Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

マスコミよ、もうええ加減にしといたれよ

2007-10-28 | Weblog
先日10数年振りにボクシングマガジンを購入した。
勿論、話題になったWBC世界フライ級タイトルマッチの詳細を読むのが目的であったが、高校時代は毎月この月刊誌を購入していたものだった。そこにはこの試合の試合内容の詳細や総括が的確に論評されていた。
さすがに専門誌だ。例えばこの試合の内容ははっきりと凡戦であり、それは両者間の力の隔たりがありすぎたからであると。また試合前日の調印式での大毅の刺激的な発言そして内藤陣営が作成した“国民の期待に応えます”ポスターについても

“試合を盛り上げる為なら、どんなデモンストレーションがあっても良い。プロフェッショナルなのだから、注目を集め、人気を勝ち得た者もまた勝者である。個人的には亀田一族の傍若無人とも思える言動も充分に許せる。”

と前置きしたうえで “それは万人が認めるスキルとスリルがその実際の試合に期待出来てこそだ”と絞められている。 
そして

両者間の実力差から順当なら内藤の中盤までのKO勝が予想された、との事であったがそれでもポンサクレック戦から中3か月で臨んだ初防衛戦にコンディションに問題があればパワーと若さのある大毅にも番狂わせのチャンスは皆無では無いとの試合前の予想。しかしゴングが鳴って1ラウンド、2ラウンドを過ぎて早くも“専門家”の目にはその両者のボクシングの質量の違いが露呈されたらしい。頭にグラブを押しつけて、頭を低くして前進する大毅のいつものスタイルからパンチが繰り出せなかったのはこれまでの対戦相手と異なり躍動する世界王者との違いであっただろう、そして自分が前に出てくる前に例えグラブの上から打ち込まれても出鼻を挫くのに十分であり、時当たったボディーブローにより更に出足は鈍った....

との事であった。
あるテレビ番組で内藤に浴びせられた

“なぜあなたが格上なのに大毅と打ち合わなかったのですか?”

と言う質問がいかに的を外れた愚問だと言う事がよくわかる。それでも世界王者の内藤は丁寧にボクサーには一人一人独自の打ち合う時の得意な間合いがある事を説明していた。最終ラウンドの反則行為も内藤がそこまで大毅を追い込んだ現れとの事。ただレフェリーが減点処分をオフィシャル、各ジャッジに指示する間大毅が小さくガッツポーズを取っていた事を見逃さず、それを

“強がりや無邪気で済まされない行動。”

と批判している。このガッツポーズについては他のどのマスコミも見逃している。
それでも大毅の将来性については高く評価しており“敗戦は一時の恥。ここから何を学ぶかでこの少年ボクサーの将来は定まる”と結んでいる。
元世界王者のコメントの中にも“圧倒的不利と言われる中、チャンピオンに対して失礼と言う批判はあるが負ければ切腹と退路を断って、世界戦に挑んだその勇気は評価に値する。”との批評もあった。そしてみな異口同音に18歳で12ラウンド戦い抜いた事を評価しその将来性に期待できるとも….

その世界戦が終わって2週間以上が過ぎてもまだマスコミはこの話題に縋っていたい様だ。10月17日、JBCから処分が発表された翌日、金平会長、史郎氏が記者会見を行ったがその“謝罪”が不十分とマスコミは騒ぎだし、26日には長男の興毅が“謝罪記者会見”を行った。しかし私はこの経緯に疑問を感じないでいられない。

誰に謝罪する必要があるのか???

あの世界タイトルマッチで一番“被害”に合ったのは対戦相手の内藤大助のはずだ。その当の本人が大毅から直接謝罪を受け、史郎氏からも謝罪の電話を貰い、内藤自身がもうこれで終わりにしたいと言っているのに誰にそれ以上謝罪しろというのだろう?? 世間を騒がせた云々というマスメディアもあるが、騒がせているのはマスメディア自身で我々一般人はその報道を見ているだけだ。また各界の著名人がコメントしているが彼らに何の被害が及ぼされたのだろうか?????
それにマスコミは亀田騒動の中にも内藤大助を組み込み更に騒動を大きくしようとしている。心配なのは内藤の次の防衛戦の準備がこれに影響される事だ。

反則指示

インターバルの間にマイクが偶然史郎氏や興毅の反則指示の声を拾ったらしい。そして内藤自身も大毅のサミングや太もも叩きなど見えないところでの反則に悩まされたらしいが、実際に肘を入れられたり、タマを打たれたりはしていない。反則指示そのものは決して許されるものでは無いが、よくプロ野球ではベンチからマウンド上の投手に“ぶつけてやれ!!”と指示する監督が何人もいるらしい。特にロッテ監督時代のカネやんが….. 一度たまりかねた野村克也氏が“カネさん、あんたぶつけろって言ってもしぶつけられた打者が怪我でもしたら手錠が掛かるよ。”と直接言ったらしいが….それでもカネやんをはじめプロ野球の監督が記者会見まで開いて謝罪した話は聞いた事は無い。
そして10年程前、東京大学アメリカンフットボール部が関東大学リーグで好成績を上げてテレビの特別番組が組まれた事があった。その東大ウォーリアーズがある大学との試合前で試合に集中する為に、そして自らを鼓舞する為にリーダーの掛け声に合わせて大声を出すのだが、その中で“ぶちかましだ、ぶちかましだ”と叫ぶシーンに続き“病院送りだぞ、病院送り”と叫んでいた。しかし、これに対して誰も何も謝罪を求めない。東大生なら良くてボクサーならダメってことなのかな?そして反則指示を出すのなら東大に入れってことかぃ??

久々に購入したボクシング専門誌を隅々読むと一連の亀田騒動と異なりボクシングのスポーツとしての面白さが、高校時代にテレビで楽しんだあの面白さがよみがえって来た。世界ランクの表を見ても昔は WBA と WBC しかなかったが今は IBF WBO と団体が二つ増えている。最もJBCが認めているのは WBAと WBC だけらしく、IBFには日本人ランカーは皆無だ。そして亀田興毅は WBC フライ級の3位、WBAフライ級1位にランクされておりWBOでは15位となっている。かつて多くの世界王者を輩出した韓国勢は世界王者は皆無で東洋太平洋ランキングで一人チャンピオンがいるだけだ。かつては東洋太平洋ランキングで王者になり世界戦に臨んでいたので殆どのクラスが韓国人ボクサーで占められていたのだが…..
またクロアチア、オーストラリア、ドイツなど昔は見られなかった国や地域からも世界王者が誕生し、かつて全ての団体でアメリカ人ボクサーが独占していたヘビー級はウズベキスタン、カザフスタン、ロシア、ウクライナの旧ソ連邦のボクサーで占められている。 

ボクシング専門誌10数年振りに読んだ後の感覚はよく冷えた清涼飲料水を飲んだあとの爽快感の余韻に浸っている様だった。こえを機に少しボクシングも読み直してみようか……   これも亀田効果の一つなのかもしれない……


浦和 REDS アジア王者へ王手 後半、延長そしてPK戦

2007-10-27 | Football Asia
後半開始時は両チーム選手交代は無かった。
立ち上がりREDSのCKのチャンスに闘莉王が上がってきて惜しいシーンが二度立て続けにあった。52分には右サイドをポンテが上がり中にいれたクロスを達也が落として長谷部が撃つと見せかけたところを横に出し走り込んだ闘莉王が強烈なミドルを放つがゴールを捕えられなかった。55分には右サイドを長谷部、啓太と繋ぎ前線のポンテへ。ポンテがまたも中に折り返し中央の達也へ、左サイドから走り込んだ平川に送りダイレクトで放ったシュートはパクジンソプに当たってコーナーへ。
しかし立ち上がりの攻勢の直後、そのCKからカウンターをくらいイタマルに繋がれる。坪井が一旦は追い付き、山田もマークに入るが中に入れられ走りこんできた崔成国がダイレクトでREDSゴールに蹴り込み同点ゴールを許してしまった。そのゴールの裏に陣取る城南サポーター達の乱舞する。そしてスタジアムにはREDSコールが始まる。そして得点前から交替の為にピッチ脇で待機していた金東勲が孫大鍋に替って投入された。金東勲は1st LEG では同点ゴールを決めるなどこれまでACLでは5得点を挙げている。4月にアデレードで観戦したACLの試合でもゴールを決めている。城南は前半同様両サイドバックが上がってきて中盤を支配し始める。REDSは数的優位を作られ前線と中盤が分断され、ボールを奪っても前線にボールが渡らない。何とか阿倍が最終ラインで持ちこたえている。攻撃の糸口は田中達也のドリブル突破に頼るしかなくサイドバックが上がった裏をドリブルで侵入するが大型CBキムヨンチョルが激しい当たりで達也に最後の仕事をさせない。
城南優勢のなか69分逆襲から金相植から闘莉王を背負った金東勲に渡る。金東勲はそのままイタマルに落とし、イタマルが強烈なミドルを放つ。一旦はGK都築が弾くがそのこぼれ球を金東勲が押し込んで城南に逆転されてしまった。このゴール、場内では崔成国のゴールと発表された。城南サポ席は同点ゴール以上のボルテージで狂喜乱舞している。



このゴールで一気に城南が優位に立つ事に。これでREDSがもし次のゴールを先に城南に許すと、あと3点取らねばならなくなる。残り時間は20分、選手交代を含めてREDSベンチはどういう手を打ってくるのだろう。
72分に達也のインターセプトからワシントンに繋ぎ、さぁチャンスと言う時にワシントンが金斗 鉉に倒されFKを得た。そして金斗鉉にはイエローが出される。そして城南ベンチは準備していたDFチョヨンヒョンがMF南基一に替って投入される。そのFKをポンテがゴール前に入れ阿部が落とした所を走り込んだ長谷部が押し込んで鮮やかな同点ゴールが生まれた。リードされた直後の素晴らしいゴールであった。そのゴール裏に陣取るREDSサポーター達からそしてスタジアム中から大声援があがる。この同点ゴールは城南がDF選手を入れた直後だったので同点ゴール以上に大きいものだった。
しかし既に2ゴールを挙げている城南は次の1ゴールは1点以上の価値がある。80分には金東勲が頭で落とした所をイタマルが走り込みマークの坪井と交錯して倒れたが笛はならずにほっと胸をなでおろす。81分にはパクジソプのスルーを受けた崔成国が右からクロスを入れる。中にはイタマルと金東勲の二人が完全にフリーだったが重なってくれていたおかげで金東勲のヘッドはイタマルの背中にあたってゴールには至らなかった。82分には達也がお役目ごめんで永井が投入される。2003年4月ソウルで行われた日韓戦のロスタイムに決勝ゴールを挙げた、その再現を期待する。一方の城南もMFの金斗 鉉を下げてFWのキムミンホを投入する。キムミンホは建国大出身、2005年のデンソーカップではMVPに。この試合にはFC東京の伊野波雅彦も(当時は阪南大)出場していた。中三日で試合をしている REDS は休養充分の城南に対して試合時間が長くなればなるほど苦戦を強いられる。何とか90分で勝負をつけたかっただろうが、90分には右サイドにいた闘莉王がボールを受けるやボールをコーナーに蹴り出して倒れてしまった。故障していた足を痛めたらしい。転倒後すぐにベンチに向けて交替を促す。その闘莉王を近くにいた金東勲が気遣う。替って堀之内が入るが、この負傷退場はその後の厳しさを予感させた。

