散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

寅御石

2021-04-10 | Weblog
埼玉は広大だな……東大宮で宇都宮線(東北線)の列車を下りて、1つ先の駅、蓮田まで
歩くのが本日の散歩である。なにが「である」だ。生まれた頃は埼玉のこのあたり一面、
水田地帯だった。もっとも、このへんで生まれたわけじゃないし来たのも初めてである。
1974年1版1刷発行の本で得た知識なのである。



水田のなかに高さ4メートルの「寅御石」と呼ばれる緑泥片岩の板石塔婆が立っていると
その本(埼玉県の歴史散歩)に書いてあるから、探しながら歩いていたら、それらしき影
を見つけたので近づいていく。南無阿弥陀仏の六字名号は太さ10センチ、深さ4センチの
みごとな彫りで延慶4年の銘がある。1311年、鎌倉時代である。



この巨石には美しい娘にまつわる悲話が語り継がれている。庄屋の娘である寅には、近郷
の若い男からの求婚があとを絶たなかった。寅をめぐる男どもの争いが激しくなるに及び、
寅はこれを悲しんで自殺してしまった。両親は寅の遺言どおり、求婚者たちを酒宴に招き
娘の肉を膾にしてご馳走した。これを知った男たちが供養のために「寅御石」を建てた。
そういう悲話である。



変態だ。中世に変態が出たぞ。近くにある子膾社や、皿沼、膳棚橋はいずれもこの伝説に
まつわるものであると埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会は前出の本に記録するが、
変態ぽいのを懸念したか平成15年に埼玉県教育委員会と蓮田市教育委員会が立てた看板に
寅が男たちに肉をふるまった悲話は詳しく記されていない。



しかし、いくら鎌倉時代だからって自殺した娘の肉を膾にして男どもに食わせるだろうか。
じつは、ありえない悲話を捏造して隠したかった卑猥な事実があるのである。美しい寅は、
生きているあいだ近郷の男の求めがあれば誰彼となく肉をふるまったのである。若い男は
もちろんだが、財力のある年長の男も寅の肉を乞うたのである。



昔の日本なら珍しい話ではない。近郷の男みんなに身を任せた寅がやがて死ぬと、関係を
持った男たちが銭を出し合って高さ4メートルの板碑を立てた。銭已上佰五十貫という、
裏面の銘文がそれを物語っている。教育委員会は決して認めないだろうが、そうでないと
寅が自ら求婚者みんなに肉をふるまう話の辻褄が合わないのである。





Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする