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時悠人chosan流処世術

★ジダン退場の賛否に思う

2006-07-13 08:19:40 | スポーツ

 サッカーファンならずとも、W杯決勝戦でジダンが退場したシーンを観たら、「何故?」と不思議に思ったに違いない。「退場処分を喰らった選手がどうしてMVPに選ばれたの?」との疑問も頭をかすめた。後の方は、記者投票とのタイムラグが原因とのことだが、暴力行為の真相は依然として不明だ。FIFAが本格的な調査に乗り出すとも報道された。フランスのテレビ取材に応じたジダンの口からは具体的な言葉はなかった。

 一方、暴力行為を受けたマテラッツィは、11日付のイタリア紙の取材に対して、「私は彼に対して尊大な態度を取ったかもしれないが、差別的な発言はしていない」と答えたとか。

 昨日の小ブログで、イタリアの民族間の闘争について述べたが、単一民族の日本人には理解できない奥深い価値観が存在することだけは確かだ。ジダンがアルジェリア移民の息子であることは事実だが、フランスが移民政策を重要視している国であり、上手くバランスをとって成功していることも事実だ。

 ジダンの軽挙は許しがたい行為だとは思う。だが、一旦引退を決意した選手が代表に復活し、決勝戦にまで残った時の心中は、並大抵ではなかったはず。その大切な決戦の場で、暴力行為に及んだ心の怒りに思いを馳せたい。

 新聞社やテレビ局に、「子供にジダンの行為をどう説明したらよいのか?」との問い合わせが多く寄せられているとか。子供に入り口と出口の両方を教えないと気がすまないらしい。それよりも、入り口を教えて、親子で対話するプロセスを大切にした方が、教育上、はるかに建設的だ。暴力行為自体の是非論だけでは片付けられない人種差別問題を学ぶ良い機会だと思うのだが。


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