プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

☆エルミタージュ美術館

2004-08-16 15:49:00 | 旅行記
 ルーブル、大英美術館とならび、世界を代表するエルミタージュ美術館。300万点にもおよぶという所蔵品の多さもさることながら、レオナルド・ダ・ビンチやゴッホ、ピカソ、レンブラント、ルノアール、モネ、マチス、シャガール等々、名立たる巨匠の作品が展示されているのに圧倒される。

 エルミタージュは、冬の宮殿、大小エルミタージュ、新エルミタージュ、そしてエルミタージュ劇場の5館で構成されている。とても、1日では見切れないスケールだ。皇帝達が使用した部屋や愛用品の品々も見応えがある。ヨーロッパの有名な宮殿や城を訪れたときと同様の印象を受けるに違いない。権力を誇示するために、財力を惜しみなく投入した遺産なのだ。歴然とした身分差があったからこそ、シンボリックな建造物や美術品を後世に残すことが出来たのだと思うと、何故か素直に感動出来ない。

 ロシアに限らず、イタリアやスペイン、フランス、ドイツ等が所有する美術品は、戦利品だ。ヨーロッパ大陸の殺戮の歴史を顧みれば当然のことなのだが、歴史は勝者が作るものであって、大衆は常に犠牲を強いられた背景に思いを巡らせると暗澹たる気持ちになってしまう。とりわけ、イラクでの紛争と犠牲が大義不在のまま、いつ終息するかも知れぬ現実を思うとなおさら心が痛む。


☆サンクトペテルブルグ概観

2004-08-16 15:23:12 | 旅行記
 2004年6月。関空を発ってヘルシンキに一泊後、空路サンクトペテルブルグに入った。サンクトペテルブルグは、人口約500万人を超えるロシア第二の大都市で、美しい都市美は「北のベニス」と呼ばれ、世界遺産にも認定されている。エルミタージュ美術館とピョートル大帝の夏の宮殿が余りにも有名だが、ロシア帝国の華やかな歴史と革命と戦争という辛い過去を持ち合わせた都市だ。

 1713年から1918年までの約200年間、帝政ロシアの首都だったが、1917年の社会主義革命後、レニングラードと名を変え、1991年に再びサンクトペテルブルグとなった。首都もモスクワに移ったが、その栄光の歴史は年月の経過とともに輝きを増しているようだ。ピョートル大帝の宮殿やエルミタージュ美術館のほか、エカテリーナ宮殿や聖イサク寺院、ペテロパブロフスク要塞、マリンスキー劇場等々、実に見所が多い。

 北のベニスとの別称は、市中を流れるネヴァ川と多くの運河で形成する都市美から命名されたものだけに、クルージングがお勧めだ。船上からみる町の景観は、突出した高層ビルもなく調和がとれていて実に美しい。これも帝政時代のなごりで、皇帝の宮殿よりも高い建物を建てることが禁じられたからだという。時の為政者の権力が絶大だったことを窺い知ることができる。

 繁華街を歩いてみると、ネオンやイルミネーションを見慣れた日本人には、うらぶれた感じがする。反面、石造りの建物がより一層ずっしりと重厚感をまし、落ち着いた景観を呈している。ピョートル大帝がヨーロッパ文明を吸収しようとして作り上げた都市だけあって、バロック様式の建物が目立つが、ロココ調の繊細・優美な建造物も数多く、渾然一体となって美麗を極めている。ゆっくり時間をかけてまわるなら3日間は必要だろう。


★夫婦の定年って?

2004-08-16 10:57:45 | 日記・エッセイ・コラム
 「夫婦の定年」について、考えたことはありますか。
「馬鹿言ってんじゃないよ!そんなの、偕老同穴。死ぬまでと決まってるだろ!!」と、ひんしゅくを買うかも知れない。考えること自体、不謹慎だと。しかしながら、私は真面目に考えるべきだと思います。

 人間の定年は死であることに異を唱える人はいませんが、同じ人間でも男と女とでは異なります。定年を寿命と捉えるなら、日本人男性は76歳、女性は84歳ほどですから、男女でじつに8年もの差があることになります。さらに結婚年齢は、一般的に男性の方が年上です。もちろん、逆の場合もありますし一概に決めることは慎むべきですが。

 そうなると、夫婦としての生活期間と死別した後の生活設計まで展望しておくことが極めて大切なことになります。

 人間の一生は、誕生から死ぬまでですが、夫婦の一生は歴然として違うのです。どれだけ仲が良い夫婦でも死ぬ時は一人ぼっちです。結婚し、子供が誕生すれば、しつけ教育・就職・結婚で一応親としての義務は果たします。子供が巣立った時、再び夫婦二人だけの生活に戻るのですが、心の支柱ともいうべき子供が居なくなると空虚さを感じます。その後の生活を一番充実させなければいけないのに、大抵は人生に疲れた風情に陥ってしまいます。

 書店には、「老後の生き方」とか「年金で豊かに暮らすには」、或いは、「定年後を豊かに生きる方法」、「定年に備えて」等々、数多くのハウツーものが並んでいます。いずれの本にも共通しているのは、定年=60歳を前提としていることです。最近、65歳定年延長案などと愚かな政策まで出てきています。言うまでも無く、年金財源逼迫の窮余の一策として「定年延長」を実施しようとするものです。無能このうえない政策です。人生は一体何のためにあるのかと問いたくなります。働き続けて死んでいくのではなく、余生を楽しく充実させなくては無意味です。そして、その時間は長いほど、良いはずです。

 ライフステージを展望するとき、男女で定年(=寿命)に差がある以上、夫婦としての定年をベースにしないと惨めな末路を迎える気がしてならないのです。そう考えた時、私は58歳で退職し、時間を超越した生活(勝手に時悠人と称した)を選択しました。