約3ヶ月振りに訪れたシンガポール。4月はマレー半島以北の東南アジア諸国では“地獄の4月”と呼ばれるくらいの高温多湿の日々だ。覚悟していたとは言えこの暑さには閉口する。だが現地在住の邦人の方達によれば“今年は雨が多くて例年に比べると凌ぎやすい”との事だ。確かに今年は現地入りして以来の1週間、場所も時間も局地的だが連日強烈なスコールが降る。少し時間と場所が違えばこんな狭い国なのに全く天候が違うのも熱帯性気候の特徴か? 4月27日はシンガポール国内リーグ、Sリーグに参戦しているアルビレックス新潟シンガポールの応援に行った。Sリーグは現在11チームで構成されており4月26日の時点ではアルビレックスは7試合を消化して2勝2分2敗で6位だ。構成されているチーム数が11と半端な上、 Home United と Tampines Rovers はAFCクラブカップを戦いながらなので各チーム試合消化数がまちまちだ。このAFCクラブカップはガンバ大阪やベルディ東京が出場している Asia Champions League に出場権の与えられていない国のチームが出場する、いわばそれよりも格下のアジアクラブカップ戦だ。Sリーグの試合日程はJリーグや他の国内リーグの多くがそうである様に週末の土曜日か日曜日にいっぺんに試合を行うのではなく1節分の5試合を1試合に1日ずつ五日間に渡って行う。これはおそらく観客動員を狙ってであろう。 だがここではサッカーと言うよりも Football と言えば England の Premiership でSリーグの話題を地元の人に振っても誰も乗ってくれないというよりも“何で日本人なのにそんなのに興味があるんだい?”と言う顔をされてしまう。 日本からアルビレックスが参戦しているといってもなかなかピンと来てくれない。 この日の相手は同じ勝点8で並ぶ( ただし消化試合はアルビレックスが1試合少ない) Gombak United で今シーズンからSリーグに上がってきたチームらしい。 しかしチームにはタイ代表選手二人とナイジェリアからの選手がいる。一方のアルビレックスは当然全員が日本人だ。チームの目標はリーグ戦で好成績を残す事よりも1人でも多くの選手をアルビレックス新潟のトップチームに送る事だろう。現在トップチームにはDF酒井、MF栗原そしてFW中村幸聖の3名がシンガポールから新潟への切符を掴んだ。逆にシンガポールには FWの尾崎、吉澤そして MFの田中の3選手が新潟からこちらに来ている。そして JAPAN サッカーカレッジから8名の選手がここに来ている。その他の所では今年和久井秀俊がスロベニアの Factor FCに移籍した。また前節対戦し 2-0と快勝した相手 Balestier には中村アキヒロ、村上ノリカズと2人の日本人選手がいる。そして Balestier が今節対戦する相手 Geylang United には昨季アルビレックスから移籍した末岡隆二がいる。先週、リーグ戦2勝目を挙げたアルビレックスだが、この試合で攻撃の要、内野敬志が怪我。今節の布陣は河野大星のワントップだ。 試合は立ち上がりからホームの Gombak のペース。その攻撃の起点となるのが中盤のタイ代表の2人。Pongpisut Pue-On。は180cm と上背もあり当りも強くテクニックもある。そして10番のTheerawesin Seehawong は163cmと小柄だけどスピードとテクニックは申し分なく ASEAN ではトップレベルだろう。トップはナイジェリアからのFW Gabriel Obatola 。公称は175cmだがもっと上背はあるのではないかな?彼がボールを持ち出すと、とても1人では止められない。また右サイドバックのSevki Sha'ban 左サイドバックのNor Azli Yusoff が、がんがんサイドを抉ってくる。そしてセットプレーになると187cm のCB Precious Emuejeraye が上がってきて Obatola とツィンタワーを形成する。タイ代表コンビからどんどん空いているスペースにパスが出されてアルビレックスは防戦一方。GK上杉哲平が何度も身体を張ってゴールを許さない。たまに自軍ボールとなっても、そのつなぎが選手の足元から足元へという感じなので次のパスが相手のもう1人のCB 183cm の Winston Yap に読まれてしまいゴール前に迫れない。またトップの河野にボールが入ってもサポートが遅くそれ以上は行けない。そして35分MF Jalal のスルーに反応した Obatola が強烈なショット。一旦は上杉が身体に当てて防ぐがそのこぼれ球を再び Obtola が押し込み先制点を許してしまった。 当日は朝から雨が降り午前中には上がったがピッチコンディションは良いとは言えず何度もアルビレックスの選手は足を取られる。しかし、 Gombak の選手達はそれ程でもなく、特にタイの2人はぬかるみもなんのその。いくら東南アジアとはいえ、やはり代表クラスはアルビレックスの若手とは格の違いを感じさる。前半終了間際にようやくアルビレックスは細貝、吉澤と繋いで最後は稲垣がシュートを放つが惜しくもGKの正面。後半に入ると DF鈴木、MF志田に替えてFW阿部、MF田中 を入れてツートップに。そしてボールも足元から大きくスペースに出たり、サイドチェンジが見られるようになった。一方 Gombak はCB の Yap を引っ込め Jaslee Hatta を、そしてFW Kamsan に替えて MF Ruhaizad Ismail を入れるなど守備的な布陣を敷きだす。しかし アルビレックスの攻撃を読んでいたCB の Yap を下げてくれたのでツートップにまでボールが良く繋がるようになってきた。 それでも64分にはタイの Seehawong に持ち込まれてピンチを招く。だがこの時間になると Gombak の選手の運動量が落ちてきて稲垣の突破をファールでしか止められなくなるシーンも。そして河野と Seehawong の中盤でのマッチアップも互角以上になり面白くなってきた。68分その河野の突破からファールを貰って得た正面からの直接FKはGKAdi Salleh がパンチで防ぐ。70分を過ぎると右サイドの吉澤正悟からの攻撃が顕著になってくる。75分には逆襲を食らい、最後は Tan Kian Chong にフリーで打たれるがまたもや上杉がファインセーブ。すると今度はアルビレックスが逆襲で吉澤に繋がりクロスがあがるが河野に僅かに合わない。77分にも吉澤の突破から好機が生まれる。すると 78分 Salim Moin Gombak 監督はJalal に替えてFazli Jaffer を入れて吉澤のマークに付けるが、それでも Jaffer はファールでしか吉澤を止めれない。観客席からは“ショーゴ!ショーゴ!”の声援が飛ぶ。何人かの地元の女の子も熱心な声援を送る。81分には田中から絶好のセンタリングが入るが今度は吉澤がこれを空振りしてしまう。 そしてその2分後に2点目を許してしまった。CKのピンチからこぼれ球をRuhaizad Ismail にペナルティーエリアのやや外から決められた。その前に絶好機を空振りした吉澤正悟の心中やいかに?ホームの Gombak サポーターからは “ Three-Zero! Three-Zero !!” と野次が飛ぶがここは“ One and Two ! shall soon be!! “ と言い返した。86分にはまたもや右サイドを抉った吉澤が抜け出してショートを放つがサイドネットを直撃。さっきの地元の女の子は”もぉぉぉショーゴ!バカァァァッ!!“と落胆の悲鳴が。私は “ No No Don’t say BAKA バカといってはいけませんよ”となだめの声を送ると結構受けた。 しかしここから奇跡が始まる。もうロスタイムに入るかという88分、Gombak ゴール前に迫る。両チーム合わせて17,18人はゴールマウスに入っていたか?するとレフリーが間接FKをアルビレックスに与える。これまで散々 Gombak 寄りの笛を吹いていた主審だったが、何があったか兎に角間接FKを与えてくれた。 Gombak の選手がほぼ全員ゴールライン上に並びこの間接FKに備えるものの、このチャンスを橋本卓が蹴り込み1点を返す。さすが関西1の秀才私大関西学院の出身だ。(関係ないか?) だがまだドラマは終わらない。この直後ロスタイムが3分と表示される。Gombak の選手はなかなかキックオフを始めない。そして一旦はアルビレックスゴール前に運ばれるがその後一気に逆襲。そして最後のCKをもぎ取る“上がれ、上がれ、キーパーも上がれ!”と私を含めた邦人からは無責任な指示が飛ぶが、本当に189cm のGK上杉がゴールマウスに入る。彼も関西の阪南大学出身(関係ないが)だ。 そのCKから誰が最後に蹴り込んだか、そのシュートがゴールネットを揺らし見事に同点に。そしてアルビレックスの選手は直ぐにボールをセンターサークルに運び、更に逆転を狙う。しかし、まだドラマは終わらない。一旦はセンターサークルを指し、得点を認めた主審がラインズマンの所によりなにやら協議を。そして今度はペナルティースポットを指す。そして主審に文句を言った Gombak の Obatola が2枚目のイエローを貰い退場に。1枚目の警告は先制ゴール後、なかなか戻らなかったから受けたものだった。 私はルールには詳しくないがここでPKを与えるぐらいならゴールを認めるのではないのか?狂喜乱舞していた我々は一転してその合点の行かない判定に怒りを露に。次のキックオフに備えていたアルビレックスの選手達は一斉にペナルティーエリア付近に戻る。Gombak GK の Salleh はおそらく前日、 Champions League でのアーセナルGK Lehman の再現を誓ったのではないか? しかし、このPKを稲垣が落ち着いて決めて今度こそ同点に。そして直後にタイムアップの笛が吹かれたときはもう97分を指していた。下位チームとの引分は大塚監督も満足はしていないだろう。しかし、このピッチコンディション。異国の国内リーグ参戦はある意味“悪役”が宿命とされる。レフェリーの加護も期待は出来ない。こういう中で1つずつ積み上げ、ここでプレーする日本人選手達は上を目指していく事だろうが、けっしてこの中で流されないで欲しい。ここで生きてきた事が今後の人生に必ず生きる。(偉そうな事を言ってすみません。)頑張れ異国の日本人選手達。
今やワールドカップよりもレベルが高いと言われている UEFA チャンピオンズリーグ。先週は準決勝の First Leg が行われ、バルセロナとアーセナルが先勝を収めた。
ミランついにサンシーロで敗れる。
昨シーズンの準優勝チーム AC Milan がホームのサンシーロでついに破れ、これまでこの大会の準決勝で敗退した事が無いというジンクスにピリオドが打たれそうだ。 準決勝の相手は今最もスペクタクルな観ている者を惹き付けるサッカーをすると言われているFCバルセロナ。76,833 人の観衆の前で行われた大一番は スウェーデン人FW Henrik Larsson の代役、フランス人FW Ludvic Giuly がロナウジーニョの演じた好機から値千金の今季チャンピオンズリーグ初ゴールを挙げ、チームに勝利をもたらし、翌週、カンプ・ノウでの試合を非常に優位にした。殊勲の Giuly は何とフランス代表としてワールドカップ予選に選出された事が無い。一方準々決勝のリヨン戦で2ゴールをあげた AC Milan のFW フィリッポ=インザーギをベンチにも入れず、その代役としてシェフチェンコと2トップを組む、今やイタリア代表では不動のポジションを確保しているアルベルト=ジラルディーニョは対照的に決定機を逸し今季のチャンピオンズリーグでの無得点記録を打ち破る事が出来なかった。インザギを温存したのはこの試合で警告を貰い次の試合で使えない事を危惧してか?試合は開始僅か30秒でコーナーキックのチャンスを得るなどホームのAC Milan が主導権を握る。そして3分には Jaap Stam のヘッドがバルサゴールを襲うがDFがクリアー。AC Milan が攻撃の起点をジラルディーニョに移すまでは2度ほど決定機が見られた。だがジラルディーニョのシュートはミラニスタのストレスを増幅させるに過ぎなかった。14分にはセルジーニョのロングスローの処理を誤ったマルケスからボールを奪ったジラルディーニョが絶好のチャンスを掴むがシュートはゴール枠を外れてしまった。だが Larsson と デコの代役 Giuly も38分にはエトー、ロナウジーニョと繋がりゴール前10mから放たれたシュートは決らない。しかし57分にはその汚名挽回とばかりに Gily がゴールを決めた一方、その6分前シェフチェンコの絶妙のチップキックを拾ったカカから通ったパスからジラルディーニョが至近距離から放ったショットはゴールポストを外れてしまった。64分今度はバルサに絶好の追加点のチャンスが。ガットゥーゾのヘディングを拾った Giuly が今度は前線にスルーパスを通すとバルサはミランゴール前で3人対2人のチャンスに。最後はロナウジーニョのゴロのシュートがGKDida を破るがそのボールはゴールポストの内側を叩いて外に出てしまう。67分アンチェロッティ監督はピルロに替えてベテラン、マルディーニを投入。これでチャンピオンズリーグ通算159試合目の出場は勿論歴代1位。この交代で Stam を前線に上げることに。するとライカールト監督もその3分後に得点者の Giuly を下げてディフェンシブ選手ベレッティを入れる。するとミランは更に74分にガットゥーゾに替えてアンブロシーニを77分には前線に上げた Stam に替えてブラジル人FWカフーを投入し攻撃の枚数を増やす。これにより試合はバルサゴール前で展開されるシーンが続き、準々決勝のリヨン戦の再現を期待されたが80分、81分のアンブロシーニのシュートは決らない。そして82分にはDFネスタがイエローを貰い翌週の試合には出場出来なくなってしまった。一方バルセロナは89分にはその6分前にミラニスタをひやりとさせたFKを放ったロナウジーニョを下げ更に守備がために。ロスタイム直前にカカが放ったシュートも得点にならず、3分のロスタイムもゴールを揺らせずAC Milan はバルサに先勝を許した。 ジラルディーニョの不調も痛かったが今季チャンピオンズリーグ9得点のシェフチェンコもバルサに脅威を与えられなかった。 試合後アンチェロッティ監督はそれでも決勝進出の可能性は両者に平等に残されているとコメント。翌週はインザーギを使うだろうがそれでも勝算があるのだろうか? 一方のバルセロナのライカールト監督はミランの出来は悪くは無かった、それだけにこの結果は massive result (内容の充実した結果)と評価。何人かのディフェンシブ選手が怪我で欠場の中で勝ってサンシーロを後に出来るとは容易に胸算用はしていなかったであろう。翌週はデコが出場できる。もし、ミランが準決勝で敗れる事になれば、12年前のチャンピオンズリーグ決勝戦での惨敗から来るバルササポーター達の溜飲を大いに下げられるであろう。
アーセナル。来年のチャンピオンズリーグへ前進?
先週プレミアではマンチェスターシティーに破れ、そしてポーツマスに引分。22日の4位を争いの直接対決 Tottenham との試合も引分、勝点が縮まらぬ Gunners は今年のチャンピオンズリーグで勝つほうが来年同大会に出場する事が容易だと地元紙に書かれている。それを実感したのか、それともHighbury 競技場93年の最後を飾ろうという意欲からか、こちらの準決勝はホームのアーセナルが今季躍進著しいスペインの Villarreal を コートダジュール代表のコロ=トゥーレのゴールで1-0 と先勝した。Villarreal は 正GKビエラを累積警告で欠くなどベストメンバーを組めないが今季の Champions League は “ Premiership Killer “ 振りを発揮。 Everton, Macnesuter United を破っての準決勝進出だ。そしてその前ににも UEFA Cup でミドルスブラを 2-0 で破っている。しかし試合はホームのアーセナルが早いテンポでボールを回しポゼッションを高めていく。開始4分にはアンリのFKからトィーレがチャンスを掴むがゴールには至らない。しかしその直後 Villarreal はソリン、フォルランが連続してシュートに持ち込む。そして準々決勝のインテル戦には出場出来なかったリケルメが素晴らしいFKを放つ。しかしこれらの前に立ちはだかったのが先日クリンスマン・ドイツ代表監督から代表正GKに任命されたレーマンだ。ワールドカップ、欧州選手権をそれぞれ2大会ずつ控えに甘んじ出場機会が無かったその苦悩の日々が今報われようとしている。この後にもフォルランのクロスそしてタッキナルディの難しいショットをはじき出している。 そのレーマンの好守に応えたのがトゥーレであった。41分、この試合5回目のコーナーのチャンス。アンリの上げたクロスは一旦は Senna に跳ね返されるが再びアンリの元に。そしてゴロの早い折り返しは白ロシア人MFフレブに。そして素早く走り込んだトゥールに合わし、そのまま先制ゴールが決った。この早いゴロのしかも相手DF陣の合間をぬったパス回し、さすがプレミアといいたいところだが、結構このグランドは試合前に水を撒く、と言うよりもプレミアのグラウンドは総じて水を好く撒き、他の欧州諸国からは滑りやすいと不評を買う事も。建前は芝に足を取られて怪我をせぬようにとの事だが、本音は早いボール回しを身上とするところからか? それでもアウェィの Villarreal はよく攻撃に転じる。アリゼンチン代表のリケルメ、スペイン代表のホセ=マリア・ロメロらが攻め込むが得点にはならない。チリ人、ペレグリーニ監督は55分にはメキシコ代表のフランコをロメロに替えて投入する73分には Sorin に替えてJosico を入れ中盤を攻撃的に替えていく。一方のアーセナル・ベンゲル監督は80分にベルカンプ、81分には van Persie のオランダ人コンビを投入して守備の意識を高める。そのアーセナルの5人のMFが得点を許さない。Villarreal 攻撃陣はレアルマドリード、ユーベントスの列強も得点を挙げれなかったゴールをこじ開けるべく前に出て行くがゴールが遠い。そのゴール前も文字通り Torwarter ( ゴールキーパーのドイツ語。直訳は扉の番人) レーマンが控えている。焦りから終盤にはフランコ、アルバレスが連続して警告を受ける。Villareal はこの試合には5人の警告を出してしまいイタリア代表候補のタッキナルディは次の試合は出場停止に。それでもロスタイムは5分と表示される。93分にはリケルメがロングを放つがクロスバーを越える。逆にその直後、アーセナルは逆襲からチャンスを掴み最後はベルカンプに絶好のクロスが入ろうとしたがその直前で Villareal の javi Venta がクリアー。あわやオウンゴールに。ペレグリーニ監督は3人目の交代選手Javier Calleja を入れるがそのままタイプアップ。大歓声がハイバリーから上がった。 これでアーセナルは829分、9試合連続無失点。Villarreal は未だホームで負けてはいないが決勝進出には引分では不十分だ。ベンゲル監督は勝利は収めたものの得点が1点に終わった事にやや不安と不満を覗かせる。しかし、次戦はアウェーとは言え自信はあると。ペレグリーニ監督はもっとやれたはずとしながらも結果は悪くは無い、ホームでの戦いには自信がありそうだ。
大会も終わりに近づくと各選手の累積警告が気になる。 AC Milan はガットゥーゾ、インザーギ、マルディーニ、ネスタがそして Villarreal はヘクター=フォント、リケルメ、センアそしてソリンが警告を貰っている。だがとにかく両チームとも初戦は落としているのでこの際決勝戦を出場できる、出来ないは考えないだろう。 また Villarreal のタッキナルディに並んでバルサのDFプレサスも累積警告で次の試合は出場出来ない。 先勝した2チームではアーセナルでは得点者のトゥーレとフラミニがそしてバルセロナはマルケス、プーヨルそしてファン=ボンメルの3名が次の試合で警告を受けると例えチームは勝利しても決勝戦には出られない。 大会も長期戦になると累積警告数を視野に入れた監督の選手起用が1つのカギになるだろう。
ミランついにサンシーロで敗れる。
昨シーズンの準優勝チーム AC Milan がホームのサンシーロでついに破れ、これまでこの大会の準決勝で敗退した事が無いというジンクスにピリオドが打たれそうだ。 準決勝の相手は今最もスペクタクルな観ている者を惹き付けるサッカーをすると言われているFCバルセロナ。76,833 人の観衆の前で行われた大一番は スウェーデン人FW Henrik Larsson の代役、フランス人FW Ludvic Giuly がロナウジーニョの演じた好機から値千金の今季チャンピオンズリーグ初ゴールを挙げ、チームに勝利をもたらし、翌週、カンプ・ノウでの試合を非常に優位にした。殊勲の Giuly は何とフランス代表としてワールドカップ予選に選出された事が無い。一方準々決勝のリヨン戦で2ゴールをあげた AC Milan のFW フィリッポ=インザーギをベンチにも入れず、その代役としてシェフチェンコと2トップを組む、今やイタリア代表では不動のポジションを確保しているアルベルト=ジラルディーニョは対照的に決定機を逸し今季のチャンピオンズリーグでの無得点記録を打ち破る事が出来なかった。インザギを温存したのはこの試合で警告を貰い次の試合で使えない事を危惧してか?試合は開始僅か30秒でコーナーキックのチャンスを得るなどホームのAC Milan が主導権を握る。そして3分には Jaap Stam のヘッドがバルサゴールを襲うがDFがクリアー。AC Milan が攻撃の起点をジラルディーニョに移すまでは2度ほど決定機が見られた。だがジラルディーニョのシュートはミラニスタのストレスを増幅させるに過ぎなかった。14分にはセルジーニョのロングスローの処理を誤ったマルケスからボールを奪ったジラルディーニョが絶好のチャンスを掴むがシュートはゴール枠を外れてしまった。だが Larsson と デコの代役 Giuly も38分にはエトー、ロナウジーニョと繋がりゴール前10mから放たれたシュートは決らない。しかし57分にはその汚名挽回とばかりに Gily がゴールを決めた一方、その6分前シェフチェンコの絶妙のチップキックを拾ったカカから通ったパスからジラルディーニョが至近距離から放ったショットはゴールポストを外れてしまった。64分今度はバルサに絶好の追加点のチャンスが。ガットゥーゾのヘディングを拾った Giuly が今度は前線にスルーパスを通すとバルサはミランゴール前で3人対2人のチャンスに。最後はロナウジーニョのゴロのシュートがGKDida を破るがそのボールはゴールポストの内側を叩いて外に出てしまう。67分アンチェロッティ監督はピルロに替えてベテラン、マルディーニを投入。これでチャンピオンズリーグ通算159試合目の出場は勿論歴代1位。この交代で Stam を前線に上げることに。するとライカールト監督もその3分後に得点者の Giuly を下げてディフェンシブ選手ベレッティを入れる。するとミランは更に74分にガットゥーゾに替えてアンブロシーニを77分には前線に上げた Stam に替えてブラジル人FWカフーを投入し攻撃の枚数を増やす。これにより試合はバルサゴール前で展開されるシーンが続き、準々決勝のリヨン戦の再現を期待されたが80分、81分のアンブロシーニのシュートは決らない。そして82分にはDFネスタがイエローを貰い翌週の試合には出場出来なくなってしまった。一方バルセロナは89分にはその6分前にミラニスタをひやりとさせたFKを放ったロナウジーニョを下げ更に守備がために。ロスタイム直前にカカが放ったシュートも得点にならず、3分のロスタイムもゴールを揺らせずAC Milan はバルサに先勝を許した。 ジラルディーニョの不調も痛かったが今季チャンピオンズリーグ9得点のシェフチェンコもバルサに脅威を与えられなかった。 試合後アンチェロッティ監督はそれでも決勝進出の可能性は両者に平等に残されているとコメント。翌週はインザーギを使うだろうがそれでも勝算があるのだろうか? 一方のバルセロナのライカールト監督はミランの出来は悪くは無かった、それだけにこの結果は massive result (内容の充実した結果)と評価。何人かのディフェンシブ選手が怪我で欠場の中で勝ってサンシーロを後に出来るとは容易に胸算用はしていなかったであろう。翌週はデコが出場できる。もし、ミランが準決勝で敗れる事になれば、12年前のチャンピオンズリーグ決勝戦での惨敗から来るバルササポーター達の溜飲を大いに下げられるであろう。
アーセナル。来年のチャンピオンズリーグへ前進?
