Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Play Back 1981 日本シリーズ Part 2

2009-10-31 | プロ野球

エースの復活と左殺しで2勝2敗に

日本ハム 000 100 010 2  江川1勝
巨   人 001010 60x  8 成田1敗

平田1号(木田) 柏原2号( 江川 ) 河埜1号 ( 成田 ) 原1号 ( 杉山 )

ジャイアンツは中3日で江川が先発。日本ハムは前年新人ながら完投19 勝率 .733 投球回数 253回 奪三振 225 防御率 2.28 そして最多勝利22勝を挙げた左腕投手の木田勇。もちろん文句なしの新人王。しかしこの年は勝利数が半分の10勝に終わる等2年目の壁に悩んでいた。そして以降各球団の徹底的なマークにあい木田が二桁勝利を挙げるシーズンはなかった。
ジャイアンツは木田先発を見越して不振の篠塚をスタメンから外し、左殺しの平田がスタメン。初回その平田が早速ヒットで出塁し満塁のチャンスが訪れるがホワイトが併殺打に打ち取られ先制のチャンスを逃す。しかし3回には平田が木田からレフトオーバーの先制本塁打を放つ。 木田は4回5与四球とチームにリズムを与えられない投球内容で1失点ながら4回でマウンドを降りた。
一方江川は初戦で本塁打を喫したソレイタを三振に討取るなど3回まで1四球の好スタート。しかし4回に柏原に同点ソロ本塁打を浴びる。 柏原はこの日江川から本塁打を含む3安打。初戦でも江川から本塁打と2塁打を放っていた。しかし江川は柏原以外は良く抑え、特にソレイタは4打席2三振に抑え初戦の雪辱を晴らした。
同点に追い付かれたジャイアンツは5回河埜が2番手成田から勝ち越しの本塁打。7回には四球と野選で掴んだ1死満塁のチャンスから淡口の右翼越え2塁打で2者を迎え入れ、続くこの日は6番から7番に下がった原がシリーズ16打席目にして初本塁打をレフトスタンドに叩き込む。更に続いた山倉も本塁打を放ちこの回一挙6点を挙げ試合を決めてしまった。
江川は完投でシリーズ初勝利。奪三振6とシーズン中の豪快なピッチングは見せなかったが与四球が1。この日繰り出された日本ハム投手陣の与四球が9とは対照的。これでジャイアンツは再び星勘定をタイにしたがエース復活と左殺しで起用された平田が結果を出した事でシリーズの流れを掴む事になった。

打線爆発 西本完封 ジャイアンツ王手

日本ハム 000 000 000 0  西本2勝
巨   人 110 030 04x 9 高橋一三 1敗

平田2号 ( 高橋 ) 山倉2号 ( 木田 ) 篠塚1号 ( 木田 )

シリーズ5戦目ともなるとスタメンにも替ってくる。 日本ハムは前の試合まで16打数2安打と不振の2番打者高代を8番に下げ第3戦の殊勲者鍵谷を2番セカンドでスタメン。菅野がベンチスタートとなった。菅野は初戦こそ江川から3安打したが以降は無安打だった。ジャイアンツも不振の1番打者松本に替って河埜がトップに入り、左対策で中井が2番左翼でスタメン。そして平田がこの日も3番に。またV9戦士最後の生き残り柴田勲が前日に続いてトマソンに替ってこの日は6番左翼でスタメン入り。(前日は右翼)原は前日に続いて7番だった。
初回、スタメン抜擢の中井、平田の連打で先制すると2回は2塁打の山倉を置いて投手の西本がタイムリーを放つ。5回には平田がレフト越えのシリーズ2本目の本塁打を放ち尚も四球と柴田のタイムリーで追加点を挙げて高橋をKO 。初戦は好投を見せたが36歳の身体には中6日ではきつかったか?高橋一三と柴田の対戦は共にV9時代を支えた選手同士の対決で観ていて不思議に感じた。
一方の西本はこの試合が雨で順延となり中4日の登板となったが前回の登板と異なり連打を浴びる。2回には柏原の2塁打、井上のレフト前安打で1死1、3塁のピンチを招くが続く古屋の投手ゴロでフィルディングの良い西本は柏原を刺し、続いた大宮に安打を打たれるが後続の高代を併殺に打ち取るなど走者を背負っては得意のシュートが冴え、4併殺を奪いホームを踏ませない。結局13安打を打たれながら残塁11を記録させ完封でシリーズ2勝目を挙げた。
ジャイアンツは不振だった篠塚が8回に杉山から3ランホームランを放ち復活の兆しを見せるなど日本一に向けて視界が大いに開けて来た一戦となった。

江川完投で8年振りの戴冠  西本がMVP 

巨      人 032 000 100 6 江川2勝
日本ハム 000 001 020 3 間柴2敗

原2号 ( 工藤 ) 井上1号 ( 江川 ) 河埜2号 ( 岡部 )

後が無い日本ハム大沢監督は“総力戦で行く。この試合を取れば逆王手。”と試合前に話していたらしい。 2番には菅野を入れ、高代は8番に。高代はこの試合8番起用に奮起したのか3安打を記録した。先発は第二戦で最後にホワイトに逆転本塁打を打たれたとはいえ好投を見せた間柴。 
ジャイアンツはローテーション通りの定岡ではなく中3日で江川が先発。初回2死1塁でこれまで江川を8打席6安打中、2本塁打、2塁打2本と打ちこんでいた柏原を三振に打ち取るスタート。江川は柏原をこの試合では1四球を与えたが3打席無安打に抑えた。
2回のジャイアンツは先頭のホワイトが死球で出塁すると続く柴田がレフト前に何でもないフライを打ち上げる。しかし井上の突っ込みが悪くヒットにしてしまい、更に続いた原のショートへの当たりを高代がはじき(記録は内野安打)無死満塁。ここでこの日はスタメン出場(間柴が右腕投手だったので) した篠塚のタイムリーで先制。更に山倉の犠牲フライ、江川の送りバントがヒットになり相手守備の乱れからこの回3点を先制し主導権を握る。3回にはホワイトを1塁に置き原が2番手工藤からシリーズ2号本塁打を放つがホワイトの出塁は柏原のエラーによるもの。日本にシリーズで新人が2本の本塁打を放ったのは1958年のあの長嶋茂雄以来だった。
先発江川は終盤こそ疲れが出たか6回に井上の本塁打。そして8回は先頭打者の島田誠、続く菅野の連打をきっかけに2点を失うがそれ以上の失点は許さず。最終回は先頭打者の高代に2塁打を許すが後続を断ち最後は有名なシーン、五十嵐を投手フライに打ち取り開幕戦こそKO されたが以降は2勝を挙げ面目を保った。だがこの勝利が江川の最後の日本シリーズの勝利となるとは全く予想できなかった。

日本ハムはシリーズ序盤、先発投手の好投で主導権を握るかと思われたが1番島田誠が21打数4安打2四球といまいちで2番打者の高代が不振。ソレイタも第3戦以降は20打数1安打に抑えられた。そしてこの年はまだ指名代打が使えない時でこれも大きく影響した。さらにシーズン打率 .297 18本塁打 75打点のトミー・クルーズが怪我で (だったと思う) 出場できなかった事も苦戦の大きな原因となった。

シリーズMVPは2戦2勝の西本聖。ドラフト外選手の日本シリーズMVPなんて他に誰かいたかなぁ… シリーズ前に発表された“沢村賞受賞”の異議を自ら払拭した。
優秀選手賞には9打数7安打4打点の左腕キラーとして大活躍した平田薫。左腕投手以外の登板時も起用してほしかったなぁ…….そして1番、2番で起用され21打数9安打3打点の河埜と胴上げ投手になった江川の両名も優秀選手賞に。 
敢闘賞には初戦サヨナラ安打を放った井上が選ばれたが2本塁打の柏原でも良かったかと思った。 また23打数7安打2打点。第二戦で貴重な逆転2ランを放ったホワイトにも優秀選手に選んでほしかった。

優勝の瞬間実況アナウンサーが “ジャイアンツ日本一。8年ぶりです !! “ と叫んだが、V9 時代を見て来た自分は”そんなに日本シリーズで勝っていなかったのか??“ と驚いたのを覚えている。

当時の私は夜間大学1年生の苦学生で金が無く住み込みで新聞配達のアルバイトをしていた。他の大学生の様に女の子とデートをして青春を謳歌するなんて考えられなかった。サッカーは世界の舞台は遠く、とてもワールドカップ出場なんて夢にも出てこない時代。夕刊を配っている時に自分と年齢が変わらない男性が女性と楽しそうにドライブしているのを見て彼らとの隔差を嘆き悲観する日々だった。

朝刊を配り終えたあとスポーツ新聞に目を通しジャイアンツの快進撃を読むことだけが楽しみで心の支えだった。そして日本シリーズでは自分が好きだった西本、ホワイトが活躍したのが本当に嬉しかった。
1981年の日本シリーズを終えて、V9 とまでいかなくてもまたこれからジャイアンツの黄金期が始まる…と今後の巨人軍を大いに楽しみにしていた。

翌年ここで貯めた金を元に世話になった新聞営業所を出て大学近くのアパートを借りて1人暮らしを始め生活も徐々に“大学生”らしくなった。 そして学部への編入試験に合格し陸上競技を始め年々学生生活が充実し始めた。もちろんアルバイトは続けたが苦にならなかった。 

あれから28年が過ぎた。後楽園球場はもうとっくに無くて日本ハムは北海道にフランチャイズを移した。この日本シリーズも後に何かの思い出になるかもしれないので、開幕が非常に楽しみだ……

  

 


Play Back 1981 日本シリーズ Part 1

2009-10-31 | プロ野球

クライマックスシリーズを勝ち抜いたセ・パの2チームが日本一を掛けて争う日本シリーズがいよいよこの週末から始まる。巨人対北海道日本ハムの対決は28年ぶりとなる。
当時は両チームとも後楽園球場を本拠地にしていたことから“後楽園シリーズ”とも言われた。パ・リーグは当時前後期制を採用しており後期を制した大沢啓二監督率いる日本ハムがプレーオフで前期覇者のロッテオリオンズを破り東映時代の1960年以来21年振りのリーグ王者となった。より多くのファンを惹きつける為に1973年のシーズンから前後期2シーズン制を敢行したパ・リーグだったがその努力がようやく成就したのが前年。1980年の後期は球団創設2年目で断トツ最下位が指定席だった ( 今では考えられない ) 西武ライオンズの突然の快進撃があり日替わりで首位が入れ替わる大混戦。そんな中日本ハムが抜け出し最終戦、後楽園で行われた近鉄バファローズ戦に勝つか引き分けるかで優勝が決まるところまで来ていた。そしてこの試合に敗れても残り2試合の近鉄、3試合の西武のどちらかが全勝しない限り日本ハムが後期優勝と云う絶対有利な最終戦前であった。しかも西武と近鉄の直接対決が2試合あった。 しかしこの試合日本ハムは二番手で登場した、この年22勝を挙げて最多勝利を始め五冠王を達成したスーパールーキー木田勇が打ち込まれて敗れ、勢いに乗った近鉄が残りの2試合、西武戦に連勝し後期優勝をさらってしまった。
だがこの混戦がパ・リーグ復興の狼煙となり翌シーズンは”熱パ””エキサイティングリーグ・パ”と銘打った宣伝ポスターが貼られるなどパ・リーグが大いに注目され始めた。
日本ハムはその1981年、広島カープから優勝請負人、江夏豊をエース高橋直樹とトレードで獲得。そして左腕投手の間柴茂有が開幕15連勝で無敗。プロ野球史上勝率10割を達成した。打線では3番にホームラン打者“サモアの怪物” トニー・ソレイタ、4番に柏原純一、5番にトミー・クルーズの重量打線に島田誠、高代の1,2番コンビ、古屋、菅野と云った渋い選手達が下位打線を占めるなどまさに投打の噛み合った全盛期。前期こそ優勝したロッテに4.5ゲーム差を付けられ4位に甘んじたが後期は2位阪急に 3.5ゲーム差を付けて優勝。プレーオフでもロッテを破り優勝旗を手に入れた。通算でも68勝54敗8分で1位だった。

一方我が愛するジャイアンツは前年1980年は第一期長嶋監督時代の6年目、最後の年。V9時代を支えた選手が次々と衰えを見せるなか若手育成にも着手しながらの3位は好評価に値すると思ったがシーズン終了後監督の座を解任される。
しかも王貞治が現役引退を発表。英雄総退場でこれからジャイアンツはどうなるのだろう?と真剣に心配する中、後任の藤田元司監督がドラフトで原辰徳の交渉権を引き当て新時代の始まりを感じさせた。
シーズンが始まると江川が20勝、西本が18勝、そして前年からようやくローテーション入りを果たした定岡が11勝と3本柱が充実。更にリリーフエースの左腕投手、角が連日の快投を見せる。打線では新人原の22本塁打が最多本塁打であったが快足松本匡が1番打者に定着。頭を悩ませたポジション問題も中畑の怪我で篠塚が2塁に入り打率 .356 を残した。原はサードを守る(原は最初はセカンドで起用されていた。)事となり、 怪我で復帰した中畑は1塁に入り、この年トレードで入団したベテラン松原が夏場以降はベンチに。更にベテラン河埜、堅実なスイッチヒッター、ホワイト。そして山倉がリーグを代表する捕手に成長するなど若手選手達が大きく飛躍を遂げ、73勝48敗9分、2位広島に6ゲーム差をつけ断トツの4年振りリーグ優勝を飾った。
世間は藤田監督を長嶋の遺産で優勝した幸運な監督という見方をしたが前年1勝の加藤初を12勝させたり、前年3試合、7イニングスしか登板しなかった浅野啓司を中継ぎに起用するなど藤田監督は何人もの選手を“蘇生”させた。 
事実年間本塁打数135本は広島(181本) 中日(151本)に次いで3番目。チーム打率 .26796 も同様に3番目であったが防御率 2.88 は1位。 藤田監督の投手陣の再整備がなければ優勝は無かったとおもっている。藤田氏は第二次政権下でも2度 1989年 2.56 1990 年 2.83 のチーム防御率でチームを優勝に導いている。特に1989年はチーム本塁打が106本しかなかった。

江川、江夏、角 エース総崩れの終盤乱戦の開幕戦。

巨   人 000 000 131  5  工藤1勝
日本ハム 101 101 011x 6  角1敗

ソレイタ1号(江川) 柏原1号(江川) 岡持1号( 加藤初 ) 松原1号( 江夏 ) 

ジャイアンツのシリーズ開幕投手は当然20勝投手の江川。 先頭打者の島田を打ち取り続く高代を三振に仕留めこの試合は幾つ三振をとれるか?と楽しみにし始めた矢先、3番のソレイタにレフトスタンド最前列に飛びこむ本塁打を浴びてしまう。2回は三者凡退で切り抜けるも3回は1死1塁から1番島田に右翼線を抜かれる2塁打を打たれ続く高代の犠牲フライで2点目を献上。それでも続くソレイタとの2回目の対決はキャッチャーファールフライに打ち取り、3回以降はエンジンがかかってくるだろう…と思った。しかし4回は先頭打者の柏原にレフトスタンドに運ばれ、その後も古屋、菅野がセンター前に。後続は投手の高橋一三だったので追加点は許さなかったが6回はまたも先頭打者の柏原にライト線を破られる2塁打を打たれ菅野に適時打を喫しこの回を終わってマウンドを降りる憂き目に。6回8被安打の4失点。奪三振はわずかに3。予想だにしなかったペナントレース中に見せた快投とは程遠い内容。 
江川らしさを見せたのは5回の第二打席で2塁打を放った時ぐらいだった。

一方日本ハム先発の高橋一三はかつてジャイアンツのV9を支えた投手。私が小学生時代一番好きな選手だった。V9最後の年となった1973年は23勝を挙げ2回目の沢村賞を受賞。( 1回目は22勝した1969年 ) しかし翌年以降2勝、6勝と信じられない凋落。1975年シーズンオフに富田勝と共に日本ハムにトレードに出された。その時ジャイアンツに移籍して来たのが張本勲(と加藤初)だった。 
日本ハムに移籍後、途中故障もあったが貴重な左腕投手としてなくてはならない存在で前年は9勝、そしてこの年は5年振り二桁となる14勝を挙げていた。 
その高橋一三の“雄姿”に私は感動していた。 
この試合ではベテランの投球術をいかんなく発揮。7回に江川の代打平田薫に2塁打を打たれ、続く松本にも2塁打を浴び遂に失点を喫するが、6回までジャイアンツ打線を4安打無失点に抑える粘投。3番篠塚、4番中畑、5番ホワイトを1安打に抑え、6番新人原を3打席1三振に討取っていた。7回先頭打者ホワイトにレフト前に運ばれ続く原をエラーで出塁を許す。そしてトマソンの代打吉田(巨人時代はバッテリーを組んだこともある)を三振に切って取ったところで守護神江夏が登場した。 
しかし江夏は山倉を外野フライに打ち取った後、江川の代打起用でそのまま守備に着いた平田に左翼越えの2塁打を浴び、続く松本のタイムリー打であっという間に 4-4 の同点に追い付かれる。
その裏日本ハム先頭打者、岡持の本塁打で再び突き放すが9回表先頭打者河埜の代打松原誠が江夏から同点本塁打をレフトスタンドに叩き込みついに江夏をKOしてしまった。ベンチに戻った松原が藤田監督と抱き合う姿が印象的だった。 
松原は前年19年在籍した横浜大洋からジャイアンツにトレードで移って来たが大洋で投手コーチ経験のあった藤田監督が“ベテランの力が必要”と暖かく迎え、“拾ってもらった藤田監督に恩返しが出来た。”と試合後語った。 
だがまだ試合は終わらない。9回裏、ジャイアンツの守護神、角が捕まる。 1死からソレイタに替って“守備固め”に入った服部にセンターにはじき返され、続くこの日3安打の柏原を歩かせ、岡持に替る代打井上弘昭にレフトにはじき返され試合を決められてしまった。 井上はジャイアンツの V10 を阻止した1974年中日の優勝メンバーでこのシーズンから日本ハムのユニフォームを着ていた。

江川、江夏、角といった両チームのエースが揃って打ちこまれ乱戦となった。気になったのは篠塚、原の二人が3無安打に終わった事。日本ハムは初回のソレイタの本塁打が江川をKOするきっかけとなったが柏原が長打2本を含む3安打、8番菅野も3安打。続く第二戦を落とすとジャイアンツはかなり苦しくなる….と思った。

助っ人一振り、西本激投  ジャイアンツタイに

巨   人 000 000 020 2   西本1勝
日本ハム 100 000 000 1  間柴1敗

ソレイタ2号( 西本 ) ホワイト 1号 ( 間柴 )

9回裏ジャイアンツ1点リードで迎えた9回裏日本ハムの攻撃。 塁上にはソレイタと柏原がいたが既に2アウト。打席には途中出場の服部。前日も途中出場ながら角からヒットを放ちサヨナラ勝ちのホームを踏んでいる。 しかしマウンド上の西本聖は服部をこの試合10個目となる三振に切って取りジャイアンツがシリーズをタイにした。
マウンド上ガッツポーズの西本が印象的だった。
江川KOの後を受けてマウンドに上がった西本だったが2死後またもソレイタにレフトスタンドに運ばれて先制されてしまう。 そして打線もこのシーズン15勝0敗の間柴の前に5回を除く毎回走者を出すがタイムリーが出ない。篠塚がチャンスで2併殺。原も抑えられていた。しかし西本の投球内容はまさに“激投”。2回以降得意のシュートで毎回三振の山を築きヒットを打たせない。 7回ジャイアンツが1死1,2塁の場面で西本に打席が回って来たが藤田監督はそのまま西本を打席に送る。ここは得点に結び付かなかったが8回、二死から中畑がこの日2本目の安打で出塁。そして続くホワイトが間柴が投じた外角低めに落ちる球をライトに流し打つとそのまま打球はスタンドに飛び込む見事な逆転2ランホームラン。そして西本が8,9回も抑え日本シリーズ初先発初完投。そして江川のお株を奪う毎回の10奪三振を記録。