延長戦に入っても一進一退。そんな中で目立ったが阿倍のディフェンス。交替出場のキムミンホ、そして崔成国の突破を何度も身体を張って防ぐ。特にキムミンホとの激しいワンオンワンは観ていて圧巻だった。そして延長戦を終えても勝負はつかず勝負はPK戦に委ねられる事に… このPK戦のゴールを巡っても試合前に城南サイドからひと悶着あったらしいが、そこは譲らず規定通りホーム側のゴールを使う事に。このピッチ外の激戦を制した事が勝利につながったか…..
PK戦はREDSが5人全員(ポンテ、ワシントン、阿部、永井、平川)が危なげなく決めたのに対し城南は1人目金相植には決められたものの都築はそのコースを読んでおり、二人目崔成国が正面に蹴ったのを都築が弾き出し以降のPK戦を優位にし勝利を導いた。この崔成国のPKの時、よく都築は動きをずらしたと思う。それは崔成国が蹴る前から腕組みをしていたときから決めていたのだろうか……. 最後の平川が右サイドネットを揺らした時、さいたまスタジアムには怒涛の大歓声が湧き上がり浦和REDSの決勝進出が決まった。14年前Jリーグが創設された時に、川淵(当時)チェアマンにチーム力の“改善命令”を出されたチームがJリーグのチームでは初めてACLの決勝戦に進出する事となった。
この試合のREDSのMVPは私は阿倍だと思う。劣勢の時間が長い中、特に試合終盤のピンチの連続をよく凌いだと思う。

対戦相手の城南一和も見事だった。あの中盤での早いパス回しに強い当たり。浦和REDS以外のいくつのJリーグチームが対等に戦えるのだろう…. そして約3,000 人と言われた城南サポーター達。おそらく半分近くは在日か在留の韓国人だろうが、熱戦を引き出すには充分なアウェーチームのサポートだった。
そして赤い大サポーター達…….. 場内一周をするREDSイレブン達を迎えるサポーター達を見て“本当に勝って良かった。”と思った。自分はREDSサポーターで無いけどやはり国際試合では日本のチームには負けてほしくはないと思う。これが欧州、南米あたりだとそうはいかないらしいが…….

競技場の外に出ると時計の針はもう10時半を近くになっていた……

そして少し肌寒さを感じたけど REDS の勝利が寒さをあまり感じさせなかった……..

最後に一言、崔成国よ来シーズン京都が昇格したらぜひサンガに入団してくれ.....

 

浦和 REDS アジア王者へ王手 前半

2007-10-27 | Football Asia
10月24日さいたまスタジアム2002 時計の針はもう10時を回ろうとしていた。
勝負は120分間ではつかず、アウェーの城南側席陣取った約3,000人のサポーターを含めたこの日の公式観客数 51,651 人全てがこれから行われるPK戦を固唾を飲んで見守らねばならないのだ。韓国のチームとのPK戦と言えば7月のアジアカップの3位決定戦でのPK負けがすぐに思い浮かぶ。延長戦に入る前から、PK戦は避けたい、延長戦で勝負をつけたいと思っていたのだが….
対韓国戦でのPK勝は…..1995年香港でのダイナスティカップ…..でもあれは相手が五輪チームだった、そうだ1992年雨の中の北京でのダイナスティカップ、カズ、北澤、福田、高木、井原そして松永らを擁して韓国をPK戦で破った、雨の中の試合は韓国の方が得意だったのに….  でも1972年東京でのアジアユース準決勝、永井良和のいた日本ユースチームは車範根のいた韓国ユースチームと激闘の末PK戦で敗れた… 日本国内でも対韓国戦のPK戦は相性が悪いのかな……そんな事を考えていると最初のキッカーであるREDSのポンテがボールをセットし始めた、彼の正面にはREDSの大サポーター達が陣取る…………

この日は朝から絵に描いた様な秋晴れ。さいたまスタジアムに向けて出かけた午後6時には日が暮れていたがまだ温かかった。自転車で約半時間アジアナンバーワンの定評のあるさいたまスタジアム2002に到着。さいたまスタジアムは5月のACL Sydney FC 戦以来だが、今回は息子は何故か来ないといったので私一人で…..
今回取った座席は SAのメインアロー席。城南サポ席の近くであるが向こう正面にREDSのサポーター席が見える。早くも赤一色で染まっている。各席の前に備えられているドリンクホルダーには赤い旗が。熱心なボランティアの人達が“選手入場の際には赤い旗を振ってください。”と説明して回っている。こういう応援があってこそのREDSだ。この城南一和戦はスポーツ紙でも取り上げられており、10月3日の1st Leg での先制ゴールを含めACL7ゴール挙げた城南のエース、モタが負傷で来日できない事に、そしてアウェーの初戦を引き分け、ホームのこの試合を楽観視する報道があった。しかしこれは正しくないとも思った。アウェーで引き分けられた事は大きい。しかしその試合では孫大鍋、崔成国といった韓国代表選手が出場していなかった。特に崔成国の高速ドリブルはアジアではトップクラス。昨年A3 Championships では蔚山現代のメンバーとして来日し李栄杓と共に相手DFを切りさくドリブルを何度も披露、今年4月オーストラリアアデレードのACL グループリーグ Adelaide United 戦でも左右両サイドに現れて何度もドリブル突破をする姿を私は見た。また7月のアジアカップでも日本戦は怪我で欠場したが初戦のサウジアラビア戦でも鋭いドリブルを披露。当時のファーベック監督に抜擢された同じ城南の孫大鍋もなかなかのパファーマンスを見せていた。その2選手がこの試合に出ると…..と私は思っていた。その上さいたまスタジアムの大観衆の前でプレーする事はホームチームだけでなくビジターにも時にはモチベーションを高める事もある。REDSはアウェーで引き分けてのホームゲームだがそれほど楽観はできなかったはずだ。
試合前の練習を見ていると崔成国も孫大鍋もアップをしていてスタメンで起用されそうだった。やがて選手達が控室に戻り両チームのスタメンが発表される。REDSサポーターの大ブーイングの中まず城南一和の選手達が紹介されるが、黄色一色に染まった城南サポーター席からは同時に拍手と歓声が沸き起こる。崔成国、孫大鍋はやはりスタメン入り。そして御馴染の掛け声と手拍子に後押しされREDSの選手紹介が始まり、しばらくして大歓声に包まれて両チームの選手が入場する。スタジアムは一角を除いて赤一色だ。城南GKは金龍大。アジアカップでは李雲在に続く第二GKだったが出番はなかった。しかしACLではずっと城南のゴールを守っている。DF陣は右からパクジンソプ、チョビュングッ、キムヨンチョル、チャンハギョンの4バック。このDFラインも1次リーグ第5節のDong Tam Long 戦で チョビュングッが欠場した以外はACLでは不動のラインアップ。DFラインの前には右に孫大鍋、左に金相植の韓国代表コンビが配置され、攻撃陣はブラジル人ストライカー、イタマルがトップやや下がり目の2列目は右に崔成国、左に南基一、そしてその真中下に韓国代表の金斗鉱が置かれてダイヤモンド形を形成する。
一方の浦和は4日前の千葉戦で負傷交代したワシントンがフェースガードを付けてスタメン出場、ネネに替わって坪井が起用され10月3日城南戦と同じスタメンとなった。キックオフ直後から大歓声に後押しされ達也がドリブル突破をはかり左サイドの平川に繋ぎ、ゴール前のワシントンにクロスを送る。ワシントンはキムヨンチョルを背負いながらシュートを放つがGK金龍大が左に倒れこんでセーブ。その直後も達也がドリブルで持ち込むところを金相植が倒すがそのままボールは右サイドを上がったポンテに渡り主審はアドヴァンテージを取り笛を吹かなかったがこのプレーで金相植がイエローを受ける。その後も長谷部が南基一に倒されるなど城南は激しく当たって来るが韓国ではそれが普通なのかもしれない。10分あたりを過ぎると城南は両サイドバック、右のパクジンソプ、左のチャンハギョンが上がってきて中盤の層を厚くし、しかもワンタッチ、ツータッチでボールを回すのでREDSはボールを奪えなくなる。
それでも21分REDSが先制ゴールを決める。右サイドを長谷部、平川、ポンテと繋ぎ逆サイドのワシントンへ。ワシントンは腿でトラップをしてそのまま放ったシュートはゴールネットを揺さぶった。マークしたチャンハギョンもワシントンのトラップからシュートまでの動きを注視するしかなかった鮮やかな動きであった。城南が主導権を握り始めた時間帯での先制ゴールは 1st Leg で引き分けているREDSにとっては貴重なゴールだった。そして意外な事に昨シーズンJリーグで26得点のワシントンはACLでは初ゴールであった。しかし、城南は失点後も主導権を握り続ける。23分には右サイドバックのパクジンソプに突破を許しイタマルにスルーが渡る、そしてペナルティーエリアに侵入したパクジンソプに折り返されはっとするシーンがあったが坪井がブロック。32分には逆襲から金斗 鉉にロングを前線で左に流れたイタマルに通され最後は坪井と競りながら中に入れられたが阿倍がクリアー。34分にも右サイドから金斗 鉉のクロスが逆サイドに現れた崔成国に。山田と競りながらヘッドを撃たれたが力なくGK都築の正面に。城南は失点前から両サイドバックが押し上げて中盤で数的優位を形成しているのでREDSは後手後手に回った。たまにREDS選手にボールが出ても二人、三人とすぐに寄せて来るので思う様にボールを前に繋げない。また崔成国が左に回って来たので山田がその対応に腐心する事に。またワシントンも守備に時間を取られるようになる。それでもREDSは城南のプレスを外すかの様に大きなサイドチェンジを施す様になったので徐々に押し返す様になった。38分には右サイドを突破したポンテのクロスを達也がヘッドで狙うもゴール正面。40分にはワシントンのボールキープから達也にスルーが渡りそうになったがパクジンソプが達也をファールで止めてイエローカード。45分にはポンテとワシントンのパス交換から右サイドを破りチャンスをつかんだがわずかにオフサイド。 こうして何とかREDSは無失点、リードのまま前半を終える事になった。しかし城南の当たりの激しさ、そして中盤で見せたパスワークを後半も凌げるだろうか…….  後半に続く



 

アジア中で激戦が…..

2007-10-24 | 五輪 U-20, U-17
先日日本U-22 はカタール・ドーハで残念ながら惜敗をし五輪予選の厳しさが増しているが、それは日本の所属する Group C だけでなく他の Group も同じだ。五輪予選にかけるアジア諸国の思いの強さは他の大陸では見られない。AFC のWEBサイトでも五輪予選のページがあるくらいだ。ワールドカップでは出場枠の拡大により昔は1つしかなかった出場枠が今は最大5カ国まで門が広がったが、五輪はまだ昔と同様アジア枠は3のまま。今回は五輪が北京で開催されるので中国を含めてアジアから4カ国の出場枠が確保されている。前回アジアで五輪が開催されたソウル五輪時は開催国の韓国を含めて出場枠は3つのままだった。それに今回はオーストラリアが編入してきた。日本、韓国をはじめサウジアラビア、イラン、イラク……これだけで出場枠の2倍の国名が挙がって来る。日本だけでなく他国のサポーター達も試合ごとに激しく一喜一憂しているのだ………

Group A
イラク             2勝 2分 0敗 7得点 0失点 8勝点 +8
オーストラリア  2勝 2分 0敗 4得点 0失点 8勝点 +4
レバノン        1勝 1分  2敗 1得点 8失点 4勝点 -7
北朝鮮          0勝 1分  3敗  0得点 4失点 1勝点 +4

10月17日、オーストラリア五輪代表はレバノンの首都ベイルートに乗り込んだ。9月にホームで行われた北朝鮮、レバノンとの2連戦に連勝を飾った五輪代表こと Olyroo 。ホームで 3-0 と一蹴したレバノンをアウェーで叩けばアジア代表として五輪切符を掴むチャンスでもあった。しかしベイルートのMunicipal Stadium ではゴールを奪えず勝点は1止まり。幸い当面のライバルイラクが平壌で北朝鮮と0-0 で引き分けた為勝点では並んだまま、しかしオーストラリア関係者は平壌で北朝鮮が勝つ事を見込んでいたのではないか….. 確かに Olyroo はAdelaide United striker の FW Bruce Djite そしてNewcastle Jets の MF Stuart Musialik の中心選手を欠いていた。それでも試合を支配していたのは Olyroo だった。 27分にはJets の中心選手 Mark Bridge が7mの距離から決定的なヘッドを放ったがレバノンGK Hassan Moghnieh. の台ンセーブに阻まれた。前半終了直前には James Troisi が Bridge とのワンツーから抜け出しGK と1対1になるこの日最大のチャンスを掴んだが僅かに右に外してしまった。レバノンも後半エースストライカーの Akram Moghabi がGK Danny Vukovich のいない無人のゴールにシュートを放つチャンスがあったがNewcastle Jets のAdam D'Apuzzo がブロックし失点を逃れた。その後も Olyroo の攻撃は止む事がなかったが最後までゴールは奪えなかった。9月8日にイラクはベイルートでレバノンを 5-0 で一蹴している。そのレバノンをアウェーでオーストラリアは得点を挙げられずに引き分けに終わってしまった。これが現在の得失点差そして星勘定でイラクが優位立っている分岐点だ。Olyroo は ホームでのレバノン戦でもゴールを挙げたDjite の欠場が痛かったか….. それにしてもイラクの攻撃力は恐れ威入る。中でもレバノン戦で2得点,北朝鮮戦で1得点の Khashen Alaa は次代のイラクのエースストライカー候補だ。そして同じくレバノン戦でもゴールを決めた Muhamed Karrar はアジア大会そしてアジアカップのメンバーでもあった。イラクの実力は政情不安な為ホームゲームをイラク国外で行っているにも関わらずグループの首位にいる事でも証明される。次節11月17日 オーストラリアのGosford、 Central Cost Mariners のホームグラウンドにイラクが乗り込みオーストラリアと対戦する。8月22日ドーハでのイラクの“ホームゲーム”では0-0 であった。イラクの攻撃力が Olyrooのゴールを割る事が出来るだろうか。イラクとオーストラリアは前回のアテネ五輪では準々決勝で対決。その時はイラクが1-0 で勝っておりベスト4進出を決めた。この組には前回のベスト8とベスト4が入っている最も厳しいグループと言えよう。この組で注目していた北朝鮮であるが、これまでわずか勝点1、そして無得点。9月8日 Newcastle でのオーストラリア戦を観戦したが、中盤では時折早いボール回しを見せるがゴール前で決定的な仕事が乏しかった。それは日本も一緒か……

Group B
韓国         3勝 1分 0敗 4得点 1失点 10勝点  +3
バーレーン       3勝 0分 1敗 6得点 3失点  9勝点  +3
シリア          0勝 2分 2敗 1得点 3失点  2勝点  -2
ウズベキスタン  0勝  1分 3敗 2得点 6失点   1勝点  -4

10月17日シリアの首都ダマスカスで行われたアウェーでのシリア戦。ひと月前のホームでのシリア戦には 1-0 で勝利を収めている。韓国の関係者達は当然この試合も勝ち、4連勝を飾るものと思っていただろう。そして北京行きをより現実的に出来るものと思っていただろう。9月12日のホームでのシリア戦は金勝龍のゴールで手堅く勝利をしている。しかしよく考えればホームで 1-0 の勝利であればアウェーでも勝利とは胸算用出来なかっただろう….ダマスカスでのシリア戦の前には UAE で調整合宿を行いその際には日本との試合で0-3 で敗れたとの事。GK鄭成龍を含めて5人の9月のシリア戦でスタメンでなかった選手を入れて臨んでアウェーのシリア戦は朴主永と金勝龍をツートップとして起用したがMFの白智勲と呉章銀が引き気味のプレーに徹したため、普段の攻撃とは違い、迫力が感じられなかった。朴主永は、前半13分に左足からシュートを放ち、29分にはペナルティーエリア左からFKのチャンスをつかむも、ともにゴールポストを大きく外した。前半のポイントは、19分に放った李相湖のヘディング・シュートがゴールポストに阻まれたところ。これが前半最大の見せ場だった。後半に入り、朴成華監督は、李青龍と徐東鉉を投入したことにより前半に比べてパスワークが良くなり、試合の主導権を握るようにはなったものの、今度はシュートが決まらなかった。後半20分、李根鍋が決定的なシュートを放つも、ゴールキーパーのファインプレーに阻まれ、その後も徐東鉉や朴主永がシリアゴールを狙ったが、結局得点に結びつけることはできなかった。むしろ試合終了間際にシリア選手の放ったシュートがゴールポストに当たるなど、冷や冷やさせる場面もあった。

次戦、韓国はタシュケントに遠征しウズベキスタン戦に臨むが、最終戦はトップ争いをするバーレーン戦をホームで行う。韓国の予選突破は堅いと思う。 今大会はまだ終わっていないが、韓国のアジアでの勝負強さは脱帽だ。1986年のメキシコワールドカップに出場以来20年間でワールドカップ6大会、五輪5大会連続出場中だ。(地元開催も含む)五輪予選では前回はイラン、中国と同じ組でありながらその両国を寄せ付けずアテネ行きを決めてアテネ五輪ではベスト8に進出している。シドニー五輪予選も中国、バーレーンをものともせずに予選突破を果たしている。
しかし、韓国とてメキシコワールドカップ前までは1964年東京五輪以来20年以上に渡ってアジアの壁を突破出来なかった。特に現五輪チームの朴成華監督が現役時代であったモスクワ五輪予選はアジア中の誰もがと言って良いほど韓国の予選突破が予想されていたが、マレーシアでセントラル開催であった予選が始まって見れば地元マレーシアに予選リーグ、決勝戦で連敗、関係者の落胆ぶりは大変なものであったらしい。マレーシアには1971年ソウルで開催されたミュンヘン五輪予選でも苦杯をなめている。

11月17日、21日アジア中で開催される五輪予選。 最後に3カ国が笑うのだがその中に我々が含まれている事を祈るよ…….


世界王者の日本人ボクサーは他に......

2007-10-20 | Weblog

WBC世界フライ級タイトルマッチが行われたのが10月11日。既に10日が経っているが、未だに世間というよりもマスコミはこの試合から話題を絞りだそうとしている様だ。タイトルマッチ翌日にははやくも長男の興毅が“敵を取る”と言ったとかの報道がなされたかと思えば10月25日に予定されていた興毅のノンタイトル戦は延期となり、更に亀田陣営が目を狙えと言ったとか言わないとか…..
10月15日に JBC から処分が発表され倫理委員会は亀田大毅にボクサーライセンス停止1年、セコンドについた父親の亀田史郎にセコンドライセンス無期限停止、同じくセコンドを務めた亀田興毅に厳重戒告、協栄ジムの金平桂一郎会長にクラブオーナーライセンス停止3カ月の処分を満場一致で決めた、と発表されるまでどの様な処分が果たされるのか連日スポーツ紙の一面を飾った。そして処分発表後も17日に渡海文部科学相までが“当然の処分”と言及し、同日金平会長を始め、亀田大毅、亀田史郎氏の陳謝記者会見が行われ、一言も発しない大毅にそして会見の短さに世間はブーイングの嵐。さらに史郎氏ががんを飛ばしたとかとばさないとか、内藤に謝罪に行けとか…..しかし、反則をしたからと言って謝罪を強要するのもなぁ.......

18日には大毅がアポ無しで謝罪に行き、史郎氏も携帯電話で謝罪をしたとの報道… しかし報道はグローブを交わらせた当事者だけに留まらず18日には兄の興毅が“一言も発せなかった大毅に替って謝罪したい”とのコメントが報じられ、史郎氏がかつて興毅に宛てた手紙がアニメのセリフに酷似しているとかいないとか….. 協栄ジムの金平会長は協会に辞表を提出し、それが留保されたらしく、20日には亀田家の自宅兼練習所が葛飾区から移転するとかしないとか…. そして今後の練習場を含めた件を含め今後について史郎氏と金平会長で話し合い、場合によってはジム移籍も……
マスコミは常に“世間を騒がせている…..” との常套句で報道を始めているが、騒がせているのはマスコミで、騒いでくれなければ困るのもマスコミだろう。このタイトルマッチが決まってから、いやタイトルマッチが行われてからも、殆どのマスコミはチャンピオンである内藤大助の事を全く知らなかったのではないか?
今年7月アジアカップで沸く(そうでもなかったか…..) タイのバンコックに商用で訪れたが7月18日、まさに内藤が6年半タイトルを守り続けたポンサクレックを判定で降し新チャンピオンに輝いた日に私はバンコックにいた。翌19日には地元紙そして英字新聞にまで写真付きで大きくこのタイトルマッチが報道された。(この新聞を持ち帰るのを忘れた事を非常に後悔している。)内藤にとっては正に3度目の正直、2002年4月19日にはわずか34秒でKOされフライ級史上最速のKOタイムの汚名を, 2005年10月10日は途中で負傷し7R判定負けであった。そして7月18日の試合も一旦は放映予定局が放映をとりやめスポンサーが集まらず試合が出来なくなるかと心配された。 
亀田興毅は2002年と2004年にタイでポンサクレックとスパーリンクを行った経験があり、特に2004年は帰国後ポンサクレックの実力を疑問視する発言を憚らなかったのでポンサクレックが抗議すると言う一幕もあった。しかしその17度タイトルを防衛したポンサクレックをついに王者から陥落させたのが他ならぬ内藤だ。
亀田ファミリーと内藤大助、日本以外では内藤の方が断然有名だ。しかしこのタイトルマッチで初めて内藤大助を覚えたマスコミが多いだろう。実績と日本以外の知名度は内藤大助が圧倒的に上だ、しかし肝心の日本国内では彼の功績どころか彼が誰だか知らないマスコミが多い、それは決して正しい状況では無い……内藤が世間に知らしめたかったのはその事では無いか…….

