つくばエクスプレスつくば駅から筑波山シャトルバスに乗り換えて筑波山に来たことは何度もあるけど、山頂まで歩いたことは一度もない。そこで今回は筑波山神社入口でシャトルバスを下車し、練習(なんのや)を兼ねて山頂まで登ることにした。登山口が神社なのはよくあるパターンで、そこには拝殿しかなくて本殿は山頂というのも実にありがち。というより、山そのものが御神体だったり、山の上の岩が御神体ってケースがあたりまえ。山頂は畏み崇め奉るもので気安く登るものじゃなかった。だが登る。
その前にせっかくだから絵馬を見て行く。ちかごろ願いごとが見えないようにシールを貼って隠すやからが増えたけど、見えなきゃ願いごとを叶えられないではないか。八百万の神は目に見えること、音に聞こえることしか感知しない。わざわざ柏手を打ったり、馬を奉納しないといけないことでも明らかではないか。本物の馬を差し上げて口上を述べる手間に比べたら、板に字を書いて吊るすだけの絵馬はそう目立たないではないか。シールで隠すなどつまらない。だから登る。
深田久弥の日本百名山に取り上げられた山の中でいちばん低いのが筑波山だというから登頂など簡単だろうと思ったら岩場などもあり楽ではない。それでも全体的によく整備されたコースなので、まあ歩きやすい。愛犬を連れて登る人がたくさんいた。犬はどれも舌を出し、笑いながら登っていた。筑波山の山頂は男体山、女体山に分かれており、どちらにも本殿が据えられていた。それぞれイザナギ、イザナミが祀られているとか。
こっちがイザナギを祀る男体山の山頂で、標高は871m。ちなみに女体山のほうは、標高877mとわずかに男体山よりも高い。日本神話は女性上位だから筑波山の祭神もそのように配置されていて面白い。古くからの日本文化を歪めた男性上位の世の中にどっぷり浸かって無批判な人には面白くないかもしれないが、御神体を動かすわけにはいかないので諦めるしかない。そもそも気安く拝むところではなかったし。
男体山からの見晴らしはこんな感じで、のどかな平地がふもとに広がる。しばらく眺めて男体山をくだり、こんどは女体山のほうに登らないといけないんだけど、疲れたので中間地点にたくさん店を構えるお休みどころに吸い込まれた。このまえ登った山のてっぺんは店もなく、ベンチもわずかしかなかった。それに比べると筑波山は店が豊富なので、持参した非常食の出る幕がなかった。
かき氷だって食べられちゃう。コーラ味という俗なものに惹かれたけど、写真映えも考えてオレンジにした。どうしても夏の低山を歩くと熱中症ぎみになるので、冷たくて甘いかき氷を食べると熱が冷まされ糖が血と共に体を回って元気が出た。そこで、女体山のほうへ歩き出した。
途中にガマ石があった。ここでガマの油売りの原案が生まれたことになっていて、道行く人が石を投げてガマの口に入れようとする。落とさずに口の中に石が入ったら、何かいいことでもあるのだろうか。ガマの油売りは江戸時代の商人が武士のふりして演じていたとか。しかし当時この石はガマではなく竜に見立てられていたというからガマはどこからやってきたのだろう。
女体山の山頂に来てみたら、男体山とは段違いに強い気を発していた。やはり男ではなく女がこの山の主である。登ってみなければ感じることができなかった。強い気といっても納得できないのであれば、男体山の山頂になかった「日本百名山 筑波山」の石碑がここ、女体山の山頂に屹立していることにも格の違いが表れている。
こちらにも、わかりやすい本殿が建てられていたが、うかつに近寄ると危ないのではないかという感じがしたのは女体山の社だけだった。男体山のてっぺんに着いたときは疲れて帰りたくなったのに、女体山のてっぺんに着いたらみるみる元気が湧いてきた。さっき食べたオレンジのかき氷の糖の効能効果だけではないだろう。
6mしか違わないのに女体山からの見晴らしのほうが勇壮で男性的なのだった。なぜか知らないけど筑波山はそういうふうに仕掛けてあった。このまえの山登りで筋肉痛になったところ(主に下半身)がいつのまにか痛くなくなっていた。適度に体を動かしたことによる効果効能だけではないかもしれない。そんなふうに思った。