佐賀のデパートの最上階に「ファミリーレストラン」という名前のレストランがあることに気づいたのは、
JR佐賀駅前の通りをまっすぐ歩いてビルの屋上に「ブラックモンブラン」の看板を見つけた日のことで
ありました。
セリフつけたくなる
電車やバスに乗って気まぐれに下車し、足まかせに歩いて気になるモノにであうのが散歩の楽しみ。
佐賀にもいろいろな見どころがあります。不思議なポーズの銅像とか……
神社にまつられている大砲とか
ここは佐嘉神社(さがじんじゃ)。社伝によると名君といわれた十代藩主鍋島直正(閑叟)公をまつって、
昭和8年に創建されたそうです。直正公は文明開化にさきがけて我が国で最初の洋式反射炉を設け、
近代大砲を鋳造した偉い人というかネ申……大砲の台座に何か刻まれています。
お殿様こんなのつくったんだ~!
よくみると、野ざらしの大砲のほかに屋根とガラスで覆われたアームストロング砲があり、鍋島直正が
反射炉を築いて造らせたのはそっちかも。
こっちかも?
小さいからって、あなどってはいけない。上野にこもった彰義隊を砲撃したのは、このタイプだったし
会津で官軍が威武を示したのも当時の最新兵器アームストロング砲によるところ大でありました。
元込め長弾使用、砲身に螺旋溝
イギリス人アームストロングが1854年ごろ発明したものを、文久3年(1863年)に佐賀藩が独力で製造
しちゃったんですね。日本人は先込めの火縄銃も、元込めの大砲もたちまちコピーしちゃった。
大事に大事に飾られております
薩長土肥といいますが、肥前の佐賀藩に七賢人あり、その筆頭に鍋島直正公が挙げられております。
他に早稲田大学の前身をつくった大隈重信、佐賀の乱の江藤新平のほか、大木喬任、佐野常民、
島義勇、福島種臣が賢人として写真入りの碑になっていました。
佐嘉神社で見た佐賀の七賢人
折しも初詣の時期で、2014年のお正月(すっかり1年前)に参詣する人たちを横目に絵馬をチェック
したり、お守りを分けてもらったり。
雑誌掲載用に社殿だけ撮ろうとしたけど難しかった
Tarzanでやってた「スポーツの神様を訪ねて 西へ東へ――」というコーナーのネタにしようと思ってた
けど、そのあと Hanakoに異動になってうっかり載せられなかったから、暮れにブログに書いてみたの
でありました。
みなさん書き初めが上手だった
JR佐賀駅前の通りをまっすぐ歩いてビルの屋上に「ブラックモンブラン」の看板を見つけた日のことで
ありました。
セリフつけたくなる
電車やバスに乗って気まぐれに下車し、足まかせに歩いて気になるモノにであうのが散歩の楽しみ。
佐賀にもいろいろな見どころがあります。不思議なポーズの銅像とか……
神社にまつられている大砲とか
ここは佐嘉神社(さがじんじゃ)。社伝によると名君といわれた十代藩主鍋島直正(閑叟)公をまつって、
昭和8年に創建されたそうです。直正公は文明開化にさきがけて我が国で最初の洋式反射炉を設け、
近代大砲を鋳造した偉い人というかネ申……大砲の台座に何か刻まれています。
お殿様こんなのつくったんだ~!
よくみると、野ざらしの大砲のほかに屋根とガラスで覆われたアームストロング砲があり、鍋島直正が
反射炉を築いて造らせたのはそっちかも。
こっちかも?
小さいからって、あなどってはいけない。上野にこもった彰義隊を砲撃したのは、このタイプだったし
会津で官軍が威武を示したのも当時の最新兵器アームストロング砲によるところ大でありました。
元込め長弾使用、砲身に螺旋溝
イギリス人アームストロングが1854年ごろ発明したものを、文久3年(1863年)に佐賀藩が独力で製造
しちゃったんですね。日本人は先込めの火縄銃も、元込めの大砲もたちまちコピーしちゃった。
大事に大事に飾られております
薩長土肥といいますが、肥前の佐賀藩に七賢人あり、その筆頭に鍋島直正公が挙げられております。
他に早稲田大学の前身をつくった大隈重信、佐賀の乱の江藤新平のほか、大木喬任、佐野常民、
島義勇、福島種臣が賢人として写真入りの碑になっていました。
佐嘉神社で見た佐賀の七賢人
折しも初詣の時期で、2014年のお正月(すっかり1年前)に参詣する人たちを横目に絵馬をチェック
したり、お守りを分けてもらったり。
雑誌掲載用に社殿だけ撮ろうとしたけど難しかった
Tarzanでやってた「スポーツの神様を訪ねて 西へ東へ――」というコーナーのネタにしようと思ってた
けど、そのあと Hanakoに異動になってうっかり載せられなかったから、暮れにブログに書いてみたの
でありました。
みなさん書き初めが上手だった