Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

室伏 池田登場の大会3日目…..

2007-08-28 | 陸上競技

大会三日目は月曜日。大会最初のウィークデーだ。 少し気温が下がったとはいえまだまだ暑い。これを残暑というのか? 大会三日目のこの日も池田久美そして室伏宏治の登場と視聴率を引き上げそうな選手が登場した。

池田予選落ち でも……
期待の美人ジャンパー池田久美子は残念ながら予選落ち。記録も3回目の跳躍の6m42cmが最高で、参加29選手中24位の記録に終わり自己ベストの更新はならなかった。酷暑の大阪は彼女の体力を奪った事だろう。欧米人と比較して基礎体力で劣る日本人、競技が始まる前のこういう気候は逆に日本人選手に不利だったか?昨年12月のドーハでのアジア大会は 6m81cm を記録し、2位に 29cm もの差をつけて圧勝したが、この時のドーハは肌寒い感じであった。そしてアジア大会2位の選手、インドの George Anju Bobby が6m60cmを飛び11番目で決勝に進んだ。その他アジア勢ではアジア大会5位の韓国のチョン・スン・オクが 6m45cm, アジア大会4位の中国の陳亜玲が6m50cm でそれぞれ池田の記録をうわまわったが決勝には進めなかった。
池田は来年の北京五輪に向けて巻き返しを誓うであろうが、地元開催で思うような結果が出せなくてさぞ悔しかった事だろうがそもそもマスコミは彼女を “ 7m ジャンパー “ とか煽り過ぎだった。それが励みにもなっただろうが、どうも彼女を“世界陸上のヒロイン”に仕立て上げたくてたまらなかった様で見ていて本当に気の毒であった。それに打ち勝ってこそ世界のトップクラス入りと言うのは無責任な発言だ。
彼女の自己ベストから7mまで16cm。しかしそれはあくまでも数字上の話、そこからの1cm がそれまでの1cm の何倍も長いのだ。もし彼女の7m ジャンプを来年の北京五輪で見たいのなら、マスコミは彼女から遠ざかる事だ。幸い中国女子にはこの種目でメダルを期待できそうな選手がいない。従って北京で彼女の跳躍にブーイングが飛ぶこともないであろう。 ところで彼女は 4x100m のメンバーに入っているのかな?補欠でも入れておいた方が… でも、今は疲労困憊か? 



女子の出場種目 
100mH の石野真美、400mH の久保倉里美は次のラウンドには進めなかった。しかし、日本の女子がこういう種目に出場できる様になった事が私は日本女子陸上競技界の進歩のあらわれだと思う。1980年代に日本女子が五輪、世界選手権に出場した種目はマラソンと松井江美(やり投げ)と佐藤恵(走り高跳び)くらいで円盤投げの北森が日本記録を出しながらも標準記録には届かなかった。(当時天理大学生だった彼女の投擲を関西インカレで生で観た事がある。他の学生とは全くちがったなぁ….) そしてその集大成が丹野麻美の400m準決勝進出であろう。私が現役時代は日本女子は55秒台がせいぜいだった。それが彼女の自己ベストは 51秒80 だ。 そして準決勝でも自己ベストに0.01 と迫る51秒81。前半の200m が25秒弱かかっていたがもう少し早く余裕を持って入れると51秒台前半の記録が出るのではないか?かつて800, 1500m が専門の私も何度か400m レースを走った事がある。彼女よりも早い記録を持っているが(当り前か?俺は男だから。)この前半の入りが難しい。抑えて入れば後半、力が残ると言うものでもないし.. 彼女は400mを100m から伸ばして来て専門種目とした。それでいてラストの100mであれだけ足が上がるのだから私の時代の女子選手とは違うのだろう。それに最近の女子短距離選手はみな足が長くなって来た。ユニフォームのデザインを割り引いてもスタイルが欧米選手に近づいて来たけど、それでもまだ華奢な感じがする。でも近くで見ると筋肉質なんやろろなぁ…..



100mHではアジア大会でワンツーフィニッシュを飾った中国勢、Liu Jing とFeng Yun はエントリーしなかったのか?特に Liu Jing はアジア大会では12秒93で優勝したので少し楽しみにしていたのだけど。またアジア大会で丹野を破り金メダルを勝ち取ったカザフスタンのオルガ=テレシュコワは1次予選で落ちた。アジア大会では51秒86で優勝したのに。このレースは54秒09もかかってしまった。この種目の世界記録は東ドイツのマリタ=コッホが出した47秒60。まだ世界記録として残っていたのか…しかし彼女も五輪では金メダルは取れなかった。ボイコットと言う政治の壁で。
女子円盤投げでは室伏由佳も決勝には進めなかった。この種目もアジア勢は壁が厚かったかな?アジア大会優勝の栄愛民、2位の馬雪君でさえ予選落ちだった。しかし孫太鳳と言うアジア大会に出ていなかった選手が6番目の記録で決勝進出を決めた。しかし室伏由佳は他の選手より二回りは小柄じゃなかったか?彼女達に続く選手が出て来る事を祈るよ。

室伏広治 来年に向けて…..
長居競技場と言うよりも日本列島の期待を一身に背負っての男子ハンマー投げの室伏宏治は6位に終わった。 1968年メキシコ五輪。ハンマー投げに出場した日本の菅原武雄選手が4位に入賞したが、これは本当に惜しいの一言。彼の出した69m78cm はハンガリーの Lazar Lovaz と同記録だったが、セカンドベストの記録差で銅メダルを逃した。いわばあと1cmでも記録がよければメダル獲得というところであった。以降、室伏重信そして息子の室伏広治と“ハンマー”はつなげられている。この日の室伏、と言うよりも今シーズンの室伏は日本選手権のみの出場で世界選手権に臨んだ。折角の地元開催なのに…と思われる方もいるが、彼の目標は五輪での連続メダル獲得では無いか?最後の投擲で見せた80m46cm の記録はさすがだった。彼の出現でハンマー投げを一般国民の間にメジャーなものにした。その功績ははかりしれないが、それまでに色々な選手の積み重ねがあった。



アジア勢ではクウェートのアリ・モハメド・アル・ジンカウイが決勝に残った。欧米選手と比較しても体格が小さく見える室伏よりもさらに華奢な体格の選手だった。昨年のアジア大会では銀メダルだった。彼もクウェートにハンマー投げを伝承していくのだろう。アジア大会覇者のタジキスタンのテルシュド=ナザロフは71m70cmで21位に終わった。そしてあまり紹介されないがアジア大会3位は日本の土肥宏明。6月16日の順天堂大記録会で標準B記録を突破する74m08cm を記録し世界選手権に滑り込みで選ばれた。今大会は69m89cm 26位に終わったが彼こそ来年の北京五輪に出場してもらいたい。 そしてハンマー投げをもっとメジャーにしてほしいものだ。


明日は男子200mがある。 大阪の気温が少しでも下がる事を祈るよ。

でも明日は雨か???

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アスリートの涙 そして選手のユニフォーム

2007-08-26 | 陸上競技
大会二日目。最注目種目は男子100m決勝だった。 100m選手はリレーメンバーも兼ねているのでどうしても大会序盤に決勝戦が組まれる。しかしカール=ルイスの様な走り幅跳びにもエントリーする選手はどれだけいたのだろう?それどころか最近は200m にもエントリーする選手が少なくなった気がする。おそらくグランプリレースでは100mの記録に対して高額賞金が掛けられ、へたに200mに出て調子を落としたり怪我でもしたりするのを避ける為だろう。その100mの準決勝戦第一組。
日本期待の朝原は残念ながら10秒36で8位に終わり決勝進出はならなかった。しかし35歳にしてこれだけのパフォーマンスを維持するその競技姿勢は金メダルクラスだろう。この日準決勝に残った16人の選手で35歳になった時100mで10秒20を切れる選手がどれだけいるのだろう?レース後のインタビューで見せた男泣きにはジ~ンと来た。来年の北京五輪がいよいよ彼の最後になるのかなぁ? しかしその前にまだリレーが残っている。しっかりと休息を取ってリレーに備えてほしい。ところで彼の奥さんはサブトラックでレポートをしていた小谷実可子と話をしたかなぁ…..?



女子の砲丸投げ。昨年亡くなられた森千夏さんに続く日本女子スロワー、豊永陽子が登場した。第1投、第2投と伸びなかったが最後の3投目に17mを越え意地を見せた。決勝には残れなかったけど最後に観客から拍手が送られ感激の涙をみせていた。いぃなぁ…… この大舞台で今年のシーズンベストを出すのはさすがだ。彼女の自己記録17m57cmは彼女が2004年に出したもの。次なる目標は北京五輪出場だろう。世界選手権はA標準が18m30cm、B標準が 17m30cm 。北京五輪の標準記録はいくらだろう?そして亡くなられた森千夏さんの持つ日本記録 18m22 cm を目標にしていることだろう。この記録だとこの日の予選では12番目の記録となる。 



夜に行われたこの種目の決勝戦はニュージーランドのバレリー・ビリが自己新記録の20m54cmを第6投目に投げて優勝候補のベラルーシのナデジダ=オスタプチュクを逆転して金メダルを勝ち取った。オスタプチュクは予選では18m23cmしか投げられず決勝進出12人中最低の記録だった。そのオスタプチュクが決勝では第1投目で20m04を投げていきなりトップに立ち、ビリが最終投擲で20m54を投げて逆転をすると最終投擲者となったオスタプチュクも同じ様なところまで投げたのであるがあと 6cm 及ばなかった。 女子の砲丸投げは第1回のヘルシンキ大会優勝者も最終投擲で逆転し、感涙を流していた。名前を忘れてしまったが、共産国の選手だったので翌年のロス五輪には出場出来なかった。今大会優勝したビリ(優勝してもビリ?あぁ面白くない)はニュージーランド、マオリ族の様だ。地元でどの様に報道されているのだろう……

それにしても最近の女子選手のユニフォームはなんて刺激的なんだろう?あそこまで肌を露にする必要があるのだろうか?元々走り高跳びや棒高跳びの選手がユニフォームの皺でバーを落としてしまわない様にとこう言うコスチュームが登場したのだけど、今や種目を選んでいない様だ。そして美人選手が随分と増えたなぁ….. イシンバエワとか、至近距離で一度拝めないかな??競技中専用のコスメまであるらしい。これもプロ化の影響なのだろうか?

今男子100mの決勝が終わった。優勝はアメリカのタイソン・ゲイ。ラスト30mの加速はすごかった。タイムは9秒85。こんな走りを目の当たりにした長居競技場のスタンドにいた人々は本当に幸運であっただろう。テレビではカール=ルイスがコメントしている。彼はいまどうやって生計を立てているのだろうか?いやそれよりもあのベン=ジョンソンはどうしているのだろう。

成迫は残念ながら昨日の為末同様 100分の1秒に泣いた。韓国のU-17日本代表も得点1に泣いてベスト16を逃した。(関係ないか?) 
しかし女子400mの丹野は次にすすんだぞ。すごいなぁ。私が現役のときは女子400mは55秒代で優勝が決まっていた。あぁ隔世の思いだ.....



随分と遅くまで競技が行われているんだなぁ。終電に間に合わない人も出て来るんとちゃうかな?

そしていつも思う事

俺ももっと頑張ったらよかったなぁ

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IAAF 世界選手権開幕

2007-08-26 | 陸上競技
いよいよ第11回 IAAF 世界選手権。いわゆる世界陸上が開幕した。もう11回目かぁ….. 第1回のヘルシンキ大会から24年が経つのだ。俺も歳をとるわけで、大学生だったあの時 “いつか俺もこういう大会に出てやる。” と目標高く下宿の壁に “ International Championships in Athletics” と書いた紙を貼っていた。それを見た友人は “何やこれ??”って不思議がっていた。当時陸上競技の世界選手権なんて誰も存在を知らなかった。織田祐二君がもっと早く登場していたら陸上選手であった私にももっと同級の女の子も振り向いてくれていただろうか?
忘れもしない1983年、ヘルシンキで第一回のIAAF 世界選手権が開催された年、私は陸上競技を始めたのだった。もう大学生にもなってようやるわ、と言うのが周囲の空気だった。しかし自分は本気で“今年は1500m で4分20秒を切って2年以内に4分を切って、最後は3分40秒を切るんだ。”と目標を立てた。 4分を切るところまでは行ったのだがそれ以上は“予定通りに”には行かず挫折をしてしまったけど地区インカレで優勝を争ったり、日本インカレに出場したり今となってはいい思い出だ。
だがスポーツを全く知らない家内にとっては世界選手権レベルのスポーツイベントが開催される度にテレビを占領されるのでいい迷惑らしい。

今回はクーラーの付いていない自室でテレビ観戦。あぁ競技場の選手はもっと暑いんだろうなぁ…. 大会初日は男子マラソンに始まり、男子ハンマー投げの室伏、そして400mHの為末が出場する種目が並ぶ。女子マラソンを後に持ってきたり、初日に室伏、為末の登場する種目を選んだりと地元開催ならではのプログラム進行だ。
個人的な大会初日の興味は女子 3000mSC の早狩実紀選手と男子1500m の小林史和選手の二人だった。

早狩選手は京都出身。私が学生の時にはまだ中学生ながら京都では抜きんでた力を持っており高校生や成人を入れた中でも京都女子中距離界では敵なしといった感じで注目されていた。1991年東京で開催された世界選手権では既に3000m で日本代表として出場を果たし、今尚現役を続け、何より競技の取り組みに対する姿勢は“素晴らしい”の一言。私が現役時代にはなかった彼女の出場する3000m SC は非常に関心があった。しかし、レース途中で転倒。無念だった。いやもっとも無念だったのは本人だろう。しかしすぐに復帰しまた女子中長距離の国際舞台に戻って来る事を期待しよう。



男子1500mは自分がやっていた種目。私が現役時代は世界から大きく取り残されアジア大会以上の国際選手権大会に出場出来るなんてかんがえられなかった。しかし今大会は前回に続き小林選手が出場だ。小林の登場した予選2組は60秒、2分2秒、2分59秒というラップを刻み1着フランスのメディ・バーラはラスト400m を53秒。300mを 39秒台でしかも最後は余裕をもってカバーする走り。小林も1200mまで集団から離れずついて行き最後3分41秒19のタイムで9位に入りプラスに拾われて準決勝に進出した。1500m走は 800m ~1200m の走りが勝負を左右する。この400mは前の400mよりも5秒もラップが上がり、その上にラスト300m を40 秒内でカバーするのだ。しかも余裕を持って。1着のバーラは800m まで先頭集団の最後尾につけ、3週目で3位に上がりラストスパートで難なく1着を奪った。そして7着のニュージーランドのウィルスまでが団子状態でなだれ込み1着バーラとのタイム差は1秒53。そして8着メキシコのバリオスとウィルスとの差が0秒87,更に0秒14あいて小林だった。小林には準決勝では順位よりも日本記録更新を狙ってほしい。そうすれば決勝が見えて来ると思う。
でも3分40秒切りなんてどんな練習をすれば出せるのだろう? その前に選手の資質か??? 俺がこのレースに出たらどうなっていたやろう???

400mHでは成迫健児が見事に準決勝進出を果たした。為末は残念だった。この大会そのものを引っ張ってくれていたのに。昨シーズンは走力を上げる為にハードルレースに出場しなかったとの事だったが、それが裏目に出たか?最後あんなに顎が上がってしまったのを見た事がない気がする。それが0.01秒差で予選落ちに繋がってしまった。今年の日本選手権でも優勝はしたものの最後は成迫にかなり追い込まれてしまった。為末は走力を上げるのならば昨シーズン800mレースに出たのかな?400mHの選手は結構800mを走れると聴いたけど。私が現役時代関西では秋季インカレに400mHの選手が800mにエントリーするなんて,…. あまり聞かなかったなぁ。しかし当時400mHの第一人者だった順天堂大(当時)の吉田良一なんかは800mで1分51秒台を出していた。(その種目を専門にしていた俺の記録よりも早かった。)成迫には次のレースを為末、吉杉には来年の北京に向けてがんばってほしい。

100mでは大ベテランの朝原が準決勝進出を決めた。1次予選ではゲイ、2次予選ではパウエルと強豪と同組になりながらの勝ち抜きは素晴らしい。特に1次予選では第一組の出走で重圧もあっただろう。タイムも10秒14( 1次予選 ) 10秒19 ( 2次予選)と安定している。 100mのタイムの真の意味を理解している人は少ない。 100mレース、特に決勝までのレースでは次のラウンド、そして決勝を目指してほぼ同じような記録を持っているスプリンター同士が走るので必ず持ちタイム通りの結果に終わると言うレースは稀である。10秒1の記録を持つ選手はそれが最高記録であって常にそれを出せるわけではない。10秒4~10秒5と言う記録をコンスタントに出す力はあるが10秒3程度の記録は4,5回に1度は確実に出せると言うことである。それが10秒2のベストタイムを持つ選手なら更に0秒1ずつ記録がかわり9秒台の記録を持つ選手は同様に0秒1以上記録が良くなると言うことだ。従って同日に10秒20を連続で切った朝原の今の調子をはかり知る事が出来る。それに100m走と言うのは予想以上に“疲労”を感じる種目だ。明日は準決勝、決勝があるが、初日の疲れを全て取り除いて明日に臨んでもらいたい。 




それにしても暑いなぁ….. もう9月やぞ.....

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Asian Cup 紀行 イスラム教大国 インドネシア 7月11日

2007-08-19 | Asian Cup

7月11日は午前のシンガポール航空便でシンガポールからジャカルタに移動だ。
この日は雨が降っていたので外を走る事は出来なかった。いやそれを理由に走らなかった。現役時代、雨などは気にせず走りに出たのに。タクシーでチャンギ空港に。シンガポールはタクシー料金が安いので気軽に使える。(と言っても会社に請求するけど。)タクシーの運転手には確かにシンガポール航空に搭乗すると言ったのに違うターミナルで降ろされた。そこでスカイトレインに乗ってターミナル間を移動する。でもこんな事でもなければスカイトレインに乗車する機会もなかっただろう。
チェックイン、出国手続きを済ませ空港内に入るがここはいつもこの二つの手続きがスムースでありがたい。そして出国手続きを抜けるとそこには Shopping City と名付けられたブランドショップやお土産物屋がずらりと並ぶ。さすが世界一評判の高い国際空港だ。そして大きなスクリーンがありそこにはメジャーリーグのオールスターゲームが中継されていた。イチローが史上初のランニングホームラン Inside Park Home Run を放ち MVP を獲得したのを後で知ったのだが、このシーンは既に過ぎており試合はもう最終回だった。もし韓国人観光客がわんさといる前でイチローの快挙のシーンがアップになれば私も彼らの前で大きくガッツポーズを取ってやったのに ……
すぐ横のテレビ画面では前日行われたアジアカップのインドネシア対バーレーンの再放送が映し出されていた。この試合の結果は早朝の地元のニュースでも報道されたので知っていたけど、やはり詳細は見たいので足を止めて画面にかぶりつきになる。既に70分を過ぎておりインドネシアが 2-1 でリードしている。リードを許しているバーレーンの前大会はベスト4。今大会も上位進出を狙うが同組には韓国、サウジアラビアがいるのでインドネシア戦は負けられない。77分には John Akwani のシュートがゴールネットを揺らすがその前にハンドがあったの判定で無効に。直後に MF Al Dosri のシュートがバーを直撃する。80分にはMF の Mohmed Hubail に替えて FW のHusain Ali を投入する。二人とも2年前のワールドカップ予選の日本戦に出場し馴染のある選手だ。83分にはワンツーで抜け出た Abdulla Omar が抜け出で放ったフリーショートはゴールを捉えられない。84分には Rashed Al Dosari が下がりAbdulla Baba Fatabi が入れられる。そして Tatal Yusuf が放ったミドルはバーの上に外れる。バーレーンの猛攻が続く中インドネシアは MF の Elie Aiboy を下げてDF の Spardi を投入し逃げ切りを図る。アナウンサーは3年前のアジアカップではバーレーンがインドネシアを 3-1 で破ったことを話す。この試合は地元の大歓声を受けたインドネシアがリードしている。決勝点を挙げた Bambang Pamungkas がボールを持つと更に赤一色のスタンドから大きな歓声が後押しをする。87分には Talal Yusuf がボレーでゴールを狙うがその前にオフサイド。4分あったロスタイムを終え日本人の西村主審のタイムアップを告げるホイッスルが鳴り、大歓声がスタンドを包む。そして観客達が飛び跳ねているのだろう、画面が揺れている。これでホスト国はタイ、ヴェトナム、インドネシアと負けが無い。この結果をこの日対戦するサウジアラビア、韓国はどうとらえるだろう?
ジャカルタへのフライトは空席が目立っていた。約2時間のフライトの後ジャカルタ空港に予定通り到着する。しかしここからが長かった。インドネシアに入国するには入国ビザが必要だ。空港内で簡単に発行をしてくれる。私の場合は1泊しかしないのでビザ代金は US$10だったが、米ドルをもっていないのでシンガポールドルで支払う事にしかしなぜかシンガポールドルだと S$20請求された。それは仕方ないとして S$20 のレシートを発行してくれと頼むと、それがそうだと指さされた先には US$10 と印刷されている。少しの押し問答の末係官は手書きで S$20 と書いて投げ返してきた。ビザを求めて約1時間近く並んだ上にこう言う仕打ちは腹も立つが、もっと腹が立ったのは数人前に並んでいた日本人の集団。みなこの蒸し暑いのにスーツを着ており、漏れ聞こえて来る会話を総合すると商社とメーカーの偉いさんの様だ。若い奴があとから列に割り込んできやがった。それだけでない、やっとビザを貰って入国手続きをするとさっきの若い奴が私の前にいる。彼が順番を終え、私があとに続こうとすると隣のカウンターの前で並んでいたメーカーの偉いさんに“どうぞ。こちらへ。”と私がいるのに手まねきしている。頭に来てその若い奴と、偉いさんの間で立ち止まって交互に思いっきり睨んでやった。入国手続きが終わってもその若い奴を目で探してしばらく立ち止まって睨んでやったが、ここは鼻血が出るほど殴れば良かったと後悔している。どうせ一期一会なのだから。
海外にでると特に大商社のこうした振る舞いに何度か喧嘩をした事がある。大商社の連中は会社の規模が自分価値と同じと勘違いする馬鹿が多い。哀れな奴は定年して商売を始めた老人連中だ。定年前は何十億単位の取引をいくつもこなし、退職後はその延長とばかりに商売を始めるが定年前のキャリアーはその人間自身ではなく、大商社の看板にすぎなかったと気付きショックを受ける。
そしてもっと迷惑なのは大商社内での厳しい出世競争に敗れ、30代中盤から40代前半で他の会社に転職してくるバカだ。会社の看板で仕事していたのにそして自分の能力の無さに気付かず会社内に迷惑をまき散らす。もっとバカなのは大会社にいれば全てにおいて実力があると信じて、そういう落ちこぼれを拾い集める他の会社の幹部や人事達だ。今こう言う深刻な被害にあっている会社は少なくない。だから私は大会社、特に商社の連中は大嫌いだ。
頭から湯気を噴出しながら荷物をピックアップし街中に行くタクシーを探す。すると今度は私の自尊心をくすぐる事が。私の着ていたマレーシアで購入した NIKE の Asian Cup のポロシャツを見て、“シャトルバスをお探しですか?”と声を掛けてきた。税関を抜けて外に出るとすぐ Asian Cup の案内所の様なカウンターがあり、そこの一人が私の身なりを見て、報道陣に指定されたホテルまでのシャトルバスサービスがあると教えてくれた。残念ながら私はオフィシャルに登録された報道関係でないので上手く?断り、いつも使うタクシーで市内に向かう事にした。
タクシーの運転手は結構英語を話してくれた。そしてサッカーも好きらしく前日のアジアカップの試合等話が弾んだが、予約したホテルから試合のある Gelora Bung Karno Stadium までの行き方など詳しく教えてもらえた。心配していた試合後のホテルまでの足も“けっこうタクシーが走っているから難しくないと思う。”と言ってくれた。
実際彼が教えてくれたことは結構役に立った。
ホテルに到着し、すぐに仕事にかかった。空港でのビザ取得に時間がかかってしまい、アポの時間が迫る。なるべく夕食時にかからない様に仕事を終えないと食事を誘われてしまう。そうするとこの日のサウジアラビア対韓国の試合観戦が出来なくなるから….. 何とか仕事を終えて部屋に帰り、試合観戦の身支度を始める。そしてパソコンを….. と思うもここではワイヤレスは繋がらない。旅行会社の紹介では“室内にはワイヤレスのインターネットも接続できてビジネス向き”とうたわれていたのだが。フロントで訊いてみるとワイヤレスが繋がるのはロビーかビジネスセンターのある2階そして最上階から数階したのフロアーまでで直に全室完備になるとか…..もう俺は某エイビーロードは信用しない…….
キックオフの7時35分までまだ少し時間があったのでホテルに隣接しているショッピングモールに出掛けて昼食兼夕食を探す事にしたが、結局マクドナルドにした。店の店員や周りの数人が私の着ていた NAKAMURA の日本代表レプリカ(と言っても前にバンコックで買ったコピー商品。昨年のワールドカップでもずって着ていた。)を指さし、“オ~ナカムラァ~”とか“ジャパ~ン”と声を掛けて来る。前日の地元インドネシアの勝利の影響だろう。私も“インドネシア、ツゥー、バーレーン、ワン”と指を立てて答えると皆大喜びだ。
ホテルから Gelora Bung Karno 競技場までは途中で渋滞があったがタクシーで30分もしないうちに到着した。ここは試合の行われる陸上競技場のほかにも室内競技場が隣接する運動公園になっていた。ジャカルタの夜は涼しくはないが、シンガポールほど湿度も温度も高くなかった。競技場の門の前で当日券を求める。一番高い席で料金は200,000 IDR( インドネシアルピー )日本円で約2,860円。先程食べたビッグマックが IDR14,455 なのでビッグマックが約13個半分だ。それが地元の人々にはどれだけの貨幣価値なのだろう…. 出発前に AFC の Web Site から予約しようとしたがこの試合のネット予約はすでに終わっていた。そして販売通貨が IDR でなくマレーシアリンギット単位になっていた。インドネシアの通貨がそれだけ信用ないのか???
門の中に入るとサウジアラビアのサポーター、韓国のサポーターが多く集まっていた。そして地元インドネシアの子供達も。私が着ていたユニオフォームを見てみな“オ~ナカムラァ~、ジャパ~ン”と声を掛けて来る。中には“ナカァ~タァ~”と言う子供も。ここでも前日の勝利のせいかみな好意的だ。さらにサウジのサポーター達も声をかけて来る。中には“ジャパンとサウジアラビアで優勝を争いましょう。”と言う人も。残念ながら決勝戦では顔を合わせられなかったなぁ…..



そして韓国人は声を掛けてこない。競技場内への入口前で後ろに並んでいた小学生くらいの女の子二人連れがいたので英語と韓国語で“僕は日本人だけど、貴方達は韓国人?”と話しかけたらその後ろから彼女たちのお父さんが“日本人ですか?私達は韓国人です。”と日本語で答えられた。(別にナンパしようとした訳じゃないので)お父さんに。“日本語話せますか?韓国からですか?こちらにご在住ですか?”と質問の相手を変えると、商用でジャカルタに滞在しているとの事で、前は日本と仕事をしていたので日本語を覚えた事も教えて貰った。好ゲームを期待しますと言って握手をしてそれぞれの座席に向かった。階段の踊り場には多くの韓国人がいた。何人かが“テ~ハミングック”とか“ハングック”とか応援の練習を始めたので、私も“ニッポン!ニッポン!”と声を出したけど気がついたのは数人だけだった。



観客席に着くがそこは韓国人サポーターのまん真ん中。ここは NAKAMURA のユニフォームよりも Majour League All Star Game MVP の IHCIRO の方が充分に彼らを刺激できたか??それは良いとして陸上用のトラックそして濠まである上にスタンドの傾斜が緩やかで非常に見づらい。幸い?空席が目立つのでなんとか少しは見易い所を確保するのに一苦労した。やがて両チームの選手が入場するが、電光掲示板にはスタメンの選手が詳しく紹介されない上にピッチが遠いのでどんな選手が起用されているかを確認するのに苦労をした。

この試合の詳細は下記をご参照ください。

http://blog.goo.ne.jp/conty1ban/e/7ac5a8fb2aa798706c5d9629d189954c

韓国はGKに李雲在。ワントップには大会前のウズベキスタン戦2ゴールの曹宰榛。そして廉基勳、金正友、崔成国らが起用され金東珍、李浩のSt.Petersburg コンビも李天秀もベンチスタートだった。一方の情報量が少ないサウジアビア。2トップの左の20番 Yasser Al Qahataniは知っていたが右の9番の Marek Maaz は知らなかった。その9番が開始39秒であわやのヘッドを放つなど、“こりゃあ要注意だわ。”と思わせられる。(実際に準決勝の日本戦では2ゴールを喫した。) サウジのサポーター達も拡声器を持つリーダーの音頭に合わせて結構リズムよく声援を送る。またスタンドのあちこちに2005年8月1日に即位したアブドゥッラー国王の写真を掲げるサポーター達も。

前半を共に無得点で終えてハーフタイムの時に飲み物を求めて売店に向かうが、“ジュースのタンクが空になりました。”との答え。あらら、試合前に買っておけばよかったな。スタンドの中では韓国の女の子達がサウジの小さな男の子を追いかけわして記念写真を携帯で撮っている。日本代表のユニフォームを着た俺には声をかけない。すると大きなテレビカメラを持った男性がカメラを回しながら近付いて来るので“サウジアラビアから来たのですか?”と英語で話しかけると“私はカタールから着たけど、貴方は日本人?”と訊いてきた。どうもあの有名なアルジャジーラのカメラマンらしい。カタールと言えば日本が初戦で引き分けた相手。私は“OH~、 Sebastine Quintana !! “ と言うと彼も笑いながら握手を求めてきた。
後半が始まると今度はジュースを売る売り子を見つけたのでさっそく大声で呼んでコーラを買う。IDR5,000 ( 約70円)とありがたい。さすがにイスラムの国。アルコールは売りに来ない。(当り前か?)またサッカーの試合だと売る事はしないだろうし、売っていてもインドネシアはイスラム大国。そしてここはイスラムの戒律の厳しいサウジアラビアのサポーター席。誰もアルコールは買わないか? しばらくすると横にいた男性が英語で話しかけて来る。“貴方は日本人ですか?” 訊くと彼はインドネシア人で外資の会社で勤めており結構英語を理解する。サッカーはかなり見ており、80年代に日本の富士通などでプレーしたインドネシア人選手の事もよくしっていた。当然日本のサッカーも良くしっている。そしてこのアジア大会でも日本が優勝候補だ、韓国、サウジアラビアよりは上を言っている。イランは良いけど守備に問題がある。中国は優勝なんてできないと結構鋭く指摘する。また何故こんなにサウジアラビアのサポーターがいるのか?彼らはインドネシアに在住しているのか?と尋ねると、“半分近くはインドネシア人だ。イスラム教徒はサウジアビアを応援する。”と言っていた。同国2億2千万の人口のうちイスラム教徒は1億9千万人いるといわれており、1国のイスラム教徒信者の数は最大だ。前日のインドネシアの勝利、そしてベスト8の可能性を尋ねると、“まだ難しい。韓国かサウジに勝ったわけではないから。”と冷静だ。
試合は途中で停電の中断があったりして 1-1 の引き分けに終わった。ずっと話をしていた地元の男性とは握手をして別れ、出口に向かった。しかし階段が狭く大渋滞だ。この競技場は1962年のジャカルタでのアジア大会に向けて建設されたらしい。その後も陸上競技のアジア選手権なんかが開催されたのではないかな?何度か改修工事をしたのだろうが屋内も少し改修した方がいいだろう。遅々として進まない階段を降りる。こんなところで将棋倒しになると大参事になるのだろう、と思っていると競技場に入る時に話をした韓国人父娘と再会した。この韓国人男性にこの試合の印象を尋ねると今大会の韓国には悲観的になると言っていた。そして社交辞令もあるかもしれないが戦術に長けた日本のサッカーを称賛していた。しかし、こちらも韓国は昔からアジアでは勝負強さを持っているので良いところまで行くのでは、と言ったら、この日もそうだが韓国はこの18年間サウジアラビアに勝てない、日本はアジアカップでもサウジアラビアに勝っていると指摘。結構70年代からサッカーを見ているらしくほんの5分ほどだが70年代からのサッカー談議に話が咲く。”何故そんなに詳しいんですか?”と驚いた表情。
“韓国に来た事はありますか?私は日本の千葉県に数か月仕事で住んでいました。”
“前のワールドカップでソウル、蔚山、光州に行きました。光州では金大中(当時)首相を競技場でみましたよ”
“私は光州出身です。金大中氏は若いころからよく見ましたよ。”
“私が子供の時金大中氏が日本でKCIAに拉致されたのを今でも覚えています。”
そして二人の子供には小道具として持っていた韓国代表のキーホルダーをあげた。 “どうしてあなたがそんなものを?良いんですか?” “これオーストラリアで安く売っていたんですよ。私が持っているよりかは良いでしょう。” ってな具合で話がはずみ最後は堅い握手をして別れた。“良いご旅行を。”“そちらこそ、ジャカルタは暑そうなので身体に気をつけて。”
出口の門に向うと今度はサウジアラビアサポーターの人だかり。その中心にはなにやら大きなかぶり物をしたサウジサポーターがいた。こりゃいいと一緒に記念撮影。”これは重いから撮影料10ドル頂きます。”と言われた。もちろん冗談だけど。彼にも”Japan とサウジアラビアで優勝を争うでしょう。”と言われた。でもあのかぶり物は硬いもので出来ていたけど首が痛くならないのかなぁ...



帰りは公園の敷地内にオフィシャルのお土産物屋があったのでTシャツを買った。1着IDR99,000 ( 約1,400円)だったまだ着ていないので着心地はわからないけど。約10分ほど歩いて大通りに出るとタクシーが止まっていたのでそれに飛びのりホテルへ。こちらが何も言わないのにちゃんとメーター通りに走ってくれたので乗車賃は約IDR30,000 程度(約230円)だった。
ジャカルタはまだ仕事が少ないので街をよく知らない。それに言葉の問題もある上に、物乞いとまではいかないが昼間から路をうろうろしている大人や子供の男性が多いので外には出ない様にしている。もっと土地勘がつくくらいに頻繁に来れば(その前に仕事を作らねば)もっと動けるのだが…… 翌日は早朝のフライトでバンコックに移動だ。ホテルは午前4時にタクシーが迎えに来るので、部屋に帰ってシャワーを浴びたらもう12時前。急いでベッドにもぐりこんだ。明日寝坊しない事を祈りながら….. 続く。

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灼熱の好ゲーム 西高無念の惜敗

2007-08-19 | 京都西高校

8月17日。この日の関東地方も灼熱地獄の予感がした。早朝の天候は前日よりもまだましだったが通勤時間には既にアスファルトが溶けそうだった。数年前に、朝の通勤ラッシュを避けるルートを見つける事に成功し世界に冠たる日本サラリーマンの精神を作るあの通勤地獄とはしばらくご無沙汰の朝を過ごしているのはまだ幸福なほうか…. バスに乗り込み会社の最寄りのバス停まで約半時間。乗客も数えるほどで冷房がガンガンに効いた車内の座席に着き2週間ほど前に2年間使って買い替えた携帯電話を取り出す。そうです私には秘密兵器のワンセグ携帯があるのです。参考までに私の前の前の携帯はIモードがこの世に出た時の1号機の携帯でそれを6年近く愛用した。その白黒画面の携帯を私は2005年の夏まで愛用し、永遠に使い続けようと思ったのだが液晶画面が故障し買い替えの憂き目に。携帯ショップに持ち込んだ時のあのショートカットのかわいらしい窓口のおねぇさん、私の古典的な携帯を見て一瞬笑いをこらえやがったなぁ……

NHK にチャンネルを合わせ大会第10日目の第一試合を。放送が始まった8時35分には既に我が母校京都西高校の攻撃が終わっていた。う~ん、この試合も3者凡退スタートかぁ。我が西高の先発は右腕の辻君。甲子園では初登板初先発だが、京都府大会の決勝戦では先発白井君の後を継いで登板しエースの本田君に繋ぐ貴重な中継ぎを果たし、バットを持っては2打点のかつやくだった。2回戦では1塁手としてスタメンに入り延長12回表の先頭打者として入った第五打席ではレフトにヒットを飛ばし勝負を決める集中打の口火を切った。その辻君の注目の立ち上がり。ストレートは140km出るも先頭打者の永田君を歩かせてしまった。長崎日大は続く出口君がきっちり初球を送りバントを決め早くも得点圏に走者を送る。続く上戸君を140kmのストレートでセカンドゴロに打ち取り2死としたがランナーは3塁に進塁し続く4番で投手、文字通りエースで4番の浦口君に、1-2 からのスライダーをうまくセンターに弾き返され先制点を許した。浦口君は2回戦の星稜戦でも2安打。長崎県大会でも打率5割の強打者でもある。投手浦口君自身の先制打は以降のピッチングも調子づかせてしまうなぁ….と思う。.



長崎日大は続く曲渕君の初球、エンドランがかかっていたか1塁走者の浦口君が素晴らしいスタートを切った。幸運にも曲渕君はそのストレートをバットに当ててファールにしてくれた。空振りなら完全に盗塁成功であった。さすがに鍛えられた長崎日大。揺さぶって来るなぁ。マウンド上の辻君は何とか曲渕君をスライダーで打ち取り追加点を阻んだが、折角ストレートが走っていたので浦口君に対してはストレートで押せば良かったか?辻君は以降もピッチングは安定しない。2回は先頭打者の板谷君にストレートをセンター前に弾き返され、続く砂原君に初球バントを決められピンチを招く。3回も1死から出口君に137kmのストレートセンターに弾き返された。幸い2回はストレートで内野ゴロで打ち取り、3回は盗塁を田中君が刺してそれぞれ後続を断ったが、4回も先頭のエースで4番、浦口君にこの試合2本目のヒットを喫し、続く曲渕君に送りバントを決められる。しかしここも後続の板谷君をセカンドゴロ、続く左打者の砂原君には左投手の安達君を起用。安達君は見事に砂原君をスライダーで三振に打ち取り追加点を阻んだ。安達君は中学時代、同級生を交通事故で亡くしたらしい。天国の友人は彼の快投を看た事だろう。
一方の打線だが、好投手浦口君の前に5回1死まで13打者連続凡退。左腕から繰り出されるカーブが右打者の外角低めに決まり、スライダーのキレも良く右打者は切って取られる。むしろ左打者の方が打ち易そうだ。右打者には外角低めに決まるカーブが左打者には肩口から入って来るので打ちやすいのだろう。初ヒットは左打者の斉藤君だったが、後が続かなかった。
5回裏の長崎日大。1死から柴田君が140kmのストレートをレフトへ流し打ち出塁を許すと、西高ベンチは常総学院戦で先発、好投した左腕の白井君をマウンドに送る。しかし、次の永田君は右打者でこの日はまだ無安打1四球。この次の左打者で1安打1犠打の出口君で左投手の白井君にした方が…と思っていると、永田君はファーストゴロ。エンドランが掛かっていたので1塁ランナーは2塁に進塁し、続く出口君にスライダーをレフト前に運ばれた。レフトの斉藤君が打球を弾く間に2塁走者のホームインを許し追加点を入れられた。ここで白井君は動揺したか上戸君、浦口君に連打を浴び、曲渕君には初球をぶつけてしまいリードは3点に広げられる。常総戦は好投したのだが、イニングの途中、ランナーを背負っての登板はプレッシャーが違うのだろう。ここで西高はエース本田君の登場となる。本田君は相対する板谷君を最後は139kmのストレートで空振り三振に切って取った。本田君のガッツポーズが出た。このマウンドでの振る舞いに“高校生らしからぬ”と言う奴がいるがそれはスポーツを知らない輩だ。チームが劣勢の中、チームメイトを鼓舞するのは当然だ。そして 2-2 からの6球目、微妙なハーフスイングをボールに取られたことに対する意地もあっただろう。
6回表、京都西高は反撃に出る。先頭打者の小牧君が 1-2 からストレートを1塁線に転がしセーフティーバントで出塁すると1番に帰って都藤君が2-0 からストレートを叩いた打球は左中間を破り2塁打に。1塁走者の小牧君が長躯ホームに駆け込み1点を返す。 1-0 からの2球目をバント失敗した直後のストレートを叩いた都藤君の見事な一振りだった。



次打者内山君はバントで都藤君を3塁に送り、中川君はセカンドゴロに倒れるが続く辻君が初球のスライダーを鋭く振りぬき三塁線上にとんだ速い打球を柴田君は上手く処理できず内野安打とする間に都藤君が帰って再び1点差とする。辻君は前打者の中川君が打ち取られたスライダーを狙っていたのかもしれないが、2安打された浦口君にこれで雪辱出来た事だろう。
その裏、本田君は長崎日大の攻撃を試合初めての3者凡退に打ち取る。しかもフォークとカーブを交えて。エースの快投に奮起したか西高は7回同点に追い付く。先頭の古屋君が四球で歩き続く田中君が初球をバントで送る。続く“強打者”本田君はスライダーで三振に打ち取られるが、小牧君がしぶとく選んで歩く。そして前の打席で2塁打を放った1番の都藤君はストレートの四球で歩き2死ながら満塁とチャンスを広げた。浦口君はスライダーでストライクが取れなくなり苦しいピッチング。続く内山君の初球に投じたスライダーもワンバウンドになり捕手の上戸君が取れない。3塁ランナーの古屋君が突っ込んでくる。タイミングはアウトだがカバーに入りタッチをした浦口君はボールをこぼしてしまい、ついに京都西高が同点に追いついた。尚もランナーが2,3塁に残ったが内山君はセカンドゴロに倒れこの回の逆転はならなかった。しかし、浦口君は暴投の次もよく同じスライダーを投げたなぁ…..



本田君は7回も力の投球だ。先頭の永田君、続く出口君がバントで送った後の上戸君も歩かせ、1死1,2塁のピンチを招くが、続く浦口君と曲渕君を連続三振に打ち取った。打ち取った後のガッツポーズが印象的だったが、この回は永田君のボールになった初球のカーブ以外はすべてストレート。どこまで続くか少し心配にもなる。
一方序盤の快投と打って変わって変化球でストライクが取れなくなった浦口君。8回、西高打線はまたも彼を捉える。先頭のこの日3打席無安打の中川君が初球のストレートをピッチャー返しで出塁する。スピードも126kmと落ちて来ている。ここで迎えるは4番の辻君。前の打席では3塁線に痛烈なゴロの内野安打を放っている。しかし1-0からの2球目のスライダー、1塁走者の中川君がスタートを切る。しかし盗塁は失敗。折角の無死の走者をしかも4番打者を迎えて….と思ってしまう。しかも次のスライダーをライトに流し打ってくれたので…確かに無死1塁と1死無走者とでは投球内容も変わるのは解るんだけど…. しかし続く斉藤君が初球のスライダーをライトに撃ち返しこの日二本目の安打を放ち、続く古屋君はストレートの四球で歩き1死満塁のチャンス。マウンド上の浦口君。ストレートはスピードが落ち、スライダーでストライクが取れない状態なので、西高は一気に逆転のチャンスだ。浦口君、次の田中君には渾身の投球で三振に打ち取る。そして強打者本田君を迎える。初球スライダーが外れた次の外角高めのストレートを本田君は引っ張りゆるい打球が三遊間に転がる。遊撃手の永田君は少し処理を焦り内野安打に。そして辻君がホームに駆け抜けこの試合初めて西高がリードを奪う。



今年の西高は守備力のチームで打力は今一と言われていた。初戦の常総学院戦も9回まで1安打。この日も5回途中までヒットが出なかったが、共に終盤での集中打は見事だった。ただ7回、8回の点を取ってからランナーを残しながらもう一点取れなかったのが後で響いた……
リードを背負った8回裏の本田君。先頭打者の板谷君に 1-2 から135kmのストレートをレフト頭上に打ち返される2塁打を許す。板谷君にも全部ストレート。もう2巡目になっているので、変化球を織り交ぜ緩急をつける組立にすればと何度も思ったが… しかし、続く砂原君の初球、捕手の田中君が素晴らしい牽制球を2塁に送り板谷君を刺してしまう。常総学院戦でも(白井投手だったけど)2塁ランナーを刺してピンチを切り抜けた。よしこの回もいけるぞと思った矢先に砂原君をストレートの四球で歩かせ、続く瀬戸口君がバントで送りまたも2塁にランナーを背負う。そして迎えた柴田君に外角真ん中のストレートを流し打ちでレフトの頭上を破られ同点にされる。そして打った柴田君は3塁に。なかなかの流し打ちだったけど、本田君の直球のスピードががっくり落ちた様に見えた。そしてバッターボックスはさっき飛んできたゴロを内野安打にしてしまった永田君。初球、2球目のストレートが外角に外れた為だろう、3球目はストレートが中に入り、そこをレフトにライナーで打ち返され痛恨の逆点打を浴びた。やや気落ちしたか、永田君には次打者柴田君の初球に走られる。それでも何とか柴田君を抑え最少リードに抑えたまま最後の攻撃に望みを託すことに。しかし8回裏の逆転は非常に痛い。逆転した側は元気になって最終回の守備に就ける上に逆転された側はそれが最後の攻撃になりえなくなる。しかし点差は1点。この日の打線と今の浦口君の調子ならまだまだチャンスはと思った。
先頭打者の都藤君はスライダー3球で 2-1 と追い込まれた後の4球目のストレートをライトへ流し打ち出塁する。よし、同点のランナーが出た。ここで長崎日大ベンチが動く。次の打者は左の内山君でこの日は無安打。そして次も左打者の中川君だ。しかしここで何故左腕の浦口君を下げて小山君を投入したのだろう?内山君は初球をきっちりこの日2本目の送りバントを決め得点圏に都藤君を進める。そして続く中川君はストレートの四球で歩き、逆点のランナーが出た。そして迎えるはこの日2安打の辻君。一打同点。長打が出れば逆転のチャンスだった。ここで再び浦口君がマウンドに戻る。その初球、浦口君はスライダーを投じた。辻君は第一打席でスライダーを2球空振りしながら、第三、第四打席はすのスライダーを痛打している。だがこの打席のスライダーはやや高めに投じられた。バットが一振りされるが打球は三遊間に大きく跳ね、遊撃手の永田君が掴み二塁を封殺。そして一塁へ転送され………

今年の京都西高の戦いはこれで終わった。この初球がストレートだったら恐らくセカンドの頭上を抜けていただろう……. 今大会の京都西高校。最後はエースで主将の本田君が連打を喫した。変化球がもう少し投げられれば重いストレートは生きただろう。ゲームセットの瞬間、呆然と打球と送球を見る西高ベンチ前の本田君が映し出された。二年振りの夏の甲子園。彼は悔いは無いと試合後語っていた。プロ入りして二年前の決勝戦で投げ合った現在楽天の田中投手との対決を煽る一部マスコミもあったが、卒業後の進路はどうするのだろう?
大会前あまり期待できそうになかった打線ではあるが、好投手清原君(常総学院)そして浦口君を相手に序盤こそ抑えられるも勝負どころでは連打が生まれ効果的に得点を重ねた。そして長崎日大戦はきっちりとした送りバントが目立った。
そして守備は鉄壁だった。特に三遊間は素晴らしかった。遊撃手小牧君は二年生。三塁手中川君は何とまだ一年生だ。一年生と言えば五番の斉藤君。常総学院戦は先制の二塁打を放ち、長崎日大戦は二安打を放った。 新チームで来春の選抜を目指してほしい。
そしてベンチにもスタンドにもいた3年生は残った高校生活を有意義に、そして卒業後も頑張ってほしいな。卒業後の人生を更に良くすれば高校生活の殆ど全てがいい思い出になる。京都西高の野球部諸君。本当に御苦労様。私も大いに楽しませてもらった。
そしてユニフォームもよかったぞ。次は私が在校生時代の NISHI のロゴを使ってくれ。

この試合は会社に着いてからも就業時間にかかわらずずっとワンセグで観戦していた。いやぁ~ありがたや文明の利器ワンセグ携帯。しかし、試合後は目が大いに疲れて午後の勤労意欲が全く沸かなかった事を書き落としてはならない….. 後輩たちよ、俺みたいになるなよ。



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なにわの世界陸上…入場券余っとるんやてぇ….

2007-08-15 | 陸上競技
先週末家族で大阪に行った。
別に里帰りという訳では無く夏の家族旅行先が Universal Studios Japan に決められたからだ。決めたのは小学校6年生の息子。女房は北海道を希望していたのだが、元々今年の家族旅行は子供が中学に入学すると部活やら時間が取れないから計画されたもの。最後は息子の意見が尊重された。すったもんだの末に…. そして一家の主である私は口を挟むことも出来なかった…..
東京駅から乗り込んだ新幹線ひかり号が新大阪駅に到着するとそこは・・・・・雪国とは程遠い、熱帯そのものであった。

暑い。ほんまに暑いわ大阪は。小学校の時に社会の授業で、7月か8月の平均気温で沖縄を除いて一番暑いのは大阪や、てなろた事思い出したわ。嫁はんも、子供もこの暑さに閉口。ホテルに着いてしばらくしてバスでなんばにむこたけど、なんばに着いてバス降りたら夕方やっちゅうのにえらい暑さや、ほんまに。そこから歩いて10分足らず、戎橋のちょと手前のお好み焼き屋に入った。ここではお好み焼きは焼いて持って来てくれはるんで嫁はんも子供も楽でええ、その上旨い言うて満足やった。嫁はんは生中をジョッキで4杯も飲みよったわ。さすがにもんじゃ焼は焼いて持ってこられへんけど。そやけどなんで関東のもんじゃがここ関西で売ってんねん?俺は東京に出て来ても(19年も前やけど)そんなもんしばらく知らんかったぞ??
8時少し過ぎに店のねぇちゃんが、
“すんません。ラストオーダーが8時半になりますんで….” とすまなさそうに言いはるやないかいな? 

“えぇ?もうラストオーダーかいな?そんなはよ閉めるんかいな?” (こんな時 Native の大阪弁を話せるのは便利だ。)驚いて尋ねると、

“すみません、今日は暇なんで。それにここはバイトばかりなんです。”

そういえば1階席も暇やったなぁ。 でもお好み焼きも、生ビールも心行くまで頂いたし、満足して店を出て後は二人を道頓堀名所に連れて行くだけやった。  ええか、よう観とけよ、ここが道頓堀名物、 グリコのお兄さんや


かに道楽のかにや



そしてとどめは道頓堀のくいだおれや




あららどないしてん、その辛気臭い顔は?酒や酒や、酒持ってこい… あぁもう生中ようさん飲んだ後か?俺の2倍は飲んでいたなぁ。

なんやてぇぇぇぇ? かにとくいだおれの人形が小さすぎるて?  
当たり前田のクラッカーや、かにがもっと大きかったら落ちてまうがな、
人形があれ以上大きかったら店終わったらしまわれへんがな~。

“なんだかがっかり、もっと迫力あるのかと思っていた。グリコのお兄さんだけね。” こう言って嫁と子供はホテルに帰るべくバス停留所に向かったのでした。あぁ目出度くない….. グリコのお兄さんを見た息子がこう訊いてきた。
“あのユニフォームはいつも着ているの?” 
そうそうよう気が付いたなぁ。8月25日からここ大阪で開幕する世界陸上での日本選手の活躍を祈って大会が終わるまで日本代表のユニフォームを着ているんや、2002年のワールドカップの時はブルーのユニフォームだったぞ。
“そういえばカニもユニフォームを着ていたよ。” さすが倅じゃ。
“でもあっちのふぐは何も着ていなかった。” 
あぁしもたぁ、それはフグ料理で有名なづぼらやのふぐや。案内するん忘れてたわ。そやけどそれをみつけるのはさすが我が息子。お前にはなにわの血が半分流れ取る。
“でもパパはサンガのサポーターでしょ?親戚のおじさん達にいつも京都出身ですって言っていたじゃん。”
まぁ、物事には色々事情があるんや。東京ではなぁ、京都から言うた方が大阪から来た言うよりも受けるし、女の子からも興味を持たれるんや。昔ママと知り合った時もこの方法で。
“へぇ誰にでも京都出身って言っているの?”
そうそう、ママの時もその前も、その後も? あぁそんな事はどうでも、あほな突っ込みしなはんな。

ここしばらく8月25日から開催される陸上競技の世界選手権、所謂世界陸上の宣伝がテレビで繰り返されている。陸上競技出身者としては非常に興味のあるイベントだ。ワールドカップ程じゃないけど。その世界陸上のチケットの売り上げが非常に悪いらしい。まだ全体の4割程度しか売れていないらしく、大阪市職員を動員してチケット拡販にいそしんでいる事を大阪滞在中にニュースで視た。陸上競技と言えば五輪でも花形種目。第一回の世界選手権が開催された1983年ヘルシンキ大会では入賞者はゼロ。それに比べれば今年の大会は翌年の北京五輪をにらんで、上位入賞の期待できる日本選手も何人かいる。しかも地元開催。チケットの争奪戦がなされてもよさそうなのだが。その理由は簡単。市民マラソンが非常に盛んなのをみればそこに回答を見出せる。陸上競技こそDo ( やる )スポーツで、見て楽しむ要素がサッカーほど多くはないからだ。大学、社会人まで陸上を続けた私が言うのだから嘘じゃない。さらに最近の映像技術の発達からテレビで視た方が専門的によくわかる時が多い。もちろん間近で選手のパフォーマンスを視てもその迫力は伝わってくるけど。
そしてチケットの高さ。決勝の集中する午後セッションのS席が何と 14,000円 から16,000円也。確かにワールドカップのチケットも1次リーグではS席でも100ユーロ(今のレートで約16,300。当時のレートだと14,000程度か?)した。しかし陸上競技で延々90分間もする種目は無い、100mの決勝戦だとそれくらいの価値はあるかも。
それにどうも最近陸上の世界選手権の権威が五輪のそれと差が開いているのではないかと思わずにいられない。
第一回が開催された1983年は西側諸国のモスクワ五輪ボイコット問題もあり、久々にトップアスリートが揃った大会、また陸上競技がプロ化に進む入口の大会として世界選手権が開催されたと言う印象が強かった。その時代の寵児、カール・ルイスと言うスーパースターもいた。この年に陸上競技を始め、いつかこんな大会にと夢見たものだった。だがこの時は日本で陸上の世界選手権と言っても誰も知らなかった。
第二回の1987年大会はローマで開催された。自分も結構陸上競技の戦績が上がっていたときだったので自分の専門種目であった中長距離での黒人選手の上位独占が印象的。モロッコのサイド・アウイータ、ケニアのコンチェラーらの強さが今でも忘れられない。そしてこんな選手と走ったらぼろぼろに負けるやろなぁと、思った。まぁ一緒に走る事なんてなかったけど。そして注目の男子100m走のカール・ルイス対ベン・ジョンソン。ベン・ジョンソンが9秒83の驚異的な世界記録で優勝を果たし世界を驚かせた。ベン・ジョンソンは翌年のソウル五輪でも9秒79の記録で圧勝しまたも世界を驚愕させ、三日後の記者会見でベン・ジョンソンの尿サンプルから薬物使用が発覚し金メダルをはく奪すると言う発表がなされ3度世界を驚かせた。
東京で開催された第三回の世界選手権ではカール・ルイスが100mを9秒86の世界新記録で走り話題をさらった。そして日本勢は谷口浩美がマラソンで金メダルを勝ち取った。しかし、世界選手権はこれ以降2年ごとの開催となり、五輪との権威の差がまた開いたような気がしてならない。また選手達も賞金大会に出てその価値を高めようと五輪チャンピオンの称号を入手しようとする風潮が更に強くなった気がする。世界中の人々がFIFAワールドカップに熱中するのはその大会が4年毎と言う事も関係あると思う。また8月の残暑厳しい大阪で陸上の大会をというのも…. ならば気候の良い9月、10月にしてはと言う人もいるが、欧州では9月はもう陸上競技シーズン終盤。1991年東京大会を観戦にいったがその暑さには(そしてチケットの高さ 8,000円 だった。)には閉口した。
今年の世界陸上。スタンドで観戦したいのはやまやまだけど、自分は涼しい部屋で大型の液晶テレビでトップアスリートのパフォーマンスを堪能しよう。出来れば SUB Channel で実況抜き、現場の声援のみの放送でテレビ観戦と行きたいが…. でも実業団時代のコーチにも連絡しよう。只券余っていませんか?って。ただなら行こうか?でも宿泊代と交通費はどうしようかなぁぁぁ??

帰りの新大阪駅。大阪土産を子供と家内はうれしそうにいっぱい買いこんでいた。ずいぶん大阪限定のキャラクターグッズ、例えばキティちゃん、が増えたなぁ。でも私が上京する時にこんなのがあればもっと東京の女の子を口説けただろうに….. 息子が買ったキティちゃんのボールペン、誰にあげるのかは訊かない事にしよう…..

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京都西 接戦制して3回戦へ。

2007-08-13 | 京都西高校
12回表、再び同点にされた京都西の攻撃は4番ながらここまで無安打の辻君。しかし1-2 後の4球目清原君のストレートをレフトに弾き返し出塁を。先頭打者が出たのは9回に続いて2度目だ。続く坂部君は初球に送りバントを試みるが小飛球でアウト。ここは手堅く送ってほしかったが。5番古屋君は1-1 からストレートを強振。サード正面のゴロであったが、ゲッツーをやや焦ったか常総3塁手宇津木君の送球はそれて2塁手鈴木朝君がグラブに当てて止めるのが精一杯。さらにそのこぼれ球が走者の辻君にあたり、外野に転がる間に打者走者と辻君はそれぞれ進塁し1死2,3塁とチャンスを広げて貰った。マウンド上の清原君の投球数はもう150球を越えていたか?次の7番田中君は 0-1 から内角の136km のストレートを3塁線に強烈に弾き返す。3塁手宇津木君は前に落したボールを拾ってそのまま走り込んで来た2塁走者の古屋君にタッチに行くが古屋君は上手く回り込んでセーフ。宇津木君はよく止めたのだが、常総捕手の飯田君は1塁を指していた。京都西が三度勝ち越すと共に尚も1,3塁に走者を残し追加点のチャンスが広がる。迎える打者は8回からマウンドに上がったエースの本田君。前の打席でもレフトにクリーンヒットを放っている。2-2 からのストレートをセンターに打ち上げ、タッチアップから3塁ランナーの古屋君が生還して5点目が入った。しかし1塁走者の田中君は1,2塁間に挟まれてアウト。スリーアウトに。三度勝ち越したが、このアウトは勿体なかった。この試合、京都西は得点後の拙攻がめだつなぁ…. それに最後の打者が投手の本田君だっただけにもう少し休ませてあげたかったなぁ….



12回裏、常総は打順良く1番の鈴木朝也君。スローカーブの初球の後の2球目を強振。3塁を急襲するが、3塁手の辻君が上手くさばいてワンアウト。この先頭打者を打ち取ったのが大きかった。続く宇津木君にはストライクがはいらず 0-3 4球目はストライクが入ったが明らかに置きにいったストレート。続く133km のストレートも低く外れ歩かす。どうもストレート以外にストライクが入らない。続く諸岡君はストレートで 2-0 と追い込みカーブで1球外した後の4球目を外角高めの135km の渾身のストレートで空振り三振に切って取り、最後は4番の島根君を初球 139km の真ん中ストレートが低く外れた次の2球目を外角ストレートでセカンドゴロに打ち取り延長戦の死闘にピリオドを討った。

我が母校、京都西高校の初戦の対戦相手が常総学院に決まった時、“こりゃぁ大変な相手やなぁ…..” と正直思った。1987年度には初出場で後にジャイアンツに入団した仁志を擁して(俺の好きな選手だったのに横浜に行ってしまった….)いきなり準優勝。1984年度に全国優勝を果たした取手二高の木内監督が就任した事から非常に注目をしていた。そして2003年には決勝戦でダルビッシュを擁する東北高校を破って全国優勝。木内監督の勇退を飾った。そして今年、大会前の木内氏の激励の言葉….

“甲子園で6回勝てば優勝できる。しかし6回勝つのは難しい。だが3回勝つのは容易だ。その3回を2回すればと考えれば良い。“ 

う~ん。なかなか、良い激励だ….  ほな初戦の京都西に勝つのは容易なことなのかぇぇぇ??

楽しみにしていた大会六日目の第一試合。NHKのテレビ中継が始まったのは8時35分。しかし、試合は既に1回裏の常総の攻撃。あらら西高の攻撃から映さんかぃ…. 京都西の先発は白井君。京都大会決勝戦と同じだ。そしてスタメンも。初回の常総を3者凡退に。良いゾ良いゾ。 一方の常総先発の清原君も素晴らしい立ち上がり。特にストレートが早い141kmをマークした球も。そして追いこんでから外角のスライダー等の変化球がよく切れている。共に3回までパーフェクトピッチング。4回表京都西は1死から内山君が死球で出塁する。両軍通じて初めての走者だ。続く中川君の初球、カーブが右足にあたる。よし連続死球と思いきや、塁審はよけられたはずだとボールの判定。おいおい、カーブの切れが良すぎてよけられへんかったんとちゃうん?? しかし3球目のストレートをライトに弾き返し、これまた両軍通じての初安打。ここで常総右翼手の佐藤君がすこしお手玉、エンドランがかかっていたか、1塁走者の内山君は悠々サードへ。しかし、右翼手のファンブルを見て果敢に2塁を狙った打者走者の中川君は今度は佐藤君の好返球に刺される。尚もランナーが3塁に残ったが後続の辻君がアウトハイの137kmのストレートを空振り三振。先制点のチャンスを生かせなかった。
その裏の常総は先頭打者の鈴木朝也君が四球で出塁する。 2-0 と追い込まれながら際どい変化球、特に 2-2 からの外角スライダーを見送り、常総初のランナーとなった。続く佐藤君が初球をきっちり送りバントを成功させ、ランナーを2塁に送る。ここでバントを決められる事が総合力の高さだ。次は3番鈴木崇徳君。県大会では .353 の高打率。2塁塁上の鈴木朝也君のお兄さんだとか。ご両親は幸せだろうなぁ… しかしマウンド上の白井君は初球を鮮やかな牽制球で2塁走者の鈴木朝也君を刺し、ピンチを切り抜けた。白井君は5回までアウト15のうち11を内野ゴロで打ち取る好投。そして守備も三塁手中川君、遊撃手小牧君の三遊間の動きが非常に良い。だがその好投故にエース本田君への継投時期が難しいかも?常総の清原君は更に出来が良い。特に外角一杯に決まる伸びのあるストレートとスライダー等の変化球との組み合わせで狙い球を絞らせない。こりゃぁ先制点はやれないなぁ…..



7回裏常総学院は大チャンスを迎える。先頭打者の佐藤君が内野安打で出塁する。投手の白井君のグラブを弾いた打球を内山君が回りこんで上手く処理したのだが、ヘッドスライディングを見せた佐藤君の執念が実ったと言えばそうかもしれないが、このタイミング少し微妙だったなぁ。続く鈴木崇徳君はストレートの四球で歩き白井君の玉数も70球を越え、ここで京都西ベンチはエースの本田君を送る。拍手に送られる本田君そして出迎えられる白井君。だが本田君は最初に相対した島根君の初球をぶつけてしまい、たちまち無死満塁に。そして5番の土肥君。 2-1 からの真ん中高めのストレートを弾き返されたが前進守備の遊撃手小牧君がジャンプ一番好捕。しかし、3塁走者の佐藤君も戻りも早くそれ以上のアウトは取れなかった。だが続く中村君は 1-2 からストレートでショートゴロゲッツゥーに打ち取りこの大ピンチを凌いだ。本田君は登板してからこのイニングは全てストレート。それよりもショートの小牧君に救われたイニングでもあった。

9回裏再び京都西はピンチを迎える。本田君は先頭打者の佐藤君を三振に打ち取ったが、続く鈴木崇徳君には初球を側頭部にぶつけてしまい、球場内は騒然となる。鈴木崇徳君はそのまま担架でベンチ裏に運ばれそのまま病院に検査に…. 大丈夫かな?? このイニングから雨が降ってきて投げる本田君を始め守備に着く西高ナインはやりにくくはなかったか?本田君は続く島根君の初球をワイルドピッチでランナーを二塁に進められ、島根君はそのまま敬遠で歩かし塁を詰める。続く森田君を2-2 から139kmのストレートで1塁ゴロに打ち取るが走者をそれぞれ進塁し2死2,3塁。続く中村君を歩かせ満塁策を取り、清原君との勝負に賭けた。初球を139km のストレートで空振りさせると後は全て140kmを超える渾身のストレートを外角高めに投げ込み三振に切って取りピンチを切り抜けた。本田君はイニングの途中で肩のしびれを訴え、にわか雨の中で迎えたピンチをストレート1本で凌いだ。

0-0 のまま延長戦に入った10回表、今度は西高がチャンスを迎える。1死から3番中川君が四球を選ぶが外角にストレートは来なかった。続く辻君が初球をバントで送り、5番の斉藤君に託す。試合前、常総の清原投手が“打たせて調子に乗せたくない1年生。”と言っていた斉藤君だった。1-3からの5球目のインコースのストレートを強振するが、惜しくもライト線の外、次の球もファールをした後の7球目、インコース高めのストレートをライト線に弾き返し、中川君を迎え入れついに先制点は京都西に入った。打ち返した1年生の斉藤君も見事であったが、彼に対しては1-3 から同じコースのストレートを3球続けた。ここは外に一つ外しても良くはなかったか?斉藤君のこのタイムリーヒットはこの試合西高2本目の安打であった。

10回裏の常総学院に対して本田君は先頭打者の飯田君をセカンドゴロに打ち取る。続く藤原君にはインハイのストレートをレフトに撃ち返され2塁打を喫するが1番に戻って迎えた鈴木朝也君を捕邪飛に打ち取りあと一人と迫る。ここで常総ベンチは県大会 .357の佐藤君に替えて宮本君を代打に送った。この起用には少し驚いた。常総監督の3年生への温情かとも思った。しかし、宮本君は0-1 からのストレートをセンター後方に撃ち返し同点のランナー藤原君を迎える。2塁塁上でガッツポーズの宮本君。決して温情の代打ではなかった。あと一人から一転今度はサヨナラのピンチ。しかしここは本田君が後続の代打、諸岡君をストレートでセカンドゴロに打ち取りサヨナラは免れた。しかし、撃たれたのはいずれも本田君のインハイのストレート。次のイニングも楽ではなさそうだなぁ….

11回表の京都西は先頭の田中君が三振のあと、本田君が 2-2 からスライダーをたたいてレフト前にヒット。清原君はそれまでは全てストレート、前の打席の本田君に対してはずっとスライダーで押してきた。そのスライダーを本田君は待っていたのかも。続く小牧君はバントで送る。序盤のチャンスでこれができていればなぁ 。そして1番の都藤君が四球で歩く。清原君のスライダーが決まらなくなって来た。だから次の内山君にはカーブで入ったのかもしれない。初球をファールした後の2球目、低めに落ちるカーブを救いあげる様にバットを振り上げ打ち上げられた打球はライト諸岡君の頭上を襲い、一旦は落下点に入った様に見えたが更に打球は伸び諸岡君は頭上を越えられてしまった。2者が還り、西高は再びリードを奪った。尚もランナーは3塁に内山君が残ったがここは清原君が踏ん張り後続の中川君を絶った。



11回裏、常総は先頭の4番島根君が2球目の高めのストレートを打ち返すとセンター坂部君の頭上を。一旦はこちらを向いて落下点に入ったかに見えた坂部君であったが、打球は更に勢いが有り坂部君の頭上を越え、2塁打に。どうも外野に飛ぶフライは伸びるのか?それともこの試合両先発投手の好投で守備機会が少なかった影響か?しかし点差は2点差。本田君は10回裏よりは余裕があったはずだ。続く森田君を135km のアウトローのストレートで三振に打ち取る。そして続く中村君には真ん中高めのストレートをレフト前に運ばれる。あたりは弱く本塁で刺すのは難しい、ここは打者走者を2塁には…. と思うがレフトの都藤君がホームに返球してしまい打者走者を2塁に生かしてしまった。続く打者は清原君。11回表はマウンド上の本田君のヒットを足掛かりに2点を献上した。今度は自らのバットでと思っていたかもしれない。本田君はストレートでたちまち 2-0 と追い込む。しかし6球目の141km のストレートを投手返しでとらえると、打球は本田君を破る。その打球を一旦は攻守を誇っていた小牧君がグラブに入れるが、またこぼしてしまいランナーが1,3塁に残る。これを小牧君が取っていればファインプレーだったのだけど。そして続く飯田君のスクイズで再び常総が同点に追い付く。 0-2 からの3球目をバントの構えで見送り、その次の球を無警戒の中しっかりとバントを決めるあたりは流石常総であった。そしてまたも同点に追いつかれた後のサヨナラのピンチ、本田君は藤原君を最後は 140kmのストレートで空振り三振に打ち取り、延長戦はさらに続く事になったのであった。

好ゲームを粘り勝った京都西高校。先発の白井君の好投は3回戦以降明るい材料だ。2番手のエース本田君は本当に粘投だった。しかし、ストレートでしかストライクが取れなかった。変化球を織り交ぜてストレートを生かすピッチングをしないと次も楽じゃないかも。打線は得点後のチャンスを生かす事が出来ずに苦戦を招いた。しかし、守備は素晴らしかった。京都府大会を粘り強く勝ち抜いて来たのが良く判る。そして強豪常総学院に競り勝ったのは大きい。これは3回戦以降の精神的な糧になるはずだ。 それにしてもテレビで観戦しているだけでも暑いのに…選手達はさぞ暑い中大変だろう。御苦労さん。でもまだ次の試合、長崎日大戦が待っている。8月17日だったかな…. どうやって会社サボってどこで観戦したろうかな…..

がんばれ京都西高校。 もう一度校歌を聴かせてくれぃ!!  

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モスクワの休日

2007-08-04 | EURO Football

今週のはじめから1週間の予定でモスクワに商用で訪れております。

日本の高温多湿から離れて快適な天候。しかし毎日雨が降りこの時期にしては珍しいとは地元在住の人の話。ここ数年間ロシアは好景気に沸いている。しかし好景気なのはモスクワだけで、本当に羽振りが良いのは一部の階級のみ。その原因はガス、原油の価格を吊り上げて潤沢な外貨が湯水の様に入って来るからとはみな異口同音に言う事。昔務めていた会社が旧ソ連邦、東欧に駐在事務所を持つ専門商社だったので自分も1993年から2年間に渡って2~3度訪れた事があったけど、幸か不幸かロシア語を話せない私のロシア訪問はそれで打ち止めに終わった。それでも当時は連邦崩壊の混乱時期。1990年頃は冬季に入ると餓死者が何人出るかわからないから援助をと西側に声高に求めていた。当時のソ連邦の人口が2億8千万人、EC諸国が2億2千万人だった。西欧諸国も“ロシア難民が流れてこられりゃたまらん。”とばかりに食料援助を決めた。 その援助が輸送トラック、貨物列車ごと無くなり、援助物資は闇市場に流れた。前の会社のモスクワ事務所に援助物資を売りにきたマフィア崩れもいた。
当時のロシアは“輸出できるのは文化とスポーツ選手のみ”と言われた。 ボリショイバレーのワールドツァーは年中企画され、反対にモスクワ講演が激減しサッカー選手の多くが西側に渡った。そして外国人であればこの私にさえも色目を使ってきたロシア美人は多かった。その時私はもう結婚していたけど….

そして今、好景気は“天から降って来た1000年に一度の幸運。”と在留する海外のビジネスマンは分析する。街には日本レストランがあふれている。客はほとんどロシア人。若いビジネスマン風の紳士がシャラポワ以上の美人を連れて寿司を楽しむ。客単価は150米ドルを下回らない。もうロシア美人は日本人にアジア人に色目を使う必要は全くない。金持ちのロシア人男性から引く手あまただ。
隣席にいたドイツ人と目が合い思わず会話を。彼も昔からモスクワに来ているがここ2~3年の変わりようは想像もつかなかったとの事。お互いにドイツ語、英語を交えてサッカー談議になった。するとロシア美人を連れた男性が声をかけて来る。彼もサッカーが大好きらしい。しばしサッカー談議に。日本もワールドカップに出場したり、中村俊輔がチャンピオンズリーグで活躍してくれるのでヨーロッパでも堂々とサッカーの話が出来る。ソ連邦崩壊前にはイタリア人に“日本人もサッカーをするのか?”と真剣に訊かれた……..

ロシア美人がつまらなさそうにしている。彼がそれに気がついた。きっと彼女の前で外国語を話せるのを見せたかったのかな?“私と来ているのに外国人と何の話…..” とでも言っているのか? 彼女はまだ機嫌が直らない。懸命に機嫌をとろうとする彼氏。食事後にはどこかブランドショップに寄るのか?この会話は高くついたか?

こちらで4チーム対抗の Exhibition Match があった。 AC Milan, PSV Eindhoven, Real Madrid そして Locomotive Moscow。 そうそうたるクラブが揃った。テレビで AC Milan vs PSV Eindhoven を視た。シーズン前なのであまり激しいあたりは共に遠慮気味だ。それに雨が降っている。それでもダイレクトパス回しの速さは見ごたえがあった。カカーはやはり早い。でもそんあカカーも PSV DF陣は上手く対応する。モスクワのどこかの金持ちがスポンサーになって招待したのだろう。招待された側も時差と移動距離のあるアジアツァーよりかはモスクワに招かれた方が魅力的だろう。今は何でもあるし、不自由しないし。
今のロシア代表選手はみなロシアリーグのクラブに所属する。そればかりか西側の選手もロシアリーグに。理由は簡単。サラリーが良いのだ。
すでにシーズンは始まっておりトップを行くのはスパルタクモスクワ。2位は韓国選手二人、李浩、金東進のいる Zenit St.Petersburg。そのうち日本人選手も??
代表監督のヒディンク氏の評判は悪くない様だ。今度はヒディンク氏に2002年ワールドカップのリベンジを果してもらおうとしているのか?

投宿しているホテルはコスモスホテルといって最近改装された。目の前にはロケットが飛び立つところがデザインされた博物館が。ここはソ連邦時代、“ソ連市民が成し遂げた事を紹介する博物館”と言う名前の建物だったとか。ウォストーク1号の乗組員であったガガーリン大佐や女性宇宙飛行士“私はカモメ”で有名なテレシコワ飛行士の宇宙服等が展示されているらしい。だがらこのホテルの名前も COSMOS か?



国威掲揚の博物館も外国人が泊まるホテルの前に建設したのだろう。正面玄関にはシャルル・ドゴールの大きな銅像が建っている。ソ連邦時代にフランス資本で建設されたらしい。戦後フランスは連合国の中でも独自の路線を歩み、右翼路線を排除し社会主義路線を。それはナチスの侵略の影響か?



街にはマリア=シャラポワのポスター、写真は皆無だ。前回1年半前には“モトローラ―”の宣伝ポスターに映っているのが数枚見られたが….. “こちらではアメリカをベースに活動しているシャラポワはそんなに人気がないんです。日本人はどうしてシャラポワ、シャラポワって言うんでしょうって地元の人が言っていました。” お世話になっているモスクワの駐在員の方に教えて貰った。そういえばそうだなぁ…. それに街中にシャラポワが歩いているしなぁ….. “こっちの若い娘はみんな思っていますよ。テニスは強いけど、顔は私の方が勝っているって….. “ なるほどなぁぁぁ…….   TATOOに至っては単なる不良少女??にしか見えないか?? 勿論地元の高校生は“私の方が勝っている”と思っているのかな?????  今回の仕事は余裕があった、最終日は予定がなくゆっくりできた。

そして EURO SPORTS Channel で UEFA Champions League の抽選の中継をみた。地元の人気クラブ Spartak Moscow が俊輔のいる Celtic とあたる。
おいおい.... あと11日、滞在延長はできないなぁ......  Celtic はタフな相手と当たってしまった。俊輔の回復具合はどうだろう? 

仕事もまずまず。明日は高温多湿の日本だ。  そしてもうすぐ高校野球が開幕。

がんばれ京都西高校 !!!!


Respect.... What does it mean ....

2007-08-04 | Asian Cup
我々は何も Respect を示されなかった。見せられたのは Big Joke に過ぎない。

Vince Grella はアジアカップでオーストラリアと対戦した相手が Socceroos に対してなんら Respect やfootball の精神を持たなかった “恥辱” 異様なふるまいを攻撃する。まだ8日前のPK負けに終わった日本戦の高くついた物議を醸し出すレッドカードに怒り心頭のミッドフィルダーは Socceroos の対戦相手に親近感を与えた大会の審判達を酷評する。ナオヒロ・タカハラに肘を入れその悲鳴を上げたブルー侍を地面にのたうちまわらせて Grella が76分に少しはやいシャワー室への道を歩き始めて以来初めて彼はゲームマンシップを問うた、FIFA の Fair Play の旗のもとオーストラリアの対戦相手はシュミレーションや言い訳を披露し続けた。
“我々は対戦相手を respect し続けてい来たが彼らは無反応であった。” Grella はイタリアからこう言う。
“彼らは我々に悪いふるまいを続けた私はオマーン、イラク、タイそして日本の名前を書き小指に誓った、次回対戦する時に”
“オーストラリアに対して彼らがどう思ったかしれないがそれはジョークだ”
“イラクがゴールを挙げる度にカンガルーの様に飛び回った、それはまるででたらめだ。” “オマーンがゴールした時に我々の green-and-gold army サポーターの前で喜び勇んだ、それもまるで最低だ。日本は試合前に我々をレスラーの集団と呼んだ。” “彼らは我々をあおっていた。名誉ある国として彼らは自分たちのチームのふるまいを恥じるべきだ。それは受け入れられるものでなく恥ずべきものだ。ワールドカップでやっつけた様にまたやられると何が思わせたのか?”
“彼らは我々をはっきりと錯乱状態に陥れた- 私は試合開始前から彼らを殺したかった。彼らのふるまいは football の精神から逸脱するものであった。私は世界で最高のリーグでプレーし、対戦相手の半分以上の選手は名前もしらなかったが彼らを無名の集団とは言わないだろう。”
日本戦で一人少なくなりプレッシャーを受けたオーストラリアが大会を後にした事にいくつかの非難を浴びたGrella はタカハラの不正な行いと主審の無様な行いにさらされたと信じている。
“私は殆どタカハラに触れていない。彼はあたかも足が折れたかのようにのたうちまわった。” Grella はこう言う。“それは滑稽だ。それは1000回もやったことだ、そして驚いた事に直ぐにレッドカードが示された。”
“もちろん責任は感じている。なぜなら反則を犯したに過ぎないからだ。しかし同時にタカハラも審判を欺いたと感じた。”
Grella は矛盾したダイビングを含むゲームマンシップに目を向けない主審に憎悪を盛った。
“我々は全員腕に fair play のバッジを付けているがピッチ上ではその多くがなされていなかった。我々は矛盾に満ちた判定にストレスを感じた。”
“選手達は外に出される事もある。タイ戦でのスポーツマン精神に欠けた。タイの選手が痛んでいるので我々が攻撃に良いポジションであってもボールを外に出して選手を運び出させるのに試合を止めた。しかし主審は選手を外に出さず試合を続けさせた。我々はこう言った事実を忘れてはならない。そして彼らが将来オーストラリアに遠征した時に打ち負かさねばならない。しかし我々は nice 過ぎた。それが我々の精神だ。“
“審判達はダイビングや地面を転がりまわる事をもっと取り締まらねばならない。これは男たちの戦いだが常に男達だけの戦いでも無い。死んだふりをする輩がいればすぐに飛び起きて戻ってくるのもいる。これは我々のやり方では無い。もし叩かれてもすぐに戻ってきてプレーをする。”
“アジア達は我々を横柄だと見ている。しかし我々の協会は謙虚でただスポーツのルールに従おうとしているだけだ。”
Grella はオーストラリアフットボール協会にいくつか忠告がある“我々の協会は他に示している様に Respect を得る様にすべきだ。なぜなら AFC は我々を見下しているそしてそれは充分では無い。”

7月29日付オーストラリアの新聞から

Respect の意味はなんだろう?辞書でひくと動詞で“尊敬する”“敬う”と言う意味がある。名詞でも“尊敬。敬意”という言葉がある。 語源はラテン語の re : 振り返って spect : 見る 、振り返ってみる、人としての価値を認める事 とある。では我々の代表が Respect は無かったのだろうか?  Grella は昨年のワールトカップの日本戦の後でも同様に発言をしている。 マークをした中村俊輔がすぐにころころ転がってファールをもらおうとする。日本人は体格に劣るからオーストラリアの選手が寄って来るとすぐに転んでファールをもらおうと主審を見る。これは Respect に欠けるプレーだ。中村俊輔はワールドカップでは Grella , Lukas Neil に厳しいマークを受けた。そして足を親指の爪が剥がれるほどガンガン踏まれた。しかし中村俊輔は相手が Respect に欠けるとはいわなかった。
では Grella は本当に高原に触れなかったのだろうか?? 一度日本製の数十インチの液晶ワイドスクリーンでそのシーンを見れば良い。この表現も昨年ワールドカップで物議を醸しだした中村俊輔の先制ゴールを認めた主審に対してオーストラリアの新聞が使った表現だ。イラク戦を観戦したが彼らが決めた3ゴールの後に選手は喜びを爆発させたがそれは見ていて不快になるものではなかった。最も不快に感じるのは失点を許したオーストラリアDF陣なのは事実だが。
それにイラク戦では高温多湿にイラついた選手の何人かは、特に Kewell はイラクのタフな守備に最後の方はファールを貰いに行く様なプレーを。日本戦も中村俊輔のタックルに触れられもしないのにダイビングを試みイエローカードを貰っていた。また Grella 自身、今シーズンは TORINO でのプレーが決まったが、自ら世界一のリーグでプレーをすると言うおごりがあるのではないか?カカーやインザーギ、ガットゥ-ゾが言うならわかるけど。
日本がオーストラリアに遠征に行ってもいいけどその時はイタリアから帰って来てくれるかい??
帰ってこれるならばその時はピッチにはコンスタントに立っていないだろう。

ならば帰ってこれた方が面白いけど.

