Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

SEA GAMES 2009 開幕  タイ伝説のスプリンター….

2009-12-13 | 陸上競技
2年に一度 11カ国のASEAN 諸国のアスリートが集うスポーツの祭典 SEA GAMES が12月9日に開幕をした。今回はラオスの首都ヴィエンチャンでの開催。12月18日まで28競技の熱戦が繰り広げられる。 2003年の12月にベトナムで開催された SEA GAMES のサッカーの決勝戦、ベトナム vs タイ戦をバンコックでテレビ観戦した事があるが、スタジアムの熱気はテレビのブラウン管を通じても充分に伝わって来た。

先月商用でバンコックを訪問した時、地元英字新聞の中に懐かしいタイのスプリンターの写真を見つけた。 Anat Ratanapol だった。 
1951年、インドのニューデリーで最初のアジア競技大会、所謂 Asian Games が開催され、以降多くの競技で日本人選手が素晴らしい活躍を積み重ねて来た。しかし男子 100m だけはなかなか金メダルを勝ち取る事が出来なかった。 1970年タイのバンコックで開催された第6回大会、日本の神野正英氏が日本人初の同種目金メダリストを目指して大会に臨んだ。その時のライバルが地元タイの英雄 Anat Ratanapol であった。  1970年代、日本をはじめアジアのスプリンター達が最も恐れたのがアジア NO.1 の実力を持つと言われたこの Ratanapol だった。 
レースは激戦の末、10秒5の同タイムながら神野氏が地元の大歓声を受けた Ratanapol を破り日本陸上界に最初のアジア大会100m金メダルをもたらした。
この時の様子を学生時代に本で読んだ事がある。しかし Ratanapol は200mでは神野氏を抑えて金メダルを勝ち取る。優勝タイムは 21秒1 。2位の神野氏は21秒5だった。更に 4 x 100m リレーでも Ratanapol を擁したタイチームは2位日本に 0秒3 の差をつけ40秒4の優勝タイムで金メダル。 Ratanapol は 200m そして 4 x 100m リレーの2種目にタイ史上初のアジア大会金メダルをもたらした。  Ratanapol の全盛は4年後、テヘランで開催されたアジア大会。 100m では神野氏, 200m では石沢氏ら日本人選手を全く寄せ付けず圧勝で金メダル。さらに 4x 100m でも優勝を果たし、3冠を達成した。 2年後のモントリオール五輪にも Ratanapol は出場し2次予選に進出した。 また 4 x 100m リレーにもエントリーしたタイチームはアフリカ勢のボイコットもあったが準決勝に進出した。 もちろん Ratanapol もそのメンバーであった。 
1978年の再びバンコックで開催されたアジア大会では全盛期を過ぎた Ratanapol は 200m で銅メダルを獲得したに留まったが、彼の後に台頭してきた同じタイの Suchat Chairsuvaparb が金メダル。 4 x 100m でも Chaisuvaparb と Ratanapol を擁したタイチームが日本チームを100分の1秒差でかわして金メダルを勝ち取った。またこの大会のタイリレーチームは女子も 4 x 100m リレーで日本を抑えて優勝し男女2冠を達成した。

    

日本人選手のその後のスプリント種目の金メダルは1998年三度バンコックで開催されたアジア大会での 100m, 200m で2冠の輝いた伊東浩二の偉業を待たねばならなかった。 

しかし1970年代興隆を見せたタイ短距離界は1980年以降凋落を見せ、1998年のアジア大会 100m で Seeharwong Reanchai が伊東に次いで2位に入っただけである。それでも 4 x 100m リレーでは 1998年バンコック大会で日本に次いで2位に入ると、2002年、2006年大会と連続して金メダルを勝ち取っている。 個人種目となるとここしばらくSEA GAMES より大きな大会では目立った戦績を上げられないタイスプリンター達だがこれには他のアジア諸国が台頭してきた事。そして今後の対策として、外国からのコーチを招へいしたりジュニア世代からの育成から始めなければならないと Ratanapol は語っていた。

2007年大阪で陸上競技の世界選手権が開催された。その時のタイチームの短距離コーチとして Suchat Chairsuvaparb 氏が来日していた。 前年のアジア大会では日本チームを同タイムながら抑えて 4 x 100m で2連覇を飾ったタイチームの“走り”を期待していたが、出場はしなかった。理由はわからない。

商用で訪れたニュージーランドで、タイの女性がホテルのレセプションに勤めていた。彼女に Ratanapol の話をすると非常に喜んで、1978年地元で開催された大会の事を話してくれた。特に 4 x 100m リレーの時の事は良く覚えているとの事だった。 しかし彼女は Ratanapol よりもその時 100m で優勝した Chairsuvaparb の方が好きだと言っていた。理由は彼の人間性が良いからとの事。 後に代表チームのコーチを務めたのでそれは当たっているかもしれない。 

SEA GAMES の男子100m決勝は12月13日だ。 誰が優勝のテープを切るのだろう。  そしてまた Ratanapol の様な伝説のスプリンターは生まれてくるのだろうか……..

新春恒例 東京箱根間往復大学駅伝 新興勢力が目立った大会

2008-01-04 | 陸上競技
復路も午前8時スタート。天候は快晴。やはりこの日の為に努力をし続けて来た選手やスタッフ達の事を考えると良いコンディションの下で走って貰った方が絶対的に良い。
見どころは早稲田がどこまで逃げ切るか、駒沢がどこで先頭に躍り出るか、佐藤悠基君擁する東海大が往路4分58秒差をどうやって克服するか?この差は果たして東海大にとっては“想定内”であったのだろうか?
3日の朝刊には新居監督の“どこまで追いかけられるか楽しみ”との強気のコメントが載せられていたが。
そして参考記録扱いとなる順天堂大選手達の走り。“区間賞記録を上回ってやれ”と心の中で思う。

早稲田大の加藤君がスタートをし、続いて駒沢大の藤井君が1分14秒後に出走する。下りは転倒による負傷が心配だ。そして残り3kmの平坦なコースでリズムを崩さない事も。
加藤君は険しい表情ながらペースを崩さない。昨年のユニバーシアード、ハーフマラソン5位は伊達じゃない。チェックポイントの計時でも駒沢大との差は縮まらない。昨年も6区を走っている加藤君がこの日ただ一人60分を切る昨年の自身の記録を1分33秒上回る59分15秒で区間賞を獲った。これで早稲田は山登り、山下り共に区間賞を獲った事に。6区の経験では藤井君も3回連続の山下りだ。しかし藤井君は平坦コースに入りやや失速。61分12秒の区間12位で早稲田との差を3分11秒に広げられてしまった。昨年は59分52秒、一昨年は60分41秒で走ったのだが。 
ここの区間でもう一人光ったのは関東学連選抜、区間2位に快走を演じた平成国際大の佐藤雄治君。学連選抜は山登りと下り共に区間3位で箱根山の走りで順位を9位から3位に引き上げた。
そして東海大の昨年も山下りを走った皆倉君は昨年の自己記録を25秒更新する区間5位60分28秒で走り順位を三つあげ5番手で佐藤悠基君に繋ぐ。一番の注目選手の登場にテレビも彼の軌跡を追いながらの中継となる。最初の10kmを28分50秒で入り先行する中央学院大、山梨学院大を抜く、11.6km のラップタイムは32分28秒で区間新記録ペースだ。そして学連選抜、国学院大の川辺君にも並ぶ。川辺君は少しの間、原監督の指示通りに食い下がるが、佐藤君はそのまま振り切り更に先行する駒沢大を追うがややペースがダウンする。11.6km の二宮から18.1kmの大磯の6.5km は19分38秒で1km 3分1秒ペースとなった。最後の3.2kmを9分29秒でカバーし区間賞と区間記録を更新したが襷を渡した後やや足を気にする表情が気になる。インタビューによれば途中で痙攣が来たらしい。おそらく予想以上に差がついてきたのでスタートから入れ込みすぎたと思う。今年は北京五輪が控えているのでしっかりと疲れを取り今春以降の選考レースに備えてほしい。
東海大は佐藤悠基君の激走で3位にまで上がったがそれでも早稲田の石橋君が区間4位の走りで首位をキープ。2番手駒沢も豊後君が区間2位の快走で東海大との差をまだ1分39秒キープしている。東海大初優勝の為には8区芳村君の走りにかかって来た。しかし芳村君の走りが伸びない、前を行く駒沢大の姿が見えないせいか“入れ込みすぎた”走りとなって見える。それもそのはず駒沢大の深津君はハーフマラソンを62分台の記録を持ち10000m も28分43秒77の記録を持つ。この日も走りも快調で追い付かれるどころかむしろ首位を走る早稲田大の飯塚君を追い抜く勢いだ。しかし10000m のタイムでは深津君と1分以上あるのだが飯塚君も粘って崩れはしない。深津君は残り300mで26秒差まで追い込み最後は15秒差まで迫ったがこの区間での駒沢大の逆転はならなかった。
一方の東海大芳村君はどんどん差を広げられ結局山梨学院大の栗原君に抜かれ4位で前川君に襷を渡した。区間順位も18位に沈み、早稲田との差も6分17秒ついてしまい、佐藤悠基君が走る前とほぼ同じ状況に逆戻りしてしま行った。だが9区は我が母校京都西高校出身の前川君が走る。彼は昨年も今年も駅伝チームの主将に任命されている。彼が取り返せば最終区は10000m 28分台の荒川君が控えていたが……
9区 23.2km の区間は様々なドラマが待っていた。まず先頭争いでは 2.7km で駒沢大の堺君が早稲田大の三輪君を捉える。堺君は10000m 28分台の走力。三輪君は29分33秒。しかし必死に食い下がる。だがもう少し並走が続けば後続が追ってくると判断したのだろう、8.4km でついに堺君がスパートをかけ単独首位に躍り出ると三輪君は着いていけなかった。10km付近では大八木監督が自ら水を手渡し檄を飛ばす。私が学生の時大八木氏は川崎市役所から駒沢大に入学し箱根駅伝では花の2区で区間賞を取りチームを当時では最高の4位に導いた一人だった。
駒沢、早稲田の後方には中央学院大の篠藤君が先行する大学をどんどん抜いて行く。10000m は28分台、20kmを58分47秒で走る。予選会でも59分49秒4位で走り、そして2006年の日本選手権3000mSCでは優勝も果たした。その実績通り9区区間記録を38秒上回る68分1秒で走りきりチームも再び3位に浮上する。
中央学院大は予選会で2位だった木原君が花の2区を3位で走るなど今年は有力校を大いに脅かしレース前川崎監督はシード権獲得が目標と語っていたがそれどころか総合3位も見えて来た。
東海大は権田坂付近を通過した前川君は先頭とは6分36秒差がつき山梨学院大に抜かれ6位に落ちていた。結局前川君の最後の箱根駅伝は区間13位に終わりチームも7位に後退。この時点で今年の優勝から大いに後退する事に、だが悲劇はそれだけでは無かった………
レースもここまでくると今度はシード権争いと繰り上げスタートにも関心が寄せられる。8区を終えて10位に大東大と東洋大が並んで駆け込んだがその26秒後ろに12位日大が大東、東洋から2分27秒遅れて日体大。城西大が2分53秒遅れで、そして神奈川大が更に1分44秒遅れていた。城西大までがシード権争い圏内だろう。
9区の11.5km付近では東洋と日大が10位争いを演じていた。そして17.25kmでは大東大の住田君が立ち止まっている。只隈監督が水を手渡すなど何度もレースを続けられるか尋ねる。只隈監督も私が学生時代の箱根駅伝のスターで週刊誌にもイケメンランナー(当時はそうは表現していなかったけど)として紹介されていた。
只隈監督が何度か並走をしたが結局21.75km地点で住田君を抱かかえる様に止めてレースを止めさせた。
かつては優勝を狙う大学と言う印象があった大東文化大。その再建を担って腐心してきた只隈監督そして選手達の心中は充分に察する事が出来る…….
鶴見の中継所では東京農大の椎谷君が必死の形相で浜崎君に襷を繋ぐ。繰り上げスタートわずか4秒前だ。一方の法政大大森君はわずか43秒差で浜崎君に襷を繋げなかった。総合順位では法政の方が上だったのに、復路一斉スタートの明暗がここに出た。
トップを走る駒沢大、昨年も同じ区間を走った堺君は区間賞こそ篠藤君に譲ったが区間2位の走りで早稲田に1分21秒の差を付けてアンカーの太田君に襷を渡した。しかし三輪君も区間6位の走りで粘り、神沢君の走りに期待する。10000m のタイムでは神沢君が約13秒上回る。5.9kmの蒲田の地点では14秒縮めるが、その後は伸びない。18.1kmの御成門の地点では差が2分になったこの時点で駒澤大学の総合優勝が確信された。
こうなると焦点はシード権争いに移る。9区間を終わって帝京大が10位、53秒差で日大が続き、その18秒後に日体大、専修大が帝京大から4分17秒差で13位、ここ2年連続11位の城西大は4分21秒差がついた14番目であった。
11.94km 地点では東洋大が帝京大に抜かれて10位に落ち、その後ろを日大が迫っていた。18km地点では日大が東洋大に30秒差に迫る。そして20km手前でついに日大笹谷君が東洋大岸村君を捉える、東洋大シード落ちかと誰もが思ったその目の前に信じられない光景が、東海大の荒川君が大崎コーチに抱きかかえられている。あと2.2kmだったのに。優勝候補の東海大が棄権するとは、3チームもリタイヤするとは本当に悲劇以外の何物でもなかった。
これでシード権争いをしていた日本大、東洋大は10以内を確保し、その後ろから区間賞の好走で迫った城西大永岩君は結果的には3年連続11位でゴールする事に。城西大は1区と最終区で区間賞をとりながらシード権を取れなかった。

大手町のゴール前には駒沢大の太田君は終盤に残した余力を最後は充分に使い余裕の優勝テープを切った。続いて早稲田大の神沢君がゴールイン。その差は2分30秒であったが早稲田がここまで優勝争いをする事を予想する人は少なかっただろう。予想外と言えば3位の中央学院大、復路では早稲田を32秒上回り総合2位であった。そして4位には堂々関東学連選抜がはいり、翌年の予選会枠を一つ増やし重責を全うした。しかし来年は順天堂大、東海大と言った強豪が予選会に回って来る……

駒沢大の総合優勝はまさに総合力の優勝だ。区間賞は8区の深津君一人だけだったが区間2位が4区間(1区5区7区9区 ) そして第10区が区間3位、特に復路の7区以降は全て区間3位以内と言う安定した走りが続いた。
対照的だったのがもう一つの候補東海大。佐藤悠基君の区間記録、伊達君の2区区間4位と言った記録以外では10位以下の区間が5区間もあった。これでは佐藤、伊達の快走は生かされない。優勝を狙えるレース展開ではまったくなかった。
2位の早稲田は3区竹沢君の快走からうまくリズムにのり最後まで優勝争いに絡んだ。そして解説の瀬古氏の饒舌ぶりはさすが早稲田なんだろうなぁ….
3位中央学院、4位関東学連選抜の好成績は彼らの存在感を十分に見せつけられた。5位に山梨学院大学、6位に亜細亜大学が入り今後彼らが“伝統校”と呼ばれる日になるのも遠くは無いだろう。
4区阿宗君の区間賞は国士舘大にとって36年振りの区間賞だったらしい。当時は3人の選手が区間賞を取りチームも4位になった。それ以来の快挙とのことだった。
シード落ちの大学の中には専修大も含まれていた。エース座間君の走りが見れなかったのは残念だった。
そして3チームもリタイヤした事にこんご賛否両論が出て来るだろうが、陸上長距離経験者から見れば常に選手はぎりぎりのコンディションでやっている、無理をしないと勝てないのだ、と言う事だけは言わせてもらおう。

自分は挫折して陸上を辞めたのでどうしても付き添い等のレースに出られなかった裏方の人達に目がいってしまう。君達のその努力は将来絶対に役に立つよ。陽のあたる世界ばかり歩いているとその世界から身を引いた時になかなか順応できない。経験者の私がいうのだから間違いない。

さて私もメタボとの戦いに臨むために走りに行きましょう。

新春恒例 東京箱根間往復大学駅伝 大混戦の往路

2008-01-04 | 陸上競技
今や日本の正月の定番となっている“箱根駅伝”。陸上競技のトラックは1周何メートルあるかは知らないけど毎年正月にテレビ中継されるこの駅伝競走を楽しみにしている、と言う一般の人達は多いだろう。
仕事でも学生時代に陸上競技の中長距離をしていたと言うと必ず訊かれるのが“箱根駅伝を走られましたか?”と判で押した様に尋ねられる。何度でも言わせてもらうが箱根駅伝は関東学生対校駅伝。関西学連出身の私には無縁な大会。しかし人によっては“全国大会の駅伝”と思っている人が年々増加している。
それと共に蔓延るのが“なんちゃって箱根経験者”。走ってもいないのに箱根を走ったと語る人。私が学生の時にもこう言う人は少なくなかった。最近は箱根駅伝の人気上昇に伴い過去の資料も整備されこう言う嘘はすぐにばれる事になる。年配の人でこういう“嘘”をつき続けていた人達は反対に箱根に触れられたくないのかも知れない。

今年も昨年同様気温はやや高いが絶好の駅伝日和。地球温暖化の中もう吹雪の中を選手達が駆け抜けると言う事も稀になった。
1月2日、読売新聞社本社前を午前8時に参加20チームの第1区の選手達がスタート。これから二日間に渡る218kmの行程にどんなドラマが待っているとはこの時は誰も予想がつかなかった。
1区21.4km は城西大学の佐藤直樹君が64分37秒のタイムで鶴見中継所に飛び込んで来た。佐藤直樹君は2005年仙台育英が全国高校駅伝で優勝した時のメンバーには故障で入れなかった。しかしその後の都道府県対抗男子駅伝では宮城県チームの区間4位に起用され区間4位で走った。
1区の区間賞タイムは昨年東海大の佐藤悠基君が樹立した区間記録には3分以上も及ばなかったがこれはレース展開によるもの。15.2km の蒲田までは全チームがまだひとつの塊となったスローペースで展開されており通過タイムは46分49秒。残りの6.2km を17分47秒でぶっ飛ばした佐藤直樹君が区間賞を勝ち取った。この切り換えは1km 換算にすると最初の15.2km が3分5秒弱のペース。そして残りの6.2kmは2分51秒。その数字からもスローペースからハイペースに切り替えられた事が裏付けられる。しかし後続も続いており13位の大東文化大までが城西大から26秒差の中にいた。そして昨年度の覇者順天堂大は1区区間最下位の20位と出遅れた。とは言えトップとは1分51秒差。まだまだ挽回出来るはずであったが…..
花の2区 23.2kmは留学生選手が上位を占めた。山梨学院大のモグス君が区間記録を23秒更新する66分23秒の快走でチームを首位に、区間2位の日大のダニエル君が15人抜きを演じチームを4位にそれぞれ押し上げる。そして中央学院大の木原君が留学生選手に次ぐ区間3位の力走でチームを2位に導く。3位には優勝候補の東海大の伊達君が区間4位の力走でチームを16位から浮上させる。東海大は今回復路に佐藤悠基君等の有力選手をまわして総合優勝を狙う。ここまでも計算通りであったと思う。
しかし3区21.5km の区間で今年の箱根駅伝は混戦に拍車をかける展開が。1位山梨学院大、2位中央学院大は順位をキープでしたが、区間順位を見ると山梨学院大・田中君が区間6位、中央学院大・堀君が区間10位であり順位を下げてもおかしくなかった。しかし3位以下の大学が伸びなかった。5位の駒沢大は高林君が区間7位で順位を1つ下げるに留まったが、日大は延壽寺君が区間16位で4位から9位にそして東海大は吉田君が区間12位で順位を3位から7位に下げてしまう。特に東海大は2区伊達君の快走をフイにしてしまった。
そして北京五輪代表を狙う早稲田の竹沢君が一時は出走も危ぶまれたのだが区間賞の走りでチームを12位から5位に導く。平塚中継所では1位山梨学院大から10位の関東学連選抜までの差は3分47秒。一昨年はこの差が3分34秒だったが昨年は5分27秒、そして2005年は4分44秒であったことから今年は混戦である事がわかる。
だがその混戦は4区18.5kmの区間で更に激しくなる。この区間は区間賞の国士舘大の阿宗君を筆頭に区間2位が学連選抜、拓殖大の久野君。そして区間3位が亜細亜大の池淵君。それぞれ平塚中継所では10位以下のチームだ。山梨学院大後藤君は区間19位。しかし3区を終えて2位であった中央学院大の小林君が区間13位で伸びなかった為に首位をキープ。2位には名門中央大が区間7位の森君が中央学院に替って浮上した。
首位山梨学院大と2位中央大との差は1分2秒、そして10位日大までが2分30秒内に犇めく大混戦となった。
5区は23.4kmで往路と言うよりもこの駅伝最長のコースでしかも山登り区間。前を一気に捉える事よりも大ブレーキしない様に堅実に走るべき区間。この区間を早稲田大の駒野君が区間賞の快走で先行する山梨学院大を捉えトップに躍り出るとそのまま往路ゴールのテープを切る。2位には区間2位で走った駒沢大安西君が駆け込み、山梨学院大の高瀬君は区間6位とまずまずの走りながら順位を3位に下げた。4位には関東学連選抜の上武大福山君が区間3位の快走で順位を9位から引上げ、5位には中央学院がそして4区を終わって2位であった名門中央大は10位に落ちた。
優勝を狙う東海大は結局往路は早稲田大と4分56秒差で8位に留まる。いくら復路に有力選手を並べたとはいえ、往路5区間で目立った快走は2区区間4位の伊達君くらいで3区間で区間10番以内に入れなかった。
早稲田は3区と5区で区間賞の走りで見事往路優勝を。駒沢大も3区で一時7位にまで順位を下げたが全体的に堅実な走りで2位に入った。関東学連選抜は3区、4区の快走で4位に食い込む快挙。選抜とは言え4区区間2位の拓殖大久野君は予選会では26位で走り、5区区間3位の上武大福山君も31位で走った実力者。選手個々の実力は高く、上位10人の予選会の合計タイムは1位通過の中央学院大より3分30秒も上回り前年度シード校でも苦戦するのは当然で、チームをまとめる青学大の原監督の
“やるからには優勝を狙う”
と言うコメントも理解できる。 復路の走りには大いに注目と思った。
そして5区で順天堂大小野君が無念の棄権。昨年覇者のリタイヤは誰も予想できなかった。この大会の為に尽力して来た順大の選手の事を考えると・・・・・・・・・ だがこのリタイヤ劇はこれに留まらない事をこの時どれだけの人が予想できた事か。 レベルが上がり高速化することによりこう言うアクシデントは避けられない……と口でいうのは容易だけが ・・・・・・・  

復路に続く

駅伝実力日本一はコニカミノルタ

2008-01-03 | 陸上競技
新春恒例全日本実業団駅伝は今年で52回目を迎えた。そしてニューイヤー駅伝と命名されて21回目を数える。あぁ俺が引退してからもう何年経つんやろう…… 最近すっかり爆発的にでかくなった腹回りをさすりながら述懐する。あの時の元旦の雰囲気、そして小学校の低学年時以来あんなに早く寝た大晦日はなかったなぁ。
と、ここまで書くとまるで私がニューイヤー駅伝に出場したみたいだが実際は補欠にも入れずチームのサポート役に回った。レース後知り合いから“お前もテレビに映ったぞ。よかったなぁ”と慰められたのを思い出す。実際に走りながらもテレビに映らなかった同僚もいたのだから………
今年のニューイヤー駅伝の見どころは中国電力の連覇かコニカミノルタの奪還か、それとも2000年の富士通以来、中国電力、コニカミノルタ以外のチームが駅伝実力日本一の称号を手にいれるのか….. そして自衛隊体育学校は、一般自衛隊からの参加となる自衛隊山口はどこまで走りきれるのだろうか……

中国電力は11月の中国実業団駅伝では尾方、佐藤を温存しながら2位のJFE スチールに5分以上の差を付けて堂々1位でニューイヤー駅伝に歩を進めた。尾方は8月に世界選手権でマラソンを走った為。佐藤は12月に福岡国際マラソンに出場する為に中国実業団駅伝出場を見送った。
一方のコニカミノルタ、東日本実業団駅伝は日清食品、HONDA の後塵を拝し3位に終わったがこの大会には世界選手権5000m出場の松宮隆行そして福岡国際マラソンに松宮裕行が出場する為に出場をしなかった事によるものだ。
昨年は世界選手権があり今年は北京五輪が開催される。こう言う時の選手構成は五輪候補選手を抱える上位チームほど難しい。しかし今の日本の長距離界はこの2チーム牽引されていると言っても過言ではないだろう。その2チームに徳本、諏訪を擁する日清食品。そして名門旭化成がどう絡んでいくか……

今年も天候は絶好の駅伝日和。なにより風が無いのがランナーにとってありがたかっただろう。
1区は昨年同様外国人ランナー SUBARU のアセファがトップで中継所に駆け込む。記録は34分37秒。昨年SUZUKIのマサシ・マーティンが樹立した34分16秒には届かなかった。2位には 2秒遅れでJFEスチールのギタウ。そして3位にコニカミノルタの大田。4位に旭化成の大野が続いた。中国電力の新井はコニカの大田から48秒遅れの11位。そして自衛隊体育学校の室塚が日本人選手では3番目の8位で2区松村に繋いだ。昨年も室塚は6位で1区を走り2区松村が区間8位で走り前半好展開を作った。そして初出場の自衛隊山口の山瀬は最後尾の37位。36位の JAL グランドサービスの小川には1分26秒も差をつけられてしまった。2区以降の挽回はなるだろうか……
1区3番手のコニカミノルタ。昨年は2区、3区が大誤算で最後まで挽回出来なかったが今年は2区松宮隆行が区間賞の力走。トップで3区アレックスに襷を渡す。追う中国電力は尾方が7人抜いて4位に浮上するが区間記録では松宮に1分11秒及ばない。この時点で1分49秒開きが出た。そして圧巻だったのがトヨタ自動車九州の三ツ谷。松宮と18秒差の区間2位の快走で24人抜いて一気に7位にチームを押し上げる。
そして自衛隊体育学校の松村は昨年より1分1秒悪いタイムで区間24位で順位も18位にまで下げてしまった。旭化成は2区の世界選手権代表の佐藤が区間29位の大ブレーキ。順位も4位から35位に落してしまった。宗監督も“シンジラレナ~イ”と言ったかどうかはわからない。2区は22.7kmで外国人選手を起用できない最長区間。各チームマラソンを走れる選手を起用するがここでブレーキされると後が挽回しにくくなる。
3区は12チームが外国人選手をここに起用し区間順位でも日清食品のゲディオンを筆頭に上位10位までが外国人勢が占めた。しかし日清食品は1区板山がトップと2分2秒差の29位と大きく出遅れ、2区徳本も後半が伸びず区間19位で順位を2つしか上げられず、3区ゲディオンの快走でようやく13位まで順位を上げて来た。おそらくゲディオンは先行する選手を追いながらペースを上げて来たのだろう。コニカのアレックスは区間7位ながら首位をキープ。連覇を狙う中国電力は岡本が区間12位。順位を2つ下げアレックスには1分6秒開けられ、チームとしても2分55秒差をつけられた。坂口監督もこの区間が一番痛いと感じたのではないだろうか?トヨタ自動車九州のワンジルが5人抜いて2位に, HONDA のアセファが8人抜いて3位にそれぞれチームを押し上げる。大会規定により外国人選手は1人しか起用できないその上使える区間が決まっているので外国人選手をどこにそしていかにそこまで繋ぐかも好成績を残すカギとなる。
4区は最短区間の10.5km。ここで中国電力の梅木が区間賞の力走で3位に浮上するが、コニカミノルタも山田が3秒差の区間2位で繋ぎ差が縮まらない。この時点でコニカが大きく一歩前進した用にも見えた。5区は登りが多い15.9kmの厳しい区間。ここで中国電力の佐藤敦之が区間賞で区間2位のコニカミノルタのこの区間の記録保持者の坪田に55秒差をつけチームも2位に上がって来た。4区と5区で中国電力がトップを走るコニカミノルタとの差を58秒縮め6区、7区で逆転を狙う、というよりも7区の油谷に逆転劇を託す。しかしコニカミノルタの池永が区間賞で走ったのに対し中国電力は1分3秒遅れの区間15位。最終区を前に3分丁度差をつけられてしまった。最終区を走ったコニカミノルタの礒松は区間賞こそ HONDA の藤原に譲ったものの区間2位の快走で区間6位の油谷に17秒の差をつけチームとしても2位中国電力に3分17秒差をつけて2年振りの優勝を果たした。
勝敗を分けたのは序盤で差をつけられたことと中国電力は外国人選手を起用していないことか?
これでコニカミノルタは2001年に初優勝して以来10年間で6回目の優勝。旭化成が1990年から10年間で9回優勝したのに次ぐ記録。かつて旭化成と鐘紡、ヱスビー食品と旭化成が切磋琢磨し合った様に中国電力との2強の時代が続くのだろうか?
その旭化成は2区で35位に後退して以降挽回が出来ず27位に終わった。3位に HONDA が4位には安川電機が入った。安川電機は3区では15位だったが4区以降は全選手が区間5位以内で走る安定した走りで順位を上げて行った。そしてトヨタ自動車九州が5位に入った。ここには我が後輩のボマグール=ハッサン君がいる。今大会は出場出来なかったが私が出来なかった母校始まって以来の全国実業団駅伝出場を成し遂げてほしい。6位の日清食品はレースの出だしが遅れたのが痛かった。
そして自衛隊体育学校は7区の岩瀬が区間10位で頑張ったが順位を昨年より6つ落として22位。タイムは4分32秒下回った。それでも旭化成には勝ったぞ。
自衛隊山口は最下位の37位。36位の黒崎播磨とは17分34秒差がついた。昨年37位の自衛隊第13旅団と比べても7分38秒タイムが下回った。自衛隊は練習時間が豊富に取れるはずだ。年間計画をきちんと錬れば最下位脱出は出来るはず。来年はそれを期待したい。

そして私はメタボに立ち向かう為に公園に向かった。 あぁどうやったら腹へっこむんやろ………

土佐玲子 炎の激走 長距離陣と世界陸上を救う

2007-09-02 | 陸上競技
9月2日、大会最終日。期待の女子マラソン土佐玲子が銅メダルを勝ち取りようやくホスト国の面目を保つ事となった。この女子マラソンに就いては IAAF のホームページにも“Hosts looking to Women’s Marathon for Final Medal Hope ” と言う記事が掲載され、9月1日に行われた男子 4x100mR が5位になるものの、十種競技の田中が19位に終わり、大会初日の10000m も走った福士が、5000m でのミラクルを期待されたが14位終わり、いよいよ1995年イェテボリ大会以来開催国がメダルなしで終わる可能性が帯びてきたと述べられている。 そして日本最大の期待であったハンマー投げの室伏は、今夏技術的な問題があったにも関わらず誰もがそれを無視するなかシーズンベストのパフォーマンスを披露するも6位に終わったが翌年の北京五輪で再び好成績を上げれば許されるだろうとも書かれている。 そして開催国メダル無しを救う最後の砦として土佐玲子が最終日に登場すると昨年の東京女子マラソンのゴールシーンの写真と共に紹介されている。

http://osaka2007.iaaf.org/news/kind=2/newsid=41395.html

練習中に転倒して一時は松葉杖をついていた土佐が一時は5位に落ちるも最後は粘りを見せて3位に入った。それにしても最後に女子の活躍に救われるのは昨年のトリノ五輪の荒川静香を思い出す。しかしこの猛暑のレースで最後を粘り切った事で翌年での五輪レースに向けて土佐は自信になったのではないか?マラソンはいくら良い記録を持っていてもその選手が得手、不得手なコンディションがある。大概の五輪マラソンは高温の中で行われる。シドニー五輪で高橋尚子が金メダルを勝ち取ったのも1998年のバンコックでの高温多湿のアジア大会のレースで2時間21分47秒と言う驚異的な記録を出した事も自信になっていただろう。(本人に訊いた事ないけど。) これで北京五輪の女子マラソンの代表争いが一気に過熱してくる。前回女王の野口みずき、前々回女王の高橋、渋井陽子、弘山晴美あと候補選手だけでも何人いるのか? 
優勝はケニアのヌデレバ、2位には一時は出場しないのではと言われていた中国の周春秀が入った。銀メダルの周春秀は昨年12月のアジア大会でも金メダル。その時の2位がこの日6位に入った嶋原清子。アジア大会では嶋原は周に3分31秒開けられた。中国勢では4位に朱暁琳が入り来年の北京五輪では大きなライバルになりそうな気がする。特に周春秀は今年4月のロンドンマラソンにも出場しこれまでの2007年の世界最高記録を出すなど躍進著しい。
周の昨年からのマラソン戦績は下記の通り。

2006. 3.12 ソウルマラソン 2時間19分51秒  2006年 世界2位記録
2006.12. 9 ドーハアジア大会 2時間27分31秒  優勝
2007. 4.22 ロンドンマラソン 2時間20分38秒  2007年 1位記録 ( 9月2日現在 ) 2007. 9. 2 世界選手権    2時間30分45秒  2位

この1年半でマラソンレースを4本も出場している。そして好記録の連発。北京五輪優勝候補最右翼か?それとも今がピークで一年後は….. そして世界選手権にエントリーしなかった2006年世界最高記録、2時間19分36秒をロンドンマラソンで出した米国の Deena Kastor も候補の一人だろう。 2006年の女子マラソン世界20傑の中には日本人選手が4人(弘山、渋井、土佐、森本)含まれている。2位記録がこの世界選手権2位の周春秀。優勝したヌデレバの昨年の記録2時間25分5秒は19番目であったが、そのレースが大阪国際マラソン。しっかりと世界選手権の“試走”をしての金メダル獲りだった。
今大会少し残念だったのは北朝鮮の選手が出て来なかったこと。今の日朝間の政情を考えるとやってこないか?しかし北京には当然上位を狙って出て来るだろう。

一方の男子マラソンの北京五輪に向けての視界はどうだろう?記録を見ると2006年は奥谷が福岡国際マラソンで出した2時間8分49秒が日本最高記録だがこの記録は昨年の世界ランキング29位だ。2007年ではこれまで4月15日のロッテルダムマラソンで松宮が記録した2時間10分4秒が最高だがこれも28番目の記録。ただし、五輪代表を賭けてこれから候補選手が本格的にマラソンレースに臨んで来るので今年は2時間7分台の記録を期待したいし、そうでなければ五輪の上位入賞も厳しいか?不気味なのはアトランタ五輪銀メダルの韓国の李鳳柱が3月18日のソウルマラソンで2時間8分4秒で優勝している事。今年で37歳になるのにこの健在ぶり。 男子マラソンの注目と言うか五輪優勝候補はあの皇帝、エチオピアのハイレ=ゲブラシラシエ。昨年ベルリンマラソンで出した2時間5分56秒は2006年世界最高記録で世界歴代5位。知らない間に世界のマラソンは2時間4分台に突入している。一体全体何を食べたらそんなに早く走れるのだろう?? 日本選手では高岡寿成の2時間6分16秒が歴代11位だけど、それは彼が2002年に出した記録。また2時間6分台が出せるだろうか?日本歴代2位記録は藤田敦の2時間6分51秒。しかしこれも2000年の福岡国際で出された記録。日本マラソン陣の記録の奮起が期待されるところだ。
それにしてもアフリカ勢のマラソンの強さに更に強化されている。2006年の世界30傑の中ではエチオピアが3人ケニアが12人もいる。 またアジア大会優勝でこの世界選手権も2位だったカタールのシャミ・ムバラク・ハッサンも候補の一人だろう。今年4月パリマラソンで出した2時間7分19分はこれまでの2007年最高記録だ。ハッサンはアジア大会、パリマラソン、世界選手権と中4か月でマラソンレースに出場している。そしてたぶんこのハッサンもカタールの他の長距離選手同様アフリカからの帰化人選手だろう。セバスチャン=キンターナの様に。

5000m, 10000m 男子トラック種目は
5000,1000m はもう日本男子は太刀打ち出来ないのか?世界記録をみてがっかりしたというよりも驚いてしまった。5000m が12分37秒35, 10000m が26分20秒31 共にエチオピアのケネニサ=ベケレが持っている記録だが、この数字を見たとき。“俺は何の為に陸上をやっていたんやろう?”と思ってしまった。そのベケレをしても5000m は5位に終わった。予選を見ても強烈にスピードアップするあのレース展開は日本のレースではお目に掛れないレースだ。従って日本選手は“練習の試用が無い”と言うのが本音だろう。本当にこの種目で外国人選手と対抗するのならが実業団の外国人撤廃なんて言っていられないと思うけど。 トラック選手は実業団から離れてアフリカに単身トレーニングの為に移住…というよりも陸連がこの辺はなんとかしないとなぁ???  しかし箱根駅伝の選手の記録を見ると10000m を28分台で走る選手がごろごろいる。私が学生の時は29分を切る選手が学生ではその年に二人いただけだった。それも我が関西学連の選手だった。従って27分台の選手がもっと出て来ても良いと思う。これも箱根駅伝の弊害かもしれないけど、自分がもし関東学連の大学生だったら世界選手権よりも箱根にかけるだろうなぁ…. 今年の世界選手権、隔世の思いで見た。男女の短距離陣にあれだけ期待が集まり、そして男女の中距離選手もかつてよりも進歩がみられたが長距離は相変わらず男女のマラソン、それもメダルは女子のみ、だけが世界に太刀打ち出来る種目であった。 来年の北京五輪はもっと厳しい戦いになると思う。まだまだ、いや更に世界のトップアスリート達は五輪で勝つ事を重きに置いている。 

しかしそんな事は俺が偉そうに言って良い事では無いとも思う……

最後に俺は陸上をやっていて良かったと思っている。  

陸上競技万歳。

不振なのか実力なのかそれとも….

2007-09-02 | 陸上競技

大会8日目を終えて日本チームはまだメダルゼロ。入賞者もハンマー投げの室伏と男子マラソン陣くらいでマスコミとTBSが期待する様なメダルラッシュには程遠い結果だ。この結果、果たしてどうなのだろう?

日本選手のランキング

そもそも大会を中継するTBSをはじめマスコミが期待した様なメダルラッシュは現実的だったのだのだろうか?大会開幕早々に幸先良く朝原が男子100m で準決勝に進出。決勝進出はならなかったがベテランの快走に以降の好成績が期待された。しかし、400mHの為末は予選に沈み、マスコミが“ヒロイン”に仕立て上げたようとイケクミは7m どころか決勝に進めず、最もメダルに近いと思われた室伏は6位に終わる。かつてのメダリスト末次は2次予選で失速。エアー大地は痙攣で飛ぶことが出来ず、私がひそかに期待した高跳びの醍醐直幸もダウン。するとマスコミは“不振、不振。”と騒ぎたて出した。 ここで考えてみれば良い。不振とは元々力のあった選手が持っている力を出せなかった時に使う言葉だ。昨年、そして今年のこれまでで何人の日本人選手が世界ランクのトップテンに入っていただろう? 

2006年度の記録

池田久美子  6m86cm  7位  ( 1位 Tatyana Kotova ロシア7m12cm )
室伏広治      82m01cm  4位    ( 1位 Vadim Devyatovskiy ベラルーシ82m95cm )
末續信吾   20秒25    14位 ( 1位 Xavier Carter 米国 19秒63 )
成迫健二      47秒93      4位 ( 1位 Kerron Clement 米国 47秒93 )
澤野大地        5m75cm 19位 ( 1位 Brad Walker 米国 6m00cm )
醍醐直幸        2m33cm  7位 ( 1位 Andrey Silnov ロシア 2m37cm )

2007年度の記録 ( 世界選手権前 まで)
池田久美子 6m73cm 22位 ( 1位 Lyudmila Kolchanova  ロシア7m21cm )
室伏広治    79m01cm 10位  ( 1位 Vadim Devyatovskiy ベラルーシ 82m94cm )
末續信吾   20秒20      9位 ( 1位 Tyson Gay 米国 19秒62 )
成迫健二    49秒01    20位 ( 1位 James Carter 米国 47秒72 )
為末大      48秒73    16位 ( 1位 James Carter 米国 47秒72 )
澤野大地      5m75cm 16位 ( 1位 Brad Walker 米国 5m95cm )
醍醐直幸      2m30cm 13位 ( 1位 Donald Thomas バハマ 2m35cm )

上記の数字を見ると成迫の健闘そして室伏の6位入賞は理解出来る。成迫が準決勝で出したシーズンベストの48秒44は今季世界ランク13番目の記録だ。ただ末續は今季20秒20を出していただけに2次予選で消えたのは残念であった。醍醐も飛べていたらチャンスだったと思う。
また池田の目指す7mとはどんな記録かと言うと、昨シーズンは3人の選手が、そして今シーズンは4人の選手だけが出した記録でメダルに直結する記録。それだけ険しい挑戦ということだ。
女子の走り幅跳びの世界記録は1988年にソ連の Chistyakova が出した7m52cm で昨年の年間最高記録より40cm も優れた記録。そして歴代2位の Jacky Joiner Kersey は7m49cmで 1994年に記録したもの。そして歴代上位10位までの中で5人の選手が共産圏時代の東側諸国の選手だった。あの有名だった東ドイツの Heike Drecshler のベスト記録7m48cm は1988年に出されたもの。 う~ん、薬の臭いがするなぁ。同様の事は男子のハンマー投げにも当てはまる。世界記録の 86m74cm は1986年に当時ソ連の Yuriy Sedylch が出したもので 1cm 差で今大会優勝したベラルーシの Ivan Tshikhan が2005年に出した記録で続くが、歴代10傑にはソ連時代の選手が4名もいる。そして我らが室伏の84m86cm は歴代5位の記録だ。歴代4位で今大会4位だったベラルーシの Devyatvskiy らとともに来年の五輪のメダル争いはヒートアップするであろう。
こうしてみるとメダルラッシュを期待すること事態がおかしいと思うが、それを最も判っていたのは選手自身だろう。しかし地元で開催される大会を前に、“メダルは期待されると…”とは言えないだろう。それに表彰台を目指さないのなら初めからこの大会には出て来なかっただろう。 
確かに末續、為末は世界選手権で銅メダルを勝ち取った。しかしそれらの競技レベルを維持し続けるのは容易な事でなく、更に次々にワールドクラスの世アスリートが台頭してきて、彼らに苦杯を喫した選手達も巻き返しをはかる。



大会開催時期は…

はっきり言おう。8月下旬は世界選手権が開催される時期では絶対にない。日本国内の大会でさえこの時期に陸上競技の試合があるのはまれだ。今夏の日本列島は例年と比較しても異常と言える最高気温が連日40度近い日々。しかしそれを差し引いてもこの時期に なぜ世界選手権なのだろう?前回のヘルシンキ大会が8月6日から14日。その前のパリ大会は8月23日から31日。2001年エドモントン大会が8月3日から12日。そして第1回のヘルシンキ大会は8月7日から14日に開催されたが、欧米の8月お日本の8月はかなり天候が異なる。 第3回の東京大会は8月26日から9月2日だった。まだ記憶に残る東京大会も非常に暑い気候の中で開催された。世界選手権は8月に開催されているがこの大会は陸上競技では最高権威の大会であると考えられるならば、選手達がベストパフォーマンスを発揮できるコンディションの下で行われるべきで、摂氏40度近い天候での陸上競技大会、しかも世界選手権が行われるのが疑問だ。9月は既に欧州では陸上競技シーズンの終盤を迎えるのであれば、7月開催でも良いと思うが、7月に世界選手権が開催出来ない深い理由がありそうだ。7月はIAAF が主催するグランプリレースが目白押しだ。

7月 2日 Grand Prix : アテネ
7月 4日 Grand Prix : ザグレブ
7月 6日 Golden League : パリ
7月10日 Super Grand Prix : ローザンヌ
7月13日 Golden League : ローマ
7月15日 Grand Prix : シェフィールド
7月21日 Grand Prix : マドリード
7月25日 Super Grand Prix : モナコ

7月の欧州は恐らく陸上競技の大会を開催するにはベストなシーズンと思われる。その時期に上記の様なグランプリレースを開催し好記録を連発する事で陸上競技が“プロフェッショナル”として確立される。IAAFも本音は世界選手権を最適な季節に開催したいところだろう。 しかし今やプロ化の推進なくして競技の発展は無い。このままでは世界選手権の権威は下がり、オリンピックとの“格差”は拡大される一方だ。やはり五輪に勝るスポーツイベントはサッカーのワールドカップだけなのだろうか…..
しかしそんなコンディションの中でも世界のトップアスリートはきっちりと結果を出してくる。最終調整が上手く行かずに力を出し切れない日本選手と比較すると……。 
今大会前に上記のグランプリレースに参加し実戦を兼ねた調整を行える事もトップアスリートの強みか? その様な大会に転戦し結果を残す日本人アスリートが多く輩出されることを祈るよ。
しかし、世界選手権の開催も大会を追うごとに権威が低下している気がする。今大会は五輪前でコンディションを崩したくないのか、エントリー選手が少ない気がする。そして次回は2009年、五輪の翌年。ポスト五輪イヤーに開催される大会は新旧交代の時期でそれ自身は興味があるのだが、もう一つ迫力欠ける気がする。(それは前年の五輪と比較するからか?) ここはひとつ、五輪イヤーの2年後に開催してくれることを願うけど、誰も耳を貸さないやろなぁ……



男子 4 x 100m R 日本新の5位
短距離陣期待の 4 x 100m R はメダルに手が届かなかった。しかし日本記録。これこそ来年に期待できると思う。 ただ昨年のアジア大会で日本と同タイムながらタイ国記録で優勝したタイ・チームが参加していなかったのが少し残念。39秒21の記録では今大会エントリーした13カ国の中で勝てたのはカナダチームのみだけど、暑さに強いであろう彼らの挑戦もみたかったなぁ…. それとも今年行われる SEA Gamesに照準を絞っているのか?



4 x 400mR は決勝に届かなかったけどこのメンバーで3分2秒76は好タイムだと思う。1996年にアトランタ五輪でだした日本記録3分00秒76 更新を来年の北京五輪で目指して欲しいが、それには“大砲”が必要だ。かつて44秒台を出した高野進の様な。金丸裕三、山口有希の二人が45秒1台を出せる様になってもチャンスはあると思うけど、俺も自分が走れもしないのに無責任に解説するなぁ…..女房に怒られたわ。それにしてもリレーで期待が出来る様になるなんて私が学生時代には全く考えられなかった。



それに女子が五輪、世界選手権のリレーにエントリーする事も。女子のマイルリレーも日本新記録。今年5月5日の大阪国際グランプリで出した記録をさらに更新したわけだけど、“丹野麻美”があと3人いれば世界でも十分に戦える記録になる。メキシコ五輪のサッカーの準決勝戦でハンガリーが日本を 5-0 と粉砕したその試合後、ハンガリーの新聞記者が長沼(当時)代表監督に“カマモトが5人いればニッポンはハンガリーに勝てると思うか?”との質問に“釜本をあと4人創るのが私の仕事。”と答えたらしい。 “丹野”を創るのは誰の仕事なのだろう…. あぁまた偉そうなこといってもうた。 嫁ハンにまた怒られるわ….


室伏 池田登場の大会3日目…..

2007-08-28 | 陸上競技

大会三日目は月曜日。大会最初のウィークデーだ。 少し気温が下がったとはいえまだまだ暑い。これを残暑というのか? 大会三日目のこの日も池田久美そして室伏宏治の登場と視聴率を引き上げそうな選手が登場した。

池田予選落ち でも……
期待の美人ジャンパー池田久美子は残念ながら予選落ち。記録も3回目の跳躍の6m42cmが最高で、参加29選手中24位の記録に終わり自己ベストの更新はならなかった。酷暑の大阪は彼女の体力を奪った事だろう。欧米人と比較して基礎体力で劣る日本人、競技が始まる前のこういう気候は逆に日本人選手に不利だったか?昨年12月のドーハでのアジア大会は 6m81cm を記録し、2位に 29cm もの差をつけて圧勝したが、この時のドーハは肌寒い感じであった。そしてアジア大会2位の選手、インドの George Anju Bobby が6m60cmを飛び11番目で決勝に進んだ。その他アジア勢ではアジア大会5位の韓国のチョン・スン・オクが 6m45cm, アジア大会4位の中国の陳亜玲が6m50cm でそれぞれ池田の記録をうわまわったが決勝には進めなかった。
池田は来年の北京五輪に向けて巻き返しを誓うであろうが、地元開催で思うような結果が出せなくてさぞ悔しかった事だろうがそもそもマスコミは彼女を “ 7m ジャンパー “ とか煽り過ぎだった。それが励みにもなっただろうが、どうも彼女を“世界陸上のヒロイン”に仕立て上げたくてたまらなかった様で見ていて本当に気の毒であった。それに打ち勝ってこそ世界のトップクラス入りと言うのは無責任な発言だ。
彼女の自己ベストから7mまで16cm。しかしそれはあくまでも数字上の話、そこからの1cm がそれまでの1cm の何倍も長いのだ。もし彼女の7m ジャンプを来年の北京五輪で見たいのなら、マスコミは彼女から遠ざかる事だ。幸い中国女子にはこの種目でメダルを期待できそうな選手がいない。従って北京で彼女の跳躍にブーイングが飛ぶこともないであろう。 ところで彼女は 4x100m のメンバーに入っているのかな?補欠でも入れておいた方が… でも、今は疲労困憊か? 



女子の出場種目 
100mH の石野真美、400mH の久保倉里美は次のラウンドには進めなかった。しかし、日本の女子がこういう種目に出場できる様になった事が私は日本女子陸上競技界の進歩のあらわれだと思う。1980年代に日本女子が五輪、世界選手権に出場した種目はマラソンと松井江美(やり投げ)と佐藤恵(走り高跳び)くらいで円盤投げの北森が日本記録を出しながらも標準記録には届かなかった。(当時天理大学生だった彼女の投擲を関西インカレで生で観た事がある。他の学生とは全くちがったなぁ….) そしてその集大成が丹野麻美の400m準決勝進出であろう。私が現役時代は日本女子は55秒台がせいぜいだった。それが彼女の自己ベストは 51秒80 だ。 そして準決勝でも自己ベストに0.01 と迫る51秒81。前半の200m が25秒弱かかっていたがもう少し早く余裕を持って入れると51秒台前半の記録が出るのではないか?かつて800, 1500m が専門の私も何度か400m レースを走った事がある。彼女よりも早い記録を持っているが(当り前か?俺は男だから。)この前半の入りが難しい。抑えて入れば後半、力が残ると言うものでもないし.. 彼女は400mを100m から伸ばして来て専門種目とした。それでいてラストの100mであれだけ足が上がるのだから私の時代の女子選手とは違うのだろう。それに最近の女子短距離選手はみな足が長くなって来た。ユニフォームのデザインを割り引いてもスタイルが欧米選手に近づいて来たけど、それでもまだ華奢な感じがする。でも近くで見ると筋肉質なんやろろなぁ…..



100mHではアジア大会でワンツーフィニッシュを飾った中国勢、Liu Jing とFeng Yun はエントリーしなかったのか?特に Liu Jing はアジア大会では12秒93で優勝したので少し楽しみにしていたのだけど。またアジア大会で丹野を破り金メダルを勝ち取ったカザフスタンのオルガ=テレシュコワは1次予選で落ちた。アジア大会では51秒86で優勝したのに。このレースは54秒09もかかってしまった。この種目の世界記録は東ドイツのマリタ=コッホが出した47秒60。まだ世界記録として残っていたのか…しかし彼女も五輪では金メダルは取れなかった。ボイコットと言う政治の壁で。
女子円盤投げでは室伏由佳も決勝には進めなかった。この種目もアジア勢は壁が厚かったかな?アジア大会優勝の栄愛民、2位の馬雪君でさえ予選落ちだった。しかし孫太鳳と言うアジア大会に出ていなかった選手が6番目の記録で決勝進出を決めた。しかし室伏由佳は他の選手より二回りは小柄じゃなかったか?彼女達に続く選手が出て来る事を祈るよ。

室伏広治 来年に向けて…..
長居競技場と言うよりも日本列島の期待を一身に背負っての男子ハンマー投げの室伏宏治は6位に終わった。 1968年メキシコ五輪。ハンマー投げに出場した日本の菅原武雄選手が4位に入賞したが、これは本当に惜しいの一言。彼の出した69m78cm はハンガリーの Lazar Lovaz と同記録だったが、セカンドベストの記録差で銅メダルを逃した。いわばあと1cmでも記録がよければメダル獲得というところであった。以降、室伏重信そして息子の室伏広治と“ハンマー”はつなげられている。この日の室伏、と言うよりも今シーズンの室伏は日本選手権のみの出場で世界選手権に臨んだ。折角の地元開催なのに…と思われる方もいるが、彼の目標は五輪での連続メダル獲得では無いか?最後の投擲で見せた80m46cm の記録はさすがだった。彼の出現でハンマー投げを一般国民の間にメジャーなものにした。その功績ははかりしれないが、それまでに色々な選手の積み重ねがあった。



アジア勢ではクウェートのアリ・モハメド・アル・ジンカウイが決勝に残った。欧米選手と比較しても体格が小さく見える室伏よりもさらに華奢な体格の選手だった。昨年のアジア大会では銀メダルだった。彼もクウェートにハンマー投げを伝承していくのだろう。アジア大会覇者のタジキスタンのテルシュド=ナザロフは71m70cmで21位に終わった。そしてあまり紹介されないがアジア大会3位は日本の土肥宏明。6月16日の順天堂大記録会で標準B記録を突破する74m08cm を記録し世界選手権に滑り込みで選ばれた。今大会は69m89cm 26位に終わったが彼こそ来年の北京五輪に出場してもらいたい。 そしてハンマー投げをもっとメジャーにしてほしいものだ。


明日は男子200mがある。 大阪の気温が少しでも下がる事を祈るよ。

でも明日は雨か???

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アスリートの涙 そして選手のユニフォーム

2007-08-26 | 陸上競技
大会二日目。最注目種目は男子100m決勝だった。 100m選手はリレーメンバーも兼ねているのでどうしても大会序盤に決勝戦が組まれる。しかしカール=ルイスの様な走り幅跳びにもエントリーする選手はどれだけいたのだろう?それどころか最近は200m にもエントリーする選手が少なくなった気がする。おそらくグランプリレースでは100mの記録に対して高額賞金が掛けられ、へたに200mに出て調子を落としたり怪我でもしたりするのを避ける為だろう。その100mの準決勝戦第一組。
日本期待の朝原は残念ながら10秒36で8位に終わり決勝進出はならなかった。しかし35歳にしてこれだけのパフォーマンスを維持するその競技姿勢は金メダルクラスだろう。この日準決勝に残った16人の選手で35歳になった時100mで10秒20を切れる選手がどれだけいるのだろう?レース後のインタビューで見せた男泣きにはジ~ンと来た。来年の北京五輪がいよいよ彼の最後になるのかなぁ? しかしその前にまだリレーが残っている。しっかりと休息を取ってリレーに備えてほしい。ところで彼の奥さんはサブトラックでレポートをしていた小谷実可子と話をしたかなぁ…..?



