プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★一期一会

2004-08-19 10:33:58 | 日記・エッセイ・コラム
 2004年6月6日は、予期せぬ出来事で生涯忘れられない日になった。モスクワに近いセルギエフ・ポサードにある「トロイツェ・セルギエフ大修道院」を観光中に、その報が飛び込んできた。午後1時過ぎ、ツアー同行客の老人が交通事故で即死したのだ。

 彼は80歳をこえる高齢だったが一人参加の元気者だった。同行者から離れて一人で写真をとりまくる姿は、如何にも行動派の印象を受けた。お孫さんが一人だけの天涯孤独の身で、写真をいっぱい撮ってお土産にするのだというのが、私と交わした最後の会話だった。ツアーも後半にさしかかり、さすがに疲労が溜まったらしく、その日は昼食後の観光を辞退し、バスに居残り休憩したいと添乗員に申し出た矢先のことだった。

 おりあしく、雨が降り出したのでバスへと歩を速めた時、ツアー客の一人が「あのおじいさんが交通事故に遭ったそうよ!」と金切り声をあげた。添乗員と現地ガイドが事故現場へ向かったと聞き、あとを追った。一瞬、目をそむけたくなるような光景がそこにあった。ついさっきまで元気に話していた老人の姿が、車道に横たわっていた。路側帯に足を向け、両足の靴が脱げて左右に飛び散っている姿に、私は金縛りにあったように呆然と立ち尽くした。ついさっきまで元気だったのに、、、、。目をさませと、動かない老人に両手を合わせた。帰りを待っているお孫さんの悲しみを思うとやりきれなかった。

 「かわいそうだわ!せめて毛布くらいかけてあげたら良いのに」。周囲の声に我にかえった。警察官は現場の交通整理にあたるだけで、なきがらはむき出しのまま路上にさらされたままだったのだ。雨脚が強くなり遺体をうつのが余計、哀れをさそった。日曜日のせいか、お国柄のせいなのか、1時間近くたってようやく救急車が到着し遺体を収容したのだった。

 皮肉なもので、同行者にその日が誕生日だという人がいた。6月6日はD-DAYで、しかも66歳の誕生日。前日、約束した誕生パーティは見送るしかなかった。旅行の最終日、添乗員が遅ればせながらと彼の誕生日を祝う小宴を用意してくれたのが救いだった。

 「一期一会」というが、今回の旅でしみじみと噛み締めた言葉だった。