歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

芭蕉は「見なかった、詠まなかった」白河の関

2007年10月24日 | 旅の話し
昨日の続きです。

「南湖公園」前、ラーメン屋「海」で教えて貰った通りに車を走らせ、10分ほどで「白河の関跡」に到着。店の女性が云っていたとおりの所用時間です。「何も無いおじさん」は不正解でした。

「関」は道沿いに有り駐車スペースが有りません。


車を停める場所を探しながら、100㍍ほど走ると「白河関の森公園」の看板を発見。

公園に入って判ったのですが、「白河の関跡」はこの公園と繋がっていて、見学はここの駐車場に入れるのです。

そう云うことであれば、「この先に駐車場有り」の「案内板」を関の前に立てるぐらいの配慮があってもねぇ? 

遠方より訪れる観光客に、それぐらいのサービスはねぇ。どうですか?7月に白河市長に当選したばかりの「鈴木和夫さん」頼みますよ。


「何も無いおじさん」が云っていた「新そば祭り」は来週ではなく、来月のようです。

居ました。芭蕉と曾良さんです。

銅像の台座には二人の句が刻まれています。

「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」 曾良

「風流の はじめや奥の 田植えうた」  芭蕉

曾良は「白河の関」を詠んでいるのですが、芭蕉は特に「白河の関」を詠んでいる句ではありません。

芭蕉が訪れた時は、白河の関が廃止されて三百年から四百年も経っており、所在はまったく不明で、芭蕉もいろいろと探し歩いたのですが、結局判らなかったのです。

「奥の細道」の「奥」は、陸奥であり、陸奥は「白河の関」を越えた所から始まります。その記念すべき陸奥に足を踏み入れたのですが、芭蕉は一句詠みませんでした。

やっぱり、何処にあるのか判らない「白河の関」を詠むことに、芭蕉は納得しなかったのでしょう。「風流の はじめや奥の 田植えうた」 は隣の須賀川で詠んだ句です。

陸奥は、遠い地の果て、未開の地、蝦夷、異民族、異国、異文化・・・・・・。
陸奥は、今の時代では想像できないロマンがあったのでしょう。
 
公園の奥にある「ビジュアルハウス」です。しかし、何てケッタイナ「名前」を付けたのでしょうか。横文字カタカナ表記は止めなさい!


建物は、大夫昔から流行の「コンクリの打ちっ放し」です。こんな「冷たい」外観の何処がイイの? 

一瞬、『コンクリ打ちっ放しって! どんだけ~~』と、叫びたくなりました。先客も、後客も誰も居ません。


内部の展示装置には、それなりにお金が掛かっているようです。

この曾良の句は、ボタンを押すと「ガラス板」の間に浮かびあがってくる、ハイテクぽっい仕組みになっています。

内部に20~30人程度入れるホールがあり、1時間おきにビデオを上映しています。ビデオの内容について見渡した限りでは、何処にも説明らしきものは見つかりません。

係員の姿も見当たりません。時間になるとどこからか現れ、スイッチをいれるのか? それとも、タイマーで時間になると勝ってに上映が始まるのか?

兎も角、我々はパスしました。館内を5分程度で一巡りして外に出ました、これからいよいよ白河の関跡に向かいます。

隣の小高い丘の裾を巡る小道は大木が茂り、薄暗くひんやりとしています。陸奥の峠道を歩く旅人気分を味わいながら、関跡に向かいました。


ラーメン屋で会った、「何にも無いおじさん」の話しと違い、誰も居ませんでしたが、白河の関跡の周辺にはいろいろと面白いものがあります。

明日は、いよいよ「旧白河の関跡」です。


それでは、また明日。 








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