先週プレミアではマンチェスターシティーに破れ、そしてポーツマスに引分。22日の4位を争いの直接対決 Tottenham との試合も引分、勝点が縮まらぬ Gunners は今年のチャンピオンズリーグで勝つほうが来年同大会に出場する事が容易だと地元紙に書かれている。それを実感したのか、それともHighbury 競技場93年の最後を飾ろうという意欲からか、こちらの準決勝はホームのアーセナルが今季躍進著しいスペインの Villarreal を コートダジュール代表のコロ=トゥーレのゴールで1-0 と先勝した。Villarreal は 正GKビエラを累積警告で欠くなどベストメンバーを組めないが今季の Champions League は “ Premiership Killer “ 振りを発揮。 Everton, Macnesuter United を破っての準決勝進出だ。そしてその前ににも UEFA Cup でミドルスブラを 2-0 で破っている。しかし試合はホームのアーセナルが早いテンポでボールを回しポゼッションを高めていく。開始4分にはアンリのFKからトィーレがチャンスを掴むがゴールには至らない。しかしその直後 Villarreal はソリン、フォルランが連続してシュートに持ち込む。そして準々決勝のインテル戦には出場出来なかったリケルメが素晴らしいFKを放つ。しかしこれらの前に立ちはだかったのが先日クリンスマン・ドイツ代表監督から代表正GKに任命されたレーマンだ。ワールドカップ、欧州選手権をそれぞれ2大会ずつ控えに甘んじ出場機会が無かったその苦悩の日々が今報われようとしている。この後にもフォルランのクロスそしてタッキナルディの難しいショットをはじき出している。 そのレーマンの好守に応えたのがトゥーレであった。41分、この試合5回目のコーナーのチャンス。アンリの上げたクロスは一旦は Senna に跳ね返されるが再びアンリの元に。そしてゴロの早い折り返しは白ロシア人MFフレブに。そして素早く走り込んだトゥールに合わし、そのまま先制ゴールが決った。この早いゴロのしかも相手DF陣の合間をぬったパス回し、さすがプレミアといいたいところだが、結構このグランドは試合前に水を撒く、と言うよりもプレミアのグラウンドは総じて水を好く撒き、他の欧州諸国からは滑りやすいと不評を買う事も。建前は芝に足を取られて怪我をせぬようにとの事だが、本音は早いボール回しを身上とするところからか? それでもアウェィの Villarreal はよく攻撃に転じる。アリゼンチン代表のリケルメ、スペイン代表のホセ=マリア・ロメロらが攻め込むが得点にはならない。チリ人、ペレグリーニ監督は55分にはメキシコ代表のフランコをロメロに替えて投入する73分には Sorin に替えてJosico を入れ中盤を攻撃的に替えていく。一方のアーセナル・ベンゲル監督は80分にベルカンプ、81分には van Persie のオランダ人コンビを投入して守備の意識を高める。そのアーセナルの5人のMFが得点を許さない。Villarreal 攻撃陣はレアルマドリード、ユーベントスの列強も得点を挙げれなかったゴールをこじ開けるべく前に出て行くがゴールが遠い。そのゴール前も文字通り Torwarter ( ゴールキーパーのドイツ語。直訳は扉の番人) レーマンが控えている。焦りから終盤にはフランコ、アルバレスが連続して警告を受ける。Villareal はこの試合には5人の警告を出してしまいイタリア代表候補のタッキナルディは次の試合は出場停止に。それでもロスタイムは5分と表示される。93分にはリケルメがロングを放つがクロスバーを越える。逆にその直後、アーセナルは逆襲からチャンスを掴み最後はベルカンプに絶好のクロスが入ろうとしたがその直前で Villareal の javi Venta がクリアー。あわやオウンゴールに。ペレグリーニ監督は3人目の交代選手Javier Calleja を入れるがそのままタイプアップ。大歓声がハイバリーから上がった。 これでアーセナルは829分、9試合連続無失点。Villarreal は未だホームで負けてはいないが決勝進出には引分では不十分だ。ベンゲル監督は勝利は収めたものの得点が1点に終わった事にやや不安と不満を覗かせる。しかし、次戦はアウェーとは言え自信はあると。ペレグリーニ監督はもっとやれたはずとしながらも結果は悪くは無い、ホームでの戦いには自信がありそうだ。
大会も終わりに近づくと各選手の累積警告が気になる。 AC Milan はガットゥーゾ、インザーギ、マルディーニ、ネスタがそして Villarreal はヘクター=フォント、リケルメ、センアそしてソリンが警告を貰っている。だがとにかく両チームとも初戦は落としているのでこの際決勝戦を出場できる、出来ないは考えないだろう。 また Villarreal のタッキナルディに並んでバルサのDFプレサスも累積警告で次の試合は出場出来ない。 先勝した2チームではアーセナルでは得点者のトゥーレとフラミニがそしてバルセロナはマルケス、プーヨルそしてファン=ボンメルの3名が次の試合で警告を受けると例えチームは勝利しても決勝戦には出られない。 大会も長期戦になると累積警告数を視野に入れた監督の選手起用が1つのカギになるだろう。
竹島が日本の領土になったきっかけはアシカだった。竹島にはかつてアシカが多数生息していて、1903年、隠岐島の人が皮革をとるためのアシカ猟を始め、翌年になって、この島を日本の領土に編入して自分に貸与するように明治政府に申し入れ、これをきっかけにして、明治政府は、ここが無人島でどこの国のものでもないことを確認したとして、1905年1月、日本の島根県に所属させることを閣議決定した。
これを受けて当時の島根県知事は、竹島を島根県に編入する告示を出しました日が、2月22日。その9か月後の1905年11月、日本は韓国(当時は大韓帝国)の外交権を握り、日本が大韓帝国を属国としたのだ。そして1910年には、日本は大韓帝国を日本の一部とした。これが「韓国併合」。この後、日本が第二次世界大戦で敗北するまで、朝鮮半島は日本の領土であった。韓国の人にしてみれば、「日本は朝鮮半島を植民地にする戦略の一環として、韓国の領土である独島を奪った」ということになる。今になって島根県が「竹島の日」を制定すると、韓国では、「日本は再び朝鮮半島に対する領土的野心をむき出しにした」という受け止め方をする人が多い。第二次世界大戦で敗れた日本は、朝鮮半島を放棄するが、このとき、竹島まで手放したかどうかが問題になった。連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が、1946年1月、日本政府の行政権が及ばない島々を列挙する指令を出したとき、その中に竹島が含まれていたからだ。ただし、このとき同時に、これらの島々が最終的にどこの国のものなるかを定めたものではないということも書いてあり、最終的な決定は別に定めることになっていた。ところがその後、連合国軍として、竹島について方針を出さなかったため、韓国は、「これで竹島が日本のものではない(つまり韓国のものである)ことが決定している」と解釈する。1951年9月、日本は連合国とサンフランシスコ講和条約を結び、日本の独立が回復しました。この条約の中で、日本の領土について、日本は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」を放棄することが書かれる。放棄する島に竹島が含まれていない。これを根拠に、日本は「竹島は日本が放棄していないのだから日本領だ」と主張している。これに対して韓国は、「名前が出ている島は単に例として挙げられただけであり、竹島の名前が例示してなくても、日本が放棄した朝鮮の領土に含まれる」と主張し、さらに「韓国はサンフランシスコ講和条約の締結国ではないので、講和条約に関係なく自国の判断で領土を決定できる」と、無茶苦茶な主張を繰り返す。更に1952年1月、当時の韓国の大統領李承晩は「隣接海洋主権」を一方的に宣言。韓国周辺の海域は韓国の領海であるとして、韓国周辺の海域に「平和線」を引き、「この線の中は韓国の領海だ」と主張した。日本はこの線を“李承晩ライン“と呼び、この線の内側に竹島が含まれていた。つまり李大統領は、「独島は韓国の領土だ」と一方的に宣言したのだ。これ以後、李ラインの内側に入った日本の漁船は、次々に拿捕(だほ・捕まること)され、中には韓国側から銃撃を受けて死亡する漁船員も出たのだ。韓国政府は日本人なら何人殺してもかまわない。殺せば殺すほど株を上げるという考えは既にこの頃から存在した。また、1954年になると、韓国は竹島に警備隊を常駐させ、灯台も建設。海上保安庁の巡視船が近づくと、銃撃されることも起きるようになった。それ以来、日本政府としては、外交交渉で解決をはかるという方針をとり、韓国による竹島の実効支配が始まった。
日本はその後、国際司法裁判所に提訴することを求めるが、韓国はこれを拒否。国際司法裁判所は、国家間の紛争を扱う国連の組織だが、独自に調停に入ることはせず、紛争当事国の双方が了承して初めて審理に入る仕組みになっている。要するに韓国が土俵に立つ事を拒み続ければ裁判は始まらないと言う事。日本が提訴を提案しても、韓国は、「独島は韓国の領土であり、領土紛争など存在しない」と主張して、提訴を認めないのが現状。こうして、韓国による実効支配の実績が積み重なっていくことになる。第二次世界大戦後に韓国が建国された後も、日本と韓国の間には国交は無く、国交を結ぶための交渉は1951年から始まった。この日韓交渉では、日本の植民地支配について日本が韓国に賠償金を支払うかどうかが大問題になり、竹島問題は棚上げされてしまった。竹島までも議論することになると、日韓交渉が行き詰まることは目に見えていたため、それを避けたのだ。交渉の過程で、日本の外務省の首脳が、「竹島が日韓交渉進展のために邪魔になるのなら、いっそのこと爆破してしまえばいい」と発言したこともあった。1965年、日本と韓国は日韓条約を締結。日本は韓国に賠償金を支払わない代わりに、「独立祝い金」を贈ると共に、韓国の経済発展のための経済協力に資金を提供することで話がまとまったが、竹島問題は、棚上げのままであった。こうして、とりあえず竹島問題は棚上げしたまま、日韓は関係を深められたが、竹島周辺の海域では、その後も緊張状態が続き、韓国は竹島を独島という領土だと主張しているので、竹島周辺海域も韓国の領海や排他的経済水域だと主張している。排他的経済水域というのは、領海ではなく、他国の船が自由に往来できるものの、漁業や海底の資源採取などの経済活動をすることは、その国の許可がなければできない水域のこと。竹島は日本と韓国の両方が領土だと主張しているので、竹島周辺の海域も、双方にとって領海であり排他的経済水域ということになる。そこで島根県の漁船が竹島周辺の海域で漁業をしようとすると、韓国の漁船と漁場を奪い合いになったり、韓国の警備艇が来て追い出されたりするということになり、このため日本と韓国が話し合った結果、日韓双方の漁船が、相手方の排他的経済水域でも漁業ができるという日韓漁業協定を結んだ。当時の世相は200海里問題が強く有り、アメリカの様に魚を食わない国が日本叩きの一環として領海を広げる流れが強くあった。しかし当時日韓の間での竹島をめぐっての争いはひとまず棚上げした上での“大人の”解決方法だった。しかし、それでも島根県の漁船は、自由な漁業ができないことが多く、困った漁業関係者の声を受け止める形で、島根県の条例ができた。せめて日本国民に竹島のことを知ってもらい、北方領土と同じように返還運動を高めようという狙いだった。日本では島根県の人たちが何とか日本国民に知ってもらおうとしていたが、韓国では、学校教育で必ず「独島はわが国の神聖な領土」と教え込まれ、小学生の中でも”日本は侵略国家“と思う子も多い。
あれは3年前のニュージーランド出張の時だったが、空港から市内に向うバスの中で韓国の中学生3人組みと一緒になった。彼らの1人は流暢な英語を話した。その子が私に”お金を払うから携帯電話を使わせてほしい“と頼んできた。勿論私は快く無料で好きなだけ使わせてあげた。彼は物凄く喜んで Thank you を連発そして You are very kind !! といってくれた。そこで私は All Japanese are kind !! というと随分受けて彼ら3人と楽しく20分程のバスの旅をした。きっとその子達も小学生時代から日本人は侵略人という先入観を刷り込まれていたのだろう。バスを下車したとき、子供達の先生が待っていた。そして私の事を(携帯を貸した事等)教えたのだろう。先生は両手で私に握手を求めてきた。 個人レベルだと本当はこの様にみんなと仲良くできるのだけど…… 続く
これを受けて当時の島根県知事は、竹島を島根県に編入する告示を出しました日が、2月22日。その9か月後の1905年11月、日本は韓国(当時は大韓帝国)の外交権を握り、日本が大韓帝国を属国としたのだ。そして1910年には、日本は大韓帝国を日本の一部とした。これが「韓国併合」。この後、日本が第二次世界大戦で敗北するまで、朝鮮半島は日本の領土であった。韓国の人にしてみれば、「日本は朝鮮半島を植民地にする戦略の一環として、韓国の領土である独島を奪った」ということになる。今になって島根県が「竹島の日」を制定すると、韓国では、「日本は再び朝鮮半島に対する領土的野心をむき出しにした」という受け止め方をする人が多い。第二次世界大戦で敗れた日本は、朝鮮半島を放棄するが、このとき、竹島まで手放したかどうかが問題になった。連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥が、1946年1月、日本政府の行政権が及ばない島々を列挙する指令を出したとき、その中に竹島が含まれていたからだ。ただし、このとき同時に、これらの島々が最終的にどこの国のものなるかを定めたものではないということも書いてあり、最終的な決定は別に定めることになっていた。ところがその後、連合国軍として、竹島について方針を出さなかったため、韓国は、「これで竹島が日本のものではない(つまり韓国のものである)ことが決定している」と解釈する。1951年9月、日本は連合国とサンフランシスコ講和条約を結び、日本の独立が回復しました。この条約の中で、日本の領土について、日本は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」を放棄することが書かれる。放棄する島に竹島が含まれていない。これを根拠に、日本は「竹島は日本が放棄していないのだから日本領だ」と主張している。これに対して韓国は、「名前が出ている島は単に例として挙げられただけであり、竹島の名前が例示してなくても、日本が放棄した朝鮮の領土に含まれる」と主張し、さらに「韓国はサンフランシスコ講和条約の締結国ではないので、講和条約に関係なく自国の判断で領土を決定できる」と、無茶苦茶な主張を繰り返す。更に1952年1月、当時の韓国の大統領李承晩は「隣接海洋主権」を一方的に宣言。韓国周辺の海域は韓国の領海であるとして、韓国周辺の海域に「平和線」を引き、「この線の中は韓国の領海だ」と主張した。日本はこの線を“李承晩ライン“と呼び、この線の内側に竹島が含まれていた。つまり李大統領は、「独島は韓国の領土だ」と一方的に宣言したのだ。これ以後、李ラインの内側に入った日本の漁船は、次々に拿捕(だほ・捕まること)され、中には韓国側から銃撃を受けて死亡する漁船員も出たのだ。韓国政府は日本人なら何人殺してもかまわない。殺せば殺すほど株を上げるという考えは既にこの頃から存在した。また、1954年になると、韓国は竹島に警備隊を常駐させ、灯台も建設。海上保安庁の巡視船が近づくと、銃撃されることも起きるようになった。それ以来、日本政府としては、外交交渉で解決をはかるという方針をとり、韓国による竹島の実効支配が始まった。
日本はその後、国際司法裁判所に提訴することを求めるが、韓国はこれを拒否。国際司法裁判所は、国家間の紛争を扱う国連の組織だが、独自に調停に入ることはせず、紛争当事国の双方が了承して初めて審理に入る仕組みになっている。要するに韓国が土俵に立つ事を拒み続ければ裁判は始まらないと言う事。日本が提訴を提案しても、韓国は、「独島は韓国の領土であり、領土紛争など存在しない」と主張して、提訴を認めないのが現状。こうして、韓国による実効支配の実績が積み重なっていくことになる。第二次世界大戦後に韓国が建国された後も、日本と韓国の間には国交は無く、国交を結ぶための交渉は1951年から始まった。この日韓交渉では、日本の植民地支配について日本が韓国に賠償金を支払うかどうかが大問題になり、竹島問題は棚上げされてしまった。竹島までも議論することになると、日韓交渉が行き詰まることは目に見えていたため、それを避けたのだ。交渉の過程で、日本の外務省の首脳が、「竹島が日韓交渉進展のために邪魔になるのなら、いっそのこと爆破してしまえばいい」と発言したこともあった。1965年、日本と韓国は日韓条約を締結。日本は韓国に賠償金を支払わない代わりに、「独立祝い金」を贈ると共に、韓国の経済発展のための経済協力に資金を提供することで話がまとまったが、竹島問題は、棚上げのままであった。こうして、とりあえず竹島問題は棚上げしたまま、日韓は関係を深められたが、竹島周辺の海域では、その後も緊張状態が続き、韓国は竹島を独島という領土だと主張しているので、竹島周辺海域も韓国の領海や排他的経済水域だと主張している。排他的経済水域というのは、領海ではなく、他国の船が自由に往来できるものの、漁業や海底の資源採取などの経済活動をすることは、その国の許可がなければできない水域のこと。竹島は日本と韓国の両方が領土だと主張しているので、竹島周辺の海域も、双方にとって領海であり排他的経済水域ということになる。そこで島根県の漁船が竹島周辺の海域で漁業をしようとすると、韓国の漁船と漁場を奪い合いになったり、韓国の警備艇が来て追い出されたりするということになり、このため日本と韓国が話し合った結果、日韓双方の漁船が、相手方の排他的経済水域でも漁業ができるという日韓漁業協定を結んだ。当時の世相は200海里問題が強く有り、アメリカの様に魚を食わない国が日本叩きの一環として領海を広げる流れが強くあった。しかし当時日韓の間での竹島をめぐっての争いはひとまず棚上げした上での“大人の”解決方法だった。しかし、それでも島根県の漁船は、自由な漁業ができないことが多く、困った漁業関係者の声を受け止める形で、島根県の条例ができた。せめて日本国民に竹島のことを知ってもらい、北方領土と同じように返還運動を高めようという狙いだった。日本では島根県の人たちが何とか日本国民に知ってもらおうとしていたが、韓国では、学校教育で必ず「独島はわが国の神聖な領土」と教え込まれ、小学生の中でも”日本は侵略国家“と思う子も多い。
あれは3年前のニュージーランド出張の時だったが、空港から市内に向うバスの中で韓国の中学生3人組みと一緒になった。彼らの1人は流暢な英語を話した。その子が私に”お金を払うから携帯電話を使わせてほしい“と頼んできた。勿論私は快く無料で好きなだけ使わせてあげた。彼は物凄く喜んで Thank you を連発そして You are very kind !! といってくれた。そこで私は All Japanese are kind !! というと随分受けて彼ら3人と楽しく20分程のバスの旅をした。きっとその子達も小学生時代から日本人は侵略人という先入観を刷り込まれていたのだろう。バスを下車したとき、子供達の先生が待っていた。そして私の事を(携帯を貸した事等)教えたのだろう。先生は両手で私に握手を求めてきた。 個人レベルだと本当はこの様にみんなと仲良くできるのだけど…… 続く
韓国の国民は誰でも独島を知っていて、「自分たちの国の島だ」と思っており、だからこそ、日本が「竹島は日本のものだ」と主張すると、反射的に反発してしまうのだ。しかも韓国では、日本人の中でも知っている人は多いと思が1982年に、「独島はわが土地」という曲が大ヒットした。「ハワイはアメリカの土地、対馬は日本の土地、独島はわれらが土地」という歌詞の歌で、これで韓国ではますます誰もが知っている島になっている。ここに、日韓の温度差がある。いずれにしても、竹島は、韓国が実効支配しており、国際法では、実効支配が50年続くと、その領土は実効支配していた国のものと認められることになっている。韓国が竹島を実効支配するようになったのは1954年。そのままにしておいては、国際法上、竹島は韓国のものになってしまう。日本としては、それを阻止するため、韓国の実効支配を認めないというアピールをしておかなければならない。そこで、毎年韓国に対して、「竹島は日本の領土であり、そこを韓国が不法に占領していることは認められない」という口上書を提出している。また、海上保安庁の巡視船が時折竹島に近づいて、韓国側が「自国の領海」と主張している海域に入るという行動をとっているが、それは「ここは日本の領土であり領海だ」というアピールしているのでが、そのたびに、竹島周辺の海域では日本の巡視船と韓国の警備隊との間で緊張が走っている。
昨日4月21日の日韓外相レベルでも会談では双方の主張をぶつけ合うに留まるも引き続き会談は続けられる事は確認された。だが私はこれで日本政府が求める次官級協議から始まり政府間交渉で鎮め様とする方策に韓国側も流れてくる様に思う。確かに韓国政府は18日、アナン国連事務総長に“宣言書”を寄託した。これは「国連海洋法条約の298条にのっとって、一方的提訴によって国際裁判所に紛争問題解決に向けた付託ができると定めている国連海洋法条約の強制紛争解決手続きを排除するための宣言書」と言うもので、この措置は、国連に提出すると同時に発効する。これにより、国際司法裁判所、国際海洋法裁判所、仲裁裁判所、特別仲裁裁判所のいずれにおいても、韓国が、海洋境界区画設定、軍事活動、海洋科学調査及び漁業に関する法の執行活動、国連安全保障理事会の権限遂行に関する紛争によって提訴される可能性はなくなった。要するに日本が口出し出せなくなった様に思われる。 国際社会で海洋紛争が発生する場合、多数の国家が国際海洋法裁判所に仲裁を求める。従って今回の措置は、日韓での紛争が海洋法裁判所に持ち込まれることを防ぐための措置ということになる。今回の措置によって、例えば韓国政府が韓国主張するEEZ(排他的経済水域)を無いに入った日本の海上保安庁測量船を拿捕(だほ)したとしても、日本の提訴によって国際海洋法裁判所などに付託されることはなくなった。また韓国側が竹島と隠岐島との中間線をEEZの境界線として宣言したとしても、日本がこれを不服として国際裁判所に是正を要求することはできなくなった。外交部の当局者は、「今後発生し得るすべての問題に備えた措置」と明らかにした。韓国は先手を打ってこの問題の主導権を握ったつもりでいるが、韓国内でもこの方策を効果的だとは評価しない専門かも。それは韓国政府の取った措置が、国際社会にまるで独島領有権問題に対して自信がないかのように映る可能性があると指摘しており、ある韓国の海洋法専門家は、「韓国政府が、事前にこれを宣言していたなら特に問題はなかったと思うが、今回の事態が発生した後にこうした措置を取ったのは体裁上好ましくない」とし、「国際社会における信頼性の面で問題が発生する可能性も無視できず、外交的にうまく対処しなければならないだろう」と述べている。ここは思い切って日本側も竹島の領有権を巡って国際司法裁判所への提訴を世界に向けてアピールすべきだ。そして韓国にその席に着かせるように圧力をかければ、過去の歴史史料から日本の領有権が認められる可能性が非常に高い。要するに韓国は勝ち目の無い勝負を避けているのだ。だがこの問題を先送りしてきた日本政府にも非は大いにある。この問題の白黒をはっきりさせるべく政治方策をこの際進めるべきだ。
この竹島問題に便乗する様に韓国野球委員会(KBO)が、日本式の漢字や英語が大部分を占める野球規則を、より分かりやすいハングルに改正する作業を進める様になった。 KBOの野球用語委員会(ホ・グウォン委員長)は20日、江南区道谷洞の野球会館で、現行規則の「防御率」を「平均自責」に、「遠征試合」を「訪問試合」に改めるなど、規則上の用語について大幅な改正作業を進めていることを明らかにした。 今韓国では併合時代に遡り親日派を探し罰を加える不可解な魔女狩りが横行しているが、ここまで徹底するとこちらは感心してしまう。
4月21日。我が愛するジャイアンツは前年の覇者、阪神タイガースと今シーズン初対決。試合は延長11回、李承の劇的なサヨナラ逆転2ランホームランで5年ぶりにタイガース戦のシーズン初戦をものにした。岡田監督はその前、2エンド1後の外角の際どいところをボールとされた事に怒りを隠さない。竹島問題がそれまで15打席無安打の李承を奮い立たせたかはわからない。しかし、私はスポーツ選手には国境は無いと考えている。韓国のマスコミは大喜びだろうが私も大喜びだ。なぜならそれは韓国の李承がやったと言うよりも、ジャイアンツの李承、スンちゃんが打ってくれたからだ。
