Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Asian Cup に臨む Socceroos アーノルド監督インタビューから...

2007-04-30 | Aussie & Kiwi
Q 先日上海で中国を破ったことで代表監督業のプレッシャーはいくらか軽減されましたか?

アーノルド監督 ( 以下 A )それは全くない。コーチの Frank Lowy と Ben Buckley が7月の Asian Cup に向けての仕事を私がこなしていると言ってくれて彼らに全面の信用と信頼を寄せている。それが中国戦の好結果以上のものだ。選手達に関して言えば、代表デビューを飾った選手達そしてチームに良い結果をもたらしてくれた Mark Schwarzer, Lucas Niel, Mark Viduka そして Mark Bresciano の のベテランを誇りに思う。彼らは良いパフォーマンスを披露しそれらはこれからも続けて貰いたい事だ。

Q 代表監督就任以来バーレーン、クウェートそして中国と異なった経験をされていますね。ワールトカップ予選も視野に入れてその監督業はアジアでの戦いの難しさの理解を進めていますか?

A. もし選手、コーチ達も含めて理解していなかったのなら、今理解している事を望んでいる。アジアは難しいとこだ。移動だけでなく天候までかつて経験した事のない事を経験せねばならない。最近 Sydney FC がインドネシアで遭遇したことを見ればいい。それがパーフェクトな一例だ。現役時代、国際舞台でアジアの国々のアウェーでのパフォーマンスはベストでは無い、ホームに還った時に全く異なったチームとなる。ホームでは50%はパフォーマンスは上がる、こういったタイプのアジアのチームに相対する時には我々は少なくとも1週間前には現地入りし準備を進める必要がある。さもなければ大変な困難に直面する。

Q. ワールトカップ後に監督就任以来、貴方の残した成績は妥当かどうかと言う、あなたの奮闘がしばしば正当に評価されないと何かフラストレーションを感じますか?

A.いいや、まったくフラストレーションは感じない。通常批判を持つ人々は無知な人であるので私を悩ませたりはしない。今私はチームの過渡期を見ている。ワールトカップ後、チームレベルが落ちていない事に誇りを感じる。確かに2度の hiccups ( 短期間の下落)はあった。一つはアジアカップ予選のクウェート戦でそれは組織化への大きなレッスンとなり、もう一回は今年のデンマーク戦でそれは選手達の相対評価への授業料でもあった。私はかつて言ったことがある。それは私の事でなく、国家の事である。しかし監督としてチームが機能する事は幸せな事だ。

Q.前任者の Guus Hiddink 監督との比較にはうんざりしますか?

A. もう一度言おう。比較をする人々は無知な人だ。あなたは世界でも3本の指に入る監督の事を話している。彼の靴を私にはかせる人はみなおかしいと思わないかぃ? 私は自分の色を持っている。自分のやり方がある。多くを Hiddink から学んだ。しかし選手達は自分自身で選んだ選手だ。なぜなら彼らはワールトカップの経験で作り上げたレベルでのパフォーマンスをしているからだ。しかし Hiddink との比較は… それはマラドーナと交替させる選手の様なものだ。不可能な事でそれを見た事もない。

Q オーストラリアで認められるよりは海外でのコーチ業で認められたいという事を感じた事は何度かありますか?

A. オランダではかつてプレーをした二つのクラブから興味あるオファーを受けた。それは容易なことであった。なぜなら彼らはあなたを知っているからだ。しかしまだ Socceroos の仕事はエキサイトだ。仕事に対して多くの野心があり前進を続けている。もしFFA ( オーストラリアサッカー協会)が私の仕事に満足するのならばそれが主要な任務だ。

Q. オランダからのオファーには影響を受けましたか?

A.今年最初に NAC から受けたオファーには興味はなかった。なぜなら私はまだコーチングライセンスを持っていなかったから、しかしそれは替わった。今私は世界ランクトップ50に入る国を6カ月以上に渡って指揮しており扉は開けられた。もうかつての様に紋章を付ける必要は無い。 Roda JC からの先月のオファーは興味のあるものであった。しかしまだ Asian Cup はずっと先の話で。当分はこれに集中したい。

Q.貴方は渡欧選手の先駆者でしたが、コーチとしても渡欧の先駆けとなりたいですか?

A.100% そう思う。それが私の大きな野心でもある。海外にコーチとして出てみたい。欧州かアジアの評価の高いリーグで指揮を執ってみたい。代表監督の任務が終わり私の望む時期であるならば…

Q. 貴方は昨年、オーストラリア代表は Asian Cup で優勝できることを信じていると言っておられましたが今尚そう思っていますか?

A. もちろん。日増しに、ピッチ外でのより優れた要素が報告される限りはベストチャンスが我々に与えられるであう。大会直前にシンガポールで2週間半に渡り仕上げの合宿が出来る事、そして選手達が残りのシーズンを大会まで怪我をせずに過ごせるのならは幸せこの上ない。

Q. Tim Cahill, Harry Kewell, Josh Kennedy そしてCraig Moore の復調具合はいかがでしょうか?

A.すべての報告によると彼ら4人全ては Asian Cup 合流を希望しているが、身体的に準備が出来ているかは別問題だ。チェックをせねばならないであろう。もし Harry Kewell がシーズン終了までに2~3試合プレー出来ればかれは100%の調子を取り戻すであろう。 Tim Cahill はひたむきに回復に取り組んでいるしかしその回復具合を見なければならない。Kennedy はワールトカップ以来ボールを蹴っていない。 Craig Moore は怪我で不遇なシーズンを送っている。彼ら4人全てが大きな心配の種である。しかし例え彼らあいなくても我々はこれまで一通りの事を披露してきた。もちろん彼らが還ってくればこれほどファンタスティックで豪華なメンバーは形成出来ない。

Q 最終決定をするまであとどれほど時間が必要でしょうか?

A. 6月2日シドニーでのウルグアイ戦迄にはメンバーを決めたい。もし彼らがウルグアイ戦に準備できていなければ、また6月21日のシンガポールキャンプに帯同するまでのコンディションで無ければ、多くを必要とする大きな大会に向けて50%の仕上がり具合の選手は連れて行けないであろう。

Q. Asian Cup に就いて言えば GK Scwarzer の控えとして2名招集しますか?

A.もちろん。それは正しい答えだ。それはそこは大変オープンだ。恐らく6人ほどの Mark Schwarzer に何かが起きた時の控え候補がいるが、まだ第二GKは見当たらないそして第一GKも。Schwarzer が第一GKであるのは間違いない、彼を押しのけるまでのGKが出て来るまで。何人かのGKを試したがまだそのポジションは開いている。

Q 五輪候補の選手は十分なアピールをしましたか?

A. 私が見た幾つかの試合では2,3人の選手が印象に残った。5月16日アデレードでのイラン戦に行き五輪チ ―ムの Rob Baan コーチと誰をA代表に引き上げるべきかを話すつもりだ。そしえ何人かの若い選手は Asian Cup に練習メンバーとして帯同させ、何人かはメンバーに入れるであろう。

Q. 2010年のワールトカップに関わるかどうかは別としてオーストラリアはアジア地区予選を突破出来るかの予想をお願いします。

A. 私は自信を持っている、そして心配も持っている。我々はまだ才能のある選手を抱えていると信じているので自信を持っているが、心配もしている。なぜなら前回は水曜日に6試合予選の試合が行われたが、土曜日か日曜日に欧州で試合をし長距離を移動し短時間で準備を行い水曜日の試合に臨む。その心配事は莫大だ。

Q. 最後にまだワールトカップ予選突破の為には Big Name が 必要と言う理解がありますがそれについては同意しますか?

A. Big Name は何も保証してはくれない。多くのそれが機能しない状況を見てきた。ある名前を挙げよう。 Terry Venables 、1997年彼の下でプレーをしたがそれは我々が最もワールトカップへの近道であった。しかしワールトカップには行けなかった。それは文化の理解であり、選手の理解でありそして国際サッカーの理解でもある。全てが共存する。もしあなたがそうしなければ、あなたがだれであれ成功は見られないであろう。

Asian Cup に臨む Socceroos Kewell Cahill は復帰の目処が...

2007-04-30 | Aussie & Kiwi
オーストラリアのサッカー界では今年7月に開催される ASIA CUP にはおそらく我々が日本代表に期待する以上の期待と希望を持っているに違いない。昨年のワールドカップでの好成績(と言っても勝ったのはあの日本戦だけなんだけど。)に合わせて今年ASIA CUP で好成績(おそらく優勝を見込んでいる事だろう。)を残すことが出来れば、日本のサッカーファンがJリーグ発足時に獲得できたような堂々たる“市民権”を得られるに違いない。
その ASIAN CUP への期待を担うのが長期離脱している Harry Kewell, Tim Cahill そして Grella の復帰だろう。Liverpool は公式発表を控えているが Rafael Benitez 監督はUEFA Champions League の秘密兵器として Kewell の復帰を期待しているようだ。
4月最初の Reserve Game の Sheffeld United 戦での復帰が示唆されたが Pako Ayestaran アシスタントコーチがまだフィトネスのレベルが“五輪レベル”に達していないとの判断で見送られた。
4月28日の Premier League の Portsmouth 戦か4月30日の Reserve Game の Everton 戦でのプレーが考えられそのパフォーマンスによっては5月1日の Champions League の Chelsea 戦のベンチ入りも考えられたが Portsmouth 戦はベンチ入りせずチームも 1-2 で敗れた。 しかし Liverpool のスポークスマンは “ Harry は回復に向かっておりその回復ぶりも順調そのもの“と地元紙 The Sun Herald に語っている。
“我々はその復帰時期を胸算用はしない。なぜならチームドクターとフィジコは Harry 自身が満足にそしてハッピーに復帰を果たして欲しいからだ。我々には Champions League 、Premiership そして Reserve Game を入れて数試合が残されている。
Liverpool のThe Sun Herald を通じた公式発表ではメディカルスタッフは Kewell に Go サインを出しているが彼の comeback は今 Ayestaran アシスタントコーチに委ねられているらしい。
Portsmouth 戦の復帰見送りはAyestaran コーチが Champions League 圏内の4位以内でシーズンを終える事を優先させた為と言われているがその Portsmouth 戦には黒星を喫してしまった。

