散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

杉並区宮前

2012-12-09 | Weblog
だいたい自転車で通っていたから、駅からの道順がわからない。高校は久我山の駅を出て左へ行って、
右、左とジグザグに歩けば着くような気がする……。しかし、だがしかし!


駅からして昔のと全然ちがう

確かなことは覚えていないけれど、昔はホームから線路の下をくぐって改札口に出ていたような……。
すくなくとも、こんな立派なビルじゃなかったから見違えちゃう。


それでも、道は変わらない

この坂を少し上って右に曲がると、通称「小作通り」というのがあって、表札が「小作」ばかりだった
のを覚えているんだけど、あれから四半世紀ほどたった今はどうかな?


たぶんこっちなんだけど……

「小作」だけど大地主って、戦後の農地改革とか、私鉄沿線の宅地化とか、昭和の下剋上とかいろいろ
イメージ広がりやすいから、多感な高校生だったぼくはドキドキしながら登下校したっけ。


そして現在でも、いたるところに同じ苗字の表札が……

バブルの波にもまれ、つりあがった相続税の洗礼を受けて、あとかたもなくなってるんじゃないだろうか
と、多感な中年になったぼくはドキドキしながら通行したんだけれど、変わってなかったみたい。


適当に歩いたら母校に到着

いつのまにかバス停ができてる……あれかな? 料金100円ぐらいで周回コース走る、小型バス路線かな?
土曜日の午後で、部活やってる声がする。


通称「目の出屋」は閉店か

ほんとは「日の出屋」なんだけど、なぜか「目の出屋」と呼ばれていて、その向かいの通称「目の出門」
から、自転車通学の生徒が出入りする。(いまもそうみたい)


「目の出門」から見た校舎

似ているけれど、20年ほど前に建て替えたから、まったく同じというわけではない。こうして訪ねるの、
ほぼ20年ぶりじゃないかな。


運動部室は建て替えてない?

ものすごい逆光になってるけど、通称「アパート」という運動部室の建物は、昔のままのように見える。
給水塔がなくなっている。そもそもあの給水塔には、給水能力あったんだろうか?


「愛の泉」は昔のままっぽい

これのどこが……と誰もが思う、通称「愛の泉」は正門と校舎の間に健在。むしろ縁の上面に化粧板が
乗せられて、ちょっとだけ立派になっている。愛のパワーが増したのだろうか?


文化部室(通称・長屋)はもう、片鱗すら残されていない

だいたいこのあたりにあったんだろうと思うけど、通称「長屋」という文化部室のバラックは、場所さえ
わからなくなってしまっている。きっと立派な部室が代わりにできてるんだろう。


ストーカー行為ではなく、「訪問講義」を聴きにきただけ

不法侵入してあたりをかぎまわっているように見えているにちがいないのは、よ~くわかっている。でも、
そうじゃなくて同級生が母校で講演するのを見にきたわけで、つかまえないでください。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする