Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

起来~、起来~、起来~、前進、前進、前進

2012-08-08 | 夏季五輪
このオリンピックも中国国歌を何度聴くのだろう?大会中日を過ぎて金メダル獲得数はトップを行く。
子供の時はいつもアメリカとソ連がメダル争いをしていたけど最後は State Amateur で構成されたソ連が金メダル数でアメリカを上回っていた記憶があった。 ヘルシンキ五輪からオリンピックに参加し始めたソ連はアメリカの40個に続く22個の金メダルを獲得し2位に入ると4年後のメルボルン五輪では37個の金メダルを勝ち取り32個のアメリカを抑えて1位に。 4年後のローマ五輪でもソ連の金メダル獲得数はアメリカの34個を9個上回る43個に。しかし続く東京 ( アメリカ36 ソ連 30 ) メキシコ五輪 ( アメリカ45 ソ連 29 ) ではアメリカがソ連を上回る。そして12年振りに欧州で開催されたミュンヘン五輪では東ドイツが台頭して来て事もありアメリカの金メダル数は 33 に激減、ソ連は50に伸ばした。欧州で開催される五輪ではソ連の強さが目立ったがそれは選手亡命の危機が薄いからか? 
だが4年後のモントリオール五輪では東ドイツが40個の金メダルを獲得しアメリカの34個を上回りソ連の49個に続く金メダル獲得数で2位に入った。 Korniel Enderが金メダル4つを勝ち取る等女子水泳で13種目中 らのいた東ドイツは11種目の金メダルを勝ち取り、アメリカの金メダルは最終日の 4 x 100m リレーのみとなった。この時は中学生で最後にアメリカチームが大喜びしているのを憶えている。



この優劣は12年後、東西両陣営が揃った1988年ソウル五輪でも続き36個のアメリカはソ連(55個)東ドイツ(37個)の後塵を拝した。 女子水泳種目で東ドイツのKristin Otto が個人で3つ、リレーで3つのあわせて6個の金メダルを獲得したのを始め14種目中10種目の金メダルが東ドイツ選手で占められたのを憶えている。 



そしてこの翌年誰もが想像しなかった共産圏の崩壊が起こり東ドイツはドイツに吸収され、ソ連は翌バルセロナ五輪こそ独立国家共同体と云う国体で出場しアメリカの37個の金メダルを上回る45個の金メダルを勝ち取ったが、次のアトランタ五輪からは旧ソ連邦は各共和国が独立し、アメリカが金メダル獲得数では首位を走っていた。 そして東ドイツを吸収したドイツはそれほど金メダル数を伸ばせず、むしろ旧東ドイツが前から噂されていた国家での薬物体制が明らかになった。
アメリカに対抗する国として中国が台頭して来たのはシドニー五輪からでこの時はアメリカ(40個)ロシア(32個)に次ぐ3番目となる28個の金メダルを獲得した。
4年後のアテネ五輪ではアメリカが中国が32個の金メダルを勝ち取り40個の金メダルを勝ち取ったアメリカに次いで遂に金メダル数で2番目に上がると前回、2008年、中国は地元開催の北京五輪でアメリカの36個に15個も差を付ける51個の金メダルを獲得する。 競技種目数の違いはあるが、東西両陣営が揃った五輪で1カ国で50個以上の金メダルを勝ち取ったのはソウル五輪のソ連以来であった。
そして今年のロンドン五輪。 大会12日目を終えた時点で金メダル数をみると首位は中国の34個。 次いでアメリカが30個獲得しており序盤なかなか金メダリストが生まれなかった地元英国が12個で3番目に付けている。 そして韓国が12個も金メダルを勝ち取り4番目に付けており、北朝鮮が既に4個の金メダルを獲得している。 ロシアが10個(しかし銀メダル18個、銅メダル20個)しか得ていない。連邦は崩壊したけどかつての勢いは….
日本は金メダルがまだ2個(柔道松本、体操内村)のみだが銀メダル13個、銅メダル14個も勝ち取っておりメダル数だけで言うと5番目である。 

Chinese Taipei, Hong Kong China….

オリンピックで選手達の紹介後に国籍も当然アナウンスされる。台湾や香港の選手はこういうときどう思うのだろう? 女子重量挙げ 53kg で銀メダルを勝ち取った淑浄許 Chun Kuo Hsing は表彰台に上がり国旗が掲揚されるときにどう思ったのだろう。“それは多くの人が思うことだ、たとえそれが容易でないにしても。事実我々は別の国である。 Chinese Taipei は地理的というよりもむしろ政治的な用語。我々は好きではないが受け入れねばならない。それはアスリートにとってはフェアーではない。 我々はそれを説明し、なぜこういう国名と国旗を使っているかを解って貰っている。そしてその国旗を見ているがそれはただ政治的なことだけだ。“ 彼女はそう語った。 
この記事は英国紙で見つけた。 日本の新聞でどこか報道したかな? テレビである中国人が台湾人も香港人もみな中国人。台湾も香港も中国の一部。といって台湾人を怒らせていた。 
1976年モントリオール五輪では台湾呼称問題で開会式の前日に台湾選手団が引き上げてしまった。
この五輪、中国は台湾(当時は中華民国と広く呼ばれていた)が参加をすることに抗議し早々と不参加を表明していたが、大会が開催される5年前には既に国際連合総会が中国の唯一の合法的代表は中華人民共和国であり蒋介石の代表である中華民国を即時追放するという内容の国連総会決議2758を採択したことにより、中華民国は国連脱退を宣言していた。
そして1970年にカナダは中国と国交を樹立したことをはじめとして、中華人民共和国は西側諸国との関係改善を続け、中華民国とこれらの国との国交断絶が相次いだ。
そしてモントリオール五輪で、開催国のカナダは、「R.O.C.=中華民国」の呼称とその国旗である青天白日満地紅旗を使う限り、台湾からの選手団を受け入れられないとの方針をとった。IOCは1969年に交わした取り決めに反するとして非難したが、カナダは態度を変えず、この問題によりモントリオール開催の中止も検討された。IOCが示した「台湾」という呼称を使い五輪旗を掲げる妥協案を台北の中華奧林匹克委員會(R.O.C.オリンピック委員会)は受け入れず、アメリカでカナダ入国を待っていた選手団を呼び戻した。 モントリオール五輪が開催される前年に蒋介石はこの世を去っていた

永遠に経済大国であるという幻想に酔っ払っている政府、役人そして大企業のえらいさんはいつになったら夢から覚めるのでしょう? がんばれ石原東京都知事!



他国の金メダルまで取るなよ….
大会序盤カザフスタンの女子重量挙げ選手が金メダルを連取した。 しかしこの金メダルも中国に帰属するものであると中国では報道されたらしい。

重量挙げ女子63キロ級で金メダルを獲得したマイア・マネザ(カザフスタン)。一方的に“中国出身”と主張され、当惑しているという(ロイター)
 【北京=川越一】ロンドン五輪の重量挙げ女子で金メダルを獲得した2人のカザフスタン選手について、国営新華社通信など中国メディアが「中国人」だと言い張り、物議を醸している。2人は中国メディアが主張する「国籍変更」を否定。他国の金メダルまで中国に関連付けようとする姿勢に、中国国内でも失笑が起きている。
 「中国人」とされているのは、53キロ級の金メダリスト、ズルフィア・チンシャンロ(19)と63キロ級を制したマイア・マネザ(26)。中国メディアは、2人とも中国語ができ、それぞれ「趙長玲(または趙常寧)」「姚麗」という“本名”を持っていると報じている。
 ロンドン五輪公式データでは、チンシャンロはカザフスタン最大の都市アルマトイ出身。清代に中央アジアに逃れた回族の末裔とされる東干族で、伝統的に中国語を話すことができるという。マネザは、彼女自身によると、キルギス生まれで両親とともに10年ほど中国で暮らした経験がある。
一方、中国メディアによれば、チンシャンロの出身地は湖南省の山村。マネザは遼寧省で生まれ育ち、後にコーチに従って湖南省に転籍したという。ともに、競技の普及計画によりカザフスタンに送り出されたというのが中国側が唱える説だ。マネザは「中国で重量挙げの練習をしたことはない」と反論している。
 中国メディアは、マネザに中国語での取材を拒絶され、英語で質問するよう要求されたことに憤慨。「祖国を裏切った」と批判し始めた。ただ、中国のインターネット上では「裏切り」という表現をいさめる声が多い。「汚職にまみれた指導者の下、どれだけの選手が埋没しているのか」などと逆に中国に批判の矛先が向かう結果を招いている。

53kg級でジャーク131kgの五輪記録で優勝したザフスタンの Zulfiya Chinshanlo はカザフ語ではЗүлфия Чиншанло; ロシア語ではЗульфия Чиншанло と表記されるらしく趙常寧 Zhao Changning という中国名も持っているらしい。
1993年7月25日にカザフスタンの首都アルマートィで生まれたとされているが中国メディアは湖南省永州市の生まれとしているらしい。 新華社通信は Chinshanlo は中国で育ちロシア語よりもカザフ語よりも中国語を流暢に話すと報道し、彼女は2008年に湖南スポーツ省の容認を受け 63kg 級で金メダルを勝ち取ったMaiya Maneza と共にカザフスタンに移民したとされている。

Zulfiya Chinshanlo は韓国・高陽で開催された2009年の世界選手権で 219kg ( ジャーク 129kg スナッチ90kg )の記録で中国Chen Xiao Ting の記録を 1kg上回って優勝。翌年、広州で開催されたアジア大会でも 219kg の記録を出しながら中国の Li Ping が230kg ( ジャーク127, スナッチ103:WR ) の世界記録を出して優勝を果たした。そして翌年、パリの世界選手権では今度は Chinshanlo がジャークで130kgの世界新記録を出して 227kg で優勝した。
ロンドン五輪ではジャーク131kg の五輪記録、トータル226kg で金メダル。2位は台湾の淑浄許に7kg差( 219kg : 96, 123 ) をつけてた。 中国からエントリーされたのは Chen Xiao Ting も Li Ping でも無くて周俊がエントリーされ記録無しに終わった。

国際重量挙げ連盟及びロンドン五輪の公式登録では彼女はカザフスタ国籍としているのであるが2009年の世界選手権、2010年のアジア大会で彼女は新疆で2年間中国語を勉強した経験から中国人記者やマスメディアに中国語で
インタビューに答えていたことがあったらしい。それが彼女の“出生”に枝葉が突き出した発端になったらしい。
そしてロンドン五輪で金メダルを勝ち取ってからは多くの中国メディアが彼女は中国湖南省永州で生まれ育った、大会の1週間ほどまえに湖南省スポーツ省役人で元重量挙げのナショナルチームのコーチであった 馬文輝Ma Wenhui 氏が語ったとされる2008年の始めにカザフスタン側の要望により選手を5年間に渡り移民させたと云々という話を引用し始めたらしく、 Chinshanlo はカザフ人のふりをして暮らしていると言われ始めたらしい。
そして Chinshanlo は“もし自分が中国人だったら、こういうチャンスはなかっただろう。”と語り中国側で増大するこの問題については“非常にプレッシャーがかかりどうしていいかわからない。”と困惑しているとの事であった。



Maneza は63kg 級で2010年アジア大会でも 241kg ( 135, 106 ) で 韓国Kim Soo Kyng 240kg ( 133, 107 ) 中国Chen Aichan 233kg ( 125, 108 ) らを抑えて優勝している。
彼女は世界選手権では滅法強く 2009年は246kg ( ジャーク 141 スナッチ 105 ), 2010年は248kg ( ジャーク 143 スナッチ 105 ) で連続優勝を果たした。2011年は248kg ( 139,109 ) を出すも、ロシアの Svetlana Tsarukayava 255kg ( 138,117 ) の後塵を拝したもののロンドン五輪では 245kg (135、110 ) の五輪記録でTsarukayava 237kg ( 125, 112 ) を破り見事金メダルを勝ち取った。 

国際重量挙げ連盟の公式記録では彼女は旧ソ連邦キルギスタン Tokmok で生まれ北京に長年住み2007年にカザフスタンに移民したことになっているが中国メディアは Maneza は元々中国籍を持っており姚麗という名前で遼寧省の阜新市の新蒙古族の自治区である富子村で生まれ育ったと報道されており、2002年遼寧省チームに入り2006年に湖南省チームに移ってからカザフスタンに移民したとも報道された。

しかし Maneza 自身はその報道を否定しており“私はキルギスタンで生まれた。中国では重量上げの練習など一切していない。両親と一緒に中国に10年ほど住んでいたが私のハートはカザフスタンにある。”と答えている。 

あれだけ金メダルを取り続けながらまだ他国の金メダルも取りたいのだろうか???

Zulfiya Chinshanloが出場した53kg級では上述したが中国人選手の選出において問題が発生しているらしい。Chen Xiao Ting でもなく Li Ping でもない周俊が選ばれた背景が見え隠れする。

中国五輪チーム内に“いじめ疑惑” 関係者は火消しに躍起
2012.8.1 06:52 [中国]
 【北京=川越一】ロンドン五輪の重量挙げ女子53キロ級で記録なしに終わった中国の17歳、周俊に対するメディアの心ないバッシングが、国民の批判を浴びている。チーム内での“いじめ”疑惑も浮上。関係者らが火消しに躍起になっている。
 周は7月29日の試合で、スナッチの試技3回すべてを失敗。ジャークの試技を行うことなく敗退した。重量挙げは中国のお家芸の一つだけに、一部の中国メディアは「恥辱」などと表現した。
 実は周の選出には出身の湖北省体育局の利益が絡んでいた。同局は、選考会で勝った同省の選手よりも周が金メダルを獲得する確率が高いと踏み、代表に押し込んだ。
 試合では自己ベストよりも軽い重量から始めるのが鉄則だが、コーチは練習で挙げているギリギリの95キロからのスタートを指示。最初の失敗で動揺すると、経験の浅い周は修正できなかった。
 背景が明らかになると、インターネット上で周への同情論が高まった。メディア側は慌てて謝罪文を掲載。選手村では相部屋だったベテランの王明娟を1人にさせるため、リビングルームで寝かされていたとの報道も流れた。
 国営新華社通信によると、関係者は「試合前日は1人で眠り、しっかり休ませるのが中国チームの伝統だ」と説明。周の試合前日には、王がリビングルームで就寝したなどと、“いじめ”を否定した。


中国でも出身地により差別があるということは聴いてはいた。
しかし選手達の引退後はどうなのだろう? 1960年代~70年代に女子体操でメダルを独占し続けていいた旧ソ連の女子選手達の引退後は誰もがいい生活を送っていたのではないらしい。 
メキシコ五輪個人総合であのチェコスロヴァキアのベラ=チャフラフスカに次いで銀メダルとなったソ連のZinaida Voronina はアルコール中毒に悩まされ同じ体操選手だったご主人の Mikhail Voronin と32歳の時に離婚。その後工場で働いていたがある中は克服できずそれが原因で2001年に53歳で亡くなっている。 
ミュンヘン五輪で個人総合金メダルだった Tamara Lazakovich も引退後はアル中に陥り窃盗罪で逮捕されたりし長年刑務所に入り1992年11月、38歳で亡くなっている。 そして同時期、ミュンヘン五輪では平均台、床運動で金メダルを取り、段違い平行棒で脚が床についてしまうという失敗さえ無ければ個人総合も金メダルのはずで、モントリオール五輪でも団体金メダルのメンバーでミュンヘンの恋人と言われ大人気を誇った Olga Korbut は1991年にアメリカに亘った後に離婚を経験し再婚をするも2002年 US$19.35の万引きをしたとのことで逮捕され本人は否定するも最終的に US$600 の保釈金を払い釈放されたらしい。
そして彼女は現役時代コーチのセクハラに悩まされたことを1999年にプラウダに告白。「コーチの暴力を恐れ、抵抗することができなかった」と語り、セクハラ被害は数年間続いたという。他の女子選手も同様の被害を受け、刑事告発騒ぎまで起きたことを明らかにした
メキシコ五輪平均台で金メダルを勝ち取ったNatalya Kochinskaya は引退後も地元で体育教師をするなど堅実な人生をおくっているらしいが、ソ連邦崩壊後にある雑誌で“自分を含めた体操選手達の人生は厳しかった。 五輪が終わって引退後普通の学校生活に戻れない。他の女の子が読んだ本や見たことのある映画なんてまったく知らなかった。”そう語っていた。


1978年ストラスブールの世界選手権個人総合で優勝しモスクワ五輪でも金メダル候補だった Yelena Mukhina は五輪直前に首の骨を折る重傷を負い重度の身体障害を抱えた。その後懸命のリハビリを続け1984年には24歳で大学を卒業し、IOCから勲章を授与されるなどしたが2006年に亡くなった。その原因は明かされていない。もし彼女がモスクワ出身でなかったら負傷後こんなに立ち直れなかっただろう。



1970年代後半にコマネチの好敵手として活躍したNellie Vladimirovna Kim はモントリオール、モスクワ五輪で団体、個人合わせて
5個の金メダルを勝ち取った。彼女はその後順調な人生を歩み韓国や南アフリカの代表チームのコーチを歴任し国際体操連盟(FIG)・女子体操技術委員会長のポストに着いている。Nellie KimやKochinskaya 彼女の様な人生を旧ソ連邦の体操選手が引退後歩んでいるのは非常にまれなことなのであろう。
しかし Nelie Kim は名前から解るように父親は朝鮮系で母親はタタール人で生まれはタジキスタン。その後もしソ連邦が崩壊していなかったらその出自から今の様なポストに着くことは困難だっただろう。 



スポーツ選手は引退後が長い。だからその後の人生が…..この様に納得するのはオリンピックなんて夢のまた夢だった挫折者の負け惜しみなんだろうなぁ~ 






腹が立ったなぁ~ ドロー狙い批判に試合内容批判   Japan 2-0 Brazil 3rd August

2012-08-06 | 夏季五輪

この数日間腹が立って仕方が無かった。 バドミントンの無気力試合が女子サッカー1次リーグ最終戦のなでしこの試合にまで飛び火している。 ドロー狙いの何が悪いのだろう? テレビで見たバドミントンの試合は共に勝ちたくなくてわざとサーブを失敗したりシャトルをネットに当てたり。これは中国、韓国ペアー双方共に勝利を放棄した戦いぶりだった。

だけど日本対南アフリカの試合、少なくとも南アフリカは勝ちに来ていた。試合内容は全く異なるものだ。

メキシコ五輪でサッカー日本代表は引分け狙いの試合をした事がある。1次リーグ最終戦日本はスペインと引分けを“演じた”がこれは所属するグループBで2位通過をすれば準々決勝は地元メキシコとの対戦となり引き続きメキシコシティーに居座れるが首位通過となれば地元メキシコと対戦するばかりでなく数百キロ離れたブエブラ市に移動せねばならないという事からだった。首脳陣はもう一つのグループリーグの最終戦ブラジル対ナイジェリア試合経過を見ながら試合途中で引分け狙いの指示を送ったらしい。
同じ事は対戦相手のスペインも考えており後に釜本氏が“ボールを持ったら相手DFがみなドリブルコースを開けよるんや。”と語っていたの憶えている。 試合は引分け狙いの指示が徹底されず森孝滋や杉本隆一らのシュートがポストやバーを叩き日本ベンチはその度に肝を冷やし、長沼監督は“勝つなと思って見ていたのは生涯ただ一度だった。”と述壊していた。

その後日本が準々決勝でフランスを破り以降の戦いで銅メダルを勝ち取った事は誰もが知ることだ。

この試合の事を批判する人は誰もいない。それは批判されるものではないからだ。それともこういう歴史を知る人がすくないからか?

批判される過去の事象はワールドカップスペイン大会1次リーグのGroup 2 の最終戦だ。 このグループの初戦はアルジェリアが2年前の欧州選手権で優勝していた列強西ドイツを 2-1 で破る波乱の幕開け。 西ドイツは続くチリを 4-1 で降すもアルジェリアは第二戦のオーストリアに 0-2 で敗れたが最終戦チリ戦は 3-2 で勝利を納め、3戦終わって2勝1敗勝点6、得失点差±0 で1次リーグを終え、西ドイツはオーストリアとの最終戦に臨んだ。 この時点で西ドイツは勝点2得失点差 +2、オーストリアは2戦2勝勝点4、得失点差 +3 。最終戦は西ドイツが3点差以内で勝てば西ドイツ、オーストリア両国揃って2次リーグ進出となるところであった。試合は西ドイツの巨漢 Hrubesch が先制すると後はお互いボールを後ろで回し観客の大ブーイングの中シュート何て殆ど見られず、西ドイツ、オーストリア共に揃ってめでたく2次リーグに進出し初戦で西ドイツを破ったアルジェリアは惜しまれつつ1次リーグで大会を後にした。そして西ドイツは決勝まで進みイタリアに敗れた。
この試合は当時大問題となり英国専門誌には “残ったオーストリアと西ドイツは次のラウンドに進む為にはどうすればよいか正確に知っていた。 ”と表現された。両国ともドイツ語を母国語とする国であった。

この試合の反省から次のワールドカップを含めた多くの国際大会の1次リーグ最終戦は全て同時刻キックオフと決められた。

もし諸外国がなでしこの引分け狙いを批判するのであればその尻馬に乗るのではなく過去にこう言う事がありながら何の御咎めも無かった事を世界に発信し皮肉る事は今の日本人ジャーナリストには出来ないのだろうなぁ~。 と思った。

 最も難しい準々決勝戦 奇襲にでたか4バックのブラジル

北京五輪では当時地元ではメダルが期待されていた中国女子代表に完勝し競技場に静寂をそして私に痛快感を齎したなでしこジャパンの今回の対戦相手は2大会連続銀メダルを勝ち取っていたブラジルだった。
そのブラジルのスタメンフォーメーションは1次リーグとは異なるもの。それまで3バックで Cristiane, Malta の2トップに Farmiga をトップ下に置く布陣だったのが 4-3-3 の布陣。 まず攻撃的に、なでしこから先制ゴールを奪うというゲームプランか?それは五輪前のフランス戦を見ての作戦か?

                   GK 1 Andreia

    2 Fabiane     14 Bruna     5 Erika      12 Rosana

         13 Franceielle          16 Renata Costa

                     8 Formiga

        10 Marta       9 Thais       11 Cristiane

            17 大儀見          11 大野

      9川澄                            8 宮間

             6  阪口          10澤

    5 鮫島         4 熊谷      3 岩清水      2 近賀

                     GK 1 福元




英国戦からスタメンを2人替えて来た。英国戦では起用されなかった Fabiane が右SBでスタメンに起用され、3トップながらも Farmiga がCHFで起用された。そしてベテラン MF の Rosna はベンチスタートだった。
なでしこは GK 福元をはじめ7人の選手を入れ替えというよりもレギュラー選手に戻しこのブラジル戦に備えた。

3トップ全開のブラジルだったけど....

試合は37秒に大野が最初のシュートを放った後はブラジルが支配する展開。 Cristiane はドルブルだけではく上背もある。
3分20秒には澤が Malta を倒して正面でFKを与える Franceille が直接狙ったFKは壁の間を抜けるがGK福元の正面に。8分11秒、 Franceille が入れたCKに左SB Rosana が飛びこむがここはDFクリアーで再びコーナーに。
16分には左から Rosana が上げたクロスに Cristiane がヘッドで落として詰めた Renata Costa にフリーで撃たれるがクロスバーを超えてくれた。 19分には Farmiga の強烈なミドルが飛ぶが福元がパンチで防ぐ。この20分足らずでブラジルの放ったシュートは6本。 Malta がやや中盤に下がりボールをキープし Cristiane, Thais がPA内に侵入してくる。そして両SBが上がって来て何度もサイドチェンジを試みていた。
CK時には福元の前に上背のある Cristiane 、Tahis が遮る様に立つ。数本のCKの後にようやくフィンランド人のジョケラ主審がようやくファールを取ってくれた。



しかし20分少し前になると今度はなでしこが連続してシュートシーンを見せる。22分には澤のスルーパスが川澄に通り粘って大儀見に折り返し大儀見が放ったシュートはブラジルDFに当たり跳ね返りを大野がシュートに持ち込むがバーを越える。しかし見事な波状攻撃だった。23分24秒は左サイドからのパスを受けた宮間が Rosana をかわして放ったシュートはポストの右に僅かに外れる。 25分にはMalta のハンドで得たFKを宮間が絶妙の位置にピンポイントで入れて走り込んだ大儀見がヘッドですらすがシュートはクロスバーを越えて行く。これでシュート数が6対6で並んだ。
なでしこはワンタッチパスが多くブラジルDFが翻弄されるシーンが続くが、ブラジルはワンタッチパスが無くボールを受けるとドリブルに自身があるのが球離れが悪く、次第になでしこDF陣にボールを取られる様になって来た。
そして27分中盤左サイドでFKを得ると澤がすぐさま縦パスを送る。するとそこに走り込んだ大儀見がそのままドリブルでPA内に侵入し追いかける Erika, Franceielle がマークに入る前に放ったシュートがブラジルゴール右隅に決まり日本が先制ゴールを決めた。 この澤のプレーはまさにブラジルのお株を奪うプレーだった。そしてあれだけ攻めまくっていたのに失点を喫した事はブラジルにとってショックだったに違いなかった。

そしてそれ以降なでしこの選手達はブラジル選手にボールが入るとすぐさま2人、3人と囲い込みが早くなりボールを繋がせない。 32分には late play で Cristiane が鮫島をファールで倒すなど焦燥感が募っていた。 ファールをする事により日本ボールとなりプレーが止まるのでそれはブラジル自身首を絞める事となった。 ブラジルは1次リーグではファールが37あり準々決勝進出8カ国ではワースト記録だったらしい。 
36分にはゴール前でブラジルがFKを得る。それを Malta が直接狙いクロスバーを大きく越えるがちょっと直接狙う距離ではないと思った。それだけ焦っていたのかもしれない。
前半30分以降にブラジルは4本のシュートを放ち前半だけで12本のシュートを放ったが(日本は7本)日本ゴールネットを揺らせなかった。 

後半に入り48分 Malta が阪口を倒して警告を受ける。まだ焦る時間じゃないのに、と思う。それとも無得点に終わった英国戦の流れを案じたのだろうか?それでもシュートを放つのはブラジルばかり。後半だけで Cristiane は6本もシュートを撃った。63分にはアーリークロスの中央からほぼフリーでヘッドを撃たれる。一瞬やられたと思ったが弾道はクロスバーを越えてくれた。岩清水が身体を入れて万全の態勢では撃たせなかった。 この試合、 Malta,  Cristiane をバイタルエリアでマークに付き思う様なボールコントロールをさせなかった。
そしてなでしこは大儀見を残してみな中盤に下がり守備を固める。 73分中盤で日本ボールになると大儀見が左サイドを上がりそこに一発のパスを入る。大儀見がサイドを上がり中央に走り込んだ大野に入れると落ち着いて Erika のマークをかわした大野がブラジルゴールに蹴り込み試合を決めるゴールを決めた。これが後半なでしこが撃った2本目のシュートだった。この試合大儀見そして大野の2トップが得点を決めたと言う事となった。

2点差を付けられたブラジルベンチは80分右SBの Rosana を下げて Ester を投入し85分には MF Renata Costa を下げて Graiella を入れて総攻撃を掛けるが中盤でボールを持ってもなでしこのマークが早いので前に運べなかった。Cristiane や Malta がボールを持っても直ぐに囲まれてしまいそれ以上何も出来なかった。
そしてタイムアップ。 なでしこが2大会連続で五輪準決勝進出を決めた。何よりも評価されるべきは4試合連続で無失点と云う事だろう。

翌日のブラジルの新聞から....

この敗戦は次回五輪のホスト国となるブラジルにとってはショックだった様だ。

Marta diz que eliminação da seleção brasileira de futebol foi injusta
ブラジルが負けるなんてアンフェアーだ。 Marta は語った

私からすればこの結果はアンフェアーだ。何故ならブラジルより日本の方が良いプレーをしていたからだ。日本戦は最高のパフォーマンスを見せた。しかしゴールを許したその二回だけ注意を怠った。 “
2016年のリオ・デジャネイロ五輪時には30歳になる Malta だが次回の五輪に就いては、“フィジカルがフィットしていてまだ体力があれば考えても良いが、後進を若い選手に譲らねばならない。




また昨年ワールドカップで優勝したここ数年の日本に就いて Cristiane は “長期プランにおけるチーム造りの結果今日の日本がある。何年もかけて試行錯誤の後に今やワールドカップ優勝を果たした。 この日の日本が行った様に、何故我々が出来なかったのだろう?我々には才能のある選手がいるが、それだけでは不十分だ。” と話しており、ブラジルには日本の様な強化プランが見られないと地元紙に語っていた。

          

Brasil é eliminado pelo Japão nas quartas de final
ブラジルは日本の準々決勝戦で敗れ五輪5大会目で初めて準決勝に進めなかった  O Globe

女子サッカーが五輪に採用されて以来初めてブラジルは準決勝に進出出来なかったと言う事が書かれていた。

Emocionada, Marta coloca em dúvida sua presença nos Jogos Olímpicos de 2016
Mata  2016年五輪には言及せず

Cardiff での日本戦に敗れた後に 2016年リオ大会の参加に就いては何も言わなかった。
“今回、我々は万全の準備を持ってここに来た。 しかし今は何かを替えなければならないだろう。そしてそれを続けねばならないだろう。4年後自分が五輪でプレーしているかは解らない。しかし五輪メンバーを夢見る少女達が多くいる。 ”この様に涙目で語った。

Mata や Barcello 監督のコメントばかりが日本では紹介されているが Cristiane の様なコメントもあったらしい。

4年後地元開催となるブラジル女子代表の強化はどうなるのだろう?そしてその時なでしこのメンバーは。なでしこは U-20 でもアジアのトップだから大丈夫だろう。しかし今は次の準決勝戦の事を考えよう。

 

次は聖地 Wembley だっ !!


なでしこ2大会連続 Semi Finalist への挑戦

2012-08-03 | 夏季五輪

もう20年以上前、J-Leageu がまだ存在していない時代。King KAZU があるスポーツ誌に掲載されていた彼のインタビュー記事の一節を今でも覚えている。

ブラジルから帰国する直前(1989年)前の年のオリンピック(ソウルオリンピック)があってブラジルは決勝戦でソ連に敗れたけど銀メダルを勝ち取った。だけどそんなことブラジル人は誰も憶えていないんです。だから20年以上も前にメキシコで日本が銅メダルを取ったことなんて誰も知らない。 ブラジルじゃ日本人がボールを蹴るだけで笑いが漏れてくる....
ブラジル人に日本のサッカーを憶えてもらう為には何度もワールドカップに出場しなければ憶えて貰えない....

そんな内容の行があった。 日本がアジア地区予選を勝ち抜いてワールドカップに出場したことが無いときだった。

ソウルオリンピックであのロマーリオを擁したブラジルは決勝戦に進出するも同年欧州選手権で活躍したミハイリチェンコ率いるソ連に 1-2 で敗れた。大会得点王になったロマーリオは五輪後 PSV Eindhoven に移籍した。

今でもブラジルでは“サッカーが下手な人間”の代名詞として“ジャポネーゼ”と呼ぶのだろうか? 

アトランタ五輪で“マイアミの奇跡”を演じた日本五輪代表チームのこと、そしてその試合の事を憶えている、または知っているブラジル人はいるのだろうか?
ワールドカップ2006で 日本は1次リーグ最終戦でブラジルに 1-4 で敗れた。その試合を知っている人はいるかなぁ....

ブラジル国内で女子サッカーの位置付けはどうなのだろう?男子ほど人気(というよりも生活の一部?)は無いだろうけど一般の人の感心はどの程度なのだろう? 逆にブラジルでサッカーをしている女性達こそ男子との待遇の違いを痛感し“女子サッカー振興”の義務感に燃えているのかもしれない。

2大会連続銀メダル。

90年代前半の世界の女子サッカーの勢力図は欧州諸国が中心でそこにアメリカが対抗しており後は中国が何とか中国が追いすがっていた。そしてアジアの勢力は中国と台湾が日本や北朝鮮よりも強かった。

記念すべき第一回 Women’s World Cup は中国の広州を中心に開催され、日本女子もアジア代表で出場しその初戦はブラジルだった。 その試合の様子は専門誌で報道されただけだった。J League 発足のたった2年前だったけどまだサッカー自体がまったく注目されていない時代だった。 
大会前の予想ではブラジルには何とか勝てそうだとのことだった。試合は開始4分に Elane に先制を許すも以降試合内容は日本が優勢だったらしい。しかし主審の不可解な判定などもあり日本はブラジルゴールを割ることが出来ずそのまま 0-1 で敗戦を喫した。以降日本は Sweden ( 0-8 ) USA ( 0-3 ) そしてブラジルも USA ( 0-5 ) Sweden ( 0-2 ) と共に連敗を喫し1次リーグで敗退した。

両国は4年後のワールドカップスウェーデン大会でも同じ組になりこの時は日本が Pretinha のゴールで先制されるも今は日テレベレーザの監督を務める野田朱美の連続ゴールで逆転勝を納めた。男子より先にワールドカップで勝利を挙げたのである。そしてこの試合に背番号7番を付けて出場していたのがわれらが澤穂希であった。 
この大会でもブラジルと日本は共に1次リーグで敗退し両国は同じ歩みを続けていた。 

しかし翌年の女子サッカーが初めてアトランタ五輪で正式採用されるとブラジルは1次リーグでは日本を破りノルウェー、ドイツと引分け準決勝に進出。準決勝では中国に逆転負けを喫し、銅メダル決定戦でもノルウェーに敗れたが一気に世界の列強に踊りでる。4年後のシドニー五輪でも1次リーグは突破した準決勝にアメリカに、3位決定戦ではドイツに敗れ2大会連続で4位に終わった。

そしてワールドカップ1999 アメリカ大会でブラジルは準決勝戦でアメリカに敗れたものの3位決定戦ではPK 戦の末にノルウェーを降し3位にはいる躍進を見せる。 日本は1次リーグで1分2敗で敗退していた。 
その4年後のワールドカップ2003アメリカ大会からはスカートを履いた Pele といわれる Marta がメジャー大会にデビューし大会では3ゴール(うち2ゴールはPK)を挙げチームもベスト8に進む。以降女子サッカーが五輪の正式種目に採用されたアテネ五輪では Cristiane がメジャー大会デビューを果たし大会4ゴールを挙げるなど大会得点王に輝く活躍で銀メダル。 ワールドカップ2007中国大会では Marta 7ゴール、Cristiane が6ゴールで決勝まで進出。残念ながらドイツに Prinz, Laudher のゴールを決められ 0-2 で敗れたがアテネ五輪に続く決勝進出となった。
こうなると次の目標は優勝、金メダルとなる。北京五輪でも Marta, Cristina は絶好調。特に準決勝のドイツ戦は Cristina が2ゴール、 Marta もゴールを決めて Prinz や Garefrekes, Bajramaj を擁した次の3位決定戦でなでしこを2-0 で破ったドイツを 4-0 で粉砕し前年のワールドカップ決勝戦のリベンジを果たし決勝に進出。

しかしアテネ五輪の再現となった決勝戦では4年前同様延長戦に縺れ込む死闘となり98分 Carli Lloyd にゴールを決められ再びアメリカの軍門に下った。 アメリカとは2011年のワールドカップ準々決勝戦でも対戦。ロスタイムに入った92分 Marta のゴールでブラジルが追いつき試合は3年前の決勝戦同様に延長戦に入る。PK戦かと思われた122分、アメリカが劇的な決勝ゴールを決めてブラジルはまたもやメジャー大会優勝を達成できなかった。その決勝ゴールを決めたのが Abby Wambach だった。 Wambach はアテネ五輪の決勝戦でも延長112分、決勝ゴールを決めてブラジルを沈めている。

ブラジルはこれでアテネ五輪決勝戦、北京五輪決勝戦そして昨年のワールドカップ準々決勝戦でアメリカにすべて延長戦まで縺れ込んで敗れている。

ロンドン五輪では、Marta, Cristiana が得点を決めているのでちょっと嫌な気がしていた。 

 

2連勝の後に Team GB に敗れる。

Brazil の出だしは好調だった。緒戦でカメルーンを 5-0 で粉砕し、第二戦は New Zealand Ferns の粘りにあうも Cristiana が86分にゴールを決めて2連勝スタート。最後の英国戦は敗れたがこれはトップ下の Formiga を起用しなかったことを割り引かねばならない。  Forminga は34歳の大ベテラン。これまで五輪、ワールドカップ5大会ずつ出場しておりワールドカップ 1995 , アトランタ五輪での日本戦に出場している。そして澤穂希も出場している。

予想スタメンは....

          10 Malta               11 Cristina

                   8 Formiga

  12 Rosana                           6 Marine

            13 Francielle        7 Ester

    16 Renata Costa    5 Erika       14 Bruna

                  GK 1 Andreia


2トップの Malta と Cristina は強力だけど彼女達に良いボールを繋いだり一旦タメを創るベテラン Formiga がトップ下に入る。Marta 、Cristina は3回目の五輪出場となりこれまで通算得点は Marta が8。Cristina は12得点にもなる。

2列目左の Rosana は30歳のベテランMFで4回目の五輪。 1次リーグでは初戦のカメルーン戦、続くニュージーランド戦は“温存”された。 2列目左の Maurine、CBの Erika の2人は16歳の時にFIFA U-20 Vancouber 大会に出場し U-20 大会に3度出場した実績がある。北京五輪、ワールドカップ2011 にも出場している。 
GK Andreia 4回目の五輪となる35歳の大ベテラン。 その他DFの Bruna CB の Erika 以外は全て北京五輪を経験している。 

なでしこもそうだけどこの五輪を最後に代表を退く選手達もいるんだろうなぁ~と思った。

1次リーグ最終戦の英国戦で敗れた事によりブラジルは準々決勝は世界王者の日本と対戦する事となった。ブラジルの Correio Braziilense 紙は日本は昨年のワールドカップ決勝戦でフランスを破り今や五輪でも優勝候補であると表現されていた。決勝戦で対戦したのはアメリカなんだけど。

Jorge Barcellos 監督は選手達にイギリス戦の敗戦は日本戦のパフォーマンスに影響しない事を説いた。何故ならブラジルは金メダルを取れると信じているからだと語った。

 “我々はイギリス戦には敗れたがメダルの夢が敗れたわけではない。 我々は前回と同じ結果に辿りつくにはまだやらななければならない。だから我々は今度は勝利が必要だと知らねばならない。" と語った

我々は敗戦から学ばねばならない。特にせめながらもゴールを挙げられない試合をした時は。 それはイギリス戦でさえも起こった。日本の様なチームを相手にした時はそれがもっと深刻になる。しかし我々はこれまでよりもずっと良いサッカーをしていると感じている。我々は勝利を齎すだろう。  こう語ったのはエースの Marta だった。

O Estado de S. Paulo 紙には Baroellos監督は日本はブラジルや英国、アメリカの様に大変強いチームだ。日本とプレーするのは大変面白い、そして我々を難しくさせるからだ。 日本はワールドカップ王者であるが我々も自信を持っている。そして準決勝に進むみたく思っている。 

Martaは“試合は先制点が欲しい。そうすれば敗れる事はない。次の試合には全力を尽くす。”と語っていた。

 

女子サッカーでは少なくともブラジルで日本は一目置かれている様だ。

 

しかしなでしこ達が勝利を納めてくれる事を願う.....


スペイン戦の勝利の勢いをそのままに.....  Japan 1-0 Spain 25th July at Glasgow 

2012-08-03 | 夏季五輪
ECB 欧州中央銀行のイタリア人 MarioDraghi総裁は26日ロンドンでの講演で “欧州中央銀行はユーロを守る為、権限の範囲内であらゆる手段を講じる用意がある”と述べた。金融市場では ECB が国際の買い入れを再開するとの見方が広がり、スペイン等の国債が買われて金利が急低下しユーロ高になった… と27日の日本の各紙朝刊にはこう報道された。
スペインの10年物国債の利回りは 7.4% と云う“危険水準”を大きく上回る数字から 7.0% へと急低下。 イタリア国債も 6.6% から6.0% に下がった。 そして為替も@\94.93 / € から 96円台に“円安”が進行した。
日本の10年固定利付国債の利回りは何%なのだろう?1.00% を上回るのだろうか??

欧州経済の先行き不安が募る中、 Football の世界だけは欧州市場無くして語れない。今やワールドカップ出場国で欧州でプレーする選手が一人もいないのは北朝鮮を除いて考えられない。いや北朝鮮だって Park Kwan Ryong がスイスの FC Barsel でプレーする。そして鄭大成も。 
不思議に思うのはあれだけ ECB に資金援助を依頼している国のサッカークラブがどうやってサッカー選手の移籍金に数十億円単位の資金を出せるのだろう?? 

今回の五輪男子サッカー競技で話題になっているのは64年振りに結成された英国代表こと Team Great Britain とスペインがワールドカップ、 EURO に続いてメジャー大会3冠を達成できるか?そして王国ブラジルは史上初の金メダルを勝ち取れるか…であった。 優勝候補スペインの最初の対戦相手が日本だなんてキックオフの30分前までどれだけの Scotch を含めた英国人が知っていただろうか….

日本のキックオフで始まった試合は開始1分47秒にスペインPAにめがけて放り込まれた清武のミドルパスを永井がボレーでこの試合両軍最初のシュートに持ち込む。 GK De Gea が難なくキャッチするがなかなかやるじゃないか、と思うも以降は世界中がお手本にするであろうパスワークが冴えて果たして試合終了まで日本が何回ボールに触れるのだろうか?と思わせられる。
そして次にシュートを放ったのが Rodrigo だったがそれは中盤で細かいパスを繋いで日本DF陣をひきつけてからのシュート。あと何本撃たれるやら?と思うも結局前半スペインが放ったシュートはRodrigo のシュートと25分に Mata の放ったのと合わせた2本だけだった。ただし、Mata の右から中央に切れ込んでのドリブルシュートは最後は権田が左に飛んでファインセーブで防いだもの。さすが Chelsea と思いながらもひやりとしたシーンだった。
しかし日本DF陣は吉田麻也を中心に冷静にスペインのパスワークに対応するが1対1でも充分に対応しボールを奪う事もしばしば。おいおいスペインってこんなに下手だったか? それとも日本が上手いのか?と思った。
34分に右CKを扇原がファーサイドに入れそれまで何度もユニフォームの引っ張り合いをしていた Montoya のマークを振り切り大津が押し込んで日本が先制する。


 
しかしこの時点ではこのままのスコアーで試合が終わるとは世界中の誰もが思えなかっただろう。 41分には永井が中央からドリブルで突破しようと振り切られそうになった Inigo Martinez が抱き付いて永井を止めて一発退場。ガイガー主審がカードを出す前に、素早くボールを出してスペインゴールネットを揺らすと言った頭脳プレーを見せるもゴールは認められなかった。しかしこの退場でスペインが徐々に劣勢に立たされて来る。だけどまだまだこの時点ではスペインには余裕はあったのではないか?一人少なくなった方が試合が面白くなる。と考えたスペイン人もいるんじゃないかな??
だけどこの Martinez の退場はもともとスペインのバックパスを永井が掻っ攫おうとしたもの。そしてそのバックパスも日本MF陣のプレスが訊いていたいから。 スペインが一人少なくなった直後のFKは扇原が直接狙ったが惜しくも外れた。ここで代打中村俊輔とはいかないか?




後半に入ってまずこちらが驚かされる。 大津が怪我で下がってしまった。替わりに投入されたのが宇佐美でなく斎藤学だった。宇佐美のドリブルがどこまでスペインに通じるかとちょっと想像していたけど、ドリブルなら斎藤だって面白いと思った。
開始早々の47分にはロングフィードを受けた Foisco が吉田を抜いてシュート体勢に入ろうとするがすっ飛んできた徳永がマークに入りシュートを撃たせない。スペインようやく本領発揮か?と思わせられる。しかしここから再び攻勢に出るのは日本だった。50分には東が中央から素晴らしいミドルシュートをドリブルから放つがここも Manchester United のGK De Gea がファインセーブでストップ。 GK が De Gea でなければあと何点入っていただろう?
54分には酒井宏樹が右サイドから上げ永井が飛び込むがわずかに合わせられない。
スペインベンチはたまらずトップの Adrian Lopez に替わって Ander Herrera ( Athletic Bilbao ) を投入する。
しかしスペインにはボールがなかなか渡らない。前線の永井が高い位置からプレスをかけ、走り回って相手の出所を押さえる。 あんまり走らないでくれよ~、攻撃時にとっておいてくれよ~と思うと56,58分と連続で永井がシュートを撃つ。 58分のシュートは山口、東と繋がり裏に走りこんんだ永井に送られPA内左からフリーで放ったもの。 わずかにゴールポストの右に外れていった。
60分には斎藤が中盤でボールを奪い、右サイドの清武に繋げると清武は Dominguez, Javi Martinez を リブルで振り切り突破しシュートを放つがゴールの右に外れる。
63分スペインは2人目の交代選手 Oriol Romeu を Isco に替えて投入する。Romeu は UEFA U-21 2009、2011に出場する Chelsea 所属の選手。ここからしばらくスペインがボールを持つ時間が増えるがMF,DF陣がすばやいチェックで66分に Herrera がCKから撃った以外はシュートを撃たせない。このまま粘って…と思うと今度は酒井宏樹が脚を傷めてしまう。
一旦はピッチに戻ったけど自ら×印を出してピッチに下がった。替わって入ったのが佐藤高徳。左右も出来るSBがいるのは心強いけど本当は左で使いたかったなぁ~と思う。しかしけが人で交代枠を2人使ってしまうのはもったいないと思う。
そして何分頃からか斎藤と清武がポジションチェンジをしていた。これで相手の左サイドの攻撃を斎藤の縦へのドリブルで蓋が出来るようになった。 
71分スペインは最後の交代選手 Cristian Tello ( Barcelona ) を Koke に替わって投入する。 Tello は攻撃的選手。これで前線を増やしてきた。そしてショートパスからロング、ミドルの縦パスが増えてきた。72分、ちょっと嫌な位置でFKを与えるが直接狙った Mata のFKはゴールを大きく外れてくれた。 85分 Mata から絶妙の縦パスが入るが権田が飛び出してクリアー。86分日本ベンチは扇原を下げて山村を入れる。これで逃げ切り体勢か?と思うけどあとロスタイムを入れて何分あるのだろう? 87分永井が Romeu からボールを奪ってドリブルシュートに持ち込むがこの1対1のシュートは GK De Gea にセーブされてしまう。 あぁ絶好のチャンスだったのに。さすが De Gea だったけど….
そしてロスタイムが4分と表示される。 おいおいそんなにあったのかよ?と思う。 91分更に天を仰ぐシーンが。終盤から目立ちだした東がボールを奪い中央突破をはかる。“東!撃てっ!!”と叫ぶが左に走りこんだ山口に流す。 フリーの山口が走りこんで撃った弾道はクロスバーを越えてしまった。 “何しとんのやぁぁぁぁぁ~” これが入っていれば試合は終わっていたのに..と思う。スペインはCBの Alvaro Dominguez をトップに上げてパワープレーに出てくるが吉田もヘディングの強さを見せる。
そして49分を過ぎ最後は清武がスペイン陣内左サイドの深い位置でボールをキープしアメリカ人の Mark Geiger 主審のホイッスルが鳴り響き、日本がシドニー五輪以来の貴重な初戦勝利を飾った。
よ~しっっ !! ナイスゲーム !! と膝を叩いた。

これで1次リーグ最終戦まで楽しめる…と思った。ワールドカップと同じだ~と幸せな気分になった。

翌日の朝刊各紙には“奇跡”という文字が躍っていた。たしかに優勝候補相手の勝利は金星だ。しかし試合内容は互角以上だったとおもう。ボール支配率は40%程だったけど。
アトランタ五輪でのブラジル戦の勝利。“マイアミの奇跡”と照らし合わせるマスメディアも多いけどあの時ほど押されてはいなかたし決定機はむしろ日本の方が多かった。 2001年マラガに遠征した当時の日本代表がスペイン代表と親善試合を行い  0-1 で惜敗したけどそのときよりはスペイン人に日本にもサッカーはあるのだと存在を見せられたと思う。



翌日のスペインの新聞から….
インターネット時代(この言葉も古いか?)の今日、電子版であるが世界各国の新聞を読み比べられる。そして翻訳ソフトさえ使えばかなり読むことが出来る。英語に訳せば。

Marca 紙から….