オーストラリア代表監督を喜ばせるもう一つの知らせは Tim Cahill がASIAN CUP には間に合いそうだと言う事だ。Everton のスポークスマンは The Sun Herald によると “ Tim の回復具合は順調で ASIA CUPへの出場も期待出来、来季に向けての良いシーズンオフが過ごせるだろう“と語ったらしい。
Liverpool も Everton も二人の ASIAN CUP 出場は歓迎している。この二人は今季ほとんど所属先のユニフォームを着て試合に出ておらずオーストラリア代表としてASIAN CUP に出場することこそ最高の “ Recovery Program “ になると見ている。
昨年6月ワールトカップでの Croatia 戦以来どの試合にも出ていないKewell は ASIAN CUP に出場する事を既に決心していると伝えられている。
2004-05 のシーズンから代表チームの選手達は 2005 FIFA Confederations Cup, 2006 FIFA World Cupそして2007 Asian Cup と大きな大会続きで疲弊しているので、 Arnold 監督は、Kewell, Cahill の二人がフレッシュでしかもプレーする事に“飢えている”と言うことは大切な事だと語る。
しかし、怪我で Asian Cup の出場が100% 出ないのはこの二人だけではない。Serie A Parma 所属の Vince Grella は4月18日のフィオレンティーナ戦に後半36分から約10分間プレーをし3月18日シエーナ戦以来4試合振りに出場を果たした。以降パレルモ(後半23分から)カリアリ(後半34分から)連続出場を果たしはしているが ハムストリングの負傷の回復が思わしくない Newcastle United 所属のCraig Moore は4月14日の Portsmouth 戦の前半30分でベンチに下がり次節のChelsea 戦はベンチ入り出来ていない。
Arnold 監督は “ 過去からの15人の中心選手に頼るよりも35名ほどの選手を幅広く見ていかねばならない“と語っている。今年は A League の中からも積極的に代表チームに選手を招集し実際に試合で起用もしているが五輪予選との兼ね合いもある。 A League は既に2月に終了しているので5カ月以上実戦から遠ざかっていると言っても過言ではない選手もいる。それでも過去の実績にこだわるのかその時点で披露出来るパフォーマンスを優先させるのか?例えばほぼ1年間ボールを蹴っていない Kewell をスタメンで起用するのか伸長著しい Melbourne Victory の Thompson を起用するのか? Vince Grella , Craige Moore の復調に賭けるのか、Sydney FC ( 来シーズンから Perth Glory ) の若い Nicolay Topor Stanley を使うのか?
欧州組みか国内組(豪州組)かで悩むのはオシム監督の比では無い様だ..... 続く 

混戦の Group E 浦和かシドニーかそれともペルシック・ケデリ

2007-04-29 | Football Asia

 川崎がベスト8に大きく前進を果たしたが浦和レッズの所属する Group E はまだ混戦模様。当面のライバルと見られていた上海申花は3試合白星がなく脱落をしたがもう一つの対抗馬 Sydney FC そしてアウトサイダーと見られていたが蓋を開ければこの組を面白くしているインドネシアの Persik Kediri との三つ巴はまだ続くどころかますます激しくなりそうだ。 4月25日 Sydney FC はParramatta Stadium にPersik Kediri を迎えた。23日に Branco Clina 監督との契約延長が発表され来シーズンのA League に向けて元オランダ代表の Cocu 獲りに本腰を入れ始めたチームフロントであるが、その前に前節痛い逆転負けを喫した相手 Persik Kederi にリベンジを果たし ACL ベスト8入りの可能性を残したいところであった。 Clina 監督は“ 前節のPersik は勝利に値するチームであったが、我々は Solo City で見せたパフォーマンスよりもずっと良いチームである”と強気のコメントを発する。しかしながらRuben Zadkovich , David Carney らが累積警告で出場停止。Mark Rudan, Robbie Middleby, Mark Milligan そしてTerry McFlynn の4名に故障の不安が残りGK のClint Bolton が調子が今一と決して楽観できる要素ばかりがある訳ではなかった。それでも前日の練習では Miligan は Carney のポジションである左中盤に入り代役は問題が無いと。一方の Persik Kediri のIwan Boedianto 監督は記者会見でブラジル人MFのDanilo Fernando が累積警告で出場停止なのは "a big loss" と認めた。だが前節 Sydney FC を破ったことは地元でも Big Surprise となっておりそれが選手達の自身になっていると。 Solo City の Manahan Stadium のピッチコンディションがホームチームに味方したと言われているが、Paramatta Stadium のピッチコンディションが良ければそれは Persik の選手達にも好影響を及ぼす事となる。心配なのは南半球のシドニーの夜の気温が10度を下回らない事らしい。 Fernando の穴は前節は途中出場であったインドネシア人FW Budi Sudarsono がスタメンに入りゲームメイクも出来るウルグアイ人FW Christian Gonzalez が 司令塔の役割も担うとの事。そして第一節の浦和戦以来のアウェーゲームに就いては “ さいたまスタジアム2002 の5万人の観衆(実際は 31,303 人 ) の前で完全なアウェーゲームを経験しているので恐れる事は無い。前節の Solo City でのゲームよりの良い試合をすると自信をのぞかせていた。 しかしゲームは Sydney FC が Persik を圧倒し 3-0 で快勝した。その立役者はベテランのSteve Corica。かつてはサンフレッチェ広島でもプレーをし3月の浦和レッズ戦でも存在価値を見せつけるプレーを披露した。この試合でも54分と90分にもゴールを決めた。54分の先制ゴールはDavid Zdrilic のヘッドをGK Kurnia Sandy が弾いたのを押し込んだもの。73分には前半20分、この試合最初の決定機、至近距離からのフリーで放ったヘッドを外したAlex Brosque がTerry McFlynn のクロスをまたも David Zdrilic がバックヘッドでそらした所をボレーで叩き込み終了直前にCorica がUfuk Talay のクロスに合わせて途中出場の GK Wahyudi を破ってのこの日2ゴール目であった。このゴールは勝点だけでなく得失点差でも首位浦和レッズに 1 差となる貴重な得点であった。 Visitor の Persik Kediri はこの日は Sydney の前に劣勢を強いられカウンター攻撃にのみ得点機を見出す事に。20分には Alex Brosque が決定機をミスし37分にはMark Rudan がSteve Corica のピンポイントFKに合わせてゴールネットを揺さぶったがベトナム人のMinh Tri Vo 主審はその前にRudan がPersik DF の一人を押したとゴールを認めなかった。そして30分には最大のチャンス,ウルグアイ人FW Cristian Gonzalez が素晴らしいショットを放ったがGK Clint Bolton の美技を引き出すに終わった。こうした序盤の幸運に乗ずることが出来ずに37分にCorica に先制を許しそのまま挽回出来なかった。そして64分にPerik ゴール前の混戦でGK Kurina Sandi が不意に Zdrikic に指を踏まれ交替を余儀なくされた不運も重なった。 Sydney FC としてはMark Rudan の“完璧な”ゴールが無効とされAlex Brosque が決定機を外すといういやな立ち上がりをベテランのSteve Corica のゴールで生き返ったと言ったところだろう。試合前に浦和がアウェーで上海申花とスコアレスドローに終わった事を知りその結果は彼らを大いに勇気付けただろう。(それは Persik イレブンも同じだったと思う)そしてBudi Sudarsono を中心とした Persik のカウンター攻撃にもよく耐え、そしてウルグアイ人FWのRonald FagundezのマークにTerry McFlynn を付けてMark Milliganを4バックの中心に置き、その前にTalay, Middleby, Corica そして McFlynn の4人の中盤を菱型に形成しそれが十分に機能を果たした。 Branco Culina 監督の手腕もこの日は冴えた。そしてこ試合の MVP は何と言ってもDavid Zdrilic かつてのオーストラリア代表選手で2001年豪雨の横浜国際競技場で日本代表との試合にも出場を果たしている。



次節はホーム(そして Aussie Stadium )に上海申花を迎えるがここで勝点を挙げて5月23日のさいたま決戦に臨みたいところだろう。また敗れたとは言えホームで上海申花、Sydney FC を連破している Persik のIwan Boedianto 監督は次の浦和戦ではリベンジを果たす自信は十分にあるとのコメントを残して帰国の途についた。同日上海に乗り込みスコアレスドローに終わった浦和レッズ。4日前にはホームで川崎に敗れ不敗記録に終止符が打たれ永井が怪我で離脱しワシントンの調子が今一の中でのアウェーゲーム。小野が序盤に足を痛め山田が退場。そしてワシントンを下げて長谷部をワントップに起用せざるを得なかった苦しい台所。ポンテ一人が気をはいていたいたらしいが、もし上海申花がまだベスト8進出争いから“離脱”していなければ勝点を拾えただろうか?次節はアウェーでの Persik Kediri 戦。闘莉王そして山田が累積警告で出場出来ない。しかも次節はベスト8進出争いをする3チームの中で唯一アウェーゲームである。レッズはこれからが踏ん張りどころだ。


ACL ベスト8 に王手は川崎フロンターレ

2007-04-28 | Football Asia

ハーフタイムの間に Match Day Program を求めて競技場内を散策すると、ありがたい @300 で販売されていた。前節のアウェーでの試合の模様などが書かれている。こういうプログラムが完備されるのは日本ならではか? 後半は全南の出足がやや早くなった様に感じる。52分には箕輪が相手FWを倒してイエローカードを受ける。それでも同点ゴールの気配は感じられない。56分には二人目の交替選手 DF 登録の Kim Jin Hyun がトップ下の Park Chun Sin に替って投入される。この意図はなんなのだろう?

58分、スタンドが沸くシーンが。鄭大世がドリブルで突っ込むが全南DFはファールで止めてゴール正面やや左側でFKを得る。ダポーター達から “ Let’s Go KENGO !! “ のコールが飛ぶ。中村は蹴らなかったがそのFKから右サイドに流れた中村がペナルティーエリアの端からシュートを放つが惜しくもGK Yeom Dong Gyun がブロック。

 

その直後にも再びドリブル突破を試みる鄭大世がゴール真正面で倒され、さっきよりもずっと良い位置でFKを得る。更に大きな声で “Let’s Go KENGO !!” の声援が中村の直接FKを促すが蹴ったのはマギヌン。そしてその直接シュートはGKの正面に。そしてこの時間から全南にボールがよく繋がるようになる。前半は間延びしていた中盤がコンパクトに保たれるようになり、局面で数的優位を保ち、何度も川崎ゴールに迫る。箕輪、寺田がファールすれすれまたファールで相手の突破を止める。65分には3人目の交替選手 19MF Lee Kyu Ro Lee Jun Ki に替って投入される。中盤の運動量を更にアップさせる狙いか? 確かに川崎の選手の足が止まり気味だ。68分には村上が Kim Jin Hyun を倒して与えたFKは川崎ゴールを襲うが川島がキャッチ。その直後も右から繋がれ白承敏に撃たれるがこれも川島が掴む。2003 UAE で行われたワールドユースでの決勝トーナメント1回戦の日韓対決で日本のゴールを死守し勝利に導いたのがこの川島永嗣だった。この試合にはここにいる金珍圭、Kim Chi Woo の二人も出場していた。スタンドからは関塚監督に選手交代を、特に黒津の起用を促す声が。確かに浦和、全南とアジアの強豪相手に中三日おいての連戦ではあるが、まだ20分残っておりリードしているとは言え1点の余裕しかない。選手交代によって極端に攻撃偏重、守備偏重になるのを案じたか?それに中三日しかないととるのか中三日あったと取るのかは選手次第。この連戦も長距離の移動はないのでこのレベルの選手たちだと我々が心配するほど疲弊はしていなかったのではないか? この劣勢の中で目立ったのはジュニーニョ、マギヌンの外人コンビ。次第に左サイドを制圧する様になり79分にはジュニーニョがドリブルシュートを放つ。そして全南は最前線のレアンドロの運動量が落ちてきてトップに残ったままになり、逆にレアンドロにボールが出なくなってくる。そして81分。またもマギヌンからのボールを受けたジュニーニョが左サイドを突破し全南DF二人をかわしてグラウンダーのセンタリングを入れると中に走り込んだ鄭大世は合わせるだけで良かった。この日決定力に問題があった鄭大世がようやく仕事をした。スタンドからは“やっと鄭が決めたよ。”“でもほとんどジュニーニョのゴールだ”と安堵の声を漏らす。

ここでようやく関塚監督が動き村上に替えて黒津でなく井川を投入した。“関塚さん、中村も替えてやってよ。”と声が飛ぶ。中村も足が止まっているがサッカーでは1点差より2点差の方が危険と言う事を関塚監督は熟知してのことだろうか? そして87分には試合をと言うよりもACL1次リーグを決定づける3点目がきまる。2点目と全く同じような展開でマギヌン、ジュニーニョと繋がれ、鄭大世が待つ逆サイドにボールが送られる。鄭のシュートはGK Yeom Dong Gyn が体に当てるがそのままラインを割った。

 

そして谷口、マギヌンがお役目ごめんと落合、大橋と替って大歓声に送られてベンチに下がる。試合終了が待ち遠しいがロスタイムは4分と表示される。この前の浦和戦もロスタイムは4分程度あったなぁ。

このロスタイムにまたドラマが起こる。右サイドでドリブルで上がるジュニーニョに最後まで彼に良い様にあしらわれていた Kim Sang Min が後方からタックルを入れる。怒ったジュニーニョが Kim に掴みかかると両軍の選手がそこに直行する。それが川崎ベンチ前だったので川崎の控えの選手までそこに加勢する。止めに入る選手。明らかに加勢する選手。(止めている選手は少なかったなぁ。関塚監督も止めていなかったかなぁ?)

