有田のおばちゃんの家に遊びにいったときのことを、ふと思い出した。有田焼の絵付けをやっている家で、ぼくも絵付けをさせてもらった覚えがある。小学5年生だった当時、ガンダムのプラモデル(通称ガンプラ)の彩色を解説した本を持って有田にいっており、「焼き物の絵付けよりジオングのマスキングの方がいいのに」などと思いながらも、素焼きの磁器に好きなだけ絵を描かせてもらった。ジオングの頭とか、ガンダムとか、イースター島のモアイとか(なぜ?)、アダムスキー型UFOとか、やりたい放題。
1枚だけ現存している
モアイの皿はいまでも食事に使っている。30年も前に焼いてもらった絵皿。そのころ有田焼は分業で、ある程度の大量生産が可能なように、器を作る家、絵を付ける家、窯で焼く家というように近所で役割り分担していたように思う。確かなことはわからないけれど、小学5年生のぼくは大体そう理解して、ガンプラの彩色の本に読み耽っていた。彩色専門の本ではなくて、ガンダム事典のような子供向けの本の一部が、「ガンプラ名人によるリアル彩色のコツ」みたいなコーナーになっていた。ずっと忘れてたけど、いま思い出した。汚しのテクニックとかメタルっぽい表現とか。それはそうとして、有田焼の地域の分担、現在どうなっているんだろう?
これしか写真ないもんで
もしかしたら陶磁器の世界も、時代がガラッと変わっているかもしれない。30年も経っているのだ。白磁や青磁や赤絵の器が並ぶ博物館みたいなところに、そういえば連れていってもらった。小学5年生が聞いても理解できるはずがない、生産方式の変遷みたいなことも、なんとなく聞かされたような気がする。ファミリーレストランの食器がどうしたとか、こうしたとか、もうなにも覚えていないけれども。有田のおばちゃん、どんなこと話してたかな? 泊めてもらって、ガンダム事典に読み耽って、中学生のお兄ちゃんと外で遊んだような気もするけど、お姉ちゃんだったかもしれない。
それぐらい記憶あやふや
よく考えたら、有田のおばちゃんは親戚のおばちゃんでもない。冷静になって振り返ると血縁関係はなく、たんに母親の友だちの嫁ぎ先が有田焼の絵付けをやっている家で、そこに何かのきっかけで遊びにいっただけ。有田といえば佐賀県で、遊びにいくといっても大移動だから、きっと母の仲良しだったんだろう。苗字さえ覚えてなくて、「有田のおばちゃん」「有田のおばちゃん」と呼んでいたけど、母と同い年の可能性が高い。ということは、有田のおばあちゃん(失礼かな)になっているわけで、有田焼の仕事を続けているかどうか。先日、唐津に泊まる機会があって「有田が近いなあ…」と路線図を眺めたのが思い出すきっかけ。急に訪ねるわけにもいかず、場所の見当もつかないし、連絡先も知らないからそのまんま帰ってきたけど元気かなあ。お兄ちゃん(またはお姉ちゃん)は家業を継いだかどうか気になる。ただ、それだけの長い話でした。
1枚だけ現存している
モアイの皿はいまでも食事に使っている。30年も前に焼いてもらった絵皿。そのころ有田焼は分業で、ある程度の大量生産が可能なように、器を作る家、絵を付ける家、窯で焼く家というように近所で役割り分担していたように思う。確かなことはわからないけれど、小学5年生のぼくは大体そう理解して、ガンプラの彩色の本に読み耽っていた。彩色専門の本ではなくて、ガンダム事典のような子供向けの本の一部が、「ガンプラ名人によるリアル彩色のコツ」みたいなコーナーになっていた。ずっと忘れてたけど、いま思い出した。汚しのテクニックとかメタルっぽい表現とか。それはそうとして、有田焼の地域の分担、現在どうなっているんだろう?
これしか写真ないもんで
もしかしたら陶磁器の世界も、時代がガラッと変わっているかもしれない。30年も経っているのだ。白磁や青磁や赤絵の器が並ぶ博物館みたいなところに、そういえば連れていってもらった。小学5年生が聞いても理解できるはずがない、生産方式の変遷みたいなことも、なんとなく聞かされたような気がする。ファミリーレストランの食器がどうしたとか、こうしたとか、もうなにも覚えていないけれども。有田のおばちゃん、どんなこと話してたかな? 泊めてもらって、ガンダム事典に読み耽って、中学生のお兄ちゃんと外で遊んだような気もするけど、お姉ちゃんだったかもしれない。
それぐらい記憶あやふや
よく考えたら、有田のおばちゃんは親戚のおばちゃんでもない。冷静になって振り返ると血縁関係はなく、たんに母親の友だちの嫁ぎ先が有田焼の絵付けをやっている家で、そこに何かのきっかけで遊びにいっただけ。有田といえば佐賀県で、遊びにいくといっても大移動だから、きっと母の仲良しだったんだろう。苗字さえ覚えてなくて、「有田のおばちゃん」「有田のおばちゃん」と呼んでいたけど、母と同い年の可能性が高い。ということは、有田のおばあちゃん(失礼かな)になっているわけで、有田焼の仕事を続けているかどうか。先日、唐津に泊まる機会があって「有田が近いなあ…」と路線図を眺めたのが思い出すきっかけ。急に訪ねるわけにもいかず、場所の見当もつかないし、連絡先も知らないからそのまんま帰ってきたけど元気かなあ。お兄ちゃん(またはお姉ちゃん)は家業を継いだかどうか気になる。ただ、それだけの長い話でした。