歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

ベンチャーズと渚ゆう子

2007年02月17日 | 昔の思い出
昨日の続きです。

「豚カツ屋」から「コンパ」です。
あの当時、流行った飲み屋の一種です。十人から二十人ぐらいが座れる丸いカウンターがあり、カウンターの中には女性がいて、酒やつまみをサービスする形式でした。

新橋駅の烏森口側にあったコンパによく通った思い出があります。向かいが「JR」の「高架下」にある「成人映画館」でした。映画館は当時のままです。


この辺りの雑居ビルだったと思います。雰囲気は当時とほとんど変わりませんね。その「コンパ」は、一階から五階まである大きな店で、女の子がスチュワーデスの制服を着ていました。

思い出します。一度、友達より少し先に行って、一人で飲んでいると、女の子が、注文していないのに、ピーナッツを一皿出してくれて『これはサービスねぇ』って言われたんだです。

その女性は「店のナンバーワン」で、最上階のフロアーに居たと思います。上の階から客を「詰めて」ていく「店の策略」だったのでしょう。

それで、「ピーナツ」なんですが、『これはきっと何かある!』と思って、それからは、その女の子のカウンターを専門に通ったけど、何にもありませんでした。


あの時、店内に盛んに流れていたのが、渚ゆう子の『京都の恋』でした。今でもこの歌を聴くと、新橋のコンパを思い出します。

『♪♪か~ぜの噂を信じて~・・・・・・』

 
「ベンチャーズ」ですねェ。
このおじさん達は、今で毎年日本で「稼いで」いますね。いつかテレビで「ラーメン」を「啜って」いる「ベンチャーズ」をみました。「好物」だそうです。頑張って下さい。


会社の帰りは、浜松町から乗ったり、新橋から乗ったり、その日の気分でした。会社からの距離は、浜松町の方が近いのですが、賑やかな飲食街に惹かれて、新橋コースが多かった気がします。

当時、このビルの前で、ほとんど「毎日」、和服姿で「踊る」男の人がいました。毎日のことなので、誰も「注目」して観ている人はいませんでした。それとなく視線を送るだけでした。

あの人は「何だった?」のでしょうね。少し「オカマぽい」雰囲気がありました。40前後の人でした。そうすると、現在は80前後?今頃、何処で、何をしているのでしょうか。


「酔っぱらった」「中年サラリーマン」が「インタビュー」される「名所」です。むかし「機関車」はこの位置では無かったような?気がする。

今回、駅前で「蒸気機関車」を観ていて、やっと気が付きました。

『♪汽笛一声♪新橋を・・・・・・』の歌にあるように、新橋駅は日本で最初に鉄道が開通した起点の駅でした。それで、「駅前」に「機関車」なんですね。知らなかった!


それに、驚きましたね「この景色」には、浜離宮側に「そびえ立つ」「高層ビル群」。凄い「圧迫感」です。「勝って」に「無秩序」に「林立」しています。

海からの「風」を遮る「お邪魔者」です。しかし、「これが」、「現在」の「日本」を「象徴」する、「文明」なのでしょう。

「文化」は何処に行ってしまったのでしょうか? そうだ!「ガード下」の「焼き鳥屋」の中に「ある」のかもしれません。。。。。。 



コメント (2)
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