Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

6月22日 サムライブルーのフィナーレ その2

2006-08-13 | FIFA World Cup
中田英寿は前半終了後控え室に戻るときに何やら川口に話しかけていた。ワールドカップが終わって中田の引退番組を見た時にあれはロナウドに得点を許し、川口に“今のはキーパーだろ。”と言っていたシーンだった事が解った。この大会のヒデはどちらかと言うと守備面での貢献が非常に高い。この試合では彼の攻撃的な能力を見せてほしい。“あと2点必要ですか。”“えぇ。立ち上がりで交通事故的に1点取って。終了間際に偶発的にもう1点。てな事になりませんかねぇ。”地元のビールを飲みながらGさんと会話を交わす。キックオフ直後、さっそくカカーがミドルを撃ち、6分にはロナウジーニョのヒールパスをロナウドがダイレクトで撃つが外してくれた。まだツキはあるかも。前線で玉田の動きが良い。それだけにマークもしつこい。ニュルンベルグで隣に座ったグランパスサポーターの事を思い出す。そしてその話をGさんにもする。しかし、53分。セレソンはいとも簡単に追加点を奪う。ロナウジーニョから右サイドに大きなロブが送られる。これはゴールラインを割ったかに見えたがシシーニョが追いついて中に入れる。一旦は坪井がヘッドで左にクリアするがそれをコーナーフラッグの直前でロビーニョに拾われ、後ろのジウベルトに繋がれ、中に入れる。そこにはジュニーニョ=ペルカンブカーノが待ち構えており。そのまま狙い澄ましてミドルを炸裂さすとGK川口の正面を破ってゴールネットを揺らした。“川口とれないかなぁ?”“いやぁ、川口が取れなければ日本人は取れないですよ。”“これであと3点必要になったね。”“う~ん。厳しすぎるなぁ。”と言うよりも、これで事実上終わりだった。あと日本が3点取るなんて考えられない。でも不思議と悔しさは沸いてこない。56分に仲田浩二が小笠原に替わって投入される。そして中田英、中村が2列目に上がる。その直後に中田英がミドルを放つ。画面ではクロアチアが追加点を挙げ勝点4で2位に浮上した。59分にはロナウジーニョの大きな縦パスを受けたジウベルトがドリブルシュートを決めて3点目。もう試合の結果よりももう1点取ってくれないかと思う。ブラジル相手に2点以上奪うなんて過去何カ国あっただろう。60分には巻に替わって高原が投入される。“高原、今日はスタメンじゃなかったのか。”Gさんが呟く。Gさんおお店の前を数回通った高原。ハンブルグ在住の邦人達に愛された彼も大会後はハンブルグを後にする。“置き土産がほしいですね。” しかし、ブラジルの猛攻が続く。ロビーニョが放ったミドルは川口がセーブする。高原がファンと交錯して倒れて起き上がれない。担架で運び出される。大丈夫かな。もう交替枠は2人を使っている。一旦はピッチに入ったが、やはりダメ。大黒と交替してしまった。“なんだ、高原もう交代?”“えぇ、元々足に故障を持っていたから。”Gさんも残念そうだ。71分にはパレイラ監督はロナウジーニョ、カカーを下げてリカルジーニョ、ゼ・ロベルトを入れてきた。ロナウジーニョを下げてくれたので、何とか得点機をと思うが、この2人も強烈だ。スタンドからはやがてセレソンサポーターの“オーレ!オーレ!”から“オ~オォ~、ブラジル!!”の歌が始まる。1978年大会前にセレソンの応援歌としてリリースされ、1982年大会ではブラジルの試合ではテレビ音声から結構聞こえてきた御馴染みの歌だ。この歌の前で日本がワールドカップでプレーしている。何て幸せなんだろう。テレビに映し出される代表選手達に口には出さないがエールを送る。“どんどん行けよ。相手はセレソンだ。負けても恥じゃない。こんな機会は滅多にないぞ。”CKのチャンスの中澤が上がって来る。“中澤行けよ。見せてやれよ。”と心の中で叫ぶ。“俊輔、ドリブルで上がれよ。ヒデ、前だ、前。加地いいぞ、もっと勝負してやれ。玉田、あと20分弱だ。前線で掻き回してやれ。川口気にするな、次のシュートを抑えれば良いぞ。” 79分にオーストラリアが同点に追いつき勝点4で再び2位に浮上する。もう日本の2位はおろか、3位も無いだろう。そして81分にロナウドにとどめの4点目を入れられる。ロナウドはこれで完全に復調したかもしれない。