オマーンFW陣がこういう風に動けばもっと優位に試合は進んだだろうに。この試合中は晴れていたが気温は思ったほど上がらず、ピッチは日陰になっていたのでさほど苦しいコンディションとも思えなかったのだが。タイは Sripan Tawan のスルーパスから次々にチャンスが生まれる。Kiatisak のドリブルも効果的だが、全盛期の様な切れは今……. それでも人気者の彼にボールが渡ると大歓声が沸き起こる。タイの Chanvit 監督は59分に Therdsak に替えて Thonkanya Pipat を投入し左のトップに入れて Kiatisakと2トップを組ませる。そして Sukosmkit は2列目に下がる。66分にはオマーンがFKから最後は FAWZI が頭で触りワンバウンドしたシュートはゴールポストを直撃。タイの大サポーターは胸をなでおろす。そして67分には Kiatisak ZICO を下げて若手有望FWの Therratep Winothai を入れる。ピッチに入る若い Winothai への期待とベンチに下がるベテランZICO の労いの大歓声が送られる。Kiatisak も拍手をして観客に応え、ベンチ前では Chanvit 監督と抱擁を交わす。
そして70分、地元サポーター待望の先制ゴールが決まる。右サイド、またも Sripan のスルーがWinothai に通り相手DFを振り切る前にクロスを上げると走り込んだ Thonkanya がそのままダイレクトでオマーンゴールにけり込んだ。名GK Al Habsi も成す術がなかった。大歓声がスタジアムに沸き起こる。スタジアムの入りはもう7割近くになっていた。 みなが Thailand, Thailand と連呼する。Chanvit 監督の交替策が当たった。74分には FW Suksomkit が下がり Nutnum Suchao が入りFWを入れ替える。Nutonum は今年初めの ASEAN CUP 5試合にフル出場した24歳の選手。次々に若手が投入される。これでタイの2トップは右に Thonkanya 左に Winothai が入る。これからしばらくこの二人が代表のFWを担うのか?リードされているオマーンのカルデロン監督はまだ交替カードを切っていないけどどうするのだろう。75分オマーンに同点のチャンスが、左から Fawzi が入れたクロスをタイの Saiwaeo がかぶってしまい、ゴール前10m程の至近距離にいた Ismail に。しかし、 Ismail はその絶好機を空振りしてしまった。恐らく突然ボールが来て反応が遅れたのだろう。76分には Badar がボレーを放つが GK Hathairattanakool がセーブ。しかしタイDF陣は相変わらず簡単にシュートを撃たせる。川口なら怒っているのでは….. しかし、78分タイに追加点が決まる。中盤の空中戦で Sripan が相手DF陣二人と競り合いながらも競り勝ち前線に落すとそこには Thonkanya が,そのままドリブルで持ち込みオマーンGK Al Habsi を破ってこの日2点目。観客席はまさに狂喜乱舞。ピッチのイレブンもベンチも抱き合って大喜び、落ち着いていたのは Chanvit 監督だけか?
一方のオマーンベンチは動きが無い。交替策は講じるのだろうか? こうなればゲームはリードしているタイが一方的に押す展開に。2トップの Thonkanya, Winthai が生き生きとボールにからむ。オマーンは時折ドリブルを見せる Ahmed 以外チャンスの兆しが見えない。そしてボールが繋がらなくなり次第に焦りが。Ahmed がタイ DF Sukha を突き飛ばす。イエローが出てもおかしくなかったが。終了間際に Al Gheilani が入れたところを GK Hathairarranakool が果敢に飛び出してキャッチ。しかし背中から着地し少し痛む。でもタイDF陣ももう少しマークを厳しくしないと次のオーストラリア戦は簡単にはいかないであろう。結局ロスタイム4分を含めてオマーンは選手交代もこれ以上の抵抗も見せられず、タイムアップの時を迎えた。
スタジアムは狂喜乱舞と言うよりも静かな歓声が湧き上がる。 まだベスト8が決まったわけではないからか…. ヴェトナム、インドネシアに次いで開催国が勝利を挙げた事になるがタイがアジアカップで勝利を収めたのは1972年大会以来だがこの時は地区予選での勝利はあったが地元で開催された本大会での勝利は無く、事実上本大会での初勝利である。タイはホームゲームは滅法強いと言われているが、それでも最近のワールトカップ予選や五輪予選ではホームゲームでの勝てない試合があった。次節オーストラリア戦はどんな試合展開を見せてくれるのだろう?
そして優勝候補のオーストラリアはいよいよ次のイラク戦は負けられなくなって来た……..

Asian Cup 開幕 ホスト国の横顔 サワディカップ 微笑の国

2007-07-10 | Asian Cup
アジアのサッカーの祭典、Asian Cup 2007がついに開幕した。日本は終了間際の失点で勝利を逃したが、今回は開催国の健闘が早速注目され、今後のグループリーグの戦いが非常に楽しみだ。

私が初めてタイの首都バンコックを訪れたのは1999年。2年前に東南アジアを襲った通貨危機から2年後であった。
街中で工事中の建物をいくつも見たが、現地の人にそれらはもう何か月もそのままになっており通貨危機の影響で予算が付かずに工事途中になっているものと教えて貰った。そして2度目に訪れた2002年4月。地獄の4月と言われる高温多湿のバンコックではあったが経済は回復に向かっており、一般消費が進み好景気が始まろうとしていた。それから毎年ここを訪れているが今でも景気自身は悪くなさそうだ。
ASEAN 諸国の中でのサッカーの勢力図は1970年代はマレーシアが最も強い時期であったが1990年代に入るとタイが他国を圧倒し始めた。 South East Asian Games では2005年まで7度の優勝、そして ASEAN を越えた大会では1990年 、1998年そして2002年のアジア大会ではべスト4。アジアカップは1992年大会から4大会連続出場中だ。しかし、アジアの壁を破って世界の大会に進出したのは 1956年メルボルン五輪(1回戦で英国に 0-9 ) と1968年メキシコ五輪 (1次リーグで敗退。0-7 ブルガリア 1-4 グアテマラ、0-8 ブルガリア)くらいで、U-17 が1997年と1999年大会にアジア代表で出場しているがいずれも3連敗で大会を後にしている。
2004年に始まったワールトカップ予選も 1次予選で U.A.E. 北朝鮮と同組になり、良いところ無く敗退し当時のタクシン首相から“スピリットが感じられない。”と酷評された。そして同年行われた ASEAN CUP では決勝に進めず大会3連覇を逃してしまった。
現在の代表監督は2005年5月からタイ人の Chanvit 氏が務めているが、最近は監督の座になんとか落ち着いて座っているようには見えるが、だが世論の Chanvit 下しは聞こえてこない。むしろ批判の矛先は選手に集中している。それはこの国のサッカーのシステムにある。東南アジア諸国では抜群の強さをみせながら、自国のリーグはセミプロで優秀な選手達はシンガポールやヴェトナムの“プロリーグ”に移っていく。そして代表チームに招集されても定められた日に集まってこない選手が少なくない。
更にヴェトナムでは外国人選手(特にタイが多いけど)と地元の選手との待遇に差がありすぎて様々な問題も起きている。例えば八百長に関与するとか….
それに Chanvit 監督以前は 1966年ワールトカップ準優勝のメンバーでもあったドイツ人のSiegfried Held 氏が務めたが言葉や独特のタイ人気質のギャップがありチームとのコミュニケーションが満足にとれなかったり、2004年1月から16ヶ月間で4人の監督が交代しようやく Chanvit 氏に落ち着いた。 Siegfried Held
まず Chanvit 監督はこれまでのしがらみに捉われずに若手、ヴェテランにこだわらないチーム作りを始めた。結果的に 1997, 1999 年のFIFA U-17 大会に出場した36人の選手でこのアジアカップに選ばれたのはわずか3人。Teerathep Winothai, Udorn Pimpak, Choechiu Pichitpong 。他の選手達はどうしてしまったのだろう?
就任7か月後の South East Asian Games では U-23 チームを率いて難なく大会7連覇を収める。
そしてかつての英雄、地元では史上ピヤポン=プオンに次ぐスーパースター Kiatisak Senamuang が昨年末に開催された King’s Cup で代表に復帰、代表チームも6年振りの優勝を果たした。2004年にワールトカップ予選1次予選敗退して以来の代表復帰だけどその前も何年か代表を離れていた。今年8月で34歳になるベテラン、スーパースター。かつてはEngland の Hudders Field Town でプレーし、マレーシアやシンガポールのクラブチームを渡り歩いた。私がよくバンコックを行き来し始めたのが2002年。その時はヴェトナムの Hoang Anh Jia Laiの中心選手として活躍中だったが、地元マスコミからは“何故タイの英雄はもっと上を目指さないのか?”と言われていた。Hoang Anh Jia Lai 時代には ACL のゲームで来日した事もある。昨シーズンからタイのBEC Tero Sasana でプレーをしていたが今は所属先がまだ決まっていない。
また2003年Asia Champions League の最優秀選手で所属チーム BEC Tero Sasana を準優勝に導いた Therdsak Chaiman も代表に復帰させ、若い選手達との融合をはかった。 現在Therdsak はシンガポール・リーグの Singapore Armed Force FC に所属するが、一度アルビレックス・シンガポールとの試合を観戦し一目で他の選手よりもレベルが一つ上と解るプレーを披露した。
2007年に入ると ASEAN CUP ではシンガポールの後塵を拝し、シンガポールの大会2連破を許しこの直後にヴェトナムリーグのDong Thapとの契約締結ニュースが報じられ彼自身も“プロのコーチとしてこれまでのキャリアーを試したい”とコメントを残した。彼は代表監督とは言えそれ自身が Part Timer で政府の役人が本業であった。しかし最終的締結には至らなかった。それはヴェトナムに移住するに際して本業の政府の役人業も廃業せなばならずその分の補償金、数百万バーツ(1バーツが約3.5円)を求めたのに対し Dong Thap 側が応じなかった為。既に後任監督にThongsuk Sampahangsit コーチを昇格させる事を決定していたが Chanvit 監督続投を決め Sampahangsit はヘッドコーチ職に戻る事となった。
Asian Cup に向けてのチーム完成、仕上げの時期を迎え、開催国としてこのアジアカップに賭ける掛ける意気込みは協会の準備した親善試合を見てもよくわかる。5月16日には中国 ( 1-0 ) 6月6日にはオランダ ( 1-3 ) そして6月30日にカタール ( 2-0 : ただし7月30日に行われたこの試合は前半終了時 1-1 の後豪雨の為7月2日に再試合となった。)

5月16日 Thailand 1-0 China

GK1李雷雷、DF12曹陽、13徐云龍、4張耀坤、21矯(86・3張帥) MF5閻嵩(46・17蒿俊閔)、15肇俊哲、8李鉄(46・27姜坤)、7曲波 FW9李金羽(76・16季銘義)、19韓鵬(70・28王棟)

Kosin Hathairattanakool, Jetsada Jitsawad, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit, Suree Sukha, Jakkrit Bunkhum, Suchao Nutnum, Tawan Sripan, Therdsak Chaiman, Manit Noyvech Pipat Tonkanya.

