Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

All Whites の快挙から…..

2009-11-19 | 夏季五輪
All Whites の28年振りワールドカップ出場を決めて5日が経った。
地元紙はようやくこの話題から離れて欧州遠征中の All Blacks の様子が報道されている。ニュージーランド時間で15日の早朝に Milano の San Siro Stadium で行われたイタリアとのテストマッチでは圧倒的にボールを支配されながら 20-6 と勝利を収めそしてその試合でのスクラムが話題になっている。

 

今週末にはトゥィッケナムで England と対戦し、その翌週のフランス戦では白のジャージーを着用する事らしい。

 

Moss named in squad of 23

出場停止中の Melbourne Victory のGK Glen Moss がワールドカップメンバーにノミネートされた。 Hebert 監督は既にバーレーンとのプレーオフにベンチ入りを果たした18名をワールドカップメンバーに入れると明言。そして元々 All Whites の第1GKであった Glen Moss もメンバーに入れると。
“ Moss も行くだろう。彼も連れて行く。” 試合の翌々日 Herbert 監督はこう語った。  Glen Moss は昨年のワールドカップオセアニア地区予選最終戦の Fiji 戦で主審に暴言を吐き何と4試合の出場停止処分に。バーレーンとのプレーオフそしてワールドカップでは最初の2試合に出場出来ない。
“Glen と Mark ( Paston ) の二人は共にチームのベストGKだ。2人ともワールドカップに行く事となるだろう。Glen は若い。これからも多くの試合をニュージーランドの為にこなすだろう。だから彼はワールドカップに必要だ。”
Glen Moss が守る Melbourne Victory のゴールは今シーズンこれまで22回破られている。22失点はチームは2位にいながら最多失点。確かに失点全てがGKの責任ではないがチームは次節の Brisbane Roar 戦では第2GKの Mitch Langerak に起用も考えているらしい。それでも Confederations Cup ではスーパーセーブを連発しチームの勝ち点1をイラク戦でももたらした Moss の存在は必要なのだろう。

Moss が当選確実となると残る椅子はあと4席。 先のFIFA U-17 そしてユース代表選手からは候補は見当たらず、 Kilmarnok のDF Steven Old ( Confederations Cup のメンバー 出場機会は無し ) , North Queensland Fory の Jeremy Brookie ( Confederations Cup に出場 ) Columbus Crew の MF Dugan Oughton , Chris James ( 共に Confederations Cup に出場 ) そして Wellington Phoenix の若い Costa Barbarouses らが有力。そして Ipswich Town の期待の19歳 のCB Tommy Smith もCB のバックアップメンバーとしてメンバー入りが噂されている。
Tommy Smith はかつて Rory Fallon そして Michael McGlinchey の様に England U-17 メンバーに入った事があるらしい。 

また Herbert 監督が指揮を執る Wellington Phoenix の Terry Serepisos オーナーは Herbert が Phoenix と All Whites の監督を引き続き兼任する事を歓迎しているが12月5日(現地時間は12月4日)に南アフリカ Cape Town で行われるワールドカップ抽選会に Herbert 監督を出席させる事に難色を示している。 12月4日はホームに Melbourne Victory を迎えての試合が行われる。

“アウェーゲーム2連戦後に Victory とのホームゲームが控えている。我々が今シーズンのまっさい中だ。この Victory 戦は Final Series 進出の為の TOP6 に残る為の重要な試合だ。もしそんなに重要な試合でなかったなら Herbert 監督を行かせるかどうか等は考えもしないだろう。” 
この件は Herbert 監督と話し合うらしい。その一方で All Whites 効果も期待しているとか。
“チーム立ち上げから2年。我々は今回の All Whites の快挙に少しでも貢献したと思っている。この予選突破効果にちなんで多くのサポーター達が来てくれる事を望んでいる。” 
Phoenix は後述する通りアマチュア選手の Aaron Scott やシーズンが終わったアメリカ MLS 所属の Dugan Oughton, Chris James らをワールドカップ予選の為にチームの練習に合流させる事を容認したりと All Whites の予選突破にかなり協力をしたけど観客動員を期待するのであればHerbert 監督を南アフリカに行かせてあげればとおもうんだけどなぁ…

All White back to daily job

後半19分に Michael McGlinchy に替って投入された Andy Barron は地元のアマチュアチームTeam Wellington に所属するアマチュア選手。それでも代表出場歴は13試合で1ゴールを決めている。試合の翌々日16日月曜日は休みを取ったが17日の火曜日からは地元の銀行職務に戻る。今年は Confederations Cup 、ヨルダン遠征そしてバーレーンとのプレーオフ等で10週間の有給休暇を使い果たしてしまったとの事。 Barron は今年の Confederations Cup そして10月のマナマでのアウェーゲームには出場機会が無かったが最後のホームゲームでは後半途中から投入され30分弱のプレーであったが見事に役割を果たし無失点に貢献した。 Ricki Herbert 監督はバーレーン戦にベンチ入りを果たした18選手はワールドカップメンバーに入れると公言をしているがまだ彼自身は“当選確実”とは思っていないようだ。
“そうはいってもまだワールドカップは8カ月も先の話。それまで体調を管理しベストの状態に保ちつつ所属クラブでプレーしていなければならない。”
アマチュア選手にとってはありがたいボーナスがある。ワールドカップ予選突破によって得た収益からチームの選手達に10万ドル(約640万円)が出場等に応じて分配されるとの事。
”来年6月までここ(職場)にいなければならない。何が起こっても不思議ではない。それはもって有難いボーナスだ。 私は地元の Wellington Phoenix で何度もトレーニングをさせてもらった。半日はここにいて半日は Phoenix でトレーニングをしていた。職場の皆は非常に協力的で全てを認めてくれた。私がここにいない時は大変だっただろう。本当に感謝している。“

また22日日曜日、 Team Wellington が Newtown Park で国内リーグ戦の Otago United との一戦を迎える時は35,000人から数100人の観衆に戻り元のプレー環境に戻った事を知るだろう。
“土曜日の 大観衆は驚きだった。ただスローインやフリーキックを得たりしただけでものすごい歓声だった。我々は35,000 人かそれ以上の前でプレーした事もあるがあの歓声は正直大変な後押しとなった。” と彼は述懐する。
他のアマチュア選手は Team Wellington のGK James Bannatyne , Waitako のフルバック Aaron Scott ( Confederations Cup のイラク戦で途中から出場 ) そして Auckland City の 元 オランダ Eredivisie の Roda JC 所属のベテラン DF Ivan Vicelich 。 Vicelich は All Whites から引退していたが Confederations Cup に Ryan Nelsen が怪我で出場出来ない事から Herbert 監督から復帰を顧願され代表に復帰し Confederations Cup からこのワールドカップ予選までの5試合すべてにフル出場を果たした。 
Aaron Scott は自分が卒業した高校でそして Bannatyne は PUMA 社で働いているらしい。( Bannatyne には昔サインを貰った事があるぞ。貰っておいてよかった。) ポルトガルの C. Ronald の様に移籍に8,000 万ポンド ( 約128億円 )が動く選手もいれば Andy Barron の様に有給休暇を使ってワールドカップ予選に臨む選手もいる。そういう選手も揃ってこそワールドカップだと思う。

 

敗れたバーレーンの地元紙はこの様に報道されていた。 新たな時代の幕開けではと思われたがニュージーランドに 0-1 で敗れたこの日の午後(現地時間の。ニュージーランドとバーレーンの時差は10時間 )再び暗闇に戻ってしまった。この敗因は天空により機能不全や天候の移り変わりではなくピッチレベルでの人間的な失策によるものだった。
無様なPKの失敗がワールドカップ初出場に必要であったアウェーゴールを失い、基本的なエラーの繋がりが繰り返された事によりバーレーンの夢を打ち砕いてしまった。 チームの出来はとても受け入れがたいものであった。 
ディフェンダーはミスを繰り返し、中盤は基本的な失策を犯しFWはシュートをする為のシューズをはるか 15,000 km 後ろの時差10時間の Riffa にある National Stadium に忘れて来た様だ。バーレーンは彼らの専売特許である自然におこる Jaycee John と Abdulla Fatadi のトップの選手のカウンター攻撃に頼りすぎていた。特に試合開始10分間は前線にスペースが出来ていつでも得点が出来ると言う脅威を与えていた。ほとんどあたかもバーレーンは最初の15分で試合を終わらせてチャーター機で引き返そうとしていた様に見えた。
開始直後は明らかにスペースを与えて侵入を許していた Kiwi 達だったが徐々にであるが修復をしペースを握って行った。 ホスト国が最初のプレッシャーを白色の服で埋め尽くされたスタジアムから発せられる大歓声に勇気づけられ、緊張がほぐれて来た Kiwi 達が次第に攻撃を見せる様になる一方でバーレーンは最初のペースを維持する事が出来無くなって来た。
Ryan Nelson はShane Smeltz のショットが最終的に上側のゴールネットに乗ったがその最初のチャンスを演出し、12m 後方の Leo Bertos のFK からChris Killen に送られ放たれたシュートはクロスバーを直撃した。 Kiwi 達は明らかにトップギアーに入りバーレーンはそれを助けた。バーレーンの前半最初のチャンスは Joycee John がエリア外から放った強烈なボレーシュートであったがこれは GK Mark Paston にセーブされてしまった。バーレーン GK Sayed Jaffar も Bertos が右サイドから送ったクロスにFallon が合わせたヘッドを右手一本で防ぐという英雄的なファインセーブを演じた。しかし前半も残りあと数秒と云うところで Fallon の均衡を破られ何千人ものバーレーンサポーター達を失望の底に陥れた。以前 England のユースチームに所属した Fallon のヘッドが Bertos の素晴らしいクロスからゴールを割ったが試合はそれだけでは決まらなかった。後半7分、 Abdulla Fatadi がエリア内に侵入した Abdulla Omar にスルーパスを通したが Omar は Tony Lochhead に倒されウルグアイ人の Jorge 主審はすぐさまペナルティースポットを指し、その横でバーレーン選手達が喜びあいはじめた。それはあたかもこの重要な試合でアウェーゴールを決めワールドカップ行きの飛行機に乗り込んだ様であった。
しかしそれは失敗の前兆の現れであった。自信無げに映った Syed Mohammed Adnan がペナルティーを放つまでにバーレーン選手達は全てのエネルギーを使い果たしてしまった様だった。 Adnan のショットはパワー、正確さそしてその他の驚異を与える要素の全てを欠いており Kiwi GK の Paston が容易に右に倒れ込んで防いでしまった。これを Kiwi ジャーナリストが皮肉った“私のおばあさんでも良い仕事をするよ。”

  

この決定機を逃したバーレーン選手達は肩を落としてしまい、生き返った Kiwi 達は攻守に輝きを取り戻し New Zealand に追加点が入ってもおかしくは無かった。
結局 Kiwi 達のスローガン “ One shot away fro glory : 栄光まであとワンショット“そのまま 前半でバーレン守備陣とGKを打ち破ってしまった。

失意の帰国となったバーレーン代表であったが4日後に引き続きマチャラ監督の指揮のもとマナマで Asian Cup のイエメン戦に臨んだ。 ニュージーランドの最終戦で起用されたスタメンから3人の選手が使われただけだった。それでも 4-0 と快勝を収め2年後の Asian Cup 出場をほぼ手中に収める事となった。 
日本とは来年3月3日に対戦する事となっている。また更に4年後を目指してチーム作りが始まっているのだと思う。

  


New Zealand All Whites Bahrain 破り28年振りの悲願達成

2009-11-16 | 夏季五輪

2006年6月4日。ワールドカップドイツ大会開幕を数日後に控えスイスジュネーブの Stade de Geneve 競技場には32,000人の観衆が集まった。彼らのお目当ては前回大会で優勝したブラジル代表。そして対戦相手はニュージーランド代表だった。
大会直前の最終調整と1次リーグで同じグループに属する“仮想”オーストラリア対策でもあったらしい。ブラジル代表はレギュラーメンバーがほとんどスタメン出場し観客は大喜び。ニュージーランドも立ち上がりから頑張り43分にロナウドに先制されるまで失点を許さなかったが後半はアドリアーノ、カカ、ジュニーニョに得点を許し 4-0 で敗れた。
ブラジルにとっては完全な調整試合でその調整相手のニュージーランドに興味を示す観客は殆どいなかった。
きっと屈辱感を感じたと思う。この時指揮を執っていた Rickey Herbert 監督は心の中で誓っただろう。 

     4年後は必ず出てやる….と…..