昨日4月21日の日韓外相レベルでも会談では双方の主張をぶつけ合うに留まるも引き続き会談は続けられる事は確認された。だが私はこれで日本政府が求める次官級協議から始まり政府間交渉で鎮め様とする方策に韓国側も流れてくる様に思う。確かに韓国政府は18日、アナン国連事務総長に“宣言書”を寄託した。これは「国連海洋法条約の298条にのっとって、一方的提訴によって国際裁判所に紛争問題解決に向けた付託ができると定めている国連海洋法条約の強制紛争解決手続きを排除するための宣言書」と言うもので、この措置は、国連に提出すると同時に発効する。これにより、国際司法裁判所、国際海洋法裁判所、仲裁裁判所、特別仲裁裁判所のいずれにおいても、韓国が、海洋境界区画設定、軍事活動、海洋科学調査及び漁業に関する法の執行活動、国連安全保障理事会の権限遂行に関する紛争によって提訴される可能性はなくなった。要するに日本が口出し出せなくなった様に思われる。 国際社会で海洋紛争が発生する場合、多数の国家が国際海洋法裁判所に仲裁を求める。従って今回の措置は、日韓での紛争が海洋法裁判所に持ち込まれることを防ぐための措置ということになる。今回の措置によって、例えば韓国政府が韓国主張するEEZ(排他的経済水域)を無いに入った日本の海上保安庁測量船を拿捕(だほ)したとしても、日本の提訴によって国際海洋法裁判所などに付託されることはなくなった。また韓国側が竹島と隠岐島との中間線をEEZの境界線として宣言したとしても、日本がこれを不服として国際裁判所に是正を要求することはできなくなった。外交部の当局者は、「今後発生し得るすべての問題に備えた措置」と明らかにした。韓国は先手を打ってこの問題の主導権を握ったつもりでいるが、韓国内でもこの方策を効果的だとは評価しない専門かも。それは韓国政府の取った措置が、国際社会にまるで独島領有権問題に対して自信がないかのように映る可能性があると指摘しており、ある韓国の海洋法専門家は、「韓国政府が、事前にこれを宣言していたなら特に問題はなかったと思うが、今回の事態が発生した後にこうした措置を取ったのは体裁上好ましくない」とし、「国際社会における信頼性の面で問題が発生する可能性も無視できず、外交的にうまく対処しなければならないだろう」と述べている。ここは思い切って日本側も竹島の領有権を巡って国際司法裁判所への提訴を世界に向けてアピールすべきだ。そして韓国にその席に着かせるように圧力をかければ、過去の歴史史料から日本の領有権が認められる可能性が非常に高い。要するに韓国は勝ち目の無い勝負を避けているのだ。だがこの問題を先送りしてきた日本政府にも非は大いにある。この問題の白黒をはっきりさせるべく政治方策をこの際進めるべきだ。
この竹島問題に便乗する様に韓国野球委員会(KBO)が、日本式の漢字や英語が大部分を占める野球規則を、より分かりやすいハングルに改正する作業を進める様になった。 KBOの野球用語委員会(ホ・グウォン委員長)は20日、江南区道谷洞の野球会館で、現行規則の「防御率」を「平均自責」に、「遠征試合」を「訪問試合」に改めるなど、規則上の用語について大幅な改正作業を進めていることを明らかにした。 今韓国では併合時代に遡り親日派を探し罰を加える不可解な魔女狩りが横行しているが、ここまで徹底するとこちらは感心してしまう。
4月21日。我が愛するジャイアンツは前年の覇者、阪神タイガースと今シーズン初対決。試合は延長11回、李承の劇的なサヨナラ逆転2ランホームランで5年ぶりにタイガース戦のシーズン初戦をものにした。岡田監督はその前、2エンド1後の外角の際どいところをボールとされた事に怒りを隠さない。竹島問題がそれまで15打席無安打の李承を奮い立たせたかはわからない。しかし、私はスポーツ選手には国境は無いと考えている。韓国のマスコミは大喜びだろうが私も大喜びだ。なぜならそれは韓国の李承がやったと言うよりも、ジャイアンツの李承、スンちゃんが打ってくれたからだ。
ノムヒョン大統領の支持率が落ち込み、韓国政府恒例の日本たたきが始まった。今回はその定番中の定番“竹島問題”。彼らの言い分は最初から竹島は韓国古来の領土独島と言う事から始まっている。海上保安庁は“日本の領土を検地、測量する事は何ら他国の干渉を受けるものではない”との堂々のコメント。韓国政府は6月にドイツで開催されるある国際会議でこの海域の名称を韓国の主張する名称に変更する提案を出すつもりだが、日本側には絶対的な歴史史料が揃っている。この際6月にこの島が何処の領土に属するかを国際裁判等の世界レベルで審判して貰うしか解決策は無いと思われる。
それに先立ち、韓国紙のスポーツ面は未だイチロー叩きでその紙面作りをしている。先週末に、朝鮮日報(スポーツ朝鮮紙が出所らしい)には我が愛するジャイアンツで活躍する李承の成績を引き合いに出し、先週末まで打率2割に達さないイチローを下記の様に揶揄している。
WBCの韓日看板バッター、イ・スンヨプ(読売ジャイアンツ)と鈴木イチロー(シアトル・マリナーズ)が相反した成績になっている。イ・スンヨプは日本プロ野球の‘巨人’になった一方、イチローは‘屈辱的な’打率でシーズン初盤に面目をつぶしている。 WBC当時、重みのある5本塁打で活躍したイ・スンヨプと、自国ファンの目を引くため終始大げさに振舞い続けたイチローゆえに、いっそう対照的だ。
イチローは13日現在(以下韓国時間)、9試合で打率2割3分1厘、1打点、出塁率3割1分8厘という低調な成績にとどまっている。それさえも13日のクリーブランド・インディアンズ戦で3安打と固め打ちしたおかげで2割台になった。前日までは19打席無安打、打率1割7分6厘だった。14日の試合でシーズン初本塁打を放ち、そろそろペースが上がってきそうな兆しだが、相変わらずがっかりするような成績だ。
年俸1253万ドル(約120億ウォン)をもらう選手らしくない。いや、イチローらしくない成績だ。わずか2年前の2004年に大リーグ1シーズン最多安打新記録(262本)を打ち立てた。去年は2001年の米進出以降、最悪の不振という評価にもかかわらず206安打、打率3割3厘をあげた。デビューの後5シーズン連続200安打以上を記録した大リーグ初の選手だ。
一方、イ・スンヨプは日本野球界で最高の人気チーム・巨人の4番打者として絶好調だ。13日現在、セリーグ打率3位(4割9厘)、得点1位(15点)、最多安打(18本)、打点1位タイ(12点)、本塁打5位タイ(3本)、出塁率2位(4割9分1厘)、長打率5位(6割8分2厘)など非の打ち所がない成績だ。そのうえまじめで物腰が柔らかいマナーでファン層を広げている。チームメイトともまるで以前からの仲間のように馴染んでいる。
イチローはWBCの時の‘30年発言’をはじめ、韓国戦の際にダッグアウトで態度が中継されるなど、普段の冷静沈着なイメージと程遠いオーバーアクションを数多くした。これをめぐって韓国の野球専門家は「WBCを通じて自国ファンの関心を集めるため意図した行動のようだ」と評している。イチローはオリックス時代に7シーズン連続で打撃王になった。しかし少々閉鎖的な性格のため、ソフトな松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)ほどは人気が出なかった。
まずイチローの振る舞いだが、大げさだ思っているのは韓国のマスコミくらいで、試合終了後マウンド上に大極旗を立てたドジャース所属の徐在応の方が大げさではないか?それに大会終了後に日本との再戦を希望する声明を発表した韓国野球委員会(KBO)の辛相佑総裁も同じだ。それにイチローは既にマリナーズでは押しも押されぬ中心選手。地元のマリナーズファンで彼を悪くは言う人は少ないはずだ。
それに30年発言を大きく取り上げ、そして未だそれにすがっているのは韓国のマスコミだけ。彼のコメントを歪曲して自国の注目を集めたかったのは韓国側だ。そしてイチローが200本安打を記録した1994年以降の人気度についてもう一度よく調べたほうが良い。1994年当時は松井よりも人気があったのではないか?
確かに李承は素晴らしい。ジャイアンツの開幕ダッシュに大いに貢献してくれている。ファンとしても頼もしい存在だ。 だがイチローはメジャーリーグ選手。比較された李承の方も少し戸惑うのではないかな? この際韓国人メジャーリーガーと比較して頂きたいものだ。 シーズン開幕直後は下記の記事もあったのだが。
日本人打者は、めざましい活躍を見せている。なかでも、今年初めにシアトル・マリナーズに入団した捕手・城島健司の活躍が目立つ。城島は6日現在(以下韓国時間)、3試合で2本のホームランを放ち、打率3割6分4厘、3打点を記録している。初の東洋人キャッチャー・メジャーリーガーという点から、米国野球への適応は容易ではないと予想されたが、少なくとも打撃の面では、懸念を完全に払拭した。
同じくマリナーズの打者イチローは、3割3分3厘、4得点。昨年ようやく3割を超える「予想外の低迷」を経験したが、今シーズンは順調な滑り出しを見せている。
ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜は、さらに大きな破壊力を見せつけている。打率5割、2ホームラン、5打点。昨年末、所属チームと4年間5200万ドルの大型FA契約に成功した後、さらに安定感を増している。 昨シーズンのチャンピオン、シカゴ・ホワイトソックスの内野手・井口資仁は、まだわずか2試合の出場とはいえ、打率がなんと5割7分1厘をマークしている。打点2、3得点。
一方、韓国人メジャーリーガーは、シーズン序盤でまだペースをつかみかねている。先発からブルペン入りしたサンディエゴ・パドレスの朴賛浩(パク・チャンホ)投手は6日現在、登板のチャンスが与えられていない。
ボストン・レッドソックスの崔熙渉(チェ・ヒソプ)は、左太ももを痛めて、故障者リスト(DL)入り。コロラド・ロッキーズの金炳賢(キム・ビョンヒョン)も、15日間の故障者リスト入りし、完全に回復できるのは今月末になるという見通しとなった。 ロサンゼルス・ドジャースの徐在応(ソ・ジェウン)だけが、安定したスケジュールにある。今月12日、ピッツバーグ・パイレーツ戦に先発登板する予定。第5先発投手の徐在応は、シーズン開幕第1週に休日が含まれていたため、先発登板を1回とばしている。その代わりに今月5日、アトランタ・ブレーブスとのホーム試合で、中継ぎで登板して3イニングを投げ、3安打、3失点を記録した。失点は多いが、ピッチングの内容はまずまず。 金善宇は7日(韓国時間)、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのホーム試合で1と1/3回を投げ、本塁打1本を含む4安打を許し5失点した。
だがイチローはレンジャーズ戦でついに4安打の固め打ちに続いて翌日も3の1と打率を.232に上げ、今シーズンも打率3割を残す事は間違いないと思わせている。韓国スポーツ紙は最近では崔熙渉ら3Aでの一投一打を記事にしているが、そろそろ記事作りが厳しいのだろう。そして李承だけではネタが廻らなくなったのではないか? この際日本のスポーツ紙も“アジア選手の活躍”と名を打って日韓メジャー選手の戦績を紹介してはどうか?恐らく韓国大使館から直ぐに特使が送られるに違いない。あぁ3Aはメジャーではなかった。
ではそもそも竹島問題とはどういう流れであったのだろう…… 続く
それに先立ち、韓国紙のスポーツ面は未だイチロー叩きでその紙面作りをしている。先週末に、朝鮮日報(スポーツ朝鮮紙が出所らしい)には我が愛するジャイアンツで活躍する李承の成績を引き合いに出し、先週末まで打率2割に達さないイチローを下記の様に揶揄している。
WBCの韓日看板バッター、イ・スンヨプ(読売ジャイアンツ)と鈴木イチロー(シアトル・マリナーズ)が相反した成績になっている。イ・スンヨプは日本プロ野球の‘巨人’になった一方、イチローは‘屈辱的な’打率でシーズン初盤に面目をつぶしている。 WBC当時、重みのある5本塁打で活躍したイ・スンヨプと、自国ファンの目を引くため終始大げさに振舞い続けたイチローゆえに、いっそう対照的だ。
イチローは13日現在(以下韓国時間)、9試合で打率2割3分1厘、1打点、出塁率3割1分8厘という低調な成績にとどまっている。それさえも13日のクリーブランド・インディアンズ戦で3安打と固め打ちしたおかげで2割台になった。前日までは19打席無安打、打率1割7分6厘だった。14日の試合でシーズン初本塁打を放ち、そろそろペースが上がってきそうな兆しだが、相変わらずがっかりするような成績だ。
年俸1253万ドル(約120億ウォン)をもらう選手らしくない。いや、イチローらしくない成績だ。わずか2年前の2004年に大リーグ1シーズン最多安打新記録(262本)を打ち立てた。去年は2001年の米進出以降、最悪の不振という評価にもかかわらず206安打、打率3割3厘をあげた。デビューの後5シーズン連続200安打以上を記録した大リーグ初の選手だ。
一方、イ・スンヨプは日本野球界で最高の人気チーム・巨人の4番打者として絶好調だ。13日現在、セリーグ打率3位(4割9厘)、得点1位(15点)、最多安打(18本)、打点1位タイ(12点)、本塁打5位タイ(3本)、出塁率2位(4割9分1厘)、長打率5位(6割8分2厘)など非の打ち所がない成績だ。そのうえまじめで物腰が柔らかいマナーでファン層を広げている。チームメイトともまるで以前からの仲間のように馴染んでいる。
イチローはWBCの時の‘30年発言’をはじめ、韓国戦の際にダッグアウトで態度が中継されるなど、普段の冷静沈着なイメージと程遠いオーバーアクションを数多くした。これをめぐって韓国の野球専門家は「WBCを通じて自国ファンの関心を集めるため意図した行動のようだ」と評している。イチローはオリックス時代に7シーズン連続で打撃王になった。しかし少々閉鎖的な性格のため、ソフトな松井秀喜(現ニューヨーク・ヤンキース)ほどは人気が出なかった。
まずイチローの振る舞いだが、大げさだ思っているのは韓国のマスコミくらいで、試合終了後マウンド上に大極旗を立てたドジャース所属の徐在応の方が大げさではないか?それに大会終了後に日本との再戦を希望する声明を発表した韓国野球委員会(KBO)の辛相佑総裁も同じだ。それにイチローは既にマリナーズでは押しも押されぬ中心選手。地元のマリナーズファンで彼を悪くは言う人は少ないはずだ。
それに30年発言を大きく取り上げ、そして未だそれにすがっているのは韓国のマスコミだけ。彼のコメントを歪曲して自国の注目を集めたかったのは韓国側だ。そしてイチローが200本安打を記録した1994年以降の人気度についてもう一度よく調べたほうが良い。1994年当時は松井よりも人気があったのではないか?
確かに李承は素晴らしい。ジャイアンツの開幕ダッシュに大いに貢献してくれている。ファンとしても頼もしい存在だ。 だがイチローはメジャーリーグ選手。比較された李承の方も少し戸惑うのではないかな? この際韓国人メジャーリーガーと比較して頂きたいものだ。 シーズン開幕直後は下記の記事もあったのだが。
日本人打者は、めざましい活躍を見せている。なかでも、今年初めにシアトル・マリナーズに入団した捕手・城島健司の活躍が目立つ。城島は6日現在(以下韓国時間)、3試合で2本のホームランを放ち、打率3割6分4厘、3打点を記録している。初の東洋人キャッチャー・メジャーリーガーという点から、米国野球への適応は容易ではないと予想されたが、少なくとも打撃の面では、懸念を完全に払拭した。
同じくマリナーズの打者イチローは、3割3分3厘、4得点。昨年ようやく3割を超える「予想外の低迷」を経験したが、今シーズンは順調な滑り出しを見せている。
ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜は、さらに大きな破壊力を見せつけている。打率5割、2ホームラン、5打点。昨年末、所属チームと4年間5200万ドルの大型FA契約に成功した後、さらに安定感を増している。 昨シーズンのチャンピオン、シカゴ・ホワイトソックスの内野手・井口資仁は、まだわずか2試合の出場とはいえ、打率がなんと5割7分1厘をマークしている。打点2、3得点。
一方、韓国人メジャーリーガーは、シーズン序盤でまだペースをつかみかねている。先発からブルペン入りしたサンディエゴ・パドレスの朴賛浩(パク・チャンホ)投手は6日現在、登板のチャンスが与えられていない。
ボストン・レッドソックスの崔熙渉(チェ・ヒソプ)は、左太ももを痛めて、故障者リスト(DL)入り。コロラド・ロッキーズの金炳賢(キム・ビョンヒョン)も、15日間の故障者リスト入りし、完全に回復できるのは今月末になるという見通しとなった。 ロサンゼルス・ドジャースの徐在応(ソ・ジェウン)だけが、安定したスケジュールにある。今月12日、ピッツバーグ・パイレーツ戦に先発登板する予定。第5先発投手の徐在応は、シーズン開幕第1週に休日が含まれていたため、先発登板を1回とばしている。その代わりに今月5日、アトランタ・ブレーブスとのホーム試合で、中継ぎで登板して3イニングを投げ、3安打、3失点を記録した。失点は多いが、ピッチングの内容はまずまず。 金善宇は7日(韓国時間)、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのホーム試合で1と1/3回を投げ、本塁打1本を含む4安打を許し5失点した。
だがイチローはレンジャーズ戦でついに4安打の固め打ちに続いて翌日も3の1と打率を.232に上げ、今シーズンも打率3割を残す事は間違いないと思わせている。韓国スポーツ紙は最近では崔熙渉ら3Aでの一投一打を記事にしているが、そろそろ記事作りが厳しいのだろう。そして李承だけではネタが廻らなくなったのではないか? この際日本のスポーツ紙も“アジア選手の活躍”と名を打って日韓メジャー選手の戦績を紹介してはどうか?恐らく韓国大使館から直ぐに特使が送られるに違いない。あぁ3Aはメジャーではなかった。
ではそもそも竹島問題とはどういう流れであったのだろう…… 続く
4月15日。楽しみにしていたJ1第8節。我が愛する京都パープルサンガの試合観戦に出掛けた。試合会場は自宅近くのさいたまスタジアム2002。サンガのJ1でのゲームを観戦するのは4年ぶりだ。3年前、J1から陥落した年は色々都合があって観戦には行けなかった。その後2年間過ごしたJ2では毎年何度か観戦に行ったが、やはりJ1のゲームは格別だ。しかもその舞台がさいたまスタジアム2002というのもたまらない。2002年、感動のワールドカップ日韓大会が行われた年、ここで実際にワールドカップのゲームを観戦し、年末には天皇杯の準決勝戦、サンフレッチェ広島対京都パープルサンガの試合を観に来た。そして数日後の元旦では鹿島アントラーズを破って優勝した。本当に忘れられない1年であった。あれから4年が経った。対戦相手は首位を独走するの浦和レッズ。過去の対戦では以外にレッズとの相性は悪くない。2003年は1敗1分だったが、その前の2002年のシーズンは1勝1敗、そして1999年はサンガが2連勝しておりレッズはこの年降格してしまった。 2000年、レッズは1年でJ1復帰を果たすが、今度はサンガがJ2に降格をしてしまいその2年間対戦はなかった。1996年、開幕から18連敗を記録した京都サンガがJリーグ公式戦で初めて勝点を上げたナビスコ杯の相手が浦和レッズ。そしてその次のナビスコ杯の試合で勝利を収めた相手もレッズであった。 4月15日の試合も過去の相性にすがりたかった。
何とか無失点の前半
競技場入りして座席を確保し、何か食べるものをと売店に向う。多くの人々が食べ物、飲み物を求めて整然と列を成して並んでいる姿は日本ならではの光景だ。外国の競技場なら行儀良く並んでいたらいつまでたっても目的に辿りつけない。やがて40,000人の大歓声に乗ってレッズのスタメンが発表される。怪我で小野伸二が不在だが坪井、三都主の代表クラスは健在。かつてサンガの中心選手でもあった黒部光昭がスクリーンに映し出されるとサンガサポーターから一斉にブーイングが。朴智星、松井大輔そして黒部が揃った2002年度は天皇杯を勝ち取ったのだが。黒部も一時は代表候補に名を連ね、川淵キャプテンが“良い宝物を見つけた”と賞賛をした選手だったが、6月にドイツのピッチに立つ可能性は皆無に近いだろう。 試合は地力に優るレッズが押す展開。開始2分には早くも坪井のオーバーラップからチャンスを掴む。 サンガは4バックというよりも4人ディフェンス。リカルド、鈴木悟が不在で替わって登尾、鷲田の二人が真中を守る。前節のグランパス戦は何とか1失点に抑えられたのだが。右サイドの大久保は三都主、左サイドの児玉は更にポンテ、平川そして堀之内の攻撃に相対し続ける90分であった。 更に中盤の斉藤、米田も守備に腐心する試合。両サイドを非常に有効にワイドにボールを回されるという展開は逆に昨季サンガがJ2で相手チームに披露し続けたシーン。しっかりと中を絞って相手の決定機は必ず数的優位を保つと言う動きは前半はかなり機能し、ハーフタイムにレッズのロッカールームでブッフバルト監督のご機嫌を損ねる事に。 それでも立ち上がりは何度かカウンターからトップ下のジェフから移籍してきた林丈統を通じてアレモンにすばやく繋ぎ、彼の個人技から好機を見出す。10分にはカウンターから得たCKからアレモンが放ったショットは都築の好セーブに阻まれ、続いて得たCKから林がシュートを放つがクロスバーを越してしまった。15分にもFKから登尾が切れ込んで撃つが惜しくもポストの外を通過する。しかし、これ以降はレッズの分厚い攻撃の前に斉藤が攻撃に転ずるどころではなく防戦一方。20分には堀之内に左から裂かれて最後は登尾ら3人のマークを力で振り切ったワシントンがシュート。その直後にも山田が持ち込んで右のポンテ、堀之内に。そして左の三都主にサイドチェンジされワシントン、再び三都主に戻ってのシュートはDFに当たってコーナーに。これだけペナルティーエリアで回されてはDF MF 陣のスタミナ消耗もきつくなる。28分、山田からのパスに反応したワシントンのシュートは平井がファインセーブで阻むとそのこぼれ球に反応した三都主のシュートはポストを叩いた。35分を過ぎると闘莉王が攻撃参加をはじめる、ワシントンとのワンツーで抜け出てシュートを放つがDFに当たる。その直後には山田から三都主にわたりゴール前の闘莉王にクロス。そこから打たれたヘッドはGK平井の正面に。しかし、この裏を狙うかの様にサンガもゴール前に迫るシーンが。38分には闘莉王からワシントンに渡るが次のボールを鷲田が奪いアレモンにフィード。アレモンは右の加藤にはたくきレッズゴールを目指す。一旦は左方向に走り堀之内を引き付けて一気に右に切れ込みそこに加藤からのゴロのパスがピタリと合う。アレモンはまだペナルティエリアに入ったばかりだがそのままシュート。惜しくもファーポスト側に外れていった。さらに40分には美尾の突破を堀之内がファールで止めそこで得たFKからアレモンが再びシュートに持ち込むがバーを越える。更に児玉がカウンターからチャンスを掴むが惜しくもボールに触れる前に都築が掴む。この数分間、目の前で繰り広げられたサンガの攻撃に、レッズサポーターは冷や汗をかいただろう。このままの流れでサンガは無失点で前半を終えて欲しいと思った45分、レッズボールのスローインを山田が頭でそらし、それを受けた闘莉王がそのままアクロバティックなボレーを打つがポストをかすめる。こっちが冷や汗をかく番だった。そして前半を終える。猛攻を耐えたサンガDF,MF陣にサポーターから歓声が送られる。後半も何とかこのまま行って欲しいと祈る。
地力の差がそのまま出た後半
後半は監督に活を入れられたレッズ攻撃陣が早い動きとパス回しで支配。開始早々からサンガ選手はボールに触れない。48分には三都主がワシントン、堀之内に立て続けに決定機を演出するが何とか失点には至らない。しかしサンガもその直後に林が素早いドリブルでレッズゴールに迫ったところを坪井にファールで止められる。そこで得たゴール前約25mのFKを林が直接狙うがGKの正面に。この好機を境にサンガは両サイドに早くボールを繋ぐ様になり、アレモンがペナルティーエリアに侵入するケースが。守備陣が頑張っていたので何とか先制をと思うも55分均衡を破ったのはレッズだった。闘莉王からのスルーに三都主が走り込みそのまま中に入れ長谷部にドンピシャのタイミングで走り込まれ、サンガDF二人着いていたのだがゴールネットを揺らされた。試合のペースを掴みかけていた時間だっただけに痛い失点であった。柱谷監督は失点した3分後の58分に中払を加藤に替えて投入し攻撃力のアップを図る。しかし、その直後にポンテに持ち込まれる、そのシュートは平井が好セーブ。レッズは前後だけでなく、左右の展開も更に速くなり支配率を上げていく。63分には大歓声に迎えられ岡野が投入される。8年前、国立競技場で同じカードを観戦した。その試合後(試合は延長Vゴールでレッズの勝利)小野伸二と共にワールドカップ直前のローザンヌ合宿に旅立つ事が紹介されレッズ、サンガの両サポーターから大歓声を浴びて場内1周をした事を思い出した。今だスピードは衰えずか?それともスピードのスタミナが衰えたからスタメンを張れないのか?しかし岡野が左サイドに侵入するたびにレッズサポーターは大喜び。63分にはワシントンとのパス交換からDF3人に囲まれながらシュードで持ち込む。68分には松田がアレモンに替えて投入される。おそらく松田の高さを狙うと言う方策であろうが、私の心配通り、ゴール前まで持ち込めるアレモンが下がりレッズDFは楽に高い位置でポジションをキープ出来る様になりサンガのカウンターもレッズDFの網にかかりペナルティーエリアが遠くなる。闘莉王、三都主の上がった裏を狙うも坪井、堀之内が早めに芽を摘んでしまう。72分には三都主が美尾に倒されて得たFKを早いリスタートから山田、再び右サイドに深く侵入したアレックスに渡りファーサイドにいたワシントンへ。鷲田が先に触れたがそのこぼれ球がワシントンの足元に転がり余裕を持って2点目を決められてしまった。この三都主の動きとクロスは1点目と殆ど替わらないパターンであったがなす術が無かった。先制点を喫した後、次のゴールをどちらが奪うかで勝負が、と思っていただけに数十人のサンガサポーターも静まり返るばかりだった。その直後にはゴールはならなかったが山田に余裕をもってミドルを打たれる。何とか1点をすぐに返してくれればと淡い期待を持つ。そしてアップを続けていた田原豊がベンチに呼ばれる。だが、彼を入れるならなぜもっと早く、2点目を失う前に入れなかったのだろうと疑問に思う。しかし田原が入る前に3失点目が。坪井、山田とつながれ、右サイドを三都主の侵入を許し折り返されたところを受けたワシントンに決められた。その直後にようやく3年前のJ1時代を経験した田原豊がピッチに入るが、残り時間も得点差も彼にはどうする事も出来ずにタイムアップ。今季初めての完封負けを喫した。ロスタイムに中払と接触し相馬と交代した3アシストの三都主は、試合後は元気に?地元テレビ局のインタビューを受けていた。 三都主は前半、足元にボールを貰うばかりであったが、後半は流れる動きからボールを受けそれがアシストに繋がった。新加入のワシントンは強靭な肉体でポストプレーは脅威だが、昨年途中までいたあのエメルソンの様に高速に飛び出してくる選手がおればもっと失点を重ねていただろう。彼の替わりは永井雄一郎、田中達也といるのであろうが、田中達也は怪我の回復後もスピードが失われていないかが少し心配だ。 そしてサンガだが、やはりJ1の厳しさを感じているだろう。前半の終盤から後半開始早々の好機を生かさないとそうそう得点機はやってこない。J2でダントツ優勝したといっても前年J1から降格したチームが無く、明らかにレベルは下がっていた。そして相手はJ1でも優勝争いが常連のチーム。しかも攻守に中心選手を欠いていては柱谷監督のゲームプラン“守備をしっかりオーガナイズして、カウンターを仕掛ける形を作ろう”を通じてのみ勝利の可能性が見出せると言うのはサンガサポーターも周知であっただろう。次節はホームで鹿島戦。GK平井が専門紙で語った様にこのレッズ戦の前半を最低限とし、次節以降の戦いに繋げて貰いたい。まずはJ1残留が私の中では目標だ。(文中の左右の表現はサンガ側から見た位置です。)