翌日の日刊スポーツの一面にはこの試合の殊勲者、西本とホワイトが握手をしている写真が大きく掲載され私は大学を卒業するまでその新聞を大事に持っていた。(今でも持っていたら良かったなぁ…..)
ホワイトにはシーズン終了後英語でファンレターを送り同封したハガキにサインをして送り返してもらいそれをずっと壁に張っていた。(今はどこにやったかわからない…..)

守備要員の逆転打で日ハム2勝目

日本ハム 010 002 000 3    工藤2勝  江夏1S
巨   人 200 000 000 2  定岡1敗

中畑1号 ( 岡部 )

ジャイアンツの先発は定岡。そして日本ハムはシーズン13勝を挙げ最優秀防御率( 2.70 ) のタイトルを獲得した岡部憲章だった。 
岡部は東海大相模高校時代は原辰徳と同級生。しかしエース村中の影に隠れて登板機会は少なかった。そして村中は原、津末と共に東海大学に進学。岡部は日本ハムに入団。プロ通算12シーズン在籍し通算勝利数は32勝だったが1981年は素晴らしい成績を残し、津末や村中が出来なかったタイトルホルダーとなった選手だった。だがこの試合は初回に中畑に2ラン本塁打を浴び3回でマウンドを降りた。シリーズ3試合目で先制したジャイアンツだったが2回以降は得点を挙げられなかった。

ジャイアンツ先発の定岡はまずまずの立ち上がり初回1死1,2塁のピンチは柏原を併殺に打ち取り、2回は菅野の内野ゴロの間に1点を失うが4回の1死満塁のピンチは代打岡持、続く代打加藤を打ち取る。6回に1死から古屋、大宮に連打され打席には鍵谷康司を迎える。このシーズン69試合出場した鍵谷であったが主に守備固めの起用。この試合も菅野に代打岡持が送られ、その後に2塁の守備に着いた初打席だったがこのチャンスにバットを一振りすると打球はライト線を破る。 1塁走者が捕手の大宮だったのでホームには還れないかな?と思ったが生還を許し逆転されてしまった。
7回にはジャイアンツも2死ながら1塁に柳田を置き打席に河埜を迎え、工藤から同じ様にライト戦を破る打球を放った。柳田は長躯ホームを陥れるがクロスプレーとなりアウトの判定。柳田が抗議に詰め寄ろうとする出鼻を村田球審はもう一度アウト !! のコール。柳田はそのまま硬直してしまった。 この二つの中継プレーの差が出たシーンでもあった。
9回2死無走者。マウンド上は江夏。1点ビハインドのジャイアンツベンチは代打に松原を送るが、ここは外角低めの変化球で空振り三振に切って取られ初戦の借りを返された。 ジャイアンツ打線は1番の松本と6番原以降の下位打線が無安打に終わり苦戦を強いられた。 

前半戦の3試合を終えて日本ハムの3本柱( 高橋、間柴、岡部 ) もそんなに悪くないなぁという印象。第4戦先発するであろう江川がまた打ちこまれないか…次の試合が始まるまでずいぶん心配をした     
                                                                 つづく.... 

       


All Whites の挑戦 Bahrain 0 New Zealand 0 10. Oct

2009-10-25 | 夏季五輪

GK Paston を含むDF陣の奮闘によってアウェーでの Bahrain 戦を 0-0 で引き分けた All Whites は11月14日ホーム Wellington で行われるリターンマッチで勝てば1982年スペイン大会以来のワールドカップ出場権を勝ち取れるところまで来たが、その可能性は非常に微妙なところである。

試合は従来の 4-4-1-1 ではなく、3-4-3のシステムを起用。 GK に Mark Paston。 3バックのDF陣はCBに Ryan Nelsen , 左に Ivan Vicelich, 右に Ben Sigmund を置き、攻撃能力に長けた Leo Bertos を右のサイドバック、Tony Lochhead を左サイド(守備的MF)に置く布陣。
一方の Bahrain は9月のサウジアラビア戦のスタメンから DF のAbdulla Fatadi に替って30歳のベテラン、1997年 FIFA U-17 のメンバーでもあった Mohamed Ahmed がこのワールドカップ予選初めて起用された。  

   

Ryan Nelsen が立ち上がり20分間が要注意時間と試合前に話していたが、開始15分にはナイジェリア人の Jaycee John が20分に最初の惜しい15mからのシュートを放つ。19分には Hussain Ali がペナルティーエリア内でスルーパスを受け Be Sigmund をかわして放ったシュートはわずかに外れる。
25分にはSayed Mohamed がCKに飛びこむが僅かに合わず、その直後に Husail Ali Ahmed に放たれたシュートはサイドネットを直撃する。
All Whites のFW 、目下のところ A-League 得点王の Shane Smeltz と Celtic 所属の Chris Killen が Ryan Nelsen が攻撃参加した時に上げられるクロスに飛びこむが Bahrain DF Sayed Mohammad Adnan と Hussain Baba の長身CBの前に思うようにボールが捕えられない。なれない40度近い温度と高い湿度が All Whites の運動量を次第に減らしていく中 Bahrain が次第に主導権を握りだし防戦一方に。 後半開始早々の46分にはMohammed Salmeen が頭でゴール前に落とした所をSalman Isa が拾って強烈なショットを放つが GK Paston がナイスセーブ。その1分後早いパス交換からDFラインを崩した Bahrain が最後はMohammed Hubail がシュートに持ち込むがクロスバーを越えた。

前半は何とか無失点で切り抜けたが後半はホームの Bahrainの総攻撃の前に防戦一方の All Whites 。それでも54分には Rory Fallon があわやのヘッドを放ち、その直後に後半から投入された Chris Wood とMicael McGlinchey の二人により左サイドを突破。そして右に回った Wood に再びボールが渡りフリーで放ったシュートは Bahrain ゴールネットを揺らしたがその前にオフサイドのフラッグが上がった。 
その後は Bahrain の総攻撃が続く。 Salman Isa Ali がオフサイドぎりぎりの位置でボールを受けGK Paston をかわして放ったシュートはゴールポストを直撃した。 
63分には Fouzi Aaish が左サイドを突破し Chris Killen をかわして放ったシュートはまたも Paston がセーブ。 30,000人のホームの歓声に後押しされた Bahrain は All Whites 陣内で試合を進める。 Ben Sigmund が Aaish を倒して絶好の位置でFKのチャンスを得るが最後は Adnan が絶好機を外してしまう。 75分には Salmeen が再びAll Whites DF陣を切り裂き Salman Isa Ali が最後は GK Paston までかわしてドリブルシュートを放つがそのショットはゴールポストを直撃。
結局両チーム無得点に終わった。 Bahrain の地元英字新聞 Bahrain Gulf Daily はこの試合を  “ Unlucky Again “ と宣言した。 

   

New Zealand: 1-Mark PASTON (GK), 4-Ben SIGMUND, 6-Ryan NELSEN (Captain), 5-Ivan VICELICH, 11-Leo BERTOS, 3-Tony LOCHHEAD, 8-Tim BROWN (12-Michael MCGLINCHEY 68), 7-Simon ELLIOTT, 9-Shane SMELTZ, 14-Rory FALLON (13-Chris WOOD 66), 10-Chris KILLEN.

Substitutes not used: 2-Aaron SCOTT, 15-David MULLIGAN, 16-Andrew BOYENS, 17-Andy BARRON, 18-James BANNATYNE (RGK).
Coach: Ricki Herbert Cautions: Mark Paston, Ryan Nelsen

Bahrain: 1-Mohamed Jaffar, 5-Mohamed Ahmed Hubail, 6-Jayece John, 7-Sayed Mahmood Jala, 9-Husail Ali Ahmed, 10-Mohamed Ahmed Salmeen, 12-Faouzi Mubarak Aaish, 14-Salman Isa Ali (13-Mahmood Abdulrahman Mohamed 79), 15-Abdulla Ismaeel Omar,16-Sayed Mohamed Adnan, 17-Husain Ali Mohamed

Substitutes not used: 2-Mohamed Husain Mohamed, 3-Ahmed Hassan Rashed, 4-Abdulla Baba Fatadi, 8-Aala Ahmed Hubail, 11-Ismaeel Abdullatif Ismaeel, 18-Abbas Ahmed Ali Coach: Milan Marcala.

40度近い高温多湿の中、ホームの大歓声を背に津波の様に押し寄せる Bahrain の攻撃を何とか無失点でしのいだ All Whites . よく考えれば Bahrain は Australia をホームに迎えた戦いではほぼ一方的に押しまくり終了間際の Bresciano のゴールで敗れた。
それだけに Herbert 監督が3バックそして Bertos, Lochhead を守備的MFに起用したのも理解できる。この試合で自信をつけたのは Glen Moss に代わってゴールを守った Mark Paston だろう。 だがFW陣はBahren のJaycee John らに比べると少し見劣りするか.....
しかしなんといっても All Whites のアドヴァンテージはホームゲームが行われる Wellingotn の気候。南半球の11月は夏に向かっているとはいえキックオフ予定時刻の午後8時はまだ冷え込むと思われ、降雨も予想される。
カタール入念な準備を施しながら雨の中の Brisbane でオーストラリアに完敗 ( 0-4 ) した様に天気が悪くなればなるほど All Whites が有利になるとみられている。

しかし、イラクは雨の中の同じく Brisbane の試合で敗れたとはいえ Socceroos を大いに苦しめた。 はたしてマチャラ監督率いるBahrain はどうだろう?
1ゴール先に挙げれば All Whites は2ゴール挙げねばならない。常にホームとなる All Whites が2点のリードを保ち続けねば地元のサポーター達は安心して観戦出来ない。 4年前トリニダードドバゴとの Play Off を経験した Bahrain が有利か、それともホームの All Whites が勝ち抜くだろうか.......

おそらく他の多くの日本人は欧州での Play Off の方に興味があるだろうなぁ.....

 


All Whites の挑戦 Play Off 1 st Leg に向けて

2009-10-25 | 夏季五輪
All Whites playoff squad named

9月29日 Ricki Herbert 監督は10月10日マナマで行われるバーレーンとの大陸間プレーオフ初戦に向けての19人のメンバーを発表した。メンバーの中には2005年に代表チームを引き継いぐ2005年以前からメンバー入りしてい13人の選手達が含まれている。 “これはまさに最大の正念場である。” Herbert は語った。 
“知っての通り我々はこの4年間ここに来るために頑張って来た。今この信じられないくらい重要なこの試合のメンバー入りで来た事がこの上なく嬉しい。”
こう語るのは Blackburn Rovers のレギュラー選手 Ryan Nelsen だ。Nelsen はバーレーン戦でも主将を務めるであろう。そしてメンバーは3-1 で勝利を収めた9月にアンマンで行われたヨルダン戦とほぼ同じスタメンになるであろうと予測される。ヨルダン戦で衝撃のデビューを飾った FW の Rory Fallon と攻撃的 MF の Michael McGlinchey は共に選出され怪我でヨルダン戦のメンバーから外れた Chris Killen と Chris Wood もメンバー入りを果たした。
懸念されるのはGK. Melbourne Victory 所属で本来レギュラーである Glen Moss が2008年 Fiji 戦での退場処分を受けこの大事な Play Off の2試合に出場できない。FIFA Confederations Cup のイラク戦ではファインセーブを連発し歴史的な“勝点1”をもたらした Moss の欠場を Wellington Phoenix の Mark Paston がどう埋められるか?そしてその控えとしてGKに Auckland City の守護神 James Bannatyne が 選ばれた。
“確かに長い間共に闘ってきた仲間を失いベストメンバーを組めない事は最大のフラストレーションであるが、反対にいえば他の選手にもチャンスが回って来てそしてそれが団結を生むだろう。全選手達と共に Dubai でトレーニングを行う事はマナマで好成績を残す為には重要な事だ。”
今年6月の FIFA Confederations Cup のメンバーからはGlenn Moss, Kris Bright, Chris James, Steven Old, Duncan Oughton, Jeremy Brockie そして Jeremy Christie ら7人の選手が外れ、Ryan Nelsen, McGlinchey, Fallon そして Spoonley ら4選手が加わった。
“バーレーンはおそらくサウジアラビア戦ではベストなフォワードを置いただろう。だから我々知るその情報は最新のものだ。それらを分析して選手達に伝えていく。 我々はRaul Blanco, Brian Turner そして私と共に様々な分析を行った。最初の試合こそ重要なものになると思う。”