世界ランクでも亀田大毅は14位。一方は6年半に渡って17度のタイトルを防衛したポンサレックを破った世界王者。試合前から亀田陣営は内藤への“口撃”を休める事はなかったが、本当に内藤に勝てると思っていたのだろうか??ゴングが鳴って3ラウンドもすると誰もがその実力差を確認できただろう。ただ大毅の逆転ワンパンチも考えられなくは無かったが…….TBSもそうだったのか????

日本人の世界チャンピオンは他にも WBA ミニマム級の新井田豊、WBAフライ級坂田健史、WBCバンタム級長谷川穂積がいるが、それを知っているマスコミはどれだけいるだろうか……. 特に長谷川穂積のバンタム級は世界では“黄金のバンタム”と呼ばれているクラスだ。
私は子供の時からボクシングを見るのが好きで、大場政夫、柴田国明、輪島功一、ガッツ石松、具志堅用高そして渡辺二郎らのファイトを見て興奮したものだ。時代は替わったとは言え今の様に世界王者の内藤よりもタイトルも持ってない亀田ファミリーに連日スポットがあたるなんて考えられない。

亀田ファミリーの今後はさておき、内藤大助には次の防衛戦でも結果を残してほしい。今回の防衛戦は“亀田大毅”と言う比較的容易な相手であった。そして今内藤は時の人となりこれまでの生活リズムがかなり変わっているはずだ。それを乗り越えて次戦もタイトルを防衛し彼の様な世界王者がプロボクシング界を盛り上げ、日本人世界王者をもっともっとえてほしいと思う…….

今度久しぶりにボクシングマガジンを買いに行こう……….


ドーハの悲劇?いやまだ優位だと思うけど…..

2007-10-20 | 五輪 U-20, U-17
10月17日、いや日本時間の18日深夜カタールの首都ドーハで行われた北京五輪アジア地区予選 Group C の大一番、日本はカタールに痛恨の逆転負けを喫してしまった。勝てば大きく一歩五輪に、しかし引き分けでもかなりの前進となるはずであったが、勝負事は相手があっての事、簡単に勝点を積ましてはくれなかった。
それにしても負けるにしても負け方がいけなかった。前半43分に欲しかった先制点が入り、後半時間が経つにつれて劣勢になる時間が増える中で同点にされ、さらにピンチを何度か招くも何とか耐え、これで引き分けと思ったロスタイムと言うよりのも終了数十秒前に伊野波が痛恨のハンドを犯しPKを取られ、時間を追って勝点が減って行く内容。久々に夜中に起きてテレビ観戦をした私はゴール前に入れられたボールが伊野波の前で弾んだ瞬間に “あっ” と叫んだが、主審は本当に良く見ていたと思う。しっかりとハンドを取りPKを与えると言う公平は判断を降した。

この日のスタメンはカタールが前節の東京での日本戦に累積警告で出場出来なかったFWのサイードと左ボランチのムバラクが新たに起用された以外は同じメンバー。一方の日本は前節で警告2枚で退場となった本田拓を筆頭に4人の選手を入れ替えてこの大一番に臨んだ。それが良かったのかどうかはわからないが…..

カタールの事を最近力をつけてきた…..と言う表現をするマスコミがあるが、それは正しいとは思えない。ワールドカップ出場こそないが、ロス五輪、バルセロナ五輪にはアジア代表で出場を果たしバルセロナ五輪ではベスト8。FIFA U-20では1981年大会で準優勝を収め, FIFA U-17大会でも 1985, 1987,1991, 1993, 1995,2001 と5大会出場を果たし1991 年大会では3位、1987年大会でも ベスト8に入っている。また1995年は FIFA U-20 大会のホスト国となったがベスト8に進出出来なかった。そしてその大会には日本のU-20 チームも奥、松田直樹、森岡そして中田英寿らを擁してアジアの壁を突破し、メキシコ五輪以来初めてアジアの壁を突破して世界の舞台に出場した大会であった。まぁ、年齢別の大会でしか成果を上げていないのは年齢詐称の疑惑もあるが…… 一つ言えるのは日本がアジアの中でも埋没していた80年代からカタールの方が既に成果を上げていたのだ。

FIFA World Youth Championship Australia 1981

そして昨年の地元開催のアジア大会では若手主体で遂に優勝を収めた。今年7月のアジアカップでも10人の五輪候補世代を含んでいる。(ヴェトナムは12人)  右サイドバックのメサド、FWワリードはアジアカップの日本戦ではスタメンでボランチのマジディ、FWハッサンが途中出場、FWヤハヤ, DFイブラヒムも出場は無かったがアジアカップメンバー。特にイブラヒムは怪我さえ無ければアジアカップでもレギュラーメンバー間違いなしの中心選手。 試合内容は前半は先月の東京での試合よりかは内容がいい様に見えた。そして前半終了前の良い時間に先制する事が出来た。後半に入って最初からホームのカタールが押してくる展開に。それでも日本はカウンター気味にサイド攻撃を、特に後半から登場した家長が何度かチャンスを作るが追加点を奪えない。そして次第にカタールがチャンスを作り出す。特に日本の左サイドをFWザイード、MFマジディそしてサイドバックのメサドがどんどん突いてくる。それでも2列目の柏木が豊富な運動量で守備に貢献し失点を食いとめたが77分にCKからのこぼれ球が交替出場のアルヘイドスの後ろに転がりそのままヒールで決められてしまった。こぼれたところがあと数十センチずれていたら…. そしてCK直前のワリードのFKをGK山本がナイスセーブをした後だけに…..それでもまだ同点。日本も得点のチャンスがあるだろうし、このまま押し切れば五輪は近づく。79分には攻撃力のあるワリードを下げてくれた。85分には交替出場の森島に警告が出されるが、ちょっと厳しいなぁ…と思う。そして87分には柏木が下がった。残り時間を考えても最後まで守備で貢献していた柏木が下がった事でカタールは生き返ったのではないか…….. そして時間が過ぎ、あと30秒足らずを耐えれば勝点1だったのだが……

届かなかったGK山本 

マスコミはドーハの悲劇再び…. と表現するが、あの時はそれが最後の試合だった。そしてこの五輪予選はまだ2試合が残されている。そして今や五輪予選はワールドカップ予選よりも厳しい戦いと言う事を忘れてはならない。出場国枠の拡大でアジアから4カ国そして最大5カ国がワールドカップに出場出来るが、五輪はアジアから3カ国しか出場出来ない。今回は開催国がアジアの中国であったので合計4カ国確保できたがソウル五輪では開催国の韓国を含めても3カ国(他に中国とイラク)であった。それほど今や五輪予選はワールドカップよりも厳しい戦いなのだ。

これでカタールに同勝点ながら総得点で1位の座を譲った日本だが、まだまだ星勘定では有利だと思う。日本は次節ハノイでヴェトナムと戦うが、この試合に勝てば最終戦を前にかなり優位な立場に立てる。カタールに敗れたとはいえ、直接対決では1勝1敗。そしてサウジアラビアもカタールもアウェーのヴェトナム戦は引き分けている。次節日本が勝利を挙げられればその分ライバル達に勝点2の差をつける事が出来る。そして…….

サウジアラビア対カタールが引き分けの場合
同日11月17日、カタールはアウェーでサウジアラビアと戦うが、ここで引き分けてくれるのがベストだ。そうすればサウジアラビアは圏外に落ちる事となり、最終戦を日本と東京で戦うサウジアラビアのモチベーションは一気に下がる。それでなくてもこう言う状況になればサウジアラビアはほぼ絶対的にベストメンバーを派遣しない。そうなると日本は勝利を計算でき、カタールの最終戦の結果にかかわらず五輪切符を手にする事が出来る。

サウジアラビアが勝った場合
サウジアラビアがカタールを抜き日本との最終戦に臨むこととなり、その直接対決が雌雄を決するが、そこは日本のホームゲーム。そして11月21日はかなり気温が下がっておりサウジアラビアはアウェーの厳しい戦いを強いられる。9月のアウェーでのサウジアラビア戦を見る限りホームでは日本に勝機が断然なると考えるのは容易だ。

カタールが勝った場合
少し厄介な事になる。サウジアラビアは圏外に落ちて、日本とカタールだけに可能性が残されることになる。最終戦はホームにヴェトナムを迎える。そしてこのヴェトナム相手に大量得点を奪われるとカタールが何点差でサウジアラビアに勝利するかが観点になるが、日本も可能性のなくなったサウジアラビアを相手とは言え大量点は期待できない。そしてカタールの攻撃力だと可能性の無くなったヴェトナム相手にホームとで大量得点勝利は非現実的では無い。

しかし、カタールとてアウェーでサウジアラビアに勝利を収めるのは容易ではない。サウジアラビアの勝利か引き分けが妥当な予想ではないか….

上記の星勘定はあくまでも日本が次節のヴェトナム戦に勝利を収めることが前提であるが、既にほぼ可能性の潰えたヴェトナム相手にアウェーとはいえ勝てないようではもう五輪もなにもあったものではない。サウジアラビア、カタールが引き分けたのはまだ予選突破レースに乗っていたという状況下での事だ。家長、森島の出場停止は痛いが本田拓の出場停止が解け、今度こそ平山が本来の実力を発揮すると思う。 DF陣の高さに難のあるヴェトナム相手に平山の高さは効果的だ。そして何よりも平山の奮起に期待したい….. それと水野の怪我の回復も....

アトランタ五輪予選の激闘を憶えている人は少なくないだろう。その後シドニー五輪最終予選ではカザフスタンとタイ、次のアテネ五輪最終予選では UAE, バーレーン、レバノン。こうして見ると過去2大会は比較的容易な国を相手にしていた。今回はサウジアラビア、カタール、ヴェトナムが最終予選を戦っているがこれが本当のアジア予選だ。それだけにこの予選を勝ち抜けばこの世代の自信になると思う。その為にも次節のヴェトナム戦でしっかりと結果を出して我々を喜ばせてほしいものだ.

顔をしかめる平山 

Referee 1-0 Sydnye FC ??