何とか無失点の前半
競技場入りして座席を確保し、何か食べるものをと売店に向う。多くの人々が食べ物、飲み物を求めて整然と列を成して並んでいる姿は日本ならではの光景だ。外国の競技場なら行儀良く並んでいたらいつまでたっても目的に辿りつけない。やがて40,000人の大歓声に乗ってレッズのスタメンが発表される。怪我で小野伸二が不在だが坪井、三都主の代表クラスは健在。かつてサンガの中心選手でもあった黒部光昭がスクリーンに映し出されるとサンガサポーターから一斉にブーイングが。朴智星、松井大輔そして黒部が揃った2002年度は天皇杯を勝ち取ったのだが。黒部も一時は代表候補に名を連ね、川淵キャプテンが“良い宝物を見つけた”と賞賛をした選手だったが、6月にドイツのピッチに立つ可能性は皆無に近いだろう。 試合は地力に優るレッズが押す展開。開始2分には早くも坪井のオーバーラップからチャンスを掴む。 サンガは4バックというよりも4人ディフェンス。リカルド、鈴木悟が不在で替わって登尾、鷲田の二人が真中を守る。前節のグランパス戦は何とか1失点に抑えられたのだが。右サイドの大久保は三都主、左サイドの児玉は更にポンテ、平川そして堀之内の攻撃に相対し続ける90分であった。 更に中盤の斉藤、米田も守備に腐心する試合。両サイドを非常に有効にワイドにボールを回されるという展開は逆に昨季サンガがJ2で相手チームに披露し続けたシーン。しっかりと中を絞って相手の決定機は必ず数的優位を保つと言う動きは前半はかなり機能し、ハーフタイムにレッズのロッカールームでブッフバルト監督のご機嫌を損ねる事に。 それでも立ち上がりは何度かカウンターからトップ下のジェフから移籍してきた林丈統を通じてアレモンにすばやく繋ぎ、彼の個人技から好機を見出す。10分にはカウンターから得たCKからアレモンが放ったショットは都築の好セーブに阻まれ、続いて得たCKから林がシュートを放つがクロスバーを越してしまった。15分にもFKから登尾が切れ込んで撃つが惜しくもポストの外を通過する。しかし、これ以降はレッズの分厚い攻撃の前に斉藤が攻撃に転ずるどころではなく防戦一方。20分には堀之内に左から裂かれて最後は登尾ら3人のマークを力で振り切ったワシントンがシュート。その直後にも山田が持ち込んで右のポンテ、堀之内に。そして左の三都主にサイドチェンジされワシントン、再び三都主に戻ってのシュートはDFに当たってコーナーに。これだけペナルティーエリアで回されてはDF MF 陣のスタミナ消耗もきつくなる。28分、山田からのパスに反応したワシントンのシュートは平井がファインセーブで阻むとそのこぼれ球に反応した三都主のシュートはポストを叩いた。35分を過ぎると闘莉王が攻撃参加をはじめる、ワシントンとのワンツーで抜け出てシュートを放つがDFに当たる。その直後には山田から三都主にわたりゴール前の闘莉王にクロス。そこから打たれたヘッドはGK平井の正面に。しかし、この裏を狙うかの様にサンガもゴール前に迫るシーンが。38分には闘莉王からワシントンに渡るが次のボールを鷲田が奪いアレモンにフィード。アレモンは右の加藤にはたくきレッズゴールを目指す。一旦は左方向に走り堀之内を引き付けて一気に右に切れ込みそこに加藤からのゴロのパスがピタリと合う。アレモンはまだペナルティエリアに入ったばかりだがそのままシュート。惜しくもファーポスト側に外れていった。さらに40分には美尾の突破を堀之内がファールで止めそこで得たFKからアレモンが再びシュートに持ち込むがバーを越える。更に児玉がカウンターからチャンスを掴むが惜しくもボールに触れる前に都築が掴む。この数分間、目の前で繰り広げられたサンガの攻撃に、レッズサポーターは冷や汗をかいただろう。このままの流れでサンガは無失点で前半を終えて欲しいと思った45分、レッズボールのスローインを山田が頭でそらし、それを受けた闘莉王がそのままアクロバティックなボレーを打つがポストをかすめる。こっちが冷や汗をかく番だった。そして前半を終える。猛攻を耐えたサンガDF,MF陣にサポーターから歓声が送られる。後半も何とかこのまま行って欲しいと祈る。
地力の差がそのまま出た後半
後半は監督に活を入れられたレッズ攻撃陣が早い動きとパス回しで支配。開始早々からサンガ選手はボールに触れない。48分には三都主がワシントン、堀之内に立て続けに決定機を演出するが何とか失点には至らない。しかしサンガもその直後に林が素早いドリブルでレッズゴールに迫ったところを坪井にファールで止められる。そこで得たゴール前約25mのFKを林が直接狙うがGKの正面に。この好機を境にサンガは両サイドに早くボールを繋ぐ様になり、アレモンがペナルティーエリアに侵入するケースが。守備陣が頑張っていたので何とか先制をと思うも55分均衡を破ったのはレッズだった。闘莉王からのスルーに三都主が走り込みそのまま中に入れ長谷部にドンピシャのタイミングで走り込まれ、サンガDF二人着いていたのだがゴールネットを揺らされた。試合のペースを掴みかけていた時間だっただけに痛い失点であった。柱谷監督は失点した3分後の58分に中払を加藤に替えて投入し攻撃力のアップを図る。しかし、その直後にポンテに持ち込まれる、そのシュートは平井が好セーブ。レッズは前後だけでなく、左右の展開も更に速くなり支配率を上げていく。63分には大歓声に迎えられ岡野が投入される。8年前、国立競技場で同じカードを観戦した。その試合後(試合は延長Vゴールでレッズの勝利)小野伸二と共にワールドカップ直前のローザンヌ合宿に旅立つ事が紹介されレッズ、サンガの両サポーターから大歓声を浴びて場内1周をした事を思い出した。今だスピードは衰えずか?それともスピードのスタミナが衰えたからスタメンを張れないのか?しかし岡野が左サイドに侵入するたびにレッズサポーターは大喜び。63分にはワシントンとのパス交換からDF3人に囲まれながらシュードで持ち込む。68分には松田がアレモンに替えて投入される。おそらく松田の高さを狙うと言う方策であろうが、私の心配通り、ゴール前まで持ち込めるアレモンが下がりレッズDFは楽に高い位置でポジションをキープ出来る様になりサンガのカウンターもレッズDFの網にかかりペナルティーエリアが遠くなる。闘莉王、三都主の上がった裏を狙うも坪井、堀之内が早めに芽を摘んでしまう。72分には三都主が美尾に倒されて得たFKを早いリスタートから山田、再び右サイドに深く侵入したアレックスに渡りファーサイドにいたワシントンへ。鷲田が先に触れたがそのこぼれ球がワシントンの足元に転がり余裕を持って2点目を決められてしまった。この三都主の動きとクロスは1点目と殆ど替わらないパターンであったがなす術が無かった。先制点を喫した後、次のゴールをどちらが奪うかで勝負が、と思っていただけに数十人のサンガサポーターも静まり返るばかりだった。その直後にはゴールはならなかったが山田に余裕をもってミドルを打たれる。何とか1点をすぐに返してくれればと淡い期待を持つ。そしてアップを続けていた田原豊がベンチに呼ばれる。だが、彼を入れるならなぜもっと早く、2点目を失う前に入れなかったのだろうと疑問に思う。しかし田原が入る前に3失点目が。坪井、山田とつながれ、右サイドを三都主の侵入を許し折り返されたところを受けたワシントンに決められた。その直後にようやく3年前のJ1時代を経験した田原豊がピッチに入るが、残り時間も得点差も彼にはどうする事も出来ずにタイムアップ。今季初めての完封負けを喫した。ロスタイムに中払と接触し相馬と交代した3アシストの三都主は、試合後は元気に?地元テレビ局のインタビューを受けていた。 三都主は前半、足元にボールを貰うばかりであったが、後半は流れる動きからボールを受けそれがアシストに繋がった。新加入のワシントンは強靭な肉体でポストプレーは脅威だが、昨年途中までいたあのエメルソンの様に高速に飛び出してくる選手がおればもっと失点を重ねていただろう。彼の替わりは永井雄一郎、田中達也といるのであろうが、田中達也は怪我の回復後もスピードが失われていないかが少し心配だ。 そしてサンガだが、やはりJ1の厳しさを感じているだろう。前半の終盤から後半開始早々の好機を生かさないとそうそう得点機はやってこない。J2でダントツ優勝したといっても前年J1から降格したチームが無く、明らかにレベルは下がっていた。そして相手はJ1でも優勝争いが常連のチーム。しかも攻守に中心選手を欠いていては柱谷監督のゲームプラン“守備をしっかりオーガナイズして、カウンターを仕掛ける形を作ろう”を通じてのみ勝利の可能性が見出せると言うのはサンガサポーターも周知であっただろう。次節はホームで鹿島戦。GK平井が専門紙で語った様にこのレッズ戦の前半を最低限とし、次節以降の戦いに繋げて貰いたい。まずはJ1残留が私の中では目標だ。(文中の左右の表現はサンガ側から見た位置です。)
ベスト4が出揃った Champions League 。先週末、それぞれのチームが戻った国内リーグでは激戦の疲れかあまり芳しくない成績であった。勝利を収めたのはミランのみ。ホームで AC Chievo Verona を Kaka の後半3得点と前半その Kaka のお膳立てでネスタが先制を決め快勝した。翌週はミラノダービーだ。バルサとの準決勝戦もサン・シーロで迎える。ここしばらく地元ミラノに居座れる事はシーズン終盤の疲労が蓄積する上でのハイレベルな連戦続きにはありがたい日程であろう。 そのバルセロナは Real Racing Club Santander と 2-2 と引分た。2位バレンシア、3位レアルマドリード(勝点はバレンシアと同じ59。得失点差で3位)に11勝点差をつけているが翌週は同じく Champions League の4強に残った Villareal をホームに迎える。 バルサはロナウジーニョを Villareal はリケルメ、ソリン、タッキナルディーそしてディエゴ=フォルランをバルセロナ戦から外し Champions League に備えるらしい。バルセロナはデコこそ Villareal 戦には出場予定だが、アルゼンチン代表の新鋭メッシがハムストリングの負傷が癒えず、またベレッティもアキレス腱の故障が完治しない。プヨルは復帰の目処が立ったが、ふくらはぎを痛めたマルケスと膝を怪我したエルナンデスはまだ練習メニューを完全にこなせていない。Liga de Espanola は残り6試合。もうバルサのタイトルは揺るがないとおもわれるのだが。今季台風の目となっている Villareal は La Coruna と 1-1 で引分けた。 現在Champions League 出場圏にある4位オサスナは勝点58。 Villareal は8位で49点。 La Coruna は7位で50点だ。最後に苦しいのはレアルマドリード、ユーベントスを連破しながら前節はマンチェスター・ユナイテッドに 0-2 と完敗し4位 Tottenham Hotspurs に4点差をつけられ今季の Champions League で優勝しないと来シーズンの同大会出場が危うい Arsenal。4月22日はスパーズをホームに迎えた直接対決が待っているがそれまでに勝点差とチーム状態がどうなっているだろう?だが Arsenal と共に熾烈な4位争いをしている Spurs と Blackburn のサポーターは Gunners の欧州タイトルを違う意味で熱望しているのかもしれない。
Champions League 注目は上記した4月18日にサン・シーロで行われるACミラン対FCバルセロナの1戦だ。しかし過去の実績を見るとミランにやや分がありそうだ。まずミランはChampions League では準決勝で敗退した事が無い。今季はグループリーグ以降ホームではバイエルンに 4-1 リヨンに 3-1 と連勝しており、他のセミファイナリストとの違いを見せている。今季、サン・シーロでは5試合行い13得点。3試合で3得点そしてバイエルン戦で4得点とインザーギ、シャフチェンコの攻撃力が数字に現れている。グループリーグでは PSV アイントフォーフェンとスコアレスドローであったが、サン・シーロで勝てなかったのは 2003/04 のグループリーグ依頼13試合中この試合のみ。残りの12試合は全て勝利を収めている。ミランとバルサの直接対決は1959年 Champions Cup の1回戦。その時はサン・シーロでバルサが 2-0 でミランを降した。しかし以降、バルセロナはサン・シーロでは4戦しているが、昨季 Champions League のグループリーグでシャフチェンコのゴールでミランに 0-1 で敗れ、他の年にはインテルにも敗れている。最近のサン・シーロでの対決は、2000/01 の第一グループリーグではサン・シーロでは 3-3 の引分だ。まだバルサはサン・シーロでは勝利が無い。両者の欧州カップ戦での戦績はミランの4勝3敗6分けだ。 そして、最も印象に残っているのが1994年5月18日 アテネ五輪競技場で行われた Champions League の決勝戦だ。 下馬評ではロマーリオ、ストイチコフを擁するバルセロナがやや有利。この年の1月にカンプ・ノウで私達夫妻はバルサ対レアルを観戦したがバルサがロマーリオ、クーマンらの得点で 5-0 と歴史的な勝利。リーガでもシーズン初めにこそ、ベベートを擁するラ・コルーニャに独走を許したが終盤に猛追。最終戦のロスタイムでPKを得ながらそれを決められず勝利を逃したラ・コルーニャをひっくり返しリーガ連覇を果たし以降4連覇まで伸ばす事になる。クライフ体制の全盛期にあった。しかも決勝戦はミランの重鎮フランコ=バレジが怪我で出場出来ないハンディを背負わされた。しかし、蓋を開ければミランが終始バルサを圧倒。後にJリーグ入りしたダニエル=マッサーロが22分に先制すると前半終了直前にもマッサーロが追加点。後半開始早々の47分にはサビチェビッチが3点目を決め、その11分後の58分にはデサイーが4点目。尚も主導権はミランが握り続け4点差で終わったのがバルサにとって幸運なくらいであった。自慢のロマーリオ、ストイチコフの攻撃陣もデサイーを中心にしたミラン守備陣に子供扱いされゴールの臭いも感じさせられず。試合後蒼白のバルサのクライフ監督は“あんなサッカーをされてはこの地球上でどこのチームも太刀打ち出来ない。例え国家代表チームであっても。”と言うのがやっと。当時ミランの指揮を振るったカペッロ監督とは対照的であった。 その決勝戦の両チームのメンバーは下記の通り。
AC Milan
ロッシ、タソッティ、ガリ、マルディーニ(ノヴァ)、パヌッチ、ボバン、アルベルディーニ、デサイー、ドナドーニ、サヴィチェヴィッチ、マッサーロ 監督 ファビオ=カペッロ
FC Barcelona
スピサレッタ、フェレール、クーマン、ナダル、ベギリスタイン(エウゼビオ) バケーロ グラウディオーラ、アモール、セルジ (キケ) ストイチコフ ロマーリオ 監督 ヨハン=クライフ
ミランは翌年の Champions League でも決勝戦に進出し延長戦で Ajax に敗れたが3大会連続決勝進出の偉業を遂げる、文字通りグランデ・ミランの全盛期であった。当時この強すぎるACミランは対戦相手のサポーターには激しい羨望と嫉妬の目で見られ、アウェーゲームでは試合中に応援に駆けつけたミラニスタ達に向けて “ Milan ! Milan ! Go Home Milan !!” とよく罵声が浴びせるが、それでもミランの勝利で試合を終え、警官隊に保護されながら帰途につくミラニスタ達をよく見かけた。 最近のミラニスタ達はその10年前当時とは表情も変わった。 一時低迷し人気の面でもユーベントス、マンチェスターユナイテッドそしてレアル・マドリードの後塵を拝するようになり、勝利に飢えた時期が続いた事が彼らをやや謙虚にさせた気がする。 今年もまた後世に語り継がれる名勝負を演じてくれるだろう。
Champions League 注目は上記した4月18日にサン・シーロで行われるACミラン対FCバルセロナの1戦だ。しかし過去の実績を見るとミランにやや分がありそうだ。まずミランはChampions League では準決勝で敗退した事が無い。今季はグループリーグ以降ホームではバイエルンに 4-1 リヨンに 3-1 と連勝しており、他のセミファイナリストとの違いを見せている。今季、サン・シーロでは5試合行い13得点。3試合で3得点そしてバイエルン戦で4得点とインザーギ、シャフチェンコの攻撃力が数字に現れている。グループリーグでは PSV アイントフォーフェンとスコアレスドローであったが、サン・シーロで勝てなかったのは 2003/04 のグループリーグ依頼13試合中この試合のみ。残りの12試合は全て勝利を収めている。ミランとバルサの直接対決は1959年 Champions Cup の1回戦。その時はサン・シーロでバルサが 2-0 でミランを降した。しかし以降、バルセロナはサン・シーロでは4戦しているが、昨季 Champions League のグループリーグでシャフチェンコのゴールでミランに 0-1 で敗れ、他の年にはインテルにも敗れている。最近のサン・シーロでの対決は、2000/01 の第一グループリーグではサン・シーロでは 3-3 の引分だ。まだバルサはサン・シーロでは勝利が無い。両者の欧州カップ戦での戦績はミランの4勝3敗6分けだ。 そして、最も印象に残っているのが1994年5月18日 アテネ五輪競技場で行われた Champions League の決勝戦だ。 下馬評ではロマーリオ、ストイチコフを擁するバルセロナがやや有利。この年の1月にカンプ・ノウで私達夫妻はバルサ対レアルを観戦したがバルサがロマーリオ、クーマンらの得点で 5-0 と歴史的な勝利。リーガでもシーズン初めにこそ、ベベートを擁するラ・コルーニャに独走を許したが終盤に猛追。最終戦のロスタイムでPKを得ながらそれを決められず勝利を逃したラ・コルーニャをひっくり返しリーガ連覇を果たし以降4連覇まで伸ばす事になる。クライフ体制の全盛期にあった。しかも決勝戦はミランの重鎮フランコ=バレジが怪我で出場出来ないハンディを背負わされた。しかし、蓋を開ければミランが終始バルサを圧倒。後にJリーグ入りしたダニエル=マッサーロが22分に先制すると前半終了直前にもマッサーロが追加点。後半開始早々の47分にはサビチェビッチが3点目を決め、その11分後の58分にはデサイーが4点目。尚も主導権はミランが握り続け4点差で終わったのがバルサにとって幸運なくらいであった。自慢のロマーリオ、ストイチコフの攻撃陣もデサイーを中心にしたミラン守備陣に子供扱いされゴールの臭いも感じさせられず。試合後蒼白のバルサのクライフ監督は“あんなサッカーをされてはこの地球上でどこのチームも太刀打ち出来ない。例え国家代表チームであっても。”と言うのがやっと。当時ミランの指揮を振るったカペッロ監督とは対照的であった。 その決勝戦の両チームのメンバーは下記の通り。
AC Milan
ロッシ、タソッティ、ガリ、マルディーニ(ノヴァ)、パヌッチ、ボバン、アルベルディーニ、デサイー、ドナドーニ、サヴィチェヴィッチ、マッサーロ 監督 ファビオ=カペッロ
FC Barcelona
スピサレッタ、フェレール、クーマン、ナダル、ベギリスタイン(エウゼビオ) バケーロ グラウディオーラ、アモール、セルジ (キケ) ストイチコフ ロマーリオ 監督 ヨハン=クライフ
ミランは翌年の Champions League でも決勝戦に進出し延長戦で Ajax に敗れたが3大会連続決勝進出の偉業を遂げる、文字通りグランデ・ミランの全盛期であった。当時この強すぎるACミランは対戦相手のサポーターには激しい羨望と嫉妬の目で見られ、アウェーゲームでは試合中に応援に駆けつけたミラニスタ達に向けて “ Milan ! Milan ! Go Home Milan !!” とよく罵声が浴びせるが、それでもミランの勝利で試合を終え、警官隊に保護されながら帰途につくミラニスタ達をよく見かけた。 最近のミラニスタ達はその10年前当時とは表情も変わった。 一時低迷し人気の面でもユーベントス、マンチェスターユナイテッドそしてレアル・マドリードの後塵を拝するようになり、勝利に飢えた時期が続いた事が彼らをやや謙虚にさせた気がする。 今年もまた後世に語り継がれる名勝負を演じてくれるだろう。
先週末、オーストラリア、ニュージーランドの商用から帰国しました。自宅近くの公園は桜が満開。やはり日本人は桜を見ないと新しいスタートが切れ無いものかもしれない。至る所にある自動販売機も帰国を最も感じさせられるものの1つだ。 そして球春センバツ高校野球大会は終了したが、プロ野球のセントラルリーグが開幕した。 我が愛するジャイアンツは開幕から好調で4カード続けて勝ち越しを決めた。これは1971年以来35年ぶりの快挙だ。これだけ好調なジャイアンツを見るのは何年ぶりだろう? その好調の一端を担っているのが4番の李承だ。守備の不安を露呈するが、先のヤクルト第二戦では好守も見せ勝利に貢献している。彼の1打席には日本よりも韓国マスコミの方が注目している。すこし前になるが4月4日付けの朝鮮日報には下記の様な記事が。
イ・スンヨプが米国でも注目を浴びている。既に来季のメジャーリーグ入りが既成事実化しており、強力な新人王候補としてその名が挙がっている。アジアのホームラン王からWBCのホームラン王になったイ・スンヨプの変化を実感できる。 アリゾナ州最大の日刊紙「アリゾナ・リパブリック」は4日(韓国時間)、今季メジャーリーグの見通しに関する記事で、イ・スンヨプの来年以降の活動について詳しく報じた。この新聞は「イ・スンヨプが今シーズンを終え、読売ジャイアンツとの契約が終われば、LAドジャースと3年契約を結ぶ予定で、2007年のナショナルリーグ新人王候補として浮上するだろう(After his one-year contract with the Yomiuri Giants ends, Korea's "Lion King," Lee Seung-Yeop, signs a three-year deal with the Los Angeles Dodgers and is named 2007 National League Rookie of the Year)」と報じた。
このような報道は、メジャーリーグでイ・スンヨプに対する期待がどれほど大きいかを物語っている。今季のメジャーリーグの展望に関する記事の最後に、日本で活動しているイ・スンヨプを注目するのは、イ・スンヨプがメジャーリーガー以上のスターであるという意味。
とあった。早速そのご指摘の Arizona Republic を検索してみた。
http://www.azcentral.com/sports/diamondbacks/articles/0402bbpredictions0402.html
かつてドジャースで野茂の球を受けていたピアザを“指さして今季はパドレスで60から80試合マスクをかぶるだろうが盗塁を1つも刺せないであろう。塁間でランナーが転ばない限り。と辛らつな予想を。ピアザは1996年に155の盗塁を許したらしく、これに対して盗塁を刺殺したのは24しかなかった。通算で1302の盗塁を許し、これはメジャー記録らしく、リッキー=ヘンダーソンの通算盗塁記録 1405 に迫る勢いとの事。ピアザの現役続行には1993年出場記録がかかっていたので現役続行を続け22連続盗塁を喫したCarlton Fiskが引き合いに出されている。 そいった言わば少し風刺じみた今季メジャーリーグの起こりうる予想記事の中の幾つかに確かに下記の行があった。
・After his one-year contract with the Yomiuri Giants ends, Korea's "Lion King," Lee Seung-Yeop, signs a three-year deal with the Los Angeles Dodgers and is named 2007 National League Rookie of the Year.
朝鮮日報は“この記事に名前の挙がった選手はバリー・ボンズをはじめ、マイク・ピアザ、イチローなどのそうそうたるメンバー。イ・スンヨプはメジャーリーグに属さない唯一の選手としてこのようなスター選手らと肩を並べたことになる。また、イ・スンヨプを新人王候補に挙げ、メジャーリーグでも通じる選手であるということを認めている。”と論説しているが、何故か下記の行に就いては何も書かれていないんだなぁ?
・On June 10, four Japanese players - Ichiro Suzuki, Kenji Johjima, Hideki Matsui and Tadahito Iguchi - all hit home runs in major league games. That night, Akinori Otsuka picks up a win in relief for the Texas Rangers.
イチロー、城島、松井、大塚。日本人選手の方が話題になっているようなのだけど?
また、Arizona Republic のこのコラムには今年のワールドシリーズでは、ニューヨークヤンキーズがセントルイス・カージナルスを4勝2敗で下し、優勝を手にするだろうと予想している。この際朝鮮日報には ヤンキースにいる日本人選手の事も述べて欲しかったのだが。
だが、愛するジャイアンツの為に活躍してくれている李承には今後も期待したい。 栄光のV9を果たした1973年以降の32シーズンでジャイアンツのリーグ優勝は11回、日本シリーズ優勝は5回だ。歴史上ジャイアンツが4年連続でリーグ優勝を逃した事はない。しかし、3年連続優勝を逃したのはV9時代以降にしかなく、それも5回も記録している。昨年は史上初めて80敗を記録したがこれは試合数が146にあった事にも寄与する、だが勝率.437 は 1975年長島巨人時代、史上初めて最下位に低迷した .382以来ワースト2位だ。この低迷の原因はジャイアンツファンならお分かりだろう。2番手以降の投手陣の出来だ。4人以上投手を繋ぐと阪神は勝率 .687 とその強さを数字が証明するがジャイアンツは何と勝率 .321 だ。最近の野球は継投が勝利の方程式と言われる。タイガースは JFK と名をうつウィリアムス、藤川、久保が磐石の投手リレーを示すが、ジャイアンツは林がセーブを14記録しただけ。チーム全体でもセーブ数は23。46セーブでセ・リーグセーブ王の中日岩瀬の半分だ。 これは昨年に限った事ではない。1994年に石毛博史が19セーブでリーグ最優秀救援投手になっていない最多セーブ投手が出てきていない。今年は原監督が西武から豊田をオリックスからパウエルを獲得と的を得た補強をした。パウエルは先日の広島戦で完封を果たし、継投では久保、林、新加入の豊田らの活躍でリードを守ったり、相手の追加点を阻んだりと接戦をものにしている。打撃の方でも川中、矢野、斉藤、鈴木らが溌剌と動きまわっている。ただ開幕から抜擢されて結果を出していた亀井が怪我で離脱したのが残念でならない。 松井がヤンキースに去って以来何故この様な補強が施されなかったか不思議だ。星野元阪神監督が“そうはいってもジャイアンツは12球団1の戦力”と事あるごとに言っていた。まさかこの台詞をそのまま鵜呑みにしていたのか?星野氏が連呼していた理由はただひとつ、ジャイアンツは当時のメンバーのままでいて欲しいから、そのままである限り取るに足らない相手であり続けるたからだ。来週21日金曜日からは東京ドームでタイガースとの3連戦だ。昨季は8勝14敗と大きく負け越し、しかもここ3年間負け越しているセリーグ王者相手に互角以上の勝負が出来てこそ本物というもの。エース上原は対阪神戦6試合に登板したが2勝2敗、防御率は 3.51 であった。工藤は3試合に登板し2勝0敗。防御率も 2.00 と健闘した。だが高橋尚は6試合に登板し1勝4敗、防御率は何と 9.67。一方阪神の井川はジャイアンツ戦5試合に登板して4勝1敗防御率は 4.05 そして下柳は6試合に登板し4勝無敗防御率は 2.60 だ。阪神の岡田監督はジャイアンツの原監督の1歳年上、大学時代(岡田は早稲田、原は東海大)から好敵手でプロ入りしても岡田が新人王を獲れば、翌年入団の原も新人王と現役時代に入ってもその間柄は続いた。 今年こそは我がジャイアンツファンのこの3年間溜まりに溜まった溜飲を一気に下げてほしいものだ。
イ・スンヨプが米国でも注目を浴びている。既に来季のメジャーリーグ入りが既成事実化しており、強力な新人王候補としてその名が挙がっている。アジアのホームラン王からWBCのホームラン王になったイ・スンヨプの変化を実感できる。 アリゾナ州最大の日刊紙「アリゾナ・リパブリック」は4日(韓国時間)、今季メジャーリーグの見通しに関する記事で、イ・スンヨプの来年以降の活動について詳しく報じた。この新聞は「イ・スンヨプが今シーズンを終え、読売ジャイアンツとの契約が終われば、LAドジャースと3年契約を結ぶ予定で、2007年のナショナルリーグ新人王候補として浮上するだろう(After his one-year contract with the Yomiuri Giants ends, Korea's "Lion King," Lee Seung-Yeop, signs a three-year deal with the Los Angeles Dodgers and is named 2007 National League Rookie of the Year)」と報じた。
このような報道は、メジャーリーグでイ・スンヨプに対する期待がどれほど大きいかを物語っている。今季のメジャーリーグの展望に関する記事の最後に、日本で活動しているイ・スンヨプを注目するのは、イ・スンヨプがメジャーリーガー以上のスターであるという意味。
とあった。早速そのご指摘の Arizona Republic を検索してみた。
http://www.azcentral.com/sports/diamondbacks/articles/0402bbpredictions0402.html
かつてドジャースで野茂の球を受けていたピアザを“指さして今季はパドレスで60から80試合マスクをかぶるだろうが盗塁を1つも刺せないであろう。塁間でランナーが転ばない限り。と辛らつな予想を。ピアザは1996年に155の盗塁を許したらしく、これに対して盗塁を刺殺したのは24しかなかった。通算で1302の盗塁を許し、これはメジャー記録らしく、リッキー=ヘンダーソンの通算盗塁記録 1405 に迫る勢いとの事。ピアザの現役続行には1993年出場記録がかかっていたので現役続行を続け22連続盗塁を喫したCarlton Fiskが引き合いに出されている。 そいった言わば少し風刺じみた今季メジャーリーグの起こりうる予想記事の中の幾つかに確かに下記の行があった。
・After his one-year contract with the Yomiuri Giants ends, Korea's "Lion King," Lee Seung-Yeop, signs a three-year deal with the Los Angeles Dodgers and is named 2007 National League Rookie of the Year.
朝鮮日報は“この記事に名前の挙がった選手はバリー・ボンズをはじめ、マイク・ピアザ、イチローなどのそうそうたるメンバー。イ・スンヨプはメジャーリーグに属さない唯一の選手としてこのようなスター選手らと肩を並べたことになる。また、イ・スンヨプを新人王候補に挙げ、メジャーリーグでも通じる選手であるということを認めている。”と論説しているが、何故か下記の行に就いては何も書かれていないんだなぁ?
・On June 10, four Japanese players - Ichiro Suzuki, Kenji Johjima, Hideki Matsui and Tadahito Iguchi - all hit home runs in major league games. That night, Akinori Otsuka picks up a win in relief for the Texas Rangers.
イチロー、城島、松井、大塚。日本人選手の方が話題になっているようなのだけど?
また、Arizona Republic のこのコラムには今年のワールドシリーズでは、ニューヨークヤンキーズがセントルイス・カージナルスを4勝2敗で下し、優勝を手にするだろうと予想している。この際朝鮮日報には ヤンキースにいる日本人選手の事も述べて欲しかったのだが。
だが、愛するジャイアンツの為に活躍してくれている李承には今後も期待したい。 栄光のV9を果たした1973年以降の32シーズンでジャイアンツのリーグ優勝は11回、日本シリーズ優勝は5回だ。歴史上ジャイアンツが4年連続でリーグ優勝を逃した事はない。しかし、3年連続優勝を逃したのはV9時代以降にしかなく、それも5回も記録している。昨年は史上初めて80敗を記録したがこれは試合数が146にあった事にも寄与する、だが勝率.437 は 1975年長島巨人時代、史上初めて最下位に低迷した .382以来ワースト2位だ。この低迷の原因はジャイアンツファンならお分かりだろう。2番手以降の投手陣の出来だ。4人以上投手を繋ぐと阪神は勝率 .687 とその強さを数字が証明するがジャイアンツは何と勝率 .321 だ。最近の野球は継投が勝利の方程式と言われる。タイガースは JFK と名をうつウィリアムス、藤川、久保が磐石の投手リレーを示すが、ジャイアンツは林がセーブを14記録しただけ。チーム全体でもセーブ数は23。46セーブでセ・リーグセーブ王の中日岩瀬の半分だ。 これは昨年に限った事ではない。1994年に石毛博史が19セーブでリーグ最優秀救援投手になっていない最多セーブ投手が出てきていない。今年は原監督が西武から豊田をオリックスからパウエルを獲得と的を得た補強をした。パウエルは先日の広島戦で完封を果たし、継投では久保、林、新加入の豊田らの活躍でリードを守ったり、相手の追加点を阻んだりと接戦をものにしている。打撃の方でも川中、矢野、斉藤、鈴木らが溌剌と動きまわっている。ただ開幕から抜擢されて結果を出していた亀井が怪我で離脱したのが残念でならない。 松井がヤンキースに去って以来何故この様な補強が施されなかったか不思議だ。星野元阪神監督が“そうはいってもジャイアンツは12球団1の戦力”と事あるごとに言っていた。まさかこの台詞をそのまま鵜呑みにしていたのか?星野氏が連呼していた理由はただひとつ、ジャイアンツは当時のメンバーのままでいて欲しいから、そのままである限り取るに足らない相手であり続けるたからだ。来週21日金曜日からは東京ドームでタイガースとの3連戦だ。昨季は8勝14敗と大きく負け越し、しかもここ3年間負け越しているセリーグ王者相手に互角以上の勝負が出来てこそ本物というもの。エース上原は対阪神戦6試合に登板したが2勝2敗、防御率は 3.51 であった。工藤は3試合に登板し2勝0敗。防御率も 2.00 と健闘した。だが高橋尚は6試合に登板し1勝4敗、防御率は何と 9.67。一方阪神の井川はジャイアンツ戦5試合に登板して4勝1敗防御率は 4.05 そして下柳は6試合に登板し4勝無敗防御率は 2.60 だ。阪神の岡田監督はジャイアンツの原監督の1歳年上、大学時代(岡田は早稲田、原は東海大)から好敵手でプロ入りしても岡田が新人王を獲れば、翌年入団の原も新人王と現役時代に入ってもその間柄は続いた。 今年こそは我がジャイアンツファンのこの3年間溜まりに溜まった溜飲を一気に下げてほしいものだ。
現地時間の4月4日に行われた UEFA Champions League の準々決勝第二戦に登場したミラノ勢、ACミランは終了直前の劇的な連続ゴールで準決勝進出を決め、インテルはアウェーでスペインの Villareal のフルバック、Rodolfo Arruabarrena のヘッドに沈んだ。これでインテルは2002-03 のミラノダービーで敗れて以来のベスト4進出の夢が消えた。なぜいつもインテルはACミランの後塵ばかり拝してしまうのか?スクデッドも何年ご無沙汰だろう?マラドーナが未だナポリで元気にプレーしていた頃まで遡らねばならない。Champions League ( または Cup )
のタイトルとなると連覇を果たした 1964-65 以来ご無沙汰だ。
一発に沈んだインテル
先週、先週水曜日のミラノ、スタジオジュゼッペメアッツァ開始46秒、インテルGK Francesco Toldo がJuan Román Riquelme のスルーを受けたJosé María Romero の低いライナーを弾くとそのこぼれ球をDiego Forlán が押し込みアウェーのVillarreal CF が先制ゴールを決めてしまうとホームのインテルはそれで目が醒めたのか怒涛の反撃を始める。その後2分間にAdrianoが立て続けに決定機を掴み、7分には分後には、そのAdoriano が同点ゴールを叩き込む。そして前半28分にウルグアイ代表のレコバの負傷によって投入されたナイジェリア人MF Obafemi Martin が後半54分に逆転ゴールを上げベスト4進出に野望を抱かせた。 確かにFirst Leg の Villareal はフルメンバーとは言い難かった Alessio Tacchinardi, Josico そして Rodolfo Arruabarrenaが累積警告で出場出来なかった。そして、過去の戦績ではイタリア勢にはホームでの相性はよく2003-04 の UEFA Cup でAS Roma を 2-0 で破る等3度イタリア勢をホームで同じスコアで破っている。AS Roma のみならず、セリエA 勢にはホ-ム&アウェィの戦いでは相性が良く、2002 UEFA Intertoto Cup の3回戦ではTorino Calcio をPK戦でそして翌年のUEFA Intertoto Cup 3回戦でもBrescia Calcio をそして翌年2004/05 のUEFA CUP のグループリーグでもS.S. Lazio とは1-1で引分けている。 試合は開始から勝たねばならないホームの Villareal が主導権を握るが比較的ゆっくりとポゼッションを上げるという感じ。決してあせらずといったところか?やはり First Leg で出られなかった選手達、中盤からタッキナルディ、左サイドからアルバレナがよく効いている。Villareal の若き期待のセンターハーフGonzalo Rodríguez の怪我での欠場によりディフェンシブな戦いを強いられたがそれでもインテルは前半、殆ど自陣を出られずVillarreal の Juan Pablo Sorín, Forlán そしてRiquelmeらがアタッキングエリアへの侵入を許す。開始30分間Villarealは3度の決定機を作る。開始3分にはRiquelme のボレーがインテルDFMarco Materazzi に防がれる Villareal の4-3-1-2 のフォーメーションが攻守に渡って優勢にたつ。28分にはペナルティーエリアに現れたSorín が対峙するMaterazzi のブロックに倒れるがノーホイッスル。その直後のArruabarrena のヘッドはGK Francesco Toldo の正面に。インテルのDFはこれらの波状攻撃をファウル覚悟の当りで止めるしか術が無く、チーム全体が守勢に廻るのでAdriano やAlvaro Recoba から攻撃に転じたときのサポートが無い。前半終了直前にはTacchinardi のヘッドはわずかにバーを越えてしまった。後半に入ってもむしろ Villareal の攻撃が厚みを見せる。Marcos Senna のショットはGKトルドの正面を突き Jose Maria Romeo のゴール右隅へのチップショットもかろうじてトルドが弾く。その間にも リケルメが何度もインテル守備陣を撹乱する。そして28分 First Leg に出場しなかったルイス=フィーゴのファウルによって得たRiquelme のFK をアルゼンチン人選手 Arruabarrena が左から右に切れ込んで頭で合わせて待望の先制点を決めた。これで Aurrabarrena はRangers FC 戦に続いての決勝点を挙げた事に。その直後Jose Mari がForlán との素晴らしいワン・ツーから抜け出し素晴らしいショットを放つが、インテルGKトルドの美技を引き出すに終わった。この試合インテリスタ達を唯一喜ばせたのが長身GKトルドであった。6月のワールドカップには選ばれるかな? インテルはこの1点を返せなかった、いや、ジュゼッペメアッツァでの開始46秒での失点の方が痛かっただろう。Villareal は準決勝でアーセナルと当たる。
グラン・デ・ミラン 3年ぶりのタイトル奪取なるか?
インテルの敗退を尻目に対照的に連続ベスト4を決めたミラン。初めてミランダービーを観たのは1990年のWOWWOWでの生中継だった。ミランにはオランダトリオ(フリット、ファンバステン、ライカールト)そしてバレジ,マルディーニ、アンチェロッティ、アルベルティーニらがいた。インテルにはドイチェトリオ(マテウス、クリンスマン、ブレーメ)そしてGKにワルター=ゼンガ, DF ベルゴミらが。その後ミランをホームとする世界的にも有名なこの2チームは何故これだけ差がついてしまったのだろう?
準々決勝のOlympique Lyon 戦も戦前から easy な予想は無かったはずだ。だが Lyon の方が昨年の準々決勝でPSV Eindhoven にPK戦まで敗れた悪夢を払拭出来なかったか?前週、ホームStade Gerland での試合は今大会初のノーゴールに終わった。しかし、むしろこの結果は AC Milan の方に不利な結果と捕らえるべきであった。度重なるアウェーの Milan のシェフチェンコらの攻撃をGK Grégory Coupet が防波堤となりゴールを許さなかった。確かに過去のデータから見てもミラン有利は揺るがなかった。ミランは未だSan Siro ではフランスのチーム相手に8戦して6勝2分と負け知らず。1994/95 の準決勝でも Paris Saint Germain をホーム&アウェィで連覇している。その前には1992/93 の決勝戦でボリのヘッド1発でOlympique de Marseille の前に沈んだがその試合はミュンヘンで行われた。また2003/04 のグループリーグで敗れて以来今季の Champions League 4試合負け無しを含む12戦して11勝。ここで敗れなかったのはPSVが昨年 0-0 で引分けただけという戦績を気にしすぎたか?しかし Lyonもイタリアでのゲームでは相性が良くここサンシーロでは相手こそ異なるが(インテルが相手)1997/98 UEFA Cup では 2-1, 2002/03 UEFA Champions League の第一グループリーグでもSidney Govou とSonny Anderson のゴールで2-0 とリードをするとインテルの反撃をFabio Cannavaro の1ゴールに抑えて逃げ切っている。だがGérard Houllier 監督はここ2シーズン連続して準々決勝で敗退している事を危惧しすぎたのか?昨季PSVとはPK戦までもつれ込み、一昨年も覇者FC Portoにアウェーで2-0 と敗れホームで2-2 と引分準決勝には進めなかった。しかし、このPorto戦の敗戦後、Champions League では20戦負け知らずでもあった。Lyon はJuninho Pernambucano が累積警告から復帰した。
先制点はどちらに?
試合前、ミランのアンチェロッティ監督は前節のスコアレスの結果よりも三日前、セリエAでのUS Lecce戦の 0-1 での敗戦の悪夢からの払拭を危惧していただろう。この試合では Lyon より1ゴール多く上げる必要があったからだ。立ち上がりから得点機を演出したのは Lyonn 。GK Dida がネスタのバックパスの対応を誤り、危うく 先制を許すところに。またこの試合に復帰したジュニーニョがゴール前25mから放った直接FK はGK Dida が汚名挽回とばかりに防ぐ。しかしコスタクルタが早々と投入された直後の25分Lyonn FW Fred からボールを奪ったシェフチェンコがゴール前に突進、そしてゼードルフに繋ぎに最後はファーサイドにいたインザーギが合わせて Milan が先制ゴールを挙げた。Lyon が試合の主導権と自信を掴みかけていた時間に効果的な先制と思われた。しかし、6分後にアウェーのLyon が追いつく。ジュニーニョがミランDFを振り切りミラン陣内奥に侵入。Fred にあわせるがそのヘッドは偶然に攻撃参加していた Lyon DF クリスに当り、そのこぼれ球にいち早く反応したディアラが押し込み、この時点で Lyon が準決勝に向けて先行する事に。得点が必要になったミランはゼードルフ、インザーギがゴール前に迫るがゴールネットは揺れず、反対に Lyon ジュニーニョのMilan Gk Dida の頭をフワリと越すクロスを受けたノーマークの Fred がヘッドを放ち追加点、と思われたが、わずかにポストをかすめた。
インザーギ、シェフチェンコ そしてバルサとの準決勝戦へ
後半開始早々のネスタのヘッドはクロスバーを僅かに上回る。 Lyonn の不慣れな右サイド、クレールを執拗に突くシーンが見られる。しかし、 Lyonのジュニーニョからの反撃が顕著で効果的、なかなかセルジーニョ当たりが上がってこられない。ネスタが身を挺して追加点を防ぐシーンも。また Lyon GK クペもよく落ち着いてミランのクロス、ロブに対応。アンチェロッティ監督はアンブロジーニを72分に、そして78分にはガットゥーゾに替えてマルディーニを投入して打開策をはかる。一方の Lyon ウリエ監督も71分には好機を演出した Fred を下げて長身のノルウェー人カリューを、そして83分にもルベイエールを入れて制空権を確保。時間は刻一刻と過ぎるがミラニスタ達の焦りばかりが募る、そして42分、総攻撃をかけたミランは最後グルジア人DFカラーゼのショットはGK クペを破るがLyon FW ヴィルトールがヘッドで必死のクリアー。セルジーニョ以下殆どのミラン選手達が線審に迫るが判定は替わらない。これでミランの運も尽きたかと思われた直後、波状攻撃からシェフチェンコが抜け出してショット、GK クペが一旦は触れるがそのこぼれ球が左右のゴールポスト間を往復し、最後はインザーギが押し込み待望の2点目を挙げる。これでインザーギは完全にアズーリでの居場所も確保したのではないか?いや最近のインザーギはアズーリFWジラルディーニョの存在を忘れさせる勢いだ。 がっくりと首うなだれる Lyon イレブン。ロスタイムを含めてあと5分はあった。まだチャンスはあったはずだ。しかし次のゴールを挙げたのはシャフチェンコ。GKへのバックパスを拾い疾風の如くゴール前に運び最後は落ち着いて Lyon ゴールに流し込んだ。これで Champions League 通算52得点目でラウールを抜いて単独首位に。そしてミランはこの4年間で3回目となる準決勝進出を果たした。 Lyon は3年連続準々決勝敗退。しかし試合内容では互角以上であった。トーナメントに入っての1回戦のPSV 戦で2ゴールを上げたポルトガルのTiago が先週警告を受けて出場停止であった事は少なからず影響したであろう。試合後Lyon のGérard Houllier 監督は“ここサンシーロに Lyon から駆けつけてくれた 10,000 人のサポーター の為にも国内リーグ戦とカップ戦の2冠達成に集中したい”とのコメントを残した。 ミランの次の対戦相手はバルセロナだ。注目の試合が続く。これこそ欧州トップシーンの醍醐味かもしれない。 そして週末15日にはミラノダービーがある。来年こそ、 Pay TV と契約させて貰う様帰国後家内に稟議上申をしておこう?
のタイトルとなると連覇を果たした 1964-65 以来ご無沙汰だ。
一発に沈んだインテル
先週、先週水曜日のミラノ、スタジオジュゼッペメアッツァ開始46秒、インテルGK Francesco Toldo がJuan Román Riquelme のスルーを受けたJosé María Romero の低いライナーを弾くとそのこぼれ球をDiego Forlán が押し込みアウェーのVillarreal CF が先制ゴールを決めてしまうとホームのインテルはそれで目が醒めたのか怒涛の反撃を始める。その後2分間にAdrianoが立て続けに決定機を掴み、7分には分後には、そのAdoriano が同点ゴールを叩き込む。そして前半28分にウルグアイ代表のレコバの負傷によって投入されたナイジェリア人MF Obafemi Martin が後半54分に逆転ゴールを上げベスト4進出に野望を抱かせた。 確かにFirst Leg の Villareal はフルメンバーとは言い難かった Alessio Tacchinardi, Josico そして Rodolfo Arruabarrenaが累積警告で出場出来なかった。そして、過去の戦績ではイタリア勢にはホームでの相性はよく2003-04 の UEFA Cup でAS Roma を 2-0 で破る等3度イタリア勢をホームで同じスコアで破っている。AS Roma のみならず、セリエA 勢にはホ-ム&アウェィの戦いでは相性が良く、2002 UEFA Intertoto Cup の3回戦ではTorino Calcio をPK戦でそして翌年のUEFA Intertoto Cup 3回戦でもBrescia Calcio をそして翌年2004/05 のUEFA CUP のグループリーグでもS.S. Lazio とは1-1で引分けている。 試合は開始から勝たねばならないホームの Villareal が主導権を握るが比較的ゆっくりとポゼッションを上げるという感じ。決してあせらずといったところか?やはり First Leg で出られなかった選手達、中盤からタッキナルディ、左サイドからアルバレナがよく効いている。Villareal の若き期待のセンターハーフGonzalo Rodríguez の怪我での欠場によりディフェンシブな戦いを強いられたがそれでもインテルは前半、殆ど自陣を出られずVillarreal の Juan Pablo Sorín, Forlán そしてRiquelmeらがアタッキングエリアへの侵入を許す。開始30分間Villarealは3度の決定機を作る。開始3分にはRiquelme のボレーがインテルDFMarco Materazzi に防がれる Villareal の4-3-1-2 のフォーメーションが攻守に渡って優勢にたつ。28分にはペナルティーエリアに現れたSorín が対峙するMaterazzi のブロックに倒れるがノーホイッスル。その直後のArruabarrena のヘッドはGK Francesco Toldo の正面に。インテルのDFはこれらの波状攻撃をファウル覚悟の当りで止めるしか術が無く、チーム全体が守勢に廻るのでAdriano やAlvaro Recoba から攻撃に転じたときのサポートが無い。前半終了直前にはTacchinardi のヘッドはわずかにバーを越えてしまった。後半に入ってもむしろ Villareal の攻撃が厚みを見せる。Marcos Senna のショットはGKトルドの正面を突き Jose Maria Romeo のゴール右隅へのチップショットもかろうじてトルドが弾く。その間にも リケルメが何度もインテル守備陣を撹乱する。そして28分 First Leg に出場しなかったルイス=フィーゴのファウルによって得たRiquelme のFK をアルゼンチン人選手 Arruabarrena が左から右に切れ込んで頭で合わせて待望の先制点を決めた。これで Aurrabarrena はRangers FC 戦に続いての決勝点を挙げた事に。その直後Jose Mari がForlán との素晴らしいワン・ツーから抜け出し素晴らしいショットを放つが、インテルGKトルドの美技を引き出すに終わった。この試合インテリスタ達を唯一喜ばせたのが長身GKトルドであった。6月のワールドカップには選ばれるかな? インテルはこの1点を返せなかった、いや、ジュゼッペメアッツァでの開始46秒での失点の方が痛かっただろう。Villareal は準決勝でアーセナルと当たる。
グラン・デ・ミラン 3年ぶりのタイトル奪取なるか?
インテルの敗退を尻目に対照的に連続ベスト4を決めたミラン。初めてミランダービーを観たのは1990年のWOWWOWでの生中継だった。ミランにはオランダトリオ(フリット、ファンバステン、ライカールト)そしてバレジ,マルディーニ、アンチェロッティ、アルベルティーニらがいた。インテルにはドイチェトリオ(マテウス、クリンスマン、ブレーメ)そしてGKにワルター=ゼンガ, DF ベルゴミらが。その後ミランをホームとする世界的にも有名なこの2チームは何故これだけ差がついてしまったのだろう?
準々決勝のOlympique Lyon 戦も戦前から easy な予想は無かったはずだ。だが Lyon の方が昨年の準々決勝でPSV Eindhoven にPK戦まで敗れた悪夢を払拭出来なかったか?前週、ホームStade Gerland での試合は今大会初のノーゴールに終わった。しかし、むしろこの結果は AC Milan の方に不利な結果と捕らえるべきであった。度重なるアウェーの Milan のシェフチェンコらの攻撃をGK Grégory Coupet が防波堤となりゴールを許さなかった。確かに過去のデータから見てもミラン有利は揺るがなかった。ミランは未だSan Siro ではフランスのチーム相手に8戦して6勝2分と負け知らず。1994/95 の準決勝でも Paris Saint Germain をホーム&アウェィで連覇している。その前には1992/93 の決勝戦でボリのヘッド1発でOlympique de Marseille の前に沈んだがその試合はミュンヘンで行われた。また2003/04 のグループリーグで敗れて以来今季の Champions League 4試合負け無しを含む12戦して11勝。ここで敗れなかったのはPSVが昨年 0-0 で引分けただけという戦績を気にしすぎたか?しかし Lyonもイタリアでのゲームでは相性が良くここサンシーロでは相手こそ異なるが(インテルが相手)1997/98 UEFA Cup では 2-1, 2002/03 UEFA Champions League の第一グループリーグでもSidney Govou とSonny Anderson のゴールで2-0 とリードをするとインテルの反撃をFabio Cannavaro の1ゴールに抑えて逃げ切っている。だがGérard Houllier 監督はここ2シーズン連続して準々決勝で敗退している事を危惧しすぎたのか?昨季PSVとはPK戦までもつれ込み、一昨年も覇者FC Portoにアウェーで2-0 と敗れホームで2-2 と引分準決勝には進めなかった。しかし、このPorto戦の敗戦後、Champions League では20戦負け知らずでもあった。Lyon はJuninho Pernambucano が累積警告から復帰した。
先制点はどちらに?
試合前、ミランのアンチェロッティ監督は前節のスコアレスの結果よりも三日前、セリエAでのUS Lecce戦の 0-1 での敗戦の悪夢からの払拭を危惧していただろう。この試合では Lyon より1ゴール多く上げる必要があったからだ。立ち上がりから得点機を演出したのは Lyonn 。GK Dida がネスタのバックパスの対応を誤り、危うく 先制を許すところに。またこの試合に復帰したジュニーニョがゴール前25mから放った直接FK はGK Dida が汚名挽回とばかりに防ぐ。しかしコスタクルタが早々と投入された直後の25分Lyonn FW Fred からボールを奪ったシェフチェンコがゴール前に突進、そしてゼードルフに繋ぎに最後はファーサイドにいたインザーギが合わせて Milan が先制ゴールを挙げた。Lyon が試合の主導権と自信を掴みかけていた時間に効果的な先制と思われた。しかし、6分後にアウェーのLyon が追いつく。ジュニーニョがミランDFを振り切りミラン陣内奥に侵入。Fred にあわせるがそのヘッドは偶然に攻撃参加していた Lyon DF クリスに当り、そのこぼれ球にいち早く反応したディアラが押し込み、この時点で Lyon が準決勝に向けて先行する事に。得点が必要になったミランはゼードルフ、インザーギがゴール前に迫るがゴールネットは揺れず、反対に Lyon ジュニーニョのMilan Gk Dida の頭をフワリと越すクロスを受けたノーマークの Fred がヘッドを放ち追加点、と思われたが、わずかにポストをかすめた。
インザーギ、シェフチェンコ そしてバルサとの準決勝戦へ
後半開始早々のネスタのヘッドはクロスバーを僅かに上回る。 Lyonn の不慣れな右サイド、クレールを執拗に突くシーンが見られる。しかし、 Lyonのジュニーニョからの反撃が顕著で効果的、なかなかセルジーニョ当たりが上がってこられない。ネスタが身を挺して追加点を防ぐシーンも。また Lyon GK クペもよく落ち着いてミランのクロス、ロブに対応。アンチェロッティ監督はアンブロジーニを72分に、そして78分にはガットゥーゾに替えてマルディーニを投入して打開策をはかる。一方の Lyon ウリエ監督も71分には好機を演出した Fred を下げて長身のノルウェー人カリューを、そして83分にもルベイエールを入れて制空権を確保。時間は刻一刻と過ぎるがミラニスタ達の焦りばかりが募る、そして42分、総攻撃をかけたミランは最後グルジア人DFカラーゼのショットはGK クペを破るがLyon FW ヴィルトールがヘッドで必死のクリアー。セルジーニョ以下殆どのミラン選手達が線審に迫るが判定は替わらない。これでミランの運も尽きたかと思われた直後、波状攻撃からシェフチェンコが抜け出してショット、GK クペが一旦は触れるがそのこぼれ球が左右のゴールポスト間を往復し、最後はインザーギが押し込み待望の2点目を挙げる。これでインザーギは完全にアズーリでの居場所も確保したのではないか?いや最近のインザーギはアズーリFWジラルディーニョの存在を忘れさせる勢いだ。 がっくりと首うなだれる Lyon イレブン。ロスタイムを含めてあと5分はあった。まだチャンスはあったはずだ。しかし次のゴールを挙げたのはシャフチェンコ。GKへのバックパスを拾い疾風の如くゴール前に運び最後は落ち着いて Lyon ゴールに流し込んだ。これで Champions League 通算52得点目でラウールを抜いて単独首位に。そしてミランはこの4年間で3回目となる準決勝進出を果たした。 Lyon は3年連続準々決勝敗退。しかし試合内容では互角以上であった。トーナメントに入っての1回戦のPSV 戦で2ゴールを上げたポルトガルのTiago が先週警告を受けて出場停止であった事は少なからず影響したであろう。試合後Lyon のGérard Houllier 監督は“ここサンシーロに Lyon から駆けつけてくれた 10,000 人のサポーター の為にも国内リーグ戦とカップ戦の2冠達成に集中したい”とのコメントを残した。 ミランの次の対戦相手はバルセロナだ。注目の試合が続く。これこそ欧州トップシーンの醍醐味かもしれない。 そして週末15日にはミラノダービーがある。来年こそ、 Pay TV と契約させて貰う様帰国後家内に稟議上申をしておこう?
ここ4年ほど商用でタイの首都バンコックに訪れる機会も増えた。バンコックは大変好きな街の1つだ。まぁ色々な意味を想像されてしまいそうだが、総じて言えるのは街に活気がみなぎっている。観光客もビジネスマンらしき外国人も多く見かける。日本人は勿論、欧米人も。あまり中国人は目に付かない。言葉の問題もあるかも知れない。ただ中国大陸からの観光客は大変多い。ホテルの前には“〇〇遊旅”と車体に書かれたバスがよく乗りつけて来る。ただ台湾からの観光団体も少なくない。大陸と台湾、身なりや雰囲気、口調を見れば直ぐに見分けが着く。どちらも良い人達だ。そのタイが今揺れている。4日水曜日、タクシン首相がとうとう辞任を表明した。タクシン政権の誕生は今から5年前2001年1月、1997年に成立した新憲法に基づき下院総選挙が行われ、前チュアン政権の経済政策に対する国民の不満、庶民志向の各種政策の公約、豊富な資金力等を背景に、タイ愛国党が単独過半数に迫る勝利を収め、2001年2月、新希望党、タイ国民党、自由正義党との4党連立(500議席中325議席)によるタクシン政権が成立した。当初、タクシン首相は資産隠蔽疑惑を抱え、仮に有罪となれば憲法の規定により辞任を余儀なくされるという不安定要素を抱えていたが、2001年8月、憲法裁判所が無罪判決を下し、タクシン政権は危機を脱した。時はようやく1997年に東南アジア諸国を襲った通貨危機から回復しつつある時であった。タイ愛国党は2001年9月に自由正義党、2002年1月に新希望党、2004年9月には国家発展党を合併した。タクシン首相は、下院における与党及びタイ愛国党の圧倒的多数、政権内及び党内での強固な権力基盤を背景に、強力なリーダーシップを発揮し、数々の経済改革政策を推進している。現政権は、従来の連立各党の利害調整型ではなく、トップダウンによる政策主導型、成果主義の政権運営が特徴。この政治決定の早さが最近の景気好調の要因かはわからない。だがバンコック市内を走る地下鉄工事の一件をみるとタイらしさ、いや日本らしさが見えてくる。路線工事は日本が請け負った。日本のODA援助事業だから当然なのだが、車体はドイツ製(フランス製だったかな?)が適用された。当然日本製になるべきであった。それはタイ政府の恩義知らずと日本側の交渉の拙稚さが重なった結果と言われている。2004年1月初旬から、タイ最南部3県(ヤラー、パッタニー、ナラティワート)で軍・警察施設の襲撃や爆弾・放火事件等が連続して発生。原因としては、南部分離独立ゲリラの活動、違法ビジネスを巡る利権争い、中央政府に対する住民の反発等、様々な要因が関係していると言われる。しかしその根底にはイスラム教徒の(マレーシア側国境)と仏教徒(タイ側国境)との争いが原因とされている。双方政府が軍隊を派遣して保護にあたっているが自体は改善されない。2005年1月の下院任期満了に伴い、2月6日に下院総選挙が行われた。2004年後半より、南部情勢、鳥インフルエンザ問題に対する政府の対応等に対して批判が高まり、支持率は低下傾向にあったが、好調な経済や、草の根経済政策に対する国民の支持は依然高く、また2004年12月に発生したインド洋大津波被害に対する迅速な対応が評価され、タクシン首相率いるタイ愛国党が500議席中377議席を獲得し、圧勝した。3月9日に下院でタクシン党首が首相に指名され、14日の国王への宣誓式を経て第二期タクシン政権が成立した。同政権は、タイ愛国党の単独政権であり、野党も首相不信任案を提出できず(現有議員の5分の2が必要)、政権運営は引き続き安定する見通しである。タクシン首相は選挙戦期間中から、「一期目は経済危機からの回復、二期目は発展」を唱えているが、同時に、悪化した治安状況の続く最南部の問題等も大きな課題であった。しかし、今年1月に発覚した親族のシンガポールの巨額の株取引疑惑(早い話が金持ちは妬まれると言う事)が発火点になった国民の退陣要求運動、批判的なマスメディアの取締り、そして今般の下院総選挙での国民の“白票”抗議運動を受けついに辞任の運びとなってしまった。タクシン首相のサッカー好きは有名だ。一時 Liverpool の株を買い占めようとしたり、ワールドカップ予選で惨敗した自国代表選手を酷評したり。そのタイ国内リーグThailand Premier Leagueの強豪チームBEC Tero Sasana が先日元アイルランド代表選手のNiall Quinn を獲得したが、Brian Marcar球団社長が今度は元アーセナルのスター選手でイングランド代表主将としてフランスワールドカップに4試合全てフル出場したTony Adams を獲得と発表した。アダムスのデビューは4月22日が予定されており、たった1試合だけ限定?復活のNiall Quinn と異なりシーズン終了まで何試合がプレーするらしい。しかし Quinn がたった一試合の復活なんて今知った。もっとプレーをするのかと期待していたのに。3月下旬から4月の東南アジアは気温、湿度も最高で欧州のしかも年をとった選手には相当堪えるとおもうのだが。 尚 Marcar 球団社長は二人の18歳以下のタイの選手をArsenal に留学させる予定とのことであった。またタイサッカー協会(FAT)は国王即位60年の記念行事の一環としてブラジル代表とワールドカップ以降に親善試合を予定していると発表した。
FAT 会長の (President )のVijitr Getkaew 氏は今後2年間のビジョンについて言及し、ブラジル戦は今年のアジア大会への強化試合の1つで、来年自国でも開催されるアジアカップへのチーム作りに一環と。両大会共にベスト4を目指す。 また同協会の専務理事 Worwi 氏は''2~3週間程前ドイツで行われたFIFAの会議でブラジルサッカー協会のRicardo Terra Teixeira 氏との会談でこの試合について話したところ概ね了解を得た“との事。ゲームはFIFA マッチデーに行われ6年前同様ほぼベストメンバーを派遣してもらえる事となったらしい。6年前、2000年バンコックで開催された第31回キングスカップで行われたブラジルとの試合では7-0 とブラジルが圧勝している。リバウドが2得点、他にもロナウジーニョが1得点挙げている。 このブラジル遠征だけどタクシン首相が退陣しても中止になりはしないか?セレソンを呼ぶのには金がかかる。他に誰が経費を一時的にでも負担できるのだろう?
FAT 会長の (President )のVijitr Getkaew 氏は今後2年間のビジョンについて言及し、ブラジル戦は今年のアジア大会への強化試合の1つで、来年自国でも開催されるアジアカップへのチーム作りに一環と。両大会共にベスト4を目指す。 また同協会の専務理事 Worwi 氏は''2~3週間程前ドイツで行われたFIFAの会議でブラジルサッカー協会のRicardo Terra Teixeira 氏との会談でこの試合について話したところ概ね了解を得た“との事。ゲームはFIFA マッチデーに行われ6年前同様ほぼベストメンバーを派遣してもらえる事となったらしい。6年前、2000年バンコックで開催された第31回キングスカップで行われたブラジルとの試合では7-0 とブラジルが圧勝している。リバウドが2得点、他にもロナウジーニョが1得点挙げている。 このブラジル遠征だけどタクシン首相が退陣しても中止になりはしないか?セレソンを呼ぶのには金がかかる。他に誰が経費を一時的にでも負担できるのだろう?