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準々決勝後のオーストラリアでの報道から

2007-08-03 | Asian Cup
ディフェンディングチャンピオンの日本は昨夜のグラハム・アーノルドのチームが彼らのサポーターが待ち続けていたパフォーマンスを披露した準々決勝のスリリングな(120分間の)試合の後に10人になった勇敢なオーストラリアをPK戦にで破った。これは決勝進出を占う試合で世紀の対決にふさわしいものと証明された。日本は準決勝戦をウズベキスタン対サウジアラビアの勝者と対決する事になり、オーストラリアは再編成を余儀なくされ傷をなめねばならなくなった。
Harry Kewell と Lucas Neill の二人のビッグネームはタカハラナオヒロがPKをふかしてしまい僅かに Socceroosに期待を抱かせる前に最初の2回のPKを外した。しかし昨年ワールドカップのオーストラリア戦の敗戦後気を取り乱した大型センターバックのナカザワユウジは試合を決定づけるショットを決めた。 20か月前のウルグアイとのプレーオフの様にPK戦で英雄になり損ねた Mark Schwarzer は延長戦のナカムラシュンスケのシュートを驚異的な反応で防ぐなどオーストラリアを活気付続けた。
オーストラリアは69分にリードを奪い準決勝へのコースの停泊位置を見た。昨年カイザースラウテルンで日本のハートを砕いた John Aloisi は Harry Kewell からのコーナーキックをゴールマウスの混戦からMark Bresciano がスルーさせたボールに反応し、ファーポストに現れボレーを叩いた時再び日本を恐怖に落とし入れた。
しかし Socceroos の歓喜は長くは続かなかった。2分後に若い Sydney FC の Mark Milligan による守備のエラーがタカハラに同点ゴールを献上した。 Milligan がクリアーを誤り長身の日本人ストライカーがドリブルで Milligan を抜き去り放ったショットはポストをかすめてゴールに吸い込まれた。それまで自信を与えていた21歳の Milligan にとって悲嘆の瞬間であった。オーストラリアは76分クウェート人の Saad Al Fadhli 主審が闘志満々の MF Vince Grella を、中盤で空中戦での競り合いで高原の顔に不当に肘を入れた時に退場処分にした時にそれから越えねばならない山を迎える。両者は正に激突した。しかし攻撃陣はすぐに再編成せねばならぬほど深刻には見えなかった。オーストラリアは頑強な意思を持って守備に徹した。そして組織的に今大会それまで看られなかったスタイルでプレーをした。前大会王者には敗れたが彼らは再び築いたプライドを持ってヴェトナムを離れるだろう。そして4年後の次の大会でタイトルを手にする為に必要とされるものをよりよく理解した。 Socceroos は充分な根拠を示され近大会の彼らのプレーについて批判の洪水を受けた。しかしタイ戦の勝利後、Graham Arnold 監督はチームは良くなっていることを主張、選手達の日本戦のパフォーマンスは他の誰よりもすばらしいものと分かった。開始直後 David Carney はAloisi, Mark Viduka に良く絡み日本の左サイドを(オーストラリア側から見て)を支配し、警戒を引き出した。オーストラリアはより組織的に見え、そして彼らのタッチや動きは高い技術を持ちそれを強固にコントロールする相手には効果的であった。 11分に最初に枠にシュートを飛ばしたのは Viduka だったがエンドーを振り切り放ったショットは難なくカワグチに抑えられた。30分を過ぎると日本はペースを上げ、試合を支配し始める。タカハラが Neil を振り切りペナルティーエリア内でボールを支配するがもう一人フリーでいたナカムラに気が付かなかった。 Grella の退場後、オーストラリアはスローダウンし、選手をボールの後方に集め Kewell をワントップに残しチャンスを伺った。 Arnol監督はTim Cahill をMark Bresciano に替えて、Nicky Carle を試合の終盤に Aloisi に替えて投入した。日本は人数の多い分オーストラリアの後方を狙おうと喘いだが結局はPK戦にもつれ込んだ。

以上は Sydney Morning Herald 紙の一部だ。敗戦を真摯に受け止めている様子だ。また下記の様な記事もあった。

顔を上げろ、若者よ – オーストラリアを誇れ 敗れたが屈し無かった。ある重要な識別。暑くて汗のしたたるハノイで叙事的な事件となったアジアカップ準々決勝で前回王者にPK戦で敗れたあとに対する反対告訴が始まった時にこう言われた。日本に敗れる事、それ自身は、失敗ではない。日本は恐らくアジアではベストチームだ、そして世界でも最も拮抗した試合だった。皆が知っているPK戦は技術を問うものでなくじ引きの様なもの。しかし準々決勝は失敗として残りそれを Graham Arnold 監督よりもよく知る者はいない。前半の戦いは大いに Soceeroos 達に期待でき層であった。そしてそれ以前の試合に比較して大いに改善された。 Mark Brescaino とJason Culina のどちらかが献身的に Grella をかわるがわるサポートする3-5-2 システムが効果的であった。中盤を遮断し Viduka と Aloisi はボールがない時にスペースを埋めオーストラリアはバンコックで出来なかった何かをやり遂げた。この大会初めて Socceroos は一定水準のチームに見えた。開口から Arnold は満足な理由を並べた。

この日本戦が大会で最高のパフォーマンスとされている。1次リーグが期待はずれだったからなぁ…. また各選手達の評価を下記の通りに記している。 Brian Brownstein 氏の書いたオーストラリアの選手達の寸評は下記の通りだった。

オーストラリアはアジアカップを後にした。それは正当なものだ。日本のパスまわしは良く、試合の店テンンポを支配した。ボール捌きも落ち着いており Socceroos 達がボールを持った時ははより慌てていた様だ。日本はあらゆる理由でベストチームではなかったそしてゴール前での実質的なものが欠けていた、しかしオーストラリアより技術の高い選手がいた事は事実だ。 Scocceroos は本当の創造性を披露しなかったそしてゴールシーンを除くとチャンスらしいチャンスを作ったと言う記憶が無い。そうだ。オーストラリアはハートとファイトを見せ延長戦にはいっても日本に得点を許さなかった。そしてそれに値をするものを得た。しかし疑問は沸き起こる、なぜ日本戦で見せた根性をオマーン戦やイラク戦で見せなかったのか?恐らく今大会はそんなに失望する結末にならなかっただろうに。

マーク・シュヴァルツァー (6)延長戦では素晴らしいセーブを披露。しかし再び彼の頼れるベストなパフォーマンスでもなかった。いくつかのボール捌きの失敗をし、我々が彼に期待した様な堂々とした風格に欠けた。



ブレットエマートン (6) Blackburn のスターの能力である前線への攻撃参加は Socceroos の弱点を証明した。特に前半の日本はオーストラリアの後方を顕著に突いていた。大会を満足に後に出来た選手の一人。

ルーカス・ニール (6) おそらく今大会彼にとって日本戦が最高の出来ではなかったか。しかしPKを失敗した事がこの West Ham のディフェンダーが葬られる事に。

マーク・ミリガン (6) クリアーをミスし日本のゴールを許失敗を。しかし延長戦では命がけで日本の攻撃を食い止める。

ミカエル・ビーチャンプ (6) (巻との)空中戦で敗れ日本のゴールを作る原因に。しかしそんなに悪くもなく Socceroos の将来を明るくする。

デヴィット・カーニー (6) 日本は執拗にカーニーの裏を突いたそしてそれが効果的だった。まだ私は彼が左のウィングバックを任せられるとは思わないが何度もタフさを披露しそのパフォーマンスで喜ばせ、PKも素晴らしかった。 

ヴィンツェ・グレッラ (5) 不運な退場はただ大会に親指を立てるだけであった。 Torino の男はただ彼のベストパファオーマンスを披露出来なかった(例えボールを奪われる事が日本戦ではそれまでの試合よりは少なかったが) Serie A に戻れることが嬉しいだろう。

ジェイソン・クリーナ(6) 大会で評価を高められなかった選手の一人。この日は PSV の中盤選手から頑強なプレーが披露されたがそれ以上は無かった。

マルコ・ブレシャーノ (5) 献身的な動き、しかしオーストラリア陣内の奥深く彼には Aloisi, Viduka のサポートは難しかった。70分に交替で出場した Cahill の方がより相手に脅威となった。

ジョン・アロイージ (6) 得点シーンのファーポストへの走り込みはナイスランであった、しかし再びそれ以外は殆ど何もなかった。少し前線で孤立気味、そして時にはボールを拾いに自陣に下がる事もそれがオーストラリア選手の欠点か?81分に交替で下がる。

マーク・ヴィドゥーカ (5)得点を付けるのは難しい。なぜなら本当の実力を放ったが我々が知っているような相手の守備陣を困難に陥れる時間は与えられ無かった様だ。それがサッカーの試合だ。代表のシャツを着るのがこれで最後か?60分にベンチに下がる。

ハリー・キューウェル (6) Grella が退場になってからはワントップをよくこなした。延長戦では卓越した前線での動きを。そしてオーストラリアで唯一のワールドクラスの選手として残った。PKの失敗を問われるであろう。

ティム・ケーヒル (6) Grella の退場により自陣の深い位置でプレーせねばならなかった。それは本来のポジションで無く効果的で無かった。PKは良かった。

ニック・カール (5) 彼にとっては出場出来た事で良い大会であっただろう。しかしインパクトは与えられなかった。PKは良かった。 このアジアカップ準決勝戦はオーストラリアにとってもたんなる準々決勝では無かった様だ。それに退場にされた Grella の怒りはまだおさまらない様だ….. 続く

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少し前のことだけど 準々決勝 Japan 1( PK4-3 ) 1 Australia

2007-08-03 | Asian Cup
7月21日。次のオーストラリア出張が楽しみになるその結果が告げられた。
この日は早朝東南アジア出張から帰国し、そして夕方は自治会の納涼大会での愛息のよさこいソーランの披露を堪能し、残るはアジアカップの準々決勝の大一番だけであった。
今大会優勝候補のオーストラリアは序盤から調子があがらず、初戦のオマーン戦は Tim Cahill のロスタイムのゴールでようやく引き分け、続くイラク戦は1-3で完敗。イラク戦は現地で観戦したが、“これが昨年日本中を不幸のどん底に陥れた Socceroos 達なのか?”と眼を疑った。パスは全て足下、スタメン出場の Kewell はあの一瞬のスピードが無くLukas Neil を始めとしたDF陣もイラク攻撃陣の動きに後手を踏む。現場にいた多くの Aussie サポーター達を失望させた。そして1次リーグ落ちかもと、心配もさせた。最後のタイ戦では Carney, Milligan といった Sydney FC 所属の選手を入れ コンディションが今一のKewell をベンチに下げて Aloisi とViduka の2トップに布陣を替えた事が功を奏して 4-0 とタイを圧倒し準々決勝進出を決めた。しかし、このタイ戦はキックオフの時間が日没後の午後7時半。これがイラク戦の様に日没前の午後5時半からのゲームであればどうなっただろうか?

ヴェトナムのハノイで行われた準々決勝。オーストラリアの布陣は Aloisi, Viduka の2トップに中盤は Willkshire が累積警告で出場停止。 David Carney が起用され Bresciano と攻撃的MFにそして守備的MFには Grella と Culina が。DFにはイラク戦で退場になった Lukas Neil が戻って来て Mark Milligan も入り Beachamp, Emerton と4バックを組んだ。昨年の日本戦をプレーした選手が結局 A-League 組の二人を除いた9人となった。一方の日本はヴェトナム戦と同じスタメン。5人の選手が Kaiserslauterun でオーストラリア戦に出場した。試合は開始からオーストラリアが出て来る。 Viduka が前線に張りだすのは昨年と同じ。そのすぐ後ろに Aloisi と Bresciano が出て来る。恐らくバンコックよりも蒸し暑いハノイで先制をして後は守りを固めて逃げ切ろうと言うゲームプランか? 
しかし20分を過ぎると運動量に差が出てきた日本がボールを支配する。ボール支配率そしてシュート数で日本が上回るのは昨年と違うところだ。前半を 0-0 で終えたが、選手の表情を見ていると明らかにオーストラリアの方が疲弊している。欧州をベースにプレーをし、東南アジアの気候に慣れない様だ。 61分、Kewell が投入されるが替えられたのは何と Viduka だった。これは助かった。 Viduka は高さだけでなく
くさびの強さ、そしてシュートも撃てる上手さがある。 Kewell のドリブルも厄介だがもっと脅威な Viduka を下げてくれた。しかし先制点はオーストラリアだった。 CK から最後は ファーサイドに流れてAloisi に押し込まれてしまった。 Aloisi にはワールドカップでも決められ、日本戦連続得点だ。



これでオーストラリアは守備を徹底的にに固めるだろうと、思う間もない3分後俊輔の CK を巻が折り返し、Milligan のクリアーミスを拾った高原がゴール前でテクニックを見せてシュート。クロスバーの内側に当たりながらもオーストラリアゴールに吸い込まれすぐに同点に追いついた。若い Milligan のクリアーミスからの得点だったが、その後の高原のボールコントロールはお見事。ワールドカップでは俊輔の先制ゴールの時に GK Schwarzer と接触し、オーストラリアの新聞に “たまに HSV Hamburg でプレーする Takahara はラグビーをした方が良い。”とか嫌味を書かれたが、これで“ Bundesliga で10得点以上の実力を証明”出来ただろう。


オーストラリアは71分に Bresciano を下げて Cahill を入れてきた。あの日本相手に2ゴールを決めた Cahill だ。アジアカップでは途中出場で良い働きをしていたが、 Viduka 抜きでピッチに立つのは今大会初めてだ。75分 Vincenzo Grella が空中の競り合いで高原の顔をはたいて一発レッドが出る。故意でないにしてもあれだけ手を上げて飛べばファールにならない訳がない。なかなかピッチを後にしない Grella 。Neil も執拗に抗議するが判定は変わらない。一人少なくなったオーストラリアはこれで Kewell と Aloisi を残してゴール前を固めてしまう。日本も攻めているがラストパスが通らず、GK Shcwarzer の好守もあり、途中交代の佐藤、矢野そして今野も得点を演出できず、試合はPK戦に委ねられた。 Schwarzer は2年前のウルグアイとのプレーオフでの立役者。しかしそれを上回ったのは川口のファインセーブ。 Kewell, Neil を連続ストップし、見事に昨年の雪辱を果たしてくれた。昨年好守を連発しながら、自らのミスで同点に追いつかれ、以降連続失点を喫してしまい、ワールドカップ第二戦のクロアチア戦ではPKをストップし、スタンドにいた私を狂喜乱舞させてくれた守護神は是非オーストラリア戦で何とかとこの試合に掛ける思いは人知れず大きかったに違いない。そしてこの夜は日本の熱帯夜を快適にしてくれた立役者だった。



 勝敗を分けた点は何だったのだろう?

①  いくつかの幸運
運も実力のうちとはよく言ったもの。昨年のワールドカップに比較すると幸運は日本にあった。まず試合開始時間。午後5時20分と言う試合開始時刻は日本に大いに味方をしただろう。グループリーグ第三戦のタイ戦では何人かの選手を入れ替えた事もあったが、イラク戦と比較して動きが全く違った。それは日没後の午後7時半のキックオフ時刻。そして試合途中で雨が降って来たように欧州をベースにプレーする選手達にとってイラク戦よりかはずっとやり易いコンディションではなかったか。ハノイはバンコックよりも蒸し暑かったと聞く(それだけでもバンコックの気候を知る私は驚きだったけど。)日本はハノイの気候に順応していたそこにバンコックから入って来たオーストラリアの選手達は気候に順応する間もなくしかも日没前のキックオフでコンディションは日本に味方しただろう。昨年のワールドカップのオーストラリア戦。根城のボンからカイザースラウテルンに移動した日本代表は宿泊したホテルに空調設備が付いていなかったと言う大失態。あの時ドイツ入りした人ならわかると思う。例年以上の暑さでとても空調無しでは過ごせなかった。私が泊まったホテルもそうでたいへんだったぞ。それに東南アジアでの大会は殆どのオーストラリア選手にはあまり経験が無かったのでは?オーストラリアは6月20日にシンガポール合宿に旅立ち、シンガポール代表との練習試合を行い7月4日にバンコック入りをした。だが欧州での激戦を終えた選手達のコンディションは充分にあがって来なかった様だ。タイ戦での快勝は休養充分のオーストラリアでプレーする David=Carney, Mark=Milligan の起用も寄与しただろう。そう言った東南アジアを“ホーム”に出来た日本とは試合前に大きな差が付いていたのかも知れない。 1984年シンガポールで開催されたロス五輪予選。日本は4戦全敗であったが、ニュージーランドもロス五輪最終予選は1次リーグ最下位に終わっている。それとこれと無関係とは言えまい。

② 選手起用
Arnold 監督はタイ戦と同じ布陣を起用した。しかし Viduka のワントップの方がDF陣はやりにくかっただろう。フォローする Aloisi はスピードに欠けていた。そして Bresciano が前線にせり出す事は少なくむしろ Viduka, Aloisi は孤立した。 怪我の状態も考慮されたのだろうが Cahill がスタメンで来られる方が日本のDF陣はやりにくくは無かったか?そして途中の選手交代。ワールトカップではCahill, 長身の Kennedy そして Aloisi と次々と攻撃に選手が増やされたが、この試合では攻撃選手の増加はしなかった。 Grella の退場はあったが、 Kewell は Viduka を下げてまで使う状態では無かった。それはワールドカップで日本が加地の負傷による欠場と坪井の負傷交代があったからともいえる。3人目の交替選手 2006/07 のA-League Player of the year Newcatsle Jets 所属のNicky Carle が投入されたのは個人的には嬉しかったが、起用を考えると??であった。ならば守備的中盤の選手を入れて Cahill を前に上げればよかったと思う。その方が脅威なのだけど。でも Nick Carleには来るシーズンの A League も頑張ってほしい。この試合は既にトーナメントに入っていた。ワールドカップの試合よりもリスクを負うべきと普通は思うが、ワールドカップとアジアカップはステータスが違うのか?それにしても Kewell は調子が出ていなかったなぁ。明らかに相手のファールを待つプレーが続き、得意の突破を見せる機会は数えるほどだった。次のシーズン大丈夫か?それとも Premier の為のアジアカップだったのか?