2007-10-08 | Aussie & Kiwi
10月6日。 A-League で最もエキサイトするゲーム Sydney FC vs Melbourne Victory を観戦した。 A League 元年の覇者は Sydney FC そして昨シーズン、2年目の覇者が Melbourne Victory 。そして Sydney, Melbourne と言うオーストラリアで 1,2 の規模の都市でのライバル意識向きだしの争いは東京対大阪と同様、いやそれ以上のものがあるかもしれない。なにしろオーストラリアの首都がキャンベラとされているのはあまりにも両都市の首都誘致争いが激しくその間をとったものとされている。また、A-League もこの両チームのゲームを一つの“目玉商品”としている。
しかしこれまでの直接対決では今回ホームの Sydney FC の1勝2分3敗と分が悪い。2005/06シーズンはアウェーで Thompson の2ゴールと Mascut の2本の PK で 0-5 と大敗している。
この試合は3月に ACL の浦和戦で知り合ったサポーター達と一緒に COVE と呼ばれるゴール裏のシートで共に観戦をした。試合前から対面の Vicotry サポーター達と大変なシュプレヒコールの応酬を繰り広げる。まぁお互いに何を叫んでいるかは聞こえないであろうが。 Sydney サポーター達の期待は前節から怪我の癒えたジュニーニョ。そしてベテランDFでワールドカップメンバーでもあった Popovich。要注意選手は当然 Socooeroos の Thompsonこれまで Sydney FC 戦で5ゴールを決めている。そして元 Socceroos 主将の Kevin Muscat 。Thompson と Muscat に対する野次もすごい。選手達が入場し、シドニーの選手達がこちらに手を振りながらポジションに着くと、大歓声が彼らを迎える。しかしコイントスですぐにエンドが替わり Vistory の選手達がやって来るとこれまたすごいブーイングが。同じ事は向こう側でも起こっている事だろう。 
立ち上がりから中盤での潰し合いが続きゴールシーンがなかなか見られない。そんななかSydeny は五輪代表の Adam Casey が右サイドを突破してチャンスを作ろうとする。そして試合が大きく動いたのは25分、中盤で Victory DF のSteve Pantelides がボールを持った所にSteve Corica がチャージに入ったが Pantelidas は Corica がタックルに入る前にボールを放すが、そのまま Steve の足が Pantelidasa の膝に入ってしまった。ここで Mark Shield 主審はすかさずCorica にレッドカードを出した。これにはサポーターのみならず Culina 監督も怒りを露に。一連の流れを見れば Corica のタックルは故意的なものではなく、イエローカードが妥当であっただろう。
主審の Shield 氏はワールドカップでも笛を吹き、アジアカップの決勝戦の主審も務めた著名な審判。この大一番に起用されるにふさわしい主審だったのだが…….
ACLの浦和戦でも活躍した元 Socceroos の Corica の退場は Sydney には計り知れないものであった。 Corica は攻撃と守備の両方の能力を持っており前節ではジュニーニョと絶妙のパス交換を見せていただけに……. その直後、ジュニーニョのスルーパスが Brosque に渡りシュートチャンスであったがその前に倒されたプレーにはホイッスルが鳴らず、Sydney Supporter からは主審に対して “ Oh Referee  !! Your wife were shit “ とのコールが起こる。




試合後 Culina 監督は“もし警察の加護が必要ならそれは良いサインではない。”と Shield 主審に言ったと伝えられた。そしてそれに対して Shield 主審は何と答えたかと記者会見で訊かれた Culina 監督は “ 彼をみてくれ、そして私に尋ねないでくれ、罰金を払いたくないから。“と答えた。36分には Victory MF Grant Brebner にイエローが出されたがこれも妥当な判定では無いと思われる。そして41分には Victory DF Jospeh Keeren にイエローが出されるがこれはむしろ相対した Sydney FC の Mark Rudan に出されるべきであった。これらの判定は Corica 退場の補填だったのだろうか?しかし64分にジュニーニョにイエローカードが出された時は怒りと言うよりも理解に苦しんだサポーターがいたのではないか?ゴール前にドリブルで持ち込んだジュニーニョが倒されたがノーホイッスル。そしてジュニーニョが軽く主審にファールじゃないのか?とポーズをとっただけでイエローが出された。  
Corica を失った Sydney は明らかに劣性続きであった。ジュニーニョはタイトなマークに苦しみスペースが見つけられず、トップの Brosque にはロングボールしか供給されない。そしてそこには屈強な Kevin Muscat が待ち構えていた。そしてジュニーニョは70分にブラジル人 FW の Patrick と交替でベンチに下がった。そして Melbourne は Thompson が真ん中のトップ、右にDaniel Allsopp 左に Leonard Love を拝していたのだが、 Thompson が2列目に下がり 最前線が左から Matthew Kemp がMFから上がり、真中に Love が回り、右はそもまま Allsopp が入る。これによりボールキープ力もありスピードのある Thompson が中盤を完全に試合し何度も彼から前線にボールが送られ Victory のチャンスが続く。そして81分、それまで Victory の攻撃を堪えて来た Sydney FC であったが、Adrian Caceres の左からのクロスを最後は Allsopp が押し込んで均衡を破られてしまった。 昨シーズンチームの得点王であったAllsopp はこれで対 Sydney FC 戦4得点目。 COVE には静寂がはしる。そして対面のバックスタンドは大騒ぎだ。そして後で知ったのだがバックスタンドの右側にあるスタンドに陣取る Sydney サポーター達に物が投げられたとか。
Sydney ベンチは同点を狙って Ufuk Talay, Brendon Santabla のFW 選手を相次いで投入するが、シュートレンジに届かない。結局3分あったロスタイムにもこれといったチャンスは作れずタイムアップ。この大一番で完封負けを喫した。 
ブーイングを浴びながらピッチを引き上げる審判団。しかし敗因は審判だけではないだろう。後半、 Sydney サポーターを沸かせたのは79分に得たゴールまでのFKを Brosque が直接狙い僅かに外れたシーンのみ。中盤を完全に制され最前線と分断されてしまっていた。期待のジュニーニョはタイトなマークに苦しみ、またそれを中盤でサポートする選手がいなかった。前節は Coirca がいいサポートをしたのだが。
これで Melbourne Victory は7試合負けなしで勝点を11に伸ばし、 New Castle Jets に替って2位に浮上。敗れた Sydney は2勝2分3敗とまた黒星が先行してしまった。試合後の Culina 監督は“ここに来てくれた18,000の観客(正確には 18,436人 ) の観客に申し訳ない。こんな偉大な試合を1時間以上も10人対11人で演じた事を申し訳なく思う。”とコメントを残した。そしてサポーター達と競技場近くのバーで語り合ったが皆、あの判定が試合を壊した、11人対11人で負けたのなら納得するのに…. と言っていた。しかし Victory サポーター達からしても Shield 主審は鬼門だったらしい。 Kevin Muscat は何度か彼に退場にされているのだから….
楽しみにしていた大一番であったがいまいち消化不良といったところか……. でも彼らのチームを思う熱い気持ちはよく分かった。なにしろ A League 発足前はサッカーの話をする人とは知り合えなかったから……


Wallabies リベンジならず

2007-10-08 | Weblog
現地時間の10月6日に行われた ラグビーワールドカップ の準決勝戦では世界ランク1位の New Zealnd そしれオーストラリアが相次いで敗れた。誰がこんな結末を予想できただろう?

England 12-10 Australia

78分 Stirling Mortrock がPGをセットする距離は48m、左タッチラインから5m中に入った位置だ。このPGが決まれば Wallabies は逆転だ。彼が蹴りあげた楕円形のボールはゆっくりと弧を描いてゴールに飛んで行く。
大会が始まりここオーストラリアでは Wallabies のメインスポンサーでもある Qantas 航空のCFを何百回もテレビで見たシーンを思い出す。PGを蹴った弾道が右にカーブを描く様に蹴った選手、観客席のサポーター、そしてテレビで見ている人たちが皆“ボール良右に曲がれ”とばかりに首を右に傾け、最後は Qantas の航空機が機体を右に傾ける。そしてボールはポールとポールの間を通過し見事にゴールが決まると言うシーンだが、恐らく多くの Aussie 達はこのシーンの様に首を傾けたのではないか…….. そして3分前にJonny Willkinson がPGを外した事を思い出した England サポーター達は首を左に傾けたか……
ボールはポールのわずか右側を通過し、England サポーター達の大歓声が上がった。それでも時間はまだ数分残っていたが Wallabies は追い付く事が出来なかった。
4年前のシドニーでは1つのドロップゴールが Aussie 達を悲しみの底に突き落とした。そしてシドニー時間の10月7日午前1時。今度は復活してきた Jonny Wilkinson の4つのプレースキックが再び Wallabies の野望を打ち砕いた。そして準決勝にはWallabies ではなく England が残る事に。そして Wallabies の George Gregan はテストマッチ139試合出場で膝の怪我でこの試合に出場出来なかった Stephan Larkin は102試合出場で Wallabies のキャリアーを終える事になった。
試合は開始7分に Mortrock のPGゴールで Wallabies が先制する。その2分前には PG を失敗していた Mortrock が今度は決めた。そして下馬評では優位だった Wallabies が先制した事によってさらに安堵をおぼえた Aussie 達は多かっただろう。14分にはこの日3本目のPGを Mortrock が決められない一方で、23分、26分連続して Willkinson が PG を決めてEngland が 6-3 と逆転をするが、まだ Aussie 達は余裕があっただろう。29分に Willkinson がPGをはずし、33分には期待の Winger, Lote Tuqiri がトライを挙げ、更に Mortrock がConversion Goal を決め、39分に Willkinson がPGを外し 10-6 で前半を終えた時、後半の Wallabies の猛攻そして勝利を期待した Aussie 達はかなりいたと思う。
しかし、歓声を上げたのはEngland サポーター達ばかりであった。50分には Willkinson のPGで10-9 と一点差に迫ると 59 分には Willkinson がこの日4本目のPGを決め遂に逆転をしてしまう。このPGは Wallabies ボールのスクラムから最後は England FW陣のプレッシャーからオフサイドの反則を取られ与えたものであったがこの試合の England のFW陣のプレスが試合の明暗を分けた一つの実例であろう。 Wallabies は 10-12 とリードされたがそれでも時間は20分以上残っていた。充分にチャンスはあると思われた。しかし England もタフだ。本当に南アフリカに 0-36 と破れたチームなのだろうか?確かにこの日は Willkinson ら6人の選手が南アフリカ戦には出ていないが。それだけ Willkinson は偉大な選手ということなのだろう。
オーストラリアの Guy Sherhardson と England の Andrew SheridanがそしてWallabies のMatt Duninng と England のMartin Corry がオフ・ザ・ボールになっても掴みあいをする。 Wallabies に焦りが出てきたのか?それとも England のプレッシャーが強いのか? Wallabies はボールが手に付かない、そしう England のターンオーヴァーが繰り返される。時は刻一刻と過ぎる 62分には Berrick Barnes がドロップゴールを失敗した後、交替選手を投入し現状打開をはかる。75分には Willkinson がPGを外してくれた Wallabies にはチャンスが残っているとまだ多くの人が思っていたはずだった……..
ターンオーバーは Wallabies の5に対して England は9。 Territory は Wallabie 55% に対して England は45% しかしボール支配率は Wallabies が48% に対して England は 52% 。 Wallabies の方が相手陣内にいる時間が長くてもそれがマイボールでは無かった時間も長かったと言う事かも知れない。
この試合の殊勲者でもある Wilkinson のプレースキックをする前の独特のあのポーズ。Aussie 達は悪夢の象徴として記憶に残り、England のラグビー少年達の間ではしばしはやりのポーズとなり、公園などで繰り広げられる草ラグビーで多くの子供たちがこのポーズをとるであろう……..
あぁ今もテレビでカンタス航空の宣伝が……

Flying Fiji Send Wales Home

2007-10-08 | Weblog
9月29日ナントのStade de la Beaujoire で行われた Pool B のグループリーグ最終戦。共にオーストラリアに敗れ、日本、カナダに勝利を収めた2勝1敗同士のウェールズとフィジーが直接対決した。この試合前までの IRB ランキングではウェールズが8位、フィジーが11位。そしてグループリーグでの試合結果を比較すると下記の通りとなる。                         
                               ウェールズ   フィジー    
対オーストラリア戦         20-32          12-55
対日本戦                     72-18          35-31
対カナダ戦                   42-17          29-16

それぞれの試合結果だけを見ると Wallabies 戦で接戦を演じ、日本、カナダを一蹴したウェールズが優位に立てると見られる。しかし直接対決となると解らないのがスポーツと言うものだ。だから非常に興味を持ってこの試合をテレビ観戦する事に、いやここオーストラリアにいたからテレビ観戦できたのだ。 試合は開始5分に Stephan Jones のPG でウェールズが3点を先制するも18分にフィジーの Vilimoni Delasau が二人のウェールズ選手をかわして逆転のトライを挙げる。実況アナウンサーも Incredible を連発する素晴らしいトライ。25分には Kele Leawere のトライ、Nick Little の Conversion がきまり 25-3 とフィジーがリードを広げる。しかしウェールズも45分から51分までの間に3連続トライを挙げるなど29-25 と逆点に成功。さすがはかつて5 Nations でグランドスラムを達成した強豪。だがフィジーは再び Nicky Little が連続してPGを決め再逆転。 71分にはウェールズ Gareth Thomas の突破をトライ寸前で Seremaia Bai がストップ。流れはフィジーに傾くかと思われたが73分に Martyn Williams がインターセプトからそのまま走りこんでトライを決め今度はウェールズが 34-31 と再逆転。しかし続く Conversion Kick をStephan Joes がゴールポストに当ててしまった。結果的にこの Conversion Kick が試合の明暗を分けた。5分後の78分には Graham Dewes が左サイドを突破する、そこにタックルが入るが Dewes がサイドラインを割りそうになる前にゴールラインを突破しトライをボールをグラウンディングした様に見えた。しかしトライかどうか、オーストラリア人の Dickinson主審は無線で確認を仰ぐ、なかなか判定がされない。実況アナウンサーも “ Hard Decision “ と言っていたが、結局トライが認められ再々逆転に成功。大喜びのフィジーフィフティーン。そして観客。判官贔屓とも言える Stade de la Beaujoire の観客の殆どはフィジーの応援だ。そして Little がこの日3つめの Conversion Kick を決めて 38-34 と点差を広げた。しかし残り時間はあと2分程度とはいえ、トライを挙げればウェールズは逆転となる。 Jones のキックオフからウェールズの選手達が一斉にフィジー陣内になだれこむ。しかしフィジーも必死の防戦。そして81分31秒、実況アナウンサーが “ Turn Over !! “ と叫ぶ。フィジーがボールを奪い返した瞬間だった。そしてホイッスル。これでフィジーの第1回大会以来5大会ぶりのベスト8進出が決まり、第一回大会で3位になり、ここ2大会連続でベスト8に進出していたウェールズは大会を後にすることとなった。最後の Conversion Kick が本当に勝敗を分けた。

IRBのランクではウェールズは第一グループ。そしてフィジーは第二グループだった。翌日の英国紙には “ どれだけの偉業を求めているのか?恐らくワールドカップ史上最高のゲームで、おそらくラグビーの最高の宴で、最高の攻撃のレベルで、恐らく最大の番狂わせ、そして恐らく、偉大なラグビーの列強国がフィジーの様なマイナーな国と自ら認める様な国が大会に波乱を起こしたと最後に言われる事となるであろう。この敗戦を受けてウェールズの監督Gareth Jenkins 氏は解任された。昨春監督就任以来の20試合でこのワールドカップでの2勝を含めてわずか6勝しかできなかったらしい。今大会はグループリーグを終えて南半球勢がベスト8に5カ国が進出。IRBの老舗8カ国以外のユニフォームは2色以上で1色なのは England をはじめ老舗8カ国のみ。 しかしフィジーは“第二グループ”とはいえ、第一回大会でベスト8に進出し、セブンズでも上位に入る実力国。そのフィジアンマジックを侮った訳ではないのであろうが…..
日本はそのフィジーと死闘を演じ惜敗した。この日のフィジーの戦い方がウェールズ等“第一グループ”への抗い方のヒントが隠されていると考えるのは早計か? このフィジーは決勝トーナメントで南アフリカと対戦する。この試合の結果よりも彼らがどういう戦いをしてどの程度やれるのかが、日本が世界の列強達と戦う参考になるのではと思うのだけど……

ワールドカップ準々決勝 England vs Wallabies テレビ中継は....

2007-10-06 | Weblog
ラグビーワールドカップは準々決勝に入り、これからいよいよ列強故国同士の直接対決が始まる。
残念ながら日本はこの戦いには今大会も加われなかった。昨年サッカーのワールドカップの時も決勝トーナメントに残れなかった日本を含むアジア勢は“まだ世界の戦いに加わる実力が無い。”と欧州のある専門家に言われてしまった。
近年まれに見ぬ順当な結果が続いたサッカーのワールドカップと異なり、ラグビーのワールドカップは乱のグループリーグとも言えた。IRB “老舗”8カ国の中で Ireland と Wales がベスト8に残れず南半球のアルゼンチン、フィジーがベスト8進出。英国勢の中でも Scotland は 6 Nations で 17-37 で敗れた Italy を 18-15 で降し、前大会の覇者 England はグループリーグ最終戦のトンガを 36-20 で破ってそれぞれベスト8進出を決めたが共に楽な戦いでは無かった。
特に England は初戦のアメリカ戦こそ勝利を収めたが続く南アフリカ戦は 0-36 の完封負け。英国紙には開幕戦でフランスを破ったアルゼンチンを引き合いに出し“ England はアルゼンチンを手本にすべきだ。”と書かれる始末。サモアを 44-22 で破り、最終戦のトンガを破ってベスト8を決めたがその試合内容も地元では評価はされてない様だ。
ある英国紙ではもし今大会が次回の様に出場国が16カ国に減らされていればトンガは出場出来なかった国でそう言う相手に互角に近い戦いをされたと書かれている。
開始10分に Pierre Hola に先制の PG を許すと32分に Jonny Wilkinson がドロップゴールを決めるまでリードを許す苦しい試合展開。逆転後はリードを広げ最後は72分にまたも Jonny Wilkinson のドロップゴールが決まり 32-13 とリードを広げたが、60分からノーサイドまでの約20分間は殆どトンガの時間であった。その猛攻を凌いで終了間際の Hale T Pole のトライまで凌いだFW陣はさすがであったが、序盤は攻撃力に乏しくEpi Taione と Sukanaivalu Hufanga には度々攻撃を寸断されJonny Wilkinson やOlly Barkley は何度もタックルのミスを繰り返した。そしてスクラム、ラインアオウトでも後手を踏んでおり、準々決勝のオーストラリア戦には楽観的な要素は全くないとの事。
確かに2003年大会の優勝以来 England は精彩を全く欠いており2006年にはトゥィッケナムでアルゼンチンに 18-25 で敗れた試合を含め史上最悪のテストマッチ7連敗を記録してしまった。
しかし Australia も2005年の TriNations では4戦全敗、そしてこの年は18年振りに Wales に敗れた試合を含めて同じく7連敗を喫した。だがその後の両国の立て直しそして今大会の戦いぶりを見ると、どちらが準決勝に近い位置にいるかは……..
England はAustralia 戦にNick Easter, Matt Steven, Mark Regan の大型FWを並べてスクラムを多用し Wallabies に対抗する。これは2005年のトゥィッケナムの戦いと同じ戦術だ。そしてトンガ戦で16得点をたたき出した Jonny Wilkins のキック。また Olly Barkley そして Andy Farrell の故障は癒えず36歳のベテラン Mike Catt がセンターのポジションでスタメン起用される事に。

一方の Wallabies は新鋭 Winger, Adam Ashley Cooper を起用しオープン攻撃を展開したいところか?
また大会を通して好調を維持している George Gregan, Matt Giteau そして Chris Latham も更なる好調が伝えられている。心配なのは Lote Tuquiri と Drew Mitchell . Mitchell は今大会これまで7トライとトライスコアーランクのトップを行くがこれまで Easy Mistake が多いらしくベンチスタートだ。

これまでの両国の直接対戦成績等は下記の通り。

対戦成績 Australia 20勝 England 13勝 1分

2003年以降の両国の戦績
England 44試合 19勝 25敗 1分   
Australia 49試合 30勝 18敗 1分

延べ起用選手数 
England 84 人 (バックス40人, フォワード44 人)
Australia 64 人 (バックス30人, フォワード34 人)

直接対決
2004年 6月 Brisbane Australia 51 England 15
2004年11月 Twickenham Australia 21 England 19
2005年11月 Twickenham England 26 Australia 16
2006年 6月 Sydney    Australia 34 England 3
2006年 6月 Melbourne   Australia 43 England 18

ワールドカップでの直接対決は下記の通り
1987年 Sydney Australia 19 England 9
1991年 London Australia 12 England 6
1995年 Cape Town England 25 Australia 22
2003年 Sydney England 20 Australia 17

England にとってワールドカップでは対オーストラリア戦2連勝中と言うのが一つの好材料か?
それと試合が開催される港町マルセイユに集結した England サポーター達も彼らの後押しをいくらかするかもしれない。
それにしてもこれからワールドカップが面白くなると言う時に地上波でテレビ中継が無い日本にいなくて良かったと思う。2015年にワールドカップ開催を目標にしているなら選手候補そしてファンの底辺拡大の為にこう言うトップレベルの試合を子供達に見せられる努力を惜しむのは得策じゃないと思うのだけど。

Aussie McDonald sinks Champions Milan

2007-10-06 | EURO Football
10月4日早朝、ここ Brisbane のホテルで私はチャンネルを SBS に合わせる。
UEFA Champions League の第二節 Glasgow Celtic vs AC Milan の試合が地元地上波局SBSで中継録画放映されたのだ。日本ではスカパー等に加入しない限り結果がわかってしまう前にこう言う試合は拝めない。
期待の中村俊輔はやはり怪我でベンチスタートだった。アナウンサーもスタメン紹介の時にその事を伝える。
しかしここオーストラリア期待の Scot McDonald はスタメン出場。今シーズン Moterwell から Celtic に入団した McDonald はこれまで Scotland Premier League には7試合に出場し5ゴールを決めている。特に Milan 戦の前の9月29日の Dundee United 戦ではハットトリックを演じ今やレギュラーポジションを手にしている。 それには伏線があった。7月に開催された Asian Cup には招集されなかったがそれは Arnold 監督が Celtic での選手生活に早く馴染むために招集を見送ったと言われている。

