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時悠人chosan流処世術

★体罰:問われる本質

2013-01-31 10:21:20 | 日記・エッセイ・コラム

 桜宮高校のバスケ部に端を発した体罰問題は、遂に日本柔道連盟やJOCまで巻き込み、アマチュア・スポーツのあり方自体を問われる国家的問題に発展した。

 「体罰」については、その必要性や程度を含めると、意見百出しそうなほど、定義すら曖昧で、私見を述べることすら憚られる。

 教育であれ、スポーツであれ、体罰は、ともに上下関係に基づく行為。体罰で技術は向上しても、自分で判断する能力向上に有効とは思えない。体罰体験者で肯定する人は、先生やコーチの指導を自分なりに消化して成功した人であり、それは一種の洗脳ではないのか。

 指導者が生徒や選手の人格をどう認識しているかが重要で、「人間は自ら納得しない限り行動しない動物」だという本質を肝に銘じたい。


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