ギリシャ神話あれこれ:不運な覗き男

 
 夢のなかで追いまわされる私が、唯一追いつかれたのは、豚にだった。しかも巨大な黒豚。
 豚は、するどい牙を剥き出しにして、まだ小さかった私を、足の先からかぶりついてきた。可哀想な私。激痛の瞬間、私は自分の大腿骨が、バキバキと砕ける音を耳にした。もし運良く助かっても、もう足がなくなっちゃってるよ~、と、絶望的な気持ちになったっけ。
 ……ああ、生きながら喰われる気持ちというのは、生物的本能から言って、怖いという以上に気色が悪い。

 アクタイオンは、カドモス王の孫に当たる、テバイの王子(ちなみに、カドモスの末裔は不幸にばかり襲われる)。ケンタウロスのケイロンに教育を受け、いつも彼に従って狩猟に出ていたアクタイオンは、王宮に戻ってからも狩猟を最も好んだ。
 あるとき彼は猟犬たちを引き連れ、山奥に鹿狩りに出かける。狩りを終えると、喉を潤そうと、泉を求めて木立を分け入る。

 さて、この森にはアルテミス神の憩う、洞窟の泉があった。で、ちょうどこのときも、アルテミスはニンフたちと、狩猟のあとにここに訪れ、水浴していた。
 運の悪い男とはいるもので、アクタイオンはこの洞窟に足を踏み入れてしまう。男の姿を見とめたニンフたちは、鋭い悲鳴を上げながら、慌ててアルテミスの裸身を隠そうとする。

 が、頭一つ背丈の高いアルテミスは、顔と肩とがあらわなまま。で、不運なアクタイオンと、バッチリと眼が合う。
 羞恥と憤怒に紅潮したアルテミスは、できるものなら言い触らすがいい、と言い放つと、泉の水をアクタイオンに投げかける。と、見る間に彼の姿は牡鹿に変わってしまう。

 憐れ、アクタイオンはその場を逃げ出し、もはや王宮には戻れまい、と嘆く。彼にしてみれば、どうすりゃよかったんだヨ、って気持ち。
 が、悠長に嘆くどころではない。彼が連れていた50匹もの猟犬が、牡鹿になった彼の姿を見つけて、凄まじい勢いで襲いかかる。彼は必死で逃げたけれども、とうとう、自分の忠実な猟犬たちに、むごたらしく噛み殺され、八つ裂きにされてしまった。

 ところで、彼を噛み殺した猟犬たちのなかに、メランポスという小さな犬がいた。主人アクタイオンが死んで以来、この犬は川岸に坐り込んで、主人の帰りを待ち続け、とうとう息絶えてしまった。
 この忠犬が小犬座。涙ぐみながら、天の川のほとりに坐っているのだとか。

 もう一人、同じく水浴するアルテミスの裸身を見てしまった人間の男に、シプロイテスがいるが、彼の場合は女性へと変えられてしまった。
 
 画像は、チェーザリ「ディアナとアクタイオン」。
  ジュゼッペ・チェーザリ(Giuseppe Cesari, 1568-1640, Italian)

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