結局ここで数分プレーがストップし Kim Seong Jae に警告が出されたのみ。でジュニーニョにはお咎めが無かった。そして都合ロスタイムは7分程度取られタイムアップ。川崎と言うよりもJリーグのチームが初めてACLの準々決勝に大きく進出した瞬間であった。

2得点の鄭大世に地元商店街からデコポンが進呈されるこの微笑ましい光景がスクリーンに映し出されるがこの試合の殊勲者は1得点2アシストのジュニーニョだろう。ジュニーニョは21日の浦和戦のマギヌンのゴールも演出するなど大一番に大活躍だ。 そう言えば昨シーズン等々力で愛する京都サンガは彼にコテンコテンにやられたなぁ。

試合後、選ばれた子供達が選手達と勝利のハイタッチをして行くのを見ながら川崎そして浦和がアジアの戦いで勝ち進む事を祈った。

そして……   我が愛する京都サンガはいつこういう舞台に立てるのだろう?そうなれば地の果てまでもサポートに出掛けるのだが


4月25日 ACL 日韓対決

2007-04-28 | Football Asia

 

5度目の挑戦でようやく見えてきた1次リーグ突破の壁。その殊勲者となろうとしているのはかつて我が愛する京都パープルサンガと同時期にJ2に降格しそして一時J2では激戦を繰り拡げた相手川崎フロンターレだ。

4月25日。日没直前まで雨が降ったり止んだりの繰り返し。8年振りになる等々力競技場に着いた時も雨雲は上空に停滞しておりいつまた雨が落ちて来るか心配な天候。川崎、全南の所属する Group F は他にもインドネシアのアレマ・マランが所属するが、この組を面白くしているのは何と言っても日本人MF深沢仁博のいるタイのバンコックユニバーシティー。ACL序盤は格上の全南、川崎と引き分けこのグループを盛り上げた。

全南ドラゴンズは昨シーズンの韓国FA杯の王者。前節ではホームに川崎を迎える者の 1-3 で完敗。これで川崎がベスト8に大きく一歩前進を果たした。だがそれだけにこの試合、負ければ後がなくなる相手を迎えた川崎はホームとは言え厳しい戦いになる事は誰もが想像するところ。許丁茂監督は“25日に向けて特別に何かをすることは無い”とは言えホームでの川崎戦では怪我の為レギュラー選手5人を欠く苦しい布陣での敗戦。ベストメンバーさえ揃えばアウェーでも十分に勝算有りと思っていただろう。

4月21日、さいたまスタジアム2002で浦和を 2-1 で破り浦和のホーム不敗記録をストップしそのままの勢いでこの全南戦に臨みたかった川崎であったが浦和戦で先制ゴールを決めた日本代表FWの我那覇を“にんにく注射”の為出場を“自粛”するアクシデントに見舞われた。そして試合当日のこの空模様。過去、代表チーム同士の戦いを含めた日韓対決を思い出し自分が濡れるよりもピッチ条件が対戦相手に有利になる事を案じてしまう。そして現役時代は韓国代表の中心選手でオランダPSV Eindhoven でもプレーした全南の許丁茂監督は1980年マレーシアでのモスクワ五輪予選(この時はPK)、1985年ソウルでのワールトカップ予選と言った重要な試合で日本相手にゴールを決めている事を思い出してしまった。日本とは監督自身は相性が良い様だ。

キックオフ時刻の午後7時近くになり両チームの選手が入場してくると小雨が降って来た。すぐに止むことを祈り、周りの人がそうする様に自分も傘を開かない。川崎は4日前の浦和戦で話題となった“左MF黒津”はベンチスタートでそこにはACL前節全南戦でスタメンであった森が起用され我那覇に替って鄭大世が抜擢された。一方の全南は前節の川崎戦と比較すると右サイドバックのPark Ji Yong が外れ右MF Lee Jun Ki がそこに入り五輪代表候補の姜敏壽, そしてワールトカップメンバーでかつてジュビロ磐田でプレーをした金珍圭とともに3バックを組むことに。FWはサンドロが外れレアンドロのワントップに。ACL初登場のPark Chun Sin がサンドロのやや後ろに配置されその後ろに Song Jung Hyun , Chang Dong Hyuk が置かれ3バックの前には左から前節では起用されなかった金致佑(A代表候補:怪我でもしていたのかな?)そして前節は途中出場の Kim Seoung Jae ,白承敏の3人が置かれる。白承敏は五輪代表候補。これは攻撃を重視した布陣か?

しかしキックオフからボール支配率は川崎が上回る。序盤の攻撃の中心はオシムジャパンの“秘蔵っ子”中村憲剛そしてFWのジュニーニョ。この二人にボールが渡ると何かを期待させてくれる。5分を過ぎた頃には霧雨も上がり8分には早速中村からのスルーが鄭大世にわたりチャンスを演出する。22分にはFKのチャンスを貰い中村が攻撃参加した箕輪に絶妙のクロスを入れる。ジュニーニョは時間を追うごとにドリブルが冴えを見せる。相対する Chang Dong Hyuk, Beak Seung Min が何度も振り切られる。15分にはその左サイドの突破からチャンスを掴む。

一方の全南は川崎の選手の速い出だしになかなか良い大勢でボールが持てない。そして1対1でも川崎の選手の方が強さを見せていたので全南の序盤のチャンスは12分、16分そして23分のFKからとセットプレー頼み。ワントップのレアンドロは左右に動くがボールを受けた時後にスピードがなく川崎DF陣にすぐ囲まれてしまう。4月にオーストラリアアデレードで観た城南一和の崔成国、キムドンフンの様な縦横無尽と言う感じではないので見ていてあまり脅威を感じさせない。川崎優勢の中26分先制点が生まれる。中村からのスルーパスが左サイドの村上に通り中に入れると鄭大世が撃ったショットは一旦相手DFに当たって跳ね返されたがそのリバウンドをジュニーニョが押し込んだ。公式入場者数 10.070 人のうちおそらく川崎をサポートする 約10.000 人の大歓声が湧き上がり、一斉に手にしていた青色のマフラーを振り回す。新丸子駅からここへ来る途中多くの旗やポスターがあった通りロンターレが地元にいかに密着し受け入れられているかがよくわかる。勝たねばならない相手から先制点を奪う非常に理想的な試合展開になったと思ったとたん、この試合初めてスルーパスをゴール前に通されピンチを招く。 Chang Dong Hyok から Song Jung Hyun に通されたが寺田がスライディングで Song のシュートをブロック。CB189cm巨漢の寺田はその強さをこれまでしばしば発揮。昔から日韓対決を見ている私にとって体格で韓国選手を抑えるなんて本当にたのもしく思えてならない。<o:p></o:p>

30分に許丁茂監督は早くも Chang Dong Hyok を下げてブラジル人FWサンドロを入れて2トップにしトップ下に Park Chong Sin をトップ下に置きその後ろに Song Jung Hyong を頭に3バックの前にMF4人が菱形を形成する布陣に。それでも優勢に試合を進め続けるのは川崎。35分には左サイドで得たFKからマギヌンがヘッドを放つがGK正面に。38分には鄭大世がドリブルシュートを放つがポストを直撃。41分中村が、ジュニーニョとのワンツーで抜け出しDF二人を交わして放ったシュートは惜しくもゴールポスト右に外れる。この中村のボールキープは同じ中村姓の俊輔を彷彿させると言うのは褒めすぎか?それとも川崎サポーターからは “一緒にするな!!”と一喝されるか?

45分には右のCKから最後は鄭大世が頭で狙うがGK正面に。 フォーメーションを替えた全南はようやく39分に逆襲からレアンドロが左からシュートを放つがまたも寺田がブロック。43分にはまたもカウンター攻撃を見せ右サイドから逆サイドのサンドロにボールが渡り全南MF二人が雪崩込むゴール前にセンタリングが入れられたが箕輪がカット。しかしバウンドしたボールがペナルティーエリア内の箕輪の手に当たった様にも見えたけど。

46分に全南は波状攻撃を見せたがゴールには繋がらずそのまま前半終了のホイッスルが吹かれた。

スコアは 1-0 と川崎リード。しかし最後は全南もボールが繋がる様になった。後半どちらが先に次のゴールを決めるのだろう….   続く

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共同開催は時代の流れか???