オリンピックで躓く
スペインチームは日本の一撃にやられた。 Luis Milla のチームは疑っていた日本にロンドン五輪の初戦で敗れてしまった。
Hampden Park で大津がゴールを決め Inigo Martinez が41分に退場となった。
スペインチームは日本に驚きを与えられ五輪初戦で敗戦を喫した。 Luis Milla のチームはゴール直前を含むポジションで
守備面であまりにも多くのミスを犯した。唯一の得点となった大津のゴールは Montoya のミスからだった。 41分に退場で Inigo Martinez を失ったスペインは後半はずっと10人でのプレーが強いられた…..

という行で始まった記事は日本のことを“大変威勢の良いチーム”と表現し、Luis Milla のチームはゲームを支配する為にボールをコントロールしたかったが関塚監督が送ったチームの相手のボールを持たせないというクリアーな考えで試合に臨んだ。スペインはDF陣の裏を取られない様に腐心させられた。

試合は開始早々は Juan Mata の様なチームを活性させる選手が中心となりスペインが主導権を握ると思われたが、よくプランを練った日本が Luis Milla のチームを悩ませ始め主導権を奪われ始めた。永井の示した度重なる脅威の後に得たCKから大津がマークに着いた Martin Montoyaに競り勝ち放ったシュートが決まり日本が先制した、
と書かれておりその後 Martinz の退場で状況は悪くなった、56分にようやく Milla 監督は動いて Adrian を下げて Ander Herrera をと投入するなどして捕まえられない日本に対応しようとしながらも決定機を作ったのは永井、清武にあわやのシュートを撃たれるなど日本で更なる改善を求めて Rojita Isco を下げて Oriol Romeu を投入したことや Koke に替わって終了10分前に Tello を投入したこと、そして Jordi Alba の絶好機が決まらなかったとも書かれていた。
そして初戦を終えてスペインは Group D の最下位スタートとなったと言う行で閉められていた。

Los campeones de Europa no pudieron con la velocidad nipona
欧州王者、スピードのある日本に対応出来ず
Mata, Javi Martinez そして Jordi Alba の3人は日本戦にスタメン出場し90分間プレーした。 Chelsea 所属のその選手はオリンピックのデビュー戦では最も鋭い動きをしていた。  Javi Martinez は守備面で慎重にプレーした。 Jordi は40分に警告を受けた。

その3選手はLuis Milla のチームをリードした。 彼らはスタメンで起用され最後までプレーしたが彼らの経験はスピードのある日本には通じなかった。Mataは最も精力的に動いたがデンジャラスゾーンではスペースを見つけられなかった。 関塚隆史監督のチームの組織されたDF陣はプレスと囲い込みをベースとしたシステムで Mata のいる中盤に対応し、Mata はボールを失い中盤でのプレーに終始した。スペインは正確性を失っていた。

この様な事が書かれていた。そして Javi Martinez は Koke と共にDF陣の守備を助ける事に終始させられ続けたこと、そして EURO2012 でセンセーショナルな活躍を見せた Jordi Alba には多くを期待過ぎていたと書かれていた。

Justa expulsión de Iñigo Martínez ただ Iñigo Martínez の退場が

CB でスタメン出場したInigo Martinez の物議を醸すプレーは Mark Geiger 主審がレッドカードを示した後にロッカールームへの道を示した。
スペインチームのディフェンダーは日本の永井謙介の素早い動きを止め切れずに GK De Gea と1対1になるのを防ぐために反則を使った。
Milla は次のホンジュラス戦に向けて Martinez を出場停止で欠く為にCBの変更を強いられている。

Martiznezの退場はあの時の Beckham の退場と同じくらい、いやそれ以上に痛かったか….



Milla: "Este equipo tiene crédito" Milla このチームは信頼がある

“私は試合後ロッカールームで肯定的に務めた。それはあと2試合チャンスがあるからだ。” Milla は語った。

Luis Milla 五輪チーム監督は敗戦となった日本戦の後で“日本は素晴らしいゲームを行った。目的に向かって我々はターゲットに向かって比較的に容易に行えて来た。前向きに。二つの改善すべき、本当に改善すべき要素がある。 控室では肯定的にと務めた。何故なら我々にはもう2試合あるからだ。 選手達は信頼がある。次の試合迄3日間ある。 あれこれする時間はないが、多くをメンタルや集中力の強化に裂かねばならない。何故ならこのレベルではもう少し詳細にそしてボールへのアクションを挙げねばならない。 我々はより強くコンパクトにならねばならない。”と答えて、五輪に就いてのプレッシャーはあるのかと云う問いに就いては“我々には当然それがあった。私はいま次のホンジュラス戦に就いて考えている”と答えた。


Milla 監督は他紙では選手達を予定通りに開会式に出席させる、それは人生でも一生の思い出となるからであると語っており、大会前に受けた El Pais 紙のインタビュー記事ではインタビュアーの“スペインは表彰台に立つ事を期待されているが..とお質問には、まだ始りもしないのにもう表彰台の話しをされる、それがプレレッシャーになると語り、選手達にプレッシャーを与えない様にというコメントも。
そして日本の勝利を祝うコメントも発していた。 
また大会直前に日本チームとの初戦についてはと訊かれたときは“大変難しくなるだろう。日本は早くて質の高い選手が多く、何人かは Budesliga でプレーしている。”と語っていた。 そして決勝戦がスペイン対ブラジルと予想されていることについても、“まだ大会は始まっていない。今は日本そしてホンジュラス、モロッコについて案じるだけでブラジルやイギリスそしてウルグアイに就いては何も考えられない。” と語っていた。 

そして期待はありがたいがそれが重荷にならないようにともインタビュアーに語っていた。
更にフル代表チームの成功との比較についても同様に語っていた。また Javi Martinez, Jordi Alba らに就いてはチームと核になることを期待しているが UEFA U-21 でプレーした選手もいるが欧州選手権を戦い終えたばかりだと案じていた。
また怪我で離脱した Thiago の穴埋めに就いては替わりに個人選手ということではなくあくまでもチームでカバーしていきたいとコメントしていた。



EL PAIS 紙にはUna soberana derrota de España en Glasgow ( 王朝スペイングラスゴーで敗れる )
という見出しが。
ここには日本戦の敗戦後はまだ、“ロンドン五輪で優勝候補である”という形容詞が使われていた。

この失望はスペインにとってたいへんなもので、この試合は Hampden Park において厳粛なステージで日本の様な小さな相手に行われた….と書かれており、Thiago , Munianin の離脱を嘆いていた。

スペイン戦の勝利の最大の要因はなんと言ってもスペイン国民を含めたほとんどの関係者が日本五輪チームを知らなくそれこそ“自分達のサッカーをすれば…” と思っていたからに違いない。
そしてこの時点ではスペインが次のホンジュラス戦も敗れてモロッコ戦も無得点引き分けに終わり大会を無得点で去るとは誰も想像しなかっただろう。

そして日本は明後日 Manchester Old Trafford でエジプト相手に準々決勝戦に臨む。
Sir Alex Ferguson 、香川を貸してくれないかなぁ….でも今の五輪チームには必要ないか? 


ESPAÑA, 0 - JAPÓN, 1
Japón: Gonda, Tokunaga, Yoshida, Suzuki, Sakai (Yamamura, m.85), Yamaguchi, Ogihara, Otsu (Saito, m.45), Higashi, Kiyotake, Nagai. No utilizados: Ando, Muramatsu, Sugimoto y Usami.
España: De Gea, Montoya, Domínguez, Íñigo Martínez, Jordi Alba, Javi Martínez, Koke (Tello, m. 80), Isco, Mata, Rodrigo, Adrián (Herrera, m. 56). No utilizados: Mariño, Botía, Azpilicueta y Muniain.
Gol: 0-1. M. 33. Otsu supera a Montoya y bate por bajo a De Gea.
Árbitro: Mark Gieger amonestó a Jordi Alba, Domínguez y Saito. Expulsó con roja directa a Iñigo Martínez.
Estadio: Hampden Park, unos 45.000 espectadores.




開幕早々の北朝鮮旋風 そして私は重量挙げにはまりだした

2012-07-30 | 夏季五輪

開会式に続いて競技二日目が終わった。日本はまだ金メダルを勝ち取った選手はいない。出だしが良くなかった男子体操や5位に終わった北島康介の次の巻き返しに何とか期待したいところだが、男子サッカーがスペインを破るなど2連勝で早くも準々決勝を決めたり女子重量挙げで三宅宏美選手が銀メダルを取ったり女子アーチェリー団体戦で史上初のメダルを獲得するなどこれまであまり話題にならなかった競技でのメダルが続いている。

そして何より目を引くのが北朝鮮が早くも金メダル2個を勝ち取っていることだ。
それは韓国の地元紙にも載せられていた。


'괴력'의 북한, 초반 메달 돌풍 怪力の北 序盤のメダル旋風

ロンドン五輪開幕当初に "北朝鮮旋風"が荒々しく吹いている。

北朝鮮はロンドンオリンピック大会二日目の29日(現地時間)だけで女子柔道の男子重量挙げで金メダル2個を勝ち取り国別のメダル順位6位に跳躍している。

大会初日の金メダル獲得戦線では4番目の韓国(金2、銀1、銅2)と比べると銀メダルと銅メダル各1個を下回っただけである。 せいぜい銀メダル1つだろうと予想した米国のスポーツ専門誌 "スポーツイラストレイテッド"の展望を台無しにする成績である。

偶然にも韓国が二回も珍しい判定翻意の犠牲になったのとは別に、北朝鮮が予想を破った金メダルラッシュでロンドン五輪の序盤関心が "Korea "に集まる雰囲気だ。

1972年のミュンヘンオリンピックから選手団を派遣して以来、北朝鮮が同日に金メダル二つを収穫したのは初めてだ。
北朝鮮は、2008年の北京大会まで計8回の夏季オリンピックで金メダル10個を獲得した。
1992年のバルセロナ大会では男子体操の鞍馬で Pae Gil Su 、レスリングフリースタイル 48kg級 Kim Il , 52kg級で Li Hak Su ボクシング 51kg 級で Choi Chol Su 達四人の金メダリストを輩出するなど、銅メダル5個を加えて最高の成績を出した。
1996年アトランタ大会では女子柔道48kg 級で桂順姫とレスリングフリースタイル48kg級の Kim Il が、北京大会では女子体操競技の鉄棒で洪恩貞 女子重量挙げ 63kg 級で朴賢淑女の2人が金メダルを獲得した。

今回、大会開幕直前になり選手団の出場規模(56人)が明らかになったほどにベールに包まれた北朝鮮は、いざ蓋を開けると期待以上の怪力を発揮している。

この日の女子柔道52㎏級で金メダルを首にかけた安琴愛(アングムエン :32)は比較的メダル圏内にいた、男子重量挙げ56㎏級で世界を驚かせた Om Yun Chol (21)は "初心者"に近い新人だ。
2008年北京五輪で惜しくも銀メダルに終わった安琴愛はこの日の決勝でキューバのヤネト・ベルモイを相手に延長接戦の末に有効勝を納め金メダルを勝ち取った。 北朝鮮の選手としては唯一、柔道に出場した安琴愛はたくましい体格とずば抜けた実力、疲れを知らない体力を誇ってついに悲願を達成した。

世界ジュニア選手権大会優勝者ではあるが、シニアの国際舞台ではあまり知られていない Om Yun Chol ( オムユンチョル )の金メダルはさらに驚くべきだ。
昨年シニアの世界選手権大会に初めて出場して、合計267㎏で6位にとどまった Om Yun Chol は今回の五輪ではジャークオリンピック新記録(168㎏)をマークしトータル293㎏を記録し、余裕を持って祝杯を挙げた。

わずか1年の間に自己記録を26㎏も更新した点が目立つ。
北朝鮮は重量挙げだけで最も多い8人の選手を送り大量のメダルを期待している。
もう1人の金メダル候補選手は62㎏級の金恩国 ( ギムウングク : 24 )である。
彼は昨年のパリで開催された世界選手権大会で合計320㎏の記録で銀メダルを獲得した。
その記録は1位に 1㎏ の差であるほど、彼の技量は世界の頂上に近づいている。

そして世界選手権大会女子58㎏級5位に上がった Jong Chun Mi ジョンチュンミ(27)も異変を準備中だ。

五人の選手が出場するレスリングでも、予期せぬメダルラッシュが起こることも。

北朝鮮の最大の利点は、選手一人一人が世界に出ることがまれで対戦相手が作戦を立てることができないということだ。
そのため、情報が飛び交う現代のスポーツで、北朝鮮の選手だけがその情報戦に漏れる難しい相手になるのだろう。

メダルレースで印象付けられた北朝鮮がどこまで信じられないほど躍進するか注目される。


柔道女子 52kg 級の1回戦では地元期待の Sophie Cox を破り2回戦では中村美里を破りそして金メダルを勝ち取った安琴愛は世界選手権2005カイロ大会で銅メダル。ドーハアジア大会 2006 で金メダル。そして世界選手権2007リオ大会では再び銅メダルを獲得しての北京五輪だった。北京では準決勝で中村美里を破り決勝に進出し銀メダルを獲得した。
その後広州アジア大会 2010 では銅メダルに終わっている。 この時に金メダルを勝ち取ったのが中村美里だった。だけどこの時は直接対決は無かったんじゃないかな…..北朝鮮から男女通じて唯一エントリーした安琴愛が五輪の舞台で金メダルを勝ち取った。



男子重量挙げ 56kg 級金メダルのオムユンチョルの記録 293kg ( ジャーク 168kg スナッチ 125kg ) は昨年世界選手権金メダルの吴景彪 ( Wu Jung Biao ) の優勝記録 を 1kg 上回る記録。 ロンドン五輪では銀メダルに終わった吴景彪 は289kg だった ( スナッチ 133kg ジャーク 156kg ) 。このクラスのエントリーされたもう一人の北朝鮮選手はシン・チョルボムという選手で彼は258kg ( スナッチ115g ジャーク145 kg )で10位に終わった。 このクラス北朝鮮には車金鉄 ( Cha Kum Chol ) という北京五輪で5位に入り、アジア大会 2010 では吴景彪 についで2位には入った選手がいたけど、車金鉄はどうしたのだろう??
若い20歳のオムユンチョルが派遣を決めた協会役員はどんな褒美を国家から貰えるのだろう?
しかしオムユンチョルはBグループに入りながら金メダルなのだから恐れ入る。

またこの種目、4位にベトナムのルクオクトーン・トランが 284kg ( スナッチ 125kg ジャーク 159kg ) に入賞した。銅メダルのワレンチン・リストフ ( アゼルバイジャン ) とはスナッチで 2kg の差がついただけだった。そしてアジア大会 2010で銅メダルだったインドネシアの Jadi Setiadi が 277kg (スナッチ 127kg ジャーク 150kg ) で5位入賞を果たした。
アジア勢頑張っているなぁ....

本日登場する男子重量挙げ 62kg 級の金恩国も北朝鮮のメダルが期待できる選手。ライバルは中国の張杰 ( Zhang Jie ) でアジア大会 2010、昨年の世界選手権で共に張杰が勝って金メダルを勝ち取っているがその差は下記の通りに迫ってきている。



2010アジア大会 張杰321 kg ( スナッチ145kg ジャーク 176kg ) 金恩国 317kg ( スナッチ147kg ジャーク 170kg)
2011世界選手権 張杰321 kg ( スナッチ145kg ジャーク 176kg ) 金恩国 320kg ( スナッチ150kg ジャーク 170kg)



またインドネシアの Eko Yuli Irawan がアジア大会 2010 310kg  , ( スナッチ147 ジャーク 170 ) 世界選手権 2011 310kg ( スナッチ139kg ジャーク 171kg) で共に3位に入っており、アジア勢で表彰台が独占されるかもしれない。 



北朝鮮選手の活躍もさることながらこれまで行われてきた種目のクラスにも由るのだけど重量挙げ種目でのアジア勢の上位独占が目立つ。 ロンドン五輪では女子48kg級で三宅宏美が銀メダルを勝ち取ったけど昨年の世界選手権そして2010年の広州アジア大会の重量挙げ競技で日本勢はなんと誰も表彰台に立っていない。 女子69kg級で谷綾乃が6位に入ったのが最高だった。

もっともっと重量挙げで日本は強いと思ってたんだけどなぁ。 まぁ俺が言うことでもないか? 

昨日の八木かなえは12位に終わったけど可愛かった。その可愛さは少し前から定評があったらしい。
そして目をひいたのはパプアニューギニア代表の Dika Toua 。 シドニー五輪では48kg級に出場。これはパプアニューギニアから初めてオリンピックに出場した選手だった。 4年後のアテネ大会では 53kg 級で出場し177.5kg の記録で何と6位入賞を果たした。 彼女の挑戦は尚も続き北京五輪では184kg で8位。そして4回目の五輪出場となったロンドン五輪では174kg ( スナッチ 79 ジャーク 95 ) で12位だった。

どこの国にもアスリートはいるのだ。 ということを再認識した。 今夜も重量挙げにはまりそうだ。 



スペイン相手に白星発進。これで首位通過の可能性も…

2012-07-29 | 夏季五輪

ロンドン五輪もサッカーに日本が出場をしている。これで5大会連続だ。しかも3大会連続で男女が出場している。
日本の五輪がサッカー競技で始まるのが定番になるなんてバルセロナ五輪前迄考えられなかった。

日本選手団の先陣を切って出場したなでしこジャパンは恐らくいつもよりも多くの日本人が注目したであろうこの試合でカナダを 2-1 で降し白星発進。さすが世界女王と言いたくなる。それでも試合後、佐々木監督へはインタビューの中で“我々は確かにチャンピオンにはなりましたけど、オリンピックではチャンピオンではないので我々はチャレンジャーとして選手一丸となってやっていますので……。” というコメントには泣かせられた。

そして日本は何と何とスペインを破っての白星スタート。まるでサッカーのワールドカップの様な気がして来た。

初戦スペイン戦.....

この言葉を懐かしく思い出す人はかなりベテランのサッカーファンじゃないかな....
1979年 ワールドカップやオリンピックではアジアの壁が高すぎて世界の舞台なんて遠くからしか見られなかった時代、自国開催でないと日本が“サッカーの世界選手権”には参加できないと考えられていたその時代に第2回FIFA ワールドユース大会が日本で開催された。自分が記憶に残る始めて日本が世界レベルの公式大会に出場した大会で1年位前からこの大会を楽しみにしていた。最終的に誰が選ばれるのか、とか対戦相手が決まったらどうやって1次リーグを突破するのだろう...とか。

最終メンバーは後に die Bundesliga でプレーする尾崎和寿夫そして柱谷幸一、水沼貴史、宮内聡(元日本女子代表監督)、当時現役高校生だった風間八宏(当時清水東)名取篤(帝京)鈴木淳(仙台向山 -元大宮監督)ら3選手が選ばれた。名取は出場機会が無かったが翌年始めに行われた全国高校サッカー選手権で帝京を優勝に導くなど活躍し自分も同じ高校生なのにえらい違いだなぁと思った。関西勢も選考の時から気にしていた。GK鈴木康仁(摂津-国士舘)、そして猿沢茂(大阪体育大)らが最終メンバーに残った。監督は松本育夫氏だった。 当然候補に上がりながら最終メンバーに入らなかった選手の方が当然多かった。自分が期待していた佐々木博和(枚方クラブ-松下電器-ヴェルディーセレッソ)や樋口靖洋横浜Fマリノス監督(当時四日市中央)今回の五輪代表の関塚監督もその一人だった。

だから最終メンバーに選ばれた選手達は世界を相手にするのでものすごく上手いんだろうなぁと思った(当たり前か?)。

今は FIFA U-20 と呼ばれているけどそのワールドユース大会、日本の相手は初戦がスペイン、第二戦がアルジェリアそして第三戦がメキシコ戦だった。 どこも強豪だった。何とか初戦のスペイン戦は引き分けて第二戦のアルジェリアに勝って最終戦のメキシコ戦は引き分けて上位2カ国が進出できる準々決勝戦に....と願っていた。そうすれば恐らくマラドーナやラモン=ディアスのいるアルゼンチンとの対戦になると思ったけどとにかく1次リーグ突破だけを願った。

夏休みも終わりかけの8月25日、国立競技場で行われたスペイン戦はテレビで観戦した。もちろん優勢に試合を進めるのはスペインだけど日本選手がボールを持つと大歓声が上がった。だけど今も覚えているけど日本はほとんどシュートまで持ち込めなかったんじゃないかなぁ.... 0-0 で迎えた後半スペインの Zuniga が放ったミドルシュートが日本ゴールに突き刺さりそれが決勝点となった。まだ残り時間は35分以上あったけど、その1点が挽回できるとはテレビを見ていて思えなかった。何とか0-0 のまま試合が終わってくれと思っていた。 そして日本ユース代表は続くアルジェリア戦は押し気味に進めながら 0-0 で引き分け、第3戦のメキシコ戦はついに水沼のゴールが決まり先制をするも同点に追いつかれ引き分けに終わった。

メキシコ戦の前に行われたスペイン対アルジェリア戦でアルジェリアが既に1次リーグ突破を決めていたスペインに 1-0 で勝っていたので日本はメキシコ戦を前にして1次リーグ敗退が決まっていた.....

そしていつの日か日本がアジア地区予選を突破して世界の大会に...と願ったがそれが実現したのはそれから14年後、またも地元開催の FIFA U-17 大会まで待たねばならなかった..... でもその2年前に女子代表が第一回ワールドカップに出場していた。

            

アジアとは異なり欧州では五輪サッカーの位置づけが著しく低く、欧州のサッカーファンの中には“オリンピックにサッカーなんてあるのか?”と思っていた人にも多く出くわした。 “地元”英国開催の五輪で最も注目されるのは64年ぶりに結成された英国代表 Team GB とスペインがワールドカップ、EURO2012 に続いてメジャーな大会で“3連覇”を納めるかどうかということ、というのが地元紙を見ても良くわかった。

David de Gea dreams of more Spanish football success 

Manchester United のGKは更なるスペインの偉業を楽しみにしている。
“我々はフル代表の様にプレーをしている。15歳の時から常にそうしている。それがスペイン人のやり方でそうして勝利を得て来た。”こう語ったのは David de Gea だ。

想像をして見ると良い。表彰台の上に立ち、国家が流れる。金メダルが選手のクビに….それが夢だ。“スペインは世界王者で欧州チャンピオン。昨年夏は欧州U-21 で優勝しこの夏には EURO U-19 で優勝したばかりだ。そして今彼らは五輪のタイトルを欲している。

もしあなたがスペインは成功に満ち足りているのか?と考えた時に、もう一度考えてみよ。もしオリンピック何て関係無いと考えているのであればあなたは間違っている。 南アフリカとウクライナでの成功は彼らの望み、そしてプレッシャーとユニークな世界へと繋がって来る。それはワールドカップ、 EURO そして五輪のタイトルを同時に勝ち取ることだ。

スペインは1992年地元開催のBarcelona五輪で金メダルを勝ち取った。決勝戦の相手はポーランド。前半に Wociech Kowakczyk のゴールでポーランドが先制したがこのゴールはBarcelona五輪でスペインが6試合目にして喫した初失点だった。しかしスペインは Abelardo Fernandez のゴールで追いつく。このゴールはこの試合を観戦に来た Juan Carlos 国王とその家族が着席した4分後に決まったゴールだった。そして同点ゴールから6分後 Kiko こと Francisco Narvadez がゴールを決めて逆転をするも72分ポーランドは Ryszard Stanieck の同点で追いつく。試合は延長戦に入るかと思われた89分、最後は Atlético Madrid のKiko のゴールで 95,000人の観衆を集めた Camp Nou での激闘に終止符を討った。この時のスペイン代表は同年スウェーデンで開催された EURO1992 には何と予選で落ちて本大会に残れなかった。それだけにこの五輪での勝利は少し溜飲を下げられたのでは無かったか?

