歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

我孫子“春爛漫で下司の勘ぐり”

2008年04月09日 | 街の風景
昨日の続きです。

暗く、湿った裏道から住宅地に入る坂を登ると、視界が開け、そこは明るく爽やかな別世界でした。

住宅地と云うよりも、何処か遠くの豊かな農村地帯に来た雰囲気です。村の庄屋さん風? 大地主風? そんな立派な門構えの“お屋敷”が幾つか並んでいます。

この佇まい、何とも結構ではありませんか。門に続く石畳、見越しの松。


石畳の両脇に“玉砂利”など敷いて、植木に少し手を入れると、立派な料亭か割烹旅館になりそうです。

柿色の漆喰壁。門の奥には大きな石灯籠が見えます。


こちらも、石を積み上げ、瓦屋根の塀を巡らし、背景には満開の桜、絵になります。桜が咲いているのは、隣のお寺の境内のようです。


こんな処に! こんなお屋敷が! どんなご商売か伺いたくなります。都市近郊に良くある、農家の様に見えますが、あたりに耕作地は見当たりません。

お隣のお寺に参拝します。



青い空と黒塀を背景に、ピンク色に染まった桜。春爛漫の景色! 見事です!


本堂は鉄筋コンクリート製、屋根の部分は木造瓦葺きでした。鉄筋コンクリートは冷たく、“ありがたみ”に欠けます。


お賽銭を上げ参拝、見上げると“永光山 西音寺”とあります。


脇に建つ“本堂再建記念碑”を読んでみました。


面白い事が判りました。

NECの工場用地の売却代金で、この本堂は再建されたのです。それに到る経過が記されていたのです。

それでは、その概略を記します。

そもそも、利根川の“氾濫原”であった土地を、灌漑用の池として、68名の農民が大正7年に県から払い下げを受けたのです。

その面積が“6反6畝3歩” 

1反=991.7㎡  1畝=99.17㎡  1歩=3.3㎡ 

ですから

  991.70×6=5950.20
   99.17×6= 595.02
    3.30×3=   9.90 

計6555.12㎡となり、1986.4坪と云う事です。

そして、昭和48年にNEC工場用地の一部として3千650万円で売却。と云う事は、1坪1万8千375円となります。

その代金の一部、2千410万円でこの本堂を建てたのでした。残り1千240万円は68名で分配したのでした。

大正7年で68名ですから、昭和48年には分家などあって、地権者は百名程度に増えているかも知れません。

NECの工場用地が11万坪ですから、その時に田畑も売却された筈ですから、坪1万8千円ですから、11万×1万8千で、用地代は19億8千万、約20億円になります。

昭和48年の20億ですから、現在の価値からすると10倍の200億円程度になる筈です。

何で、こんな他人の懐具合を詮索したのかと云えば、この工場の売却代金は、50人~60人の農民の懐に入ったのではないか?

それが、この辺りに点在する“お屋敷の建築資金に回されたかも?”と、詰まらぬ詮索をしていたのです。

失礼しました“下種の勘ぐり”でした。

お寺の境内と云う、清らかな場所で、不浄な事を考えてしまいました。まだまだ修行が足らないようです。

本堂の裏手に神社が見えます。神社にお詣りして、不浄な心を清めて来たいと思います。

それでは、また明日。


コメント
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