初戦のシャフタル・ドネツク戦を 0-2 で落とした Celtic はこの難敵 AC Milan 戦は絶対に負けられない。しかしいかにホームで強い Celtic とはいえ AC Milan 相手では勝つのは容易な事では無い。
それでも前半を見ると何とか Milan の攻撃を凌いでいる。今年2月サンシーロで決勝点を挙げられたカカーも何とか抑えている。このGlasgow 独特の天候はホームチームに味方をするのであろうか?
試合が動いたのは雨脚が更に強くなった後半。63分、 Paul Hartley が上げたCKはCeltic のMassimo Donati と AC Milan のMassimo Odd がせるがそのまま後ろに流れる。わずかに Odd の頭に当たったのでわずかにコースが変わり Milan GK のDida も越えてしまいそこに走り込んだ Stephan McManas が押し込んで先制ゴールを決めた。しかしこれを機に AC Milan が攻勢にでる。Yoanna Gourcuff のFK はドライブがかかった様にドロップし Celtic GK Boruc の前でワンバウンド。何とか Boruc はCK に逃げた。
そこでコーンフレークの朝食を食べていた私はテレビ画面から目を離してしまった。そして次に視線を画面に戻すとなんだかカカーがボールをペナルティスポットにセットしている。テレビからは口笛とブーイングが。そのPKをカカーが決めて同点に。これでカカーは Champions League 通算 22ゴール目だ。それにしても Celtic Park は本当に得点が入ったのかと思うほどの静寂だった。
リプレイが映し出されたが、その CK からGourcuff が Celtic ゴール前に放り込むがここでホイッスルが。 Caldwell が Ambrosini を後ろから抱えたとこの日のドイツ人 Merk 主審がPKを与えたのだった。でもこの判定、良く見ていたと言うか、忠実すぎるのか….
74分にインザーギに替ってジラルディーノが投入されたがそれはもう一点を取りに行くためなのだったのだろうか?
一方のストラカン監督は80分に Kennedy , 85分には Chris Killen そして中村が投入された。85分の選手投入の時に拍手が湧き上がったがそれは中村への期待か?? 
そして89分、ピルロの連続ショットを凌いぎ、Celtic Park が狂喜のるつぼと化す。中村からの CK は一旦跳ね返されるが、また逆サイドから右サイドの中村の所に戻ってくる。そして相対するヤンクロフスキ,ボネーラを細かいステップで交わして中でフリーのブラウンにパスを通す。あまりに良いパスが来たのでブラウンが一番驚いたのでは無いか?ブラウンは後ろに戻すとペナルティーエリア外からそこに走り込んだ Caldwellが強烈なショット。それを一旦は GK ジダが弾いたが、こぼれたところを詰めたマクドナルドが押し込んで決勝ゴールを挙げた。
“Scot McDonald the Australian has given Celtic the lead “ と叫ぶ中継アナ。そして小走りして喜ぶストラカン監督。興奮のスタジアム……
しかし喜んでばかりもいられない。興奮したファンの一人がピッチに降りてそのままジダの顔面をはたき、ジダは交替を余儀なくされた。そして起用された GK がジェリコ=カラチでオーストラリア人。
先日 SBS で UEFA Champions League には4人の Australian が出場すると言っていた。 McDonald ( Celtic ) , Kewell ( Liverpol ) , Culina ( PSV Eindhoven ) そしてこのカラチか? 
兎に角昨年の UEFA Champions League の借りを返したのかもしれないが、この愚かなファンのおかげで Celtic は何かしらの処分を受けるかも知れないのだ。
でもジダの倒れ方も大げさな気がしたけど.....

その後、終日私は車で営業に回ったが地元のニュースではこの McDonald の決勝ゴールを何度も伝えていた。ナカムラの言葉は出なかったけど。

しかし激闘の末手にした勝利、その激戦が徒労に終わらない事を祈るよ…………..

Mtildasa そして世界の女子サッカー

2007-10-05 | FIFA Women's World Cup
9月30日、第5回 FIFA Women’s World Cup はドイツがブラジルを 2-0 で降し大会2連覇を飾った。我らがなでしこ達はアルゼンチンを破るなど健闘はしたもののベスト8には残れなかった。今大会のアジア代表勢では地元中国、北朝鮮そしてオーストラリアがベスト8に進出しただけに少し残念な気がした。
9月24日、オーストラリア女子代表 Matildas はブラジルと死闘の末 2-3 で敗れベスト4入りは果たせなかったが、これまで初出場を果たした1995年スウェーデン大会から3大会連続で未勝利でグループリーグの壁を破れなかったが今大会は初戦でガーナを 4-1 で破り大会初勝利を飾ると強豪ノルウェーに 1-1 で引き分け、第三戦では当面のライバル、カナダをロスタイムの Cheryl Salsisbury の起死回生の同点ゴールで引き分けベスト8進出を決めた。
この試合は両チームベスト8を目指して激しい女の戦いが繰り広げられ、 1-1 から85分にChristine Sinclair のヘッドでカナダが勝ち越し、誰もがカナダの勝利、ベスト8を確信した後の Salisbury の同点ゴールだった。



179 cm のCheryl Salsibury は33歳のベテラン選手。代表歴も 138 Caps, 34ゴール ( ワールドカップのゴールを含む ) のキャリアーを持つ。ワールトカップもオーストラリアが初出場を果たした 1995年大会から出場し今大会が4回目のワールドカップとなる。 昨年7月アデレードで開催されたワールドカップアジア地区予選の準決勝日本戦でもその存在感を示しその試合で勝利を収めワールドカップ出場を決めた。Salsibury はかつて日本の L リーグ宝塚でプレーした事がある。
そして準々決勝のブラジル戦、立ち上がり4分に Formiga に先制点を許し 16分には重鎮である Salsiburyが怪我で退場。しかも替って投入された Kate McShea が Renata へのファールで PKを与えてしまい立ち上がり23分で2失点と苦しいスタート。しかし36分にバックパスを拾った Matildas のエースストライカー De Vanna のゴールで1点を返すと 75分には Colthorpe の代表通算2ゴール目で同点に追い付く。 Colthorpe は22歳。20歳のSally Shipard と共に Matildans の将来を担う選手と言われている。 Shipard は昨年のワールドカップ予選でも結構日本を苦しめた。その後ブラジルのテクニックに Matildas の豊満なフィジカルで対応するゲーム展開が続いたが75分 Christina のゴールで突き放され 2-3 で大会を後にする事となった。



それでも大会初戦のガーナ戦でワールドカップ史上初勝利を飾り、カナダ戦では終了直前に追い付き決勝トーナメント進出を決め、準々決勝では優勝候補ブラジルと死闘を演じるなど昨年の Socceroos を彷彿させる展開に地元のサッカーファンの間では大いに話題になったらしい。またこの大会は地上波の SBS で中継されサッカー少女達に大いに良い影響を与えたと思われる。 9月29日に Aussie Stadium で開催された Sydney FC 対 Newcastle Jets のハーフタイムに Matildas の Salisbery, Joanna Peters そして Colthorne が紹介された。そして一通り公開インタビューが終わると彼女達はスタンドからサインを求めるファン達に一人ずつ丁寧にサインをしていた。そして特に目に着いたのが小学生くらいの女の子達。彼女達には特になにかしら丁寧に語りかける様にサインをするこの日の Matildas 達の心情が良く分かる気がした。Aussie Stadium は球技専用スタジアムなので観客とピッチとの位置が非常に近い。こういう競技場が日本でも増えてほしいんだけど、陸上競技経験者からするとやっぱりトラックも欲しいなぁ…..
翌日 SBS で放映された World Games と言う番組で, Matildas  の GK Melissa Barbieri が出演していた。ワールドカップ終了後、再びアメリカでは女子プロサッカーリーグを2009年に再スタートさせる動きがあり、今大会は Barbieri をはじめ Caitlin Munoz などの Matildas Plyer に声が掛かっているらしい。 Barbieri のコメントではアメリカでのプレーに積極的な姿勢を見せていた。それはオーストラリアの全国女子リーグ National League が2004年に崩壊し、その後女子リーグの復興の目処が立たない事にも大いに寄与する。 3年目を迎える A League は何とか興隆の兆しを見せてはいるのだが….. 実際にオファーを受けている Salisbary はかつて New York Power と言うチームでプレーをし、彼女の加入によりオーストラリア女子選手達が続いてうくれる事を願う、と新星米国女子リーグの Tonya Antonucci Chair Man は語る。更にワールドカップで Matildas の指揮をとった Tom Sermanni にも触手を伸ばしている。 Sermanni は2003年に New York Power 監督を務めた経験もある。 そして最も注目されている選手が、今回のワールドカップオールスター16名に Matildas からただ一人選ばれた Lisa De Vanna. だろう。 
今回のワールドカップベスト8の報奨金として FFA から彼女達に支払われた金額は AS$5,000 ( 約 50万円 ) 。自国の国内リーグが崩壊し、殆どの選手が持ち出し、手弁当でワールドカップに臨んだ選手達にとってこの金額が妥当かどうかは推して知るべしであろう。そして彼女達には来年の五輪は無い。1次リーグで敗退したなでしこが北京五輪に出場権を得て北朝鮮に敗れた Matildas 達が北京五輪に出場出来ない事をどう思っているだろうか?? ただ、ワールドカップがいまあったから精神的に切れずにやっていけたと言う選手も多い。オーストラリアでは何とか Matildas 選手達の流出を阻もう、と言う声もあるが、大方の世論は彼女達に同情的だ。国内リーグの再構築の目途もつかないオーストラリアに留まる必要があるのかと…… それに20歳の Sally Shipard は語る。
“19歳の時はいつもホテルのバーホールに行く時は常に身分証明書を持ち歩いていた。(オーストラリアでは18歳までアルコールが禁止 ) わたし達は男子の選手ほどスポットは当たらないが、髪を下ろしたとき(ピッチを離れた時)も少女達の手本となる責任があると思っている。”

ワールドカップ予選の台湾戦の後もシャワールームに入る前に何十分も試合観戦に来たファンへのサインを選手達は続けていたといわれている。 女子サッカーは男子の様にグローバル的に一つの“商品” として確立する事は難しいだろう。現在はNew York, Los Angeles, Washington DC, Boston, Chicago, Dallas そして St Louis のチームが名乗りを上げているらしいがAntonucci 会長は最低でも10 チームにしたい考えらしい。この際一極集中では無いがアメリカ大陸にワールドクラスのトップスターを集めて世界に向けて発信してみてはどうだろう?そこには欧米の選手ばかりでなく、
日本、中国そして北朝鮮の選手達も入ったら面白いと思う。女子サッカーの世界での確立、彼女達が持つ使命はロナウジーニョやアンリ、メッシらが持たないそれかもしれない。 ワールドカップオールスター16名は下記の通り。

GK : Nadine Angerer (GER), Bente Nordby (NOR).
DF : Li Jie (CHN), Kerstin Stegemann (GER), Ariane Hingst (GER), Ane Stangeland Horpestad (NOR).
MF : Daniela (BRA), Formiga (BRA), Kelly Smith (ENG), Renate Lingor (GER), Ingvild Stensland (NOR), Kristine Lilly (US).
FW : Lisa De Vanna (AUS), Marta (BRA), Cristiane (BRA), Birgit Prinz (GER).