得点者 44 分Pipat Tonkanya.

対戦相手の中国は董方卓、鄭智といった選手は不在であったがそれでも李鉄や李金羽らは先発出場していた。これまで17年間勝てなかった中国に勝った事でタイは自信を持った様だ。

6月6日 Thailand 1-3 Holland
Thailand
GK : Kosin Hathairattanakool DF Suree Sukha, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit Jetjada Jitsawad MF Jakkrit Bunkham, Suchao Nutnum, Nirut Surasiang Tawan Sripan  FW: Sarayud Chaikamdee and Pipat Tonkanya

Holland
GKr: Henk Timmer DF : Tim de Cler, John Heitinga, Joris Mathijsen and Mario Melchiot  MF: Denny Landzaat, Wesley Sneijder and Demy de Zeeuw FW Dirk Kuyt, Andwele Slory and Rafael van der Vaart.

得点者:19分 Van der Vaart 44分 Heitinga 56分 Jan Vennegoor of Hesselink 65分 Tawan Sripon

オランダ代表は6月2日に韓国遠征( 2-0 でオランダの勝利 )を経て帰途に就く途中 バンコックに寄りタイ代表と試合を行った。2005年にもドイツ代表が日本遠征の次にタイに立ち寄った事があるがその時は 1-5 で敗れている。今回はいくらか健闘を見せたが、それでもドイツ、オランダ相手に1点は取るのだから…. それは試合展開によるものかはわからないが。
この試合の殊勲者は GK のKosin Hathairattanakool 。彼が先制ゴールを喫した後のオランダの猛攻を耐え凌ぎゲームを作った。
Chanvit 監督は立ち上がり、“オランダ代表”相手に足がすくみその中で先制ゴールを許した事と 1-3 としてから Suchao Nutnum のシュートがGK Timmer にセーブされた事を悔やんだが、全体的にこの“スーパープロ”を相手にここまでやれた事を肯定的に受け止めた。

そして代表は6月7日から25日までの日程でドイツ合宿に向かった。この時期になぜわざわざ“涼しい”ドイツに出掛ける必要があったのだろう? 監督曰く“地元の喧噪や雑音から離れたかった為”らしい。そのドイツ・キャンプでは4部のBorussia Fulda アマチュアチームのTSV Lennarts そしてEintracht Frankfurt U-21 と練習試合を行ったが成果はどうであったかわからないが “もう少し強いところと練習試合を組みたかった。” との事であった。
そして帰国後の7月2日にカタールを 2-0 で破った翌日の7月3日、最終テストになる “紅白戦”を行った。この紅白戦にはTherdsak Chaiman, Tawan Sripan, Nirut SurasiangそしてDatsakorn Thonglaoは休ませたがその4人はほぼ代表入りが決まっているメンバー。 Thephastdin 競技場で行われた紅白戦のメンバーは下記の通り。.

THAILAND A
Veera Kerdputsa, Patipan Petchpool, Kiatprawut Saiwaew, Apichate Puttan, Nattapong Samana, Suchao Nutnum, Jakkrit Bunkham, Pichitpong Cheuichiew, Teerasil Dangda, Kiatisak Senamuang、Teerathep Winothai

THAILAND B
Narit Taweekul, Kosin Hathairattanakool, Prat Samakrat, Niweat Siriwong, Kraikiat Beadtaku, Suree Sukha, Hattaporn Suwan, Narongchai Vachiraban, Pipat Tonkanya, Sarayud Chaikamdee、Kwanchai Phuangprakob

AチームはレギュラーでBチームは当落線上の選手構成と言ったところか?
しかしゲームは BチームKosin Hathairattanakool が先制する。19歳のストライカーTeerasil Dangda, のゴールで A チームが追い付くとB チームは Sarayud Chaikamdee のPKを含む連続ゴールで 3-1 とするが最後は地力に勝るAチームがTeerasil Dangda, Jakkrit Bunkham そしてTeerathep Winothai の連続得点で4-3 の勝利を収めた。試合後Chanvit Phalajivin 監督はKraikiat Beadtaku, Narongchai Vachiraban, Sarayud Chaikamdee そして Kwanchai Phuangprakob の4人をアジアカップメンバーから外す事を発表。Chaikamdee のメンバー落ちは既に数日前に示唆されていたが、最後の紅白戦で2ゴールを挙げたのだが…. 2003年にヴェトナムで行われた South East Asian Games の決勝戦、地元ヴェトナム相手に延長Vゴールを決めた殊勲者だったが。

そしてアジアカップの23人のメンバーが決まったのは期限ぎりぎりの大会前日の7月6日。
まず注目の選手は22歳の Teeratep Winothai 。1999年の FIFA U-17 New Zealand 大会ではわずか14歳でメンバー入りをしている。そして現在はタイ協会のプログラムにより1999年から4年間 England の Crystal Palace に在籍し、現在はタイの BEC Tero Sasanaに所属するがこのアジアカップでは対戦するオーストラリアに存在感を示し A-League 入りするのが目標らしい。そしてMFの要、ヴェトナのホン・アン・ジア・ライに所属する Datsakorn Thonglao。ヴェテランのTherdsak Chaiman 、Kiatisuk Senamuangらも代表入りを果たした。

7月7日、雨の中タイはイラク相手に 1-1 で引き分け発進を果たした。スタメンには Kiatisuk も名を連ねた。
Asian Cup 初登場の Kiatisuk は72分で退いたが次のオマーン戦はどうなるのだろう?
この試合は深夜にNHK BS で放映されたのでまだ詳しくは観ていない。後半もう少し決定力があれば勝利も可能であったが、雨が無ければもっと熱狂的な応援がチームを後押ししただろう。だが雨の試合はイラク選手の方に不利に働いたと思う。そしてオランダ戦で好セーブを連発した GK の Kosin Hathairattanakoolはこの日の前半も存在を見せ付け、勝ち点に大いに貢献した。
翌日オーストラリアがオマーンに引き分けた事によりこのグループの次の試合が非常に楽しみとなって来た。

そして私は開幕戦の翌朝に日本を離れ今はシンガポールです…..

Asian Cup に臨む列強達 韓国47年ぶりタイトルなるか

2007-07-07 | Asian Cup

2002年ワールトカップカップでベスト4、ワールトカップは6大会連続出場を含む7回の出場。オリンピックではこれまで通算7回出場しており5大会連続出場中だ。 U-20 も連続で世界の大会に進んでおり韓国はまさにアジアサッカー界の盟主と言っても過言でないと思う。
だがアジアサッカー界の七不思議?と言っていいのが(他の6つは何や?)韓国のアジアカップでの戦績。優勝2回の実績はあるものの、それは1956年(第1回)と次の大会の2連覇のみ。けちをつけるわけではないが、第一回大会の参加国は8カ国(韓国、イスラエル、香港、南ヴェトナム、マレーシア、カンボジア、台湾、フィリピン ) 第二回は予選でアジアを3つのゾーンに分け西地区にインド、パキスタン、イラン、イスラエル。中地区にシンガポール、南ヴェトナム、マレーシア。そして東地区にフィリピン、香港、台湾が組み分けられ各ゾーンの1位3カ国(イスラエル、南ヴェトナム、台湾)が決勝大会の開催された韓国に集った。そして地元韓国が3戦全勝( 5-1 南ヴェトナム、イスラエル 3-0, 台湾 1-0 ) で連覇を飾った。
しかし、第三回は地元開催で優勝に燃えるイスラエルにリベンジを果たされ第4回からイランが本格的に参加し80年代に入り中東勢が台頭するとアジアカップのタイトルは遠ざかるばかり。1960年代からの韓国は日本には対等以上の勝負をするがただそれだけであった。五輪、ワールトカップでアジアの壁を越えたのは1964年の東京五輪くらいでプロリーグが設立され中東勢に対抗し得る実力が備わり始めた1986年のワールトカップメキシコ大会出場まで韓国でさえアジアの壁は破れなかった。
しかしそれ以降はワールトカップ予選、五輪予選ではアジア勢には強さを見せつけてきた。だが相変わらずアジアカップのタイトルとは無縁だ。1988年カタール大会では決勝まで進みサウジアラビアにPK戦で敗れ通算3度目の優勝はならなかった。この時の大会MVPは金鋳城。しかし続く広島大会は予選でフル代表を送らずタイに 2-1 で敗れ本大会出場ならず、以降1996年準々決勝 2-6 イラン, 2000年 1-2 サウジアラビア, そして前回は準々決勝でイランに 4-3 で破れ優勝には手が届かない。サウジアラビアとは今大会の1次リーグで同じ組。イランとは前回同様準々決勝で当たるかも知れ無い。その間日本はアジアカップで3回優勝しているが、“それは韓国との直接対決が無いから”とは韓国人サポーターのコメントだ。
今大会こそ47年振りのタイトル奪還を、との国民の願いは強い様だが大会前に朴智星 ( Manchester United ) 、李栄杓 ( Tottenham Hotspurs ) そして薛鉉 ( Reading ) ら欧州組は怪我による出場辞退。そして金南一の怪我による直前離脱。特に金南一の離脱はファーベック監督にとってはショックの様だった。

2002年、ヒディンク監督時代から韓国代表のコーチ業を続け、昨年のワールトカップ以降遂に代表監督のお鉢が回って来たファーベック監督は2002年以降代表選手の間で“欧州嗜好”が強まるのを感じ、“選手達はボールが回ってくると何かパフォーマンスを示さねばならない、と勘違いする。常に、6-0 で勝っている時のつもりでやれと言っているのだが。”と漏らしたことも。その欧州組に“チームワークの欠如”を監督に替って代弁し続けていいたのが金南一。彼の強いリーダーシップはかつての洪明甫を彷彿させ、監督も絶大な信頼を置いていただけに、ファーベック監督の心中は容易に察する事が出来る。だが欧州組みに対しても“彼らは批判の対象になった時もあったが私は常にフェアーに接したつもりだ。試合後に名指しで批判したり大声を上げた事もない。”とのこと。
アジアカップタイトルを狙うにしても上記4人は2002年ワールトカップからのメンバーであるだけにその穴埋めは容易ではないだろう。今大会のメンバーを見ると日本と異なり五輪予選組が結構メンバー入りしている。姜敏壽, 金珍圭,李根鎬、呉章銀ら五輪予選組メンバーだ。しかしこの意図はなんのだろう。欧州組等の穴埋めをするのであればリーザーブメンバーに留まっている朴主永、白智勳のワールトカップ組をメンバー入りさせるべきと思うのだけど…。今大会は昨年のワールトカップメンバーから8人が選ばれている。参考までに日本は10人。 Tottenham でも左サイドバックを務める李栄杓のポジションにはワールトカップ以降サンクトペテルスブルグでプレーする金東珍が、朴智星のトップ下のポジションには現在Kリーグでトップを走る城南一和の金斗がそれぞれ入りワントップには李東国が薛鉉に替って起用されるだろうが、この李東国には注目している。確か1998年のアジアユースの日本戦でもゴールを決め、2000年のアジアカップでは得点王その後の飛躍が期待され2001年にはBundesliga の Werder Bremen に移籍したがそれがいけなかったか調子を崩し、最後にワールトカップメンバーから外れ大会後の歓喜の輪に加われず、リベンジを果たすべき次のワールトカップドイツ大会では直前の怪我で離脱。軍隊に入隊し尚武でプレー、精神を鍛え次のワールトカップを目指すがその第一ステップがこのアジアカップだろう。前回のアジアカップでもチーム最高の4ゴールを挙げている。

 


昨シーズン Middlesbrough 入りした李東国は Mark Viduka の抜けた来期にレギュラーポジションを獲得できるか?

そしてもう一人の注目選手は李天秀。2列目の右サイドがポジションらしいが彼は持ち味の高速ドリブルでどこにも現れる。2002年大会では初戦から交替出場ばかりであったが準決勝のドイツ戦と3位決定戦のトルコ戦は先発フル出場。昨年のワールトカップでは初戦のトーゴ戦に同点のFKを決め、今年2月のギリシアとの親善試合でもゴールを決め、このアジアカップは再び欧州進出の野望を成就させる大会としてると思う。 Fulham 入りを熱望しているらしいが….. そして高速ドリブルと言えば城南一和の崔成国。彼を2列目の左で使い、金斗そして李天秀と並べれば面白いと思うのだけど。今大会はこれまでKリーグで首位を行く城南一和から5人が選ばれている。ただ、2002年大会のレギュラーで Feyenoord でもプレーした栄鐘国の奮起も注目したいのだが。昨年のワールトカップでは初戦のトーゴ戦にはフル出場したが以降は起用されなかっただけに。
しかし埋まらないのは金南一のリーダーシップ。2002年大会で見せた韓国の強さは洪明甫の強烈な求心力もあったので、金南一の様な選手はタイトル奪還の為には必要だと思うのだか。参考までに今秋金南一はKBSのキムボミンアナウンサーと挙式との事。この国でも女子アナは......


大会に向けて大韓協会が日本と違うのは協力体制。ファーベック監督の強い要望が通り6月23日に日程か組まれていたKリーグは延期となりその日から代表は合宿に入れる事になった。6月29日のイラク戦は廉基勳、李天秀、李根鎬のゴールで 3-1。 7月5日は清水エスパルス曹宰榛の2ゴールで 2-1 でウズベキスタンを破り(李東国と2トップか?ワールトカップ同様曹宰榛のワントップか?)

仕上がりは順調な様だ。ヴェトナム入りしたが練習試合も出来ていない日本は本当に大丈夫か?今度こそこのアジアカップで日韓対決があるかもしれないが、その時は…..
尚うちの息子は2002年からファンになった安貞桓がメンバー入りしていないのが寂しいらしい。


もう30歳になり欧州行きをまだ諦めていないのか?でもKリーグででも活躍しないと今後の代表入りも難しいと息子に教えると、達也(田中達也)も安貞桓もいない大会はつまらない。と言われてしまった。両者の奮起を期待する。

それにしても車ドゥリはどうしてしまったのだろう?来シーズンは Bundesliga 2部の TuS Koblenz でプレーするとの事。昨シーズンは得意なポジションでなかっただけにFWを任される Koblenz では好成績をのこせるか?...

GK : 李雲在(水原Bluewings) Jung Sung-Ryong 鄭成龍(浦項スティーラーズ), Kim Young-dae金龍大(城南一和)

DF  Kang Min-Soo姜敏壽(全南 Dragons), Kim Chi-Gon金致坤( FC ソウル), Kim Chi-Woo金致佑(全南 Dragons), Kim-Dong Jin金東進 (Zenit St Petersburg), Kim-Jin Kyu金珍圭(全南 Dragons), Oh Beom-Seok 呉範錫(浦項 Steelers), Song Chong-Gug宋鐘国(水原 Bluewings)

MF  Kim Do-Heon金斗(城南一和), Kim Jung-Woo金正友 (名古屋グランパス8), Kim Sang-Sik  金相植(城南一和), Lee Ho 李浩(Zenit St Petersburg), Son Dae-Ho 孫大鍋 (城南一和) Oh Jang-Eun呉章銀(蔚山現代)

FW  曹宰榛 (清水エスパルス), Choi Sung-Kuk 崔成国(城南一和), Lee Chun-Soo李天秀 (蔚山現代), Lee Dong-Gook 李東國 (Middlesbrough), Lee Keun-Ho李根鍋(大邱 FC), Woo Sung-Yong 禹成用 (蔚山現代), Yeom Ki-Hun廉基勳(全北 Motors) .

リザーブメンバー: Kim Young-kwang金永光(蔚山現代)金昌洙(大田 Citizen), Yang Sang-Min 梁相(水原 Bluewings); , Baik Ji-Hoon 白智勳(水原 Bluewings); Park Chu-Young 朴主永(FC ソウル), Jung Jo-Gook 鄭ジョグク(FC ソウル).