日本が“育ての親”になってしまったようだ。そしてブラジルは最後の交替枠を使ってGKを替えた。“もう余裕だね。” この試合後もブラジルではサッカーが下手な人を“ジャポネーゼ”と言い続けるのだろうか? 85分、ブラジルゴール前でFKを得る。蹴るのは中村だ。“ここで1点欲しいですね。”“そうだね。最後に見せて欲しいね。”しかし我々の願いも空しく、俊輔のシュートはわずかにゴール右に数メートル外れる。そしてホイッスル。“あぁ。残念。終わったねぇ”“終わりましたね。”そして試合中継もあっさりと終わってしまった。今頃日本では延々と“ワールドカップを振り返って”とか“4年後に向けての課題は。”とテレビから聞こえて着ている事だろう。 結局ブラジルとの差なんてこの日の点差以上にあったのだ。それを発展の軌跡と言うのか?それとも途上段階と捉えるのか? “4年後も見に行くの?”“いや、南アフリカですから。それに日本も出られるか。” そんな話を少しGさんとした。時計の針はもう11時半だ。睡魔が急に襲ってきた。“どうぞ。お疲れでしょう?あちらのベッドで。” Gさんに挨拶をして、ベッドに潜り込む。あぁ、終わったんだなと思うがすぐに眠りに落ちてしまった。明日は帰国かぁ……

6月22日 サムライブルーのフィナーレ

2006-08-13 | FIFA World Cup
ハンブルグの AOLアリーナからGさんの寿司ティクアウェィ店に戻り、置かせてもらっていた荷物をピックアップし19日の夜に泊めて頂いたGさんの自宅に向う。 そして“お疲れでしょう。お風呂どうぞ”のお言葉に甘えて先の一風呂浴びさせて頂いた。本当に後で自分の厚かましさには呆れ、Gさんの心温まる歓待にはただただ頭が下がる思いだ。外はまだまだ明るいが時計の針は午後9時を少し回っている。夏時間を割り引いても午後8時。ハンブルグから遠く離れたドルトムントでは日本代表とブラジル代表の試合が始まっている。“日本戦、テレビでやっていますよ。どうぞ,どうぞ,ゆっくりしてください。私夕飯の準備を始めますから。”とGさんに教えて貰い早速テレビ観戦を始める。試合は既に5分ほど過ぎていた。幸運な事にまだ 0-0 のままだ。日本は玉田、巻が先発だ。コンディションの心配された中村もいる。出場停止の宮本に替わって坪井が起用されている。小笠原、加地がクロアチア戦に続いてスタメンだ。一方のブラジル。メンバーを落としてくれないかな?とロナウド、ロナウジーニョを探すが二人ともテレビに映っている。パレイラ監督は不振のロナウドを日本戦で使って調子を取り戻させようとしているのだろう。その為にはロナウド1人よりもロナウジーニョも居た方が効果的と言う事か?それに不安視されているファン、ルシオもそのまま出ているのも3試合連続完封させて決勝トーナメントに自信を付けさす為か? 7分にはさっそくロナウジーニョからロナウドにスルーが通り、坪井が振り切られシュートを撃たれるが川口がファインセーブで防ぐ。テレビのアナウンサーは“ヨシカツ=カワグチ。ユビロ=イワタ”と紹介。ドイツ語の Jubilo の発音はユビロとなる。9分にはロナウドが中田英をかわしてシュートを放つが上に外してくれた。11分には右サイドをロビーニョが突破しシュートを放つがまた川口がセーブ。セレソンはサイドバックのロベルト=カルロス、カフー、ディフェンシブ=ハーフのゼ・ロベルト、エメルソン。それからFWのアドリアーノをスタメンから落としている。それでも両サイドバックにはシシーニョ ( レアル・マドリード ) 、ジウベルト ( ヘルタ・ベルリン ) 、ボランチにはジュニーニョ=ベルナンブカーノ ( オリンピック・リヨン ) 、ジウベウト=シルバ ( アーセナル ) 。そしてFWはロビーニョ (レアル・マドリード ) これで控えなのだから王国の選手層の厚さを今更ながら認識させられる。でも日本の巻誠一郎だって頑張っている。13分にはインターセプトをするが足を取られる。でも彼のがむしゃらなプレーは共鳴を覚える。“いいぞ。どんどん行け。遠慮するな。”心の中で叫ぶ。15分には巻が頭で落としたのを中村が拾い加地に戻し、中の稲本へ。稲本がそのまま撃つが大きく枠を外す。その直後にはロナウジーニョ、カカと繋がれ最後はロビーニョに撃たれるが川口がセーブ。