   

Herbert 監督とWellington Phoenix に所属する代表メンバーは 10月2日金曜日に行われるA-League の Round 9 の Gold Coast United 戦を終えて Gold Coast の All Whites 選手 Shane Smeltz と共にキャンプ地のドバイに向かい、ニュージーランドに残る選手達は10月5日 Auckland を出発する。
欧州選手達らも直接ドバイ入りし10月9日にマナマ入りする予定だ。メンバーは下記の通り。

GK
James BANNATYNE (Team Wellington – 5/0) Mark PASTON (Wellington Phoenix – 21/0)
Jacob SPOONLEY (Auckland City – 1/0)

Defenders:
Andrew BOYENS (New York Red Bulls – 14/0) Tony LOCHHEAD (Wellington Phoenix – 19/0)
David MULLIGAN (Wellington Phoenix – 30/3) Ryan NELSEN (Captain, Blackburn Rovers – 39/9) Aaron SCOTT (Waitakere United – 5/0) Ben SIGMUND (Wellington Phoenix – 10/1)
Ivan VICELICH (Auckland City – 70/7)

Midfielders:
Andy BARRON (Team Wellington – 12/1) Leo BERTOS (Wellington Phoenix – 28/0) Tim BROWN (Wellington Phoenix – 25/0) Simon ELLIOTT (San Jose Earthquakes – 65/8)
Michael MCGLINCHEY (Central Coast Mariners – 1/0)

Forwards:
Rory FALLON (Plymouth Argyle – 1/1) Chris KILLEN (Celtic – 24/17) Shane SMELTZ (Gold Coast United – 29/17) Chris WOOD (West Bromwich Albion – 3/0)

Management:
Ricki Herbert (Coach), Brian Turner (Assistant Coach), Clint Gosling (Goalkeeper Coach), Raul Blanco (Technical Advisor), Phil Warbrick (Manager), Roland Jeffery (Physiotherapist), Wade Irvine (Massage Therapist), Celeste Geertsema (Doctor), Kenny McMillan (Sports Scientist),
Jamie Scott (Media Officer).

“選手全員が集うそして共に過ごす毎秒が priceless だ。そして日曜日の夜の試合に必要な環境への移行を共に過ごせる事が重要だ。” All Whites の Ricki Herbert 監督はこう話す。
Herbert 監督をはじめ、Shane Smeltz そして Bertos ら Wellingotn Phoenix の5人の選手達は10月4日にキャンプ地のドバイ入りをし、残りのアメリカ、UK でプレーする選手達は6日の火曜日にドバイ入りをすませ10日のバーレーン戦に臨む。気温はすぐに30度にも達するそれも午前中の練習中に。しかしHerbert や選手達はそれほど驚かない。
“我々は環太平洋地域の予選で類似したところでプレーをした。こんなに湿度が高いかわからないが。すぐに順応できて、ピッチ上でのトレーニングにより有意義な週となるだろう。”

All Whites に吉報が入って来た。重鎮の Ryan Nelsen が所属先の Blackburn Rovers が前の週, Arsenal を 6-2 と粉砕した試合に怪我で出場を見送ったが10月10日のバーレン戦ではフル出場できる見込みが出て来た。 これは All Whites の Medical Staff が確認したことで、アシスタントコーチの Brian Turner はこの事はチーム内に良い影響を与えるビッグニュースと捉えている。 “彼がピッチに搭乗できるか否かは測り知れない事だ。 もし出場出来ないとなるとボディーブローの様に効いてくる。 彼はこの上ないプロフェッショナルな選手で彼は自分自身を完璧にケアー出来て100% Bahrain 戦に合わせてこられる。これはこの上ないボーナスだ。”

Nelsen の出場により Herbert 監督はベストメンバーを組めることとなる。 
Turner コーチはチームはこの4年間 England, Holland ,Scotland そして 米国での経験を生かすメンバー構成となりこれは素晴らしい経験であると述べている。 そしてこの様な試合に向けて世界での経験が充分に生かされるとも話している。

  

All Whites の関係者はBahrain の分析をオーストラリアで開発されたGamebreaker と云うソフトを使って9月に行われたプレーオフ Bahrain 対 Saudi Arabia 戦の分析を行う。一方の Bahrain はスイスで開発された Dartfish と云うコンピューターソフトを用いて10日のプレーオフの対策を講じる。
この Gamebreaker と云うソフトはあらゆるスポーツの分析に用いられ、3年前当時の女子代表チームの Simon Eddy コーチによって導入され、さらに Tony Readings 現女子代表 Football Ferns アシスタントコーチによって活用されている。
“こちらの欲する状況を作りだせるなど非常に活用的だ。 自分の観たいところをマークしていつでも取り出す事が出来るなど非常に便利で使いやすい。90分間何度も巻き戻しをしなくても済む。”
このソフトの値段は約 NZ$4,000 ( 約26万円 ) しかし結果が出れば価値ある投資となるだろう。
New Zealand のブックメーカー TABはこのプレーオフ初戦、All Whites に7倍、バーレーンの勝利に 1.5倍のオッズを付けた。 引分けには 3.45 倍、ホームチームの 2-0 での勝利に6倍、アウェーチーム New Zealand の勝利に35倍の倍率を付けた。

Dartfish は釣りとは全く関係の無いもので Bahrain 監督の Milan Macala と彼のスタッフにとってはワールドカップ予選のプレーオフに向けての不可欠なツールである。 10月6日付のオッズによると Bahrain の勝利は 1.57倍、ニュージーランドは 5.5倍となっており現地の英字新聞 Gulf Weekly によると Bahrain 国民の70.12%がワールドカップ出場を信じているとの事である。
この Dartfish と云うソフトは138の種目の北京五輪のメダリスト達の間で活用されたという実績がありサッカーでは FK, GK そして選手間のコミュニケーションと云うピンポイントでその場面を引き出せるとの事である。 我々は常に2,3の Dartfish で解析したデータを毎試合前に活用している。しかし次の試合には6つのセッションを活用する事にした。“ と語るのは Bahrain のKhalid Taj テクニカルチームディレクター。 “前にトリニダードドバゴとのプレーオフを経験した事は大きい。選手達はプレーオフ初戦をホームで戦う事をワールドカップ初出場に向けて Golden Opportunity と考えられる。Bahrain チームは相手をよく分析し選手達に必要な情報を与えられている。”
こう語るのはスーパーバイザーの Abdulrazzaq Mohammed 。 10月6日、カタールでプレーするMohammed Hussain と Faouzi Aaish が戻りUAE でプレーするMohammed Salmeen そしてスイス、ベルギー更に他の中近東でプレーする達海外組7人が戻り地元でプレーする13人と合流した。


やはり寒いドイツ….

