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時悠人chosan流処世術

●欠陥マンション事件にみる国の責任

2005-11-29 09:18:32 | 日記・エッセイ・コラム
 耐震強度偽装マンション事件に日本全土が揺れている。当事者だけでなく、地震大国日本における全国民共通の問題と認識すべきだろう。自民党の武部幹事長がBSE問題にこりてか、全戸耐震調査費用を国が予算化するように働きかけると発言したが、もぐら叩きみたいで白々しく聞える。

 毎日変わるヒューザー社長発言は、自己防衛でしかない。それは、「高い金を払って欠陥マンションを作るなんて馬鹿げたことをするはずがない」という発言に凝縮されている。もっと怖いのは、マンションを買い戻すと言うが、「重畳的債務」となっている点だ。仮に、ヒューザーが倒産したら、住民には「所有権無しで借金だけが残る」図式になる。これでは、住民の立場で考えているとは到底思えない。

 ついては、本事件で私が見逃せないのは「官から民へ」という流れの中で起きていることだ。「民間に出来ることは民間に任せること」を、当然と位置付ける風潮である。イーホームズなる民間の組織と自治体が担当する二通りの検査機関が存在する不可解さ。業界では、手数料を払っても民間の方を使うという実態は、何を物語るのか。
しかも、厳正に審査していた筈の自治体自身、専門的すぎてチェックしきれないと堂々と弁解している。

 伊藤元国土庁長官名まで取りざたされ、政官財ぐるみの構図まで浮かび上がってきた。「官より民の方が良いに決まっている」とか、「民間の方が工夫し知恵を出す」との小泉発言は、いまや国民の価値観の底流に固定化されたかのようだ。一見、脱官僚で前向きに響く言葉だが、反面、国としての責任を放棄しているとも響く。いつも繰り返すが、「国の求心力」をどこに求めたらよいのか。将来ビジョン不在で小手先だけの政策を早急に改めて欲しい。