2007-04-22 | Football Asia
4月20日付のオーストラリア地元紙に気になる記事が。 Blunder in Share-hosting Asia Cup。 Blunder とは“責任を問われるような誤り、大失敗”と辞書にある。7月に ASEAN 4カ国で開催される Asia Cup の開催地選択は“大失敗”と Asian Football Confederation が認めたということらしいが、それはAFC 会長のMohamed bin Hammam 氏が "4カ国開催は問題である。" と語ったらしい。そして更に “ もし1カ国が任務を遂行し、もう1カ国の運営が芳しくなかったら、それは我々にとって全く良いことでは無い。“とも付け加えた。
Asia Cup は7月7日から29日までヴェトナム、タイ、インドネシアそしてマレーシアで開催されるがまだまだ問題は山積みらしい。
タイは未だに競技場の改善がさっぱり進んでおらず、マレーシアでは Asia Cup よりも同じ7月に予定されているManchester United の遠征に関心が集まっているとの事。
確か、この4カ国共同開催が決まった時にこの4カ国協会はスポークスマンを通じて、“共同開催とはいってもそれぞれの都市は飛行機で2時間程度の距離。移動時間は問題にならない。”ってなことを言っていたが、この人は飛行機に乗ったことは無いのだろうか?と思った。飛行機に乗る時は少なくとも出発時刻の1時間半から2時間前には空港に行かねばならず、目的空港到着後も空港の外に出られるのに1時間程度は見積もる必要がある。最低でも都合約5~6時間は移動に時間を費やさねばならないのが現状だ。
それに空港から街中までのアクセス。マレーシアは便利な空港地下から市内直通の特急列車が開通している。しかしそれはJAL, Malaysia Air, Thai Air, Singapore Air 等のメジャーな航空会社の発着する KLIA からの話でAir Asia 等の安いキャリアーが発着する LCCT, Low Cost Carrier Terminal からはタクシーに頼らざるを得ない。
開港したばかりのバンコック新国際空港はどのキャリアーも発着出来る素晴らしい規模を誇る。空港からのアクセスはタクシーが主体だが、こういったイベントがある時は値段を釣り上げるかもなぁ。そしてジャカルタ空港、ここも規模は素晴らしいがそれに輪をかけて職員の“勤勉ぶり”も素晴らしい。外国人だと飛んできて荷物をひったくる様に運んでくれるは良いが必ずチップをせびる。まぁ日本円で500円もしないから良いけど最近はパスポートコントロールの職員までヴィザの種類(インドネシアでは入国ヴィザを約US$25 で購入せねばならない )のパスポートに貼る位置が違うとかビジネスヴィザが必要だとか何癖つけて最後は日本語で“オカネ、オカネ”と言い出す始末。市内までのアクセスは大概前払いのタクシーを使うのだが、ここの運転手が“高速料金を払え”とか“荷物は2つ目から別料金”とか言い出して金をせびる。哀れに思う私は大概タバコを一箱やってその場を凌ぐ。煙草を吸わない私のタバコ代は客へのお土産代として会社も経費で認めてくれる。ヴェトナムはまだ行ったことは無いが、インドネシア以上の事は覚悟せねばならないであろう。
Asia Cup の開催地も西アジア、中南アジア、東アジアそして ASEAN 地区と持ち回りでの開催が暗黙となっているが次々回2011年大会は中南アジア地区での開催となりインド、カタールそしてイランの3カ国が立候補しており決勝戦の前日7月28日にインドネシアのジャカルタでの総会で決定される。 
次回に東側で Asia Cup が開催されるのは12年後。だから今回は観に行っておきたいのだけど......

4月18日 UEFA は2012年の欧州選手権の開催地を Poland と Ukraine の共同開催に決定した。この大会の開催はイタリアの単独開催、クロアチア、ハンガリーの共同開催との争いであったが、個人的にはイタリアの単独開催が良いと思っていた。イタリアなら競技場も揃っているし、国内のインフラが他の立候補地よりも断然良いと思ったからでしかも戦後では1968, 1980年欧州選手権1990年ワールトカップが開催され、運営も良いと思えたからだ。
ただイタリアの落選は昨年のフーリガン暴動に寄与したと言われており、逆に昨年トリノ五輪まで開催され“イタリアにはビッグイベントはもうええやろ?”と言う雰囲気もあったらしい。
UEFAの Michel Platini 新会長は "本日Poland とUkraineがUEFA Executive 委員会の決定によりEURO 2012年のホスト国と決まりましたが、彼らは勝者にふさわしい立候補者でした。しかしながらこの投票には敗者はおらずむしろ今回はただ勝てなかっただけと言えるでしょう。今回の立候補者がどれだけ開催権を勝ち取る為に努力を惜しまずに活動をしてきたかと言う事を充分に言葉では表せません。そして全ての候補者に Football に賭ける情熱が見られました。“と開催地の名前が書かれた紙を封筒から出して2012年欧州選手権開催地の決定を発表した後にフランス語でスピーチを行った。Poland Football 協会のMichal Listkiewicz 会長は ”8,500万人の人々がこの大きな Football イベントを待っている。“とのコメントを興奮も隠さずにポーランド語で発した。またウクライナのViktor Yushchenko 大統領は”ウクライナとポーランドがこの類稀であるスポーツイベントを世界中のファンに発信する機会を持てることは素晴らしい事である“と付け加えた。
ウクライナではDnipropetrovsk, Donetsk, Kiev そしてLviv が開催都市となりポーランドはGdansk, Krakow, Poznan, Warsaw, Wroclaw, Chorzow の6都市で試合が行われるが何故 Lodz が入らなかったのだろう?しかし、ポーランドは首都の Warszawa ではどこの競技場で試合が行われるのだろう? Legia Stadium かな?それとも新しく造るのか?ポーランド、ウクライナ共に5年かけてどれだけ新しい競技場を準備できるのだろう?
それだけではない。インフラの整備はどうするのだろう?1990年代には仕事で何度もポーランドを訪れ最後に Warszawa を訪れて6年が経ったが、あれからインフラの整備は進んでいると思うがドイツの様なレベルにはまだまだ程遠いだろう。それだけではない、欧州中から大サポーターが集結するのだけど彼らを収容するホテルやレストランはあるのだろうか?それに移動の手段は?
 投票では Poland, Ukraine 共同開催には12票が投ぜられ、イタリアには4票がそしてCroatia , Hungary の共同開催には1票も入らなかったらしい。
欧州選手権はかつて1976年に ユーゴスラビアで開催されたが、当時は準々決勝まではホームアンドアウェーで行われ準決勝戦以降の3試合が集中開催され、それがユーゴスラビアで行われたという事であった。翌1980年イタリア大会から予選が行われて8カ国(1996年大会から16カ国)が開催地で集中開催される方式になった。
既に参加国が16に増えた欧州選手権、やっぱりイタリアで開催した方がよかったんじゃなかったかな?? でもあまり口をはさむのは止めよう。日本人である私にとっては欧州選手権は完全な部外者。部外者があれこれとやかく外野から口をはさむのは失礼だから......

Philip Cocu オーストラリア Sydney FC 入りか?

2007-04-21 | Aussie & Kiwi
出張から帰国して1週間が過ぎた。帰国直後は春をすっ飛ばして初夏の到来と思わせられたが、仕事の始まる月曜あたりは寒の戻りがもろに堪えて、しまいには氷雨まで降る始末。週末になりようやく春らしい気候になって来た。
オセアニアは南に離れているが、経度は差がないので時差に身体が順応しづらいと言う事は殆どない。それでも10時間以上飛行機に乗るというのは身体には良いものではなく最近はさらに疲れが取れなくてなかなか仕事にならない(その前に勤労意欲がさっぱり上がらない)期間がだんだんと長くなるなぁ。

Philip Cocu Sydney FC の Marquee Player に? 

ワールトカップ1998,2006 年大会にオランダ代表の中心選手として参加した元 PSV Eindhoven の MF Phillip Cocu が今秋(南半球のオーストラリアでは今春)からの新シーズン開幕に向け Sydney FC が物色に動いているらしい。しかしそれは現監督のBranko Culina がチームに残るかどうかによるらしい。Sydney FC と Cocu の接点はどこにあったのだろう? Branko Culina は オーストラリア代表選手Jason Culina の実父。Jason は昨年のワールトカップでは日本戦を含めて4試合すべてにフル出場。大会前には当時の代表監督であった Hiddink 氏に見いだされて PSV Eindhoven に渡りそのままレギュラーとして定着した。Jason Culina とCocu はPSVではチームメイトであったことがその接点だったのか?Sydney FCは昨シーズン初め看板選手Dwight Yorke がRobbie Keane 率いる Sounderland に移られてしまい戦力的にも、興行的にも穴埋めが出来ずシーズンを終えたが、新シーズンはCocu の他にもPierre van Hooijdonk (Feyenoord) Patrick Kluivert (PSV), Andy Cole (Portsmouth), Robbie Fowler (Liverpool) Kevin Phillips (West Bromwich Albion) にも触手を伸ばしているとか。
Cocu については Branko Culina 監督が新シーズンも指揮を執る事になれば契約締結は現実を帯びてくるらしい。
それは今行われている Asia Champions League の結果次第という事になるらしいが。
しかしそれ以上にネックとなるのは“サラリーキャップ制度”。これについては世論も肯定的で、昨シーズン Sydney FC がこの制度に抵触したと事がシーズン終盤で発覚し勝点3が差し引かれてしまい、その結果 Final Series ではMinor Semifinal からの登場となってしまった。Sydney も退屈な街ではないので、そこでも生活を楽しむ事を視野に入れれば帯同する家族も気に入ってくれてサラリーの額が満足でなくてもプレーに集中出来るのでは無いかな??

4月25日 ホームでのPersik Kediri 戦に向けて
その ACL 、4月12日に悪夢の逆転負けを喫した Sydney FC は水曜日の Persik Kediri戦は絶対に負けられない試合となる。4月18日に New South Wales 州 Premier Ship 所属の Bankstown City と練習試合を行いAlex BrosqueとDavid Carney のゴールで 2-1 と勝利を納めた。Mark Rudan , Mark Milligan を負傷で欠きNikolai Topor-Stanley とRuben Zadkovich が五輪チーム合流でいない中Bonnyrigg White Eagles に所属するJason Kencevski と Englnad からやって来た David Swanick をトライアルとして起用。来シーズンに向けて Sydney FCとの契約に至れるだろうか?またGKにはClint Bolton ではなく第二GKのDean Bouzanis が起用され怪我で離脱していたRobbie MiddlebyとJacob Timpano の二人が復活しを果たした。 Middleby は3月20日の浦和戦で途中負傷退場していた。
4月25日、Anzac Day にParramatta Stadium で行われるこの試合にはZadkovich とDavid Carney が累積警告で出場出来ないのでこの二人の復帰と長く離脱していたTerry McFlynn の回復は明るいニュースだ。

北京五輪に黄信号?
4月19日にサウジアラビアのPrince Mohammad bin Fahad Stadium で行われた五輪予選、オーストラリアは.サウジアラビアに 2-1 で敗れ、同日アウェーでヨルダンを 3-0 で降したイランに次いで Group D 3位に落ちてしまった。
オーストラリア五輪チームは A-League に所属するメンバー中心で組まれたが FW には English Premier のNewcastle United に所属する James Toroisi が初起用された。前半ロスタイムに Newcastle Jets のストライカー Mark Bridge のゴールでオーストラリアが先制。しかし58分に Melbourne Victory の Adrian Leijer がペナルティーエリア内でサウジ選手に後方から入れたタックルが反則を取られ、PKを献上した上に8分に続いて2枚目の警告を受けて退場となる最悪の判定を受け、そのPKをJaffin Al-Bishiに決められ同点とされると後は守勢一方に回り64分にYoussef al-Salemの鮮やかな逆点ゴールを喫し、その後Melbourne Victory のKristien Sarkies ヘディングシュートがゴールを割り同点ゴールと思われたがオフサイドの判定でノーゴールとされる不運もあり、そのまま挽回できずに五輪予選初黒星を喫した。次節は5月16日、Adelaide Hindmarsh Stadium にイランを迎えるがこれも絶対に負けられない試合となってしまった。2月28日はテヘランで 0-0 と引き分けたがこの試合にはBen Griffin ( Queensland Roar ) Ruben Zadkovich ( Sydney FC ) そしてAdrian Leijer の3人の中心選手が出場停止となる。Zadkovich よ君はここでも出場停止かい? サウジアラビア戦での Olyroo のメンバーは下記の通り
Saudi Arabia 2
Australia 1 (Mark Bridge 46'+)
Australian line-up: GK : Danny Vukovic ( Central Coast Mariners ), Ruben Zadkovich ( Sydney FC ) , Adrian Leijer ( Melbourne Victory ) , Ben Griffin ( Queensland Roar ) (Peter Eleftherakis 60' : Adelaide Institute Sport ), Nikolai Topor-Stanley ( Sydney FC ) , Stuart Musialik ( Newcastle Jets ) , Kristian Sarkies ( Melbourne Victory ) Leigh Broxham ( Melbourne Victory ) (Adam D'Apuzzo 63' : Newcastle Jets ) , Bruce Djite ( Adelaide United ) (Nathan Burns 80' : Adelaide United ), Mark Bridge ( Newcastle Jets ) , James Troisi ( Newcastle United : English Premier).
Subs nots used: Dario Vidosic ( Queensland Roar ) , Troy Hearfield ( Newcastle Jets ) , Vince Lia ( Melbourne Victory ) , Tando Velaphi (GK : Queensland Roar )
警告: Leijer 8'/58', Griffin 40', Zadkovich 56', Musialik 70', Vukovic 84' 退場: Leijer 58'

アルゼンチン戦中止か??
6月6日 Melbourne Cricket Ground で開催予定のアルゼンチン代表とのゲームは“延期”されるとの事。この試合は6月2日のTelestra Stadium でのウルグアイ戦に続いて7月のアジアカップに向けてのテストマッチとされていたが、アルゼンチン側が欧州でプレーする選手達の招集が難しく Best Member を保証できないと通達があったので延期を決めたとの事。 FFA 側も Best Member なら意味が無いと6月の試合の見送りを決めたらしい。その替わりに年末にオーストラリアにアルゼンチンが遠征する事を示唆されたらしい。この FFA の決定、そして事前交渉はどこかの協会も見習うべきだ。この際キリンカップが終わったら大会前に日本はメルボルン遠征を行ってはどうだろう??

Socceroo 達のその後…..
Socceroos での中心選手として期待されているSpase Dilevski が翌シーズンも続いてQueensland Roarと契約更新の交渉が行われているがかつてのSocceroos の守備を支えたTony Popovic が Roar のcoaching staff 入りするという話もある。Popovic はワールトカップではブラジル戦のみ出場し左サイドバックとしてスタメン出場し41分に Bresciano と交替でベンチに下がった。こうして Socceroos を支えてきたベテランたちは故郷に戻ってくるのかなぁ……….

高温多湿の中 Sydney FC は....

2007-04-14 | Football Asia
気温30度の Adelaide 営業は楽じゃない??

朝6時前に目が醒めた。もう少し早く起きれば UEFA Champions League の Bayern Munchen vs AC Milan がもっと看れたのにそろそろタイムアップかな?とテレビを点けて SBS に合わせると、あれれ天気予報が??そこで気がついたのだが Adelaide は Sydney よりも西に位置しているので半時間マイナスせねばならなかった、と言う事は試合も終了後のダイジェストも終わっているという事だった。
あぁ何と勿体ない事を… まず結果を知ろうとラップトップの電源を入れて uefa.com にアクセスすると、あらまぁインザーギが両手を広げている写真が、ホームのバイエルンが 0-2 で敗れたではないか。この敗戦、地元のサポーターはショックではないかな?昨シーズンも Champions League でバイエルンはAC ミランに完敗している。もう一つの試合は Liverpool が PSV を降して準決勝進出は AC Milan 以外は全て England 勢 ( Liverpool, Manchester United, Chelsea )となった。 Arsenal サポーターだけ肩身が狭い思いをしているかな??
一方の Asia Champions League の方は浦和レッズはホームで上海申花を 1-0 で破り、川崎フロンターレは全南をアウェーで 3-1 と下す快挙。浦和、川崎共に3試合を終わってグループのトップを占めている。今年こそJリーグ勢は準々決勝進出を果たして頂きたい。
また浦和の所属する Group E のもう一つの試合、Persik Kediri vs Sydney FC 戦は集中豪雨(オーストラリアのニュースではモンスーンと言っていたが)の為に延期となり12日の現地時間午前10時半(アデレード時間の午後1時)キックオフとなった。  
午前10時半は特にアウェーの Sydney FC の選手にはきつくないかな?よく AFC が認めたなぁ。午後キックオフだとまたスコールの心配があるからだろうが、そんなのは試合日程が組まれるときから解っていなかったのかな?

いつもはそれからジョギングに出掛けるのだが、この日はアポイントの時間も遅いので“朝寝”を頂くことにし、ベッドに入った。そして1時間半程度寝た。 再び目を醒ますと窓の外は強い日差しが、外に出るとこれは暑くなりそうだ、Tシャツだけでジョギングをしてもたっぷりと汗が絞れた….

午前中のアポイントを終えていったんホテルへ、別に胸算用をしていたわけでは無いがレストランのスクリーンには FOX Sports の中継する ACL の一戦 Persik Kediri vs Sydney FC を映している。 ピッチ上は蒸し暑そうだ。午前10時半のキックオフの公式戦だなんて日本では高校生以下の大会くらいではないかな?
Sydney FC は チームの要 DF Mark Milligan が累積警告で、五輪代表の MF Robbie Middley が怪我でスタメンから外れたが、その穴埋めは五輪代表の Ruben Zadkovich そして Terry McFlynn の MF が起用される。 Zadkovich は浦和戦は途中から出場している。McFlynn は昨シーズンの Minor Semi Final の 1st Leg 前半で負傷退場して以来のプレー。この McFlynn の負傷が 2nd Leg での敗北につながったと言われていた。一方前節はホームで強豪、上海申花を 1-0 で破った Persik Kediri はスタメンを3人入れ替え、ウルグアイ人FW Gonzalez のワントップにフォーメーションを替えてこの試合に臨んだ。
試合は開始早々ホームの Persik Kediri が Gonzalez のヘッドがSyndey ゴールを襲い、危うく先制点を喫するところであった。すると凄い歓声が。 バックスタンドには観客が皆無だったがメインスタンドには結構な人が詰めかけている。しかし、その後はアウェーの Sydney FC が攻め込むシーンが続く。前半8分にDavid Zdrilic 、David Carneyが右サイドを崩し最後は Steve Corica のシュートがネットを揺さぶり、アウェーの Sydney があっさり先制を決めた。 その後も Sydney が何度もPersik Kediri ゴール迫るが追加点があげられない。20分過ぎからホームの Perdik Kediri がブラジル人Danillo Fernando, ウルグアイ人Ronald Fagundez の中盤助っ人のボールキープ力から中盤を支配し始め主導権を握りだす。そしてホームの Perdik Kediri の選手が前線でボールを受けると大歓声が後押しをする。わざわざ Sydney から当地に駆けつけた人達は何人いたのかなぁ? Sydney FC イレブンからすれば完全なアウェーだっただろうに。時間が経つに通れてアウェーの Sydney イレブンの動きが鈍ってくるのがわかる。気温31度 湿度78%のコンディションはアウェーチームには厳しすぎたか?25分FKの速いリスタートから左サイドのErol Iba に渡りそこからのクロスにAris Budi Prasetiya が頭で合わせて同点ゴールを許した。その後もホームの Peredik Kediri が公式発表 15.000 人の地元観衆の声援に乗って攻勢を繰り返すかな、Sydney は何とか2失点目を防ぎ 1-1 のまま前半を終えた。

ここでアポイントの時間が来たので腰を上げた。そして最後のアポイントを終えて空港に送ってもらい、午後3時半ごろにシドニー行きの飛行機のチェックインを終えた。
Adelaide 空港は改装され素晴らしくきれいな空港になった。しかも国際線の発着が“少なく”全体的に利用客もそう多くないせいかチェックインやらすべての手続きがスムースに進んだ。 Business Class ラウンジは Free のWireless サービスがあり、そこでSydney FC が1-2 で逆転されて敗れた試合結果を知った。

これで Perdik Kedik はホームで上海申花、Syndey FC を破ったことになる。この時点で浦和 REDS が勝ち点7で首位に立ったが
4月25日は上海申花、5月9日は Perdik Kedik とアウェーでの連戦が続く。これは予想以上に厳しい戦いとなるに違いない。
また Sydney FC は次節ホームに Perdik Kedik を迎える。 Perth にはインドネシア系の移民が多いけど Sydney はどうだったかなぁ? 