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Kewell vs Nakamura

2007-07-04 | Asian Cup
Asian Cup 3大会連続優勝かそれをストップするのは…..
大会開催を約1週間後に控えた6月末頃からオーストラリアの新聞は Asian Cup ネタが尽きない。少なくとも日本よりかは大会に注目をしている様だ。そこに一際目を引く見出しが…. Oh joy – it’s Harry versus Nakamura 昨年のワールトカップの好成績によりオーストラリア大陸ではサッカー人気が急上昇中だ。その発火点が前年2005年の 新生 A- League の誕生、そして同年11月にはウルグアイをPK戦で降して劇的なワールトカップ出場を決めるとその初戦の日本戦では終了6分前に連続得点で逆転勝利(あぁ何で逃げ切れなかったんやろう….)そしてベスト16進出。オーストラリアでのサッカー選手の知名度もそれにつれて急上昇中だ。 Lukas Neil , Vince Grella そして Mark Viduka 。欧州でも名の知られる選手達が並ぶがやはり地元オーストラリアのサポーター達が最も注目するのが Harry Kewell だ。
Kewell がゴールを量産しオーストラリアにAsian Cup 初出場初優勝をもたらした上に Harry Kewell 自身が大会最優秀選手となることがオーストラリアサポーター達の描く最高のシナリオらしい。
しかしそれに待ったをかけそうなのが日本のシュンスケ=ナカムラ。 Kewell との大会でのヒーロー争いこそ Battle Royale ( 生死を賭けた戦い )となるであろうとのこと。昨シーズンのナカムラの活躍、 Scotland Premier League での最優秀選手賞、 Champions Cup での劇的なゴール、ナカムラ今季のスコットランドでの活躍は Asian Cup では充分なスーパースターとなる資質を兼ね備えている。そのナカムラを抑えて、1996年大会のあのオーストラリアのフランス行きを阻止した Khodadad Azizi, 2000年大会の名波そして2004年大会のナカムラに続いて大会MVPに輝く事を願っている様だ。
しかし、両者は少し異なるタイプと思う。俊輔はゲームメーカータイプで自らゴールを決める事も出来るがワンタッチで局面を変える事の出来るセンスをもっており、キューウェルはどちらかと言えばストライカータイプ。誰かに点を取らせると言うよりも自分一人で局面を打開しそのままシュートに持ち込める能力を持っているが、二人に共通するのは共に攻撃能力に優れている事。この二人を見る事は最高のフットボールを見る事になるらしい。サッカーは個人の戦いでは無いがこのこの両国が決勝戦で顔を合わせて、そこで日本が勝つ…と言うのが私の描く最高のシナリオなんだけど….

Rebuilt ... Harry Kewell sweats it out at training. 

また下記の様な見出しが

Japan worthy favourite

シンガポール合宿中のオーストラリア代表LUCAS NEILL とHarry Kewell が30日のシンガポール戦の前にオーストラリア紙のインタビューで日本は優勝候補にふさわしい、とコメントしている。 “我々は優勝候補では無い、強いチームの一つにすぎ無い。日本は明らかに優勝候補だ。なぜならアジアカップには経験があり、アジアでの戦いも熟知している。我々はそんなチームに挑戦する為にここにやって来たのだ。我々は異なったメンタリティーで大会に臨まねばならない。それはオーストラリアがここでは新参者だからだ。” Lukas Neil は淡々と語る。 “この大会に勝つ事は偉大な事だ。これは偉大な大会だ。ここにはいくつもの強国が集う、そして私はそういった相手とどう戦くかを知っているつもりだ。Asian Cup で勝つことはオーストラリアサッカー界にとって驚異的な出来事になる。しかし、まだ長い道程が残っている。次々に厳しい試合が続くだろうが、初戦に集中せねばならない。明らかに大会での勝利を述べるだろうが、我々はその最初の試合に集中せねばならない。日本を優勝候補に挙げる事は勇気づけられるが、日本でもオーストラリアを最も警戒しているのでは無いか?
7月2日、John Aloisi が合流し代表の23人が揃った。合流が遅くなった理由は彼が所属するのはスペインのAlaves でLiga Espanola は全日程が9日前に終わったばかりだった為。オーストラリアでは Aloisi は結構な英雄扱いされている。2005年11月のウルグアイとのプレーオフで最後のPKを決め、翌年のワールトカップでは日本戦でとどめの3点目を決めている。Asian Cup 後はオーストラリアに帰り Sydney FC でプレーする。今年11月にはベッカムが入団する Los Angels Galaxy がシドニーに遠征しSydney FC と親善試合を行う事が決まったらしい。昔の New York Cosmos みたいだなぁ……. これでいよいよ Socceroos は臨戦態勢に入って来た…… 大丈夫かオシムジャパン…

Asian Cup に向けて Socceroos シンガポールキャンプ打ち上げ

2007-07-03 | Asian Cup
6月20日シンガポール合宿に旅立った( Kewell ら一部の選手は翌日出発 )オーストラリア代表は6月30日シンガポールとの親善試合を行い 3-0 で完勝。その試合のメンバー等は下記の通り。

Singapore
Lionel Lewis (gk), Muhammad Ridhuan (Fazrul Nawaz 68'), Aide Iskandar (C) (Baihakki Khaizan 85'), Shi Jia Yi, Indra Sahdan (Ashrin Shariff 80'), Mustafic Fahrudin (Hariss Harun 57'), Daniel Bennett, Shahril Ishak, Noh Rahman (Hadfiz Osman 90'), Khairul Amri (Masrezwan Masturi 76'), Precious Emuejeraye