オースオトラリア大陸を後にし隣国ニュージーランドに入って6日が経った。ニュージーランドと言えば ALL BLACKS。私も ALL BLACKS のジャージー、ポロシャツ、トレーナーそしてネクタイを愛用している。ここ数年はadidas がALL BLACKS がユニフォームのブランドだ。従来は Canterbury が常だったが、そこは会社の規模が違う。商業主義の煽りかそれとも Australia のWallabies がこれを採用しているからか? adidas は私のお気に入りなのでそれもあってついつい当地の専門店に立ち寄ってしまう。しかし、最近はなかなか商品に手を伸ばせない。 2000年くらいには、一時NZ$が50円を割った時があったくらいの円高。その当時、商売はさっぱりだったが、買い物は拍車がかかった。それが今では為替レートが NZ$=80を上回る勢い。最近は70円代前半で落ち着いているが、現地在住の方達の予想では近々70円代後半にまで戻るだろうとの見込み。従って日本からの輸出の商売は景気が良いが私の ALL BLACKS Goods コレクションは最近増えない。実質3割アップではちょっと手が出せない。ここでの人気スポーツ、ラグビーは今、南半球の3カ国14の( NZ Australia が5チームずつ 南アフリカが4チーム ) クラブチームがホーム&アウェーで覇を競うSuper 14 の真っ最中だ。先週土曜日4月1日には Wellington で現在3位の地元チームの Hurricanes が 2位のChristchurch Crusaders を迎え撃つ大一番が行われた。試合は20-11 で Crusaders が勝利を収めた。地元 Hurricanes は勝てば2位浮上と言うところであったが前半につけられた11点差が返せなかった。
だが Super 14 の心得が無い私はこの大一番を知らず、またAuckland を離れる前に何人かの KIWI が“ Wellington ではハリケーン( Hurricanes ) に気をつけろよ。”と言っていた意味が解らずに当日夕方のフライトで Auckland から Wellington に移動し、夜は顧客との商談を予定していた。ホテルにチェックインする頃は試合が終わって多くの人々が街に繰り出しており、ホテルは Christchurch から来た人であろう客でいっぱい。しかも何故か “ コンピュータートラブルで貴方の予約が取り消されています。部屋はありません。“の一言。これには頭に来て、プリントアウトしていた予約確認表を見せると、”これは私達のミスなので、特別ご用意しましょう“といってカードキーの準備に入りだす始末。これには”部屋はあったんやないか?“と更に怒りが。気分を取り直して部屋に荷物を入れて待ち合わせの顧客のもとに向うが、今度はどこのレストランも一杯。顧客もこの試合を知らなかったらしい。但しお客さんは現地在留の日本人だったから仕方ない。結局ホテルのレストランのなるべく静かなところで商談を。 それに本当は翌日に次の目的地 Christchurch に向いたかったが、飛行機が取れなかったので2泊する事にしたのだが、その原因がこれとは現地入りするまで知らなかった。4年前のワールドカップ時、サッカーに興味の無い人の中にはこの時の私の様な思いをした人もいただろうに。7日金曜日に、Crusaders はホームで首位のオーストラリア New South Wales Waratahs を迎える。ラグビーファンには羨ましがられる行程であろうが。この国のサッカーはオーストラリアよりも人気度が低い。オーストラリアほど代表が強くないから仕方ないが、 A Lueagueに参戦している New Zealand Knights は何と1勝3分17敗、7位 Melbourne Victory に勝点20差をつけられてのダントツ最下位に終わっている。ついに A-League の 会長 Matt Carroll 氏からはチーム改善命令が公式の場で発言された。Jリーグ開幕時に川淵当時チェアマンが浦和レッズの事に言及した様に。これは昨シーズンの結果よりこのシーズンオフにチームの中心選手 Jeremy Christie が Perth Glory に、ニュージーランド代表でもある Jeremy Brockie が Sydney FC に移籍した事に苦言を吐いている。補強もすすめてはいる。ベルギー Standard Leiga に在籍しながら労働許可問題で帰国し、現在オーストラリアの1 Victoria 州リーグで暫定的にプレーするオーストラリア U-20, U-23 代表GKでもあった Michael Turnball の獲得を発表。でもフィールド選手も入れないと。3月30日に、ようやく Newcastle Jets から中盤選手Richard Johnson を獲得した。このチームには日系人選手中盤のイマヤ=ナオキがいる。昨シーズンは怪我で出遅れ11試合のみの出場だったが、来季は頑張って欲しい。ラグビーの代表チームは ALL BLACKS というがサッカーは ALL WHITE と呼ばれている。ニュージーランド代表のユニフォームは黒色が基本だが、サッカーはレフェリーのユニフォームとの関係から黒のユニフォームは着られない。従って白色を採用し、愛称も ALL WHITE とされている。しかし、 ALL WHITE の選手は結構欧州戦線に繰り出している。Ryan Nelsen はプレミアのBlackburn Rovers の主将だ。NZサッカー界の願いは Rovers が Champions League に出場する事だが今は6位だが4位のTottenham には2勝点差だ。 Wellington 生まれのSimon Elliot は今年1月から Fulham に加わった中盤選手。コンスタントに出場していたのに、Everton 戦で負傷。 Liverpool, Everton 戦を含めた4試合を欠場中。 Chris Killen はScotland Premier のKilmarnock に所属するがくるぶしの怪我で先のScottish FA Cup 準決勝戦のHearts 戦を欠場チームの 4-0 で敗れた。彼の中村俊輔の寸評を聞きたいなぁ。Ivan VicelichdはオランダのRoda JC に所属。先日は Ajax を2-1 で破ったが彼は出番が無かった。Dave Mulligan はEnglish League One のDoncaster Rovers に所属する。先週はRotherham を 3-1 で破りチームは9位に。しかし、6位まで資格のある Play Off 出場権まであと6試合を残して6ポイント差に迫っている。Darren Youngの所属する アイルランドリーグの Waterford は2点差を守れず Bohemians に4-2 で敗れ最下位に。Rory Fallon はウェールズの Swansea のスペアヘッドだ。 アメリカ MLS New EnglandにはTony Lochhead が所属。先日はLA Galaxyを 1-0 で破った。ベルギーリーグ11位のRoeselareにはChristian Bouckenooghe が所属。2-2 で引分たKFC Germinal Beerschot 戦はベンチに。 欧州でプレーする選手数は日本人以上であろう。 2008年の北京五輪ではOFC ( オセアニア ) から出場枠1が確保されたがこれはアテネ五輪でオーストラリア がベスト8に入ったことが寄与しているか?今から五輪に向けて選手強化を進めているだろう。 今年のワールドカップでオーストラリアが出場するが、オセアニアからの出場は1982年スペイン大会のニュージーランド以来24年ぶり。この時もブラジルと同組になっている。何か因縁を感じるなぁ。
だが Super 14 の心得が無い私はこの大一番を知らず、またAuckland を離れる前に何人かの KIWI が“ Wellington ではハリケーン( Hurricanes ) に気をつけろよ。”と言っていた意味が解らずに当日夕方のフライトで Auckland から Wellington に移動し、夜は顧客との商談を予定していた。ホテルにチェックインする頃は試合が終わって多くの人々が街に繰り出しており、ホテルは Christchurch から来た人であろう客でいっぱい。しかも何故か “ コンピュータートラブルで貴方の予約が取り消されています。部屋はありません。“の一言。これには頭に来て、プリントアウトしていた予約確認表を見せると、”これは私達のミスなので、特別ご用意しましょう“といってカードキーの準備に入りだす始末。これには”部屋はあったんやないか?“と更に怒りが。気分を取り直して部屋に荷物を入れて待ち合わせの顧客のもとに向うが、今度はどこのレストランも一杯。顧客もこの試合を知らなかったらしい。但しお客さんは現地在留の日本人だったから仕方ない。結局ホテルのレストランのなるべく静かなところで商談を。 それに本当は翌日に次の目的地 Christchurch に向いたかったが、飛行機が取れなかったので2泊する事にしたのだが、その原因がこれとは現地入りするまで知らなかった。4年前のワールドカップ時、サッカーに興味の無い人の中にはこの時の私の様な思いをした人もいただろうに。7日金曜日に、Crusaders はホームで首位のオーストラリア New South Wales Waratahs を迎える。ラグビーファンには羨ましがられる行程であろうが。この国のサッカーはオーストラリアよりも人気度が低い。オーストラリアほど代表が強くないから仕方ないが、 A Lueagueに参戦している New Zealand Knights は何と1勝3分17敗、7位 Melbourne Victory に勝点20差をつけられてのダントツ最下位に終わっている。ついに A-League の 会長 Matt Carroll 氏からはチーム改善命令が公式の場で発言された。Jリーグ開幕時に川淵当時チェアマンが浦和レッズの事に言及した様に。これは昨シーズンの結果よりこのシーズンオフにチームの中心選手 Jeremy Christie が Perth Glory に、ニュージーランド代表でもある Jeremy Brockie が Sydney FC に移籍した事に苦言を吐いている。補強もすすめてはいる。ベルギー Standard Leiga に在籍しながら労働許可問題で帰国し、現在オーストラリアの1 Victoria 州リーグで暫定的にプレーするオーストラリア U-20, U-23 代表GKでもあった Michael Turnball の獲得を発表。でもフィールド選手も入れないと。3月30日に、ようやく Newcastle Jets から中盤選手Richard Johnson を獲得した。このチームには日系人選手中盤のイマヤ=ナオキがいる。昨シーズンは怪我で出遅れ11試合のみの出場だったが、来季は頑張って欲しい。ラグビーの代表チームは ALL BLACKS というがサッカーは ALL WHITE と呼ばれている。ニュージーランド代表のユニフォームは黒色が基本だが、サッカーはレフェリーのユニフォームとの関係から黒のユニフォームは着られない。従って白色を採用し、愛称も ALL WHITE とされている。しかし、 ALL WHITE の選手は結構欧州戦線に繰り出している。Ryan Nelsen はプレミアのBlackburn Rovers の主将だ。NZサッカー界の願いは Rovers が Champions League に出場する事だが今は6位だが4位のTottenham には2勝点差だ。 Wellington 生まれのSimon Elliot は今年1月から Fulham に加わった中盤選手。コンスタントに出場していたのに、Everton 戦で負傷。 Liverpool, Everton 戦を含めた4試合を欠場中。 Chris Killen はScotland Premier のKilmarnock に所属するがくるぶしの怪我で先のScottish FA Cup 準決勝戦のHearts 戦を欠場チームの 4-0 で敗れた。彼の中村俊輔の寸評を聞きたいなぁ。Ivan VicelichdはオランダのRoda JC に所属。先日は Ajax を2-1 で破ったが彼は出番が無かった。Dave Mulligan はEnglish League One のDoncaster Rovers に所属する。先週はRotherham を 3-1 で破りチームは9位に。しかし、6位まで資格のある Play Off 出場権まであと6試合を残して6ポイント差に迫っている。Darren Youngの所属する アイルランドリーグの Waterford は2点差を守れず Bohemians に4-2 で敗れ最下位に。Rory Fallon はウェールズの Swansea のスペアヘッドだ。 アメリカ MLS New EnglandにはTony Lochhead が所属。先日はLA Galaxyを 1-0 で破った。ベルギーリーグ11位のRoeselareにはChristian Bouckenooghe が所属。2-2 で引分たKFC Germinal Beerschot 戦はベンチに。 欧州でプレーする選手数は日本人以上であろう。 2008年の北京五輪ではOFC ( オセアニア ) から出場枠1が確保されたがこれはアテネ五輪でオーストラリア がベスト8に入ったことが寄与しているか?今から五輪に向けて選手強化を進めているだろう。 今年のワールドカップでオーストラリアが出場するが、オセアニアからの出場は1982年スペイン大会のニュージーランド以来24年ぶり。この時もブラジルと同組になっている。何か因縁を感じるなぁ。
先週末より約10日間滞在したオーストラリア大陸を後にし、ニュージーランドを訪れております。 Auckland, Wellington を経て今は南島の都市 Christchurch におります。今年は例年以上に暖かいらしく、ここでも日中は半袖で過ごせます。2年前のこの時期に Christchurch に来た時は雪が降ったりしていたのですが。
さてさて、オーストラリアと言えば Socceroo そして6月12日は日豪両国間で決勝トーナメント進出を大きく左右する決戦が待っている。 さぞや当地ではと、可能な限り日本代表のレプリカを着て街を闊歩するも、誰もいじってくれない。むしろ ALL BLACKS のポロシャツを着ている方がよくお声がかかる。何人かの顧客にワールドカップネタを振ると“何それ?あぁ来年行われるやつね?” それラグビーなのだけど。 せいぜいブラジルと当たることを知る人がいるくらいで、同じく組に日本とクロアチアが入っている人には巡りあえなかった。まぁ全てのオーストラリア人に訊いた訳ではないが。 最後に会った顧客はスポーツをトータル的に知る人で、ワールドカップの事も当然理解していた。その彼がこう教えてくれた、“今は Melbourne で Commonwealth Games が行われているので人々の興味はそちらに向いている。それからラグビーの Super 14、そしてクリケットはテストマッチが近いので、まぁ5月頃には興味が向けられるだろう”との事。 彼も初戦の日本戦がキーになると言っていた。 まぁ、代表選手の殆どは欧州のクラブチームに所属しており、興味も日本国内の様に沸いてこないのか? 当地にはサッカー専門誌は見当たらないが、” AUSTRALIAN & BRITISH SOCCER “ と言う週間新聞が発行されている。ざっと目を通してみると、記事の中心は先日 Sydney FC の優勝で幕を閉じた A- League のストーブリーグ情報(こういう言い方しないか?) だ。 Queensland Roar の韓国人選手徐赫秀がチームの “ Grey Wilking Gold Medal “ と “ Player of the Year (同時にチーム最多得点者の Alex Brosque も受賞)“ を受賞したと写真つきで報道されている。そのRoarはかつて代表でも主将を務め、今期所属先のキプロス、APOEL Nicosia と契約が切れるPaul Okon に食指を。Okon には他にもNewcastle Jets, New Zealand Knights が興味を見せている。また北京五輪に向けてU-23代表候補が始動を始めた。4月14日~21日ベトナムでウズベキスタン、イランとの大会に臨む。北京五輪ではオーストラリアもアジア地区予選に組み込まれる。我が五輪チームは大丈夫か?尚北京五輪からオーバーエイジ枠は使えなくなる。元代表だった Bundesliga 2部の TSV1860ミュンヘンに所属する Paul Agostino が八百長の疑いで取り調べを受けたと。本人は否定している。 Agostinoは来季は Adelaide Unitedとの契約が内定していうる。その Adelaide絡みのトップニュースが。アズーリのFWクリスティエン=ビエリに何と Adelaide United がアプローチしている記事だ。ビエリの獲得に300万豪ドルを準備しているとのこと。これには伏線がある。ビエリはワールドカップ後は(その前にリッピが選ぶか?)アメリカに渡りたい意思を親しい仲間に吐露しているらしい。 それなら Measure League Soccer が出ない契約金でかつてオーストラリア代表経験もあり、現在セリエBの Arezzoに所属する弟の Max と兄弟そろっての獲得を、と考えている。実現すれば非常に楽しみだ。代表絡みの記事といえばまず紙面中ほどにジーコ監督がドイツの Kickers のインタビューで語った“日本は世界ランク18位だが、それ以上の力がある。大会ではベスト4にまで行く可能性がある”と言うコメントを載せていた。また自国の事は別のトピックでランクが4つ上がり40位になったと紹介。そしてCentral Coast Mariners の Michael Beauchamp と Dean Heffman の二人がブンデスリーガの FC Nuremberg の練習に参加する。この影にはヒディング代表監督の推薦があったらしい。このままチームに残り、欧州での Socceroo 召集に合流するのか?そのオーストラリア代表は大会開始直前の6月7日にドイツ南部のウルムでリヒエテンシュタインとの“仕上げ”試合を組むことが決った。6月12日に日本と対戦するオーストラリアはその前に5月25日メルボルンでギリシア代表と、6月4日にはロッテルダムでオランダ代表との試合が待っている。 日本はどことやるのだったっけ?オランダ代表ファンバステン監督のコメントも。FIFAが決めた最終メンバー23人の提出期日が5月15日と早まった事を非難するコメントが。あと1月程でメンバーを決めるのか? Champions League の決勝戦が5月17日。各国の監督の気持ちもわかるなぁ。 一方欧州で頑張る Socceroo 達。ウルグアイとのプレーオフの立役者 GK Schwarzer は Everton に移るかもしれない。 Everton 会長がシーズン後の移籍獲得を早くも宣誓している。 その Everton には同じオーストラリア代表の Cahill が所属する。 Cahill は先々週のアストンビラ戦で2ゴールを挙げた。欧州でも Socceroo 達の活躍度はCeltic の中村俊輔の頼りの日本勢を凌いでいる。 そしてユーベントスがワールドカップ後にオーストラリアに?と地元(オーストラリア)タブロイド紙に掲載されたことを。1993年にACミランが来豪している。そしてユーべは1984年にオーストラリア大陸にやって来てオーストラリア代表と Adelaide, Melbourne, Sydney と3試合を行った。当時のユーべにはフランスの将軍、ミシェル=プラティニがいた。 だが、このタブロイド紙の記事はどうも信憑性が薄いらしい。欧州からオーストラリアは遠いからなぁ。ユーベントスは1992年にはバッジオ、ビアリらを擁して来日しカズ、井原、柱谷らのいた日本代表と2試合行った。 最後に Perth Glory の日本人選手石田ヒロがマレーシアのジョホールと3ヶ月契約を交わした。 これは9月に開幕する翌シーズンに向けての準備の一環とのことだ。 頑張れ日本人選手。
折角滞在したのだが、オーストラリア代表の話もワールドカップの事もあまり聞かれなかった。しかし、3月末のエクアドル戦の対戦相手、内容を考えると今はよその事より自分のところか?
さてさて、オーストラリアと言えば Socceroo そして6月12日は日豪両国間で決勝トーナメント進出を大きく左右する決戦が待っている。 さぞや当地ではと、可能な限り日本代表のレプリカを着て街を闊歩するも、誰もいじってくれない。むしろ ALL BLACKS のポロシャツを着ている方がよくお声がかかる。何人かの顧客にワールドカップネタを振ると“何それ?あぁ来年行われるやつね?” それラグビーなのだけど。 せいぜいブラジルと当たることを知る人がいるくらいで、同じく組に日本とクロアチアが入っている人には巡りあえなかった。まぁ全てのオーストラリア人に訊いた訳ではないが。 最後に会った顧客はスポーツをトータル的に知る人で、ワールドカップの事も当然理解していた。その彼がこう教えてくれた、“今は Melbourne で Commonwealth Games が行われているので人々の興味はそちらに向いている。それからラグビーの Super 14、そしてクリケットはテストマッチが近いので、まぁ5月頃には興味が向けられるだろう”との事。 彼も初戦の日本戦がキーになると言っていた。 まぁ、代表選手の殆どは欧州のクラブチームに所属しており、興味も日本国内の様に沸いてこないのか? 当地にはサッカー専門誌は見当たらないが、” AUSTRALIAN & BRITISH SOCCER “ と言う週間新聞が発行されている。ざっと目を通してみると、記事の中心は先日 Sydney FC の優勝で幕を閉じた A- League のストーブリーグ情報(こういう言い方しないか?) だ。 Queensland Roar の韓国人選手徐赫秀がチームの “ Grey Wilking Gold Medal “ と “ Player of the Year (同時にチーム最多得点者の Alex Brosque も受賞)“ を受賞したと写真つきで報道されている。そのRoarはかつて代表でも主将を務め、今期所属先のキプロス、APOEL Nicosia と契約が切れるPaul Okon に食指を。Okon には他にもNewcastle Jets, New Zealand Knights が興味を見せている。また北京五輪に向けてU-23代表候補が始動を始めた。4月14日~21日ベトナムでウズベキスタン、イランとの大会に臨む。北京五輪ではオーストラリアもアジア地区予選に組み込まれる。我が五輪チームは大丈夫か?尚北京五輪からオーバーエイジ枠は使えなくなる。元代表だった Bundesliga 2部の TSV1860ミュンヘンに所属する Paul Agostino が八百長の疑いで取り調べを受けたと。本人は否定している。 Agostinoは来季は Adelaide Unitedとの契約が内定していうる。その Adelaide絡みのトップニュースが。アズーリのFWクリスティエン=ビエリに何と Adelaide United がアプローチしている記事だ。ビエリの獲得に300万豪ドルを準備しているとのこと。これには伏線がある。ビエリはワールドカップ後は(その前にリッピが選ぶか?)アメリカに渡りたい意思を親しい仲間に吐露しているらしい。 それなら Measure League Soccer が出ない契約金でかつてオーストラリア代表経験もあり、現在セリエBの Arezzoに所属する弟の Max と兄弟そろっての獲得を、と考えている。実現すれば非常に楽しみだ。代表絡みの記事といえばまず紙面中ほどにジーコ監督がドイツの Kickers のインタビューで語った“日本は世界ランク18位だが、それ以上の力がある。大会ではベスト4にまで行く可能性がある”と言うコメントを載せていた。また自国の事は別のトピックでランクが4つ上がり40位になったと紹介。そしてCentral Coast Mariners の Michael Beauchamp と Dean Heffman の二人がブンデスリーガの FC Nuremberg の練習に参加する。この影にはヒディング代表監督の推薦があったらしい。このままチームに残り、欧州での Socceroo 召集に合流するのか?そのオーストラリア代表は大会開始直前の6月7日にドイツ南部のウルムでリヒエテンシュタインとの“仕上げ”試合を組むことが決った。6月12日に日本と対戦するオーストラリアはその前に5月25日メルボルンでギリシア代表と、6月4日にはロッテルダムでオランダ代表との試合が待っている。 日本はどことやるのだったっけ?オランダ代表ファンバステン監督のコメントも。FIFAが決めた最終メンバー23人の提出期日が5月15日と早まった事を非難するコメントが。あと1月程でメンバーを決めるのか? Champions League の決勝戦が5月17日。各国の監督の気持ちもわかるなぁ。 一方欧州で頑張る Socceroo 達。ウルグアイとのプレーオフの立役者 GK Schwarzer は Everton に移るかもしれない。 Everton 会長がシーズン後の移籍獲得を早くも宣誓している。 その Everton には同じオーストラリア代表の Cahill が所属する。 Cahill は先々週のアストンビラ戦で2ゴールを挙げた。欧州でも Socceroo 達の活躍度はCeltic の中村俊輔の頼りの日本勢を凌いでいる。 そしてユーベントスがワールドカップ後にオーストラリアに?と地元(オーストラリア)タブロイド紙に掲載されたことを。1993年にACミランが来豪している。そしてユーべは1984年にオーストラリア大陸にやって来てオーストラリア代表と Adelaide, Melbourne, Sydney と3試合を行った。当時のユーべにはフランスの将軍、ミシェル=プラティニがいた。 だが、このタブロイド紙の記事はどうも信憑性が薄いらしい。欧州からオーストラリアは遠いからなぁ。ユーベントスは1992年にはバッジオ、ビアリらを擁して来日しカズ、井原、柱谷らのいた日本代表と2試合行った。 最後に Perth Glory の日本人選手石田ヒロがマレーシアのジョホールと3ヶ月契約を交わした。 これは9月に開幕する翌シーズンに向けての準備の一環とのことだ。 頑張れ日本人選手。
折角滞在したのだが、オーストラリア代表の話もワールドカップの事もあまり聞かれなかった。しかし、3月末のエクアドル戦の対戦相手、内容を考えると今はよその事より自分のところか?