Referee: Jerome Laperriere (Switzerland).
Brazil 4 (Ronaldo 43, Adriano 51, Kaka 86, Juninho 93) New Zealand 0.
Halftime: 1-0.

New Zealand (4-4-2): Glen Moss, Noah Hickey, Danny Hay (captain/Bunce 25/Raf de Gregorio 82), Steven Old, Kris Bouckenooghe, David Mulligan (Jarrod Smith 60), Ivan Vicelich, Jeremy Christie (Tim Brown 66), Leo Bertos (Chris James 86), Vaughan Coveny (Jeremy Brockie 76), Chris Killen.

Brazil (4-2-2-2): Dida, Cafu (Cicinho 75), Lucio, Juan, Roberto Carlos (Gilberto 64), Ze Roberto (Juninho 64), Emerson (Gilberto Silva 64), Ronaldinho (Ricardinho 75), Kaka, Ronaldo (Robinho 46), Adriano.



あれから3年5カ月が経った2009年11月14日。ワールドカップに向けて最後の大勝負、バーレーン戦に Wellington の WESTPAC Stadium で臨む事になった。
午後7時過ぎ、ホテルから競技場に向かうが同じ方向に向かう人の行列が。 WESTPAC 競技場は街の中心街に位置しており中央駅(と言ってもほとんど電車は走らないらしいが)のプラットホームから入口まで続いている。

      

みな示し合わせたように白色の服を着ており食品工場で着られる使い捨ての白い作業着を着る人達も少なくなかった。私の様に All Blacks のジャケットを着る人はこの日ばかりは皆無に等しく、黒のジャケットを着る人でもちゃんと New Zeland Football と刺繍が入っていた。

          

競技場は小さな赤一色のバーレーンサポーター席以外は白一色であった。試合開始20分前だと言うのに手拍子に“ All Whites !! “の掛け声、そしてアップをしていたバーレーンの選手達が控室に戻り始めると大ブーイングと口笛を送る。ここで欧州や南米並みのサポーター声援が見られるとは….やはりサッカーは世界中にあるのだ。
          
          
選手が入場し両国の国歌が演奏される。勿論後から流れたニュージーランド国歌には大観衆が一斉に合唱をする。
ピッチの上に散った選手達を注視する。特にニュージーランドは本当に3バックを採用するのか?と目を凝らすとBertos が右サイドの中盤に。あぁやはり3バックか…と思う。そしてバーレーンは Salman Isa を左サイドにおいた。10月のマナマでの試合では右サイドであったらしいがこれはBertos の裏を突く為と Bertos 自身の上がりを抑える為だろう。

                     ① GK Sayed Jaffer

   ⑮Abdulla Omar    ⑯ Sayed Mahfoodh   ⑰ Husain Baba  ⑫ Fauzi Aaishu 


                      ⑩ Mahmed Slaeem             ⑦ Sayed Jalal  


        ⑤ Mohammed Hubail                            ⑭ Salman Isa


              ④ Abdula Fatadi     ⑥ Jaycee John Okwunwanne


                    ⑭ Rory Fallon

         ⑩ Chris Killen                    ⑨ Shane Smletz


 ③ Tony Lcohhead   ⑫ Michael McGlinchey   ⑧ Tim Brown        ⑪ Leo Bertos

  
        ⑤ Ivan Vicelich    ⑥ Ryan Nelsen      ④ Ben Sigmund


                      ①GK Mark Paston

マナマでのスタメンからバーレーンは Jayce John のワントップとなりFW Husain Ahmed が外れて Abdula Fatadi がMFに入った。 ニュージーランドは MFに McGlinchy が Simon Elliot に替って起用された。 McGlinchy はマナマでの試合で68分から投入されチームに攻撃のリズムを与えた。 Tim Brown , Leo Bertos , Chris Killen そして Ivan Vicelich の4人が3年前のブラジル戦に出場している。

開始15秒右サイドからの Joyce John のミドルシュートで幕が開ける。バーレーンはMF Fatadi が右サイドいっぱいに開き更に S. Isa が Bertos の上がった裏を突く。序盤はマイボールとなると左から M.Hubail, A. Fatadi J.Johnそして S. Isan らが4トップ気味にラインを作る。特に M. Hunail, S. Isaが両サイドを突いてくる。立ち上がりやや硬さの見える All Whites は防戦気味。何とか Nelsen が攻撃を跳ね返すが Sigmund が J.John へのタックルでイエローカードが出された。これで Sigmund は累積警告が2枚目となりこの試合に勝ってもワールドカップ初戦には出場できない。だが今はこの試合のことしか頭になかっただろう。
立ち上がりは守勢だった All Whites だったがセットプレーをきっかけに地元の大歓声を受けて徐々にペースを掴んでくる。特に Bertos が右サイドから走り込んでそしてFK,CKでは効果的にクロスを上げる。高さでは有利な All Whites は8分には Sigmund 、14分には Killen がヘッドを放つがこれらは Bertos のクロスから。18分、右サイドで Bertos が入れたボールを背中にDFを負いながら Killen が振り向きざまにシュートを放つが惜しくもバーを叩いた。21分には Bertos が S. Jalal に倒されて得た FK を Bertos が今度は自ら直接狙うがおしくもクロスバーの僅か上を通過する。 All Whites は右サイド突破,時折逆サイドにも顔を出す Bertos のポジション取りそしてドリブルを武器に完全に中盤を支配してしまった。マナマでは見られなかったシーンがここでは序盤から披露される。
攻勢を続けるうちに何とか先制ゴールが欲しいところだが31分には今度はバーレーンが Vicelich のファールでFKを与えそこから波状攻撃を見せる。FKは一旦ヘッドでクリアーされるがそれを拾った A. Omar が中に入れ M.Hubail がそのまま強烈なボレーを放つがここは GK Paston が弾く。こぼれたところを再び M. Hubail がゴール前に入れるとカバーに入った Bertos に当たり詰めて来た M. Saleem の前に落ちるがここも GK Paston が必死のセーブで最後は Bertos のクリアーで失点を免れたが危ないシーンであった。
中盤を支配されたバーレーンも攻撃はセットプレー頼みだが、30分を過ぎると倒されてもなかなか起き上がらない様になり大観衆からブーイングが飛ぶ。 
41分 All Whites が決定的なチャンスを作る。 Bertos が右サイドで S. Isa をかわして Aaish がマークに入る前に中に入れたクロスを中央でフリーだった Fallon がヘッドを放つ。観衆が一斉に立ち上がるが 至近距離からのヘッドをGK Jaffer が左手1本で弾き出すスーパーファインセーブを披露しFallon と観衆達が頭を抱える。惜しい決定機だったがここはGK Jaffer を褒めるべきだろう。
その直後に今度はバーレーンが左サイドでFKを得る。Isa のFKが中央に飛ぶが Fatadi と J.Jhon の二人がフリーなのにかえって重なってしまってシュートが撃てなかった。 All Whites にとっては助かったシーンだった。
そして前半もこのまま 0-0 かと思われた44分 All Whites は Bertos が上げた CK を Fallon が再びヘッドで捕えるが今度は GK Jaffer も防ぐ事が出来ずゴールネットを遂に揺らした。 
        

大歓声が競技場内を渦巻く。その前の決定機を防がれた Fallon が今度はバーレーンゴールに捻じ込んだ。何度もCK, FK のセットプレーからチャンスを作っていたがようやく先制ゴールが生まれた。そして再び大歓声と共に前半終了の笛が湧き上がった。バーレーンにとっては痛い時間帯の失点であったが次にゴールを上げれば立場はがらっと変わってしまうのでまだまだチャンスは残っていると思った。

        

後半にはいるとバーレーンは最前線を Fatadi と J.Jhon の2トップにし、M. Slaeem を2列目の中盤に上げて右に M. Hubail, 左に S. Isa を置き攻撃力をアップさせた事によりバーレーンの攻撃が続いた。そして50分 WESTPAC Stadium が静まり返る。 All Whites PA内に侵入した Omar に Fatadi のスルーパスが通ったところを後ろから Lochhead が倒してしまい主審がペナルティースポットを差した。初めはPKを与えた事がなかなか解らなかった。しかし J. John がバーレーンサポーター席に向かって両手を上げて歓声を煽るジェスチャーをし、他の選手が全てPAから出てしまったのでPKだと解った。 観衆はボールをセットした Sayed M. Adnan にプレッシャーを与えるべくブーイングを発する。ここでPKが決まれば立場は完全に逆転する。しかし Adnan の蹴ったシュートを GK Paston が右に倒れ込んでセーブし大ピンチを救った。 
        

先制ゴールが決まった時よりも大きな歓声が渦巻く。 Paston 一世一代の超ファインセーブであった。
Adnan が顔を覆ってしまう。それでもバーレーンは何とか同点を目指して猛攻を繰り返す。 54分 J. John が Sigmund を背負いながらシュートに持ち込むがボールはサイドネットに。55分にも前線にスルーパスが入るがこれはオフサイド。58分左からクロスが入るがここは落ち着いて Nelsen がクリアー 59分、 Omar からボールを受けた M. Saleem が右からクロスを入れるが Paston がキャッチ。61分には CKから S. Isa がヘッドを放つがこれはPaston の正面。この日は Nelsen の攻撃参加が少なかったがそれ失点を防ぐ為であったと試合後語っていた。
劣勢の All Whites は64分に McGlinchey に替って Andy Barron を投入する。マナマでの試合そしてFIFA Confederations Cup でも出場機会の無かった選手だ。  69分久々にバーレーンゴール前に迫った All Whites は決定的なチャンスを逃す。 Bertos が Aaish を振り切って入れたクロスをフリーだった Smeltz が撃つがポストの僅か右に外れる。決まっていれば All Whites がかなり優位になるところであったが..

