Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

UEFA Champions League 準々決勝 オランダ人対決

2006-03-30 | EURO Football
私が初めて欧州カップ戦を観戦(テレビだけど)したのは1992年の Champions Cup の決勝戦だ。ウェンブリーで行われた Barcelona vs Sampdoria Genoa の一戦を出張先のポーランドで観た。当時はまだコマーシャリズムが蔓延しておらず、欧州にいれば、大抵地上波でこういうビッグゲームが楽しめた。当時日本はオフトジャパンが出航しようとしており、帰国直後にキリンカップを観たのを思い出す。試合内容はスペクタクルなもので、何度も両チームのゴール前の攻防が見られた。延長後半にバルセロナはゴール前約25mで得たフリーキックをクーマンが豪快に直接蹴り込み激戦に終止符を打った。サンプドリアにはジャンルカ=ビアリやロンバルトらがいて、バルセロナはヨハン=クライフ監督に率いられていた。クーマンは1987-88 にもPSVアイントホーフェン在籍時代に Champions Cup で優勝しており、ベロデヂッチ(ルーマニア:Steaua Bucuresti, Crvena Zvezda )に次いで二人目の異なったクラブでこのタイトルを勝ち取った選手となった。そして3人目となったのがフランク=ライカールト ( AC Milan, Ajax Amsterdam ) だった。この二人は1988年の欧州選手権でオランダが優勝した時の中心選手だ。この二人に率いられたチームの直接対決と言うことで注目度も上がっていたのではないかと思われる。 またクーマンだけでなくベンフィカの主将シモーネもかつてはバルサでプレーした選手だ。
両チーム直接対決は歴史が古く、1960-61 Europe Champions Cup の決勝戦で当りBenica が 3-2 でバルサを破りReal Madrid の大会6連覇を阻んだ。しかし正確に言うと阻んだのは1回戦でこのレアルとあたったバルセロナであった。サンチャゴ=ベルナベウで2-2と引分けたバルサはホーム、ノウカンプでレアルを 2-1 と降しフランコ政権下で色々あったカタルーニャの人々の溜飲を大いに下げた。ベンフィカは翌年の大会も決勝戦でレアルを 5-3で破り連覇を達成。その翌年にはACミランがそれに続く2年間はインテルが優勝を飾り、更にその翌年の覇者はレアルマドリード、と大会が始まった頃は南欧勢が興隆を極めていた。最近の直接対決ではバルセロナが優勝した1991-92 のグループステージで同じ組になりバルサがアウェーで引分、ホームでの 2-1での勝利が決勝進出に繋がった。バルサはポルトガル勢に強く過去ホーム&アウェー方式での対決では8回中7回、ポルトガル勢を退けている。しかし、アウェーでは分が悪く最初の6回の戦績では2分4敗となっていたが、以降ここ最近2連勝中だ。 しかし Benfica にとってもスペイン勢はホームで相性良く過去6回対戦して1回しか負けていない。今大会のグループリーグでVillarreal に Estádio da Luz で敗れたのは初めての出来事だが他のホームでの10試合は負け知らずだ。 Benfica は典型的な内弁慶でここまでの14試合のアウェーゲームで勝ったのは先日のAnfield での Liverpool戦の勝利が初めてであった。
今や古典的とも言えるスペクタクルなサッカーで定評の高いバルセロナをホームに迎えるベンフィカだがこの日はNuno Gomes を累積警告でAlcides そして 右サイドバックのNelson が怪我と攻守の中心選手達を欠いている。 Nuno Gomes の代役はGeovanniに廻ってきたが、DFの特にロナウジーニョに対峙するべくNelson の代役にクーマン監督は苦悩していたが先週土曜日のSC Braga を1-0で破った国内リーグ戦でのRicardo Rocha のパフォーマンスを見てその悩みも解消された。しかしそれでも世界的なセレソンの選手を容易に止められるとは思わなかっただろう。 メンバー作りにはバルセロナのライカールト監督も苦心するところ。主将のCarles Puyol は累積警告でそしてEdmílson と Rafael Márquez は怪我で欠き最終ラインに不安を抱え、その上そしてアルゼンチンの新鋭Lionel Messi も故障中だ。そのDFラインはOleguer Presas のリザーブリーグ時のパートナー 21歳のRodriが予想されたが、DFラインで他に名を連ねたのは Belletti, Motta そして van Bronckhorst だった。バルセロナのブラジル生まれのポルトガル代表選手、モウリーニョ監督のポルト時代に Champions League のタイトルを勝ち取った時の中心選手、デコはこの試合にというよりも、ポルトガルでの試合という事で思い入れは高く他の選手より二日早く、バルセロナが行った親善試合を飛ばしてまで現地入りした。しかし、試合結果はスコアレスドローに終わった。 Henrik Larssonもロナウジーニョもゴールを挙げることは出来なかった。試合後のインタビューでラーションは"我々は多くのチャンスを作ったが全てがうまく行く日もあればそうでない日もある。ニュートラルなサポーターには楽しんでもらえたと思う“と語った心境は翌週のノウカンプに向けたものか本心か?確かに両チームあわせて29本放ったシュートのうち15本は枠を捉えた。そしてラーションとThiago Motta のシュートはポストを叩いた。ベンフィカのGKMoretto のファインセーブが無ければ試合は一方的になっていたかもしれない。また元々左サイドのRicardo Rocha を右に配置しRonaldinhoに対峙させた作戦も功を奏したといえるだろう。 しかしほぼカウンター一本とも言えたベンフィカの攻撃もシンプル且つ効果的だった。15分に相次いだバルサのコーナーからの猛攻を凌ぐと次第にペースを掴む。 Simone のショットはわずかにGK Valdes の手をかすめた。 しかし決定的なチャンスはまずバルサに訪れる。普段は見られない右サイドのポジションにいたLarsson からのスルーの反応したVan BommelがGKと1対1になるが、その決定機はGK Moretto が冷静かつ正確に足で防ぎ事なきを得る。Metto は前半終了直前にもエトーのショットを防ぐが,その直後に エトーからのボールを受けた Van Bommel に強烈なショットを浴びる。ボールはポストをそれていったが中にはノーマークの Larsson がいた。後半に入ると Laurent Robert に替えてクーマン監督はFabrizio Miccoli を投入し攻撃力のアップを図る。Manuel Fernandes は前半の攻撃の要で後半はバルサGK Valdés を暇にさせなかった。一方のバルサのロナウジーニョは後半に入るとむしろLarsson やMotta の黒子役に。彼からのボールを受けた Larsson 、Montta ( コーナーキックから) が相次いでシュートを放つが Morretoがそれを阻む 。一方攻撃力の増したベンフィカも確信を持って前線に。Miccoli が左を突破するが何とかValdés も負けじとセーブを。 そして Van Bronckhorst が Giovanni のフォローを食い止める。再びバルサが速攻からVan Bommel が迫ると今度はお返しにとまたもやMoretto が防ぐ。手に汗握るゴール前のシーンは相次いで演出されるもスコアレスドロー。 UEFA のホームページではロナウジーニョを Man of the Matchに選ぶがもう両チームのGK も同等の賞を与えられないか?この結果というよりもスコアは、クーマンの方が満足しているのではないか? 翌週のノウカンプでは彼らの1得点は2倍に計算される。個々の技術、戦術はバルサが上回るだろう。しかし、試合運びでは初戦をホームで迎えるベンフィカの思惑通りではなかったか?最後の20分の持久力を含めたフィジカルの面ではベンフィカの選手達の方が優れていた。 ヌーニョ=ゴメスを起用できるアウェーでクーマン監督が優勝候補相手にどの様に乗り切るか今から楽しみである。

Champions League 準々決勝 1

2006-03-29 | EURO Football
今行われている春のセンバツ高校野球、夏の甲子園も同じだが準々決勝から俄然面白さが増してくる。一日4試合組まれると言う事もあるが、この日の入場者数が一番多いらしい。私も何度か準々決勝を目指して甲子園に観戦に言った事がある。 欧州では、試合数を減らしたとは言え今だ大会規模そしてそれに付随する金の動きの計り知れない UEFA Champions League も準々決勝が始まった。残っているのはイタリアから3チーム( Juventus, Inter Milan, AC Milan) そして Benfica Lisbon, フランスの Lyon, Riga de Espanolaからは Villareal と優勝候補と見られる Barcelona。PremiershipからはArsenal の8チーム。 Bundesliga から1つも残っていないのは時代の流れか寂しい気も。また私が毎回注目する東欧チームは今年も厳しい現状を見るに過ぎなかった。昨夜は Befica が健闘?よろしくバルサとスコアレスドロー。そして注目の Arsène Wenger vs Cappello というよりも Vieira 前と Vieira 後は ホームの Arsenal が 2-0 で快勝した。 

Gunners Manchester 以来の快挙なるか?

気の早い英国のマスコミは早くもこういう見出しを準備しているかもしれない。その上昨シーズンまで Arsenal のキャプテンを務めていた Vieira の移籍先の Juventus が相手と決った日にはまずマスコミ陣が喜んだに違いない。これまでのカップ戦での両者直接対決は4度あり Arsenal の2勝1敗1分だ。Champions League では 2001-02 のシーズンにセカンドグループステージで同組になり1勝1敗だったがトリノで行われたユーべのホームゲーム、Marcelo Zalayeta のゴールによって Arsenal がグループステージでの敗退が決った。Arsenal は Champions League のトーナメント( Knock Out Stage )ではまだセリエAのチームとは戦ってないが、2003-04 の準々決勝の Second Leg でChelsea に敗れて以来 Champions League ではホームのHighbury では負け知らずだ。しかし Juvenrus もイングランド勢には相性が良い。15回の対戦のうち7回ゴール数(アウェーゴール2倍の場合も含んで)で退けている。その対戦の中でイングランドで(アウェーで)勝ったのは2試合だけだが、あのヘイゼルの悲劇にもなった1985年の Europe Champions Cup 決勝戦では1-0 でLiverpool を破っている。 
28日の試合では過去の戦績通り、Arsenal が Juventus を 2-0 で退けた。Juve はホームでの巻き返しを狙うが2点差というよりも. Jonathan Zebina, Mauro Camoranesi そしてPatrick Vieira の3選手が累積警告で、また Alessandro Del Piero の怪我の回復ぶりが心配されるなど、満足なメンバーが組めない。試合後 GK のGianluigi Buffon が” 我々は次のStadio Delle Alpi では完璧な試合をせねばなら無い。しかし、Arsenal が今日の様なゲームをしてしまえば、それ(完璧なゲーム)だけでは不十分だ“と語る様に苦戦を強いられる。 Champion League が世界的な商品となる中、最近では Juventus がイタリアカルチョの代表格の様に見られて来た。強固なディフェンス、先述の認識、致命的な(相手にとって)逆襲。しかし、この日のユーべは最も強くなければならないところが弱点であることが証明された。この日の役者は Wenger が1枚上手であったか? Real Madrid 戦で見せた様に相手を混乱させると言うよりも、相手に合わせてフォーメーションを変えて来たのはArsenal であった。 そしていつもは落ち着いて相手の攻撃を凌ぐはずでありながら、すばやいカウンターとポジションチェンジに混乱を来たしたのはFabio Cannavaro とLilian Thuram のコンビであった。Arsenal は中盤を5人で形成しユーべの攻撃の鋭さを奪った。そして前線の飛び出しも抑えた。この試合のヒーローThierry Henryは2得点目を挙げた事よりもカンナバーロとテゥラムの二人を左側に吊りだす事によりスペースを創り試合を優位に進めさせる要因を作った事の方掲揚される。 攻守共に後手を踏む Juventus は選手起用も後手を。Capello がようやく動いたのは2点差が就いた直後の72分。ルーマニア代表の Mutu に替わって Chiellini が投入され、79分にはDavid Trezeguet が Zalayeta に替わってピッチに現れたが状況はかわらず。そればかりか87分にはCamoranesi が89分にはZebina が相次いで警告を受け退場に。 確かに前半は Juventus も何度か好機は掴んだ。Arsenal のGK Lehmann の好セーブが無ければ得点は挙げられただろう。しかし,最後は焦りが前に出てしまった様だ。こういうときこそ指揮官は、せめて2点差が就く前に手が打てなかったか? ビエラも次の試合は累積警告で出場できない。 この日のHighbury はスタメンでビエラが紹介されるとブーイングでなく拍手が沸きあがったらしい。その9年間チームを育てたビエラに若い Gunners そしてここに集ったサポーター達は自らの”成長した姿“を見せられた満足感があったのではないか? Second Leg 、Arsenal 相手にbianconeri は3点差をつけられるか? でもこのArsenal の進撃を心配そうに見ているのはPremiership で4位の座を死守したいスパーズのサポーター達ではないかな?

豪州にて 韓国の人々と

2006-03-26 | Half Time
実は?先週初めより商用でオーストラリアを廻っています。日本がWBCの決勝戦を戦ったのも、愛する母校が本日東海大相模に惜敗したのも、そして京都パープルサンガがまだ勝利を挙げていないのも結果や経過を知るだけなのです。 ここオーストラリアはアジア系の移民が大変多い。最近は中国大陸から来た人々が目に付くが、数でもここでの生活ぶりでも圧倒するのは韓国系の移民達だ。取引先でも韓国系はかなり多い。仕事以外でも日韓の事について話す事も。会う人全てに最初に言われたのは WBC の事だった。会う人全てが“日本はどうしたんですか?2回も負けた韓国に、3回目は快勝して、キューバも破ってしまった。”そして私は言うのだ“ただ Lucky だったに過ぎない。同じ大会で同じ相手と3回も対戦するなんて有り得ない。3回目の対戦があったから勝つ事が出来た。”とそして“韓国は何処がダメだったのか?”と訊かれる。彼らはオーストラリアでは試合の様子が生で見られない。翌週にレンタルビデオで廻って来るのを待つしかない。“打撃陣が今一つだった。李鍾範、李承、崔熙渉 の3人以外からは打点の可能性が低かった。それに機動力にも欠けた。しかし朴賛浩を始め投手陣は良かった。それだけに準決勝の日本戦で具成晟が怪我で使えなかったのは痛かっただろう。さらに良かったのは守備だ、ショートの朴鎮万、ライトの李晋暎らのファインプレーはすごかった。そして金寅植監督は Gentleman だった”と私は英語で語った。ここにいる韓国人とは英語で話せる。いままで幾多の事を話すことが出来た。韓国語や中国語が出来ればもっと多くの人と色々話せるのだがといつも思う。そして例のイチロー報道にも私は“あれは韓国にではなく、全ての対戦相手が”今後30年は手が出せない云々“と日本向けに記者会見したもの。おそらく韓国の新聞が発行部数を伸ばしたいから韓国向けの発言にしたのだろう”と言うとみな爆笑していた。“(韓国の)新聞記者ならそれくらいはするよ”とも。だが当地にいる韓国系移民の大会の総評は概ね満足との事。プロ野球の歴史が50年も長い日本にまだ勝てるとは本気で思っていない様だった。 それよりもアメリカに勝ったこととアメリカ人審判の酷さの事をよく指摘していた。 朝鮮日報紙でも下記の様な朴賛浩のコメントが。

朴賛浩(サンディエゴ) は23日、メジャーリーグの公式ホームページ(MLB.com)とのインタビューで日本のWBC優勝についてコメントした。「韓国が(準決勝で)日本に負けた時は悔しかった。だけどそれよりも私にはもっと大きな意味があった。私は日本に優勝してほしかった。韓国はできなかったからね。アジアのためにも日本の優勝はとても嬉しかった」と語った。

またイチローの現地での評判も紹介していた

「開拓者は野茂英雄だった。しかし、日本人野手初の大リーガーとしての成功例はイチローだ」
ESPNのコラムニスト、ピーター・ゲモンスが23日(以下韓国時間)、イチロー(32/シアトル・マリナーズ)に対する特別な賞賛をつづった。 ゲモンスはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を通じて見た「イチローの独特な偉大さ(Ichiro\'s unique greatness)」という見出しのコラムを通じ、イチローと日本プロ野球に対する考え、ひいてはアジア野球に対する再発見を書き下した。 ゲモンスは、WBCの大会期間中の試合前後にグラウンドやダグアウトで自分が見たイチローの姿を日本野球の独特さと結合させ、「大リーガーが模範とするに値する点」と指摘した。 コラムの要旨は「イチローは日本出身で、大リーグでも日本野球のプライドを失っていない。それだけでなく、必要に応じて米国野球に同化しながらも、自分だけの独特なスタイルを確立している」というのだ。
ゲモンスは1つのエピソードを紹介した。キューバとの決勝戦の後、日本人記者の1人がイチローに「National Baseball Hall of Fame(野球の殿堂)に選ばれれば、その感想を日本語でコメントするのか、それとも英語でコメントするのか」と聞いた。イチローは「多分スペイン語にすると思います」とかわした。イチローは英語が上手だ。スペイン語はソリアーノから学んだ。そして、ソリアーノには日本語を教えた。 ゲモンスは「WBCをきっかけにアジア野球が正当な評価を受けなければならないだけでなく、米国の野球文化に取り入れられるに値する」とコメントした。 イチローが初めて大リーグに進出した時、日本国内では「イチローが日本野球を裏切った」とする情緒が広がった。しかし、「今大会をきっかけに、日本国内の否定的な感情はすべて消えた」というのがゲモンスの説明だ。 ゲモンスは「大リーグでイチローの姿を見られるのは、私たちに与えられた特権だ。イチローほど独特なスタイルを持った選手はいない」としながら、「野球の殿堂に選ばれた時は、日本語、英語、スペイン語のすべてで感想を語ってもらえればと思う」という言葉で締めくくった。

だがイチローがアメリカに渡った時は誰も日本野球を裏切った等とは思わなかっただろう。それとも李承が日本に渡ったときに韓国人は彼を裏切り者扱いしたのか? 確かに宣銅烈の時代は少しあったかもしれないが。 オーストラリアの韓国人達は李承が今年東京ジャイアンツでどんな活躍を見せるか楽しみであるとも言っていた。趙成民は残念ながら今一つだったが、その後の韓流ブームでチェ=ジンシルが彼と結婚していた事(後に離婚したが)も話題に出したら、受けた。 そしてイチローのバッティングフォームを真似た。場所は人気の韓国レストラン、お客は皆韓国系の中だ。すると他の席の子供から拍手とブーイングと笑いが漏れた。個人同士ではこんなに仲良く出来るのに。思わず苦笑してしまった。 いつか北朝鮮の人と話せればね。でもその時はにぎやかな場所でお願いしたい。何を話すかはその時でなければわからないだろう。

元 Ireland 代表 Nial Quinn, Bangkok に登場

2006-03-26 | Football Asia
ACL Champions League が始まったが、タイから出場資格があったチームは提出書類の不備があったということで信じられない理由で失格処分に。そのタイの国内リーグ、英語ではThailand Premier Leagueと表記されているが、そこからの Newsを。あまり話題にならなかったかつて Ireland 代表としてプレーした Nial Quinn がタイの強豪チーム BEC テロサーサナで現役復活デビューを果たした。 
3月5日に行われた国内リーグの第6節、対Tobacco Monopoly戦で40歳の Quinn は FW として先発出場し70分プレーした。試合は両チーム退場者を1人ずつ出す中 1-1 で引分けた。試合の三日前にバンコック入りした Quinn は自身の久しぶりのプレーに満足をしているとのコメントを残している。
Tobacco Monopolyは昨シーズンのリーグ王者で今年の ACL 出場資格がありながら失格となったチームの1つ。Quinn の所属するBEC テロサーサナは2003年ACLの準優勝チームだ。 
Quinn はArsenal と1983年に契約を結び1990年に Manchester City に移籍。その後1996年にSunderland に移り2003年までプレーをした。まだ80年代当時は移籍が盛んでなかったことがよくわかる。代表暦は1987年にデビューを果たし84試合アイルランド代表としてプレーをした。1988年、Bulgariaらを予選で退け欧州選手権本大会に出場。初戦で England を 1-0で破った時の代表に加わっている。そして1990年のワールドカップイタリア大会にも出場。エジプト戦でゴールを決めていている。その4年後のワールドカップアメリカ大会にはエントリーされなかった(怪我でもしたのかな?監督の構想に合わなかったのか?)しかし、2002年の日韓大会には36歳で代表入り、カメルーン戦こそ出番は無かったが続くドイツ戦では73分から、サウジアラビア戦では後半から、そして決勝トーナメントのスペイン戦でも55分にKelly Gary に替わって出場を果たしている。 そして翌年には引退その後 Sunderland のコーチを務めたりしていたが、最近では解説業をしていた。 彼は身長196cmと典型的なというよりも古典的な Center Forward であった。
引退後はMick McCarthy の後を受けて Sunderland の監督にもと噂された。Bookmakers はこの監督後任人事にAlex McLeish と Kevin Ball を 9-2 で表示と伝えNiall Quinn も50-1と発表したが直後に 33-1 にまで下がったと。また当時からイングランド代表監督であった. Sven-Göran Eriksson の賭率も 80-1 とまで発表された。 
だけど彼が Bangkok で現役を復帰する事は賭けの対象になっていただろうか? もしこれに賭けていた人がいたならきっと大もうけしたに違いない。 しかし、アジアに移ったとは言え40歳で尚も現役に復活するその姿勢には脱帽だ。これからタイは地獄の4月と言われるような高温多湿の季節がやってくる。 うまく乗り越えて欲しい。それからもしテロサーサナが優勝すれば来年、AFCに Quinn も出場するかな?このさい手続きも彼に行ってもらったほうがいいかもしれない。

京都西高校 いざ出陣

2006-03-26 | 京都西高校
23日に開幕した第78回選抜高校野球大会。いよいよ明日は愛する母校、京都西高校の登場である。相手は神奈川県代表の東海大相模高校。2004年の夏には同じ神奈川県代表の横浜高校にサヨナラ負けを喫しているだけに同じ神奈川県代表校に雪辱をして欲しいものだが、こちらも強豪だしなぁ。私が小学校2年の時の東海大相模は全国優勝を果たしているが、この時の決勝戦の相手はPL学園。後に東映フライヤーズ(後に日本ハム)に入団した新美投手を擁しての決勝進出であった。東海大相模はそれ以来優勝が無い。あの原辰徳を擁しても夏の大会はベスト8が最高。選抜では準優勝している。 さて京都西高校だが昨夏の快進撃を支えた北岡君(3年)-本田君(2年)の継投がこの春も戦い方の根幹となる。さらに昨秋の京都府大会では左腕の大野君(3年)が先発の柱として活躍し、投手陣は再武装されて甲子園に戻ってくる。チーム打率は出場32校中21位の3割1分6厘、本塁打はわずかに2本。しかし秋季大会では1試合平均5個の四死球を選んで出塁。チーム一の10打点をマークした吉田君(3年)や8打点の南本君(3年)ら中軸の勝負強い打撃しぶとく得点を奪う。京都府の秋季大会は昨夏の甲子園大会後のわずか4日後に始まったらしい。昨年は結構2年生がいたから新チーム作りには大丈夫であろう。  

私が入学した時は本当に甲子園が遠かった。野球部は毎日遅くまで練習に明け暮れていたが甲子園にいけるとは考えられなかった。しかし、前にも書いたが、野球部の顧問が“お前達が3年になった時が楽しみだ”といっていた通りになった。2年の時の秋季大会、京都府大会を勝ち抜き何と平安高校と共に近畿大会に進出したのだ。そして1回戦の相手はこれも近畿大会は初進出の大阪代表上宮高校。 試合の数日前に担任が“日曜日の近畿大会に応援バスを出すけど、応援に行こうと思ってい者は手ぇ挙げ。”と問うたところ、なんと挙手をしたのは私だけ。これには担任は怒った。“おまえらの同級生が頑張っているんやぞ。何で行こうとせんのや?日曜日やけど他に何の用事があと言うんや?あかんなぁ。バスが足らんから追加してくれ言うくらいになるのが普通とちゃうのか?”と言い放った。結局私のクラスからは20人近くが応援に出かけた。相手の上宮高校は恐らく全員が来ていたのではないかな?2倍くらいの生徒が来ていた。 試合は初回、先攻の西校がチャンスを掴むが得点にならなかった。その裏の上宮もチャンスを掴む、そして次打者の打った打球はサード正面のゴロ、これでチェンジだ、と思うも3塁手の直前でイレギュラーバウンドし、そのまま外野へ転がる。結局この回2点が入り、その後も追加点を許し5点を許す。やはり甲子園は遠いのか?と諦めかけた8回、突如西校の猛攻が始まり、一挙4点を返す。我々は総立ちで声援を送る、いつも学校で気軽に話す同級生がプロ野球選手に見えた。その裏に追加点を許すがそれでも最終回、更に大声で声援を送る、だが残念ながら点差は詰まらずセンバツの夢は消えた。試合終了後、3塁手(確か1学年下だったと思う)が泣いていた様だった。そして天気が崩れ出し帰宅したときは雨が降っていた。帰宅後は日本シリーズの、あの江夏の21球をテレビで観た。
そして夏、1,2年の時は共に府予選の1回戦で敗れたが、野球部でも無いのに甲子園の銀傘を夢見た。在校中にまさか母校を応援できるなんて、同じクラスの奴らが甲子園に立つのか?と期待した。京都府大会の3回戦であったか、東宇治高校と対戦する事に。この年は宇治市のいくつかの高校が力を持っていると教えてもらっていた記憶がある。しかし、負けるとは思わなかった。私は受験生らしく、夏期講習の帰りに予選のあった西京極球場に行った。この日もあまりいい天気ではなかった。 試合は西校が2点を先制した。しかし東宇治が1点を返しさらに二死ながらランナーが二人いた、そしてバッターの打球は外野を破った、その打者走者は2塁を廻って3塁を狙うがここは外野からの好返球、好中継でアウト、だがそれより1塁走者のホームインが早く、逆転されてしまった。しかし試合はまだ中盤、チャンスはあると思い声援を送ったが中々得点に繋がらない。終盤に逆にピンチを迎えた。その時マウンド上にいるエース投手に懸命に声援を送った。彼は同じクラスの奴だった。私と同じく走るのが速く、何度も競争をしたものだ。そのエースが踏ん張り追加点を許さない。そして最終回。雨が降ってきた、もうみんな総立ちだ。ブラスバンドの連中も椅子の上に立って楽器を奏でている。同点のランナーが出た。しかし、彼は生還しなかった。そして彼らの夏も終わった。3年間毎晩遅くまで練習をし、修学旅行にも行かずそして日曜日も試合や練習で遊べなかっただろう。私もクラブ活動をしていたが、彼らほど練習漬けでは無かった。帰りの阪急電車の中で数人の同級生と“惜しかったなぁ、残念だったなぁ、夏休みどないしてるんや?”等と話した。 だけど、負けはしたが彼らが羨ましかった。俺も応援される側になりたいと思った。進学希望だったので大学に入っても絶対スポーツはしようと思った。母校が甲子園に出られたのは4年後であった。そして私もあるスポーツ競技で全国レベルになった。 同級生の活躍は大いに刺激になった事は間違いない。 今の在校生達の中にも当時の私の様な思いをしたり、将来同じ思いをする子達も出て来るだろう。 スポーツは全てが積み重ねだ。 西校生よ これからもがんばれ !!! ( 文章は私の遠い記憶を頼って書いたものです。おそらく数箇所、記憶違いがあるかも知れませんがご勘弁下さい。)

WBC後の韓国での報道

2006-03-23 | プロ野球
人間諦めが肝心と言う人もいれば、執念があれば何事も成就すると考える人も。しかしどうやら韓国では前者の考えは皆無の様だ。 本日下記の様なニュースが報道された。

韓国野球委員会(KBO)の辛相佑総裁は22日、平和放送のラジオ番組に出演し、今年10月以降に韓日野球国家代表チームの再戦を行いたいと語った。 辛総裁はつかみかけたWBC優勝カップを逃し国民が残念がっているという司会者の言葉に対して、「KBOの次元で両国のプロ野球のシーズンが終了する10月以降に再戦する方向で検討したい」とし、「韓国にはドーム球場がないので日本側の意思が重要だ」と話した。 辛総裁は「今回惜しくも優勝を逃したが、実質的には韓国に2対1で負けたことを日本もよくわかっている」とし、プライドが傷ついた日本は再戦を断る理由がないだろうと語った。

このニュースは朝鮮日報にも掲載されたらしい。そして日本でも伝えられているだろう。日本に負けたというよりも優勝したのが日本という事が受け入れ難いのだろう。 今秋本当に日韓両国は再びあいまみえるのだろうか?まさかドーハで行われるアジア大会にガチンコでの勝負をと示唆するのかな? 決勝戦後、下記の様な論評も同紙には掲載された。

気の抜けたビールと言っても過言ではないだろう。
米国が企てたシナリオとは全く違う方向に進展したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が21日(韓国時間)、日本とキューバの決勝戦を残すのみとなった。ところで最も高まるべき決勝戦に対する関心が覚めやっている雰囲気だ。 当然決勝まで生き残ると思われた米国が脱落したためだ。もちろん、米国が脱落した背景には韓国の善戦があったわけだが、主催国の脱落はやはり大会に対する関心をそぎ落とす形となった。 波乱の主人公となった韓国が決勝進出できなかったことも、終盤の熱気が冷えやってしまった一因。 韓国が米国と日本を相次いで倒し、米メディアはその新鮮なショックをニュースとしながら話題に事欠かなかった。話題の主人公だった韓国が舞台裏に退いて以降、これ以上驚くべきニュースは見られなくなった。 米国野球はキューバを通じ大恥をかいた。米国との交流が絶たれているキューバは、今大会に参加すること自体が不透明だった。米財務部が就労ビザ問題を取り上げ、キューバ代表チームの入国を拒否したためだ。 米メディアが大騒ぎしたことで大会参加が可能となった。キューバはWBCを通じて獲得した収益金のすべてをハリケーン「カトリーナ」の被災地に寄付するという公約も掲げた。 貧しいキューバが金持ちの米国を助けるという皮肉な状況の中、大会が幕を開けたのだ。 そのようなキューバが決勝まで勝ち残った。米国は2000年シドニー五輪の時、トリプルAの選手が主軸となった代表チームを構成し、決勝でキューバを破って金メダルを獲得した。 以来キューバ野球をワンランク低く見てきたのは事実だ。今回のWBCを通じすべての考えを改めるべきだろう。

矛先はアメリカに向けられた。しかし、韓国が準決勝で消えたからとは言え決勝戦の熱気は下がったとはいえない。キューバを低く見てきたとも思えない。低く見られてきたのは大会そのもので、低く見続けたのはアメリカと言うよりもメジャーリーグ機構だろう。正直、松井も井口も城島も出たかったのではないか?もしこの時期にチーム不在であると彼らの居場所が保証されない事を危惧したのだろう。松井にいたってはヤンキースのスタインブレーナーからかなり圧力が掛かったに違いない。ジーターやA.ロドリゲスの様にチーム内で自分の居場所を確立しておれば松井はイチローの様に出て来たに違いない。 しかし、米国マルティネス監督がメキシコ戦後に語った“今や日本や韓国から学ぶことも多い時代”とパワー重視のメジャーリーグに警鐘を鳴らし、60年代の様に、日本や韓国が示したとおりスピードと基本の重要性を気付かせただけでも収穫かもしれない。マルティネス監督は球場もストライクゾーンも狭くなっているとも語っている。それは朝鮮日報も下記の通りのコメントを残している。

1か月にわたって繰り広げられた熱き戦いに終止符が打たれた。 野球の辺境韓国は母国米国、アジアの盟主日本を負かし、中心部まで進軍した。韓国は今大会を通じて世界野球の潮流に触れたほか、位相を向上させた。 それでは、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が韓国野球に残したものは何だったのか。 大きな収穫はスモール・ボール(small ball)だ。読んで字のごとく小さな野球、基本に充実な野球が功を奏した。手堅い守備、安定感のあるマウンド、機動力、相手の弱点に付け込み、チームプレーを重視するスタイルだ。 これまでスモールボールはつまらない野球、スケールの小さな野球と見下されてきた。しかし、集中力を生かし、チャンスをものにする野球のスモールボールは、野球の版図を塗り替えた。  韓国や日本など細かなプレーに強い国がいい印象を与えた。 これに反し、これまで米国が誇ってきた伝統的な野球は徹底的にくだかれた。米国をはじめ大リーグの選手たちが主軸をなしたメキシコ、ベネズエラ、プエルトリコは最後まで混乱が続いた。

続く

WBC後の韓国での報道 その2

2006-03-23 | World Baseball Classic
しかし自国の今大会での反省点も下記の通り示している。

期待以上の好成績を収めた韓国。しかし、残念な点、補うべき点も目立つ。
まずは機動力。韓国はアジア予選から準決勝まで7試合を闘った。このうち、盗塁に代表される機動力が目立ったシーンはゼロに等しかった。印象的な走塁も見られなかった。 機動力で武装した日本に比べ素速い選手が不足した。低い出塁率が主な原因だ。昨年の盗塁王朴龍澤(パク・ヨンテク)は主に代打出場となり、出塁機会に恵まれなかった。これに比べ日本は1番イチローから9番川崎宗則までスターティング・メンバー全員が盗塁できる選手たちだった。 偏った攻撃力も改善されるべき点だ。李鍾範(イ・ジョンボム)、イ・スンヨプ以外の打者はほとんど元気がなかった。これでは得点のポイントが限定されるほかなかった。 李鍾範がチャンスを作れば、中心打線の一振りでこれを返すパターンが生まれた。1次リーグの日本戦、2次リーグのメキシコ戦はイ・スンヨプ、2次リーグの米国戦は崔熙渉(チェ・ヒソプ)の一発で決着がついた。 本塁打は豪快ではあるものの、可能性の低い得点方式だ。 走者が出れば、進塁打や適時打が後に続く着実な得点パターンが不足した。一方、守備はいくら誉めても褒め足りない位だった。今大会に参加した16か国中、最高のレベルだった。

守備はすばらしかった。投手陣もチーム防御率 2.00 は参加チーム中最高だった。それよりも国の為に、後押しする国民の為にと言う意識は日本も見習うべきであろう。日本で最初から戦っていたのはイチローだけであった。韓国に連敗し、メキシコのおかげで3度目の対戦が決ってようやく全選手に火が点いた。もっと早くそうなっておれば、韓国に連敗などしなかったであろう。

そしてベストナイン(投手は3人)には日韓仲良く3人ずつの選手が選出された。
李承は打率0.333にホームラン5本と10打点を記録し、ホームランと打点部門で1位にり最高の1塁手に選ばれた。 打率0.400、2塁打6本で抜群の活躍をした李鍾範は、ケン・グリフィー・ジュニア(米国)、イチロー(日本)らと共に最高の外野手に選ばれる栄冠に輝いた。 3セーブ、防御率0で大会を締めくくった朴賛浩、ヤデル・マルティ(キューバ、1勝2セーブ)WBC最優秀選手(MVP)松坂大輔(日本、3勝、防御率1.38)らと共に最高投手に選ばれた。 国別では、韓国と日本、キューバが共にポジション別で最多の3人のスターを輩出した。

そして金寅植(キム・インシク)韓国代表監督が21日、WBC日本代表がキューバを下し優勝したことについて「日本はもともと実力がある上に、今回は運まで伴い結局優勝した。8回で投手を代えるタイミングを逃し追撃を許したが、やはり立派な戦力を持ったチームだ」と感想を述べた。 
今後日本、韓国、台湾でもっと公式の試合を積めないものか?メジャー組にこだわらなくても、それだけで充分に魅力的な大会と思うが。そこにキューバを呼んでも面白い。  最後に本日22日、取って置きの朝鮮日報の報道を。 

韓国が独ワールドカップでベスト8に進出するというシミュレーション結果が出た。思わず耳を傾けてしまうこのニュースは、日本で伝えられたものだ。スポーツニッポンは特集企画で独ワールドカップ仮想シミュレーションを行っている。スポーツニッポン独自のデータをもとに「ワールドサッカー・ウィニングイレブン」というゲームで仮想対決を行えるようにしたものだ。 韓国はG組2位でベスト16に進出、H組1位のウクライナとベスト16戦を行った。韓国は李栄杓(イ・ヨンピョ/トッテナム)の決勝ゴールで1対0で勝利する。前半のロスタイムに李栄杓が左側サイドを破ってシュートを飛ばした。ウクライナのゴールキーパーは突然のシュートにやられた。特に韓国はウクライナの‘得点マシーン’シェフチェンコを完全に封じる鉄壁の守備を誇った。一方、日本はチェコとのベスト16戦で延長のあげく0対1で負け、ベスト8進出はならなかった。 スポーツニッポンのシミュレーションでのベスト8進出チームは韓国、ブラジル、ドイツ、アルゼンチン、チェコ、フランス、イングランド、セルビアモンテネグロだ。韓国とブラジルのベスト8戦シミュレーション結果は来週出る予定。あくまでもシミュレーションだが、気持ちのいい話だ。

これは上記の通りスポーツニッポン紙が PS2ソフト「ワールドサッカー ウイニングイレブン9」 に自社独自のデータを打ち込みシュミレーションをおこなった企画だが、これを気持ちのいい話だと満足してもらうとは。スポニチ、ニッカン、まぁサッカーを知らないデスクや記者の巣窟と言うことはこの際黙っておきましょう。 これでWBCの結果に満足して頂けるなら。
この記事は下記のサイトをご参照下さい。
http://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_j/03838.html

王ジャパン 戴冠

2006-03-22 | World Baseball Classic
日本代表が球技で世界レベルの大会で優勝するなんていつ以来だろう?1976年のモントリオール五輪、1977年のワールドカップ これらは女子のバレーボールでの快挙だ。男子となると1972年のミュンヘン五輪でのバレーボール。それ以来ではないかな?1984年のロス五輪で日本野球代表は広沢の本塁打等でアメリカを 6-3 と降し、金メダルを勝ち取ったがそれは公開競技であった。子供の時、王や長嶋が大リーグの投手相手にどんな打棒を振るうか?堀内や江夏、高橋一三は打者相手にどんな投球をするだろうと夢を膨らませていた。その夢が本当に叶った気がする王ジャパンの優勝だった。 World Baseball Classic キューバとの決勝戦を前に、私は1980年8月に日本で行われた世界選手権を思い出した。当時の日本代表は当然アマチュア軍団。東海大の原辰徳、プリンスホテルの石毛等がメンバーだった。日本の最終戦の相手はキューバ。キューバは全勝。日本は韓国に敗れて1敗。この試合に勝ったほうが優勝と言う試合であった。試合はキューバが 1-0 で勝利を収めたが、点差以上にライナーのスピードや内野手の動きなどかなりの差を感じた。それから四半世紀以上が過ぎ、日本はようやくプロ軍団でキューバと戦えることになった。

日本代表は韓国戦の1番青木と9番川崎を“入れ替え”引き続き3番にイチローを。8番ながら2安打の里崎と6番の今江のロッテコンビを入れ替えた。一方キューバはドミニカ戦と同じオーダー。先発投手、日本はアテネ五輪でもキューバ相手に好投した松坂。キューバは38歳ベテランのロメロ。前日投げたマルティとラソが球数の関係で登板出来ないのが痛い。しかし国内リーグがシーズン中で選手コンディションは日本よりはいいはず、影響するのは国交の無いアメリカに来て選手達は母国とアメリカから亡命をされないかとホテルでの軟禁状態。
試合はロメロの立ち上がりを日本が捕らえる。先頭打者の川崎は投手ゴロに終わるが西岡が内野安打で出塁、打者イチローの4球目に2塁を落し入れ、イチローも歩く。4番松中は内野安打でたちまち満塁のチャンス。ここでキューバベンチは早くもロメロを下げてオデリンがマウンドへ。先発のロメロに対し、2番西岡は7球を3番イチロー、4番松中は6球ずつ投げさせしかも外野に一本も打球が飛ばずに満塁のチャンスを作る。これにはベンチも守備陣も堪えただろう。オデリンも準備不足ではなかったか?最初の打者多村に死球を与えて先制を許し、里崎を三振に討ち取った後の小笠原は8球粘られて四球を選び追加点。続く今江にはセンターに運ばれ更に2点を追加。ここで早くも3人目ゴンザレスを投入。キューバは投手3人をつぎ込みようやくスリーアウトを取った。
日本先発の松坂はその裏、先頭打者のパレットにレフトスタンドに運ばれるが、以降3人の打者を11球で討取るテンポの良さ。これも初回の4点が効いている。2回の松坂は二死から準決勝では3安打のガルロボにヒットを許すが続くペスタノを三振に切って取る。松坂はこの回全てのアウトを三振で取るが25球投げたのが気になる。3回表の日本も松中の安打と里崎の四球で1死1,2塁とチャンスを迎え好調の下位打線に廻るが今度は小笠原、今江が討取られる。しかしゴンザレスにはこの回21球を投げさせる。3回裏の松坂は準決勝でも打点1の先頭打者ラミレスに二塁打を浴びて本塁打を放ったパレットを迎える。松坂はパレットを三振に仕留め、後続を断つ。 そして5回、4イニングス目に入ったゴンザレスを攻略する。先頭打者はこれまで2打席2四球のイチロー。ファールで粘った7球目のスライダーを流し打ちレフト線を破る二塁打。続く松中がセンターにはじき返すとゴンザレスは降板し5番手ペドロソがマウンドに。しかし、多村も粘って6球目を3塁線に強烈な打球を。サードエンリケが横飛びで抑えるがこの間にイチローが生還して待望の追加点。続く里崎が送りバントを決めるとキューバは5人目のパルマにスイッチ。しかし小笠原が犠牲フライを打ち上げ6点目が入る。日本は犠打に盗塁、そして相手投手に多く投げさせると言う小技が非常に効いている。一方のキューバは大味な攻撃が目立ち、打線が繋がらない。日本は5回から2番手に韓国戦で好投した渡辺俊介がマウンドに。三振を二つ含む3人で切って取る。しかし、6回はショート川崎のエラーをきっかけに2点を失い 3-6 に。尚も続いた1死1,3塁のピンチはガルロボを併殺に討ち取り、それ以上の得点は許さない。キューバはウルティアのタイムリーで2塁走者が還れなかった次打者のガルロボが初球を併殺に討ち取られるとちぐはぐな攻めだ。前日3安打しているとは言え、ここはランナーを進めるバッティングで粘られたほうがいやだっただろう。川崎は7回もエラーで先頭打者ぺスターノの出塁を許すが、続くラミレスが併殺打。3点差とはいえ、ここはスコアリングポジションに送るバッティングをすべきではと思う。8回のキューバは4イニング目の渡辺から3番グニエルが内野安打で出塁。そると王監督は藤田にスイッチ。藤田は続くボレロを討取るがセペタにレフトスタンドに運ばれ1点差に。王監督はここで守護神大塚を投入する。大塚は続く二人を討取り1点差のまま最終回に。1点差に迫られた日本は9番途中出場の金城から。先程攻守を見せたエンリケがエラーで今度は金城が出塁。川崎のバントは失敗に終わるが西岡はプッシュバントを決める小技を。これはキューバ内野陣には効いたと思う。続くイチローがライト前にタイムリーを打ち7点目を。キューバは松中を歩かし満塁策を取るが準決勝の殊勲者福留が代打で登場しレフトへ2点タイムリー、続く里崎が10球粘って再び満塁とすると、7番手ゴンザレスから小笠原がこの日2本目の犠牲フライで10点目を挙げた。 最終回のキューバの攻撃を守護神大塚は1点を失うが三振2個を奪う力投で後続を断ち日本が初代王者に輝いた。 日本は挙げた10得点のうち押し出しで2点、犠打で2点と小技が冴えた。 キューバは先発ロメロの不調が大誤算。主導権を握られて投手継投、好機を併殺で潰すなど打線の繋がりが後手後手に廻った。2001年台湾で行われたワールドカップでの準決勝の日本戦。先発はヤクルトの岩村。行き詰る投手戦であったが途中から岩村の投球に逆らわない打ち方に変える等工夫が見られたが、点差を追いかける展開ではそうはそうする余裕もなかったであろう。 また日本打者は球数を多く投げさせた。キューバにこういう発想が見られない?のは野球の捕らえ方が違うのか?また初回の攻撃に見られるように日本は足を使った攻撃も見せるが、キューバはそれがなかった。いや日本がださせなかったと言う事が適切か? 
1978年モスクワで行われた女子バレーボールの世界選手権決勝戦、日本はキューバに敗れた。それ以降、球技で世界に君臨することはなかった(と思う)。再びそのタイトルをキューバを倒して勝ち取った事に因縁を感じる。 野球で世界一にならねば、野球で金メダルを取らねば他に何でとるというのだ?まず野球がそのタイトルを取ってこそ、他の競技が続くと言うものだ。 これからも日本スポーツの発展を願って止まない。

日韓 野球実力の差は??

2006-03-21 | World Baseball Classic
日本時間の19日に行われたWorld Baseball Classic の準決勝の日韓戦は日韓の実力差がそのまま出た結果と信じている。 朝鮮日報紙は敗戦を以下の様に分析する。

■投手陣の崩壊
この日の試合前までは、投手陣は韓国野球の柱だった。6試合のチーム防御率1.33、1ゲーム当たり平均2点も許さない鉄壁の守りを見せた。 その反面、打線は平均以下だった。この日の試合前まで、参加各国のなかでチーム打率10位(0.262)、平均得点も4.33でしかなく、平凡なレベルだった。言葉通り「守りの野球」でベスト4入りを果たしたのだ。 そこまで信じていたマウンドの崩壊は、ただちに敗戦につながった。 イ・スンヨプ、李鍾範(イ・ジョンボム)に依存し過ぎた打線は、結局ほころびを招いた。この日のスタメンのうち、イ・スンヨプ、 李鍾範(イ・ジョンボム)、趙寅成(チョ・インソン)を除く6人は、1割台の貧困な打率で大会を終えた。

2次リーグの日韓戦での韓国は日本の守備のほんのわずかな乱れをついて得たチャンスをものにした。韓国チームはショートの朴鎮万(パク・ジンマン)、ライトの李晋暎(イ・ジンヨン)らの攻守が目だった。この日も李晋暎は2回に小笠原の飛球を好捕。そして朴鎮万はイチローの第三打席目、センターに抜けるあたりをうまく回りこみ3打席連続安打を阻んだ。 守備を基準に代表選手を選んだコーチングスタッフの判断は正しかったのだ。良い守備は仲間の集中力を高める効果もある。 しかし準決勝では2点を先行されてから金炳賢の暴投から追加点を与えてしまった。 そして投手陣も先発徐在応は5回を日本の決定打不足から無失点に抑えたが2番手以降全炳斗以下が乱調。日本はこの試合、福留の代打2ラン、上原の7回3安打無失点と攻守の活躍が大いに目立ったが、私は勝敗のターニングポイントは福留の本塁打で均衡を破った直後の打者、小笠原への初球の死球と次打者里崎へのワイルドピッチと思う。これが追加点に繋がったが福留に打たれた後の3番手金炳賢は明らかに浮き足立っていた。本来ならここで脇腹を痛めて登板できなかった具成晟が投入されるべきか内野陣が集るなどして間を取るべきであった。ロッキーズ所属の金炳賢は2番手投手全炳斗が先頭打者の松中に二塁打を許した後を引き継いでの登板であったが、こういう場面での登板は苦手だったのか?この継投は2次リーグでの日韓戦と同じだが、2点差のままなら試合展開は違ったものになっていただろう。

■雨降るペトコパーク
試合の前に振った雨が、有利に働くかそれとも不利に働くかをめぐって、意見が拮抗していたが、結果は雨は日本の味方になった。日本の先発投手、上原の得意なフォークボールは、「水を得た魚」のようにくねくねと動いた。ペトコパーク中に満ちた湿度の高い空気のためだった。湿度の高い場合、投手の手にボールがよくフィットし、変化球投手には有利に働く。 打者たちが上原との勝負に粘りきれなかったのも惜しかった点。上原は韓国の打者たちの性急な攻撃のなかで、投球数を調整しながら7回までマウンドを守った。踊るように揺れ動くフォークボールを打ち崩せなかったなら、せめて粘り強さを発揮して踏ん張るべきだった。

この解説は的を得ているとはいえない。確かに上原が好投を見せるときはフォークが冴える。しかし、それはストレートの伸びがあるからこそだ。2次リーグの米国戦では7安打を喫したが、それはアメリカ打線が試合途中でフォークを見極め出したのとストレートの伸びが今一だったこと。それでも1失点に抑えたのはさすが上原だった。準決勝の上原はフォークよりもストレートの走りが目立った。それの2ストライクと追い込んでからの遊び球も少なかった。これは規定投球ルールのせいでもあるが、里崎の強気なテンポの良いリードも冴えた。

■兵役免除の早期発表
あまりにも早くシャンペンを抜いてしまった。17日の与党と政府の協議会で、WBC代表選手に対する兵役免除措置が決定されると、一部では懸念の声が強まった。「準決勝を前にして、選手たちの闘志に水を差すのではないか心配だ」という声だった。無用の心配だった。代表チームの選手たちは、この日もベストを尽くしたが「どうせなら大会が終わった後、決定した方がよかったのでは?」とのわずかな心残りがあるのもまた事実だ。

兵役の問題は徴兵制の無い我々には言及できない問題だ。韓国は今休戦中。一昨年多くの韓国の男優のみならず野球選手までが徴兵を逃れる為に身体検査に細工をしたりした。これが大いに社会問題になり、有名な男優ソン=スンホがその経緯を釈明し公式に謝罪。今兵役に服している。 兵役を終えたある親しい韓国人は兵役逃れを絶対許せないと語った。プロ野球選手は兵役問題が生じたのにサッカーは日韓ワールドカップベスト4の好成績を残したと比較されプロ野球界は少なからず悔しい思いをしたに違いない。それが今回の好成績にも繋がったのではないか?

だが韓国マスコミ界はこの大会から自国代表が退場してしまうことを受け入れられない様だ。下記の論調が朝鮮日報にあった。

アメリカが主導した今回のWBC。世にも珍しい試合方式のせいで韓国は最大の犠牲者となった。韓国は1次リーグ(アジアラウンド)で日本に3-2で勝った。ベスト8に入った2次リーグでもう一度戦って2-1で勝利した。韓国の2次リーグ成績は3勝。1組の1位として準決勝に進出。一方、日本は1勝2敗で脱落が予想されたが、2次リーグ最終日に米国がメキシコに敗れる波乱があり最小失点の原則によって漁利の利で準決勝に上がった。 ほとんどすべての国際大会では組を2つに分けて進行し、ベスト4が決まったらクロストーナメントで決勝に進む2チームを決める。しかし大会初めての年に無理に欲を出した米国は、同じ組のチーム同士を再び準決勝で戦わせる日程を採択した。2組の最強チーム、ドミニカ共和国に決勝戦まで会わなくて済むように、という意図以外に説明のしようがない。 その結果、韓国は準決勝で日本とまた戦うことになった。1つの大会で同じチームと三度も戦うという、失笑するしかないようなことになった。すでに二度勝った韓国だ。もう一度勝ってあたりまえ、負ければ脱落という滑稽なプレッシャーを抱えて三度目の対日本戦を行った代表チーム。

日本は韓国よりプロ野球の歴史が50年も長い。高校だけで約4700チームもある日本と、50前後しかない韓国では、基本的な資源からして相手にならない。だから客観的な戦力に優れた日本に二度連続で勝ったことさえも奇跡のような出来事だった。

前半の論評は正しいとは言えない。準決勝でキューバあるいはドミニカが相手なら勝てたとでも言いたいのであろうか? 今大会のこの方式は米国と敵対関係にあり、経済封鎖までかけられているキューバの存在が難しかったのだ。キューバを米国に上陸させる機会を可能な限り少なくする為に子の様なフォーマットになったのだ。
だが、後半は納得できる。日本はプロ野球の歴史も、高校野球の選手層も韓国とは比較にならないはずだった。従い、最初に連敗を喫すること自体、3度目の正直がある事自体、韓国の方が頑張ったといわざるを得ない。夏の全国高校野球選手権後、高校選抜チームが何度か韓国に親善試合に訪れた。しかし、日本選抜が韓国代表に勝てない時期があったことも。 今韓国の高校球児達の指導者に多くの元プロ選手が就いている。これは日本には無いことだ。1991年シーズンオフに宣銅烈ら韓国選抜チームが来日し日本選抜と試合を見てまだまだ野球ではとの思いがあった。しかしこの15年の進歩は想像以上で、今後も更に後ろから響く韓国の足音は大きくなるのではないか?  次に続く

日韓 野球実力の差は? 続き

2006-03-21 | World Baseball Classic
韓国の英雄達のコメントは非常に紳士的だ。

準決勝戦後、朴賛浩(パク・チャンホ)の談話
 「今回の大会に心残りはない。努力と準備しただけの良い結果を得ることができた。尊敬する金寅植(キム・インシク)監督と宣銅烈(ソン・ドンヨル)コーチの決定が国家の指示という思いで、先発でもリリーフでもベストを尽くした。私の人生で最高の贈り物だ。できれば大塚やイチローなど親しい選手の多い日本が頂上に立ってくれればと思う。彼らは私とは国籍は違うが、トップになるため同じ道を歩んでいる選手たちだ」

李承 (イ・スンヨプ)の談話
「上原からヒットを打てなかった。次の試合では絶対に負けない。私は今大会で個人を捨て、チームために戦った。実力のある選手たちと一緒に試合ができて良い経験になった。周りでメジャーリーグ進出の話が出ているが、もうマスコミは信じないことにしている。外国メディアが国内よりもっとひどかった。メジャーリーグ進出が決定する前までは決して浮かれるようなことはないだろう」 「ジャイアンツに戻ったらまたレギュラー争いが始まる。原監督は今日の試合を観ていたと思うが、日本戦で打てず言うべき言葉が見つからない。チームに戻ったらレギュラーの座を勝ち取ることに集中する」

アジア諸国が世界のトップ4に複数入る球技が他にあるだろうか?人工芝が導入される前のフィールドホッケー(インド、パキスタン)以外何があっただろう?(後は卓球か?それとバトミントン?これは球技じゃないか?)
台湾を含めてアジア諸国だけで真剣勝負が成り立つ。これからもっとアジア間だけでも国際試合が増えないか?年初に亡くなった近藤貞雄氏が“台湾や韓国籍の選手は外国人選手枠内から外すべきだ。それが日本の与えられたアジアでの使命”と語っていた。一考の余地はないものか?
またかつて中日に在籍した李鐘範の活躍も見事だった。2次リーグでは決勝の二塁打。この日も初回、上原から二塁打を放ち先制のチャンスを造った。李承、ドジャーズ所属の崔熈渉の後続が上原に討ち取られて先制ホームを踏めなかったが、いつも立ち上がりに不安のある上原から掴んだこの好機を逸したことも敗戦に繋がっただろう。李鐘範が中日に在籍した2年半を彼自身は成功と思っていないらしいが、よくジャイアンツ戦では何度もいやなところで打たれた記憶がある。守備も悪くなく、彼が韓国に帰国し、安堵のため息を漏らしたことを憶えている。日本相手に並々ならぬ闘志をみなぎらせていたに違いない。
そして闘志といえば、日本選手でこの試合でも最も戦っていたのはイチローだ。最初の2打席では共に安打で出塁し2塁を陥れている。イチローこそプロフェッショナルと言うよりも国家を代表する戦士だ。韓国戦のみならず米国戦で受けたブーイングをかれは心地よいBGMにしたことだろう。7回の5点目となるタイムリー安打はイチローだから打てたコースだ。キューバ戦でもその存在を見せ付けてもらいたい。