③ PK 戦に持ち込まれて
120分で勝負がつかなかった。オーストラリアのゲームプラン通りに最後は Middleborough の GK Shcwarzer に賭けたのだろう。しかし、守りを固められてなす術が少なかったのも事実。ここはドリブルで突破出来る選手がいればと思った。田中達也とか大久保とか若い時のマラドーナとか(誰でも欲しいわ)。そうすればPKも誘えたのに。それに俊輔はもっとミドルを狙っても良かったのではないか?オシム監督が怒るかもしれないけれど。 Grella が退場になっていなければどうなっていただろう?ゴール前でもっとスペースが出来ていただろう。そして Viduka の引っ込んだオーストラリアは攻撃でも苦戦したに違いない。 総括すればアジアでの戦いを日本はよく知っていたことが大きな勝因。それはオーストラリアが最も恐れていた事でその対策を講じていなかった事がベスト8で帰国する原因になった。大会後オーストラリアはアジアでの戦いについて議論を重ねるだろう。この広いアジアをホームアンドアウェーでどうカバーするのか。欧州でプレーする選手はオーストラリア大陸にまで戻ってプレーせねばならないのか?そのコンディション造りはどうするのだろう? 地元のマスコミはこの敗戦をどう伝えているのだろうか….. 続く

 

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やったぞ 京都西高校 

2007-08-02 | 京都西高校
 7月28日。日本がアジアカップの準決勝戦で敗れて3位決定戦に臨む日。
その日は土曜日と言うのに会社がくだらない、役に立たない営業研修を前日から池袋のとある宿泊施設を借りきって泊まり込みで催し午後3時にやっと解放された。
何度も言うがこう言う研修は全く役に立たない。一番満足しているのは招かれた専門の講師とやらだけど、私はこういった類の講師については懐疑の眼差しでした見ていない。なぜなら彼らは非常に無責任だ。“こうすれば良い、ああすれば良い….”と一方的に言ってあとは自分がやる訳では無い。我々がブログで色々と意見を述べるのと一緒で、責任が無いのだ。そして我々との大きな違いはこういった講師達はそれで金を貰っている。我々が無責任に色々意見、解説をブログ上で述べるのはそれに金が絡んでいないからで、講師達の無責任なしゃべりで金まで取るのは半ば詐欺行為である。その詐欺行為に簡単に引っかかる会社連中は大概営業職には無く、総務や人事関連の人間で彼らは営業が汗水たらして稼いだ金を易々とこう言った詐欺行為を働く輩にくれてやっているんだ。憶えとれ、来週総務部長達に営業を代表して立ち直れない事を言ってやるからな…… 俺はこう見えても社内で売上そして営業利益 Number One を叩き出しているんじゃぃ

あほかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

会社の愚痴はこれくらいにして日本のアジアカップはベスト4止まりであったが7月28日は私を幸福にするニュースがあった。我が母校、京都西高校が2年振りの甲子園出場を決めたのだ。何度でも言わせてもらおう。京都外大西ではなく、京都西高校だ。私は京都西高校を卒業後は京都外大に進学した。当時は京都外大の偏差値は受験戦争の真っただ中にあり年々ウナギ昇りの状態にあり、入学の門は狭く狭くなっていた。そして付属であった京都西高校の入学枠を激減させる方策を取っていた。それは京都西高校の偏差値が低かったからである。私も大阪府高槻市に在住しており高槻市の公立高校に入れなかったから県境いや府境を越えて京都西高校に通学していたのだ。あの高校の3年間どれだけ辛かったか。それは勉強を怠った自業自得。しかし外大に上がれることを信じて3年間耐えたが、“西高推薦枠”のほぼ全面撤廃の影響を受けてしまった。結局は“付属高校の恩恵”を受けずに幸運にも外大に入学できた。その後京都西高校の先生方の努力もあり偏差値も上がり、野球部をはじめ運動部がどんどん強くなり文字通り文武両道の道をまっしぐら。一方の外大はさしたる学生募集活動や就職へのアピールは皆無で少子化の影響で学生確保に赤信号が灯っている。ざまぁみろだけど、そこで西高にアプローチし“京都外大の名前を入れて下さい。いいでしょ付属だから。”とは 

あほかぁぁぁぁぁぁぁ

同じ事は来年から平安高校でも起こるらしい。龍谷大学と付属関係にあり戦前から伝統のあった平安高校の名前で世に出るのは今年が最後。翌年から龍谷大付属となるらしい。

京都西   001 000 010=2
京都すばる 000 001 000=1

7月28日、京都西京極球場で行われた第89回全国高校野球選手権京都大会決勝戦は我が母校京都西が2-1で京都すばるを振り切って2年ぶり8度目の甲子園出場権を勝ち取った。京都すばる高校は今年の京都府大会の台風の目と言える存在。おおいに京都の高校野球ファンを沸かせたのではないか?また昨年出場の福知山成美高校がベスト16で姿を消したのも連続出場の難しさを証明した。
京都西高校の甲子園出場は春の6度と合わせて通算14度目。台風の目となった創立23年目の京都すばるは、エース中村君の力投で接戦に持ち込んだが、わずかに及ばなかった。 京都西打線は近大会屈指の好左腕・中村君の攻略に手間取ったが、3回、都藤君の二塁打と敵失で二死一、三塁と好機を広げ、辻君の中前適時打で1点先制。6回に同点に追いつかれたが、8回は二死二塁から再び辻君の右前打で勝ち越し。計5安打で勝負強く2点を奪った。
京都すばるの中村君は球威、キレとも申し分ない好投だった。決勝点は、中堅手と右翼手が打球に追いつきながら譲り合って安打になる不運。打線は6回に一度追いついて粘ったが計4併殺が響いた。 6回に追いつかれてからは先発白井君から、辻君にスイッチ、そして最後は本田君の継投で反撃を断った。 本田君は2年前あのマー君率いる駒大苫小牧との決勝戦でも当時1年生ながら登板を果たしている。今年も西高は継投で甲子園での勝利を目指す。
優勝を決めたマウンドで背番号1の本田君は雄たけびを上げた。9回一死一、二塁。最後の打者を二ゴロ併殺に仕留め、両手を突き上げた。思わず泣いた。 白井君、辻君と継投し本田君の登場は1点リードの8回無死一、二塁。犠打と敬遠四球で満塁となったが、木村君を二ゴロ。本塁併殺で相手に傾きかけた流れを断った。 一方の敗れた京都すばるはこれまで堅守で勝ち上がってきたたが決勝戦はあまりに不運な失点だった。同点で迎えた8回の守備。右中間に高々と上がった飛球を、中堅・奥田君と右翼・中野君が追う。互いに落下点に入ったが、奥田君の「行く」と中野君の「おれに任せろ」の声が交錯。打球は2人の間にポトリと落ちる安打となり、決勝点を許した。 今大会を1人で投げ抜いてきた中村君は、決勝も冷静に、熱く投げ抜いた。「1イニングずつ集中して投げた。結果から見れば好投したが相手は1失点。負けは負けです」と振り返る。 援護したい打線は敵失や四球でしぶとく好機をつくった。6回は二死三塁から「真っすぐを狙っていた」という木村君の執念の適時打で同点に。8回にはエース本田君を引きずり出し、一死満塁と一打逆転の場面まで追いつめた。 昨夏の準々決勝に続いて今夏も京都西に惜敗。稲川主将は「先輩の借りを返したかった」と無念さをにじませる。それでも試合後は父親でもある稲川監督とがっちり握手を交わし、「泥臭く勝つ野球を残せた。この経験を次に生かしてほしい」と後輩たちに大きな夢を託した。
監督と主将は親子だったのだ。そして痛恨のエラーをした外野手、これからも人生は長い。これに負けずに次を頑張ってほしい。奥田君はまだ2年生。この試合を糧に明日からまた練習に取り組んで欲しいな。

7月28日夕刻には少し驚きのニュースも。元高校球児が盗みで逮捕。昭和50年東京代表として春夏甲子園出場を果たしたH学園のS元投手が逮捕されたとの事。テレビで今50歳になった彼の顔を見た時にすぐに誰か分かった。昭和50年と言えば私はまだ中学生。楽しみの少なかった当時、高校野球は毎年開幕から決勝まで結構真剣にテレビで観戦していたし、大阪に住んでいた私は甲子園球場まで観戦にも行った。H学園は昭和50年の選抜大会にはベスト4に進出し最後は現在ジャイアンツで指揮を執る原辰徳氏のいた東海大相模に敗れている。ベスト4は当時エースだったS投手の力投によるものだったが準決勝では疲れもあったか東海大相模の重量打線を抑えられなかった。 そして当時のH学園の捕手は長距離打者だったのを思い出す。巨人の星の左門豊作みたいないでたちでけっこう長打も飛ばしていた。このバッテリーの力で選抜はベスト4.そして同年の夏の大会も東京大会を勝ち抜いて甲子園に出てきた。そして1回戦では奈良の天理高校と対戦した。天理、H学園共に選抜出場を果たした高校だったので注目もしていた。しかしH学園は0-11 (だったと思う)で完敗。エースのS投手は本塁打を浴び途中で降板、2番手投手はフレッドと言う名前の外人投手が出てきたのを覚えている。4番の捕手からは快音が聞かれなかった。大会前はこの捕手も東海大相模の原辰徳3塁手とならんで評判が高かったのだが。大会後に出版される高校野球を特集したアサヒグラフを購入するのも当時の楽しみだった。そこにこの試合の事をこうかかれていた。

S投手は黄色い声をあびながら滅多打ち。4番打者はノーヒットの上に三振と併殺打のおまけつき。東京っ子は淡泊……

こんなに酷い表現は、しかも高校生相手にないだろう…と今は思う。あれから30年以上が過ぎこのニュースを見て思った…..

俺達の同級生は元気にしているだろうか…….

甲子園に出場する事は素晴らしい事だ。それを目指す事も尊い事。しかし大事なのはその後。甲子園で優勝してもそれだけで一生涯人生が保障されるわけでは無い。その後の人生を頑張らねばならない。そして甲子園を目指した事がそのあとの人生で頑張れると思う。それは甲子園だけではない。全ての学生スポーツに当てはまる事だ。

あぁ偉そうなことを言ってしもたぁ。 

しかし今夏は母校の甲子園での活躍にこちらが元気をもらう番だ。この夏彼らが悔いのないプレーを繰り広げてくれることを祈る。

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あぁ 終わってしまった Asian Cup 2007 でもアジアは広いぞ

2007-08-01 | Asian Cup

7月29日。アジアカップはイラクの優勝で幕を閉じた。
サウジアラビア対イラクの決勝戦。 Gelora Bung Karno Stadium は公式発表では 60,000 人の観衆が集ったらしいが、その中の有料入場者は何割だったのだろう? この Gelora Bung Karno 競技場は 1994年の AFC U-20 大会で日本 U-20 が中田英寿、奥大介、安永らを擁して1979年以来16年振りの FIFA U-20 の出場を決めた思い出の競技場だ。1979年大会は日本がホスト国。従って初めて U-20 レベルでアジアの壁を突破したのがこの競技場。
サウジアラビア、イラクの両国は前回のアジアカップではグループリーグで対戦氏イラクが 2-1 で勝っている。1996年大会でもグループリーグで対戦。この時はサウジアラビアが 1-0 で勝っている。1993年のドーハでのワールドカップ予選は 1-1 で引き分けている。
この日、サウジアラビア、イラク共に準決勝戦と同じスタメン。下馬評ではサウジアラビアが圧倒的に有利。政情不安で準備不足が否めないイラクの大苦戦が予想された上、決勝進出を果たしたイラクは既に評価を得ていた。
イラクのスタメンでは MF の Qusai Munir が Arbi に所属する以外はすべてイラク国外のクラブチームでプレーする。その内訳はヨルダンが二人 ( DF Mohammed Gholam , DF Abdur Amer ) カタールが二人 ( MF Jassim Mohammed , FW Younis Mahmound ) あとはDF Bassim Abbas ( レバノン ) MF Nashat Akram ( サウジアラビア ) MF Mulla Mohammed ( U.A.E.)  DF Ali Hussein Rhema ( リビア ) MF Mahadi Karimi (キプロス ) GK Noor Sabri がイランの Mes Kerman 所属だ。控え選手12人もイラクのクラブに所属する選手は半分の6名に過ぎず、残りはイラン(二人)レバノン(二人)そして キプロスとヨルダンが1名ずつとなっている。しかし、イラクの国情は今に始まった事ではない。1986年メキシコワールドカップにイラクはアジア予選を勝ち抜き本大会出場を果たすが当時はイラン・イラク戦争の中、イラク国内ゲームが認められず全て第三国でのホームゲームでありながら本大会出場を果たしている。サウジアラビアの方も“国情。(宗教的な理由と言った方が?)” があり登録選手全員がサウジアラビア国内のクラブチームの所属する。 
サウジアラビアの注目はマレク・アルサウハウィとヤセル・アルカフタニの強力2トップ。一方のイラクはFWユリス・モハマンドとターヘル・ハヴァーが注目だ。今大会の決勝戦は1996年大会以来中東勢同士の決勝戦となったが、この両チームは特徴がだいぶ異なる。サウジアラビアの方が“日本的”にボールを繋ぎ前線にビルドアップしていく。一方のイラクはフィジカルを前面に出した攻守に渡ってタフにプレーするスタイル。サウジ自慢の2トップ、アルサウハウィ、アルカフタニ共にイラクDF陣の前に思う様にプレーできない。一方のイラクFWモハマンド、ハヴァーはサウジのしつこいDFもなんのその相手DF陣を引きずりながら前に突進してくるタイプ。しかし何度か掴んだチャンスはGKアル・モサイレムがセーブ。なんとか打開をしたいサウジアラビアは後半からゲームメーカーのアル・モウサを入れるが替えられたのはA.アルカフタニ。攻撃のヴァリエーションを増やす為に二人とも入れておけなかったか?そして73分ハヴァーのCKをファーサイドにいたモハマンドが頭で合わせイラクが均衡を破る。