Champions League は今週ベスト4が決定する。その一方で欧州のもう1つのカップ戦、UEFA CUP も歩準々決勝 First Leg が30日行われた。私の注目は何と言っても Rapid vs Steaua のブカレスト対決だ。私の最も好きな欧州のクラブチームこそ Steaua Bucuresti だ。ルーマニアの首都ブカレストは今から12年前に商用で駐在した事のある街だけに今、街の様相がどう替わって、人々の生活ぶりがどれだけ向上しているかを知りたいと思う。当時はワールドカップアメリカ大会が行われていた。決勝トーナメント1回戦でマラドーナが大会から締め出されたアルゼンチンを 3-2 で破った夜は街中大騒ぎで、準々決勝でスウェーデンにPK負けした時の市民の落胆振りは痛いくらいだった。当時の中心選手は欧州でも屈指のMFゲオルゲ=ハジ、ACミランにも所属したストライカーのラドチョイ、アルゼンチン戦2ゴールのドミトレスク、中盤にはゲオルゲ=ポペスク、ルペスク、DFのベロデディッチ、ダン=ペトレスクと非常にタレント揃いであった。 そして当時は今ほど拡大されていなかった Champions League には Steaua Buchuresiti が参戦。ベンフィカ=リスボン、アンデルレヒト戦を観戦した。残念ながらエースのマリウス=ラカトシュがクロアチアのハイデュゥク=スピリット戦で退場になり3試合出場停止処分になったのが原因で次のラウンドには進めなかった。 国内リーグもよく観にいった。ステアウア、ディナモ=ブカレスト、ウニベルシュタテア=クライオヴァ、そしてラピッドの直接対決を堪能したものだった。最近のルーマニアは欧州カップ戦どころか、代表チームは2000年の欧州選手権のベスト8以来、ワールドカップ、欧州選手権の本大会出場がない。伝説のMFハジの引退以降、低下線を辿る一方だ。1985-86年のChampions Cup のタイトルを勝ち取った事を憶えている人はおられるだろうか?セビージャで行われたバルセロナとの決勝戦。試合は延長戦でも勝負がつかず、PK戦でステアウアが栄冠を手に入れた。戦前の予想では圧倒的にバルセロナが有利。というよりもルーマニア自身がワールドカップでは1970年大会、欧州選手権では1984年大会くらいしか予選を突破出来ず、その存在自体が欧州の列強から忘れられていた。しかしバルセロナの監督テリー=ベナブルズは試合途中で西ドイツの中心選手ベルント=シュスターを下げ、彼はそのまま競技場を後にしてしまう。ベナブルズこそ前年、ヘイゼルの悲劇の際にリバプールの指揮を担っており、イングランドのクラブチームは欧州カップ戦に謹慎中であった。 この時のステアウアのメンバーを去る3月15日、今のオーナーである Gigi Becali 氏が思い出の地セビージャに集めた。この企画は “ Gesture of Gratitude: 感謝の意思表示”と、命名され当時エースで現在会長職( Exective President )に就いているマリウス=ラカトシュを始め、英雄達を招待しは。そして翌日のUEFA CUP の Betis の試合に臨むという運びであった。招待を受けたのは当時のコーチだったEmeric Ienei, 主将のStefan Iovan 、累積警告で出場できなかったTudorel Stoica 、そしてAdrian Bumbescu, Ilie Barbulescu, Mihail Majearu, Lucian Balan, Marin Radu、Constantin Pistol らが当地に集った。そして極めつけはこの試合の殊勲選手、GKのHelmut Ducadam。 彼こそバルセロナ4選手の繰り出すPKを全てストップした立役者だ。そして私はここで1つの確信を得た。このドゥカダムに就いては逸話がある。この年の末に東京で行われたTOYOTA CUP には英雄ドゥカダムは右腕の“血行障害”と言うことでやってこなかった。第二キーパーのスティンガチョがゴールを守った。そして実はこの血行障害は当時独裁政権下であったチャウセスクの長男ニクが狩猟にドゥカダムを招待しニクの銃弾が誤ってドゥカダムの腕を撃ち抜いたと聞かされた。だが1995年,更に驚くべき報道が。憎きバルセロナをChampions Cup 決勝戦で破ってくれた立役者ドゥカダムにレアルマドリードがベンツをプレゼントし、そのベンツをチャウセスクが差出を求め、拒否をしたドゥカダムを秘密警察が拷問を加え、彼は死んでしまったと伝えられた。事実 Champions Cup 決勝戦以降かれの勇姿をルーマニア人でさえ見たものはいなかったらしい。そして2003年更に驚かされることが。商用でオーストラリアに滞在中、たまたまルーマニアからの移民と話すきっかけがあった。そして彼から“ドゥカダムは実は元気に生きている。彼は当時死んだことにしてもらい姿を隠し、時代が変わるのを待っていたとコメントしている”と教えてもらった。しかし、その事を確かめる術も無くいつか自分の記憶の片隅に埋没して行った。このドゥカダムの一連の出来事は私にとってはビッグサプライズであった。彼は“この決勝戦以来一度UEFAにこの地に招待をしてもらった。明日(3月16日)の Betis との試合には当時自分が付けていた手袋を Steaua の(現役)GKCarlos Alberto Fernandesに貸し、この試合の勝利を祈る”とコメントした。試合は実際にグローブを借りたかどうかは不明だがホームの Besits の猛攻を Fernandes が防ぎ、後半 Iacob とNicolita の2ゴール、合わせて3ゴールでものにし、準々決勝でのブカレスト対決が実現した。この試合はセビージャのBetis のホーム Manuel Ruizde Lopera 競技場で行われ、20年前、同じセビージャで披露された快挙を再現した。 Becali オーナーは試合の結果に大喜びその反面、ここにこられなかった英雄達も気遣った。現在ルーマニア代表監督のVictor Piturca は多忙で、ワールドカップアメリカ大会で代表監督として指揮をとったAnghel Iordanescu はスイスでの会議で。TOYOTA CUP で幻のオフサイドゴールを決めたMiodrag Belodedici はSlovakia でルーマニア協会の技術委員長としの任務にあり、PK戦でラカトシュと共にゴールを決めたFW選手Gabi Balint は国内クラブチームFCU Politehnica Timisoara のコーチとしてこれまた時間が取れず, 第二キーパーでドゥカダムの代わりにTOYOTA CUPに出場したDumitru Stangaciu はポーランドの Wisla Kraków のコーチ業で,そしてStoica はブカレストでの事業が忙しくてそれぞれ当地にこられなかった。
注目のラピッドとのブカレスト対決の初戦を引分けたステアウア。第二戦は4月6日に ホームの Ghencea 競技場(昔は Steaua Sutadium と呼ばれた)は改修工事で使えないのでLia Manoliu 競技場で行われる。 Ghencea はルーマニアで随一のピッチコンディションを誇り、幾多の国際試合がここで行われ、私もワールドカップ予選( 1993年10月対ベルギー戦)欧州選手権予選 ( 1995年3月対ポーランド戦)を観戦した事もある。2004年に日本代表がルーマニア代表と試合をしたときは何故か National Stadium が使われたが。 このピッチの違いがどう影響するか? ただこの時点で既にルーマニアのクラブがベスト4に進出することは決っており勝者は FC Basel vs Middlesbrough 戦の勝者と当たる。 帰国したらビデオラックを紐解いて?1986年のリーベルプレートと行われた TOYOTA CUP の試合を観てみよう。 ブカレスト時代のアルバムと共に。
注目のラピッドとのブカレスト対決の初戦を引分けたステアウア。第二戦は4月6日に ホームの Ghencea 競技場(昔は Steaua Sutadium と呼ばれた)は改修工事で使えないのでLia Manoliu 競技場で行われる。 Ghencea はルーマニアで随一のピッチコンディションを誇り、幾多の国際試合がここで行われ、私もワールドカップ予選( 1993年10月対ベルギー戦)欧州選手権予選 ( 1995年3月対ポーランド戦)を観戦した事もある。2004年に日本代表がルーマニア代表と試合をしたときは何故か National Stadium が使われたが。 このピッチの違いがどう影響するか? ただこの時点で既にルーマニアのクラブがベスト4に進出することは決っており勝者は FC Basel vs Middlesbrough 戦の勝者と当たる。 帰国したらビデオラックを紐解いて?1986年のリーベルプレートと行われた TOYOTA CUP の試合を観てみよう。 ブカレスト時代のアルバムと共に。
日本人は素晴らしいと韓国人が言えば、日本人も韓国人は優しいと、と交わされる会話を、オーストラリアやニュージーランドではよく耳にする。厳密に言えば、韓国人男性が日本の女の子を“ご飯を美味しく作ってくれて、掃除も洗濯も献身的にこなし、男性を立ててくれる”との事で、日本の娘達も“韓国人男性は優しくて全てがレディーファースト”と。韓国女性はこれについては“韓国人の男性がや優しいのは自分のものになるまで。後は高圧的だ。”と言う。ならば日本人男性は魅力無いのか?ときくと。“日本の男はだめ。軍隊に行かないから弱いし、いつもへらへら笑っているだけ。それに頭が悪い。” 軍隊に行かないのは徴兵制の違いで、頭が悪いといわれるのは、ここで英語を満足に話せる若者が少ないということで、韓国人は外国語に対する憧れが強いので、英語を一生懸命勉強する。その違いはある。そして言葉が出来ないから意思の伝達にとまどい、へらへら笑っているだけに終始してしまう。若い女の子がニコっとするのとは取られ方が違う。世界で一番もてないのは日本人男性だということがよくわかる。よってくるのは女性の9割以上は“日本人は金持ちだから”と言う先入観だからだ。
ただし、語学堪能な日本の若者の何人かはオージーやキーウィー女性のハートを掴んでいるようだ。頑張れ日本男児達!! 3月31日にWBCの興奮冷めやらぬ中、プロ野球セントラルリーグが開幕した。我がジャイアンツは開幕戦5年ぶりの勝利をあげたかと思えば第二戦は惨敗。開幕戦で上原と李承の投打が噛合ったところは国際的な感がした。そして新戦力の亀井の活躍など少しは期待できそうだ。 韓国では早速の李承の活躍を大きく取り上げており、本塁打50本は保証できる裏づけを下記の様に分析している。
まず、ゲーム数が多いこと。セ・リーグは正規シーズンが146試合で、パ・リーグより10試合も多い。本塁打量産に向け絶対的なプラス要因となる。 2つ目の理由は先発が左腕だとしてもスタメン落ちすることがなくなったということ。パ・リーグはゲームの前日に先発投手を予告する。昨年イ・スンヨプは左腕投手の先発が予告されると、スタメン落ちするケースが多かった。 しかし、巨人の原監督は「4番打者はむやみに動かさない」と、イ・スンヨプに引き続きチャンスを与える意向を示している。さらにセ・リーグは先発予告制でないため、投手に応じて打者を変えにくい。 最後にホーム球場にも利点がある。東京ドームには風がない。打球の飛距離は一般球場より伸びる。昨年ホーム球場のマリンスタジアムは風の影響で本塁打を量産できなかった。イ・スンヨプ自身も風のない東京ドームが気に入ったと言っている。 イ・スンヨプの本塁打王としての成長は、読売の渡辺球団オーナーや原監督の望みでもある。渡辺球団オーナーはイ・スンヨプが今年、本塁打50本は打てるものと予想している。 原監督もイ・スンヨプの入団に合わせ、王貞治監督の55本塁打の記録を破ってほしいと注文しているという。イ・スンヨプの新たな挑戦が幕を開けたのだ。
マリーンズとの最大の違いは監督の信頼度だ。原監督は李承を4番に据えて打線の軸と期待しているのに対し、バレンタイン監督は彼をそこまで中心選手と見ていなかった。それは一年目の彼の不振からみれば当然だが、この原因は韓国のマスコミにある。キャンプ中、常に彼を追い掛け回し、挙句はバッティグゲージの真後ろに陣取り、打撃コーチもおしのけるそのマナー知らずな行動に、紳士的な李承はすっかり気を使ってしまい、年間を通してリズムに乗れなかった。 だがセントラルの投手は変化球を駆使する。指名打者制が無い分、あまり思い切って勝負に来ないので本塁打が量産できる配球はそうそう組まれない。それに渡辺オーナーの50本発言は誰にでも言うことだ。しかし、我が愛するジャイアンツの為に長打を量産してほしいのだけど、第二戦はそうはいかなかったなぁ。でも次は土肥を打ち崩す自信があるらしい。頼むよスンちゃん。
この李承の大報道の裏にはWBCで大活躍をみせた韓国人大リーガーたちが、シーズン開幕を前に苦戦を強いられている背景がある。 1次リーグ、2次リーグの日本戦でも好投した朴賛浩(パク・チャンホ)は29日(韓国時間)、アリゾナ州テンピで行われたLAエンジェルスとのオープン戦で打ち込まれて早々に降板した。3回と3分の2を投げ1本塁打を含む12安打を許し、6失点。3三振、1四球という内容だった。31日(韓国時間)、サンディエゴ・パドレスの朴賛浩(パク・チャノ)はオープン戦での不振で先発ローテーションから外された。ひとまずブルペンで待機し、4月中旬以後に5人目の先発投手をめぐりウッディ・ウイリアムスと争わなければならない。朴賛浩は「WBC出場でやや疲れが残っている」としながら、「ブルペンにはあまり長くいられない」と話した。オープン戦2試合に登板し、防御率9.39と不振だった。
また福留に代打2ランを浴びたコロラド・ロッキーズの金炳賢(キム・ビョンヒョン)はベースランニング中に太ももを痛めた、結局、負傷者リストに名を連ねることになった。 これにより、金炳賢はチーム先発の4本柱として4月8日に予定されているサンディエゴ・パドレス戦に登板する予定だったが、見送られる形となった。金炳賢は少なくともシーズン開幕後、2回の登板機会を逃がす見込み。ロッキーズのクリント・ハードル監督は30日、ロッキーズ・ホームページとのインタビューで、「右腕投手金炳賢と1塁手Ryan Shealyは15日間の負傷者リストに登録されたままシーズンを迎える」と発表した。 金炳賢は2001年のワールドシリーズでダイヤモンドバックス時代にNYヤンキースを相手に連日本塁打を許したことに言及し、「金炳賢のビッグマッチ・ジンクス」と伝えた。そして2003年にレッドソックスに移籍後、地区シリーズのアスレチックス戦でもリリーフで登板した9回にランナーを二人残して降板し続く投手が打たれて逆転されてしまった。レッドソックスはシリーズに勝ったもののプレーオフには登録されず、帰国後(韓国の)新聞記者に殴りかかったといわれている。これは金炳賢によると新聞記者にしつこくその登板の事を聞かれ更にプレーオフの登録抹消をつつかれたからとの事だが、暴力は否定していた。金炳賢は福留に一発を浴びた直後に小笠原にぶつけているが、なるほど納得できる前科があるのだ。
しかし、同僚(ロッキーズ)の金善宇(キム・ソンウ)も練習中に太ももを痛め、オープン戦で登板できなかったながら投球に差し支えなく、開幕ベンチ入りは問題ないものとみられる。 続く
ただし、語学堪能な日本の若者の何人かはオージーやキーウィー女性のハートを掴んでいるようだ。頑張れ日本男児達!! 3月31日にWBCの興奮冷めやらぬ中、プロ野球セントラルリーグが開幕した。我がジャイアンツは開幕戦5年ぶりの勝利をあげたかと思えば第二戦は惨敗。開幕戦で上原と李承の投打が噛合ったところは国際的な感がした。そして新戦力の亀井の活躍など少しは期待できそうだ。 韓国では早速の李承の活躍を大きく取り上げており、本塁打50本は保証できる裏づけを下記の様に分析している。
まず、ゲーム数が多いこと。セ・リーグは正規シーズンが146試合で、パ・リーグより10試合も多い。本塁打量産に向け絶対的なプラス要因となる。 2つ目の理由は先発が左腕だとしてもスタメン落ちすることがなくなったということ。パ・リーグはゲームの前日に先発投手を予告する。昨年イ・スンヨプは左腕投手の先発が予告されると、スタメン落ちするケースが多かった。 しかし、巨人の原監督は「4番打者はむやみに動かさない」と、イ・スンヨプに引き続きチャンスを与える意向を示している。さらにセ・リーグは先発予告制でないため、投手に応じて打者を変えにくい。 最後にホーム球場にも利点がある。東京ドームには風がない。打球の飛距離は一般球場より伸びる。昨年ホーム球場のマリンスタジアムは風の影響で本塁打を量産できなかった。イ・スンヨプ自身も風のない東京ドームが気に入ったと言っている。 イ・スンヨプの本塁打王としての成長は、読売の渡辺球団オーナーや原監督の望みでもある。渡辺球団オーナーはイ・スンヨプが今年、本塁打50本は打てるものと予想している。 原監督もイ・スンヨプの入団に合わせ、王貞治監督の55本塁打の記録を破ってほしいと注文しているという。イ・スンヨプの新たな挑戦が幕を開けたのだ。
マリーンズとの最大の違いは監督の信頼度だ。原監督は李承を4番に据えて打線の軸と期待しているのに対し、バレンタイン監督は彼をそこまで中心選手と見ていなかった。それは一年目の彼の不振からみれば当然だが、この原因は韓国のマスコミにある。キャンプ中、常に彼を追い掛け回し、挙句はバッティグゲージの真後ろに陣取り、打撃コーチもおしのけるそのマナー知らずな行動に、紳士的な李承はすっかり気を使ってしまい、年間を通してリズムに乗れなかった。 だがセントラルの投手は変化球を駆使する。指名打者制が無い分、あまり思い切って勝負に来ないので本塁打が量産できる配球はそうそう組まれない。それに渡辺オーナーの50本発言は誰にでも言うことだ。しかし、我が愛するジャイアンツの為に長打を量産してほしいのだけど、第二戦はそうはいかなかったなぁ。でも次は土肥を打ち崩す自信があるらしい。頼むよスンちゃん。
この李承の大報道の裏にはWBCで大活躍をみせた韓国人大リーガーたちが、シーズン開幕を前に苦戦を強いられている背景がある。 1次リーグ、2次リーグの日本戦でも好投した朴賛浩(パク・チャンホ)は29日(韓国時間)、アリゾナ州テンピで行われたLAエンジェルスとのオープン戦で打ち込まれて早々に降板した。3回と3分の2を投げ1本塁打を含む12安打を許し、6失点。3三振、1四球という内容だった。31日(韓国時間)、サンディエゴ・パドレスの朴賛浩(パク・チャノ)はオープン戦での不振で先発ローテーションから外された。ひとまずブルペンで待機し、4月中旬以後に5人目の先発投手をめぐりウッディ・ウイリアムスと争わなければならない。朴賛浩は「WBC出場でやや疲れが残っている」としながら、「ブルペンにはあまり長くいられない」と話した。オープン戦2試合に登板し、防御率9.39と不振だった。
また福留に代打2ランを浴びたコロラド・ロッキーズの金炳賢(キム・ビョンヒョン)はベースランニング中に太ももを痛めた、結局、負傷者リストに名を連ねることになった。 これにより、金炳賢はチーム先発の4本柱として4月8日に予定されているサンディエゴ・パドレス戦に登板する予定だったが、見送られる形となった。金炳賢は少なくともシーズン開幕後、2回の登板機会を逃がす見込み。ロッキーズのクリント・ハードル監督は30日、ロッキーズ・ホームページとのインタビューで、「右腕投手金炳賢と1塁手Ryan Shealyは15日間の負傷者リストに登録されたままシーズンを迎える」と発表した。 金炳賢は2001年のワールドシリーズでダイヤモンドバックス時代にNYヤンキースを相手に連日本塁打を許したことに言及し、「金炳賢のビッグマッチ・ジンクス」と伝えた。そして2003年にレッドソックスに移籍後、地区シリーズのアスレチックス戦でもリリーフで登板した9回にランナーを二人残して降板し続く投手が打たれて逆転されてしまった。レッドソックスはシリーズに勝ったもののプレーオフには登録されず、帰国後(韓国の)新聞記者に殴りかかったといわれている。これは金炳賢によると新聞記者にしつこくその登板の事を聞かれ更にプレーオフの登録抹消をつつかれたからとの事だが、暴力は否定していた。金炳賢は福留に一発を浴びた直後に小笠原にぶつけているが、なるほど納得できる前科があるのだ。
しかし、同僚(ロッキーズ)の金善宇(キム・ソンウ)も練習中に太ももを痛め、オープン戦で登板できなかったながら投球に差し支えなく、開幕ベンチ入りは問題ないものとみられる。 続く
そしてアメリカ戦で3ランホームランを放った韓国の4番打者ボストン・レッドソックスに移籍した崔熙渉(チェ・ヒソプ)はマイナーリーグでシーズンを迎える見込み。 ボストン・レッドソックスの崔熙燮(チェ・ヒソプ/27)が29日(韓国時間)、フロリダ州サラソタで行われたシンシナティ・レッズとのオープン戦に先発1塁で出場した。 崔熙燮は3打数ノーヒットに終わり、ボストン移籍後4試合連続ノーヒット。 試合後、崔熙燮は右太ももに張りを訴え、30日に精密検査を受ける予定だ。ヤンキースの松井が移籍1年目は本塁打が量産出来ず、一時崔熙燮の後塵を拝していた。韓国のマスコミはその時“韓日4番対決は韓国に軍配”と随分喜んでいたのだが。
一方、準決勝の日本戦で先発して5回を無失点に抑えたLAドジャースの徐在応(ソ・ジェウン)はオープン戦で1勝1敗、11イニングで4失点で防御率3.27と安定した投球をみせ、5人目の先発投手の座を確保した。24日にセントルイスとのオープン戦初登板で5イニングを投げ、8安打3失点で敗け投手になった徐在応だったが、29日、米フロリダ州ベロビーチで行われたデトロイト・タイガースとのオープン戦に先発で登板、6イニングを6三振3安打1失点に抑える好投。与四球は1つで投球数は72球。この2試合の好投でチームの先発5人に入ることが当確となった。徐在応はマイナーリーグでの生活が長かったが、昨年大復活を遂げた。ニューヨーク・メッツで14回先発登板し、8勝2敗(防御率2.59)をマークしたほか、90と1/3イニングで与四球はわずか16とコントロールに定評がある。
日韓のアスリート達、国境を越えて切磋琢磨してもらいたい。それにしても11月に本当に再戦するのかな?
最後に日本戦でファインプレーを連発したライトの李晋暎(イ・ジンヨン/26/SK)のダイビングキャッチを韓国球界は今でも忘れられないのだろう。 東京ラウンドで試合の流れを変えるダイビングキャッチ、2次リーグで見せた正確なホームへの返球も、いまだに話題に上がる程、幻想的なプレーで所属チームのSKでは「国民的右翼手」として脚光を浴びている李晋暎を、プロ野球を代表するスター選手として育てるため、野心を燃やしている。 李晋暎はオンラインゲームの主人公として誕生し、歓喜の瞬間を再現する。SKはオンラインゲームメーカー「エムゲ」と手を結び、李晋暎のスーパープレーを再現したオンライン・フラッシュゲーム「ナイスキャッチ李晋暎!(仮称)」を4月下旬にお目見えする。 ゲームは、キャラクター化した李晋暎が難しい打球を捕球するものと、ホームに突っ込む走者をホームへの鋭い返球で刺す2種類からなっている。 ゲームは無料で、SK球団のホームページ(www.skwyverns.com)、またはエムゲ・ホームページ(www.mgame.com)で楽しめる。 韓国野球史に残る最高の名場面となった李晋暎のホームへの返球は、グラウンドでもよみがえる予定。SKはゲーム参加者のうち高得点者を対象に、SKのホームゲームに招待し、実際にグラウンドで「李晋暎のホームへの返球」を同じようにやってみるイベントを準備した。 李晋暎が2次リーグの日本との試合で見せた矢のような返球は「レーザービーム」、または「鉄砲玉返球」と呼ばれ、いまだに各種ポータルサイトの動画ベスト10にランクされているらしい。
しかし、岩村を捕殺した返球は確かに素晴らしかったが、3塁を廻ったところで岩村が足を痛なかったらホームインしていたのではないかと思う。 岩村の早期の完治を願うのだが。 李晋暎に並んで地味だったがショートの朴鎮万もなかなかの守備だったけど韓国では話題にならないのかな? 私も上記のホームページからゲームに参加し招待してもらおうかな? その時はシアトルマリナーズ 51番のユニフォームを着ていこうかしら?
一方、準決勝の日本戦で先発して5回を無失点に抑えたLAドジャースの徐在応(ソ・ジェウン)はオープン戦で1勝1敗、11イニングで4失点で防御率3.27と安定した投球をみせ、5人目の先発投手の座を確保した。24日にセントルイスとのオープン戦初登板で5イニングを投げ、8安打3失点で敗け投手になった徐在応だったが、29日、米フロリダ州ベロビーチで行われたデトロイト・タイガースとのオープン戦に先発で登板、6イニングを6三振3安打1失点に抑える好投。与四球は1つで投球数は72球。この2試合の好投でチームの先発5人に入ることが当確となった。徐在応はマイナーリーグでの生活が長かったが、昨年大復活を遂げた。ニューヨーク・メッツで14回先発登板し、8勝2敗(防御率2.59)をマークしたほか、90と1/3イニングで与四球はわずか16とコントロールに定評がある。
日韓のアスリート達、国境を越えて切磋琢磨してもらいたい。それにしても11月に本当に再戦するのかな?
最後に日本戦でファインプレーを連発したライトの李晋暎(イ・ジンヨン/26/SK)のダイビングキャッチを韓国球界は今でも忘れられないのだろう。 東京ラウンドで試合の流れを変えるダイビングキャッチ、2次リーグで見せた正確なホームへの返球も、いまだに話題に上がる程、幻想的なプレーで所属チームのSKでは「国民的右翼手」として脚光を浴びている李晋暎を、プロ野球を代表するスター選手として育てるため、野心を燃やしている。 李晋暎はオンラインゲームの主人公として誕生し、歓喜の瞬間を再現する。SKはオンラインゲームメーカー「エムゲ」と手を結び、李晋暎のスーパープレーを再現したオンライン・フラッシュゲーム「ナイスキャッチ李晋暎!(仮称)」を4月下旬にお目見えする。 ゲームは、キャラクター化した李晋暎が難しい打球を捕球するものと、ホームに突っ込む走者をホームへの鋭い返球で刺す2種類からなっている。 ゲームは無料で、SK球団のホームページ(www.skwyverns.com)、またはエムゲ・ホームページ(www.mgame.com)で楽しめる。 韓国野球史に残る最高の名場面となった李晋暎のホームへの返球は、グラウンドでもよみがえる予定。SKはゲーム参加者のうち高得点者を対象に、SKのホームゲームに招待し、実際にグラウンドで「李晋暎のホームへの返球」を同じようにやってみるイベントを準備した。 李晋暎が2次リーグの日本との試合で見せた矢のような返球は「レーザービーム」、または「鉄砲玉返球」と呼ばれ、いまだに各種ポータルサイトの動画ベスト10にランクされているらしい。
しかし、岩村を捕殺した返球は確かに素晴らしかったが、3塁を廻ったところで岩村が足を痛なかったらホームインしていたのではないかと思う。 岩村の早期の完治を願うのだが。 李晋暎に並んで地味だったがショートの朴鎮万もなかなかの守備だったけど韓国では話題にならないのかな? 私も上記のホームページからゲームに参加し招待してもらおうかな? その時はシアトルマリナーズ 51番のユニフォームを着ていこうかしら?