最後に日本野球界ともなじみのある人から、「あのときイ・スンヨプを連れてこなかったことを後悔している」 と語った(朝鮮日報が言うところの)のは 大リーグきっての“野球ビジネスマン”、ロサンゼルス・ドジャーズのトミー・ラソーダ副社長が、大樹に成長する若木を見分けられなかったことへの後悔の念を率直に吐露した。ラソーダ副社長は19日(韓国時間)、サンディエゴのペトコ・パークで韓国メディアと会見し「イ・スンヨプがここまでいい選手になるとは思わなかった」と打ち明けた。 ワールドベースボールクラシック(WBC)広報大使としてペトコ・パークを訪れたラソーダ副社長は、韓日戦が始まる前、「イ・スンヨプを目にしたのは、サムスンでプレーしていた頃に大邱で見たのが初めてだった」とし「イ・スンヨプが海外進出の権利を得たとき、ドジャーズに連れて来ることができず、日本に行かせたのは大失敗だった」と話した。 同氏は「イ・スンヨプが日本に行く前、ドジャーズからもイ・スンヨプに関心を示していた。しかしドジャーズの提示額は、イ・スンヨプにとっては屈辱的な金額だった」と率直に語った。
しかし、今となってはイ・スンヨプが格段に成長したことから、イ・スンヨプをチームに入れようとするなら「多額の契約金(a lot more money)」を払わなくてはならないとも付け加えた。今シーズン後、ドジャーズがイ・スンヨプ獲得に積極的に乗り出すことを早くも宣言したようなものだ。 一方、ラソーダ副社長は「親韓派として名高い」同氏らしく、今度の大会で“養子”同様の朴賛浩の善戦と韓国の無敗記録に満足げだった。
 「WBCは本当に予測不可能な大会だ。米国やドミニカ共和国が決勝に進めないとは、誰も予想できなかった」とし「韓国のように、投手陣、特にベンチ陣が強いチームと守備が強いチームが好成績を残している。戦略ミスの少なさが勝敗を左右している」と話した。 また“養子” 朴賛浩については「実の息子のように思っている朴賛浩が、韓国代表で活躍しており、うれしい」とし「今期、サンディエゴでもきっと好成績を残すだろう」と期待を寄せた。

ラソーダ氏が1995年、野茂を日本から連れてきた事には言及していない。しかしその前年に既に朴賛浩がドジャーズと契約をしていた。朴がメジャーで活躍するのはその2年後であったが、ラソーダ氏(正しくはドジャーズ球団?)がアジア市場開拓の先駈けであった事は間違いない。

21日に行われる決勝戦。残念ながら私は楽しむことが出来ないのだ。今私はオーストラリアのケアンズにいます。 ここでもWBCが楽しめる様になるのはあと何年後だろう? オーストラリアはアテネ五輪銀メダル国。キューバとは決勝戦で戦った。そのよしみでなんとか中継してくれないかな?? 録画でもいいけど。

グラシアス メヒコ 日本 三度韓国戦へ

2006-03-19 | World Baseball Classic
“ Gracias ! Grasias !! Mr.Hilsen !! Thanks you very much !! “ 1998年6月30日。サンテティエンヌで行われたワールドカップ フランス大会の決勝トーナメント1回戦の好カード アルゼンチン対イングランドの後半開始早々、ベッカムとシメオネが小競り合いになりベッカムに対して1発レッドを出したデンマーク人ヒルセン主審にこの試合を中継放送する地元アルゼンチンテレビ局のアナウンサーが叫んだフレーズだが、昨日サンディエゴで行われた WBC の2次リーグ アメリカ対メキシコの試合結果そして日本の準決勝進出が決ったと解った瞬間に思い出したフレーズでもあった。 韓国に敗れ、準決勝進出の望みがほぼ潰えかけた時にメキシコの奮起を祈った。かつてアメリカ白人に“サッカーなんて中南米のみるもの。私は(アメリカン)フットボールしか興味ないね”と言われた事がある。アメリカには数多くのヒスパニック系移民がおり、合法な移民も多いがその一方で今でもメキシコから、あるいはメキシコを経由して不法に入国する人が絶えない。その影響かアメリカに在住するヒスパニック系移民と白人達との間では微妙な問題が長年介在する。私の聞いた白人のコメントはこの微妙な問題を集約しているのではないか? メキシコとは言え、2打点のカントゥ(デビルレイズ)を始めアメリカ戦のスタメン6人が、8人の投入された投手のうち先発のペレス(パイレーツ)を含む7人は現役メジャー選手だ。アメリカという自由の国の中で、そのアイデンティティを示すためにも、また自国からやって来た移民の為にも惨敗だけは、とメキシコの選手達は思っていたのではないか? やはり国際大会になるとそのアイデンティティは大切だ。今回快進撃を続ける韓国と日本の差はそこにあると思う。トリノ五輪で荒川静香が優勝を決ると日の丸を背負って行ったリンク内でのビクトリーランをNHKは左翼連中に気兼ねしてそのシーンをカットしたと言う。 その韓国と明日3度目の対戦となる。連敗を喫し3度目が無いと思われていたのに、その機会がもたらされた事に選手達は深く感謝して貰いたい。16日、日本を破り、マウンド上に大極旗を立てたドジャース所属の徐在応が明日は先発予定だ。その徐在応は韓国新聞紙にこう語る。

 「日本選手の立場まで考える必要はないと思います。もし、日本選手のことを思って行動していたとしたら、わざとそうやったように見えたかもしれませんね。うちらが勝ったからうちらのお祝いをしたまでで、日本選手たちのことまで考えていられません」
     中略
「アナハイムでの日本戦が終わった後、マウンドに太極旗を立てたセレモニーに対し、日本選手が非常に気分を害しているが、明日登板する決意について聞かせてほしい」という取材陣の質問に、「日本を意識する必要は全くない」と言い切った。
「明日の試合(日本との準決勝)では韓国チームも最善を尽くすつもりで、日本も最善を尽くすだろう。勝ったチームはまた勝利を喜び、自分たちの祝い事をするわけで、負けたチームは首をうなだれて家に帰っていくだけだ。首をうなだれないためにも最善を尽くして投げ切る」と話した。

 また、「韓国と日本はアジアで最も野球のうまい国だ。過ぎ去った歴史になるが、昔から先祖たちがライバル、あるいは被害者意識を持っているし、いまだに私たち世代もその影響を受けている。それで日本を見ると必ず勝たなければならない、という思いに駆り立てられる」と、韓日戦の特別な関係について説明した。

 徐在応はインタビュー後、「すばらしいコメントでした」という記者の言葉に、ユニホームの胸に刻まれた太極旗を指差しながら「大韓民国ナンバーワン」と言ってみせた。

さてこの発言を受けて奮起を出来ないスポーツ選手がいるだろうか?

公式戦での日本戦連勝に喜びを隠さない元韓国代表選手もいた。1982年、地元で開催された野球の世界選手権で日本をサヨナラで破り、世界選手権優勝に導く原動力となった人物、現代の金在搏(キム・ジェバク)監督。金在搏氏は今回中日でプレーした宣銅烈(ソン・ドンヨル)氏と共に今回は金寅植(キム・インシク)監督の補佐役として活躍している。 今回は勝負強い韓国打線がクローズアップされているが、鉄壁の守備も韓国の特徴だ。その“クモの巣のような”守備網を築き上げ、1次リーグの台湾戦と2次リーグではパク・ジンマン(サムスン)、キム・ジョングクらが安打性の打球を次々と抑えたのも、金在搏コーチの作り上げた「作品」ともいえる。
そして韓国がアメリカ、日本を連覇した事に目頭を抑える人たちも、韓国プロ野球元年の1982年、朴哲淳(パク・チョルスン/当時OB)は、米大リーグのミルウォーキー・ブルワーズのマイナーリーグでつちかったパームボールなど多彩な変化球を駆使し、韓国で22連勝という空前絶後の記録を打ち立て、そのその翌年の1983年に日本プロ野球界を引退し、サンミに入団した張明夫(チャン・ミョンブ/日本名:福士敬章)がずば抜けた制球力で韓国打者をほんろうし、30勝(そのうち26試合は完投)をマークした。両選手の活躍は、当時の韓国プロ野球の現住所をまざまざと物語っていた。 張明夫は韓国社会に溶け込むときの苦労もかつて語っていた。

しかし 韓国代表金寅植監督はさすがに冷静だ。 日本戦連勝、アメリカ戦の勝利にも

 「今回の大会出場国はそれぞれ毎シーズン100試合以上を行っている。今回の大会はリーグ戦だが、事実上はトーナメントの性格の試合だ。2~3試合勝ったからといって水準が上がるというものではない。日本は今回の代表チーム水準のチームを3~4チーム作ることができるが、韓国はこのようなチームを1つ程度しか作れない。韓国が1~2度勝ったからといって日本より優位に立ったとは思わない。先進野球に近づくためには、若い指導者が海外で野球を学び、子どもたちを指導しなければならない。
と新聞記者のインタビューに応え、今回の大会を機にメジャーリーグに進出する韓国選手が増えれば韓国野球としての損失はないか? との問にも
 
「韓国の選手が日本や米国にスカウトされ現地で活躍するのは良いことだ。できるだけ多くの選手がそうされる必要がある。そして韓国に戻った後、若い選手たちを指導してくれれば韓国野球はどんどん発展するだろう」

と応える。楽天の野村監督が現役選手のメジャー嗜好に苦言を隠さないのとは対照的だ。この大会で今まで韓国優位なのがうなづける。 だが韓国のマスコミはまだまだ新聞発行部数を伸ばしたいようだ。ドーピングで陽性反応の出た朴明桓(パク・ミョンファン/斗山)の報道を

日本のマスコミはドーピング検査で陽性反応を示したWBC韓国代表朴明桓(パク・ミョンファン/斗山)投手を取材するため、韓国代表の宿所のホテル付近に陣取り取材合戦を繰り広げている、と聯合ニュースは19日付けで報じた。 聯合ニュースは、韓国代表選手の間では「日本が韓国相手に3連敗した場合、ドーピングしたとケチをつけてくるかもしれない」との声が上がっている、と報じた。

もうすぐプレイボールが宣告されるWBCの準決勝韓国戦。 韓国に負けるなというよりも、同じ相手に国際試合で3タテを喰らうことが許される、許されないのレベルではない。 3度目の挑戦権を得られた事がどれだけありがたいことか?スポーツを経験した選手なら、競技性を追及した選手ならだれもが理解するところだ。アメリカに在留するのは韓国系の人々だけではない。日本人も多くいるのだ。彼らは日本に住んでいる私達よりずっと国を思う気持ちが強い。 彼らをこれ以上悲しませる様な結果だけは残して欲しくない。いや残すことなど考えられない。

イングランド ロン=グリーンウッド監督時代

2006-03-15 | EURO Football
開催国ドイツの不振、フランスがスロヴァキアに敗れるなど欧州戦線はワールドカップに向けて課題の多い国もあるが、それを尻目にウルグアイを逆転で破ったイングランド株は上昇中だ。11月のアルゼンチン戦でも出場した202cmの長身選手Liverpool 所属のクラウチがルーニーと替わって入った後に同点ゴールを決めるとJコールがロスタイムに逆転ゴールを叩き込みアルゼンチン戦に続く劇的な勝利。不安はAコールのバックアップと期待されていた左バックのブリッジがわずか30分で負傷退場したこととオーウェンの回復時期か? 欧州勢の中ではイタリアとイングランドがベスト4以上候補と早くも予想する欧州専門誌も。 話題が少し前になるがトリノ五輪開幕直前の2月9日付 TIMES 紙はかつてのイングランド監督、ロン=グリーンウッド氏の逝去を伝えた。 享年84歳であった。グリーンウッド氏は1961年~1974年まで West Ham United の監督を努め1964年にはFA Cup でチームを優勝に導き、翌年のウェンブリーで行われた 欧州Cup Winners Cup のTSVミュンヘンとの決勝戦では 2-0 と勝利を収め欧州タイトルも手に入れた。1975年からは General Manager に退いていたが1977年にイングランド代表監督の大役が廻ってくる。しかし、当時のイングランドは非常に困難な時期であった。地元で開催されたワールドカップで優勝監督となったアルフ=ラムゼィは1970年メキシコ大会、西ドイツとの2-1とリードしていた準々決勝戦でボビー=チャールトンを引っ込める愚行を犯し、延長戦に敗れる敗因を作りながら(敗因のもう1つのはGKゴードン=バンクスがメキシコの生水が原因で腹痛を起こすという“モクテマスの復讐”により起用できなかった事。)引き続き指揮を取り続けた。その結果 1973年に行われたワールドカップ予選ではミュンヘン五輪金メダルの Poland に屈し、西ドイツ大会のピッチに現れなかった。ラムゼィの後を継いだドン=レヴィは更に悲惨だった。当時の欧州サッカーは世界のトップクラスがここを目指したと言われるブンデスリーガを持つドイツの全盛期。欧州チャンピオンズカップでもバイエルンミュンヘンが3連覇を果たすがイングランドは欧州のクラブカップ戦でも芳しくなかった。1976年の欧州選手権は優勝したチェコスロヴァキアに屈し準々決勝に進めず、同年11月17日、ローマで行われたイタリアとのワールドカップ予選に、 0-2 と惨敗し、巻き返しを誓ったアルゼンチン行きに早くも黄信号が灯ると、レヴィは辞任(一説には更迭されたくなかったから?)その直後に中東のクラブチームに大金を持って迎えられ地元では非難の嵐に。そんな中、あくまでも暫定的にという条件でグリーンウッド氏が残りの3試合を指揮することに。1977年11月16日、ウェンブリーで過去数年の不振を払拭するような内容でイタリアを 2-0 と破るが、得失点差で2大会連続ワールドカップ予選落ちとなり、4年前に“イングランドは Football の荒野を4年間さまよわねばならない”と地元サポーターに嘆かれたのが8年間となってしまった。アルゼンチンワールドカップ開幕直前にウェンブリーにブラジルを迎え 1-1 と好ゲームを披露したが、ワールドカップ予選落ちの事実を慰められるものではなかった。グリーンウッド氏は予選後もイングランドを指揮することとなったが、欧州大陸の良い所(特に当時の西ドイツ)は積極的に取り入れ改革を進めた。またLiverpool が76-77, 77-78, Nottingham Forest が78-79, 79-80 と連続して欧州チャンピオンズカップを制し、イングランフットボール界が再浮上を始める。するとグリーンウッドはノティンガムからウッドコック、ブブ=アンダーソンを代表に呼ぶなど新しい選手を起用。アンダーソンは史上初めて黒人代表選手だった。世界的には話題にならなかったが1979年には英国選手権、いわゆる Home International で2連覇をかざるそして 欧州選手権予選ではケビン=キーガンが8試合7得点の活躍で7勝1分けと無敗で本戦出場を決める。しかし予選で同組だったのは北アイルランド、アイルランド、ブルガリア、デンマークと比較的楽な組でもあった。だがイタリアで行われた本戦、初戦のベルギー戦ではフーリガンがスタンドで暴れ機動隊が催涙弾を発砲。GKクレメンスがその被害を受け試合が中断してしまうなどいい所無く引分に終わり、第二戦地元イタリアとの戦いではエース、キーガンがタルデリに痛めつけられ結局決勝に進出することなく帰国をすることに。そしてこの大会は西ドイツが優勝した。イングランドは3大会ぶりというよりも20年ぶりの予選突破を目指しワールドカップ予選に臨むがルーマニア、スイスにアウェーで敗れまたもや暗雲が漂う。後に自叙伝“Yours Sincerely “ に述べられているがこの時退任を決めたが説得されて指揮を取り続けた。だがその直後のオスロでのノルウェー戦も 1-2 で落とし、著名な地元解説者 Bjorn Lillelien に試合後 “ Can you hear me, Maggie Thatcher ? Your boys took a helluva beating “ ( サッチャー(首相)さん聞えますか?あなたの子供達が打ちひしがれています ) とコメントされた。しかし、ハンガリーにはホーム&アウェーに勝利し、最終戦のウェンブリーでのハンガリー戦ではロブソン、ブルッキング、キーガンらの好プレーで 1-0 と勝利を収め連続予選落ちにピリオドを打った。
スペインワールドカップではイングランドはシードされ他の列強からは疑問の声が鳴り止まなかったが、初戦のフランス戦、開始27秒でロブソンのゴールで先制しプラティニ率いるフランスを 3-1 で下すと、チェコスロヴァキア、クウェートに連勝し全勝で2次リーグへ。まず西ドイツと対戦した。過去のワールドカップでの対戦は1勝1敗。だが西ドイツのルンメニンゲのシュートがバーを叩いた以外は見せ場が乏しく、試合後西ドイツデアバル監督が語った“お互い敬意を払いながらゲームに臨んだ”と言うとおりスコアレスドローに終わる。続くスペイン戦で 2-1 以上のスコアで勝てば準決勝進出であったが、既に西ドイツに破れベスト4進出の路が途絶えたスペイン相手に攻めあぐねゴールを割れない。後半19分、グリーンウッドは怪我で本大会出場機会の無かったキーガン、ブルッキングをついに投入する。しかし二人は1度ずつ決定機を逃し、結局スコアレスドローに終わり、意地を見せた地元スペイン代表の引き立て役に終わり無敗で大会を後にした。この二人の投入は彼らベテランの力を頼ったのか、それとも花道を作ったのか?試合後 Times 紙は、“これまでイングランドは地元で行われた大会以外はベスト4以上の成績は無い。グリーンウッドは退任前にそれにどれだけ近づけたか知った。彼はイングランド代表監督として、ハンガリーに勝利を収めてから9連勝を飾ったその功績に慰められるべきだ。”と述べている。 
イングランドのベスト4はその8年後イタリアでようやく遂げられた。7月、ワールドカップが母国に初めてもたらされるか?その可能性は前回よりは高いと思われる。 

ACL 日本勢黒星発進

2006-03-13 | Football Asia
先週から開幕した J League 2試合を消化した我が愛する京都パープルサンガの惨状は目を覆うばかりだ。初戦の 1-4 での完敗はアウェィで優勝を狙えるマリノス相手ではとあきらめもついた。しかしホーム開幕戦となるフロンターレ戦。一昨シーズンはJ2での直接対決で歯が立たなかったが、ここを相手にどれだけやれるかが今シーズンの順位を占う1つのバロメーターになると思っていた。確かに簡単に勝てるとは思わなかった。敗戦は仕方が無い、昨シーズン圧倒的な強さでJ2 1位で昇格を決めたが、一昨シーズンにJ1から降格したチームが無くJ2のレベルは前年より上回っていたとは言えない。しかし2試合で11失点はとは、そして川崎戦7失点は頂けない。野球でも5点差の負けでは惜敗とは言わない。サッカーで5点差とは….. 開幕2試合でもう降格の心配をせねばならないといったら早計か?それにホーム開幕戦というのに公式入場者数が7921人とは少なすぎないか?西京極競技場は交通の便も決して悪くないところなのだが。 今年はワールドカップイヤァー、そして年末に行われる世界クラブ選手権ではJリーグ王者が地元開催枠で出場出来る。可能性として欧州や南米チャンピオンチームと公式に試合が出来るのだ。J League への注目も高まるだろう。私が中学生の頃、欧州のカップ戦は Champions Cup, Cup Winners Cup , UEFA Cup と3大会毎年開催されていた。また南米でもリベルタドーレス杯は当時から専門誌上でも紹介されていた。 TOYOTA CUP の生まれる何年も前の話だ。1976年新聞の片隅に当時釜本が現役でプレーしていたヤンマーディーゼルがタイで開催されたクィーンズカップで韓国の中小銀行を含む東南アジアのクラブチーム同士との大会で優勝を飾った記事が報道された。当時はワールドカップはおろか五輪予選でも日本代表はアジアの壁を破れず、サッカーファンは自国の公式国際試合に飢えていた。だから私は欧州や南米で行われているクラブレベルの公式大会がアジアで行われないか?と夢見ていた。当時全盛だったヤンマーディーゼル、それに奥寺、永井がいた古河電工や名門三菱重工それに当時新興勢力だったフジタ工業らがアジアのクラブチームとどんな試合をするのだろうと想像を掻き立てたものだった。 だがその実現は以外に早く来た。1986年に古河電工が1988年には読売クラブがアジアクラブ選手権で優勝をおさめた。しかしあまり話題にはならなかった。特に1989年9月に、当時加藤久、堀池、都並、松木、武田ら代表クラスを擁した読売クラブはアジアチャンピオンとしてホーム&アウェーでアフリカチャンピオンのアル=アハリ(昨年末世界クラブ選手権でアフリカ代表として来日)と戦ったりと、出場権さえ得ればこの大会には他のチームよりも積極的に参加していた様に思う。また2001年にはアジアで優勝したジュビロ磐田が破綻した世界クラブ選手権でレアルマドリードと戦い損ねたのを憶えておられる方もいるだろう. しかし、アジアは広く、またサッカーのレベルも経済状態も較差が大きすぎて大会にならない様な事も。たとえばこの大会の為に来日したパキスタンのチームの選手の何人かは試合後日本に不法滞在すべく行方不明になる一幕も。そういった問題を是正する為に AFC アジアサッカー連盟は新たなフォーマットを制定し2003年からアジアチャンピオンズカップをスタートさせた。広いアジア地区を東西に分け上位ランク国だけを選びクラブレベルでの公式大会だ。東地区では日本、韓国、中国、タイ、インドネシア、ベトナムの6カ国にそれぞれ2チームずつ出場枠が割り当てられている。今回は事務的手続きを怠ったタイ、インドネシア、イエメン、カタールの6チームが失格となった。3月8日既に行われた第一節では日本から出場していつガンバ大阪、ベルディ東京は共に黒星スタート。最近私はJリーグが何故マスコミの間で“アジア最高峰のリーグ”と言われているのか理解できない.運営面は世界でもトップクラスだろう.しかし肝心のサッカーのレベル自体はどうだろう?確かにガンバは大黒が抜けたり、ベルディは降格の影響で戦力が大幅にダウンしているが、過去この大会に参加したJ League のチームはどこも準々決勝に進めていない。その原因に、私は3月にスタートするJリーグ公式戦との過密な日程と考えていた。しかしよく考えれば韓国も中国も国内リーグは3月スタート。中国は日本より長い距離を移動しながらのACL参戦で昨年は深圳健刀宝も山東魯山泰山も準々決勝に進出した。この両チームの前にマリノス、ジュビロが敗れ去った.今年はACLグループリーグ終了の5月17日までにガンバ大阪は18試合こなさねばならないが、上海実徳は25試合だ. 欧州でプレーする中村、中田はアジアでも屈指の選手だ.だが韓国にも朴智星や李栄杓が中国にも孫継海、李鉄がいる.はっきり言って今の日本人選手は個々のレベルでは欧州組以外はアジアでも超一流のレベルではなく、個々の力が劣るのを組織でカバーしているのだ.そこに中村や中田、調子のいい時の小野が加わりチームとしての力がアジアでトップクラスになっている.しかし個々の能力1つを取るとブンデスリーガで主力を張るマハダビキア、カリミ、ハシュミアンらを輩出したイランには大きく水を開けられ、東アジアでも代表以外のレベルでは韓国、中国に遅れを取っているのではないか?その現実がACLの過去の結果になっていると思う.サッカーは個人種目では無いが、個人の能力があってこそ初めてハイレベルの組織力に繋がると思う. 何度かJリーグチームのACLでの戦いぶりをテレビで観たが韓国、中国勢のパワーとスピードに後手、後手を踏んでいるようにしか見えない. 前述したが、ACLはアジア全ての国に出場権があるのではなく、シンガポール等は AFC Cup 更に弱小の国のクラブはAFCプレジデントカップに参加する様になっている. 確かにACL は遠征費用の割には金銭的な見返りの乏しい大会だ.優勝の為には昨年、アル=イテハドが見せたようにミドルスブラで出番が無くて燻っていたカメルーン人選手Joseph Desire Job やブラジル人ストライカー Tcheco を大枚叩いて引っ張ってくるチームを破らねばならない. そのアル=イテハドに対抗しうるチームは日本どころか東アジア地区には存在しないかもしれない. しかし、日本はマスコミを始めJリーグ自身も遠くを見すぎだ.ここは最初のステップとして東アジアで絶対的な力を示せるようになるのが急務だと思うのだが.