Juninho 1-0 Newcastle Jets A-League 第6節

2007-10-01 | Aussie & Kiwi

3シーズン目を迎えた今シーズンの A League は第5節を終わって Central Cost Mariners が4勝1分け勝点13で首位を走っており、2位にはNewcastle Jets が勝点9で続き以降Melbourne Victory が勝点5そして最下位 Perth Gloryが勝点3と3位から最下位8位の までが勝点2の中に犇めいている。昨年覇者の Melbourne Victory は開幕から5戦連続引き分け、もう一つの Grand Finalist、Adelaide United は4分1敗で昨年度の Grand Finalist が共に勝星が無い。それに加えて新星 Wellington Phoenix が前節はAdelaide United を相手にShane Shmelz のゴールでしぶとく引き分け、その前はアウェーで Sydney FC を逆転で 2-1 と降しクラブ創設 A League 初勝利の美酒に酔った。昨年消滅した New Zealand Knights の様に開幕から連敗を記録するチームが無いので3位以下が混戦だ。(とはいってもまだ開幕5節しか終わっていないけど。)
9月29日、1勝2分2敗と5位にやや低迷している Sydney FC は2位の Newcastle Jets をホームの Aussie Stadium に迎えた。 Newcastle Jets と言えば昨シーズンは Minor Semi Final で対戦した相手。初戦を 1-0 でものにするもアウェーでの第二戦を 0-2 で落とし連覇を絶たれた相手だ。まぁその前にサラリーキャップを違反していた事がシーズン終盤に発覚し勝点3マイナスを果たされた事の方が痛かったか?そういう相手でもあり、また今後首位戦線に踏みとどまる為に、そして A League の興行を考えても Sydney FC にとっては負けられない試合であった。
ここ Aussie Stadium に来るのは3月のACLでの浦和戦以来だ。5月のさいたまスタジアムで出会ったシドニーからのサポーター達との再会を楽しみ、彼らと殿に COVE と呼ばれるサポーター席に入れて貰う。試合前の選手紹介から彼らのボルテージは上がりっぱなした。ブンデスリーがの様にスタメンの選手の名前がアナウンスされるとそれに続いてみんなが苗字を叫ぶ。



彼らの期待は今シーズンの Marquee Player である元ブラジル代表のジュニーニョだ。日本にも1995年にセレソンの1員として来日した事もある。当時22歳のジュニーニョ=パウリスタはセレソンの将来を担う選手と言われていたが、Middlesbrough に入団後は怪我やチームが降格したりする不運に見舞われワールドカップフランス大会には選出されなかった。以降はスペインの Atletico Madrid 再び Middlesbrough, そして故国に帰りVasco da Gama, でプレー。 ワールドカップ日韓大会にも選出された。
そのワールドカップでは1次リーグから先発出場を果たすも決勝トーナメント1回戦のベルギー戦で57分にベンチに下げられ以降は替わりに Kleberson , Edilson らが起用されようやく決勝戦の残り5分にロナウジーニョと交替でピッチに登場した。しかしセレソン優勝メンバーである事は違いない。ワールドカップ後は Flamengo でプレーした後三度 Middlesbrough のユニフォームに袖を通し、Glasgow Celtic でも1シーズンプレーしブラジルに帰った。その入れ替わりに Celtic に入団したのが中村俊輔だ。1995年に Middlesbrough で Premiership の Career をスタートさせたが、当時ブラジルの選手が England に渡るのは非常に珍しかった。
そのジュニーニョは初戦の Mariners 戦、第二戦の Adelaide United 戦に出場を果たすも以降肩の故障で戦列を離れ、この試合が3試合振りの出場となる。一方の Newcastle Jets は前節の Melbourne Victory 戦からメンバーを5人替えてきたが FW の Joel Griffiths が怪我で出場出来ないのが痛いところだ。それでなくても昨シーズンの中心選手、 Soceeroos でもある Nick Carle をはじめ Milton Rodriguez, Paul Okon らが抜けたのは厳しいはずだ。一方の Sydney も Socceroos の David Carney, Nikolai Topor Stonley といった ACL の浦和戦にも出場した馴染の選手がいないのが寂しいが。
それにしても Sydney サポ達の応援歌のバラエティーも増えたものだ。聖者の行進に加えて Beatles の Twist and Shout や KC & the Sunshine Band の That’s the Way そして Ringo Star の Hey Baby ( だけどオリジナルは誰なのだろう?) など私の好きな歌も出て来るので一緒に声を出す。試合はキックオフから一進一退の攻防が続く。そんな中で Jets は左サイドバックの Matt Thompson が時折鋭い上がりを見せてチャンスを作る。また左の2列目に起用されている DF選手 Adam Grifiths も左サイドを抉って来る。 Sydney FC の対峙する五輪チームのメンバーでもあるRuben Zadkovich の上がった後ろを狙っている様だ。現状をなかなか打破できずに徐々にフラストレーションがたまりつつあるサポーターを沸かせたのは30分過ぎに目の前をアップにやって来た Uful Talay や Patrick を見つけた時だった。私としては今年から Sydney FC に加入した元 Sooceroos の Tony Popovic が気になったけど。昨年のワールドカップではブラジル戦だけ出場を果たしたがその前から Socceroos を支えたベテラン選手だ。
Sydney FC サポの声援に後押しされたのか30分を過ぎると Sydney の攻勢が続く。31分には波状攻撃から最後は Brendon Santalab がそして33分には攻撃参加した Mark Rudan がそれぞれ惜しいシュートを放つがそれらは Juninho のスルーパスからであった。そして36分。 Sydney FC サポの狂喜乱舞するシーンが。またもジュニーニョのスルーパスが対角線上に走り込んだ Alex Brosque にぴったりと合う。そして Brosque は相手 DF 二人 Jade North と Stephan Laybutt をかわしてシュートを決めて先制ゴールを挙げた。サポーター席ではビールを放り投げて大喜び。私にも少しかかったけど。そしてその直後にも同じようなスルーパスがジュニーニョから Brosque に通ったがこれは決められなかった。 終了直前に Jets はロビングが Sydney ゴール前に入り、攻撃参加した Adam Griffiths が迫ったがその前に GK Bolton がキャッチし、前半が終わった。
ハーフタイムに席を移動する事にした。サポーター達の熱意は十分に伝わるが試合そのものが見難いので場所を替える事にした。そのハーフタイムには中国で行われている女子ワールドカップでベスト8に進出した女子代表チーム Matildas の3人の選手が紹介された。公開インタビューの後に多くの女の子達が彼女達にサインを求め、また彼女達の丁寧にサインをしていた。なでしこは1次リーグで敗退したが翌年には北京五輪がある。ベスト8に入った Matildas は北朝鮮に敗れて五輪出場はならなかった。今後のオーストラリア女子サッカーの将来も日本の様に前途洋々ではなさそうだ。
後半はメインスタンドに移動したので試合が非常に見易い。さすがは球技専用競技場だ。メモを取っている私の隣席の男性が日本から来たのか?とか声をかけて来る。そうだと答えると“あなたの前に座っているのは Mark= Miligan の母親だ。”と教えてくれた。彼女とも顔見知りらしい。母親に私の事を紹介してくれている。訊けばレッズ戦の観戦に日本に来たそうだ。非常に楽しかった、日本は良い街だとも言っていた。私もオーストラリアには仕事で良く来る、3月の浦和戦もここで観戦した、そして7月にはアジアカップ観戦でバンコックに行った事も言うと”私も見に行った。”とずいぶん驚いていた。3月のACLの試合の印象は?と訊かれたので " Thanks Bolton "と言ったので(永井の同点ゴールは GK Bolton のキャッチミスから。)大変受けた。
でもこんなところで選手の家族と話が出来るなんて日本では考えられないなぁ…..

後半に入ってジュニーニョの個人技は更に冴える。それだけでなく MF の Steve Corica とのパス交換で中盤を完全に支配してしまった。 Corica はかつてサンフレッチェ広島でプレーした選手。今年のACLの浦和戦でも活躍した選手なので覚えている方も多いだろう。56分には右サイドバックの Milligan のあがりから Brosque に繋ぎ後ろに戻した所を MF Terry McFlyn がミドルを放つが枠を外れる。60分には波状攻撃から Corica が強烈なショットは相手DFに当たった。  その直後にも相手ボールを奪った Corica がジュニーニョに繋ぎ Laybutt を外して放ったシュートは惜しくもファーポストを外してしまった。
Jets は63分に MF のTarek Elrich を下げて18歳の長身選手 Jason Hoffman を入れるが彼の頭に合わすべくボールが出てこない。 74分には今度は Sydney が Coirca を下げて FW の Ufuk Talay を入れる。かつてはガラタサライイスタンブールでプレーした選手だと隣人の男性が言う。これでどうやら彼はトルコ系だと分かった。 Jets の Nick Carl も今シーズンからトルコに行った事をこちらから言ったそして昨年は日本のジュンイチ=イナモトがガラタサライでプレーをした事も言ったがそれは彼は知らなかったしかし前に座っていた Milligan の母親はそれを知っていた。なかなか話せるおかぁさんではないか。
75分に Jets ベンチは攻撃的MF Denni を入れる。この Denni はかつてモンテディオ山形でプレーした Denni だとおもう。プログラムには 1983 年8月21日生まれとなていたけど本当は 1982年生まれではないかな?? Adam D’Apuzzo の FK からバイシクルシュートを見せたがこれは GK Bolton の正面だった。Adam D' Apuzzo はその前にも同じ様な右サイドの位置から FKをゴール前にいれ Adam Griffiths の頭にあわせ惜しいチャンスを作った。しかし Jets の後半の目立った攻撃はこの2回だけ、中盤のが支配され続け終始劣勢であった。
観客はジュニーニョがボールを持つ度に沸き返り、また彼も何かをしてくれるので更に彼にボールが渡った時の期待度は上がっていく。そして86分にはお役目ごめんで大歓声を浴びて同じブラジル人選手 Patrick と交替でベンチに下がった。そしてホイッスル。これまで Sydney FC の試合を ACL を含めて4試合観戦したが勝ったのは初めてだった。
第6節の A League は上位2チームが敗れ Central Coast Mariners の勝点13での首位は変わらないものの2位 Newcastle Jets から6位 Adelaide United までの5チームが勝点2差の中に犇めく。そして翌週は A League の大一番 Sydney FC vs Melbourne Victory が Aussie Stadium で行われる。仕事の都合がうまくつけばいいのだけど……..