20分巻、小笠原そして玉田と繋がりシュートに持ち込むがGKジダが難なくキャッチ。21分にはロナウド、23分にはジュニーニョが連続して放ったシュートは川口がまたまたセーブで防ぐ。10年前のアトランタ五輪を思い出す。あの時は 1-0 で勝ったが今回は2点差勝利が必要だ。テレビ音声から日本のサポーターの大声援が聞こえてくる。今大会初めてのナイトゲームの日本はやはり動きが良い。クロアチア、オーストラリア、どちらかが炎天下の試合で無ければ結果はもっと違ったかもしれない。テレビの片隅にはたまにF組の順位が映し出される。クロアチアが勝点4で2位になっている。シュツッツガルトで行われているクロアチア対オーストラリア戦は 1-0 でクロアチアがリードしている。日本はまだ勝点2で4位のままだ。ボール支配率がJapan 40 Brazil 60 と映し出される。大波の様に押し寄せるセレソンの攻撃。防波堤は川口だけなのか?ここであるシーンを思い出した。1977年3月イスラエルのテルアビブで行われたイスラエルとのワールドカップ予選のダイジェストがNHKのニュースセンター9時と言う番組で紹介された。試合はホームで地力に優るイスラエルが徹頭徹尾攻め続けているがGK田口が必死でセーブをする。アナウンサーも“日本はゴールキーパー1人でやっている感じです。”と。あれから約30年。舞台はワールドカップ、相手はブラジル。日本サッカー界の進歩の跡だ。そして34分。日本サッカー界歴史的瞬間が訪れる。中田からボールを受けた玉田が稲本にはたき前線に。稲本は左の三都主に渡し、走りこんで来た玉田にスルーが通る。玉田は落ち着いてルッシォを振り切りそのままシュート。ボールはゴールネットを豪快に揺らし日本が先制ゴールを決めた。テレビ音声からは大歓声が聞こえてくる。アナウンサーは何やら早口言葉でまくし立てるが聞き取れるのはタマダ、とヤーパンのみ。“Gさん。入りましたよ。日本が先制しましたよ。”とキッチンのGさんに歴史的ゴールを教える。Gさんは小走りにやってきて映し出されるリプレイを食入る様に見る。ブラジルの失点は日韓大会の準々決勝イングランド戦以来5試合ぶり。日本にとっては本当に歴史的な得点だ。ワールドカップでブラジル相手にリードするなんて何十年も夢見た、いや夢にも出て来ないシーンだった。この時間の為に沢山に人が努力をしたのだ。 “でも、あと1点必要でしょ。”とGさんは冷静なコメント。そうだ。あと1点だ。 これでセレソンは本気になったかパス回しが早くなった様だ。そして画面の片隅にJapan が勝点4で3位に上がってきた。あと1点取ってシュツッツガルトがそのままならば2位に上がる。予感はあった。稲本から巻におしいスルーが渡れば、右サイド加地の突破をジウベルトがファールで止める。その中村から放たれたFKに巻が飛び出して頭に当てるがオフサイド。そしてロスタイムが1分と表示される。何とかこのまま後半を迎えたい、と願う。そしてロナウジーニョが日本ゴールに上がると右のシシーニョに浮き球のパスを。それをシシーニョがヘッドで中に入れ、ロナウドがそのまま頭で押し込み同点ゴールを喫してしまった。スロービデオを見ているみたいだった。Gさんが夕飯の準備を終えてキッチンを出て来る。“今追いつかれましたよ。”と言うと選手達が控え室に吸い込まれていくシーンが映し出される。“あぁ前半が終わったのですか?”“そうです。あと10秒くらいでしたかね。” 本当にあと十数秒だった。この十数秒を埋める為に更に積み重ねが必要なのだろう。 Gさんが丹精を込めてこしらえてくれた夕飯に舌鼓を打ちながら、色々な話をする。今のお店を立ち上げたのはワールドカップ日韓大会終了後から。ドイツ大会のワールドカップも楽しみにしておられたけど過ぎてしまえば本当に早いものと言っておられた。この時勢でまた次の大会がやってくるのでしょうとも。その時に開設間近の2店舗目が更に発展している事を願う。テレビ画面では選手達が出て来た。日本のテレビ局は兎に角しつこい、というかうるさい、と言うか。このドイツのシンプルさを見習って欲しい。画面の片隅にはオーストラリアが勝点4で2位となっている。38分に同点に追いついたのだ。日本は再び勝点2で最下位となっている。こうなるとオーストラリア戦の3失点目が重くのしかかってくる。中田英が右手に前半は巻いていなかったバンテージを巻いていた.....続く