ドイツ帝国の危機?

2006-03-10 | EURO Football
 
Das Dritte Reich 直訳すれが第三帝国。これは悪名高いヒットラー統治下時代のドイツ時代の事をこう呼ぶ。当時ドイツで発行された切手を見ると “ Das Dritte Reich “ と印刷されている。戦後のドイツの復興の精神的支えとなったのは1954年ワールドカップスイス大会、決勝でマジックマジャール、ハンガリーを逆転で降して世界王者になった事だ。試合終了の瞬間のラジオ中継のアナウンサーが “ Aus! Aus! Aus! Das Spiel ist Aus ! Deuschland ist Weltmeister ( 終了! 終了! 終了! 試合終了!!ドイツは世界王者に !! ) と叫んだのはドイツでは有名だ。当時1次リーグでもハンガリーと当りそこでは 3-8で大敗しながら決勝戦で 3-2と勝利を収め、奇蹟の優勝と紹介する日本のマスコミもいるが、これは部分的には正しくない。当時の試合形式は特異で1次リーグは4カ国が集まったが総当りでなく、上位シード国と下位シード国の2カ国ずつがそれぞれ対戦し各国2試合の勝敗で上位2カ国が準々決勝に進出するというフォーマットであった。そして得失点は関係なく勝数で並べばプレーオフで勝者を決めた。例えばドイツが所属したGroup 2 は ハンガリー、トルコが上位シード、韓国、ドイツが下位シード国。当時のドイツ代表ヘルベルガー監督は格下トルコがシードされた事を活用。初戦のトルコ戦に 7-2 と大勝すると次戦のハンガリー戦は主将のフリッツ=バルターこそ起用したがレギュラー7人を休ませる布陣。国境を越えてスイスにまできたドイツサポーターからは非難のブーイングが飛ぶ中ハンガリーに3-8 で完敗。しかし続く韓国を 9-0と一蹴したトルコとのプレーオフにはベストメンバーで楽々 4-1 と快勝し準々決勝に。しかも準々決勝は各組1位の国同士、2位の組み同士でゾーンが分かれて折り、ドイツは決勝まで比較的楽なユーゴ、オーストリアとの戦いを経ての決勝進出であった。一方のハンガリーはブラジル、ウルグアイといった当時の列強との戦いを経ねばならなかった。また1次リーグのドイツ戦でエース、プスカシュがくるぶしを痛めて決勝戦までプレー出来なかった。 この優勝を含めて、ドイツはワールドカップ優勝3回、準優勝4回。欧州選手権優勝3回、準優勝2回と欧州では最高の成績を誇る。確かにこの背景には幸運もあった。1974年地元ワールドカップでは1次リーグ、注目の東西ドイツ対決に 0-1 で敗れたがこれにより2次リーグではオランダ、ブラジルとの対戦が避けられた。1982年スペイン大会では初戦のアルジェリアにまさかの敗北を喫したが第三戦で同じドイツ語を母国語とするオーストリアとの出来試合によって2次リーグに進出、そして決勝にたどり着いた。また前回のワールドカップ決勝戦までの対戦相手を思い出して欲しい。サウジアラビア、アイルランド、カメルーン、パラグアイ、アメリカ、韓国。列強と呼ぶにはふさわしい国があったかどうか?決勝戦がワールドカップ史上初めてブラジルとの対戦と言う事実がその幸運を物語る。このドイツが地元ワールドカップを3ヵ月後に控えて苦しんでいる。3月1日、フィレンツェのイタリア戦はジラルディーニョ、トニーのFWにいいようにしてやられ、ポドルスキー、クローゼ、バラックの攻撃陣はネスタ、カンナバーロの前に仕事が出来ず。 4-1 と歴史的な完敗。今週行なわれた Champions League でもブレーメンはユーベの前に競り負け、期待のバイエルンはサンシーロで AC Milan のインザーギの自信付けさせられ役に。これにはビエリとトッティ以外のイタリア人が大喜びしているに違いない。また、昨日行なわれた UEFA CUP 。HSV Hamburg はブカレストで Rapid に終了2分前に連続失点を食らい 2-0 と先行された。高原が71分までプレーしたのが救いか?私が当地に駐在時代の1994年も UEFA CUP でアイントラハトフランクフルトが Rapid に敗れたが続くホームでの勝利で逆転をした。そして Schalke04は Champions League のグループリーグでAC Milan に敗れて3位に終わり UEFA CUP に回ったがここでもイタリアの Palermo に 1-0 と敗れるスタートに。イタリア、ドイツをそれぞれ代表するクラブ AC Milan と バイエルンミュンヘンは過去6試合 Champions League, Champions Cup で直接対戦したが 89-90年シーズンのChampions Cupの準決勝のセカンドレグ、ミュンヘンで延長戦の末 2-1と勝利した以外白星はなく、シーズンでさえファーストレグをサンシーロで 1-0 で勝利を収めたミランが決勝に進み、連覇を達成している。当時インテルにはくリンスマン、ブレーメ、ローター=マテウスのドイツ3人衆がいたが、彼らが控えに回りドイツに帰国していった事は私でもショックだった。ドイツのクラブチームが大舞台でセイリエAのチームを破ったのは 96-97Champions League決勝戦でユーベントスをアンドレアス=メラー擁するボルシア=ドルトムントが破ったことくらいしか記憶に出てこない。それだけ選手個々のレベルに今でも更に格差が出ているのだろうか?だがそれだけではないと思う。ドイツ代表監督はスイス大会のヘルベルガー監督、イングラント大会~ドイツ大会のシェーン監督、スペイン大会のデアバル監督そしてベッケンバウアー監督と非常にシャープでインテリジェンスに富んだ監督が多かったのではないか?フェラー、クリンスマン。歴代の監督より劣るとは言いたくないが、元バイエルン、ドルトムントの監督ヒッツフェルト等他にも候補者はいたであろう。7月にワールドカップを頭上に持ち上げているのがドイツでなければ….. 想像はしたくないがドイツが優勝するという観測も希望的なのかな??

北京五輪 大陸別出場枠発表

2006-03-09 | 五輪 U-20, U-17
懸案になっている日中間の東シナ海排他的水域での資源開発問題、というよりも中国が日本領海内に存在する地下資源に手を出していると言ったほうが解り易いか? 珍しく日本は強行な態度を取り続けているというよりも、正当な主張を続けていると言えよう。靖国神社にしてもこの海底資源にしても世界の第三者の誰に訊いても中国の主張する事は正当性を欠いている。むしろ日本政府の及び腰外交を不思議がる人々の方が世界には多い。今地球上でここにしかない様な高度経済成長を続けている?中国はある意味では方々でお得意さんだ。オーストラリアでは1次産品が大量に中国に買われており、豪州ドルもこの一年で2割以上強くなっている。南米諸国でも大豆等の農産物をごっそりと中国の買い付け人が持って還るので好景気らしい。そしてかつては“修正主義”と非難し敵国視を続けていたロシアはその潤沢な原油資源を購入するために日ソ時代から共同開発をしているシベリア氷原に眠る原油を横取りしようとクレムリンに擦り寄っている。そうかと思えば軍事政権として悪評のミャンマー現政権に取り入るその理由はこの地を通って原油等輸入品を本国に引くルートを敷きたいからだ。 再来年に北京で五輪が開催されるが、この五輪後の中国経済を不安視する人が多い。その理由としてまず日本が円借款を以降打ち切る予定だからと言うことが挙げられる。 少し古いが2月14日、 FIFA Vice President と IOC 委員を兼任する Issa Hayatou 氏よりサッカーの大陸別出場割り当てが下記の様に発表された。 
アジアAFC:4カ国          アフリカCAF : 3カ国       北中米CONCACAF:2カ国
南米 CONMEBOL : 2カ国   オセアニアOFC : 1カ国      欧州UEFA : 4カ国 

注目のアジアは4カ国、そのうち1カ国は開催国の中国だから残り3カ国を予選を通じて争う。前回アテネ大会のアジア枠は3カ国。アジアで開催された1988年ソウル五輪ではホスト国、韓国を含めて3カ国 ( 中国、イラクが予選を突破 ) であったのでこの決定は日本にとっては吉報だ。 前回出場枠4だったアフリカ大陸 ( マリ, ガーナ、チュニジア、モロッコ)が1つ減らされ、他の大陸は前回と同じ。これはイラクがベスト4に残った事に寄与するのだろう。 ここで気になるのはオーストラリア。既に AFC に加盟しているのだからアジア大陸代表で予選にエントリーすると思う。そうなるとオセアニア地区、これはもうニュージーランドで決ったようなものだ。
また北京五輪サイドではフーリガン対策としてテロリストの対策用としても活用されるカメラをすえつけると新華社通信は伝えた。このカメラ、いくら変装、化粧しても当の本人と見破ることが出来るそうだ。対象になるのはもちろん地元中国のフーリガンだ。先のアジアカップでの日本に対する暴動、また1985年のワールドカップ予選で香港に敗れた後の暴動再発か? だが一昨年のアジアカップにおいては地元の警官隊が暴れる地元の市民を取り締まらなかった事が問題であったのだが。 この五輪でも同じ様なことが起こるかも。私的にはアジアの国々は各組に1カ国ずつ割り振られるので、準々決勝で日本が中国を破ると言うのが希望なのだが。その前に今から五輪予選を胸算用するのは早いのは承知だが、ざっとアジア諸国をみても韓国、オーストラリア、イラン、イラクと強豪が並ぶ。バーレーン、レバノン、UAE カタール サウジアラビア、 列挙するだけで少し不安になる。この五輪世代には平山、家永らが中心になるだろうが前回より激戦は避けられないだろう。 更なる強化を期待する。でも2年なんてあっという間にくるだろうな。俺も年をとるわけだわ。