2009-10-10 | 夏季五輪
高温多湿の Ho Chi Minh からシンガポール経由で一路ドイツの Frankfurt へ。 シンガポールからの約13時間の飛行時間を経て到着した Frankfurt は朝6時半というのに真っ暗。 まだ夏時間中なのと緯度が日本より北にあるのでこの時期日の出が遅くなるのでそれは当たり前だった…..
そして覚悟はしていたが気温12度。….寒がりの私は Ho Chi Minh の蒸し暑さが懐かしくなってきた。 
“時差調整”の為に午前中はホテルで“睡眠”をとり午後か客先回りを行ったがこの日の Frankfurt は小雨模様。日中の気温も18度程度しか上がらなかった。この寒さ….かけうどんでもすすりたくなった。

夕方はここのお得意さん K さんに寿司レストランで御馳走になった。 ここの寿司レストランは日本人の方が経営するところで味もよく値段も大衆的。しかるに地元では人気レストランの一つでこの日もほぼ満席だった。
“最近はへんな寿司を売り出すところが出て来て、寿司の質が問われる様になった。”とはここのオーナーの話。
現場で働く日本人の方も全員が修業を積んだ板前さんではなくここで腕を磨いた人達ばかり。
海外での楽しみはおいしい海苔巻寿司を堪能する事。 日本ではなかなか出合えない寿司ロールが私は大好きだ。 “あんなの寿司じゃない”と言う日本からの観光客がたまにいるがそういう輩は海外で和食レストランを訪れる資格がない人間だ。
一生に1回か2回しかこない日本人向けにメニューを考えているのではなく何度も足を運んでくれる地元の人の為にメニュー構成を考えているので、私は農林水産省が施行しようとした “正しい和食” 認証制度、いわゆる Sushi Police にはばかなかしさしか感じない。 そもそも日本国民の税金を使ってなぜこのような事をするのか?結局これは現地にある “日本大使館” や “大企業の駐在事務所” が接待をするときに“ここは本物の和食レストランですよ。ほら”認証されて“いますよ。”と恰好を付ける為の道具にすぎない。
まぁ確かに中国系や他のアジア系が経営するとんでもない“日本レストラン”も後を絶たないけど……..
それでもそういう “和食レストラン” でも最近はレベルは少しずつ上がって来ている。

K さんは最近身体の調子を崩したらしく通院が続いているらしい。 私も9月初旬に少し体調を崩した。
“この際だから徹底的に調べた方が良いよ。良い機会だよ。” と言ってくれた。
ドイツ生活が長いので現地の病院に通うのは問題ないけど、いくら語学に自信のある??私でも急病で地元の医者にかかるのはちょっと自信が無い。 あの時は取引先の邦人の方に病院に連れて行ってもらった。本当に有難かった。今でも連れ行って貰っていなかったらどうなっていただろう…とぞっとする。

Die Angust vor den Play –offs

プレーオフを前にした不安感。 こういう見出しが地元の専門誌に踊っていた。
前回のワールドカップホスト国だったドイツ…..もうあれから3年が経った。本当に早いものだ….
10月10日はワールドカップ出場を懸けてモスクワに乗り込みロシアと対戦する。そして14日の最終戦は Hamburg でフィンランドを迎える。これまでグループ首位のドイツは勝点22。それを追うロシアが勝点21。ロシアは最終戦がアウェーとはいえこれまで勝点1しか上げられていないアゼルバイジャン戦なのでこの試合で勝点3を上げ最低でも勝点を24まで伸ばす事を見積もらねばならない。
しかもドイツは対フィンランド戦となるとトラウマがある。 2001年10月6日。ドイツはフィンランドと 0-0 で引き分けてしまう。それでも Manchester で行われていた England vs Greece は Otto Rehhagel 監督率いるギリシアが93分前 2-1 とリードしておりこのままいけばドイツはワールドカップ日韓大会への出場を決められるところだった。しかし今や伝説なった David Beckham が 直接FK をギリシアゴールに捻じ込み予選を通じて絶不調だった England が土壇場でワールドカップ出場を決め、ドイツはウクライナとの Play Off に回ることとなった。この瞬間を見届けた Schalke Arena の 52,333 人の観衆はどういう思いで帰途に就いたのだろう….
だが伏線はその前にあった。ミュンヘンで England 相手に 1-5 と歴史的な大敗を喫したドイツ代表はその悪夢を引きずりギリシア戦に臨んでいたのだった。前回(2002年大会)も今回も欧州地区予選の最終戦がギリシア戦。これまでの予選8試合で7勝1分のドイツだがこの1分がアウェーでのギリシア戦 ( 3-3 ) 昨年10月にホームでロシアを 2-1 と下しながら勝点1しか差をつけられていないのがこのギリシア戦の引分けだ。
こうなるとアウェーとはいえロシア戦で勝利を収め、その時点でワールドカップ出場を決めたいところ。
しかし肯定的なデータも残されている。 これまでドイツは西ドイツ時代を含めてワールドカップ予選での敗戦は、2試合しかなく(1985年ポルトガル戦、Stuttgart , 2001年 England 戦 München )その上アウェーゲームは36試合中、26勝10分と何と敗れた事が無いのだ。
私は誰が何と言おうとドイツこそ欧州で最もサッカーの強い国と思っている。第二次大戦以降の大会では全大会に出場しておいるがこれはブラジルと並んでの記録。 ワールドカップ優勝3回、準優勝4回、欧州選手権優勝
3回、準優勝3回。 Semi-Finalist となるともう何回ある事か…..
第二次世界大戦以降の大会を見てもEngland が3回 ( 1974, 1978, 1994 ) フランスが5回 ( 1962 1970, 1974, 1990, 1994 ) イタリア ( 1958 ) アルゼンチン ( 1970 ) が1回ずつ大陸予選を突破できずにいた。オランダに至っては 1974年大会でクライフを擁して出場するまで欧州の壁を破った事が無かった。

ただどこの国でも同じだが代表チームを取り巻く環境にはかなりの経済効果が関わっているらしく、2006年ワールドカップ、2008年欧州選手権での監督,選手団への手当が600万ユーロ ( 約8億1千万円 ) そして FIFA , UEFA からの勝利ボーナスが約 2,000 万ユーロ ( 約37億円 ) , adidas, Coca Cola, Mercedes-Benz と云ったスポンサーのワールドカップでの宣伝効果は測り知れないものらしい。
2008年欧州選手権で予選落ちした England の場合、チケット収入、開催国オーストリア、スイスまでの移動費用、飲食料金を含めるた BBC が試算した費用効果のロスは277万ユーロ ( 37億3,950万円 ) だったらしい。

だが戦う選手達そしてサポーター達は費用効果等は気にしない。ただ自分達、そしてサポートする国がワールドカップに出場することをただただ願うだけだ。
Michael Ballack 主将は“我々は ( Play Off を経ずに ) ワールドカップ予選突破に自信がある。なぜならモスクワで必要な準備をこなしてきたからだ。” と力強く約束をしていた。

我々は既に予選を突破して文字通り高みの見物。 本当に幸せな時代になったと思う…….