大喜びのイラクベンチ。だがサウジアラビアもこれでは終わらないと思った。だが試合はそのまま目立ったサウジアラビアの抵抗もなくタイムアップ。1984年大会から続いたサウジアラビアと日本のタイトル独占にピリオドが打たれた。イラクはこれまでワールドカップ、五輪の出場がありながらアジアカップでは1976年大会のベスト4が最高の成績。しかし、2004年のアテネ五輪ベスト4のメンバーをベースに見事初優勝を勝ち取った。イラクのターニングポイントとなったのは準決勝の韓国戦。韓国優勢で試合が進みながらPK戦に持ち込み決勝進出を果たした。個人的には優勝はシード国(日本、オーストラリア、イラン、韓国)+サウジアラビアのいずれかから生まれると思っていたのでイラクの優勝には少し驚きだった。とはいえ、決勝戦ではイラクを応援したけど。
3位決定戦の日韓戦を ブラッターFIFA会長が観戦に見えていたが、3位決定戦と異なり決勝戦を観てアジアのレベルを判断して頂きたい。
大会を通して感じた事は“欧州組み”と言うレッテルのみではレギュラーを確保できないと言う事。極論ではあるが、決勝戦にピッチに立った選手で欧州でプレーする選手はいなかった。日本は1次リーグから通算6試合を行った。パス回しや組織プレーでは他国を圧倒していただろう。闘莉王がいて阿部が本来のボランチにいればもっと違った戦いが出来たかも知れない。だが決勝戦で観た様な選手の個人力、一人で局面を打開出来る選手が少なかった。中村俊輔にしても、もっと個人能力を前面に出しても良かったシーンがあったと思う。
1次リーグのヴェトナム戦から3試合連続で先制されるなかですぐに追い付くあたりは日本の強さを見せつけられただろうが、高原の様な個人でシュートに持ち込める選手こそFWと思う。高原とてこの日のイラクDF陣を前にすればどれだけやれるかわからないが。オシム監督の推進する“組織サッカー”は日本人の個人能力を見切っての方策だろうか?帰国後個々の能力アップを示唆していたけど。それでも中村憲剛や阿倍、国際大会初出場の選手達の今後の延びしろが楽しみだ。これに先に終わったFIFA U-20 そして五輪世代が加わるのか…. でもヴェトナム、サウジアラビア、カタール。五輪予選で対戦する国はアジアカップにも五輪世代を多く送っていたぞ。
それにホスト国の健闘が光ったとの事だが、私はタイはもっとやれたのではと思う。オーストラリア戦ではもっと守備的に引き分けを狙えなかったか?それとも日没後の午後7時35分と言うキックオフ時間は実力をそのまま出させる時刻だったのか?インドネシアも後一歩が。でもサウジアラビア、韓国相手にあの試合内容は健闘だろう。マレーシアはふがいなさすぎたがヴェトナムは予想以上の健闘だった。優勝したイラク戦も良い試合ではあったが。 
それから大会運営。東南アジア事情を熟知しない人は大変だっただろう。座席案内は全くいい加減。競技場内でも座席の指定はあってないようなもの。 VIP 席には侵入し放題。その上記者席にもほとんどフリーパス。もう少しお土産品がなかったかな?しかしTシャツは安かった。そしてNIKEショップのポロシャツはいい記念になった。それに空席が目立ち過ぎ無かったか?興行的にはどうだったのだろう?しかし、競技場内の飲み物とかは安くて有難かった。ハーフタイム中には人が多くて間に合わなかったけど。しかし日韓が激突した3位決定戦もジャカルタで出来なかったか?何故 Palembang で行う必要があったのだろう?前回のアジアカップも決勝戦と同じ競技場で3位決定戦を行ったのに。 Palembang に行った日本、韓国の協会は宿泊設備の手配、Palembang までのアクセス手配に不手際が多すぎると抗議文を提出するとか。しかし抗議をされた当事者は何も感じないと思う。
東南アジアの株価が下がり始めた昨今、大会を1年前倒しで行ったのは良かったかも知れない。しかし4カ国共同開催は机上の空論で止めておくべきであっただろう。

昨年のワールドカップに続いて現場で大会を楽しめる機会があった。日本戦は看られなかったがアジアカップは日本も参加している大会で自分も当事者の様な気がする。それに日本代表はどこの国に行っても人気だ。次回のワールドカップは南アフリカ、アジアカップはカタール。ちょっと“足が”届きそうにもない。オーストラリアが2015年のアジアカップに立候補すると言う話を聞いた。

8年後か….. それまで体を大切にしよう。その時は息子はもう成人している。
ならば家内とフルムーン旅行….. 納得するかな?

その前に離婚されないようにしよう…..

 

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両国譲らず 15.July Iran 2-2 China

2007-08-01 | Asian Cup
7月15日。クアラルンプール入りして2日目は時折日が差すが朝から殆ど雨だ。この日はイラン対中国の試合があった。この雨はどちらに有利に働くのだろう?
思い出すのは1997年大連で行われた中国対イランのワールドカップ予選。2点の先行を許したホームの中国に対し、イランは4連続ゴールを叩き込み豪快に中国をねじ伏せた。また前回のアジアカップの準決勝でも両国は対決しPK戦で中国がイランを退けた。この中国の対イラン戦の勝利(公式にはPK勝は引き分けだけど)1994年のアジア大会以来10年振りの勝利だった。
中国は初戦地元のマレーシアを 5-1 で粉砕している。イランはウズベキスタンに先制されるも2-1と 逆点勝利を収めた。この組の本命はイラン。2位争いを中国とウズベキスタンが争うと見られていただけに、中国が引き分け以上だと次のウズベキスタン戦が非常に有利立場になるところであった。
試合開始前には雨も上がり、競技場は中国、イランの大サポーターの声援が雰囲気を盛り上げる。イランサポーターの声には力があり、昨年ワールドカップで聴いたあのイランサポーター達の応援のリズムがここでも聴かれた。中国サポーター達は若者が多いせいか統制がとれている。中国はマレーシア戦と同じスタメン。警告を受けたDFの李偉鋒、鄭智 の二人は警告を受けない様にせねばならないが、なぜマレーシア戦では大量リードした後に警告を貰うような愚行をしたのだろう?一方のイランはウズベキスタン戦スタメンの UAE Al Emarat でプレーするRasoul Khatibi に替わり MF 登録の Hossein Kaebi が起用された。 Kaebi は2002年当時16歳で代表デビューを飾った22歳の選手。またウズベキスタン戦で逆転ゴールを決めた Kazemian もベンチスタートだった。
試合は開始早々から中国が圧倒する展開。開始20秒には早くも韓鵬が強烈なシュートを放ち、その後のCKでもショートコーナーからあわやのシーンが。3分には左のCKからイランGK Rodbarian がこぼした所を韓鵬が拾い、張耀坤に繋ぐが最後はミスキック。完全に1点ものだったが。中国の立ち上がりの猛攻撃は相手が同格かそれ以下なら、いつものことだ。1987年広州で行われたソウル五輪予選、1992年北京でのダイナスティカップ、立ち上がりから日本を徹底的に攻め続けながら最後のフィニッシュが悪くチャンスをつぶし続ける間に日本が先制をするとそのままずるずる土俵を割ってしまった。2002年のワールドカップでも初戦のコスタリカ戦も立ち上がり総攻撃を見せながらゴールを割れずに、失点を喫し試合を落とし、結局1次リーグ3試合3連敗、無得点に終わった。
そんな事を思い出していると6分、中国サポーター達の大歓声が。ゴール正面やや左で得たFKを邵佳一がイランゴールに叩き込み先制点を挙げたのだ。これは“予想外”の展開。中国サポ達の“加油 ! 中国隊”のボルテージも更に上がる。更に左サイドの孫祥が素晴らしいクロスを入れるがGK Rodbarian が何とかキャッチ。イランDFラインは右サイドバックが Kaebi, CB はHosseini とイタリア Livorno でプレーする Rezaie そして左サイドが Ferydoon Zandi 。Zandi はワールドカップ予選の日本戦でも出場し御馴染のドイツ生まれの選手。Bundesliga の Kaiserslautern でもプレーしたが今はキプロスの Apollon Limassol に所属する。このDFラインが中国の自信を持ったボールキープに後手を踏む。ドリブルで突破されても最初の一歩が遅れている。イランの攻撃は Mahadavikia のドリブル突破頼り。ワールドカップのメキシコ、ポルトガル戦では低い位置で守備に腐心していたが、アジア諸国が相手だと高い位置に張っている。しかし、この押されていた時間帯ではもう少し下がっても… と思うも、彼がいないと前線でためが出来ない。9分ようやく高い位置でボールを受けた Mahadavikia がドリブルで右サイドを上がって最初のチャンスを作った。
しかし、以降中国が更に押し込む展開が。13分には CK から張耀坤がヘッドで、14分にもCKからネアサイドに走り込んだ毛剣卿がそれぞれ惜しいシュートを放つ。更に邵佳一のドリブル突破からチャンスを作り波状攻撃から周海濱がおしいミドルを放ち、今度は左サイドから逆サイドの毛剣卿にボールが渡りピンチを招くが、 Makhadavikia が何とか戻ってコーナーに逃れる。中国は4バック、右から孫祥、李偉鋒、張耀坤、孫継海 。左サイドバックの孫継海の攻撃参加が効果的だ。そして左サイドはもう一人鄭智がいる。昨シーズン Premiership の Charlton Athletics でデビューを飾ったがチームが降格した事もあり山東魯能に戻って来た。もう少し早ければ Asian Champions League でベスト8を逃す事は無かったろうに…. 20分を過ぎるとようやくイランにエンジンがかかって来たのか、中国がスローダウンしたのか、中国ゴールに迫るシーンが見られるように。22分には Makhadavikia のドリブル突破から上げたクロスを Gholam Enayati がオーバーヘッドで狙うが中国DFに当たる。その直後にも左サイドを突破し Hashemian, Zandi と繋ぎ最後は戻ったFWの韓鵬があわやオウンゴールを演じてしまうところだった。その後もCKから Hashemian がヘッドを放つが惜しくも外れる。ようやく Bundesliga Hanover 96 所属のFWが… と思うが、対峙する中国 DF 孫祥もタフな守備を見せる。孫祥は攻撃時も上がってきて前半は効果的な動きを見せた。30分を過ぎると今度は中国が徐々に挽回をする。DF李偉鋒がドリブルで突破してくるがなんとか Hosseinn がファールで止める。そのFKから邵佳一、鄭智と繋ぎ最後は周海濱が豪快なミドルを放つが惜しくも外れる。鄭智、周海濱は山東魯能の選手だが、今大会は他にもGK李雷雷、FW韓鵬の二人も同じ山東魯能の選手。上海申花の選手が孫祥、杜威、李偉鋒、毛剣卿と同じく4人選ばれており、日本でもなじみのある大連実徳からも張耀坤ら4人が選ばれている。
33分、中国に追加点が入る。右サイドから鄭智がクロスを上げるが中にいた邵佳一はそれを被ってしまう、しかしこぼれたところを毛剣卿がボレーでイランゴールに叩き込んだ。この一連は見事だった。更に大歓声が中国サポ達から上がる。そして“三比零 ! 中国隊 “と言う大コールが起こる。3点目が入ればもう試合は決定的だろうし、イランの攻撃力を考えれば2点差では追い付かれるかも知れない。だがイランは相変わらず Makhadavikia と Hashemian のブンデスリーがコンビしか攻撃を作れない。36分には Makhadavikia のクロスを Hashemian がヘッドを放つが GK 李雷雷がパンチで防ぐ。37分、42分もこの二人でシュートに持ち込む。43分には Makhadavikia 自らがミドルを撃つ。イランはもう一人のFW Enayati が孫祥の上がりを反対にケアーしている形なので左からの攻撃で形が作れない。
このまま無得点で前半が終わろうかとする44分にセットプレーから Makhadavikia が上げたところを Zandi が中国ゴールに蹴り込んで1点を返した。Zandi の力ある素晴らしいゴールだった。この時間帯で1点を返した事はイランにとっては1点以上の価値があっただろう。イランサポーター達の大歓声が残る中前半が終わった。



後半に入って中国は交替選手が無かった。前半終了直前のイランの得点により両チームのゲームプランは大きく替わったに違いない。特に中国は2点差で後半に臨んでしっかりと逃げ切りをと考えたか?しかし、リードは保っていた。中盤から後ろをしっかり守り、イランの裏をつく方策をとると思ったのだが。
一方のイランは Karimi , Kaebi を下げて Iman Mobali そして Javad Kazemian を投入して来た。Bundesliga の Bayern Munchen に所属する Karimi は来シーズンこそLiga の試合にコンスタントに出られるのだろうか?今大会の Asian Cup では欧州でプレーする選手達が比較的多く、その選手達のプレーを楽しみにしていた。日本の中村俊輔、高原はさすがと思わせるプレーであったが、他国の欧州組は今一つ… この日の中国代表も5人の選手が昨シーズン欧州のクラブチームに所属したが孫継海 ( Manchester City ) 鄭智 ( Charlton Athletic ) 、邵佳一 ( Energen Cottbu s ) はまずまずのパフォーマンスだったが、Sheffield United に所属したMF李鉄は Premier ではほとんど出場機会が無くこの Asian Cup もスタメン出場はなかった。FWの董方卓もマレーシア戦そしてイラン戦はベンチスタートだった。欧州に所属するだけでレギュラーポジションを保証されるほどアジアのレベルは甘くはなっていないと言うことだろうが同様の事はイランにも言えた。後半は立ち上がりからイランが攻めこむ。中国の中盤は攻撃力のあるイランの侵入に耐えきれないといった感じだ。59分に DF李偉鋒にイエローカードが出る。前半にも鄭智が警告を受けており、これで次戦のウズベキスタン戦は守備の要の二人が累積警告で出場出来なくなる事に。これで中国はこのリードを守る必要が強くなってきた。 61分にMF 王棟に替って22歳の趙旭日を投入した。趙旭日は攻撃力で定評のある選手、王棟は中盤で攻守に渡って能力を発揮する選手なので彼は残して置いた方が良かったのではないか?68分にはMF 毛剣卿 を下げて朱挺を入れた。毛剣卿は20歳の若い選手だが17歳の時に Feynoord のトライアルキャンプに参加した事がある。北京五輪の有望選手だろう。朱挺も大連実徳所属の21歳の守備的MF 。北京五輪にも出て来るだろう。そしてこの交替で守備を強化しようという意図だろう。こう言う交代なら選手達も納得するか?この交代以降孫継海が右サイドにまわって来てイランの左からの上がりを抑える。追い付きたいイランは攻めはしているが起点は相変わらず Makhadavikia だ。
71分に Enayati が張耀坤に倒されFKを得る。そのFKを交替出場の Mobali が上げ Rezaei がフリーで撃つが外してしまう。絶好の同点機だった。
しかし、73分。CKから Nekonam が頭で合わせてついにイランが追い付く。イランサポーターは狂喜乱舞だ。1点目もそうだったが中国はセットプレーからの失点だ。マークの確認が甘いのか?だが Liga Espanola の Osasuna 所属の Nekonamu のヘッドは打点が高く、ちょっとアジアレベルでは容易に止められそうになかった。 76分にも Nekonamu は左サイドを突破しクロスを入れる、ボレーで狙った J.Hosseni のショットは惜しくも外れた。
ここで中国ベンチは韓鵬に替って杜威を入れた。杜威は2005年のシーズンGlasgow Celtic に所属した。しかし所属期間は4か月間、Scotland Premier League には1試合出場したのみで帰国した。この交替で趙旭日がトップに入り、杜威は2列目の右に入った。ここで3点目を取りに行くのだろうか?ならばなぜ2失点目を防ぐ布陣に、方策を取らなかったのか? 82分PAやや外、そして真正面でイランはFKのチャンスを得る。しかしそのFKは大きく外れる。イランサポーターからは大きな溜息が。中国はイランゴールになかなか届かない。イランが同点に追い付いてから両国サポーター達の声援はさらにボルテージが上がった。89分にイランは Zandi を下げて Madanchi を投入した。 Madanchi は昨年のワールドカップメンバーではあったが、今大会は Nikhabakht が怪我の為に招集された左のウィングバックだとか。 90分を過ぎロスタイム3分と表示される。中国サポーター達は国歌を歌い出した。



イランも大声援を送る中試合終了のホイッスルが響き渡った。中国はいつもと違い序盤のチャンスを得点に結びつけるなど折角2点のリードを奪いながらの試合運びはのまずさで追いつかれてしまった。せめて後半の戦い方を変えておけばと思う。守備を固めてイランの焦りを誘い、裏を突くという方策を取っておればと。
一方のイラン、2点のリードを中国相手の追い付くとはさすがの攻撃力だ。しかしもう少し決定力があれば逆転も可能だった。だが序盤の守備の乱れを修正しないと例えベスト8に進出してもその後は…. この時点でイラン、中国が勝点4で並び、ウズベキスタンが勝点3で続く展開に。イランは次節マレーシア戦なので勝点は堅い。中国は引き分けたがウズベキスタンとの直接対決を引き分ければ準々決勝進出だ。しかしDFが二人出場停止な上にウズベキスタンには Shatskikh ら強力なFWがいる。

競技場の外ではいつまでもイランサポーター達の宴が続いく中、私はタクシーを探さねばならなかった。




結局中国は次戦のウズベキスタンに 0-3 で敗れ1次リーグで大会をあとにする事に。優勝候補と考えていたイランは準々決勝で韓国と対戦。主導権を握る時間が続きながら決定力に欠け、PK戦に持ち込まれて前回の3位を下回る結果となった。
この中国対イランの試合が終わった時点でイラクが優勝するとはとても想像できなかった。それがサッカーなのかもしれない。

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