なかなかゴールが奪えないバーレーンは73分 左サイドバックの Aaish を下げてそこに Isa を置いて2列目右にはサウジアラビア戦で奇跡の同点ゴールを決めた Ismaeel Latif を入れ、79分に Sayed Jalal を下げて Mohamood Abdulraham を入れる。右サイドバックに入った S. Isa を左サイドバックに回し、 Abdul Omar を中盤に上げ Mohamed Hubail を左サイドバックに入れる。そしてマイボールになるとCBの Adnan、 Baba の二人を残して全員が上がってくるしかしまだ焦る時間ではないのだがパスが上手く繋がらなくなってしまいシュートに持ち込めない。All Whites DF陣は Bertos, Lochhead が下がって5バックになり対応する。そしてカウンターで2点目を狙うが残るバーレーンCBの二人が必死の守りで2点目を許さない。バーレーンはとにかく得点を取らねばならないが All Whites にとってはこのまま守り切ればワールドカップ出場となる、しかし1点取られると全く立場が変わるので難しい時間帯になってきた。
85分にバーレーンベンチは M. Hubail を下げて Ahmed Taleb を入れて右サイドの2列目を替える。70分あたりから風が強くなりバーレーンの方がやや追い風となる。選手達のユニフォームもかなり風で揺れてくる。
90分になりロスタイムが3分とアナウンスされる。スクリーンにはマチャラ監督がアップになる。Tim Brown が空中戦の競り合いで接触し足を痛めて立てない。 Andy Boyes が投入される。両チームとも最後の力を振り絞るがシュートシーンを演じるのは All Whites の方ばかり。91分26秒には Bertos からボールを受けた Chris Wood が左サイドからクロスを上げフリーの Smeltz がヘッドで狙うが少し前に入りすぎてジャストミートしない。 91分48秒には Wood からのスルーパスに抜け出た Smeltz が再びファーサイド側を狙うがポストの僅か左を転がりぬけていく。
ロスタイムに入る少し前から観客は白いシャツやマフラーを振りまわす。

       

92分33秒 Vicelich が相手を倒して FKを与える。バーレーン最後のチャンスだ。ほぼ全員が前線に張りだすが Fatadi のヘッドはPaston の手に時計は93分を過ぎた。 Larrionda 主審が Paston のもとに駆け寄りボールを渡すように促し Paston が渡すと右手を上げてタイムアップのホイッスルを吹く。ピッチ上そしてベンチの選手達が一斉にGK Paston のところに駆け寄り喜びを爆発させる。観客席も大騒ぎだ。

       

バーレーン選手達はそのまま控室に直行する。顔を覆っている選手も。あぁ勝敗の無情……

       

Man of the Match はPKと云う絶体絶命のピンチを救った GK Mark Paston 。本来第1キーパーは出場停止中の Glen Moss だが(ワールドカップの第二戦まで出場停止)これで押しも押されぬ正GKとなるのではないか?
Herbert 監督が報道陣そして関係者にもみくちゃにされている。しばらく忙しい日々が続くだろう……

       

歓喜は夜遅くまで続いたと思われる。ホテルに帰るまでどのバーも満員だった。そしてホテルのバーも。前回のワールドカップ出場決定は遠くシンガポールでの中国とのプレーオフだった。目の前の自国サポーター達の前ので決まったのは初めて。
(そういえば日本はまだ日本でワールドカップ出場を決めていないなぁ....)

この快挙のおかげでサッカーファンも市民権を得られるだろう。私は部屋で1人この試合の再放送を見ながら昼間買っておいた寿司をつついた。何人かのマスコミを含めた日本人達は、チェコ、スウェーデン、クロアチアが予選で落ちてニュージーランドが出るだなんてと公言するだろうがそれは日本も同じだ。世界中で歓喜があるからワールドカップなのだ….そう再認識させられた夜だった。それにしても風が強くて冷たかったなぁ….
そして翌朝、同じホテルに宿泊するこの国のサッカー関係者は少なくなかった。チェックアウトして空港に向かう前に彼らと立ち話をする時間があった。そして最後にこう言うと彼らはにっこり笑って固い握手をしてくれた。

               See you in South Africe !!

      


New Zealand All Whites 28年ぶりワールドカップ出場 !!

2009-11-14 | 夏季五輪
All Whites がついに28年ぶりの悲願を達成した。時間を追うごとに気温が下がり風が強くなった Wellington WESTPAC Stadium に集まった35,194人の9割以上の大声援を受けて、そして試合終了の瞬間に上がった大歓声を聞いて本当に感動した。
ワールドカップ出場の瞬間を生で見届けたのは初めてだった。当事者でないとは言え、感動した。心からおめでとうと言いたい気持だった。

敗れて引き上げてくるバーレーンの選手達の気持も痛いほどわかる。それは地元の観客も同じだと思うが.... 試合の模様はまた追ってレポートします。 それにしても風が冷たく強い夜だったなぁ......

    

All Whites の挑戦 いよいよ最終決戦を前に その2

2009-11-14 | 夏季五輪

Wellington がこんなに暖かいとは思わなかった。こりゃぁ地元マスコミも報じるホームアドヴァンテージの一つバーレーンでは感じる事の出来ない気温の低さが少し無くなるかもしれないなぁ…… しかしこれは“危惧”に過ぎなかった。
午後3時を過ぎると風が出て来て気温が急速に下がってくる。キックオフ時間の午後8時ごろは10度を割っているのではないかと思った。
バーレーンが Wellington 入りしたのは11月12日。その前は4,5日間シドニーで調整合宿をしていたらしいが今のシドニーは日中の気温が30度近く(私がいた日は35度まで上がった)になる。調整合宿には少し気温の違いがありすぎないか……
しかし気温の低さがどれだけ影響するのかは分からないが。

試合当日も朝から良い天気。海辺をジョギングするがウィンドサーフィンを楽しむ人達も。Windy Wellington 風が強い。街はワールドカップ予選一色だ。イベントも催され、パブリックビューイングの準備も。 

     

All Blacks 専門店も今日だけは All Whites Goods の販売の為にレジを叩いていた事だろう。

     

地元紙を見ると一面に Ryan Nelsen や Rickie Herbart 監督の写真が。Field of Dreams との見出しで会場となる WESTPAC STADIUM の写真が半ページぶち抜きで載せられている。
28年振りのワールドカップ進出に大きな期待が寄せられている。街には All Whites のシャツを着る人の中に僅かだが赤いジャージを着たバーレーンのサポーターも。 こういう光景を見ると片方が敗れる事が非情に見えて仕方がないが当たり前の事なんだなぁ…. 既に予選突破をした我が日本代表に改めて感謝をしたくなった。

Weekend Herald にも Dominion Post にも今日採用されるフォーメーション 3-4-3 にはリスクを唱える。

             Chris Killen                    Rory Flllon

                           Shane Smeltz 

Tony Lochhead   Tim Brown  Simon Elliot  Leo Bertos

      Ivan Vicelich    Ryan Nelsen    Ben Sigmund

                        GK Mark Paston

10月のバーレーン戦とまったく同じスタメン予想。MF に Michael McGlinchey をSimo Elliot に替って起用するのではと云う新聞も。マナマの試合では McGlinchey が68分に投入されてから攻撃シーンが増えたらしい。ワールドカップ出場の為には得点が必要な All Whites は Bertos の攻撃力を生かさねばならない。 Fallon , Killen の長身を生かす為にも右から Bertos そして 左から Lochhead のクロスが必要だ。
そうなると このフォーメーションでは Smeltz がカウンターに備えて Bertos の上がったポジションを埋めねばならいが Smeltz の得点能力を考えればこれは勿体ない。彼は2トップの下に配置されて Fallon, Killen がハイボールを落とした所を拾う役目を担うべきだ。
ただこの3バックの決定は Sigmund がCBよりも右サイドバックとしての動きが良いと判断されたかららしいが... そしてマナマの試合では空中戦で優位に立てたことが同じフォーメーションを採用する要素にもなったらしい。
しかし私は少し異議を唱えたい(誰もきかないけど。) マナマでの試合はホームのバーレーンこそ失点したくなかった試合。CBの Sayed Mohamed Adnan の攻撃能力は我々日本人の間では周知だ。もし 0-0 で試合が進み終盤に彼がゴール前に現れたら Nelsen や Sigmund でさえそう容易に抑えられないと思う。確かに彼は前半からセットプレーでは All Whites ゴール前に出て来ていたが。しかも Adnan は足元も器用だ。 

しかし Ricky Herbert 監督はこのフォーメーションに関する議論に “ 試合開始の笛が鳴れば戦術対戦術のぶつかり合いでシステムは単にそのベースに過ぎない” とのコメントを残した。

    

 

一方のアウェーの Bahrain 。予想スタメンは下記のとおりだがこれもマナマでの試合と同じスタメン。

           Jaycee J.Okwunwanne      Husain Ahmed 
          
Mohammed                                            Hubail Salman Isa

           Sayed Jalal                   Mohamed Salmeen

Fouzi Aaishu   Husain Bana   Sayed M. Adnan   Abdulla Omar

                           GK Sayed Jaffer

Aala Hubail は遠征メンバーに入っていたけど起用される事は…..
昨日の記者会見でマチャラ監督は“確かに我々はプレッシャーを感じるがこれが初めてではない。2007年からずっとプレッシャーの下で試合を行ってきた。全ての試合が重要だ。”と答え、 New Zealand チームの弱点を見つけられたか?との問いに就いては“彼らを Respect している。”と外交的に答えた。
またワールドカップ予選をNew Zealand がこれまで6試合だったのに対し15試合戦ってきたがその“経験”は関係ないと。 
マナマでの試合は前半は慎重に戦い後半には見違えるほど良くなったと語った。最後にトーゴを 5-1 と粉砕したがこれは多くの自分達の中心選手がいなかったので参考にならないと言った。 
そして“ あなた達は既に1982年にワールドカップに出場している。今度は我々にその順番を貰えないか?”と懇願して記者会見を終えたそうだ。

二国間では今週約3億ドル ( 約192億円 ) の貿易条約がまとまると書かれていたがこれは恐らく原油の輸入契約の事だろう。

4年前のトリニダードドバゴとのプレーオフ戦にベンチ入りのみであった選手(たとえばGK Sayed Jaffer )も含めた出場経験者は怪我で出場が危ぶまれている Aala Hubail を含めて9人いる。 これはバーレーンには最大のアドヴァンテージだろう。

     

またこの試合の審判団はウルグアイ人審判で構成されるが Jorge Larrionda 主審はすぐにカードを出すので“有名”な主審らしい。2002年大会では審判団に入っていたがノミネートされた二日後、主審を務めたある大荒れとなった国内リーグの試合での原因が“判定に一貫性がない”と云う理由で6ヶ月間の謹慎を受け、ワールドカップ審判団のリストから外され、続く2006年大会でもノミネートされ今度はドイツで笛を吹いたがイタリア対アメリカ戦では3枚のレッドカードを出した。
その後準決勝のフランス対ポルトガル戦でも主審を務めそのゲームコントロールに評価を得たが今年の FIFA Confederations Cup ではアメリカ対スペイン戦で4枚のイエローカードを提示。試合後判定に文句を言ったアメリカの Michael Bradly にレッドカードを出し Bradly は3試合出場停止処分に。Larrionda 主審は来年のワールドカップでも審判団のリストにノミネートされている。

キックオフまであと2時間足らず。そのまた2時間後 Wellington の街は歓喜に溢れるのか失望にくれるのか。
こういう心境でいられるようにしてくれた日本サッカー協会に感謝せねばならない。
それと出場枠の拡大にも。                    


All Whites の挑戦 いよいよ最終決戦を前に その1

2009-11-13 | 夏季五輪

何十年かぶりにワールドカップ予選突破のかかった試合の前日は世界的にこうなのかもしれない。 New Zealand の首都 Wellington では街中とまではいかないが All Whites の勝利を祈るポスターが貼られている。

日本がまだワールドカップを遠くから見ていた1981年12月に既にここの国の人々は自国がワールドカップに出場する瞬間を見届けた。そしてそれ以来の歓喜が訪れる事を期待する雰囲気が漂っている。
アウェーのバーレーンとて初出場のチャンスは充分にある。自国の Gulf Air はオーストラリアにいる留学生達の Wellington までの航空運賃代を負担してまでアウェーのサポートを支持する事に。街の広場ではバーレーンのワールドカップ初出場を信じるサポーター達が民族音楽に乗って存在感を示す。サッカーは世界中にあるのだ。という思いが強く再認識された…..