それよりもこの時は久々にハイパフォーマンスを見せたポーランドの方が気になった。大会得点王となった Andrzej Juskowiak や Wojciech Kowalczyk ら優秀な選手が出て来て以降のワールドカップや欧州選手権が期待されたけどその後ポーランドがメジャーな大会に進出すしたのは10年後の FIFA ワールドカップ2002 だった。

そしてスペインはバルセロナ五輪前迄に出場した16回のオリンピックで勝ち取った金メダルは意外にわずか4個であった。そしてこのバルセロナ五輪で13個の金メダルを勝ち取りその1つがこの五輪から年齢制限の設けられたサッカーだった。小学校の時に開催された札幌五輪で Fransisco Fernandez Ochoa の男子回転競技で金メダルを勝ち取ったがそれがスペイン史上最初の金メダルと当時報道されたのを憶えているが、夏季五輪はもっと金メダルを取っていると思っていた。
運動神経ある子供はみんなサッカー選手になるのかなぁ~と思った。

          

   

スペインが五輪に掛ける意気込みとして over age に Juan Mata, Jordi Alba そして Javi Martínez ら EURO2012 のメンバーを入れている。 Sergio Busquets も大会参加をほのめかす程であった。“これが全てを物語っている。 彼らはフル代表では全てを手に入れた。しかしまだ我々と共にプレーをする為に五輪にやってこようとしている。”
De Gea の様にMataも UEFA U-21 2011 のメンバーでこの五輪チームのベースとなっている。 その当時のU-21のスタメンの中でDidac Vila と怪我で参加を見送った Thiago だけが五輪メンバー入りせず Didac Vila に替って召集されたのが Jordi Alba であるが彼でさえ23歳である。  

Atlético Madridの Adrián Lopez は昨シーズンの UEFA Europe League の大会得点ランク2位で Athletic Bilban の Iker Munian はEurope League と Copa del Rey のファイナリストだ。 Malaga の創造的 FW Isco は同世代 ( Isco は20歳 ) の中で最も才能があると前のスペイン連盟のスポーツディレクターに言われた逸材。

昨シーズン Premiership のタイトルを逃した Manchester United のメンバーはシーズン終了後おのおのの生活に入ったが Ryan Giggs は De Gea に “ See you in the final “ と云ったそうだ。

21歳のスペイン人選手が8月11日にウェンブリーで試合を行う事を想像すると言う事はまことしやかなことであろう。“決勝戦で英国と対戦したい。しかし大事な事はそこに我々がいるかと云う事だ。 もしそこに Beckham がいれば彼を見に来る人にとっては良かった事だと思う。しかし Giggs がそこにいる。 彼は一流の兵士だ。 彼は素晴らしい人間で偉大な選手だ。率直にいえば質素でつまらない。信じられない事に彼は38歳でプレーしている。彼は才能を持って生まれた。そして本当に自分をケアーしている。我々はまた Old Trafford でプレーをする。(第三戦のモロッコ戦)”それは私にとってはより特別な事で、それだけに我々の方を応援するファンがいると期待させられる。 私はいつも England ではスペインサッカーは人気があるといつも感じている。それがここは第二のホームと思わせられる事だ。“

Spain's Juan Mata wants Olympic gold after Euro 2012 win

“恐らく我々は苦戦する事も無く金メダルを勝ち取らねばならないと思われているだろう。しかしそれは容易ではない。 タイトルを狙う大変強いチームを構成した国が参加している。我々は勝利しかないと予想されている。私達も出来る限りそうありたいがそれは難しい事だ。スペインはここ数年勝ち続けているがその背景には犠牲と多くのハードワークがあったからで、以降に続く良き道であると思う。 個人的には大変ファンタスティックなシーズンだった。そしてもし五輪で勝つ事が出来れば完璧な夏となり、これ以上求める事のない England での最初のシーズンとなるだろう。“

“我々は長い間共にプレーして来た。お互いにどの様にプレーし、どの様に取り組むかをよく若手いる。 だから早く一緒にプレーするのが楽しみだ。我々は代表チームの様にプレーし、そのスタイルはどういう年代レベルでも同じだ。ボールを後方から前に運びポゼッションをキープしチャンスを創る為に協力する。 U-15 レベルからそのスタイルは変わらずそれがスペインのやり方であり、栄誉を創り続けている。
“フル代表の方は我々が望もうと望まないともレベルを高く上げ我々にプレッシャーを与えている。それが我々にもモチベーションになっている。 我々はフル代表と張り合おうとして来た。 それは容易では無かったが我々が良いチームであった事を知っている。 人々は大会の最優秀選手になりたいかと訊ねる。 私はどちらかと言えば攻撃的選手の一人だ。”

こう語ったのは Juan Mata だった。
Juan Mata はロンドン五輪で金メダルを勝ち取り "perfect summer" を成し遂げたいとの事である。

今シーズンの Mata は Chelsea のメンバーとして UEFA Champions League, FA Cup そして EURO 2012 で優勝を納めた。そしてそのタイトルに五輪の栄光を添えたいと思っていた。

しかし Mata が EURO2012 でプレーしたのは決勝戦のイタリア戦の最後の3分だけ。そこでゴールを決めたとはいえ良い思い出は無いと思われる。それだけに五輪のタイトルには並々ならぬ思いを寄せていると思った

英国の報道を見てもスペインの初戦の相手が日本であるとは皆目報道されておらず、スペインの方も真剣に日本をスカウティングするなんてしなかったと思う。それでも勝てると思っていただろうし、キックオフ前はむしろそれを私は望んでいた。
例え1%に満たなくてもそれが勝点に繋がるとおもったからだ。

 こんなメンバーどうやって…

なでしこがカナダを降した翌日 U-23 五輪チームはスペインと対戦する事に。 

7月11日に国立競技場で行われた New Zealand Oly Whites との壮行試合を見たときには“こりゃまた3連敗とちゃうか?”と思わされたけど、以降ベラルーシ戦 2-1 , メキシコ戦 1-0 をテレビで見るとチームの状態は上がっているなぁと思った。

何と言ってもメキシコに“勝った”事が大きいと思った。 それでもスペインに勝てる保証にはならない。 スペイン相手には何とか引分け、負けても1点差負けまでと云うのが願いだった。両チームのスタメンは下記の通りだった。

                         GK 1 De Gea( Manchester United )

       12 M. Montoya   3 A. Dominguez     5 I. Martinez     6 J. Alba
        ( FC Barça )   (Mönchengladbach )  ( R.Sociedad )   ( FC Barça )

                          4 J. Martinez ( A. Bilbao )

               15 Isco                          11 Koke
              ( Malaga )                       ( A. Madrid )

        10 J. Mata                                 9 Rodrigo
        ( Chelsea )                               ( S.L. Benfica )

                           7 Adrian Lopez( A. Madrid )

                            11 永井

          7 大津              10 東                17 清武

                  3 扇原                16 山口

         2 徳永        5 吉田            13 鈴木         4 酒井宏

             
                          GK 1 権田




GK De Gea, DF Montoya, A. Dominguez MF J. Mata そして FW A. Lopez ら5選手が UEFA 2011 U-21 のメンバーだった。CBの Javi Martinez そして Iker Munyain ( 共に Athletic Bilbao ) らはベンチスタートだった。

日本はover age の徳永と吉田以外はアジア地区予選のレギュラーメンバー。 2列目左に大津が宇佐美に替って入っただけであとは21日のメキシコ戦と同じスタメン。個人的にはワールドカップ南アフリカ大会の初戦の様にアンカーを入れてゼロトップにするのではと想像していた。 それはSBは右に酒井宏樹、左に高徳。CBは吉田と徳永の over age でアンカーに鈴木か山村を入れてボランチは扇原と山口蛍。2列目は右に清武、左に東を入れてトップには大津。守備で頑張れる選手を入れて何とか無失点で防いで終盤に永井のスピードと宇佐美のドリブル。または杉本の高さ…と想像していたけど、流石に関塚監督は違った考えというよりも選手の能力を信頼したスタメンとなった。( 当たり前か??)  
                                                                続く…..


ロンドン五輪開幕  メダルラッシュ…となって欲しいなぁ 

2012-07-29 | 夏季五輪
現地時間の7月27日、ついにロンドン五輪が開会式を迎え各競技、種目が順次始まった。
共に白星発進だった男女のサッカー競技が開会式の前から始まったていたので、あの2010年ワールドカップ南アフリカ大会の時の様にものすごく幸せな気分になり、あたかもサッカーのワールドカップがまた始まった様な感覚だったけど、本格的に各競技が始まりそれぞれの結果に一喜一憂する事となるのか~と思った。

三宅宏美3度目の正直で銀メダル
初日の競技結果で最も感動したのは女子重量挙げ48kg級で銀メダルを勝ち取った三宅宏美選手だ。
大会前あまり話題にならなかったけどアテネ五輪で9位、北京五輪で6位に入った後に3度目の五輪挑戦だった。
北京五輪では2年前、サントドミンゴで開催された世界選手権 48kg で銅メダルを勝ち取ったので期待していたけどメダルに届かず試合後のインタビューを見た時はもう引退知るかな~?と勝手に思ってしまった。
北京五輪後出場クラスを 53kg に上げたけど2010年広州でのアジア大会では優勝した中国の Li Ping に40kgの差を付けられて7位。 昨年パリでは6位 ( それでロンドン五輪が内定した。) と表彰台に登れなかった。 どの時点で48kg 級に戻したのかは知らないけど、見事な銀メダルだった。



この種目は中国が強く広州アジア大会2010 では王明娟 ( Wang Ming Juan ) が2位の Pensiri Laosirikul ( タイ ) に18kg ( 192kg ジャーク 83kg スナッチ 109kg ) の大差を付けるアジア大会記録となった210kg ( スナッチ 95kg ジャーク 115kg ) で優勝した。昨年の世界選手権では中国の王明娟ではなく田原( Tian Yuan ) が207kg ( スナッチ90kg ジャーク110kg ) で優勝した。この時の銀メダルもタイの Pensiri Laosirikul ( 187kg スナッチ 80 ジャーク107) だった。ロンドン五輪では王明娟が代表となり205kg ( スナッチ 91kg ジャーク114 kg ) で金メダルを勝ち取った。
そして銀メダルの三宅は197kg ( スナッチ 87kg ジャーク110kg ) 銅メダルは北朝鮮のリャンチュンファ ( 192kg スナッチ 80 ジャーク 112 ) が勝ち取った。 アジア大会、世界選手権で2位だった Pensiri Laosirikul はリャンチュンファのわずか1kg及ばない 191kg ( スナッチ 82kg ジャーク 109kg ) で4位。メダルに届かなかった。



五輪でアジア勢が表彰台を独占するのも見ていて悪くはないと思った。 そしてこの際この競技を世界選手権、アジア大会の戦績を見ながら楽しんでみようかと思った。 
またこの種目に出場したもう1人の日本人選手水落穂南選手が6位 ( 176kg スナッチ 80kg ジャーク 96kg ) で6位入賞した事も下記落としてはならない。

内村大丈夫か?これは協会の責任。

金メダルラッシュが期待された男子体操と云うよりも内村航平だけどミスを連発し本人も“何しに来たんだか….”とのコメントを残したらしい。個人総合では89.764 に留まり9位で決勝進出を決めたけどトップのダネル・レイバ(アメリカ) 91.265 から1.501 差、3位のファビアン・ファンブッケン 90.765 とは 1.001 差。 これをどこまで詰めてくれるか? 普通どおりの演技さえ出来ればと思うけど、
この時点で種目別決勝に進めたのは床運動、平行棒の2種目だけで得意の鉄棒は決勝に残れなかった。
そして団体でも日本は270.503 で5位に留まり1位のアメリカ 275.342 から 4.839, 272.420 で3位のイギリスから1.917 点差を付けられた。 ただ日本の最大のライバルと見られた中国もミスを連発。 団体では日本を下回る 269.985 で6位での予選通過だった。
原因はおそらく器具だと思う。 聞いた話では今大会はフランス製の器具を採用されているとの事であるが内村を始め選手達がその器具を使って練習をしたのは日本チームがロンドンの向けて旅立った五輪直前合宿。 その時の模様がテレビで伝えられ、内村を始め日本選手が器具がしならないと漏らしていたのを見た。 



本当に体操協会は一体何をしているのだろう?どこの器具を使うかと云う事くらい一早く情報をキャッチしそれと同等品を輸入し選手達に早く慣れさせるという事を何故しなかったのだろう?まさか使用する器具が発表されたのは大会直前と云う事はあるまい。
昔あるスポーツ雑誌で日本が五輪5連覇を成し遂げている最中でもある著名ジャーナリストは“ 協会は誰も何もしない。ライバルソ連は役員を世界体操連盟に送り込んだり国家を上げて日本対策を行っている。だけど協会の役員は4年に一度五輪で勝った勝ったと喜ぶだけだ…..”
今、内村航平達のおかげで1990年代初めに停滞した日本体操界はまた体操人気が出て来て世界でもトップを走れる様になった。選手達の血のにじむような努力だけでなく協会の役員達が何をすべきかを考えなければならないと思うであるが….
兎に角選手達の奮起を祈る。



昨日はなでしこが準々決勝進出を決めて、男子 U-23 は今晩モロッコ戦に臨む。
サッカーに就いては改めて解説します。(誰も読まないか?)  
そして今日も滅茶苦茶暑い。 朝10時前からクーラー掛けたら嫁はんに怒られた。でもスイッチは入れたままだったぞ!!

それから開会式の Paul McCartney は恰好良かった。一番恰好良かった。

キックオフは明日。英国紙を賑わすなでしこ

2012-07-25 | 夏季五輪

 いよいよ明日。ロンドン五輪、日本選手団の先陣を切ってなでしこ達がカナダと対戦する。
北京五輪とは大違い。 あの時は地元中国を破って準決勝に進出したなでしこ達を称賛するマスコミはほぼ皆無だった。むしろメダルを1歩手前で逃した事ばかりがクローズアップされた。
ロンドン五輪では他の競技よりもまるでワールドカップの様にサッカーが非常にクローズアップされ過ぎている気がする。
しかし大会前に彼女達がある“使命”を負う様な記事が地元紙に。

Japan's female athletes fly economy while men's team sit in business 男子チームがビジネスクラスに座る一方で日本の女子アスリート達はエコノミークラスで飛び立つ

彼女達は世界女王天災に見まわれた自国に希望を齎した。しかし日本の女子五輪サッカーチームは欧州への疲れるフライトをエコノミークラスでの移動させられその一方であまり祝福されない男子チームはビジネスクラスでリラックスしていた。
ドイツで女子ワールドカップを掲げ挙げたなでしこジャパンを取り巻くこの問題は東京から日航機が到着すると過ぎに明らかになった。

“反対だと思うんですけどね。年齢的にも私達の方がシニアなのに。”チームのスーパースターである澤穂希が日本のメディアに冗談っぽく語った。

こう言う行で始まった記事は澤自身が4度目の五輪挑戦である事、昨年のワールドカップで優勝した後の帰国路はビジネスクラスで帰らせて貰った事も語ったと述べられている。そして彼女達はメダルが期待できると言うおかげで少し脚が伸ばせる Premium Economy クラスが準備されたとも書かれていた。 
ワールドカップでの優勝に就いては“なでしこジャパンは昨夏ドイツから帰国した時は英雄的に出迎えられ、その勝利は3月11日に起こった約20,000人の犠牲者と福島での原子力発電所事故を出した津波を引きずっていた日本人達にめったにない貴重な光であった。”と表現され、ワールドカップ後、日本で最初にチームとして政府からの栄誉(国民栄誉賞)を受けたおかげで澤を始め他の選手達がコマーシャルやテレビへの出演が増えた事も書かれていた。

またロンドンに向けて出発する前に国立競技場で行われた試合で女子チームがオーストラリアを難なく 3-0 で降した一方で男子はニュージーランドと 1-1で引分け好印象を与えられなかった事。そしてなでしこはロンドンで金メダルを期待されているのに対して男子は初戦は難敵スペインと相対し以降モロッコ、ホンジュラスと対戦が続きメダルは期待できないと書かれていた。

日本オリンピック委員会は柔道やレスリングの様な体格の大きな選手以外は殆どがエコノミークラスで開催地に向かっていると語っている事も書かれており最後に澤が “我々がワールドカップで優勝した時、帰りのフライトはビジネスクラスにアップグレードしてくれた。五輪でも良い結果を残して再び同じ様な事が出来る様に希望している。”という彼女のコメントで締めくくっていた。

しかしこれに関連する記事はまだ続いた。

Japan, Australia and organisers face sexism claims  日本、オーストラリアそして主催者側は性差別に直面している。

オリンピック行きの航空機に乗り込むともしあなたが男性ならば左側に案内され女性ならば右側に行かされる。
要するに男性は機内前方のビジネスクラスに。女性は後方のエコノミークラスにと云う事らしい。

記事はなでしこ達がエコノミークラスでのフライトを強いられた事だけでなく、同様の事はオーストラリアの男女バスケットボールチームの事でも起こっていたと書かれている。
オーストラリアバスケット協会も Boomers として知られる男子代表チームはシドニーから比較的リラックス出来るビジネスクラスで出掛けた一方で Opals と言われている女子代表はエコノミークラスで飛び立ったと書かれている。オーストラリアの Sydney Morning Herald 紙には男女それぞれ予算がある為にこの様な事となったとスポークスマンは語っていると書かれていたと報道。

 “まず第一に我々は常に選手達の健康を意識している。代表チームの移動の準備に就いては異なった要因が考慮される。身長や身体のサイズ等が優先して考慮される。男子バスケットの平均身長は 200.2cm で女子は 183cm である。 とスポークスマンは語ったらしいが女子選手のLiz Cambage は203cm で男子のAdam Gibson は 188cm でPatrick Mills は183cm である。と同紙は述べているとの事。

また矛先は LOCOG ロンドン五輪パラリンピック競技委員会にも向けられている。それはスラロームカヌー競技で男子はカナディアンシングル、ペア、カヤックシングルと3種目あるのに女子はカヤックシングル1種目しか採用されていないと言う事だ。今の女子カナディアンシングルの英国チャンピオンであるSamantha Rippington は LOCOG がこの種目を除外した事に就いて
 “私が訊ねたい事はただ LOCOG に二つの単純な質問に答えて欲しいと言う事だ。それは男子にはある5種目のオリンピックカヌー競技が女子には無いのは差別ではないのかと云う事とこう言った事が続くのかと云う事だ。”
12歳からカヌーを始めた27歳の Reading 出身の彼女はロンドン五輪を邪魔する気は全く無いが、彼女は LOCOG の公平な再調査の下での決定が次のリオでの競技委員会にプレッシャーを与える事を希望していると述べている。

戦前、あの人見絹江選手が活躍していた頃は女子だけの五輪があった。多くの女子選手、役員の努力の積み重ねにより多くの女子選手が五輪で活躍出来る場が出来た。世界的にスポーツのプロ化が進む事により五輪種目に採用されているかいないかは競技自身の死活問題になる。

なでしこフランスに完敗でも心配は無用….

7月20日、Paris Charlety 競技場で行われたフランスとの試合で 0-2 で敗れた。  

この試合はオーストラリア戦から少しメンバーを替えたスタメンで臨んだ。大儀見と組む2トップは安藤では無くオーストラリア戦では2列目左だった川澄がFWに上がり、宮間が右から左に回り2列目右には大野がスタメンに入った。 そしてGKはこの試合も福元が先発だった。

対戦相手のフランスは欧州でも1,2を争う強豪。昨年のワールドカップでも準決勝に進出した。スタメンも代表出場数177、18ゴールを数える38歳大ベテランの Sandrine Soubeyrabd こそ出場しなかったが、代表36ゴールの FW Marie-Laure Delie 、代表出場 150 試合のベテラン Sonia Bompastor らがスタメンに起用されスタメン11選手の出場数をトータルすると817試合にもなるほぼベストメンバー。7選手が Lyon 所属の選手だった.



試合は地元の声援を受けるフランスが開始から押す展開。なでしこたちは移動の疲れとこれまでの合宿の練習疲れからか最初の一歩がいまいち。ワントップの Delie ががんがん上がってくる。更にトップしたの Necib もなかなか良い縦パスを Delie に通してくる。なでしこでは大儀見がさすが die Bundesliga 所属といわせるあたりの強さを見せるけど頼みの宮間、大野が厳しいというよりも早いチェックに合いボールをうまく出せない。澤へのマークも当然の様に厳しい。



昨年のワールドカップでは準決勝まで進出しアメリカに敗れている。そのアメリカと五輪では初戦に当たる。 なでしこが1位でグループを通過するとおそらく2位になるかもしれないフランスと当たることも。 最近は男子代表チームではアフリカ系の選手が減ったけど女子には何人かアフリカ系の選手が。さすがに縦のスピードは速い。 Wendie Renard は185cmもあり右サイドの Corine Franco はがんがん上がってきてまた日本の左サイドにボールを放り込むあたり鮫島を上げささないということからかよく研究しているなぁと思った。
なんとか持ちこたえてくれよと思うも24分 Nacib のスルーパスがなでしこDF陣の間に通され Marie Laure Delie が走りこみ福元の守るゴールに蹴りこみフランスが先制をした。ちょっとDF陣がみなボールを目で追っていたか? 前半終了間際に宮間のシュートがゴールポストを叩いたのがGK Bouhaddi を唯一脅かしたシーンで前半は 1-0 で折り返した。

後半開始前に行われた選手交替はGK福元が海堀に替わっただけだった。そしてフランスの方が52分意先に Delie に替わって Eugenie Le Sommer を投入する。これでピッチ上に Lyon 所属の選手は8人となった。 なでしこベンチは67分に川澄を下げて安藤ではなくマラドーナ岩渕をついに投入する。脚は大丈夫か、そしてドリブルで切り裂いてくれ…と思うも大きな選手に体を寄せられて押さえ込まれてしまう。



そして74分右CKにあわせた Wendie Renard のヘッドがなでしこゴールに突き刺さりリードを広げられてしまった。大野が下がって安藤が入った直後だった。 そしてなでしこは時折映ったパリの日本人学校の子供たちを沸かせるシーンは少なく最後までゴールを奪うことが出来ずに完封負けを喫してしまった。彼女たちが完封されるなんて何試合ぶりだろう…



この勝利にフランスは25日のアメリカ戦を前にかなりの自信を持った様でフランス各誌は “アメリカ戦を前に多くの自信を…” てな見出しが見られた。 

MFのGaëtane Thiney はこの試合結果を“明らかに我々に大きな自信を与えた。しかしこれはまだ我々自身のフィジカルや戦術、守備の連携を調整する為の準備試合に過ぎない。我々はもっとゴールに出来るチャンスがあった。自身のゴールはオリンピックに取っておこう。フィジカルは徐々に良くなってきており五輪本番では更に良くなるだろう。” と語り終了直前に投入された DF Laura Boulleau は“DFとしてトッププレーヤーと相対するのは非常に興味があることだ。ワールドカップ以降守備能力は上がってきていると述べた。しかし Catala は”これは重要な試合ではない。他の国同様まだ試合はある。“と語ったらしい。



フランスの初戦はアメリカ戦でどうしてもこちらにピークを持っていかざるを得ない。陸上の長距離をやっていた経験から言わせて貰うと(あまり関係ないか?)試合の4日前から練習量を落として競技に備えるので5~6日前は疲労がピークだ。運動量を必要とする彼女たちにフランス戦でベストコンディションを要求するのは少し酷だ。
夕刊紙等は大げさに“内部崩壊”とかの見出しを付け、スポーツ新聞でも否定的な見出しを付けていた。
日本も初戦は大事であるがこの試合の出来上がりは当然100%ではなくそうである必要も無い。この試合からコンディションを上げて行くことだろうから今夜行われる緒戦のカナダ戦には当然結果は出してくれると信じている。

4年前私達に感動を与えてくれた女子ソフトボール種目は五輪競技から外されいつ再採用されるか解らない。そして日本のマスコミもソフトボールを全く取り上げなくなってしまった。

第13回世界女子ソフトボール選手権の決勝戦に進出した日本は宿敵アメリカを延長10回の末 2-1 で破り42年振りの世界選手権優勝を果たした。 あの上野由岐子がまたアメリカ打線を1失点に抑えたのだ。

こう言う報道をもっとしろよ。そして五輪選手団に伝えろよ!彼女たちの無言のエールじゃないのか…..と思ったよ…..

 

 

 

 

 

 


Matildas 4年前に続いて来日…. なでしこジャパン 3-0 Australia Matildas 11th July

2012-07-21 | 夏季五輪

なでしこのキックオフで始まった試合は、開始早々鮫島のスローインを受けた川澄が左サイドからドリブルでしかけるが Slatyer がマークに入りCKに。宮間が入れたCKに澤がネァーサイドに飛び込みGKBarbieriと競りながら頭に当てたボールは後方の Slatyer の肩にあたり Matildas ゴールに。これを Uzunlar が蹴り出し最後は Barbieri が抑えた。このシーンを見た時に以降はなでしこが主導権をもって試合を進めるだろうなぁ、と思った。

New Zealand Ferns に1勝1分

昨年9月中国で開催されたロンドン五輪女子サッカーアジア地区最終予選で3位となり2大会連続で五輪出場を逃したオーストラリアサッカー女子代表 Matildas は北京五輪前にも神戸でなでしこジャパンと壮行試合を行う為に来日した。この時も男女五輪代表の壮行試合のダブルヘッダーで男子もオーストラリア代表 Olyroos だった。 なんで関東で開催してくれなかったんだろう….と当時悲しく思った。
この試合はなでしこが Matildas を 澤、大儀見(当時は永里)そして丸山佳里奈のゴールで3-0 で降した。当時のなでしこメンバーでロンドン五輪メンバーにも選ばれた選手はGK福元、安藤、近賀、岩清水、澤、宮間、阪口、矢野、大儀見、そして丸山佳里奈、海堀(途中から出場)。当時の試合に出場した Matildas のメンバーで今回は GK Melissa Baribieri, Kathryn Gill, Servet Uzunlar, Brooke Spence, Kyah Simon の5人が遠征メンバーに入っていた。

2011年のワールドカップでは2007年大会に続いてベスト8に進出したが連続して五輪出場を逃した Matildas は今若返りを図っている来しいが監督はワールドカップ、五輪予選と同じ Tom Sermanni 監督。 
来日前に New Zealand Ferns 事ニュージーランド女子代表とキャンベラで2試合行い1勝 ( 2-0 ) 1分( 1-1 )であった。
6月24日に行われた初戦では50分にニュージーランドの Hayley Moorwood に先制ゴールを許し、このまま1994年以来そしてオーストラリアの地では1991年以来、ニュージーランド女子代表が Matilodas を破るのかと思われたロスタイムに Thea Slayter がヘッドで同点ゴールを決め何とか引分けに持ち込んだ。



この試合には GK Barbieri を始め Teigen Allen, Clare Polkinghome, Laura Alleway, Catitlin Foord, Elluse Perry らワールドカップ2011メンバーと Sara Warsh らが出場していた。
終了直前の Slayter のゴールで何とか引き分けたが Sermanni 監督は“ 引分けと云う結果は大変に素晴らしい。これは新たにメンバー入りした選手には多くの自信を齎しただろう。”と肯定的なコメント。 
“多くの代表デビュー選手や代表歴の少ない選手がチームにいたので、その将来は明るいものと思われた。与えられた環境下であまり一緒にトレーニングをする機会が無い中多くのチャンスを創れた事は喜ばしい事だった。五輪前の準備期間にあるニュージーランドのコンディションはピークにあり、大変組織化されていた。これは良いドリル(練習)となった。” とも語った。

3日後の6月27日に行われた New Zealand Ferns との第二戦は Sarah Walsh の2ゴールで Matildas が勝利を収めた。
これで Walsh は代表でのゴール数を31とし Cheryl Salisbury のもつ代表での38得点まであと7と迫った。
Sarah Walsh はアテネ五輪、ワールドカップ2007中国大会そして 2006, 2010 AFC Women’s Asian Cup にも出場している。
昨年のワールドカップは残念ながら怪我で出場出来なかった。 Sarah が出ていれば準々決勝のスウェーデン戦に勝って日本と準決勝戦であたっていたかもしれない。そのほうが面白かったかもしれない。 FIFA World Cup 2006 で日本がオーストラリアに敗れた地、ドイツでなでしこが仇を討つ、と云う事を楽しみにしていたんだけど。

そしてゴールポストやクロスバーに助けられはしたが GK Barbieri の無失点試合数も34に伸ばした試合でもあった。
“あなた達は我々がたやすく勝利を得たとおもっているだろう。確かにいくつかの素晴らしい football を見せて試合が進むにつれてチャンスを多く作った。我々はここにまだ試した事のないコンビネーションで試合に臨みロンドン五輪の為に最終調整をおこなっているチーム相手に1勝1分を納めた。であるからこの結果には大変満足している。数日かけて翌月の日本遠征を選抜する” この様に Sermanni 監督は語った。 
殊勲の Walsh は “元 Matildas選手達からはニュージーランド戦の不敗試合を続けることへのプレッシャーを受けた。18年も負けていないチーム相手に敗戦を喫するメンバーに入りたくないという事には一般の人には理解できないプレッシャーがある。五輪を前にしたニュージーランドの選手達は我々よりもよく準備が出来ていた。だからプレッシャーも大変だった。若い選手達はこの試合が良いステップアップになっただろう。 スコアーシートを見ると最初の Ellyse Perry のクロスが良かった。私は普段はヘディングはあまり得意ではないが上手く合わせられた。前半にはいくつかチャンスをミスしてしまった。だから後半は何とか決めねばと思った。 丁度足元の良い位置にボールが来て中にまさにシュートを撃ちたい位置に切れ込む事が出来た。特にこの様な試合で1試合に2ゴールできると言う事は大変な安堵となった。” 日本遠征を前にこう語った。

    

若手中心の日本戦遠征メンバー

来日メンバー18人中、ワールドカップ2011メンバーだったのは GK Melissa Barbieri , DF Laura Alleway, Teigen Allen, MF Tameka Butt,  Servet Uzunlar  FW Caitlin Foord, Kyah Simon の7選手。 Uzunlar, Butt, Simon はニュージーランド戦には召集されなかった様で反対に Kyah Simon, Clare Polinghome, Ellyse Perry といったニュージーランド戦に出場していたワールドカップ 2011メンバーは来日しなかった。 
“日本の様なそして特に昨年素晴らしい偉業を達成したチームと対戦すると言う事はもし勝つ事が出来れば素晴らしい事だと思うがそれは非常に困難なこととも思う。しかし五輪前に招かれて日本と試合をするという事は大変な名誉である。“ Sermanni 監督はこう語った。 DF Daniel Brogan はニュージーランドとの違いを語る。” ニュージーランドの質の高いチームであるが世界王者の日本との対戦となると全く異なった試合となる。早い展開となるだろうし90分間まさにファイトせねばならない。そして日本をプレーさせてはいけない。我々は自分自身を振り返らねばならない。我々は世界のトップ10に位置しているので自分達の能力を低く見るべきではない。日本をリスペクトしたくなるが自らの墓穴を掘る程には敬意を払わない。“ と話した。

メンバーには Emily Gielnik, Katrina Gorry と云ったまだ代表出場歴の無い選手も帯同している。昨年開催されたAFC U-19 のメンバーが5人選ばれていた。ただ Teigen Allen, Caitlin Foord はワールドカップメンバーであったけども。 Emily Gielik は初戦のベトナム戦でハットトリックを演じ、勝利 ( 4-3 ) に貢献したが以降北朝鮮 ( 0-1 ) 日本 ( 0-1 ) 中国 ( 1-3 ) そして韓国 ( 2-4 ) と4連敗で6チーム中5位に終わり今年日本で開催される FIFA Women’s U-20 大会への出場権を逃してしまった。

Gielnik はその後国内リーグW-League の Brisbane Roar でも頭角を見せ来シーズンは FA Women’s Super League の Liverpool でプレーする事となった。

Walsh ベンチスタートの Matildas . なでしこは大儀見と安藤の2トップ。

両チームのスタメンは下記の通りだった。

                                  GK 1 Barbieri 

     7 Foord       13 Slatyer       19 Catley       19 Cately

                10 Uzunlar                      23 Kenedy 

     16 Butt                      17 Simon               3 Brown 

                                      12 Gill

                        7 安藤                    17 大儀見

       9川澄                                                   8 宮間

                         6 阪口                    10澤

      5 鮫島          4熊谷             3 岩清水          2 近賀

                                    GK 1 福元




競技場のオーストラリオ側に来るとオージーらしき人は誰もおらず、日本人の方が4名ほどおられた。その中でオーストラリア代表のレプリカや黄色の帽子を被った人も。 私も尊敬する Warren のユニフォームに着替えたけど….
しかし多分 Socceroos の試合だったら着なかったと思う。
話しかけると昨年の五輪予選の観戦に出掛けられたそうだ。う~ん、羨ましい。 我々だけというのはちょっと寂しいですねてな話しもした。

なでしこは開始早々のチャンスに続いて2分42秒には大儀見がシュートを放つなど強さを見せる。その後 Matildas が攻撃に転ずるもここは澤がうまくカバーをしてシュートに持ち込ませない。 5分には Brown が左サイドをドリブル突破するシーンが見られた。
8分には川澄が右サイドで Catley を振り切り入れたクロスに宮間が長身の Slatyer とFoord の間に割って入りヘッドを撃つがポストの左に外れて行く。10分には近賀のロングパスに抜け出した大儀見が Slatyer を振り切りシュートを放つが今一ヒットせず GK Barbieri の正面に。だけど Barbieri はちょっとファンブルを。 Barbieri もボールに手が付かない模様。
なでしこは立ち上がりロングボールを多用している様に見えた。そしてフィールドを広く使っていたが結構トラップミスもあった。合宿中で身体にはかなり負荷をあたえられていたのでコンディションはまだ100%には上がっていないのでそれも仕方ないとおもう。



しかし Matildas の方は更に動きに切れがみられない。 寒い南半球からやって来たので暑さ厳しい東京での試合は厳しいか?
13分46秒阪口のミスパスを拾った Simon が左サイドを突破し近賀がタックルに入る前に上げたクロスが熊谷と競り合いながらワントップの Gill に当たるがGK福元の正面に。 絶好のチャンスだったけど以降前半終了まで Matildas がなでしこゴールを襲うシーンは見られなかった。21分には Matildas PA 前でボールを回して澤からボールを受けた大儀見がダイレクトでシュートを放つが Foord の脚に当たってGK Barbieri に。 
そして25分、川澄が Foord と競りながらCKを奪い、ショートコーナーを受けた川澄を後ろから Butt が引っかけてしまい川澄が倒れるとシンガポール人のアバイ・ナ・イドゥ主審はペナルティースポットを指した。 ちょっと厳しい判定だとおもったけど。 
これを宮間が落ち着いて左側に決めてなでしこに先制点を齎した。 




先制を許した Matildas は試合再開後 Brown が左サイドをドリブルで上がり近賀、岩清水の間から中央に突破してくるがここは阪口がクリアー。その直後にも Butt がドリブルで上がりCKを奪うなど気候に慣れたか徐々に動きが良くなって来たように見えた。
しかしシュートシーンはなでしこばかりが見せる。31分には宮間のアーリークロスから澤がフリーでヘッドを放つがクロスバーを越える。
32分30秒には川澄が左から中に切れ込んでドリブルシュートを見せるも GK Barbieri がCKに逃れる。そのCKから岩清水がフリーでヘッドを放つがゴールは捉えられない。 
36分には右サイド宮間が Catley, Brogan をかわして低いクロスを中にいれると安藤を越えて大儀見がシュート体勢に入るが僅かに合わなかった。 Matildas DF陣はやはり暑さが堪えるのか30分を過ぎるとマークに付けなくなって来た。41分には正面遠い位置からゴール前に入れると GK Baribieri が脚にあててしまう中途半端なプレー。失点には結び付かなかったが危ないシーンだった。

しかしロスタイムに入った46分、またも右サイド宮間からオーバーラップした近賀に縦パスが入り、中に入れると中央に走り込ん大儀見が押し込んでなでしこが追加点を挙げた。 何度もチャンスを逃していた大儀見だったがここで4試合連続ゴールをきめたところは流石だと思った。大儀見は五輪でもまた得点を決め続けてくれる事を期待したい。

Matildas は後半からついに Warsh を投入する。後半からは気温も下がって来るので Matildas の身体も切れが出て来るだろうと思った。51分にはなでしこPA内で Simon が粘って Uzular に戻し、なでしこゴール前にハイボールを送ると中央で飛び込んだのは184cmの Kate Gille。しかし近賀が身体を預けて思う様なシュート体勢を取らせずゴール枠を捉えさせない。五輪ではカナダ、スウェーデンという長身選手がそろったチームを相手にせねばならない。 しかし後半の Matildas の挽回を期待するも58分になでしこは3点目を挙げる。CKのこぼれ球を中央から澤が強烈に、というよりも狙いすました様に Matildas ゴールの右下隅に蹴り込んだ。 
澤自身昨年ワールドカップ決勝戦以来の代表でのゴールらしい。それよりも彼女のコンディションが上向いている事が大事だろう。そして御役目御免とばかりに直後に田中明日菜と替ってベンチに下がった。



Matildas ベンチは60分に Emily Gielnik を Kate Gill に替えて、 Katrina Gorry を Alanna Kennedy に替えてそれぞれ投入し2人の Matildas デビューをさせた。 しかしなかなか Matildas はシュートシーンを創れない。 競技場に来ればなでしことの違いは一目瞭然だ。 パスは足元ばかりで3人目の動きが無い。更にパスアンドゴーがなかなか出来ていない。そして Kyah Simon にボールが入った時しか何か起こりそうな気がしない。 後半から入った Walsh も思う様なプレーが出来ない、と云うよりもなでしこ達がそれをさせない。 2006年に Adelaide で行われたAFC Womes’s Asian Cup でなでしこは Matidas に敗れたがその試合では Matildas 選手達のキックのレンジの長さの違いに驚かされた。そしてゴール前や中盤での当たりの強さも。しかし今はなでしこ達もキック一発でサイドチェンジが出来るし、この試合でも Matildas とは互角以上のあたりの強さをみせいていた。



Matildas は71分に Simonが放ったミドルが GK 海堀の正面に飛んだ時くらいしか国立競技場を沸かせられなかった。
なでしこの方は次々に選手を交替させる。71分には大儀見に替って丸山佳里奈を投入した。我が故郷高槻市の市長からも激励を受けた写真を見た…。



76分に宮間が下がって高瀬が投入されたのでこの試合でのマラドーナ岩渕の出番は無くなった。
88分に近賀のクロスを正面で受けた田中明日菜が Matildas ゴールに蹴り込んだけどこれは明らかなオフサイド。そして2分あったロスタイムも過ぎタイムアップとなった。

試合後かつてサンフレッチェ広島でコーチの経験のある Tom Sermanni 監督は “恐らく今日感じた事はボール支配率を上げるのには大変難しいスペイン代表やBarcelonaを相手にした時と同じだろう。我々は大変なプレシャーを受けた。正直レベルの違うチームを相手にした様だった。そしてこの試合の日本は素晴らしかった。我々はただそれに付いていけなかった。 何人かの若い選手にとってはこのレベルの試合を経験した事が良いチャンスであっただろう。(日本、ニュージーランド戦の)3試合で6人の選手が代表デビューを飾った。我々はまさにチーム再建の始まりにあるが、何人かの才能ある選手がやってきた事を今夜示す事が出来た。”この様に語った。

次回日本が Matildas と対戦する時はなでしこのメンバーが大きく変わっている事だろう。


Oly White 戦後.....

2012-07-21 | 夏季五輪

7月11日、国立競技場で開催された壮行試合後、 Kiwi や日本の人たちとの記念撮影写真です。

この試合が終わってU-23, なでしこは欧州で”調整試合”をこなしています。男子U-23 はベラルーシに勝ちましたがなでしこはフランスに 0-2 で敗れました。しかしなでしこの事は心配しておりません。 
またこの試合について、そしてなでしこが出発前に戦った Matildas 戦に就いて順次レポートします。(誰もみないか?)

 

キシ様写真これだけですが良いですか?? 


良いレッスンだった 五輪前で良かった   日本五輪代表 1-1 Oly Whites 11th July

2012-07-16 | 夏季五輪

ロスタイムは4分と表示された。そして Oly Whites  Barbarous が左サイドで酒井と競りながらCKを取った。“これ後半最初で最後のチャンスでしょうね~。” ずっと一緒に New Zealand Area で観戦していた日本人の人と話をする。そのCKは日本DFがヘッドでゴールラインの外にクリアーする。 Smelz が下がっているしなぁ。 191cm の長身FW Chris Wood または186cmのDF  Tommy Smith らは日本遠征に帯同していない。次のCKを Howieson が入れるがGK権田が跳ね返しこぼれ球を Howiseon が拾うけど最後は米本がカットし日本が繋いで斉藤がドリブルシュートに持ち込むが惜しくもボールポストの左に外れる。こう言うシーン、今夜は何度めだろう?そして再会後 Payne と酒井が交錯して倒れるとパラグアイ人のアリアス主審は酒井の反則を取った。

“もう1回こっちまでこれますかねぇ~。”

日本のプレスを何とか掻い潜ってゴール前迄運んでくるが右サイドで Rojas がキープするも徳永と山崎がマークに入りボールを奪う。やはり上手いなぁと思う。



もう48分を過ぎた。あとはボールを繋いでタイムアップまで…と思った。そして山村から村松に繋ぐとそこに Barbarouses がマークに入りあっさりとボールを奪ってしまう。あぁこれは…と思うと Barbarouses は中に入れるとそこに Rojas が走り込む一瞬だけど山村、米本が Rojas にだけ目を奪われたが Rojas が見事にスルーをすると右から走り込んだ Dakota Lucas にフリーで渡る。 Lucas は権田の飛んだ反対側にダイレクトで撃ったNew Zealand 後半最初のシュートが日本ゴールの右隅に転がりこんだ。残り時間はもう15秒程度だった。

10人程度のKiwi と10人程度の私を含めた日本人は狂喜乱舞をする。Kiwi の1人がビールの入った紙コップを放り投げたので警備員に連れて行かれない様に他の Kiwi が同じ事をしない様に制止に行くと数人が私に抱きついて来た。そしてテレビカメラがこちらの様子を映しに来る。  さっきまで大歓声が続いていた国立競技場は物音ひとつしなくなり我々の歓声が競技場に響いているのが解った。 

再開のキックオフ後日本がニュージーランドゴールに迫る。“危ない、危ない、look ! look ! “と Kiwi 達に指さして云うがすぐにタイムアップのホイッスルが吹かれ、更に Kiwi 達が歓声を上げる。 日本人と Kiwi 達でハイタッチをかわし合う。 そしてスタンドに目を向けるともう半分くらい空席が見られた。  Kiwi 達と色々話す。 これはものすごく良いレッスンだった。五輪の試合でなくて良かった。 こう言うと彼らは、日本は殆ど試合を支配していたしパスワークが素晴らしい。我々は五輪で大丈夫だろうか…. こう語った。
試合が終わって数日経った今でもこれは私の正直な感想だ。

7月11日の男女五輪壮行試合、ダブルヘッダーが国立競技場で行われる。なでしこの相手はオーストラリア女子代表 Matildasu 。男子五輪代表の相手は New Zealand Oly Whites 。これは堪えられない。試合だ。自分にとっては El Clasico と Milan Derby を一緒に見られる様なものだった。昨年3月ニュージーランド代表 All Whites が日本代表と国立で親善試合が組まれていたが残念がら震災で中止となった。それ以来この試合の再戦を望んでいたけど、五輪代表同士であるがそれが実現したのだ。 
なでしこの試合が終わり私は“ Australia 応援席” から ”New Zealand 応援席“ に移った。ここも Kiwi らしき人はいなかった。すると係員の人がやって来て。“ここの席に座って頂いても結構ですが、日本サポーターの人にも開放しますので、ニュージーランドを応援するなら前の方の席に移って下さい。”ってな案内を受けた。 まぁ“ニュージーランドを応援しようとする人は10人もいなかったのでそれも仕方ないか。と思った。それに Kiwi らしき人もいないしなぁ。
ニュージーランドの国旗を持った日本の人が一人いたので“下におりますか…” と声を掛けて下のゾーンに降りた。
しばらくするとイタリア代表のユニフォームを着た白人男性がやって来た。声を掛けると Kiwi だった。そして日本人女性と結婚していてお子さんも2人おられて日本で暮らしているらしい。 私もしょっちゅう仕事でニュージーランドに行く事や昨年ラグビーのワールドカップ観戦に行った事、それから All Whites の事なんかを日本語と英語を混ぜて話した。 そして今回の来日メンバーの事も。 だけど息子さんが日本代表のユニフォームを着ているのでこちらのゾーンには来られないと言い残して“戻ってしまった。” 
だけど入れ替わりに白人の男女が8人程やって来た。勿論みな Kiwi だ。そしてもう1人Kiwi 男性が流暢な日本語を話すと思ったらすぐに日本人女性の奥さんがやって来られた。御夫婦らしい。旦那さんは Christchurch 出身。ご家族は震災には巻きこまれなかったとの事であった。昨年ワールドカップの時期に Christchurch に仕事で言った事と“お願いだからもう日本人女性を連れて行かないで下さい。私はもう結婚しているけど息子はまだ17歳。女の子のストックが無くなってしまうから。”と彼を含めた Kiwiの人達に云うと大受けした。 
するとChristchurch の彼が日本語で“うちの奥さんまだ17歳だから大丈夫。”と日本語で答えた。意味は通じないけど結構受けた。 
そして先ほどの Kiwiも子供達を連れて“戻ってきた”息子さんはAC Milan のユニフォームを着ている。そしてちょっと大きめだ。“このユニフォームに着替えさせて連れて来たよ。”と言って我々と合流。さっきのなでしこのしあいと異なり Kiwi の男女、日本人を含めこちらには20人程度の“サポーター”が陣取る様になり俄然、国際試合の雰囲気が沸き上がってきた。Kiwi女性のなかにはおなかの大きな妊婦さんもおられる。大丈夫かな..とおもうけどいざとなったら私が主導権を握って対応すればいいんだと勝手に責任感をもってしまった。Wellington  からやって来た人や東京に数カ月在住している Kiwi カップルらがいた。中には黄色いTシャツを着た女性も。私の宝物 Ricki Herbert との2ショット写真を見せたらみんな驚きと大喜びだった。 Wellington Phoenix 等キックオフ前に色々話せて楽しかった。
観客席を見るとなでしこの試合よりも観客数は増えて、ほぼ満席。一緒に見ていた日本人の方に“これ何とか逆に出来ないですかね?なでしこの方が世界一でしょ?そっちを後の試合にするべきとちゃいますか?”と勝手な持論を述べるも、結局は視聴率とスポンサーとの兼ね合いでしょうね。と言っておられた。まぁそうだなぁ…



日本のスタメンはOAの徳永が左SBに起用された以外はアジア地区予選の主力選手。ベンチ入りした選手もバックアップメンバーが入っており吉田麻也はベンチにいたらしいけど登録はされておらず、宇佐美は合流していなかった。五輪までの日数、残り試合を考えれば1人でも多く1試合でも多く起用した方が良かったのではないか?
ワントップには大津が入った。五輪予選では永井か大迫が入っていたが最終戦のバーレーン戦では大津がワントップだった。