Australia
Mark Schwarzer (gk), Lucas Neill, Patrick Kisnorbo (Micheal Beauchamp 55'), Jason Culina, Brett Emerton, Luke Wilkshire (Michael Thwaite 87'), Mark Viduka (C) (Nahtan Burns 90'), Vince Grella, Brett Holman (Archie Thompson 69'), Mile Sterjovski (Nick Carle 77'), Marco Bresciano (Harry Kewell 62')

得点者: Mark Viduka 52', 89' Harry Kewell 77'

この日のシンガポール代表のプレーはさほど悪くは無かったらしい。確かにシンガポール入りして10日が経ち高温の中合宿を張り疲れがピークに達して来ているとは言えワールトカップベスト16のオーストラリア相手に前半は無失点で切り抜け時折攻撃に転じては40,000以上集まった観客を沸かせるシーンも。
後半は地力の差が出てワールトクラスを揃えるオーストラリアに3失点を喫したが、ゴールポストを2回叩くチャンスを作るなど両者の実力を考えれば健闘と言えるかもしれない。
出場辞退騒ぎのあったViduka、 昨年のワールトカップ以来の代表出場となった Kewell の得点は Arnold 監督を安心させたと思う。 特に出場時間が30分のみに限られた Kewell はロスタイムに入り Viduka がベンチに下がる際に監督自らキャプテンマークを Kewell に巻くように指示。この日の Kewell のパファーマンスに7月8日のオマーン戦でのスタメン出場の話も出て来たとか。しかしほぼ1年間実戦から遠ざかっていた Kewell の起用には Arnold 監督も慎重だ。その上バンコックの蒸し暑いコンディションを考えれば “スタメンは準々決勝以降”と言う当初の考えに帰結するのか?
しかし監督の新たな悩みはDF陣らしい。特にこの日 Lucas Neil と CB を組んだ Patrick Kinsbo の出来は散々であったらしい。Scott Chipperfield らがディフェンシブプレーヤーとして選出されているが、Stan Lazaridis, Tony Popovic, Danny Tiatto そして Tony Vidmar と相次ぐディフェンシブ選手の代表引退により代表クラスでの守備陣のタレントが不足している。実際のスコアこそ 3-0 であるが、“ 10-4 で終わってもおかしくなかった試合。”とは Arnold 監督のコメント。監督が気にするのはその4失点だ。
そこで Neil と組むCB コンビとしてクローズアップされたのが Kinsbo に替って途中出場した Michael Beauchamp だ。出場時間35分で充分に存在感をアピール出来たとの事。ワールトカップでは出場機会は無かったが、6月初めのウルグアイ戦でプレーした Kinsbo とは“ワールトカップメンバー”の違いを見せられたか?

この試合の翌日、7月1日、シンガポール代表とのゲームに出場しなかった Socceroos のメンバーはシンガポール U-23、Young Lions と70分間の練習試合を行い 0-0 で引き分けた。そのメンバーは下記の通り

Singapore U23
GK : Hassan Sunny , Ismail Yunos (Sevki Sha'ban 70), Isa Halim (Erwan Gunawan 36)(Shaiful Esah 49), Shariff Abdul Samat, Baihakki Khaizan, Hariss Harun (Ridhwan Jamaludin 56), Goh Swee Swee (Fazrul Nawaz 36), Hafiz Osman, Masrezwan Masturi (Tengku Mushadad 36), Ashrin Shariff (Shahril Alias 36), Juma’at Jantan

Australia
GK Bradley Jones (Michael Petkovic 36)- Nathan Burns, Michael Beauchamp, Archie Thompson , Bruce Djite, Mark Bridge, Michael Thwaite, Carl Valeri, Nick Carle, David Carney, Mark Miligan

Adelaide United 所属の19歳 Nathan Burns は代表のシンガポールに“練習生”として参加。試合後 Adelaide に戻った。しかし彼のパファーマンスは Asian Cup 後の Mark Viduka の後継者候補として Arnold 監督を大いに喜ばせた。
日本も2~3人の若い将来有望な選手を帯同させればその選手にとってとても良い経験となるだろうし、それが将来の代表の為になるのではと思うのだけど….
7月4日、オーストラリア代表一行はバンコック入りをする………..

Asian Cup に向けて 経済大国シンガポール

2007-07-01 | Asian Cup

Asian Cup の開幕を来週に控える中、シンガポールが大会出場国にとってなかなか便利な役割を果たしている。この地域では経済状態がダントツによく、インフラ、宿泊設備も先進国並みに揃い、練習施設まで不自由しない。はっきり言ってここでアジアカップを単独で開催しても良いくらい(1984年に開催されたけど)の立地条件。更に泣かせるのは6月24日から Singapore Invitation Tournament を開催し大会ホスト国と類似した気象条件で格好の“スパーリンク”の機会を施している。その日程は下記の通り。
24.June シンガポール vs 北朝鮮  2-1 でシンガポールの勝
27.June シンガポール vs サウジアラビア  2-1 でサウジアラビアの勝
28.June オマーン vs 北朝鮮 2-2 PK戦 4-3 でオマーンの勝
 1.July サウジアラビア vs オマーン 

上記の他にも6月27日にサウジアラビアがUAE とシンガポールで試合を行い 2-1 で勝利を収めているが、シンガポールで試合を行うサウジアラビアはレギュラークラスで無くむしろ代表入りへのサバイバルシリーズとなっているのか?サウジは北朝鮮とも試合を行う予定らしい。

シンガポールは FIFA ランク131位。2010年のワールトカップ出場を目指して Young Lions と呼ばれる U-23 世代を中心に強化プログラムを始めている。その効果は徐々に表れ始め、昨年末から開催された ASEAN Football Championships では決勝に進出。常勝タイを破り見事優勝を収めている。 ただTiger Cup と呼ばれていた前回 2004年大会でも決勝戦でインドネシアを破り1998年大会以来3大会振りの優勝を果たしタイの3連覇を阻止している。 そしてこの Invitation Tournament でもサウジには敗れたが北朝鮮には勝っている。今回、アジアカップ出場国との試合ではサウジアラビア(2軍主体だけど)に 1-3 で敗れたが北朝鮮には 2-1で勝利を収めている。そのメンバーは下記の通り。

シンガポール: Lionel Lewis, Noh Rahman (Hafiz Osman 78), Aide Iskandar (Baihakki Khaizan 21), Precious Emuejeraye, Daniel Bennett, Ridhuan Muhammad (Masrezwan Masturi 64), Mustafic Fahrudin, Shahril Ishak (Hariss Harun 62), Fazrul Nawaz (John Wilkinson 46), Agu Casmir (Ashrin Shariff 88), Indra Sahdan.

北朝鮮: Ri Myong Guk, Pak Chol Jin (Pak Yong Chol 39), Ri Kwang Chon, Jang Myong Il, Cha Jong Hyok (Kim Yu Chol 76), Jong Su Hyok, An Jong Ho, Ryang Myong Il (Ri Jun Il 63), Pak Nam Chol (Jon Chol 38 (Kim Kwang Hyok 59)), Kang Jin Hyok (Choe Chol Man 50), An Chol Hyok.

得点者:40分 Ridhuan Muhammad  57分 An Chol Hyok 74分 Indra Sahdan 


1997年東南アジアを襲った通貨危機でインドネシア、タイ程では無いが経済打撃を受けたシンガポール。しかし、2002年頃から経済回復が軌道に乗り今は好景気だ。その原因の一つとして日本でも村上ファンド事件で話題になった海外法人の誘致。法人税が20%(一律ではないけど)と安く(日本だと40%くらいだそうだ)ここに色々な意味で邦人を開設する企業が絶えないらしい。
昔からシンガポールは中継港、東南アジアの金融(というよりも両替事業)として栄えたが、最近は航空貨物のハブはバンコックに取られ気味、金融の方もキャッシュレスの時代。しかし時代の流れに逆らわず次々と国の存続をかけて新たな国策を練るのはさすがだ。反対に小国だから出来るのかもしれない。
シンガポールの国内サッカーリーグ、通称 Sリーグは 1996年に発足したがそれまではマレーシアの国内リーグに参加し、特に1994年にはナショナルA代表チームが同リーグ戦に参加して優勝したが、八百長疑惑が持たれた影響で1995年以後はマレーシアサッカーリーグに参加させない方針を決定。これをきっかけに自国のサッカーリーグ結成に動き、Jリーグをモデルに1996年に8チームでSリーグが開幕した。当初は2ステージ制で始まったが、翌1997年は10チームに拡大。通年制(1シーズン)に移行する。その後最大で12チームにまで膨れ上がったが、経営難からいくつかのチームが解散する窮地に立たされたことがあった。またナショナルチーム強化策の一環として2003年からはシンガポールの23歳以下ナショナルチーム Young Lionsを参加させたほか、中国系のチーム"シンチFC ( 2005年のシーズンを以て解散 ) そして2004年からは日系チームアルビレックス新潟シンガポールも加わった。また今シーズンから韓国人選手で創られた Korean Super REDS が加わり現在は12チームでリーグが構成されている。
シンガポールでもサッカーは人気ナンバーワンのスポーツ。しかし、それは England の Premiership を指すもので自国の S League となると

“日本人の貴方が何故興味を持つのですか?シンガポール人でさえ興味無いのに。それよりナカタ、ナカムラの話をしてよ。”と何度言われた事か…..

その状況も代表チームがアジアの大会で、またはU-23,U-20,U-17 いずれかの世代がアジアの壁を超えて世界の舞台に立てば劇的に変わるかもしれない。 6月30日、オーストラリア代表がシンガポール代表をアジアカップ前の“調整試合”を行った。この試合には45,000 人の観衆が集まったらしい。ワールトカップでベスト16に進んだオーストラリアくらいが相手ならこれくらい人が集まるのか….しかしその目的は自国の代表で無く Viduka や Kewell なのだろうか….. しかし、彼らの気持ちもわかる。それは70年代の我々の状況と同じだからだ。あの時日本がアジア王者に戴冠しワールトカップで連続出場を果たし、数人の日本人選手が欧州のクラブシーンに出て来る….誰もが願ったが実現するには何十年かかるだろう…. と思っていた時代。だが1980年代シンガポールにはアジアを代表する選手がいた。ファンディ=アーマドと言う攻撃的MFの選手でアヤックスにスカウトされ練習にも参加、しかし結局契約したのは同じ EREDIVISIES のフロニンヘン。UEFA CUP のバルセロナ戦で2ゴールを決めるなどシンガポールでは伝説の選手として知られる。日本代表とは1981年のシンガポール遠征、1982年のジャパンカップ(今のキリンカップ)そして1987年のソウル五輪予選の試合に出場している。再びアーマドの様な選手が現れるのはいつだろうか… 第二のアーマドが現れた時、シンガポールは脅威となるだろう….