   

10月29日 バーレーン戦に臨むメンバー18人が発表。

11月14日の最終決戦に臨む All Whites のメンバー18人が発表された。そのメンバーは10月10日アウェーの地、マナマに遠征したメンバーとそっくり同じだった。 
心配された主将の Ryan Nelsen は所属クラブ Blackburn Rovers で蔓延する Swine flu の感染を逃れ、怪我が心配された Rory Fallon は所属先のPlymouth Argyle でEngland Championships の Ipswich 戦で元気にプレーを果たしに Ricki Herbert 監督を安心させた。
呼集された選手達は11月10日には Wellington で試合前の合同合宿に入る事になった。 そして今スタメン11はどうなるのかと巷では予想されている。 Herbert 監督は

“スタメンはまだ決まっていない。流動的である。”とコメントするがマナマでのアウェー戦で交代出場をした MF Michael McGlinchy と FW のChris Wood の スタメン出場が噂されている。
またマナマでは守備出来な 3-5-2 システムが採用されたので ディフェンシブ MF の右サイドに本来は攻撃的な選手 Leo Bertos そして左サイドに本来はDFの Tony Lochhead が起用されたが、ホームでは慣れ親しんだ 4-4-2 が採用される事が濃厚なのでマナマでは出番のなかった右サイドバックの Aaron Scott のスタメン入りが本命視されている。このシステムに就いて Herbert 監督は 

“もし我々が ( マナマ )で 4-4-2 を採用していたら間違いなくバーレーンは我々を破っただろう。ホームに戻った今は少し調整の必要がある。前線には3人よりも2人の選手を、恐らく Rory Fallon と Chris Killen を、そしてその後ろに Shane Smeltz を置くかもしれない。その方がSmeltz にとっては良いだろう。Chris Wood を前線に置く事は良いかもしれない。彼はレギュラーとして出場し良いプレーをしている。もし我々が彼をプレーさせねばならなければそれは躊躇する事ではない。"

Herbert は多くの選手達が所属チームに拘束される事無く11月9日までに Wellington 入りする為のフライトに乗り込めるであろうと言った。

“ Ryan Nelsen は11月7日(土)の Portsmouth 戦に出場したその日のフライトで Wellington に向かい Fallon と Wood も同じで共に同じフライトで帰ってくる。 Chris Killen だけが所属先のCeltic が11月8日に Falkirk 戦があるので10日までに帰ってこれ無い良いかもしれない。”

こう語ったが Chris Killen は結局 Falkirk 戦はベンチ入りからも漏れた。 All Whites 期待の Killen は今シーズン Celtic ではシーズン開幕から3試合連続で後半途中出場だった。第4節のDundee United 戦ではベンチからも外れたが5日後の Europe League の Hapoel Tel Aviv 戦では70分から途中出場。3日後の Heart of Midrussian 戦では90分フル出場を果たしシーズン初ゴールを挙げ続く Saint Millen 戦でもスタメン出場を果たすが56分にベンチに下げられ以降10月1日の Europe League の Rapid Vienna 戦で82分から出場しただけで Scottish Premier League では Europe League 共に出場機会が無い。ワールドカップ出場の為には得点が絶対に必要なのでその攻撃力を担う Killen の奮起が必要なのだが。

Herbert 監督は11月11日の練習からレギュラー組を選定するとの事であった。そしてJeremy Christie, Steven Old, Jeremy Brockie, Kris Bright 、GKの Jacob Spoonley をスタンバイリストに入れた。 GK の Spoonley 以外は全て FIFA Confederatins Cup のメンバーでJeremy Christie, Jeremy Brockie, Kris Bright の3人は出場もしている。

11月14日のバーレーン戦に選ばれたメンバーは下記の通り

GK  James Bannatyne (Team Wellington) 5 caps/0 goals
      Mark Paston (Wellington Phoenix) 22/0

DF  Andrew Boyens (New York Red Bulls) 14/0
      Tony Lochhead (Wellington   Phoenix) 20/0
      David Mulligan (Wellington Phoenix) 30/3
      Ryan Nelsen (Blackburn Rovers) capt 40/9
      Aaron Scott (Waitakere United) 5/0
      Ben Sigmund (Wellington Phoenix) 11/1 
      Ivan Vicelich (Auckland City) 71/7

MF Andy Barron (Team Wellington) 12/1
      Leo Bertos (Wellington Phoenix) 29/0
      Tim Brown (Wellington Phoenix) 26/0
      Simon Elliott (San Jose Earthquakes) 66/8
      Michael McGlinchey (Central Coast Mariners) 2/0

FW  Rory Fallon (Plymouth Argyle) 2/1 
      Chris Killen (Celtic) 25/17
      Shane Smeltz (Gold Coast United) 30/17 
      Chris Wood (West Bromwich Albion) 4/0

Herbert 監督が自ら指揮を執る Wellington Phoenix から6人も選出されている。
また A-Leauge 所属の選手は他に Smeltz と McGlinchey がいる。

10月14日 All Whites は望んでいる事に注意を払わねばならない…..

10月10日、マナマでバーレーンの猛攻を凌ぎ 0-0 の引分けを手に入れた All Whites はその先に見えるものはオアシスよりも蜃気楼に近いものである。
その試合と云うよりはスコアーは皆を “もし New Zealand が予選を突破して南アフリカワールドカップ南アフリカ大会に進出出来たなるのであればそこには勇ましい歌と踊りがあるだろうがしかしそれは毒入りの聖杯となりうることもある、と解説させるだろう。バーレンの暑さはAll Whites を南アフリカ行きのジェットエンジンと比べる事は出来ない。

ワールドクラスのレベルとは言えないバーレーンは後半だけで5度の決定的なチャンスを逸した。 Sayed Mohamed Adnan の素晴らしいFKはGK Mark Paston と云うよりもクロスバーがそのゴールを阻んだと言える。 Hussain Ali Ahmed と Salman らが得点出来なかったのは Paston のファインプレーであった。 0-0 と云う結果はこうほのめかさないが Leo Bertos の右サイド起用は混乱を招いた。最初の7分間だけで3度も Hussaun Ali に Bertos が持ち場を離れて空いたスペースに侵入を許した。
All Whites には Ryan Nelsen と云うワールドクラスのDFがいて攻撃でも威力を発揮する Tony Lochhead も充分に条件を満たしており、 Ben Sigmund も素晴らしい能力を持っているが不器用で経験に乏しい。Ivan Vicelich は全盛期を過ぎている。 Bertos のフルバック起用に就いてはもう議論すらする必要が無い。 Tim Brown はほとんど消えており、 Bertos とコンビを組んだ Simon Elliot は何も出来なかった。 試合の終盤 Chris Wood はウィングバックを降りざるを得なかった。
光ったのは GK Aston と 空中戦を制した Nelsen そして大型FWの Rory Fallon らが中盤でみせたボールを前線につなげようとする動きであった。68分に Tim Brown に替って投入された Michael McGlinchey のパワーは Brown, Simon Elliot からは見られなかったものでありホームゲームでは彼のポジションを見つけるべきだ。 

しかしこの引分けと云う結果を Leo Bertos は肯定的にとらえているようだ。
“こういう幸運が我々は必要だった。今度は我々は大歓声の後押しがある。我々は前進あるのみだ。試合開始からそれを敢行するまでだ。我々が最低必要な結果が勝利だ。もし勝ちさえすれば我々は成し遂げられる。だからそれを確実に行わねばならない。

一方のチームの重鎮 Ryan Nelsen はこの試合がラグビーの All Blacks とWallabies の試合と比べたらどうかという問いに嘲笑を浮かべた。
“私は何試合もの All Blacks vs Australia の試合を見て来た。しかしそれらは我々の(ベーレーン戦)試合に比べると欠伸の出るフェスティバルにすぎない。普通のニュージーランド人ラグビーサポーターにとって期待出来そうなものは手に入れられない事はない。

10月22日 バーレーン監督ストライカーの離脱の不安を振り捨てる 

Ala’a Hubail が膝の怪我で11月14日のワールドカップ予選には出場できない見通しとなった。所属クラブの Al Ahli で国内リーグ戦の Manama とのプレー中に痛めた膝がこの半年間の闘病生活の末に回復しなかった事が A. Hubail の離脱を余儀なくさせたがマチャラ監督はあまり気にしていない様子だ。
A. Hubail は3次予選では大勢が決まった最終戦の日本戦以外全てにスタメン出場を果たし初戦のオマーン戦そして続くホームでの日本戦にゴールを決めたが、最終予選では8試合中5試合に先発出場、329分間プレーしたがノーゴールに終わりその後はプレーオフのサウジアラビア戦では出場出来ず10月10日の New Zealand 戦では86分から Jaycee Okwunwanne に替ってプレーしたのみであった。
A. Hubail は前回もアジア地区最終予選は怪我でホームでのイラン戦のみの出場となった。前年、北京で開催された Asian Cup では得点王になり準決勝の日本戦では2ゴールを挙げたアジア屈指のストライカーがこの時のワールドカップ予選には出てこなかった事で安心をおぼえた方も多いだろう。しかし2003年に代表デビューして以来68試合で24ゴールを挙げた実績を持つ A.Hubail にマチャラ監督はこの大一番を欠く事はさぞ手痛いだろう。

“ Ala’a を失う事は非常に残念だ。何とか回復をしてほしい。多くの選手が以前もバーレーンで怪我に悩まされたそれは非常に残念だ事だ。 来る日に備えて他の選手を招集するかを話し合わねばならない。”

しかしバーレーンチームにとっても吉報がある。 National Carrier の Gulf Airチャーター機をアレンジ。11月7日にトーゴと親善試合を行った後にキャンプ地のシドニーに向けて出発し11月12日に試合が行われるウェリントンに向けて出発する。またこの試合をサポートする為に現地に赴くサポーター達に航空運賃代を NZ$1,385 ( 約90,000円 )にするとの事であった。
そしてGeneral Organisation for Youth and Sports はニュージーランドに在住する約50人の留学生と30人のシドニーに滞在する留学生達の Wellington までの航空運賃代と宿泊費を負担しチームをサポートするとの事。

その Bahrain は Togo を 5-1 で粉砕しその余勢を持って南半球のウェリントンに旅立った。当初この試合の対戦相手はルワンダを予定していたらしい。
この試合 Bahrain はSalmeen, Jaycee John, Salman Issa, Sayed Mohammed Adnan, Faouzi Aaish, そして Mohammed Hussein らの中心選手が所属クラブの都合で起用出来なかった。