4月13日、私を乗せた(他にも沢山乗せていたけど、当り前か?? ) カンタス機は成田空港に到着した。
あぁ来週から会社に…. 行きたくないなぁ・・・・・

勝ち点3を求めて Adelaide から ACL第三節

2007-04-13 | Aussie & Kiwi
後半、Adelaide に選手交代は無かったが、城南一和はブラジル人FW Itmar を下げて Kim Dong Hung を投入した。フォーメーションをどう変えて来るのだろう?と、城南の白いユニフォームを目で追っていると、47分に Nathan Burns が中盤でボールを奪い前線のDijte に、そして中央やや左を突破し、中に送るとそこには走り込んで来た Fernando がワントラップし放ったショットはついにGK 金龍大を破りホームの Adelaide が先制点を挙げた。 大歓声の Hindmarsh Stadium すぐ近くのサポーター達は ABBA の Fernando の合唱を始め先制点を祝福する。さらにその大歓声に乗って直後に今度は右サイドを崩して中央にいた Fernando がまたも放ったダイレクトシュートは惜しくも外れる。54分にはまたも右サイドからチャンスを掴み Dijite がヘッド、いったんは前にクリアーされたが、ペナルティーエリアの外からそのクリアーボールを Constanza がボレーでシュート。またも大歓声が沸く。その興奮が残る中、センターライン付近で崔成国が倒されて得たFKから早いリスタートで再び崔成国に渡るとそのまま高速ドリブルで Adelaide ゴールに一気にせまる、そして中央にあがった Mota に好クロスが入るが、完全なフリーの Mota はそれを外してしまう。韓国人サポーター達の落胆と Adelaide サポーター達の安堵の雰囲気が残る中、Costanzo が右前方の Doddoにフィード、そして右サイドを上がり中の Dijite へ、Dijite は腿でワントラップしてそのボールを城南ゴールに蹴り込み追加点を挙げた。チャンスを外し続けていた Dijit が貴重な追加点を挙げた。そしてその直前に絶好の同点機を外した Mota の心境はどうだっただろう?近くのサポーター達は “ Do Hustle !!” の曲を歌いだす。その部分は “ Bruce Hustle !! “ と歌詞を置き換えられる。
韓国人達は静まり返ってしまった。子供達までいるのになぁ、と思っているとその直後に崔成国が右サイドを高速ドリブルで上がり、中に切れ込むそしてDF二人を引き付け、後半から登場した逆サイドの Kim Dong Hun に。フリーの Kim は落ち着いてワントラップを入れネアサイドに蹴り込み1点を返すゴールを決めた。今度は韓国人達が躍り上がって喜ぶ。そして Kim Dong Hun ! Kim Dong Hun !! の歓声に続き Choi Sung Kuk ! Choi Sung Kuk !! の歓声 そして御馴染の “テ~ハミングッ” “オ~ピルスンコレア!! ” の合唱が始まる。それにしても崔成国のスピードはさすがだ、そしてクロスやラストパスに正確さが備わって来た。また近い将来Jリーグでプレーするかも。崔成国がドリブルを始めると韓国人達からは “ Choi Sung Kuk ! Choi Sung Kuk !! “ のコールが始まる。その崔成国が右サイドで後ろから Valkanis に蹴られて倒される。何度も倒されているが今度はAdelaide サポーター達の MASH の合唱が終わっても起きれない。ピッチ内での治療が始まる。大事に至らなければ良いが、ようやく起き上がり一旦ピッチの外に出ると、今度はメインスタンドから大ブーイングだ。ラグビーやオージーフットボールの盛んな国なのでそれくらいで倒れるなとでも言いたいのだろうか?
64分に城南一和は二人目の交替選手、韓東元を孫大鍋に替えて投入する。城南一和が1点を返してからは両チームともお互いにカウンター攻撃が続く、一方が攻撃に転じると両サイドバックが開いてしまうので守っている方は簡単にカウンターでゴール近くまで迫る事が出来て、攻守の速い展開が続き見ている方は面白い。 Fernando , Dijite がゴール前に迫るがチャンスを得点に結び付けられない。70分を過ぎると Adelaide ベンチに動きが出てくる。71分には DF Alagich を替えて長身の Comthwaite が投入され、74分には大歓声に送られて Fernando がベンチに下がり、Spagnuolo が入る。これで Adelaide は左から Gouliding, Valkanis, Rees, Spagnuolo の4バックでその前に Constanza がボランチの位置に。 だが次のゴールを決めたのは城南一和。 Kim Dong Hun が右サイドをドリブルで上がり中の Mota に、ペナルティーエリアやや外からのミドルシュートは GK Bajic を破り試合を振り出しに戻した。ACLの初戦、第二戦と連続してゴールを決めた Mota が、この試合散々チャンスを逸した Mota がやっとゴールを決めた。韓国人サポーター席は狂喜乱舞と言ったところか?しかし、同点では喜ぶのは首位を行く山東魯能だ、どちらも次の1点が欲しくてたまらないはず。城南一和は崔成国を下げてルーマニア人FW Adrian Neaga を投入する。これで前線を Neaga , Kim Dong Hun の2トップにし、その下に韓東元を置くがもうほぼ3トップの布陣。Kim Dong Hun のボールキープが目立つが Adelaide も必死の守り、DFが二人、三人で囲ってシュートをブロックする。長身選手同士Kim Dong Hun と Spagnuolo のマッチアップは迫力がある。 Adelaide も大歓声に乗って逆襲に転じるが、Dijite がシュートを決められない、そしてGK金龍大も好セーブを連発する。すると今度は韓国人サポーターから歓声が上がりそのまま Adelaide ゴールに迫る。城南一和はDF Jang Hack Young が上がってきてミドルを放つ。 85分には Adelaide ゴール前で Mota にボールが渡り Valkanis がタックルでシュートを撃たせない。Mota は転倒しホイッスルが鳴るがこれは Mota のシュミレーションを取られてイエローカードが出る。 Adelaide サポーター達からは大ブーイングだ。そして90分を迎えるがロスタイムはまだ3分ある。城南が Kim Dong Hun のボールキープから Mota が放つがバーの上、そして Dijite が連続してシュートを放つがGK金龍大の正面に。そして最後は Mota がペナルティーエリアのすぐ外からフリーで放ったシュートはクロスバーのはるか上を越えてホイッスルが鳴った。このシュートでMotaは足がつったのか倒れて動けない。選手達が韓国人サポーターの前に挨拶にやって来ても起き上がれなかった。
おそらくこの日の夜、 Mota と Dijite は眠れない夜となっただろう。 まさに痛み分け、3試合を残しているが首位山東魯能とは勝ち点5の差がある。

Stadium のすぐ前で待っていたタクシーに飛び乗るとラジオからAdelaide United のAurelio Vidmar監督のインタビューが聞こえてくる。この試合を中継していた地元FM局からだ。多くあったチャンスを生かせなかったこと、そして相手GKの好セーブが勝ち試合を逃したことをコメントしていた。3週間前に Sydney FC もそうだが2点リードを守り切れないところは、リーグ戦が終わって1か月半以上が経っているので試合感覚、そしてフィジカルの面が鈍っている事は否めないだろう。
タクシーの運転手は Adelaide 在住18年のサッカー好きな中国からの移民。15分余りの乗車時間、サッカー談議に花が咲く。

-今の日本のサッカーはアジアでナンバーワンだ、それだけに昨年のワールトカップの結果は残念だ。韓国は体力とスピード勝負なので見ていて面白くない。
-中国はこれから強くなるのでは?若い良い選手が出てきている。方卓、郑智 に杜威。
-まだまだ、日本や韓国には及ばない。中田英寿は素晴らしかった。そして今は中村が良い。
- 1980 年代の中国はすごかった。賈秀全、馬林、柳海光 彼らの時代、日本はかなわなかった。ソウル五輪予選は負けた。
- そうそう、私もその時代の選手達が好きだ。よく知っているな。

しかし謝育新は私の発音が悪かったせいかわからってもらえなかった。正しい発音をすれば解ってくれただろうに。
Adelaide の印象を訊くと、住むには良い街だがビジネスチャンスは少ないとの答えだった。

翌日は1,2軒営業に回ってようやく帰国の途に着ける。珍しく寝る前にビールを飲んだらすぐに眠ってしまった…..

韓国国家代表及び五輪予選メンバーは下記のサイトを参考にさせていただきました。ありがとうございました。

http://koreafootball.tea-nifty.com/topics/2007/04/post_1736.html#comment-12907555

http://koreafootball.tea-nifty.com/topics/2007/03/post_8426.html

学生街の Adelaide にて ACL 第三節 前半

2007-04-13 | Aussie & Kiwi
Sydney から空路約2時間。アデレードに到着。ここはSouth Australia州の州都とはいえ、Sydney と比較すればかなりの小規模だが小奇麗に整理されている感じを受ける。大学が多く、世界各国からの留学生が多い街として昔から知られているらしい。 Sydney は都会すぎて誘惑は多すぎるし、Melbourne は天候がいまいちで何か保守的な雰囲気があり、Brisbane はすぐ近くに Gold Coast と言う大リゾート地があるので、勉学に集中するにはここ Adelaide が適切なのだろう。
かつて Beatles がオーストラリア公演を行った時にこの Adelaide からツァーを始めた。最初のAdelaide コンサートはRingo Star が病気で参加できず 替わりに Jimmy Nicole がドラマーを務めた。
2000年のシドニー五輪の準々決勝で日本五輪代表は準々決勝でアメリカにPK戦の末敗れたがその時の会場が今の Hindmarsh Stadium , A- League に所属する Adelaide United のホームグラウンドだ。そして昨年はここで女子のワールトカッフアジア゜予選が行われなでしこ達がこのピッチで戦った。
その HIndmarsh Stadium に Adelaide United は4月11日韓国の城南一和を迎えAsia Champions League の第三節の試合が行われた。両チームの所属する Group G は山東魯能が2戦2勝で首位を行き、同日の第三節の相手もホームにベトナムの Dong Tam Long An を迎えるので勝ち点3を挙げるのは予想される。従って準々決勝進出の為にも両チームとも絶対に勝ち点3が欲しい一戦だった。
競技場のチケット売り場の前には多くの人が当日券を求める。そして韓国の人達も。在留の人たちがほとんどであろう。学生の街らしく韓国代表のレプリカを着た若者が多い。こちらじゃなかなか城南一和のユニフォームは入手難しいだろうしなぁ。2004 年の ACL では横浜マリノスと対戦した。その時はスタンドの一角に黄色いユニフォームを着た一団が熱心な声援を手拍子を交えて送っていた。
そして当時マリノスでプレーしていた安垣貞へは結構なブーイングを飛ばす人達もいた。

地元 Adelaide はACL 1,2 戦でゴールを守った Beltrama に替わり Robert Bajic がGKのスタメンに。そして MF Matthew Kemp が外れて Diego Walsh が起用された。 Kemp は6月末まで Adelaide との契約が残っていたが契約延長はせずに7月からは Melbourne Victory でプレーすることに。また、チームの重鎮でもあった MF のRoss Aloisi が怪我の回復の見通しが立たずついに引退を発表した。 彼も ACL を楽しみにしていたはずなのに。 一方の韓国の城南一和。この試合は 韓東元、そしてルーマニア人の Adrian NeagaのFW をスタメンから外して、孫大鎬、そして崔成国の代表コンビをスタメンからで起用。代表組では他にも MF 金相植、金斗鉉 GK 金龍大、がこの前のウルグアイ戦に選出され、この試合はベンチスタートだったがDF 金台潤、MF韓東元が次の五輪予選のウズベキスタン戦に臨む五輪チームに選ばれている。もう一人金浩と言うDF 選手が五輪チームに選ばれているがこの試合にはメンバー入りしていなかった。 Adelaide United は FW の Burns, Dijte の二人が五輪代表でこの前のサウジアラビア戦を戦った。

スタンド内の入りは8割程度か?ここは専用球戯場なのでピッチが近い、さっそくゴール裏に行くと近くに韓国人の大応援団達が。
その横で10人ほど地元 Adelaide のファンがビール片手に応援を。既に何人かは出来上がっている。もちろん反対側のゴール裏には赤いシャツを着た Adelaide United の大サポーター軍団が控えている。つい2か月ほど前に終わった昨シーズンの A-League では Adelaide United はGrand Final に進出したが、そこで Melbourne Victory に 0-6 と大敗北を喫しそのままシーズンは終了。この試合のスタメンの殆どはその Grand Final でプレーをしたが中2か月を置いての試合で実戦感覚が心配なところだ。対戦相手の城南一和は現在 K League で首位を走る。