女子の砲丸投げ。昨年亡くなられた森千夏さんに続く日本女子スロワー、豊永陽子が登場した。第1投、第2投と伸びなかったが最後の3投目に17mを越え意地を見せた。決勝には残れなかったけど最後に観客から拍手が送られ感激の涙をみせていた。いぃなぁ…… この大舞台で今年のシーズンベストを出すのはさすがだ。彼女の自己記録17m57cmは彼女が2004年に出したもの。次なる目標は北京五輪出場だろう。世界選手権はA標準が18m30cm、B標準が 17m30cm 。北京五輪の標準記録はいくらだろう?そして亡くなられた森千夏さんの持つ日本記録 18m22 cm を目標にしていることだろう。この記録だとこの日の予選では12番目の記録となる。 



夜に行われたこの種目の決勝戦はニュージーランドのバレリー・ビリが自己新記録の20m54cmを第6投目に投げて優勝候補のベラルーシのナデジダ=オスタプチュクを逆転して金メダルを勝ち取った。オスタプチュクは予選では18m23cmしか投げられず決勝進出12人中最低の記録だった。そのオスタプチュクが決勝では第1投目で20m04を投げていきなりトップに立ち、ビリが最終投擲で20m54を投げて逆転をすると最終投擲者となったオスタプチュクも同じ様なところまで投げたのであるがあと 6cm 及ばなかった。 女子の砲丸投げは第1回のヘルシンキ大会優勝者も最終投擲で逆転し、感涙を流していた。名前を忘れてしまったが、共産国の選手だったので翌年のロス五輪には出場出来なかった。今大会優勝したビリ(優勝してもビリ?あぁ面白くない)はニュージーランド、マオリ族の様だ。地元でどの様に報道されているのだろう……

それにしても最近の女子選手のユニフォームはなんて刺激的なんだろう?あそこまで肌を露にする必要があるのだろうか?元々走り高跳びや棒高跳びの選手がユニフォームの皺でバーを落としてしまわない様にとこう言うコスチュームが登場したのだけど、今や種目を選んでいない様だ。そして美人選手が随分と増えたなぁ….. イシンバエワとか、至近距離で一度拝めないかな??競技中専用のコスメまであるらしい。これもプロ化の影響なのだろうか?

今男子100mの決勝が終わった。優勝はアメリカのタイソン・ゲイ。ラスト30mの加速はすごかった。タイムは9秒85。こんな走りを目の当たりにした長居競技場のスタンドにいた人々は本当に幸運であっただろう。テレビではカール=ルイスがコメントしている。彼はいまどうやって生計を立てているのだろうか?いやそれよりもあのベン=ジョンソンはどうしているのだろう。

成迫は残念ながら昨日の為末同様 100分の1秒に泣いた。韓国のU-17日本代表も得点1に泣いてベスト16を逃した。(関係ないか?) 
しかし女子400mの丹野は次にすすんだぞ。すごいなぁ。私が現役のときは女子400mは55秒代で優勝が決まっていた。あぁ隔世の思いだ.....



随分と遅くまで競技が行われているんだなぁ。終電に間に合わない人も出て来るんとちゃうかな?

そしていつも思う事

俺ももっと頑張ったらよかったなぁ

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IAAF 世界選手権開幕

2007-08-26 | 陸上競技
いよいよ第11回 IAAF 世界選手権。いわゆる世界陸上が開幕した。もう11回目かぁ….. 第1回のヘルシンキ大会から24年が経つのだ。俺も歳をとるわけで、大学生だったあの時 “いつか俺もこういう大会に出てやる。” と目標高く下宿の壁に “ International Championships in Athletics” と書いた紙を貼っていた。それを見た友人は “何やこれ??”って不思議がっていた。当時陸上競技の世界選手権なんて誰も存在を知らなかった。織田祐二君がもっと早く登場していたら陸上選手であった私にももっと同級の女の子も振り向いてくれていただろうか?
忘れもしない1983年、ヘルシンキで第一回のIAAF 世界選手権が開催された年、私は陸上競技を始めたのだった。もう大学生にもなってようやるわ、と言うのが周囲の空気だった。しかし自分は本気で“今年は1500m で4分20秒を切って2年以内に4分を切って、最後は3分40秒を切るんだ。”と目標を立てた。 4分を切るところまでは行ったのだがそれ以上は“予定通りに”には行かず挫折をしてしまったけど地区インカレで優勝を争ったり、日本インカレに出場したり今となってはいい思い出だ。
だがスポーツを全く知らない家内にとっては世界選手権レベルのスポーツイベントが開催される度にテレビを占領されるのでいい迷惑らしい。

今回はクーラーの付いていない自室でテレビ観戦。あぁ競技場の選手はもっと暑いんだろうなぁ…. 大会初日は男子マラソンに始まり、男子ハンマー投げの室伏、そして400mHの為末が出場する種目が並ぶ。女子マラソンを後に持ってきたり、初日に室伏、為末の登場する種目を選んだりと地元開催ならではのプログラム進行だ。
個人的な大会初日の興味は女子 3000mSC の早狩実紀選手と男子1500m の小林史和選手の二人だった。

早狩選手は京都出身。私が学生の時にはまだ中学生ながら京都では抜きんでた力を持っており高校生や成人を入れた中でも京都女子中距離界では敵なしといった感じで注目されていた。1991年東京で開催された世界選手権では既に3000m で日本代表として出場を果たし、今尚現役を続け、何より競技の取り組みに対する姿勢は“素晴らしい”の一言。私が現役時代にはなかった彼女の出場する3000m SC は非常に関心があった。しかし、レース途中で転倒。無念だった。いやもっとも無念だったのは本人だろう。しかしすぐに復帰しまた女子中長距離の国際舞台に戻って来る事を期待しよう。



男子1500mは自分がやっていた種目。私が現役時代は世界から大きく取り残されアジア大会以上の国際選手権大会に出場出来るなんてかんがえられなかった。しかし今大会は前回に続き小林選手が出場だ。小林の登場した予選2組は60秒、2分2秒、2分59秒というラップを刻み1着フランスのメディ・バーラはラスト400m を53秒。300mを 39秒台でしかも最後は余裕をもってカバーする走り。小林も1200mまで集団から離れずついて行き最後3分41秒19のタイムで9位に入りプラスに拾われて準決勝に進出した。1500m走は 800m ~1200m の走りが勝負を左右する。この400mは前の400mよりも5秒もラップが上がり、その上にラスト300m を40 秒内でカバーするのだ。しかも余裕を持って。1着のバーラは800m まで先頭集団の最後尾につけ、3週目で3位に上がりラストスパートで難なく1着を奪った。そして7着のニュージーランドのウィルスまでが団子状態でなだれ込み1着バーラとのタイム差は1秒53。そして8着メキシコのバリオスとウィルスとの差が0秒87,更に0秒14あいて小林だった。小林には準決勝では順位よりも日本記録更新を狙ってほしい。そうすれば決勝が見えて来ると思う。
でも3分40秒切りなんてどんな練習をすれば出せるのだろう? その前に選手の資質か??? 俺がこのレースに出たらどうなっていたやろう???

400mHでは成迫健児が見事に準決勝進出を果たした。為末は残念だった。この大会そのものを引っ張ってくれていたのに。昨シーズンは走力を上げる為にハードルレースに出場しなかったとの事だったが、それが裏目に出たか?最後あんなに顎が上がってしまったのを見た事がない気がする。それが0.01秒差で予選落ちに繋がってしまった。今年の日本選手権でも優勝はしたものの最後は成迫にかなり追い込まれてしまった。為末は走力を上げるのならば昨シーズン800mレースに出たのかな?400mHの選手は結構800mを走れると聴いたけど。私が現役時代関西では秋季インカレに400mHの選手が800mにエントリーするなんて,…. あまり聞かなかったなぁ。しかし当時400mHの第一人者だった順天堂大(当時)の吉田良一なんかは800mで1分51秒台を出していた。(その種目を専門にしていた俺の記録よりも早かった。)成迫には次のレースを為末、吉杉には来年の北京に向けてがんばってほしい。

100mでは大ベテランの朝原が準決勝進出を決めた。1次予選ではゲイ、2次予選ではパウエルと強豪と同組になりながらの勝ち抜きは素晴らしい。特に1次予選では第一組の出走で重圧もあっただろう。タイムも10秒14( 1次予選 ) 10秒19 ( 2次予選)と安定している。 100mのタイムの真の意味を理解している人は少ない。 100mレース、特に決勝までのレースでは次のラウンド、そして決勝を目指してほぼ同じような記録を持っているスプリンター同士が走るので必ず持ちタイム通りの結果に終わると言うレースは稀である。10秒1の記録を持つ選手はそれが最高記録であって常にそれを出せるわけではない。10秒4~10秒5と言う記録をコンスタントに出す力はあるが10秒3程度の記録は4,5回に1度は確実に出せると言うことである。それが10秒2のベストタイムを持つ選手なら更に0秒1ずつ記録がかわり9秒台の記録を持つ選手は同様に0秒1以上記録が良くなると言うことだ。従って同日に10秒20を連続で切った朝原の今の調子をはかり知る事が出来る。それに100m走と言うのは予想以上に“疲労”を感じる種目だ。明日は準決勝、決勝があるが、初日の疲れを全て取り除いて明日に臨んでもらいたい。 




それにしても暑いなぁ….. もう9月やぞ.....

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なにわの世界陸上…入場券余っとるんやてぇ….

2007-08-15 | 陸上競技
先週末家族で大阪に行った。
別に里帰りという訳では無く夏の家族旅行先が Universal Studios Japan に決められたからだ。決めたのは小学校6年生の息子。女房は北海道を希望していたのだが、元々今年の家族旅行は子供が中学に入学すると部活やら時間が取れないから計画されたもの。最後は息子の意見が尊重された。すったもんだの末に…. そして一家の主である私は口を挟むことも出来なかった…..
東京駅から乗り込んだ新幹線ひかり号が新大阪駅に到着するとそこは・・・・・雪国とは程遠い、熱帯そのものであった。

暑い。ほんまに暑いわ大阪は。小学校の時に社会の授業で、7月か8月の平均気温で沖縄を除いて一番暑いのは大阪や、てなろた事思い出したわ。嫁はんも、子供もこの暑さに閉口。ホテルに着いてしばらくしてバスでなんばにむこたけど、なんばに着いてバス降りたら夕方やっちゅうのにえらい暑さや、ほんまに。そこから歩いて10分足らず、戎橋のちょと手前のお好み焼き屋に入った。ここではお好み焼きは焼いて持って来てくれはるんで嫁はんも子供も楽でええ、その上旨い言うて満足やった。嫁はんは生中をジョッキで4杯も飲みよったわ。さすがにもんじゃ焼は焼いて持ってこられへんけど。そやけどなんで関東のもんじゃがここ関西で売ってんねん?俺は東京に出て来ても(19年も前やけど)そんなもんしばらく知らんかったぞ??
8時少し過ぎに店のねぇちゃんが、
“すんません。ラストオーダーが8時半になりますんで….” とすまなさそうに言いはるやないかいな? 

“えぇ?もうラストオーダーかいな?そんなはよ閉めるんかいな?” (こんな時 Native の大阪弁を話せるのは便利だ。)驚いて尋ねると、

“すみません、今日は暇なんで。それにここはバイトばかりなんです。”

そういえば1階席も暇やったなぁ。 でもお好み焼きも、生ビールも心行くまで頂いたし、満足して店を出て後は二人を道頓堀名所に連れて行くだけやった。  ええか、よう観とけよ、ここが道頓堀名物、 グリコのお兄さんや


かに道楽のかにや



そしてとどめは道頓堀のくいだおれや




あららどないしてん、その辛気臭い顔は?酒や酒や、酒持ってこい… あぁもう生中ようさん飲んだ後か?俺の2倍は飲んでいたなぁ。

なんやてぇぇぇぇ? かにとくいだおれの人形が小さすぎるて?  
当たり前田のクラッカーや、かにがもっと大きかったら落ちてまうがな、
人形があれ以上大きかったら店終わったらしまわれへんがな~。

“なんだかがっかり、もっと迫力あるのかと思っていた。グリコのお兄さんだけね。” こう言って嫁と子供はホテルに帰るべくバス停留所に向かったのでした。あぁ目出度くない….. グリコのお兄さんを見た息子がこう訊いてきた。
“あのユニフォームはいつも着ているの?” 
そうそうよう気が付いたなぁ。8月25日からここ大阪で開幕する世界陸上での日本選手の活躍を祈って大会が終わるまで日本代表のユニフォームを着ているんや、2002年のワールドカップの時はブルーのユニフォームだったぞ。
“そういえばカニもユニフォームを着ていたよ。” さすが倅じゃ。
“でもあっちのふぐは何も着ていなかった。” 
あぁしもたぁ、それはフグ料理で有名なづぼらやのふぐや。案内するん忘れてたわ。そやけどそれをみつけるのはさすが我が息子。お前にはなにわの血が半分流れ取る。
“でもパパはサンガのサポーターでしょ?親戚のおじさん達にいつも京都出身ですって言っていたじゃん。”
まぁ、物事には色々事情があるんや。東京ではなぁ、京都から言うた方が大阪から来た言うよりも受けるし、女の子からも興味を持たれるんや。昔ママと知り合った時もこの方法で。
“へぇ誰にでも京都出身って言っているの?”
そうそう、ママの時もその前も、その後も? あぁそんな事はどうでも、あほな突っ込みしなはんな。

ここしばらく8月25日から開催される陸上競技の世界選手権、所謂世界陸上の宣伝がテレビで繰り返されている。陸上競技出身者としては非常に興味のあるイベントだ。ワールドカップ程じゃないけど。その世界陸上のチケットの売り上げが非常に悪いらしい。まだ全体の4割程度しか売れていないらしく、大阪市職員を動員してチケット拡販にいそしんでいる事を大阪滞在中にニュースで視た。陸上競技と言えば五輪でも花形種目。第一回の世界選手権が開催された1983年ヘルシンキ大会では入賞者はゼロ。それに比べれば今年の大会は翌年の北京五輪をにらんで、上位入賞の期待できる日本選手も何人かいる。しかも地元開催。チケットの争奪戦がなされてもよさそうなのだが。その理由は簡単。市民マラソンが非常に盛んなのをみればそこに回答を見出せる。陸上競技こそDo ( やる )スポーツで、見て楽しむ要素がサッカーほど多くはないからだ。大学、社会人まで陸上を続けた私が言うのだから嘘じゃない。さらに最近の映像技術の発達からテレビで視た方が専門的によくわかる時が多い。もちろん間近で選手のパフォーマンスを視てもその迫力は伝わってくるけど。
そしてチケットの高さ。決勝の集中する午後セッションのS席が何と 14,000円 から16,000円也。確かにワールドカップのチケットも1次リーグではS席でも100ユーロ(今のレートで約16,300。当時のレートだと14,000程度か?)した。しかし陸上競技で延々90分間もする種目は無い、100mの決勝戦だとそれくらいの価値はあるかも。
それにどうも最近陸上の世界選手権の権威が五輪のそれと差が開いているのではないかと思わずにいられない。
第一回が開催された1983年は西側諸国のモスクワ五輪ボイコット問題もあり、久々にトップアスリートが揃った大会、また陸上競技がプロ化に進む入口の大会として世界選手権が開催されたと言う印象が強かった。その時代の寵児、カール・ルイスと言うスーパースターもいた。この年に陸上競技を始め、いつかこんな大会にと夢見たものだった。だがこの時は日本で陸上の世界選手権と言っても誰も知らなかった。
第二回の1987年大会はローマで開催された。自分も結構陸上競技の戦績が上がっていたときだったので自分の専門種目であった中長距離での黒人選手の上位独占が印象的。モロッコのサイド・アウイータ、ケニアのコンチェラーらの強さが今でも忘れられない。そしてこんな選手と走ったらぼろぼろに負けるやろなぁと、思った。まぁ一緒に走る事なんてなかったけど。そして注目の男子100m走のカール・ルイス対ベン・ジョンソン。ベン・ジョンソンが9秒83の驚異的な世界記録で優勝を果たし世界を驚かせた。ベン・ジョンソンは翌年のソウル五輪でも9秒79の記録で圧勝しまたも世界を驚愕させ、三日後の記者会見でベン・ジョンソンの尿サンプルから薬物使用が発覚し金メダルをはく奪すると言う発表がなされ3度世界を驚かせた。
東京で開催された第三回の世界選手権ではカール・ルイスが100mを9秒86の世界新記録で走り話題をさらった。そして日本勢は谷口浩美がマラソンで金メダルを勝ち取った。しかし、世界選手権はこれ以降2年ごとの開催となり、五輪との権威の差がまた開いたような気がしてならない。また選手達も賞金大会に出てその価値を高めようと五輪チャンピオンの称号を入手しようとする風潮が更に強くなった気がする。世界中の人々がFIFAワールドカップに熱中するのはその大会が4年毎と言う事も関係あると思う。また8月の残暑厳しい大阪で陸上の大会をというのも…. ならば気候の良い9月、10月にしてはと言う人もいるが、欧州では9月はもう陸上競技シーズン終盤。1991年東京大会を観戦にいったがその暑さには(そしてチケットの高さ 8,000円 だった。)には閉口した。
今年の世界陸上。スタンドで観戦したいのはやまやまだけど、自分は涼しい部屋で大型の液晶テレビでトップアスリートのパフォーマンスを堪能しよう。出来れば SUB Channel で実況抜き、現場の声援のみの放送でテレビ観戦と行きたいが…. でも実業団時代のコーチにも連絡しよう。只券余っていませんか?って。ただなら行こうか?でも宿泊代と交通費はどうしようかなぁぁぁ??

帰りの新大阪駅。大阪土産を子供と家内はうれしそうにいっぱい買いこんでいた。ずいぶん大阪限定のキャラクターグッズ、例えばキティちゃん、が増えたなぁ。でも私が上京する時にこんなのがあればもっと東京の女の子を口説けただろうに….. 息子が買ったキティちゃんのボールペン、誰にあげるのかは訊かない事にしよう…..

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箱根駅伝 あぁ自堕落な私....

2007-01-04 | 陸上競技
1月3日。目が醒めた時はもう復路の号砲が鳴っていた。先頭の順大、清野純一君は既に11km付近を通過。もうスタートしてから半時間は経過していた。“あらら、正月からご苦労なこっちゃな。”と呟きながら着替える。選手達はこの日の為に1年間、いや中には4年間必死に練習を積み重ねてきたのだ。かつて陸上競技に身を置いた私が自堕落しているに過ぎない。 外は昨日よりかは気温が高そう。そして何より無風状態。“これなら汗をたっぷりかけるぞ”とウィンドブレーカーの下には長袖のトレーナーを着込む。これで年末休暇は31日を除いて毎日走る事に。しかし、中々外に出られない。“1区の中継を見てから走ろう”と。現役時代は他人の走りなんてどうでも良かったのに。前日5区今井君の劇走で往路優勝を果たした順大。私の学生時代は全盛期。それはトラック種目も同じであったが、筑波大学にインカレで総合優勝をさらわれ連覇が途切れたのを思い出す。往路優勝は17年ぶりとの事、それは意外だった。この日の見所は2位以下の東海大、日体大、早稲田、日大あたりがどう追いすがるかと今年は10位まで拡大されたシード権争い。 6区を走り終えた小田原中継所では1位順大と2位東海大、皆倉一馬君との差は1分53秒。この区間で11秒離された。この山下り区間は今、順大の監督を務める仲村明氏が得意とした区間。確か1年生の時から走っていたと思う。彼は小柄だが市立船橋高校時代は5000mでインターハイ優勝をし、しかも全国高校駅伝では1区で区間賞も取っている。そして順大に進学し箱根駅伝4連覇のメンバー(4年の時は大東大が優勝)その後は富士通に入社しバルセロナ五輪では3000m障害に出場すると言う本当に羨ましい戦歴を持つ。(よく他人の戦績を覚えているなぁ、俺も)。彼が1年の時インカレの10000m走に出場したのを観た。(関西大や京産大の親しい奴等が出場したのでそいつらを応援していた。) 

勇みよく公園に駆け出したが、今日は気温が高く汗の出が早い。こりゃ、エンジンも早く掛かって昨日よりも走れそう。と思ったのが甘かった。5kmも過ぎれてもペースは上がらず、逆にばてが出てきた。結局昨日と同じ距離を走るのがやっと。汗だけはかいたからよしとしようと勝手に自分を納得させた。

帰ってテレビを点けると平塚中継所付近。順大、井野洋君がトップで現れる。だが追う東海大は7区で植木崇行君が区間2位の力走で差を1分25秒差まで縮める。10000m のタイムでは植木君の方が1分近く遅いのになかなかの力走。しかし順大は9区、10区に万全の信頼をおける選手を配置しているらしい。この区間にそういう選手を起用出来るのは本当に優勝を狙えるオーダーだ。だから8区で東海大は何とかしたい所。しかし順大との差は開くばかり。結局戸塚中継所では逆に差が2分8秒と開いてしまった。この時点でアクシデントでもない限り順大の優勝はほぼ決定的に。こうなってくると興味はシード権争いに向いてくる。6区を終えた時点では専修、中央学院、明治が10位以内におり、山梨学院大、神奈川大といった優勝経験のある大学や大東文化大、そして中央大の古豪が苦戦していた。前年11秒差でシード権を獲れなかった城西大も12位。そして前年王者の亜細亜大は順位を2つ下げ15位と大苦戦。7区に入ると、中央学院、専修、東洋大が7位グループを形成し、それを明治大が追う展開。平塚中継所では東洋大が少し抜け出し7位、以下中央学院、専修が争いながらなだれこみ、1分23秒置いて10位に中央大が浮上してきた。その後ろに城西、明治、山梨学院、亜細亜、大東大が1分以内に数珠繋ぎで入ってきた。8区に入ると中央大の森君、城西大の五十嵐君が並走。しかし五十嵐真吾君が区間2位の快走で森君を振り切り、中央学院、そして駒沢までかわして一気に8位に上がる。8区の区間賞は東洋大の北島寿典君で5位に押し上げる。この区間は先頭よりも中位争いが面白かった。9区に入ると城西、専修、駒沢が7位グループを形成。そして中央学院を抜いて亜細亜大が10位に浮上してきた。駒沢はここで順位争いをする様なチームじゃ無いと思ったんだけど。この区間は4年連続でここを走った順大の長門俊介君が区間賞。我が愛する母校、京都西高校の後輩、東海大の前川雄君もがんばったが差は3分20秒に。もう1000m 以上の差が開いているだろう。前川君は3年生ながら駅伝主将。来年もがんばってくれぃ。シード権争いでは亜細亜大の菊池昌寿君が区間2位の快走でチームを8位に押し上げる。そして中央大の徳地悠一君も区間3位の力走でチームを10位に押し上げシード圏内に入ってくる。そして城西が11位、中央学院が12位と順位を下げ。13位に山梨学院が続く。先頭を行く順大の松瀬元太君も快走に次ぐ快走で東海大の吉田憲正君をどんどん引き離す。そして日大の阿久津君が吉田君に迫る。吉田君の順大を追う力がなくなりつつあるのが目に見えてかわいそうになってくる。そしてシード権争い。中央、亜細亜、専修が8位グループを作り、それを11位で城西大が追う展開。まず専修大の木下君が抜け出る。これで専修は久々のシード権をほぼ手中に。そして一時は8位集団に30秒差に着けていた城西大の福岡功君がじりじりと後退しとうとう1分半の差に。表情を見ていても苦しそうだ。亜細亜大は“優勝校が翌年(アクシデント以外で)シード落ちする”というこれまでにない不名誉な事象は避けられそうだ。大手町のゴールには5区を走った主将の今井君をはじめ、順大の面々が揃う。女の子もいる、マネージャーかな?そして肩を組んで順大の校歌が始まった。そして松瀬君が優勝のテープを切り、歓喜の胴上げが始まった。仲村監督も映るが、老けたなぁ、と言うのが印象。2位には東海大を抜いた日本大学。そして東海大は3位。佐藤悠基君をはじめ、多くの選手が残るので来年は優勝を狙えるだろう。次々とゴールする選手達。城西大の福岡君は本当に申し訳なさそうにやってくる。そしてゴールイン後は座り込んでしまった。土下座をして謝っているみたいであった。挫折感を持って競技を辞めた自分はどうしても、歓喜をしている選手達よりも無念の表情を浮かべる選手達に目が行ってしまう。関西学連出身の私にとって箱根駅伝は完全な部外者。感動したのは80回大会オープン参加した日本学連選抜。5番目でゴールをしたが、アンカーの北海道大の片岡祐介選手が“日本学連選抜”と刺繍された襷を掲げてゴールインした時だけ。次に日本学連選抜がオープン参加したら何か差し入れに行こうと考えている。願わくは我が母校からだれか出てくれればいいのだけれど。

1年の時から毎年箱根に出場出来た選手もいれば、4年になって初めて箱根を走った選手もいる。そして4年間箱根を走れなかった選手。自らの選手能力を見限って裏方に徹したり、学連の方に転身したり。自分は学生の時はインカレや様々な大会に出場する機会に恵まれたが、実業団では裏方に回った。両方経験出来た事は今となっては素晴らしい経験と思い出だ。箱根駅伝だけでなく、同じ思いをしている学生やOB、OGもいるだろう。それが社会に出て役に立つとは思わない。しかし、それはかけがえの無い思い出に違いない。

最後に言わせてくれ。 がんばれ関西学連。高校生諸君。関西にいらっしゃぁぃ。

お正月目立つは関東学連ばかりなり

2007-01-03 | 陸上競技
ニューイヤー駅伝、天皇杯決勝戦の翌日もウィンタースポーツは続く。全国高校サッカー、全国高校ラグビー。
そして全国大学ラグビーに関東学生対抗箱根駅伝。学生時代に陸上競技の経験があると言うと必ず尋ねられるのは“箱根を走ったのですか?”それは学生時代にも幾度と無く受けた質問だ。陸上競技経験者ならまずそういう愚問は浴びせて来ない。その度に(たまには怒りを抑えて)“箱根駅伝は関東学生対抗駅伝で、私は関西学連所属なので箱根には出られないのですよ。” 私が現役時代の1985年度日本100傑を見ると大学生で28分台を出したのはわずかに2名。それも我が関西学連の京都産業大学の選手達。29分30秒を切ったのは更に4人しかおらず、そこにも京産大の選手が一人入っていた。この年の全日本大学駅伝ではその京都産業大学が全国優勝を果たし、我々の溜飲を大きく下げてくれた。当時、全日本大学駅伝は箱根駅伝の開催された後の2月に伊勢路で開催され、その年の箱根駅伝で優勝した順天堂大学は全日本駅伝には出場して来なかった。しかし、例え順大が出て来ても京産大が勝ったと思っている。1986年度からテレビ中継が始まり、今やお茶の間では正月の定番となっている箱根駅伝。その当時、アフリカ人留学生を擁して箱根路に参戦してきたのが山梨学院大学だ。この箱根駅伝のおかげでその大学名は全国に知られる様になり、関東の大学は次々に箱根駅伝に向けて長距離部を強化し始め全国の有望な高校生は箱根路に繋がる関東学連を目指すようになった。そして関西学連や箱根に関係ない大学が存在価値を示す全国大学駅伝は1988年度から11月開催になった。しかし、この駅伝大会も今や上位10校までが関東勢が占める。はっきり言って関西地方には20km走の練習が出来る様な所が少なく距離が長ければ長くなるほど不利になる。従って出雲駅伝が最もチャンスのある駅伝大会と考えるが。

午前8時に号砲がなり、出だしから東海大学の佐藤悠基君が格の違いを見せる。区間新記録の快走で2位東洋大の大西智也君に4分1秒の差を付ける。1977年、第53回大会で優勝した日体大は1区から首位を独走しての優勝だったが、この時の1区はその年の9月にソウルで1500mの日本記録を樹立した石井隆士先生だった。(この話を当時東海大の選手として参加した高校の先生から聞いた事がある。)2区では山梨学院大学のモグス君が最初の3km を8分3秒、5kmを13分30秒の驚異的なスピードで2位に躍り出るが後半は失速区間6位に終わる。満を持して徐々にペースを上げた早稲田大の竹澤健介君が区間賞を取り3位に上がる。東海大は伊達秀晃君は区間2位の好走で東洋大学との差を4分11秒に。東洋大も1区が2位。2区も区間3位となかなかの力走だ。だが3区では早稲田が順位を2位に上げる。駅伝の序盤は順位よりはタイム差が大切。早稲田大学は1区の阿久津圭司君が9位であったが2位東洋大とは32秒差。2区は竹澤君は先行する大学を目標に走ることによって区間賞を引き出し、そして3区では藤森憲秀君が区間3位の力走で2位に上がった。そして東海大の3区藤原昌隆君は区間18位と伸びず、2位早稲田は2分13秒差に迫る。しかし早稲田の4区本多浩隆君が区間14位と遅れ4位に後退。3区ダニエル君、4区中原知大君がそれぞれ区間2位の快走で日本大学が4区の小田原中継所で3位に浮上して来た。そして東洋大がまだ2位で粘っている。第4区は昨年から距離が18.5kmに短縮された。それが各大学微妙に影響しているか?だが4区の区間賞は順天堂大の佐藤秀和君。この区間10000m の持ちタイムが28分10秒と他の誰よりも優っているが、他の選手はみな29分台。短い距離のこの区間では比較的力の劣る選手が起用されるが、ここの他校ではエースクラスのタイムを持つ佐藤君をぶつけるあたり順大の試合巧者ぶりが伺える。2区を終えて戸塚中継所ではトップの東海大と6分36秒の差をつけられていた順大が4区を終えた小田原中継所では順位は5位ながら東海大との差は4分9秒になっていた。順大の5区は昨年山登り区間で5人抜きを演じた今井正人君は小涌園前を少し過ぎた15km程の地点で先行する東海大の石田和也君を抜き去りそのまま快走。昨年の記録を25秒上回る区間賞、区間記録で順大の2年連続の往路優勝に導いた。東海大は順大と1分42秒差の2位に踏み止まり復路に期待を残した。3位には5区を区間4位で3人抜きを演じた北村聡君の日体大。以降早稲田、日大、中央学院、駒沢、専修、山梨学院と続き序盤健闘した東洋大の往路は9位に終わった。昨年度優勝を果たした亜細亜大学は順大とは7分16秒差の13位と往路は出遅れた。昨年往路はトップ順大とは2分51秒差の6位からの追い上げ。しかも先行する順大、駒沢の選手にアクシデントがあっての逆転劇。今大会9区、10区に10000m28分台の選手を配置するが、逆転優勝は厳しいだろう。目指すはシード権獲得か? 一昨年まで大会4連覇を果たした駒沢大は復路もまだ5000m14分1桁秒台、そして13分台の選手が登場するが順大との5分32秒差をどう克服できるか?また予選会20km走1位の専修大、座間紅弥君は2区で区間5位。2位だった中央学院大の木原真佐人君は同じく2区で7位、3位の早稲田大、駒野亮太君は山登りの5区で4位と力走した。また関東インカレポイントの恩恵を受けて予選会を突破した国士舘は19位。18位国学院大にさえ5分16秒あけられた。予選会で涙を呑んだ拓殖大の為にも奮起を期待する。
4区まで独走だった東海大の往路2位は計算通りかどうかはわからない。しかし、1区で佐藤悠基を使ったのは少し勿体無かったか?1区は好位置につけて(勿論1位なら最も良いのだが)2区、3区で首位固めに入った方が後続に良くは無かったか? 楽しみなのは主将の前川雄君。我が母校京都西高校の出身なのです。彼を応援してあげてください。 さて、明日は何km公園を走れるかな? 

そして大学ラグビーは大阪体育大も京都産業大も敗れてしまった.... 来年こそはと思いながら20年近く待っているなぁ.....

新春 駅伝実力日本一 !!

2007-01-01 | 陸上競技
子供の時1月1日はサッカーの天皇杯の決勝戦をテレビ観戦するのが楽しみだった。親父がヤンマーディーゼルの社員で職場に釜本や吉村をはじめサッカー部の社員がいたので特にヤンマーが決勝戦に残った時は楽しみだった。ある年東洋工業に負けて同じ職場の人であろう同僚から電話が掛かって来て”ほんまにもう、あいつら仕事始まったらしっかりせぇって言うたらなあかんなぁ”と言っていたのを思い出す。Jリーグ発足前は天皇杯がサッカー選手の世間への存在価値を示すイベントでもあった。
そして21世紀を向かサッカーの天皇杯決勝戦も少し価値観が変わった様だ。
1月1日を国立のピッチで迎える。それが日本でサッカーをプレーする選手の至福と聞いた事があるが、今は陸上競技の長距離種選手達も上州路で走る事に誇りを感じると多くの現役選手達が思う事だろう。1月1日に開催日を決定したのは、冬場にマラソン、他の駅伝大会と開催が重ならない日程を探した結果と世間にインパクトを与える為で、1987年度の大会から開催日を1月1日に決められ、今やニューイヤー駅伝の名で正月の“定番”となった。(1988年1月1日に最初のニューイヤー駅伝が開催)日本テレビが前年、関東大学対抗箱根駅伝のテレビ中継を始めた事へのTBSの対抗策でもあった。 
私もこのニューイヤー駅伝には思い出がある。所属チームが東日本実業団駅伝を突破し連連続出場を果たしこの上州路に乗り込んできた。しかし私は補欠にも入ることが出来なかった。それにむしろ安堵感を覚えた。日本を代表するランナーに次々と抜かれる醜態を全国放送で晒されるのが怖かったからだ。まぁこんな調子だからすぐに挫折をしたのだろう。 今年の見所はコニカミノルタの3連覇がなるかと中国電力、日清食品、がそれを阻むか?そして旭化成の復活は。また自衛隊体育学校がどれだけトップ10に近づくかと陸上自衛隊第13旅団がどこまでがんばれるか?であった。 今年でニューイヤーとしては20回目となる実業団駅伝。本当に景気の波に翻弄されるのがその勢力図だ。自衛隊体育学校は数年間出場権を得られない時代があった。それはバブル景気に拍車が掛かったときに新実業団が設立または既存のチームがチーム強化の為に本社からの投資が計上され、主力選手達が引き抜かれていったからであった。当時は体育学校のみならず社会的に知名度の低い実業団から有望選手がよく引き抜かれ、陸上競技界では問題になっていた。しかし、バブルが弾け景気が後退すると運動部を廃部、休部する企業が続出。陸上部とて例外で無く、景気に左右されない自衛隊に選手が集まる様になり1993年度から14年連続でニューイヤー駅伝に出場している。また体育学校の選手達の待遇も良くなり、自衛隊の練成に長距離走を重視する様になった事から第13旅団や昨年記念大会の為に出場枠拡大の恩恵を受け滝ヶ原自衛隊が上州路に登場するようになった。滝ヶ原自衛隊は夏の富士登山駅伝で有名だ。
レースは昨年の気温零下1.5度と言う極寒の天候とは異なる穏やかな天候の中1区では予想通りムサシ(スズキ)ムワンギ(NTN) 、ダビリ( 小森コーポレーション ) の外国人ランナーが上位を独占。続いて3連覇を狙うコニカミノルタの松宮隆行が4位に続き、ホンダの石川が5位。そして何と自衛隊体育学校の室塚健太がトップのムサシと40秒差の34分56秒で6番目で2区に繋いだ。昨年は1区でトップのムワンギ(当時はJAL AGSに所属)から1分19秒遅れで32位と出遅れただけにこれは期待の持てるスタートだ。そして2区のエース松村真二も区間8位の力走。終盤やや追い込まれたが7位で3区に渡す。しかし、3区岩瀬真は区間31位で順位を15位に下げ4区谷末勝利も区間21位で順位を20位まで下げてしまった。5区の橘義明は昨年同区間を区間7位の力走を見せただけに挽回を期待したがタイムは昨年より56秒劣る区間24位で順位も1つ上げるに留まった。 一方の優勝争い。3連覇を狙う1区4位のコニカミノルタは2区大田崇が区間13位のブレーキで10位に順位を下げ、3区の松宮裕行は何と区間27位の大ブレーキで17位に転落してしまった。3区から主導権を握ったのは日清食品と旭化成。2区で6位の日清食品は3区でゲディオンが30分43秒の区間賞でトップに立つと4区では丸山が区間13位ながらトップをキープ。旭化成の4区白石賢一は区間4位29分41秒の力走で迫るが日清食品3区ゲディオンの貯金が大きくトップとの差はまだ1分6秒あった。それにしても外人パワーには脱帽だ。3区ではカリウキが区間2位の快走で豊田紡織は2位に浮上している。早い区間に外人ランナーを配置し上位に顔を出せばそれだけ宣伝効果も大きいと言う作戦、いや社の方針か?しかし、5区から昨年2位の中国電力がレースの主導権を握る。佐藤敦之が区間記録に17秒及ばぬものの区間2位の坪田を1分12秒離す45分14秒の区間1位で6人を抜いてトップに躍り出る。旭化成小島忠幸が区間5位の46分50秒。日清食品の10000m27分台の記録を持つ大島健太は区間22位の47分53秒。当面のライバル達をぶっちぎっての価値ある区間賞だ。そして尾崎輝人も33分49秒の区間賞でアンカーに襷を渡すが、彼のスタートからの疾走が勝負を決定付けた。あっと言う間に日清食品、板山学、旭化成足立知弥の視界から消え、結果的に取り残された二人が並走。その二人はお互い牽制し合ってしまい更に差を広げられることになってしまった。中国電力のアンカー尾方剛は落ち着いた走りで区間5位の走り。とはいっても区間賞の大塚製薬、井川重史とは5秒差の45分50秒。ゆうゆうと3年ぶり2度目の優勝テープを切った。優勝タイムは4時間47分2秒。昨年のコニカは4時間44分54秒だった。中国電力の坂口監督は“5区(佐藤敦之)まで3分以内の差なら大丈夫”とレース前に解説の瀬古利彦氏に語っていたらしい。坂口監督は早稲田大学出身で箱根駅伝優勝のメンバー。卒業後はヱスビー食品に進み瀬古利彦氏と共に実業団駅伝でも快走を見せた。そして5区の佐藤敦之も早稲田大学OB。さすが早稲田学閥。2位は昨年8位の旭化成。3位には昨年10位の日清食品。3連覇を狙ったコニカミノルタは4位。4区磯松大輔が29分37秒で区間2位。続く坪田も区間2位と追い上げたが前半のブレーキが痛かった。松宮兄弟はむしろ1区の松宮隆行が不調を伝えられていたが。昨年3位の富士通は序盤の出遅れが響き10位。自衛隊体育学校は6区横山大三郎が35分6秒の区間23位で22位に順位を下げた後アンカーの濱砂篤彦が区間12位の力走で17位に順位を上げてフィニッシュ。前年より順位を1つ下げ、タイムも2分7秒遅い4時間52分55秒。昨年の記録4時間50分48秒なら今年は10位富士通と並ぶのにと言うのは浅はかな“胸算用”だろう。昨年は出だしが区間32位と出遅れたところから徐々に先行するチームを抜き6区では濱砂が区間2位の快走を見せるなど追い上げての16位。今年こういう快走がもう1区間あれば順位はもっと良かったかもしれない。来年以降の課題だろう。そして第13旅団。1区と5区で区間36位になった以外の5区間では全て最下位の37位。5区の区間36位もホンダの選手が体調不良を起こした為。総合タイムも昨年より6分46秒も下回る5時間16分26秒。36位のNTT西日本とも11分52秒開いた。豊富な練習時間が強みのはずだ。来年は1つでも順位を上げて欲しい。
今夏の世界選手権、そして来年の五輪に向けてマラソンだけでなくトラックでも標準記録を突破してくる選手がもっと出てきて欲しい。とはいっても、私よりもずっとすばらしい選手ばかりなので口ははさめません。
俺ももっと練習すればこの大会に出れたかなぁ?いや、ぼろぼろに抜かれる醜態は晒したくなかった。だから辞めてしまったんだなぁ…. 明日朝、また公園をはしるぞぉ。体重落とすために。

アジア大会 陸上競技 もっと練習してたらなぁ?

2006-12-19 | 陸上競技
投擲種目 室伏がいればなぁ….
男子では槍投げで村上が銀メダル、ハンマー投げで土井が銅メダルを獲得。女子は槍投げで海老原、ハンマー投げでは綾真澄がそれぞれ銅メダルを勝ち取った。またメダルに届かなかったが室伏由佳が円盤投げとハンマー投げでそれぞれ4位に入賞した。 投擲で見ていて面白いのは槍投げ。(しかし、当の選手達は大変だろう。)この種目ほど大会までの個人記録があてにならない種目は無い。男子のベスト記録を持つウズベキスタンのボイノフ(男子 84m40 ) は66m89cm で9位に終わり、女子も中国の XUE Juan ( 女子 61m58 ) は55m12cm で6位に沈んだ。ドーハの予想以上に低い気温が災いしたのかもしれない。槍投げ以外の男子の投擲種目では中東勢がメダルを占めた。技術力の要する割合の高い槍投げでは優勝が韓国の朴 2位に村上、3位に中国の李と東アジア勢が占めた。村上は2大会連続の銀メダル。今大会こそはと、意気込んでいただろう。砲丸投げでは優勝したサウジアラビアの AL HEBSI  2位でアジア記録保持者の地元カタールの AL SUWAIDI 共に 20m スロワー。3位には台湾の CHANG Min Huang は自己ベストだが 19m45cm。 アジアでも20m を越える争いとなった。 女子はハンマー投げの ZHUANG Wen Xin は自己の持つアジア記録を更新する 74m15cm で貫禄の優勝するなど殆どの種目を上位独占。 そんな中で光ったのは槍投げの金メダリスト、タイの PAMAN Buoban 。身長166cm 体重56kg の華奢な体格ながらただ1人60m ラインを越す記録で優勝をさらった。3位の海老原も 164cm と小柄。この種目は体格で無い。技術力だ。来年の世界選手権でタイの PAMAN は上位に進出するか? この種目の男子のアジア記録は17年前、1989年5月に日本の溝口和洋が出した 87m60cm。槍の規格がまたまた変わったのかな?誰か教えてください。 ハンマー投げの室伏広治の欠場は痛かった。優勝したタジキスタンの NAZAROV の記録が 74m43だったので出ていれば確実に金メダルだっただろう。その分来年の大阪と再来年の北京で取替えして欲しい。
そして今夏急逝された女子砲丸投げアテネ五輪代表の森千夏さんの姿がここに無いのが残念だ。