よる EURO SPORT Channel で生中継されたFIFA U-20 のハンガリー対チェコ戦をテレビ観戦した。
この対戦、昔の五輪なら、1970年代ならゴールデンカードの対戦だなぁ…..
試合はPK戦までもつれ込み両軍のGKが2本ずつストップするファインセーブを連発。 Sudden Death に入った6人目チェコのReznik のPKを GK Gulacsi がこの日3つ目のセーブでストップ。そしてハンガリー6人目 Balajti が決めて熱戦に終止符を打った。 

あぁ…日本はアジア予選で韓国に敗れたんだなぁ…自分が70年代に戻った気がした。

Good Morning Vietnam !!!! …….

2009-10-05 | Football Asia
9月末日より今度は東南アジアのベトナムに商用で来ています。

ベトナムは2カ月ぶり3回目。とはいっても今回も前回も滞在したのは Ho Chi Minh のみ。私が子供の頃はまだベトナム戦争の真っ最中。よくニュースで“南ベトナムのサイゴンからの報道によりますと….” と云ったアナウンスでベトナム戦争の様子が伝えられていた。 しかし私がものごごろつく前の1960年代半ば頃はもっともっと戦火が激しかったらしく、本当に現地の生々しい映像がお茶の間に伝えられ、一時社会問題にまでなったそうだ。
1975年3月10日アメリカ政府の軍の再介入は無いと判断した北ベトナム軍はホーチミンに総攻撃をかけ、アメリカ政府が駐留軍の撤退を決定した事が更なるきっかけとなり遂にサイゴンが陥落。4月30日共産勢力の北ベトナムの全土を制圧し遂にベトナム戦争が終結を迎えたのだが、あの時テレビで共産軍の戦車が進撃した当時の大統領府は今は何事もなかったようにそびえ立っている。

   

初めて当地を訪れたのが2007年、アジアカップが開催された4カ月後だった。 2003年には SEA Games, そして2007年には Asian Cup が開催されるなどインフラの面でもかなり整ってきたとは思うも、初めて訪れる地を前に “携帯電話は通じるだろうか?インターネットはあるだろうか?食事は、病気は….”と不安は尽きなかったが、訪れて見ればほとんどの人達は携帯電話を持っているし、ホテルでワイヤレスは使い放題。 現地での食事は悪くなく、(私は辛いのが苦手なのでタイではいつもこの問題で閉口する。)そしてミネラルウォーターは随所で購入でき腹の調子が悪くなる事は全くなかった。

ただひとつだけ閉口したのはバイクの洪水。 信号等の交通整理の手段が大通りでさえ全く整備されていないので道を渡れない。バイクの洪水に横断を躊躇していると屋台で食べるものを販売していたおばぁさんが手を引いてくれた……

10月だというのにそして一昨日は当地で“仲秋の名月”であったにもかかわらず湿度の高い事高い事….. 朝6時に起きて近所の公園をジョギングするのだけど既に多くの人達が散歩やジョギングそしてバドミントンを楽しんでいる。同じ光景は夕方も見られ朝夕の涼しい時でないとこういう事も出来ないのか….と納得してしまう。
こちらも30分も走らぬうちに汗が噴き出してくる……

当地でも人気のスポーツと言えばサッカー…
2007年に開催された Asian Cup ではホスト国4カ国中唯一1次リーグを突破した。 今から思えば、ベトナム、インドネシア、タイそしてマレーシアの順番に地元の人の関心そして観客動員数が高く、戦績もそれに全く比例していた。

同年の北京五輪予選では日本と同組であった。日本はホームでもアウェーでもベトナムを破ったが、試合内容はそんなに easy なものでもなかった。 

しかし今回のワールドカップ予選では早々と Round 1 で UAE に連敗し ( ホーム 0-1 アウェー 0-5 ) 消えてしまった。
こうなると次の目標は2011年開催の Asian Cup か? 今行われている予選では中国に次いで2位。この組はおそらく中国の力が抜きんでているので本戦出場をレバノン、シリアと共に争う事となるだろう。

それとも今年12月8日から19日までラオスのビエンチャンで開催される South Easter Asian Games だろうか?
現在そのプレ大会の一環として当地ラオスではマレーシア、ベトナム、タイと云ったこの地域での列強を招いてサッカーの4カ国対抗戦が行われている。10月2日の初戦は地元ラオスと 2-2 で引分け翌々日の10月4日はマレーシアに 1-3 で敗れてしまった。 10月6日にタイとの試合が残っているが、地元ではこの試合、大会が話題に全く上がっていなかった。

その代りにここでは Premiership が大人気。昨晩はホテルのレストランの大型テレビの前に数人の人達が。 Chelsea 対 Liverpool の試合が中継されていたのだ。 試合は先制した Chelsea を時間が経つにつれて攻勢に出てくる Liverpool が追う展開。 刻一刻と迫る終了時間を迎えるにあたり、主審の判定はどうも Liverpool 側に…… 一緒に観ていたイギリス人も“主審は Liverpool のものだ….” と漏らす。
彼のお気に入りはこれまで18位の Hull City 。もう30年もサポートしているとの事。この前は Liverpool に 1-6 で敗れたとの事。しかし次節では Wigan Athletics を 2-1 で破った。 かつてJリーグでもプレーしたリネカーの事など話題が尽きない。 
You はJ リーグではどこをサポートしている? もちろん地元の KYOTO だ。そうか、ホームタウンをサポートするのは良い事だ…..

そしてロスタイム、ドロクバの粘りからフローラン・マルダのゴールが決まり Chelsea が試合を決定付けた。しかし主審はなかなか終了のホイッスルを吹かない。 
“試合は Chelsea, 主審は Liverpool のものだ。” またも彼が叫ぶ。
しかし結局スコアーはそのまま 2-0 で Chelsea が勝利を収め首位に躍り出た…..

翌日私は今度は一路欧州に…. ホーチミンの蒸し暑さが懐かしくなるかも….しれないなぁ…..