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時悠人chosan流処世術

★霧笛が消える日

2007-08-31 14:54:49 | 日記・エッセイ・コラム

 数年後には、全国の港から霧笛が消えるかもしれないという。決定ではないが、海上保安庁が検討を進めているとか。廃止の理由は、「GPS等の計器類の発達で、その役割を終えた」ということらしい。

 船出の際のテープ・セレモニーと霧笛の音は、どことなくもの悲しい。飛行機や列車の別れと違い、ドラが鳴り、接岸した船が錨をあげ、ゆっくりと岸壁を離れていくさまは、情感を掻き立てる。マーチ演奏に送られる明るい門出もあるが、小雨や霧が立ち込め、霧笛が長い尾を引くと、募る思いを引き裂くようで涙を誘う。

 霧笛と言えば、釧路を思い浮かべる。美川憲一の「釧路の夜」は、女心を歌った曲だが、昭和43年、彼はこの歌がミリオン・セラーとなり、NHK紅白歌合戦に初出場した。さらに古くなるが、昭和35年、赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」は、同名映画の主題歌で、我が青春時代の良き思い出の一つだ。「霧の波止場に帰って来たが 待っていたのは悲しいうわさ、、、」と、ぶっきらぼうな歌い方が、野性的で人気をはくした。石原裕次郎や小林旭に続く大物スターとして期待されながら、不慮の事故で世を去った。21歳の若さだった。

 「霧笛が果たす役割は終わった」とは、燈台が無人化されたと同様、時代の流れだが、昆布漁をする小型船舶にはGPS機能は殆んどない。文明の利器が発達し、便利さ・効率化が進展すると、対極にある不便さ・非効率さが恋しくなるのは、都会暮らしの”団塊の世代”が、「田舎暮らしをエンジョイしたい」と願う、気紛れな気持ちに通じるのかもしれない。


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