ニュージーランドの方は OA 3人とも起用されていた。 その Oly Whites は北京五輪に次いで2大会連続男女サッカー代表は五輪への出場を果たしているがこれはオーストラリアがAFC に移籍したことが大きい。 オリンピックのサッカーは16カ国しか出場枠が無い中オセアニア地区には1カ国の出場枠が保証されており、オーストラリアが抜けたこの地域ではニュージーランドの独断場と云いたいところであるがオセアニア地区予選も決して圧倒的な強さで勝ち抜いたわけでは無かった。
準決勝戦の Vanuatu 戦はロスタイムにゴールを決められ何とか 3-2 で逃げ切り、決勝戦の Fiji 戦はGreg Draper のPKで 1-0 での辛勝だった。原因はU-23 レベルでも代表クラスの殆どは選手はプロリーグの無いニュージーランド国内ではプレーしておらず欧州またはオーストラリアのA-League ( Wellington Phoenix もふくむ。)でプレーしてけっしてベストメンバーを組めないと言う事情がある。従ってロンドン五輪最終メンバーはオセアニア地区予選に出場したメンバーからは8人しか選ばれておらずPKを決めた G.Draper なんかは選出されなかった。

五輪メンバーには OA 選手3人を含め既にニュージーランド代表としてプレーした選手や FIFA U-20, U-17 に出場した選手が多く含まれており侮れる相手でも無かったと思ったけどワールドカップ地区予選の1部を兼ねたOFC Nation’s Cup では New Caledonia にまさかの 0-2 の敗戦を喫して2013年にブラジルで開催される FIFA Confederations Cup 出場権を逃してしまった。日本との対戦があるかもと楽しみにしていたが残念。代表のレベルもなかなか向上出来ていないのかもしれない。

GK Gleson は日本の木村光佑と共にアメリカMLS Portland Timbers でプレーする。ここ数試合フル代表の試合でもスタメンで起用されている。 All Whites は3バックだったが Oly Whites は4バックで統率するのはニュージーランドの重鎮 Ryan Nelsen ( QPR )。彼のプレーを見られだけで入場料は半額以下になった価値があると言うもの。共に組むCB James Musa ( Team Wellington ) と右SBの Adam Thomas ( Waikato FC ) はFIFA U-20 2011 のレギュラー選手。 右SB Ian Hogg ( Auckland City ) は北京五輪に続いての選出。ボランチの Adam McGeorge と Alex Fenerdis は共に Auckland City に所属し五輪予選のレギュラー。この試合でもそのコンビがスタメンに。 2列目左の Kosta Barbarouses はかつて Brisbane Roar でプレーしチームの優勝に貢献した。そして今シーズンからギリシアの Panathinaikos でプレーするAll Whites でもほぼレギュラー選手。2列目右の Tim Payne はFIFA U-17 2011 の日本戦に出場した経歴がある。所属先はPremiership の Blackburn Rovers 。トップ下の Michael McGlinchy ( Central Coast Mariners ) は OA 選手でワールドカップにも出場した。ワントップの Shane Smeltz (Perth Glory ) はOA 選手でワールドカップではイタリア戦でゴールを決めた選手。日本のDF陣は彼をどうやって止めるか?というよりも彼にボールが入りるかなぁ…とも思った。




                     1 Gleson


    12 Thomas    6 Nelsen    14 Musa     3 Hogg

          13 Fenerdis          17 McGeorge

      2 Payne        8 McGlinchey   7 Barbarouses

                   9 Smeltz

                    7 大津

      11 永井       10 東         17 清武

           3 扇原              16 山口

     2 徳永       8 山村      13 鈴木      4 酒井

                    1 権田



日本のキックオフで始まった試合は立ち上がりから予想通り日本が押す展開。2分36秒にはニュージーランドPA内でボールを回し最後は東が上げたクロスがゴールラインを割るがだれもマークに付けていなかった。 4分10秒には Barbarouses から Hogg に縦パスが通りクロスが入り Smeltz が飛び込むが惜しくも当たらず Payne がシュート体勢に入ろうとするが徳永がクリアーしCKに。このシーンからしばらく試合はこちら側、ニュージーランドゴール前で展開され続ける事に。

8分30秒には清武のスルーが東に通るがニュージーランドDF陣はサイドを走った酒井に完全に注意が引き付けられていた。10分には永井が Thomas をかわしていれたクロスに東がダイレクトで撃つが Musa が何とかクリアー。11分には清武から今度は酒井にスルーパスが入りクロスを入れると中央でMusa がヘッドでクリアーするとそのこぼれ球が大津の手に当たった。得点には繋がらなかったがここで何故こう言うクリアーの仕方をするのかと思った。13分26秒にはまたも清武から酒井に縦パスが入り中央に入れられるがここは Nelsen が大津の前でクリアーそのこぼれ球を扇原がミドルを撃つがゴールを外れた。15分、扇原からボールを受けた永井が中へ折り返し Musa がクリアーするがこぼれ球を拾った東が永井とのワンツーで抜け出すがここも Nelsen がマークに入ってCKに。そのCKからこぼれたところを大津が放ったショットはGK Gleesonがナイスクリアーで再びCKに。そのCKを繋いで扇原が入れたクロスに山村が飛び込んでフリーで放ったヘッドは僅かにゴールを外れた。
19分、清武から今度は大津がボールを受けシュートに持ち込むがまたも Nelsen がクリアーしCKに。 立ち上がりから日本の連動した動きに、2列目の清武、永井が左右のポジションを変えたりするので完全にニュージーランドMF,DFは翻弄されNelsen がいなかったら20分で2失点は喫していただろう。
そして目立ったのが清武。立ち上がりから素晴らしいラストパスを入れていた。 24分には大津、26分には永井がシュートを放つが共に清武のパスを受けてからのシュートだった。

29分36秒には徳永がこの日初めてサイドを上がり Payne を振り切り中へ入れると大津が胸でトラップし Nelsen の前で豪快なオーバーヘッドシュートを放つがGK Gleeson の正面に。目の前で見た大津のシュートにはこちらのKiwi 達も驚きの感嘆の声を上げていた。 前半は目の前がニュージーランドゴールだったので日本の迫力ある攻撃に誰もが日本の先制ゴールは時間の問題とおもっていただろう。34分には東のインターセプトから永井に繋ぎそのまま Hogg, Musa のマークをふりほどきドリブルシュートを放つがGK Gleeson がナイスセーブでストップ。 

“もう Moss, Paston は要らないね。Gleeson で充分だ。”と Kiwi 達に言うとみな頷いていた。 
劣勢続きの Oly Whites はDFラインが防いでも中盤でまったくボールが収まらないので日本ゴール前迄ボールが運べない。38分相手のミスパスを拾った Smeltz がドリブルで日本ゴール前に迫る。こちらが一斉に立ち上がるが山口がファールでストップ。イエローカードが出される。そして絶好の位置でFKを得た。

“千差一偶のチャンスですね。なんとかモノにしたいですね。その方が試合は面白くなるんですけど。”と隣の日本人と話す。
“誰が蹴りますかねぇ。” “そうですね、蹴れる人いますかねぇ~。”

そして McGlinchy が直接狙ったFKは権田が右に倒れ込んで弾き出した。 一斉に天を仰ぐ。 惜しいシュートと思ったけどレプレイを見たら権田はしっかりとコースを読んで弾き出していた。 しかしその前のミスパスは頂けない。五輪本番はこう言うミスはしないでくれよ。と思った。そして前半はスコアレスで終わった。 圧倒的に攻め続けられたニュージーランド。これだけ攻めてゴールに結び付けられなかった日本。どちらの方が問題は深刻なのだろう…

ニュージーランドの五輪での対戦相手は26日ベラルーシ、29日エジプトそして1日ブラジル。(日付は現地時間)確実に日本と対等かそれよりも強い国が相手だ。前回は中国と引分けブラジル ( 0-5 ) ベルギー ( 0-1 )には連敗だった。
今回もこの調子では勝利を上げるのは容易ではない。しかし日本遠征には Chris Wood、Tommy Smith といった既にフル代表でもレギュラーである選手が参加していないのでもう少しチーム力が上積みされるかもしれない。
そういう意味ではスペイン、モロッコ、ホンジュラスを相手にする日本は親善試合とはいえ Wood, Smith 抜きの Oly Whites 相手に前半無得点というのも心配になってくる。

両軍選手交替の無いまま Oly Whites のキックオフで始まった後半は開始25秒に酒井からボールを受けた永井が右サイドから素晴らしいシュートを撃つが左ポストを直撃。ゴール裏の大サポーター達から嘆息が漏れる。

Kiwiの一人に“ ゴールポストの色が White だったから入らなかったんだよ。”と云うと大いに受け、“我々は日本より2人多い選手がいる。”と言われ更に受けた。
そして隣の人には“後半はずっとあちらで展開されるみたいですね~。”と云うと、“そうですね。何回かこっち来ませんかね。”と答えた。 双眼鏡持ってくるべきだったかなぁ、それとも観戦用の眼鏡無いかなぁ~と思った。
そして我々の危惧した通り試合はずっと遠くで展開され続ける。47分には徳永のドリブルシュートが、49分には清武から大津に縦パスが入るも GK Gleeson が何とかコーナーに。そのCKから山村がヘッドを撃つが再び Gleeson がパンチで逃れる。再び得たCKはネアーサイドの永井が囮となってとびぬけて来たところをファーサイドの扇原がシュートに持ち込むがGK Glesson がブロックこぼれたところを鈴木がシュートに入ろうとするが McGlinchy が何とかカット。日本サポーター席から大歓声があがるがコールには至らない。
55分先に交替カードを切ったのは優勢に進めいていた日本。東を下げてサプライズ選出となった杉本を投入しワントップに置き大津をトップ下に下げ、63分には山口蛍を下げてアジア地区予選ではレギュラーで無かった村松を投入した。

Oly Whites も65分ようやく McGeorge を下げて Cameron Howieson が投入された。 Howieson はまだ17歳。昨年のFIFA U-17 2011 の日本戦に出場した経歴がある。2015年にはニュージーランドで FIFA U-20 が開催される。 Howieson はこのまま順調にいけばその大会には主力選手として出場出来る可能性がある。もし欧州のビッグクラブにスカウトされなければ…
65分を過ぎるとニュージーランドの守備もだんだんファールでないと止められなくなってくる。68分にはミスパスを拾った大津に Nelsen が反則覚悟のタックルを入れてストップしイエローが出される。しかし日本のシュートシーンもそうそう続かなくなって来た。サイドからクロスを入れるがこちらは容易に跳ね返される様になる。 69分日本ベンチは永井を下げてバックアップメンバーの山崎亮平(磐田)が投入される。五輪本番は永井のスピードを生かす為にスーパーサブとして起用されるか?しかし今の永井は調子いいから長時間起用しないと勿体ないしな…

70分ようやく日本がゴールを上げる。左サイド投入されたばかりの山崎から縦パスがオーバーラップした扇原に入り折り返す。ここはカットされるが Thomas のクリアーボールが徳永の足元に入り後方から Payne,がマークに入る前に放ったドリブルシュートはNelsenが必死に滑り込むも届かず Glesson が何とか左に倒れ込んで防ぐがボールがこぼれて詰めていた杉本が押し込み待望の先制ゴールが決まった。 やっと決まったゴールに大歓声が沸く。

“あぁぁ~、決まりましたね~。” “これで決まりですか~。”とふたりで声を漏らす。



これで日本ベンチは選手を交替選手を投入できるようになった。76分には扇原を替えて米本を、81分には永井を下げて斉藤を投入するけど投入されたのはまたバックアップメンバーの米本だった。
82分に右サイドの清武から中央に走り込んだ大津にパスが入るがここは Nelsen が強烈なタックルでストップ。しばらく大津は立ち上がれず Nelsen に2枚目のイエローが出るかと心配したけど大津は何とか立ち上がりカードも出なかった。
この正面、絶好の位置で得たFKを清武が直接狙うが惜しくもクロスバーを越えた。この時点でも Oly White の同点ゴールの匂いはこの時点では全く感じられなかった。そして直後に Nelsen がベンチに下がり Dakota Lucas が投入される。 Lucas はメンバーのFW登録選手の中で唯一オセアニア地区予選に出場した選手。 Nelsen が下がった時点で更に失点する事を危惧したけど後にこの交替がドラマを呼ぶとはこの時は想像出来なかった。
ニュージーランドベンチは88分についに Rojas を投入する。 Rojas はまだ20歳だがワールドカップ後は既に All Whites のレギュラー選手だ。Kiwi達から “ Go ! Rojas !! “ と歓声が飛ぶけど私は” too late , too late “ と彼らに話す。しかも下げられたのが同じFWの Smeltz 。もう少し早い時間に投入出来たんじゃないかな?Smelz と Rojas のFWを残した方が….てな話をした。
“後半はシュート打ってないんじゃないですか?”隣の人ともこんな話をした。

ロスタイムが4分と表示される。同点よりも日本の追加ゴールが予想される。Oly Whites  Barbarous が左サイドで酒井と競りながらCKを取った。 “これ後半最初で最後のチャンスでしょうね~。” 私は隣の人にこう声をかけた…….

 
試合が終わって一緒に観戦した Kiwi や日本の人達と何度も写真を撮ったり、色々話をしたり。 Kiwi 達はしぶとく引分けに持ち込むも圧倒的に押しまくっていた日本を称賛していた。そして私も彼らに“これがオリンピックで無くて良かった。”と話した。 そして Wellington から来たカップルには“次は Cake Tin で会おう。”と約束した。すると大いに受けた。
スタンドから競技場の出口まで私達はまるで“勝ったかのように”胸を張って凱旋気分で色々話したり歌声を上げたりして歩いて行った。

私は何度も心の中で“こんな試合展開オリンピック前で良かった。”と思った………

試合後 Niel Emblem 監督は日本の質の高さと自分達の改善点がある事を指摘するコメントを残した。 Emblem 監督は2008年に Waitakere のメンバーとして FIFA Club World Cup でここ国立でプレーした事がある選手だ。Oly Whites では誰よりもここを知っていたか? 

      

日本戦の3日後 Oly Whites はソウルで韓国五輪代表と試合を行った。この試合には Chris Wood が合流しスタメン起用されたが韓国には 1-2 で敗れた。Oly Whites は19日に合宿先のオーストリアで UAE と試合を行い26日 Coventry での初戦 Belarus 戦に臨む。 ニュージーランドはC組。日本はD組。準々決勝で当たる可能性があるが今は両国ともそんな胸算用はしていないと思う。

 もし五輪で当たる様な事があれば今度は100% 日本を応援しようと思っている。

 

 


オセアニア2強とのダブルヘッダー。これはこたえられない。 Australia Matildas

2012-07-11 | 夏季五輪

昨年9月中国でロンドン五輪女子サッカーアジア地区最終予選が行われていた。日本が3連勝で迎えた第4戦の相手は北朝鮮。相手のオウンゴールで日本リードのまま試合が進んでいた。しかし北朝鮮の金朝蘭が終了直前に日本ゴールに押し込みそのまま試合は引き分け、この時点で次の試合を待っていた中国とオーストラリア女子サッカー代表のロンドン五輪出場の可能性が果てしなくゼロに近づいてしまった。そして続く中国対オーストラリア戦はオーストラリアが van Egmond のゴールで中国を破り6カ国中3番目に浮上し、1試合を残して2位北朝鮮に1勝ち点差に迫った。 しかし北朝鮮の最終戦の相手は格下のタイ。ここで北朝鮮が負ける事は考えられず、北朝鮮が日本と引き分けた時点でオーストラリアに五輪の可能性は潰えていたと言えた。

7月11日の日本戦を前に Westfield Matildas ことオーストラリア女子代表の Tom Sermanni 監督は IOCの決定に不満を隠さない。2011年ドイツで開催された FIFA Women’s World Cup で北朝鮮の選手2名がドーピング検査で陽性判定を受け失格処分になった。この結果を受けて FIFA は北朝鮮女子代表チームは2015年のワールドカップには出場停止処分としたが、 IOC と WADA (World Anti-Doping Agency ) は何の処分も下さなかった。ただ FIFA も女子 U-20 チームにも同様の処分は適用せず今年9月に日本で開催される FIFA Women’s U-20 に北朝鮮チームが韓国、日本と共にアジア代表で参加する。



“FIFA は北朝鮮を2015年のワールドカップに出場停止とするという正しい判断を下した。しかし驚いた事に IOC と WADC は北朝鮮に何のアクションもとらず北朝鮮は五輪予選に選手団を送った。我々が予選会に臨んだ時、我々は、恐らく、中国も韓国も3位の国もチャンスがある、なぜならIOCが何らかのアクションをとり北朝鮮を五輪に行くことを許さないのではと思ったからだ。 しかし状況はまったく逆で我々は初めてドーピングテストを受けない大会に参加することとなった。 他のいかなる大会で我々は薬物検査を受けた。 北朝鮮に何の処分が果たされなかっただけでなく、ドーピング検査さえ行わない大会が開催された。“
薬物検査がなされなかったのは恐らく中国の圧力かもしれないけどそれでも中国女子は結果が出なかった。
オーストラリアは2006年に AFC に加盟して以来女子代表はオリンピックアジア予選を突破できていない。
Sermanni 監督の言い分もわかるけど、五輪予選で北朝鮮は主力選手5人が落雷にあったとかで五輪予選には来ていなかった。それでも中国、オーストラリアに勝って2位に入ってくるんだから大したもんだと思った。

Goalkeepers
Melissa Barbieri (c) (unattached) Brianna Davey (Melbourne Victory)
Defenders
Laura Alleway (Brisbane Roar / Lincoln Ladies) Danielle Brogan (Sydney FC) Stephanie Catley (Melbourne Victory)
Thea Slatyer (Sydney FC) Brooke Spence (Brisbane Roar / Colorado Rapids) Servet Uzunlar (Sydney FC / Pali Blues)

Midfielders
Teigen Allen (Sydney FC) Tameka Butt (Brisbane Roar / Boston Breakers) Katrina Gorry (Melbourne Victory / Ottawa Fury) Alanna Kennedy (Newcastle Jets)

Attackers
Ashley Brown (Melbourne Victory) Caitlin Foord (Sydney FC) Emily Gielnik (Brisbane Roar / Liverpool)
Kathryn Gill (Perth Glory) Kyah Simon (Sydney FC / Boston Breakers) Sarah Walsh (Sydney FC)

6月24日、27日 Wollngong で隣国ニュージーランド女子代表 Ferns と2連戦を行い 1-1. 2-0 の1勝1分であったがその際に選出された Steph Catley とAshley Brownの両名が引き続きメンバー入りしまだ代表歴の無い
Emily Gielnik とKatrina Gorryら遠征メンバーに入った。
Westfield Matildas のスター選手 Kyah Simon, Tameka Butt そしてServet Uzunlar といった海外でプレーする2011年ワールドカップメンバーも招集された。ワールドカップメンバーは7人。私のお気に入りの Sally Shipard はメンバー入りしなかった。


オセアニア2強とのダブルヘッダー。これはこたえられない。 New Zealand Oly Whites

2012-07-11 | 夏季五輪

オーストラリア、ニュージーランドと仕事で関わる様になり15年近くが経った。当地を訪問し始めた時はこれだけサッカーで関わり合いが出来るとは思わなかった。2005年オーストラリア大陸で Hyundai A-League が立ち上がり、2009年11月にはニュージーランドがバーレーンを降して28年振りにワールドカップに出場を決め、この国の人達とサッカーに就いて話す機会が激増した。そしてこの両国の代表チームが来日しダブルヘッダーを行う。こんな素晴らしい試合が組まれるなんて想像すら出来なかった。 

ニュージーランド五輪代表 Oly Whites はタレント揃い。
6月21日、北京五輪に続いて五輪出場を決めていた Oly Whites ことニュージーランド五輪代表18名のメンバーが発表された。Neil Emblen 五輪チーム監督は3名の over age 選手に Ryan Nelsen, Shane Smeltz そして Michael McGlinchey 達を選んだ。
Nelsen は前回の北京五輪に続いて2大会連続の over age 選手としての選出。ただ北京五輪では当時の所属先であった Blackburn Rovers との兼ね合いから1次リーグ最終戦はプレーせずに北京を後にした。そして特筆すべきは3人ともワールドカップ南アフリカ大会のメンバー。 Nelsen は守備というよりもチームの要で見事にDFラインを統率。3試合3分2失点と大会で All Whites 旋風を巻き起こした立役者の一人。 McGlinchey は出場機会が無かったが Smeltz は3試合全てにスタメン出場を果たした。メンバー18人の構成は下記の通り。

Goalkeepers
1-Jake GLEESON (Portland Timbers, USA) 18-Michael O'KEEFFE (Fairfield University, USA)

共にアメリカでプレーするGK. オセアニア地区予選では Gleeson が Vanuatu ( 準決勝 ) Fiji ( 決勝 ) とゴールを守った。このチームでも彼がレギュラーであろう。Glesson は昨年6月のオーストラリア戦で後半 Glen Moss に替わって起用されて以来ほぼすべての代表戦でゴールを守っている。 Moss, Paston に替わって代表でもレギュラーGKの座に就くことが出来るか?所属先の Portland Timbers には日本人DF木村光祐が今月からプレーする。がんばれMLSの日本人代表!!

