歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

我孫子 神社仏閣で“ほころびる”

2008年04月10日 | お寺・神社
昨日の続きです。

本堂の裏手に鳥居があり、奥には小さなお社が見えました。お寺の境内の一画に神社、良くある風景です。

神仏混淆、神仏習合です。



しかし、神社の境内の一画に、お寺は有りません、お地蔵様や、お釈迦様も居りません。

外来の新しい信仰である仏教が、日本固有の土着信仰を取り込み、浸透を図って行ったものなのでしょう。

新しいものが、古いものをそれなりに取り込み、抵抗を少なくして定着を図る。そんな処でしょうか。

それでは、日本そば屋に“ラーメン”はありますが、ラーメン屋に“モリソバ”はありません。これは何故なのでしょうか? 

これは、神仏混淆より複雑な問題です。

時間は沢山有ります。ゆっくり、じっくりラーメン問題を考えてみました。暫く考えていると、ラーメンは外来食物では無いのでは?との疑問が起こりました。

問題の前提が崩れ去ってしまったのですが、そんな、細かな事は気にしないで、すこしだけラーメンの話です。

ラーメンは日本古来の土着食物に、中華風麺と、中華風だし汁と、和風の具材をトッピングした“中華風日本料理”であるとの結論に達したのです。

※結論に到る経緯はかなり長くなるため割愛させて頂きます。まぁ。それほど大した事ではないのですが、話があっちこっちに飛び回り、纏まらない危険性があるのです。

これは、日本古来の土着料理が、新しい外来料理を取り込み融合調和を図ったもので、神仏混淆とは逆のパータンだったのです。

日本料理であるからして、日本蕎麦屋のメニューに存在し、本格中華料理屋には無いのです。

ラーメン屋のメニューに「モリソバ」が無い理由とは、まったく別の問題だったのです。

日本蕎麦屋に“インド料理”の“カレーライス”が何故あるのか? と云う問題もラーメンと同じく、答えは“カレーライス”も“インド風日本料理”だと云う事です。

そして、カツ丼も、洋食の“カツレツ”を蕎麦のだし汁で煮て卵でとじた“西洋風日本料理”なのです。

日本は何でも取り込んでしまうのです。

話が段々と云うか、かなりと云うか逸れてきました。ここらで、喰い物の話はお終いにしておきます。

本堂の裏手にある神社の話でした。

お社は“大きめの祠”と云うか、“小さめの本殿”と云った、中途半端な感じの建物です。


その建物は、石仏や石碑等の仏教系に囲まれていました。


木漏れ日に照らされた石仏と石碑。


木々の匂い、苔の匂い、柔らかい陽射し、遠くで聞こえる鳥のさえずり・・・・・・、こんな風景の中に佇む、これが、堪らなく良いのです。

“落ち着き”ます! “ほころび”ます! “柔らかく”なります!

お寺とか、神社とか、古い建物とか、そんなところが好きなのです。歳を取ったせいでしょう。

平日の、こんな時間に、こんな処で、一人佇み、“ほころんで”しまっていいのでしょうか。

いいのです! いいと思います。

皆さんも“どたばた”とか“じたばた”とか“あくせく”とかしないで、

“ほころび”ましょう。

“何を! 呑気な事を云ってるんだ!”

と、思われる方も居られるでしょう。

でも、私も時々は、町で忙しく働く人の姿を見て、後ろめたさを感じる事もあるのです。でも、しかし、私も、それなりに、これまで働いてきたのであります。

忙しそうにしてい人が、向かいから歩いて来た時は、必ず“身を除け”邪魔にならない様にしています。

まぁ。兎に角、忙しく働く人も、偶には、神社仏閣を訪れ、

“ほころんで”下さい。

神社仏閣は“ほころぶ”には、とても良い場所です。



それでは、また明日。


コメント
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