はい、本日も、ボケ防止で、” 光る君へ ” の、第17回『 うつろい 』あたりのお話です。
7年の歳月が流れ、悲田院で疫病に感染した”まひろ”に出会った道長。
日常では、抑えつけていた”まひろ”への感情が、非日常環境で、我を忘れ、身体が動き、こころが動き、無心で看病していた道長。
道長に看病されたことを知り、道長が自分の事を忘れず、想い続けている事に、淡い期待を抱き、一瞬、微笑みを浮かべる”まひろ”。
しかし、しかし、まひろが回復しても、二人の関係には何も変化は起こらず、日常に戻る二人。
互いに、心の奥底に、仕舞いこみ、抑えこみ、忘れようとするが、忘れられない。叶わなものと知りつつ、受け入れることもできない。二人の葛藤。
そして、関白道隆ですが、飲水の病(2型糖尿病)に侵され、後継を巡り、息子伊周を後継にするよう一条天皇に迫ります。
一条天皇の母詮子と道長は、後継伊周に反対し、道兼を押します。
この道隆の、病を押しての狂気迫る、凄まじくも、醜い、行動のエネルギーは、一体、どこから生まれるの? 私には、まったく、理解できません。
権力を手中に収めた者だけが知る、その、魅力?と魔力?
令和の世でも、国会議員が、特に、自民党議員が、息子を、娘を、後継に据えるのは、ごく一般的な出来事となっています。地元の有権者も、特に疑問を抱くことなく、受け入れているように見えます。
国会議員は、家業で、祖先代々から、子々孫々へと、能力に関係なく、一子相伝で受け継がれていく伝統的、重要無形文化財的な職業?
話は、大きくなりますが、やはり、これは、我が日本国においては、何と云っても、云わなくても、律令制度も、明治維新も、戦後民主主義も、そうでした。
自らが闘い勝ち取ったものではなく、上から、外部から、与えられた、形式だけを導入した、そんな、こんなが、すべてに影響しているのだ、と、思ったりしています。
話を戻します。
それで、道隆の糖尿病ですが、調べて見たら、何と、何と、日本で記録に残る最初の糖尿病患者は、藤原道長だと、されているそうです。当然ですが、道隆のあとに道長は亡くなっています。
これは、ロバートの秋山演ずる、藤原実資(さねすけ)の日記「小右記」に道長の病状が記されており、「のどが渇いて水を多量に飲む」、「体が痩せて体力がなくなった」、「背中に腫れ物ができた」、「目が見えなくなった」など、2型糖尿病の症状が記されているそうです。
道隆に関しては、その直接的死因を推測できる記録は残されていません。ドラマのなかで、安倍晴明に『関白殿は飲水の病で長くない』と云わせています。
やはり、ここでも、糖尿病を患うような、不健康で不規則で、私利私欲の政治の道隆。
対して、健康的で、規則的で、清く、正しく、美しく、民の為の政治をする、立派な改革者として描かれる、道長。
このドラマ、ここでも、またです。かなり、道長を美化しすぎでは、と、思ったりするのです。
歴史の改ざん?歪曲?まあ、ドキュメンタリーではなく、平安時代を、単に、背景とした、ラブストーリーとしてはあり?
道長は、まひろへの叶わぬ思いを、こころの奥底へ抑え込み、その感情の”転化”として、”まひろと約束”した、民の為の政を、強く、強く、道隆に主張したのでは?と、思ったりするのです。
まひろは、道長への叶わぬ思いを、こころの奥底へ抑え込み、その”転化”として、源氏物語を記したのでは?と、思ったりするのです。
そして、後継争いですが、母と嫁の板挟みとなった一条天皇は、嫁定子の妥協案を受け入れ伊周を関白に準じる ”内覧” とします。ただし、そこに道隆の病中のみとの期限を限定した決定を下すのでした。なかなか、考えた妥協策。
そして、道隆は亡くなるのでした。関白の在任期間は僅か5年ほど、享年43歳は当時としても若い。1型糖尿病にしては遅い?2型にしては早い?当時流行っていた疫病の可能性の方が高いような気がします。
そして、道隆は亡くなり、後継争いが始まります。
それにしても、権力を巡る争いに、みなさん興味があるの? 権力志向の強い、ごく限られた人たちにしか、興味がないのでは?
NHK大河の制作陣は、権力志向が強い?権力争い好き?
そうでした。そもそも、大河ドラマは、歴史ドラマで、権力争いのドラマでした。
日本経済が、イケイケドンドンの拡大成長期には、権力争いドラマは、それなりに受け入れられ、停滞期から後退期へ差し掛かってきた現在、権力争いは受け入れられず、視聴率は低迷?
調べて見たら、大河ドラマが始まったのは、やはり高度成長が始まった頃の、1963年でした。
兎に角、ボケ防止で、歴史のお勉強で、私は見続けます。
次回、『 岐 路 』では、もっと、もっと、権力争いが描かれそうです。
まあ、これで、本日は、お終い。
それでは、また。