37分にはこの日 MF で起用された Abdulla Fatai が至近距離からの先制ゴールを決めた。 Fatai は所属クラブのスイス Neuchatel Xamax から同じく Bahrain 代表選手の Abdulla Ismail Omar とともに早々と代表チームに合流する事を許された。
前半終了間際には Abdullateef が代表初ゴールを決め 2-0 とリードを広げる。 Abdullateef はサウジアラビアとの2試合のプレーオフに途中出場し10月の New Zealand 戦でも79分から Salman Isa に替って出場をはたしている。
57分には再び交代出場選手の Abdulwahab Ali からの素晴らしいワンタッチパスを受けた Abdullateef が低い弾道のショットを放ち Togo ゴール捻じ込み 3-0 とする。 Abdulwahab は10月の New Zealand 戦はベンチ登録から外れたがサウジアラビアとのプレーオフでは2試合とも途中出場をしている。
3点をリードされた Togo は69分に18歳のストライカー Sename Dove Wome が Abbas Ahmed の守るゴールを破り1点を還す。 Abbas Ahmed は Bahrain 代表の第3キーパー。
88分には後半から出場した Ahmed Hassan Rashid が Togo MF Sadat Akoriko Ouro に倒されPKを得る。 Akoriko Ouro にはイエローカードが出される。このPK を Husain Baba が決めてリードを3点にもどし、ロスタイムには再び Bahrain がPKを得てこれを Abdula Omar が決め 5-1 とリードを広げ試合を終えた。

“ 5ゴールも奪えた事は New Zealand 戦に向けて精神面で助けになる。これは我々が何を出来るかのサンプルで親善試合で出来たが試合の中で同じ事が行えるという事の証明だ。”とコメントを残した。
親善試合でこの前の日本戦同様主力選手が皆無の状態の Togo 代表が相手とはいえ5ゴールも奪えたのはチームとして大きな自信になったと思う。
Bahrain 4年前 トリニダードドバゴ相手に大陸間プレーオフを戦い敗れて後一歩のところでワールドカップ出場を逃した。しかしこの経験は大きく All Whites の前に立ちはだかる事も考えられる。
                                          続く


ジャイアンツ7年振りの日本一 !! を振り返る Parts 2

2009-11-11 | プロ野球


第3戦 両軍 6本塁打も明暗分けたのは終盤の継投

日本ハム 110 010 010 = 4    オビスポ 1勝  クルーン2S
巨       人 021 020 02X = 7  糸数1敗

稲葉2号( オビスポ ) 小谷野1号 ( オビスポ ) 李承( 糸数 ) 阿部1号( 糸数 ) 小笠原1号 ( 糸数 ) 田中賢介1号( オビスポ ) 

舞台は替って東京ドーム。 セリーグのホームゲームなので指名打者制度が使えない。パリーグはいつもこれが不利となる。 スレッジを左翼に入れたので森本稀哲がスタメンから外れる事に。 そして金子誠がこの日からアキレス腱と股関節を痛めた為にベンチから外れ二岡が7番ショートでスタメンに。
先発は今シーズン3年目。沖縄出身の糸数敬作。CSでは岩隈と投手戦を演じて投げ勝った。 
ジャイアンツはラミレスがレフトに入り、好調の谷がベンチスタート。セカンドには脇谷が古城に替ってスタメンに。先発は育成選手では初めて日本シリーズのマウンドに立ったドミニカ共和国からやって来たウリフィン=オビスポ。今シーズンは本当に良いところで好投をしてくれた。
今シーズンのジャイアンツは外国人3投手(ゴンザレス15勝、オビスポ6勝、グライシンガー13勝 )で34勝を挙げた。

  

始球式はジョージ=ブッシュアメリカ合衆国前大統領。

  

立ち上がりのオビスポはストレートが149kmを記録したがコントロールに苦しんだ。初回は稲葉に148kmのストレートをライトスタンドに、2回は小谷野に変化球をバックスクリーンにそれぞれ運ばれ序盤2失点を負う。共に前の打者を三振に打ち取った後だった。気を抜いたわけではないと思うが。
球場のサイズがビジターのファイターズに味方した立ち上がりだったがその裏、李承そして阿部に連続本塁打が出てたちまち同点に、更に3回には小笠原がインコース低めの球を上手く捕えてレフトスタンドに。前の打席ではボールカウント0-3 からレフトフライに倒れたのでこの打席は期するところがあったに違いない。
打線が本塁打攻勢で逆転してくれたのだが5回に今度は日本ハム田中賢介に同点本塁打を浴びる。この打席、1,2球目をストレートが外れストライクを取りに来た147kmのストレートを打たれた。前日に続いて2死から本塁打を放つ日ハム打線もさすがだと思った。 
しかしジャイアンツはその裏1死無走者からオビスポをそのまま打たせ2死となるもここから連打で2点を追加する。オビスポが倒れた後の坂本への 2-2 からのシンカーを見送られたのが痛かった。続く松本にも2-2からレフトへ流された。このイニングからボール、ストライクがはっきりしだした。吉井投手コーチが出て来たが続投となった。そして小笠原には外角低めに落ちるシンカーを狙い打たれ左中間フェンス直撃の2塁打で2者を返したが、レフトが森本稀哲なら追いついていただろう。

勝負を左右したのは8回の両チームの継投。8回から登板した3人目の左腕投手山口は先頭打者の田中賢介にぶつけて出塁させると続く代打森本稀哲の打席の時に牽制悪送球で山口を二塁に進めてしまい2-0 と追い込みながらインコースのカーブを打った当たりがセカンド後方にゆるく飛びセンターに抜けそうな当たりを坂本が上手く回り込んだが1塁への送球がやや右方向にスライドし李承がミットに当ててそらしす間に2塁走者の田中賢介がホームを踏みノーヒットで1点差に。

   

続く稲葉を歩かせてしまい無死1,2塁のピンチ。ただ 0-2 から真ん中に入った甘い球を見送ってくれたのは助かった。続く打者は4番右打者の高橋信二。原監督がベンチからここで出て来たので交代かと思ったが山口は続投。

ここは 送りバントも視野に入れねばならない場面。 初球甘いチェンジアップを見逃してくれたので2球目を外角に外す事が出来た。 そして最後は148kmのストレートを振り遅らせて内野ゴロゲッツーに仕留めるという最高の結果に。続くスレッジにはストレートのきわどいところを見送られたが最後は146kmの外角ストレートを打たせてセカンドゴロに打ち取り後続を断った。この日のジャイアンツバッテリーはスレッジを無安打に抑えた。

   
その裏のジャイアンツの攻撃は先頭の松本が倒れたあと小笠原がストレートの四球で歩き続くラミレスが 2-1 と追い込まれながらフォークを2球見極め2-3 から更に投じられたフォークを引っ張り内野安打。ここで左腕の宮西が投入され亀井は抑えたが続く李承の代打谷を送るとファイターズベンチは4人目右腕江尻にスイッチ。
江尻は谷をストレートの四球で歩かせてしまい左打者の阿部を迎えるがここは同じ右でも金森かピッチング練習をしていた左腕の山本でもよくは無かったか?案の定と言っては失礼か、 0-1 から阿倍に痛打されダメ押しの2点タイムリーとなった。 

  

梨田監督は何故動かなかったのだろう…..


第4戦 日ハム11安打8得点5残塁  巨人13安打4得点8残塁

日本ハム 004 010 120 = 8 八木1勝
巨   人 001 000 030 = 4 高橋尚成 1敗

高橋信二1号(高橋尚 ) ラミレス1号 ( 金森 )

ジャイアンツの先発高橋尚成は試合前日本ハム打線に対しては“稲葉の前にランナーを出さない様にしないといけない。” こう語っていたらしい。 初回の高橋尚は三者三振の素晴らしい立ち上がり。田中賢介、森本稀哲を変化球で仕留め、警戒していた2試合連続本塁打中の稲葉はストレートで見逃し三振に。140kmを越えるスレートが効果的だった。
しかし3回に早々と連打を浴びてしまう。田中賢介、森本稀哲が連打で出塁するがストレートが初回ほど走っていなかった。そして森本も内野安打になったがこの日初スタメンの1塁手、木村拓也がややもたついた。続く稲葉の初球に田中賢介に盗塁を許(1塁ランナーも森本が走らなかったのは助かった。)し警戒していた稲葉を歩かせてしまった。 2-2 から低めの際どい変化球をボールと判定されたのが痛かった。
この四球は大きかった。無死満塁としたばかりか森本の走塁ミスを消してしまった。そして続く高橋信二には初球のスライダーをレフトに引っ張られ2点を先制された。
スライダー頼りのこの回のピッチングを見極められた。高橋は前日の手痛い併殺打のリベンジを果たした。 スレッジはインコース低めに投じて三振に打ち取るも小谷野に右中間を破られ2走者の生還を許した。1-2から投じた143kmのインコースストレートをボールに取られたのが痛かった。

    

それにしても第二戦の3回といいこのイニングと言いファイターズの連打は見事だ。試合を決したのは日本ハム 5-1 とリードの7回。マウンド上は3人目の金刃。先頭打者の田中賢介には3塁打を打たれるがこれは飛んだコースが良く打球が緩かったのが幸いした。 続く稀哲には 1-1 からスクイズを決められるがその前の投球でもスクイズを敢行し失敗していた。何年かに1回あるかのプレー。投手が左腕の金刀だった事もスクイズが出来る要因でもあった。

     

この日は左腕の高橋が先発だったので森本がスタメン起用されたがその任務を果たした。しかも森本がこういうプレーを決めた事によりベンチは大いに盛り上がるだろうと思った。

ジャイアンツは13安打放ちながらそして先頭打者が6回も出塁しながら併殺が3つなど拙攻を繰り返す。特に前日2安打3打点の小笠原には最初の2度の打席、チャンスでボックスに迎えながら変化球をうまく使って抑えられた。
そして極めつけは最終回。2死1塁で打席に入った小笠原は初球のカーブを叩くと打球はレフトフェンスを直撃する。これでランナーを貯めて…と思うと何と小笠原は2塁で刺されてしまいゲームセットとなってしまった。

    

1塁を回ったところで躊躇したのだが、得点差を考えると次の塁を狙う必要はなかったと思う。

ファイターズ5人目、昨シーズンまでジャイアンツの貴重な中継ぎだった林が二人をピシャリと抑え最後武田久に繋いだ時は嬉しかった。

    

ジャイアンツは敗れたが松本が3安打、ラミレスにも1発が出て、リリーフエースの武田久から得点こそ上げられなかったが2安打を放つなど次につなげられる要素もあった。しかし、星取りが不気味だった。この年の日本ハムの様に ●○●○ としたチーム、1981年の巨人、1991年の西武が優勝した事を思い出した。(2004年の中日は西武に敗れたけど。)

第5戦 最終回1発攻勢でサヨナラ ジャイアンツ王手

日本ハム 010 000 001   = 2 山口1勝 
巨   人 000 000 012x = 3 武田久1敗1S

高橋信二2号( 山口 ) 亀井2号 ( 武田久 ) 阿部2号 ( 武田久 ) 日本ハム先発の藤井の調子はすごく良かったと思う。とても点が取れそうになかった。チェンジアップ、フォークそしてストレート、ヤクルト時代、何度も抑えられた事を思い出した。
2001年台湾の行われた野球の世界選手権のキューバ戦では延長戦で敗れはしたが素晴らしいピッチングだった。シーズンが終わったあとだったのに本当によく投げたと思った。

     

この試合落としたら次は北海道で2連勝する必要があった。これは至難だと思っただけに暗雲が漂い始めた気がした。1番から3番までが完璧に抑えられた。7回は1死1塁でこの日2安打の古城を併殺打に打ち取った時は完封されるのではないか?とも思った。 
しかし7回を終わってベンチにひっこめてくれた。投球数は85。まだもう1イニングはいけるかと思った。 8回裏の攻撃を私は帰宅途中のバスの中でワンセグ観戦していた。2番手建山は先頭打者の李承にぶつけてしまう。ここでジャイアンツベンチは代走鈴木尚広を送る。坂本の打席で鈴木は初球から走り盗塁を成功させる。

   

続く坂本がバントを失敗しで送れず外角スライダーで空振り三振に倒れるとここで日本ハムベンチは林を投入するがここで大道を代打に送る。 林は 0-1 から2塁への牽制球が悪送球となり鈴木は3塁に。これで林は低めのフォークが投げにくくなった。大道の打席でバスが目的地に到着し下車をしたが次は地下鉄に乗らねばならない。そうなると電波状態の関係からワンセグが見られなくなる。入口の前で大道の打席が終わるまで待つ事とした。
大道は期待にこたえて2-2 からファールで3球粘り8球目の142km のストレートにやや差し込まれるがセカンド頭上を破り遂に試合を振り出しにもどした。もし3塁に走者がいなければもっと低目から落ちるフォークボールを投じられただろう。そうすれば大道に打たれたストレートを投げる必要はなかっただろう。
それにしても大道のすごい執念だった。CSでもそうだった。さすがベテランと感動を覚えた。

   

そして私は地下鉄に乗り込んだ。電車が駅に停車する度にI モードで試合の経過を追っていた。すると日本ハムがすかさず高橋にレフトスタンドに運ばれたとの事。 2番手山口の2イニングス目0-2 からアウトコースに落ちるボールを右中間に打たれた。ストレートを投げたかっただろうがボール2とした事でストレートでストライクを取りたく無かったのかもしれない。高橋はインコーススライダーの後だったのでアウトコースを読んでいたのだろう。今シーズン8本塁打の高橋が既にシリーズ2本目の本塁打だった。   あぁぁ冷や水をぶっかけられた見たいだった。 

   

電車を降りた時、今度は 2-2 になっていた。 先頭打者の亀井が初球をライトスタンド中段に叩き込んだ。 よく初球に手を出してくれたと思った。先発の藤井が好投している時も最終回に武田を出してくれないかな?その方が点が取れそうだ、武田なら昨日も2安打したし…と思っていた。

   

そして自転車置き場に行ってワンセグを点けると原監督のインタビューが始まっていた。阿部が 0-1 から甘く入ったカーブを叩いたてサヨナラ本塁打を放ったあとだった。初球のカーブが外れたのでボール一つ入ったのだろう。阿部はこれで MVP か何か賞を貰えるだろうとおもった。

   

そしてかなりの確率で日本一になれるとは思わなかった。昨年は西武に王手をかけてから、そして1983年はへクタークルーズのサヨナラホームランで王手をかけながら西武球場で連敗したのを思い出した。

このシーンを先発の藤井はどういう思いで観ていたのだろう。シリーズ終了後FA宣言したのはこの事もあったかもしれない。藤井が続投していれば日本ハムが王手をかけていたかもしれなかった。
    
    
久しぶりに日本シリーズをじっくりと観戦した。そして来年もジャイアンツが日本シリーズに進出してくれないかな?東京ドームで日本シリーズ観戦をしたいな、と思った。

今年はWBCに始まりジャイアンツの日本一で締めくくり、私の野球界はハッピーエンドに終わった。

    


ジャイアンツ7年振りの日本一 !! を振りかえる

2009-11-08 | プロ野球
9回裏日本ハムの先頭打者二岡がクルーンの初球150kmのストレートを引っ張りレフト線を破った。初戦で代打でタイムリーを放ち第3戦から故障の金子誠に替ってスタメンに起用されて来たがこの日はこれまで3打席全てスコアリングポジションにランナーを置いての打席で全て凡退を繰り返してきた二岡が先頭打者で出塁をした。
昨シーズンは故障で31試合出場に終わったがその前まではジャアンツの中心選手だった。トレードで出された理由はただ一つ、あのスキャンダル事件に他ならない。“自業自得”の部分もあるがその二岡の意地の一振りだった。
前回から登板のクルーンのストレートは150kmを記録したがこういうあたりをされると球威が落ちているのかもしれない、と云う心配が出て来た。
続くこの日3安打の田中賢介は1塁ゴロに倒れたが打球は強烈。更に続く代打稲田にはストレートがストライクにならず歩かせてしまった。 1死1,3塁で稲葉を迎える。2006年日本シリーズのMVP男でヤクルト時代は結構巨人戦で痛打を繰り返して選手だ。地元の観客は稲葉ジャンプで後押しをする。しかしバッテリーはフォークボールを中心に攻めて最後は139kmのフォークで見逃し三振に。この日の稲葉は3三振に失点に結びつくエラーまでしてしまった。 しかし1塁走者の紺田は2塁に盗塁を成功させ、ランナー2,3塁となり一打同点のチャンスに。迎える打者はこの日2安打の4番高橋信二。第5戦では9回に本塁打を放っている。しかしこの試合は5回のチャンスには三振に倒れている。クルーンの初球は140kmのフォーク。これをファールにされた。ランナーが3塁にいるので暴投が怖くて余り低く落とせないか?しかし2球目の141kmのフォークは更に低く入り空振り。このフォークが大きかった。次の一球はストレートで外すかもしれない。もしコントロール悪く中に入れば打ち返されてしまう、と思うも捕手の阿部は次もフォークを投じさせワンバウンドしたものの阿部は上手くキャッチし高橋のハーフスイングが空振りと取られ、今年の日本シリーズにピリオドが打たれジャイアンツが7年振りの日本一を達成した。
7年間も日本一から見放されていたのか…..V9時代をしる私は少し違和感を覚えたがよく考えれば松井が New York Yankees に去って以来急速に弱体した2003年からの3シーズンの事を考えればよくぞ建て直してくれたとすぐに思い直した。 
原監督が指揮を執り2006年は選手を若手に入れ替え、2007年から3シーズン連続してセントラルリーグの覇者となったのだ。 亀井、古城らの選手を使いこなし、小笠原、李承らの大砲を活用し、若い坂本そして越智を抜擢しそして山口、松本、オビスポらの育成選手を育て上げ、上原をメジャーに持って行かれながら見事にチーム作りを成就させた。 これから連覇を続けて欲しいというよりも毎年優勝争いに絡む強力な球団になればいいなぁ….と原監督の胴上げを見ながら思った。

第6戦 内海好投 日ハム拙攻 ダルビッシュに繋げられず

巨      人  010 001 000 = 2    内海1勝1敗
日本ハム  000 000 000 = 0    武田勝 2敗

先発が東野と発表された時には“やっぱり内海じゃないのか、じゃぁ第7戦かな…” と思った。日本ハムはダルビッシュをベンチメンバーから外し第7戦の先発に備えさせたらしい。しかし内海はベンチ入りした。これで第7戦の先発はゴンザレスの線も出て来た。 Climax Series では苦手中日相手と云う事で第4戦の先発を東野に譲り登板機会はなく日本シリーズでは2回 2/3 4失点でKOされこのままで終われないと思っていただろう。
日本ハムは武田勝。開幕戦以来中6日の登板。今シーズンは初めて2桁勝利を挙げ(しかし投球回数と奪三振は9勝に終わった2007年の方が上だった。) 
初回は8球でジャイアンツを3者凡退で抑え、“こりゃあ先制点を与えられない”と思った。
東野は先頭の田中賢介に144kmのストレートをレフト前に打ち返されたが7球を要した事も痛かった。しかし続く森本稀哲が送りバントを失敗してくれ、続く稲葉を全部ストレートで見逃しの三振に打ち取りこれで調子が出てくれると思った矢先に高橋信二の初球(これもストレート)のピッチャー返しを浴びて文字通りKOされてしまった。そして登板したのが内海だった。 心中期するものがあったに違いない。打者はスレッジ。第二戦では内海から高橋信二を2塁においてレフトにタイムリーを放っている。しかし初球のスライダーをひっかけてくれた。この1球は非常に大きかった。 
2回のジャイアンツは亀井、阿部の2塁打で先制する。阿倍はバランスをやや崩しながらも外野にボールを運んだ見事なバッティングだったが亀井、阿部ともにスライダーを打ったもの。0-1 からの2球目のストレートがボールに外れていなければ3球目の打たれたスライダーをボール一つ外に外せただろう。
内海は2回以降好投というよりも粘投を続ける。2回は1死から糸井にストレートをレフトに打ち返されるが続く鶴岡をストレートで続く二岡はストレートを鋭くセンターに弾き返されたが中堅手松本のダイビングキャッチで阻止。素晴らしいファインプレーだったがもしこれが抜けていれば試合の行方は解らなかった。野村元楽天監督なら序盤の2回で1点リードしているのになんでダイブするんや?とぼやきそうなシーンでもあった。

    

3回はスライダー、チェンジアップを中心にピッチングを組みたてながら2死1塁から高橋信二を1-2 からストレートでショートゴロに仕留め、4回は二死2,3塁のピンチも再び二岡を 2-0 からストレートでセカンドゴロに打ち取った。その前のチェンジアップで空振りを取ったのが大きかった。 内海は5回にも1死2塁のピンチを招くが稲葉、高橋を連続三振に打ち取った。 稲葉は 2-3 からのストレートに手が出ず見逃した。その前のストレートを内角で胸元を突き外角のストレートを見送らせ、高橋にもストレート主体のピッチングで最後は 2-3からの7球目のインコースストレートを見送らせた。 

    

追加点の欲しいジャイアンツは5回に2死から松本がレフトに弾き返し出塁する。松本はこのシリーズこれで7本安打目しかも2死で3度ボックスに入って3度ともヒットを放つしぶとさを見せている。 3番は前日4打席無安打の小笠原だったが初球チェンジアップを引っ張りライト線よりに打ち返す。これを稲葉が1塁ランナーの松本を気にしたのか、打者走者の小笠原を2塁に行かせまいと焦ったのかファンブルし松本が長躯ホームを駆け抜ける。守備に定評のある日本ハム外野陣だが痛いエラーが出た。小笠原も前の打席で初球シュートを打ちあげライトフライに終わったがこの打席でよく初球を叩いたと思った。
ジャイアンツベンチはその裏内海が先頭のスレッジを討取ると、続く小谷野は左打者にも関わらず右投げのトヨタにスイッチした。 その小谷野に初球のカットボールをセンター前に運ばれた時は何故内海を引っ張らなかったのか?と思った。バッテリーは続く糸井をカットボールでライトフライに打ち取るが、続く鶴岡にはカットボールをライト前に打たれる。しかし二岡にはフォークを3球続け最後はストレートで内野ゴロに打ち取った。 ここは二岡がボール球を打ってくれて助かったがそれまでの低めに投じられたフォークが効いていたかもしれない。
豊田の後も山口、越智と繋ぎ失点を防ぐ。この日の日本ハムは11安打を放つも得意の連打が無く、チャンスで3度も連続三振があった。そしてバント失敗も。主砲スレッジはこの日も無安打。8回無死1塁で打席が回って来たが山口のストレート攻めの前に三振。好きなストレートが打てないのでは相当調子が落ちていたのだろう。
また外野のエラー等日本ハムらしくない面がでて来て最後まで主導権を握れないまま完封されてしまい、7回 2/36安打2失点と好投した武田勝を見殺しにしてしまった。

    

ジャイアンツは内海の“意地の65球”が勝利に結びついた。試合終了後悔し泣きにくれる昨年までジャイアンツの中継ぎで活躍した林昌範が印象的だった。

第1戦 終盤の猛追かわしジャイアンツ先勝

巨   人 010 020 100 = 4 ゴンザレス1勝 クルーン1S
日本ハム  010 001 001 = 3 武田勝 1敗

谷1号( 武田勝 ) スレッジ1号( ゴンザレス )

ジャイアンツの栄えある日本シリーズ先発はゴンザレス。今シーズン15勝2敗防御率2.11 投球回数165回 奪三振113は今シーズン文句なくエースの活躍だった。ファイターズは武田勝。本来ならダルビッシュが登板すべきなのだろうが….
ジャイアンツバッテリーは中日とのCS開幕戦ではスライダーを狙い打たれたせいか立ち上がりストレートが目立った。それにしても日ハム打線、積極的と言えばそうだが先頭田中が初球、2番森本が3球目をと初回にしては早打ちが目立った。一方の武田勝は坂本、松本をストレート主体で仕留めた後は3番小笠原をスライダー主体で討取る。 2回に谷、スレッジがそれぞれソロホームランを放ち1対1となるが、谷は内角を狙っておりスレッジはストレートをそれぞれ待っていたところに投げ込んでしまった。 

       

         

ジャイアンツが坂本の2塁打で 3-1 とリードの6回裏1死1,2塁で代打二岡が告げられたがこの時はシングルヒットで1点を還すに留まってほしいと思った。
2-2 からチェンジアップが大きく外れストレートを続けたところを引っ張り見事にタイムリーを放ち古巣の前で存在感を見せつけた。二岡が好きだった私は嬉しかった。

       

しかし2番手山口は続く金子誠をストレート2つのあと落ちるチェンジアップで三振に田中賢介はストレートから入りチェンジアップでセンターフライに打ち取った。 1点差に追いつかれたジャイアンツは1死2,3塁から古城の代打大道の更に代打の李承のタイムリーで突き放すがその前の打者の木村拓が疑似スクイズで阿倍の盗塁を助けたのが大きかった。しかし2塁ランナーの阿部を還さない中堅手糸井もさすがだった。そして3番手で登場した林昌範が阿部に対してヒットを打たれたが気迫の表情を見せたのが印象的だった。

9回裏2死1塁からの攻防は見応えがあった。この日のクルーンは四球を恐れたか150kmを越えるストレートがすくなく低めに投じる140km台のストレートを多投した。150km台のストレートで入ったストライクは森本稀哲に投じた1球だけ。高橋に打たれた2塁打は初球の145kmのストレートがインコースに甘く入った。そして続くスレッジにはストレートを投げられない。変化球で 2-1 と追い込んでも低めに落ちるフォークは見送られやや高めから落ちるフォークはバットに当てられる。結局ストレートを投げられず歩かせてしまった。 2死1,2塁で迎えた小谷野はこの日1安打。 0-2 から152kmのストレートに手を出して(ファールになった)次のスライダーにも手を出したので待っていたのはストレートだったのかもしれない。2-2 からの5球目のフォークに手が出ず見逃し三振となった。

ファイターズはジャイアンツの8本を上回る12安打を放ったが残塁12を記録し接戦をものにできなかった。しかし両チーム好守が見られ締まった試合内容だった。最近すっかりテレビ中継が減ったプロ野球だけど、じっくり見るとサッカーと異なった面白さがある事を再認識した。 

      

第2戦 ダダッダダルビッシュ エースの力投でタイに

巨   人 010 020 100 = 4 ダルビッシュ1勝 武田久1S
日本ハム  010 001 001  = 3 内海 1敗

稲葉1号( 内海 ) 亀井1号( ダルビッシュ )

試合中継が始まる前に札幌ドームで日本ハムの先発投手ダルビッシュ有が告げられた時は大歓声らしかった。初戦を落としているだけに地元観客の期待は測り知れないものだったと思う。

         

似たような事は昔もあった。1982年プレーオフの開幕戦、日本ハム対西武の初戦は指の骨折でシーズン終盤から欠場していた20勝投手エース工藤幹夫だった。しかし後で報道されたが骨折というのは大沢監督のやらせだったらしい。隠れてピッチング練習をしていたところを知り合いの新聞記者に見られたが頼み込んで内緒にしてもらったらしい。 当時解説者だった野村克也氏は “おそらく西武の広岡監督はあまり驚かなかっただろう。あぁ投げられるのか。ぐらいだろう。それは工藤が左腕とかサイドスローの様な技巧派ではなく右の本格派だからだ。”

しかし今年のダルビッシュはやらせでもなんでもなかった。立ち上がり坂本、松本に対しては145kmを越えるストレートを投じアウト2つを奪い3番小笠原にはカーブを連投し空振り三振に打ち取った。この日のジャイアンツは木村拓也に替って李承がスタメンで1塁に入った。
対する内海まずまずの立ち上がり。初回は2死から稲葉、高橋に連打されたが続くスレッジを三振に打ち取ったが初球はインコースのスライダーから入り最後も変化球でハーフスイングアウトの三振に打ち取った。今シーズンの交流戦ではダルビッシュを打ち込んで白星を挙げたジャイアンツ。その時の勝利投手は内海だった。
2回のダルビッシュは先頭打者のラミレスに2塁打を打たれるが投球内容はカーブ主体。続く亀井はカーブで三振に倒れたが5番打者とはいえ確実に送り好調の谷に繋げなかったか?谷も三振に倒れたが初球に149kmのストレートを見せられカーブで三振に切って取られた。比較的長距離打者にはカーブで、そうでない打者はストレートを有効に使ってアウトカウントを稼いでいた様に見えた。
先制点を挙げたのは日本ハム。3回2死無走者から稲葉が2-3 から3球ファールで粘り最後はインコースに入ったカーブをライトスタンドに打ちこんだ。 2アウト2ストライクから打たれた手痛いホームランだった。更に日ハム打線は高橋信二が初球をセンターオーバーの2塁打。 スレッジには 2-1 から外角ストレートをレフトに流されタイムリー。小谷野には 1-0 から打ち返され遊撃手坂本が回り込んで好捕したが2塁への送球がやや高くなり内野安打。ただ1塁に投げた方がアウトの確立が高かったか?そして糸井には 2-3 からインコースのカーブをライトに打ち返され2者を迎え入れあっという間に4点がはいり内海は降板する事となった。 
2死からの連打でしかも4点が入る事がこの日“技巧的な”ピッチングをするダルビッシュを大いに助けた。
   
    

それでもジャイアンツはその直後2死からラミレスが2塁打。亀井が初球をレフトポール際に打ち込む2ランホームランを放つ。ラミレスには140kmのストレートを打ち返された事から球威が落ちて来ている事は明確だった。
小笠原そしてホームランにこそなったが亀井は初球を打ったがここはダルビッシュに球数を投げさせられなかったか?
4回のジャイアンツ打線は阿部が倒れ李承が145kmのストレートで空振り三振に打ち取られ2死となるが古城、坂本がカーブの落ち際を叩いて連打、変化球に目が慣れて来たのかストレートに切れが無くなって来たのか?続いた松本はストレートをセンターに弾き返したのでやはり球威が落ちていたのだろう。しかし2死満塁となりここを勝負とみたダルビッシュは小笠原には初球148kmのストレートでストライクを取ると次も148kmのストレートを投じる。ここはボールとなったが続く2球はカーブを連投し最後は空振り三振に切って取った。

     

ダルビッシュの投球術もすごかったがジャイアンツは3回ヒットで出塁した先頭打者の李承がサイン違い?の盗塁を敢行し失敗したり6回1死から振り逃げで出塁した亀井が続く谷の2球目のワイルドピッチで2塁に進塁するも足が離れてしまいアウトになるミスが連発した事もダルビッシュを捕まえ切れない原因になった。

     

ダルビッシュが6回でマウンドを降りた後、宮西、金森、武田久が1回ずつ投げラミレスの1安打のみに抑えた日本ハムがタイにした。
日本ハム首脳陣としてはダルビッシュで勝てた事が非常に大きかっただろう。これで投手ローテーションが非常に楽になった。そしてチームに勢いがついただろう。

シリーズを左右する第二戦を落としたジャイアンツは2番手東野が好投し、初戦で無安打に終わったラミレス、亀井が2安打をしたりと本拠地での戦いに向けての収穫もあった。この日のテレビ解説者の清原が“東京ドームは狭いので長距離打者が多いジャイアンツには有利”と何度か言っていたので両球場のサイズを調べてみた。

東京ドーム  左右両翼 100m  中堅 122m  フェンス高 4m     左右中間 110m
札幌ドーム    左右両翼 100m  中堅 122m  フェンス高 5.75m  左右中間 116m

1976年の日本シリーズ前、当時の阪急ブレーブスの上田監督が両翼の距離をはからせたところ90m も無かったらしく、以降フェンスに書かれていた 90 と云う数字が消された。

まぁ球場サイズはどちらにも同じ条件。 1,2戦が接戦だったので今後のシリーズが楽しみにもなった。

     

夢の対決 Bledisloe Cup 観戦記

2009-11-07 | Weblog

10月31日。関東地方は晴天に恵まれた。おそらく全国的にそうであったと思う。
この好天気は翌日11月1日まで続き11年振りに11月に夏日を記録したらしい。
2か月以上も前から楽しみにしていた Bledisloe Cup 。心配だったのは天候。折角の Big Game なので雨だけは降ってほしくなかっただけにこの天候は本当に嬉しかった。
その日の朝は土曜日にも関わらず New Zealand 、Australia の取引先から携帯に電話がかかって来た。Kiwi の電話主は自信に満ち溢れた口調で、 Aussie の友人はやや不安げな….対 All Blacks 戦6連敗中と云う事実が二人にそうさせた事は想像できた。

All Blacks は1987年来日した事があった。その時対戦した日本代表から100点以上の得点を重ねた。もっとも観客が沸いたのは確か日本代表、沖土居稔がトライを挙げた瞬間だった事を覚えている。
そして日本遠征の最終戦、雨の中で行われた世界選抜チーム President 招待 Fifteen を相手に勝利を収め同年に行われた第一回 Rugby World Cup 覇者の強さを、そして日本との差をしっかりと見せ付けた。
1995年南アフリカで開催された第3回 のワールドカップでもグループリーグで日本を 145-17 で粉砕した事を覚えている方も多いだろう。その3年後からニュージーランドを商用で訪れることとなったが初めて訪れたその地で何人ものタクシードライバーにその事を言われた。

一方のオーストラリア代表 Wallabies は私の記憶では1978年に来日したことがあるはずだが(記憶違いかもしれない。)日本代表との試合後の会見で日豪の選手達との体格差を埋めるにはどうすればいいかと云う質問を受けた当時の監督が真顔で “オーストラリアからもっと牛肉を輸入したらいいと思う。”と答えたと報道された事を覚えている。 

   
   

