悪魔とプリン嬢

 
 コエーリョ「悪魔とプリン嬢」を読んだ。これで、邦訳の出ているコエーリョ作品は全部読了。やっと自分の読みたいのが読めるようになるよ。

 「悪魔とプリン嬢」はコエーリョによれば、「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」、「ベロニカは死ぬことにした」に続く、三部作「そして七日目には……」の最後一冊。これらは、「愛」、「死」、「力」に突然直面し、人生を変える決断に迫られた、ごく普通の人々の一週間に起こった出来事を扱ったものなのだとか。
 主人公が女性ばかりなのは、彼のマリア信仰に関係あるのだろう(あるいは単に女好きだからかも)。

 この本のテーマは善と悪。舞台は山間の平和な田舎町ヴィスコス。かつては犯罪と頽廃の巣窟であったところを、聖人サヴァンによって改心した悪人アハブが平定し、以降繁栄した過去を持つが、今では衰滅の危機に瀕している。人々は臆病な故に正直で善良。
 あるとき、悪霊を連れた一人の男がこの田舎町へとやって来る。彼はホテルのバーのウェイトレスであるシャンタール・プリンに申し出る。
 ……人間の本性が善か悪かを知りたい。人間は誰もが誘惑に屈する機会が与えられれば、自ら悪をなすはずだ。これから一週間のうちに町の誰かが人を一人殺してくれれば、報酬として町に地金10枚をあげよう。と。
 シャンタールを襲う善と悪との葛藤。町を襲う動揺と混乱と狂気。そして7日後には……、という物語。

 一見、シャンタール一人のなかで、善と悪とが闘っているように見える。が、一人の人間の物語は全人類の物語だというのが、この本の一つの主張なのだから、シャンタールの善と悪との闘争は、悪霊に取り憑かれた異邦人にも、町の人々一人々々にも、起こっていることを示唆している。
 善と悪は、すべての人間の魂をめぐって闘っている。要は何を選択するかだ。……というのが、コエーリョの思想。
 
 これって、当たり前のこと。内心の自由はなくてはならないものだし、その人にとって外的な善と内的な悪とじゃ、私は後者を本当だと思う。
 内心の自由があり、行動の選択の自由がある。いずれも人間の条件だと思う。真偽や善悪の選択を他人に認めずに、自分の真や善を正答として押しつけてきたり、選択を認められても、自分からは選択しようとしなかったり、そういう人が多くて困る。

 あと、コエーリョの言うとおり、無駄にできる時間はない。たとえ、とても長い人生を期待できたにしても。
 問題は待ってくれない。気づかないふりをしても、まだ心構えができていないからと容赦してもらおうとしても、駄目なのだ。……なるほど。

 画像は、ド・フュール「悪霊の声」。
  ジョルジュ・ド・フュール(Georges de Feure, 1868-1943, Dutch)

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