跳躍 池田、沢野 世界を目指せ
男子の走り幅跳びは中東勢が上位を占めた。(1位 AL SABA 8m02 サウジアラビア 2位 ALHADAD 7m88 クウェート 3位 BIN MARZOUQ 7m69 ) 元来の身体能力の高さを生かす様になってきた。この大会には出ていないがアジア記録保持者のサウジの ALKHUWALDI の記録は 8m48cm 世界大会でも十分上位を狙えるハイレベルな記録だ。女子の走り幅跳びでは急逝された森千夏さんの親友池田久美子が 6m81cm の好記録でこの種目36年ぶりの金メダル。彼女の次なる目標は中国 YAO Wei Li の持つ 7m01cm 北京までにこの記録が出れば上位入賞も見えてくる。走り高飛びではただ1人2m30cmを越す記録を持つ男子の醍醐直幸が期待されたが2m23cmの同記録でレバノンの RABBATH カザフスタンの ZASSIMOVICH の後塵を拝した。 女子も青山幸は5位に終わった。しかし今大会、青山を含めて8人の選手が190cm 以上の自己記録を持つ。80年代、190cmを出せば世界年間50傑入り出来た。今はどうだろう? 過去のアジア大会では佐藤恵がソウル、北京大会と2連覇を収めた。三男子のアジア記録は1984年朱建華が当時の世界記録として樹立された 2m39cm だがこの朱建華でも五輪、世界選手権では3位が最高であった。 三段跳びでは男女共に今回は派遣選手はいなかった。大昔は日本の男子はお家芸。今の日本記録はどれくらいだろう?私が学生時代は筑波大の山下訓史が17m を飛んで大騒ぎした事を憶えている。 そして棒高跳び。ただ1人5m80cm以上の記録を持つ男子の澤野大地は3回の試技で5m60cmをクリアし貫禄の金メダル。続いて狙った5m80cm はクリアできなかった。彼の目標もアジア記録 YEGOROVが1993年の世界選手権で出した5m90cm だろう。この大会で跳躍種目でもアジアのトップクラスは世界で戦えるようになった事が証明された。でも跳躍の選手達。競技中は寒そうだったなぁ…

障害(短距離) 400mH はお家芸 
男子400mHで成迫健二が金メダルを獲得した以外の種目は中国勢が占めた。男子400mH では為末が出ていなかったが、成迫の47秒台はワールドクラス。私が高校の時に長尾隆史が49秒59を出して以来、吉田良一、大森重宣、山崎、苅部とワールドクラスの選手が続く。日本選手の目標は2000年にサウジアラビアの AL SOMAILY が出したアジア記録 47秒53だろう。この種目の更なるレベルアップがマイルリレーの好記録にも繋がる。110mH の中国の五輪金メダリスト LIU Xiang 。12秒台の走りを見たかったが13秒15 で余裕の1着。来年大阪の世界選手権では12秒台を出してくれるだろう。もちろん地元北京五輪でもだろう。 女子400mH で銀メダルを獲得した久保倉里美は福島大学出身。この大学は優秀な女子短距離選手を輩出している。何か秘策でもあるのかな?

競歩 10km と 50km は?
今大会は男女共に20km 種目のみ。共に中国勢が優勝した。日本勢も女子の坂倉良子が中国勢の間に割って入り銀メダル。男子は森岡が銅メダル。山崎が4位であった。女子は早くから 10km で世界のトップクラスに仲間入りしていた。かつては東ドイツ、メキシコ、ソ連が随分強かった。旧ソ連邦が崩壊した今、勢力図はどうなっているのだろう?

混成 出でよアスリート達
かつてアジアの選手がこの種目で世界のトップを争った事がある。Yang Chuan Kwang と言う台湾、高砂族の選手だ。1960年のローマ五輪では留学先の U.C.L.A. の僚友 Rafer Johnson と激戦の末銀メダル。この Rafer Johnson は後のロス五輪での最終聖火ランナーに選ばれた。4年後の東京五輪では不運が彼を襲う。棒高跳びが得意な Yanng を狙ってか? IAAF は棒高跳びのポイントを改正。その結果棒高跳びのポイントが 501点も低くなり、東京五輪では5位に終わった。これがアジアの選手でなく欧米の選手ならルール改正は無かっただろう。
スポーツの世界にあってはならない事では無いか? 世界と戦えるアジアの選手は出てこないか?出来れば日本から。 

中距離 移民勢が独占?
男子は800m, 1500m 中東勢が独占と言うよりも移民勢が独占だ。800m で優勝したアジア記録保持者バーレーンの KAMEL Yusuf Saad はケニヤ出身。カタールの AMER Albadori Salam はスーダンの生まれ。1500m ではアジア記録保持者で3位に終わった RAMEL はモロッコ出身。優勝したカタールの BASHAIR はケニヤ。銀メダルの カタールBELAL もアフリカ出身では無いか?1986年ソウルでのアジア大会1500m で本田技研所属の大志田が金メダルを勝ち取って以来日本人選手の中距離での金メダルは無いが、これだけアフリカ選手を輸入されれば彼以来の優勝者は非常に難しい。 女子も800m 1500m の2冠を制したバーレーンの JAMAL Maryan Yusuf はエチオピア生まれ。彼女に次いで2位となった日本の小林裕梨子は正真正銘のやまとなでしこで将来が楽しみな17歳の関西娘だ。 
だがそれよりも私はこの種目で、特に男子はもっと記録が向上しても良いと思う。400m, 400mH でワールドクラスの選手を出し、しかも高校生のレベルは物凄く上がっているからだ。問題は駅伝嗜好が大学以降は強すぎて、良い素材がそちらに獲られてしまう事だ。実業団レベルではもう中距離選手なんか興味を持ってもらえない。 私も大学時代はこの種目を専門にし、実業団に進んだがあっさり長距離に転向させられ、挫折した。 大学卒業してもまだ年齢的に伸びる予知のある種目と思うが。一時800m では森本葵先生の日本記録 1500m では石井隆士先生の記録が何十年も残っていた。欧州ではレース展開がよく変わり、その上スピィーディーな最も人気のある種目が中距離走だ。 日本と韓国、中国を入れて、中距離種目専門のグランプリをおこなってくれないかなぁ? 五輪標準記録挑戦会でも良い。20歳未満のジュニアの部も併設すれば幅が広がると思う。 このへんもっと陸連は考えてくれないかな?

来年は大阪で世界選手権が開催される。おそらく入場券は高い高い金額になるだろう。1991年の東京大会の時は 8,000円もしてたまげてしまった。 後に実業団時代のコーチから“何だ。入場券ならやったのに。”と言われた時は呆然としてしまった。 来年は先のコーチのお願いしよう。

こういう国際大会を見る度に思うのだ。“もっと練習しとけば良かったなぁ。” 練習を積めば国際クラスの選手になれたかは判らない。多分難しいと思う。だから辞めたんだけど。 でも応援する気持ちは変わらない。明日は久々に会社帰りに本屋で陸マガでも立ち読みしようかな…..

アジア大会 陸上競技総括 その1

2006-12-18 | 陸上競技
ドーハで開催された第15回アジア大会は無事に終了した。金メダル獲得数では中国がダントツの 165 個。これは2位韓国 58 , 3位日本 50 , 4位 カザフスタン 23 、5位タイ 13 を足してもまだ及ばず、6位のイラン 11 7位ウズベキスタン 11 を合わせてようやく同数になる。それでも“まだまだ強化は途上段階に過ぎない”と関係者が語るように2年後の北京五輪を控えてまさに強化中といったところだ。

大会7日目より始まった陸上競技。日本の金メダル数は5個。前回の釜山大会では2個だったので躍進と言えるか?それでも70年代は二戦級を送ってもメダルを独占していたのが80年代に入り陸連が“トップクラスをおくらねば”とコメントしたのを思い出す。それだけに前回釜山大会は低迷したのだなぁとおもう。
大会前の日本陸連の試算では金メダルは5個~6個と言われていたが、ハンマー投げの室伏広治が怪我で棄権をしなければもうひとつ上積み出来たと考えられるので、順当な結果だったのかもしれない。しかし、ここ十年ではアジア陸上界も様変わりを見せている。

激変するアジアの長距離界
これまでトラックを含めたアジアの長距離界、かつては日本、それに韓国。女子は中国、日本といった東アジア勢が牽引してきた。今大会の長距離種目のメダリストは下記のとおりだ。

5000m
KURUI James Kavalic カタール
JAWHER Mucheru Salem  バーレーン
ZAMAN Sultan Khamis    カタール

10000m
MAHBOOB Hasam バーレーン
RASHED Essa Ismal カタール
ISA Aadam Ismael   バーレーン

マラソン
HAMI Mubarak Hassan カタール
YASEEN Khalid Kamel  バーレン
大崎悟史 NTT 西日本

3000mSC
SALEM Tareq Mubarak バーレーン
SALEM Gamal Belal カタール
LIN Xiang Qian    中国

カタール、バーレンのメダル争いに日本と中国が僅かに一矢報いる結末に。しかし、地元カタール勢では KURII, RASHED, HAMI, SALEM は2005年にケニアからそして ZAMAN がブルンジから“移民”してきた選手。バーレーン勢でもYASEEN が昨年にケニアからの移民組。他のメダリスト達もアフリカからの移民選手かも? アジア記録も今や 3000mSC, 5000m, 10000m はカタール勢が占める。日本陸連は今大会のマラソンで金メダルを獲れば日本代表に内定すると発表したものの内定者は決らなかった。ソウル、釜山、広島、北京でのアジア大会は秋季に開催されたがバンコックやドーハの様な暑い地域での開催は12月だ。実業団駅伝などのイベントが控えており、ベストメンバーを起用出来たかはわからない。かつてアジアではお家芸だった 3000m SC には選手がエントリーされていない。1986年のソウルでのアジア大会は中山、谷口、そして瀬古、新宅、金井らヱスビー勢が出場したが、それは2年後に控えたソウル五輪の“下見”を兼ねての出場だった。いまやカタール、バーレンの選手達は長距離トラック種目では“ワールドクラス”の実力だ。今年アジア記録を出したカタール Shaheen のタイムは12分51秒98 その他5000m 金メダルの KURUI, 銀メダルの JAWHER は12分台が自己ベスト。4位の前田が13分39秒42。レース展開を見ても 2000mから3000mのラップタイムが2分39秒に急激にペースがあがり、最後の1000m が再び2分31秒。ラスト1週が 53秒8 日本の国内レースでもラスト1周を55秒でカバーする選手を見たことはあるが、それまでのラップタイムで1000m が2分30秒台などと言うレース展開ではなかった。アジアでもトラックレースで日本人選手は太刀打ち出来ないのか?
女子は10000m で福士加代子が貫禄の金メダルを勝ち取ったのを始め、銀2個 ( 5000m 杉原 マラソン 島原 ) 銅2個 ( 10000m小南 マラソン小幡 ) と長距離王国の面目躍如だ。特に福士はレース開始から常にラップを取る独走。2年後の北京ではメダルなるか? 男女マラソンに言える事は今大会にはまだエース級を送っていない事で、これまで男子マラソン大会4連覇を続けていた韓国マラソン界は深刻な状況らしい。 しかし日本男子もエース級を送ったところで今回の HAMI , YASEEN と互角に走れただろうか? 更なる飛躍を期待したい。

進化する短距離陣
かつてこう言われたことがある。“マラソン、長距離はビジネスクラス。短距離、フィールドはエコノミー。中距離は席が無い。”しかし、今やビジネスクラスとエコノミークラスの席替えがなされている様だ。 100m (伊東10.00 ) 200m ( 末続 20.03 ) のアジア記録は日本人が保持している。 ただ不気味なのはサウジアラビ勢。男子100m 決勝の前は日本の塚原、小島が自己記録では1位、2位 だったが優勝をさらったのはサウジの HABEB 。カタールと言う“地の利”を生かしたのと、スタミナが有る様な感じがした。しかも大会公式ホームページには彼の自己記録が記されていない。不気味だった。レースを複数走る大会ではスタミナは大切だ。1本だけでよいグランプリレースには強いが何本もレースを走る五輪や世界選手権、アジア大会の様な大会で結果が出ない選手はスタミナ不足で肝心の決勝戦で結果が出ないという事。アテネ五輪で結果が出せなかった末続はまだスタミナが発展途上過程ではなかったか?このアジア大会から翌年の世界選手権、翌々年の北京五輪に向けて“持久力”の向上にも取り組んでいるのでは無いか? リレーは残念な結果に終わった。 4 x 100m リレーは日本では本命視されていたが、実は優勝したタイも今年に国内記録を更新したばかりでタイでは期待されていた種目。それに100mは3位に SONDEE が銅メダルを採っている。そして1970年代には日本のスプリンターと激戦を交えたラタナポールというランナーがいた短距離“伝統国”。マスコミが考えているほどの番狂わせでは無いと思う。
それよりも 4 x 400m リレーでメダルに届かなかったのが無念だ。男子400m では高野進以来、世界を走れるランナーが出てこなかったがここに来て底上げが出来てきた。山口有希が 45”18 金丸裕三が 45”41 。山口の記録はエントリーされたランナーの中では優勝した、ただ1人44秒台をマークするサウジアラビアの AL BISHI に次ぐ2番目だったのでメダルの期待もあったのだが。2人とも関西人。金丸はまだ19歳。更に進化を続けて欲しい。高校生諸君。君達にもチャンスはあるぞ。そして北京ではリレーでメダルを。
女子はかつて磯崎公美が1982年のアジア大会で 200, 400m を制した伝説がある。しかし、今は旧ソ連邦が入ってきたり、スリランカの英雄 SUSANTIHKA ( 1997年アテネ世界選手権200m 2位 シドニー五輪 200m 3位 ) らの地域の選手が台頭している。100m 金、200m銀 のウズベキスタンの KHUBBIEVA の自己ベストは11秒27。200m ではアジアではまだ23秒台で優勝争いをしているレベルだが 400m では51秒台でメダル争いをする様になってきた。そこに日本の丹野が銅メダルを採ったのは大きいと思う。私の現役時代、日本の女子は国内の大会では100mは12秒台 200m は24~25秒台。400m は55秒台で優勝を争っていた。リレーでは 4 x 100m で中国に次いで2位。アテネ五輪ではリレーが派遣されたが、次の北京でも。そして一つでも上のランクをと願う。
最近はフィリピン勢の名声を聞かない。女子100m ではリディアデ・ベガがニューデリー、ソウルとアジア大会2連覇を果たした。そして1960年代、戦前はフィリピンスプリンターといかに戦うかが日本短距離界の課題でもあったらしい。フィリピーナと結婚された知り合いが“嫁はんの弟が走るの早くて、フィリピンのある国内大会で優勝して、会社から褒美でスクーターを貰いよったわ。”と教えてもらったことがある。今、この国は陸上競技どころではないのかな?   続く