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歩くことが唯一の趣味ですから。

信長の首塚

2019-06-02 | Weblog
こんなとこにあるはずもないのに……そう思ったけど一応、どんな塚なのか見に行ってみる。
本能寺の変で命を落としたまま、亡骸がどこへ消えたかわからない織田信長の首。


身延線の無人駅で下りて電話でタクシーを呼ぶ

西山本門寺までクルマで10分ほど。高齢の見習い運転士の教習で助手席に中年男が乗った
タクシーで到着したとき、料金が1330円だったからちょうど用意したらメーター上がって1410円
になった。「1410円になっちゃったんで!」と高齢の見習い運転士がいうから、微妙なところだと
思ったけど払って下りる。


目印になる黒い門が修繕されているところだった

あの向こうに信長の首塚がある……すぐにあるのかと思って門をくぐると、草ぼうぼうの道が
どこまでも続いており、これって歩いて入って行って大丈夫か? と心配になる。


梅雨入りの前で暑くも寒くもないから行くけども

気候が爽やかでなかったら分け入っていくのを躊躇する、草ぼうぼうの登り道。帰ってから
調べたら、2kmもあるらしい。ものずきで散歩すると、だいたいこういう目にあう。


写真で見るよりも段差が大きくて傾斜がまた急

信長の首、信長の首……と、それだけを思いながら登っていく。本門寺というくらいだから
ここは日蓮宗なんだろうけど、あとで調べたら近代になって日蓮正宗に入ったり抜けたり、
いろいろあっていまは単立しているらしい。プライドがあるのだ。


その昔、朝廷から許しを得た立て札

後水尾天皇の娘の帰依を得て下馬の札を建てる許しを得たのは、江戸時代の初めごろ
だから、そのころ信長の首塚はもうあっただろう。首を運ばせたのは日蓮宗の僧侶で
信長・秀吉・家康の三代に仕えた囲碁の名人、本因坊日海(算砂)だという。


馬は下りるけどクルマは下りなくていいみたい

本能寺で信長の警護について共に自刃した原胤重と原清安の首を、胤重の子で清安の兄
にあたる原宗安が持ち出すとき、信長の首も一緒に持ち出して西山本門寺に納めたとか。
原宗安の子がこの寺の第18代上人、日順だという説明書きが境内にあった。


炎上する本能寺でそんなことがあったのかなあ

ほんまかいな。普通に考えたら、塚はあるけど首はない。それでも、ここに首があるんだと
思いたい人が、原志摩守宗安をはじめ、この寺の縁者に複数いたことは間違いなさそう。


これが西山本門寺の信長の首塚

疲れたので石段を降りてタクシーを呼び、さっきの無人駅まで戻った。電車は1時間以上
待たないと来ないので、行きに読み終えた漫画を2度ほど読み直した。


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