両チームの選手が入場する。気温は夜になると下がったが半袖がちょうどいいくらいで、観戦には都合がいい。
コイントスの結果、目の前にゴールは城南が守る事に。韓国応援団からは大歓声が送られる。何人かの選手は手を叩いて彼らの声援に応える。立ち上がりは Adelaide は MF Travis Dadd, FW Fernando Rech のボールキープが目立つ。 Dadd はかつて U-17,U-20, U-23 にも選ばれた選手で ギリシアの Panionis でもプレーし UEFA Cup ではイタリアのウディネーゼ相手にゴールを決めてチームを勝利に導いた。 Fernande はブラジル人の助っ人で昨シーズンは18試合に出場し7ゴールを挙げた。1997年には横浜マリノスにも在籍したらしい。 城南一和は立ち上がりから崔成国のドリブルが目立つがそのサポートが遅い。何度も Adeliade の波状攻撃を受ける。
14分には Cho Byung Kuk, 金斗とつながり Mota がシュートを撃つが DF Valkanis がコーナーに逃げる。そのコーナーから Mota がヘッドを放つがゴールポストに阻まれる。これが城南最初のチャンスであった。更に18分には崔成国が左サイドをドリブルで上がりフリーの Itmar に送るがシュートは外れる。 Adelaide も19分にはフェルナンドのボールキープから最後は Bruce Dijte に渡りフリーで放ったシュートは GK 金龍大が抑える。城南一和は右から Park Jin Sub, Kim Yong Chul, Cho Byung Kuk そして Jang Hack Yong の4バック。しかし、DFが上がった時のマークの受け渡しがいまいちスムーズにいかず、特に両サイドの後ろを突かれている。 Adelaide FW 陣、特に Bruce Dijte にもう少し決定力があれば得点も挙げられただろう。それでもシュートに持ち込みサポーターを沸かせるのは城南一和の方が多い。30分にKim Yong Chul と Constanzo のDF同士がハイボールを競り合い交錯し Kim Yong Chul が倒れる。すると Adelaide サポーター達から “ MASH “ の主題歌が合唱される。この映画は私も大好きで、テレビ版も有りよく深夜に放映され、何度も看たが、舞台は朝鮮動乱時の韓国に駐留する米軍野戦病院。そう言う事まで知っていての選曲ならば Black Joke としては効きすぎていないか?しかし、韓国人たちも何も言わないのだからそこまで知らないか? Kim Yong Chul は鼻血を出したがピッチに戻る。韓国人サポーター達からは歓声があがる。そしてこの時間帯、城南一和が主導権を握る。FW Iatmar のボールキープそして金斗鉉が攻撃に絡み出した。崔成国は右に左にポジションを変えてドリブルで切れ込んでゆく。しかし、Adelaide DF 陣も何とか持ちこたえ逆襲を狙う。これに Travis Dadd, Diego Walshu のMF陣が加わる。37分には左から右の Dadd にボールが渡りDFをかわしてシュートに持ち込むが最後は Cho Byng Kuk がスライディングでブロック。しかし、最後に弾んだボールが Cho の手に当たった様に見えた。 Dadd はハンドを激しく強調するが判定はかわらず。 42分にはCKから Diego Walsh がヘッドで狙うがGK金龍大がセーブ。そしてその直後も Nathuan Burns からのパスを受けた Walsh が再びショットを放つがまたも金龍大がキャッチ。結局前半はそのまま両者無得点のまま終わった。
ハーフタイムの間、大極旗を持ったサポーター達と Adelaide のサポーター達が記念撮影をする等のシーンが目に付く。 Adelaide United は地元では “ Reds “ と呼ばれているが、韓国人の中にはおなじみの Be the Reds のシャツを着ている人もいた。
この試合は“部外者”である私は第三者的にゆっくり試合を観られる。 United Supporter の一人に”インタビュー“を試みる。

-前半の戦いに就いての印象は?
-もっと、やれると思っていた。もっとスキルも高いし早く動けるはずだ。
-Grand Final が終わって1ヶ月半間が開いて Asia Champions League が始まった が城南一和は今シーズン中でしかも首位を走っている。この違いは感じるか?
-Adelaideも選手の何人かは五輪候補にリストアップされトレーニングは続けているはずだ。
-韓国側(城南一和)は代表選手が5人いるが、そのあたりは?もちろん United にも五輪代表候補がいるが。
-なかなかタフな試合だ。彼らはあたりも強いしスピードもある。
-最後に、 ACL のタイトルを取れば日本で開催される World Club Championship の出場資格を得られるがその時は日本に来ますか?
-もちろん応援に行く。日本には友人もいる。

俺ももっともっと英語を勉強しないとなぁ。 後半に続く


多民族都市 Sydney から Adelaide に

2007-04-11 | Aussie & Kiwi
Queensland を経てシドニー入り。さすがオーストラリア大陸最大の都市は国内線ロビーにもかかわらず空港では多くの人で溢れている。 Easter を特に Gold Coast で過ごした人が多い様だ。いつも使う乗合タクシースタンドは長蛇の列。仕方なしにシドニー五輪前に開通した列車の駅に向かう。久しぶりに列車で市内に向かうが、本当に忘れていた。常宿の最寄り駅までわずか20分未満。列車がすぐに国内線ターミナル駅に入って来た幸運もあるが、乗車してチェックインしてホテルに部屋で荷物を解きだすまでわずか40分足らずだった。片道 AS$12.20 (開通した時は AS$10.00 だったと思う)なぜこの便利な列車を使わなかったのかと後悔すると共に“これは得をした気分”と足取りも軽く営業に出掛ける。 数軒の顧客を訪問し最後の引き合い顧客との商談も終えてホテルに帰ろうとすると、スポーツ用品店が目に付いた。顧客と話した場所が West Field と言うショッピングモール内だったので、顧客と別れて階下に降りた時にこのスポーツ用品店がエスカレーターの前にあった。 入口の目に付く所に昨年のワールトカップ用のレプリカがワゴン販売されていた。
懐かしさと無念さがよみがえる。そしてその中に、ななななななななんと、我が尊敬する Johnny Warren のレプリカがあるではないか。胸には WORLD CUP 1974 と刺繍され、背中には9番と WARREN とプリントが。 ワールトカップ時に何人かの Aussie 達がこのレプリカを着ていてその後オーストラリアを訪問した時に少し探してみたが見つからなかったやつだ。
早速試着をして(と言ってもカッターシャツの上から着てみただけ)合ったサイズを持ってレジに。 レジの若いおにぃちゃんに“これがほしかったんだ。私は日本人だけど、昨年ドイツで多くの Aussie がこれを着ていて探していたんだ。”と説明。しかし、彼の反応はいまいち。
Kewell, Viduka ならよく知るがJohnny Warrenは名前を知っている程度。もう一人のおにぃちゃんは名前すらしらずに、“どこのポジションだ?”と他の店員に尋ねる始末。 思わず、“日本人の私が知っていてどうしてオーストラリア人が知らないの?”と訊いてしまった。
まぁ、今の日本の高校生に釜本を知っているか?と言っても名前くらいはわかるだろうが、ネルソン吉村を知っているか?と尋ねてもさっぱりわからないであろう。 

そしてホテルのある街の中心街に向かう。 George Street, Pitt Street にも最近は Coles, Woolworth が出来たがこれが今大盛況。
今オーストラリアは在留邦人に言わせれば“まさに日本のバブル期と同じ雰囲気”らしい。おかでげ物価の高さには閉口する。コンビニでサンドイッチと600ml 入りのコーラのペットボトルを1本買っても AS$8.50 はくだらない。日本円にすると 約850円 也。日本だとこの半分以下だ。すべてがこんな調子。ランチなど AS$15 ~ AS$20 ( 1,500円~ 2,000 円)は当たり前。だからバックパッカー達は大挙して Coles 等のスーパーに行くのだ。ここだとコカコーラの 2L サイズでも AS$1.99 ( 199円程度 )で買える。パンにチーズそしてハムにミネラルウォーターを買っている人たちが夕方は特に多い。その殆どがアジア系か明らかにバックパッカーとわかるいでたちの人々。
アジア系の若いカップルが手を繋いで買い物をしている。学生かな?それとも若い夫婦かな?羨ましそうに眼で追ってしまう…….

そしてもう一つ私を含めて財布の中身が気になる人々の力強い味方が、寿司いや Sushi と言おう。
Sydney では10年以上前に中巻きサイズの海苔巻きを半分に切ったものがよく売れている。これは当時日本人の方の経営する Tokyo Roll と言う寿司ティクアウェィ店が始めたもので、この海苔巻きは長く “ Tokyo Roll “ と呼ばれて親しまれていた。今は多くの寿司ティクアウェィ店がシドニーにあるがどこもこの Tokyo Roll が売られている。それらは立てて陳列され中身が解る様にしたのが販売成功のコツだったらしい。 好景気によるインフレにも関わらずティクアウェィ寿司の値段はあまり変わらないので、食品機械業界に身を置く私としては、今回の出張ほどこの寿司を誇らしげに感じた事は無かった。 バックパッカーの金髪のカップルや地元の子供たちがこの Tokyo Roll を食べながら町を闊歩しているのだ。

私も前からお気に入りのティクアウェィ店舗で寿司を買ってホテルに戻る。今日は仕事も順調にこなして Johnny=Warren のシャツも手に入り後はゆっくりテレビでも見ながらメールを片づけるか…. そう言えば明日の早朝は Champions League が SBS でテレビ中継であったなぁ。SBSには頭が下がるよ。日本で言えば地上波で UEFA Champions League を生中継する様なものだからなぁ。
と、 テレビのリモコンに手を伸ばすが、何とテレビが点かない。何度やってもだけでレセプションの電話を入れる。すぐに担当者が来るが原因はさっぱりわからず。結局ホテルのスタッフがカードキーをもう一つ持って来て、“隣の隣の部屋が今夜はフリーです。テレビを見たい時はここの部屋を自由にお使い下さい。”と。 これには頭に来た(今から考えればそんなに怒る事でも無かったが。) そんな不便な事が出来るか、今から部屋をそちらに移るから手を貸してくれ。というと、“移らなくても良いです。2部屋お使い下さい。御代は1部屋分で。”と逃げる様に部屋を後にしようとする。 荷物運びなんてまっぴらと思ったであろう。さらに頭にきて“待て、コラッ”と日本語で叫んでドアを思い切りけり上げると本当に走ってエレベーターに飛び乗ってしまった。
仕方がないので自分で荷物を移すことに。あぁ、1泊しかしないのだから中身を出さねばよかったと後悔しながら。
そして引っ越しを終えて、鍵を返しにレセプションに降りると私の顔を見るなりさっきの男は裏に隠れてしまったので、もう一人の男性に事情を説明した。すると“今夜はもうチェックインする人もいないのでふた部屋お使い下さい”と言われたが、もし万が一夜に泊めてほしいと突然の訪問客があったらどうするのだろう…….

しかし、翌朝起床したのは午前6時半。 Champions League の Manchester United vs AS Roma 戦は終わっており試合のハイライト だけを看れた。 Manchester United は7ゴールも決めた。最初は何度も Replay をしているのかと思ったがそれが全部ゴールだった。 1st Leg でイタリアの警官達に傷つけられた無実のサポーター達の溜飲は大いに下がっただろう。
そして私は南オーストラリアの Adelaide に向かった。 この日の Adelaide は日中の気温 33度。 温暖化の影響もここに??? 続く


Celtic Bayern アイデェンティティを求めて

2007-04-10 | Aussie & Kiwi
Cairns から空路約2時間。同じ Queensland 州の州都 Brisbane に向かい、そこからレンタカーで約1時間。豪州最大のリゾート地 Gold Coast に到着した。天気は快晴中の快晴。街は家族づれや恋人同士の観光客でごった返している。訪問した時期が悪すぎた。
復活祭 Easter の真っ最中。そう言えばレンタカーもいつもはネットで容易に予約できるのに今回はかなり骨を折った。そしてその料金はこれまでのほぼ2倍。ホテルも Golad Coast の常宿はいつもの2倍料金で他をあたったがなかなか取れなくて、ようやく手頃な価格のホテルが取れた。そこは典型的な家族で訪れるリゾートホテル。一人でしかもネクタイを締めてチェックインをしたのは私一人ではないかな? 荷物を解いてすぐにお得意さんに会いに。そこで言われてしまった。“オーストラリアのカレンダーを送ってやるからそれをよく見て出張計画を組め。Gold Coast は観光地だからレストランだって開いているけど、他の街は閉まっているぞ。みな休みだぞ。”
それでも従業員の人数名と合わせて時間を作ってくれて商談やら、終わってから食事に行ったり何とか仕事はこなせた。

