歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

大国主は大黒天?でマハーカーラ?でした!?

2008年04月18日 | お寺・神社
昨日の続きです。

市役所の坂を下り通りに出ます。直進すると手賀沼を渡り16号線に出ます。ここで右折して、手賀沼に沿って我孫子駅方向に走ります。


郊外型のレストラン、車のディラー、家電量販店、食品スーパー、ホームセンター等が並ぶ、何処にでもある最近の風景です。


ラーメン屋の先に、何やらお屋敷風の塀が見えてきました。


なかなかの門構え、庭の植木もそれなりに手が入っています。


造りは古い様式ですが、建てたのはここ最近の物と思われます。この道路が造られた後で、建てられたものでしょう。

お屋敷が大きい為、全景の撮影は道路を渡り反対側からです。写真は“電柱”と電線が邪魔な為、後処理で取り除きました。右下に電柱の一部を残しておきました。

余談ですが、“電柱”と書きましたが、これはかなり“若ぶった”のです。普段はあまり電柱とは呼びません、“電信柱”と云ってしまうのです。

私の年代が“電信柱世代”の最後ではないかと思います。

ウロキョロしながらペダルを漕いでいると、遠くの小高い丘に、お寺か神社へ続く階段を発見、少し戻って丘陵際の小道に入り階段を目指します。

“ガイドマップ”を見ると、この小道に沿って“白樺派の痕跡”があるのでした。マップには、“ハケの道”とあります。

丘の上に“子之神大黒天”があるようです。マップには“卍”のマークが描かれています。


昔は、ハケの道が手賀沼に沿った道だったようです。

“ハケの道”の「ハケ」は辞書によると、

【ハケ】
 丘陵山地の片岸。ばっけ。関東から東北地方にかけての呼称。

【捌け】
 水などが溜らずに流れ去ること。「水―の悪い低地」
 商品が売れさばけて行くこと。「―がよい」

【捌け道】
 水などの自然に流れ出ていく道。はけぐち。

やはり、先ほどのお屋敷は最近まで、沼縁の田圃か湿地帯だったようです。

自転車は、通りの金網の柵にチェーンで繋ぎ鍵を掛け置いていきます。高い、高い石段を登ります。前方には中年女性の二人連れ。


大きな本堂の屋根が見えてきました。


それなりの雰囲気の“本堂”と境内です。


“金のわらじ”


足、腰に良いようです。


石段を登ってきたのですが、本堂の脇に“山門”があり、その先には駐車場がありました。


“山門”から連なる桜も綺麗なのです。それでも、さきほどから“何か変”なのです。

この“山門”どう見ても、“鳥居”に屋根を付けたデザインなのです。寺の山門と、神社の鳥居を足して二で割った、神仏混淆スタイルなのです。

寺の境内の“一画”に、鳥居があり神様を祀っているのは良く見かけますが、ここまで“対等な混淆”は“はじめて”です。

何でも、はじめての経験は良いことです。楽しいく面白いことです。

お寺であるような、神社でもあるような、どちらとも云えない“雰囲気”が漂っている“子の神大黒天”それでも、公式には“お寺”なのです。

兎に角、有り難い神様、仏様なのです。

改めて見ると、本殿も“どことなく神社”の雰囲気を漂わせているのです。名前が“子(ね=鼠)之神”で“大黒天”です。

大黒天を調べてみると、

【大黒天】だいこく‐てん

(梵語 Mahãkãla  摩訶迦羅) マハーカーラ

密教では自在天の化身で、仏教の守護神。戦闘神あるいは忿怒神、後に厨房神とされる。七福神の一。頭巾をかぶり、左肩に大きな袋を負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏まえる。

わが国の大国主命と習合して民間信仰に浸透、「えびす」とともに台所などに祀られるに至る。
→きのえねまつり。

本来はマハーカーラといい、マハーは「偉大な」をカーラは「時」もしくは「暗黒」を意味するため「大暗黒天」とも呼ばれ、青黒い身体に憤怒の表情をした神であった。後に仏教、密教に取り入れられ、日本においては仏教の伝来と共に日本古来の神と習合され、独自の神となった。

神道
日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰さる。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知らる食物・財福を司る神となった。

袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時に鼠が助けたという説話(大国主の神話#根の国訪問を参照)から、鼠が大黒天の使いであるとされる。

        引用終わり

以上、そんな、ことなのです。

マハーカーラが、偉大な暗黒の神であり、偉大な黒で、大黒で、大国主の国(こく)と、大黒の黒(こく)が、共通するために、大黒=大国となったようです。

兎に角、宗教は人間の“都合”に合わせて“変幻自在”なのです。何と云っても人間が中心です。

細かいことに囚われないことは、とても良いことなのです。

“子の神大黒天”はとても、勉強になりました。

白樺派はこれからです。明日はちょっとだけ白樺派が出てきます。


それでは、また明日。


コメント
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