この両国が日本で対戦する事を知った時、すぐさま前売り券の購入に走った。
売り出しと同時に即完売になると想像していたからだ。しかしチケットは即完売にはならず当日券も残っていたらしい。理由は簡単。チケット代の高さだろう。 
会場となった国立競技場の陸上競技トラック上に特設された Premium Pitch Seat が何と7万円。Category 1 で2万円。一番安い一般自由席 Category 4 で大人7000円。子供3000 円だった。私は家内に内緒で Category 1 を購入したがあとでばれてしまった……

競技場が近づくにつれて電車内にはGold 色(と言っても黄土色に近いけど)の Wallabies のレプリカを着た Aussie 達が目につくようになった。私は All Blacks のジャケットを着ていたのでよく彼ら、彼女らに声を掛けられた。“All Blacks のユニフォームを着ている日本人が何故多いのか?”とも訊かれた。
“日本では All Blacks が一つのブランドの様になっている。黒色はCasual でも着られる。それに日本でも購入可能だ。私のは円高の時に New Zealand で買った。残念ながら Wallabies のは日本ではよほどのラグビーファンでないと知られていない。” と答えた。
そして読んでいた New Zealand と Australia の地元紙の電子版 のコピーを見せた。二日前の練習中に S.O. の Berrick Barnes が怪我をしてこの試合に出られそうにない事を知るとみな頭を抱えていた。これでWallabies は Rob Horn , Stirling Mortlock に続いて中心選手の離脱となり、ただでさえ Bledisloe Cup 3連敗を含む対 All Blacks 戦6連敗中の Wallabies のこの試合の結果を暗示しているようだった。

千駄ヶ谷の駅からは多くの Gold and Green のユニフォームを着たAussie 達が目に付いた。そして黒色のユニフォームを着るのは日本人が多かった。競技場内に入り Official Goods Shop を探し出すもその前は多くの人々が記念 Goods を求めている。日本人ならではの光景。(俺もその一人だけど。)3年前ワールドカップ観戦にドイツに行った時も日本戦とそうでない時の競技場周辺の Souvenir Shop の周りはかなり違った。席に就いたが Category 1 にしては少しピッチが遠い。 それでも全体が良く見えていいか….と思ったけど5,000 円は還元してほしいなぁ….と思った。

私の後ろには南アフリカ人、そしてKiwiに交じってアジア系の人達合わせて4人が座っていた。アジア系の二人も Native な英語を話していたので訊けばみなシンガポールに住んでおりこの試合の為に来日したそうだ。 “南アフリカにはまだ行った事は無い。来年のワールドカップ観戦に行きたいけど、ちょっと遠い。3年前にはドイツにいったんだけど…..” “日本はもう予選をとっぱしたのか?距離の問題だけなら、来るべきだ。“とは言われたけど距離だけの問題でもないしなぁ…. 
Kiwi とは11月14日のワールドカップ予選のバーレーン戦の話になった。こんなところでサッカー談議になるとはなぁ……

私の席はバックスタンドの後列の方で、前列はほとんどGold and Green で埋め尽くされていた。後で知ったがそこはAustralia , New Zealand からのツアー客にあてがわれた席であった。Aussie 達が多かったのは今の為替レートが大きく関係しているに違いない。Australian Dollar は@AS$=約80円だが New Zeland の為替レートは2割近く安くなっている。

   
  
選手達がピッチに現れアップを始める。一流選手はアップ一つ観てもやはり金を払う価値はある。そして試合開始時間が近づき日本が2019年のラグビーワールドカップの開催国に決まった事等も報じられた。10年後、その時はどうなっているだろうなぁ…
お偉方のスピーチで最も印象に残ったのが元内閣総理大臣の森喜郎日本ラグビーフットボール協会会長のスピーチ。マイクが回ってくると開口一番 “大変なことになりました。” と一言。一瞬 “自民党が選挙で負けて野党になったことか?”と思ったが、こういう試合を日本で開催される事となった…云々であった。
後ろの4人に“彼は8年前まで日本の Prim Minister だったけど。在任期間は1年だけだった。”と説明した。
2005年にはワールドカップ 2011 年大会の開催地を巡ってニュージーランドとの対決となったがニュージーランドは現職の首相 Helen Elizabeth Clark 女史までが最終ロビー活動に参加し24年振りのワールドカップ誘致に成功した。その時の日本側の団長は森喜朗氏だった。欧州のメディアはこの時 “世界に振興させる必要のあるラグビー競技を考えると開催国は日本であるべきだが、この決定は2003年大会がオーストラリア単独開催であったことによる consolation だ。”と報道していた。
森喜朗氏は自民党総裁選挙無しに首相に就任し“蜃気楼内閣”とか“支持率消費税(5%)並み”とか言われ、数々の失言やゴルフ中に発生した“えひめ丸事件”後もプレーを続けた等失態が相次いだが、心臓病治療目的で来日ビザを申請していた台湾の李燈輝元総統に河野洋平や福田康夫ら親中国売国奴らの抵抗にも屈せずビザ発給を決めた時はさすが日本の首相と思った.

    


両国選手達が入場し国歌が斉唱され、そしてAll Blacks のメンバーが隊を組み Wallabies のメンバーが一列に肩を組んで並ぶ。 この時ばかりは44,000 人いた場内が水を打ったように静まりかえり All Blacks の HAKA を待つ。私も彼らの HAKA が生で観られるのが本当に楽しみだった。そしてしっかりと動画を撮った。




HAKA が終わり大歓声が上がり、そしてキックオフとなった。 試合は主力の故障続出の上に Hooker の Polota-Nau まで故障が完治せずベンチスタートとなりかなりの劣勢が予想された Wallabies が最初の6分と10分に得た PG 2本を Matt Giteau が決めるスタート。All Blacks は最初の10分間で南アフリカ人の Mark Lawrence 主審に5つのオフサイド等の Penalty を取られた。 Wallabies のスタメンは Polota-Nau が49分に投入されるまでは Stephan Moore が起用され、2日前に離脱した Barnes のポジションには Adam Ashley Cooper が入り full back には19歳の James O’Connor が入った。 

しかし14分に All Blacks は Daniel Carter のPGが決まり 3-6 とすると21分には Loose Forward の Ricie McCaw からボールを受けた Wing の Sitiveni Sivivatu がトライを左隅に決め、Conversion Goal もCarter が難なく決めて(結構難しいと思ったけど。)あっさりと10-6 と逆転してしまった。隣に座っていた人が言うには Wallabies はラインが深すぎてマイボールになった時に球離れが少し遅くなってきたらしい。 

29分に Giteau が22mrラインのそぐ外の右タッチライン付近で得たPG を32分には Carter が22mラインの少し後ろの真正面からのPGをそれぞれ決めてスコアーが 13-9 となった34分 Sivivatu が Adam Ashley Cooper の肩と首にタックルを入れたのが dangerous tackle に取られイエローカードが出されて10分間の退場となった。

そしてその直後 Wallabies halfback の Will Genia が右サイドの Peter Hynes にボールを出し、Hynes はそのまま右隅に飛びこむ。 トライを阻止しようとは Half Back の Jimmy Cowan ら3人の All Blacks がタックルに入る。ビデオ判定となり審判団が約4分間協議をした結果 Hynes のトライが認められ、Conversion Goal もGiteau が決めてWallabies が16-13 と再びリードを奪った。 Hynes のトライはWallabies の対 All Blacks 戦270分振りのトライだったらしい。Wallabies の右サイドはSivivatu が退場になったので空いた位置でもあった。

更に前半終了直前、All Blacks ゴール前のスクラムから Number 8 のWycliff Palu が飛び込みゴールラインを越える。またもジュリー会議となったが今度は最後にタックルに入った Cowan がしっかりと阻止していたとの判定。そしてホイッスルが鳴り Wallabies リードのまま前半が終わったが最後のプレーがトライになっていれば試合の流れは大きく変わっていたと思う。   



ハーフタイム中におおくの人が席を立ち売店などに行ったと思うが、この日の国立競技場は満員となり多くの人が後半開始のキックオフには間に合わなかった様だ。ここに来るまでにおにぎり等買いこんでいたのが本当に正解だった。ハーフタイム中に隣に座っていた初老の方と話した。ラグビー経験者らしくルール等解り易く教えてくれて有難かった。“ここが満員になるなんて早明戦くらいじゃないですか?”と言っておられたので、そうですね。私が学生の時はラグビーの方がサッカーよりも人気ありましたね。と答えた。

後半に入っても人数の1人多い Wallabies がやや優勢に試合を進める。しかしなかなトライのチャンスが訪れない。それにラインアウトでも劣勢だ。44分には Sivivatu が戻って来て人数が揃ってしまった。そしてその直後にショートパスを何本も繋がれ最後は TB Conrad Smith に中央にトライを決められてしまい更にconversion kick もCarter があっさりと決め All Blacks が再び 20-16 とリードを奪った。 
49分にWallabies ベンチは Stephan Moore と Mark Chishlom を下げて Dean Mumm そして Tatafu Polota-Nau を投入する 196cm の Mumm を投入したのはラインアウトを挽回する為か?彼のポジションは Lock か L.F. そのポジションがラインアウトと関係あるかはまだ勉強不足でしらないけど……



人数が揃いリードを奪い返した All Blacks は完全に試合の主導権を握り返してしまった。それでも No.8 のWycliff Palu, フランカーのDavid Pocock の二人が特に必死のディフェンスを見せ追加点を許さない。しかし60分、66分に連続して Carter にPGを決められ 26-16 と10点差が付いてしまった。60分のPGは角度的に少しきついかと思われたがそれでも難なく決める Carter もさすがだった。それでも29分 All Blacks 陣内深い位置で相手の反則を誘いペナルティーを得る。スクラムを選ばずPG を選択しそれを Giteau が決めて 19-26 とした。

“まずは7点差、1トライ、1ゴール差と云う事ですね。” 隣の初老の方とそう話をした。しかしその2分後またもPGを与え Cater が決めて10点差に。 更にその3分後にも Carter がこの日6つ目の PG を決めて 32-19 と All Blacks が Wallabies を突き放す。 そして87分には Carter が御役目ごめんと Steven Donald と交代で大歓声を浴びながらベンチに下がった。こうなるとどちらでも良いのでもう一度トライシーンを観たいと思った。

     

終了直前に All Blacks が Wallabies のゴールラインを割りトライ !! と思われたがその前に FW Adam Thompson がノックオンをしてトライには至らなかった。タイムアップ直前に All Blacks の Tony Woodcock と Conrad Smith が小競り合いを始め両軍入り乱れての乱闘とまではならなかったが試合が少しの間中断したが試合終了を告げるホルンが再会直後に鳴り響き、80数分間における世界最高峰の真剣勝負が文字通りノーサードとなった。

   

優勝カップがこの試合のMVPとなった Richie McCaw に手渡されたけど手渡した森喜郎氏の方が興奮気味に見えた。

    

帰りは久々に千駄ヶ谷迄混雑に見舞われた。車中で旦那さんが Kiwi 、奥さんが日本人そして御子さんが二人という家族連れに遭遇した。旦那さんは Wellington 出身で仕事の都合で日本に来る事になり奥さんと知り合われたらしく、今は流暢な日本語を話せるようになったとか…でも子供にはラグビーをやらせるかどうかはわからない(二人とも男の子)とのことだった。うちも息子にはさせられるかなぁ…..ってな話をしながら、そして日本シリーズの初戦を気にしながら帰った…..

そしてこういうビッグマッチを日本で観戦できる事を感謝しながら…..