翌日ホテルのロビーで Celtic のレプリカを着ている男性が。寄って行って “ NAKAMURA !! “ と声を掛けると、中村の賛辞を2,3口に出しながらかれの方から右手を差し出す。 Champions League での AC Milan 戦そして Manchester United 戦の立ち話をする。
この時私はネクタイを締めていたが、今回の出張は仕事がおわると大概 Celtic の Nakamura のレプリカ(と言ってもタイで買ったやつだけど。)を着て街を歩いた。もっと気温が低いと思い、半袖のシャツはこれしか持ってこなかったからだ。
しかし、これを見て結構な人が声を掛けて来る。特に Perth では毎日5~6人の人が、そしてホテルのレセプションの人達も声を掛けてきた。訊いてみると彼らの中の半分はIrish 系だった。その昔 Celtic はカソリック系のシンボルと言われた時期があったが Ireland もカソリックが多いのでそういう関係があるのかも知れない。 Perth, Auckland のIrish Bar は Celtic Fun Club のメンバーの“巣窟”となっているらしい。 中には Celtic の Tattoo をしている人も。そして2004年の Champions League の サンシーロで行われたAC Milan 戦を観に行った人もいた。
Auckland には Celtic ファンご用達?としての有名な Irish Bar がある。昨年英国紙にも紹介された PUB だ。プールバーの壁には選手達の直筆のサインが入れられている Celtic のユニフォームが展示されている。いつの時代のものなのか?そこの初老の男性と話をした。中村俊輔がManchester United 戦で決めた2本のFKの事や訪問時に少し噂になっていたベッカムのCeltic 移籍の噂話( これについて彼は“ポッシュ(ベッカム夫人)が Glasgow に来るわけないだろう。” と切り捨てた。)1967 年に UEFA Champions Cup のタイトルを取った時はまだ移民してくる前だったということ。 すごい訛りの英語だったけど彼がいかに Celtic を愛しているかが分り、こういう人と Celtic Park に行き、中村俊輔のFKを一緒に見たいなぁと思った。

Brisbane, Gold Coast 地区を巡回するには上記した通りレンタカーを借りるのだが、ドライブインでプリペイド携帯のリチャージカードを買おうとした時、私の携帯ストラップを見た女の子が隣の男性の店員に嬉しそうに話かけだした。“見て見て、これ Bayern Munchen よ。ドイツの有名なFootball チームよ….” そこで私がドイツ語で話し掛ける。彼女は驚いたようにこちらの話に応じる。訊けばオーストラリアに来て4か月。寒い欧州と異なりここにずっといたいとの事。 Working Holiday かな?故郷は Nurnberg 。ワールトカップでは Croatia 戦があったところだ。昨年ワールトカップ観戦に出掛け、私がそこを訪れ日本代表の試合を観戦した事を話す。その間隣の男性は話題に入れない。 日本人が偶然持っていた携帯のストラップに故国を感じたのだろう。 気持はわかるなぁ。

Brisbane のある公園で記念碑を見つけた。ベトナム戦争時にオーストラリア政府はアメリカ軍と共に南ベトナム政府軍を支援し兵士を従軍させた。その記念碑にはオーストラリア国旗と今は無き南ベトナム国旗が描かれていた。 オーストラリアにはベトナムからの移民も多い。私はほとんどが70年代終わりのベトナム戦争が終わって数年経ってからの難民達だと思っていたが、中には北ベトナム共産軍(通称ベトコン)から逃れる為に、また共産圏政権から逃れる為にオーストラリアに渡って来た人も多いらしい。
アジアカップでは日本は1次リーグをベトナムで戦い、オーストラリアはタイで1次リーグに臨む。これが逆になっていれば......
今シーズンの ACL では Adelaide United がベトナムのDong Tam Long An と同組で3月21日にはアウェーながら 2-0 で快勝している。最終節の5月23日は Adelaide でこのカードが行われるが、ベトナムからの移民達は Dong Tam Long An に故国を重ねるのだろうか??  日本で生まれ、そこから離れて生活を築いた期間が短く、今日本に生活基盤のある私にはわからない事がこの国にはたくさんあるのだろう。 

ニュージーランドから再びオーストラリア大陸へ

2007-04-09 | Aussie & Kiwi
今年は秋にラグビーのワールトカップが開催される。優勝候補の筆頭は New Zealand All Blacks. 前回覇者の England , そして隣国のライバル Australia Wallabies が不振なので対抗できるのは地元フランスくらいではと言われている。 国民の期待は今回20年振りのタイトル奪還そして4年後の地元開催のワールトカップで2連覇に結びつけることらしい。 地元で発行されている邦人向け情報誌 Gekkan NZ では All Blacks の First Five Ace と言われている Daniel Carter のインタビュー記事が掲載されていた。アジア代表の我が日本は Australia, Wales , Fiji, Canada と共にPool B。上位2カ国が進出できる準々決勝にはとても進めそうにはないけど、現地でKiwi に混じってラグビーをする日本人の人達に訊くとジョン=カーワン新監督の厳しさに期待が出来そう、との事。ニュージーランド在住の19歳の日本人選手、小野晃征を抜擢したのもカーワン監督だ。この小野晃征は2歳半の時に家族と共にニュージーランドに移住し当地でラグビーを始め、地元 Christchurch Boys High School のトップチームに所属。 16歳でレギュラーポジションを勝ち取りSecond Five Ace のポジションで活躍し、ニュージーランド U-17 候補(All Blacks U-17 っていうのかな??) Canterbury州の U-16, U-19 代表にも選出される逸材。まだ最終的なワールトカップメンバーは発表されていないが、日本ラグビーを引き上げてくれる逸材には間違いない。今シーズンから日本の福岡サニックスブルースでプレーすることに。ちなみに彼の父親は空手の師範らしい。 本ワールトカップ目標は Fiji, Canada に勝つこと。これまでワールトカップ史上17試合を行い、日本の白星は1991年大会でジンバブエ戦のみ。 1995年南アメリカ大会では All Blacks に歴史的な大敗北を喫し、それから4~5年経ってもここに来た時にタクシーの運転手( マオリ系だったなぁ)にこちらが日本人だとわかると何度かそれを言われた。オーストラリアにも何度かラグビーのワールトカップで結構な点差で敗れているがあまり突っ込まれた事はないなぁ。まぁ豪州ではタクシーの運転手の殆どは移民達だから。

3月末にニュージーランド入りして。約1週間の滞在を経て再びオーストラリアに。そのニュージーランドでは仕事はまぁまぁ順調にこなしたが、今回の滞在はろくなもんではなかったなぁ。
まず、期待していた UEFA Champions League の中継が見られなかった。試合のあった4月4日、5日(ニュージーランド時間)はChristchurch に滞在。常宿のホテルは Sky Sports を見ることが出来、実際に昨年の今頃はここで Champions League の試合をテレビ観戦した。しかし、Sky Sports 1 ではCricket の世界選手権そしてラグビーのスーパー14が Sky Sports 3 で中継され Champions League は放映されず。そういえば昨秋、中村俊輔が Manchester United 相手に FK を決めた時も Christchurch にいたがテレビ中継は無く、UEFA のWEB SITE を通じて試合経過を知ったなぁ。今シーズンは New Zealand のSky Sports は UEFA と契約していないのかな?

そして最も腹が立ったのは空港の職員たち。Christchurch からWellington に移動する時きっちりエクセス料金を請求された。
この区間だけ Qantas ではなく Air New Zealand を使ったのがいけなかったか?同じ Star Alliance Group の Singapore Air の Frequent Flyer Card を見せても効果なし。Lufthansa なら効力あったのだけど。
会社負担とは言え、他の乗客はほとんどおとがめなし。確かに安チケット(こんなチケットで業務出張をさせる会社も会社だが)には手荷物の上限は20kg までと書かれている。エクセス料金を払ってからいやみっちく、あいつの荷物は何キロだ?どんなチケットだ?と しつこく訊いてやったら、チェックイン時間が迫っているから早く行けと言う。いやまだ40分近くある。と押し問答。しかしこれ以上進展などあるわけもなく出発ゲートに向かった。もちろんデスクを思い切り蹴飛ばして。 
翌日 Wellington からオーストラリアに脱出するさい。今度はエクセスは取られず。Qantas の Frequent Flyer Card が効いた。黄門様の印籠のごとく?職員のおねぇさんは“Cairns までのタグを貼っておくが、荷物は Brisbane 空港で必ず Pick Up する様に。”と忠告。しかし、このルートは初めてでないので Cairns 空港も国際空港なので税関もあるのだけどと言うと、Regulation が替わっているはずなので Brisbane 空港で必ず Pick Up してください。の一点張り。 Cairns は1泊しかしないのでもし荷物がそこで戻ってこなければ残りの行程、想像するだけでも惨め。 Brisbane 空港に到着して一旦入国手続きをして荷物の出てくるコンベアーの前に。しかし、荷物は出てこない。とりあえず Lost and found にコンタクトすると“荷物は Cairns までスルーで送られてるのでここでは Pick Up 出来ない”とカウンターのアジア系のおじさんが。 心中ほら案の定、と思いつつ事情を説明すると、彼はなにやらトランシーバーで誰かを呼ぶとかわいらしい空港職員の女性が。再び事情を説明すると、そこはてきぱきと2,3人の関係者に説明し再び入国手続きの向こうに連れ出してくれ、次のボーディングゲートに。途中で荷物の心配を説明すると、あるカウンターに連れて行ってくれてそこの担当者に事情を説明してくれて確認を取ってくれた。 
エクセスを請求しない Qantas そして親切だった Brisbane 空港の職員、いつもは泣かされる事が多い彼らだけど、今回のニュージーランドの対応と比較するとありがたく感じてたまらなかった。とはいっても最終的に安心できたのは Carins 空港で自分の荷物を見つけられてからだけど。 
ニュージーランドもオーストラリアも日本人だと英語が出来ないと思ってなめた態度をとる白人が多い。これは現地の日本人を含めたアジア系の移民が語っていた。自分の土地に入ってきて勝手に商売して儲けやがてと思っているのだ。
しかし、ならば言わせてもらおう。オーストラリアは元々アボリジーニの土地でニュージーランドはマオリの地だ。白人たちこそ入植、そして流刑されてきたのだ。 

Cairns は 氷雨の Wellington と異なり亜熱帯の気候。気温、湿度も高く時折にわか雨が。昨年の3月末頃ここに来た時は記録的なハリケーンが過ぎたばかりで中心街では停電のおこるところも。今年はソロモン諸島沖の地震、津波の影響を案じて避難勧告が出されたらしいが波の高さは最高でも20cm だったらしい。地元の人はサーフィンも出来やしないと苦笑していた。最もここはサーフィンでは有名でなくダイビングが有名。この地区限定の野生の熱帯魚がじっくりとみられるらしい。ダイビングは一回挑戦したいなぁ。

朝、ジョギングをしていると迎撃用の大砲が一門展示してある。第二次大戦中にここからオーストラリア兵士達がオランダ軍等に従軍する為に出兵したらしい。そして日本の侵攻に備えてこういう武器がここに並べられたとの事。実際に使われた事はあったのだろうか……
またひとつ宿題が増えたみたいだなぁ。 そして私は次なる訪問地、 Brisbane , Gold Coast 地区に向かいました……