Defenders
3-Ian HOGG (Auckland City), 4-Tim MYERS (Waitakere United), 5-Tommy SMITH (Ipswich Town, ENG)
6-Ryan NELSEN* (Captain, Queen’s Park Rangers, ENG), 12-Adam THOMAS (Waikato FC) ,14-James MUSA (Team Wellington)



Nelsen と Smith 以外は地区予選でレギュラーだったDF陣。 予選は3バックだったけど Nelsen が入った事により3バックとなるだろうか?ワールドカップでは Nelsen が真ん中で Smith が左だった。Ian Hogg は北京五輪に続く2大会連続の五輪メンバー入り。18歳で出場した北京五輪は3試合ともスタメン出場。
今年に入りワールドカップ予選等のフル代表戦7試合に出場している。 21歳の Tim Myer も今年に入りワールドカップ、オセアニア選手権に出場している。 James Musa、Adam Thomas は FIFA U-20 2011 メンバーで3試合フル出場。Thomas は FIFA U-17 2009 にも出場をしいている。 

Midfielders, 8-Michael McGLINCHEY* (Central Coast Mariners, AUS) 13-Alex FENERIDIS (Auckland City), 15-Cameron HOWIESON (Burnley, ENG), 17-Adam McGEORGE (Auckland City) 11-Marco ROJAS (Melbourne Victory, AUS),

Feneridis と McGeorge がオセアニア地区予選経験者。他は海外でプレーする選手。McGeorge は5月のホンジュラス戦で試合終了1分前に投入されて All Whites デビューを飾ると以降代表に召集されベンチ入りはするもなかなかピッチに立てずワールドカップ予選のソロモン諸島戦で途中出場を果たしたのみ。
20 歳のRojas はワールドカップ後ほぼすべての All Whites の試合に出場している。FIFA U-20 2011 ではウルグアイ戦とポルトガル戦にスタメン出場。所属先の Melbourne Victory では23試合に出場した。




Forwards
7-Kosta BARBAROUSES (Alania Vladikavkaz, RUS), 9-Shane SMELTZ* (Perth Glory, AUS) 10-Chris WOOD (West Bromwich Albion, ENG), 16-Dakota LUCAS (Team Wellington ) 2-Tim PAYNE (Blackburn Rovers, ENG)

予選経験者は Dakota Lucas のみ。ただワールドカップ経験者の Smeltz, Wood そして今やフル代表でもレギュラーであるBarbarouses らが選ばれている。MFと異なりタレント揃い。長身 Wood のワントップにやや下がり目に2選手が配置されるか?そうなると誰が選ばれる?All Whites でもレギュラーである Barnarouses と Smeltz か?
Barbarouse は2010/11 のシーズンは Brisbane Roar でプレーし12ゴールを挙げて A-League Grand Final 優勝に貢献した。 昨シーズンに移籍した Alania では出場試合は13試合のみ。うち6試合がスタメン出場だったが来シーズンから Panathinaikos でプレーするが彼はギリシア系の Kiwi でギリシアのパスポートも保有している。ただ7月末には Panathinaikos が UEFA Champions の予選があるのでロンドン五輪では途中で離脱するかもしれない。
20歳の Dakota Lucas は FIFA U-20 2011 のメンバーで3試合にスタメンを果たした。まだ代表デビューはない。30歳ベテランの Smeltz は昨シーズンは所属先の Perth Glory で17ゴールを挙げ A-League Final Series 進出の立役者に。 長身191cmの 20歳のChris Wood は18歳で選ばれたワールドカップメンバーでイタリア戦ではカンナバーロのマークを振り切りあわやのシュートを放ったのが今でも忘れられない。
昨シーズンは前半は Birmingham City に、後半はBriston City にローン移籍し合計12ゴールを挙げた( Birmingham 9 Briston 3 ) 来シーズンは West Bromwich Albion に戻ると思うがレギュラーポジションは
確保できるだろうか? 五輪では(代表でもそうだけど)ワントップに入ると思う。
Tim Pyne は19歳。FIFA U-17 2011の日本戦にも出場し、翌月開催された FIFA U-20 にもメンバー入りした。残念ながら出場機会は無かったが今年5月27日のホンジュラス戦では75分から Bertos に替わって投入され All Whites デビューを飾った。以降はワールドカップ予選のソロモン諸島戦でスタメン出場を果たすなど代表定着が期待される若手のホープ。



Standby
Michael EAGAR (Team Wellington) Cameron LINDSAY (Wellington Phoenix) Luke ROWE (Team Wellington)
Scott BASALAJ (Team Wellington)

ニュージーランド五輪委員会の Kereyn Smith 理事長はメンバー決定にあたり
“北京五輪以降、ニュージーランドのサッカーは強化され続けている。この競技の参加者は多い。我々は選手達のパワーを感じる。とりわけ Ryan Nelsen の様なリーダーは勢いを続けさせる。 我々はこのU-23 のチームはタフな五輪の試合を通して自分たちの存在意義を示してくれることを楽しみにしている。 と Smith 女史は語った。
また Emblen 監督は

非常にタフな決定をがあったことを意味する資質をもった大会に向けての小さな選手団である。 オーバーエイジの選手達はチームの背骨に良いバランスと経験をもたらしてくれる。我々は All Whites の最高の守備選手、なくてはならない中盤選手
そして最も得点力の高いFW選手をたとえ所属先のチームが拠出することを打診しなかったが選出をした、

特にRyan の影響は17歳そこそこの年齢の選手を含んだチームには計り知れない。そういった選手がチームに含まれることは通常ワールドカップでのベストな状態が起こりうるチャンスがあることが考えられる。
Smith, Barbarouses, Wood, Rojas そして Gleesonの様な選手がチームの中心となることは信頼の出来ることである。しかし我々は選手独り独りがタフな試合に対してベストであることが必要である。




Oly Whites は9日にアジア経由でロンドンに向かって出発する。11日に日本五輪チームと14日には韓国五輪チームとそれぞれアウェー戦を行い19日には欧州合宿先で UAE との試合が予定されている。
ロンドン五輪は27日 Belarus ( Coventry ) 29日Egypt ( Manchester ) そして8月1日に Glasgow でブラジルと対戦する。 ワールドカップスペイン大会でも All Whites が Zico, ソクラテス、ファルカン、セレーゾ、エデルらのいたセレソンと対決した。本当にブラジルと縁のある国である。
Oly Whites こと五輪代表チームには All Whites のメンバーが多く含まれているが今年6月ソロモン諸島で開催された Oceania Football Championships ではニューカレドニア何と 0-2 で敗れ、続くソロモン諸島戦には勝利を納めるも3ゴールを先行したあとに連続3失点を喫しロスタイムで Smeltz のゴールでようやく勝利を拾うという戦績に終わり FIFA Confederations Cup 出場を逃すという体たらく。 Nelsen は参加していなかったがSmith, Barbarouses, Wood, RojasそしてJeremy Brockie ら中心選手がプレーしており、ちょっと最近の代表のレベルが怪しくなっている。 11日の日本五輪代表との試合で今の代表の実力が測れるかもしれない。 それも楽しみだ。
ロンドン五輪のサッカーで男女共に出場しているのは地元英国とブラジルそして日本とニュージーランドの4カ国のみ。
キックオフが楽しみだ。


豪日戦後のオーストラリアの報道から….

2012-06-23 | 夏季五輪
Brisbane での一戦から瞬く間に10日間が過ぎた。 ワールドカップ予選3連戦の途中から始まった EURO2012 も準々決勝を迎えるがあのオーストラリア戦、いつも自分が陥ってしまう“燃え尽き症候群”は今回も“健在”である。
まぁ自分ひとりで勝手に燃え上がって、燃え尽きているんだけど。
アウェー戦1試合を含む3試合で勝点7は上場の滑り出し。
次はイラク戦に向けて….といっても俺がすることは何にも無いんだよなぁ…..


Neill lauds grit and determination

ワールドカップ2006年大会で日本を逆転で破ったあの有名な試合から丁度6年後のこの日、Socceroos の主将である Lucas Neil はその試合で見せた不屈の精神を見せよとチームメイト達を鼓舞しブリスベンで当面のライバルである日本との一戦を 1-1 の引き分けに持ち込んだ。
先週の金曜日マスカットでのオマーン戦を引き分け、ハードな移動を経てホームに戻りオーストラリアはワールドカップ予選のキーとなる日本戦に臨んだ。しかし開始11分で中盤のキープレーヤー Mark Bresciano を軟部組織の挫傷の為に交代を余儀なくされ、替わって投入された Mark Milligan が退場となり更に1点を失いながらもアジアでベストチームから勝点1を掴むと言うことをやってのけた。
Socceroos は2試合を終え勝点2しか挙げられていないが、思われているよりもいい状況にあるはずだ。
日本はそれよりも勝点5上回っているがホームゲームを1試合多く行っている。
ホームのオーストラリアは試合終盤には Sasa Ognenovski のシュートがクロスバーの下に当たるなど勝てるチャンスさえ掴んでいた。しかし Neil はこのスケジュールの下でチームが果たした成果は満足していると述べた。
“試合前に我々はある関心を集めただろう。そしてタフな2週間だった。中東で試合をする事はテレビで見ているよりずっとハードなものだ。我々は今夜ファンタスティックなチームとしてプレーをした。そして勝利を盗み取っただろう。そう我々は勝利を得たであろう。不運な失点を喫したが最後は少しはオージースピリットを見せる事が出来ただろう。"
Socceroos の Holger Osieck 監督は選手達が大変な不運を克服し勝ち点1を死守したその頑張りに誇りを露わにした。
大変な状況下のオマーンでの試合をこなしオーストラリアに移動し、この日選手達が1人少ない中で見せたものは表現が出来ない。 私は最初から後ろに下がりたくはなかった。日本にプレッシャーを与えねばならなかった。 我々は日本がどの様にプレーするか解っていた。 構えていて彼らがプレーを始めてから対応する事は大変なミステークだ。我々が日本にプレッシャーを掛けたかった事は明らかだった。しかし早い時間に Bresciano を失った事は分だった。なぜなら彼は後に我々が失ってしまった創造性の要素を配していた。
しかし Osieck は正当なゴールチャンスを掴んだ Marl Milligan が内田篤人にまったく無害なチャレンジをしたと思われたがその彼にこの日2枚目となるイエローカードを示した主審のジャッジには怒りを残していた。
それは全く疑わしい主審の判断だ。 Milligan は明らかにボールに行っていた。そして内田に触れもしていなかった。内田はボールに飛びこんでいた。私はどの様にして Milligan がカードを受けたのか解らない。それは私の理解を越えたものだ。
Osieck は“多くの思い通りにならない事”が主審のジャッジで起こったと語り、後半、栗原が Alex Brosque を抱え込んで得た反則は“恐らくそれだけが”オーストラリアが受けた有利な判定であった、と語った。
かつての Socceroos のGK であった Mark Bosnich は試合後に Milligan の退場を“国際レベルで見た最悪の判定。”と述べた。
この試合で今年 Socceroos で最高のパフォーマンスを見せた Tim Cahill はワールドカップ予選では Blue Samurai からそんなに多くのチームが勝ち点を奪えない事を考えれば、これは貴重な勝ち点であると語った。
“これは最高の勝点だ。退場者を出して試合が替ってしまった事を考えれば良い結果だ。 我々は素晴らしい選手が揃った素晴らしいチームだった。我々はお互いに信頼し合う事が出来た。

あの”カイザースラウテルンのショック”から6年。本当に早いものだ。 Socceroos のスタメンであの日プレーしたのは Schwarzer, Neil, Wilkshire, Cahill, Bresciano。 Milligan はベンチで出番はなく、スタメン起用の Kewell は出番なし。そして途中出場だった Kennedy も出番なし。 世代交代が上手くいていないのか、あの時の選手達がそれだけ偉大なのか?これだけ悪条件の揃っていたオーストラリアに勝てなかったのは少し残念か?
いつになったら公式試合でオーストラリアから90分で勝利を得られるのだろう?



Take it as red, this is some rivalry

Socceroos は昨夜日本に勝てなかったが名誉ある引分けと云うことであれば、これはベストなチームの対戦であった。
先週金曜日のオマーンとのスコアレスドローに続いて、このチームがどれだけやれるのか、そしてこの old guard がワールドカップ予選をやり通せるだけの充分なエネルギーがあるのかどうかと云う問いが沸き上がった。その証拠として、彼らは使えるだけの燃料を持ってブラジルに上陸するだろう。ここで見せた様なプレーは昨今の Socceroos のパファーマンスを思い出させるだろう。そしてその一方で何人かは技術的な能力や戦術的な能力、決断力では戦えないとも批判されている。
まず最初に対戦相手を見てみよう。 欧州やアジアのクラブのスター選手を擁した日本はオーストラリアを打ち負かしにやって来たと期待された。彼らはそれをやろうとしたがディフェンスを引き裂くパスは激しいタックルと前に突き進む事で止められた。日本がたくらんだ事は、オーストラリアは無効にしそしてより反撃に転じた。 仕舞に試合週ろ湯のホイッスルが鳴り、 40,189人の観衆はついに息を吐く事が出来た。
そのアクションは気も狂わんばかりだった。
もし不利な面があったとしたらそれは日本選手の潜在的なプレーをピッチコンディションが邪魔をするという事であっただろう。 Yevgeny Kafelnikov はかつて Queensland Sport and Athletic Centre のコンディションをDavis Cup 後に“ジャガイモ畑”と表現した。その様な感想は Suncorp Stadium では場違いでは無かった。そこにはかろうじて土よりも芝が多かったがオージーたちには丁度良かった。
Socceroos は試合開始から少しして Mark Bresciano が負傷をするという危機に遭い、 Holgar Osieck 監督を慌てさせた。 Carl Valeri が既にスタメンに名を連ねており、より明白に守備的感覚を齎す Mark Milligan が投入された。そして彼は投入後11分で警告を受けた。
試合が型どおりに落ち着こうと危ぶまれる度に、あるインスピレーションまたは失策の瞬間によってそれが打ち破られる。 日本の忍耐強いビルドアップは時としてオーストラリアのカウンター攻撃を招きその逆もあった。
ホームチームの2トップ、 Tim Cahill と Alex Brosque はオーソドックスでは無く多くを示した。特に Cahill は怒れる義勇軍兵士であった。 彼は全てに挑み自身を嫌な存在に下。彼らは何かを証明したいかの様なプレーを見せ、Josh Kennedy を抑えてスタメンで起用され、恐らく何かを見せただろう。
しかしもし Cahill がこの日の様なプレーを続け昨夜彼が相対した- 特に日本の 今野と栗原のペアー相手に – 見せた様に相手を悩ませ続ければ彼が再びスタメンで起用されないと言う理由はどこにも見当たらない。
しかしながらオーストラリアが勝利を掴もうとすると言ういくらかの希望は、例えその後のリプレーでひどく不運だったと証明されてものの Mark Milligan が2枚目のイエローカードを受けておさらばした。
しかし試合は予想に反して5分後に内田篤人がCKjini Brosque を抱え込んだのを見つかった時にドラマチックに降り出しに戻った。そして主審はイエローカードを発行し、より重要な事に PKを与えた。 Like Wilkshire はミスする事は無かった。
彼らのチャンスが生き返った事がまた感じられた。 Socceroos は勝者に向かいそして Sasa Ognenovski がクロスバーの下を叩くショットを放った瞬間には勝利が感じだれた。最後に栗原が退場となったが既に結果は決まっていた。

Bresciano は3次予選の最終戦、サウジアラビア戦から代表に復帰した。それだけタレント不足なのか? A-League のレベルはなかなか上がらず、欧州でプレーするオーストラリア選手達の中でレギュラーを確保できている選手が年々減っている。
替って J-League, K-League でプレーする選手が増えている。
その一方で欧州でプレーししかもレギュラーポジションをしっかりとキープする日本人選手が増えてきた。 
個々の選手能力を比較しても、そして試合前のコンディションを比較しても、試合内容も....勝てるチャンスだった。それを引き分けに持ち込むのはホームチームの意地だったか?



Socceroos' golden oldies prove the fight is still there with battling draw

2006年ワールドカップドイツ大会の対日本戦で最も征服感の高い勝利を収めた日から丁度6年後のこの日、 Socceroos の黄金世代はその最も激しいライバルに対して偉大な激戦を披露した事からまだ充分な命が宿っている事を明らかにした。
彼らは試合には勝てなかったが Brisbane の Suncorp Stadium で行われたワールドカップアジア地区予選の大一番の日本戦を1-1の引分けに持ち込み精神的な戦いでは勝利を得た。 交替出場選手の Mark Milligan が2枚目のイエローカードを受けて退場となってからの最後の35分を10人で戦う事を強いられ、65分に日本のスーパースター本田圭祐が素晴らしくお膳立てしたチャンスを最後は栗原勇蔵が決めて日本が65分に先制点を奪った時はオーストラリアは危機に立たされた。
しかしオーストラリアに蓄えられた勇気を深く掘り下げ、 Socceroos はそのたった5分後に著名な Socceroo のGKで今はテレビ解説者である Mark Bosnich が“これまで見た中で最悪の判定”と表現された疑わしいPKを Luke Wilkshire が決め
て同点に追い付いた。 オーストラリアの Alex Brosque がCKの際に相手DFに身体を抱えられたという判定だった。
1人少ないにも関わらずオーストラリアはそれで試合を締める事はせず期待されなかった勝者となるべくヴィジターの日本に対してプレッシャーを与え続けるエネルギーを見つけ出した。
残り15分となりオーストラリアは勝機さえ見つけ出し、終了直前には Luke Wilkshire のFKがGK川島英嗣の素晴らしいセーブによって防がれその前の77分には Sasa Ognenovki のショットがクロスバーを直撃した。
それは最初の2試合を連勝で飾り9得点を挙げ失点を許さなかった日本から勝ち点を上げる事は予想出来ないと言う underdog ( 勝ち目の薄い側 ) であると言う予想を払拭させるホームチームの堂々としたパフォーマンスだった。
今週はオーストラリアのベテラン選手達は既に全盛期は過ぎていて若くて技術が高くスピードのある日本選手には対応できないと批判され続けていた。 しかし Tim Cahill, Carl Valeri, Wilkshire, Ognenovski そしてLucas Neill らが導いた様に彼らはまだ終わっていない事を証明した。
Holger Osieck 監督は選手達への称賛の言葉を失っていた。“それは indescribable (表現出来ない ) 素晴らしい。”感情的になった Osieck は云った。“先週金曜日は45度の中でプレーした後に長時間の行程を経てホームに帰ってくる事は信じられない事だ。 しかしこれはオージースピリッツだ。それは我々が長期に渡り知っていた事だ。”
Neill は Osieck のコメントに呼応した。“試合前に我々はある関心を集めただろう。そしてタフな2週間だった。我々はファンタステックなチームとしてプレーをした。そしてレッドカードの出され方に就いて充分に気をつけねばならなかった。
運な失点を喫したが最後は少しはオージースピリットを見せる事が出来ただろう。観衆の後押しを受けて勝利を目指す事が出来た。もし我々が勝ち続けて、日本も勝ち続ければ両国ともワールドカップブラジル大会に出られるだろう。我々はそこまでこれている事が解った。
オマーン戦では起用されずこの試合ではスタメン起用された Cahill は素晴らしいプレーを披露し何故彼がチームにとって重要なのかを示した。 かれは自分のハートを持って走りまわり、ヘッディングでは競り勝ち激しくタックルを浴びせピンチになる度にカバーに回った。 この週は選手キャリアーの岐路であるとほのめかされた悪くない選手であった。
“我々は祖国の為にプレーしたなぜなら我々は愛しているからだ。結果は我々にとって充分だった。我々はチームを作るが出来た。偉大なチームでお互いを信じる事がただ必要なチームを。”
Osieck は先週のオマーン戦から選手を一人だけ替え、 Cahill を Brosuqe と組む前線においた。これは Harry Kewell にはポジションが無いと言う意味であった。
ゲームは2つの事故によって変わった。 最初は開始10分に Mark Bresciano の負傷を負い2つ目は55分に Milligan に出されたレッドカードでそれは Osieck の決定が明らかに間違っていたと言う事であった。
それは日本に彼らのセンスを集約させ素晴らしい技術を持った本田圭祐や Manchester United の香川真司らを通じてオーストラリアにプレッシャーを与え始めた。
そして本田の秀でた技術のプレーにおりゴールが演じられ彼らはあたかも日本がワールドカップで勝利を得た様に祝福しあった。
日本人が何年にも亘って学んで来たように誰もがこの試合を貰った考えた事に疑いは無かった。しかし Socceroos は敗北を知らなかった。

Australia 1 (Luke Wilkshire 70m pen) Japan 1 (Yuzo Kurihara 65m) at Suncorp Stadium. Referee: Khalil Ibrahim Al Ghamdi. Crowd: 40,189.

So much for being too old, too slow and no longer good enough. (年寄りには大変すぎる。遅すぎるもはや値しない )
試合前にはこう言われ続けていた。実際に2010年ワールドカップが終われば選手の総入れ替えがあると思っていた。おそらく2006年大会の様に1次リーグを突破して入ればそうなっていただろう。しかしそうでなかったばかりに....
日本相手にオマーン戦で温存された Kennedy を使うワントップを起用すると思ったんだけど。 そして Emerton がこの試合にも合流しなかった。 しかし Brosque があれだけやるとは.... 日本は彼の育ての親となったかもしれない。





Holger Hails His Heroes

Socceroos のHolger Osieck監督は Suncorp Stadium で行われた日本とのワールドカップ予選の試合を1-1 で引き分けた自分チームの選手達を称えた。
“今夜我々のチームが見せた事は信じられない事だった。彼らが大変な苦労の中いかに戦ったか、いかに色々とこなしたかを表現する事は難しい。 試合前我々はお互いをリスペクトしている事を知っていた。そしてこの選手達で出来る事をその通りに示唆した。
我々は日本だけでなく他のチームにもメッセージを送る事が出来た。
Osieck 監督の試合前の戦術はゲームメーカー Mark Bresiano が13分に負傷でベンチに下がる事を余儀なくされ、その交替選手として投入された Millingan が退場となった時 Osieck は彼と共にオーストラリアの勝利は消えて行くと思った。
“開始早々の選手交替はネガティブな印象を与え、攻撃の機会を限りあるものとさせ、後半は戦術変更を余儀なくさせた。
1人少ない事で日本の中盤はボールをより動かせるようになりそして我々の抵抗が試された。 我々の闘争精神が報われた事が嬉しかった。
Osieck はKhalil Al Ghamdi 主審が脚を高く上げたという判断から Milligan に示した2枚目のイエローカードに就いて批判をしている。 
“あれはけっしてファールでは無い。リプレーで見ても確認した。
“Milligan はボールを蹴ろうとしていた。そして彼は後方から走ってくる内田が見えなかった。あれは断じてファールではない。何故なら彼は全く内田に触れていないからだ。 私は主審がどこから見ていたか知らないが、私の位置からは決して危ないプレーでは無かった。”
そしてTim Cahill と Alex Brosuque が攻撃で見せたコンビネーションに印象づけられた事も語った。
“彼らは前線で大変効果的なペアーだ。特に Alex がチームに齎したものは特別に秀でたものであった。 この2人が共にプレーするのは初めてでみた。 また新たな攻撃の選択を持つ事が出来て嬉しい。”

     


Tim Cahill: Now Stop Bagging Us!

オマーン戦はベンチで過ごしたTim Cahill 日本戦ではスタメンで起用されその強烈なパフォーマンスを見せ代表に必要な選手と思われる様に。
オマーン戦のスタメンでは27歳の Alex Brosque が最年少の選手だった。しかしそれに就いて Cahill は何の関心も示さない。“その質問にはうんざりだ。 そういうたぐいの事を聞くのはもううんざりだ。 我々は国の為にプレーしている。何故なら祖国を愛しているからだ。 我々は批判される為にプレーしているのではない。あなた達は football を支持すべきで我々への批判を止めるべきだ。”
Cahill は得点こそ上げられない事を残念がったが日本と 1-1 で引き分けた事には満足していた。
“私がチャンスを創ってゴールを上げると言う事は今夜は残念ながら出来なかった。しかしチームプレー、それに徹した。
これは良い結果であった。我々はよく戦った。退場により選手が1人少なくなった事は不運であったがホームの寒中の前でプレーする事は偉大な事で我々は素晴らしいパフォーマンスが出来た。
それはタフな試合であったが我々はプロフェッショナルで何人かは世界でも屈指のリーグでずっとプレーしている。私はこの日本戦を楽しんだ。そして他の選手達も楽しんだ。結果を残せなかったのは少し不運ではあったが。“
Cahill は付け加えた。 “私はレッドカードは厳しいと思ったがそれは Football で起こった事だ。 ある判定によって不快になる事があるがそれは受け入れて次に行かねばならない。 結果は大きな事であったがそれに上積みせねばならない。それは良い結果で退場は成り行きを変えた。 我々は素晴らしいチーム、選手を擁した。我々はただお互いを信じれば良いだけで選ばれた事を確実にするだけである。”



Lucas Neill は Cahill の感想に呼応し、Blue Samuri にも賛辞を送った。
我々は引き分けたが、もし我々が勝ち続けて、日本も勝ち続ければ両国ともワールドカップブラジル大会に出られるだろう。
日本はファンタスティックなチームでこれまで対戦した中でベストな日本代表チームだった。もしお互いに切磋琢磨出来れば世界の列強とのギャップを詰める事が出来るだろう。 しかし選手達を信頼しよう。我々は大変優れたチームと戦いそしてスピリッツを見せた。10人になってまらでも全選手がファンタスティックであった。“



天敵 Cahill に Asian Cup に続いてゴールは許さなかった。しかし彼1人で状況をがんがん打開されていた。
来シーズンも Everton でプレーするかはまだ確かではないらしいが....

Neill はこの後どこでプレーするのだろう?出来れば J-League に来ないか?彼の様なCBは今の J-League には少ない。
それだけ若い日本の選手にとりよい対戦となると思うんだけど。

CahillもNeill も試合後は素晴らしいスポーツマンシップを見せた。 Viduka と違って。

私のこの試合の最も後悔したことは現場観戦しなかったことだ。

次に対戦するのは来年6月。これは絶対に外せない。しかしもうこの時は日本はワールドカップ出場を決めている事を願う。
そしてさいたまスタジアムで試合がある事を。 前に見た横浜はみにくくてたまらんかったから。でもその前にイラク戦か?

Man of the Match はサウジアラビア人主審  Australia 1-1 Japan 12th June 2012

2012-06-16 | 夏季五輪

時計はロスタイムの3分を過ぎて93分28秒になっていた。もう笛が鳴るかなぁと思った。遠藤から清武に送られ本田に渡った。ドリブルで Australia PA付近に迫る。すると Cahill が後方からチャージに入り本田は転倒すると Khalil Al Ghamdi 主審のホイッスルが鳴る。いい加減に Cahill にイエローカード出せよ、と思うが絶好の位置でのFKだ。
これがラストプレー。入らなくても勝ち点1。 ワールドクラスの本田のFKをアジアで1,2を争う Schwarzer がどう対応するか。
非常にしびれる場面だった。

“これはチャンス。はいんじゃぇえ?” 一緒にテレビを見ていた息子が言う。
“そうやな。サヨナラFKになるんとちゃうか?”
“これ決めたら本田が一番ハンサムだ。” と意味不明な事を息子が言うと
“何言ってんのよ。 内田でしょ?”と嫁はんが反論する….そして家族でテレビ画面を凝視すると……

試合終了のホイッスルが鳴った。  

時計は94分10秒になっていた。 何とも言えない幕切れ。呆然とする本田のところに Cahill が歩み寄りユニフォーム交換を申し出ている。 ザッケローニ監督は第4審判に猛抗議をしたらしい。 
最後のFKは蹴らせないといけないんじゃないか?息子が訊いてくる。 PKだったら完了しなければならないけどFKはそうじゃない。本田が蹴ってゴールに届く前にホイッスルが吹かれたらそれでも試合終了だ、と説明する。

1978年ワールドカップアルゼンチン大会。1次リーグのスウェーデン対ブラジル戦。 1-1 の同点で迎えたロスタイムにCKのチャンスを迎えそのCKからヘディングシュートが決まった。しかし Clive Thomas主審はCKが空中にある時に試合終了のホイッスルを吹き、そのゴールインを無効にした。 Rivelino を始めセレソンの選手達が主審に詰め寄る。 しかし主審は腕時計を指さし毅然とした態度でタイムアップを主張する。 このヘッドを放った選手があの Zico だった…..

同様の事は8年後のワールドカップでも見られた。1次リーグのパラグアイ対イラク戦。 パラグアイ 1-0 とリードで迎えた前半終了間際イラクがCKのチャンスを迎えそのCKから Amaiesh がヘッドをパラグアイゴールに決めたが、CKが空中にある時に前半終了のホイッスルが吹かれ、試合はそのまま 1-0 でパラグアイが勝利を収めた。 

そういう事に比べたらずっとましだし、日本は勝点1を確保した。これはワールドカップ予選でまだ試合は続く。アウェーで、しかも当面のライバルAustralia 相手の引分けは悪くは無い、そんな事を息子に説明した。

しばらくして息子はこう言った。  

この試合の Man of the Match はレフリーじゃねぇ??

それ良いなぁ。 頂くわぁ…..

嫁はんはやっとサッカーが終わった事を確認し、チャンネルをさっさと替えてしまった…..

久々の家族でのサッカーテレビ観戦であった….

ワールドカップ予選前半戦の山場、アウェーのAustralia 戦。通算対戦成績は6勝6分7敗。  Brisbane Sun Corp Stadium で開催されたこの試合。今まで何度も脚を運んだ事のある球技場なのにこんな試合を現場で見られないなんて….と思いつつ日本がAustralia 大陸で対戦した戦績を思い返した。
確か1956年のメルボルン五輪の1回戦で対戦しておりその時はオーストラリアが 2-0 で勝利を収めた試合がオーストラリア大陸での対戦も含めて対オーストラリア初対戦では無かったか? 以降、1968年。日本がメキシコ五輪前の強化試合の一環として同年3月末にオーストラリアに遠征し、オーストラリア代表と3試合行っており1勝1敗1分だった( 2-2 at Sydney, 1-3 at Melbourne, 3-1 at Adelaide ) この試合の事は尊敬する元 Socceroos の Johnny Warren の著書 Sheilas, wogs & poofters にも書かれていた。 エース釜本が初戦と第3戦に2ゴールずつ決めた。
それから28年後の1996年2月。 加茂監督下の日本代表は2月19日から香港で開催される Carlsberg Cup に出場する為の準備としてオーストラリア合宿を敢行。当地でAustralia 代表と2試合行い1勝(2月10日 4-1 at Wollongong )1敗 ( 0-3 at Melbourne ) だった。 日本代表にはキングカズの他に井原、小村、相馬、山口、そして名波らがいた。Australia は Alex Tobin, 3年前にワールドカップ予選でマラドーナ擁するアルゼンチンと戦ったメンバー Paul Wade, それから Aex Tobin Josip Skoko, 神戸でもプレーしたマシュー=ビングリーらがいた。高木琢也が初戦で2ゴールを決めたが Kazu Goal は生まれなかった。

2年後1998年2月。日本は初めてワールドカップ出場を決めたフランス大会に向けてオーストラリア合宿を行い2月15日 Adelaide でAustralia 代表と対戦。中田英寿のPKと平野孝の2ゴールで 3-0 で勝利を収めた。この時オーストラリアはあのMCGの悲劇の3カ月後。監督もテリー・ベナブルズのままで選手もAustralia 国内組ばかり。それでも後に AC Milan でプレーしたゼリコ・カラッチ、アレックス・トビン、そしてブレッド・エマートンもこの試合に出場していた。
そして記憶に残っている2009年6月17日にワールドカップ予選でMCGで対戦し 1-2 で敗れるのだけど、オーストラリア大陸での通算成績は日本の2勝4敗1分….になると思う。このワールドカップ予選では何とか3勝目をと期待した。
そして競技場は違うけど Brisbane は シドニー五輪の時の1次リーグでブラジルと対戦した地でもある。

日本では3日のオマー戦以降ヨルダンを大破した事もあり連日ワールドカップ予選の報道が続いた。日本代表が現地入りした模様も連日伝えられたが在留邦人の方の話によると9日に Suncorp Stadium で Wallabies がテストマッチを行が行われ ( vs Wales 27-18 )、試合前日と当日にも雨が降りグランドコンディションはサッカーをするには悪かったらしい。

日本は予想通り オーストラリアはワントップのスタメン

怪我で離脱した吉田に替わって栗原が起用された以外は3試合連続同じスタメン。 スタメンイレブンのうち栗原、遠藤、今野、前田以外はすべて欧州でプレーする選手。これだけ海外組が多いメンバーでワールドカップ予選に臨んだことはあっただろうか….
欧州のシーズンオフ中に3連戦できることは幸運なことだろう。
一方の Socceroos は私の予想に反してJosh Kennedy のワントップではなく Cahill と Brosque の2トップ。右SBに札幌でプレーする Jade North が入り、 Luke Wilkshire が2列目右に。 Brett Holman は結局6月のワールドカップ予選2連戦には合流しなかった。 ボランチには Carl Valeri が Mark Bresciano と組んだ。共に攻撃的選手。 スピード不足のBresciano は日本戦には起用されないと思ったんだけどなぁ….
左MFの Matt McKay は現在K-League釜山でプレーするが地元 Brisbane 出身。2005-11 の8シーズンでここをホームとする Brisbane Roar で131試合プレーし18ゴールを決めた。2010-11 には A-League Grand Final にチームを導き見事優勝を果たした。 Asian Cup 2011 から代表でも Brett Emerton からポジションを奪いまさにかつてのホームグランドに凱旋を果たした。

                                             GK 1 Mark Schwarzer ( Fullham )

                    13 Jade North    2 Lucas Neil    6 Sasa Ognenovski    11 David Carney
                        ( 札幌)              ( 城南 )          ( ex-Al Jazira )       ( FC Bunyodkor )

                                 16 Carl Valeri                              23 Mark Bresciano
                                  ( Sassuolo )                                    ( Al-Nasr )

                    8 Luke Wilkshire                                                        17 Matt McKay
                  ( Dynamo Moscow )                                                         ( 釜山 )

                                                                                20 Alex Brosque
                                                                                       ( 清水 )
                                     4 Tim Cahill
                                     ( Everton )

                                                        18 前田遼一 ( 磐田 )

                      10香川真司                    4本田圭祐                               9 岡崎慎二 
               ( Manchester United )       ( CSKA Moscow )                       ( Vfb Stuttgart )

                                    7遠藤保仁                                    17長谷部誠
                                    ( G大阪 )                                    ( Vfl Wolfsburg )

                       5長友祐都       15今野泰幸           16栗原勇蔵              6内田篤人
               ( Internazionale )       ( G大阪 )             ( 横浜FM )             ( Schalke 04 )

                                                         GK 1川島永嗣 ( Lierse )

この日のスタメンだけ見ると Socceroos は欧州でプレーするのが GK Shcwarzer と Valeri, Cahill の3人だけ、 J-League でプレーする選手が2人いてベンチにも Kennedy ( 名古屋 ) Mark Milligan ( JEF 千葉 ) 更に2人いる。 DF4人はすべてアジアのクラブでプレーしている(またはしていた)選手達。 A-League でプレーする Kewell, Archie Thompson ( 共に Melbourne Victory ) はベンチ。日本は欧州組が7人に J-League 組が4人。 隔世の思いがする。



Soccroos が押す前半...

オーストラリアのキックオフで始まった前半。 35秒にはロングボールが Brisque に渡り Cahill を経由して Carney に送られミドルを撃たれる。 ゴール枠を大きく外れたが開始早々にシュートに持ち込むあたりはオマーン、ヨルダンとは段違いに強い相手と再認識させられる。日本も1分57秒に岡崎が裏に抜け香川からボールを受けチャンスを掴むが、立ち上がりはオーストラリアの攻勢が目立つ。4分13秒には Valeri がミドルを放ち、5分29秒には Ognenovski のクリアーボールのこぼれ球を拾った Valeri を拾って Wilkshire に繋ぎ前線のCahill へ。Cahill は栗原を背負いながらシュートに持ち込む。 
立ち上がりからオーストラリアは2列目の McKay と Wilkshire が上下に早く動く。 後方からロングボールを Cahill, Brosque に放り込み、こぼれたセンカンドボールを Valeri の早い押し上げがサポートしバイタルエリア付近まで攻め込む。 Valeri は前日まで別メニューで出場が危ぶまれていたらしい。 
立ち上がりやや押され気味だった日本は6分59秒、香川が遠藤からの縦パスのリターンを受け前線に入り込んだ本田に。本田はPAの外からワンバウンドのミドルを放つと GK Schwarzer はキャッチできずに前にこぼす。このこぼれ球は Carney がコーナーに逃れ、本田のショートCKから長谷部が入れたクロスに岡崎が Wilkshireの前でヘッドを放つがゴールには届かない。 
オーストラリアは高さだけでなく試合序盤は攻守の切り替えの速さも見せた。 20時間の移動の疲労はホームゲームにはそれほど影響なかったか??



11分53秒、オーストラリアにアクシデントが起こる。 Bresiano が負傷し Mark Milligan と交替でベンチに下がってしまった。全盛時は2列目のサイドからガンガンクロスを上げていたんだけど、今年2月のサウジアラビア戦で久々復帰してからはボランチの位置に入っていた。 これでSocceroos は J-League でプレーする選手が3人ピッチに立つ事に。この交替は以降の波乱のきっかけになるとは....

     

Socceroos は Wilkshire が Asian Cup 2011 の時の様に効果的なクロスを入れてくる。前線の Cahill はボールを受ける時の強さと上手さを見せる。時にはDFを抑え込み、時には上手く倒れてファールを貰う。 Brosque はボールの受け方、受けるポジションに入るのが上手い。 また North は右サイドを攻守に渡り上手くケアーする。 Wilkshire と North のサイドが良いので長友が前の2試合と異なり上がって来られるシーンが少なく、香川が中でプレーする時間が続く。 



18分59秒、オーストラリアが決定的なチャンスを作る。 Milligan のロングフィードが PA 内に入ったCahill に渡り、 Cahill がヘッドで落としたところを Neil が走り込み GK をかわしてシュートに持ち込もうとするが撃てない。しかしそのこぼれ球を無人のゴール前で拾った Brosque が栗原を背負いながらシュートに持ち込むが必死に戻った内田がクリアーしCKに。 テレビを見ていてゴールインされたかひやりとしたシーンだった。 



その後のMcKay が蹴ったCKを川島が落としたこぼれ球を拾った Carney がミドルを撃つが前田に当たってゴールには至らない。  Carney の利き脚ではない右脚でのシュートだった。

21分40秒にはカウンターから Cahill がドリブルで持ち込んだところにチャージに入った栗原にイエローが出される。 日本DFラインはロングボールを放り込まれるのでなかなか上げられない。 またミドルパスを効果的にワイドに使われるのでなかなかプレスがかから無い上に日本のポゼッションが上がらない。 日本が攻撃に転じると2列目が早く戻りDFラインの前にもう一つラインを形成する。しかし今の日本はこのラインの間に本田や香川、岡崎がどんどん侵入しパスを受けるのでそこから何とかなりそうな気がする。

24分にはMilligan が本田に後ろからチャージに入りイエローが出された。 そして本田がまたも蹴ったワンバウンドFKは惜しくもポストの右に外れた。 
25分を過ぎると Soceroos の脚が止まりだす。やはり時差と移動距離の疲れか? こうなると香川のドリブルが効いてくる。
32分29秒、長谷部からボールを受けた香川が Wilkshire をかわしてドリブルで上がりPA内に侵入する。 Neil, Wilkshire を抜いて North がマークに入る前に長友に送る。長友はワンタッチで中に折り返すが走り込んだ前田には惜しくも合わなかった。
30分を過ぎると日本MF,DF陣のオーストラリアのロングボールに対する寄せが早くなった、と云うよりも Socceroos の寄りが遅くなって来たか?また遠藤、長谷部にボールが入る様になって来て長友にボールが渡る様になった。 この試合の Socceroos の右サイドは DF がNorth, MF が Wilkshire だった。これが 右SB Wilkshire,  MF Holman だったらこちらのサイドの裏を突くチャンスが大いにあったのだろうけど。 



42分29秒、右サイドからオーバーラップした内田が長谷部からボールを受け本田に送る。そして香川に送りスルーパスを送ると内田が走り込みシュートを放つが Neil が必死にスラィディングシュートコースを切り弾道はポストの右に外れて行った。 
前半終了間際にも香川がPAのすぐ外で右から左に流れてシュートを放つが North に当たってゴールには届かなかった。
そして前半が終了する。立ち上がりから中盤はロングボール、ミドルパスを有効に使った Socceroos の攻勢目立ったが、終盤は日本FW陣のドリブルや早いパスワークが相手DF陣を翻弄するシーンが目立った。 それだけに後半期待が出来た。

テレビカメラが観客席を映す。結構日本人サポーターの姿が目立つ。この日の観客数は 40,189 人だったらしく、空席も結構目に着いた。 6月9日に行われたWallabies の試合は 55,000 人は入ったらしい。 また翌日10日には State of Origin のラグビーの試合が ANZ Stadium 行われ、殆どの地元の Aussie 達の関心とマスコミ報道はその試合と Wallabies の試合との2試合が中心となっていたらしい。 もし対戦相手が日本でなければもっと空席が目立っていたか? しかし4年前にここでワールドカップ予選のイラク戦を観戦したけど満員に近かったなぁ….
それにしてもさいたまスタジアムでもそうだったけど、若い女の子が多い。80年代には観客数そのものが今とは比べ物にならないくらい少なかった。 だから若い女の子なんて… 本当に時代は変わった。そしてオーストラリアとサッカーでこんな激戦をかわすなんて..
サッカーに関して言えばもっと遅く生まれたかったと思った。でもあと少しはやく生まれていればメキシコ五輪の栄光は見られたか?



波乱の後半。 勝ち点1を死守?勝ち点1を失う?

日本がやや攻勢で始まった後半。 51分27秒には良い位置でFKを得る。地元サポーター達のブーイングの中、本田が蹴ったFKは壁に当たって更に大歓声が上がった。52分5秒には香川から岡崎にスルーが入り 、53分6秒には右サイドを上がった長谷部が岡崎からボールを受け、折り返したところに香川が受けてシュートに入るが Ognenovski と Milligan が必死にブロック。相手DFラインと MF の間に香川、岡崎、本田がどんどん飛び込んで行く良いリズムで試合が動いていると思った。

そしてこの試合の波乱が始まる。54分40秒。右サイド Wilkshire から前線中央にアーリークロスが入れるも内田がヘッドでクリアーに入るとそこに Milligan が走り込んで交錯して転倒する。 Al Ghamdi 主審がホイッスルを吹き Milligan に何とイエローカードを出す。これで2枚目のイエローカードであるがなかなかレッドカードを出さない。スタッフに促される様にようやくレッドカードを出した。 
Mark Milligan は私の好きな選手。しかしそれを割り引いてもこのイエローはちょっと厳しいかと思ったがそれは序曲に過ぎなかった。



1人少なくなった Socceroos は Cahill が2列目に入り Brosque をわトップに残した 4-4-1 のフォーメーションとなった。
これで日本は何度も一気果敢に攻勢に出る様になった。 North も Carney も中を絞って来るのでサイドからどんどん仕掛けられる。2度ほど Schwarzer がさすがと思わせられるセーブを見せたがそれが無ければもっと早い時間にゴールが生まれていただろう。
それにしても本田は本当にボールを取られないなぁ…



劣勢の Socceroos は更に追い打ちを掛けられる様に Valeri が脚を痛めてベンチに下がり Nikita Rukavytsya ( Hertha BSC ) が投入された。 Socceroos は怪我人の交替だけで交代枠2人を使ってしまう事に。 
そして65分、長谷部から自らのショートCKからのリターンを受けた本田が右サイドから Carney Rukavytsya をかわしてドリブルで切れ込み中に入れる。中央で前田と Wilkshire が縺れながらなだれ込むのを通り越してファーサイドの栗原に。栗原は落ち着いてボールをオーストラリアゴールに蹴り込み日本が先制ゴールを決めた。 1人少ないオーストラリアを完全に崩してのゴールだった。
またも本田のドリブルからゴールが生まれた。





1人少ない相手に先制ゴールを決めたので次にゴールを決めてリードを広げれば試合は完全に決まる。そういう瞬間も遠くないと思わせるゴールだった。
しかし事態が全く変わってしまう事がまた起きた。68分またも Wilkshire から中央に送られ、失点後前線に再び上がった Cahill が栗原と競り合いながら落としたところを長谷部が Brosque と競りながらボールをクリアー。あわやオウンゴールと思われた。そしてそのCK、 Wilkshire が中に入れると Al Ghamdi 主審のホイッスルが鳴る。最初はオフサイドかオーストラリア側にファールがあったと思ったけど何故かペナルティースポットを指していて胸ポケットをまさぐっている。 何と内田にイエローカードが出てしかもPKが Socceroos に与えられた。 
大歓声が Sun Corp Stadium に沸き上がる。 これで次のイラク戦に出場出来なくなった内田は信じられないという蒼白な顔。 どうやらポジション取り争いをしている時に Brosque を抱え込んだのがファールと取られららしいがこの試合そんなシーンは何度もあったんだけど….. 大歓声の中 Wilkshire がPKを正面に蹴り込み試合を振り出しに戻されてしまった。





これで Soccerood 達は蘇生してしまった。 70分に Carney がドリブルで上がるマークに入った内田がピッチに脚を取られて転倒した際にボールを抑えてしまった。このプレーに対してこの日2枚目のイエローが出て内田が退場にされるかとヒヤリとするがここは御咎めがなくてホッとする。
それを察したか日本ベンチは72分に内田を下げて酒井宏樹を入れる。 酒井次節イラク戦は頼んだぞ。
75分32秒、距離はあるがゴール正面で長谷部が Cahill を倒してFKを与える。そして壁が出来上がる前に Carney に蹴られて今度はCKを取られてしまう。そのCKは一旦今野がクリアーするも再びゴール前に放り込まれ攻撃参加して残っていた Ognenovski がファーサイドのゴールポストに当たるあわやのシュートを撃たれる。 壁を作るのに時間がかかったりここでマークがずれたりと日本選手達は明らかに動揺している。同点にされたがアウェーなのは日本。しかも人数は1人多い。じっくりと慌てずにボールをキープすてくれよよまず思う。
77分32秒岡崎のアーリークロスから香川がヘッドを放ち、79分には長友から香川に入り反転してシュートを放つなど香川の連続シュートで徐々に日本イレブンが落ち着きを取り戻しつつある様に見えた。



それでもセカンドボール、こぼれ球が1人少ないオーストラリア選手の足元に行く様に思えてならない。 残り10分を切るとこのまま勝ち点1を死守するのか、勝点3を取りに行くのか、ワールドカップ予選ならではの難しいところとなる。
82分カウンター攻撃に転じられ Cahill がドリブルで上がると事をものすごい勢いで本田が激走しマークに入り Cahill を倒してイエローカードを受ける。  Cahillも上手くファールを誘う。84分オーストラリアゴール前でボールを回し左サイドから岡崎が上げてクロスは Schwarzer がワールドクラスのキャッチを披露。



85分50秒、日本ベンチは岡崎を下げて清武を投入する。1人少ない相手に勝点3を狙うと言うベンチからのサインだろう。
87分長谷部が前田とのワンツーで抜け出したところを Ognenovski が倒して絶好の位置でFKを得る。 しかしブーイングの中遠藤が蹴ったFKは大きく外れる。それだけ壁が高いのか? 残り時間はロスタイムを入れても5分とないはず。両チームどの様に試合をおわらすのだろうか? そう思っていると次のドラマが起こる。
Valeri が前線にフィードし Brosque と栗原が競るとAl Ghamdi 主審のホイッスルが鳴り何と栗原にイエローカードが出される。栗原もこの試合2枚目のイエローカードとなり退場となってしまう。Brosque の位置はオフサイドとも取れる位置であったが線審がフラッグを上げる前に Al Ghamdi 主審が笛を吹いた。長谷部を始め日本人選手が主審にその前のオフサイドをアピールするが、それを制したのが Cahill だった。それはスポーツマンシップからかそれとも点数稼ぎか?サラリーマンなら出世するタイプだ。 



ゴール正面からの Wilkshire が蹴ったFKは川島が右に倒れファインセーブでストップ。ゴール裏の Socceroos サポーター達が一斉に頭を抱え込む。 この試合本田や遠藤よりも良いFKだった。
その後のネアーサイドに入れられたCKを跳ね返し、香川、清武と繋いで一気にカウンターに転じる。そして最後はこぼれ球を清武が拾ってシュートを放ったがポストの左に外れる。 ロスタイムは3分と表示される。 ロスタイムの過ごし方はどうするのだろう。
91分16秒、香川に替えて伊野波が投入されCBに入る。 するとオーストラリアベンチは Wilkshire を下げて McKay 同様に Sun Corp Stadium をホームとする Brisbane Roar で昨シーズンまでプレーしていた Robbie Kruse を投入し Brosque と2トップを組ませる。 日本ベンチの交替を先に見てから動いたのか….
時計は93分を過ぎた。もう終了のホイッスルが鳴ってもおかしくは無い。そして93分28秒、本田が後ろから Cahill に倒されFKを得る。 さっきの Wilkshire のFKを見せられた本田は絶対に決めてやると思っているだろう…本田がボールをセットし前線の選手達に指示を出す。そして……

この試合の主役となった Khalil Al Ghamdi 主審はワールドカップでは2006年 2010年大会でも主審を務めており、 Asian Cup 2007 そして北京五輪でも笛を吹いた。2010年には地元サウジアラビア紙 Al-Nadi Saudi Arabian Newspaper 紙が選ぶ Best Referee in the Year に選ばれている
ワールドカップ南アフリカ大会では主審を務めた2試合、メキシコ対フランス戦では6枚( フランス2, メキシコ 4 ) スイス対チリ戦では9枚 ( スイス3 チリ 6 ) 更にスイスの Valon Behremi に1発レッドを出す等イエローカードを出しながら試合をコントロールする主審らしい。この試合のジャッジをAFC, FIFA はどう判断するのだろう? またワールドカップ予選で主審を務めるだろうがその時が楽しみだ。



対戦相手のコンディションはアウェーの日本よりも悪い、今回は勝つチャンスが十二分にあると思っていたけど試合が始まればそんな願いは霧散してしまうくらいの Socceroos の立ち上がりだった。 改めて彼らのレベルの高さを思い知った。試合内容もあわやのシュートが多かったのは Socceroos だった。 それでもこれは国際大会の決勝戦では無くワールドカップ予選の試合の1つ。アウェーで引分けは悪くない。 9月のイラク戦で勝点3を確実に上げて貰いたい。出場停止選手は多くいるけど。
ただワールドカップではこのオーストラリアより強い相手ばかりが出て来るのだ。

そして一番後悔した事は…..この試合を観に行けなかった事…やなぁ???